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10 年生きたキシノウエトタテグモ
1980 年自宅屋外に置いてあったトウカエデ
ゼ ミ
の鉢植えの中に,自然 営巣したキシノウエト タ
ハエトリグモの論文再読(3)
テに給餌をするという 形で飼育を始めた.鉢 は
Jocelyn Crane のハエトリグモの研究(上)
そのまま屋外に放置し たので,栄養状態以外 の
環境は自然のままであ った.その後同じく自 然
営巣したものをこの年から 1996 年まで,毎年
ハエトリグモの雄は雌 の前で種特有の求愛 ダ
個体数の増減はあるも ののこの条件で連続し て
ンスを行なう.この求 愛ダンスは有名で,ダ ー
1∼11 頭飼育した.そしてその内 1 番最初に給
ウィンも性選択の例と して取り上げていた. ハ
餌を始めた個体が 1989 年に行方不明となるま
エトリグモの求愛ダン スについて,種ごとに 徹
で 10 年,また 1982 年に発見し給餌を始めた 1
底的な比較研究を行な ったのはアメリカのジ ョ
頭が 1991 年死亡してこれも 10 年生きた.そ
スリン・クレインであった.彼女が 1949 年に
してその 2 頭はともに♀の個体であった.これ
発表した論文「ヴェネズエラのランチョ・グラン
らのクモ 2 頭は供に,その営巣を確認した時点
デのハエトリグモの比較生物学.第 4 部・誇示
ですでに住居の蓋の直径は 5 mm強ほどあった.
行動の分 析」は ハエト リの誇示 行動の 研究論 文
キシノウエトタテは親の住居から分散した 2 齢
として,必ず引用されるものである.ちなみに,
から自らの住居を造る が,その時の住居の蓋 の
クレインの名前は高校 生物の参考書にも見ら れ
直径は約 2 mm ある.したがってその大きさは
るが,そこで引用され ている論文は,ハエト リ
飼育下の幼体の成長か ら推定して,少なくと も
グモの誇示行動に関す るものではなく,シオ マ
親の住居から分散してから 1 年以上は経過して
ネキの誇示行動の方である(Crane 1957)
.
いるクモのものと推定 された.これから考え る
クレインの消息
とこの飼育による年齢よリ,さらに 2 年は加算
ハエトリグモやシオマ ネキの誇示行動の研 究
が可能と思われる.し かしこれらはあくまで 飼
で,めざましい成果を 上げたジョスリン・ク レ
育下の結果であリ,自 然においてはこのよう に
インだが,彼女のその後の消息は不明であった.
長く生きることは稀なことかも知れない.
私は彼女のバイオグラ フィが無いかと探して み
たが,分からなかった .事情はアメリカでも 同
(笹岡文雄)
様であったらしい.今年 1998 年 7 月に,イン
ター ネ ッ ト 上 「ARACHNOLOGY 」 の メ ー リ ン
グ・リストでデイヴィ ッド・リッチマン(ニ ュ
ー・メキシコ州立大学.ハエトリグモの研究者)
がドナルド・グリフィ ンと結婚した彼女の消 息
を尋ねたのであった. ドナルド・グリフィン は
コウモリのエコー・ロ ケーションの研究で有 名
な動物学者であり,彼 の著書は『動物に心が あ
キシノウエトタテグモ
るか』
(岩波書店.誤訳かつ悪訳!)
,
『動物は何
11
を考えているか』
(どうぶつ社)の 2 冊が翻訳さ
クレインのクモの論文
れている.どちらの本 にも,クレインのシオ マ
クレインが最初にクモ に関する論文を書い た
ネキの誇示行動の仕事 が引用・解説されてい た
のは 1943 年である.この論文(新種 8 種の記
が,クモの誇示行動の 仕事についてはまった く
載を含む分類学的なも の)のもとになった探 検
触れられていなかった し,参考文献にも挙げ ら
は, ビー ビ博 士 の指 揮の もと , 英領 ギア ナ で
れていなかった.クモ 研究者としては,彼女 の
1917 年から 1924 年までの間に 6 回,ヴェネ
立派なクモの仕事が一 般に知られないのは, 残
ズエラで 1942 年に行われたという.彼女の肩
念なことである.さて ,メーリング・リスト で
書きは,ニューヨーク 動物学会熱帯研究部の 動
は早速,返信があった.
