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代数方程式の解を求めて

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代数方程式の解を求めて
代数方程式の解を求めて
研究者
小桂 重徳
小松 洵
鈴木 弘道
林 洋樹
指導教諭
♦
今井
隆
先生
序章
「中学校、高等学校で繰り返し習った2次方程式は、大学へ進んだ際、3次方程式、4次方程式の講
義へとは接続されないのです。」[2]とある。20世紀の100年間を通して代数方程式の解法をも含ん
でいるとされるガロア理論と呼ばれる高い抽象概念が得られ、方程式そのものに対して一般的な関心が
失われてきことが背景にあるようだ。我々は「方程式を解く」という基本的な問題意識を大切にして、
歴史が築いてきた代数方程式の解法を我々が理解できる範囲[7][8][9][10]で埋めながら、誰もが一度
は聞いたことがある「5次以上の方程式の代数的解法の不可能性」という事実まで辿り着くことを目標
にしてきた。また、その過程で、授業で学んだ身近な問題と照らしながら我々なりに得られた小さな結
果や感動がある。
♦
一章
1次方程式・2次方程式の解法
1次方程式 ax + b = 0 の解は
である。
2次方程式 ax 2 + bx + c = 0 の解は
ax = −b
b
x=−
a
x=
− b ± b 2 − 4ac
2a
である。
以下、簡単のため、 x の最高次の係数は1とする。
♦
二章
「代数方程式」「方程式を代数的に解く」とは
代数方程式とは、「代数学の基本定理」(六章)にでてくるような x の n 次方程式をいう。
方程式を代数的に解くとは、適当に累乗根を順次添加して算術的に四則演算で組み合わせて式として
表す。すなわち、 x =
♦
三章
k
□+ l □+ m □
のような式をイメージしてもらえばよい。
3次方程式の解法
3次方程式
x 3 + 6 x 2 + 3 x + 2 = 0
を例に、カルダノ(1501~1576)の解法を紹介する。
x 3 + 6 x 2 + 3 x + 2 = 0 LL ①
x = y + c とおくと ① は
y 3 + 3(c + 2) y 2 + 3(c 2 + 4c + 1) y + c 3 + 6c 2 + 3c + 2 = 0 L ②
y 2の係数を 0 とするために c = −2 をとる。これより ② は
y 3 − 9 y + 12 = 0 LL ③
となる。カルダノはこ こで、
3-1
y = u + v LL ④
となる u , v の組 (u , v ) を求めることに注目した。
それは 3 次方程式の解と係数の関係からくる。③ ④より
u 3 + v 3 + 3(uv − 3)(u + v) + 12 = 0LL ⑤
u , v を 1 組求めればよいので、
uv = 3LL ⑥
ととる。このとき ⑤ ⑥から
⎧⎪u 3 v 3 = 27
⎧uv = 3
LL ⑦
すなわち ⎨ 2
⎨ 2
2
⎪⎩u + v 2 = −12
⎩u + v = −12
⑦ の u 3 , v 3 は次の 2 次方程式の解である。
t 2 + 12t + 27 = 0
∴ (t + 3)(t + 9) = 0
∴ t = (−3, − 9), (−9, − 3)
uv = 3 を満たすことに注意して、
, (3 − 3ω , 3 − 9ω 2 )
, (3 − 3ω 2 , 3 − 9ω)
(u 3 , v 3)=(3 − 3 , 3 − 9)
を得る。ここで ω は、1 の 3 乗根のうち、虚数を 1 つ選ぶ。たとえば ω =
−1+ 3 i
2
よって y = u + v = 3 − 3 + 3 − 9 , 3 − 3ω + 3 − 9ω 2 , 3 − 3ω 2 + 3 − 9ω
∴ x = −2 + 3 − 3 + 3 − 9 , − 2 + 3 − 3ω + 3 − 9ω 2 , − 2 + 3 − 3ω 2 + 3 − 9ω
この結果から、我々が知っている次の因数分解[7][10]と密接な関連があることに気づく。
