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自著4冊の執筆を振り返って

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自著4冊の執筆を振り返って
ビジネス・イノベーションシリーズ
自著4冊の執筆を振り返って
>
> 寺岡 寛(中京大学大学院ビジネス・イノベーション研究科教授)
『逆説の経営学 ―成功・失敗・革新―』 2007 年
てからの長い職業生活を送る上で、大学時代に身に
『経営学の逆説 ―経営論とイデオロギー』2008 年
付けた知識などは卒業後もずっと通用するはずもな
『アレンタウン物語 ―地域と産業の興亡史―』2010 年
く、それらは時間の経過とともにますます陳腐化す
『イノベーションの経済社会学
るなかで新しい見方や学問体系を学び直す意味での
―ソーシャル・イノベーション論―』2010 年
いわゆるリカレント教育が定着してきた北欧などと
日本とは大いに異なる。
そうした日本において。社会人が終業後や余暇を
1.執筆の背景
利用して大学院で学び、そうした時間的余裕が社会
的に認知され、個人だけではなく、所属組織や政府
中京大学大学院の社会人ビジネススクールである
などもそれを積極的に支援する風土と制度があると
ビジネスイノベーション研究科の双書ということ
は言い難い日本において、社会人教育云々以前の問
で、クラスで取り上げたマネジメントに関する問題
題があまりにも多いのである。ライフ・ワーク・バ
と課題―個別企業のケースを含めて―を「文字」の
ランス論がまことしやかに語れる日本の社会人の働
上でも反映させるという意識で、わたし自身は取り
き方を思い浮かべておく必要があろう。ましてや、
組んできた経緯がある。
社会人教育の意味と範囲においてのビジネススクー
通常、研究には個人ベースとチームベースがある。
ルの社会的意義と役割は日本では確定しているはず
だが、これとは別にもう一つの研究ベースがあって
もない。
よい。それはわたし自身が取り組むべき問題と課題
いずれにせよ、日本においては教員や会社員が一
を用意するものの、ビジネススクールという「場」
定期間、大学や大学院などに入学しなおし、新しい
で職種も、職能も、経験も、年齢も異なる受講生と
知識などを得る機会などそう多いものではない。ま
の対話・討論・報告というある種の「フィルター」
してや、欧米諸国のビジネススクールへの企業から
を通して析出されたものもまた研究成果なのであ
の「派遣」は別として、国内のビジネススクールへ
り、こうした研究方法論もあってよいのである。こ
企業から派遣され、あるいは定時で退社し、または
こに紹介する 4 冊の本はいずれもわたしのこうし
休職許可をとり個人の負担で入学して勉学すること
た場を通して生まれてきたものである。
もまた多くはない。
ところで、米国などと比べてビジネススクールの
この意味と範囲では、一般に企業は中間管理職予
歴史は浅く、ビジネススクール文化という前に社会
備層、さらには将来の役員予備層をビジネススクー
人大学院教育という歴史的風土の希薄であった日本
ルに派遣して、その準備教育などを委ねることもま
において、まず問われるべきは社会人教育とは一体
た少ない。必然、ビジネススクール修了者の社内処
いかにあるべきかである。生涯教育が学校を卒業し
遇が企業内の昇進・昇格制度のなかにきちんと位置
54 中京ビジネスレビュー 第 10 号(2014 年 3 月)
付けられているわけではない。
いは現時点での、自分の職種などの範囲であって、
そのような状況の下で、きわめて率直にいえば、
かならずしも他の業界などに共通するものであると
日本では教える方も教わる方も経験不足で手探りと
は限らない。
いうのが日本のビジネススクールの現状ではないだ
この点において、歴史をきちんと振り返り、なぜ
ろうか。それでも、それなりに卒業生を送り出し、
そうであったのかという理論的接近方法を知り、そ
