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米国 に 留学、猛勉強 農業簿記の研究 に 成果

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米国 に 留学、猛勉強 農業簿記の研究 に 成果
ひ と
東京農大理事長
松田藤四郎氏に聞く
中
米国に留学、
猛勉強
農業簿記の研究に成果
《松田氏は1955年(昭和30)、東京農
大卒。故郷の家業を継ぐという計画は
→アメリカ留学中、訪問
断念して、大学院農学研究科農業経済
したアマースト大学で。
学修士課程へ進んだ》
辞書編纂で知られるウェ
故郷の牛乳業界に大手企業が参入し
ブスター像とともに。
てきて、小規模の家業では太刀打ちで
きなくなった。そこで、父に授業料だ
学した》
けは出してもらい、生活費はアルバイ
大槻先生がADCに推薦してくれました。
トでまかなって、大学院で勉強を続け
ボストン郊外のマサチューセッツ大学は、
ることにしました。
「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士がか
主なアルバイト先は、設立されたば
つて学長を務めたことでも知られています。
かりの林業金融調査会(財団法人)で
マスターコースでは30単位を取って、論
した。林家に対する金融制度のあり方
文を書かなければなりません。しかも、近
を調査するのが目的で、そのリーダー
代経済学をやるからには数学の習得が必要
は 民 俗 学 の 宮 本 常 一 先 生(1907 81)
です。不得意科目でしたから、他学部聴講
です。調査補助員として、何度か先生
で会計学科の数学の微分積分を学びまし
とご一緒する機会があり、先生の調査
た。日本から高校の教科書を送ってもらっ
法を学びました。いい経験でした。
て、猛勉強です。すぐに、その教室では成
《 年間の修士課程を修了後、東京
績がトップになり、他国からの留学生に教
農大助手に採用された。さらに主事代
えるまでになりました。
理を命じられ、農業経済学科長の我妻
大学には学生たちのたまり場がありま
東策教授の補佐することになる》
す。私の名は発音しにくいので、仲間たち
そのころ、京大から農業簿記の専
からは「トニー、トニー」と呼ばれるよう
門家である大槻正男先生(1895 1980)
になり、大いに付き合いを深めました。
が転任して来られた。やはり東大時代
《 年間の留学で無事、マスター・オブ・
の横井時敬先生の弟子のひとりです。
サイエンス(食品及び農業経済学)を取得
農業を支えるのは農家経済である、そ
した。そこには、留学前に結婚した愛妻和
のためには簿記の習得が欠かせないと
子さんの「内助の功」があった》
いうのが横井先生の教えでした。
留学して 年間でほとんどの単位を取
私は、我妻先生の命令で大槻先生の助手になり
得、 年目から論文に取り掛かりました。そのこ
ました。怖い先生という評判でしたが、私は親し
ろ妻が来てくれた。それまで食事はすべて大学食
く接していただきました。先生は意欲ある農家の
堂で済ませていたので、やっと日本食が食べるこ
人々などを対象に簿記の講習会を開催された。そ
とができました。数学の勉強で教科書を送ってく
の準備や雑用をしながら、私もその講義をまじめ
れたのも、実は妻でした。感謝しています。
に聞いたものです。
論文の狙いは、農業経営設計につながる実用的
《講師に昇任後、その大槻教授の力添えで、大
な簿記様式の開発です。アメリカでは州によって
きなチャンスが巡ってきた。ロックフェラー財団
簿記様式が違う。そこで、全州の農業簿記帳を収
のADC(Agriculture development council)によ
集、類型化した上で、経営設計ができる仕組みを
1965年(昭和40)
る奨学制度で、
、米マサチューセッ
開発しました。その修士論文は高く評価してもら
ツ大学大学院農業・食品経済学専攻修士課程に留
いました。
(聞き手・秋岡伸彦)
新・実学ジャーナル 2011.4
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