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平成23年 - 鹿児島県神道青年会
ま 祝祭日には国旗を掲げま Lよ l e -. 第3 1号 し 子 、 、 ミ カ 青 ネ 申 (1)平成 2 3年 4月 1日 花便りも伝わり草木の芽が萌え出す今 日この頃、皆様方におかれましては益々 御健勝にして御隆盛の由、大慶至極に存 じ上げます。 本年一月二十七日、霧島の新燃岳にて 五十 二年振りに爆発的噴火を観測、さら 、 三陸 沖 を 震 源 と す る 東 には 三月十 一日 北から関東にかけた東日本全域に於い て、マグニチュ ード仰という歴史的にも 稀にみる東北地方太平洋沖地震が発生 し、日本はおろか世界中が驚博する中、津 波による二次災害により、家屋や車が一 瞬にして飲み込まれる大惨事となり、未 曾有の壊滅的被害を受けました 。 被災された方々におかれましては、謹 んで御冥福、御見舞いを申し上げ、﹁美は しき日本 ﹂を取り戻すべく 、国民 一丸と なって復興に尽力する 事 を切に望みま す。 さて、先般 二月 七 日 に 行 わ れ た 臨 時 総 会にて、会員各位の御承認の元、この度図 らずも当会会長の重責を仰せつかる事と なりました。 思い起こしますれば、私も神青会員と して参加させて頂き、早十六年の歳月が 流れました 。始めは右も左も分からず、た だ混沌と過ごす日々でございましたが、 活動を通じ先輩方の神職としての在り 方、会に対する勇姿、薩摩男子たる豪傑な 酒宴の場に接しさせて頂くうちに、 一民 社の神主だけでは得られぬ物事を学ばせ て頂き、何時しか私にとって無くてはな ら な い 存 在 に な っ て お り ま し た 。その心 を胸に任期中は、神社神道の研鑓とその昂 揚発展に務め、会員の益々の資質の向上、よ り 一層 の 組 織 の 活 性 化 を 目 指 す べ く 遁 進 し ていく所存でございます 。 当会は戦後の混迷から高度経済成長に向 け 着 実 に 歩 み 出 し た 昭 和 二十八年に創立さ れ、組織機構を整えその時代に即した課題 を 掲 げ て ま い り ま し た 。常 に 斯 界 の 発 展 を 願い、活動に真撃に取り組んでこられた先 輩諸賢に改めて敬意を表し、後に続く我々 は又新たな 一歩 を 築 き 、 次 世 代 へ と 確 実 に 引き継ぐ責務があります 。 この鹿児島には郷中教育と言う他の地に も 誇 れ る 素 晴 ら し き 伝 統 が ご ざ い ま す。同 志として共に過ごす年上は年下を指導し、 年下は年上を尊び、﹁負けるな﹂﹁嘘を言うな ﹂﹁弱いものをいじめるな﹂この古き良き文 化の精神を 重 ん じ、会 員 と共に自覚し心を 一つにして、先輩諸賢が築いて来られた神 青会を更に発展する様、尽力 して参ります。 最後に私事で恐縮でございますが、本年 三度 目 の 年 男 を 迎 え ま し た 。干 支 の 卯 に ち なみまして力強く大地を蹴り上げ、大いに 飛躍してゆく年にしたいと思う所存でござ います。しかしながら組織を統率するには あまりにも浅学非才の身、改めて職務の立 場 を 深 く 認 識 し、周 章狼狽する事無く一つ 一つ を 丁 寧 に 遂 行 す る べ く 、 我 が 身 を 律 し て責務の全うに傾注いたす覚悟でございま す。何とぞ先 輩諸賢の 御指導御鞭擢、時には 温かい叱時激励を賜り、又会員各位には優 れたる叡智を拝借させて頂きたくお願いを 申し上げ、会長就任の御挨拶とさせて頂き ます 。 ま 平成 23年 4月 1日 ( 2 ) 、 , し 」 戸 、 か ネ E l 青 第3 1号 新 年 明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す。 会員の皆様方にはご健勝にて、益々ご活躍の事と存じます。今 回県神社庁理事を拝命致しまして、大変恐縮致しているところ でございますが、 一言 ご 挨 拶 申 し 上 げ ま す 。 平成 二十 二年 の 締 め く く り の 大 晦 日 は 、 あ た り 一面銀世界に包 まれ、とても 美 しい情景を目の当たりにされたと思いますが、新 年 を 迎 え る に 当 た り 、 会 員 の皆様は何かとご心労が絶えなかっ た の で は な い か と 推 察 い た し ま す。 この大雪の中、平成 二十 三年辛 卯 の年は幕を明けました 。 民 主 党 政 権 は 国 民 の 生 活 が 第 一と 主 張 し 政 権 交 代 し ま し た が 、 迷走を繰り返 し、普天間の米軍飛行場の移設問題、尖閣諸島 沖 の 中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土国後島への強行訪 問等、国の安全保障をも脅かす諸問題に発展しております 。この 新しい年には、新風が吹き、この閉塞感が打破され、明るい 兆 し が 訪 れ る こ と を 祈 念 し て お り ま す。 私 は 昭 和 二十 八 年 十 月 神 職 の 仲 間 入 り を 致 し ま し た 。終 戦 後 の神も 仏 もなしという、混沌と した時代でありま したが、私は自 営業を手がけながら、先代宮司 ( 父)と 共 に 神 社 を お 守 り し て 参 りま した。 昭和五十年、父が社殿改築を計画致し、すぐに食道癌にて入院 を余儀なくされました 。そんな中、父の信念のもと、私が建設委 員会を作り、昭和五十四年十月に無事に完成致しました 。父は入 。 院したら退院はむずかしいと云われておりましたが、社殿改築 を完成さ せな け れ ば と の 信 念 を も ち 続 け 、 驚 異的 に手術後 一ヶ 月で退院 し、地鎮祭 ・上棟祭 ・竣工祭も自ら奉 仕致しま した。そ の後、父は 三年後に 他 界致しましたが、私に何事も信念を持って 頑張れば、出来な いことはないのだと 言葉でなく、実行すること で教えてくれま した。私は、十年後には社務所と参集殿建設を、 そして 二十 年 後 に は 神 門 建 設 を や る の だ と そ の と き 意 志 を 固 め、計画を立て進めてきた結果、すべて完成する ことが出来まし た。これは 責 任役員、氏子 、崇敬者多くの皆様方のご理解とご協 力、又川上県神社庁長をはじめ、神職の皆様のご指導の賜物であ ると深く感謝申し上げます。 上杉鷹 山 の言葉に﹁なせばなる 、 なさねばならぬなにごとも、 ならぬは人のなさぬなりけり﹂とあります。この言葉が私の信条 であります。 す べ てここか ら 始 ま る と い う こ と を 、 私 は 父 の 後姿 をみて 学 び ました 。 このことを後世に伝えるべく努力していく所存でございます。 第六十 二図式年遷宮に向けて心を 一つに し てがんばりましょ ヤ円ノ 皇室の弥栄と日本国の安泰、そして会員、神職の皆様方と共に よき年であります様、 御 祈念申し上げ、新年のご挨拶とさせてい ただきます 。 ま 第3 1号 、 れ し 円 、 F か 主主 ネ 申 ( 3)平成 2 3年 4月 1日 四月に会長に就任 し てより 、丸十年が経った事に驚憎。年々神道 る日本弱体 化は 今だに止らず、引き摺り、 北方領土、竹島、尖閤等 今日の世情を見ると、戦後六十六年を迎えた今、占領憲法によ 真に松陰先生の 心境に近き思いがしてなりません 。 青年会の皆さんの結束力が形となり、活動も目を見張るばかり 領土問題を始め国の主権を犯される始末。又、政教分 離 の原 則が 今更ながら﹁時は金なり﹂と強く感じる今日此頃。平成十 三年 でございます。真に﹁時は金なり﹂共通の意識の元に、それ以上の 事を成 し遂げて来た鹿神 青 で あ る と 誇 り に 思 い ま す 。 ティティーの喪失 。伝統 ・文化の崩壊と捉えざるを得ません 。 真 に困難 の時。戦後六十六年の経済至上 主義 が、解決せねばならな 横行し、 ﹁宗教﹂という 二文字で 、地域 の伝統文 化 、 社会慣習、儀礼 を も 学 校 や 社 会 か ら 排 除 せ ん と す る 風 潮。日本人 のアイデン 念の日制定運動、元号法制化運動、御即位奉祝運動、式年遷宮啓 い問題を後回しにし、日本人、日本 の姿を根っこから蝕み続け、 拐、私達の誇るべき先輩達は、戦後占領軍を相手に、国体護持 蒙運動など数々の日本の伝統文 化護持の為の 運動を展開して来 本来の姿の記憶すら失くなりつつあると言えます 。 と共に神社護持、領土保全運動、明治維新百年記念事業や建国記 られました 。これ ら の 運 動 も 偏 に 陛 下を中 心 とする国体を守る 私達神道人は、今 一度おかしな現況、そして今後起こり得る事 を想定した上で、神武創世の原点に 戻り、あらゆる面からの﹁国 ためでございました 。 幕末の志士 、 吉 田松陰先 生の和歌に次の 一首がございます。 の立て直し運動﹂を展開せねばな らな いと思います。その思想の 源は、﹁陛下 ・皇室を中心とした国体﹂であることです。政治家の 一人 一人が偲び行動を起せば陛下の祈られ る通りの園、国体が顕現されると信じます 。 陛下の大御心を、 動を創出していくべきと考えます 。 みならず、全ての国民に歴史をしらしめし、意識立てとしての運 九重 の悩む御心思ほへば 手 にとる 屠蘇 も呑 みえざるなり ( 安政六年 一月 三十歳) この歌の﹁九 重﹂は 、朝廷、陛下を表します 。朝廷が、陛下が幕末の 混乱期に悩まれ、心を痛め、大御心を偲ぶと正月のおめでたいお 屠蘇などを安々と飲むことなどできない 。と詠まれています。今 ま 平成 2 3年 4月 1日 ( 4 ) し ャ 、 、 か 青 ネ 申 第 31号 こ の 度 、 会 長 の 任 を 遂 げ る に あ た り 一 ざ い ま し た 。