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2月号 No.179
第 1 7 9号 昭和 5 9年 2月 1日発行 干1 1 3東 京 都 文 京 区 本 郷 2-1-1 I J 頂天堂大学 目 次 法人?とより・………一 2 大雪こすと孟勺………… b *郷・…・…………. 6 習芯野・・・一一... . .. . .8 伊豆長岡・ . . . . . . . . . . . 1 0 同 窓 会 だ よ り … … … 11 ひ ろ ば ・ . . . . . . . . . . ・ ・ ・ ・ ・ ・・ 1 2 No.179 限天堂伊豆長岡病院 新生児センター(必 1 00n 参照) 4 No.179 8 ' 法人だより だ り よ 新年賀詞交換会における有山理事長挨拶 l,記念館ホールに l l j . 時より 1 去る 1月 4円(水)午後 4r 交歓会において,年頭 Yおi おいて開催された悼例の新年 t 1理事長から次のように挨拶 1 iJこ対し,市 I にあたり教職 f があった。 Hとうございます。昨年は持さんの誠意を込 t l 新年お f めたご協力を mき厚くお礼中し tげます。 械~I両将商ににJわつたつてますます厳しさを . 診t拡t挺 f 行 今年は, 教 Y ‘ t ' 医袋学界の1' 増哲して来る i 1 をお原臨~iれし、しなければなりません。 Eしくは次学年度)の基本ノj針を簡単に述 i T・C さて今 { d新 年 賀 詞 交 歓 嵐 長 司 べると(以ド立体を変える) )研究 1 ( ;(:米個人的要点が多いから,あまり変化はない と思う ただ基礎医学科において,臨床と深く関連する Jを致して欲しし、。 研究にー・段と ) jが人-いに強化されたのは { ( ( 体育学部においては実技ゴj jが手薄になった視があ 結構で‘あるが, それだけ研究の ) 限天堂の特色に 1 る。:足技には丹L¥,、学問的基礎を点付ける 1 染めかえす要があるのではないか。 教育 ) 2 ( 司の医科大学(係学部)は今なお, 戦前の わが I 担っていて,その収入によって職 の生活,教育,研究 w I形式を脱し切れず,教授と学生との聞に距離 iI,、講阪市J l , iわれている。それ故,大学病 { Jの大きな部分が R 1 V iの1 1 ' を前きすぎている。医学は蚊も尖 ~íHlj J1.つ人間的な学問 院 は, その本来の使命に大きな支障を来たさない範関内 Yされてい であるからマンツーマン的教育制神が強く要よI を取り )哲=理体制j < 1 で , 般 企 業 に お け る あ の 厳 し L、経常 ( る。現庄のままでは,わが悶の医学教育はいよいよ間際 入れなければならない。しかるに私立医科大学の理・拝者 的に逃れを取るばかりである。 と実務者は大方ぷ人(しろうと)揃し、である。必~に医学 体 n 学部の教育がわが肉体行系大学 ll'~はも行き届いて iめている点に問題がある。 専門の教授が理事の大半を f f改選に J Uにより,本ザ:は今年 3月の理 ' 以上のお lき理 I いることは本 γの誇りとするところである。 時代の徒弟制 わが同の入学病院の医局には明治l 月って,理'}Cの新旧交代を行うと共に学識経験岳を物色 1 :が現代の保守:界 度的制習が依然厳存していて , その弊i して珂~'JH~t の質の変化とfrIi!1ib ブj の強化を :H・ることになっ において I~'W\ していることはごポ知l の泊りである。しか (前する雅 ( た。新聞'ji-会の j し医同改持は理論を超越した閃判的問雄性を持ってい かに,病院本館の全面的改築と体育学部の移転とを同時 3病 院 ( mfli1は, r L:述の医局改持のほ 0年前後の中:岡大学紛争(''I., 昭和 4 る。その例を挙げると, t こ行わねばならないという,今のところ見通しのつかな 1する点大医学部卒業生及び学生に 1 1 :1 医局部座制粉砕を正j Jの限 fに取り組むことである。荘、は残り少い余 j j い大仕 l よって点火されたが,激?!!な闘争によっても入した戦果 存である。 r り努力する戸r {天堂を ( [ 担し添えるが, Ii回天堂の全般只は I 故後に I を収めることはHl来なかった。このように強靭な抵抗は あっても,医局改托:を断行しなければならないと決怠し .な m (結するニ ( 1天嘗そのものの充実,発展が生活,勉強と T ている。 心理 事 会 ( a る偶人的生活支び学r: 勉強の jおとのみ考えることな<, 私立大学の病院はよ γ: の~,f.常 J-. m:人ーな任務を - 2 鵠心を強めて頂くことを とを理解して,順天堂全体への 1 ー ' 8 4 No. 1 7 9 法人だより 切に望んでいる。この声は心ある卒業生及び職員の中で す末背徳丸杉浦光雄,鈴木勝彦,鈴木時司 次第に高まりつつあり,今後のI!痕天堂の盛安と深く関わ るととろがあるといじている。 鈴 木 節 子, 駿 河 敬 次 郎 せ 泊 予J 正制,瀬川 1 f 明子, I 晃!般向光 た Iむ'jh~ 東・郎, ~':j 1 1 1 道犬, i 辛 子, i . 五純系- I 白橋 尚 橋 佼 哉, 山 崎 弘 子 , 尚 橋 博 7 [ ; , 町 内 -. 民 U I I I 月男, m付 磁 尖 , 武 内 利 I f c C ,竹内久漏 新年賀詞交歓会出席者 依谷侭佐子,J'.t下一郎 ( 芳 名 録 署 名 者) ち千柴久モ,千民自己 つ上屋 あ有山 設,東 S, l f木庇.'{, ; ' l l 木誠事: 俊良[ 秋田アキ子,秩谷たつ了・,秩A; I 胡 得,浅見一羊 と なjj'(鰐 永田 新 井 康 充 , 荒 川 佳 也 , 針i 沢純子 明,石川和子, 1 1倉 武 雄 , 石 塚 司 農 夫 石原 明夫,底 f t 英子, i h野 瀬 省 三 , 伊 藤 兼 F I佐 伊藤タカ,伊操; 裕 , 稲 富 恋T ,稲葉 争 持 : t に 車rJ 同様 jE9 'J,今期 う . 1 " . 問 1 , . 以 べ 子 大 ・ , 林 y f 争 " H了,街路( ):.竹愛子 大谷ひで子, );:.地陸男,大塚親哉, )(野 大型f i , Eu j, 大 野 大 , 人・橋 L f < .ユ 1;色大場忠よ n[~ 鹿島 声!(,片iJl ! J J 封 1 ' , 裕,問日 1 f f 羽田孝男 f l 1 . ま 古i j 〈 脂 出英,小野寿一郎,沖田英世 1 , : 1 J m来 !巴,広島英 { r 4 " ,増品料、松岡}'/宇治 み 水 野 重 光 , 水 野 淑f,道 村 政 枝 , 宮 崎 究 明j 前 沢 ? 色 一 , 宮 下 五( ¥ I , 南. 山 内 , 南 谷 荊i 利 )J,笠 原 点 犬 仁,片極1 1i ! : ( l ! J j ,J J U藤野;'Jj も 物 ヂ; 1 誠次,森 誠 jf- , 岸 川 和 夫 , 北 川 龍 一 , 北 見 碑 之 山崎英一,山下辰久, I J I城雄・郎, L L J m 啓子 狐崎前樹,披所 山口静子,山[ 1 。 山FlI A回 裕,よf 稔 、 よ横間 桑原紀之,熊己一夫 丸桜井美鈴,故藤節夫,佐藤 譲 健,横田降之,吉田 仁,吉田雅子 I F ,塩原絡吾,庄司降.