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第9回国際地学オリンピック(ブラジル大会)報告書

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第9回国際地学オリンピック(ブラジル大会)報告書
第9回国際地学オリンピック(ブラジル大会)報告書
特定非活動法人地学オリンピック日本委員会
2015 年 9 月 13 日~20 日の日程で、第 9 回国際地学オリンピック
ブラジル大会(9th International Earth Science Olympiad, Poços de
Caldas in Brazil、以下、ブラジル大会と省略)が開催された。
開催地はサンパウロの北約 200 km に位置するブラジル南東部ミナ
ポソス・デ・カルダス
スジェライス州ポソス・デ・カルダス(図 1)で、主会場はカールト
ンプラザパレスホテルであった。
ブラジル大会には 22 ヶ国・地域から 85 名の選手と 6 名のゲスト
生徒*1 の高校生が参加した。1 チームの基本的な構成は、選手 4 名
とメンター2 名の合計 6 名だが、ポルトガルとアメリカの選手がそ
れぞれ 3 名と 2 名だった。なお、初めて選手を派遣したのはポルト
ガルで、5 ヶ国からはオブザーバーのみが参加した(表 1)
。
図 1 ポソス・デ・カルダスの位置
(外務省 HP http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/index.html)
表 1 第 9 回ブラジル大会参加国・地域
アメリカ合衆国
イスラエル国
イタリア共和国
インド
インドネシア共和国
ウクライナ
オーストリア共和国
オーストラリア連邦
カザフスタン共和国
スペイン
スリランカ
タイ王国
大韓民国
台湾
ドイツ連邦共和国
日本
ノルウェー王国
ブラジル連邦共和国
フランス共和国
ポルトガル共和国◆
ルーマニア
ロシア連邦
アルゼンチン共和国
イラン・イスラム共和国
ボリビア他民族国
マラウイ共和国
南アフリカ共和国
(◆:初参加、
オブ:オブザーバーのみの参加)
日本からは選手やメンターをはじめ、総勢 13 名が参加した。
日本選手団の氏名や所属は以下の通りで、
◆印は国際地学オリンピックへの初参加者を示す。なお、前回大会に引き続き、第 10 回日本大会を三重
県内の高校生に周知してもらうことを目的とし、本選で優秀な成績を収めた三重県の高校生 1 名をゲス
ト生徒*1 として派遣した。
団
長
: 久田 健一郎
(筑波大学)
選
手
: 沖中 陽幸
(広島県広島学院高等学校 3 年)◆
辻
ゲスト生徒
有恒
(兵庫県灘高等学校 3 年)◆
土井 聖明
(広島県広島学院高等学校 3 年)◆
茂木 隆伸
(東京都筑波大学附属駒場高等学校 3 年)◆
: 角谷 優馬
(三重県立津高等学校 3 年)◆
1
メンター
: 谷口 英嗣
オブザーバー :
(城西大学)
丸岡 照幸
(筑波大学)◆
川村 教一
(秋田大学)
瀧上 豊
(関東学園大学)
田中 義洋
(東京学芸大学附属高等学校)
前
(三重県立木本高等学校)◆
義典
渡来 めぐみ
(茗溪学園中学校・高等学校)
ブラジル大会の開催期間は 7 泊 8 日で、日程は前回のスペイン大会をほぼ踏襲したものであった(表
2)。メダルを競う試験は、大会 3 日目と大会 5 日目に実施された。大会 4 日目には、国際協力野外調査
(International Team Field Investigation:以下、ITFI と省略)が、大会 7 日目にはその発表会が行われた。
以下に、大会の主な活動内容(①開会式、②試験、③ITFI、④Earth Science Project(以下、ESP と省略)
、
⑤見学・学校訪問、⑥メンター会議、⑦表彰式)について報告する。
表2 ブラジル大会の日程
9月11日
壮行会
9月12日
直前研修、羽田空港出発(トロントピアソン国際空港で乗り換え)
9月13日‐1日目
サンパウログアルーリョス国際空港到着(ポソス・デ・カルダスへはバスで移動)
参加登録、歓迎夕食会・参加選手による自国・地域の紹介
9月14日‐2日目
開会式(以後、試験終了後まで生徒とメンターは別日程)
