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2013年4月号 裏
﹁キッチンは俺が守る﹂ が鈴木家の教育方針だった。 いちごハウスより だから、彼の調理人暦は履歴書にかいてあるよ りも長いのである。 高校生くらいになると、軽食屋でアルバイトし て、もちろん料理も当たり前のように任されて、 すでに料理長の貫録だった。彼にとって調理人は 天職である。 東京で調理人をしていた彼がこの岡山に来るこ とになったのは、あの震災の影響である。震災の ときの原発の事故により、原発への少なくない不 安と放射能への危機感、それを感じとった彼は、 家族とともに西の方へと移転することとなった。 岡山にやってきた彼ははじめ有名やバイキングレ ストランに勤めた。そこそこの給料とやりがいも 感じていたのだか、労働時間に体力の限界を感じ て、この農マル園芸に転職してやってきたのだっ た。こうして、彼の包丁から生み出されるたくさ んのお惣菜が﹁れんげ畑﹂に並ぶこととなった。 包丁は使い方を間違えると危ない。料理をする ときには欠かせないものだが、道端でそのまま持 っていたらきっと捕まる。大人が持っていたら安 心かもしれない。子どもが使っていると普通はあ ぶないと思う。そんな包丁も使ってみないとその 危なさはわからない。それが鈴木家のやり方であ る。それを彼も受け継いでいる。たくさんの経験 が調理人としての彼を形作ってきた。 岡山の味は﹁甘塩っぱい﹂と彼は言う。ずっと 西でそだってきた人にはわからない。東から来た 彼だからわかる。彼の経験が農マル園芸の味にな っていく。これからのキッチンが楽しみである。 農 マ ル 園 芸 H P h t t p : / / w w w. n o u m a r u . j p / 〒719-1164 総社市西郡411-1 TEL 0866(94)6755 FAX 0866(94)6700 農マル園芸料理長 鈴木 明 彼が農マル園芸に来てから、まだ半年も立たな い。けれども、彼が初めて包丁を握ってからは、 かなりの月日が経過した。 調理人鈴木が誕生したのは彼が の時、東京の 都心部からは程遠い西東京で、洋食の分野に興味 を抱き、修業が始まった。それ以来、包丁を置い たことはない。しかし、彼のルーツはそこから始 まったのではない。彼が包丁を握ったのは、幼稚 園の時であった。 病気がちの母親の替わりにおばあちゃんがいつ も自分のそばにいた。そのおばあちゃんが料理を 教えてくれた、というわけではない。彼は自分か ら進んで料理をするのであった。まだ弱冠5歳ほ どの子どもが、豚汁をつくった。ほうれんそうの おひたしをつくった。りんごの皮もむいた。そし てそれを病気で寝込んでいる母親のところにもっ ていった。最初はびっくりしていた母親もだんだ んとそれが当たり前になってきたのか、さらにい ろいろな料理を注文するようになってきた。もち ろん弁当も自分でつくってもっていった。そんな 子どもがいまどきいるだろうか。彼はそれが当た り前のように思って、毎日を過ごしていた。それ 18 4月からキッチンのお弁当販売の電話受付を開始します。 詳細はホームページでご確認ください。れんげ畑のおいしいお惣菜を ご家庭で楽しめます。どうぞお楽しみに・・・。