平 修,渋谷真治,治水窓一,志村金也 隆 治雷 渡辺七良!),渡辺哲男,渡辺美しゑ,厳 以上順天堂役員 ・教 職 員 ・ 卒 業 生 ,父兄関係 267名 k t ;井 発 治 , 小 畑 ! 哲 男 , 桐 生 房 f,越 前 近藤哲也,鴨田 里吉光子 白井俊一,白壁彦夫,進藤 泰 わす{林照子,法林長生,渡井康吉,渡辺十功 了,小 I L J 正博,近藤纏汗 :!'的雄,蔚藤純よ・,酒井シプ,酒見邦子 し塩川優一,塩原 I E人 , 山 本 武 彦 , 柳 原 吉凶政彦,米林喜男 こ小久保英雄,小酒井憩,小泊本敵国,小部恭子 小林裕ぺ小林 洋 , I ll f i 正弘, L U仁l瑞 純 子 ゆ湯浅音治 j く 工藤綾子,久保問弘子,久留 渋谷 i t 台 健,森岡青次,森近 秀男,安田尚之,谷 rl~ 勝 徹 , ) 1 1添 弥 生 , 川 地 義 雄 , 川 又 北付和夫,北村義明,木下邦子,木村博子 垣本 武 , 1 ぢ道明子 1 1尾 雅 子 , U l抑!事保, I U岸 修 祐 山内裕雄, 1 鎌野俊紀 さ雑j~ i 事 J 野 む 村 尾 幹 子3 村 松 正 タ や八木義弘矢 n 務ニ,川北祐幸 博,不破野民忌( 松原桜子 加納迷ニ, l f 込山恒夫.,茅 き菊池 進 英子,制問恭之,本│干i 淳 子 加藤忠雄,加藤特乙加藤英夫,勝又俊雄 川島 間 ノ レ リ 了 ・ , 擦れ ニ 川 俊 二 , 船 橋 孝 康, J i苔 ほ 尾崎県五 か懸印克錦,各務 点推,JJ~ . J 康之. 瓜 ふ 福 島 一 郎, 福 岡 芳 ! ! [ S, 藤 沢 武 官 , 藤 付 邦 子 阿国柄裕,岡野ふく子,岡田了主,小川秀興 小) 1 1 蛸男,小川 f . 長谷川マサ子 ひ引地功1frt,平井鹿従~,広頼朝次 能,大熊友tJ:,大島宇~!Jt, 大森よし下,大家 敬,西 i 京めぐみ 取点丈』く ~~男 え江原義郎 お : 人 ' 箆 n澄,西川幸JI津予 長特川倫t!L,浜捕? 大宵,浜 m' ミ佐子,林 ヨ ‘ l J 進,内 t t 燥越い犬,桝林博太郎,成瀬依久子 佐 , 新 津 範P j,間切 は橋本武次,橋本博史,長谷川尚 J I ・ . 卜 持f ' F , ) 1 :J := I ' 1 " (J - , 井 上 令 , 今 月 二 忠 一 今井 俊 彦 , 名 古 屋 克 政 , 那 須 克 雄 , ヒJ I I 典三 浪久利彦, 梓,池本秀雄,石井小夜子 石川 i n J , j . i r lJ 池官:己中川恵lYJ.~,中島 中島( i 蟻雄,仲浜紀久恵,長岡和夫,長瀬勝也 来義継,阿部鰐チ,阿部雑切],安倍千之 い飯塚礼二,猪狩 些) t ドm , J t f ' 彦 な坂なおみ, p iErt和維,外 1 1 1 幸治,外山紘三 9 ] , 守,諏訪隆雄,高野草文, 竹 端 和 男 , 津 田 千 : 義 , 寺 本 明 男 , 野 n 聖司, 松 田 勲j ミ,松 I J I 恒昭,茂木 以上関係者 16 名 -3- 聡,矢代知弘 9 7 4 No.1 8 ' 法人だより 有山登先生 成人を祝う会 米寿祝賀会 本 11~1} J1 511 成人を迎えた i織 n の「成人を祝う会 j ~i 9日に祝賀会 5月1 jからイj山記念館ホールで・開催 ! 1 1 j11:1(水)午後 4 .る 2J : i . J れた。 1 1 0 j2 ?と校法人 11闘天堂理 'J~ 長イi 山笠先生には,本年 3 ) 8哉の米寿のれを迎えられるた のご誕生日をもって満 8 .のご長舟を祝すと共に長年にわたるご 教導を感 = j め,先 I 悶天堂並びにfI頂天堂大学問窓会(医学部 1 謝し,学校法人1 ' f~ 育学部), 盤 4門学校同窓会の共能により「布山投 ; ; ? t 先生米舟祝代会 J を次の泊り開催し,記念品を~,V1量する こととなった。 ば生補導課長をはじ 長,小林人事部長,川添、右投J }j t 総務, め学内関係者が列席,理'j.J:長より新しい門出を祝う祝凋 が述べられ,あわせて記念品の閑語静 典(広辞林)が各 各に照られた。本年の成入者は,病院事務.t1 4 名,~護 設 投 , お1 級J : J , ì"~,(f設耐43名, 上 対 6名 6名であった。 名の,.1-5 有山登先生米寿祝賀会 成人者氏名 (昭和 59年 1)]15日現住,順不同,敬称略) 0分から 3 j ' k 1 9日(ヒ)午後 5 ]1 J I明和f59~t~ 5) . I 日I 会 場 東 京 ホ テ ル ・オークラ : 五(子市水辛子 l 脇 問 か つ 子 熊 谷 京 千 金j ] 平安のIll - 向│喬与 間 安 井 投 志 子 渡 辺 市 悲 u 寺川村 j T f 0 0 0 5, 1名 1 会費 接 久保;む r H: i軍孝行~~{ fII京子伊 j 1 1以上なるべく多数 1 11 報11)1: 小百合前 m 参加申込並びに払込期限 t年 平IfiI t J (火) 0f j2 9年 3) 昭和 5 佐藤氏弓 (会J ' 山登先生米が祝 1 イi 「 現金税目 1座 名 称 1 1座番号 1 狩 ~f なぎさ物永沖八 F i t J- 勧 業 銀 行 神 田 支 J r t 1 博子 1 1 1 1 鈴木美代 f 佐藤春美 上fH千明町さい子鈴木ゆかり立石康枝 字通fJ1金 f 布山枝先生米舟祝賀会 J f 安江前畑好江桜井弘子小八世朱美 森 出山常i[入谷玲子安部春美市東ひとみ 1167003 i会 本 部 総 務 部 総 務 深 ' 祝j 1谷 珠 尖 二三iit1洋子科1 十川さゆり U 鈴 悲 佐 藤 玲+ J . ! 佐 藤 忠 美 佐' -1肱番号東京 1-146394番 1 銀行送金振込銀行 良子火器;布r~子小搾純子 I 夫樹 日 川 典 子 小 ザ 川 広 美 池H J~ 路};〔子民崎文チ前下さとみ守谷忠実 諜 ; ・ 現 金 受 付 財 務 部 経 理 11乳体育学部会,1 1盛 名 称 1 幸 f長 桂 子 深 谷 克 子 市 よ 良 子 工 藤 ひ と み 4 1 会費・記念品代送金方法 郵便振替 . 1 : 1タ マ エ 渡 辺 智 子 1 '浜 涼 子 本 1 1 '付ひろみ ' l r 米寿祝賀記念品代 とし, fJ 0' 0 0 , 12 11 七関根医学部長,梅川院長,大野 O 1山理・J 1 判日は, 2 1 1 1内線 3 1 1 3 3 1 8 3 活0 J i l i ' 頂天堂浦安病院建設 1 〉 進行状況〈第 7報 H院予定は本年 5月中旬である。建 J 安病院の I 損天堂前 H 1 . 1 東健彦評議員 築工 'J~はほぼ完了し,建築工 fj.ï= 関係で残っているのは外 n 顧問就任 都(外まわり)工事のみとなった。以 下土 設の進捗状視 (本年 1月末現在)と│別院の準備状況の概要について報 島 ま r 東 告する。 たけひ ζ ・2H 11(~I' をもって, 1 91 健彦評議只には,昭和 5 1 建設工事の状況 本法人顧問に就任された。 ) 病院本館と別館 1 年点京大学医学部を卒 6 2 1 不1 明 京傾向は,武桜山校から l 病院本館,別館ともに既報の通りの日 程で進み,昨 年同大宇院修了後,同大学生理学助手 ,講師を待 2 , 3 業 をもって建築ができあがり,施工会社 よ 0n j2 2J 今1 州大学医学部第 i . ( 1年 t て,昭和 4 4 生理学教授に就任,今 年 2月 l円付をもって退官されたが, 同大学医学 この!