Comments
Description
Transcript
1960年代の英語圏の書籍・論文に見られる創価学会研究
創価教育研究第6号 1960年 代 の英 語 圏 の 書 籍 ・論 文 に 見 られ る創 価 学 会 研 究 井 上 比 呂子 目次 は じめ に 1.Brannenの 研 究 一 創 価 学 会 発 展 の 歴 史 と池 田 大 作 とい う人 物 2.Whiteの 研 究 三代会長の人物像 3.Dat・rの 研 究一 創価学会発展の要因 4.Metrauxの 5.そ 研 究 一 教 育 ・平 和 活 動 へ の 言 及 の 他 のSGI研 究 終 わ りに は じめ に 池 田大 作創 価 学会 第 三 代 会 長(現 名 誉会 長)に つ い て の研 究 は 、 英 語 、 中 国語 、韓 国 語 をは じ め とし様 々 な 言語 で著 作 や 論 文 が 出 版 され て い る。 それ は、創 価 学 会 が 大 き く会 員 数 を拡 大 し、 公 明 党 を結 成 し、社 会 に新 た な新 興 宗 教 団体 と して の 勢力 を発 揮 し始 め た1960年 代 に さか の ぼ る。 しか し、そ れ らの研 究 の 大半 は 、宗 教 団 体 として の創 価 学 会 にっ い て 、 そ の教 義 、組 織 論 、 あ る い は公 明党 と中心 と した政 治 との 関 わ りにっ い て の もの が多 い 。 本 稿 で は 、 そ の 中 で も英 語 圏 で 発 表 され た創 価 学 会 や池 田SGI(創 価 学 会 イ ンタ ナ シ ョナ ル)会 長 に関 す る著 作や 論 文 を と り あ げ 、 そ の研 究 内 容 にっ い て分 析 す る こ とを 目的 とす る。 今 回 は 、特 に1960年 代 か ら80年 代 に 出 版 され た書 籍 と論 文 に焦 点 を絞 り、池 田大 作 氏(以 下 、池 田 と記 す)が どの よ うに海 外 の識 者 ・ 学者 か ら論 じ られ て きた の か 、 そ の思 想 哲 学 ・功 績 ・人 物像 の観 点 か ら考 察 す る 。 そ の 際 、創 価 学会 の1950年 代 か ら60年 代 へ の 大幅 な発 展 、1960年 か らの海 外SGIの 活 動 につ い て も言及 し、 併 せ て 初 代 、第 二代 、そ して 第 三代 会 長 の人 物 像 や リー ダ ー シ ップ 、創 価 学 会 に 与 え た 影響 にっ い て も原 文 をあ げ な が ら紹 介 して い き た い。 1950年 代 、60年 代 、 …90年 代 、2000年 代 と、創 価 学 会 は変 わ りゆ く社 会 の 中で 発 展 を 続 けた 。 特 に1960年 代 か ら池 田 の活 動 も世 界 規模 で 広 が る こ とに よ り、 当然 そ の活 動 に対 す る外 部 の 評 価 も変 化 して きて い る。 彼 は宗 教 活 動 のみ な らず 、創 価 学 園 をは じめ とす る幼 稚 園 か ら大 学 へ 至 る 一 貫 教 育 機 関 の 設 立 、 民 主音 楽 協 会 や 富 士 美術 館 とい った 文 化 芸 術機 関 の設 立 な ど、 仏 法 を基 調 HirokoInoue(創 価 教 育 研 究 所 講 師) 一29一 1960年 代 の英 語 圏 の書 籍 ・論 文 に見 られ る創 価 学会 研 究 と した平 和 ・文化 ・教 育運 動 を根 本 に多 彩 な活 動 を 展 開 してい る。 さ ら に、海 外 の識 者 との対 談 集 も数 十 冊 を超 え 、世 界 の大 学 や 学術 機 関 か らの名 誉 学術 称 号 は2007年1月 時 点 で200を 超 え るま で に な って い る。 1.Brannenの 研究 一 創 価 学 会 発 展 の 歴史 と池 田大 作 と い う人物 今 回 、英 語 圏 で 出版 され た創 価 学 会 研 究 を調 べ るに あ た り、20を超 え る書 籍 ・論 文 を読 ん だが 、 そ の 中 で も特 に古 い 時期 に 出版 され た の が 、NoahS.Brannenの"SokaGa?Zlkai-L77apap'smilitant Buddhists"で あ る(1)。1968年 は 、第 二次 世 界 大 戦 後 の1950年 代 か ら創 価 学 会 の会 員 数 が劇 的 な 増 加 を遂 げ た後 で あ り、政 治 的 側 面 か ら見 る と、公 明 党 が結 成 され た 後 の 時期 で あ った 。 ま た 設 立 され た教 育機 関 に関 して は 、創 価 学 園 の み で あ り(1968年)、 ま だ創 価 大 学 は開 学 して お らず (1971年 に 開学)、 創 価 一 貫 教 育 の 構想 は あ った が 実 現 途 中の時 で あ っ た。 SokaGakkaimLlapan'smi!itantBuddhistsで は 、 まず 日本 にお い て い わ ゆ る 「 新 興 宗 教 」 と呼 ばれ る も の の定 義 をお こな い 、そ の成 功 した例 と して創 価 学 会 を あ げ、なぜ 学 会 が600万 も の信 者 を抱 え る に 至 った か にっ い て分 析 してい る。Brannenは 、創 価 学 会 がそ の熱 心 な布 教 の仕 方 や 緻 密 な組 織 体制 に よ り、 多 くの学 会 員 を獲 得 す るの み な らず 、公 明党 とい う政 党 の 支持 母 体 とな る な ど、政 治 的 に も成 功 を収 めて い る と評 して い る。 ま た 、創 価 学 会 の発 展 は 戦後 の社 会 情 勢 や 人 口 の増 大 、経 済 の拡 大 との 関係 抜 き に して は語 れ な い と した 上 で 、人 々 の精神 状 態 が不 安 定 で 何 か よ り ど ころ とな る も の を求 め て い た 当時 い くっ か 興 っ て き た新 興 宗 教 の中 で は 、創 価 学 会 は非 常 に シ ン プル な方 法 で 現 世 の利 益 を獲 得 し、 人 々 を幸福 にす る方 法 を示 した とい う点 で抜 き ん 出て い た と考 察 を加 えて い る。加 え て 、教 学(日 蓮 の 仏 法 を学 習す る こ と)に も力 を入 れ 、会 員 一 人 一 人 が 単 に お経 を あ げ る ので は な く、法 華 経 の 教 義 に も精 通 す る こ とが 必 要 と され 、理 論 をふ ま え た 仏 法 の 実践 を進 めた こ と に もそ の拡 大 の一 因 を見 る こ とが で き る として い る。 人 気 の 高 い宗 教 の一 つ の条件 と して 、そ の教 団 に立 っ トップ 、っ ま り リー ダ ー の資 質 とい うも の が 問 わ れ るが 、Brannenは マ ックス ・ウェー バ ー の 「カ リス マ性 」 とい う言葉 をひ い て い る(2)。 そ の 意 味 で 、創 価 学 会 の第 二 代会 長 で あ る戸 田城 聖 氏 は カ リスマ 性 を備 えて い た と評 してい る。 この 本 で は 、創 価 学 会 の歴 史 と して 、初 代 会 長 牧 口常 三 郎 氏 の経 歴 か ら始 ま り、彼 が1930年 に 創 価 教 育 学 会 を設 立 した こ とや 、 そ の思 想 の独 自性 にっ い て論 じて い る。 牧 口は 、教 育 の 目的 は ひ と りひ と りの幸 福 の追 求 で あ り、幸 福 は価 値 の 創 造 に よっ て のみ 実 現 され る と した。 そ して 教 育 とは 、 「 美 ・利 ・善 」 とい う価 値 を創 造 し うる人 間 を育 成 す る こ とに あ る として い る(3)。 さ ら (1)NoahS .Brannen,Sok∂Galclcaゴ ーfapan'sMilit∂ntBuddhists,JohnKnoxPress,1968. (2)マ ック ス ・ウェー バ ー は 、『職 業 と して の政 治 』 の な か で 、伝 統 的 支 配(宗 教 な ど規 範 や 従 来 の 伝 統 的 な こ とを重 視 若 し くは 神 聖 視 し、為 政者 に従 う)、合 法 的 支 配(法 に基 づ く支 配 、法 令や 規 則 、あ る程 度 持 続 した 文 化 の 不 文 律 に 定 め られ て い る の だ か ら従 う)と い う合 理 的 支 配 の2様 式 と対 比 して 、 伝 統 に ない 新 しい 様 式 で従 前 の 規範 を超 え て 大 衆 の支 持 を取 り込 ん だ統 治 の様 式 で あ る カ リスマ 的 支 配 を支 配 の第 3類 型 と して挙 げて い る。