しか し、どうにか無事に こ の 申し上げる今、自分なりの充実感と安堵 出されますが、こうして退任の 御 挨拶を かり、嘗てない緊張を覚えたことが思い 二年 前 に 伝 統 あ る 当 会 の 会 長 を 仰 せつ ばせて戴いた数々の教訓、またかけがえ 第 で す。斯 界 の 尖 兵 た る 神 道 青 年 会 で 学 協力によるものと 一 陣 く 御 礼 申 し上 げ る 次 庁 を 始 め 先 輩 諸 凡 の皆様方のご理解とご も共に支えてくれた会員同士 、 また神社 二年 間 を 乗 り 越 え る こ と が 出 来 ま し た の 感 、 そ し て 一抹 の 寂 し さ と 反 省 が 交 錯 す のない良き 仲 間 を 私 の 財 産 と し て今後の 言御挨 拶 申 し 上 げ ま す。 る複雑な 心境 で す。 て、会務に謹む傍ら 神青 九 州 地 区副会長 田薫君が選任され新執行部のもとに新た 次期の会長には、先の臨時総会にて宮 神 職 人 生 に 役 立 て た い と 思 い ま す。 を兼務させて戴き、また亡き父後の本務 な 諸 事 業 が 展 開 さ れ る こ と と 存 じ ま す。 顧みますと宮田昇前会長の後を受け 神 社 宮 司 職 と 目 ま ぐ る し く 過 ぎ た 二年間 ご 期 待 申 し 上 げ る 所 大 で あ り、皆様には 一層 の ご 協 力 を お 願 い 申 し 上 げ る 次 第 で でありました 。 任期中は、先ずは今まで先輩方が築き 会 の 愈 々 の 発 展 を 心 より祈念し退任の 御 あ げ て き た 従 来 の 活 動 を 途 絶 え る こと の ご ざ い ま す。甚 だ 意 を 尽 く せ ま せ んが、当 な い よ う 更 な る 充 実 が 計 れ る よ う 研 鎖し 挨 拶 と さ せ て 戴 き ま す。 二年 間、ありがとうございました 。 取 り 組 ん で き た つ も り で ご ざ いますが、 神明奉仕の傍ら多岐に亙りての諸活動、 事業等を継続して行うことで精一杯でご 日笠山 八幡神社 古式 の直 会 八幡神社宮司 治 上給仕は下給仕が 御供所から運ぶ膳を、 上席 ・宮司 ・次席に配膳し 、次いで上給 仕①は提子を給仕②は長 柄 の 銚 子 を 持 ち 、 先ず上席の前に並んで進み、酒を注ぐ 。 肴 のあと 二の 杯 、 三 の杯をすすめ、次いで宮 装 。 薩摩 川内市里町(甑島 )の八幡神社に伝 承されている﹁古式の直会﹂と呼ばれる儀 式は、例大祭の前夜祭と木祭の祭典中、 ﹁内侍舞﹂(共に鹿児島県指定無形民俗文 化財)に続いて拝殿で行われる 古式の直会は、空吸物と本吸物とから 成り、空吸物は形だけの儀式で、上席参列 者 ・宮司 ・次席参列者の 三名だけが饗応 を受ける 。本吸物は全参 列者が受ける 。 延享 四年(一七四七)の﹃神社改帳﹄の例 祭当日の記述に﹁御 地頭御参詣の節は ・ 三献を :::﹂とあり、これが儀式化して伝 承されたものと思われる。(上席は地頭と 思う) 準備は拝殿脇の御供所で行われる 。空 吸物の膳は台付の折敷(角 一尺余 )の上に 小さな台付折敷 三 つを並べ、魚の干物 ・ 生の栗 ・昆布各 三個(三枚)を盛り、中央 に土器 三枚を重ねて置く。箸 は川柳の枝 を って 作 る。 削 給仕するのは、内侍舞の 少女と同様、年 番の部落から選ばれた若者で、上給仕 二 人、下給仕 二人、紋 付羽織袴に白足袋の正 正 ま 第3 1号 、 J し 」 か 青 神 ( 5 ) 平成 2 3年 4月 1日 あ り ま す。 生 態 や 性 質 を 述 べ た と ころで、次に奄 美 諸 島の一部の地域に伝わる昔話について紹介 します 。 ﹃ある年、毒蛇のハブが里に多く降りてき た事があり、噛まれて命をおとす人が後を 絶たなかった。人々は怒り、奄美の島々か らハブを根絶やしにしてしまおうと、大々 的な 山狩 り を 行 っ て ハ ブ を 根 絶 や し に す る 事 に 相 談 が ま と ま っ た 。 それを聞いて、ハ ブを気の毒に思ったのが、里で飼われてい た ウ サ ギ だ っ た 。ウサギは 急いで 山 へ出向き、 ハブの王様にこれまでの事をすっかり話し て聞かせた 。 ハブの王様は奄美の島中のハ ブ に こ の 事 を 知 ら せ た の で 、 ハ ブ 達 は 山狩 りの前に隠れる事ができ、辛き命を助かっ アマミノクロウサギ た。 一 方 、 修 ま ら な い の は 人 間 違 だ 。 ハブ 達に山狩りの事を密告したのがウサギの仕 鹿 児 島 鯨護 園 神 社 権 禰 宜 業だと知れると、腹いせにウサギを捕え 是枝政敬 散々折艦した挙句、煙煤しにして耳を削ぎ 今年は卯年ということで、卯に関連する神 斬 り 、 山 の 中 に 放 逐 し て し ま っ た 。 しかし、 社を取り上げるところですが、奄美諸島に古 ウ サ ギ は 死 な な か っ た 。 煙で崎服されて毛が くより生息する﹃アマミノクロウサ、キ﹄につ 真 っ黒になり耳、が短くなって し ま っ た け れ いて紹介します。 ど 、 ち ゃ ん と 生 き 長 ら え る こ と が で き た。 現存するウサギ類の中では、最も原始的な そ し て 、 己 の 身 も 省 み ず 命 を 賭 し て 自 分 達 種類で、国の天然記念物に指定されています。 を 救 っ た ウ サ ギ の 恩 を 忘 れ な か っ た ハ プ 達 特徴は、通常のウサギに比べると耳が短く、 は 、 普 通 の ネ ズ ミ や 小 鳥 は 襲 う け れ ど 、 成 後脚が発達せず、また、上顎の臼歯が五対し 長したアマミノクロウサギにだけは決して手 かなく、濃い黒褐色の毛皮とずんぐりした体 を 出 さないと言う ・・・・ ﹄ 型 が 挙 げ ら れ ま す。性 質 は 夜 行 性 で 昼 間 は 倒 奄美の島に細々と生きる﹃アマミノクロ 木のウロや岩穴、自ら土中に掘った巣穴で住 ワ サ ギ ﹄ 彼 ら は こ の 義 侠 心 溢 れ た ウ サ ギ の ん で い ま す 。 住 環 境 と し て 水 辺 を 好 み 酷 暑 や 子孫だと伝えられています。 寒さに敏感で臭覚が鋭く、用心深いと ころが 司、次いで次席に同様にすすめる 。(すべ て所作だけ) 本膳の 一の膳は海の幸(魚の切身と青 物、すまし汁)二の 膳は山の幸(里芋と 青 物、味噌仕立て)。膳の中央に椀一個と箸 だけ 。前の 三者 に 配 膳 の あ と 全 参 列 者 に 供せられ、食したあと神酒と肴(干物 ・昆 布)が、 二回とも振舞われる。 上給仕は、膳を運ぶときは目通りに持 ち肘を張る、座るときは面前で小刻みに 三歩進んで 三歩下る 、空吸物の酒をすす めるときは片膝を立てた姿勢でなど所作 は厳しい 。この古式の直 会だけで四1 五 十分を要する儀式である 。 ま 紙注連縄奉製講習会 於ホテルニュー種子島 -十 一 月 九日神育協臨時総会 於神社本庁 a v十 二 月 九日第六回役員会 於 新 回 神 社 卜 二名 卜七 名 団地大麻頒布活動 於隣臨時支部五代団地 鹿 児 島 市星ケ峯団地 顧問参与会 於 吾 愛 人 顧 問 ・参 与 六 名 会員 七 名 二十 五 名 忘年会於吾愛人 神 道 青 年 九 地 協 第 四 回 役員 会 於宮崎市四名 {平成二十三年︺ ・ 一月 二十 四 日 御神矢・絵馬・招福熊手 ・木札・メタル守 御神符・ステッカー・御守袋・ 弓矢 ・御守各種 ︻平成二十二年︼ 44 JptrLF 第四回役員会於神社庁 大分県神道青年会 創立六 十周 年 記 念 式 典 於大分前 九 地 協 第三 回 役 員 会 於大分市 第八回役員会 於 神 社 庁 十 一名 臨時総会於神社庁十 一名 北方領土返還要求運動 於 天 文 館 ア ー ケ ー ド 十 一名 二十 一日 九 地 協 役 員 会 於 一名 二十 一日1 二十 四 日 九地協英霊顕彰事業於台湾 ﹁台湾戦没者慰霊祭﹂桃閤神社 一名 二十 四 日1 三 月 一日 伊 勢 神 宮 展 於 鹿 児 島 市 山 形屋 7 0 2 2 1(夜間) TEL0 9 4 32 3-3 4 1 2(代表)・ 3 FAX0 9 4 32 4 4 4 8 3 Em a i l : f u k uoka@mx3. e t .t i k i . n e. j p AV 七月 十六日 -九月 l 21 、 吋 , , , 二十七 日 二十 八 日 -十 月 六日 十四日 十七日 -三月 十四日 ネ 富岡奉製 二十日 M l 、 可1 l 寸 1ノじレ ヨ │ ・ 四月 九地協第一回役員会 於宮崎町観光ホテル 第六十二回神道青年 九 州 地 区 協議 会 総 会 於宮崎市 第二回役員会 於県神社庁十五名 定 例 総 会 県 神 社 庁 二十 一 名 顧問参与会 於すし鮮 顧 問 ・参 与 七 名 会員凹名 二十 九 名 十月 二十 八 日 二十 八 日 〒8 6 4 一0 0 8 1 福岡県八女市立花町山崎 1 9 6 1 二十六日 二十 七 日 -五月 三日 日 、 14 51i j 'Eト が定│二会 於すし鮮 7L+ ¥J ¥ 二十 九 日 ラ長 L ; , . 名 十十 察 第 十 一回O B親 善 野 球 大 会 於郡山早馬球場 会員十一名 O B 七名 第 十 四 回 O B交 流 会 於レクストン鹿児島 会 員 二十 一名 O B 十七名 斎悶抜穂作業 一名 於霧島神宮十 事業頒布口問﹁普及版御門帳﹂ 奉製作業於神社庁十名 鹿児島神宮浜下り助動 於鹿児島神宮四名 神社関係者大会準備作業 斎回米袋詰め作業十 二名 第五回役員会 於県神社庁十名 神社関係者大会助勢 於サンロイヤルホテル 七 ー じ 名 名 七 名 有限会社 キ 土 コ ヱ 社 庁 j 宇 襲 裏取題 神宮寿ム神宮 =社 干 土 神社授与品奉製 於苔於"'" ffl'~村 ~名 名 北 鹿 北三 九親九 第 也善介│ 九 方児方十 i 領島領日協野各 国 土!