[生徒の日程]
9月15日‐3日目
9月16日‐4日目
9月17日‐5日目
9月18日‐6日目
[メンター日程]
見学(猿広場、日本庭園)
第1回メンター会議
伝統舞踊(カポエイラ)鑑賞
筆記試験の翻訳
景勝地見学
国内選抜・地学教育に関する研究会
筆記試験
第2回メンター会議、実技試験の翻訳
実技試験の準備
Ifsuldeminas大学訪問(Muzambinhoキャン
ITFI調査活動・発表準備
パスまたはMachadoキャンパス)
実技試験(5種類)
景勝地見学
Earth Science Program(調べ学習)
伝統舞踊(カポエイラ)鑑賞
学校訪問(Ifsuldeminas高校と地元の高校または地元の小・中学校)
ESPのポスター発表準備
9月19日‐7日目
モデレーション・第3回メンター会議
ITFI発表会
ESP審査・発表会(審査は発表者と審査員のみで行い、その後ポスターを掲示)
基調講演、さよならパーティー(各国・地域による出し物)
9月20日‐8日目
表彰式、サンパウログアルーリョス国際空港出発
9月21日
トロントピアンソン国際空港で乗り換え
9月22日
東京羽田国際空港到着、解散式
9月28日
文部科学省表敬訪問
2
①開会式
大会 2 日目 9 時 30 分から約 1 時間、ホテルの別棟にあるホールで
行われた(写真 1)
。開式前にブラスバンドの演奏が行われる中、正
装または民族衣装を着た参加者はチームごとに着席した。式次第は、
以下の通り。
来賓・協賛機関などの紹介
参加チームの国旗入場(日本チームの旗手は土井選手)
国歌斉唱
写真 1
開会式会場
来賓あいさつ(大学長、教育局長、IGEO 会長)
大学紹介映像
伝統舞踊
②試験
筆記試験は大会 3 日目の 14 時~17 時 30 分(試験時間は 3 時間)
に、ホテル内の大会議室(写真 2)で実施された。問題の形式は多肢
選択式の小問集合で、単一回答だけでなく、複数回答の問題もみら
写真 2
試験会場の大会議室
写真 3
露頭での岩石の同定
れた。
大会 5 日目の実技試験は大問 5 つで、4 問は日中に野外(写真 3)
で、1 問は夕食後にホテル内の大会議室で行われた。野外で行われた
のは、露頭での岩石・鉱物の同定、乾湿球での気温の測定、川の流
速の測定、太陽の見かけの運動の 4 種類。生徒は ITFI の班分けを利
用した 4 つのグループに分かれ、グループ毎に異なる順番で 4 種類
の実技試験に臨んだ。夕食後は、筆記試験と同じ形式で全員が一斉
に、超大陸パンゲアの移動に関する実習形式の試験に取り組んだ。
③ITFI
これは国際交流を目的とし、共同研究を疑似体験するような活動
である。そのため、1 つのチームには同一国・地域の生徒が複数含ま
れないようになっている。今回は 1 チーム 7~8 名で、12 チームが編
成された。大会 4 日目に、川の水質調査、農場での土壌調査、奇岩
(ball stone)調査の 3 種類のうち、指定された 1 つの課題について 1
写真 4
ITFI 調査(土壌)
時間半~2 時間程度の調査を行った(写真 4)
。大会 6 日目は、調査
結果と与えられた情報をもとにスライドや発表原稿を準備した。大
会 7 日目の発表会は、6 チームずつ 2 会場に分かれ、1 チームの持ち
時間は 15 分(発表 12 分、質疑応答 3 分)で、全員が 1 度は必ず発
言する形式だった(写真 5)。審査員は 5 名(このほかタイムキーパ
ー1 名)で、大会実行委員会のスタッフと選手を派遣していない国の
オブザーバーが担当した。
写真 5
ITFI 発表会
④ESP
第 7 回インド大会に初めて実施された企画で、今回は二度目。ITFI と同じ方針で別の 12 チームが編
3
成され、大会 6 日目にエルニーニョに関して調べ学習を行い、ポスタ
ーを作成した。大会 7 日目には、チームごとに審査員(大会実行委員
会のスタッフ)の前でポスター発表と質疑応答が行われ(写真 6)
、
全チームの審査終了後、会議室にポスターが掲示された。
⑤見学・学校訪問など
試験問題の検討開始から試験終了の間、
生徒とメンターとは別日程
で、問題検討中は生徒が、試験中はメンターが見学などに出かけた。
写真 6 ESP の審査風景
生徒は大会 2 日目午後に日本庭園、大会 3 日目午前中に展望台、メン