日i り本学へ建物の引き渡しがあった。こ れに伴い現地 2 建設本部の仮設事務所,施工会社の工 事事務所は 1 門領域は, 年 2)'1)された。りi 9 ,5 , , 年 6月 5 5 部長を歴任 ( 2Flに新建築の中へ移転し, J2 } 1生 1 8 1月 1 年1 5 血管生理学及びバイオレオロジ - 0 人-正 1 I .o : . 2月下旬にとりこわされ t iのため 1 t 工j 。 成 8 れ5 ) 附属施設 2 - 4ー プレハプ建築は外椛 ' 8 4 No. 1 79 受水槽, 大学だより RI処理問の t t t 1 7 t,玄関まわりポーチ工、j . r も殆んど完了した。 3 ) 外備工'l'; . r ,( : . i l 丸信Ii装 ( 駐 tlJjお ・構内道路),液体酸ポタンク設問工事も順 建物外まわりも,各種配管内投 ,~{\'l 調に進んで本年 2月末には飴んど出来上り ,植樹工 事を 3} ' J2 0 [ 1までに施仁して,令:ての仁 ' 1 :が先 γと なる予定である。 2 . 諸設備 4薬局等 となる別館(左) 司 と本館 m 年 1月から放射線診断装 r t . t RI診断袋町, l ! i f 設備の 縄入と据付工 ' J cを I J r 4始した。統 L、てベット,病歴;室抑]の 搬入等が行われる。診療機蹴器具, ( 1 -器備品, カーテソ 類の購入計両は目下検討を進めている。 3 . 建設本部の状況 1 ) 病院開設許可 II~ は, オープン当初 2 5 0M~ として, 企五月開院 の順 天堂浦安病院 建築に附随する"ゼS<'t, 'Æ.調,ボイラー,機械,通(,~'搬 送,オートクレーフ設備等の据付工事は完了したが,本 58 年1 2 J J1 0口付で千薬県知事より交付され,同 1付 をもって小酒井望.病院長(1 1 領夫堂浦安病院建設本部 長旅)が発令された。 付として発令された。 2 ) 教只(医師)人事は 58~.・ 10 月 1 口付で,日間道夫 3 ) 職只人事は, I J 摂天堂浦安病院建設本部員として, 教授(産財人科),八木義弘教授(外科),大塚親哉 前号の 31 名に 1 月 1 日付で促野 1~ 助教授(小児科),同年 1 1月 1日付で,田中稔助教 わり合計 32:f,となった。 4 ) 病院開設の準備は関係診療各科の先生方と i l l設本 授(限科),種田明生助教授(皮出不十), 59年 1月 1 n付で杉田麟也助教授(耳鼻明喉科), f (技術日)が加 引地功侃; U l t 部員一同がー丸となって建築設備のよ' l 闘と施工チェ 師(泌尿器科),久保田武美諸問j ( 産品。人科), 59年 2 ック, 月 1n 付で竹久内調助教授(産財人科),神山洋一郎 i 函し病院の運営計両と多忙な日々を送っている。関 助教綬(麻酔科)計 10名が1 I 頃天堂浦安病院建設本部 係各位のよりー胞のごJ:lf!_解とど協力を願いたい。 ~主豆~ 大 I よ だ 竺~ r 洞院に向けての人の採Jfl, 診療機械の購入 J り の再 f r:に決定した。任期は,昭和 59年 4) J1fIから昭和 1 n 6 11 f3) j3 1 までの 2年である。 宮崎学長 下f 崎学長は,昭和 14年東京帝大医学科を卒業,昭和 32 1f 本学就任。 j支1~1f科学教照, I [ (I天吃医院長を歴任,明和 . r 5 5 { r4J j1日より現職。ノぐl 下 51 2J J2 4日生れ 68歳 。 再任決定 主なる人事異動 ? i f崎克明学長には,昭和 59年 31 j31F Iをもって 4年の 任期が満了となるため. J 晴天也大学学長選任規程に従い 1)l18 f1本郷, 157,tE野,伊'il~!<阿各地I互において 3 候補 昭和5 8 年1 1月 1日付 者について選挙投禁を実施, この結果報告に基づき lJJ ょm昌秀 教授に舛任(体育学部器械運動) 2 5日開催の定例理事会において杭 iTi:選考-の結果,現 Y f :長 小1 r詳久 教授に昇任(体行学部サッカー) - 5ー ' 84 本郷だより 昭 和5 8 年1 1月 1日付 れら諮問に於ける高度な専門限教育は,主として欧米諮 t r 科学)浦安併保 助教授に昇任(医学部皮 J 樋回明生 問中稔助教授に舛任(係学部限科学)浦安併任 教授就任(医学部内科学循環器)前客民教授 細田泰之 教授就任 ( 11 外科学胸部外科)前客良教授 昭 和5 8 年1 2月3 1日付 耳~:;,.科助教授退職(都i織只共済背山病院へ) 教育計岡では,教育陣として欧米人は 1人も入っておら 0名の日本人教官の 村教授,東北大田上教授など計 1 rに より全て遂行されることになった。 日本のアジアへの援助が,従来物的供与主体であった 助教授に昇任(挺学部外科学第て外科) : ι のに比し今回試みられるこの医学教育計画は,その規 助教授に昇任(医学部耳 仰向喉科学) : f . ¥ j . I !iI喉科学)浦安併任 杉 田 麟 也 助 教 授 に 昇 任 ( 11 耳 9 年 昭 和5 n 0ヶ この基盤の下に改めて本年度より開始される 1 ず,本学小川教授をチーフ ・オーガナイザ{に,京大今 昭 和5 9年 1月 1日付 市川銀一郎 n ぶより只 1人の m 訪教授としてその 教育に参画してきた。 洋 三) 1 1俊二 模午ら向精の試みが,パンコッグに於いて欧米よりの皮 学小川秀興教授は 猪狩惇助教授に丹任(医学部臨床病理学) 8 年1 2月 2日付 昭 和5 飯沼舟孝 問の手十こ委ねられてきた。事実,過去 5ヶ年に頁り小規 l 押科学者の支暖の下に続けられてきており,本学 & : . 1 荷科 昭 和5 8 年1 2月 1日付 山口 NO .1 7 9 2月 1日付 模からしても,人材教 nという点からしても,ノ〈いなる ロマンと??えよう。 W J教慢に昇任(医学部産婦人科学)浦安併任 竹内久瀬 争1 ' 1(f洋一郎 助教授に坪任(係学部麻酔学)浦安併任 有山妻講師インド放射 線医学会において受賞 南名誉教授叙勲 消化器内科イI 山製講師は,イソド放射線医学会の 1 9 8 4 みなみ昔ない 本学名 ~l 教授耐右内先生には, i 咋駄の叙勲において勲問手 j 也I l / J 綬1 立を受草された。 年度第 3 7同年次大会における DiwanChandA g g a r w a l (~i] 侠学会創設者)記念講演の演者として招待され 1 月 2円渡印して,記念講演のほか,各 j貨のセンターにお I 珂先生は,昭和 1 0年北海道大学を卒業,慈 1 E医大予科 いて診断講義及び災技の指導を行った。ちなみにこの記 教授等を経て, fi{~ 和 22年本学に就任(数学担当)。繭来 51 念誹演の栄持は,放射線医学:に貢献するところ大なる同 年 3 Jj定年退職に宅るまで 29年間に亘り,~学部,体育 'tとして与えられるものである山。 際的研究常に 1 つ﹂﹂ 大 学 だ り郷 学部のザ' : / 1 : .の教育には))された。ご!司鹿の事りである。 「本 教授就任 にあたって 循環器内科 アジア・太平洋地域での 僕は, 1 ) 慎天堂という名前が大好きだ。それは I 1 ) 痕天と 1年 いう芯:味が余りに偉大で向通なことだからだ。