毎年の教育プログラムを見直し、入学してくる社会
の応用という範囲において分析方法を知ることはき
人院生のニーズに応じているなかで、それなりに有
わめて有益な知的訓練である。そのためには、ある
益な経験則などがそれぞれのビジネススクールでも
程度の理論書などの読破が必要なのである。また、
蓄積されていくものである。
すべての資料や報告書、理論書が翻訳されているわ
ここで紹介し、自分自身で振り返る上記 4 冊の著
けでもなく、ある程度の外国語の能力の養成とそれ
作は、先にすでにふれたように、ビジネススクール
を使う実践的な取り組みも必要となる。
の社会人院生を対象としたクラス運営―講義・課題
とりわけ、インターナット通信が発達したICT
発表・討議のサイクル―の結果として出来上がった
(Information and Communication Technology)の
ものである。社会人院生といってもフルタイム・プ
時代になり、なんでも短時間に検索エンジンをつ
ログラムの受講生と夜間と休日だけを利用したパー
かって情報を入手し、貼り付けることでレポートな
トタイム・プログラムの受講生とでは、院生たちに
どの形式を整えることが可能になった現在、情報を
課す負担や学習プログラムも、現実には決して同一
知識化させていくことがうまく為されないことも多
のものにはなりえないものの、ある程度の実務経験
いのである。じっくりと自分の頭で考え、データな
を有するとした資格の下に入学してくる社会人院生
どを分析し、情報の真偽を把握するには一定の理論
にはいくつかのつぎのような特徴があるように思え
的素養が要るのである。つまり、インターネット時
る。
代の下で、いまの学生も社会人も要領だけは良く
一つめは、アルバイト経験などを除いて社会経験
なったのである。だが、実践においてそうして得た
をほとんどもたない学生と異なり、ある程度の実務
知識をベースに事業展開することの怖さについて無
経験をもつ社会人院生はすべての経済・経営・社会・
知無関心であってはならないのである。
政治に関わる事象を自らの経験の範囲で理解しよう
こうした社会人のメンタリティと要領の良さも意
という傾向が強いこと。それはもっぱら社会という
識して、クラス討議で取り上げたのが、最初の『逆
場での耳学問であり、それは学部などの学生たちと
説の経営学』であり、つぎに、経営学一般を学んで
異なって、著作などの読み込みをつうじて知識や情
もらう上での触媒のような本として出したのが二冊
報を蓄積する時間の少なさの反映でもある。二つめ
目の『経営学の逆説』である。三冊目は地域経済の
は、最初の点に関連して、社会人院生は理論への取
あり方を米国東部の中規模都市アレンタウンの栄枯
り組みが苦手であること、まずは彼ら、あるいは彼
盛衰を具体的にとらえた
『アレンタウン物語』であっ
女らの第一声は、
ややもすれば「私の経験では・
・・
・」、
た。四冊目は全体のまとめとしての『イノベーショ
「私の企業では・・・・」などということになる。
ンの経済社会学―ソーシャル・イノベーション論―』
だが、個人の経験などはその業種や関連業界、ある
であった。つぎにこれらの内容を紹介しておこう。
Chukyo Business Review Vol. 10(2014. 3)
55
自著4冊の執筆を振り返って
2.問題と課題
なテーマをクラスで取り組むべき課題として提示し
た。上記 4 冊のうち、『アレンタウン物語―地域と
一般の学校にもいろいろな特徴がある。同様に、
産業の興亡史―』は、日米の地域経済の問題と課題
ビジネススクールにもそれぞれに特徴があってよ
を振り返り、受講生とともに意識した地域経済活性
い。もっとも、最近ではどの国のビジネススクール
化プログラムの討議の延長で上梓した著作である。
も自国企業の世界展開を意識して「国際的・・・・」
米国の人気歌手のビリー・ジョエルが 1982 年に
と冠されたプログラムを並べ、ビジネススクール=