ターは大会 4 日目に大学、
大会 5 日目に展望台へ行く日程が組まれて
いた。この他、大会 5 日目の夜、試験終了直後には、ホテルのロビー
で地元の子どもたちがカポエイラを披露してくれた。さらに、試験終
了後の大会 6 日目には、生徒とメンター全員で、地元の小・中学校や
高校を訪問して授業や部活動を見学した(写真 7)
。
⑥メンター会議など
運営に関する議論や承認はメンター会議で、採点のチェックはモデ
写真 7
地元の小・中学校訪問
レーションで行われる。
ブラジル大会ではメンター会議は 3 回行われ
た。1 回目は大会 2 日目の 15 時~19 時に開かれ、議題は参加国・地
域と選手数の確認、メダル数・表彰や運営方針の承認、試験形式の説
明と筆記試験の検討であった。
2 回目は大会 3 日目の 15 時~19 時で、
議題は実技試験の検討。なお、筆記試験と実技試験ともに、翻訳は問
題確定後の作業となる。大会 6 日目の日中にモデレーションを行い、
同日 21 時~22 時の 3 回目のメンター会議でメダル受賞者の得点確認
写真 8
川村先生の発表
と承認を行った。
このほか、今回は大会 3 日目の午前中には、国内選抜や地学教育に
関する研究会が行われ、
川村先生が日本地学オリンピック
(国内選抜)
に関する発表を行った(写真 8)
。
⑦表彰式
大会最終日の 8 時から表彰式と閉会式が行われた。
大会期間中に撮
影された写真のスライドショーに始まり、来賓紹介、国歌斉唱と続き、 写真 9 メダリストの 4 選手
表彰へ。まずは ITFI の金・銀・銅賞の発表で、辻選手の所属チーム
が金賞を受賞した。次に ESP の金・銀・銅賞が発表され、茂木選手
の所属チームが銀賞、辻選手の所属チームが金賞を受賞した。次にメ
ダルの受賞者、銅メダリスト 24 名、銀メダリスト 17 名、金メダリス
ト 9 名が発表・表彰された。日本選手は 4 名ともメダルを獲得し(写
真 9)、沖中・茂木両選手に銅メダルが、土井選手に銀メダルが、辻
選手に金メダルがそれぞれ授与された。表彰式後は、ブラジルの大会 写真 10 次回開催国へ引き継ぎ
実行委員長から次回開催国である日本の久田団長に大会旗がわりの
マラカスが手渡され、IGEO 会長の大会講評の挨拶の後、閉会した。
4
以上のように、ブラジル大会は、試験方式が大きく変わった前回のスペイン大会を踏襲した日程と内
容で運営された。前回大会と比較すると,参加国・地域の数は 1 ヶ国増、参加生徒数は 3 名増で、ここ
数年は約 20 ヶ国・地域前後で推移し、大会規模は安定している。その一方、開催国の負担は大きいよう
で、本来、ロシアで開催予定だった第 9 回大会は開催 1 年前に返上され、急遽、ブラジルでの開催とな
り、2 大会連続の開催国変更となってしまった。準備期間が 1 年もなかった今大会では、初めて生徒とメ
ンターのホテルが同じとなってしまった。さらには、部屋割もまずく、生徒とメンターが話そうと思え
ばいつでも話せるような状態だった。そのためなのか、例年は解答とともに細部まで検討して完成させ
られていた問題も、今回は解答の提示がない状態での検討で議論時間も非常に制限され、地質分野に偏
りのみられるバランスの悪い状態を調整するには至らなかった。こうした状況からもわかるように、開
催国となるにはそれなりの資金と数年単位の準備期間が必要不可欠な状況である。
開催国の負担を軽減しつつも、より多くの参加国・地域が持ち回りで開催できる良質な大会へと変わ
れるかが大きな課題である。ブラジルをたつ際、日本大会に向け、参加を希望する国・地域からは、変
更された試験方式を軌道に乗せ、新たな大会運営指針の提示を期待する声が寄せられた。次回、三重県
で開催される第 10 回大会は、国際地学オリンピックの一つの節目と位置付けられる。日本大会が課題克
服への礎となるかどうかが、将来に向けての大きな鍵となるだろう。
*1
ゲスト生徒 メダル授与の対象外ではあるが、各国・地域の代表選手と同様に大会に参加できる。
ただし、ゲスト生徒であっても国際地学オリンピックへの参加は一度のみ。
文部科学省表敬訪問
帰国約 1 週間後の 9 月 28 日午後、文部科学省を表敬訪問した。表敬
訪問したのは、沖中選手と辻選手、土井選手、茂木選手の日本代表 4