(マ ック ス ・ヴェ ー バ ー(脇 圭 平 訳)『 職 業 と して の政 治 』 岩 波文 庫 、1980年) (3)牧 口常 三 郎 『牧 口常 三 郎全 集 第五巻 創 価 教 育 学 体 系(上)』 -30一 第 三 文 明社 、1982年 。 創価教育研究第6号 に 、牧 口の思 想 を基盤 と して確 立 され た 創 価 学 会 の 本 当の力 が発 揮 され るの は 、 第 二代 会長 の戸 田にバ トン が手 渡 され て か らだ とい う。 戸 田は牧 口の一 番 弟 子 で あ り、牧 口 と共 に 日本 の軍 国 主 義 に反 対 して 検 挙 され た 。牧 口は 国家 神 道 へ の従 属 を拒 み 、 日蓮 正宗 側 か らの神 札 を祀 る提 案 も言 下 に拒 否 した 。1943年7月6目 、治 安維 持 法違 反 並 び に不 敬 罪 の 容 疑 で検 挙 ・連 行 され 、 当時 理 事長 で あ った 戸 田 も検 挙 され た。 牧 口は獄 中 にお い て も不 退 転 を貫 き 、1944年11月18目 翌1945年7月3日 に東 京 拘 置所 内病 監 で 死 去 した(4)。 戸 田 は に豊 多 摩刑 務 所 よ り出所 し、獄 死 した師 の恩 に報 い るた め に、 この 後 創 価学 会 の拡 大 を大 き く進 め てい くこ と とな る。1951年5月3日 の戸 田の 第 二代 会 長 就 任 式 で 、 彼 は 「折 伏75万 世 帯 を達 成 で き な けれ ば、 戸 田の葬 式 の必 要 は な い」 とい う有 名 な折 伏 宣 言 を行 う(5)。 そ こ で 、「 広 宣 流布 」とは何 か 、「 折 伏 」とは何 か な ど基 本 的 な語 句 にっ い て の説 明 が あ るが 、Brannen は戸 田 の こ とを以 下 の よ うに述 べ て い る。 Hiskeenadministrativeability,charismaticpersonality,andbellicosespirit,his strug91eupthroughtheranksbysheerhardwork,hisaggressivenessandmasculinity coupledwithakeensensitiveness,asenseo£humor,andanastutemind'-allthese qualitiesaddedupto``charisma,,andanirresistibleleader(p,87) こ の よ うに 「 彼 の鋭 敏 な経 営 に 関す る能 力 、カ リス マ テ ィ ック な性 格 、口論 好 き な精 神 、勤勉 さ、 鋭 い 敏 感 さ と共 に あ る攻 撃 性 や 男 ら し さ、 ユー モ ア のセ ンス 、 ま た洞 察 力 の鋭 さ そ れ ら全 て を ま とめ る と 『カ リス マ』 で あ り、圧 倒 的 な リー ダー とい うこ とに な っ た」 と、彼 の 人 物 像 にっ い て分 析 して い る(6)。 こ こ で のBrannenの 視 点 は、一 見 した 彼 の 特徴 をつ か んで い る よ うに み え る が戸 田 の 内面 的 な 奥 深 さま で洞 察 す る よ うな 多 面 的 な見 方 が で き て い た とは言 え ない 。 戸 田第 二代 会 長 の 指 導 の 下 、創 価 学 会 は飛 躍 的 な会 員 数 増 加 を遂 げ た 。 戸 田 は1957年12月 に折 伏75万 世 帯 を達 成 した 翌 年 の1958年4月2目 に逝 去す るが 、彼 の死 後2年 後 に創 価 学 会 は会員 数 を80万 か ら130万 に増 大 させ る。こ こ でBrannenは 創 価 学 会 の ピ ラ ミ ッ ド型 組 織 にっ い て ふ れ る が 、 そ の組 織 は複 雑 で は あ るが 非 常 に機 能 的 で優 秀 で あ る と評 してい る。 創 価 学 会 の海 外 進 出 にっ い て 、Brannenは そ れ を池 田 の功 績 として 高 く評 価 して い る。1960年5 月3日 に創 価 学会 第 三 代 会 長 に就 任 後 、 国 内 の組 織 の発 展 をは か る と とも に、 池 田は海 外へ の訪 問 、布 教 を積 極 的 に推 進 す る こ と とな る。 池 田 と彼 の率 い る海 外 訪 問 団が ア メ リカ 、 カ ナ ダ 、 ブ ラ ジル を訪 問 して後 、1968年 にはSGI(創 (4)年 譜 ・牧 口 常 三 郎 価 学 会 イ ン タナ シ ョナル)の 会 員 数 は15万 人 を数 え 戸 田 城 聖 編 纂 委 員 会 ・編 、 『年 譜 ・牧 口 常 三 郎 戸 田 城 聖 』 第 三 文 明 社 、1993年 。 (5)実 際 の 会 長 就 任 の 決 意 で は 、「私 が 生 き て い る 間 に75万 世 帯 の 折 伏 は 私 の 手 で す る 。も し 私 の こ の 願 い が 、 生 き て い る 間 に達 成 で きな か った な ら ば、 私 の 葬 式 は 出 して くだ さ るな。 遺骸 は 品川 の 沖 に 投 げ捨 て て い た だ き た い 」 と あ る(戸 (6)Brannen ,SokaGalflfai一 田城 聖 、 『戸 田 城 聖 全 集 第 三巻 ノβp∂12/3Mi!ゴtant、Buddhゴsts,p,78, -31一 論 文 ・講 演 編 』 聖 教 新 聞 社 、1983、433頁)。 1960年 代 の 英 語 圏 の 書 籍 ・論 文 に見 られ る創 価 学 会 研 究 た。 池 田 に関 して は 、19歳 の時 の戸 田 との 出会 い か ら創 価 学 会 へ の入 信 、青 年 室 長 として の 活 躍 や 戸 田 の直 結 の 弟 子 と して戦 うま で が詳 細 に 書 かれ てお り、彼 の 折伏 の 手腕 や 戸 田へ の 献 身 的 な 姿 勢 が 、 後 の1960年5月3日 に彼 が 第 三代 会 長 に就 任 す る要 因 の ひ とっ で あ った と述 べ て い る。 そ こで 、Brannenは1968年 当 時 の創 価 学 会 の 活 動 にっ い て 、 そ の機 関紙 で あ る聖 教新 聞 、潮 出版 社 、 民 主 音 楽 協 会(民 音)、 公 明党 な ど との関 係 にっ い て 言及 してい る。Brannenは 池 田の 印象 を、彼 は 「 社 会 情 勢 に敏 感 で ない 人 は リー ダ ー に な るべ き で は ない 」 と毎 目で き るだ け多 くの 新 聞 や 定 期 刊 行 物 に 目を通 して い た と述 べ て い る。 昼 食 時 に は 、妻 の弁 当 を持 っ て くる こ ともあ り、 家族 は質 素 な大 田区 の 家 に住 み 、 見 栄 をは るこ との ない 誠 実 な人 柄 が伺 え る と して い る。 ま た 、興 味 深 い 点 と して 池 田 と戸 田 とを彼 らの 外見 が与 え るイ メー ジか ら比較 して あ る箇 所 もあ り、池 田の き ち ん と した 髪型 、清 潔 そ うな服 装 、 ス ピーチ で の礼 儀正 しさは 、彼 の師 匠 で あ った 戸 田 とは 全 く逆 のイ メー ジ を 与 え る と記 して い る(7)。 2.Whiteの 研 究一 三 代会 長 の 人物 像 次 に、1969年出版 のWhiteの 書 い た 日本 の政 治 にお け る創 価 学会 につ い て の論 文 をみ て み る こ と にす る(8)。Whiteは 、軍 国 主義 を経 て 敗 戦 、戦 後 の経 済発 展 の 中 で民 主 主 義 を求 める 声 が 高 ま っ た時 代 背 景 の 中で 、創 価 学 会 が どの よ うに発 展 して き たか 、 主 に そ の 日蓮 仏 法 の教義 や 会長 の リ ー ダー シ ップ にっ い て政 治 的 な観 点 か ら分 析 を してい る。 彼 は 、 強 い リー ダー シ ップ は社 会 運 動 や 日本 の新 興 宗 教 に 見 られ る共 通 の 特徴 で あ る とまず 指 摘 す る。 そ して 、創 価 学 会 もそ の例 外 で は な い と し、初 代 牧 口会 長 の卓 越 した教 育 哲 学 、実 用 的 で 価 値創 造 を求 め る思 想 は当 時 の 日本 に お い て は新 しく、 以 前 に は見 られ ない もの で あ っ た と して い る。 ま た第 二 代 戸 田会長 に関 して は 牧 口 とは ま った く異 な る タイ プで あ った と評 して い る。 