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本性論(1)

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本性論(1)
第三章
本性論
統一思想研究院
「戸外に出るな」(アウグスティヌス)
だれよりもアウグスティヌスのおかげで、初期
のキリスト教は、自然現象を顧慮することを
嫌うようになった。「戸外に出るな。あなた自
身のうちに戻れ。人間の内面にこそ、真理は
存在する」、とこの偉大な教父はいった。西方
世界の思想に責任をもった人びとは、1000年
にわたって戸外に出ることはなかった。
C.シンガー 『科学思想のあゆみ』 p.148
「星の研究をすれば、神に無関心になる」
多くの教父の筆者たちの見解では、星の研究を
すれば、おそらく、天にまします神には無関心に
なるだろう。これが、4世紀から5世紀にかけての
一般の態度である。
C.シンガー 『科学思想のあゆみ』 p.154
ギリシアからアラビアへ
ローマ帝国だったところの東側の領土は、今度はビザンチン
帝国となり、事情も大きく異なっていた。ギリシア語が生き続
け、ギリシア語の写本も保存された。7世紀から8世紀にかけ
て、アラビア語を話すイスラム教徒が一帯を席巻したとき、イ
スラム教徒は征服した土地でギリシアの知識を吸収した。イ
スラム教徒はシチリア、スペイン、中東全体を含む地中海沿
岸地域を掌握した。500年ほどの間、アラビアが世界の科学
知識を管理することになり、ギリシアの思想を死に絶えないよ
うに守り、独自の発明や発見を加えていった。大学、図書館、
病院も建てた。・・・・・・インドから借用した数の体系を元に、
われわれが今使っている、「アラビア数字」とよばれるものと
位取り表記に基づいた数の体系を開発した。・・・・・・アラブ人
は代数と三角法を発明した。そしてたぶん何よりも大事なこと
に、残っていた無数のギリシア語の文献を翻訳した。
ダン・フォーク 『万物理論への道』 pp.42-43
アラブ世界からヨーロッパへ
西ヨーロッパが中世の暗闇に沈んでいる間、アラブ世界は学
問の火が――科学を含めて――明るく燃えるのを守った。何
世紀も経つうちに、この知識の宝庫がヨーロッパに漏れ出て
いった。・・・・・・ギリシア語で書かれ、アラビア語で補強された
思想は、あらためて翻訳された――今度はラテン語という、キ
リスト教のヨーロッパにおける学問の言語である。トレドやコ
ルドバのようなスペインの都市では、市場はアラブ人、ユダヤ
人、キリスト教徒の商人がひしめき、舞台裏では、複数の言
語を操る学者が文献を次々と、たゆみなく写していた
――1000年以上前にはギリシア語で書かれ、今やアラビアや
インドの思想で肉づけされたものである。世界を変える学問
の爆発の引き金を引いたのは、その成果だった。
ダン・フォーク 『万物理論への道』 p.43
関釜フェリーにて――玄界灘に消え
た尹心悳
朝鮮で最初のソプラノ歌手になった尹心悳(1897~1926、
29才)の人生は、それこそドラマチックであった。彼女は東
京の上野音楽学校声楽科に学んで帰国し、忽ち音楽会の
シンデレラになった。心悳はオペラのアリアやシューベル
トの歌曲を朝鮮で初めて披露し、その美貌も幸いし、大変
な人気を博したのである。そして、1926年、尹心悳は「死
の讃美」という歌をレコードに吹き込み、これが爆発的に
ヒットしたことは有名。ところが、同年8月、あたかも「死の
讃美」を実演するかのように、関釜連絡船の徳寿丸から
玄界灘に投身、金裕鎮(劇作家で、妻帯者)とともに心中
を遂げた。
東洋経済日報 2001年4月13日号
声楽家・尹心悳の言葉
「好もうが好むまいが、美しかろうが醜かろう
が、わが祖国、わが同胞であるため、私らは
死ぬまで朝鮮の心を詠み、朝鮮の悲しみと朝
鮮の新しいよろこびを歌わないと駄目よ。ナ
ポリへ行こうと、マルセイユへ行こうと、東京
へ行こうと、私らはいつも山美しく水清い朝鮮
の、退廃してゆく芸術を立て直し、立ち上がる
働き手にならんとする思いがなくてはならない
はずよ」
朝鮮新報 2003年
人間とは何か?
