Comments
Description
Transcript
変質論とヨーロッパの内なる他者
変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 宮崎 かすみ Invention{f・ Kasu ㎝ MIYAZAKI 始めに 「かくなる犯罪は 性的狂気の一種なのであ り、 そのことは昨今の 病理学のみならずフランス、 オ 一 ストリア、 イタリア等の 今日の立法においても 同様の認識が 共有されており、 それゆえこれらの 国々ではこうした 犯罪を罰する 法律は撤廃されております。 と申しますのもこうしたことは 医者に よって治療されるのが 相当な病気なのであ り、 裁判官によって 罰せられるべき 罪ではないという 判 断 によっているからなのであ ります」 , 。 これは同性愛の 様で断罪されたオスカー・ワイルドが 獄中から減刑嘆願のために 内務省あ てにし たためた書簡の 一節であ る。 この一節が明らかにするのは、 同性愛が,性的な狂気、 つまり精神病の 一種であ るとする、 現代の我々から 見ると驚くべき 認識であ る。 だがワイルドが 男色行為を裁判で 断罪された 1895 年前後の時代、 男色は医学の 領域で扱 う 対象とされ、 同性愛 (homosexual) という 名称が、 台頭した性科学や 性的精神病理学によって 与えられ、 悪徳や罪といった 旧来のカテゴリー から精神の病、 つまりは脳の 中に潜む遺伝的病理の 一 徴候であ るという認識体系の 中に鞍替えされ つつあ った。 この認識体系では、 同性愛者にとどまらず 犯罪者、 精神病者、 精神薄弱者、 娼婦、 貧 民等 、 中流階級の市民的規範 ( リスペクタビリティ ) からの社会的逸脱者のすべてが 一括りにされ、 遺伝的に伝わった 脳の中の病変が 彼らの反社会的行動の 原因であ ると説明されていた。 つまり彼ら の 社会的逸脱行動は 、 彼らがもっそうした 体質、 つまり生物学的要因に 帰せられていたのであ る。 この小論は、 ワイルドがそれ 故に断罪され、 しかも皮肉なことにワイルド 本人がその各を 軽減させ るためにすがった 論拠をも提供した 理論であ ったこの変質論 (degeneration)の思想を扱う。 だがあ まりに多岐に 渡っていたこの 思想を扱 この理論は思想と 言う に はあ う には本稿は小論の 域を出るものではない。 まりに錯綜して、 かつ無定型であ り、 むしろ社会や 政治や人類進化 や文明の進歩といった 問題に無尽蔵 の比楡を提供した 言説体系という 方がふさわしかった。 この 親 象は 、 古典古代からヨーロッパにあ った堕落・衰退・ 頽廃といった 概念が、 19世紀の後半に 至って 、 精神医学、 人類学、 性科学、 犯罪学などの 諸学問の言説の 中に取り込まれ、 「変質」という 特殊に 社 余 生物学的用語で 捉えるに至る 歴史的プロセスだった。 つまり変質論とは、 一言で言えば、 これら の諸学問を動員した「逸脱の 医学的モデル」,だった。 精神医学の遺伝説、 人類学のハイブリッド 論 、 本稿は平成 14年度より文部科学者科学研究費補助金の 交付を受けている 研究成果の一部であ る。 , Wilde to the Home Secretary, July 2,1896, in ℡ eLetterSofoSCa Ⅰ 肋万te(Rupert Hart う avis ed Harcourt,1962),p.402. 2 Charles Bernheimer, つと cⅠパ リ 円丘 ぷⅠ 劫ects.. Ⅰ方e fdee按のダリりc 按 d し皿 ㏄ 肪丑Ⅰ t, ムメ活 er 乙古は Ⅰ@e, 月方Uo0s クp ゐア a コ イ 宮崎 114 かすみ ラマルクの獲得形質の 遺伝説、 などを吸収しつつ、 社会文化的進化論と 共振してポスト・ダーウィ ニズム時代の 重要な神話、 進化の反対の 退化のイメージを 具体的に提供した。 またこれは中流階級 の 規範的道徳体系であ るリスペクタビリティから 逸脱する様々な 社会に不穏な 分子を相互に 関連づ け、 それらを同一の 原因から引き 起こされた様々な 症候であ るとし、 こうした中流階級にとって 脅 威 となる要素を 遺伝によって 社会を汚染するものとして 病理化し、 排除しようとする 力学でもあ っ た」。 ダーウィン以後のヨーロッパの 精神世界を席巻していたこの 神話は、 日日約聖書山中のアダムの 堕 落神話に見られるよさに、 古典古代にまで 遡ることのできる 根の深い、 しかも広範な 広がりを持つ 思想、というよりは、 地楡体系であ る。' 変質という考え 方の本質的な 部分はあ まりにも深くヨーロッ パの精神史に 根付いているためにそれを 解きほぐすことは 筆者の力量をはるかに 超える作業であ る。 取りあ えずここで指摘できるのは、 この変質ないしは 堕落という考え 方は、 聖書の時間的変化の 観 念の基本的枠組みとして、 つまり人類はよりよい 状態に進歩しているのではなく、 神が創 り給う た 原初の状態から 徐々に堕落してきているのだという 思想、として、 キリスト教文化圏に 深く根付いて いたことであ る。。 また、 聖書が語る様々な 人種の起源は 、 ノアの子孫が 各地へ移住し、 本来生まれ 落ちたのではない 土地の新たな 気候風土の下、 神への信仰から 離れて暮らす う ちに体質が変質し、 堕落したために 生じたものとされていた。 つまり環境適応によるより 低い段階への 堕落・変質説の 原型であ る。 さらに言えば、 この degenerationという語は、 発生を意味する generationの反意語と して、 生命が発生した 後に、 成長し完成へと 向かうプロセスの 反対をなすものを 指してもいる。 学の発達,していなかった 時代、 い う あ 医 るいはそれ以降でも 社会の下層の 人々にとっては、 堕落・変質と 事態は生きることの 中に必然的に 含まれるあ りふれたことでもあ った。 生きるこ・とは 変質し 堕 落することに 殆ど等しいものであ った。 フーコーは、 狂気、 犯罪、 セクシュアリテ ィ といったものの 近代的編制を 類まれな詳細さと 執勃 さでもって 浩翰に 描き出したが、 これらのものが 近代の規範化を 志向する権 力の行使の対象となる プロセスが 、 実は変質論の 展開そのものでもあ った。 この権 力が狂人、 犯罪人、 非行少年、 異性を 愛さない者たち 等をヨーロッパ 内部の一つの 新たな種族 (race) として産出し、 編制し、 これをヨ ーロッパの内部の 異人種として、 つまり 「植民地的に 支配」 ' するに至る歴史とメカニズムを 彼は 明らかにした。 だが、 フ 一コ一の関心は、 変質という比倫体系が 担った社会の 不安や危機を 表象し た桁外れの豊かさによりも、 専門職業集団の 中枢にいた医師や 科学者が変質論を 利用して権 力を行 便 した戦略 や 、 権 力そのものにあ るよ ぅ であ り、 フ一コ 一における変質論はいささか 抽象化された ものであ る。" CUひ t ひた of 坊 eFfn刀 dee助洗 lee血 EaUガ0タe(Baltimore,The JohnsHopkinsU.P.,2002), 古典古代からの「変質」のメタファ 一の変遷については 以下を参照。 ちなみに本稿は p.139. degeneration という 語 の 訳語として「変質」を 当てるが、 この語の訳し 方は実に様々であ る。 特に文化論では「退化」と 訳される ことが一般的だが、 「頽廃」と訳される 場合もあ る。 文脈によって 訳し分ける方が 好ましいが、 混乱・誤解 を避けるためにここでは 敢えて一貫した。 George W.Stocking,Jr.,Vicctoriaan An 蹉Ⅰvpo ゐ芹ア(New York,Macmillan,1987:1991), p.l2. ミシェル・フーコー T 監獄の誕生山田村 淑訳 、 新潮社、 1997 年、 289 ぺージ。 フ一コ 一の変質論の 扱い方について Daniel Pick は、 あ まりにも抽象化した 権 力行使の戦略としての 役割に しか目を向けていないとして 批判している。 詳しくは以下を 参照。 DanielPick,E 托es がつりり妃巧打切 EaurWean DJSs㏄@deez,c,1848-79Ⅰ 8 (Camb 「 idge,Cambridge University Press,1989),pp.235-7. 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 115 そのせいか、 たとえば犯罪者を 生理的な原因に 由来する精神失調の 犠牲者として 理解されていた ことは知られていても、 それが精神病、 性的倒錯、 精神薄弱といった 現象とも結びついた 遺伝的脅 威とされていたという、 変質論の大きな 文脈をも視野に 入れた研究はこれまで 多くはないと、 アメ リカ における生来性犯罪者の 事例を通して 同じ事象を取り 上げたニコル・ラフターは 述べている。 , (eugeniccriminology) と呼 彼女はこの現象のうちの 犯罪に関わる 分野を独自に「優生学的犯罪学」 び 、 これが 1875 午から 1920 年代にかけて「広範に 流布した、 社会問題の遺伝的解釈現象」,の一部で あ ったとする。 それによれば、 犯罪を生物学的に 解釈する理論の 展開を扱った 殆どの先行研究は 、 その背後に広く 浸透していた「優生学的犯罪学」の 一般現象に気づいていないと 言う。。 ラフターは 主として犯罪に 議論を限っているのだが、 彼女の指摘するようにこの 時代の思潮の 殆どすべての 後 景 には「社会問題の 遺伝的解釈現象」が 潜み、 人々の思考の 全般に影を落としていたのだった。 そ して、 社会問題を身体や 遺伝の問題へとすり 替えるのを可能にした 地楡を提供したのが、 「変質論」 という言説体系だったのであ る。 だがヨーロッパの 精神史において、変質、つまり堕落という 概念は、 「社会問題の 遺伝的解釈現象」 などという特殊で 一時的な問題には 到底納まらない。 例えば「創世記」において、 神を怒らせ洪水 を引き起こさせる 原因となった 民の「堕落」、 ギボンが ニ ローマ帝国衰亡 史コを 書いた時の「衰亡」 という観念、 世紀末、 ユ イスマンス描くところの『さかしま』中の デ ゼッ サントに代表される「退 ・ 廃的」 な 唯美主義者たちの「退廃」、 ロンブローゾの 唱える未開人や 動物に近いという 生来性犯罪者 の 「先祖返り」、 さらには『ドラキュラ』中でジョナサン・ た 「甲状腺を腫らした」チェコ 火やスロヴァキア 人達 ハ一 カーがトランシルヴァニアで 目撃し ( ドラキュラ伯爵自身は 言さまでもない ) 、 ダ ーバヴィル家の 未 商 たるテスに向けてエンジェル・クレアが 言い放った「君は 衰退した一族の 晩生 の芽生え」という 言葉、 これらすべてもが「変質」の 文脈の中で理解されていた。 これはヨーロッ パの精神において「進歩」の 反対概念として、 実に広範な意味を 汲み続けていたのであ る。 これら の 例からも分かるよ う に 、 人々の想像の 世界を趺肩した 文化現象としての 変質論は 、 何よりも世紀 末の文学作品を 舞台に自由に 繰り広げられた。 現在、 変質論について 最も進んだ成果を 産みだして いるのが文学・ 文化研究の分野であ るのも偶然ではない。" 変質論が「遺伝的解釈現象」であ ' る以 変質論を扱った、 筆者が知る限り 最初の包括的な 著作としては 次を参照。 J.EdwardChamberlin&Sander Gilman eds., Ⅲ援enera ぬ0 打,坊 e D 按丑 SiydeeofPro0greess (New York,Colombia University Press,1985). ここでラフターが「多くはない」と 言っているのは、 犯罪学の分野に 限って理解されるべきであ ろう。 以下 で触れるように、 文学・文化論の 分野では変質・ 退化の研究は Pick の研究以降、 一種のブームになっている。 