x 3 + u 3 + v 3 − 3 xuv = ( x + u + v)( x 2 + u 2 + v 2 − xu − uv − vx )
= ( x + u + v )( x + ωu + ω 2 v )( x + ω 2u + ωv)
♦
四章
4次方程式の解法
4次方程式
x 4 + 8 x 3 + 25 x 2 + 40 x + 25 = 0
を例に、フェラリ(1522~1565)の解法を紹介する。
x 4 + 8 x 3 + 25 x 2 + 40 x + 25 = 0 LL ①
x = y + c とおき、カルダノの方法と同じように、
0 とするために c = −2 をとる。これより①は、
y 3の係数を y 4 + y 2 + 4 y − 3 = 0 LL ②
となる。フェラリは、② を「平方数=平方数」の形に変換する方法を考えた。
そこで、② とパラメーター t を使って
2
t2
t2
⎛ 2 t⎞
2
2
2
⎜ y + ⎟ = − y − 4 y + 3 + ty + = (t − 1) y − 4 y + + 3 LL ③
2⎠
4
4
⎝
右辺が平方になるように t を定める。判別式
3-2
⎞
⎛t2
D
2
= (− 2 ) − (t − 1)⎜⎜ + 3 ⎟⎟ = 0
4
⎠
⎝4
∴ t 3 − t 2 + 12t − 28 = 0LL ④
∴
(t − 2)(t 2 + t + 14) = 0
これより t = 2 を選ぶ。
一般には ④ の 3 次方程式はカルダノの方法で必ず求めることができることに注意する。
④は、
(y
(y
2
)
+ 1 = ( y − 2)
2
2
)(
)
2
∴
+ y −1 y2 − y + 3 = 0
これと、x = y − 2 より
x=
♦ 五章
(
)
(
1
1
− 5 ± 5 , − 3 ± 11 i
2
2
)
身近な話題
ここで、5次方程式の話に入る前に、3次,4次方程式の話題を調べた。[5][6]
2006 年
筑波大(フェラリの解法)
2004 年
立命館大(3 次方程式の判別式)
2004 年
京都大(4 点が同一円上:クロネッカーの定理と関連)
2002年
大阪教育大(カルダノの解法)
など、入試問題で扱われていた。
特に、2006年の京都大学・後期試験の最終問題
「 tan 1o が無理数であることを証明せよ。」に
注目した。まず、入試問題を我々なりに解いた。正しくは、数学的帰納法[10]で証明するそうだが、我々
がこれを解いた時点ではまだ習っていなかったので、表現に甘いところがあるかもしれない。背理法で
証明する。
[証明] tan 1o は有理数であると仮定する。
tan 2 o =
2 tan 1o
1 − tan 2 1o
より、tan 2 o は有理数である。
tan 1o + tan 2 o
tan 3 =
1 − tan 1o tan 2 o
o
より、tan 3 o は有理数である。
以下、同じことを繰り返して
tan 30 o =
tan 1o + tan 29 o
1 − tan 1o tan 29 o
より、tan 30 o は有理数となる。
これは、tan 30 o =
3
が無理数であることに矛盾する。 (証明終)
3
3-3
そして我々が注目したのは、実際に tan 1o を代数的に解くことができるかである。それは次のよう
に得られた。
tan 1o を代数的に解く。
そのために、我々は tan 9 oと tan 10 o に注目した。
step1 tan 9 o
36 o ,72 o ,72 o の二等辺三角形 ABC の ∠B の二等分線と辺 AC との交点を D とする。
このとき AB = 1, BC = x とおくと
△ ABC ∽△BCD より
1 : x = x :1 − x
∴ x2 + x −1= 0
∴x=
これより sin 18 o =
−1+ 5
2
x −1+ 5
=
2
4
∴ tan 18 o =
また、 tan 18 o =
− 2 + 10
2 5+ 5
o
2 tan 9
より
1 − tan 2 9 o