果土研球県柏神 国民返 (~大村I :~~ 1隊 後会還会会道官子 ・議 要 脊向弟 色求 年 λ 、?の 丹連 人 1集 兄弟舟 視動 名 名 名 第 七 回 役 員 第 一 回 選 考 第 繰二 第 二並十 一 四七人ひ'四 回 広年に日広 報立教 報 於委沙養於委 凹 名名 名 名 名 一 卜十 四一 ー 卜 ノ 可三 • 日 懇親会 十 十 日 2 月 十 名 名 名 名名 八 日 七十 四 四 名 ー ト 十 四 三 名 ち 七 名 -六 月 十日 記 十十 五九 日日 例 十 神。品 ー於 於 社宝 石2 神神 E E社?土 本宮 庁 Z 土庁庁 ン」 五 在l 名名 名 六タ 名 │ 第神春神会第 六育期育言十一 十 協 セ 協E E回 二 ミ平査役 回ナ成員 、 日 日 於鹿新 か児た ご島な し県諮: ま民法 県のの 民集締J I 交い定 流を セ 1 支 山 神 七 第 鹿 北 知l 兵来兵七八九斎 援 谷 政 月 三 児 方 覧 践 鹿 蔵 笠l 也回 活え連八回島f 浜町県に県主協御 動 り 重 日 役 県 土 議 神 伴 神 7第 田 子 点 員 民 返 国 道 う道 I V二七人樋 参 推 会 ム 選 神 青 称 、 青 回i 於議薦 議 要 於4 上年於親年レ役霧 知~i\trè熊 ー ムク島 神 院 議 が 申同J1tI:~ 社 議 員 事j 1 定見刀襲 ス皇神 朴 問g 庁員 庁動祭 T ン 卜 十 十十 九八 日日 平成 2 3年 4月 1日 ( 6 ) し 干 、 カ ミ 青 申 キ 第3 1号 ま 禰 宜 鹿2 市日 島5 児月 力 日 天文館アーケードでの署名活動 せていただきました 。 北方領土返還要求運動に参加さ 先 般 、 平 成 二 十二年二月五日、 丸権 は 二度 目 で あ り ま し た が 、 最 初 のような日に配布するという積 揃岡常事所 本社科書所 鼠 A 075}74ls 3221 3P11 揃附市憾多区根付5' 川訴( 掛 092)592 ・ 3215 1 僻地 m市左京区静市市原町1291L2 5 m 。京都奉製株式会社 り 極的な活動は、非常に意義があ り素晴らしいと思います。 又 一 人でも多くの御理解ある皆様と 共に、諦めず根気強く北方領土 問題を訴え続けて行きたいと思 っ て お り ま す 。 そうする事が、 無関心だった人達が関心を持っ て下さる術であると共に、誰か がやるだろうという固定観念か で誰がやる、という気持ちへと ら、自分達が今立ち上がらない す 代 表 取 締 役 長 谷川 和 夫 繋がる事にもなるのではないで │授与・品‘記念品御零製│ 平火社 はどのように伝え、御署名をし きな活動となり、小さなものが ォ警 錦リ 草 祈りをかたちに しょうか 。 そ う す る と 自 分 達 の と誇りに思い、次の世代の子供 自ら署名をしに来て下さる方を 大きなものを動かす力となりま ・ 圃 . 圃 ・ 圃 . 荷 神 ていただこうかと戸惑いながら にお声をかけて行くうちに段々 達に残したいと思わずにはいら 住んでいる日本という国をもっ と自信を持って、北方領土返還 れないはずです。だからこそ領 アーケードを通られる方々 要求の署名活動する事が出来ま 土問題を真剣に考え行動を起こ さ な け れ ば な り ま せ ん 。 たとえ した 。 若 い 方 か ら お 年 寄 り の 方 目の当たりにして感じた事なの す。 そ の 事 を 忘 れ ず に こ れ か ら ∞ まで、通りを行く人にお声をか ですが、 二 月 七 日 が 北 方 領 土 の も署名活動に力を入れて行きた ~も 株式会社長谷川製作所 ハセガワ け て 行 く 中 で 、 無 関 心 な 人 や 、 小さ な 活 動 で あ っ て も 、 必 ず 大 日だという事を御存じない方が いと思います。 織:毒 おル 室 ~ グ~ 〒1 1 4 0 0 0 4東京都北区狐船3 2 0 -1 3 A X0 3 3 9 1 2 3 1 3 1 T E L 0 3 3 9 1 2 6 1 6 1(代表)F 草加営業所 〒3 4 0 -2 5鳩玉県立加rIi谷塚仲町4 6 6 1 T E L倒 的2 1 1 2 2 1(代表)F A X0 4 8 9 2 1 1 5 1 5 社 本 多く、その中で北方四島の説明 V - ・ ・ ・ 圃 ・ 圃 園 面 ・ ・ ・ ・ ・ 圃 ・ ー ・ ・ ・ 圃 ・ ・ ・ ・ ・ 圃 ・ ・ ・ ・ ・ ・ - も 書 きのパンフレットと飴を、 」 下、 、 友 3 1号 第 し 」 か 青 神 ( 7) 平成 2 3年 4月 1日 ま 平 成2 3年 4月 1日 ( 8 ) 下 、 、 し 」 カ ミ 青 神 第3 1号 その中で、﹁従来の時局対策連絡 会議では 、政 策 推 進 の た め に 研 修 会を開催し、時局問題等に対応し てきたが、先の衆議院議員総選挙 において、自由民主党が大敗を喫 竹田神社 権禰 宜 したのを重く受け止め、今後は保 井上祐 、 , a a ロ = 一- 守再生を掲げ 斯界を挙げて、こ れらの諸問題に対応していくこ 去る、平成 二十 二年 三月 二日 ・ とが必歪である﹂と述べられまし 三 日と 二 日 間 に 亘 り 、 第 八 回 神 た。 道政治連盟時局対策連絡会議並 次 に 第 二講へ移り、﹁保守とは びに神道青年全国協議会合同研 何か﹂という演目で安倍晋 三先生 修会に参加させて頂きました 。 より講演いただきました 。安 倍 先 今回の講演は自由民主党本部 生は内閣総理大臣就任時に﹁美し で 行 わ れ 、 午 後 二時 よ り 講 演 が い国づくり﹂を掲げて政策を進め 始まり、第 一講は﹁神政連の使命 られた事 、また、現民主党政権が と役割﹂という演目で宮崎義敬 誕生 し、永住 外 国 人 へ の 地 方 参 政 先生の講演をいただきました。 権 付 与、選択 的 夫婦 別 姓 の 導 入 等、 我が国の歴史や伝統そして、 家族の紳を弱め、 日本古来の美点 でもある敬神崇 祖 の念をも根幹 から揺るがし、日本を様々な点で 弱体 化さ せ よ う と す る 動 き が み られる中で、﹁保守派議員をはじ め 、 神道 青 年 の 方 々 に 日 本 国 の 将 来について 何 が出来るかという 事を考えて頂きたい﹂と述べられ ました 。 その後休憩をはさみ、﹁保守再 生に 向 けて﹂という演目で安倍晋 三先生、稲田 朋美先生、 山 谷えり 子先生、有村 治子先生、久富真人 先生によるパネルデイスカツ 自民党本部 3月2日 シ ヨ ン が 行 わ れ ま し た。その後、 懇親会となり、懇親会の席に於い て多くの自由民主党議員の方々 が挨拶に来られとても感激しま した 。 私自身の感想と致しま し ては、 更に斯界が固く団結し、歴史や伝 統を守り、良き日本を後世に伝え て行かねばならないと思いまし た。 この様な機会を作って頂いた 神道青年会の皆様に感謝致しま す。また、斯界の尖兵として、時局 問題に取り組んでまいる所存で す。 ま 福社 権 禰宜 田憲 3月9・10日 南大隅町 初日から寒風吹き小雨の降る 行われた 。 にかけて膜並びに教養研修会が 南大隅町﹁ネッピ l館﹂に於いて 平 成 二 十 二年 三 月 九 日1 十日 月 読 神 あいにくの天候であったが講師 司 い る か の よ う に 感 じ た 。しかし、 天候不順の影響で波はやや高く 油断すれば足をすくわれ波に拐 申 , , . 、 木 柚 われてしまいそうになる様であ り、自然の厳しさも感じた 。 一一 日目、天候は更に悪化し風 はより強くなり神離を倒す位で あ っ た 。雨 は 止 ん で い た が 気 温 は 更 に 低 く な っ て い た 。昨 日 と 同じ海岸に向かうと、波は昨日 より更に高くなっていた。浜で の行法の後、海に入ると水温は 昨日同様温かかったが波は私の 頭を超える事もあり、自然の怖 さを思い知らされた 。 E-mail:info@suzuk卜 kisho.co.jp i ち つ い て い た 事 に も、 神 々 の 思 おります。又、講義 の問天候が落 道彦の方々には心から感謝して 義 を し て 下 さ っ た 講 師 の方々、 日目の講義は史跡を移動し の方々はそれを吹き払うように 一 て一 の 講 義 で し た 。時 折 吹 雪 き な 熱 弁 を 奮 って下さった 。夕刻棋ー の がらも、講師の先生が説明下さ 時間となり、海岸へ向い衣服を脱 っている聞は止み、順調に講義 ぎ 艇 を 始 め た 。私 は 、 今 ノ回 が 初 め は 進 み 棋 並 び に 教 養 研 修 会 は 終 ての棋でした 。吹 き つ け る 風 と 時 了 し と 。 折降る小雨で、体は濡れては乾く: あいにくの天候の中懸命に講 と い う 様 だ っ た 。それはまるで、 風雨が私の身についた織れを洗 い清め吹き誠い清めてくれてい 11 るかのようであり、浜での行の司 恵 をt 感謝 し て お り ま す。 TEL.03-3814-1811 FAX.03-3818-8332 〒5 4 7 0 0 3 3大阪市平野区平野西 4丁目 8 番2 9号 TEL大 阪 ( 0 6 )6 7 O 2 6 0 0 9( 代表) FAX大 阪 ( 0 6)6 7 9 7 5 8 9 6 干1 1 3 0 0 3 2 東 京 都 文 京 区 弥 生 2-12-1 字 、 代表取締役 鈴木徽章工芸株式会社 御一報次第カタログ御送り致します。 