Nicole Rafter, Crれa おⅠ ま方り曲 CrZmm血 alS(Urbana&Chicago,University ofIllinoisPress,1997),p.6 この中に含まれるものとして、 S ぬphenJayGould, Z 方 eMl ぬmeasu がり㎡Man(NewYork,Nor ぬn,1981)(邦 訳, J. グールド『人間の 測り間違い コ 鈴木善次・森脇靖子訳、 河 田 書房新社、 1989 年 ) が挙げられている。 またイギリスの 精神病 史を フェミニズム 批評の観点から 描いたショウォルタ 一の傑作 me Ⅰemale MgBlad グ ・ 8 。 ・ (1985) (邦訳『心を病む 女たち』山田晴子 他訳 、 朝日出版社、 1990 年 ) ですら、 精神病の遺伝的要因を 重視 する「ダーウィン 主義精神医学」と 彼女の呼ぶものが 精神病だけでなくアルコール 中毒や精神異常、 性倒錯 等も巻き込んだ 変質論の広い 議論的後景を 有していたことには 気づいていないようであ る。 ・ 0 Greenslade, りり群りeⅢ 玩叫ば ulftuアne a 刀 d 訪 e ⅣoW/ (Cambridge, Cambridge U.P, 1994), Stephen 血 ata, 乃枕 ㏄ s が ム 10s8% 訪 e 竹ct 倣肋丘乃力 de 甜どcAee (Cambridge , CambridgeゞR , 1996) , Susan゛ , Navarette , The Shape{f:ear ,,Horror‖nd》he Fin de Siecle@ Culture@of@@6cadence@(Kentucky , The@ University@Press@ of@Kentucky,@1998) Donald@J , Childs , MOodeグコ ぬ% あ E り8% cがけめ乃 B7700t,掩 a な, an ガ妨 eCUUltu 托がりeg.㎝ e 血 れ切 (Cambridge,Cambridge U.P@., 2001), Bernheimer,2002. 以下はその い く っ かの 例 。 Pick,1989, WiIliam ・ ・ メ 116 宮崎 かすみ 上 、 セクシュアリティに 深く関わらざるを 得なかったが、 文学は、 その 懐 深い象徴・表象能力によ ってセクシュアリティ 表現の特権 的な場であ ったし、 変幻自在に意味を 変えながら確定した 意味を 持たずに人々の 意識に入り込むこのような 地楡体系こそ、 文学表象が格好の 媒体であ ったことは容 易に理解できる。 本稿は、 ヨーロッパ近代において 最初は人種生物学の 概念として人種的な 枠組の中から 出発した 変質という観念が、 ヨーロッパの 国民国家編制 期に ヨーロッパ内部の 他者を、 人種論の変質概俳に 即して、 異人種として 創造する言説として 転用された過程を 追うものであ る。 こうしてヨーロッパ に移植された 変質論は、 ヨーロッパの 国民国家の内部に 想定される「均質な 国民」とは相容れない 創出した。 他者とは、 文明化された 中流階級の規範、 つまりリスペクタビリテ ィから逸脱する 人々のことであ り、 変質論の戦略に 与した諸学問がこぞって 逸脱者の身体および 精 神を囲い込むための 定義付けと分類を 行 ことにより、 「他者」が創造されたのであ る。 中流階級の 者として「他者」を う 規範とされる 正常性こそ、 1 9 世紀の医学が 健康よりも重視していたものであ り、 そこでは正常 か らの逸脱の程度が 問題とされた。" こうして囲い 込まれた「他者」が 逆に中流階級のリスペクタビ リティの範囲を 措定してもいたのであ る。 まず、 変質論とは一体どのようなものであ ったのかを概観したい。 「.変質論とは何か (1) 精神医学における 変質論 精神医学の学説として 一般に理解されている 変質論は ランスではラマルクの 獲得形質の遺伝説が 1 9 世紀の半ばにフランスで 生まれた。 根強く支持されていたが、 フ これは環境の 変化によって 余 儀 なくされる生体の 適応を、 ダーウィニズムのように 偶然の結果と 見なすのではなく、 生体が環境 と自らとの間に 均衡をもたらそうと 新たな行動や 形質を獲得し、 それが次世代の 子孫に遺伝的に 伝 え れるような有機的秩序 (organiceconomy) を生体内部に 持っ、 という考え方であ る。 変質論は、 の思考の中から 生まれた。 つまり、 環境の変化が、短期的には生体に 好ましい影響を こ 与えながらも、 長期的には悪しき 影響を及ぼすようなものであ った場合、 どうなるのか。 この間に対する 解答の試 みが変質論だったのであ る。ばその 哺矢は、 ル力 ProsperLuca モレノン の 「 T @窩 edesde Ⅰ サ のり el 打e簗e"捷だ" 丘atureelle (1847) と 夕日ⅡereiSee月ces タカがs コヴ Ⅱ es, 7月 eJyeC サは eJyese ぁ 丘 mo 俺 Jesde Ⅰ es ゆe Ⅰ e 力Ⅱ m 月e オⅠ (1857) であ った。 以降、 モレ ル の説が変質論の 起源と見なされている。 モ ノル の言う変質.とは、 病を引き起こすような 環境に適応した 個体が「素質」とか「傾向」としてこの 病理を潜ませながら、 後の世代になって 病的タイプの 身体的神経的失調の 進行として発現するようになることだった。 こ ならば、 人類種の正常型 (letypenormaldel,humanite) からの病的な 逸脱であ って、 この作用は遺伝によって 進行的に次世代に 伝わってゆく。 本来の種の原型から 堕落してゆくという れを一言で言 う 発想自体、 聖書の創世記神話に 基づいており、 その意味では 後にモ ノル の追随者たちが 試みる教権 力からの離反という 要素とは裏 腹 に、 キリスト教の 宗教観・ 罪 意識といったものの 枠内で発想 t れ た 考えであ った。 モ し か によれば、 過度の飲酒、 不道徳、 貧しい食生活、 不健康な室内および 危険 な職場環境といった 当時のパリのような 大都市の劣悪な l@ RobertNye, 乃血 ・ p. l21. あ る種の人体に 有害な土壌成分を C ime, Maadnness, あ 月,リガ五㏄ 血 Moo あた竹ア油月 ce:Th eMee 曲ca]Co0皿 ceタ丘 ㎡Ⅳ按りう 刀刃 り@ec4ine ア 方仇 (Princeton,Princeton U.P.,, 1984),p.47. " 環境や、 以下の記述も 同書に拠る。 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 117 台れ土地や療気に 満ちた沼沢 地 尊人体に悪影響を 及ぼすとされていた 環境、 あ るいは大麻や 薬物、 アルコール等の 中毒、 劣化した穀物の 摂取といった 状況の中で身体が 疲弊・衰弱し、 それが病理的 な 諸症状を引き 起こす。 変質の進行の 鍵をなすのは、 遺伝の作用であ る。 といってもそれはラマル クの獲得形質の 遺伝説に拠っているから、 きっかけは後天的に 獲得されたものであ る。 それが次世 代に 虚弱な体質として 遺伝的に伝わり、 ヒステリー、 アルコール中毒、 結核、 痕痙 、 身体的不具な どの様々な症状を 引き起こすのであ る。 モ ノル の主張する変質という 遺伝説の新しい 点は、 遺伝に よって一つの 疾病のみならず、 あ る体質全般が 伝わるという 考えであ る。'3 つまり、 神経細胞が刺 激に対して常に 病的に反応してしまうような 生体の状態を 想定しているのであ り、 そのために過度 に 疲労・消耗して 生体の衰弱を 招き、 様々な疾患として 現れるというのであ る。 この体質はそれに 遺伝的に汚染された 一族を形成し、 その一族の世代が 下るに つ れ、 次第に蓄積されてゆき 強く現れ る よ う になり、 生殖が 4,5 代も続くと生殖力も 衰え、 行き着く先は 完全な痴呆化、 生殖不能、 そして 死 であ るとされた。 モ ノル の説に最も特徴的なのは、 様々な病気や 異常を変質という 一つの原因に 起因する様々な 症状の現れにすぎず、 それらが世代を 超えて形を変えて 現れるものとして 相互に結 び 付けたことであ る。 例えばアルコール 中毒患者の子供は 生得的に精神薄弱として 生まれるとされ た。 組織が原初的に 衰弱していたり、 頭蓋骨の形が 神経の発達を 妨げるよ う になっていたり、 あ る ぃは 母の母乳の中に 変質の要素が 含まれているかもしれなかった。 '。 特に精神疾患の 相互の関係を モ ノか は強調していた。 に 様々な病気の 一群は「遺伝という 法則が支配する 帝国」の一部であ り、 単 「同じ幹の異なる 枝 」に過ぎなかった。 はメランコリアにしろ 道徳的痴愚 (moralinsanity) にし ろ、 「常により深い 所で起こり、 すべてに及ぶ 生物的プロセス」 6 の一部だつたのであ る。 こうしてモ ノか は遺伝という 現象が語られる 文脈を一新した。 これまでの理解では 遺伝はあ くま でも個人の患者の 体質だけに影響を 与えるものとされていたが、 変質論の登場によって、 遺伝は有 機体としての 社会全体の健康をも 損なうこともあ るという、 より重大な意味を 担うことになったの であ る。 社会は一種の 身体であ り、 相互のネットワークであ るとされ、 この意味で社会という 有機 的身体は病んだ 成員によって 社会全体が汚染される 危険に晒されている。 モ レル自身の考えでは、 変質した一族はじきに 生殖力が衰え、 死に絶えるであ ろうから彼らが 増殖することはそれほど 心配 していなかったのだが、 時代が下るに 連れ、 変質した女性たち と 生殖力が喧伝される よう が表明される よう (娼婦や精神遅滞者 ) の旺 盛な性欲 になり、 中流階級が貧しく 変質した階級に 凌駕されてしまうという 危 ,惧 になっていく。 汚染された危険な 遺伝を持つ人々が 社会全体を脅かしていたので あ る。 こうした危惧は 1870 年代以降、 優生学運動へと 急速に収 叙 されていくことになる。 モ ノル の 変質論は 、 前の時代からあ った都市の下層階級の 退化とか衰退という 表現から一歩抜け 出て、 増殖的な社会の 病理的プロセスを 指すよ う 自己 になったのであ る。[7 このように遺伝という 生物学的現象が 突出して個人のみならず 社会全体に影響を 及ぼすものとし て立ち現れてきたことの 背景には、 専門家集団としての 医者が中流階級の 構成員として 18世紀以来 台頭し始め、 19世紀後半になって 専門家集団としての 威信と権 勢を確立し、 衛生や健康に 関して 独 l3 Ian R.Dowbiggin, 加力 eH がn 互ノⅠⅠadn ㏄ か, 月Ⅳ 毛sS ぶ ㏄ Bn 0 灯 リ ガ紐仮 イ ESwc 方メ按ょ H Ⅰ ぬ70W Ⅰ 憶 照 l7 めe 血 Ⅳ血 efee 丘訪 , Oe 皿 tuV E れ月 ce(University 0fCaIi № rnia Press,Berkele 払 1991),p.120 Morel, 皿aite,desⅢ脅血 eかescenceS セム短レ e毎eHuma 血 e,(Paris,1857:New York,1976).p.58 Pick,p.50. よあ Ⅱ, p,51 pick, p.22 ・ ,4 e ゾ 118 宮崎 かすみ 目的な覇権 を握るに至ったという 経緯があ る。 医者の中でも 精神科医は社会的にマージナル に 追いやられており、 な 位置 しかも彼らの 患者が伝統的にキリスト 教の施設に委ねられていたという 事情 は、 変質論がこの 後急速に広まったことの 背景として考慮に 入れる必要があ る。 彼らは従来の 聖職 者に取って代わり、 自然現象と身体生理の 関係について、 あ るいは精神と 身体の関係について、 キ リスト教的形而上学から 独立した新しい 合理的解釈や 説明を社会に 提供し、 専門家集団としての 社 全的地位を確立しようとしてこれに 成功したのであ る。 また病の治療者としての 地位を民間療法家 からも奪った。 