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平成23年 - 鹿児島県神道青年会

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平成23年 - 鹿児島県神道青年会
ま
祝祭日には国旗を掲げま Lよ
l
e
-.
第3
1号
し
子
、
、
ミ
カ
青
ネ
申
(1)平成 2
3年 4月 1日
花便りも伝わり草木の芽が萌え出す今
日この頃、皆様方におかれましては益々
御健勝にして御隆盛の由、大慶至極に存
じ上げます。
本年一月二十七日、霧島の新燃岳にて
五十 二年振りに爆発的噴火を観測、さら
、 三陸 沖 を 震 源 と す る 東
には 三月十 一日
北から関東にかけた東日本全域に於い
て、マグニチュ ード仰という歴史的にも
稀にみる東北地方太平洋沖地震が発生
し、日本はおろか世界中が驚博する中、津
波による二次災害により、家屋や車が一
瞬にして飲み込まれる大惨事となり、未
曾有の壊滅的被害を受けました 。
被災された方々におかれましては、謹
んで御冥福、御見舞いを申し上げ、﹁美は
しき日本 ﹂を取り戻すべく 、国民 一丸と
なって復興に尽力する 事 を切に望みま
す。
さて、先般 二月 七 日 に 行 わ れ た 臨 時 総
会にて、会員各位の御承認の元、この度図
らずも当会会長の重責を仰せつかる事と
なりました。
思い起こしますれば、私も神青会員と
して参加させて頂き、早十六年の歳月が
流れました 。始めは右も左も分からず、た
だ混沌と過ごす日々でございましたが、
活動を通じ先輩方の神職としての在り
方、会に対する勇姿、薩摩男子たる豪傑な
酒宴の場に接しさせて頂くうちに、 一民
社の神主だけでは得られぬ物事を学ばせ
て頂き、何時しか私にとって無くてはな
ら な い 存 在 に な っ て お り ま し た 。その心
を胸に任期中は、神社神道の研鑓とその昂
揚発展に務め、会員の益々の資質の向上、よ
り 一層 の 組 織 の 活 性 化 を 目 指 す べ く 遁 進 し
ていく所存でございます 。
当会は戦後の混迷から高度経済成長に向
け 着 実 に 歩 み 出 し た 昭 和 二十八年に創立さ
れ、組織機構を整えその時代に即した課題
を 掲 げ て ま い り ま し た 。常 に 斯 界 の 発 展 を
願い、活動に真撃に取り組んでこられた先
輩諸賢に改めて敬意を表し、後に続く我々
は又新たな 一歩 を 築 き 、 次 世 代 へ と 確 実 に
引き継ぐ責務があります 。
この鹿児島には郷中教育と言う他の地に
も 誇 れ る 素 晴 ら し き 伝 統 が ご ざ い ま す。同
志として共に過ごす年上は年下を指導し、
年下は年上を尊び、﹁負けるな﹂﹁嘘を言うな
﹂﹁弱いものをいじめるな﹂この古き良き文
化の精神を 重 ん じ、会 員 と共に自覚し心を
一つにして、先輩諸賢が築いて来られた神
青会を更に発展する様、尽力 して参ります。
最後に私事で恐縮でございますが、本年
三度 目 の 年 男 を 迎 え ま し た 。干 支 の 卯 に ち
なみまして力強く大地を蹴り上げ、大いに
飛躍してゆく年にしたいと思う所存でござ
います。しかしながら組織を統率するには
あまりにも浅学非才の身、改めて職務の立
場 を 深 く 認 識 し、周 章狼狽する事無く一つ
一つ を 丁 寧 に 遂 行 す る べ く 、 我 が 身 を 律 し
て責務の全うに傾注いたす覚悟でございま
す。何とぞ先 輩諸賢の 御指導御鞭擢、時には
温かい叱時激励を賜り、又会員各位には優
れたる叡智を拝借させて頂きたくお願いを
申し上げ、会長就任の御挨拶とさせて頂き
ます 。
ま
平成 23年 4月 1日 (
2
)
、
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し
」
戸
、
か
ネ
E
l 青
第3
1号
新 年 明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す。
会員の皆様方にはご健勝にて、益々ご活躍の事と存じます。今
回県神社庁理事を拝命致しまして、大変恐縮致しているところ
でございますが、 一言 ご 挨 拶 申 し 上 げ ま す 。
平成 二十 二年 の 締 め く く り の 大 晦 日 は 、 あ た り 一面銀世界に包
まれ、とても 美 しい情景を目の当たりにされたと思いますが、新
年 を 迎 え る に 当 た り 、 会 員 の皆様は何かとご心労が絶えなかっ
た の で は な い か と 推 察 い た し ま す。
この大雪の中、平成 二十 三年辛 卯 の年は幕を明けました 。
民 主 党 政 権 は 国 民 の 生 活 が 第 一と 主 張 し 政 権 交 代 し ま し た が 、
迷走を繰り返 し、普天間の米軍飛行場の移設問題、尖閣諸島 沖 の
中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土国後島への強行訪
問等、国の安全保障をも脅かす諸問題に発展しております 。この
新しい年には、新風が吹き、この閉塞感が打破され、明るい 兆 し
が 訪 れ る こ と を 祈 念 し て お り ま す。
私 は 昭 和 二十 八 年 十 月 神 職 の 仲 間 入 り を 致 し ま し た 。終 戦 後
の神も 仏 もなしという、混沌と した時代でありま したが、私は自
営業を手がけながら、先代宮司 (
父)と 共 に 神 社 を お 守 り し て 参
りま した。
昭和五十年、父が社殿改築を計画致し、すぐに食道癌にて入院
を余儀なくされました 。そんな中、父の信念のもと、私が建設委
員会を作り、昭和五十四年十月に無事に完成致しました 。父は入
。
院したら退院はむずかしいと云われておりましたが、社殿改築
を完成さ せな け れ ば と の 信 念 を も ち 続 け 、 驚 異的 に手術後 一ヶ
月で退院 し、地鎮祭 ・上棟祭 ・竣工祭も自ら奉 仕致しま した。そ
の後、父は 三年後に 他 界致しましたが、私に何事も信念を持って
頑張れば、出来な いことはないのだと 言葉でなく、実行すること
で教えてくれま した。私は、十年後には社務所と参集殿建設を、
そして 二十 年 後 に は 神 門 建 設 を や る の だ と そ の と き 意 志 を 固
め、計画を立て進めてきた結果、すべて完成する ことが出来まし
た。これは 責 任役員、氏子 、崇敬者多くの皆様方のご理解とご協
力、又川上県神社庁長をはじめ、神職の皆様のご指導の賜物であ
ると深く感謝申し上げます。
上杉鷹 山 の言葉に﹁なせばなる 、 なさねばならぬなにごとも、
ならぬは人のなさぬなりけり﹂とあります。この言葉が私の信条
であります。
す べ てここか ら 始 ま る と い う こ と を 、 私 は 父 の 後姿 をみて 学 び
ました 。
このことを後世に伝えるべく努力していく所存でございます。
第六十 二図式年遷宮に向けて心を 一つに し てがんばりましょ
ヤ円ノ
皇室の弥栄と日本国の安泰、そして会員、神職の皆様方と共に
よき年であります様、 御 祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせてい
ただきます 。
ま
第3
1号
、
れ
し
円
、
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か
主主
ネ
申
(
3)平成 2
3年 4月 1日
四月に会長に就任 し てより 、丸十年が経った事に驚憎。年々神道
る日本弱体 化は 今だに止らず、引き摺り、 北方領土、竹島、尖閤等
今日の世情を見ると、戦後六十六年を迎えた今、占領憲法によ
真に松陰先生の 心境に近き思いがしてなりません 。
青年会の皆さんの結束力が形となり、活動も目を見張るばかり
領土問題を始め国の主権を犯される始末。又、政教分 離 の原 則が
今更ながら﹁時は金なり﹂と強く感じる今日此頃。平成十 三年
でございます。真に﹁時は金なり﹂共通の意識の元に、それ以上の
事を成 し遂げて来た鹿神 青 で あ る と 誇 り に 思 い ま す 。
ティティーの喪失 。伝統 ・文化の崩壊と捉えざるを得ません 。
真
に困難 の時。戦後六十六年の経済至上 主義 が、解決せねばならな
横行し、 ﹁宗教﹂という 二文字で 、地域 の伝統文 化
、 社会慣習、儀礼
を も 学 校 や 社 会 か ら 排 除 せ ん と す る 風 潮。日本人 のアイデン
念の日制定運動、元号法制化運動、御即位奉祝運動、式年遷宮啓
い問題を後回しにし、日本人、日本 の姿を根っこから蝕み続け、
拐、私達の誇るべき先輩達は、戦後占領軍を相手に、国体護持
蒙運動など数々の日本の伝統文 化護持の為の 運動を展開して来
本来の姿の記憶すら失くなりつつあると言えます 。
と共に神社護持、領土保全運動、明治維新百年記念事業や建国記
られました 。これ ら の 運 動 も 偏 に 陛 下を中 心 とする国体を守る
私達神道人は、今 一度おかしな現況、そして今後起こり得る事
を想定した上で、神武創世の原点に 戻り、あらゆる面からの﹁国