本性論は人間の本然の姿、本性的人間を扱
う理論である。
人間の本性
人間
神相的存在
①性相と形状の統一体
②陽性と陰性の調和体
③個性体
神性的存在
①心情的存在
②ロゴス的存在
③創造的存在
格位的存在
①対象格位
②主体格位
I.神相的存在
(一)性相と形状の統一体
生心は真善美と愛の生活、すなわち価値生活を追求し、
肉心は衣食住と性の生活、すなわち肉体的、物質的な生活を
追求する。
生心と肉心の関係
心(生心)の軸を中心として、体(肉
心)が回る
サタン(悪霊)は360度活動している
体は悪魔の舞踏場
この体は悪魔の舞踏場になってしまいました。悪魔
が錨綱(いかりづな)を結ぶ杭(くい)のようになったの
です。
神様は縦的な立場にのみおられるので、心が通じな
ければ活動することはできないお方です。サタンはあ
らゆる所で活動しています。360 度いつでも活動する
ことができるので、サタンの活動に堕落人間は負ける
ようになっているのです。
韓鶴子 「理想世界の主役となる女性」
あらゆる方向から誘惑するサタン
サタンは、1日24時間、あらゆる方向か
ら堕落した人間を誘惑し、苦しめます。
一方で神様は、ただ一つの方向から、す
なわち精神の垂直的な方向からのみ、
力を及ぼすことができるのです。ですか
ら、絶えず祈祷しなければなりません。
文鮮明 『至誠感天・家和万事成』
p.108
心と体の統一
宗教生活とは何かというと、まず、三年間から 五年間
くらい体を打って、習慣的に心の前に体を屈服させるこ
とです。その次はサタンが外的世界であるために、休ま
ずに祈祷して垂直の天の力を受けて、心の力を三倍、
四倍に強めていくことです。この二つ以外にはありませ
ん。
文鮮明 『ファミリー』 1990年8月号
心の世界の真の愛を中心として、共鳴体になるように
創造されたのが体です。心と体の統一世界を成すため
には、神様の本質的な真の愛を回復すべき課題が残っ
ていることを、知らなければなりません。
韓鶴子 「理想世界の主役となる女性」
真の愛に接すればすべてのものが統
一される
真の愛とは何でしょうか。真の愛に接するようになれば、
皆さんの心の細胞と体の細胞が共鳴することがあります。
共鳴! 音叉というものは、共鳴するもの同士周波が同じに
なれば、また振動数が同じになれば、この振動数で自動的
に同じ波長に順応して共に作用することを言います。同じ
ように真の愛に人の心が来て「ふうー」と呼ぶ時は、体も
「ふうー」と共鳴するというのです。
この細胞一つ一つがみな真の愛を中心として共鳴点に入っ
ていくようになる時は、目も見る所が一箇所であり、考え
も一つの考えであり、作用も一つの作用であり、においも
一つの方向で.あり、言葉も一つで、これを称賛するために
動くようになります。
そうして男と女は平衡的、平面的主体と対象の関
係になっており、男女が合わさって中央線に立つ
ようになる時に垂直線が立つようになりますが、
これは神様が願う愛の垂直線につくられるのです
。男女の平面的関係と、男女が合わさって立てら
れた神様が願う愛の垂直線と一致するその点が、
センターを通じてすべての球形の作用をするよう
になり、その位置を通さなくては球形の力は作用
できなくなります。それは千年、万年共通分母に
なります。万種の作用、万種の存在、万種の細胞
構成の共通理想と通路として、それが決定されな
ければなりません。ここで愛の目で見るならば、
全部私のものでないものがありません。(『南北
統一』490-91)
(二)陽性と陰性の調和体
神の愛を中心として横的に90度に
なる夫婦の愛
なぜ90度になるのかというと、愛は直短距離
を通して運行するからです。上にある神様の
愛が地上に来るときは直短距離を通るので、
垂直線にならざるを得ません。男性と女性も、
東西を中心とする愛の直短距離を通るので、
90度にならざるを得ないのです。(1989.10.30)
文鮮明 『神の血統と平和理想世界王国』
p.83
神の愛を中心として回転する夫婦の愛
本然の夫婦の意義
神様ご自身の結婚
言い換えれば、完成したアダムとエバの絶対
性を中心とする結婚は、神様ご自身の結婚に
なっていたのです。神様でありアダムでもあり、
エバであり神様でもあり、アダムとエバが神様
の体になり、神様は彼らの心の位置に安着さ
れ、共に有形無形の二つの世界で絶対性を
中心とする人類の真の父母になっていたで
しょう。
文鮮明 「神様の絶対平和理想モデルである絶
対性家庭と世界王国」 (平和メッセージ10)
神が臨在される夫婦の愛
神様の愛と人間の愛は本質的に同じです。愛
は一つになろうとします。男女が互いに恋しが
る理由は何でしょうか。男性は女性、女性は男