発表したアルバム「ナイロン・カーテン」に収めら
国際経営というイメージをそこに刻印させようとい
れた「アレンタウン」はこの町を歌ったものである。
う傾向にはある。
日本でもヒットした曲である。歌に出てくるアレン
ドイツあたりを旅しても、電車の広告にもビジネ
タウン市は米国ペンシルベニア州の中規模の工業都
ススクールの宣伝が出ているくらいであるから、欧
市である。かつては機械・金属関連の企業が多く立
州社会でもビジネススクール文化がなんらかのかた
地し、隣町のベスレヘム市にはかつて世界的な製鉄
ちで定着してきている。そうした宣伝文句の典型は
企業の一つであったベスレヘムスティールが立地し
国際経営などもっぱら「国際的・・・・」―日本で
ていた。
はインターナショナルよりもグローバルという表現
しかしながら、その後、高炉は閉鎖され、いまは
がいまでは幅を利かしているが、欧州ではもっぱら
その跡地にカジノが立地している。1980 年代のレー
グローバルよりもインターナショナルという表現が
ガン政権の下で、アレンタウンやベスレヘムでも産
多い印象もある―という形容詞が冠された科目が強
業―製造業―の空洞化が進展して、地域のそれまで
調されている。こうした傾向自体、わたしたちの興
の産業構造も大きく変化して、構造的な失業問題を
味を引く。ドイツ人のいう「国際的」とは何であり、
抱えることになった地域でもある。自分で拙著を紹
フィンランド人の「国際的」とは何であり、米国人
介するのもよいが、幸いなことにこの拙著には実際
のいう「国際的」とは何であろうか。結論からいう
にかつて機械金属工業が大きな位置を占めた大阪府
と、それはその時代によって異なる。1990 年代半
の調査研究を続けている町田光弘氏の書評がある。
ば以降は、国際的=中国ということが強く暗黙裡に
紹介しておきたい。町田氏はつぎのように述べる。
意識されてきたことはいうまでもない。
「本書は、米国にとって 1980 年代が古き良き時
さて、こうしてみると、企業の国際的事業展開に
代からの決別を示す分水嶺であったことを思い起
よって国際的な対応課題への対処方法を講じること
こさせてくれる。それは二つの世代を分かつ物語
を、自分たちのビジネススクールの特徴と教育力を
である。1980 年代に製造大手企業は、海外生産
売りにする学校があるなかで、むしろローカルな対
を拡大させる一方で、国内工場を縮小させ、多く
応課題への対処方法を探るビジネススクールがあっ
の人たちにとって安定した職場が失われた。
・・
・・
・
てもよいはずである。そうした地域経済の再活性化
1982 年に生まれた歌手ケリー・クラークソンが
の課題を強く意識したうえで、地方経済の悪化と財
取り上げられている。ウェイトレスをしていたケ
政悪化が二重苦となっているような地域の中小企業
リーが、米国版勝ち抜きのど自慢大会である『ア
の経営はどうあるべきかがテーマであり、このよう
メリカン・アイドル』という人気オーディショ
56 中京ビジネスレビュー 第 10 号(2014 年 3 月)
ンテレビ番組に登場し、優勝することで歌手デ
町田氏はわたし自身の問題意識をうまく要約して
ビューを果たすのである。現代は、
『成功しよう
くれている。産業の空洞化は単に当該地域に集中立
という望みをもてばチャンスをつかめる』時代か
地する当該産業の国際競争力の根源だけではなく、
もしれないが、1980 年代以前のように『一生懸
そこに蓄積されてきた勤労精神や地域文化へも大き
命働けば、生活が良くなる』という確信がもてる
な影響を与えるのである。では、そのようななかで、
時代ではなくなったことは確かである。」
つぎなる新たな企業とその集積である新たな産業が
1)
先にアレンタウン市の隣町のいまはカジノが立地
果してうまく誕生していくのかどうか。わたし自身
するに至ったベスレヘム市について言及したが、お
は、受講生に米国のアレンタウンにおける地域と産
なじように経緯をたどったピッツバーグはもっぱら