場 長 グ リーン産商株式会社 ・文 鎮 金 盃 ・各種記念品類 ・胸像・レリーフ ・ 鋳造類 組 』 私は心身が洗練されるように尼 じた 。海 に 入 る と 水 は 思 い の 他温 かく冷えた体を慈しんでくれて 室詰 Z 己J 受 念与 i l p 守 ・授与品 ・参拝記念奉製 〈営業品目〉 ・交通安全御守護 ・開運招福鈴 御 御 第 31号 し 」 か 青 キ 申 ( 9 ) 平成 2 3年 4月 1日 誠実 と真心 で奉仕す る ま 1 ,宮 権 禰宜 道 成 次 先 生 、 第 二講を﹁日本のこれか 題し、高崎経済大学教授の八木秀 第 一請 を ﹁ 明 治 精 神 を 学 ぶ ﹂ と 代の武士となるべく、全国の会員 約 四 百 三十 人 の 参 加 の も と 行 わ れました 。 敬 神 崇 祖 の 心 ・愛 国 心 と い っ た も の を 再 認 識 した 上 で 、 青 年 神 職 一人 一人が自らを律し、士山高い現 け て い る 慎 み や 礼 節 ・日 本 人 の り と 自 信1﹂を 主 題 と し 、 武 士 道 精神から我が国が現代見失いか 今研修会は、﹁己の 一分 1現在、 振り返るべき日本人としての誇 成 二 十 一年 度 中 央 研 修 会 が 開 催 されました 。 宮城県神道青年会担当により、平 i 十七日の 二 日間、東北地区主 管 去 る 平 成 二十 二年 三 月 十六日 島 ' 神 ら﹂と題し、お茶の水女子大学名 誉 教 授 の 藤 原 正 彦 先 生 、 第 三講 を 解説者の舞の海秀平先生にそれ そういった感情が相手の気持ち TEL096-382-8383 FAX096-382-8456 を理解してあげられる、強いては 戦 争 の 抑 止 力 に な る の で あ る 。﹂ と 述 べ ら れ ま し た 。金銭至上主義、 干8 62-0924 熊本市帯山 9丁目 3-10-2F ぞれご講演いただきました。 在までの日本道徳教育史を解説 利己主義から脱却し日本人の美 に繋がるのであると主張されま 真j C , を旅に綴って・.• す{ ; i ' 1 : : : Jしい魅震の旅ヘ/ ま ず 第 一誹 で は 、 明 治 時 代1 現 され、特に教育勅語や修身教育の 抽象的ではなく 具体的に道徳倫 した 。 大切さについて述べられました。 的感受性を取り戻すことが日本 ﹁ 修 身 教育 は 教 育 勅 語 を もとにし、 だ け で な く 、 世 界 人 類 を 救 う こ と 理を感じることができる優れた りました 。 手法である﹂と述べられた上で、 第 三講では、力士という武士道 現 在 の 道 徳 教 育 が い か に 抽 象 的 精神を肌で感じる立場から、﹁人 で わ か り に く い か 具 体 例 を 挙 げ 間には謙虚さが大事で、ひねくれ ていると強くならないと教わっ て説明されました 。 。 。 ま た 、 米 国 で は 学 力 や 規 範 が 著 た ﹂ と 語 ら れ ま し た 更に自分の 一分 は 痩 せ 我 慢 。そ れ が 男 の 美 学 しく低下したことに対して、我が 。 国 の 修 身 教 育 の 手 法 を 教 育 再 生 でもあるから 勝 っ た 自 信 が 慢 心 に 取 り 入 れ 、国の 再 建 を 施 し た に に な り 隙 が 出 て 足 元 を す く わ れ も拘わらず、元になる我が国が教 る と ま た 初 心 に 戻 つ て の 繰 り 返 し。ま さ に 人 生 の 縮 図 の よ う だ と 育基本法の崩壊寸前とまでなっ 話されました 。 ている現状に言及し、改めて修身 本研修会を通じて、日本人本来 教育の道徳倫理がいかに優れた の道徳倫理の在り方がどれほど ものか力説されました 。 素晴らしいものなのかを理解す 第 二講は、﹁美的感受性﹂という ることができ、自らを律すること、 言葉を主点に講演が行われま し 日 本 人 と し て の 誇 り ・自 信 を も た。 つことの重要さを痛感するとと ﹁美的感受性の根源は、田畑や自 もに 、私 た ち 青 年 神 職 が そ れ ら を 然 そ の も の で あ る 。﹂と述べられ、 どう継承していかなければなら ないか考えさせられる機会とな ﹁懐かしいと思う感情こそが家族 愛 ・郷 土 愛 ・祖 国 愛 に な る 。ま た 熊本県知事登録第 2 5 4 号 。 霧 ﹁可能性への挑戦﹂と題し、大相撲 田原向'~ñ特有 株式 会社 平成2 3f 10 ) 下4月 1日 ( 字 、 、 し 」 か 青 中 キ 第 31号 風本神社宮司 木原英 i政治と 去る四月二十六日、会員約百四十 十 二年度神育協春期セミナーが 現 代 神 道1 を 主 題 と し て 、 平 成 二 ﹁生成期の現代神道﹂ 神社本庁 名参加のもと神社本庁にて開催 された 。 ども手当﹂﹁高速道路無料化﹂等の る。﹁農業戸別所得補償制度﹂﹁子 あ る の で は な い だ ろ う か 。﹄とい う 内 容 で し た 。国 政 が 危 機 的 状 況 は ま さ し く 我 々 一人 一人 の 中 に 諸政策は、限りあるものを皆で分 ようなら﹂という消費型思想その にあるのが、痛切に感じられまし た。今 回 の セ ミ ナ ー に 参 加 し て 、 配し使い切り、無くなったら﹁さ も の で あ る 。我 が 国 は 、 稲 作 文 化 の問題や、現代神道は国際化の波 現在の日本における政治と宗教 は避けることのできない課題で を 通 し て 、 皆 が 心 を 一つに力を合 わせ各々が努力して何かを生み 出 す と い う 生 産 型 思 想 を 育 ん で あ る 。又 、 通 信 手 段 が 飛 躍 的 に 発 きたのであるから、地域社会の 一 展 し た た め 各 国 と の 経 済 的 結 び 付 き も極めて密となった。これか 員と し て 、 現 代 社 会 に 生 起 す る 諸 に従ってより我々には他宗教の 一神 職 ら宗教の国際交流が盛んになる 一社会人、 問題に対して、 本質を正しく理解した上で友好 と し て 、 問 題 意 識 ・危 機 意 識 を 持 関 係 を 結 ぶ べ き で あ ろ う。 h n p :l / w w w . t c n e . to r . j p r m o m i d i y a月 ・l o p ち、問題解決のために努力し政治 0120-22-1312 FAX 0282-22-1387 運動を展開することは当然必要 -鈴絡・合繊〆縄(注連縄)創造 ! 主 、 、 、 7 リーダイヤル 4月 26日 平成二十一年八月の歴史的な 夏を経て、国政が混迷を極めてい なことである事を目的とし、 二名 の先生方により講演を賜りまし た。先ず、第 一講 ﹁ 近代法制と現代 神道﹂脊藤智朗先生(図的学院大向学 研 究 開 発 推 進 機 構 准 教 授 ) 第 二前 の講師の先生方からの政治と現 ﹁政治問題と現代神道﹂藤 山 敬 廃 先生(亀田八幡宮繭宜)それぞれ 代神道の論点からの講演は、﹃厳 かに神を杷るような恭しい心で 行われる政治こそが我が国体の 理想であるが、しかし現実には、 祭 政 一 致 は 到 底 叶 わ な い 。然らば、 我々青年神職は、常に公に生きる 者 で あ る 。現 代 に 於 け る 祭 政 一致 干3 28-0042 栃木市沼羽田町 12-14 ⑧待客 ヂ ヤ 第3 1号 し ま 字 、 、 カ ミ 青 神 ( 1 1 ) 平成 2 3年 4月 1日 。 向u. 芭Jl laJ~"':コ NISHIKAWA G ま 新田神社主奥 さ れ 、 全 会 一致を以って承認さ れ た 。次 に 各 県 の 平 成 二 十 一 年 度活動報告、決算報告、平成二十 二 年 度 活動計画が其々承認され、 続 い て 宣 言 ・決議が採択された。 最後に次期当番県を慣例により ルに於いて、 九 州 各 県 神 社 庁 連 去る五月十二日宮崎観光ホテ き 山河 を 斉 唱 し 、 聖 寿 の 万 歳 に 議 会 一是、神道青年の歌、美はし 承 認 さ れ 、 神 道青 年 九 州 地 区 協 熊本県神道青年会とすることが 合 総 会 に 併 せ て 、 第 六 十 二 回神 て無事に総会を閉会した。 を深める活動を展開するの件﹂、 る墓所のあり方について、研鑓 神道青年会より﹁祖先の象徴た まず、議案審議として熊本県 た。 長を議長として議事が進められ 崎県神道青年会中原慎太郎副会 た。開 会 式 の 後 、 当 番 県 で あ る 宮 近い出席のもと総会が開催され のご臨席を賜り、各県より百名 春 木 会 長 、 井 上 理 事 ・星 野 理 事 じめ、神道青年全国協議会より、 崎県神社庁長の杉田秀清様をは わ れ た 。本 年 は 当 番 県 で あ る 宮 道青年九 州地 区協議会総会が行 上牧瀬将 宮崎市 宮崎県神道青年会より﹁人生儀 URLh t t p: / /www.okashou. j p/ Em a i l: i n f o@okashou. j p T E L .0 2 8 03 17 7 7 0 / F A X .0 2 8 0 3 1 7 7 8 0 干6 2 10 0 1 8京都府亀岡市大井町小金iI皮2 丁目 7 -7 株会社大吉 TEL0771-24-5085 FAX0771-24-5095 〒3 0 6 0 0 1 3 茨城県古河市東本町二丁目 1 6 ゑ 広 法士 え矢 5月 12日 礼を通して、命の繋がりの大切 有限会社 各種御守札の企画・奉製 各種授与品・記念品奉製 司 │ 本 よし おお 持p 葱泉・祭具・神具・授与品 @ 事業内容:建築一式・社寺建築設計 施工 ・ 太平洋建設株式会社一級建築士事務所 1 8第 3 91 7号) 建設業許可.