彼らが聖職者と 競合する過程において、 遺伝という観念は 役に立つものだった。 メ ンデルの遺伝の 法則が再発見される (1900年 ) 前の時代であ り、 遺伝のしくみは 殆ど知られて い な かったにも 杓 わらず医学者たちは 遺伝という観念に 飛びつけたのであ る。 それは遺伝が、 精神と身 体の仲立ちをしたからだ。 精神科医の診断が 科学としての 権 威を持つためには、 内科医の診断と 様 、 狂気の原因が 身体にあ るという病因学の 観念に基づいているよ う 同 に見えなくてはならなかった。 狂気の身体的原因、 それが遺伝だった。田 「精神病を遺伝によって 理解するという 変質論によって 、 精神病院の臨床医たちは 病理的行動全般に 当てはまり、 しかも心理学、 生物学および 社会的な領域 に影響力を及ぼす 統一的概念を 手に入れることができた」 " 。 こうしてかつては 教権 力の下にあ っ た疽癩 院の狂人たちも 社会・政治的な 権 力の下に置かれ、その社会的意味が 問われる よう になった。 そして、 この時代に精神科医に 限らず、 医者全般は単なる 個人の治療者としてだけではなく、 社会 全体に関わる 公衆衛生を担うという 役割によって 一層大きな社会的威信を 引き出すことができるよ う になっていったのであ る。2。 変質論は、 さらに、 1860年代まで優勢だった 精神医学の流れとも 一線を画していた。 その一派を 代表するのは ピ ネル やエ スキロールらであ るが、 彼らは狂気の 外的症候の観察に 重きを置き、 精神 異常の原因を 身体の内部に 特定して想定することを 控えていた。 そして患者たちに 対して道徳的な にも ぅて よい るお で精 れに さ学 表医 発神 相も 期し 知る なく 的て の肉 画薄 理に 等で 字ま 神の 上質 経本 包べ月 埋め 病ル わ巴 ⅩⅡ@ Ⅱ Ⅱ 細レ 生し っ学 ての よ医 50 ブヒ ゥな 治療を心がけていた。 だが 55 年から 70 年にかけて、 クロード・ベルナール や ルドルフ・フィル ヒョ 従来の心因説への 支持は急速に 廃れ、 病の原因を脳細胞や 神経の病変に 求めようとする 時代の趨勢 に歯止めをかけることはできなくなった。 今や、 「医者の眼差し」は「個人から 病の過程を理解する 根本としての 細胞」 2'に 移ったのだ。 こうした趨勢は 脳細胞の微細な 病変に精神病の 原因を求める モ ノル の 説 とも合致した。 変質論が誕生し、 かつ急速に精神医学を 席巻したことの 背後には医学全 般 のこうした流れがあ ったことが指摘でき・るのであ る。22 だが、 モレ ル とても顕微鏡でしか 見ることのできない 脳細胞の微細な 病変だけでなく、 目に見え る、 変質による狂気の 指標となるべき 身体的特徴のリストを 確立しょうと 努力した。 例えば顔の非 対称、 頭蓋骨の奇形、 斜視、 神経質な動作、 麻疫、 チックなどであ る。 だが、 変質の可視性は、 観 相学や骨相学で 言われているほど、 単純な問題ではなかった。 確かにモ ノル はこれらの可視的特徴 を 「身体の烙印」 Ⅳ Dowbiggmn,p.6 lq 7b あ id,,p.5 として提示はしたが、 同時に病理は 眼に見えない 内部にこそ潜むものであ 20 Nye,P.41 2' サンダー・ギルマン『性の 表象 コ 大瀧啓祐 訳 、 青土社、 1997 年、 336 頁。 " この段落の記述は 以下に拠る。 Nye,pp.122 円 ること 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 119 を 再三、 強調してもいた。23 どんな知的・ 精神的な変化にも、 原因として必ずや 微少な脳細胞の 器 質的な変化を 伴 く う はずだと主張した。 『人種不平等論』で 悪名高いかのゴビノーもモ ノル より数年早 発表されたこの 書の中で、 退化という「 ( 民族の ) 崩壊の原因は 社会有機体の 生命そのものの 中に 隠れて潜んでいる」と 述べ、 退化が本質的には 眼には見えない、 内部に潜むものであ ることを鋭敏 にも指摘している。 例えば退化した 民族は「先祖伝来伝わるのと 同じ名を冠してはいるものの、 そ の 名はもはや同じ 種族を意味しない」 2。 。 その退化の作用とは、 ゴビ / 一にとっては 血の汚染であ た 。 ここには名に 値しない本質があ るという、 っ 名 と本質の乖離への 不安が読みとれる。 つまりか つ て 世界の事物が 外見によって 神の意志の下に 秩序付けられていた ( 「存在の大いなる 連鎖」 ) 時代の ようなナイーブな 表象への信奉に 取って代わり、 物事は眼に見える 通りではないのではないかと いう表象への 不信の俳がこの 思想には本来的に 付き纏っていた。 変質論に固有の「奥義と 神秘、 本 質的な不可視性の 感覚」 わ こそ、 大都市の無数の 顔がき群衆の 中に紛れ込んでいるかもしれない、 不可視であ るがゆえに一層危険な 他者し変質者 ) への不安と恐怖の 念の根本にあ るものなのであ っ た それらの背景にあ るのは、 1 9 世紀以来の文明化の 進展と都市の 悪しき生活環境であ る。 これほ ど 社会は高度に 文明化されたというのに、 眼の前に相も 変わらず存在する 獣のような生活を 送る都 市の貧民、 彼らの置かれた 劣悪な環境、 犯罪や自殺の 増加、 高い死亡率、 生活の悪弊、 はびこる悪 徳精神の病理等々。 これらの実態は 当時の人々には 文明化のパラド クスと 痛感されずにはいなかっ た 。 変質とは、 その意味では 文明とその申し 子の都市の病でもあ った。 ,。 モ ノル は変質を精神医学 の文脈に取り 入れ、 遺伝 りな社会的病理のプロセスにした 最初の人ではあ るが、 都市の貧民や 労働 由 音 階級をヨーロッパの 文明内部に棲息する 野蛮人、 未開 大 であ り、 degene 「 「退化」した 人々として表現する aCy という語はこの 時代、 むしろ慣用句に 属していたと 言える。y.7例えばルイ・シュバ リェ は 1 9 世紀前半の次のような 例を挙げている。 「‥・かりに 悪徳が頽廃 し 変質 ) をともなれない 場合 でさえ、 この頽廃を通じて、 悪徳は貧困と 同一人物において 結び付き、 危険なものとして 社会の不 安の正当な対象となる」 " 。 このように、 労働者階級や 貧民に対しても 広く堕落、 退化という概念 が 当てはめられていたことがわかるが、 当時の文脈では、 むしろ人種論に 現れるこのの 概念の方が より重要な意味を 持っていたと 思われる。 モ ノル も変質の概念を 採用するにあ たっては、 直接には " フーコーは T 言葉と物 の中で、 西洋近代において 生命の本質は 知覚しえない 深層に宿ると 認識されるに 至 る 、 認識上の革命が 起こつたと指摘している。 モ ノか も ビュ フオンの「覚部の 差異は内部の 差異に比べれば 何 ほどのものでもない。 ・‥生命あ るものの内部にこそ 自然の意図の 秘密が宿るのであ る」 (p.68) という 言 24@ Arthur@de@Gobineau Pick , p52 コ 葉 に再三立ち戻っている。 25@ , The@Inequality@of@Human@Races@(New@York , 1854:1999) , pp , 24-5 "' 古代の自然の 中で生きていた 人間ほど損なわれずに 健康であ り、文明が進展するにつれ、 人間は本来備わっ ていた本能や 能力を退化させ、 堕落するという 変質論の一変種の 古代崇拝思想は、 世紀末のイギリスの 社会 ェ ドワード・カーペンタ 一の著書の表題、 び ㎡仏日 瑳㎞・究S ぬ use 荻 dCUW 。 (1891) という表現 によく現れている。 本書は『文明、 その病因と治療 コ とでも訳されるが、 注目すべきは 文明を病と捉えている 点 主義思想家、 だ。 ロンブローゾにも Crymme,, 確 Caausean ゴ色払e という著作があ る。 ちなみにこちらは 1899 年にパリで初版が 出されている。 同種のタイトルはこの 時代によく見られるものであ るが、 これらの表現からも、 文明や犯罪とい 27@ う社会的事象を 、 病という身体 (身体は社会の 比 楡 ともなる ) の間 題 にすり替えるという 戦略が広範にあ たことが読みとれる。 Dowbiggin , p 151 "" シュバリエ、 ・ 前掲 書 、 139 ぺージ。 っ 120 宮崎 ビュ り フオンに依拠していた。 "de.generation"という語は、 18世紀の人類学の 非常に重要な 概念であ 、 人類という種における 様々な変種の 存在の理由を 説明するためのキー・ワードだった。 それが、 ナンシー・ステパンに い かすみ う ょ れば、 「人種的変質」のテーマは 19世紀後半には「社会・ 生物学的変質」と 、 より大きな構造の 中に織り込まれていったのであ る。'。 シュバ リェ も、 パリの労働者は「身 体において、 社会的にというよりも 生物学的にまったく 別の種族」㏄、 つまり異人種と 理解されて いたと指摘している。 産業化の進展によって 生じた大都市への 労働者の流入や 階級間の緊張などか ら社会的不安は 増大し、 労働者や貧民、 さらには「危険な 階級」等の集団を 社会のどこに 位置づけ、 ど う 解釈すべきかという 差し迫った課題にモデルを 提供したのは、 人種論だった。 そこで次に人種 論における「変質」概俳を 考察したい。 (2) 人類学における「変質」 18 世紀後半の人種生物学者たちにとっての 大問題は、 身体的・心理的な 諸特徴においてこれほど 違いの見られる 様々な人種は、 単一の起源から 発生したのか、 それとも異なる 多くの起源から 発生 したのかという 議論だった。 18世紀フランス 博物学界の大御所、 ビュフォン George 屯 ouis Leclerc Bu はnm は単一起源 説 に立ち、 様々な人種が 存在するのは、 気候風土、 食生活や栄養、 習慣・習俗の 違いに拠るのだと 主張した " ㎝つまり人類が 本来生まれ落ちた 土地から移動して 離れた場所で 暮ら すう ちにこれらの 影響を受けて 変化したのだというのだ。 そしてこの変化が「変質」なのだとされ た。 「変質」した 人種とは、 例えば、 アジア人種という 大きなグループ 中のモンゴル 人 、 中国人、 日 本人等の変異した、 つまり下部集団に 相当する。 この意味の変質とは、 環境適応により 低い水準に 堕落してしまうことを 指す。 この説明が 19世紀後半、 奴隷解放直後のアメリカの 黒人に適用されると、 熱帯のアフリカが 本来 の 生活の場であ る黒人が温帯地方に 移住して、 しかも解放され 自由になるという 社会・政治的にも 身分の激変を 経験すること 自体が、 黒人の人々の「変質」を 宿命付けるのだという 解釈を生んだ。㌍ 一方、 ヨーロッパでは 熱帯の植民地経営に 当たる白人たち 自らの運命が 科学者たちの 関心の的だっ た。 なぜなら、 この議論で行けば 熱帯に暮らす 白人は「変質」 したタイプということになるからで あ る。 この熱帯変質 説 には、 例えば人類学者のフォーク ト が根拠を提出したが、 熱帯地方の気候や 風土に白人がなじめず、 また病気に対する 免疫もむいためにそこでの 白人の罹病率や 死亡率が高く 、 さらに精神的および 性的な「変質」の 危険にも晒されているとする 見解が他にも 相次いだ。 ㏄そし て、 白人が熱帯の 悪しき影響を 蒙らないためには、 できるだけ本国の 生活習慣を保持し、 また本国 とのっが がりを保ち、 しばしば帰国して「消耗したエネルギーを 補充 し、 彼らの「タイプ」を 回復 させ、 海外生活で蒙った「変質」を 癒す」 他 、 現地の習慣・ 文化に染まらず、 現地人とも交わらな いことが推奨された。 ここで確認すべきは、 アメリカでは 変質はあ くまでも黒人という 他者の問題 であ り、 白人はその議論の 時外にいたこと、3。 他方、 ヨーロッパでは 変質は自らも 被る恐れのあ る 29@ Nancy@Stepan , "@Biological@Degeneratio ㍽ Races@and@Proper@Places";@in@Chamberlin@&@Gilman , p, 112 ,。 