物学研究員であった. 年齢から推察して,彼 女
レイスキンド博士( フロリダ大学)が 1962
は英領ギアナの探検に は参加していないはず で
年に会った頃のクレイ ンは,トリニダードの シ
あった.彼女の最初の 論文は中米の西海岸の シ
ムラにあるニューヨー ク動物教会の野外基地 の
オマネキに関する報 告であった(1941 年) と
実験室長として働き, シオマネキの研究をし て
思われるが,クレイン 自身の言葉によれば, ヴ
いたという.恩師のウ イリアム・ビービ博士 が
ェネズエラの探検以降 は,熱帯のハエトリグ モ
亡くなった直後で,彼 女はそのショックから 立
に関して,生活史など の研究を充実させよう と
ち直っていなかった. グリフィンはハーバー ド
いう意図で,積極的にデータを収集したという.
大学で一般生物学を教 えていて,トリニダー ド
クモに関するクレインの第 2 論文も既知 4 種と
ではウオクイコウモリ の研究をしていた.ク レ
新種 3 種 を 記 載し た 分 類 学 の論 文 で あ っ た
インとグリフィンは 1960 年代末か,1970 年
(1945 年)
.
代初頭に結婚したのだ という.しかし,レイ ス
第二次世界大戦後,ニ ューヨーク動物学会 は
キンド博士にもクレイ ンの現況は分からなか っ
ビー ビ博 士の 指 揮で ,ヴ ェネ ズ エラ のラ ン チ
た.
ョ・グランデで調査を行なった.この遠征から,
クレインの現況を伝え たのは,ウイリアム ・
クレインの「ハエトリグ モの比較生物学」とい う
ピール博士(ハーバー ド大学)だった.夫妻 は
全 5 篇の論文(1948−1950 年)が生れた.私
今も一緒で,クレインは 92 歳ぐらいだという.
は今回,有名な第 4 部だけでなく,全 5 篇を購
夫のグリフィンは,2 年前には,数人のハー ヴ
入して読んでみて,最 初から彼女が明確な仮 説
ァ−ド大学のシニア課 程の学生に研究課題に つ
を持って研究していた ことを理解した.まず ,
いて助言したり援助したりしていたという.
38 頁の大論文「第 1 部 Corythalia 属の分類学と
メーリングリストに出 たクレインの情報は, こ
生活史」(1948)を紹介しよう.
れだけであった.私が ,彼女の有名な論文を 初
ハエトリグモの比較生物学 第1部
めて読んだのは 1972 年頃であり,ちょうどグ
彼女は 1945 年に 40 種以上のハエトリグモ
リフィンと結婚した直 後ということになる. 今
の令期や誇示行動を精 力的に調査し,翌年に は
年が 92 歳なら,西暦の年号から 6 年を引けば,
これらのうち 6 種のクモの生活史を集中的に調
彼女の年齢が出るので,彼女が結婚したのは 60
査したという.最初に Corythalia 属の新種 3
歳代ということになっ た.彼女がまだ存命だ っ
種についてまとめた理 由は,この属のクモの 数
たことが分かって,私は,なんだかホッとした.
が多かったことと,そのうちの 1 種の室内飼育
12
に成功したこと,色彩 変化や誇示行動に特徴 が
あり,進化的に重要と 考えたからであったと い
う.「進化」への関心は,「第 2 部・研究の方法」
(1948 年)にも,以下 のようにはっきりと 述
べられていた.
“熱帯のハエトリは理 想的な実験動物である .
行動の多様性や非常に 近縁な形態と関連する 構
造は,進化の基本的な 問題を研究するのに, 特
に興味深いものである .熱帯のハエトリは飼 育
に適しており,その基 本的な行動型は室内で も
野外でも違いがない.
”ローレンツやティンバー
ゲンなどが鳥類や魚類 の行動分析から立てた ,
生得的解発機構(生ま れつき動物が持つ刺激 に
対する定型的な反応の メカニズム)を,ハエ ト
リグモでは,多様な属 の誇示行動を比較する こ
とが出来る.この研究 の“究極の目標はふた つ
である.ひとつめは, 特に機能と構造の関連 に
注目して,科内で進化 的なパターンを明らか に
することである.ふた つめは,科内の生得的 解
Corythalia 属雌成体の正面.
発機構と遠縁のグルー プのそれを比較し,相 互
A, C. chalcea; B, C. fulgipedia; C, C. xanthopa.
(Crane 1948 より)
関係を調べることである.
”
「第1部」の論文で,クレインは Corythalia 属
の定義を明瞭にしよう とした.徹底的にクモ の
あ げ て ま っ す ぐ 伸 ば す も の で あ る が , C.