ためでございました 。
幕末の志士 、
吉 田松陰先 生の和歌に次の 一首がございます。
の立て直し運動﹂を展開せねばな らな いと思います。その思想の
源は、﹁陛下 ・皇室を中心とした国体﹂であることです。政治家の
一人 一人が偲び行動を起せば陛下の祈られ
る通りの園、国体が顕現されると信じます 。
陛下の大御心を、
動を創出していくべきと考えます 。
みならず、全ての国民に歴史をしらしめし、意識立てとしての運
九重 の悩む御心思ほへば
手 にとる 屠蘇 も呑 みえざるなり
(
安政六年 一月 三十歳)
この歌の﹁九 重﹂は 、朝廷、陛下を表します 。朝廷が、陛下が幕末の
混乱期に悩まれ、心を痛め、大御心を偲ぶと正月のおめでたいお
屠蘇などを安々と飲むことなどできない 。と詠まれています。今
ま
平成 2
3年 4月 1日 (
4
)
し
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、
、
か
青
ネ
申
第 31号
こ の 度 、 会 長 の 任 を 遂 げ る に あ た り 一 ざ い ま し た 。しか し、どうにか無事に こ の
申し上げる今、自分なりの充実感と安堵
出されますが、こうして退任の 御 挨拶を
かり、嘗てない緊張を覚えたことが思い
二年 前 に 伝 統 あ る 当 会 の 会 長 を 仰 せつ
ばせて戴いた数々の教訓、またかけがえ
第 で す。斯 界 の 尖 兵 た る 神 道 青 年 会 で 学
協力によるものと 一
陣 く 御 礼 申 し上 げ る 次
庁 を 始 め 先 輩 諸 凡 の皆様方のご理解とご
も共に支えてくれた会員同士 、 また神社
二年 間 を 乗 り 越 え る こ と が 出 来 ま し た の
感 、 そ し て 一抹 の 寂 し さ と 反 省 が 交 錯 す
のない良き 仲 間 を 私 の 財 産 と し て今後の
言御挨 拶 申 し 上 げ ま す。
る複雑な 心境 で す。
て、会務に謹む傍ら 神青 九 州 地 区副会長
田薫君が選任され新執行部のもとに新た
次期の会長には、先の臨時総会にて宮
神 職 人 生 に 役 立 て た い と 思 い ま す。
を兼務させて戴き、また亡き父後の本務
な 諸 事 業 が 展 開 さ れ る こ と と 存 じ ま す。
顧みますと宮田昇前会長の後を受け
神 社 宮 司 職 と 目 ま ぐ る し く 過 ぎ た 二年間
ご 期 待 申 し 上 げ る 所 大 で あ り、皆様には
一層 の ご 協 力 を お 願 い 申 し 上 げ る 次 第 で
でありました 。
任期中は、先ずは今まで先輩方が築き
会 の 愈 々 の 発 展 を 心 より祈念し退任の 御
あ げ て き た 従 来 の 活 動 を 途 絶 え る こと の ご ざ い ま す。甚 だ 意 を 尽 く せ ま せ んが、当
な い よ う 更 な る 充 実 が 計 れ る よ う 研 鎖し
挨 拶 と さ せ て 戴 き ま す。
二年 間、ありがとうございました 。
取 り 組 ん で き た つ も り で ご ざ いますが、
神明奉仕の傍ら多岐に亙りての諸活動、
事業等を継続して行うことで精一杯でご
日笠山
八幡神社
古式 の直 会
八幡神社宮司
治
上給仕は下給仕が 御供所から運ぶ膳を、
上席 ・宮司 ・次席に配膳し 、次いで上給
仕①は提子を給仕②は長 柄
の
銚
子
を
持
ち
、
先ず上席の前に並んで進み、酒を注ぐ 。
肴
のあと 二の 杯
、 三 の杯をすすめ、次いで宮
装
。
薩摩 川内市里町(甑島 )の八幡神社に伝
承されている﹁古式の直会﹂と呼ばれる儀
式は、例大祭の前夜祭と木祭の祭典中、
﹁内侍舞﹂(共に鹿児島県指定無形民俗文
化財)に続いて拝殿で行われる
古式の直会は、空吸物と本吸物とから
成り、空吸物は形だけの儀式で、上席参列
者 ・宮司 ・次席参列者の 三名だけが饗応
を受ける 。本吸物は全参 列者が受ける 。
延享 四年(一七四七)の﹃神社改帳﹄の例
祭当日の記述に﹁御 地頭御参詣の節は ・
三献を :::﹂とあり、これが儀式化して伝
承されたものと思われる。(上席は地頭と
思う)
準備は拝殿脇の御供所で行われる 。空
吸物の膳は台付の折敷(角 一尺余 )の上に
小さな台付折敷 三 つを並べ、魚の干物 ・
生の栗 ・昆布各 三個(三枚)を盛り、中央
に土器 三枚を重ねて置く。箸 は川柳の枝
を って 作 る。
削
給仕するのは、内侍舞の 少女と同様、年
番の部落から選ばれた若者で、上給仕 二
人、下給仕 二人、紋 付羽織袴に白足袋の正
正
ま
第3
1号
、
J
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」
か
青
神
(
5
) 平成 2
3年 4月 1日
あ り ま す。
生 態 や 性 質 を 述 べ た と ころで、次に奄 美 諸
島の一部の地域に伝わる昔話について紹介
します 。
﹃ある年、毒蛇のハブが里に多く降りてき
た事があり、噛まれて命をおとす人が後を
絶たなかった。人々は怒り、奄美の島々か
らハブを根絶やしにしてしまおうと、大々
的な 山狩 り を 行 っ て ハ ブ を 根 絶 や し に す る
事 に 相 談 が ま と ま っ た 。 それを聞いて、ハ
ブを気の毒に思ったのが、里で飼われてい
た ウ サ ギ だ っ た 。ウサギは 急いで 山 へ出向き、
ハブの王様にこれまでの事をすっかり話し
て聞かせた 。 ハブの王様は奄美の島中のハ
ブ に こ の 事 を 知 ら せ た の で 、 ハ ブ 達 は 山狩
りの前に隠れる事ができ、辛き命を助かっ
アマミノクロウサギ
た。 一 方 、 修 ま ら な い の は 人 間 違 だ 。 ハブ
達に山狩りの事を密告したのがウサギの仕
鹿 児 島 鯨護 園 神 社 権 禰 宜
業だと知れると、腹いせにウサギを捕え
是枝政敬
散々折艦した挙句、煙煤しにして耳を削ぎ
今年は卯年ということで、卯に関連する神 斬 り 、 山 の 中 に 放 逐 し て し ま っ た 。 しかし、
社を取り上げるところですが、奄美諸島に古
ウ
サ ギ は 死 な な か っ た 。 煙で崎服されて毛が
くより生息する﹃アマミノクロウサ、キ﹄につ
真
っ黒になり耳、が短くなって し ま っ た け れ
いて紹介します。
ど 、 ち ゃ ん と 生 き 長 ら え る こ と が で き た。
現存するウサギ類の中では、最も原始的な そ し て 、 己 の 身 も 省 み ず 命 を 賭 し て 自 分 達
種類で、国の天然記念物に指定されています。 を 救 っ た ウ サ ギ の 恩 を 忘 れ な か っ た ハ プ 達
特徴は、通常のウサギに比べると耳が短く、 は 、 普 通 の ネ ズ ミ や 小 鳥 は 襲 う け れ ど 、 成
後脚が発達せず、また、上顎の臼歯が五対し 長したアマミノクロウサギにだけは決して手
かなく、濃い黒褐色の毛皮とずんぐりした体
を
出
さないと言う ・・・・ ﹄
型 が 挙 げ ら れ ま す。性 質 は 夜 行 性 で 昼 間 は 倒
奄美の島に細々と生きる﹃アマミノクロ
木のウロや岩穴、自ら土中に掘った巣穴で住 ワ サ ギ ﹄ 彼 ら は こ の 義 侠 心 溢 れ た ウ サ ギ の
ん で い ま す 。 住 環 境 と し て 水 辺 を 好 み 酷 暑 や 子孫だと伝えられています。
寒さに敏感で臭覚が鋭く、用心深いと ころが
司、次いで次席に同様にすすめる 。(すべ
て所作だけ)
本膳の 一の膳は海の幸(魚の切身と青
物、すまし汁)二の 膳は山の幸(里芋と 青
物、味噌仕立て)。膳の中央に椀一個と箸
だけ 。前の 三者 に 配 膳 の あ と 全 参 列 者 に
供せられ、食したあと神酒と肴(干物 ・昆
布)が、 二回とも振舞われる。
上給仕は、膳を運ぶときは目通りに持
ち肘を張る、座るときは面前で小刻みに
三歩進んで 三歩下る 、空吸物の酒をすす
めるときは片膝を立てた姿勢でなど所作
は厳しい 。この古式の直 会だけで四1 五
十分を要する儀式である 。
ま
紙注連縄奉製講習会
於ホテルニュー種子島
-十 一 月
九日神育協臨時総会
於神社本庁
a
v十 二 月
九日第六回役員会
於 新 回 神 社 卜 二名
卜七 名
団地大麻頒布活動
於隣臨時支部五代団地
鹿 児 島 市星ケ峯団地
顧問参与会
於 吾 愛 人 顧 問 ・参 与 六 名
会員 七 名
二十 五 名
忘年会於吾愛人
神 道 青 年 九 地 協 第 四 回 役員 会
於宮崎市四名
{平成二十三年︺
・ 一月
二十 四 日
御神矢・絵馬・招福熊手 ・木札・メタル守
御神符・ステッカー・御守袋・ 弓矢 ・御守各種
︻平成二十二年︼
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第四回役員会於神社庁
大分県神道青年会
創立六 十周 年 記 念 式 典
於大分前
九 地 協 第三 回 役 員 会
於大分市
第八回役員会
於 神 社 庁 十 一名
臨時総会於神社庁十
一名
北方領土返還要求運動
於 天 文 館 ア ー ケ ー ド 十 一名
二十 一日 九 地 協 役 員 会 於
一名
二十 一日1 二十 四 日