性を通してのみ神様を所有することができるか
らです。男女が愛で一つになる所に必ず、神様
が臨在されるのです。
文鮮明 『真の家庭』 p.111
夫婦が愛するということは、神様
を植えること
• 夫婦が愛するということは、神様を植えることです。本来父母は、本
然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は、互いに他の一方の神様
になります。そして息子、娘は、また一つの小さな神様です。神様は
真の愛の本体であられるので、真の愛と連結されれば、みな同じ体
になります。父母は神様の身代わりをする、生きている神様であり、
夫婦も神様を身代わりし、子女も神様を身代わりするのです。このよ
うに三代が真の愛を中心として、神様の立場を身代わりします。
• ですから、父母も、夫婦も、そして子女も真の愛を必要とするのです
。このように真の愛を中心に成された家庭組織が天国の基盤です。
そのような基盤を成さずには、天国が実現しません。これが公式で
す。家庭とは、すべての宇宙の現実世界の中心です。(『同』298巻
307頁、1999・1・17) (『祝福家庭69』96)
宇宙のモデルとなる夫婦の愛
神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女
性が、神様を中心として愛し合うことができるならば、
それは最高の愛であり、超越的な愛であって、世俗的
な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、
愛の中でも代表的な愛であり、永遠に輝くことのでき
る愛です。・・・・・・神様を中心として最初の男性と女
性が愛で一つになったならば、それは、愛を中心にし
た宇宙のモデルになったという結論が出るのです。そ
のような真の愛は、宇宙の核であらざるを得ません。
メートル法と同じ一つの標準型になるのです。
文鮮明 『真の家庭』
神様も万物も喜ぶ夫婦の愛
男性の心の中には、神様が愛していらっしゃ
る女性がいて、彼の相対である女性の心の
中にも、神様が愛していらっしゃる男性がい
て、共にたたえるようになる場合には、神様も
それを見て喜ばれるのであり、すべての万物
も互いに喜ぶようになるのです。彼らが互い
に抱擁する喜びの内容が天と地が共に喜ぶ
価値ある内容になります。
文鮮明『天国を開く道・真の家庭』 p.89
夫婦の愛は宇宙一体を成す
男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。し
たがって、男性と女性が一つになって調和を
成し、平和を成就しなければなりません。天地
“合徳”は、正に、夫と妻が天の真の愛を中心
として完全一体を成し遂げた境地のことを言う
のです。夫と妻が真の愛で抱擁することは、宇
宙が一体を成すことと同じです。神様の理想
の中で成される創造本然の姿がそうです。
文鮮明 『ファミリー』 2004.10
世界を代表した男性と女性による結婚
結婚はだれのためにするのかと言えば、人間
のためにするのです。人類の共同利益のため
なのです。世界を代表したものです。その男性
は世界を代表した男性であり、女性は世界を
代表した女性です。
文鮮明 『祝福家庭と理想天国Ⅰ』 p.491
男性の代表と女性の代表が夫婦
男性は女性を愛し、女性は男性を愛するように
なっていますが、男性の代表と女性の代表が
夫婦です。夫は、すべての男性を合わせて代
表者として送ったのであり、妻は数多くの女性
の中で代表として送ったのです。その範囲を広
げるならば、歴史以後霊界まで、億千万の男性
と女性を代表して出会うようにしました。
文鮮明 『祝福家庭と理想天国Ⅰ』 p.1189
家庭的な夫婦の愛
女性は男性を、お父さんを代身し、夫を代身し、
お兄さんを代身し、弟を代身した立場で愛さな
ければならず、また男性は女性を、お母さんを
代身し、妻を代身し、姉を代身し、妹を代身し
た立場で愛さなければなりません。この4つの
立場を代身し、世界を愛する心をもって一番近
い立場で愛し尊敬しながら、相互いにその刺
激を感じるように結んでくれる因縁が夫婦です。
文鮮明 『祝福家庭と理想天国Ⅰ』 pp.1184-85
理想家庭の夫婦
真の家庭とは、妻を母親のように思って愛し、
「ため」に生き、夫を父親のように思って愛し、
「ため」に生き、妹と兄のようにお互いに愛し合
うところです。さらには、自分の妻を神様のよう
に愛し、自分の夫を神様のごとくに愛し尊敬す
る世界が、理想家庭の暮らす天国です。そのよ
うな伝統が、この地球上に立てられなければな
りません。
文鮮明 『成約人への道』 p.90
結婚はなぜするのか?