常 に教 育 の道 を進 んで きた牧 口 と違 い 、 戸 田 は一 度 は教 育 の道 を歩 む も挫 折 し、 出版 社 、私 塾 、印 刷 業 な ど様 々 な職 業 を経験 す る。 さ ら に彼 は商 才 に もた け て お り、 牧 口が設 立 した 創 価 教 育 学 会 の財 政 的 な面 を担 っ て い く。本 書 で は 、 牧 口 と戸 田 を以 下 の よ うに比 較 して い る。 IncontrasttoMakiguchithescholar,methodica1,steady,persuasive,puritanicalin personalhabits,meditative,andspeculative,Todawasahard-sellpitchmanforhis faith:frank,vigorous,oftenrude,talkative,fondoftobaccoandalcoholinquantity, impulsive,andactivist(p,102), 牧 口を学 者 で あ り、几 帳 面 で しっか りした 、説 得 力 の あ る、 非 常 に厳 格 で理 論 的 な性 格 と評 す る (7)Brannen ,SolfaGalckair/bpan/sMiiita/lt、Budと (8)JamesWilsonWhite 防 ゴsts」P,88, ,Mass"ヒ)vθmθnちMilゴt∂ntノ?θ1igionandDθmocracy'1乃 Politゴcs,DoctoralDissertation,StanfordUniversity,1969, -32一 θSokaG∂kkaiゴ 刀 ノbP∂nese 創 価教 育研究第6号 一方で 、 戸 田の 飾 らず に腹 を割 って 話 す性 格 や 、精 力 的 で 、時 に は無 作 法 な とこ ろ も あ り、 弁 が 立 ち、 煙 草 と酒 を好 み 、推 進 力 が あ り、 活 動家 で あ った 部 分 を評 して 「 強 烈 な売 り込 み に長 け た 宣 伝 マ ン」 で あ る と対 比 させ て い る(9)。 こ の見 方 は、 よ く戸 田の イ メ ー ジ と して 評 され る点 と 違 わず 、一 面 的 な もの と もい え る。 そ し て 、現 職(1969年 当 時)の 創 価 学 会 会 長 で あ る 池 田 氏 に つ い て は 以 下 の よ うに ふ れ て い る 。 Althoughanextremelyableorganizer,aswasToda,Ikedaisalsoand"organizationman・', Smoothandurbane,persuasiveratherthanvituperative,....(中 略)M・resubtleand flexible,1essopenandideologicalstylethanToda,heisverymuchtheimageofthe leaderofanorganizationwhichhasarrivedandfeelssecureandconfident(P.103). 池 田の 人 物像 につ い て 、強 烈 な有 能 さで リー ダー シ ッ プ を とって い た 戸 田 と比 べ て 、 池 田は 「 組 織 人 間 ・組 織 作 りの上 手 な 人(organizationman)」 だ と評 して い る。ス ピー チ が 上 手 く、洗練 さ れ て お り、 毒 舌 を振 る うとい うよ りは説 得力 の あ る話 を し、敏感 で 柔 軟性 に 富み 、戸 田 ほ どそ の 思 想 の表 明 が あか ら さま で は ない 部 分 をあ げ て 、池 田 を安 心 で き る確 実 な 「 組 織 の リー ダー 」 で あ る と評 して い る(10)。池 田 の組 織 を牽 引す る政 治 的 手 腕 や 、 論 理 的 で 忍耐 強 く 、決 断力 に あふ れ た行 動 は 、過 去 の初 代 、 二代 会 長 よ りも強 く学 会 を 印象 付 け る も の とな っ た こ とを示 し、彼 は 多 くの会 員 の尊 敬 と信 頼 を集 め る もの とな った と半 ば 、一 部 の会 員 の間 で 池 田が崇 拝 化 され て い る とま で言 及 して い る。 崇 拝化 とま で言 って しま うと極端 な言 い過 ぎ の き らい もあ るが 、彼 の 人 格 や振 る舞 い 、彼 自身 の活 動 が創 価 学 会 の発 展 に 与 え た影 響 は甚 大 な も ので あ っ た こ とを示 す 一 例 とい え よ う。 Whiteは 創 価 学 会 が 発 展 した要 因 の一 つ と して 、非 常 に中 央 集 権 化 が進 んだ 組 織 体 系 を あ げて い る。 本 部 、 支 部 な どの 中 に本 部 長 な どの役 職 をお き、 さ らに班 と呼 ばれ る小 グル ー プ の 体制 を と る こ とで 、 座 談 会 と呼 ば れ る会 員 同士 の 草 の根 の活 動 も可 能 に しな が らも 、本 部 な どか らの指 示 も迅 速 に伝 わ る形 態 を と り、実 際 にそ れ が機 能 して い る点 を高 く評 価 して い る。 これ は 、前 出 の Brannenも 言及 して い た点 で あ り、多 くの創 価 学会 研 究 に お い て 、そ の組 織 体制 の優 秀 さ は評 価 さ れ て い る。 この本 のユ ニー ク な点 は 、 三代 に わ た る会長 の時 代 の布 教 の様 子 の違 い に 関 して も言 及 して い る と ころ で あ る。 例 え ば、 初 代 牧 口会 長 の時 は 、 主 に教 育者 が会 員 の場 合 が 多 か った た め、議 論 の 中 心 や会 員 の勧 誘 は よ り学 術 的 で教 育 学 的 視 点 を伴 うもの で あ っ た。 戸 田の 時代 に は学 会 の 折 伏 体制 は 非 常 に熱 を持 った 戦 術 的 な もの とな り、他 宗 を批 判 し破 折す る とい う行為 や 言 動 は、創 価 学 会 以 外 の 人 の 目か らみ る と時 には 常軌 を逸 して い る よ うに も見 え た とい う。 だ がそ れ は どこ (9)JamesWilsonWhite ,MassMove〃enちMilゴt∂ntRe1ゴ9ゴon∂ 刀ゴDθmocr∂cy・'Tl∼ θSo左a(∂lfkaゴinノ ヨPヨηθ5θ Politゴcs,p.102. (10)JamesWilsonWhite ,Mass"ovθmθnちMilゴt∂ 刀亡 ノ?θ1ゴ9ゴon∂ndDemocr∂07'ThθSokaGakkaゴ Polゴtics,p,103. -33一 ノ刀 ノヨP∂nθsθ 1960年 代 の 英 語 圏 の 書籍 ・論 文 に 見 られ る創 価 学 会 研 究 ま で も 日蓮仏 法 に照 ら し合 わせ た 正 しい教 義 を貫 こ う とした 姿 勢 の あ らわれ で あ る と して い る。 これ ら初 代 、 二代 会 長 に続 い て 池 田の 時代 に は、 戸 田 の時 代 の い わ ゆ る 「 好戦的、攻撃的」 と もい え る折伏 ス タイ ル は一 般 社 会 に対 して創 価 学 会 の否 定 的 印象 を強 め る と され 、布 教 の や り方 は よ り節 度 を もっ た穏 便 なや り方 に徐 々 に移 行 して い った 。 この池 田の新 しい 戦 術 は 見 事 に 成 功 し、彼 は創 価 学 会 を社 会 的 に受 け入 れ られ るべ き宗 教 団 体 の一 っ と して社 会 に認 知 せ しめ る こ と に大 き く貢 献 を した。 池 田 のス ピー チ に 関 して も、 彼 の長 期 的 展 望 や組 織 と して の信 念 をき ち ん と示 す と同 時 に 、短 期 的 に達 成 可 能 な 目標 を提 示 す る とい うや り方 は 、会 員 に対 す る よ り効 果 的 な指 導 法 に っ な が る と して、 彼 の 話 術 を高 く評 価 して い る。 ま た 、 戸 田が実 質 的 、個 人 的 な利 益 や 国 家 の発 展 な どに言 及 す るの に比 べ 、池 田は 時 事 的 な 問題 に も詳 し く、「人 の た め に尽 くす 」 と い うい わ ば利 他 主義 的 で献 身 的 な姿 勢 を示 しなが ら社 会 へ の貢 献 、利 益 、 ま た全 人 類 の 恒 久 平 和 につ い て深 く論 じて い る点 につ い て も言及 して い る。 彼 は実 際 に1960年 を皮 切 りにア メ リカ や 欧 州 へ の訪 問 を続 け て お り、そ の意 味 で も彼 の国 際 的 視 野 に立 った宗 教活 動 の先 見 性 が 見 出 され る と して い る。 