九地協英霊顕彰事業於台湾
﹁台湾戦没者慰霊祭﹂桃閤神社
一名
二十 四 日1 三 月 一日 伊 勢 神 宮 展
於 鹿 児 島 市 山 形屋
7
0
2
2
1(夜間)
TEL0
9
4
32
3-3
4
1
2(代表)・ 3
FAX0
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二十 八 日
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六日
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十七日
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十四日
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富岡奉製
二十日
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・ 四月
九地協第一回役員会
於宮崎町観光ホテル
第六十二回神道青年
九 州 地 区 協議 会 総 会
於宮崎市
第二回役員会
於県神社庁十五名
定 例 総 会 県 神 社 庁 二十 一 名
顧問参与会
於すし鮮
顧 問 ・参 与 七 名
会員凹名
二十 九 名
十月
二十 八 日
二十 八 日
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1 福岡県八女市立花町山崎 1
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二十六日
二十 七 日
-五月
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於すし鮮
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二十 九 日
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十十
察
第 十 一回O B親 善 野 球 大 会
於郡山早馬球場
会員十一名
O B 七名
第 十 四 回 O B交 流 会
於レクストン鹿児島
会 員 二十 一名
O B 十七名
斎悶抜穂作業
一名
於霧島神宮十
事業頒布口問﹁普及版御門帳﹂
奉製作業於神社庁十名
鹿児島神宮浜下り助動
於鹿児島神宮四名
神社関係者大会準備作業
斎回米袋詰め作業十
二名
第五回役員会
於県神社庁十名
神社関係者大会助勢
於サンロイヤルホテル
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市日
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児月
力
日
天文館アーケードでの署名活動
せていただきました 。
北方領土返還要求運動に参加さ
先 般 、 平 成 二 十二年二月五日、
丸権
は 二度 目 で あ り ま し た が 、 最 初
のような日に配布するという積
揃岡常事所
本社科書所
鼠
A
075}74ls
3221
3P11
揃附市憾多区根付5'
川訴(
掛
092)592
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3215
1
僻地
m市左京区静市市原町1291L2 5
m
。京都奉製株式会社
り
極的な活動は、非常に意義があ
り素晴らしいと思います。 又 一
人でも多くの御理解ある皆様と
共に、諦めず根気強く北方領土
問題を訴え続けて行きたいと思
っ て お り ま す 。 そうする事が、
無関心だった人達が関心を持っ
て下さる術であると共に、誰か
がやるだろうという固定観念か
で誰がやる、という気持ちへと
ら、自分達が今立ち上がらない
す
代 表 取 締 役 長 谷川 和 夫
繋がる事にもなるのではないで
│授与・品‘記念品御零製│
平火社
はどのように伝え、御署名をし
きな活動となり、小さなものが
ォ警
錦リ 草
祈りをかたちに
しょうか 。 そ う す る と 自 分 達 の
と誇りに思い、次の世代の子供
自ら署名をしに来て下さる方を
大きなものを動かす力となりま
・
圃
.
圃
・
圃
.
荷
神
ていただこうかと戸惑いながら
にお声をかけて行くうちに段々
達に残したいと思わずにはいら
住んでいる日本という国をもっ
と自信を持って、北方領土返還
れないはずです。だからこそ領
アーケードを通られる方々
要求の署名活動する事が出来ま
土問題を真剣に考え行動を起こ
さ な け れ ば な り ま せ ん 。 たとえ
した 。 若 い 方 か ら お 年 寄 り の 方
目の当たりにして感じた事なの
す。 そ の 事 を 忘 れ ず に こ れ か ら
∞
まで、通りを行く人にお声をか
ですが、 二 月 七 日 が 北 方 領 土 の
も署名活動に力を入れて行きた
~も
株式会社長谷川製作所
ハセガワ
け て 行 く 中 で 、 無 関 心 な 人 や 、 小さ な 活 動 で あ っ て も 、 必 ず 大
日だという事を御存じない方が
いと思います。
織:毒
おル 室
~
グ~
〒1
1
4
0
0
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4東京都北区狐船3
2
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草加営業所 〒3
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5鳩玉県立加rIi谷塚仲町4
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社
本
多く、その中で北方四島の説明
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園
面
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書 きのパンフレットと飴を、
」
下、
、
友
3
1号
第
し
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か
青
神
(
7) 平成 2
3年 4月 1日
ま
平 成2
3年 4月 1日 (
8
)
下
、
、
し
」
カ
ミ
青
神
第3
1号
その中で、﹁従来の時局対策連絡
会議では 、政 策 推 進 の た め に 研 修
会を開催し、時局問題等に対応し
てきたが、先の衆議院議員総選挙
において、自由民主党が大敗を喫
竹田神社 権禰 宜
したのを重く受け止め、今後は保
井上祐
、
,
a
a
ロ
=
一- 守再生を掲げ 斯界を挙げて、こ
れらの諸問題に対応していくこ
去る、平成 二十 二年 三月 二日 ・
とが必歪である﹂と述べられまし
三 日と 二 日 間 に 亘 り 、 第 八 回 神
た。
道政治連盟時局対策連絡会議並
次 に 第 二講へ移り、﹁保守とは
びに神道青年全国協議会合同研
何か﹂という演目で安倍晋 三先生
修会に参加させて頂きました 。
より講演いただきました 。安 倍 先
今回の講演は自由民主党本部
生は内閣総理大臣就任時に﹁美し
で 行 わ れ 、 午 後 二時 よ り 講 演 が
い国づくり﹂を掲げて政策を進め
始まり、第 一講は﹁神政連の使命
られた事 、また、現民主党政権が
と役割﹂という演目で宮崎義敬
誕生 し、永住 外 国 人 へ の 地 方 参 政
先生の講演をいただきました。
権 付 与、選択 的 夫婦 別 姓 の 導 入
等、 我が国の歴史や伝統そして、
家族の紳を弱め、 日本古来の美点
でもある敬神崇 祖 の念をも根幹
から揺るがし、日本を様々な点で
弱体 化さ せ よ う と す る 動 き が み
られる中で、﹁保守派議員をはじ
め
、 神道 青 年 の 方 々 に 日 本 国 の 将
来について 何 が出来るかという
事を考えて頂きたい﹂と述べられ
ました 。
その後休憩をはさみ、﹁保守再
生に 向 けて﹂という演目で安倍晋
三先生、稲田 朋美先生、 山 谷えり
子先生、有村 治子先生、久富真人
先生によるパネルデイスカツ
自民党本部
3月2日
シ ヨ ン が 行 わ れ ま し た。その後、
懇親会となり、懇親会の席に於い
て多くの自由民主党議員の方々
が挨拶に来られとても感激しま
した 。
私自身の感想と致しま し ては、
更に斯界が固く団結し、歴史や伝
統を守り、良き日本を後世に伝え
て行かねばならないと思いまし
た。
この様な機会を作って頂いた
神道青年会の皆様に感謝致しま
す。また、斯界の尖兵として、時局
問題に取り組んでまいる所存で
す。
ま
福社
権 禰宜
田憲
3月9・10日
南大隅町
初日から寒風吹き小雨の降る
行われた 。
にかけて膜並びに教養研修会が
南大隅町﹁ネッピ l館﹂に於いて
平 成 二 十 二年 三 月 九 日1 十日
月
読
神
あいにくの天候であったが講師
司
い る か の よ う に 感 じ た 。しかし、
天候不順の影響で波はやや高く
油断すれば足をすくわれ波に拐
申
,
,
.