検討が行なわれ,成体 ばかりでなく幼体の各 部
f ulgipeda (=C. tropica)は体を低く,脚は側
(色,形,棘,頭胸部 や脚の刺毛,トリコボ ス
方へ広げられ,第3脚 は断続的に上げられる と
リア,符節の爪など)の特徴と,生殖器・行動・
いった具合である.C. xant hropa は第1脚をふ
生息地等のくわしい記 載をした後で,種毎の 記
り上げる.ここで,例 示したのは3種のメス を
載をしていた.ちなみ に,クレインが記載し た
前から見たときの様子 である.有名なこれら の
この 属の 3種 C. chalcea , C. fulgipeda , C.
図を描いたのはクレイ ン自身ではない.ラン チ
xant hropa のうち,C. fulgipeda は既知種 C.
ョ・グランデのケネス ・ゴスナー氏であった .
t ropica (M.-Leitao 1939)であることが,その後
一部の図はパメラ・マ ーモン嬢が描いていた .
に分かったが,彼女が 中南米で記載した新種 の
微に入り,細に入り,行動の記載がされていた.
ほとんどは,現在でも有効学名である.
ところで,肝心の解発 機構や誇示行動の機能 に
Coryt halia 属の3種の誇示行動は種特異的な
関する実験的研究につ いては続編にゆずると 記
ものであった.たとえ ばオスの求愛誇示では ,
されている.いわば満 を持して,第4部が書 か
C. chalcea のそれは高く保持し,第3脚をふり
れるのであった.
13
References
文献紹介
Crane, J. 1948. Comparative biology of
salticid spiders
at Rancho Grande,
Venezuela. Part I. Systematics and life
最近気がついた分類関係の文献
histories in Corythalia. Zoologica, 33:1−
最近発表された日本の クモの分類に関連のあ る
38.
論文をいくつか簡単に紹介する.
Crane, J. 1948. Comparative biology of
at Rancho Grande,
① Logunov, D.V. 1998. Pseudoeuophrys
Venezuela. Part II. Methods of collection,
is a valid genus of the jumping spiders
culture, observation and experiment.
(Araneae,
Zoologica, 33:139−145.
gique, 12 (11): 109−128.
salticid spiders
Salticidae).
Revue
Arachnolo-
Euophrys の 新 参 シ ノ ニ ム と さ れ て い た
(池田博明)
Pseudeuophrys を独立属として復活させた.日
本 産 の 種 で は Pseudeuophrys errat ica
(Walckenaer 1826) ヤ ガ タ ハ エ ト リ と
Pseudeuophrys iwat ensis (Bohdanowicz &
採集情報
Prószyński 1987) イワテハエ トリがあつか わ
れている.
日本各地で採集された ,稀産種や分布上の 重
② Shimojana, M. & J. Haupt 1998.
要種などについての情報を掲載する.
Taxonomy and
funnel-web
natur al
spider
history
genus
of
the
Macrot hele
サカグチトリノフンダマシ
(Araneae: Hexathelidae: Macrothelinae) in
神奈川県津久井郡城山町 1998 年 4 月 26 日幼
the Ryukyu Islands (Japan) and Taiwan.
1 大川秀治
Species Diversit y, 3:1−15.
アオグロセンショウグモ
南西諸島および台湾から 5 種のジョウゴグモ
神奈川県津久井郡城山町 1998 年 6 月 23 日♀
を 報 告 し た . 台 湾 産 の Macrot hele holst i
成体1 大川秀治
Pocock 1901 ホル ストジョ ウゴグモ を再記 載
シノビグモ
し,台湾産 Mcrothele t aiwanensis Shimojana
埼玉県秩父郡大滝村 東大秩父演習林 1998 年
& Haupt 1998 キール ンジョ ウゴグ モ,西 表
7 月 26 日♂亜成体1幼体3 今井正巳他
島・石垣島産 Macrot hele gigas Shimojana &
カトウツケオグモ
Haupt 1998 オオクロケブカジョウゴグモ, 奄
埼玉県児玉郡神泉村 矢納城山公園 1998 年 9
美 大 島 ・ 徳 之 島 産 Macrot hele amamiensis
月 25 日 南部敏明
Shimojana & Haupt 1998 アマミジョウゴグ
モ,西表島・石垣島産 Macrot hele yaginumai
(新海 明・平松毅久)
Shimojana & Haupt 1998 ヤエヤマジョウゴ
14
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