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編集室 - 一般社団法人広島県医師会
(67)2011年(平成23年)6月15日 広島県医師会速報(第2122号) 昭和26年8月27日 第3種郵便物承認 ク ロ の 帰 宅 野良の子猫が私の実家の一員になり、 「クロ」と 命名されたのは1 5年前のことである。亡き母が元 気だったころ、家に帰る道すがら、生まれたばか りの子猫が「ニャーニャー」鳴きながらついてき たので、ふびんになって連れ帰ったという。実際 の毛色はまだらのこげ茶で、正式には「サビネコ」 というらしい。確かにさびた鉄板の色に似ている が、出現頻度の低い模様だという。 母が入退院をはじめた5年前ころ、実家の隣に あるわが家に、クロは引き取られてきた。メスに もかかわらず、よく喧嘩をする猫で、右耳の外側 はギザギザにちぎれており、5ミリくらいの穴まで 開いていた。屋外にいることの多い猫のため、壁 を四角に切り取って「ネコくぐり」とし、外でも 寝られるようにホットカーペット付きの猫小屋を 置き、他の猫が浸入できない仕掛けも作った。 15歳という、人間なら8 0歳を超えた老猫になり、 家にいる時間が長くなっていたが、前庭や裏の畑 などを見回って、マーキング(におい付け)をす る日課は欠かさなかった。また昨年の夏ごろから は、猫ジャラシを追いかけ回したりなど再度活動 的になっており、歳を取って「子ども返り」をし たのかと冗談を言っていた。 11月のある日、走り回って遊んでいて、突然 「ハーハー」と苦しそうな口呼吸になり、なかなか 回復しなかった。車で3 0分のかかりつけ獣医に連 れて行き、簡易の血液検査は異常なかったが、レ ントゲンで心臓の肥大を指摘された。拡張型心筋 症は若い猫の病気なので、甲状腺機能亢進症によ る心不全ではないかとのこと。ひとまず酸素を流 せるケージに入院となった。 酸素と利尿剤入り点滴などで、小康状態になっ ていたが、甲状腺ホルモンは正常の倍以上と判明 した。活動的になっていたのも、甲状腺ホルモン 過剰状態のなせる技であったようである。慣れな い環境で不安感も強く、ベテラン獣医をもってし ても薬を飲ませるのが困難ということもあり、家に 引き取ることにした。プラスチックのケージをサ ランラップで目張りし、缶入り酸素を吹き込んで、 30分かけて帰宅した。車の中で、最初は不安そう に鳴いていたが、そこは方向感覚の鋭いネコ。わ が家に向かっていると分かるとおとなしくなった。 家では、あらかじめ動物用医療機器の業者から 借りていた、濃縮酸素を流せるプラスチックケー ジに収容した。ケージ内の酸素濃度は3 7~38%に なるという。外に出たがって鳴いていたが、ケー ジから出すと苦しがった。やむなく、庭が見える ように出窓の上にケージを置き、寂しがらないよ うに家内と娘が交代で24時間そばについた。 このようにして、入院4日、在宅6日の後、出 窓越しに庭を眺めながら、クロは天寿をまっとう した。ネコ版の「在宅看取り」と言えるかもしれ ない。 「もう二度と動物は飼いたくない」との家内 の言葉ではあるが、子猫がニャーニャー鳴いてつ いてきたら、また飼ってしまうかもしれない。 ところでわが家のように、飼い猫を自由に外出 させた場合、猫は人前では死なないのが一般的で はないかと思う。実際に、私が子どものころから 実家で飼った計2 0匹以上の猫たちのうち、眼の届 く範囲で死んだのは、喧嘩で腹を食いちぎられ、 腹膜炎で死んだ1匹のみであった。他の猫につい ては、 「しばらく戻ってこないから、死んだのかな あ」というのが常であったように思う。 また先年、実家の離れを改修した際、古い布団 を押し込んであった、50年以上開かずの押し入れ の奥から、ミイラ化した猫の死体が数体出てきた。 私が中高生のころに飼っていた猫たちらしかった が、たぶんこの時期にこの押し入れを、猫たちが 「死に場所」にしていたのであろう。 そのように考えると、獣医院から帰宅したクロ は、慣れ親しんだ庭や畑に出たがったのではなく、 あらかじめ決めていた死に場所に行こうとしていた のかもしれない。そういう意味では、本当の意味の 「在宅看取り」ではなかったようにも思えてくる。 ことほど左様に、「本人の死にたい場所で死ぬ」 ということは、今の日本では容易なことではない。 9.11テロで、ワールド・トレード・センターに旅 客機で突っ込んだグループの首謀者とされたムハ ンマド・アタにとっては、この突入は「最高の死 に場所」だったのではないかと当時思った。自分 には、このような死に場所は用意されないものと 思われ、せめて自宅で最期を迎えたいのではある が、それですら夢のまた夢のような気もする…。 (柳田 実郎)