、
木
柚
われてしまいそうになる様であ
り、自然の厳しさも感じた 。
一一
日目、天候は更に悪化し風
はより強くなり神離を倒す位で
あ っ た 。雨 は 止 ん で い た が 気 温
は 更 に 低 く な っ て い た 。昨 日 と
同じ海岸に向かうと、波は昨日
より更に高くなっていた。浜で
の行法の後、海に入ると水温は
昨日同様温かかったが波は私の
頭を超える事もあり、自然の怖
さを思い知らされた 。
E-mail:info@suzuk卜 kisho.co.jp
i
ち つ い て い た 事 に も、 神 々 の 思
おります。又、講義 の問天候が落
道彦の方々には心から感謝して
義 を し て 下 さ っ た 講 師 の方々、
日目の講義は史跡を移動し
の方々はそれを吹き払うように
一
て一
の 講 義 で し た 。時 折 吹 雪 き な
熱 弁 を 奮 って下さった 。夕刻棋ー
の
がらも、講師の先生が説明下さ
時間となり、海岸へ向い衣服を脱
っている聞は止み、順調に講義
ぎ 艇 を 始 め た 。私 は 、 今
ノ回 が 初 め は 進 み 棋 並 び に 教 養 研 修 会 は 終
ての棋でした 。吹 き つ け る 風 と 時 了 し と 。
折降る小雨で、体は濡れては乾く:
あいにくの天候の中懸命に講
と い う 様 だ っ た 。それはまるで、
風雨が私の身についた織れを洗
い清め吹き誠い清めてくれてい
11
るかのようであり、浜での行の司
恵 をt
感謝 し て お り ま す。
TEL.03-3814-1811 FAX.03-3818-8332
〒5
4
7
0
0
3
3大阪市平野区平野西 4丁目 8
番2
9号
TEL大 阪 (
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代表)
FAX大 阪 (
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干1
1
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3
2 東 京 都 文 京 区 弥 生 2-12-1
字
、
代表取締役
鈴木徽章工芸株式会社
御一報次第カタログ御送り致します。
場
長 グ リーン産商株式会社
・文 鎮 金 盃
・各種記念品類
・胸像・レリーフ ・
鋳造類
組
』
私は心身が洗練されるように尼
じた 。海 に 入 る と 水 は 思 い の 他温
かく冷えた体を慈しんでくれて
室詰
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己J
受
念与
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守 ・授与品 ・参拝記念奉製
〈営業品目〉 ・交通安全御守護
・開運招福鈴
御 御
第 31号
し
」
か
青
キ
申
(
9
) 平成 2
3年 4月 1日
誠実 と真心 で奉仕す る
ま
1
,宮
権 禰宜
道
成
次 先 生 、 第 二講を﹁日本のこれか
題し、高崎経済大学教授の八木秀
第 一請 を ﹁ 明 治 精 神 を 学 ぶ ﹂ と
代の武士となるべく、全国の会員
約 四 百 三十 人 の 参 加 の も と 行 わ
れました 。
敬 神 崇 祖 の 心 ・愛 国 心 と い っ た
も の を 再 認 識 した 上 で 、 青 年 神 職
一人 一人が自らを律し、士山高い現
け て い る 慎 み や 礼 節 ・日 本 人 の
り と 自 信1﹂を 主 題 と し 、 武 士 道
精神から我が国が現代見失いか
今研修会は、﹁己の 一分 1現在、
振り返るべき日本人としての誇
成 二 十 一年 度 中 央 研 修 会 が 開 催
されました 。
宮城県神道青年会担当により、平
i 十七日の 二 日間、東北地区主 管
去 る 平 成 二十 二年 三 月 十六日
島
'
神
ら﹂と題し、お茶の水女子大学名
誉 教 授 の 藤 原 正 彦 先 生 、 第 三講 を
解説者の舞の海秀平先生にそれ
そういった感情が相手の気持ち
TEL096-382-8383 FAX096-382-8456
を理解してあげられる、強いては
戦 争 の 抑 止 力 に な る の で あ る 。﹂
と 述 べ ら れ ま し た 。金銭至上主義、
干8
62-0924 熊本市帯山 9丁目 3-10-2F
ぞれご講演いただきました。
在までの日本道徳教育史を解説
利己主義から脱却し日本人の美
に繋がるのであると主張されま
真j
C
,
を旅に綴って・.• す{
;
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1
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Jしい魅震の旅ヘ/
ま ず 第 一誹 で は 、 明 治 時 代1 現
され、特に教育勅語や修身教育の
抽象的ではなく 具体的に道徳倫
した 。
大切さについて述べられました。 的感受性を取り戻すことが日本
﹁
修 身 教育 は 教 育 勅 語 を もとにし、 だ け で な く 、 世 界 人 類 を 救 う こ と
理を感じることができる優れた
りました 。
手法である﹂と述べられた上で、
第 三講では、力士という武士道
現 在 の 道 徳 教 育 が い か に 抽 象 的 精神を肌で感じる立場から、﹁人
で わ か り に く い か 具 体 例 を 挙 げ 間には謙虚さが大事で、ひねくれ
ていると強くならないと教わっ
て説明されました 。
。
。
ま た 、 米 国 で は 学 力 や 規 範 が 著 た ﹂ と 語 ら れ ま し た 更に自分の
一分 は 痩 せ 我 慢 。そ れ が 男 の 美 学
しく低下したことに対して、我が
。
国 の 修 身 教 育 の 手 法 を 教 育 再 生 でもあるから 勝 っ た 自 信 が 慢 心
に 取 り 入 れ 、国の 再 建 を 施 し た に に な り 隙 が 出 て 足 元 を す く わ れ
も拘わらず、元になる我が国が教 る と ま た 初 心 に 戻 つ て の 繰 り 返
し。ま さ に 人 生 の 縮 図 の よ う だ と
育基本法の崩壊寸前とまでなっ
話されました 。
ている現状に言及し、改めて修身
本研修会を通じて、日本人本来
教育の道徳倫理がいかに優れた
の道徳倫理の在り方がどれほど
ものか力説されました 。
素晴らしいものなのかを理解す
第 二講は、﹁美的感受性﹂という
ることができ、自らを律すること、
言葉を主点に講演が行われま し
日 本 人 と し て の 誇 り ・自 信 を も
た。
つことの重要さを痛感するとと
﹁美的感受性の根源は、田畑や自
もに 、私 た ち 青 年 神 職 が そ れ ら を
然 そ の も の で あ る 。﹂と述べられ、
どう継承していかなければなら
ないか考えさせられる機会とな
﹁懐かしいと思う感情こそが家族
愛 ・郷 土 愛 ・祖 国 愛 に な る 。ま た
熊本県知事登録第 2
5
4
号
。
霧
﹁可能性への挑戦﹂と題し、大相撲
田原向'~ñ特有
株式
会社
平成2
3f
10
)
下4月 1日 (
字
、
、
し
」
か
青
中
キ
第 31号
風本神社宮司
木原英
i政治と
去る四月二十六日、会員約百四十
十 二年度神育協春期セミナーが
現 代 神 道1 を 主 題 と し て 、 平 成 二
﹁生成期の現代神道﹂
神社本庁
名参加のもと神社本庁にて開催
された 。
ども手当﹂﹁高速道路無料化﹂等の
る。﹁農業戸別所得補償制度﹂﹁子
あ る の で は な い だ ろ う か 。﹄とい
う 内 容 で し た 。国 政 が 危 機 的 状 況
は ま さ し く 我 々 一人 一人 の 中 に
諸政策は、限りあるものを皆で分
ようなら﹂という消費型思想その
にあるのが、痛切に感じられまし
た。今 回 の セ ミ ナ ー に 参 加 し て 、
配し使い切り、無くなったら﹁さ
も の で あ る 。我 が 国 は 、 稲 作 文 化
の問題や、現代神道は国際化の波
現在の日本における政治と宗教
は避けることのできない課題で
を 通 し て 、 皆 が 心 を 一つに力を合
わせ各々が努力して何かを生み
出 す と い う 生 産 型 思 想 を 育 ん で あ る 。又 、 通 信 手 段 が 飛 躍 的 に 発
きたのであるから、地域社会の 一 展 し た た め 各 国 と の 経 済 的 結 び
付 き も極めて密となった。これか
員と し て 、 現 代 社 会 に 生 起 す る 諸
に従ってより我々には他宗教の
一神 職
ら宗教の国際交流が盛んになる
一社会人、
問題に対して、
本質を正しく理解した上で友好
と し て 、 問 題 意 識 ・危 機 意 識 を 持
関 係 を 結 ぶ べ き で あ ろ う。
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ち、問題解決のために努力し政治
0120-22-1312
FAX 0282-22-1387
運動を展開することは当然必要
-鈴絡・合繊〆縄(注連縄)創造
!
主
、
、
、
7 リーダイヤル
4月 26日
平成二十一年八月の歴史的な
夏を経て、国政が混迷を極めてい
なことである事を目的とし、 二名
の先生方により講演を賜りまし
た。先ず、第 一講 ﹁
近代法制と現代
神道﹂脊藤智朗先生(図的学院大向学
研 究 開 発 推 進 機 構 准 教 授 ) 第 二前
の講師の先生方からの政治と現
﹁政治問題と現代神道﹂藤 山 敬 廃
先生(亀田八幡宮繭宜)それぞれ
代神道の論点からの講演は、﹃厳
かに神を杷るような恭しい心で
行われる政治こそが我が国体の
理想であるが、しかし現実には、
祭 政 一 致 は 到 底 叶 わ な い 。然らば、
我々青年神職は、常に公に生きる
者 で あ る 。現 代 に 於 け る 祭 政 一致
干3
28-0042 栃木市沼羽田町 12-14
⑧待客
ヂ ヤ
第3
1号
し ま
字
、
、
カ
ミ
青
神
(
1
1
) 平成 2
3年 4月 1日
。
向u.