tan 9 o =
−2 5+ 5 +4
− 2 + 10
step 2 tan 10 o
tan 30 o =
3 tan 10 o − tan 3 10 o
1 − 3 tan 2 10 o
⎛ 1 ⎞
⎜⎜ =
⎟⎟ 3⎠
⎝
より、 tan 10 o = x とおくと
3x − x 3
1
=
2
1 − 3x
3
∴ 3x 3 − 3 3x 2 − 9 x + 3 = 0
これをカルダノの方法で解く。
1
x= y+
とおくと、
3
9 y 3 − 36 y − 8 3 = 0
ここで y = u + v と分解する。
9(u + v) 3 − 36(u + v) − 8 3 = 0
∴ 9u 3 + 9v 3 + 9(3uv − 4)(u + v) − 8 3 = 0
3-4
4
ととる。このとき、
3
⎧
8 3
3
3
⎪⎪ u + v =
9
⎨
⎪ u 3 v 3 = 64
⎪⎩
27
3
3
(u 3 , v 3 ) は、次の 2 次方程式の解となる。
であるから、u , v の組 よって、 uv =
8 3
64
t+
=0
9
27
4 3 ± 12 i
∴ t=
9
t2 −
これより
⎛ 4 3 + 12 i
4 3 − 12 i ⎞
⎟
(u 3 , v 3 ) = ⎜⎜
, ⎟
9
9
⎠
⎝
4
としてよい。よって、 uv = に注意して、
3
⎛ 4 3 + 12 i
⎛ 4 3 + 12 i
4 3 − 12 i ⎞⎟
4 3 − 12 i 2 ⎞⎟
⎜3
3
3
(u , v ) = ⎜ 3
, , ω , ω
⎟
⎜
⎟
⎜
9
9
9
9
⎠
⎝
⎝
⎠
⎛ 4 3 + 12 i
4 3 − 12 i ⎞⎟
3
,⎜3
ω 2 , ω
⎜
⎟
9
9
⎠
⎝
以上より、
tan 10 o = 3
4 3 + 12 i 3 4 3 − 12 i
3
+
+
9
9
3
4 3 + 12 i
4 3 − 12 i 2
3
3
ω+3
ω +
, 9
9
3
,3
4 3 + 12 i 2 3 4 3 − 12 i
3
ω +
ω+
9
9
3
これらを数式演算ソフト Mathematica を用いて近似値を求め、[8] の巻末の正接の近似値
の表と一致することを確認して、
tan 10 o = 3
4 3 + 12 i 3 4 3 − 12 i
3
+
+
( = 0.1763269807084649734710903868686189 LL)
9
9
3
を得る。
3-5
tan 1o
step3 (
)
tan 1o = tan 10 o − 9 o =
8
−1+
⎛ 4 3 + 12 i
⎞
4 3 − 12 i
3⎟
5+ 5
⎜3
−
+3
+
⎜
9
9
3 ⎟
⎠ − 2 + 10
⎝
2 5+ 5
=
⎛
8
⎜ −1+
⎛ 4 3 + 12 i
⎞
4 3 − 12 i
3 ⎟⎜
5+ 5
+3
+
1+ ⎜3
⎜
⎜
⎟
9
9
3 ⎜ − 2 + 10
⎝
⎠
⎜
⎝ 2 5+ 5
♦ 六章
tan 10 o − tan 9 o
1 + tan 10 o tan 9 o
⎞
⎟
⎟
⎟
⎟
⎟
⎠
5次方程式の代数的解法の不可能性
[1] をテキストとして読み進めるが、5 次方程式の部分からはかなり難解なものになってきて、我々
は 1 度はあきらめることになる。
ただし、一般の 5 次方程式はブリング、ジラードによって次の簡単な方程式までに変数変換できるこ
とを知った。それは次の 5 次方程式である。
x5 + x + p = 0
この方程式は、1834 年にジラードという数学者が発表して有名になったが、それ以前の 1786 年にブ
リングという人が発見しているのが判ったから「ブリング=ジラードの標準形」と呼ばれている。この
5 次方程式が解ければよいのだが、それが不可能だというのである。
[1] では、5 次方程式についてはルフィニによって「置換群」とよばれるものから段々と方程式その
ものから離れた抽象的な数学に進んでいく。時間と知識が追いつかない我々にとって、手に負えない代