○ 創造理想を完成するためです。すなわち、
創造目的を成就するためにするのです。
○ 神を喜ばせるためです。
○ 男女がより高い次元の立体的な愛の圏内
にジャンプするために結婚するのです。
○ 天国へ行く資格者になるためには結婚をし
なければなりません。
○ 男性と女性の愛の完成のためです。
文鮮明 『祝福家庭と理想天国Ⅰ』 pp.483-87
結婚は、自分と相手の愛を完成させる
結婚は、自分の個人的愛を完成させると同時に
、相手側の愛を完成させるためにするのです。個
人の愛を完成すると同時に、神様の愛を完成させ
るために「私」が結婚するというとき、気分がどれ
ほどいいでしょうか。地上に神様が愛することの
できる土台を準備するために、男性と女性は結婚
しなければなりません。二人が愛で一つになった
その基準の上に、初めて神様の愛が訪ねてくる
のです。結局は、神様の愛のためなのです。神様
の愛を自分がもつためです。(『天聖教』第五編
p.512)
夫婦の分裂(非原理的夫婦)
傾きやすい堕落した男女の愛
真の愛と偽りの愛
真の愛
偽りの愛
与えて忘れる愛
奪う愛
他のために生きる愛
自己中心的な愛
最短距離を直進する愛
屈折した愛、よこしまな愛
次第に大きくなる愛
次第に小さくなる愛
永遠、不変、絶対の愛
衝動的な愛、電池のような愛
無条件の愛
条件つきの愛
地球規模の愛、全人類的な愛
分派をつくる愛、分裂の愛
真の愛とは
人間において、最も神聖で貴いものが真の愛です。真の
愛は自分一人だけでは生じません。自分中心的なところ
では生じません。真の愛は相対のために生きて、与えて
また与えて、与えたことをすべて忘れて、また与えて与え
ながら、一つになろうというのです。それゆえに、真の愛
は、すべてのものを抱くようになります。真の愛は、私個
人の所有ばかりにしてはいられません。真の愛は相続さ
れて、私なら私のものと同時に、万民のものであり、宇宙
の公認のものになるのです。・・・・・・真の愛の世界は、す
なわち歓喜と理想が充満した、自由と、平和と、幸福が無
限に、そして永遠に広がる世界になります。今日、世界人
類が抱いている難問題は、真の愛によってのみ根本的な
解決が可能なのです。
文鮮明 『宇宙の根本』p.400
人種と文化と宗教と国境を
超越する真の愛
まず、真の愛の存在像をよく見てみれば、真の
愛は東西南北の四方性を備え、人種と文化と宗
教と国境を超越して存在し作用します。生命より
も先に作動するので、生命の根源となるものが
真の愛です。真の愛には発展もなく、いかなる
革命もありえません。真の愛は原形そのものが、
完全なものです。真の愛はいちばん自然的なも
のであり、最高の真実の愛です。世の中のどの
作用よりも速いのが、真の愛の作用です。
文鮮明 『ファミリー』 2004年10月号
与えれば豊かになる真の愛
真の愛は、与えれば与えるほど“もっと与えた
い。”と思い、もっと豊かになり、もっと大きな喜
びを抱かせる神秘的な愛です。私たちの生命
の動機と過程、そして、その終末までも動かす
ことのできる偉大な力を所有しています。
文鮮明 『ファミリー』 2004.10
ために生きる愛は大きくなる
ために生きる愛はどんどん大きくなるという論
理は、理論的にぴたりと当てはまるので、ため
に生きる愛だけが宇宙を統一するという論理
が成立するのです。愛のために生命が生じ、
生命のために血統が生じ、血統のために愛が
安着するのです。
文鮮明 『ファミリー』 2004.10
たえず与える真の愛
真の愛とは、どのような愛でしょうか。絶対的神
様の真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、
人のために、全体のために先に与え、「ために生
きよう」とする愛です。与えても、与えたということ
すら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与え
る愛です。母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲
ませる、そこに喜びと愛の心情があり、子女が父
母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛
です。神様の人類創造は、何の見返りも期待せず
、条件も付けずに与える、絶対、唯一、不変、永遠
の愛による創造であったというのです。(『天聖教』
p.1394-95)
公益性をもつ無形の秩序や平和や