芭Jl laJ~"':コ­
NISHIKAWA G
ま
新田神社主奥
さ れ 、 全 会 一致を以って承認さ
れ た 。次 に 各 県 の 平 成 二 十 一 年
度活動報告、決算報告、平成二十
二 年 度 活動計画が其々承認され、
続 い て 宣 言 ・決議が採択された。
最後に次期当番県を慣例により
ルに於いて、 九 州 各 県 神 社 庁 連
去る五月十二日宮崎観光ホテ
き 山河 を 斉 唱 し 、 聖 寿 の 万 歳 に
議 会 一是、神道青年の歌、美はし
承 認 さ れ 、 神 道青 年 九 州 地 区 協
熊本県神道青年会とすることが
合 総 会 に 併 せ て 、 第 六 十 二 回神
て無事に総会を閉会した。
を深める活動を展開するの件﹂、
る墓所のあり方について、研鑓
神道青年会より﹁祖先の象徴た
まず、議案審議として熊本県
た。
長を議長として議事が進められ
崎県神道青年会中原慎太郎副会
た。開 会 式 の 後 、 当 番 県 で あ る 宮
近い出席のもと総会が開催され
のご臨席を賜り、各県より百名
春 木 会 長 、 井 上 理 事 ・星 野 理 事
じめ、神道青年全国協議会より、
崎県神社庁長の杉田秀清様をは
わ れ た 。本 年 は 当 番 県 で あ る 宮
道青年九 州地 区協議会総会が行
上牧瀬将
宮崎市
宮崎県神道青年会より﹁人生儀
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8京都府亀岡市大井町小金iI皮2
丁目 7
-7
株会社大吉
TEL0771-24-5085 FAX0771-24-5095
〒3
0
6
0
0
1
3 茨城県古河市東本町二丁目 1
6
ゑ 広
法士
え矢
5月 12日
礼を通して、命の繋がりの大切
有限会社
各種御守札の企画・奉製
各種授与品・記念品奉製
司
│ 本
よし
おお
持p
葱泉・祭具・神具・授与品
@
事業内容:建築一式・社寺建築設計 施工 ・
太平洋建設株式会社一級建築士事務所
1
8第 3
91
7号)
建設業許可.宮崎県知事許可(特-
宮崎市大字本郷南方 3
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干 516-0025 伊勢市宇治中之切町8
7
T
E
L (0596) 22-2960
FAX (0596) 22-2335
、
問
、、
寛
さを広く教化するの件﹂が提出
⑫伊勢園産令資会社
太平津建設株式会社
御神符・御社頭投与品奉製所
平成 2
3年 4月 1日(12
)
し
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か
青
ネ
申
第3
1
号
新築・増築工事・修繕工事
屋根改修工事の設計 施工
谷
鹿児 島神宮
表玉串拝礼の後、笛、太鼓の音
に合せて田の神様が登場し、大
きなメシゲと鈴を持ち、鹿児島
の方言で口 上 を 述 べ な が ら 、 ゆ
ったりとした仕草で田の神舞が
舞 わ れ ま し た 。 地域の老若男女、
青 年 神 職 、 霧 島 小学 校 児 童 の 臨
時 の 早 男 早 乙 女 が 一斉 に 斎 田に
入 り ま し た 。 横 一列 に 並 び 声 を
かけ合いながら、慣れない手つ
きの人、田に足が沈み込んで動
きが取れない人もいましたが、
ベテランの方々の指導により、
段々慣れて、見る見るうちに土
色の田は青々とした青田と変り
ました 。
四ヶ月後の十月八日、さわやか
な 秋 空 の も と 、 会 長 以 下 十 一名の
会員により立派に稔った稲穂を
自分たちの手で刈取り、収穫の喜
びを味わいながら豊作に感謝し
ました 。
この斎田で収穫されたお米は、
日供祭を始め、大中小祭の神韻米
であるばかりでなく、各種祭典の
直会にも使用されるそうです。
稲穂の原点の霧島神宮斎田に
おいてお米作りを奉仕し、神職と
しての誇りを持つことが出来た
貴 重 な 一日でした 。
。営業品目。
縁起物入みくじ・金属製守・木札守・紙札守
金 欄 錦 守 ・ 各 種 熊 手 ・ 守 護 矢 ・朱 印 帳
本社・ 工場 干3
2
31
10
4 栃 木 県 栃 木 市 藤 岡 町 藤 岡 213-7
TEL(0282)62-101O(代表)・ FAX(0282)62-2061
霧島神宮
6月 1
0日
10月8日
去る六月十日、霧島神宮斎田
の お 田 植 え に 神 道 青 年 会 の 一人
として参加させていただきまし
た。
川
高
まず、斎田横の祭場において、
豊作を 祈 る 御 田 植 祭 が 斎 行 さ れ
ました 。 祭 典 は 祝 詞 奏 上 、 各 代
跡式 ~*t
区
司 吉区
おまもりの朱恕
第3
1号
し ま
下
、
、
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ネ
申
(
13
) 平成 2
3年 4月 1日
ムま
平成 2
3年 4月 l日(14
)
し
子
、
、
か
青
ネ
申
第 31号
鹿児島神宮権禰宜
読めない中、当日は山下建・{呂
田昇両顧問をはじめ会員総勢十
先輩方の頃から幾度も斎行され
ており、今後も慰霊祭が執り行
必要であった 。
われると思われる。 今回他県か
三名 が 集 ま っ た 。
午前八時半に知覧護国神社に らの依頼により諸準備にあたっ
集合し、神社境内の清掃、事前 たが、先ずは人員が揃わなけれ
に借り受けたテントを設営し、 ばならないと痛感した。また多
神社傍まで車胴の乗り入れが出 くの準備品、運搬車両の確保も
来ない中、駐車場から祭具等の
今回の経験を次に活かせてい
搬入をし、舗設した。
兵 庫 神 青 会 員 の 祭 典 奉 仕 者 三 ける様に、詳細な記録を作成し、
名は前日から知覧町内にて参寵 これからの対応に役立てたいと
さ れ て お り 、 改 服 後 に 私 共 と 一 回?っ 。
緒に諸準備にあたった。
準備も進む中、九時半に兵庫
神青会員の方々も到着し、予定
よりも早く祭典の諸準備が終了
した 。 初 夏 の 風 が そ よ ぐ 中 、 午
前 十 一時 に 祭 主 以 下 祭 員 が 文 化
会館より参進し、慰霊祭が粛々
と斎行された。祭典終了後、参
たっての事前の申込みゃ打合せ、
連絡また打合せをいただいた園
生会長また光増事務局長、また
を見送って解散した 。
今回慰霊祭斎行にあたり事前
列員皆で分担して後片付けをし、
記念撮影の後、兵庫神青の方々
当日参加出来る会員にて準備品
を 分 担 し、 知 覧 へ 集 ま っ た 。 前
ま す。
知覧での慰霊祭については諸
諸準備、当日御協力いただいた
会員の皆様に厚く御礼申し上げ
ま た 兵 庫 神 青 ・九 州 協 役 員 と の
合同懇親会が聞かれた為、慰霊
祭当日に参加出来る会員の数も
日は当会の斎田御田植えの奉仕、
私をはじめ当会の会員は祭場
設営はじめ祭具等の運搬、祭典
準備に携わった。 祭典斎行にあ
一日 と な っ た 。
前日より兵庫県神道青年会の
林会長以下諸先輩現役会員の皆
様が多数来鹿され、先ず知覧の
地に足を運ばれ、平和祈念館は
じめ知覧町内の各所にて研修さ
れ 、 翌 十 一日 に 慰 霊 祭 が 斎 行 さ
れた 。
庫県神道青年会会員の皆様によ
る知覧護国神社での慰霊祭が斎
行された。当日は梅雨時期にも
かかわらず青空となり清々しい
平 成 二 十 二 年 六 月 十 一日 に 兵
井上
知覧護国神社
巳月 11日
'
"
'
"
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谷
禰宜
孝
な力が入って腕や肩が凝ってき
ました。 リラ ッ ク ス し た 状 態 で
作業できる様になるには、かな
り修練、が必要と感じました 。
何と か 一 木 目 を 作 り 終 え ま し
たが、やはり少し歪んで緩くな
Emai
l:nhs1970@ho
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みずほ銀行
1第 四 銀 行
笹河
FAX (
0242)24-4797
奥神 社
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臼
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ま
ってしまっていたので、 二本 目
はその点に注意し、一本目より
は幾らか満足する出来になりま
した 。
この講習会で講師の山下先生
を始め、 他 の 皆 様 方 に も 、 作 業
道 具 の 準 備 等 か ら 作 業の 細 部 ま
で、懇 切丁 寧 な 御 指 導 頂 き ま し
た事を厚く御礼申 し上げます。
この貴重な体験を生かし、氏子
の皆さまともより良い関係を作
れたらと思います。 有難うござ
いました 。
TEL (0242)22-3924
9
2-087
1 鹿児島市吉野町 1350-3
〒8
T
E
L099-213-9217 F
A
X099-213-9218
会津支庖
会津支底
取引銀行
平成二十二年七月十六日、私
の地 元 で あ り ま す 種 子 島 、 西 之
表市のホテルニュ l種子島にて
行われた紙注連縄奉製講習会に
参加 さ せ て 頂 き ま した 。
四名という少人数ではござい
ま したが、 霧 島 神 宮 の山 下 建 先
生の 御 指 導 の 元 、 集 中 し て 取 り
組む事ができました 。
講習会は朝九時頃から始まり、
休憩、昼食を挟み、時間の都合
もある為、三 時 頃に閉会という
流れで した。
干9
6
5
0
03
3福島県会津若松市行仁町 5-28
密 士西日本奉製所
会津ぬり
聖
私の 地 元 で は 、 神 棚 に 紙 注 連
縄を張るという風習があまりな
い為 、 私 自 身 は 紙 注 連 縄 奉 製 と
いう作業が初めての試みであり
ました 。
その為 、 注 連 縄 の 芯 を 作 る 最
初の作業からしてなかなか上手
くいかず、三本を一本に束ねる
段階では、注連縄が緩くならな
い様にと注意するあまり、余計
漆器を還し、人生儀礼・普及のお役に
圃白肌叩…訊
伊 勢 市 神 宮 会 館 前 (〒5
1
6
0
0
2
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)
TE L (
0
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2(代表)
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〒3
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3茨城県水戸市大塚町字谷津1