ま た 、池 田 は公 式 的 に創価 学会 の会 長 と して の立 場 もあ るが 、 それ は形 式 だ け で は な く、 実 際 に多 くの会 員 た ち は池 田 との 「師匠 と弟 子 」 とい う精神 的 きず な を持 って お り、 この 公 式 と非 公 式 の役 割一 致 とい う組 織 構 造 が 、 リー ダー を頂 点 とす る創 価 学 会 の組 織 を よ り強 固 な もの に して い る とWhiteは 主 張 して い る。 創 価 学 会 の発 展 の要 因 と して 、卓 越 した リー ダー シ ップ の質 や 政 党化(11)に 成 功 した こ とな ど が 上 げ られ て い るが 、なか で も価 値 論 な どの理 論 的 背 景 と仏 法 の教 義 を現 実 社 会 の構 造 に即 して 、 実 用 的 で 即 効 性 の あ る宗 教 と して 位 置 づ け た こ と、 それ を誰 にで もわ か りや す い実 践 方 法 で示 し た こ とが他 の宗 教 とは 異 な る特 徴 で あっ た と述 べ て い る。 以 上 の観 点 に よ り、戦 前 の 創 価 教 育 学 会 を経 て 戦 後 の創 価 学会 の設 立 をふ ま え る と、 それ ぞ れ の特 徴 を持 った会 長 は三 代 にわ た っ て 変 わ りなが ら も 、会 員 は性 別 、年 齢 、社 会 的 階層 を 問 わず 幅 広 く増 大 し、 そ の布 教 活 動 は進化 し続 けて い る点 にお い て創 価 学会 は 日本 の歴 史 に お い て戦 後 社 会 にお け る類 を見 な い宗 教 団 体 の 一 つ で あ る と結 んで い る。こ の よ うにWhiteは 創 価 学 会 の組 織 構 造 にっ い てふ れ る と と もに 、三 代 会 長 につ い てそ れ ぞ れ の人 格 的 特徴 を比 較 す るな ど、独 自の視 点 が 見 られ る とい え る。 3.Datorの 研 究一 創価学会発展の要因 次 に 、Dat・rの 著 作 「S・kaGakkai,Builders・ftheThirdCivilization」 に っ い て 考 察 を試 み た い 。 彼 は 創 価 学 会 を 第 三 文 明 の 構 築 者 と し て 位 置 づ け 、 創 価 学 会 の組 織 に つ い て 、 ま た 日本 の 会 員 、 ア メ リ カ の 会 員 に つ い て 分 け て 論 じ て い る(12)。 こ の 本 の 結 論 部 分 で は 、 創 価 学 会 が 他 の 宗 教 団 体 よ り も よ り成 功 し て い る 要 因 と して 、 以 下 の (11)公 明 党 は 本 格 的 な 衆 議 院 進 出 を 意 図 し て 、公 明 政 治 連 盟 を 経 て1964年 に し て 結 成 さ れ た 。創 価 学 会 は 支 持 母 体 のひ とつ で あ る。 (12)JamesAllenDator ,SokaGaklcai,Bui!dθrsofthθThirdOivilization,UniversityofWashingtonPress, 1969, -34一 創価教育研 究第6号 5点 を あ げ て い る 。 i⊥ TheSokaGakkaioffersasimplebutcoInpleteexplanationoftheentireworld. 9自 TheSokaGakkaioffersaJapaneseexp!anationoftheworld.TheSokaGakkai,unlike Christianity,orevenorthodoxBuddhisminJapan,isnotan"importedReligion. 3 TheSokaGakkai,isnota``neず'religion.Whi!eitsphenomenalgrowthispostwar, andwhileitsorganizationalbeginningwasjustbeforethewar,stillitclaimsto benomorethanalayorganizationaffiliatedwiththeseven'hundredyearoldNichiren Buddhism. 4 Sok合Gakkaiispracticaland``this-worldly.,,Thetruepurposeofreligion,says theSokaGakkai,istogiveneachpersoni㎜ediate,worldly,personalhappiness. 5 WhiletheSokaGakkaistressestheequalityofallmembersinthatallareequal whentheyentertheSokaGakkai,andsocialpositionissaidtomakenodifference withirltheSokaGakkai(thus,wehavebeentold,thejanitorofabankmaybeateacher andthebankpresidenthispupil),theSokaGakkaiprovidesforintraorganizational rankingonthebasisofindividualeffort(PP.136-139). 要 約 す る と、1点 提 示 してい る。 2点 目 は 、 創 価 学 会 は 世 界 観 と い う も の に 対 して 、 単 純 で な お か つ 完 壁 な 説 明 を 目は 、創 価 学 会 はい わ ゆ る と して世 界 に紹 介 され た 。3点 年 前 の鎌 倉 時 代 の 日蓮1こ端 「輸 入 し た 宗 教 」 で は な く 、 日 本 で 発 展 し た 宗 教 目 は 、 創 価 学 会 は い わ ゆ る戦 後 の 「新 し い 」 宗 教 で は な く 、700 を 発 す る 仏 教 を 基 盤 と す る 団 体 で あ る 。4点 「世 俗 的 」 と も 見 ら れ る 部 分 を 持 っ 。5点 利 益 を約 束 す る な ど、実 用 的 で そ の組 織 内 特有 の役 職 が あ り、 会 員 の 学 歴 や 社 会 的 地 位 は 関 係 な い(13)。 目は 、 創 価 学 会 は 現 世 の 目は 、 創 価 学 会 に は さ らに 、布 教活 動 の徹 底 や 会員 同 志 の 円滑 な コ ミュ ニ ケ ー シ ョン が そ の組 織 を確 固 た る もの に して い る と評 価 して い る。 彼 の見 解 は 、創 価 学 会 に対 して 批 判 的 な 部分 も 多い が 、事 実 を的確 に指 摘 して い る点 は 評 価 で き る も ので あ る。 4.M6trauxの 研 究 一 教 育 ・平 和 活 動 へ の 言 及 次 に 、DanielA.Metrauxの 著 作 を2点 紹 介 し た い 。 彼 は 、1960年 代 か ら数 回 に わ た っ て 日本 に 研 究 で 滞 在 す る な ど、 フ ィー ル ドワ ー ク を 通 し た ア ジ ア の 宗 教 ・思 想 研 究 を 専 門 と し 、1992年 に 創 価 大 学 の 客 員 研 究 員 と し て も研 究 を 行 っ て い る 。彼 のThθffistoTyandTheoiOgy・t'SokaGaAlkaiAfapanesθReiigionと い う著 作 は 、 創 価 学 会 に っ い て そ の 歴 史 や 戦 後 の 学 会 の 発 展 、 ア メ リ カ へ の 布 教 の 様 子 や 、 世 界 へ の,SGIの 活 動 の 広 が り、 公 明 党 の 政 治 活 動 や 創 価 学 会 と 中 国 と の 関 連 な ど に っ い て 、 歴 史 的 、 政 治 的 、 外 交 的 な 様 々 な観 点 か ら創 価 学 会 を 論 じ て い る(14)。Metrauxは (13)JamesWilsonWhite ,〃lassMovθmenち 〃ゴ1ゴt∂∬ ヱ亡 ノ?θ1ゴ9ゴo刀 ∂na「」OemocT∂cy・'Zゐ θ50左 ∂6iヨ」kk∂ ゴ 〆z1加 Politゴ05,pp.136-139. (14)DanielA .M6traux,ThθHistory∂ ηゴZう θ0108γofSok∂6∂ Press,1988. -35一 敏 ∂ゴー ノ4ノ高ρ∂nesθ1∼ θligゴon,TheEdwinMellen ∂ηθ8θ 1960年 代 の英 語 圏 の書 籍 ・論 文 に 見 られ る創 価 学会 研 究 冒頭 で 、創 価 学会 は近 代 目本 の歴 史 にお け るユ ニ・ 一 ク な現 象 で あ る と述 べ 、 この よ うに広 く行 き 渡 った 社 会 的 運動 と して 成 功 した 仏 法 を基調 とす る宗 教 団体 は他 には な い と強 調 す る。 