名と久田理事長、瀧上事務局長の 6 名。
はじめに、下村博文文部科学大臣より日本代表 4 名が大臣表彰を受
け、記念撮影、懇談へと続いた。懇談時には、下村大臣から勉強の進
め方や将来の進路に関する質問があった。
感想
メンター
「第 9 回国際地学オリンピックに参加して」
筑波大学 丸岡照幸(メンター)
ブラジルにおける国際地学オリンピックにメンターとして参加した。国際大会への参加は初めてであ
5
ったが、ブラジルに行くということも含めて滅多に体験できることでもないので是非にとお受けした。
これまで日本地学オリンピック本選、代表選抜などに協力させていただいたときに伺っていたお話で様
子は大体分かっていたつもりであったが、体験してみないことにはわからないことも多く、目の前の仕
事に精一杯取り組みながらも楽しむことができたように思う。
これまでの報告書に目を通すと、メンター、オブザーバーとして必要な能力として「体力」が必ず挙
げられていた。実際に参加してみて、そのことを痛感した。寝不足、時差ボケで朦朧となる状態に耐え
るという単純な話ではなかった。スケジュールが急に変更になったり、問題を翻訳している最中に(数
分間隔で)問題に変更が加えられたり、朦朧としたなかで短時間に正確に判断する能力が求められたよ
うに思った。満点であったとは言えないが、期間中は私なりに気力の限りを尽くしたつもりである。
これまでの大会では、問題内容やその難易度、解答の正確さ、採点結果などの検討に充分な時間が確
保されているような印象があったが(そのために徹夜の日々が続いていたようであった)
、今大会ではそ
の時間が充分ではなく、メンター・オブザーバー間で議論する時間が少なく、瞬時に判断できなければ
そのまま流されてしまうことがあった。参加生徒が同じ条件であるとはいえ、全員が納得するような運
営はなかなか難しいように感じた。
緊張気味だった各国の生徒たちが打ち解け合う様子はとても印象的であった。最終日の表彰式のあと
に様々な国の国旗がはためくなか、出発ぎりぎりまで続いた記念撮影の輪の中心に日本の生徒たちがい
た。大会前には英語による意思疎通に自信がないと言っていたが、一週間という短い期間に様々な国の
生徒たちとの絆を深めていった。このことはメダルを得た以上にとても誇らしく思えた。
日本代表選手
「英語漬けの日々を糧に」
広島学院高等学校 3 年 沖中陽幸
世界大会では、英語でのコミュニケーションが大変でした。特に英語を母国語とする人などは会話の
速度が速く、何回か繰り返してもらわないと聞き取れないということが多かったです。しかし、相手に
伝えたいことを理解してもらおうと努力すれば自分の意見を伝えられることが分かり、英語が不得手で
も物怖じせずに話しかけられるようになりました。ただ、ずっと英語を聞き続けることには慣れておら
ず、頭がかなり疲れるようで、毎晩、部屋に戻るとすぐに寝てしまいました。
試験は、特に岩石鑑定の問題が難しく、日本では見られない岩石が出題され、満足できる結果が出せ
ませんでした。日本を出発する前にもっと勉強しておけば良かったと後悔しています。また、試験開始
のタイミングが分からない、実技試験の間の待ち時間が長い、何かあれば英語で確認しないといけない、
など試験以外の事でも日本との違いに苦労しました。
食事は毎食ホテルのダイニングルームでありましたが、その席では日本人以外の人と一緒のテーブル
に座り、地学の事や、お互いの趣味の話をしました。そこで分かったのは地学の学習過程は国・地域に
よってまちまちで、地学という科目がなく化学、物理、生物で地学のことを部分的に教えてもらうとい
う国があったことです。また、そこで友達になった人の多くは日本のアニメやマンガが好きで、よく話
題にのぼり盛り上がりました。
海外に旅行するのは今回が初めての経験で、戸惑うことも多かったですが、会場だったポソス・デ・
6
カルダスは季節が春で気候的に過ごしやすく、食事もおいしくて、体調は良かったです。そして大会中
は現地のスタッフの方が面倒を見てくださり現地のマーケットにも連れて行って下さりありがたかった
です。
最後のレクリエーションでは日本のソーラン節を踊りたいへん盛り上がりました。他チームの出し物
も楽しかったです。結果は銅メダルに終わりましたが、この大会で得た経験は大きく、将来の糧になる