過去 1 皮膚科専門医の育成 日本 l 司政府はタイ国政府と協力して, 山口洋 fLlj ,無我~a:中で働かせて頂いた虎の 11fj病院を辞して来た アジア ・太平洋 のも, このj 願天堂という名前に惹かれたからだ, といえ 諸国における皮府科学指導者,噂門医の育成教育 1 0ヶ年 ば余りにも単純な発想(の人間)だと笑われるかもしれ 計繭を本年度より開始することにした。対象同はタイ, ないが,それが本当だから仕方がなし、。惹かれた,とい L 司,中華人民共和問, イソドなど 1 7ケ悶に及 ピノレマ,斡t ) 頂天である。 うよりは,天に任せた心境だ。まさに 1 0数名を びs 毎年,各陣政府により選抜された皮!丹科院 2 就任の抱負に, ことさら麟天堂という名前を持ち出し タイ閣の首都パンコックに集め,宿子干を提供,臨床央官 て庇理屈を述べる気持は全くない。ただ,天というぷ繋 や皮j仔科学に於ける,l:J 度な J~IJ:fl'j知識の伝J受を 10 ヶ月間に が,妙に{業の心を動かすからだ。物心ついた頃から今日 買って集中的に行うものである。この卒後教育コースは 0余年,片fI寺もなくこの天という言築が自分の心を まで 3 同連規棋の大学院大学に合致するものである。従来, 離れず,何か無 Iq~絶対の森縫万象全てを包含するよ美山な こ -6- 4 No.179 8 大字it'として, 本郷だより 佐々畏敬の念を抱きつづけて来たもので l f 療,教育及び研究と言う, どれをとっても大変重要な課 あった。終には,今 15~誌になる一人っ子の娘の名前も天 題を与えられている職務に就いてしまい,皆様のお役に 拡が授かるように,祐子とつけて安心している程だ。 立てるのかどうか非常に心配をしております。 この天は,宗教や哲学でいう神や絶対なるものの代名 幸いにして末だ短い私の 1関天裳大学に於ける印象は諸 詞として同義認に解釈するのも伐には当らない。何故な 先生方及び事務関係の皆織の暖かいお人柄に接して非常 ら,偉い牧師や神父ブjが「天にまします我等の神よ Jと に希望に満ちたものとなっております。なんとか頑張っ いってお祈りしているところを見ると神まで安住してい て胸部外科の発展の為に全力を尽くそうと思っておりま る,より尚い次元の世界の如く思われるからだ。勿論,天 。 す 文学上の広人な宇宙と解釈してすむ管のものではなし、。 私が-一番関心を持っておりますのは虚血性心疾,患に対 ヲこが見ているよ」 r する外科治療であります。これは前任者の鈴木教授も力 「天に恥じない立派な行し、 Jとか, とか,子供の頃から日?首よく税に教えられてきた言・業だ を入れていた分野でー胸部外科医局の伝統と一致するもの が,改めて「天とは何」と関われると容えられない。絶 と思います。 対とか以前とか無 lli~ とかいった大げさな漢字をいくら, 'r {f.に私が京大分院外科に入局しました時には一 7 昭和 3 ませない き並べて百枚解釈文を;!?いて見ても,全く定;を l 般外科を志しておりました。医局の主要テーマは消化器 sRousseauや福 e u q c a eanJ 絵にかいた餅でしかない。 J 外科であり,銃所イカ教授は当時大先読として医局の中心 沢諭官が示した「天は人の上に人を造らず,人の下に人 になり診療,研究をなさっておりました。この医局の中に を造らず Jという「天 Jもきっと観念、や理路で表現出来 よごれた地下実験室で犬を使って鹿血心筋への血行改蒋 ないこの同じ天に違いなし、。「天然自然の大真実の世界 J を実験的に行っている小さなグループがありました。当 か「生命の櫨]eJとでもしておく他には, 寺ではあまり実現性もないテーマを追っている人迷でし H 凡夫にはどうしようもない。結局, 自分のような 阪天堂大学 J I ・医院に 。 こ ず 隙させて頂いた就任の抱負も,天職として,天に貯金 事l 私もこの夢のようなテーマに強い興味をそそられ犬の k字通り すべく順天の心で頑張りますと哲い,またその : 心臓に関!臓のスライスを癒訴させる突験に参加しまし の晴天堂であることをも:じて疑はないことに尽きてしま 。 た dに留学し n a !evel 年に米間 OHIO州 C 9 その後昭和 3 。 う ; 1 5 2月 2日付循環器内科教授就 年1 8 【 子 容訟慢】昭和 5 6年京大医学部を卒業,岡大 任。麻布市校から ,昭和 3 n t 年より 4年半にわたり米国クリープラン 3 竺内科入局後 4 c に於て既に昨・血性心疾患に対する外科 i n i l dC n a l e v e l C 治療が臨床レベノレで盛んに行われているのを目の当りに 見て跨きもし,非常に感激しました。 cは私にとって医学の基礎を学んだ母 i n i l dC n a l e v e l C トクリニックへ留学。高血圧と血管障害因子の研究の後, 臨床循環器病学,特に冠状動脈造-影技術と知識を習得。 校に次いで,終生忘れられない所です。 6年間の間に今日 7 月間院循環器科部長, 5 ・1 r { 0 樹国後庇の門病院就任, 5 e l i r eworkが決まり,偉大な恩師 GeorgeC f i の自分の l f8 年 3月間院循環器七ンタ{内科部長を歴任。昭和 91 r,ReneG.Favaloro等の諸先生に e .E妊l .,Donald B Jr 歳。東京都大田区田閥調布在住。 6円生れ49 月1 遭遇する倹倖を得て,更に今度一緒に顕天堂へ赴任しま した級友山口洋右・に会うことが出来たのであります。 MasonSonesのもと I始者である F. 冠動!除造影法の若J 教授就任にあたって で勉強をした同級生の山口君を迎えた循環器内科と今ま Cをすすめて行きたい l でにも捕した協力関係をもって仕可' y t i v i t c u d o r -Happy で P のある教室を一 r . . . . . . 、. 胸部外科 と考えております。 これからの抱負と宮いましてもまだはっきりはしてお yがあり, t i v i t c りませんが質的にも孟的にも a 細田泰之 しかもチ ームの皆なが happy であるような胸部外科の医局が出 伝統ある阪支立大学の胸部外科教授と官う大任を浅学 年間を米問で 6 来上がって行くことを望んでおります。 1 非才の身も ~tì みずに受けてしまい悩んでおります。昭和 過してしまし、,末だ日本の風俗習慣を知らないと時折り 年に大学を卒業して以来,臨床医学の研修に専念して 6 3 しかられますか,どうぞ皆様のご指噂をお願い致します。 来ましたが,数年間の大学医局生活以外にほとんど大学 歳)が 5 1歳と 1 2 歳),二女 ( 2 歳と 1 家族は裂と二男(17 の外を歩いて来ており,自分が大学に於て教鞭をとるで おります。長女はミシガン大学の学生として米国におり あろうなどとは夢想もしませんでした。 ますが,下の 3人は東京のアメリカソ ・スクーノレに通学 向かの不思銭な因縁で鈴木章夫前教授の跡な継ぎ,珍 しており,最近になってようやく東京の生活に慣れて来 - 7ー 79 4 No.1 8 ' 習志野だより 考えております。 たようで、す。 ほそだ み守よしひえ 干す中曽 2月 2日付胸部外科教授就 年1 8 泰之教授】昭和 5 年東 6 高校から昭和 3 桐朋中学・ ・ 任。山梨県上野原小学校 1月 1日付教授に昇任。