宮崎県知事許可(特- 宮崎市大字本郷南方 3 5 0 72 1 T E L0 9 8 55 6 3 9 8 5F A X0 9 8 5 5 63 9 8 4 干 516-0025 伊勢市宇治中之切町8 7 T E L (0596) 22-2960 FAX (0596) 22-2335 、 問 、、 寛 さを広く教化するの件﹂が提出 ⑫伊勢園産令資会社 太平津建設株式会社 御神符・御社頭投与品奉製所 平成 2 3年 4月 1日(12 ) し 」 か 青 ネ 申 第3 1 号 新築・増築工事・修繕工事 屋根改修工事の設計 施工 谷 鹿児 島神宮 表玉串拝礼の後、笛、太鼓の音 に合せて田の神様が登場し、大 きなメシゲと鈴を持ち、鹿児島 の方言で口 上 を 述 べ な が ら 、 ゆ ったりとした仕草で田の神舞が 舞 わ れ ま し た 。 地域の老若男女、 青 年 神 職 、 霧 島 小学 校 児 童 の 臨 時 の 早 男 早 乙 女 が 一斉 に 斎 田に 入 り ま し た 。 横 一列 に 並 び 声 を かけ合いながら、慣れない手つ きの人、田に足が沈み込んで動 きが取れない人もいましたが、 ベテランの方々の指導により、 段々慣れて、見る見るうちに土 色の田は青々とした青田と変り ました 。 四ヶ月後の十月八日、さわやか な 秋 空 の も と 、 会 長 以 下 十 一名の 会員により立派に稔った稲穂を 自分たちの手で刈取り、収穫の喜 びを味わいながら豊作に感謝し ました 。 この斎田で収穫されたお米は、 日供祭を始め、大中小祭の神韻米 であるばかりでなく、各種祭典の 直会にも使用されるそうです。 稲穂の原点の霧島神宮斎田に おいてお米作りを奉仕し、神職と しての誇りを持つことが出来た 貴 重 な 一日でした 。 。営業品目。 縁起物入みくじ・金属製守・木札守・紙札守 金 欄 錦 守 ・ 各 種 熊 手 ・ 守 護 矢 ・朱 印 帳 本社・ 工場 干3 2 31 10 4 栃 木 県 栃 木 市 藤 岡 町 藤 岡 213-7 TEL(0282)62-101O(代表)・ FAX(0282)62-2061 霧島神宮 6月 1 0日 10月8日 去る六月十日、霧島神宮斎田 の お 田 植 え に 神 道 青 年 会 の 一人 として参加させていただきまし た。 川 高 まず、斎田横の祭場において、 豊作を 祈 る 御 田 植 祭 が 斎 行 さ れ ました 。 祭 典 は 祝 詞 奏 上 、 各 代 跡式 ~*t 区 司 吉区 おまもりの朱恕 第3 1号 し ま 下 、 、 か 青 ネ 申 ( 13 ) 平成 2 3年 4月 1日 ムま 平成 2 3年 4月 l日(14 ) し 子 、 、 か 青 ネ 申 第 31号 鹿児島神宮権禰宜 読めない中、当日は山下建・{呂 田昇両顧問をはじめ会員総勢十 先輩方の頃から幾度も斎行され ており、今後も慰霊祭が執り行 必要であった 。 われると思われる。 今回他県か 三名 が 集 ま っ た 。 午前八時半に知覧護国神社に らの依頼により諸準備にあたっ 集合し、神社境内の清掃、事前 たが、先ずは人員が揃わなけれ に借り受けたテントを設営し、 ばならないと痛感した。また多 神社傍まで車胴の乗り入れが出 くの準備品、運搬車両の確保も 来ない中、駐車場から祭具等の 今回の経験を次に活かせてい 搬入をし、舗設した。 兵 庫 神 青 会 員 の 祭 典 奉 仕 者 三 ける様に、詳細な記録を作成し、 名は前日から知覧町内にて参寵 これからの対応に役立てたいと さ れ て お り 、 改 服 後 に 私 共 と 一 回?っ 。 緒に諸準備にあたった。 準備も進む中、九時半に兵庫 神青会員の方々も到着し、予定 よりも早く祭典の諸準備が終了 した 。 初 夏 の 風 が そ よ ぐ 中 、 午 前 十 一時 に 祭 主 以 下 祭 員 が 文 化 会館より参進し、慰霊祭が粛々 と斎行された。祭典終了後、参 たっての事前の申込みゃ打合せ、 連絡また打合せをいただいた園 生会長また光増事務局長、また を見送って解散した 。 今回慰霊祭斎行にあたり事前 列員皆で分担して後片付けをし、 記念撮影の後、兵庫神青の方々 当日参加出来る会員にて準備品 を 分 担 し、 知 覧 へ 集 ま っ た 。 前 ま す。 知覧での慰霊祭については諸 諸準備、当日御協力いただいた 会員の皆様に厚く御礼申し上げ ま た 兵 庫 神 青 ・九 州 協 役 員 と の 合同懇親会が聞かれた為、慰霊 祭当日に参加出来る会員の数も 日は当会の斎田御田植えの奉仕、 私をはじめ当会の会員は祭場 設営はじめ祭具等の運搬、祭典 準備に携わった。 祭典斎行にあ 一日 と な っ た 。 前日より兵庫県神道青年会の 林会長以下諸先輩現役会員の皆 様が多数来鹿され、先ず知覧の 地に足を運ばれ、平和祈念館は じめ知覧町内の各所にて研修さ れ 、 翌 十 一日 に 慰 霊 祭 が 斎 行 さ れた 。 庫県神道青年会会員の皆様によ る知覧護国神社での慰霊祭が斎 行された。当日は梅雨時期にも かかわらず青空となり清々しい 平 成 二 十 二 年 六 月 十 一日 に 兵 井上 知覧護国神社 巳月 11日 ' " ' " ' 谷 禰宜 孝 な力が入って腕や肩が凝ってき ました。 リラ ッ ク ス し た 状 態 で 作業できる様になるには、かな り修練、が必要と感じました 。 何と か 一 木 目 を 作 り 終 え ま し たが、やはり少し歪んで緩くな Emai l:nhs1970@ho tmai l. c o . j p J みずほ銀行 1第 四 銀 行 笹河 FAX ( 0242)24-4797 奥神 社 URLh t t p: / / www4. oc n . ne . j p / -t or a p a g e / i nd e x .html / 振替 0 但2 1 凶4 0 か一卜 3 お5 宇 臼 4 ま ってしまっていたので、 二本 目 はその点に注意し、一本目より は幾らか満足する出来になりま した 。 この講習会で講師の山下先生 を始め、 他 の 皆 様 方 に も 、 作 業 道 具 の 準 備 等 か ら 作 業の 細 部 ま で、懇 切丁 寧 な 御 指 導 頂 き ま し た事を厚く御礼申 し上げます。 この貴重な体験を生かし、氏子 の皆さまともより良い関係を作 れたらと思います。 有難うござ いました 。 TEL (0242)22-3924 9 2-087 1 鹿児島市吉野町 1350-3 〒8 T E L099-213-9217 F A X099-213-9218 会津支庖 会津支底 取引銀行 平成二十二年七月十六日、私 の地 元 で あ り ま す 種 子 島 、 西 之 表市のホテルニュ l種子島にて 行われた紙注連縄奉製講習会に 参加 さ せ て 頂 き ま した 。 四名という少人数ではござい ま したが、 霧 島 神 宮 の山 下 建 先 生の 御 指 導 の 元 、 集 中 し て 取 り 組む事ができました 。 講習会は朝九時頃から始まり、 休憩、昼食を挟み、時間の都合 もある為、三 時 頃に閉会という 流れで した。 干9 6 5 0 03 3福島県会津若松市行仁町 5-28 密 士西日本奉製所 会津ぬり 聖 私の 地 元 で は 、 神 棚 に 紙 注 連 縄を張るという風習があまりな い為 、 私 自 身 は 紙 注 連 縄 奉 製 と いう作業が初めての試みであり ました 。 その為 、 注 連 縄 の 芯 を 作 る 最 初の作業からしてなかなか上手 くいかず、三本を一本に束ねる 段階では、注連縄が緩くならな い様にと注意するあまり、余計 漆器を還し、人生儀礼・普及のお役に 圃白肌叩…訊 伊 勢 市 神 宮 会 館 前 (〒5 1 6 0 0 2 5 ) TE L ( 0 5 9 6)2 2 2 4 4 2(代表) FAX ( 0 5 9 6 )2 8 8 4 4 5 〒3 1 14 1 4 3茨城県水戸市大塚町字谷津1 76 1 -1 6 TEL 水戸 ( 0 2 9 ) 2 5 1 20 5 1 (代表) FAX 水戸 ( 0 2 9) 2 5 3 -5 84 4 投 与品 (破魔 矢・絵馬 ・御 裁 ・熊手・ その他・神社仏間全般) 木製品 ・竹製品 ・プラスティ y ク製品 ・ 合成樹脂製品・製造 ・卸・ 販売 ・贈答品 嬰大島寅次郎商庖 漆器商 j 奏御神符奉製所 その他各種授与品記念品 己銭三? 抹式会社 j 奏 ~ ー ト ← 一 愛 工 一 一 株式会社 ステッカー 紙 札 熊手 絵馬 ( $ 1 ' 1 ' + # ' その他授与品全般 各種御神符・守札 御社頭授与品記念品奉製 釘 i i 袋 木礼 金欄錦守 金属製守 樹脂製守 3 1号 第 し 、 回 、 、 か 青 宇 中 ( 15 )平成 2 3年 4月 1日 全国神社・仏閣御用達 ま 平成 2 3年 4月 1日(16 ) 、 , 余 、 し 」 か 青 ネ 申 第3 1号 権 禰宜 鹿児島市 第九回神 職子弟の 集いを、八月 九日 'Et, - 十日に 一泊 二 日 で 園 生 会 長の御膝元である桜島にて行い ました 。 初 日 は 午 後 一時 よ り 開 講 式 を 行った後、月讃神社へとお参りに 向 か い ま し た 。昇殿し、 一同この 集いが安全に進むようにお祈り しましたが、子供達は何も 言われ な く て も 二拝 二拍 手 一拝 の 作 法 できちんと拝礼が出来ており、さ す が だ な と 思 い ま し た 。参拝後、 この神社の宮司である園生会長 から神社の 御由緒、特 殊神事等に ついてお話を伺いました 。 