物になってきた。そんなとき、クロネッカーが 1850 年代に 1 つの証明を与えていることを知った。[2]
その方法は、代数方程式を解くという我々の気持ちを延長した解決法であり、ようやく我々の目標の達
成に至ることになる。ただし、クロネッカー(Leopold Kronecker 1823/12/7~1891/12/29)の証明は方程
式論全体の流れの中では孤立しているため余り知られていないようである。
定理
クロネッカーの定理
p を 2 と異なる素数とする。このとき有理数を係数とする p 次の既約方程式が代数的に解けるとすれ
ば、実数解の個数は 1 個かp個のいずれかである。
[証明のスケッチ]
補題1
n が奇数のとき、実数係数の n 次方程式は少なくとも 1 つの実数解をもつ。
3-6
補題2
p が 3 以上の素数のとき、有理数係数のp次方程式が代数的に解けるとする。このとき、実数解は
ω = K0 + K1λ + K 2 λ2 +L+ K p−1λ p−1 L①
λ= A
p
と表せる。そこで、四則演算ができる数の集合 K に
p
このような数 A が存在する。
A を添加した集合を考える。①より
p次方程式は、A が実数のとき、1 つの実数解をもち、残りはすべて虚数解で 2 つずつ対になって共役
複素数となっている。A が虚数のとき、すべて実数解となる。
代数学の基本定理
複素数を係数とする n 次方程式
x n + a1 x n −1 + a 2 x n − 2 + LL + a n = 0
は、複素数の中に n 個の解
x = α1, α 2 , LL , α n
をもつ。この解によって
x n + a1 x n −1 + a 2 x n − 2 + LL + a n = ( x − α 1 )( x − α 2 ) LL ( x − α n )
と因数分解される。
補題1、補題2と「代数学の基本定理」から、クロネッカーの定理が得られる。
(終)
ここで、次のように因数定理 [10] などで代数的に解ける 5 次方程式もあることを確認しておく。
x 5 + 4 x 4 − 13 x 2 − 16 x − 12 = 0
実際、因数定理により
例)
( x − 2)( x + 2)( x + 3)( x 2 + x + 1) = 0
と因数分解して解は求まる。
系
5 次方程式で、実数解が 3 個、虚数解を 2 個もつものは、代数的に解くことは不可能である。
[証明]
クロネッカーの定理からすぐに得られる(証明終)
六章のまとめとして、クロネッカー定理から、代数的に解けない 5 次方程式を用意する。
x 5 − 3x + 1 = 0
この方程式は因数定理で因数分解できない。また、上の系を満たすことは下図からわかる。
ψ
⌧
Ο
⌧
ξ
⌧ のグラフと
⌧
の交点が3つ存在する。
3-7
のグラフ
♦ 七章
6次以上の方程式の代数的解法の不可能性
5 次方程式が代数的に解けないことが証明されたので、それより次数の高い方程式、例えば 6 次方程式
も代数的に解けない。証明は簡単な背理法による。もし、6 次方程式に代数的解放があれば、それを
x 6 + ax 5 + … + ex = 0 に適用して、 x = 0 という解だけ除いておくと 5 次方程式の解を与えることに
なるからである。[2]
♦ 八章
7 次以上の方程式も同様である。
還元不可能性
o
tan 1 の値などで、本来実数である値が虚数単位 i を経由していることは気になる。そこで、我々は虚
数単位 i を用いない実数化を試みるがうまくいかなかった。複素数の立方根を必要とする。それは、
「還
元不可能性」によるもの、19世紀に実数化が不可能であることが証明されていた。[4]
「還元不可能性」とは、例えば 3 次方程式が3つの実数解をもつ場合でも、解を実数だけで表すことが
不可能であることをいう。ガロア理論の登場。
♦ 九章
角の3等分線の作図不可能性
角の 3 等分線の問題とは、古代ギリシャ(紀元前 3 世紀前)の人たちが、「与えられた角を定規とコ
ンパスを用いて3等分せよ」と提起したことから始まった問題で、2000年以上も難問として人々を
悩まし続けてきた。[2]