昭和 年1 8 【小宮喜子久教授】昭和 5 1年東京教育大学体育学部体育学科卒業後,専修大学助 3 9年より米間クリープ 大医学部を卒業,同大外科入局後 3 年米国ミシガン州立大学助教 6 5 ランド ・クリニック留学, 年 4月より本学助教授。昭和 8年 7 教授を歴任,昭和48 。 歳 1日生れ 50 月3 【細田 年 3月庇の門病院循環器センター外科部長を歴任。 , 57 授 1年 2月26日生れ 48歳。東京日野市日野本町荘{七。 昭和 1 野 り 寸﹂﹂ 志 だ き L 教授就任 にあたって 運動学第二研喝 室(器械運動 u太 田 昌 秀 f このたび体育学部,運動学の教授に就任することにな り,誠に光栄に存じます。 教授就任 年の歳月がたちまし 7 年本学に事職して以来, 1 昭和 42 にあたって 吃3カ き g F き た。その問,私は体育の指導者として何をなすべきかに ついて,常に悩み,何かを求めて参りました。良きプレ 小宮喜久 ーヤー,良き指導者,良き研究者の養成を三本柱として Jして参りましたが,その間体操競技界の多数の仲間 努) 年が過ぎました。今度教授に就任し、たしまし 0 いもので 1 との交流を通じ,色々なことを学ぶことができました。 我が国におけるスポーツ,体育が極めて幅の狭いチャ 0余年を経て球投に初の教授とい たが体育学部創設以来 3 うことですので点任の返さを感じています。 ンピオ γ スポーツとして思考されていること ,スポーツ, 体育文化としての一般的理解度の低いことなどを強く感 昭和 48年 4月に体育学部球技研究室に若任してから早 0 中学時代にボールを蹴り始めてからボールを追って 4 年近くになります。宇都宮高,東教大で日本ーになり, 大学卒業後は東教大,専修大, 1債天堂大学で指導に当りな がらさまざまな勝負を経験し,幾多の名選手や立派な指 噂者とめぐり合い指導や研究を共に進めて参りました。 これら数多くの人遠から私の学んだものは高度な設術 や戦術でも白熱する試合の方法でもありません。素晴ら しい試合を展開するドラマは立派な人格の所有者によっ て創られるものであり,一流の選手やチームは心のある 指潟者によって背てられるということです。 今日,本学部が体育系入学の中で他大学を圧して高い じます。学校体育,社会体育,職場体育,家庭体育の在 り方,生涯体育についての考え方など,体育人に残され た課題があまりにも多いことに,最近気がつき,いささ か焦り気味です。 戦後,我が国の体育界にはアメリカからの情報が強く 流れこみ, ヨーロッパの古い伝統を持つ体育文化の移入 が極めて弱く,スポ{ツの発生,起源などの学問上最-も 大切な研究が遅れているような気がします。独語,仏語 等による, ヨーロッパの伝統ある体育文化の移入等に, もっと積駆的に取り組む必要があると思います。 る教 J 評価を得ている事実は,少数教育によりこの人をti1 周年記念大会において,ォ 0 先日日本女子体育連盟の 3 ーストリ{のマーガレット ・シュトライヒア女史の提明 育がゆきとどいているす[によると思います。 昨今,パレーポーノレ,サッカーが大学の王座を獲得 sTurnen) についての説部会 e h c i l r u t a N する自然運動 ( と映画を見て,株~ ¥,、感銘を覚えました。 し,それぞれ大学スポーツをリードする位舵にいて, 日 本を代表する選手を送り出すことが出来るようになりま ヨーロッパでは運動形態学の研究が盛んになり, コー した。パスケットポ{ル,ハンドボールも厚かった 1部 の壁を破って躍進 をしており,各研 究室の先生方の研 究,指導の成果が実りつつあります。ここで後れがちな チ学の最も基礎的な学問として重視されています。これ からやらねばならないことがあまりにも多すぎる体育界 で,今後焦らずに,一歩一歩と前進,精進する党情で居 ります。 担割た まさひで 研究を一歩進めて基盤をしっかりと竪めたいもので、す。 学校体育を中心とする現在の指導や研究も球技の多様性 1月 1日付教授に昇任。昭和 年1 8 太田昌秀教授】昭和 5 〔 授を 年東京教育大学体育学部健康学科卒業後,柄朋前i 5 3 や増大する社会の要誌にこたえ,これに応じられるよう 研究室を整備し充実を計ることが私に課せられた氏擁と 経て昭和42年 4月本学講師, 48年 8月助教授を歴任。昭 。 1年 1月 4日生れ48歳 和1 - 8- ' 8 4 No. 1 7 9 習志野だより 陸上競技部 1 5連 勝 蔵王スキー実習 スキー突習担当(保健体育 ・講師) 井上 忠夫 天 ~l 賜杯第 52 [ r i l 1 1本学牛. 昭和 58 /,ド度第 l期(医進 1 / ' f . ) スキー安門は,昨年 1 2 対抗選手権大会は,昨句: 1 0 月から統く例年にない大雪の 1 1 ¥ モンスターで知られる 月 7I Jから開立競技場で熱 山形県蔵王スキー場で,昭和 5 9年 1月 8n から 1 4 1 1まで 戦が展開され,母校の名幹 の 6泊 7円で行われた。実習は学生 90名に対し,指導教 をかけて学生アスリートの 只 13 ::f1 ,イ~日本スキ{述!盟公認、パッヂテスト検定員(本 闘志と熱気が,秋の競技場 学教員) 2名,それに教務課程から文学の大友,英語の を包んだ 3日間であった。 B .アレンの両先生の参加を 1 t }た 。 戦) J的に劣ると見られてい t I '.Lえ 300mのパラダイスゲレ 宿舎「樹氷の家」は標尚約 1, L た本学であったが, 800m ンデの蔵王スキー場の中では一番尚い所にあって,玄関 を出れば即ゲレンデである。また樹氷原コースユート ピアゲレンデ,中央ゲレンデ等にはりフト 1基乗れば移 動でき,蔵王のメインゲレンデである上の台ゲレンデに も近く,玄関前から少し歩くだけで大平コースへとつな がり,実習に大変効果があげられる使利な所でもある。 気温は場所が高いだけあって,厳しい時にはマイナス 1 0皮ぐらいに下るが,先生方の熱意ある指訴と学牛.の病 気ある行f ! Y Jの自I jには,全く寒さを感じさせない。史習は 午 枕 午 後 2時間ずつであるが,時には時間をオーパー して目標達成のために努 ) Jされている先生方の姿を, ゲ 1500m, 5000m, 400mH の各種目において 1位 , 順調に符点をHlね,強 hメンバ{を持つ筑渡大学を 28 点 の大差で破り史 練習会を行うなど,指導技術の向上に余念、がない。 横手山における向所トレーニングの成果があげられるが 昨年来の新しい発想によるチームビルディング ・トレ{ ニングの成果による訟1-.級生の自党とリーダーシッブに より,選手,付き添い,応援者を合め,部日ひとりひと りがそれぞれの持ち場で向分の点任を確実に果した「努 Jの勝利と思われる。 力の結晶」による総合 j (陸上競技助教授沢木砕祐記) (''J1'G説明 】 R丹羽144年!1~38問から昭和 58年第 52 回大会ま で ‘ の1 5 述j 協の{は業をたたえ,昭和田空f, l l月 このような先生方の指導のよろしきを得て,初心者の 1 2日陸連会長より特製 f 脂製表彰状が除 . 1 ・ 続 学生も故終的には自分の重い荷物を背負って大平コース を滑り降りられるようになる。もちろん, 投部に J~ られた。 こうして先生 方が安心して指導できるのも,本院から繋形外科際師の 第5 2回日本学生陸上入賞者 派遣(本作は須問均先生)があればこそである。 