業の興亡への分析を通して、日本の地域産業、愛知
成功事例として紹介されてきた。だが、同じような
県でいえば自動車産業に代わる産業がどのようにし
成功話が期待できるのだろうか。ピッツバーグは縮
て生まれるのかについて思いをはせて貰いたかった
小均衡型の「成功」といえないこともない。鉄鋼関
のである。それは既存企業の多角化、あるいはイノ
係のヤングスタウンもまた構造不況に苦しんで来
ベーションへの取り組みをつうじて達成されるの
た。そして、いまはデトロイトもまた苦境に喘いで
か。あるいは、既存企業を飛び出した人たちがベン
いる。こうした重工業都市の衰退について、町田氏
チャー企業を起こすことで達成されるのか。このよ
はわたしの考え方をつぎのように紹介してくれてい
うな課題への取り組みのヒントが『アレンタウン物
る。
語―地域と産業の興亡史―』にあれば良いと、わた
「産業構造の転換に一定の成功を収めたとしても、
し自身は思っている。
ピッツバーグの人口減少は続き、縮小均衡であっ
さて、
『逆説の経営学―成功・失敗・革新―』と
た。さらに、他の諸都市も同様の振興策を取るよ
『経営学の逆説―経営論とイデオロギー―』である。
うになったことは、その取組の先行性を示すもの
間違いやすいタイトルではある。ともに共通するの
の、こうした取り組みが模倣困難でないことを示
は「逆説」―パラドックス―である。パラドックス
している。筆者は、かつての工業都市で蓄積され
とは一般にギリシア語源の言葉で、哲学や数学など
てきた工業インフラや職人気質や勤労精神などの
でのある種の矛盾命題に関するものである。他方、
ソーシャルキャピタルが、他地域における新規参
経営学的発想においてパラドックスとは、ある一定
入を防ぎ、産業の高度化を高め、特定産業へと一
の結果を期待して行った意思決定が、ときに全く正
層傾斜させたことで、その地域の競争力が引き上
反対の結果を引き起こすことを示唆する。イノベー
げられたが、サービス経済化の進展によって、旧
ションもまたそうした意思決定とは逆に失敗とな
工業都市などが蓄積した歴史的遺産の価値が大き
り、あるいは、失敗とおもった意思決定がときに成
く引き下げられたとしている。こうした評価の下
功を生み出すことがある。
で、他地域へ向う潜在的エネルギーをどのように
そうした逆説―パラドックス −という視点から
して地域内に還流させていくのか。そのような人
イノベーションをとらえたのが『逆説の経営学』で
材をどのようにして地域に引きとめるのかかが改
ある。副題を「成功・失敗・革新」としたのは、逆
めて問われているとの認識を示している。」
説にはつねにそのような傾向が付随するからであ
2)
Chukyo Business Review Vol. 10(2014. 3)
57
自著4冊の執筆を振り返って
る。よく考えてみれば、経営という行為はある時期
フサイクル―寿命―があるかぎり、研究開発を行わ
の意思決定に基づいてそれを実行することである
ざるを得ないのである。問題は、ヒット商品が長い
が、元来、意思決定時期と実行時期が同一であると
間ベストセラーとなる成功に驕りをいだかず、そう
いうことは稀である。製造業の場合、設備投資の意
したヒット商品にとらわれないつぎの商品の研究開
思決定と実際に機械などが設置されたり、建屋が新
発に組織として取り組むことができるかどうかであ
たに建設されたり、また、操業にいたるまでにはさ
る。そうした商品に陰りがみられた時にはつぎなる
まざまな調整などがあり、その間の時間的経過が数
商品に取り組む組織内のコンセンサスが得られやす
年にわたることもある。その間には経済環境変化が
いが、その時期にはすでに遅いかもしれない。
あり、当初、予想していなかったことなどが起こる
人も組織も自らの成功体験という安定状況を否定
のである。それは、商業やサービス業では出店計画
して、つぎなる不安定な研究開発や新たな取り組み
なども現実の経済情勢で意思決定が前提とした事態