ドイツの数学者であるガウス(1777~1855)は「作図できるための条件」
を示した。それは、
「定規とコンパスでできる点は、直線や円の交点として求められる点である。」そし
てそのような点(作図できる点)の座標は、有理数に+、-、×、÷、√の演算を有限回用いて表せる
ものに限ることを突き止めた。我々は、これを円と直線の交点の問題 [8] として直感的に納得した。
ガウスの条件は、「有理数に+、-、×、÷、√の演算を有限回用いるだけでは表せない座標は作図で
求められない」ことをいっている。[3]
勿論、90°のような角については 3 等分線は作図できることに注意する。(そんな角は無限にある。)
我々は、以上から作図できない角の例を作ることにする。 例えば 60°の3等分線は作図不可能であ
る。3等分したい角を3θとすると、角の3等分線を描くには、 cos θの長さが作図できればよい。
3倍角の公式より
cos 60 o =4 cos 3 20 o -3 cos 20 o
ここで cos 20 o =x とおいて整理すると、
1
4 x 3-3 x- = 0 を得る。
方程式 2
2 x を改めて x とおくと、角 60 o の3等分線の問題
は、方程式
x 3-3 x-1 = 0 LL①
の解(>0)の問題に帰着される。
3 次方程式 ① の解をカルダノの方法で解くと、その解は 3
を用いなければ表せないので
ガウスの「作図できるための条件」を満たさない。また、①は有理数解をもたないことが
簡単な整数問題としてわかる。よって、60° の3 等分線は作図不可能である。[3][4]
3-8
正五角形は作図可能
例えば、右図のような 1辺の長さ1の正五角形の対角線の長さ x は
x=
1+ 5
2
(黄金分割比)
と簡単な計算から得られる。 正五角形の作図は興味深い。
この値は、ガウスの「作図できるための条件」を満たしてる。[3]
♦
十章
ガロア
ガロアは 1811 年 10 月 25 日、パリ郊外のブール・ラ・レーヌという小さな町の教養ある裕福な家
の長男として生まれた。父親は王政に反対する自由主義者で、ナポレオンの百日天下の間に町長となっ
たが、王政復古のあともこの地位にあった。母親は法律家の家柄の出であった。若いガロアは両親から
専制に対する強い憎しみの感じを受け継いだ。ガロアは 12 歳のとき、はじめて学校に入学した。学校
はパリのルイ・ル・グラン高等中学校で、ガロアは寄舎生となった。この学校の生徒たちは反抗的な気
分にあふれていた。ガロアは最初に 2 年間は割合まじめな生徒として過したが、やがてしだいに学校の
厳しい規律に反抗するようになってきた。ガロアはこの頃までは数学にそれほど興味を示したわけでは
なかったが、講義にあきたりずやがてルジャンドルの「幾何学」を自分で勉強するようになってから、
数学にしだいに惹かれていった。ガロアの数学に対する才能をはじめてよく理解したのは、1828 年に
数学の講義をうけもったリシャールであり、ガロアはこの頃、ルジャンドルやラグランジュの著書を通
じながら、方程式論、数論、楕円関数などの研究に没頭するようになっていた。ガロアも、アーベルと
同じように一度は 5 次方程式の代数的解法を発見したと思ったが、その間違いに気づき、新たに代数
的可解性の条件を求める研究の方向へと進み、17 歳のときすでにその結論に達してしまった。天才児
ガロアは恐るべき少年であった。この年、ガロアはエコール・ポリテクニクへの入学に希望を託したが、
準備不足のため入学試験に失敗した。また方程式論に関する基本的な結果を記した最初の論文をフラン
スの化学アカデミーに提出するようコーシーに預けたが、コーシーはそれを紛失してしまった。
ガロアの運命の星はこの頃からかげりはじめ、翌 1829 年には予想もしなかった大きな不幸が彼を襲
ってきた。それは、父親が牧師の不当な政治的策略にかかって信用を傷つけられ、7 月に自殺してしま
ったことである。この 1 ヶ月後にエコール・ポリテクニクに再度受験したが、試験官の態度に我慢で
きないということもあってこのときも失敗した。ガロアの挫折感は深まるばかりであった。結局彼は同