その後、写真撮影を済ませ境内 を散策していると、熊本県神社庁 主 催 の 神 職 子 弟 の 集 い 一行 が 月 讃神社へと到着しましたが、総勢 八十名以上と思われる大所帯に 驚 き ま し た 。熊 本 の 方 々 が 参 拝 さ れている問、先に桜島ビジターセ ンタ ー へ 向 か い 見 学 や レ イ ン ボー ビ!チでの海水浴を行いま した。ピ ー チ は ほ ぼ 貸 切 状 態 で 子 供達も思う存分楽しんでいたよ う で す 。桜 島 に こ ん な と こ ろ が 井上 新田神社 8月9・10日 篤 あ っ た と は 初 め て 知 り ま し た 。熊 本 の 皆 様 も や が て ビ ーチ に て 合 流、熊本県父兄の準備と手際のよ さ に は 感 服 し ま し た 。午 後 四 時 半 に な っ て 食 事 の 準 備 を し ま し た。 子 供 達 も 手 伝 い な が ら みんなで バ ー ベキュ ー の セ ッ テ イ ン グ を 進 め ま し た 。炭 火 で 焼 い て み ん な で囲んで食べるというのはなか なか日常的にないことで、だから こ そ 新 鮮 味 が あ り 格 別 で し た 。も ち ろ ん 味 も 最 高 で し た 。食 事 が 一 段落すると花火大会やビンゴ ゲ 1 ム、スイカ割りで盛り上がり、 その後熊本県の父兄と酒を酌み 交わ し賑や か な 夜 と な り ま し た 。 センターでは溶岩をブロックや 翌 日 、 午 前 六 時 に 起 床。熊本の 方々も交えてラジオ体操を行い、 板 材 に 加 工 し て い る 様 子 を 見 学 しました 。切 断 に は 人 工 ダ イ ヤ モ 朝 食 を 頂 き ま し た 。そ の 後 先 に 熊 ンドが仕込まれたカッタ ーを用 本の 一行 が 次 の 目 的 地 へ 出 発 す いているそうで、切るというより るということだったのでお見送 は削るよ う に溶岩を加工してい りをして、我々は島内にある村山 陶 芸 へ 陶 芸 体 験 に 向 か い ま し た 。 る と い う こ と で し た 。焼 肉 用 の プ レートなどになった溶岩が置い 粘土を購入してお皿やコップ作 てあり、研磨仕上げが終わった溶 り に 挑 戦 し ま し た 。しかし、これ 岩は顔が映るくらいピカピカし がなかなか難易度が高く、四苦八 ていました 。 苦しながらなんとか形が仕上が その後、閉会式の場所である湯 りました 。子 供 達 の ほ う が 器 用 に 之平展 望 台 へ 向 か い ま し た 。火山 できあがっていたかもしれませ ん。作ったものは焼き上げてから、 を 研 究 し て い る 外 国 の 教 授 も 見 学に見えていたらしく、宮田葉 会 後日送り届けても ら いました 。 員夫 妻 と 記 念 撒 影 を さ れ て い ま 続いて移動した桜島溶岩加工 した 。風 が す ご く 強 か っ た で す が 桜島を間近で 仰げる観光名所と いうだけあって多くの人が訪れ ていました 。記 念 撮 影 と 閉 会 式 を 行い今年も無事神職子弟の集い 。 を終えることができま した 本年は父兄を始め参加の子供 達が多く、昨年が幾分子供達の参 加人数が少なかったことを振り 返ると、なんとも賑やかでした。 また来年ね ﹂と子供達が 最後に ﹁ 言 っていたのを聞いて良い集い で あ っ た と 思 い 安 心 し ま し た 。自 然の中で元気に育つ子供たちで あって欲しいと願いつつ、この集 いが夏を存分に体験する機会と して今後も続いていくようにと 思います。 第3 1号 ま し ト 、 、 ミ カ 青 ヰ 申 ( 1 7 ) 平成 2 3年 4月 1日 権 禰宜 8月 26~30 日 去る、八月 二十六日から八月 三 十日迄の五日間、平成 二十 二年度 北方四島交流訪問事業に参加さ せ て い た だ い た 。今 回 は 、 北 方 領 土返還要求運動鹿児島県民会議 の松下育郎氏を団長に、全国から 五十七名の参加であった 。 また、この北方四島交流訪問事 業は、平成四年からの開始でこれ まで 三 百八十 一回も開催され、約 一万 六 千 三 百 名 も の 人 が 参 加 し ている 。此 度 の 北 方 四 島 交 流 訪 問 事業では、国後島と色丹島の 二島 を訪問してきた 。 初日は、根室市にある北海道立 北方四島交流センタ ー (通称ニ ・ ホ ・ロ)に於いて結団式 ・事前研 修 会 が 開 催 さ れ た 。事 前 研 修 会 で は、﹁元島民が語る北方領土﹂と題 し色丹島出身の得能宏氏による 講話、﹁最近のロシア情勢と日ロ 関係﹂と題し桐蔭横浜大 学客員教 授である津守滋氏による講演や、 ロシア語講座、ビザなし交流の説 明 な ど が あ っ た 。特に、元島民で ある得能氏の講話は、当時の状況 を 鮮 明 に 語 ら れ 印 象 に 残 っ た 。そ の後、根室港にて代表が出発の挨 折田康孝 鹿児島鯨 護 国神 社 国後島・択捉島 J F JLUU 3 拶をした後、国後島へと出港した 。 会 館 で は 、 島 民 に よ る 歓 迎 式 や 、 図 式 が 行 わ れ 十 二時 半 根 室 港 に 約四時間で古釜布湾に到着し、こ 色 丹 島 発 展 の 説 明 が 行 わ れ た 。そ 到着し千鳥会館にて解散した 。 の日は湾内に投錨し船内に宿泊 の 後 穴 澗 中 学 校 に 於 い て 校 内 視 以上、五日間 北方四島交流訪問 した 。尚 、 現 地 は 時 差 が 二 時 間 察後、ロシア文化体験として石に 事 業 に 参 加 さ せ て い た だ い た 。今 あった 。 風 景 画 を 描 く 体 験 を し た 。午後か 回強く感じた事は、 北方領土は日 日目は、午前八時四十五分か らは 、文化会館に於いて住民交流 本固有の領土であるが、実際はロ ら一 入域手続きの後、はしけに移乗 会 が 開 催 さ れ た 。交 流 会 で は 、 ま 一 シアに実権を支配され、まるでロ し て 国 後 島 へ 上 陸 し た 。桟橋では、 ず 島 内 の 子 供 達 と 一緒 に 巨 大 な シア国内の様であった。不法占拠 今 回 の 訪 問 事 業 で 交 流 す る 現 在 折り鶴を作り 、その中から優秀作 か ら 六 十 五 年 も 経 過 し て い る の の 島 民 で あ る ロ シ ア 人 数 十 名 の 品 を 選 ぶ コ ン テ ス ト を 行 っ た 。そ に も 拘 ら ず 解 決 出 来 て い な い 状 歓 迎 を 受 け た 。訪 問 団 員 は 、 そ れ の後、自然環境保護をテ l マに掲 況に憤りを感じると共に、祖国防 ぞ れ 四1 玉 名 の グ ル ー プ に 分 か げ て 意 見 交 換 会 が 行 わ れ た 。 訪 問 衛 の為に尊い命を捧げられた先 れ 島 民 の 車 に 乗 っ た 。この訪問事 団 側 の 取 り 組 み と し て 鹿 児 島 の 人 に 対 し 申 し 訳 な く 感 じ る 。また、 業は、島民の協力のもと行われて 出 水 の 鶴 の 保 護 活 動 を 紹 介 し た 。 そ れ と 同 様 に こ の 問 題 の 難 し さ いる事を知った。 色丹島を始め北方四島は、設備も も改めて分かった。 国後島では、まず訪問団の代表 乏 し い 為 環 境 汚 染 も 進 ん で い る 今回、訪 問事業に参加させてい に よ る 行 政 府 訪 問 が あ り 、 代 表 者 傾 向 と い う こ と で 島 民 も 真 剣 な ただき、改めて私が国の為、先人 以 外 は 友 好 の 家 で 休 憩をとった。 表 情 で 参 加 し て い た 。次に、同じ の為に 何 が 出 来 る の か を 考 え た その後、郷土博物館、幼稚園、幼稚 く 色 丹 島 に 訪 問 し て き て い た ロ ところ、それは一人でも多くの 国 園建設現場、港湾施設建設現場、 シ ア 医 療 使 節 団 の コ ン サ ー ト が 民に北方領土を始め現在起こっ メンデレ l エブ空港等の視察や、 開催された 。そ の 後 帰 船 し こ の 日 ている領土問題を知っていただ 古 釜 布 墓 地墓参があった。島内の も船内に宿泊した 。 く事であると考える。 人口も増加傾向にあるとの事で 四日目は、前日と同じく午前九 一日も早い 北 方 凹 島 の 返 還 の あった 。夕 刻 、 友 好 の 家 に て 島 民 時 よ り は し け で 穴 澗 桟 格 に 移 動 、 為に、今後も諸活動に参加してい と 夕 食 交 流 会 が 開 催 さ れ 訪 問 団 、 上陸した 。こ の 日 は 、 ま ず 斜 古 丹 く所存である 。 島民双方の歌や踊りが披露され へ車で移動し、展望台を視察し目 、 大 変 盛 り 上 が っ た 。その後帰船し 本人墓地に墓参りをし、ロシア正 一 情 人 色 丹 島 穴 澗 湾 に 向 け 出港した 。約 教 会 を 視 察 し た 。その後ホ l ム ビ ¥取 £ 車 四 時 間 半 で 色 丹 島 穴 澗 湾 に 到 着 ジ ッ ト が 行 わ れ 島 民 宅 へ 約 三時 削掛町・大観室 乳泊 し、この日も湾内に投錨し船内に 間 滞 在 し 交 流 を 深 め た 。その後イ 宿泊した 。 ネ モ シ リ 湾 を 視 察 し 日 本 人 墓 地 / 榔蹴 択 三 日目は、午前九時よりはしけ に墓参りをし、夕刻島内のレス卜 で 穴 澗 桟 橋 に 移 動 、 上 陸 し た 。上 ランで夕食交流会が開催され、そ 陸 後 、 非 公 開 株 式 会 社 ﹁ ク ラ ボ ザ の後、帰船し国後島古釜布湾に向 ボツク﹂前で工場長から水産加工 け出港した 。 