76
1
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TEL 水戸 (
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20
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1 (代表)
FAX 水戸 (
0
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2
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3
-5
84
4
投 与品 (破魔 矢・絵馬 ・御 裁 ・熊手・
その他・神社仏間全般)
木製品 ・竹製品 ・プラスティ y ク製品 ・
合成樹脂製品・製造 ・卸・ 販売 ・贈答品
嬰大島寅次郎商庖
漆器商
j
奏御神符奉製所
その他各種授与品記念品
己銭三? 抹式会社 j
奏
~
ー
ト
←
一
愛
工
一
一
株式会社
ステッカー
紙
札
熊手
絵馬
(
$
1
'
1
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+
#
' その他授与品全般
各種御神符・守札
御社頭授与品記念品奉製
釘
i
i 袋
木礼
金欄錦守
金属製守
樹脂製守
3
1号
第
し
、
回
、
、
か
青
宇
中
(
15
)平成 2
3年 4月 1日
全国神社・仏閣御用達
ま
平成 2
3年 4月 1日(16
)
、
,
余
、
し
」
か
青
ネ
申
第3
1号
権 禰宜
鹿児島市
第九回神 職子弟の 集いを、八月
九日 'Et,
- 十日に 一泊 二 日 で 園 生 会
長の御膝元である桜島にて行い
ました 。
初 日 は 午 後 一時 よ り 開 講 式 を
行った後、月讃神社へとお参りに
向 か い ま し た 。昇殿し、 一同この
集いが安全に進むようにお祈り
しましたが、子供達は何も 言われ
な く て も 二拝 二拍 手 一拝 の 作 法
できちんと拝礼が出来ており、さ
す が だ な と 思 い ま し た 。参拝後、
この神社の宮司である園生会長
から神社の 御由緒、特 殊神事等に
ついてお話を伺いました 。
その後、写真撮影を済ませ境内
を散策していると、熊本県神社庁
主 催 の 神 職 子 弟 の 集 い 一行 が 月
讃神社へと到着しましたが、総勢
八十名以上と思われる大所帯に
驚 き ま し た 。熊 本 の 方 々 が 参 拝 さ
れている問、先に桜島ビジターセ
ンタ ー へ 向 か い 見 学 や レ イ ン
ボー ビ!チでの海水浴を行いま
した。ピ ー チ は ほ ぼ 貸 切 状 態 で 子
供達も思う存分楽しんでいたよ
う で す 。桜 島 に こ ん な と こ ろ が
井上
新田神社
8月9・10日
篤
あ っ た と は 初 め て 知 り ま し た 。熊
本 の 皆 様 も や が て ビ ーチ に て 合
流、熊本県父兄の準備と手際のよ
さ に は 感 服 し ま し た 。午 後 四 時 半
に な っ て 食 事 の 準 備 を し ま し た。
子 供 達 も 手 伝 い な が ら みんなで
バ ー ベキュ ー の セ ッ テ イ ン グ を
進 め ま し た 。炭 火 で 焼 い て み ん な
で囲んで食べるというのはなか
なか日常的にないことで、だから
こ そ 新 鮮 味 が あ り 格 別 で し た 。も
ち ろ ん 味 も 最 高 で し た 。食 事 が 一
段落すると花火大会やビンゴ
ゲ 1 ム、スイカ割りで盛り上がり、
その後熊本県の父兄と酒を酌み
交わ し賑や か な 夜 と な り ま し た 。
センターでは溶岩をブロックや
翌 日 、 午 前 六 時 に 起 床。熊本の
方々も交えてラジオ体操を行い、 板 材 に 加 工 し て い る 様 子 を 見 学
しました 。切 断 に は 人 工 ダ イ ヤ モ
朝 食 を 頂 き ま し た 。そ の 後 先 に 熊
ンドが仕込まれたカッタ ーを用
本の 一行 が 次 の 目 的 地 へ 出 発 す
いているそうで、切るというより
るということだったのでお見送
は削るよ う に溶岩を加工してい
りをして、我々は島内にある村山
陶 芸 へ 陶 芸 体 験 に 向 か い ま し た 。 る と い う こ と で し た 。焼 肉 用 の プ
レートなどになった溶岩が置い
粘土を購入してお皿やコップ作
てあり、研磨仕上げが終わった溶
り に 挑 戦 し ま し た 。しかし、これ
岩は顔が映るくらいピカピカし
がなかなか難易度が高く、四苦八
ていました 。
苦しながらなんとか形が仕上が
その後、閉会式の場所である湯
りました 。子 供 達 の ほ う が 器 用 に
之平展 望 台 へ 向 か い ま し た 。火山
できあがっていたかもしれませ
ん。作ったものは焼き上げてから、 を 研 究 し て い る 外 国 の 教 授 も 見
学に見えていたらしく、宮田葉 会
後日送り届けても ら いました 。
員夫 妻 と 記 念 撒 影 を さ れ て い ま
続いて移動した桜島溶岩加工
した 。風 が す ご く 強 か っ た で す が
桜島を間近で 仰げる観光名所と
いうだけあって多くの人が訪れ
ていました 。記 念 撮 影 と 閉 会 式 を
行い今年も無事神職子弟の集い
。
を終えることができま した
本年は父兄を始め参加の子供
達が多く、昨年が幾分子供達の参
加人数が少なかったことを振り
返ると、なんとも賑やかでした。
また来年ね ﹂と子供達が
最後に ﹁
言 っていたのを聞いて良い集い
で あ っ た と 思 い 安 心 し ま し た 。自
然の中で元気に育つ子供たちで
あって欲しいと願いつつ、この集
いが夏を存分に体験する機会と
して今後も続いていくようにと
思います。
第3
1号
ま
し
ト
、
、
ミ
カ
青
ヰ
申
(
1
7
) 平成 2
3年 4月 1日
権 禰宜
8月 26~30 日
去る、八月 二十六日から八月 三
十日迄の五日間、平成 二十 二年度
北方四島交流訪問事業に参加さ
せ て い た だ い た 。今 回 は 、 北 方 領
土返還要求運動鹿児島県民会議
の松下育郎氏を団長に、全国から
五十七名の参加であった 。
また、この北方四島交流訪問事
業は、平成四年からの開始でこれ
まで 三 百八十 一回も開催され、約
一万 六 千 三 百 名 も の 人 が 参 加 し
ている 。此 度 の 北 方 四 島 交 流 訪 問
事業では、国後島と色丹島の 二島
を訪問してきた 。
初日は、根室市にある北海道立
北方四島交流センタ ー (通称ニ ・
ホ ・ロ)に於いて結団式 ・事前研
修 会 が 開 催 さ れ た 。事 前 研 修 会 で
は、﹁元島民が語る北方領土﹂と題
し色丹島出身の得能宏氏による
講話、﹁最近のロシア情勢と日ロ
関係﹂と題し桐蔭横浜大 学客員教
授である津守滋氏による講演や、
ロシア語講座、ビザなし交流の説
明 な ど が あ っ た 。特に、元島民で
ある得能氏の講話は、当時の状況
を 鮮 明 に 語 ら れ 印 象 に 残 っ た 。そ
の後、根室港にて代表が出発の挨
折田康孝
鹿児島鯨 護 国神 社
国後島・択捉島
J
F
JLUU
3
拶をした後、国後島へと出港した 。 会 館 で は 、 島 民 に よ る 歓 迎 式 や 、 図 式 が 行 わ れ 十 二時 半 根 室 港 に
約四時間で古釜布湾に到着し、こ 色 丹 島 発 展 の 説 明 が 行 わ れ た 。そ 到着し千鳥会館にて解散した 。
の日は湾内に投錨し船内に宿泊
の
後
穴
澗
中
学
校
に
於
い
て
校
内
視
以上、五日間 北方四島交流訪問
した 。尚 、 現 地 は 時 差 が 二 時 間 察後、ロシア文化体験として石に
事
業 に 参 加 さ せ て い た だ い た 。今
あった 。
風 景 画 を 描 く 体 験 を し た 。午後か
回強く感じた事は、 北方領土は日
日目は、午前八時四十五分か らは 、文化会館に於いて住民交流 本固有の領土であるが、実際はロ
ら一
入域手続きの後、はしけに移乗 会 が 開 催 さ れ た 。交 流 会 で は 、 ま
一
シアに実権を支配され、まるでロ
し て 国 後 島 へ 上 陸 し た 。桟橋では、 ず 島 内 の 子 供 達 と 一緒 に 巨 大 な
シア国内の様であった。不法占拠
今 回 の 訪 問 事 業 で 交 流 す る 現 在 折り鶴を作り 、その中から優秀作 か ら 六 十 五 年 も 経 過 し て い る の
の 島 民 で あ る ロ シ ア 人 数 十 名 の 品 を 選 ぶ コ ン テ ス ト を 行 っ た 。そ に も 拘 ら ず 解 決 出 来 て い な い 状
歓 迎 を 受 け た 。訪 問 団 員 は 、 そ れ の後、自然環境保護をテ l マに掲 況に憤りを感じると共に、祖国防
ぞ れ 四1 玉 名 の グ ル ー プ に 分 か げ て 意 見 交 換 会 が 行 わ れ た 。
訪
問
衛
の為に尊い命を捧げられた先
れ 島 民 の 車 に 乗 っ た 。この訪問事 団 側 の 取 り 組 み と し て 鹿 児 島 の
人 に 対 し 申 し 訳 な く 感 じ る 。また、
業は、島民の協力のもと行われて 出 水 の 鶴 の 保 護 活 動 を 紹 介 し た 。 そ れ と 同 様 に こ の 問 題 の 難 し さ
いる事を知った。
色丹島を始め北方四島は、設備も も改めて分かった。
国後島では、まず訪問団の代表 乏 し い 為 環 境 汚 染 も 進 ん で い る
今回、訪 問事業に参加させてい
に よ る 行 政 府 訪 問 が あ り 、 代 表 者 傾 向 と い う こ と で 島 民 も 真 剣 な ただき、改めて私が国の為、先人
以 外 は 友 好 の 家 で 休 憩をとった。 表 情 で 参 加 し て い た 。次に、同じ
の為に 何 が 出 来 る の か を 考 え た
その後、郷土博物館、幼稚園、幼稚 く 色 丹 島 に 訪 問 し て き て い た ロ
ところ、それは一人でも多くの 国
園建設現場、港湾施設建設現場、 シ ア 医 療 使 節 団 の コ ン サ ー ト が
民に北方領土を始め現在起こっ
メンデレ l エブ空港等の視察や、 開催された 。そ の 後 帰 船 し こ の 日
ている領土問題を知っていただ
古 釜 布 墓 地墓参があった。島内の も船内に宿泊した 。
く事であると考える。
人口も増加傾向にあるとの事で