今回の実習では,ケガ人も殆んどなく,風邪をひいた 者が若干いた程度であった。宿舎内での学生の生活も, 生活担当教員と学生総リ{ダーが中心になり,規律正し く楽しい生活が送れるよう色々配慮されたため,問題も なく無事終了することができた。 1 :初の 15連勝を達成することが出来た。 今I M Iの勝閃としては,中 ,長距離グル{プの志賀高原 レソデのあちこちで見受けることができる。とだ習終了後、 も SA J公認指導員で・ある水野先生を巾心に指導教れの 2位とワン ・ツ{入社を果し, 6¥ f : f 原fI1結成 31 r 200m 5(立伊藤誠二 4年 4α)m 5位 鈴 木 弘 光 3年 800m f 2位 悩 退 治 二 3年 1位 塩 田 徹 2{ 1, 500m 1位 羽 柴 卓 也 3年 2位 木 村 康 樹 4年 5, OOOm 1佐 木 村 康 樹 4年 2(立門間光史 3年 1 0,OOOm 下 2位 岩 佐 古 市 2{ 30km 3位 向 柄 杭 3年 3, OOOmSC 5{ 立 小 谷 野1 n也 2年 110mH 3t 立 戸 田 孝 一 4年 400mH 1(也合同 良一 1年 4x100mR 2(な阪大 2{,;.平水秀明 2年 4x400mR 2(合:臨i k 走i D j銚 2i 立 山 本 方 徳 31 ( ' - 4伶 係正~ï~E 3(立板 f " 1智互14{ F 走幅跳 4(立川両昌徳 3年 砲丸投 1 1 4年 1{立永山修 1 -9- W i r r l政 n 1{ r 3("立地川智史 4年 ' 8 4 No.179 伊豆長岡だより 円盤投 l位 知 念 伝 勝 2年 ハンマー投 5位 寺 岡 孝 幸 3 やり投 5f i i : 山 瀬 純 3年 学年別fU.点 11 . f9点 は誠に遺憾である。今年より , 改めて, このノ了間の努 ) J { r 2{ F -24点 リレー 1 0 ょ う ; 合計 1 0 9点 を強化しなければなるまい。 3{F35 点 2依筑波 8 1点 , 4年 3 1点 3(立早大 50 点 大 学 だ 「 伊 豆 長 岡1 第6 0回 箱 根 駅 伝 3位 隣上競技部監将 沢木啓祐 汗: J J恒例の第 60阿東京箱恨 1 m往復大学駅伝は,本年は 本学と早稲 1 1 1のこ強の守干し、と宮われた今大会であったが 本学チームは,思う慌にピッチが.1-:がらず,早大, n体 伊豆長岡病院 新生児センター今日この頃 :人-の両校に大訟をつけられ,後半粘りを見せたものの, 小児科医長 昨 !; 1 rに続き 3( ¥ Y .に甘んじた。 先の全日本学1 1 = _選子市{における中 ・k距離純円の)J!(;f.J'{ を Qた│恨りでは,本学は優勝候補であった。しかし, リ 柴田隆 昭 和5 5年 1 2月 l円発行の「順天常だより J m169号で紹 介したように,保守:部附 M順天堂伊豆長岡病院の.f[rl.j:児 レー続投の駅伝競走は 11\場布令:0 がミスなく力を U~ し切 センターが,附和 5 7 年 るかどうかが勝敗の分れ目であるのに,本年はこの点、に ンターは,静岡県の東部地域の新生児医療の第 3次!央療 抜かりがちって 2 { f連続 3 位と"う成総に終ったこと 機関として, ~1~ および地元の強い要塑に応えてスタート ま,本学のメンパーのうたえjから考えると不本意な結果で あり,担当 nとして探〈点任を感じる次第である。 4 J Jより前!助を附始した。このセ した。 .îrr~!:.児センターには,出生体1f( 1 , 000g去満の超よ熟 この様なよ敗の主要│羽はトレーニソグ以外での不測の 児 , 1 1 ¥生体兎 1500g未満の原小よ熟児,あるいは Lf(鰐な : J H 患によるケガ人(日佐 ・新 : J I :・三枝)続出により無理 呼l 民 ・循環隙;与をポす新生児,顕議内出血をはじめとす な選手起用を余儀なくむわさ.るを得なかったことであ る分娩附古,の児に向度の阪療を行う NICU (新生児集 r p る。また!, I .人‘と比較し駅伝に対する準備期間が短かく, 強化治療室)およひ¥ これらの呪 選手に勝つ引に対する気 } J,執念等を充分植え付けられ の益~:;l~ を行う回復期ベットがある。さらに,このような, なかった~・のことが -}ý えられる。この 2 点を強〈反〆訂し 趨米熟児 ・柄小未熟児,あるいは荒筋な症状を示す新生 mであった児の凹復期 てゆ]年以後再ひ失敗を繰り返えさないよう,時.く心に f f 児は,いつ, っている次第である。 迅速に,適切なる治療を開始し,児の状態を安定化し, 有山理事長談 スポーツ殊に降;上競技の如く多額日に どこで/1¥生してもこれらの児に対してより より安全な方法で NICUに搬送して, 治療を続行し, わたって多数の選 Fが出場する部においては,過度のト 後陣~;.なき救命を計る必要がある。そのために,新生児 とか < tH 怒者,病人が / Bや センター内には,地域の病院産科 ・産 科 医 院 ・助産所等 レーニングその他の版闘で, すい。故障の発キは当該個人にとってばかりでなく,チ との連絡が i 直接行えるための直通屯話を設けている。こ {ム,特にリレー競技においては致命的打撃となる恐れ のi tl:請に主症児出生あるいは, があるから, til-1可とは別の怠味で故障の íf~ 大性を認識し るとの連絡が入ると,時をうっさず医師 ・右辺婦が同乗 十回二分の注立をだ、つてはならなし、。わが1 I 回天堂体育学部 して出動する新生児救急車も備えられている。 の特色の・つは, l 宍学部の協 ) Jを得て故障防止の研究を 千Jうことであるが,故近故障者が多くなる傾向があるの この新生児救急 1 ( 1 . ま , 送するためではなく, r f r症児の出生が予想され ただ単に現症.t t . t : を NICUに搬 4 ﹃箱根駅伝二日目第叩区ア ー撮影大野大 ンカー川尻君の力走 l i i j述した目的を果すためにIlV f = .初 期に必要な検査 ・治l J i .が令:て行える様に設計 ・設備され ており, : i l i :症児を新 / 1 :児救急市内に入れれば, NICUに 入院したと同様の検査 ・治療が開始され , f ! b iく NICU ともコえる。以上のような1fitE児の報送を合めた t H3次 新生児院療機関では 2 4 1 1 寺l H J体制が必要なことは ri うまで もな t、。新生児センターで 1 ( (按医療に従事するスタヅフ のみならず,中央倹伝部,政射線部をはじめとするバラ - 10ー ' 8 4 No‘1 7 9 同窓会だより ‘ メディカルスタッフにも 2 4 時間体制が史求される。当院 では,救命救急センターもあり, 急順 窓天 この体制がとられてい に堂 問伊 乗豆 る 。 の長 ' t9ヶ)jを経 新生児センターは, rm ,i~ 以来的ifドよで 1 i 過したが, 柴岡 田病 医院 7名,極d この!切に取按った兇は,超未熟児 2 未熟児 45名を含めて合計 508~ であり,この数は対象地 長新 峡で Hl~ した趨 .-K!ì).\ 児,極小未熟児を 100% 入院させて 児 教 生 いることを示すものである。