幸福の根源
真の愛は、公益性をもつ無形の秩序や平和や幸福の
根源です。真の愛は、宇宙の源泉であり、宇宙の中心、
宇宙の主人を生み出してくれる愛です。真の愛は、神様
の根であり、意志と力の象徴でもあります。したがって、
真の愛で結ばれると、永遠に一緒にいでもただうれしく、
宇宙はもちろん、神様までも引っ張ればついてくるのです
。堕落の末裔である人間がつくった国境の壁、人種の壁
、さらには宗教の壁までも、永遠に終わらせる力をもって
いることが、真の愛の価値です。したがって、天国に入る
ために絶対に必要な条件が、正に「ために生きる人生」、
すなわち真の愛の人生なのです。(『天聖教』p.1395)
真の愛のためには、一生懸命努力し
なければならない
真の愛の味を感じるためには、理想圏をもた
なければなりませんが、そのためには、男性
には女性が必要であり、女性には男性が絶
対に必要なのです。真の愛のための絶対的
な男性と女性は、一生懸命努力することに
よって結ばれ、絶対的男性と女性が一つに
結ばれたとき、神様が二人の中に臨在される
ようになることを知らなければなりません。
文鮮明『天国を開く道・真の家庭』 p.98
偽りの愛(堕落の愛)について
「自然的な愛[恋愛]は自身の内部に毒素を持っています
(それは利己の愛の毒素であります)。それは必ず醗酵を
ひき起こし、その醗酵の中に陥ち入らざるをえません」
キルケゴール 『愛について』
「[男女の愛の奥底には]結核性の恐ろしいものが潜んでい
る」
夏目漱石 『門』
「恋は罪悪ですよ。そうして神聖なものですよ」
「私の後には何時でも黒い影がくっついていました」
夏目漱石 『こころ』
太宰治の「人間失格」の文学
「しかし、牢屋にいれられる事だけが罪じゃないん
だ。罪のアントがわかれば、罪の実体もつかめる
ような気がするんだけど、・・・・・・神、・・・・・・救
い、・・・・・・愛、・・・・・・光、・・・・・・しかし、神には
サタンというアントがあるし、救いのアントは苦悩
だろうし、愛には憎しみ、光には闇というアントが
あり、善には悪、罪と祈り、罪と悔い、罪と告白、
罪と、・・・・・・嗚呼、みんなシノニムだ、罪の対語
は何だ」
「人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。」
漱石の「こころ」と並ぶ大ベストセラー
「恥の多い生涯を送ってきました」という文章で
知られる「人間失格」は、太宰が自殺する1948
年(昭和23年)に発表された自伝的小説。生き
ることの苦悩を見つめた小説には若い世代の
ファンが多く、52年初版の新潮文庫は602万
5000部と夏目漱石「こころ」と並ぶ大ベストセ
ラー。90年初版の集英社文庫でも40万部を超
えている。
読売新聞 2007.8.18
破壊的愛の解放・釈放
酒を飲み、杯をもって互いに飲ませながら投身自殺する、
そのような人を見ましたか? 杯はほうり出して、愛のた
めにそのようにするのです。どのような愛ですか? 破壊
的愛です。・・・・・・生命線を踏み越える、そのような愛で、
死んで越えていったので、地獄に行っても、「そのために
地獄に来たのであって、ほかのものはない。」と言うとき、
この人たちは、今後、新しい時代になり、その愛の相対
が自分の相対として要求できる時になって相対同士が出
会うようになれば、地獄の底から解、解、解何ですか?
(「解放です。」)解放ですか、釈放ですか? どちらがよ
いですか? (「釈放です。」)解放、釈放の時代が来るの
です。
文鮮明 『ファミリー』2006.8, p.14
終りの日の解放
それで、サタン世界の愛も、結局はその味を感じた人は、最
初に食べた時の蜜の味と、すべて食べ終わって、手についた
蜜や皿についた蜜をなめた時の味とでは、どちらがよりおいし
いですか? 蜜のつぼを抱えて食べる時の味がおいしいで
しょうか、蜜のつぼにくっついた蜜を食べる時の味や、指先に
ついた蜜を食べる時の味が、もっとおいしいでしょうか? 愛
に酔って病気になるのを何病といいますか? (「“相思病(サ
ンサビョン)(恋煩い)”です。」)“相思病”です。・・・・・・終りの
日になる時は、解放の条件になりうるのです。文総裁が語っ
たことが事実ならば、「地上で自分が好きな人と死にたくても
死ねなかったのに、今ではもう文総裁の話を聞いたので、(好
きな人と)死んでもよいだろう。」と思うかもしれませんが、そう
ではありません。終りの日が来なければなりません。分かりま
すか?