シュバリエ、 前掲 書 、 412 ぺージ。 31@ Buffon , tome@III 32 Stepan,pp.l00 Ⅱ ⅠあⅡ '。 あ くまでも環境適応としての 変質の問題に 限る。 とはいえ、 近年ヨーロッパ 移民の白人性そのものが 自明の ものではなく「白人」の 境界の可変性が 強調されいる。 次を参照。 David R.Roediger, Z 万 e 雁作 S が , p , 447 , 一 quoted@in@Morel , p 12 ・ 2 メ , p.103 ・ 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 121 自分たち自身の 問題として受け 取られていたことであ る。 この相違は現在のアメリカ と ヨーロッパ の 人種理論にまで 影を落とし、大西洋を挟んだ 地域での人種論の 趣をいささか 異ならしめている。'。 人類学において 了解されていた 変質のもう一つの 意味は、 異人種間の性的結合によって 生まれた 混血一 mongrel,half,caste,hybridity,intermediatetype 等と呼ばれていた 一によって生じる 生物 学的堕落一つまり 変質一であ る。 ヨーロッパ人の 人種についての 科学的思考には、 異人種の性やそ の 習俗についての 淫らとも言える 関心がそもそもの 初めから内在していた。冊 異人種についての 人 類学的記述は 科学や学問の 権 威を笠に異人種の 女性の秘められた 部分にまで赤裸々に 及んでいた。 それらは「ヨーロッパ 人にとってのポルノバラフ イ 一の代替物」 ト・ヤンバは 交雑の生殖性云々を 論じる人種の 理論は、 " とさえ指摘されている。 ロバー 「実は隠れた 欲望の理論だった」と 言う。田人 種 の問題には最初からセクシュアリティが 潜んでいたのであ る。 とはいえ、 魅了されていた 事実は あ くまでも潜在していただけで、 むしろ当時の 人々の認識はその 逆だった " Ⅵ生物は種の 保存とい ぅ 自然の法則ゆえに、 異なる種との 間の交接に対する 本能的な嫌悪感があ るというのが 一般的な見 解だったのだ。 ダーウィン以前の 人類学者にとって「「 種 」という言葉が 伝える本質的な 意味は 、 わることのない 永久的な差異」穏のことだったから、 「同じ性質の 変 個体の再生産と 他の種との結合へ 考えられていた。 種の境界線は 何としても守られねば ならない。 何となれば、 この世の秩序を 成す人種や階級、 民族集団の境界が 侵犯 t れ 消滅すると、 の嫌悪感によって」種の 統一性が保たれると 社会的混乱や 混沌状態に陥ってしまうだろうから。 18世紀には「存在の 大いなる連鎖」の 考えが、 人類を様々な 階級や人種に 分類し、 分離することは 自然の理に適っているという 主張を支持してい た。" 自然が人間をそのように 分離しているのであ れば、 異なる集団の 間の交雑は不自然だという ことになる。 とりわけ白人と 黒人の間の交雑に 対する嫌悪感は 根強かった。 そうした嫌悪感を 支持 するために、 解剖学者が白人女性と ㏄ 黒人男性の性器の 形状からして 交雑は困難であ ると主張するこ 爪刀ite皿 e ㏄ (№ ndon&NewYork,Verso,1991). さらに人種の 柑 禍 であ るアメリカは 他のどこよりも 人種間 混血による変質の 危険に晒された 国としてつとに 悪名高かった。 例えば以下を 参照。 虹 thurdeGobineau, ℡ e7nneq砧妨ゆ o/Huuman RacesW1854:1999,New York). この点については 次を参照。 血 bertJ.C Ⅳoung, Coわ月 a7% ㏄かがめうH 加ゆ油皿 e0rア Cu んHTea コカ月Bce (London & New 而 rk,Routledge,1995),pp.175-82.. 本書で著者はサイード 流の で 二教的二元論による 自己 メ 一 他者モデルの 陥りがちな 陥 穿を異種配合論にれは 変質論でもあ る ) によって切り 開こ う としている。 ヨ ーロッパで認識されていた 自らの白人性をも 掘り崩される 恐れのあ る変質という 概念は、 固定的で本質主義 的 カテゴリーを 創り出す傾向のあ る自己と他者という 二項対立とは 異なる、 より可変的で 時間的な人種概俳 を 導いたとされる。 3h Stepan, p.105. Ann Laura Stoler, Aace University ̄ress , 1995) 37 S も ePan,P.105 3H YOUng,P.g '。 , p, an ガょ力e E ゴリ ㏄打切 0/ つり s かe (Durham&I 刀 nd0n,Duke 184 以下は同時代の 証言。 (性の ) 衝動がどれほど 強かろうが、 またこれがために 種の持続が可能となっている 「 のだが、 他の種の個体との 交接に対しては 同じ程強い嫌悪感があ るよ う であ る。 (William Lawrence, ムe がⅡⅠ @eson 月@hyS紘援ogyア Zoo0め% an ゴ坊 eNa 尻 ur 田 HAysめ㍗が Ma皿 , 1823,№ mdon, p.224.) ちなみにロレ ンスのこの著作はあ る意味でダーウィニズムを 先取りする遺伝の 見解が社会を 危機に陥れるとして 発禁処 分になった o (Pa Ⅲ Fryer,Staayin 月窩 Po0weer:Th 方 e@fSStor ア of 坊 eBlack 血 Brrtaz 打,№ndon,1984) 」 40@ Lawrence , ? , 224 4@ Stepan, 山方 ezdeeao/Ra ㏄ 血 6 目e 皿 ce',Gがe 尻 BrJ 旗血, 1800-1 タ は 0(London,Macm Ⅲ an,1982),pp.6-12. 本書 は イギリスの科学的人種論の 格好の概説書であ る。 本節の記述は、 本書の chap.l "Race and the Return of the Great Chain ofBeing, 1800-50"および chap.2 ,RaceisEverything, に依拠した。 122 宮崎かすみ とさえあ った。盤 異人種のセクシュアリテ ィ は、 ヨーロッパ人に 嫌悪と魅力という 二律背反の感情 を掻き立てる 源泉であ ったらしい。 とはいえ、 初期の人類学者たちは 異人種間の交雑が 可能であ り、 しかもそうした 結合が多産であ ることは事実上知っていた。 18世紀における 種の定義は、 ビュフォンが 確立した、 同じ種の個体 同 士は交配可能であ るというものであ る。 だから あ ビュ フオンは単一起源 説 に立ち、 人類は一つの 種で り、 どの人種の間でも 完全に交配可能であ ると主張していた。 19世紀前半までの 人種をめぐる 論 調は 、 イギリスの人種生物学を 率いていたプリチャードの 単一起源 説 によって代表されていた。 プ リチャードは 西インド諸島でムラート 一クレオ ルと 黒人との混血 一 が急激に増えていることを 例に して、 彼らの生殖能力が 完全であ ること、 つまりどんなに 懸け離れた人種の 間でも交配可能であ る こと、 人種は種ではなく、 変種にすぎないことを 明言している。43 ところが、 プリチャードの 誇ら しげな確信も、 1840年代以降、 比較解剖学や 頭蓋 単 に基づく新しい 人種論によって 反駁され始め、 むしろこれ以降は 人類の多 源 発生 説 が主流を占めるようになる。 人種は種であ るとされ、 異人種 問 の 交配に対してそれまで 使われていた mongrel に代わって異種間交配を 意味する hybndity という語 が当てられるようになるのもこの 頃 からであ る。 後者はプリチャード や ロレンスが人種は 変異にす ぎないからとして 人間に適用するのに 反対していた 語であ った。 このように、 19世紀の後半になり それまでの啓蒙的な 人間の平等性を 支持する論調は 影を潜め、 階級・人種といったジャンルの 境界 線を厳密に措定しようとする 保守的な傾向が 強まっていった。 そこで、 現実に存在する 白人と黒人 との混血の問題をいかにして 説明するかという 問題が生じる。 その問題を解決したのは、 ダーウィ ン による種と変種をめぐる 問題の解消と、 人種的変質という 理論であ った。 周知の通り、 ダーウィンは T 種の起源上において、 種 とは固定されたものではなく 自然淘汰によ って変わりうるものであ り、 変種は種になることもあ ることを明らかにした。 それまでの議論の 前 提は 、 種は神によって 造られた不変の 本質であ るが、 変種は時間と 環境によって 造られた自然の 産 物であ るというものだった。44 とはいえ、 どれほど大きく 変化した変種が 生じようとその 逸脱には 種の限界があ り、 その限界を変種は 超えることができないとされていた。 この、 種の限界が超え も れるものであ ることを 1859年に初めて明らかにしたことはダーウィンの 業績であ った。 ダーウィン にとって 種 と変種との間に 本質的な相違はないのだから、 これまで単一起源論者と 多 源 起源論者た ちを悩ませてきた 種の定義の問題に 種 と変種を区別して 考えることは 意味がなかった。 異種間交配 がどこまで完壁に 可能でどこから 不可能になるかということを 特定するのは 当時、 困難であ るとさ れていたが、 この事実も 、 種 と変種の間に 本質的な相違がないという 主張の裏 付けであ るとダーウ インは考えた。 実は例の ビュ フオンの種の 定義一同じ種の 個体同士は交配可能であ る 一は 、 人間の 種 が一つか複数かという 議論にそれほど 確かな物差しを 提供してはくれなかったことがプリチヤー ドや ロレンスによって 当時から認識されていた。 この基準にあ てはまらない 例外の動物が 多かった のであ る。 そのためにロレンスなどはブルーメンバッハに 倣って「類推と 蓋然性」 という基準に 従 う べきだと主張したほど、 種の概念は扱いにくいものだった。 ダーウィニズムが 人種の議論に 与え た 影響とは、 人間の種が一っか 複数かという 議論から、 「タイプ」という 概念へと議論の 土俵を変え " Stepan,p.105. 人種交雑による 血の「汚染」問題は 1770 年代までにはすでに 人種主義の論客達の 格好の テ 一%であ り、 オブセッションでもあ った。 Fryer,Chap.7"Ther 胎eofEngl 聴hrac ㎏m" を参照。 " J.C.Prichard, Stepan , p , 36 44@ 先方 eN 尻 ℡田 H ゐt0r7 ㎏ 丘 , pp.18-9, 0「 ノ qu0ted inY0ung,p.l0 変質論 とョ 一ロ ツパ の内なる他者 る 流れに 悼 さしたことであ る。" 123 「タイプ」という 概念は 50年代から使われ 始めていたが、 それは 人種と種の両方の 含意があ りながらも人種や 種のような理論的および 用語的厳密 便利な語だった。 「タイプ」という さ ・難解さのな い 概念は不変で 生得的なものであ るとされ、 歴史が示すところの 常 識を拠り所にした 人種の観俳と 合致していた。 これで人種が 種であ るか変種であ るかという厄介な 問題に蓋をして、 人種的タイプという 永続的で安定的な 概念によって 人種の問題を 論ずることがで きるよ になった。 う もう一つこの 問題に解決の 手掛かりを与えてくれたのが、 「変質」概俳の 新たな展開であ ったが、 これは異なる 人種的タイプ 間の交配可能性の 問題から生じた 概念であ り、 19世紀の科学的人種論の 中心的議論の 一つだったので、 イギリスの解剖学者ロレンスの 説を手掛かりに 少し詳しく立ち 入り たい。 プリチャードの 言 う とおり、 ムラートのような 混血が存在し、 しかも彼らの 生殖能力が完全 であ るらしいことはその 数が増し続けていることからしても 眼を覆 う べくもない事実であ った。 