を行うことにはそれなりのエネルギーが要るのであ
が変化していることもありうる。
る。この意味では、安定とはつねに不安定によって
むろん、この逆もありうる。極めて厳しい現実を
維持されていることになる。
安定状況に安住すれば、
想定した意思決定が、その後、経済環境が予想以上
不安定になる。不安定な取り組みをしなければ安定
に好転したことで当初の意識決定によって想定して
を手にすることできない。まさに、逆説の経営学が
いた業績よりも、はるかに好業績となる場合もある。
そこにある。本書では、失敗のコストと埋没費用の
また、良かれと思って意識決定したことがかえって
関係、技術開発のマネジメントなどを取り上げてい
より悪い結果を招く逆のケースもある。経営という
る。イノベーションとは、後述のようにつねにその
行為にはつねにこのような逆説性が付随するのであ
ような逆説性に支えられているのである。
る。この意味では、成功と失敗の差などは実際のと
この「逆説―パラドックス―」ということでは、
ころ紙一重のこともある。たとえば、プロダクトサ
経営学こそ逆説に満ちたものであることは、わたし
イクルを考えてみよう。商品やサービスには誕生期、
たちのまわりにあふれている「経営論」を「イデオ
成長期、飽和期、そして衰退期がある。この時間的
ロギー」という視点から取り上げたのが『経営学の
サイクルは相対的であり、新しい技術が出てそれが
逆説―経営論とイデオロギー―』である。社会人院
商品に応用されることで、それまでの商品がきわめ
生の大学などでの専攻は実に多彩であり、経営学を
て早い時期に陳腐化することもある。
専攻した人たちばかりではない。ビジネスイノベー
それゆえに、多くの企業は 10 ∼ 15 年先の市場
ション研究科でみても、保健・看護もあれば、ス
動向やライバル企業の動向を見据えて、戦略的研究
ポーツ科学、理工学、農学、薬学、法学など多彩で
開発投資を行っている。こうした研究開発投資が商
ある。そのような教育背景をもつ人が経営学なるも
品化の成功と市場シェアの確保というかたちで報い
のをビジネススクールにきて系統的に勉強しようと
られることもあれば、ライバルに先行され、あるい
すると、どうしても自分たちが学んできた学問体系
は、研究開発が一定の成果を収められなかったこと
から理解しようとするものである。だが、経営学ほ
で、それまでの投資額が埋没費用化することもある
どイデオロギーに満ちたものはない。経営学を構成
のである。だが、どの企業とて、商品に一定のライ
するさまざまな経営論に内在しているイデオロギー
58 中京ビジネスレビュー 第 10 号(2014 年 3 月)
に気付いたうえで、いろいろな経営学書に接近する
財務、管理方法など―が拡大解釈されて、すべての
ことが望ましい。
企業に有効なやり方として推奨される。だが、事実
ここでいうイデオロギーとはつぎのように起こり
命題からすれば、それはあくまでも一部の領域にお
うる。つまり、
「経営の実際」、あるいは「実態はこ
いて当てはまるにすぎないことも多々あるのであ
うである」という「事実命題」と「経営はこうでな
る。それゆえに、そのような経営論はイデオロギー
ければならない」という「規範命題」との関係にお
化していくのである。それは経営論のみならず、本
いて、前者と後者との関係が一致していればなにも
書で取り上げている企業論、産業論、起業論におい
問題はない。だが、往々にして「事実命題」と「規
ても妥当するのである。
範命題」がかい離している場合、そこにはイデオロ
そもそも米国的とか、日本的とか、欧州的とか、
ギーとしての経営論が生まれやすくなる。換言すれ
アジア的とかという「国民性」が冠される経営行為
ば、
「経営とはこうでなければならない」という規
とは一体何であろうか。国民性とは国民一般に共通
範命題主導の経営学が生まれていくことになる。と
する性質、その国民特有の価値観や行動様式、気質
くに、経営論に国民性などが付加されて、日本的経
などをいう(広辞苑)