文鮮明 『ファミリー』 2006.8, pp.14-15
「ライト」な表紙 太宰売れた
愛によって地獄から復帰することができる
愛する相対がいれば、地獄に行ったとしても、
地獄の門から復帰してくることができるのです。
真の愛が問題です。ために生きた人のその妻
が地獄に行ったとしても、全部復帰してくること
ができるのです。サタンは権限がありません。
そうなれば、世の中の天地がすべてきれいに
なります。
文鮮明 『ファミリー』 1997.3.33
(三)個性体
個性の尊貴性、神来性、絶対性
天が賦与された個性体
千万種類の花が満開になっても、厳然たる創造の原則
のもと、それぞれが個性真理体としての位相を守り、調
和した大自然を成し、共生、共栄する順理(道理に従うこ
と)を見て、人間も調和と平和、そして自由と幸福を求め
て永生しなさいという、天の祝福と恩寵が私たちとともに
あります。言い換えれば、人間は、誰もが天が賦与され
た個性体としての人生の姿と特性があります。すなわち、
人間は誰もが個性真理体としての特権を受けて生まれ
るのです。老若男女、地位の高低を問わず、人間は誰も
が自分だけの、固有で個性のある人生の路程を歩まな
ければならない宿命的存在だという意味です。
文鮮明 「後天開闢時代の平和大使の使命」
(平和メッセージ11)
鄭おばあさんの逸話
鄭おばあさんは、顔のしわが、かごの目のようになっ
て、毎朝誰かを困らせようとして気持悪い顔をして正
面に座っているのです。・・・・・・このおばあさんが、み
め麗しかったならばよいのに、まるでしわが、かごの目
のようです(笑い)。そして、先生が何か悪口を言って
も、「私がかわいくてそうする」と言うのです。・・・・・・そ
れで雷を落として大騒ぎしたのです。・・・・・・三日後の
早朝になって、神様が「静かにしていなさい。今朝教会
に行って、文先生が何も言えないような話を教えてあ
げる。それは、神様いわく、どんなに顔形が悪くても、
私の形状である」と言われたのです。
文鮮明 『ファミリー』 1991年2月号
人間は容姿が良くても悪くても、神様
の形状
私が一つ、話をします。ここに、鄭錫温(チョンソクオン)氏の母
親がいませんね。昔は、それでも錫温氏の母親は、きれいな顔
をしていたはずです。最近は、年を取ったので、しわくちゃになっ
てしまったのです。・・・・・・断食しながら、「お父様! なぜ、私を
このように醜くつくられたのですか? お父様の責任ではないで
すか。どれほど醜ければ、先生が毎日のように、あのようにおっ
しゃるのですか? ああ、このように醜い老人は、どうやって生き
ていけばよいのですか!」と、本当に泣きながら祈祷したそうで
す。それに対して、神様の答えは、とても傑作でした。何と答えら
れたかというと、「おいおい、心配するな。容姿が良くても私の形
状であり、悪くても私の形状である」と答えられたというのです。
私は、その言葉を聞いて手を上げました。
文鮮明 『祝福家庭』 2006年秋 pp.7-8
三つの個性美
人間は特有の個性をもって神に最高の喜びを
与える存在である。人間の特性は、①容貌、②
行動、③創作、において現れる。したがって人
間の個性美とは、容貌上の個性美、行動上の
個性美、創作上の個性美である。この個性美を
見て神は喜ばれるのである。
II.神性的存在
(一) 心情的存在
人間が心情的存在である
ということは愛の生活を行
う存在であることである。
したがって人間は『愛的人
間(homo amans)』である。
「心情を中心として生心と
肉心が円満な授受作用を
行い、知情意の機能が均
衡的に発展した人間」を
「人格者」という。
愛し、愛される人間
①神を愛し、神から愛される人間
②人を愛し、人から愛される人間
③万物を愛し、万物から慕われる人間
[神]
[人間]
心情
(愛)
心情
(愛)
性相
心(生心)
形状
体(肉心)
人格者とは
①心情(愛)が中心
②生心(主体)
肉心(対象)
③知情意の均衡的発展
心情的存在は愛的人間
我々の果すべきことは、我々の愛を他者の為に