四日目は、前日と同じく午前九
一日も早い 北 方 凹 島 の 返 還 の
あった 。夕 刻 、 友 好 の 家 に て 島 民 時 よ り は し け で 穴 澗 桟 格 に 移 動 、 為に、今後も諸活動に参加してい
と 夕 食 交 流 会 が 開 催 さ れ 訪 問 団 、 上陸した 。こ の 日 は 、 ま ず 斜 古 丹 く所存である 。
島民双方の歌や踊りが披露され
へ車で移動し、展望台を視察し目 、
大 変 盛 り 上 が っ た 。その後帰船し 本人墓地に墓参りをし、ロシア正 一
情
人
色 丹 島 穴 澗 湾 に 向 け 出港した 。約 教 会 を 視 察 し た 。その後ホ l ム ビ ¥取 £ 車
四 時 間 半 で 色 丹 島 穴 澗 湾 に 到 着 ジ ッ ト が 行 わ れ 島 民 宅 へ 約 三時
削掛町・大観室
乳泊
し、この日も湾内に投錨し船内に 間 滞 在 し 交 流 を 深 め た 。その後イ
宿泊した 。
ネ モ シ リ 湾 を 視 察 し 日 本 人 墓 地 / 榔蹴
択
三 日目は、午前九時よりはしけ に墓参りをし、夕刻島内のレス卜
で 穴 澗 桟 橋 に 移 動 、 上 陸 し た 。上 ランで夕食交流会が開催され、そ
陸 後 、 非 公 開 株 式 会 社 ﹁ ク ラ ボ ザ の後、帰船し国後島古釜布湾に向
ボツク﹂前で工場長から水産加工 け出港した 。
海
場の説明を受けた。その後、今回
最終日は 、午前七時半国後島古
も 島 民 の 協 力 を 得 て そ れ ぞ れ 乗 釜布湾に到着後、出域手続きを済
車 し 文 化 会 館 へ と 移 動 し た 。文化 ま せ 根 室 港 へ 出 港 し た 。船 内 で 解
平成 2
3年 4月 1日 (
18
)
ちF ゃ
し ま
」
当
カ
三邑
同
申
キ
第3
1号
塩
神明神社
由一小
人
先ず以て、口蹄疫問題により
開催が危ぶまれる中、尽力頂い
た宮崎県神道青年会を始め、関
係者各位におかれましては、衷
心 よ り 御 礼 申 し 上 げ ま す。 当日、
参加者奉仕神社の御神威の然ら
しむる所ではないかと思う程、
雲 一つ な い 晴 天 に 恵 ま れ た 。 初
t 主
,阿典
戦の対戦相手は大分県で勝利を
得ることができたが、我々は対
戦 相 手 の 他 、 も う 一つ 戦 う 相 手
が い た 。 そ れ は 暑 さ で あ る。実
は今年の夏は熱中症死者が全国
で約五百人に上っていたのであ
る。 ま さ に 困 難 と も い え る 酷 暑
の中 の 試 合 で あ っ た 。 次 の 対 戦
相 手 は 福 岡 県 で あ っ た 。な か な
かの接戦ではあったが、普段の
練習時間と異なる炎天下の下、
経験の差なのか、回を追うごと
に当県の体力の衰え著しく、し
かしながら、全身全霊、全員野
球で試合は最終回にまでもつれ
たが、奮戦の甲斐無く、苦杯を
喫 し て し ま っ た の で あ る。勝 利
を目前としながらの惜敗だった
為 、 当 県 会 員 の 一人 が ﹁ 悔 恨 此
処に極まれり﹂と言ったかどう
かは定かではないが、敗戦を胸
その夜、宮崎市内よ
に刻む為、 ・
り 宿 泊 地 青 島 迄 、 約 二十 キ ロ を
一晩 か け て 行 軍 を 断 行 し た 者 も
い た ほ ど で あ る。 そ の 姿 や 島 津
の退き口を初桝とさせたのは私
だ け だ ろ う か 。 翌 日、研修 会 に
於いては早朝棋に始まり身も心
も整えて、青島神社儀式殿にて、
冷房無の汗の滴る中、諒歌の温習。
葬送儀 礼 に お け る 歌 と い う だ け
あって、その歌詞、曲には言霊
信仰による言葉の力を感じさせ
るものがあった 。
次に安賀多神社宮司岩切重信
先生による﹁墓の在り方につい
て ﹂ と 題 し て 講 演 が あ り 、激 し
い時代の変遷に対応すベく神社
の将来を考えた上での神道の墓
の在り方を模索され、それに至
った経緯を丁寧にご説明頃き、
非 常 に 感 銘 と 共 感 を 受 け 、有 意
義な研修になった。
拐、次回は熊本県での開催で
ある 。 田 植 え が 終 わ り 、 栴 雨 が
上 が り 、 そ ろ そ ろ 一雨 ほ し い 頃
である 。 ならば、我々が誰よりも、
瑞雨という名の汗をかき、球場
に最後まで立ち続け、豊穣とい
う名の優勝を勝ち取りたい。斯
くの如く思う次第である。
ま
字、、
第 31号
し
」
か
三邑
円
ネ
申
(
J9
) 平成2
3年 4月 1日
霧島 神 宮 権 禰宜
試合は接戦となり最終回でも
玉対五の 同点であった為、延長戦
になった 。延長戦では、これまで
の緊迫した試合が嘘であったか
の よ う に 乱 打 戦 に な り 一回に両
チーム十点以上取る展開になっ
去 る 平 成 二 十 二年 十 月 六 日 郡
山 早 馬 球 技 場 に て 第 十 一回O B
親 善 野 球 大 会 が 開 催 さ れ た 。昨年
は 台 風 接 近 の 為 中 止 と なってい
たので二年ぶりの開催となった。
毎回ベンチが私の定位置なのだ
が今回は人数不足の為、ス タメン
で出場することとなった 。二塁を
守ったが案の定 、チームに迷惑を
かけることになってしまった。頭
の中ではどのように動けばいい
のかわかっているつもりだが、実
際のプレ l で 思 う よ う に 動 け な
かった 。今 ま で 練 習 に な か な か 参
加できていなかったので、時間を
つくり練習しなければと思った 。
坂上
10
月6日
史
鹿児島市
智
た。結 果 は 大 量 失 点 を 返 し き れ ず
O Bチ1 ム の勝利となった 。
夕刻からはホテルレクストン
鹿児島に場所を移して第十四回
O B交 流 会 が 開 か れ た 。交流会で
は還暦を迎えられた寅年会の
方々から記念品として野球道具
をいただき、現役会員からはお祝
また
いとしてネクタイを贈った 。
、
試 合 で 活 躍 し た 両 チ l ムの選手
に記念品が贈られた 。会は終始和
やかに進み、試合の健闘を称え、
諸先輩方と様々な話ができ有意
義 な 時 間 と な っ た 。来年も天候に
恵まれ無事に開催できることを
祈りたい 。
的若い世 代 が住んでいる所とい
うことであり、共働きの家庭が
多く 、 不 在 宅 が 多 い よ う で あ り
ま した。不在のお宅には 、お伺い
に あ が っ た 旨 と 連絡先を-記 した
チ ラ シ を 投 函 さ せ ていただきま
新 田 神 社 権 禰宜
した。
冨田宗賢
結 果 的に は 、 頒 布 が で き た 世
帯 は わ ず か で は あ り ま し たが、
去 る 平 成 二十 二 年 十 二 月 九 日 新しく 宮 大 麻 をお 而 り 頂 く 家
神
に団 地大 麻 頒 布 活 動 を 行 い ま し 庭 が で き た と いうことは 、 喜ば
た。今回は﹁ 一千 万 家 庭 神 宮 大 麻 しい こと で あ る と 思 い ま す。し
奉 斎 運 動 ﹂ 第 三期モデル支部で かしながら 、我々神職は、 神宮大
ある県神社庁薩摩支部が活動の 麻を一世帯でも多くのご家庭に
一環 と し て 行 う 頒 布 活 動 に 賛 同 お 杷 り 頂 く よ う に 働 き か け て い
する形で行い 、 県 神 社 庁 薩 摩 支 く こ と が 責 務 で あ る の で 、 今 後
部 と 県 神 社 庁 大 麻 頒 布 推 進 部 会 もより 一層 の 頒 布 活 動 に 尽 力 し
と 合 同 で 行 う こ と と な り ま した。 て い か な け れ ば な ら な い と 存 じ
毎 年 行 っ て い る 星 ケ 峯 団 地 で ます。
の頒布活動は毎年大麻を受けて
頂いている家庭に会員二名で伺
う こととなりま した
。
薩摩支部での頒布活動は、支
部 管 内 に あ る 五 代 団 地 (薩摩 川
内 市 玉 代 町) に 於 い て 行 い ま し
た。頒 布 活 動 を 行 う に あ た っ て
は、あらかじめ薩摩支部よりお
伺いする日時等を載せたチラシ
を ポ ス テ イ ン グ し ているとのこ
と で あ り ま し た。今回行う団 地
は十 四 棟 あ り 、 二 人 一 組 に 分 か
れ、それぞれ 神宮大麻、暦、奉斎
箱等を持ち一 世 帯 ず つ 訪 ね る こ
と と な り ま し た。お伺いした中
には快く神宮大麻を受けてくだ
さ る 家 庭 も あ りま し た が 、 比 較
自由
〒 56 1 -08 1 7 笠 中市 浜 1 丁目 28~ト 12 号
串閥 ωEZH
・四月
夏期セミナー
第一回役員会
平成二十二年度会計監査
神 育 協 第 六 十 三固定例総会
九地協 第 一 回 役 員 会 熊 本 市
第六十三回九地協総会
第二回役員会
平成二十三年度定例総会
平成二十三年度顧問参与会
懇親会
斎 聞 御 悶植え
九 地 協 第 二回 役 員 会
第三 閲役員会
第十回神職子弟の集い
九州各県神道青年親善野球大会
九地協研修会
神育 協 平 成 二十 三 年 度
︻平成二十三年︼
-五月
AV
六月
-八月
A
守十月
-九月
-十二月
TEL(06) 6334-5577附
FAX (
06) 6334-5574
苑 東京都渋谷区恵比須 卜2
6
ー1
4S
SRビノレ 41
暗
(東日本営業所) 電話番号 03
-32
0
8
6
72
0 1
7AX0
3
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20
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干1
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:
話 050-3539-3432
Ema
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井健雄
石
〒 5 16~ 8 611
九地協第三回役員会
第 四 回役員会
斎田抜穂作業
第 十 五 回OB交 流 会
第 十 二 回 OB親 善 野 球 大 会
神社関係者大会準備作業
斎回米袋詰め作業
第五回役員会
神社関係者大会助勢
第六回役員会
団地大麻頒布活動
願問参与会
忘年会
九 地協 第 四 回 役 員 会
。神Z各社
(全固 有名寺社併用 達)
株式
会社
「
守 護矢・絵馬」奉製
授与 品 奉製
株式会社石井工業
三l
l
i県伊勢市岩淵 2丁目 5帯 29号 (私:咋函第 26号)
11];話帯号 0 5 9 6~ 24 -5858
17AX0
59
624
-51
1
0
1P1
1
.