と思っています。
「わかりあう」
灘高等学校 3 年 辻 有恒
ブラジルまでの道のりは遠かった。しかしそれだけの価値のある経験を得られたと感じている。
到着日の夜はウェルカムパーティーがあり、各チーム様々のプレゼンが行われた。各チームの生徒の顔
を知り、大会への期待が高まった。
翌日の朝から開会式があった。各チームの生徒と段々と話すようになってくる。午後からのエクスカ
ーションではブラジルの大会実行委員の人とも話した。いよいよ英語での会話にどっぷりと浸かってく
る。予想できることではあるが、人によって英語の話し方には大きな差がある。インドなどは訛りがき
つく、ネイティヴはもちろんとても速く話す。アジアや東欧だと言葉に詰まることが多い人もいる(自分
など)。そんな風に様々な英語を聞けるというのも一つの楽しみであったし、逆にそれだけ様々な人が集
まっているのに一つの言語で交流ができるというのも面白かった。そしてそんな風に違いがあろうと、
何かを伝えようとする意志を持っていることが大切だ。
現地では日本語を話す人や日本姓を持つ人がいたり、日本庭園が山の中にあったりと、ブラジルにおけ
る日本移民の歴史を感じた。現地の学校訪問や武芸披露の日程も設けられていて、様々な点からブラジ
ルを知ることができた。こういったときには、ブラジルという地球の真反対の国を訪れたことの喜びを
強く感じた。
他チームの生徒の中には日本語がよくできる人や日本語を習い始めた人もいたし、逆に自分が多くの
ヨーロッパ生徒に日本語の文字について説明したこともあった。日本のことは意外と知られてもいれば、
知りたがられてもいる。まずは自らを知ること、それが海外の人とのコミュニケーションの基礎となる
だろう。もちろん自分も、見知らぬ文化のことを知りたいし、そうやってお互いを知ることで、次第に
分かり合うことができるのだろうかとも思う。
筆記試験は少し簡単にも感じた。試験時間は 3 時間だったが試験時間はどちらかというと余る具合で、
せっかくなので英語版もよく読んで解答していた。というのは、筆記試験では非英語圏の生徒に対して
問題の翻訳版の配布があるのだ。しかし解いて見て感じたが、英語でもできるようにしておくのが大事
だろう。翻訳するというのはもともとの文章のニュアンスを損なってしまいがちで、ともすれば問題の
意図を誤解することもありうる。それに、幅広い言語能力はより意義のあるコミュニケーションにつな
がる。いや、あるいはコミュニケーションの必須条件だろうか?ESP のグループには、英語よりも独語
や仏語の方ができるという人が何人かいて、議論でも英独仏三ヶ国語が飛び交っていた。自分は以前独
語を習おうとして挫折したことがあったが、それを続けていればもっと…などと悔やんでいた。日本で
勉強する限りでは日本語で十分に用が済むかもしれないが、海外では英語ができてもまだまだ舞台に立
7
てないのかもしれないと不安にも思った。しかしそれでも、話し続ければやがて言いたいことは通じた。
大事なのは自らの意見を強く持ち、それを伝えようとすることだ。
夜のフリータイムにはしばしば各チームの生徒による楽器演奏があった。ピアノやバイオリン、フルー
トなどの楽器の音色に大勢が聞き惚れていた。また特に仲良くしていた韓国の生徒は、ルービックキュ
ーブの強豪選手らしい。他にも、歴史問題や言語学に関する意見を求めてくる生徒もいた。多分野にわ
たる興味と洗練が、各チームの生徒に共通するものかもしれない。
将来どういった道に進もうとするか、それも多様だった。地学に関係した研究をしたいという生徒も
いれば、物理学者、あるいは医師だという生徒もいた。それでいてもちろんのことだが、ITFI や ESP で
の地学論議は白熱し、激しく舌戦が展開されることもあった。各チームの生徒の情熱にしばしば圧倒さ
れた。
国際地学オリンピックに参加して、かけがえのない経験を得ることができた。何もかもが刺激に満ち
ていた。このような大会に参加できたことをとても嬉しく思い、かつ、大会に関係した全ての人に感謝
している。
「国際地学オリンピックに出場しての感想」
広島学院高等学校 3 年
土井 聖明
国際地学オリンピックへの参加を通して、多くの国や地域の人と交流をすることができました。この
経験を通して多くの文化の違いを体験しました。