与え、相手の生命を満たすということです。我々
はまた、自分自身の生命を満たす為に、他者の
愛を受けるのです。これがまさに、真理の真髄
です。神による人生の道の根本的な真理です。
一度、これを理解すると、それが、我々のこの世
を判断し、評価するものさしとなり、基準となる
のです。この原則によって、人がどの位置にあ
るかを知ることができるのです。
文鮮明 『人類の新しい未来』 p.51
自然を愛し人を愛するのは神様を
愛するため
自然を愛するのは何をするためでしょうか。人
を愛するためです。人を愛するのは何をするた
めでしょうか。神様を愛するためです。神様を愛
するのは何をするためでしょうか。所有決定権
をもつためです。「私」が息子になり、娘になり、
御自身は父になるという決定権をもつのです。
決定してからは何をするのでしょうか。格位が生
じます。天地万物の秩序が生じるのです。その
ようになれば、すべてのものが関連をもつので
す。 (文鮮明『天聖教』668)
万物を愛さなければならない
万物を愛さなければなりません。自分の子供
が死んだように考え、万物を子供を愛する代
わりに愛さなければならないのです。私たちの
愛する子供や夫を養い、育ててくれる万物であ
るということを考えなければならないのです。
そのように愛されることを願うのが、万物なの
です。
文鮮明 『ファミリー』 1997.8, p.36
動物を飼いなさい
ですから、男性と女性も動物を家で飼うべきで
す。・・・・・・どの動物でも構わないので、それら
を育てながら、「世界のあらゆる動物の中で、
この動物一つは、いくつかの動物の代表であ
る」と選んでおくのです。できなくても、三、四種
類の動物を育ててみなさい。動物を三匹ずつ
飼うのです。蘇生、長成、完成です。猫でも、
犬でも、羊でも何でもいいのです。
文鮮明 『ファミリー』 1997.8, p.37
心情と文化
○ 文化とは「知情意の活動の成果の総合」で
ある。
○ 心情は知情意の機能の原動力である。
したがって文化は本来、「心情文化」であり「愛
の文化」であり、神が本然のアダムを通じて実
現しようとされた「アダム文化」である。
(二) ロゴス的存在
宇宙はロゴスによって造られ、ロゴスに従いながら運行して
いる。人間もロゴスによって造られ、ロゴスに従って生きるよ
うになっている。したがって人間はロゴス的な存在である。
宇宙と家庭を導いているロゴス
ロゴス
[天道]
[規範]
規範に従う生活
[宇宙]
[家庭、社会]
縦的秩序
縦 的 規 範 (徳目)
横的秩序
横 的 規 範 (徳目)
個 別 性
個人的規範 (徳目)
宇宙の法則(天道)と規範
宇宙の日月星辰の創造の法則、すなわち、
天道によって縦的秩序と横的秩序の体系を
成しているのと同じように、家庭においても祖
父母、父母、子女に成される縦的秩序と兄弟
姉妹に成される横的秩序の体系が立てられ
ると同時に、相応する価値観、すなわち、規
範が成立されたことを明らかにしなければな
らないでしょう。
文鮮明 『礼節と儀式』 p.64
星空と道徳法則
ここに二つの物がある。それは常にいや増す新
たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余す
ところなく充足する。すなわち私の上なる星をち
りばめた空と、私のうちなる道徳法則である。
カント 『実践理性批判』
縦的規範(徳目)
[ 基 本 型 ] 慈愛と孝誠
[社会的徳目] 善政と忠誠、師道と尊敬
命令と服従、愛護と尊敬
横的規範(徳目)
[基 本 型]
和愛(夫婦)、友愛(兄弟姉妹)
[社会的徳目]
和解、寛容、義理、信義、礼儀
謙譲、憐憫、協助、奉仕、同情
個人的規範(徳目)
純真、正直、正義、節制、勇気、知恵、克己
忍耐、自立、自助、自主、公正、勤勉、浄潔
純潔
金次郎像
日経(夕刊) 2011.4.6
規範は愛のため
規範は愛のため
規範は愛のため
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