だ が 、 人種間交雑に 対する人々の 嫌悪感は抜き 難く存在したし、 種の統一性の 保持の正当性も 守られ ねばならない。 また、 人種は種であ ると主張したい 人々にとっては 受け入れたくない 事実でもあ っ た。 ロレンスの説明はこの 点に関する 19世紀前半の過渡的な 思考をよく体現している。 彼も ビュフ オ ン や プリチャードと 同じ立場を取り、 人種は人類種の 変種に過ぎないから「 hybrid は人類 種 にお いては決して 生まれることがない」 その舌の根も 乾かない の hybrid 」 う 4"として墓木的に 人類の hybridityの可能性を否定するのだが、 ちに、 人類については「同じ 一つの種の変種同士の 交接による結果として 47という意味と 断りながらこの 語を使 う 。 「こうした結合はその 次世代の色、 形態その他 の性質を変える 力、 大であ る」。 つまりこの異種配合の 結果生まれる 形質上の変化 一 これを「変質と いう自然のからくり」と 呼ぶ一、 それこそが人種相互の 多様性の原因であ るとした。 様々な人種が 存在する理由をビュフォンの 言 り う 環境に影響されたゆえの「変質」にではなく、 人種間交配、 つま hybridityによる「変質」に 帰したのであ る。 「地球上の様々な 原住民の異なる 肌の色は、 気候の 直接的な影響によるのではない」。,。 強い日差しに 長い間晒されている 白人の肌の色が 褐色や茶色に なったとしても、 そうした「覚的影響が 及ぶのは一代限りであ って、 生殖によって 伝わることは 決 してないから 種族 (race) 全体に影響が 及ぶことはない」 鵠。 ところが、 黒人がヨーロッパ 人と交雑 すると、 ムラートと呼ばれる 第一世代の混血は 色、 容姿、 精神性において 両者の中間にあ たる子供 が産まれる。 ムラートと白人の 交雑があ と 2 代も続くと (Quarterons等と呼ばれる ) 白人と見分け がっかなくなるが、 ジャマイカでは 白人と同等の 法的権 利は認められていないという。 「見た眼こそ 分からないがまだ 黒 い 血の汚染の残 倖 があ るからであ る」 50。 こうして、 ロレンスは ビュ フオンの環境適応 説 としての変質論から 異種配合 (hybridity)による人 種的変質論へと、 変質論の文脈を 大きく変えた。 さらにこうした 人種交雑による 変質の結果、 ョ一 ロッパ人の「質が、 黒色や赤い血の 混血によって 劣化している 一方、 白い血の混入が 有色人種の質 を同じ程度に 高め改良している」 45 Y0ung,} 13 46@ Lawrence 47 Ⅰあゴ ・ , p . 251 Ⅱ,P.252 48@ Ibid , , 49 Jあメは 50 Ⅰあ 5l 7b あ メは p, 457 , p.471 7d ,p.254 , p.257 5,と 主張する。 このような交雑による 血の汚染としての 変質は 、 124 宮崎 かすみ 変質論をセクシュアリテ ィと 結び付けた。 さらに言えば、 この変質概念によって、 人種主義と セク シュアリティとの 連携が可能になったのであ る。52 ところで 多源 主義者たちはロレンスの 単一起源の文脈を 無視して、 hyb idity 「 を異なる種の 間の交 雑 という本来の 意味へすり替えた。 そして「白色人種が 人種交雑によって 劣化している」という 見 解 が彼らによって 盛んに引用され は 彼の著書、 喧伝された。" スコットランドの 解剖学者ノックス RobertKnoX ℡ eR ㏄㏄㎡ Me㏄ (初版 1850年、 拡大版 62年 ) の中でこの意味の 変質論をさらに 展開し て人種間の交雑可能性の 問題に新しい 解釈の可能性を 開いた。" 彼は交雑可能性自体を 問題にする のではなく、 その生殖に活力があ るかないかを 問題にしたのであ る。 たとえ生殖は 可能でも同世代 かの交雑の結果次第に 活力のない子孫が 生み出されていく、つまり変質してしまうというのであ る。 ノックスは ェド クヮル ドE.F.Edwardsの「先祖返り」 (reverSion) という考えを 使って、 異人種間交 雑はたとえ生殖力があ っても、 何代か 後には「その 子孫が本来発した 種のどれかに」逆戻りしてし まぅ だろうと述べる。 人種間の交雑可能性と 雑種世代の生殖可能性は 否定しがたい 事実だったが、 数 世代後の変質を 証明するとなると、 これは殆ど不可能なことだったのでこの 変質の理論は 大変 有 効 だった。 なるほど生殖は 可能であ る、 だが 何代 かそうした生殖を 重ねて行けば「変質」した、 本 来の種から脱落した 個体が生み出されるであ ろう、 というわけだ。 こうして異人種間の 交雑を嫌悪 する社会の要請に 合致した、 異人種間交雑の 結果の変質という 概念が提唱され、 これが異人種間の 交 配 可能性を反駁するのに 最も強力な理論となり、 19世紀を通して 覇権 を握り続けることになった。55 その後、 人種論の文脈で 語られる変質と 言えば、 この人種交雑の 結果の変質という 意味を指すよ うになる。 これは ビュ フオンの環境適応としての 変質とは別の 系譜を成し、 ビュフオンの 言う変質 から出発したモ ノル の変質論とも 微妙に色合いの 異なる言説を 生産し続けた。" 前者の変質論は 、 ゴビノー伯による 最も過激なる 展開を見た後、 ダーウィン進化論によって 様々な人種が 進化という 時間軸に沿って 一元的に配置されるようになるや、 先祖返りという 解釈が定着した。 そして植民地 異種配合としての 原住民と共に「混血の 人々は奇妙な 程に野蛮で堕落している」。,という、 52 Stoler,p.31.またこの点に 関して Young は、 hyb 「 idity は へ テロ・セクシュアリテ ィ 退化・ のポリティク ス を暗黙 のうちに内包していると 指摘する。 この議論で焦点になっているのは 異人種間の性的結合とそこから 生じる 混血の子孫だからであ る。 同性愛は人種化されたセクシュアリティという 同じ弄言 正、法の中にあ るものの、 生殖力がないので 問題にならない。 hybridityの文脈においてはむしろ 同性愛のこの 利点ゆえに異人種 問の それが奨励さえされていたことを 而 ung は指摘している (㍉ ung,pp.25-6) 。 この hybridityが同性愛と結びつ くのは、 ヨーロッパに 移植された変質論においてであ る。 r> 1@ , Stepan '。 № une.P.14. " ムあ ゾな "。 , p 107 ・ 以下の記述は 本書 Pp.14-6 に拠る。 , p.l5 モ ノル の変質の概念は「原型からの 病的逸脱」であ り人類学者が 異なる意味でこの 語を使っているのは 彼自 身、 充分に意識していた。 「人類学者たちが 我々のと違 う 意味で無頓着に 使っている」「「変質」とか「変質 した」とか「種の 退化」といった 用語」は、 「我々の問題関心とは 異なるカテゴリ 一に適用されている」 から違いをはっきりさせなければならないと 述べている (Morel,p.l5L。 両者の本質的な 相違は、 外向り環 境 によって生体が 変化するという 立場を取るか 否かに還元される。 変化すると取る モ レル等は変質の 原因 として外的環境への 適応不全をあ げ、変化しないとする 人類学者等は 異人種間交雑をあ げる訳であ る。 ち なみにモ ノル は異人種 問 交雑を変質の 原因どころか、 むしろ人種再生 (regeneration) を実現する手段であ る と 希望を託している (Morel,Chapitrel5eme参照 几 変質論の二つの 流れについては 次も参照。 Navarette,pp.242-3. John Lubbock, ℡ e OrxgU伍がび ガ刀女 a むう 丘 an ゴ坊 e 7%@emi 仮WCoo 丘祐ガり月 0/7ぬ刀 (New York.1870),quo in Stepan.p. l10. Ⅰ ねd 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 125 変質と未開・ 野蛮性を等価に 結び付ける見解が 広まった。 これにより進化の 対概念として、 「退化」 という意味の 変質論が地歩を 得た。 イタリアのロンブローゾは 先祖返り説に 基づき、 ヨーロッパの あ る種の犯罪者は 隔世遺伝的に 先祖返りした 生まれっきの 犯罪者という 人種であ るという自説を 展 閲 した。 犯罪者を始め、 同 ,性愛者や娼婦等はひっくるめて、ヨーロッパに 生まれつきながら 自然の 気まぐれにより 原始・未開の 状態に先祖返りして 生まれて来てしまったという 彼の説は、 反論も多 かったが、 お馴染みのギボン 的な衰退テーマの 焼き直しのような 言説は変質を 先祖返りど解釈する ことにより容易に 取り込まれていった。甜 その他に、 フランスの人類学者ブローカ や ドイツの 多源 発生論の進化論学者であ るフォーク ト らの論客がこの 立場の変質論を 喧伝した。 メンデルの遺伝の 法則の再発見 (1900年 ) 後も異種配合による 変質という説は 生き残り、 20 世紀には優生学へと 収 叙さ ね 、 ヒトラ一によって 人種交雑による 血の汚染という 変質論のディクションが 黙示録的な響きを 込 めて繰り返されていたことは 我々のよく知るところであ る。 勿論、 モレ ル のように変質を 悪しき 環 境 という外的要因によって 獲得された生体の 機能不全であ り、 むしろ都市の 人工的な環境や 文明の 発達の歪みによって 引き起こされる 文明の病であ るとする見解も 表明され続けた。 結局変質がどれ を 意味するかについての 最終的な決着はつかないままだったが、 にも 杓 わらずこの理論の 吸引力は 衰えを見せず、 その卓越した 地楡機能によって 社会衛生政策のガイドラインとしての 役割を担い続 けたのだった。 や (3) ヨーロッパ内部での 異人種の創造一人種論をてがかりに 一 19世紀半ばまでには 変質という概念は 人類学の覚部においても 一病理医学、 精神医学、 犯罪学 一 次第に地歩を 獲得しつつあ った。 変質は混血や 植民地に住むヨーロッパ 人だけの問題ではなくなり、 ヨーロッパ文明のお 膝元で、 文明そのものがその 内部に文明人の 名に値しない 人々を生み出してい るのではないかという 疑念が人々の 意識に上るところとなりつつあ った。 というのも 1 9 世紀半ば 以降からヨーロッパ 各地で諸地域が 徐々に国民国家的編制に 収 叙 されつつあ ったのだが、 国民国家 が前提とするのは 法の下で平等かつ 均質な国民であ った。 国家の境界線の 内部においては、 国民と 名乗る以上は 法の下での基本的人権 が保障されるが、 それはあ くまでも一定レベル 以上の資質を 備 えている均質な 人民であ るがゆえに許される 権 利であ る。 だから国民国家と 同時に国民も 創られれ ばならなかったのであ る。 そこで問題となるのは、 どこに「国民」の 境界線を引きどういう 人々を 国民の外部へと 囲い込むかということだった。 確かに、 均質で平等な 国民という目で 国中を眺めれ ば 、 その基準に到底叶わないと 思われる人々は 余りにも多かった。 政治的形式としての 国民国家の 体裁が整ったとしても、 真の国民が創出されるのは 容易ならざる 課題であ った。 国民国家の編制過程において「国民」から 取りこぼされたこうした 人々の存在を 説明し、 彼らに 相応しい位置を 与えるのに機能したのが 変質論だった。 そして彼らを 説明する際のお 決まりの参照 項は植民地の 原住民だった。変質論自体が 、 先ずはお馴染みの 野蛮人のイメージを 取り込んだ上で、 それをさらに 転用してヨーロッパの 内部にいる白人の 他者へと投影され・ていった 経過を、 この節で は考察したい。 モ ノル が彼の変質論を 展開する際に 議論の出発点としたのは、 植民地の未開 人 ・野蛮人たち、 っ 58 RudiC. 5g zbあ iよ , pp.155 ょ力 Bleys, Z 万 e Georgraa夕ゐ グ 0/ アぴ陀Ⅸめn,. 