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「東日本大震災ならびに阪神・淡路大震災における動物 救護動について」

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「東日本大震災ならびに阪神・淡路大震災における動物 救護動について」
「東日本大震災ならびに阪神・淡路大震災における動物
救護動について」
梶原動物病院
梶原富彦
はじめに
阪神淡路大震災(1,17)からはや14年、昨年の東日本大震災(3,11)
から1年半、震災後に設置された神戸と石巻の動物救護センター(シェルター)
でのボランテイア経験をもとに、救護のマニュアルの話と実際の現場の状況、
そこに集まるボランテイアたちと現地の人たちの個人個人に触れて、実際の現
場に出かけ、自分の心に感じたことを中心に話を進めたいと思います。
「二つの震災」
まず二つの震災を比較してみると、阪神での犠牲者のほとんどが圧死であるの
に対して、東日本では溺死が最多で、なにより現在も避難転居している人たち
が約33万人に上るという現実です。
神戸で見たのは崩れ落ちた家屋や焼け野が原であったのに対して、東北で目に
したのは津波にのまれて無くなってしまった町でした。数字は公表されていま
せんが、犠牲になった動物たちにも同じことが起こっています。やはり死因の
1位は溺死ですが、人との違いは2位の餓死です。
私も震災直後はこれだけ食料の有り余っている日本で、何とかしてやれないの
か!なんて思っていました。
しかし、あれから1年半、福島では今現在も飼育者と離れ離れの動物たちが、
放射能に汚染されながら、すでに子犬猫・孫犬猫・ひ孫犬猫と人とのコミュニ
ケーションのまったく無い世代が誕生しそして野生化し、食べ物を求めて人家
を荒らしさまよっているという状況を、わかっていながら、どうすることもで
きないのが現実のようです。
「シェルターの設立」
災害に対処するためには事前に災害時のマニュアルを作成し、行政と愛護団
体と獣医師会の3者が協力して救護本部の設立に備える必要があります。
災害発生時には、すみやかに救護対策本部を設置し、稼動可能な動物病院で
被災動物の受け入れを開始し、動物の救護に当たります。
次に先に述べた3者協力によるシェルターを設立し被災動物の受け入れを開
始します。動物の飼育者は震災を想定して、発災時の小動物輸送箱や、持ち出
し品のチェックを常に心がけていただきたいと思います。
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「神戸」
ボランテイア元年といわれた神戸の場合、上部組織経由で、連絡を受けての
ボランテイア参加という構図で、例えば私が滞在した3月は春休み中というこ
ともあり、獣医系のみならず神戸近隣の大学事務局経由で、多くの学生ボラン
テイアが集まり、我々獣医師も獣医師会の要請を受けて出発したのですが、神
戸港は使用不可能で、シェルターまでの最終的な交通機関が、陸路しかなく、
車があるほうが何かと便利ということだったので、瀬戸大橋経由で神戸を目指
しました。
私の場合、同業の父に診療を頼んで行ける立場だったことから、自宅病院を
閉めることなく行くことができたのが幸いでした。只、去年の石巻行きは、引
退した父を頼れず、1週間臨時休診という形で出掛けましたので、顧客の皆さ
んや病院スタッフにはずいぶん迷惑をかけました。
「石巻」
この時も車が便利ということで、空路、再開したばかりの仙台空港に飛び、
仙台でレンタカーを借りて、石巻に向けて走りましたが、滞在中の宿泊所まで
の行き返りに、他のボランテイアの運搬役としてとても重宝しました。香川か
ら、車でやってきた獣医さん親子とも、2日ほど一緒しましたが、さすがに一
人で休まず20時間運転して来るというのは無理だっただろう、ということで
した。
石巻のシェルターでは、比較的早い時期にホームページを立ち上げて、組織
に関係なくボランテイアの募集から義援金の受付まで、専属の事務員がメール
や携帯電話で幅広い業務をこなしていたように思います。
「神戸と石巻の違い」
神戸では1年4ヶ月のシェルター運営がなされ、1,556頭の救護里親探し
と延べ診療頭数8,000頭という数が報告されています。
石巻の場合は宮城県の仮設住宅が8月にすべて完成したのを受けて、9月末
でシェルターを閉所して、帰宅に漏れた動物たちは各動物病院に分散帰宅待ち、
仮設住宅は基本的にペット同伴入居可ということですが、仮設入居後の近隣
とのトラブルに対しては獣医師会のみならず、愛護団体や訓練士の団体など
の協力も得て対処するとのことでした。
シェルターには、窓口になる事務局があり、ボランテイアの募集から受け
入れ管理すべてを行っております。
昨年と神戸との違いは現在のネット社会を象徴する情報量の豊かさです。
犬猫達の個体管理も手書きのカルテだけで無く、写真とデータが入力された
