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旧友の死

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旧友の死
たなか醫院診聞 128 号
く、
「平常に戻った」日常のすぐ近くで、あいも変わらず災難に翻弄される民がいる
2011.8.1 発行
ことを思います。7月の連休前から小生も体調を崩し、来る日も来る日も下痢に悩
まされました。神様というのは、ありがたいもので17-18日の連休で休ませてく
れ、その後の、オホーツク海高気圧の張り出しで、それ以前の猛暑も遠ざかり、よ
旧友の死
うやく体調を取り戻しています。今月の初め、弘前大学時代の看護師さんが、今五
所川原で看護師の教師をしているとメールをくれました。加えて昨日は、約35年
光生というのが
前東北大学時代家庭教師をしていたお宅とようやく連絡が取れ(塩釜に近い多賀城
彼の名である。タイラカニ光アル、我が下半身が失われたようだ。彼は旅の人で、
市の方)お互いの歳を確認し、バイクで通った国道4号線を走っていて、酩酊の男
日本のみならず、世界中を旅した。私が彼と共にリュック一つで、二カ月余り伊太
性とぶつかり、2m 近くバイクから飛ばされ、幸いにも雨合羽が身体を滑らせてく
利亜を旅したのは、平成3年の5月のことだ。フィレンツェ、ローマ、ナポリ、カ
れ、双方ともに怪我なし。そんなことを思い出しながらお互いの無事を喜び合いま
プリ島、シチリア、ヴェニス、サンマリーノなど気ままに、無計画の弥次喜多道中
した。家庭教師をしていた彼女は「何としても一女に入りたい」というものの、話
を楽しんだ、イタリア語も知らずに、である。アッシジでは、聖フランチェスカの
している最中から居眠り。何度カミナリを落としたことか。今大学に通う50近い
遺骸にも会うことができた。ちょうど祭礼日だったらしく、厳粛な雰囲気の中で、
女性になったとか。声は変わらず昔のまま。こんなことが起きている間に在宅患者
赤い小さな蝋燭を1本、彼の聖者に祈り捧げることができた。
が膨れ上がり、ある日は往診を終えて帰宅すると夕方8時。げっそりした気分で夕
今春3月17日に、大阪の友が、末期がんで息をひきとった。平
旅の終わり、シエナのカンポ広場の裏の民宿に泊まった時、生涯忘れぬ夢を見
た・・・。
・・・自分の顔といわず手といわず身体の毛穴のひとつひとつから、静か
に、やわらかに、すきとほった水が湧き出し、溢れ、流れ去ってゆく。その水は、
自分の息なのだった。深く吐き、深く吸うごとに、その息は溢れる水となり、一呼
吸、一呼吸、絶え間なく体中から噴き出してゆく・・・。生きるとはこういう事だ
ったのだ、まさにわが人生の節目であった。その節目に、わが友はいて、彼は「ボ
チボチや、なるようにしかならないんや。
」と私に微笑むであった。友のあの口癖を
もう聞くことは出来ない、私はまさに我が放浪する半身を失ったのである。
白梅やちひさく堅き志
吉弥
こんな葉書をもらったのが7月13日。島根医科大学で机を共にし、お互いに別
の大学を終えて、もう30に近い「新入生」として、覚えてもすぐ忘れていく脳の
老化と戦いながらの医学生時代の友人の死。家庭教師に明け暮れ、暇を見つけては
日御碕の岩場で素潜りにいそしんだ、夏の日々。日本海に沈む夕日。出雲大社の境
内の閑散とした砂地。講義を受けているそばで、突貫工事の病院の建設。思い出せ
ばきりがありません。ご冥福を祈ります。
この7月もあっという間に過ぎてゆきます。震災と原発事故の収束は、いまだな
飯。それでもビールは美味かった。そんな、こんなで今月も各地からの便りをもら
い、
「友あり」と感じ入るとともに「激動の一ヶ月」でした。
長崎人の青森見聞録(9)
長さんが「これはすごい。ぜひジャマイカにも欲しい」と言った物がありました。
それは、血液の自動測定器でした。ギー・ガッチャン、ギー・ガッチャンという感
じで、試験管の中の血液を機械が吸い出して、確実に測定がされていきます。しか
し、残念ながらジャマイカに持ち込んでもほとんど使われることはないでしょう。
「外国人が見た日本人とその生活」
なぜなら、ジャマイカ人が日本人のようにお金持ちでないことや、また日本のよう
に優れた医療保険システムがないために、検査数そのものが非常に少ないからです。
弘前大学医学部社会医学講座 中路重之
つまり「商売にならない」ということです。日本は本当にいい国です。我々は少し
感謝の気持ちが足りないのかもしれません。しかし、彼らが最も驚き、悲しんだの
は青森の冬と寒さでした。ジャマイカは常夏の国です。一足飛びに飛び込んだ日本
10 年くらい前の田中医院診聞に「ジャマイカだより」を書かせてもらったことが
の冬の寒さと暗さに、かなりの人がホームシックになってしまいました。その落ち
あります。そのころ私は ODA(政府開発援助)の仕事でカリブ海のジャマイカにい
込み方もストレート(というか子供っぽくて)で、かわいくて(失礼!)抱きしめ
ました。あの短距離走(ウサイン・ボルト)とコーヒー(ブルーマウンテン)とレ
たいなったことを思い出します。
ゲエミュージック(歌手ボブマーリー)で有名な小国です。面積は青森県とほぼ同
じです。私はそこに 1 年半滞在し、保健活動(ようするに簡単な健診)のお手伝い
を行ったのです。今日の話しは、そのジャマイカの保健関係のスタッフが日本に研
修に来た時のこぼれ話しです。人づてに聞いたものもあります。弘前にイトーヨー
カドーがあります。ジャマイカの人が驚いたのは、閉店間際で「蛍の光」が流され
る時には、ほとんどの客がレジに並んでいたことです。先を読んで動く、その日本
人の思いやりにまず驚かされたようです。自動販売機は日本が世界一です。とにか
くジャマイカの人が目を見張ったのは、その数の多さと、何でも売ってあることで
した。お酒やカップヌードルまで売ってあると・・。日本にはまず信号機の数が多
いです。しかし彼らが一番驚いたことは、日本人のマナーの良さでした。かならず
赤では停止して、青にならないと歩きださないと言う行儀のよさです。ただ、そう
でもない人(私)もいるので少しこそばゆい気がしましたが。100 円ショップ、デ
パート、スーパーマーケット、こういうところに入ったらなかなか出てきません。
我々にとって見慣れた光景ですが、その品数の豊富さに彼らは興味深々でした。し
かも 100 円ショップは安いし、アイデア商品にあふれています。1 日中いてもまっ
たく飽きなかったようです。そうそう、日本にはやたらにエスカレーターが多いよ
うです。ジャマイカの人だけでなく、イギリスから来た知人もエスカレーターを逆
さに走ったりしてはしゃいでましたっけ。弘前には医師会の検査センター(健診な
どの血液や尿を測定するところです)があります。そこを見学した向こうの保健所
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