まず、国・地域による大会への意識の違いです。日本を含め、多くのアジアの国や地域の選手はいい
メダルを取ろうということを意識しているように感じましたが、ヨーロッパやアメリカの選手はバカン
ス気分で来ているようだったことです。聞いた話では韓国の選手は行きの空港でもびっしりと勉強をし
たそうで、 「金メダルを取りに来ているんだな」と感じました。それに対し、ヨーロッパの選手は試験
中にも途中退席をするなど、メダルを意識しているようには感じませんでした。同じ大会に向けての意
識がここまで違うのかと驚きました。
しかし、ITFI になると、英語ができるヨーロッパ系の人が話の主導権を握るようになりました。僕が
何度「僕は英語が苦手だからゆっくり話して」ということを伝えても、次の一文がゆっくりになるくら
いで、すぐに(日本人にとっては)高速で話を続けます(しかもなまった英語で)。また、ITFI の会話で
は地学の専門用語もしばしば飛び交います。確かに試験は日本語訳がつくので、専門用語を知らなくて
も解くことはできますが、ITFI ではもちろん翻訳などはないので、理解に苦しんだり、なんといってよ
いかが分からないことがしばしばありました。このことを通して、外国人との英語での討論がいかに難
しいかを学ぶことができました。しかし、ITFI が終わるころには言語の壁はありながらもお互いに仲良
くなることができました。
外国の選手との自由時間の交流に関しては、海外の人は日本人なら誰でもアニメに詳しいと思ってい
るようで、よくアニメについての話を振ってきます(特にワンピースやナルトなど)。僕は夕方に放送さ
れるアニメは全然知らなかったので、話を広げることができなかったのですが、日本のアニメは海外で
も人気なようで、知っているといい話の種になったと思います。
食事に関しては、ブラジルについた初日は「ウマイ!これなら、もし同じ食事が続いても何日でも食
8
べ続けられる!」と思っていましたが、本当に同じような食事が大会期間中ずっと続き、早くほかのも
のが食べたくなってきました。いろいろな種類の食事が楽しめるのも日本ならではなのかなと感じまし
た。
結果は銀メダルで、やはり金がほしかったとは思います。しかし、この大会を通しての経験は他では
することができないようなもので、参加すること自体が大きな意味を持つと思います。
来年以降の国際地学オリンピックに出場される方へのアドバイスですが、確かに地学の用語を英語で
覚えていなくても試験はできるかもしれないが、ITFI もありますし、英語で用語を覚えておかないと苦
労するということです。ITFI が外国人と仲良くなる最大のチャンスだと思うので、そのためにも英単語
はしっかり覚えておきましょう。
「振り返り」
筑波大学附属駒場高等学校 3 年 茂木 隆伸
1. テストについて
筆記試験は、石灰岩と二酸化炭素に関する問題が非常に多く面食らってしまいました。他国・地域
の選手とも後ほど話し合ったのですが、皆びっくりしていました。テーマ性のある大会も過去あった
ようですが、ここまでではなかったようです。ただ、それにしてはなんとか対応したかなと思います。
実技試験 1 つめの乾湿計を使う問題は、前日 5 分ぐらいでトレーニングしたものでした(といっ
ても、立てかけて 5 分置く、というもの)。これは問題なく出来たと思います。次は、川の流れの速
度を測り、得られた資料を使って計算して問題を解くものでした。ここで 1 問間違ってしまいまし
た。問題の考え方をとり違ってしまったのだと思います。3 つめは、机に穴があいていてそこから差
し込む太陽光を使って地球の自転速度を計算する問題でした。時間内に計算ができたので、ほっと
しました。電卓を使わないポリシー?で、やっていたので、時間はかかりましたが。4 つめは岩石鑑
定です。どういう回答が正しいのか今でもちょっと迷うような難しい問題でした。鑑定するのが 2
箇所、ほとんど同じに思えるもの、あとで考えたらちょっと違っていました。そこにある選択肢が
どう考えても自分では合わない気がしてしまって、とても迷いました。得意分野ですが、これだけ
難しく、さすがに国際大会ということなんだと思います。最後が、大陸移動の問題、オーストラリ
アの地図と模型と紙で大陸移動を再現するような問題でした。これはたぶん、間違えてしまったん