また人工換気を必要とした 沫浴 比は従来の文献に比して非常な好結果が得られており 間もなく正式に発表される昭和5 8 年の地域の母子衛生に 闘する術生統計, 主に新生児死亡率を大きく改善させて いることと碓いする。これらについては,いずれ機会を 得て紹介したし、。 T( 写真下)2 4時間体制で監視されるインキュベーター 砂( 写真右下)新生児集中強化治療室での看護 同窓会だ よ 5 8 年度医学部同窓会代議員会 ・総会 8 岳f ll月1 9日(上),医学部新 ;医 学 部 !は,昭和 5 館 5階会議室で,竹内久弥許 ( 3 4年卒) が議長となって,開催された。 4母親に見守られての新生児の 5 3名であった。さらに入院児の出生体現 } J I Jの死亡 児も 1 り一一 天堂医学専門学校, I I 頂天堂医科大学, Ii頂天堂大学医学部 の卒業生)を除<, 関天堂大学医学部の現,旧教員並び 1 に研究生,専攻生,同大学院医学研究科在学生及び修了 者で入会を希望し,理ーJ~会の承認を得た者 J。 会務 ・ ・J~業報 ?fi-,会計報告があり,満場一欽で承認さ 代議員会 ・総会に引きつづき,本:lf位学術奨励賞の授 れた。統いて,次年度 ( 5 9 年)の ' J c業計画, 59年度前期 与式が行われ,官野武君 ( 4 1年卒)小児外科学と r l J山秀 予算案が提出された。事業計画i では従来から行われてい 英宮 ( 4 7 年平) 1 f t臓内科学の,,ey官に授与された。 (文武猪狩淳 る事業に加え I ( 1 ) 関連病院への協力体制の強化I ( 2 )同窓 3 9ij ' -卒) 3 ) 有山登先I主米 会と大学との訟なる連繋の確立と保持, ( 第1 1回東俊郎記念奨学金の受住者に 4 ) 学生会員活動の後援などの説明が 寿記念行事の開催, ( i体 育 学 部 i体育学科 3年生の下村出昭君が選ばれ あり, 5 9 年度予 n案と共に承認された。 1 2月 8日初代体育学部長束俊郎先生 次に,同窓会会則の改正について審議された。その主 ご出席のもとに授与式が挙行された。下付君は新内県立 1年生の時からサッカ一部のレギュ なものは,第 5条の会員の構成の条頃で,現行の準会只 直江津市校出身で, の名称をなくし,改正案では特別会只として一括し,次 し,昨年本学初の内閣総理大胆杯優勝に ラーとして活断i のように改正した。第 5条 , 2 . 特別会只rI E 会只(順 よきく氏献した好 ' H年である。今後の精鋭を人・いにJ t I lyJ . - 1 1- ひろば ' 84 するものである。 No.17 9 れてきたものが例年になく多くて伎念に思います。年々 この奨学金~IiIJ I 立は,体育学部学生及び本学Il¥身の大学 会 F 主体計学研究科のぜEFF生を対象に公持するもので,人物 nの 数 も 地 加 し 同 窓 会 と 科 会 nの接触が非常にむず かしくなってきております。そこで,今阿会只の例人カ 並びに ;~'í:業成紛が能秀かつスポーツ 111.' が顕符な学1' 1 ~が同 一ドを作成したく,JlJ紙を会報に│吋封致しました。多少 焚学金脱?, Iにより選与される,名投ある焚:学金制}交であ なりとも同窓会と枠様とのつながりを慌にしてくれるも る 。 のと期待いたしております。別紙への記入のほかできれ l i持様の御要望を 3き加えてし、ただきたいと思います。 ' ) j,m:(r ・J~ 務1.'J では代ぷJlの任期満了による改選を 行い, 4J j 1Uの代 e議員会の 1 m限?V¥鉛iと1 r i,lr 発行してい 以後に,後期の同窓会の活動としては,昨1r 1 0 ) Jに似 天 守t ; 筑波学校祭においてバザーに参加,多数の作 I 1 1 1の 1 1 1 る同窓会誌「砕友 J第 1 9号の制集作業を進めている。 (同窓会事務r f , j J ふ f j t, h 事政 9 } ) ~IIIJj をいただき盛況のうちに終わりました。ここに改めて f キ様にお礼 r l Jししげます。次に日下のところ 5 9 { 1: l 1 tの 総会準備を着々と進めております。 1 ,削訟は 4J j l 4 1 1の F I r . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ! 会 Hの持掠には,モれぞれお忙しい 学 i1 1 j日をお過ごしのことと忠います。 j看 I とです。総会については後日お知らせ致しますので多数 さて,皆慌の御協力をいただき昨年 の参加とご支援をお搬し、致します。 1 1月第 2り会報を発行することができ主した。心より感 謝いたしております 4JJには,新しい会只を迎えます。その )j々の新鮮な いろいろと不備な点もございまし 忠、吹によって同窓会がさらに発展してゆくことと心より たが,より多くの会日の ) j々の戸を械せることができた 期待しております。 のではないかと思っております。しかし新(t.岬への移 (同窓会会報委川 新館 6附 生川ぺ科 n 転写の班, 1 ,-(.,せっかく郵送いたしました会報も返送2さ て J、 ろ C ま 天保 1 1年 ( 1 8 4 0 ) から翌年にかけての花内務転封 ljC ! f : 1 は佐藤雄佐の本領を遺憾なく発拘i させた*件であり ってもいし、から直訴するという。仕方なく,藤佐は老 l 藤佐の性絡を物語る . ' 1 ト件でもあった。t. t の伊勢彦宮の旅程を教えたが, 2 年正 J J早々,郷里遊佐から思いつめた顔をし 天保 1 この時,藤佐は自分 の所に川越海の役人が庄内の事情を 1 mきに再三訪ねて た 2人の百姓が藤佐の家を訪ねた。 2人は,すでに布志 きている。その上, の何人もが転妻、j 撤回を嘆願して関係筋を回ったが,い に任命しようという。しかし,すでに 6 0を越して老齢 もレ伝封になれば自分を御郡本・行 ずれも断わられた。この t は者 r j Jに杭訴する以外はな のため決断しかねているが,郷里のために事・行になる いが, どうすれば近寄れる … . _ . ・H・ . . . _ _ . . ・ ・ー…ー…-一一…・・…一一一・一一一一一一寸 ことも考えないで‘もないと M j か教えて欲しいと相談をか! けてきたのである。 l t {訴は・ -' ー 続麦 顕天堂史余話 シ リ ー ズ 。 佐藤泰然の父 諸般持← !。 山感ぷ;, 前々ち通b とうすけ 藤佐のこと ( 5 ) .いった。 2人 減 佐 の 忠 告 を振り切り, 1月20日,オ e !回備前守の尽簡に i ( i, J F状を 医史学研究室長梓師 酒井シツ 付 捨てる覚悟で家を出て,訂 …一一……一一一一一一…………・一一一一一ーー : 出して取り拘抑lえられ,庄│内 の山サ中Jを越えて江戸に来た。藤位はその無諜な 計 J i 十.画に 若帯滞各普:に強制送泣された。だが, その後, L : 1 庄i 内務民カか、ら藤. 打ち首の時代, 2人は命を 容早 l 挺き'それは蝦榔の斧で 2人は 日 r "分た とぷ解される。藤佐のこの行 i 励 1 政 助 b 片』は主,前代末間の転去封I の ちは抗 議誕するのではない, あ〈までも 岐 i 嘆 駒 願1 であるとい It l 止が起るとは ~;:にもう考えなかった藤佐がìà!謀深磁を と , その討 i 凶剖の ド ! 中 E I止を論した。しカか、しし, E ってよ高らない。