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運動会の起源

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運動会の起源
H28 全校朝会の話
No.6
運 動会 の起 源
2016.5.23
校長
西谷
秀幸
挨拶 週間の 話。
いよ いよ今 週の 土曜日 は、「わが 町 板 八小 の運動 会」 ですね 。
運 動会 は 、展 覧会 や 学習 発 表会 な どと は違 っ て、 毎 年行 いま す 。板 八 小だ けじ ゃ ありま
せ ん。 日本の すべ ての小 学校 で行い ます 。会社 とかで 行う 運動会 もあ ります 。
では 、運動 会は いつか ら行 われる よう になっ たので しょ うか。
日 本で 最 初に 「運 動 会」 と いう 名 前が 付け ら れた の は、 今の 東 京大 学 なの だそ う です。
明 治 時代 と いっ て、 今 から 1 30 年 くら い前 に なり ま す。 その 後 、日 本 全国 の学 校 で運動
会 を行 うよう に、 最初の 文部 大臣が 命令 をしま した。
し かし 、 学校 はと て も困 っ てし ま いま した 。 その と きは 、ま だ 、ほ と んど の学 校 に校庭
が なか ったの です 。
そ こで 、 神社 やお 寺 の境 内 を借 り て運 動会 を する こ とに しま し た。 で も、 場所 を 借りる
に は 、神 社 やお 寺の 人 だけ で なく 、 それ らの お 世話 を する 地域 の 人( = 氏子 ・檀 家 )の許
可 をい ただか なく てはな りま せん。
そ のた め 、地 域の 方 に学 校 の運 動 会に 一緒 に 参加 を して もら う こと に なり まし た 。そし
て 、 一緒 に 参加 して も らう た めに 、 どん な人 で も楽 し める 「パ ン 食い 競 走」 や「 大 玉転が
し 」のよ うな競 技が できま した。中 には「 ブタ追 い競 走」とい うの もあっ たの だそう です。
1・2年生は「玉入れ」を行いますね。これは、バスケットボール
を変化させた競技なのだそうです。5・6年生の「騎馬戦」は、誰が
政 治の リーダ ーに なるか を競 う姿を ゲー ムにし たもの でし た。そ して、
全校で行う「綱引き」は、秋にたくさん作物が実ったり、たくさんの
魚が捕れたりしたのを祝うための地域行事が姿を変えたものでした。
だ から 、運動 会は 秋に行 うと ころが 多か ったの です。
ちな みに、「玉 入れ」 も「綱 引き 」も運 動会 だけの 競技 かと思 った ら、「玉入 れ」 は「全
日 本 玉 入 れ 協 会 」、「 綱 引 き 」 は 「 国 際 綱 引 き 連 盟 」 と い う 団 体 が あ っ て 、 そ れ ぞ れ 日 本
一 や世 界一を 決め る大会 が毎 年行わ れて いるの だそう です 。
ま た 、「 運 動 会 」 は 、 赤 組 と 白 組 に 分 か れ て 戦 い ま
す ね 。 6年 生 は 、 歴 史 の勉 強 で 学 習 し ま すが 、 昔 、 源
氏 と 平 氏と い う 武 士 が 、ど ち ら が 日 本 の リー ダ ー に な
る か 戦い を した とき に 、敵 と 味方 を 区別 する た めに 、 赤と 白の 旗 を背 中 に付 けた こ とがも
と にな ってい るそ うです 。( 赤…平 氏、白 …源 氏)
そ して 、 当時 は、 運 動会 の 会場 が 家か ら離 れ てい る 場合 も多 か った た め、 遠足 の ような
面 もあ って、 お弁 当を作 るよ うにも なっ たので す。
日 本の 運 動会 のよ う なス ポ ーツ 大 会は 、外 国 では と ても 珍し い のだ そ うで す。 そ して、
地 域の 人が一 緒に 参加し て楽 しむと ころ は、板 八小の 運動 会にと ても 似てい ます ね。
で は、 運 動会 に向 け て、 今 週、 最 後の 練習 を がん ば りま しょ う 。そ し て、 地域 の 人たち
と すば らしい 運動 会にし まし ょう。
これ で朝会 の話 を終わ りま す。
(裏面に「先生方へ」があります)
〈先生方へ〉
い よ い よ 、今 週 末 が 運 動 会 と な り ま し た 。
「 子 供 は 本 番 に 強 い 」と 言 わ れ る こ と も あ
りますが、
「 練 習 で で き な い こ と は 、本 番 で も で き な い 」と も 言 わ れ ま す 。子 供 た ち が
当 日 に 100% の パ フ ォ ー マ ン ス を 発 揮 で き る よ う に 、 前 日 に 120% の 演 技 で 終 わ ら せ 、
子供たちの士気を高めていきたいですね。疲れもピークに達して、ケガが多くなる時
期ですから、ピシッとさせるところと緊張をほぐして休ませるところを分け、メリハ
リをつけて指導していくことを心がけてください。
さて、今回は「運動会の起源」について話をしました。この内容については、平成
25年度に学校だよりに掲載したり、26年度に全校朝会で話したりもしています。
各学年で発達段階に応じて、指導と補足をお願いします。
【資料】運動会の起源について
日本では、学校はもちろんのこと、会社の運動会、町内の運動会などたくさんの運動会が行われる。種
目もかけっこやリレー、騎馬戦などとならんで、パン食い競走や障害物競走、フォークダンスなどがある。
会社の運動会となると、仮装行列がある場合もある。
そう考えてみると、運動会とは実に奇妙なイベントである。パン食い競走とはいったい何を競う競技な
のだろうか?スプーン・レースや大玉転がしは、いったい誰が何のために考え出したのだろうか?騎馬戦
や棒倒しは?どうして仮装行列などというものがあるのだろうか?こんな奇妙な種目のあるスポーツ大会
は、外国には存在しない。オリンピックの競技にもない、日本独自のおもしろい種目が含まれている。ど
うして日本人は、こんな奇妙なスポーツ大会を生み出したんだろうか?