創 価 学 会 の 目的 は社 会 を仏 法 の見 地 か ら改 革 す る こ とで あ り、仏 法 をた も ち、 実践 す る こ とに よ り、 人 々 は よ り幸福 にな り、世 界 に平 和 が もた ら され る とす る。 彼 は、 戦 後 の い わ ゆ る 「 新興宗教」の発 展 の要 因 にっ い て 、1,「 宗 教 の 自由」 の思想 の流 布2,第 オ ロ ギー の 失 敗3,戦 二 次 世 界 大戦 中 の政 府 の政 策 や イ デ 後 の多 くの 日本 人 の貧 困 、絶 望 、そ して 孤独 をあ げ て い る(15)。創 価 学 会 の前 身 で あ る創 価 教 育 学 会 の創 始 者 、 初 代牧 口会 長 の思 想 にっ い て も述 べ た後 、戦 後 の戸 田会 長 の活 動 にっ い て 、 それ は 日本 全 体 を仏 法 を通 して改 革 しよ うとす る大 き な試 み で あ った と評 し てい る。 戸 田は仏 法 と社 会 を融 合 した もの と して と らえ てお り、彼 は創 価 学 会 の思 想 的 ・組 織 的 基 盤 を彼 の 代 で確 固 た る も の と した 人 物 として書 かれ てい る。 こ こで 、Metrauxは 池 田の功 績 の一 つ で あ る、創 価 教 育 の思 想 を基盤iにした一 貫 教 育 機 関 の設 立 にっ いて ふ れ て い る。 これ は先 に述 べ た2冊 の1960年 代 の著 作 で は 言及 され な か った 点 で あ る。 Metrauxは 、教 育 は創 価 学 会 の歴 史 と思 想 を語 る上 で欠 かせ ない 特別 な 役割 を担 っ てい る と強 調 し て い る。も とも と創 価 学 会 の 前 身 は 教 育者 の集 ま りで あ っ た創 価 教 育 学 会 で あ った こ とに もふ れ 、 初 代 牧 口会 長 が教 育者 で あ った こ と、ま た 戸 田会 長 の時 代 か ら創 価 一 貫教 育 を作 る とい う構 想 が あ り、 それ が 池 田の 時代 に実 現 した こ とにつ い て述 べ て い る。1988年 当時 で は 、札 幌 に幼 稚 園 、 東 京 と大 阪 に小 学校 か ら高 校 まで の一 貫 教 育機 関 、東 京 の八 王 子 に創 価 大 学 と創 価 女 子 短 期 大 学 を構 え 、ア メ リカ と ヨー ロ ッパ に語 学 研 修 セ ン タ ー を擁 す る な ど世 界 に教 育 の舞 台 を広 げて い る (2007年 現 在 は、 ア メ リカ ・カ リフ ォル ニ ア州 に4年 制 大 学 、 大 学 院 、 ま た香 港 、マ レー シ ア 、 シ ン ガ ポー ル に創 価 幼 稚 園 、ブ ラジ ル に創 価 幼 稚 園 と創 価 学 園 を持 っ)。著 者 自身 が創 価 大 学 を訪 問 した とき の感想 も述 べ られ て い るが 、 非 常 に設 備 の整 っ た建 物 や 図 書館 が あ り、教 職 員 の 労 働 条件 も よい と述 べ て い る。 大 学 の将 来 に関 して も、 ま だ 開校 聞 もな くて 日本 を代 表 す る私 立 大 学 とま で はい か ない が 、将 来 そ うな る 可 能性 は あ るで あ ろ う と指 摘 して い る(16)。Metrauxは 巷 に 学 会 批 判 は多 くあ る もの の 、 これ らの教 育 機 関 は次 代 の人 材 の社 会 化 に大 き く貢 献 を してい る と創 価 教 育 を高 く評価 して い る。 結 論 部 分 で は、創 価 学 会 につ い て以 下 の よ うに述 べ て い る。 御 書 を読 み 、題 目を あ げ る とい う 日蓮仏 法 の教 義 どお りの実 践 をす る こ とに よっ て 、す べ て の人 は 自身 の仏 性 を 開 くこ とが で き、 ひ い て は人 々 を も幸福 に して い くこ とが 可 能 で あ る と主 張す る創 価 学 会 は 、 自身 を13世 紀 の 日蓮 の 思想 を正 し く汲 む真 実 の教 団 で あ る と強 調 して い る。こ の よ うにMetrauxの 論 点 は 、彼 が 日本 に 滞在 経 験 が あ る こ とか ら も他 の海 外 の著 作 に比 べ る と、具 体 例 が 多 く、 わ か りや す い 反 面 、 国 内 の研 究者 の論 点 とあ ま り変 わ らな い とい う印 象 を持 っ た。 (15)DanielA (16)DanielA .M6traux,TZ∼ θHistory∂ndTheologア .M6traux,TheHistoTy∂ndThθologア ・ofSo左aGakkai-14ノ ・ofSokaG∂klraゴ -36一 ヨP∂ノ2θ5θRe1ゴ8ブo」o)P,21, ー ノ1ノヨpa刀 θ5θRθ1ゴ9ゴon,P,128. 創価教育研究第6号 Metrauxの2冊 目の 著 作 、TheSokaGakkaiRevolutionに つ い て も少 しふ れ て お き た い(17)。こ の本 は 日本 語 にす る と 「 創 価 学 会 革命 」 と もい え る も ので あ り、 創価 学会 の歴 史 と教 義 か らは じ ま り、 第 二 次 宗 門 問題 、教 育 機 関設 立 へ の ア プ ロー チ 、海 外 の創 価 学 会 にっ い て論 じる と共 に、 1章 分 を使 って 池 田につ いて 述 べ て い る。 前 の著 作 との違 い は、1994年 に 出版 され てい る こ とも あ り、宗 門 問題 につ いて も着 目す るな ど、そ の 当 時 の 時代 背 景 を反 映 して い る もの とな っ てい る。 彼 は 冒頭 で 、 池 田の数 あ る著 作 の代 表 作 の タイ トル で もあ り、 ま た創 価 学 会 の 宗教 を理 解 す る上 で キー ワー ドとな る言葉 、 「 人 間 革命 」 とい う概 念 につ い て 言 及 して い る。Metrauxは 人 間革 命 の 意 味 は 、仏 法 を根 本 に した一 人 の 人 間 の 内 な る人 間 革命 ・宗 教 革 命 と、個 人 の 人 間革 命 か ら波 及 す る社 会 の革 命 、ひ い て は世 界 の 変革 に ま でそ の趣 旨 を広 げ て お り、 そ の意 味 で 創価 学 会 の活 動 自体 を 内 的 かっ 外 的 な広 が り を もっ 『革 命 的 な』 もの で あ る と評 して い る。 こ の本 は 、1992年 に 著 者 が 客員 研 究員 と して創価 大 学 に滞在 中 に書 か れ た もの で あ り、 同 大学 の北 教 授 や 中 野教 授 、 東洋 哲 学研 究 所 の塩 津 教 授 と も接 触 が あ っ た と述 べ て い る。 さ らに 、 池 田 を は じめ とし 当時 の創 価 学 会 会 長 で あ る秋 谷 氏や 副 会 長 の西 口氏 にっ い て も謝 辞 を述 べ て い る。 本 書 で の 特 筆す べ き 点 として は 、 この 本 で池 田 を称 す る とき に戸 田の弟 子(disciple)と いう 表 記 が は じめ て 出 て くる(18)。これ は 、海 外 の研 究 者 が 創 価 学会 を論 じる際 に も 、学 会 が 師 匠 と 弟 子 とい う師 弟観 を根 本 に して い る とい う社会 認 識 が 徐 々 に あ らわ れ て き て い る こ との反 映 とい え よ う。 さ らに、 教 育機 関 の設 立 にっ い て も、仏 法 を基 調 と した 人 道 的 で 豊 か な 人 間性 を持 った 人 間 を輩 出す る教 育 とい う営 み に着 目 した 三 代 会長 を他 の宗 教 団 体 に は見 られ な い ユ ニ ー ク な先 見性 が あ る と評 価 して い る。 ま た 、平 和 教 育 とい う観 点 を創 価 学 会 の 仏 法 の思 想 と関連 させ て論 じて い る 点 に もMetraux独 特 の 着 目点 が見 受 け られ る。彼 は 、 平 和 とい う言 葉 に関 して 以 下 の よ うに述 べ て い る。 平 和 は仏 法 の 中で も意 昧 の深 い概 念 で 、 個 人 の 内 面 的 な 「 心 の平 和 、穏 や か さ」 とい う意 味 か ら、 他 者へ の 寛 容 と共 存 共 栄 の精 神 を含 ん だ 、 社 会 の 中 で の 「 人 々 の調 和 、 ひ い て は国 家 間 の平 和 」 にま で そ の意 味 す る もの は広 が っ てい る。 