海 場の説明を受けた。その後、今回 最終日は 、午前七時半国後島古 も 島 民 の 協 力 を 得 て そ れ ぞ れ 乗 釜布湾に到着後、出域手続きを済 車 し 文 化 会 館 へ と 移 動 し た 。文化 ま せ 根 室 港 へ 出 港 し た 。船 内 で 解 平成 2 3年 4月 1日 ( 18 ) ちF ゃ し ま 」 当 カ 三邑 同 申 キ 第3 1号 塩 神明神社 由一小 人 先ず以て、口蹄疫問題により 開催が危ぶまれる中、尽力頂い た宮崎県神道青年会を始め、関 係者各位におかれましては、衷 心 よ り 御 礼 申 し 上 げ ま す。 当日、 参加者奉仕神社の御神威の然ら しむる所ではないかと思う程、 雲 一つ な い 晴 天 に 恵 ま れ た 。 初 t 主 ,阿典 戦の対戦相手は大分県で勝利を 得ることができたが、我々は対 戦 相 手 の 他 、 も う 一つ 戦 う 相 手 が い た 。 そ れ は 暑 さ で あ る。実 は今年の夏は熱中症死者が全国 で約五百人に上っていたのであ る。 ま さ に 困 難 と も い え る 酷 暑 の中 の 試 合 で あ っ た 。 次 の 対 戦 相 手 は 福 岡 県 で あ っ た 。な か な かの接戦ではあったが、普段の 練習時間と異なる炎天下の下、 経験の差なのか、回を追うごと に当県の体力の衰え著しく、し かしながら、全身全霊、全員野 球で試合は最終回にまでもつれ たが、奮戦の甲斐無く、苦杯を 喫 し て し ま っ た の で あ る。勝 利 を目前としながらの惜敗だった 為 、 当 県 会 員 の 一人 が ﹁ 悔 恨 此 処に極まれり﹂と言ったかどう かは定かではないが、敗戦を胸 その夜、宮崎市内よ に刻む為、 ・ り 宿 泊 地 青 島 迄 、 約 二十 キ ロ を 一晩 か け て 行 軍 を 断 行 し た 者 も い た ほ ど で あ る。 そ の 姿 や 島 津 の退き口を初桝とさせたのは私 だ け だ ろ う か 。 翌 日、研修 会 に 於いては早朝棋に始まり身も心 も整えて、青島神社儀式殿にて、 冷房無の汗の滴る中、諒歌の温習。 葬送儀 礼 に お け る 歌 と い う だ け あって、その歌詞、曲には言霊 信仰による言葉の力を感じさせ るものがあった 。 次に安賀多神社宮司岩切重信 先生による﹁墓の在り方につい て ﹂ と 題 し て 講 演 が あ り 、激 し い時代の変遷に対応すベく神社 の将来を考えた上での神道の墓 の在り方を模索され、それに至 った経緯を丁寧にご説明頃き、 非 常 に 感 銘 と 共 感 を 受 け 、有 意 義な研修になった。 拐、次回は熊本県での開催で ある 。 田 植 え が 終 わ り 、 栴 雨 が 上 が り 、 そ ろ そ ろ 一雨 ほ し い 頃 である 。 ならば、我々が誰よりも、 瑞雨という名の汗をかき、球場 に最後まで立ち続け、豊穣とい う名の優勝を勝ち取りたい。斯 くの如く思う次第である。 ま 字、、 第 31号 し 」 か 三邑 円 ネ 申 ( J9 ) 平成2 3年 4月 1日 霧島 神 宮 権 禰宜 試合は接戦となり最終回でも 玉対五の 同点であった為、延長戦 になった 。延長戦では、これまで の緊迫した試合が嘘であったか の よ う に 乱 打 戦 に な り 一回に両 チーム十点以上取る展開になっ 去 る 平 成 二 十 二年 十 月 六 日 郡 山 早 馬 球 技 場 に て 第 十 一回O B 親 善 野 球 大 会 が 開 催 さ れ た 。昨年 は 台 風 接 近 の 為 中 止 と なってい たので二年ぶりの開催となった。 毎回ベンチが私の定位置なのだ が今回は人数不足の為、ス タメン で出場することとなった 。二塁を 守ったが案の定 、チームに迷惑を かけることになってしまった。頭 の中ではどのように動けばいい のかわかっているつもりだが、実 際のプレ l で 思 う よ う に 動 け な かった 。今 ま で 練 習 に な か な か 参 加できていなかったので、時間を つくり練習しなければと思った 。 坂上 10 月6日 史 鹿児島市 智 た。結 果 は 大 量 失 点 を 返 し き れ ず O Bチ1 ム の勝利となった 。 夕刻からはホテルレクストン 鹿児島に場所を移して第十四回 O B交 流 会 が 開 か れ た 。交流会で は還暦を迎えられた寅年会の 方々から記念品として野球道具 をいただき、現役会員からはお祝 また いとしてネクタイを贈った 。 、 試 合 で 活 躍 し た 両 チ l ムの選手 に記念品が贈られた 。会は終始和 やかに進み、試合の健闘を称え、 諸先輩方と様々な話ができ有意 義 な 時 間 と な っ た 。来年も天候に 恵まれ無事に開催できることを 祈りたい 。 的若い世 代 が住んでいる所とい うことであり、共働きの家庭が 多く 、 不 在 宅 が 多 い よ う で あ り ま した。不在のお宅には 、お伺い に あ が っ た 旨 と 連絡先を-記 した チ ラ シ を 投 函 さ せ ていただきま 新 田 神 社 権 禰宜 した。 冨田宗賢 結 果 的に は 、 頒 布 が で き た 世 帯 は わ ず か で は あ り ま し たが、 去 る 平 成 二十 二 年 十 二 月 九 日 新しく 宮 大 麻 をお 而 り 頂 く 家 神 に団 地大 麻 頒 布 活 動 を 行 い ま し 庭 が で き た と いうことは 、 喜ば た。今回は﹁ 一千 万 家 庭 神 宮 大 麻 しい こと で あ る と 思 い ま す。し 奉 斎 運 動 ﹂ 第 三期モデル支部で かしながら 、我々神職は、 神宮大 ある県神社庁薩摩支部が活動の 麻を一世帯でも多くのご家庭に 一環 と し て 行 う 頒 布 活 動 に 賛 同 お 杷 り 頂 く よ う に 働 き か け て い する形で行い 、 県 神 社 庁 薩 摩 支 く こ と が 責 務 で あ る の で 、 今 後 部 と 県 神 社 庁 大 麻 頒 布 推 進 部 会 もより 一層 の 頒 布 活 動 に 尽 力 し と 合 同 で 行 う こ と と な り ま した。 て い か な け れ ば な ら な い と 存 じ 毎 年 行 っ て い る 星 ケ 峯 団 地 で ます。 の頒布活動は毎年大麻を受けて 頂いている家庭に会員二名で伺 う こととなりま した 。 薩摩支部での頒布活動は、支 部 管 内 に あ る 五 代 団 地 (薩摩 川 内 市 玉 代 町) に 於 い て 行 い ま し た。頒 布 活 動 を 行 う に あ た っ て は、あらかじめ薩摩支部よりお 伺いする日時等を載せたチラシ を ポ ス テ イ ン グ し ているとのこ と で あ り ま し た。今回行う団 地 は十 四 棟 あ り 、 二 人 一 組 に 分 か れ、それぞれ 神宮大麻、暦、奉斎 箱等を持ち一 世 帯 ず つ 訪 ね る こ と と な り ま し た。お伺いした中 には快く神宮大麻を受けてくだ さ る 家 庭 も あ りま し た が 、 比 較 自由 〒 56 1 -08 1 7 笠 中市 浜 1 丁目 28~ト 12 号 串閥 ωEZH ・四月 夏期セミナー 第一回役員会 平成二十二年度会計監査 神 育 協 第 六 十 三固定例総会 九地協 第 一 回 役 員 会 熊 本 市 第六十三回九地協総会 第二回役員会 平成二十三年度定例総会 平成二十三年度顧問参与会 懇親会 斎 聞 御 悶植え 九 地 協 第 二回 役 員 会 第三 閲役員会 第十回神職子弟の集い 九州各県神道青年親善野球大会 九地協研修会 神育 協 平 成 二十 三 年 度 ︻平成二十三年︼ -五月 AV 六月 -八月 A 守十月 -九月 -十二月 TEL(06) 6334-5577附 FAX ( 06) 6334-5574 苑 東京都渋谷区恵比須 卜2 6 ー1 4S SRビノレ 41 暗 (東日本営業所) 電話番号 03 -32 0 8 6 72 0 1 7AX0 3 -3 20 8 -6 721 干1 5 0-0 0 1 3 1p' , ' i J : 話 050-3539-3432 Ema l is h i nc l 宇l ' 井健雄 石 〒 5 16~ 8 611 九地協第三回役員会 第 四 回役員会 斎田抜穂作業 第 十 五 回OB交 流 会 第 十 二 回 OB親 善 野 球 大 会 神社関係者大会準備作業 斎回米袋詰め作業 第五回役員会 神社関係者大会助勢 第六回役員会 団地大麻頒布活動 願問参与会 忘年会 九 地協 第 四 回 役 員 会 。