。つまり、国民性とは「国民」
営論、米国的経営論、ドイツ的経営論、最近では韓
の「性格」であり、その性格とは他国民と比較して
国的経営論、中国的経営論が語られる時、わたした
区別しうる特有な価値観や行動様式なのである。そ
ちはそうした経営論のなかにあるイデオロギー性に
うであるなら、経営行為の前提となる経営資源の利
注意を払う必要がある。この意味では、企業、それ
用の仕方において、それぞれの国民性がはっきりと
を構成する人々、その集合体である社会、社会を規
反映されたスタイルがあるのかどうか。あったとし
制する国家―法律体系―などを十二分にとらえた上
ても、やがて、そのようなやり方も変質し、外国企
で、経営ということを考える必要がある。その意味
業から大きな影響をうけ変容していくこともありう
では、比較経営社会学あるいは比較社会経営学とい
る。反面、そうした相互的な影響を受けているビッ
う視点が重要なのである。そうした視点からとらえ
グビジネスとは別に、国や地域が異なるにもかかわ
たのが本書である。
らず、そこに共通するスモールビジネス文化という
日本的経営論や米国的経営論などという場合の個
ものもあるように思える。
別企業の経営実態からはなれ、あるべき企業の経営
事実命題としての経営学を学ぶのか、あるいは、
スタイルが想定される。それは一部の企業の経営の
規範命題としての経営学をビジネススクールで学
特徴としてみられていても、その国のすべての企業
ぶのか。それは教える側の教師によっても異なる
にみられるのかどうかはきわめて疑問なのである。
が、学ぶ側の受講生によっても異なる。ややもすれ
地域によって、産業や業種によって、時代あるいは
ば、事実命題としての経営学は現状追従的なかたち
企業規模によって、「日本的」とか「米国的」とい
での経営学となりがちではある。企業が市場経済制
うあいまいな相対概念によって統一的に経営スタイ
度のなかで存在している以上、存在の合理性はすく
ルを一括することなど困難である場合が多い。それ
なくとも市場での企業における経営の合理性でもあ
ゆえに、先の概念範疇でいえば、一部の企業でうま
る。そこでは、社会的ダーウィニズムという適者生
くいっているような経営スタイル―これには雇用、
存=経営努力の結果として現状肯定が大いに語られ
Chukyo Business Review Vol. 10(2014. 3)
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自著4冊の執筆を振り返って
る。他方、規範命題の経営学は、あるべき姿として
そしてより重要なのはそのようなイノベーションを
の理想像が語られることにおいて当初から現実との
実行するための新しい組織を創り出すことを強く示
かい離に苦しむ。苦しむがゆえに、それはより分析
唆していることである。
的な経営学となる。分析的になることによって、そ
そうしたイノベーションを実行するには企業家の
れは社会経営学となる。企業は社会的存在であるか
マインド=企業家精神が必要であることが同時に強
ぎり、その経営もまた社会的経営のなかで成立して
調されたのである。シュンペータのこの著作の題名
いるのである。留意すべきはどちらの経営学もイデ
が「企業家精神とイノベーション」ではなく、あく
オロギーに満ちたものになりがちなことである。
までも「資本主義の理論」であったことは、当時の
では、経営学とはどうあるべきなのか。これには
シュンぺ―タなどウィーン大学の研究者たちが資本
「実」としての経営学、
「学」としての経営学、
「教」
主義の独占化による行き詰まりを共通して感じてお
としての経営学の三面がある。この三つの経営学の
り、その突破口としてのイノベーションが意識され
あり方のなかで、もっともむずかしいのは「教」と
ていたといってよい。同時期に、同じウィーン大学
しての経営学のあり方ではないだろうか。その実践
の医学部で学んだルドルフ・ヒルファーディング