創 価 学 会 は 、仏 法 の生命 尊 重 の考 え か ら見 て 、人 間 の 仏 性 を 開 き 、 よ りよい 人 生 を送 る た め に は人 々 の 生命 が最 大 限 に守 られ 、認 め られ る平 和 な社 会 は不 可欠 な も ので あ り、尊 き 人権 や生 命 を損 害 す る戦争 の ない 社 会 の実 現 を 目指す べ き で あ る と主 張 して い る。そ こで 、創 価 学 会 の一 っ の公 言 され て い る 目標 と して 、真 実 の恒 久 平 和 が あ げ られ てい る。 Metrauxは 以 下 の よ うに述 べ て い る。(19) OneoftheprofessedgoalsoftheSokaGakkaiistherealizationofagenuine,lasting worldpeace,Itseeksaglobalenvironmentwheremanwouldliveinharmonywithhis neighbors,problemslikethedestructionoftheenvironmentwouldberesolved,and (17)DanielA (18)DanielA (19)DanielA .M6traux,Thθ50左 ∂G∂ 左左aゴRθvolution,Maryland:UniversityPressofAmerica,1994・ .M6traux,T白 θ50左 .M6traux,7乃 θ50左 ヨGalf左aゴ ∂G∂ ノ ヒ 左∂ゴReγolutゴoη,P.2, ノ?evolution,P,113. -37一 1960年 代 の 英 語 圏 の 書 籍 ・論 文 に 見 られ る創 価 学会 研 究 individualswouldbeabletomaximizetheirfullestpotentials("valuecreation") withoutinflictingharmonothers.TheSokaGakkaihasdefinedpeaceasharmonious wayoflifewherewarneverbeinvokedasamethodofsolvingdisputesandmanwould befreetoworknotonlyforthebettermentofhisownlife,butthelivesofallother Peopleaswel1(p,113), この よ うに創 価 学 会 の 目指 す もの として 、仏 法 を基 調 とした 恒 久 平和 の実 現 が あ げ られ 、 それ を 推 進 す るた めに 平和 教 育 や 「 核 の 脅 威 展 」 の よ うなSGIの 各 種 の平 和 活 動 が 行 われ て い る 点 を Metrauxは 高 く評 価 して い る。(20)創 価 学 会 は宗 教 団 体 と して 、仏 法 を布 教 す る のみ な らず 、 仏 法 を根 本 に社 会 の根 源 的 な改 革 、 人 々 の意 識 改 革 、ひ い て は世 界 の変 革 にま で 広 く意識 を向 け て い る。 これ は 、他 の宗 教 には 見 られ な い創 価 学 会 の大 き な特 色 とい え よ う。 ま た 、SGIは1983 年 に国 連 よ りNGO団 体 と して 活 動 を認 可 され 、 多 く の軍 縮 や 平和 、教 育 に関 す る展 示活 動 を推 進 して い る点 をあ げ なが ら、MetrauxはSGIの 広 範 な 平和 運 動 につ い て論 じて い る。(21) 池 田 自身 の 平 和活 動 に 関 して は 、1983年 以来 、.毎年1月26目 のSGIの 創 立 記 念 目に 「 平和提 言 」 を発 表 し、仏 法 の人 間 主 義 の観 点 か ら、平 和 や 軍 縮 、 環境 や 教 育 な どの 地 球 的課 題 に幅 広 く 言 及 して い る。2005年 には 、池 田が提 唱 した国 連 の 「 人 権 の教 育 世 界 プ ロ グ ラム 」 「 持 続 可能 な 開 発 の た めの 教 育 の10年 」が ス タ ー トして い る。 これ らの活 動 は 、「 教 育 は子 どもの 幸福 の た め に あ る」 と主 張 し、 軍 国主 義 の 日本 政府 に敢 然 と立 ち 向か った 牧 口初 代 会 長 の精 神 や 、原 水爆 禁 止 宣 言 を行 った 戸 田第 二代 会 長 の 平 和 を希求 す る願 い 、 こ うした2人 の師 匠 の深 き精 神 を そ の ま ま 引 き継 い で い る もの とい え 、創 価 学 会 の 三代 に わた る平 和 へ の 強 い思 い が、 現 代 に結 実 して い る一 つ の 証 とい え よ う。(22) 5.そ の 他 のSG互 研究 こ こ で 、論 文 を2本 ドイ ツ のSGIに ほ ど 紹 介 し た い 。一 っ は 、ア メ リ カ のSGIに 関 す る も の で 、も う一 つ は 、 関 す る も の で あ る 。 そ こ で 、 池 田 の リー ダ ー シ ッ プ が どの よ う に会 員 に 影 響 を 与 え るか を分 析 して みた い 。 SnowはThθFutUTθ ・f7VervRθligi'・UsM・vementsと い う本 の 中 で 目蓮 仏 法 とア メ リカ の 創 価 学 会 に っ い て 、 そ の 組 織 、 イ デ オ ロ ギ ー と活 動 に っ い て 論 じ て い る(23)。 彼 は 、1960年 (2。)SGIの 界16力 平 和 活 動 の 一 つ と し て 、 国 連 を 支 援 し て の 「核 の 脅 威 展 」 が あ り 、1982年 国25都 平 和 を訴 え る 市 で 開 催 し た 。 ま た 、 国 内 で は 、100点 を 超 え る 反 戦 出 版(戦 の池 田 のア メ か ら1988年 争 体 験 集)の にか け て 世 編 纂や 、市 民 に 「反 戦 ・反 核 展 」 な ど も 各 地 で 開 催 し 、 大 き な 反 響 を 呼 ん で い る 。 (21)SGIは1983年5月 た 。 ま た 、1989年 に 国 連 経 済 社 会 理 事 会 に 協 議 資 格(諮 に ユ ネ ス コ を 支 援 す るNGOと 問 的 地 位)を 持 つNGOと して 正 式 に認 可 され し て も 正 式 に 登 録 し、 「世 界 の 教 科 書 展 」 「世 界 の お も ちゃ と教 育展 」 な ど教 育 へ の 国 際 的 な意 義 啓 発 の 場 と して 多彩 な活 動 を推 進 して い る。 (22)戸 田 は 、1957年9E8目 、 横 浜 ・三 ツ 沢 競 技 揚 で 「原 水 爆 禁 止 宣 言 」 を 発 表 。 原 水 爆 は 「生 存 の 権 利 」 を 脅 か す 人 類 の 敵 で あ り、 使 用 者 は 戦 争 の 勝 者 ・敗 者 を 問 わ ず 絶 対 に 許 し て は な ら な い と 強 く訴 え た 。 (23)DavidA .Snow,`Organization,Ideology,andMobilization:TheCaseofNichirenShoshuofAmerica,, -38一 創価教育研 究第6号 リカ訪 問 よ り会 員 数 が 大 幅 に増 大 して い るSGIの SGIの 組 織 にっ い て 言及 してい る。1970年半 ば に は、 会 員 数 は20万 人 を超 え て お り、 そ の発 展 の理 由 と して 、 彼 は創 価 学 会 が 日蓮 仏 法 の 実 践 に よ る(あ る意 味 即効 的 に も感 じ られ る)物 質 的 、精 神 的 、身 体 的 「 功 徳(利 益)」 を約 束 した こ と をあ げ て い る。 もち ろ ん 日蓮 は 、 全 人類 の幸 福 が達 成 され た 時 には じめ て一 人 一 人 の 幸福 も完 結 す る とい う仏 の本 質 を持 って い るの で あ る が 、御 本 尊 に 向か って 「 題 目」 を唱 え る とい う毎 日 の 仏 道 修 行 と、 この 日蓮 仏 法 を他 者 に布 教す る とい う 「 折 伏 」 とい う行為 の2つ に よ っ て、 人 は 自 己 の弱 い 生命 を強 く開 かれ た もの へ と変 革す る こ とが で き 、そ れ が ひ い て は幸 福 の達 成 、 社 会 の発 展 に繋 が る と して い る。 