じゃないかと思います。パンゲア大陸が分離するところはよく把握していたのですが、問題はさら
にさかのぼった時点からのものだったので、事前の勉強不足でした。与えられた資料から、ちょっ
と読み取れませんでした。自分でも、この出来栄えでは金メダルがきついかな、という印象をもち
ました。一番得意の化石鑑定の問題が出たらがよかったなあと思いますが、それは仕方ないです。
2. ITFI・ESP
両方ともグループでの課題、コミュニケーションが難しかったですが、いろいろな国・地域のメン
バーと取り組めて楽しかったです。特に印象に残っているのは、ITFI ではリーダーシップのドイツ人
やおしゃべり早口のウクライナ人などです。発表はわかりやすかったんじゃないか、とメンバーみん
なと自己評価しました。ESP では、英語が上手い(当たり前か)オーストラリア人(Cool!が口癖)、
英語が上手い(当たり前ではない)台湾人、日本代表に人気のあったドイツ女性など、表彰式で銀賞
9
でしたが、できればみんなと喜び合う時間がほしかったなあと思います。
3.その他
カルチャーショーで見せていただいたカポエイラが特に印象に残っています。またブラジルの自然
に触れることができました。珍しい蝶、ヤシ科の植物、普通にそのへんにいる新世界ザル、これら
を観察するだけでもとても楽しかったです。ホテルの食べ物もとても美味しかったです。ただ、帰
ることには、粘り気のあるお米と割り下の味が恋しくなりましたが。
中学生の頃から目指していた国際地学オリンピックに参加できたことは、本当に良かったと思います。
これまで支えていただいた先生方、代表に選ばれてから指導・引率もしてくださった先生方に本当に感
謝しています。貴重な体験をありがとうございました。
ゲスト生徒
「ブラジルでの気づき」
三重県立津高校 3 年 角谷優馬
ブラジルでの経験はあまりに広範囲かつ膨大ですので、私は、この文章を何から書き始めれば良いの
か端緒を掴みあぐねていました。どうしようもないのでペンをくるくると回しながら、あの大会で一番
強く思ったことは何か俯瞰して考えてみると、1 つの答えに至りました。ですので、これを端緒としたい
と思います。その答えは、
「ブラジル、いや、世界は普通である。
」というものです。
渡伯以前、私はブラジルに対して、サンバやアマゾンなど典型的なイメージを持ち、特殊性を感じて
いました。しかし、実際のブラジルは違った。確かに、日本とは違うものだらけでしたが、そこでは食
べて、寝て、美女にまとわりつく、普通の人間の生活が営まれていました。人間の本質は、地球の裏に
来ても変わらないのだとはっとしました。世界のトップ生徒たちと地球科学の議論をしてこの思いはさ
らに強まりました。確かに最初こそ考え方の相違点に違和感を覚えましたが、地球科学という共通のも
のを通して相手を見ると、やはり彼らも普通の人間で、我々と何ら変わらないのだと悟ったのです。
来年の IESO は三重県で開催されますが、それに参加される生徒の方には是非、外国人に対して特殊だ
という偏見を捨て、間にある壁を破壊して欲しいと思います。異質な言語が特殊性を感じさせるかもし
れませんが、言語はあくまで道具に過ぎないと割り切って、相手そのものを見つめてください。すると
相手が普通の人間であることに気付かされるはずです。私の英語は破滅的でしたが、相手の表情と僅か
に聞こえる単語で何が言いたいのかなにとなく分かりました。逆に単語を雑に並べて手振りをすれば、
相手はなにとなく私を理解してくれました。
さて、コミュニケーション力は、IESO においては地学力に次いで必要とされます。外国の生徒と共同
作業をしなければならない場面があるからです。しかし、この力は日本チームに最も不足していたよう
に思われました。英語力の不足が大きな要因でしたが、私はこの不足は知恵で補いうるものだと実感し
ています。私は実際、図を描いたり、漢文を書いたり、時にはグーグル翻訳を使ったりして、破滅的な
英語力を補うこともできました。来年参加する生徒の方にも是非試行錯誤して自分の言わんとすること
を伝えて欲しいと思います。
貴重な機会を頂いたこと、様々な方にご支援を頂いたこと、感謝しております。ありがとうございま
した。
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