の場としてのビジネススクールがある。ここからど
(1877 ∼ 1941)が 1910 年に『金融資本論』を著
のような経営学が教える側と学び側の双方のエネル
しているが、資本主義の行き詰まりを金融資本によ
ギー交換のなかで生まれるのか。これがこのイノ
る独占化に見出している。ヒルファーディング自身
ベーションシリーズの中身であることは間違いな
はシュンペータのように大企業の経営層によるイノ
い。
ベーションに行き詰まりの打開を期待したのではな
く、社会主義へと期待を寄せていたのではないだろ
3.今後の方向
うか。シュンペータやヒルファーディングは、その
資本主義観こそ同一ではないものの、20 世紀の幕
イノベーションの必要は、かつてヨーゼフ・シュ
開けを資本主義の行き詰まりとその打開の方向性に
ンペータ(1883 ∼ 1950)が 1912 年に著した『経
ついて鋭い感覚と分析力で取り組んでいたことにな
済発展の理論』
で掲げた考え方である。日本では『経
る。
済白書』などで「イノベーション」が「技術革新」
こうした時代的あるいは歴史的な背景がそう問わ
と訳されて使われたことで、この概念はきわめて技
れることはなく、現在は、イノベーション論には百
術開発など狭い範囲で理解された。だが、現在では、
家争鳴の感がある。とくに個別企業における研究開
技術革新として訳されることなく、あくまでも「イ
発マネジメント=イノベーション論という接近方法
ノベーション」として使われるのは、イノベーショ
もみられる場合が多い。だが、それはシュンペータ
ンとは技術的な問題ではなく、より広義に企業のさ
自身も指摘したように、技術という狭いテクニカル
まざまな経済活動において、旧来のやり方ではなく
な分野でのさらにテクニカルな取り組みなどに限定
新しい革新的なやり方に取り組むことであり、それ
され、イノベーションが論じられてはならない。そ
までとは異なる新しい商品やサービス、新しい生産
れは組織内での取り組みと同時に、社会における許
方法、新しい販売先の開拓、新しい仕入れ先の開拓、
容、認定、意識の変化においてイノベーションが起
60 中京ビジネスレビュー 第 10 号(2014 年 3 月)
こってくるのであって、それはきわめて社会的価値
観の変容の問題でもある。
この意味では、本書では技術とは決して中立的な
ものではなく、社会との関係で位置付けられ、技術
は社会を変革し、社会の意識変化は技術を変化させ
ること、イノベーションと組織との関係、個人とイ
ノベーションとの関係などを論じている。イノベー
ションとは単に市場での競争だけではなく、さまざ
まな協働・協創の関係でも生まれるものであって、
市場だけが自律的にイノベーションを生み出すシス
テムを内蔵しているわけではない。
さらに、市場経済制度のもつ破壊的な効果が「そ
の物質的利益を追い越す地点に到達」しているとす
れば、わたしたちは「物資的利益」が社会―自然も
含め―に破壊的な影響を及ぼすことを自覚して、そ
れをむしろときには抑制させるような新たな社会経
済制度を同時に必要としているのである。そうした
制度と社会的価値観の下でこそ、個別イノベーショ
ンが真の効果―ソーシャル・イノベーション―を発
揮する可能性もでてくるのではないだろうか。
「社
会」人ビジネススクールは単に個別企業のマネジメ
ントだけではなく、社会のあり方に強く関心を寄
せ、社会的価値観あるいは公正観と市場価値との調
和をつよく意識しビジネスを展開できる人材養成を
意識することで、日本でもビジネススクールのかた
ちとそれ相応のビジネススクール文化がでてくるだ
ろう。
参考引用文献
1)町田光弘「読んでみたいこの一冊『アレンタウン物語―
地域と産業の興亡史―』」『産業能率』2011 年 1・2 月合
併新春号。
2)同上。
Chukyo Business Review Vol. 10(2014. 3)
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