i
:
話 050-3536-5273
URLh
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www.kamリI
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C
OJ
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社
本
︻平成二十四年︺
月
a
v一月
a
v二月
第七回役員会
第八回役員会
北方領土返還要求運動
神育協中央研修会
•
1日 (
2
0
)
平成 2
3年 4月
ち戸、
、
し ま
」
か
青
神
3
1号
第
ま
事務局長
事務局次長
折田康孝
宗賢
事務局員
富田
監事
宮地 健 二
是枝政敬
光増秀昭
茶木俊介
副会長
平成二十三年度
神道青年会組織図
顧問
宮田
会長
Ý~士
歴代 会 長
砥綿茂全
立元光太郎
常任 委員
鹿児島地区
(鹿児島支部)
川 上 佳 代 ・鶴岡
泊 回 良 嗣 ・甑満
(指宿 ・川辺 二支部 )
南薩地区
井 上 祐 信 ・鈴 木 利 裕
(薩摩 ・
出水 ・日置 三支部)
北薩地区
・黄 島 士 口 紀
井上篤
坂口智明
姶良地区
伸広
(姶良 ・伊佐 二支部)
税 所 秀 一 ・宮 内
山之内毅
大隅地区
・中 村 靴 作 俊
(曽於・肝属 二支部)
柏木勝弘
道成
(熊毛 ・大島 二支部)
熊毛 ・大 島 地 区
脇田裕司
支部委 員
鹿児島
山下法文
坂上虞弥
勝目稔
吉見純治
上牧瀬将寛
宮内彩子
坂元伸充
坂上智
秋丸友加
岩松近俊
福田憲司
鎌田徳仁
松田裕輔
※会員 ・助 成 会 の 集
金、会員への連絡
業務
干1
1
5
0
0
5
2東京都北区赤羽北3
3
-1
4
笹 川 孝 聖 ・沖
神社庁派遣委員
(
先輩神職との交流会 ・野球大会)
。O B交流委員会
(神職子弟の集い)
O青少年育成委員会
(各委員会調整・会計事務・会員組織強化)
。総務委員会
(棋研修会等)
O渉外委員会
(
時 局対策・
北 方 領土 及、
ひ 建 国 記念 日啓発運動)
O遷宮啓発委員
03(
3
905
)2422
FAX
。研修実行委員会
。斎田担当委員会
(
斎 田お田植・稲刈り・袋詰め発送)
。大麻頒布委員会
(団地大麻頒布・大麻頒布啓発活動)
株式会私三二 室 私
宗明
人久
。積立金管理委員会
T
E
L0
3(
3
9
0
6
)0988
コミ
(会報神青かごしま発刊)
誠心誠意
L>
、
燕
。広報委員会
授与品奉製
姶日出薩川指
良置水摩辺宿
大熊月干曽
島毛属於
1
1
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1
0
、
平成二十三年度
鹿児島県神道青年会委員会
第3
1号
、
戸
、、
し
」
か
青
千~"
(
2
1
) 平成 2
3年 4月 1日
ス
3,
000円
当神道青年会事業頒布委員会に
おきましては 、御承知の通り﹁祖
霊含﹂﹁霊 璽﹂﹁御神鏡﹂﹁祭器具セ ッ
面m
フ
一
ガ
正同
、
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rkI
、4Jpun-υ
槍2 7 8
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質さこ行
材高よ奥
委譲領有晶肱すぺてヤマト健@着ffiJ(k~にて発送致し震す@
ト﹂﹁簡易神棚﹂等を事業頒布晶
と致しまして例年活動を継続して
おります。神青会々員のみならず 、
神職、総代の方々に大変好評を 戴
きまして昨年同様の取扱いをさせ
て戴きました。
本年は 、新しい事業頒布品と致
しまして 、﹁普及版御門帳]を作成
、 御案内致します 。
しましたの で
次年度は 、神道青年会執行部や委
員会にて協議 の上 、新たな頒布品
を計画立案しまして更なる活動を
続けてい く予定でおりますので神
職各位の皆様方の御協力並びに御
助成の程を 、宜し くお願い致しま
す。叉、 現頒布品 の申込がありま
したら注文書を郵送致しますので
お申し出下さいますよう重ねてお
願い申し上げます。
1組頒価
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申
主
克
簡易神棚
1体頒価
2,
000円
1社 頒 価
連絡先
︿神道青年会事業頒布委員会﹀
80九九五│五七1000一
霧島樽宮内)
(
5,
000円
3,
000円
1社 頒 価
18,
000円
1社 頒 価
30,
000円
1社 頒 価
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- 材質/槍 (背面合板)
・ 高さ/4
2c
m
・ よこ /30c
m
・ 奥行/20c
m
- 材質/櫓(背面合板)
・ 高さ /4
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m
・ よ こ/4
5c
m
・ 奥行/2
0c
m
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私設
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通常 8.00
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権禰宜
よし
義
みなこ
菅原神社権禰宜
薩 摩川内市
東郷町藤川二一六七
昭和五十八年七月九日
川見那子
蒲生八幡神社権禰宜
姶良市浦生町
上 久 徳 二 二五九l 一
昭 和 六 十 二年 一 月 十 七 日
山之内
5
奉務神社
鎮座地
生年月日
奉務神社
鎮座地
生年月日
奉務神社
鎮座地
生年月日
奉務神社
鎮座地
生年月日
奉務神社
鎮座地
生年月日
氏
奉務神社
鎮座地
生年月日
祝t
子
谷山神社機繭宜
鹿児島市下福元町
三七 八六l 三
平 成 元 年 十 月 十日
脇Z
氏
奉務神社
鎮座地
生年月日
照 囲 神 社 機禰宜
鹿児島市
照国町 一九l 三 五
昭和四十年四月四日
﹁神青かごしま﹂第 三十 一号 を お 届 け 致 し ま す。
御寄稿戴きました先輩方を始め、会員の方々
奉務神社
鎮座地
生年月日
I~え し
大E
この度、 谷山神
社権繭宜を拝命 し
て皆様の仲間入り
をさせていただく
大脇祝子と申します。
私は、まだ学生の身分ですが、
家族皆、 神 職 で あ り 、 ま た 皆 様
のお力をお借りして、日々、神
職として精進したいと思います、
よろしくお願いします。
名
広報委員長
是
御 見 舞 い 申 し 上 げ ま す。
一日も早い復興をお祈り致します。
子
この度の東北地方太平洋沖大地震でお亡くな
りになられた方々に対しまして心からご冥福を
お祈り申し上げ、被災されました皆様に対しまして衷心より
に 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す。
i
允 と
主典
ては何卒、御指導御鞭撞を賜
輩諸賢の皆様方におかれまし
為に全力を尽す所存です。先
ございますが、斯界の発展の
す。 まだまだ、浅学非才で は
当 会 の 向 う 所 は 明 か で あ りま
を極める現在の世情にあっ て
っか修めています。国家混迷
主管は龍笛で右方の走舞を幾
しみ、帰郷しました。雅楽の
社にて、二年間神明奉仕に勤
後、東京都江東区の亀戸天神
て四年間お世話になり、その
に、明治神宮にて研修生と し
成十年より園皐院大皐在学中
人と申します。平
しました塩満宗
社主典を拝命致
此 の度、神明神
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名
りますよう宜しくお願い致し
赤土
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年 │
塩主
胆鹿神
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主宿島神
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五二社
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氏
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平成 2
3年 4月 1日 (
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神
第3
1号
日
︻訂 正 }
﹃神青かごしま﹄
ページ
神 道青年会組織図
常任委員
孝聖
熊 毛 ・大 島 地 区
⑧笹 川
支部委員
⑧坂上
⑤笹河
智史
孝聖
第 三 十一号、
③坂上
︿記 載 漏 れ ﹀
(記 載 漏 れ ﹀
十
申上げます。
以
上
﹂こ に 訂 正 さ せ て 戴 き ま す と 共 に お 詫 び
事業委員会
神道青年会委員会
⑫斜木
智
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且1
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良
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