神Z各社 (全固 有名寺社併用 達) 株式 会社 「 守 護矢・絵馬」奉製 授与 品 奉製 株式会社石井工業 三l l i県伊勢市岩淵 2丁目 5帯 29号 (私:咋函第 26号) 11];話帯号 0 5 9 6~ 24 -5858 17AX0 59 624 -51 1 0 1P1 1 . i : 話 050-3536-5273 URLh t t p :/ / www.kamリI s y a . C O . J P E-mal ii nf o@k a mψs y ‘ I . C OJ .P 社 本 ︻平成二十四年︺ 月 a v一月 a v二月 第七回役員会 第八回役員会 北方領土返還要求運動 神育協中央研修会 • 1日 ( 2 0 ) 平成 2 3年 4月 ち戸、 、 し ま 」 か 青 神 3 1号 第 ま 事務局長 事務局次長 折田康孝 宗賢 事務局員 富田 監事 宮地 健 二 是枝政敬 光増秀昭 茶木俊介 副会長 平成二十三年度 神道青年会組織図 顧問 宮田 会長 Ý~士 歴代 会 長 砥綿茂全 立元光太郎 常任 委員 鹿児島地区 (鹿児島支部) 川 上 佳 代 ・鶴岡 泊 回 良 嗣 ・甑満 (指宿 ・川辺 二支部 ) 南薩地区 井 上 祐 信 ・鈴 木 利 裕 (薩摩 ・ 出水 ・日置 三支部) 北薩地区 ・黄 島 士 口 紀 井上篤 坂口智明 姶良地区 伸広 (姶良 ・伊佐 二支部) 税 所 秀 一 ・宮 内 山之内毅 大隅地区 ・中 村 靴 作 俊 (曽於・肝属 二支部) 柏木勝弘 道成 (熊毛 ・大島 二支部) 熊毛 ・大 島 地 区 脇田裕司 支部委 員 鹿児島 山下法文 坂上虞弥 勝目稔 吉見純治 上牧瀬将寛 宮内彩子 坂元伸充 坂上智 秋丸友加 岩松近俊 福田憲司 鎌田徳仁 松田裕輔 ※会員 ・助 成 会 の 集 金、会員への連絡 業務 干1 1 5 0 0 5 2東京都北区赤羽北3 3 -1 4 笹 川 孝 聖 ・沖 神社庁派遣委員 ( 先輩神職との交流会 ・野球大会) 。O B交流委員会 (神職子弟の集い) O青少年育成委員会 (各委員会調整・会計事務・会員組織強化) 。総務委員会 (棋研修会等) O渉外委員会 ( 時 局対策・ 北 方 領土 及、 ひ 建 国 記念 日啓発運動) O遷宮啓発委員 03( 3 905 )2422 FAX 。研修実行委員会 。斎田担当委員会 ( 斎 田お田植・稲刈り・袋詰め発送) 。大麻頒布委員会 (団地大麻頒布・大麻頒布啓発活動) 株式会私三二 室 私 宗明 人久 。積立金管理委員会 T E L0 3( 3 9 0 6 )0988 コミ (会報神青かごしま発刊) 誠心誠意 L> 、 燕 。広報委員会 授与品奉製 姶日出薩川指 良置水摩辺宿 大熊月干曽 島毛属於 1 1 ' 1 0 、 平成二十三年度 鹿児島県神道青年会委員会 第3 1号 、 戸 、、 し 」 か 青 千~" ( 2 1 ) 平成 2 3年 4月 1日 ス 3, 000円 当神道青年会事業頒布委員会に おきましては 、御承知の通り﹁祖 霊含﹂﹁霊 璽﹂﹁御神鏡﹂﹁祭器具セ ッ 面m フ 一 ガ 正同 、 mm rkI 、4Jpun-υ 槍2 7 8 //// 質さこ行 材高よ奥 委譲領有晶肱すぺてヤマト健@着ffiJ(k~にて発送致し震す@ ト﹂﹁簡易神棚﹂等を事業頒布晶 と致しまして例年活動を継続して おります。神青会々員のみならず 、 神職、総代の方々に大変好評を 戴 きまして昨年同様の取扱いをさせ て戴きました。 本年は 、新しい事業頒布品と致 しまして 、﹁普及版御門帳]を作成 、 御案内致します 。 しましたの で 次年度は 、神道青年会執行部や委 員会にて協議 の上 、新たな頒布品 を計画立案しまして更なる活動を 続けてい く予定でおりますので神 職各位の皆様方の御協力並びに御 助成の程を 、宜し くお願い致しま す。叉、 現頒布品 の申込がありま したら注文書を郵送致しますので お申し出下さいますよう重ねてお 願い申し上げます。 1組頒価 f j pヰ 申 主 克 簡易神棚 1体頒価 2, 000円 1社 頒 価 連絡先 ︿神道青年会事業頒布委員会﹀ 80九九五│五七1000一 霧島樽宮内) ( 5, 000円 3, 000円 1社 頒 価 18, 000円 1社 頒 価 30, 000円 1社 頒 価 •••• - 材質/槍 (背面合板) ・ 高さ/4 2c m ・ よこ /30c m ・ 奥行/20c m - 材質/櫓(背面合板) ・ 高さ /4 9 .5c m ・ よ こ/4 5c m ・ 奥行/2 0c m ( 1私 1 0柱 息苦寄 〉 霊星 ) 祖霊ネ土 (霊盈 1日 ) 祖霊社・特太 ( 金星 3ヰ 土用 平 成2 3 年 4月 1日 ( 2 2 ) 子、 、 し ま 」 か ネ 申 青 第 31号 事謹恒布畠の 2案内 、 、 戸 か ま ネf t 青 ( 2 3 ) 平成 2 3年 4月 l日 し 第 31号 ※ る 本 ま ひ 時 給u そ σ 〉 が事 主 事 でで ~î . ; ¥ ι き、の s ま価一 福 すニ周し 本 ん ますのでほつれませ わさ aur※脇縫いを施しておワ し 格~ *各 たをを ーー圃!I!IIIIII園周E a冒~ 押,;会 ・ さ‘貝 えが f 下 ' そ 1業 ?尚 7 生会の 主l:~者 l 面 ; ロ j也[- 状 製 4に f ' l:ス : でよ J F Eを 、 る てイ主 4 斤おは 用 厚 iり な ( こ 光 i. に 令 あく 仕 tわ σ f i 長 重 : 品""~ え 企せ キ : て 筒 :門 t 4 寺 そ fr ~ 4 れま昔 tの を え t刷 iや 又 tー 受企r ..で,型 一 献1 1&-; 見書 . r ら 上 よ必 ; 筋;を 羊 し差 韮ι も ま史に 4 , 革 :と し き“表 な に ? t Y fd 4 ・ t 1 e 1 た 孔Jど 、 、 . i a 高 7生会 . f 車t 詳:池 u 知;. t 草 色 • し 、 @一 e 生地小暮綾織凪白地 ‘~<"!I'J,.'t ' : ' 1 ¥ " 野錨 む ら~l!'乞 小 暮綾織凪菅地 き , ・ ・4 レ 1 . . t > F . , A ?I!"t.J.t.A. 私設 菊花鉱 ・卓三ァ巴鉱 通常 8.00 0円を 特別価格 6 . 40 0円 生地県地〈鈍台} " ' H'" ・ . ・ ふ も ヱ ・ . , #註 野筋 t ; : " 小 暮妓破瓜菅地 ι. ⑧ ~t : .ど ' A?rも&ι. 萌花鉱 ・左 三 7巴段 通常 6 . 0 0 0円を 特別価 格4. 80 0円 ー - ~‘ 生地 《ら~ ~主主 (,A.ょ会ふう 島民 通常 5.000円を 特別価格4 . 0 0 0円 ※ ⑧ 焦地にお本妓様風 .~ß~ 野筋常、制 司 ⑧ 事喰 やや パンフレットをご希望的上は、事務局克お知らせ下さい.お送り致します 事 ゅ 例えばこのようなところに 両4 iゃ4 f 議入り口に・ 4 手,,1:窓口に・ ・ つ の 特 徴i k し企に lJl:う作三 格 鎌h も は 的りを でのイ史 j E iE 製 寺 し 鎌 h人 i 正t でり絹?の A E ' 通 右 ぃ 腰t ま 氏 島 やまのうち かわ 斗4 A ひろ VT 権禰宜 よし 義 みなこ 菅原神社権禰宜 薩 摩川内市 東郷町藤川二一六七 昭和五十八年七月九日 川見那子 蒲生八幡神社権禰宜 姶良市浦生町 上 久 徳 二 二五九l 一 昭 和 六 十 二年 一 月 十 七 日 山之内 5 奉務神社 鎮座地 生年月日 奉務神社 鎮座地 生年月日 奉務神社 鎮座地 生年月日 奉務神社 鎮座地 生年月日 奉務神社 鎮座地 生年月日 氏 奉務神社 鎮座地 生年月日 祝t 子 谷山神社機繭宜 鹿児島市下福元町 三七 八六l 三 平 成 元 年 十 月 十日 脇Z 氏 奉務神社 鎮座地 生年月日 照 囲 神 社 機禰宜 鹿児島市 照国町 一九l 三 五 昭和四十年四月四日 ﹁神青かごしま﹂第 三十 一号 を お 届 け 致 し ま す。 御寄稿戴きました先輩方を始め、会員の方々 奉務神社 鎮座地 生年月日 I~え し 大E この度、 谷山神 社権繭宜を拝命 し て皆様の仲間入り をさせていただく 大脇祝子と申します。 私は、まだ学生の身分ですが、 家族皆、 神 職 で あ り 、 ま た 皆 様 のお力をお借りして、日々、神 職として精進したいと思います、 よろしくお願いします。 名 広報委員長 是 御 見 舞 い 申 し 上 げ ま す。 一日も早い復興をお祈り致します。 子 この度の東北地方太平洋沖大地震でお亡くな りになられた方々に対しまして心からご冥福を お祈り申し上げ、被災されました皆様に対しまして衷心より に 厚 く 御 礼 申 し 上 げ ま す。 i 允 と 主典 ては何卒、御指導御鞭撞を賜 輩諸賢の皆様方におかれまし 為に全力を尽す所存です。先 ございますが、斯界の発展の す。 まだまだ、浅学非才で は 当 会 の 向 う 所 は 明 か で あ りま を極める現在の世情にあっ て っか修めています。国家混迷 主管は龍笛で右方の走舞を幾 しみ、帰郷しました。雅楽の 社にて、二年間神明奉仕に勤 後、東京都江東区の亀戸天神 て四年間お世話になり、その に、明治神宮にて研修生と し 成十年より園皐院大皐在学中 人と申します。平 しました塩満宗 社主典を拝命致 此 の度、神明神 E ? 名 りますよう宜しくお願い致し 赤土 人2 十 三 r 三ョ む 力主 ね 一- 満三 年 │ 塩主 胆鹿神 型宇児明 主宿島神 由三市社 氏 ます。 ~ ユ 四市八 う 彦ど 敬 隔 年 崎2 十上幡 ; 悶4 年知神 七識社 : 壬よ 月│町 けー フ 二 四i 権 十六繭 一 宜 日 政 k 名 名 こ 九 五 権 1且 月八繭 七 l 宜 介 日三 弘2 山2 昭出箱 和 水 11府 枝 : ヨ 早そ 11Mえ 氏 昭鹿鶴 和吉児嶺 四野島神 ι 十町市社 J 享づ 七九 年六 dコ た IL ! , 'だ 九九 月八 十 l 八二 日 昭鹿鹿 椎 和草児児 四牟島島 一 叫 十田市神 l 京E 五二社 名 名 名 名 字 、 、 氏 氏 氏 平成 2 3年 4月 1日 ( 2 4 ) し 」 か 青 神 第3 1号 日 ︻訂 正 } ﹃神青かごしま﹄ ページ 神 道青年会組織図 常任委員 孝聖 熊 毛 ・大 島 地 区 ⑧笹 川 支部委員 ⑧坂上 ⑤笹河 智史 孝聖 第 三 十一号、 ③坂上 ︿記 載 漏 れ ﹀ (記 載 漏 れ ﹀ 十 申上げます。 以 上 ﹂こ に 訂 正 さ せ て 戴 き ま す と 共 に お 詫 び 事業委員会 神道青年会委員会 ⑫斜木 智 r 且1 . ! o ' . 姶 良 伊 佐