楓wee. め -切りreSee Ⅹua e 丘妨刀9 名巧『 cAm 多血 力ぶ 一 56 召 按ょぶ 0 打 /Z万り -7リ タ Ⅰ ムe 力 a 万our out 甜dee 妨 e 仰 W sEa (L0ndon&New York, CasseIl,1996),p.155 リガ 126 宮崎 まり異人種であ った。 ここで当時の かすみ コ モロッパで植民地原住民が 人類学的にどのように 理解されてい たかを確認しておきた い 。 18一 19世紀における 人種についての 議論は、 文明論に体ならなかった。 60 ㎝ そもそも啓蒙主義者たちにとっては "civilization" という語は「人類の 進歩の過程」を 意味しており、 ヨーロッパ人と 未開・野蛮人との 懸隔をど う 理解するかが 彼らの文明論の 要だった。 つまり人類の 歴史を双者から 後者への発展的なプロセスと 捉える啓蒙主義者の 歴史観 か 、 それとは正反対に 後者 の 状態から前者の 状態への堕落的変化と 捉えるユダヤ ,キリスト教的な歴史観かという、 文明と未 開を結ぶ方向が 正反対を向いている 歴史観が併存していたのであ る。 無論、 聖書の創世記に 書かれ ている人間の 歴史の記述一人間の 堕落、 ノアの洪水、 バベルの塔、 諸民族の系譜 一は ダーウィンの 且きィぜ まで広く人々に 受け入れられていたものだが、 聖書が伝える 人間の 5,6 千年などという 短い ス パンの歴史観は 、 様々な証拠から 再三の挑戦を 受けてもいた。 たとえば 新 プラトン主義の 歴史家の ヴィーコやジョン・ロック、 モンテスキュー、 アダム・スミス 等の鈴々たる 知識人たちは 人間の精 神の発展や文明の 発達を信じていた。 にも 杓 わらず、 過去から受け 継がれた最も 主流の精神的歴史 モデルは、 聖書の堕落 説 にせよ、 また原始黄金時代神話にせよ、 発展と衰退のサイクル 説にせよ、 堕落と退化のプロセスだった。 を 保証する世俗的な 「歴史は衰退の 証拠ならばふんだんに 提供してくれたが、無限の進歩 歴史モデルなどなかった」㎝のであ る。 モシ ルはこうした 知的伝統からがかに 彼の新しい堕落の 考えを導いたのだろうか。 彼は 、 自らが 打ち立てる「人類の 正常なタイプからの 病的な逸脱」としてのディジェネ、レーションを 定義するに あ たり、 まず聖書以来の 伝統があ り、 偉大な博物学者のビュフォンやプリチャードも 唱える環境適 応 としての人間の 生体組織の変化と 自説とを区別することから 始める。 ペルー の 山岳地帯に住むあ る 種族が、 空気の薄い土地に 適応して 肺 容量が増大した 例や、 食習慣のあ まりに異なるエスキモー とアラブの人々が 脂肪質でずんぐりした 体型と痩せ形で 筋肉質の体型とに 分かれる例などを 挙げ、 自然風土の相違とそれによる 生活習慣の違いによって 身体上の変異が 生じ、 それが遺伝的に 子孫に 蓄積されていくのは、 あ くまでも自然の 環境適応であ ると強調される。 そしてそれは 必ずしも低い 方向に向いているとは 限らず、 完成へと向かっていくこともあ ると指摘する。 ㏄ 一方、 モレ ル が言う「病的な 逸脱」は、 「病理的原因の 結果生じるものであ り、 もっと内部からの 根本的な変容を 伴 う 。 そうした人々は 人類種から、 まさしく堕落した (degenerescences)階級を形 成するのであ る」㏄。 こうした例は 人類学者のように 地球上から例を 引くまでもない、 フランス 内に見られる 現象であ ると言 う 国 彼が挙げるのは、 沼沢地や塩田の 地方に暮らす 人々の身体が 示す悲 惨な堕落・変容であ る。 そうした地域では 長 い間 、 割り当てられた 徴兵制度に兵士を 供給すること ができず、 身長が足りなかったり、 虚弱な体質などで 返される者が 殆どであ る。 子供たちの発育が 悪く、 顔色も悪くむくみ、 四肢は脆弱で、 腹 部は膨張しているような 人々ばかりが 目につく。 この 例のように、 塩田という沼沢地の 特殊な原因によって 病的な身体的変化あ るいは精神的変化が 引き 起こされていることが、 モレ ル の変質の基準なのであ る。 つまり、 移動等による 棲息環境の変化に よって引き起こされる 環境順応としての 生体・器官の 変化は「自然な 堕落」であ るが、 人体に有害 で特殊な要因によって 引き起こされる 変化は、 「病理的な堕落」とされ、 後者こそがモ ノル が新しく 。。 以下、 人種論の一般的歴史の ㎝ Ⅰあメは , p. 16 62@ Morel 63 Ⅰあメは , P.26 , pp . 23-32 記述は S ぬ eking,pp.9-45 に拠る。 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 127 提起した「変質」なのであ る。 モ ノル は言葉足らずな 彼の変質の定義をいささかなりとも 明瞭にするために、 次に「退化した 種 族 」、 アフリカや南米の 原住民を引き 合いに出し、 彼らと比較・ 対照することでさらに「病理的な 堕 落」、 つまり変質との 相違を際だたせようとしている。 アフリカの原住民の 中でも、 いや「あ らゆる 種族の中で最も 堕落し、 最も惨めな」㎝ 状態にあ るブッシュマン (BoschiSmans)やホッテントット Homo OrangGibbon の 例を人類学者のテキストから 引用し 、 彼らを人類 種の と類人猿の や との過渡 的 種族と見なす 見解さえ紹介しつつ、その堕落した 状態を詳述する。 「彼らは理性を 持っているとは 殆ど言い難く 、 彼らの言語はその 思考と同様不毛であ り、 我々の言葉とは 似ても似つかない、 一種 の 「鳴き声」のようなものになり 下がっている。 身体は臭気を 放つほど不潔で、 いつも獣脂や 自分 たちの尿を塗りたくっており、 洗ってさえいない 動物の腸や内臓を 身体に飾りつけている.…」。他 の著述家の手による 文章の引用を 延々と続けた 後、 モレ ル は、 こうした種族は 日々の生活のあ り方 によって堕落したのであ り、 かつてはもっと 信心深く、 より高い文明の 段階にいたのであ ると述べ る。 そして、 こうした人々の 精神的な劣等性は 、 必ずしも病的な 堕落によるものではなく、 またそ の 精神的劣等性ゆえにこれらの 人々を人類 種 とは異なる一つの 種として括ることもできないと 言 う こうした哀れな 種族が余りに 低い生活水準にいたために 至った精神的レベルの 低下を、 人類の正常 の種からの病理的逸脱によって 引き起こきれた 精神的劣等性と 区別してこう 述べる。 最も野蛮なブッシュマンの 知的状態と文明の 階梯を最高度に 前進しているヨーロッパ 人の間に は、 一般のヨーロッパ 人と変質したヨーロッパ 人のそれとの 間程には大きな 違いはない。 変質 した ヨーロッパ人の 知的発達の停止は、 先天的か後天的かいずれかによる 脳の萎縮によるので あ り、 低能、 白痴、 痴呆といった 名称で指し示す 所の病的状態が 惹起されるのもこうした 原因 によるものであ る。f,5 これは驚くべき 見解であ る。 彼はブッシュマン 等の未開・野蛮人の 生活の悲惨さ、 精神生活の低 と さ いった堕落の 状況をあ れほど生々しく 紹介した後に、 ヨーロッパの 文明社会の内部で 変質した 人々というのは、 それよりもさらに 低い状態にあ ると言 う のであ る。 モ ノか は、 未開人の堕落の 状 態 をつまびらかに 再現することによって、 その具体的イメージを 利用して、 ヨーロッパ人の 中の変 質した人々という 新たな種族のイメージを 作りあ げたのであ る。 ちなみに野蛮な 生活を送るアフリ 力や アジアの原住民を 堕落した人々とみなすイメージは 広く共有されていたとはいえ、 彼らを高い 状態から堕落したと 見なすか、 これから進歩へと 向かう第一段階にいると 見なすかについては、 決 着 がついていた 訳ではなかったようだ。 例えば、 モレ ル が引用する著述家は 南アメリカ大陸の 原住 民の悲惨な状態について、 「彼らは人類の 正常な発達の 初期の段階にいるのではない。 彼らは原始人 なのではなく、 むしろ我々がそこにみるのは 堕落した人間の 姿であ ィクトリア朝の 宣教師でもあ った探検家リヴィングストンが ニ る」 f66 と評している。 他方、 ヴ 南アフリカ宣教旅行記』 (1857)の中 で 原住民を描く 筆致はキリスト 教色の濃い、 堕落 説に 拠っている。 以下はバカラカリ (The Bakalakari)放 という種族についての 記述であ る。 Ⅸ,p.39 "4 ムあメ 65@ Morel 666 ムあ イは , p . 46 , P.38 128 宮崎 かすみ バカラカリ族はモトラツァルの 源流の近くに 住んでいる種族で、彼らは私たちにいつも 親切で、 また彼らの言葉でもって 何かを教えてあ げると熱心に 聞いている。 とはいえ、 こ う やって教え たからといって 彼らに少しでも 効果があ るとは我々ヨーロッパ 人には到底思えない。 なぜなら、 何 世紀にも渡る 野蛮さと生活に 最低限必要な 品を得るための 厳しい闘争の 中で生きてきたせい で 彼らの精神がどれほど 堕落 (degradation) してしまったのか 誰にも想像できないほどだから だ。 ( 中略 ) 我々が脆いて 神に祈りを捧げると、 その姿勢やら 動作が彼らにはよほど 滑稽に見え ら る しく、 連中、 それを見て大笑いするのであ る。B7 これはいかにも 宣教師らしく、 厳しい現実の 生活の戦いの 中にあ ったという一般的な 堕落の原因の 向こうに、 神への信仰心の 喪失を見ていることが 後半部の記述から 伺える。 この -ことからも、 モレ かめ 主張する新しい 堕落論がキリスト 教の思考様式の 中から生まれたことが 確認できよう。 モ ノか は未開人の人類史上の 位置を巡る当時盛んだった 議論をいかにもうまく 利用した。 彼らが 進歩の階梯の 始まりにいるのか、 逆に高い段階から 落ちたのか、 見解が錯綜していたからこそ、 人 類 種 として完成の 域にいるヨーロッパ 人さえ未開 人 と同列、 あ るいはそれ以下に 落ちることもあ り 得るという可能性を 前提に議論を 組み立てることができた。 モ ノル が人類学者の 記述を引用してち り ぱ める未開人のおぞましさ、 「人間の クズ としか見るほかはない、 敵の血を貴 むべきイメージを 突き付けられたヨーロッパ 人読者は、 彼らが自分たちの り 飲む人々」 " の忌、 祖先なのか、 それともな れの果てなのかについて 思いを巡らしたに 違いない。 モ ノか は、 なれの果てなのだと 唱え、 しかも その段階は思いの 外、 ヨーロッパ人にとっても 近しいし、 それどころかそれよりも 低い段階に堕ち た 人々がヨーロッパの 中にさえいると 説いたのだ。 このように、 モレ ル は、 未開 人 ・野蛮人といっ た異人種の堕落のイメージをヨーロッパ 内部の「病的に 逸脱した」人々へと 転移させた。 その上 、 人類と別の種をなすという 説を否定されている 未開人よりも、 ヨーロッパ内部の 変質者の方が 正常 のヨーロッパ 人から懸け離れていると 主張することによって、 変質した種族は 人類 種 とは異なる 種 をなすということさえ 人 めかしている。 ヨーロッパの 階級社会では、 既にシュバリエの 引用で示したように、 下層階級は異人種という 植 民地的なメタファ 一によって表象され、 階級間の相違が 明確にされていたが、 また逆に中流階級か ら隔絶された 下層階級の存在が 異人種を理解するためのアナロジーとして 役だってもいた。 ジャマ イカと イギリスにおける 人種と政治についての 著書の中でトム・ホルトが「階級という 言語は人種 について思考するための 語彙を提供したであ ろうし、 またその逆も 可だった」 に、 6。 と述べているよ う 階級と人種はヨーロッパの 内部と植民地とで 相互に転換可能な 言葉であ った。 それは人種主義 の根源が貴族の「青い 血」や支配者の 神性といった 階級イデオロギ 一にあ るというアンダーソン、 そして フ一コ 一の主張とも 合致する。 7。 