つ ま り、 創 価 学 会 は 、 日蓮 仏 法 を基 調 とす る人 類 の 平和 と幸 福 を 目 指 す 団体 で あ り、 池 田の言 う 「 人 聞 革命 」 を通 して一 個 の 人 間 が新 しい 自分 自身 を見 出 して い く こ とに よ っ て 、新 しい 人 生 を切 り拓 い て い くこ とが で き る もの で あ る として い る。 そ して個 人 の 変 革 を通 して平 和 で 幸 福 な世 界 を 目指 す こ とを創 価 学 会 の 究極 の 目的 として い る。 Sn・wは、SGIの 発 展 の要 因 につ い て 、 日本 の 池 田の 強 い リー ダ ー シ ップ に よ り、 多 くの会 員 の信 頼 と尊 敬 を得 る こ とにな っ た点 につ い て も言 及 して い る。 ま た 、SGIの そ の経 典 の 学 習 につ い て ふ れ て い る。SGIで 教 義 につ い て も 、 は 日蓮 仏 法 を学 ぶ 際 に 「threeproofsJ、 日本 語 で い うと三 証 や 三大 秘 法 な どの用 語 にっ い て 、そ の経 典 か らも正 し く理 解 し、 な ぜ 日蓮 仏 法 が 正 し く、 な ぜ そ の信 仰 を た もっ こ とが そ の人 に とっ て プ ラス に な る(利 益 に な る)の か とい う点 を客 観 的 に分 析 し よ うとす る姿 勢 が伺 え る ㈱ 。 こ の傾 向性 は 、信 仰 に 関 して受 身 的 で は な く能動 的 な選 択 をす る海 外 の メ ンバ ー に よ く見 られ る もの で あ る とい え よ う。また 、組 織 体 制 に関 して も、 オ ー プ ン なネ ッ トワー ク を持 ち、 か っ会 員 同士 の 強 固 な精 神 的 っ なが りを可 能 せ しめ る階 層 的 な 構 造 を も って い る。 そ の 中 で は組 織 内 の連 絡伝 達 が効 率的 に行 われ て お り、非 常 に機 能 的 で あ る と高 く評 価 して い る。 この よ うに、 人 的 な側 面 、組 織 的 な側 面 、ま た 教 義 的 な側 面 か らみ てSG Iは 非 常 にユ ニ ー クな イ デ オ ロ ギー を持 ち、 そ れ が 首尾 よ く成 功 して い る状 態 で ア メ リカ社 会 に 一 つ の宗 教 運 動 と して 広 が っ てい る とSnowは 結 ん で い る。 池 田の功 績 にっ い て は 、論 文 中 で そ の カ リス マ 的 な 強 い リー ダ ー シ ップ 、 ま た 戸 田 の 時代 の激 しい 折伏 運 動 を よ りmoderate(穏 健)で 民 衆 に受 け入 れ られ やす い形 に変 容 させ て い っ た こ と、 ま た ア メ リカ を皮 切 りに、今 は世 界190力 国 までSGIの 活 動 を広 め た とい う布 教 の海 外 進 出 に 関 す る貢 献 な どが挙 げ られ て い る。 宗 教 団体 も 、 限 られ た 国 や 文化 の制 約 の 中で 存 在す る こ とを考 え る と、 布 教 の や り方 も時 代 や社 会 背景 が 変 われ ば変 化 せ ざ る を えな い。 そ の 時 々 で 一番 適 切 な や り方 を選 ぶ とい う点 で 、彼 には 先 見性 が あ っ た の だ とい え よ う。 inDavid(}.BromleyandPhillipE,Ha㎜ond(eds),ThθFutureof?Ve」rRθligiousMovemellts,Macon Georgia:MercerUniversityPress,1987, (24)三 証 は 日蓮 が 宗 教 の 正 邪 を 見 極 め る た め に 用 い た 判 定 基 準 の こ と で 、文 証(証 証)の 三 っ を い う。 三 大 秘 法 は 英 語 で 、rthreegreatsecretlaws」 大 秘 法 」 と い う。 「本 門 の 本 尊(人 文)・ 理 証(道 と な り、 正 式 に は 理)・ 現 証(実 「法 華 本 門 の 三 本 尊 が 目蓮 大 聖 人 、法 の 本 尊 が 、事 の 一 年 三 千 の 南 無 妙 法 蓮 華 経)」 「本 門 の 戒 壇(事 の 戒 壇 が 本 門 の 本 尊 所 住 の 処 、義 の 戒 壇 が 本 門 の 本 尊 を 安 置 し、受 持 す る す べ て の 処)」 、 「本 門 の 題 目(信 の 題 目 と は 、本 門 の 本 尊 を 信 じ る こ と 、行 の 題 目 と は 南 無 妙 法 蓮 華 経 を 弘 め る 化 他 の 実 践)」 を さす 。(創 価 学 会 教 学 部 編 『教 学 の 基 礎 仏 法 理 解 の た め に 』 聖 教 新 聞 社 、2002年) -39一 1960年 代 の英 語 圏 の 書 籍 ・論 文 に 見 られ る創 価 学 会 研 究 2つ め の海 外 で の布 教 の例 として 、 ドイ ツSGIに つ い て書 か れ た論 文 をあ げ て み る こ とにす る(25)。IoneSCUは 、 日本 の仏 教 で あ る 日蓮 仏法 が 、 どの よ うな形 で キ リス ト教 の 宗教 的 土 壌 の あ る ドイ ツで が 布教 され てい った の か にっ い て論 じてい る。2000年 当時 は、 ドイ ツSGIの の割 合 はわ ず か5%で SGIの 日本 人 あ り、 残 りは ドイ ツ 人 、他 の ヨ・一ロ ッパ 系 人種 が会 員 を 占め る。 布 教 が成 功 した 一 っ の 理 由 と して 、 まず は現 地 の文化 や 風 習 に適 応 す る形 で布 教 を進 めた こ とが あげ られ る。 仏 法 で い う随 方 毘尼 の教 義 を用 い て 、本 質 的 な教 え に 背 か な い 限 り、 そ の社 会 の特 質 や 時代 の風 習 に合 わ せ て布 教 を行 っ た ので あ る ㈲ 。 そ して そ の 際 に宗 教 を単 に神 秘 的 な もの とと らえ る よ りも、 実 質 的 な利 益 を得 る手 段 として位 置 づ け る こ とに よ り、祈 る こ と で実 際 の功 徳(例 え ば 、 良い 就 職 先 や経 済 的成 功 、人 間 関係 の 改 善 、病 気 の 克 服 な ど)が 得 られ る点 を強 調 した こ とを あ げて い る。 っ ま り、瞑 想 を した り、 は っ き り しな い 対 象 に 向 か って た だ 祈 った り拝 んだ りす る宗 教 で は な く、 生活 に密 着 した 問題 を解 決 し、 よ り幸福 な 人生 を 築 く た め の宗 教 で あ る こ とが 明確 に示 され 、 そ して そ の方 法 が 分 か りやす く現 地 の 風 土 に 合致 したや り方 で広 め られ て い っ た こ とが 布 教 が 進 ん だ一 因 とい え よ う。 終 わ りに 本 稿 で は 海 外(英 語 圏)で 出版 され た創 価 学 会 研 究 ・池 田研 究 にっ い て 、 レ ビュ ー を行 うこ と を 目的 とした 。 当初 、2000年 代 ま で の レ ビュー を 目標 に文 献調 査 を始 めた が 、90年 代 以 降 の論 文 が あ ま りに多 く、今 回 は60年 代 か ら80年 代 まで と比 較 的 初 期 の創 価 学 会 の発 展 か ら第 二 次宗 門 問 題 前 まで の 時 期 につ いて 言 及 した 書籍 や論 文 に と どめ る こ と と した(多 少 で は あ る が 、1994年 の Metrauxの 著 作 と2000年 のIonescuの 論 文 につ い て もふ れ る こ と とな った)。 今 回 の レ ビ ュー を通 して 、 著 作 や論 文 の 中 で論 じられ て い た こ とを大 き く3っ の論 点 か らま と めて み た い 。 まず1点 目は、創 価 学 会 の発 展 の理 由だ が 、 これ は 、今 回 あ げ た 多 くの著 作で は 、 戦 後 の不 安 定 な社 会 情 勢 と精神 的 よ りどこ ろ を求 め る人 々 の要 望 が創 価 学 会 とい う宗 教 団体 の理 念 と布 教 の 勢 い と合 致 した とい う 日本 の歴 史 的 ・社 会 的 背 景 が あ げ られ た。 次 に 、 日蓮仏 法 の教 義 が 非 常 に シ ンプル な も ので あ り、 かつ 実 用 的 で 現 世 利 益 を約 束 す る もの で あ っ た点 が あ げ られ た。 