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i Pad を持ち歩くことも可能でした。さすがにアナログ世代の自分にはそこま
で必要ないと、操作は若い獣医師にまかせていましたが、そういう時代なのだ
とも実感しました。
「ボランティアの仕事内容」
1.一般ボランティア
シェルターボランテイアの仕事は、一般ボランテイアは1日2回の犬達の散
歩が基本ですが、排便・排尿・歩様・行動異常等の観察が必要で、要治療個体
をボランテイアチーフに報告し必要な場合診療や治療が行われます。
散歩時のリードは必ず2本かけて逃亡を防止しますが、大型・小型犬舎・一
般猫舎・隔離猫舎それぞれに責任者を配置して、2回の食事・投薬・出入り口
での受け渡し等の責任を義務づけています。
必ずしもおとなしい犬猫ばかりではないので、動物に慣れ親しんだ人材や、
扱いのプロ達の技量が要求されるところです。
2.動物看護師
神戸で一緒だった動物看護師の女性が、収容犬の中から一番の弱った老犬の
里親になって、その犬を郷里の長野に連れて帰って最後を看取ってあげたいと、
私に告げた時、自分の好みの犬猫を選ぶのではなく、動物看護のプロとして、
動物目線の選択を決断したのだなあと、本当に「目から鱗が落ちた」様な気持
ちにさせられたのが思い起こされます。
また直接動物たちに触れることなく、施設の整備・水の確保・発電機の管理・
ゴミ・し尿処理といった、いわば裏方の仕事も当然ボランテイアの重要な仕事
です。
3.獣医師
獣医療班では、震災直後の負傷動物の治療から始まり、被災動物の受け入れ
と入所後の健康管理として、検便・フィラリアの検査・猫白血病・猫エイズの
検査・ノミダニ駆除・ワクチン接種・避妊去勢という業務が主に行われます。
阪神と東日本、どちらも震災の発生が冬場であったことから、シェルター開
所当初はウイルス性の感染症が蔓延して、その頃治療に当たった獣医さん達は
結構忙しい毎日だったようですが、暖かくなって落ち着いた後の私が滞在した
頃の石巻では、胃腸炎の治療が主体であったように感じました。
また、石巻ではマイクロチップの装着と登録が徹底して行われていたのが、
神戸との大きな違いであったように思います。診察室の中は雑然としていまし
たが、薬品収納棚はそれぞれの系統の薬が整然と収納され、誰が見てもすぐわ
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かるようにシールが張られ、診療バック代わりの道具箱もとても使いやすかっ
たです。
神戸の場合、震災から1ヶ月半で、医薬品や毛布等豊富なものもありました
が、生活面はまだ不便な状況で、近所には食料品販売店は無く、3食の炊き出
しが行われ、何でも食べれて、「何時でも何処で誰とでも」生活できることが
基本かなと思いました。
「立って半畳寝て一畳」ということわざがあります。人間所詮それくらいの
大きさでしかないのだから今の自分の立場に満足して高望みをするなという
戒めですが、多いときは8人くらいがコンテナハウスに泊まりこみ、寝袋の中
で寝返りが打てない状況で朝を迎えた時に「寝ても半畳」だなと思ったことが
思い出されます。無欲という言葉が誰かの役に立つためのボランテイアの基本
なのでしょうが、そうは言っても人間の特性はどんな状況下にあっても常に生
活の質「クオリテイ・オブ・ライフ」の向上を目指すという言葉も忘れたくは
ありません。
石巻では診療室や飼育管理、飼育環境は、すでにベストと思われる状況に整
備され、我々ボランテイアの生活環境も、近所にコンビニありコインランドリ
ーありで、充実したものでしたが、6ヶ月という短期間でその役割を終えて、
コンテナハウスやプレハブは福島へ輸送されました。「全ての動物たちが幸せ
になりますように引き続き活動を継続します」という、メッセージを添えて、
今もシェルター運営に関わっていることでしょう。
「最後に」
私が1週間のボランテイアを終えて返る頃の東北は、ちょうど各地の夏祭り
が始まった頃で、仙台の「七夕まつり」、青森「ねぶたまつり」
、秋田「竿燈ま
つり」、盛岡「さんさ踊り」、山形「花笠まつり」、福島「わらじまつり」
、とい
うふうに「がんばっぺ石巻」「頑張ろう東北」「頑張ろう日本」のスローガンの
もと、復興への長い道程が始まったばかりでした。
震災後、現地に集まってくる一般ボランテイアと獣医師のボランテイアそれ
ぞれと、1日~5日間寝食を共にして活動する中で、それぞれの人となりに触
れ、感じたことや学んだこと、復興に努力し、前向きに頑張る地元の人達の笑
顔、そしてボランテイア達の笑顔の写真は、いつ見ても色あせることなく、自
分の中で輝いている宝物となっています。
震災は、今この時にも起こるかもしれません。自分たちが無事でいられるの
かどうか、予測もつきませんが、備えだけは十分に整えておきたいものです。
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