ヘンリー・メイヒューが 1848-51年にロンドンの 貧民たちの "' DavidLivings ぬ ne, 九力 7sS ㎡㎝ ary ℡凄 れぬ 肋 d Resea 托; es 血鰯 Ⅰ功力 丘が ca (London,1857), p.157 68@ Morel 69 Tom Holt, ℡ ePr のMemoffree , p , 330 7。 ( 白石さや 他訳 、 NTT. 出版、1997 年 ) 、 245 ぺージ。 フーコー の場合は raciam は「種族的差 SlJ」と訳されている ( フーコー『性の 歴史 1 知への意志コ 渡辺守章訳、 新 潮 社、 1986 年 ) 。 アンダーソン、 フーコー共に raclsm の語源が貴族的起源という 点では一致しているが、 前 ぬm (Baltimore,1992),p.308,quo ね d in S ぬler,p.123 ベネディクト・アンダーソン『想像の 共同体』 者の場合は人種主義が 階級に由来するとしているのに 対して後者は 階級の言説は 人種に由来するとされる。 変質論 生活についての 調査を墓にした 丁 と 129 ヨーロッパの 内なる他者 ロンドン路地裏 の生活 誌 』において、 ロンドン中心部の 街は「 ロ ンドン市民の 大多数にとってアフリカ 中央にあ るチャド湖と 同じように ニ 未知の大陸 コ (terra incognita) 7'のようなものだとアフリカの 暗黒大陸に 楡 えられ、 「ウェストミンスタ 一の法廷に鎮 」 座する裁判官と ぺ ティコート・レインのユダヤ 人古賀商とを 道徳的に較べれば、 コーカシアン 人種 と マレ一人種ほどの 違 いがあ 」 り ,「人類学者が 様々な人間の 種類を 5 つにした」のはいかにも 少な すぎるようだった。 ho 年代以降、 リヴィングストン や スピーク JohnHanningSpeke 流 発見 記 』 (ぷou のⅡナイル 源 切り㎡ 妨 e りもcoweerァ 7%eSoourcee ㎡ 坊 eNiJe,,¥863) 等のアフリカ 探検 記 ・旅行記 が次々と刊行され、 暗黒大陸の深部までもヴィクトリア 期 中期の読書人たちの 知る所となりつつあ っ たのだが、 メイ ヒューも大都会のまっただ 中にあ る暗部に分け 入る旅行者よろしく、 そこの「原 住民」たる日雇い 労働者、 街頭商人、 貧民、 犯罪者、 浮浪者、 放浪者、 娼婦をアラブの 遊牧民のよ うな「非定住種族」 (nomadicrace) として描いたのだった。 さらに時代が 下った 1870 年代以降、 変質論が浸透して 都市の貧民に 対する人々の 意識が全く変化 したことをガレス・ステッドマン・ジョーンズが 的確に表現している。 都市は一昔双の、 創造的な 機会に満ち上昇的移動性のあ る束の間の貧困状態の 場という認識から、 恒久的な貧困状態にあ る人 間 以下の階級を 繁殖させる所と 成り下がっていた。" ジョーンズはこの 現象を「都市の 変質論」 (the theoryofurbandegeneration) と呼ぶが、 それは貧民の 困窮の究極的な 原因を経済的もしくは 道徳 的なものでなく、 生物学的ないしは 生態的なものに 求める解釈であ る。 つまり、 彼らが慢性的に 窮 乏しているのは、 臨時や日雇い 雇用といった 不安定な雇用形態のせ い ではなく、 富の配分の不平等 でさえなく、 同世代にも渡って 身体への悪しき 影響に 、満ちたスラムでの 生活の産物たる、彼らの「虚 弱で汚染された 体質」が原因であ ると説明されいたのであ る。73 そしてロンドンに 生まれた子供た ちが「変質」しており、 「早熟で、 神経衰弱に 罹り 、 不機嫌で青白く 発育が良くない」子供たちばか りが首都から 生み出されている、 農村から新鮮で 健康な血を入れなければ、 ロンドン子は 絶えてし まうだろうという「都市の 変質論」神話が 喧伝されていたのであ る。 「今や、 諸階級や階級以外の 社会集団が社会のただ 中に存在する 異人種として 社会的に再編成さ れようとしていた」 '。 のであ った。 こうして異人種として 再編成されつつあ ったのは、 都市の貧民 の 他に娼婦、 犯罪者、 精神病者などであ り、 彼らは「奇形化した 頭蓋骨、 飛び出た下顎、 脳 重量の 軽さの点で『別の 人種』の特徴を 備えていた」とされた。 " こうして階級を 人種化する、 つまり生 物的に差異化することで、 かつての人類学での 異人種間の混血が 変質を招くという 議論を取り込み、 両者の見解の 相違については 次を参照。 S ぬler,pp.29-31. 7@ Henry Mayhew, ℡ eGr がeeat 肱riピ ㎡ 肋Ⅱ み㎝ (№ ndon,1856),p.4. メイ ヒュ 一の描くロンドンの 貧民の イメージがアフリカ 探検討等の原住民の 表象を使って 描かれていることを 指摘したものとしては 以下を参 照 o Tim Barringer,"Imagesofotherness and the visualproduction ofdifnerence:race and labourin illustraねd ぬ xts, 1850-65", mn Shearer West ed., ℡ e 竹C ぬ@naBns and Race (Ⅲ dershot,Scolar Press, 1996 , ) , pp , 34-51. 72@ 73 Robert@Nye , " Sociology:@ The@Irony@of@Progress",@in@Chamberlin&Gilman , 1985 , pp 64-5 Gareth Stedman Jones, O 血cast ムの Ⅱ do0 力 S 杣めづ月坊 e Relatio0円n,s ヵゆ Beet 用そe 円 C 肪㏄ es 血巧cton4% Soo㎡e ヶ (New York,Pantheon Books,1971:1984,),p.287. なお、 20 世紀初頭のロンドンのスラム 街の貧民 をやはり degeneracyの観点からルポルタージュしたものに、 ジャック・ロンドンの『どん 底の人びと』 (行 ・ り・・ 方 昭夫 訳 、 岩波文庫、 1995 年 ) があ る。 74@ Stepan 75 7hあ ゴメ , 1985 , , p.98 p, 109 み す カ 崎 宮 0 3 1 で たの で き こ カ と る す 播 Ⅰぉ 一 ァし 易 容 て つ ィ吏 を タ ア フ メ の 号染 Ⅴ{ Ⅰ の 血 を の 性 険 危 の 雑 交 と た﹂ 族 種 質るし。 変あ (4) ダーウィニズム 以後の展開一退化論としての 変質論 一 今や、階級、その他の社会集団が 社会の只中に 存在する異人種として 再編成されようとしていた。 ロンブローゾの 生来性犯罪者という 概念が人種として 措定されていることは、 犯罪人類学という 名 称から明らかであ る。 同性愛者もまた 然り。 フーコーは「かつて 男色家は性懲りもない 異端者であ った 。 いまや同性愛者はひとつの 種族なのであ る」 7。 と述べたが、 それを裏 打ちしていると 思われる 例を挙げたい。 先に見た、 異人種間混血を 表わす用語の 一つだった。 ヅnterme 山 ate" という語は 、 ベルリンで活躍した 性科学者で同性愛解放の 論客として名高かったヒルシュフェルト Magnus Hirschねldによって、 従来の ソドミ て 採用されている。 これは・ ソドミ 一に代わる、 新しい理解による 同性愛という 観念を指すものとし 一のように行為を 意味するのではなく、 生得的な体質であ り男性 と女性の中間に 位置するもう 一つの性 (第三の性 ) のカテゴリー、 つまり the Intermediate Sex と 彼が唱えていた 観念の看板に 掲げられているのであ る。 こうしてヨーロッパにおける 社会的逸脱者 たちが異人種として「植民地的に 支配」された、 つまりヨーロッパ 内部の植民地化という 事態が進 付 していったのであ る。77 19世紀末にかけて 進行していった 逸脱者の身体の 生物学的他者化と 言える事態の 核心にモ ノル の 唱えた変質論が 位置していたのは 言 義の趨勢が強まり、 う までもない。 この説は モ レル以後、 精神医学において 唯物主 魂ではなく脳に 病の原因を求めるという 傾向の進展と 合致したために 瞬く間に 精神医学を制し、 70年代から 80年代にかけてピークを 迎えた。 臨床医学では 総合的な疾病分類シス テムとして洗練され、 お膝元の精神医学では、 モレ ル の後継者の で ニャン ValentinMagnan が変質 論の普及に大いに 与った。 さらにフランス 精神医学界の 大御所シャルコーもこの 説を採用し、 80 年 代には「フランスの 精神病院における 診断書のほとんど 全部が degen 血 escencementalavec. を伴 う ‥ ( ‥・ 精神変質 症 ) という言葉で 始ま」 78るという事態にまで 至った。 イギリスには 著名な精神科 医であ るモ ー ズレー HenryMaudsley が紹介し、 5 ∼ 60 年代から雑誌に 取り上げられるよ う になり 70 年代には広く 知られるようになっていた。 そして、 80年代から 1900年代になると、 フランシス・ゴ ルトン Franc 玉 Galton やカール・ピアソン KarlPearson らによって変質論が 洗練され、 知識人の サ 一 クルの間でディジェネ、 レーションという 語が流行語になっていた。 79 だが、 ここで使われている 意味のディジェネレーションという 語は、 これまで考察してきた 意味とは微妙に 異なる。 イギリス ではイタリアのロンブローゾの 犯罪人類学に 共振した、 ダーウィニズム 的な退化や先祖返りという 7' フーコー、 77 この点に関しては Stole 「はフ 一コ一の関心が「内部の 植民地化」にしか 向かず、 コロニアリズムへの 視点が 欠落していると 批判している。 ブルジョアの 他者支配としてではなく 自己定義・管理の 様式としてセクシ ュアリティがひたすら「内なる 敵」へと向かう 権 力と結びつくからくり 追う フ一コ 一のセクシュアリティ 論の中に彼女は 人種主義や帝国主義批判の 萌芽を読み込み、 他者支配の様式としての コ ロニア ズムヘ 展開 " 『知への意思』、 56 ぺージ。 しょうと試みている。 彼女によれば「内部の 他者」によって 自己定義をするヨーロッパのブルジョアも、 個人および集団の「内部の 境界」に拠って 立つ国民国家も、 この「内部の 境界」が脅かされ 分節化される 外部の場所であ る植民地帝国も、 智司 ゼ 秩序の一部であ る (193L。 アンリ・ ェノ ンベルガー『無意識の 発見一カ 動 精神医学発達 史 一山』木村 敏 ・中井久夫監 訳 (弘文 覚 、 1980 年 ) 、 327 ぺージ。 7q@ Pick , p. 200 変質論 と 131 ヨーロッパの 内なる他者 意味を持つ、 修正された変質論とも 言える言説が 展開した。 本稿のまとめとして、 最後にイギリス とイタリアでの 変質論の展開を 追ってみたい。 既に見たよ う に、 未開人の位置をめぐる 議論の中で、 彼らが文明人の 祖先なのかそれとも 子孫な のかという問題が 未解決の中、 モレ ル は後者の見解を 採用して変質概俳を 打ち立てたが、 ダーウィ ンがニ 種の起源コを 1859 年に発表し支持されて 行く中で、 キリスト教の 権 威と共に堕落説は 廃れて 行き、 人類の進歩という 道筋がほぼ確定した。 さらにラマルク 主義がさほど 浸透していなかった 々 ギリスでは、 ダーウイン進化論の 中の「先祖返り」や「隔世遺伝」という 人類学起源の 概念がディ ジェネレーションと 結び付けて考えられるようになっていった。 つまり、 モレ ル の変質概念とは 正 反対の、 同世代前かの 先祖の形質、 進化の程度の 低い動物の痕跡を 留めている形質が 突然変異で甦 「先祖返り」の 観念がデイジェネレーションとして 広まっていつた。