さ ら に 、三代 会 長 そ れ ぞ れ の リー ダ ー シ ッ プが 強 く、 会員 を ひ きっ ける魅 力 と引 率力 に優 れ てい た こ と と、加 え て組 織 が 縦 の連 携 と横 の連 携 をバ ラ ンス よ く組 んで あ り、 強 固 な構 造 を持 っ てい た こ とが あ げ られ た 。 2点 目に 、 海 外 研 究 のnニ ー ク な点 と してWhiteの 三 代 会 長 の 人物 像 や 役 割 の 比 較研 究 が見 られ た。彼 は 、牧 口初 代 会 長 を 「 学 者 」、戸 田二 代会 長 を 「 優 れ た宣 伝 マ ン」 と、 そ して 池 田 を 「 紳士 (25)SandaIonescu ,`AdaptorPerish:TheStoryofSokaGakkaiinGermany,,inPeterB.Clarke(eds), JapaneseNewReligionsinGlobalPerspective,Richmond:CurzonPress,2000. (26)さ ま ざ ま な 文 化 の 多 様 性 を 認 め 、そ の 在 り方 を 最 大 限 に に 尊 重 す る 仏 法 の 考 え 方 か ら 出 て き た 法 理 の 一 つ で あ る。 「随 方 」 と は 、 地 域 の 風 習 に 随 う こ と で あ り 「毘 尼 」 と は 、 戒 律 の 意 味 で あ る 。 仏 法 の 根 本 の 法 理 に 違 わ な い か ぎ り、 各 国 ・各 地 域 の 風 俗 や 習 慣 、 時 代 の 風 習 を 尊 重 し 、 そ れ に 随 うべ き で あ る と した 教 えで あ る。 -40一 創価教育研 究第6号 的 で 国 際 的 」 で あ る と評 し、そ れ ぞ れ の違 い を鮮 や か に描 く と と もに 、各 会 長 在 任 の 時 代 に応 じ た創 価 学会 の発 展 の あ り方 に、 そ れ ぞ れ の リー ダー シ ップ が 見 事 に合 致 して いた こ と を示 した。 宗 教 を歴 史 的視 点 で見 る とき に、 そ の 時 代 時代 にお け る リー ダ ー の 役 割 が正 しく遂 行 され て い る か を検 証す る こ とは非 常 に重 要 で あ り、 そ の意 味 で 、 彼 の 論 点 は 新 しい知 見 を提 供 して い る とも い え よ う。 3点 目 と して 、池 田 の創 価 学 会 に、 そ して 日本 社 会 に対 す る功績 に っ いて 論 及 した 点 にっ い て 述 べ た い。1960年 代 の著 作 で は 、 戸 田の 時代 に激 しい 勢 い で 展 開 して い た折 伏 の ス タ イル を 、 当 時 の 民衆 に よ り受 け入 れ られ や す い 形 に徐 々 に変 容 させ て い っ た とい う点 、っ ま り時代 の要 望 に 合 わせ て組 織 の動 向 を敏 感 に察 知 し、 一番 適 切 な方 向 に統 率す る とい う池 田 の リー ダ ー シ ップ の 優 秀 さが と りあ げ られ てい る。さ らに 、戸 田の 時代 に は 「 東 洋 広布 」とい う言 葉 で 表 され て い た、 創 価 学会 の海 外 へ の布 教 活 動 を具 体化 し、「 世界 広 布 」を現 実 の もの と した点 に彼 の 活躍 が高 く評 価 され て い る。1960年 に池 田の初 の海 外 訪 問 が始 ま り、 創 価 学 会 の海 外 組 織 の拡 大 に と もな い1975 年 にSGIが 発 足 し、池 田 はSGI会 長 に就 任 した 。現 在 で は世 界190力 国 にSGIの 擁 す るま で に な っ て い る。 これ は 、海 外 で の布 教 活 動 、SGIの メ ンバ ー を 活 動 の広 が りに も池 田 の リー ダ ー シ ップ が反 映 され て い る こ との 現 れ とい え る。 日蓮 正 宗 の 体 質 は あ ま りに封建 的 で前 時代 的 で あ った が 、 そ の 目蓮 仏 法 の教 義 を大 衆 に も理 解 しや す い もの と して現 代 に よみ が え らせ るこ とが で きた の は 、池 田 の一 つ の大 きな 功 績 とい え る。 彼 が 現 代 に即 して布 教 をす す め 、 そ の 国 の文 化 や慣 習 に逆 ら うこ とな く、地 域 風 土 に あ わせ た 布 教 の や り方 を行 う とい う対 策 が効 果 的 に と られ て きた こ との結 果 とい え よ う。 さ らに1980年 代 に な る と、創 価 一 貫 教 育 にっ い て も言及 す る論 文 が増 えて い る。 も と も と初 代 牧 口会長 が教 育者 で あ り、創 価 学 会 の 前身 が創 価 教 育 学 会 で あ っ た こ と、池 田 も教育 を最 後 の事 業 と して位 置 づ け てい る こ とか ら も、創 価 学 会 は一 宗 教 団 体 と して だ けで な く、 教育 とい う営 み に価 値 を置 き 、幼 稚 園 か ら大 学 、 大 学 院 ま で一 貫 した機 関 も併せ 持 っ こ とで 理想 的 な人 格 的 基盤 を持 った 人材 を養 成 す る シス テ ム を後 世 に残 した とい う点 をMetrauxは 高 く評 価 して い る 。 これ ら、Brannen,White,Datorの 研 究 は 、創 価 学 会 の歴 史 的 な流 れ や 三 代 会長 の リー ダー シ ッ プ につ い て の言 及 に 関 して は、海 外 の研 究者 か らみ た創 価 学会 研 究 と して 価値 の あ る も の とい え る。 しか し、 史実 的 な部 分 な どか ら見 て1960年 代 とい う今 か ら30年 以 上 も前 の 文献 で あ るが た め の 正確 性 に 関す る 限界 も見 られ る。Metrauxの 研 究 は80年 代 とい うこ とで 、60年代 以 降 のSGIの 海 外 活 動 の発 展 や 、創 価 一 貫教 育へ の言 及 が あ る とい う点 で 新 しい 視座 を提 供 して い る。さ らに、 文 献研 究 の み な らず 、彼 自身 が 目本 に研 究員 として 滞在 す る中 で の会 員 へ の イ ンタ ビュ ー も含 め た 実 地調 査 をふ ま え て 、 日本 の 宗 教 哲理 や 実 際 の 創 価 学会 の組 織 にっ いて の 分析 を行 っ てい る点 に関 して は評 価 で き る とい え る。 す で に1960年 代 とい う段 階 に お い て 、創 価 学会 や 池 田 に関 す る 研 究者 が存 在 した とい うこ とは 着 目す べ き 点で あ り、加 え て現 代 の池 田研 究 に関す る視 点 は決 し て真 新 しい もの で は な く、40年 近 く前 か ら深 め られ て き て い た とい う点 を忘 れ て は な らない で あ ろ う。 海 外 の研 究 を レ ビュー す る こ とは 、海 外 の学 者 の 視 点 を 学 ぶ だ け で な く、 そ こで論 じ られ て い 一41一 1960年 代 の英 語 圏 の書 籍 ・論 文 に見 られ る創 価 学 会 研 究 る 日本 にお け る学 会 像 ・池 田像 を知 る こ とで 、 日本 です で に評 価 され てい る池 田 とは異 な った観 点 か ら彼 の思 想 や 活 動 にっ い て学 ぶ こ とが で き る とい え 、今 回新 しい 視 点 を提供 して くれ る論 文 も あ っ た。 さ らに、 今 後 は海 外 の学 者 が 指 摘 した り注 目をす る が 、 日本 で は あ ま り論 じ られ て い な い部 分 、 ま た逆 の論 点(目 本 で は よ く議 論 に な る が 、海 外 で はふ れ られ て い な い部 分)が 存 在 す る の か ど うか につ い て も検討 を重 ね てい きた い 。 この海 外 の創 価 学 会 ・池 田研 究 の レ ビュー ・ 分 析 は 地道 な作 業 で あ る ともい え るが 、今 後 の 池 田研 究 の 軸や 注 目す べ き論 点 にっ い て も考 察 を 深 め る こ とが で き る とい う点 で 、意 義 の あ る もの で あ る とい え る。1990年 代 以 降 の海 外 研 究 の レ ビュ ー に 関 して は次 回 にっ なげ て 参 りたい 。 今 後 の課 題 として は 、1960年 代 、70年 代 …90年 代 、 2000年 代 と時代 を追 っ て い く こ とで 、 それ らの 時 代 に出 版 され た研 究 の視 点 ・論 点 の変 化 や 時 代 を貫 く共 通 点 な どにっ い て着 目して い き たい 。 一42一