運動会の起源は、明治7年に築地の海軍兵学校でイギリス人教官のもとに催された「競闘遊戯会」とさ
れている。以後、札幌農学校の「力芸会」
、東京大学予備門の「運動会」と続く。東京大学予備門とは、
第一高等学校(現在の東京大学)の前身にあたる。学校教育が始まって間もない明治16年10月、勉強
ばかりやっていると潤いがなくなるので、多くの人々に見せるために始まったらしい。運動会という名称
で行われた競技会は、どうやら東京大学が最初のようである。
その運動会が学校行事として定着するのは、初代文部大臣の森有礼が文部省令を発したことに端を発し
ている。森文部大臣は、横浜の外国人租界地で行われた陸上競技会を見物して体育教育に有効と判断し、
全国の小中学校で運動会を催すよう訓令を発したのだった。
しかし、命令を出された方は、大いに困惑した。なにしろ教育制度が定まったばかりの時代だから、運
動場なんていう施設はなかった。困った学校関係者は、いくつかの学校で話し合い、合同で神社や寺の境
内を借りて運動会を開催することを考えた。ただし、場所を借りるためには、氏子や檀家という神社やお
寺と関わりのある地域の人々の許可が必要になる。そのため、生徒がただ競走するだけでなく、氏子や檀
家も一緒に参加してもらおうということで、彼らが参加できるような競技を考える必要が生じた。今でい
うなら「住民参加」である。そして考え出されたのが、どんな人でも楽しめる娯楽性の高いパン食い競走
や大玉転がし(中には、ブタ追い競走というのもあった)だった。
さらに、どうせ神社やお寺でイベントを行うなら、夏祭りや秋祭りも一緒にしてしまおう、ということ
になり、中央に櫓を組み、盆踊りや豊年満作踊りなども運動会でするようになった。これがフォークダン
スのルーツである。つまり、運動会は、参加するすべての人々のためのお祭りだったのである。また、運
動会の会場が家から離れている場合が多いということもあって、遠足という要素も混じった。そして、お
弁当を作るという習慣ができたのである。
では、騎馬戦や棒倒しはどうして始まっただろうか?それは、国会が無かった時代に国会を開くことや
憲法を作ることを主張した政治運動=自由民権運動がルーツであった。当時は政府の力が強く、自由民権
運動が激しく弾圧された時代で、政府に反対する自由民権の志士たちは、意見を堂々と言うことができず、
街中で演説することもデモ行進をすることも集会を開くことも法律で禁止されていた。
そこで、自由民権運動の壮士たちは、自分たちの主帳をどのようにして聞いてもらおうかと考え、運動
会に目をつけた。
「最近流行の運動会をするのなら、演説でもないし、デモでもないから弾圧されないだ
ろう」と。そして、
「壮士運動会」と称するイベントを開催し、そこで「政権争奪騎馬戦」
「圧政棒倒し」
「自由の旗奪い合い」といった競技を創り出した。騎馬戦は、だれが政治のリーダーになるかを競う姿を
ゲ ームにしたものであり、棒倒しは当時の政府を倒す意味をこめて棒を倒すものだった。つまり、すべ
ては競技にまぎれて彼らの言い分を国民に聞いてもらうためのものだった。さらに、その合間にデモを行
い、
「議会をつくれ」
「政府反対」とか言いながら、民選議会(国会)の設立を訴えたり、薩長藩閥内閣の
打倒を叫んだりした。そのデモンストレーションが、のちに仮装行列に変わったのである。
それら2種類の運動会が混ざり合い、現在の運動会に発展した。運動会は、日本人の豊かな遊び心が創
りあげたものなのである。
ちなみに、
「玉入れ」はバスケットボールを、
「障害物競走」はイギリス発祥の乗馬障害レースをアレン
ジしたものである。また、
「綱引き」は、豊作や豊漁を祝うための地域行事が形を変えた種目だった。そ
して、それらは運動会限定の競技かと思いきや、玉入れは全日本玉入れ協会主催の国内大会が、綱引きは
国際綱引き連盟主催の世界大会が、それぞれ毎年開催されている。
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