R0 さらにランカスタ るという 一が ダーウィン進化論の 立場から進化の 反対の「退化」の 意味でディジェネ、 レーションを 定義した が、 ダーウィニズム 後の時代のイギリスでは、 この意味でのディジェネ、 レーションが 圧倒的に優勢 であ った。Ⅲ イタリアではロンブローゾが 70 年代に犯罪人類学を 確立したが、 そこではラマルク 主義よりも ダ 一 ウィニズムの 影響が強かったために 隔世遺伝説にしろ 先祖返り説にしろダーウィニズム 色が濃い。 またロンブローゾ 自身が人類学を 経由して犯罪人類学を 打ち立てたということも、 人類学の概俳だ った隔世遺伝や 先祖返り説を 取り入れたことの 背景として考えられる。 今でこそロンブローゾの 説 は ディジェネレーションの 文脈の中で語られているのだが、 彼の生来性犯罪者 説 にはモ ノル の変質 論の影響は殆ど 見られず、 本家のフランスや 当のロンブローゾらは 隔世遺伝と変質論とを 明確に 区 別している。 現に、 ロンブローゾは 後年、 彼の犯者の隔世遺伝説に 対する風当たりが 余りに強まっ たために、 変質論を一部取り 入れたのだった。82 82 ロンブローゾを 輩出したイタリアのように、 近代的な国家統一が 遅れ、 国家の近代化という 政、治 的 課題が迫っていた 国々では、 政治的近代化の 問題が進化という 生物学の問題にすり 替えられ、 ダ ーウイニズム 的な退化論が 近代化とのアナロジ 一によって一層受け 入れられやすいという 素地があ っ たことが指摘できる。 ロンブローゾの 犯罪人類学も、 南北の地域差の 激しい国土に 散らばる、 相 異なる人々を 均質な国民として 一括りにしなければならなかったという 政治的事情が 背景にあ った。 ロンブローゾはイタリアの 政治的後進性という 問題を克服するために 進化論的生物学と 形質人類学 を動員して、 犯罪人類学を 確立したのだった。83 ロンブローゾは 1876 年に『犯罪的人間』 切竹 0 皿。柁血四 ㏄俺を刊行し、 あ る種の犯罪者は 隔世 遺伝の結果生じた、 人類の下等な 段階の甦りであ るという説を 発表した。 それは悪名高い 山賊の ヴ インラ の頭蓋骨にあ る特徴が下等な 脊椎動物のそれに 類似していることを 発見した時に 閃いた、 「彼 らが原始的な 人類や下等な 動物の残忍な 本性をその身体の 内に再生させた 隔世遺伝の産物であ と 」 肘い る 「啓示」によるのだという。 彼は変質を表す 身体的特徴 一 烙印一の目録を 作り、 それをも う '。 ダーウィン進化論の 中の「先祖返り」は 以下を参照。 ダーウィン『人類の 起源 池田次郎・井谷純一郎訳 (1871 ㎝ 年 : 『世界の名著 第 50 巻、 中央公論社、 1979 年 ) 、 97 一 103 ぺージ。 Ray Lankester, りe雛打 erB ぬ0n:A C 万 & 尹ぬグ血刀 町 W 血ん% (Ⅱ)ndon,1880) コ コ 82 Maurice Pa nmelee, ,Introduc ilon o the English Version,,in Cesare L刀 mbroso, Remedf ち・, S(translated by Henry P.Horton, l91l: Montclair, 1968),p.xxvni. で 83@ Ibid , , 84 刀 1 mb で oSo, CH p. も も C 刀me,rfs Ca挨 tUses a コカ 122 Z Ⅲ 血田刀 馬刀 力0cりい初刀 多め瑳 e C 肋S㎡五% 功ね 音のⅠC とS ぽ刀 り L0 皿 み旧ひ so, brieny summa Ⅰ ised by his 132 宮崎 | と かすみ 「生来性犯罪者タイプ」を 抽出することにこだわり 続けた。 犯罪を犯すよ いる人々が犯罪を 犯す前に識別して、 隔離することができるよ う う に宿命付けられて に身体に刻印された 退化・変質の 徴を読み取る 手掛かりを与えることが 犯罪人類学の 使命だと考えていたのだ。 ロンブローゾはこの ように、 退化・変質が 外から識別可能なものだと 考えていたという 意味でも人類学の 系譜に属して いると言える。 モ ノル を始めとするフランスの 変質論者は変質を 内部の 、 目に見えない 秘密の場所 に 潜む病理であ るという見解に 固執していたのに 対し、 ロンブローゾは 観相学・骨相学的な 擬似 科 学白り知識に基づく、 退化を表す「烙印」にこだわったのであ る。 この信念の下に 集められた、 獣 ,性 や下等な人類の 徴候が刻印されているとされる 犯罪者の無数の 顔の写真はあ まりにも有名であ る。 この ょう に、 先祖返りの徴候が 記された身体が、 個人の意志を 超えて、 犯罪を犯させるのだという ロンブローゾの 説は、モレ ル の変質論と対照をなしており、 この相違は当時重要な 意味を帯びていた。 ロンブローゾのこの 説は厳格な宿命論であ り、 そこには個人の 意志の自由というものが 一切認められ ていない。 この点が啓蒙 期 以来の人間精神の 自由という理念と 相容れず、 人間の自由意志を 尊重する 形而上学者には 受け入れられなかったし、 また自由意志がこれほど 否定されると 犯罪者に対して 責任 能力を問えないために、 法律家にとっても 受け入れがたい 説だった。 対するに変質論は、 犯罪行動の 原因としてはまず 悪しき環境という 外在的要因を 措定することができた。 と同時に数世代後の 世代で は遺伝による 身体的原因としても 説明され得るという 点で、変質論はロンブローゾ 的生物学決定論と、 完全なる自由を 認められた人間という 抽象論との間の 折衷 策 としての立場を 取ることができたのであ る 。 " 変質は段階的に 進行するものであ るから、 その犠牲者に 責任能力を認めることが 可能であ る。 そのためにフランスではロンブローゾの 生来性犯罪者 説 より常に優位に 立ち続けることができた。 ロンブローゾ 説は学問の世界では 破門されたが、 ハ ヴェロック・エリスを 介してイギリスに 広ま り、 またダーウィン 以後の世界では、 進化の反対の 退化、 あ るいは先祖返りという 概念は人々に 理 解されやすく、 文学や絵画などのテーマとして 世紀末を風擁した 文化現象ともなった。 その 哨矢 なったのは / ルダウ MaxNordau の T 退化論』 ( Ⅱ n 旗 rfUD 務 と 1892) だが、 この書がロンブローゾに 捧 げられていたことからしても、 ロンブローゾの 影響力の広範さとまたロンブローゾ 説が変質論と 一 緒くたに受け 入れられていたことが 伺えよう。 だが、 これよりも前にロンブローゾをイギリスに 紹 介したのは、 彼の『犯罪者論』を 英訳し (1891L、 また犯罪人類学の 成果の紹介 書 であ る『犯罪者 ( ℡ タ Crxmm 血刀 ) を書いた 団 ハバ ロック・エリスであ る。 エリスはロンブローゾを 引用しながら 次のよ うに要約する。 「一般的に言って 生まれながらの 犯罪者は突出した 耳 、 多毛、薄い 髭 、 前額部の突出、 大きな下顎、 角張っていて 飛び出した 顎 、 大きな頬骨、 落ち着きのない 身振り等を有しており、 つ まり、 モンゴロイド、 および時にネバロイドに 似ているタイプの 人々なのであ る」 86。 エリスにとっ て 犯罪者とは、 「発達上の何らかの 偶然や、 遺伝・出生・ 鍛錬の何らかの 欠陥によって 、 彼が現に今 生きている社会よりも、 もっと下等な、 もしくはより 古い時代の社会状態に 本来属している」 (206) 人達であ る。 彼らは歴史的にははるか 昔の原始時代に、 地理的には東洋やアフリカなどの 植民地に 本来帰属しているというのだ。 ここで焦点が 向けられているのは、 原始時代の野蛮人や 植民地の原住民ではなく、 ヨーロッパ 部 にいる彼らに 相当な人々、 つまり犯罪者であ るのは明らかだ。 daughter;ina´ombroso:erroro , New〆ork , 1911 , 舘 Nye,pp.124 86 Havelock Ellis, meCxlmm 一 6 油 d(London,1890),p.84 p ・ xiv , 内 に我々は モ レル以来の変質論 変質論 と ヨーロッパの 内なる他者 の 本質的な構造を 再び確認できる。 厳密な意味で、 ロンブローゾ 133 と モ ノル の説は異なるにも 杓 わら ず、 ヨーロッパ内部の 他者を植民地原住民と 等価にするという 機能は共有されている。 そしてモ ル になく、 エリスにあ るものに注目したい。 それは、 ダーウィニズム 以降付け加えられた の野蛮人という 進化の時間軸に 沿って明確に 位置づけられた 進化論的他者であ る。 論と そ う ノ 原ゑ8%きィ犬 すると退化 訳されることの 多いこのヴァージョンとは、 人類の歴史が 進化へ向かっているという 前提の上 で、 ディジェネレートの 意味する所が 時間軸の逆行であ ることを表現したものだったことが 確認で きるのであ る。 そして興味深いことに、 変質論と言お う が 、 退化論と訳そうが、 ヨーロッパ内部の 内なる「他者」を 浮かび上がらせ、 彼らが「他者」たる 所以を説明する 言説を提供するという % き@J ネ において、 両者は変わらなかった。 ディジェネレーションとは、 産業革命も経てこれほど 文明の発 達しているはずのヨーロッパの 内部でさえ依然存在する 動物や未開人のように 貧しく不潔な 生活を 送る都市の貧民や 犯罪者、 辺郡 な田舎で先史時代の 穴居人のように 暮らす貧農 や、 獣のような性欲 を持つ性的倒錯者等を 目の当たりにして、 しかも彼らを 国民として近代国家へ 統合しなければなら なかった過程において、 彼らが進化の 道筋から取りこぼされた、 あ るいは逆行 (退行 ) するものとし て 規定し 、 彼らを人類進化の 敵という場に 位置づけることを 可能にする言説だったのであ る。 変質論はかくして 退化の概念をも 呑み込みながら 拡大を続け、 その射程を広げていった。 先にあ げた / ルダウによって、 芸術家、 天才、 社会主義者・アナーキストも 変質者に加えられ、 行 少年や住所不定者までもが 包含されていった。世紀が変わった 1905午になると、 都市の非 「変質という 名称 はいかなるものであ れ、 外傷または伝染性の 病原によらないあ らゆる種類の 病 りな現れが変質に 帰 白 せられるというのは、 すでに習慣となってい」 87 たと フロイトが証言している。 彼はこの時自らが 確立した精神分析 学 という学問でもって、 まさにこの変質論の 猛威に挑もうとしていたのであ る。 「頽廃と変質という 観念は思いっく 限りのあ らゆる形式をとり、 時には他の観念に 偽装してその 時 代の思考全体に 浸透していた」 " 。 その浸透力の 一例として、 冒頭のオス ヵ一 ・ワイルドの 手紙を再び紹介し、本稿の結びとしたい。 ワイルドはあ の減刑嘆願書で、 ノルダウが の 症例として - T 退化論』の中で 章を割いているほどだからとして、 自らの「 自分のことを「エゴマニア」という 病 病 」に対して格別の 配慮を求めている。 この言説の浸透力は、 それが断罪する 当の対象までをも 呑み込み、 ワイルドほどの 才人をして、 自 分の人間性を 否定するディクションに 自から身を捧げて「狂人」に 成り下がり責任能力を 免れよう とさせるのだ。 これはあ るいはワイルドの 戦略だったかもしれない。 だが誤った戦略だった。 自分 を 生物学的他者として 自ら進んで永久に 被 差別の側に身を 置くことによって 得られるものなど 何も ない。 せいぜいその 先にあ るのは、 同性愛者を集団虐殺したナチスの 蛮行、 そして「野蛮人をよ しく抹殺せよ」と 記した、 " あ のクル ツ の狂気の衝動と 同じ種類の欲望に 晒されることでしかない。 フロイト「性欲論姉席」 10人 一ジ 。 フロイトが変質論を 反駁せんと決意したことの この理論に潜む 人種主義、 ひいては 反 ユダヤ主義のモメントを 安敏 『フロイト と ユング』,t岩波書店, 1989 年 ),132 ぺージ。 穏 -r, レンベルガー、 前掲 書 、 327 ぺージ。 る 背景に、 遺伝を重視する 鋭敏に感じ取ったためだとされている。 上山