藤佐は転封が行われて川越帯主怯平大 巡らした上でとったものであり,その後,事態が進展 する『ドで,地の利を i ! Jた藤佐が ある。 - 1 2ー m要な役割を果すので 84 ' No.179 ひろぱ d 皇居一周ジョギ ン 句 グ 左先頭﹀ 中の鈴木さん ︿ シ リ ー ズμ 務 7義 ・9 断 ジョギンゲクラブ 順天堂本郷 ランナーズ 以必京止さ〉 dd仲間 i 施設課電気係 鈴 木 登 官、述のグループは, 4年前に皇屑一周コースを走って Jが B I ' いるf!t 天堂の職 n然と集りスタートしました。メンバーは I1頂 nと家脹及びその関係者で,健肢の増進を計る 人,も っとスマートになりたい人など色々です。会民は 0代までの男 kですが, 比較的男子が多く ,練 0代から 5 1 与々により彦加荷に変動が多い点, 組 織 習や人会などの H としてはまだまだといった感があります。 のむ居一周ランニ jには本郷地区験日差主力u Il{~和 56 1 r 6J し,習志野より陸上競技部の沢木啓祐先 ング教窄を企画i 生におこし頂き, ご指導をあおぐことができました。先 生から,まったく素人の私達に準備体燥の芯"民 ・方法 ・ 効;r,;そしてランニング走法等をやさしく指滋賜りました 1月 3日のサンスポ千葉マラソン A昨年1 中放クラブと合同) 参加の本郷ランナーズのメンバー ( ことは,その後現在までの在、述のランニングに多大な効 !報交換や は科目の練習状況や大会のスケジュールなどもj 果を及ぼしていることはまちがし、ありません。 l.',)全のl:な活動としては, 第 1に皇居定例ジョギング , 時には桁ビールで軽く←杯ということもあります。 があります。今年の予定は別表の通りで, 午後 5時半に 弘述のランニング ・スヒードは, 色々な大会参加,記録 分程歩 5 病院本館外来玄関に柴合し, お茶の水駿河台を 1 tJ位から下が'/r;ですので,決して「走る人 J的 から見て r f, 1周 5kmのコースを思い思レの服装 l J に至I ; きお掃討o なイメ{ジの「仲間述」ではありません。 分前後,ゆっくりの 0 とスピ{ドで走ります。速い人で2 きて,今年参加予定の人 会は次の通りですが, 大会参 与に苦しく,時には息をぬき,まった 1 J後で, 1 i 0分 r 3 入で' 加とはいうものの,ショギソグのお楽しみ会といったよf くのマイペースでジョギングを楽しみます。走った後に がぴったしというところです。 4 1 8 2 1 体育学部第 1体育館 一 体操練習風景 ー , 見 一・ iやかに見える体操競技 r f i - も,紋刊は非常に地味であり,新 !~ド集 '1 1 のいるスポ,ーツです。他の クラブと同様,背春のー時期を ζ i こY :志野の地で学業と共に, I . jf i 1 快い汗を流しています。将来,良 持 ・良き │きプレーャー ・良き指滋よ 研究{tとして打つことを願って。 絵 と 文 運 動 学 2研 加 納 実) ( 3ー - 1 ひろ ' 8 4 ぱ 2月 1 9H (日)報知 I ' f# i i マラソン 10K, 30K 京京 塩川優一教授・加藤英夫教授 定年退職記念講演会・記念 3月 4F l (日)佐倉朝日健康マラソン 4 2 .195K 千柴 1 I 5凡1 3n (日)ミズノランニング教室 5K 岡 山 ; 1 0月 1 0日(水)体育の日記念ジョギング 5K 競技場 1 1月 3n (上)サンスポマラソソ親子 No . 1 7 9 ハーアイ 2K 他下 !A~ 11)j25U (Fl)江東シーサイドマラソン 2 0K ,~・の島 参加おの日的には,走る楽しさ,大会参加!の楽しみと か,記録史新への自己挑戦など色々ありましょうが,走 このたび, 内科学教室 ・勝原病塩川優一教授並びにづ 児科学識鹿加藤英夫教授には 3月末日をもって)1属天堂大 学を定年退職されることになりました。 っている時の苦しみや孤独感に打ち勝って,完走した U , J つきましては,下記の通り両教授定年退職記念講演会 の充実感,成就感といった自己満足感が何んといっても を開催いたしますので多数ご参集下さいますようご案内 起大のものでしょう。最近その楽しみがーつ増し, 申し i 二げます。 ロー ドレース用のユニホームを 5 0 岩製作中で,青梅マラソン には,そろって走ることにしています。 日 時 昭 和5 9 年 3月 28R (水)午後 4時 . " ,6 1 1 寺 iユニホームが 場所願天堂大学有山記念館講堂 走るチンドン屋 Jに見えたところで,私達仲間は満足な 記念講演会(第 2 2 8回j ) 関天堂監学会学術集会) のです。 iìN~演 J ぶまれた際境の健康大学に勤務する私述です。私述と' 緒に走ってみませんか。-初心育大歓迎です。 ① íH~ 原病内科における診療の現況」 塩) 1 1教授 < ?i小児科学教室における研究の発展」加藤教授 体育の専門家と医師と練習場の虫病がすぐそばという 講演会に引続き 6 1 時1 5分より ,同館ホ ルにおいて記 念パーティが行われますのであわせてご出席"下さい。 【 ß(~ 有 159 年盟問 1 周定例ジョギング臼程 〕 1J 1611 2月 3阿 3月 3 0円 原稿募集 4月2 7F l 5月 2 5日 6月22H 7月 20n 8月 17R 9)]14日 1 0月 1 2日 1 1 ) ]9n 1 2月 7F I 以上金時!日 、 、 1 7 時半本館玄関集ム 、..岡町邑色 1 司胃 . . . ・ 高木としさん 文部大臣より表彰 本院; f ;護 部 抗 議 用 務 r l - 1 J 為 (' ; 1 1 科病棟勤務)高木と しさんには,昭和 5 8 年度医 学教 n~ 関係業務功労者と して去る 1 1月2 1A文部大医 より長彰状と副社の銀杯を i j l 慎天堂だより」は ,学生のご父兄,同窓生,教 受彰された。 山本さんは,昭和 3 2年本 職只の方々等に1 1 鼠天堂の動静をお伝えする季刊の大 院就任以来初年にわたり : 行 学広報誌です。建設的など意見,感、怨や個人的な紀. 挺補助 ! iとして陰口向なく業務に約励し,他の悦範とす 行,近詠など明るい原稿を随時お待ちしております。! るに足る功縦を l~ げたことか認められたもので,昭和 52 なお,原稿の採誌は編集部に一任顕います。 年にこの表彰制度が文部制に設定されてから,本ザ:では 1 ) 憤天堂大学:広報季刊 1 ) 慎天堂だ よ り<1 7 9号 9人 1である。 j ぐ1 [ 1 0年 1) ・ j10 日生れ 63'~~o > 昭和 59年 2月 1日発行 │ 言 ト 鈴木!日一殿 報│ 発行 東 京 都 文 京 区 本 郷 2ー 1ー 1 干1 1 3 哲 0 3( 8 1 3 )3 1 1 1 人・代安 内線 3 1 1 5,3 1 1 6I i頃 k'~:' 災",'~医学研究所評議只。昭和 58年 11 月2 6f I'1t岡県天地沼ケ島町背羽根 2 8の自宅で逝去。創設 平t i P 博設 フド続中央機能検査室必師(無給)。附和 5 9年 1月 2 6日病気のため本院で遁去。 2 5年千葉医大卒。 5 8蔵 - 1 4ー I J 頂天堂大学総務部文宍課 (表紙アート 7 3.本文エューコロナ 4 4 .7 使用) 5 9 0 3 1 0P6ヌ~ I I