じ年の秋に教員養成のための学校であるエコール・ノルマルに入学した。
1830 年にフランス科学アカデミーのグランプリに応募するための論文を提出したが、この論文は審
査のためフーリエが家に持ち帰っているうちにフーリエが 5 月に死亡し、消失してしまった。7 月に
革命が起き、ブルボン王朝が倒されたが、それにかわったのは、蜂起した民衆が望んでいた共和国では
なく、ルイ・フィルップを擁したブルジョアの台頭であった。そのためフランス社会は混乱に陥った。
ガロアは喜んで革命に参加し、共和主義者の集まりに身を投ずるようになった。エコール・ノルマルか
らは放校された。原因は校長の政治的優柔さを投書で痛烈に批判したためであった。革命的思想に支え
られた熱烈な政治運動のため、1831 年には 2 度投獄された。1 回目の事件は 5 月に起きた。ガロア
は共和主義者の宴会で、短剣をかざして新たに大座についたルイ・フィリップに乾盃したため、大逆罪
3-9
で告発されたのである。そのときはいったん釈放されたが、2 度目は 7 月に共和主義者のデモに参加
した罪で、逮捕され 9 ヶ月間投獄された。彼はここで数学の研究を行っていた。1832 年に、コレラに
かかったため、病院へ移されそこで釈放されたが、もはやガロアにとってこの世に残された日はわずか
だったのである。
ガロアは、1832 年 5 月 29 日、決闘におもむく前夜に死を予期して遺書を書き記した。そこに彼が
得た数学の主要な結果の概要と、「ガロアの夢」を残したのである。決闘は翌 30 日の朝行われたが、
ガロアは腹部を撃ち抜かれて倒れ、その場に置き去りにされた。通りかかった農夫が見つけ病院へ運ん
だが、翌日腹膜炎を起こし、この世を去った。20 歳と 7 ヶ月の短い生涯であった。ガロアの葬儀には
数千人の共和主義者たちが参列したという。[2]
♦
十一章
おわりに
中学・高校で学習してきた
1 次方程式、2 次方程式の解の公式と同様なものが、3 次以上の高次方
程式でも作れるのではないだろうかという疑問をもっていた。ただ、高校で高次方程式を学びながらそ
れは作れたとしても相当複雑な計算と工夫が必要であるだろうとも感じていた。今回の我々の研究を通
してその気持ちの引っかかりがすっきりと整理されたように思う。歴史的に多くの年月を要した代数方
程式の代数的解法の問題が、我々に数学の喜びとともに歴史の重みをも伝えてくれたように思う。六章
にまとめた 5 次方程式の代数的解法の不可能性は最大の難所であった。我々と同じ年齢のときにガロア
が到達したガロア理論は、その数百年後に最先端の数学を学んでいる同年代の我々にとって到底理解で
きるものではなかった。しかし、資料を調べる中で偶然に出会った(我々のよぶ)クロネッカーの定理
はとても美しく研究を締めくくってくれた。発展途上の我々の未熟さから、数学的表現や内容に正確さ
に欠く部分が多々あるかと思うがお許し戴きたい。
♦
いつか理解できる日がくることを期待して
定理
ガロアの定理
体 K 上の既約な方程式 f ( x ) = 0 が代数的に解けるための必要十分条件は、 f ( x ) のガロア群 G が
可解群となることである。
5 次方程式に解の公式が見つからないということは実に不思議なことであったが、ガロア理論により
すべての次数の方程式を一度に統括して見るという立場に立ってみると、2 次、3 次、4 次の方程式に
解の公式があったということは、この場合だけに生ずる対称群 S n の例外的な状況によっていたので
ある。と書かれている。[2]
参考図書
[1] ガロア理論 /矢ヶ部巌(現代数学社)
[2] 方程式 /志賀浩二(岩波書店)
[3] 代数学者に学ぶ入試数学ⅡB /秋山仁(数研出版)
[4] 角の三等分 /矢野健太郎(筑摩書房)
[5] 全国大学入試問題・数学(旺文社)[6] 大学入試詳解・数学(聖文社)
[7] 数学Ⅰ [8] 数学Ⅱ [9] 数学A [10] 数学B(東京書籍)
3-10
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