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日本で学校体罰が発生する要因の研究 ~英米との比較・日本の教員
A-2 日本で学校体罰が発生する要因の研究 ~英米との比較・日本の教員文化的見地から考える~ 教育実践高度化専攻 学校運営リーダーコース 金山朋宏 1 はじめに 日本で学校体罰が法禁されたのは、1879(明 条の文言がほぼそのまま引き継がれたもので あり、法制上の大きな変更はこれまで行われ 治 12)年のことであり、これは世界的にもかな てこなかった。 り早い時期に属する。しかし、体罰を事由と 2 英国・米国における学校体罰 する教育職員の懲戒処分は毎年行われており、 これに対して、イギリスは 1987 年に禁止さ 後を絶たないのが現状である。2012 年 12 月 れるまで学校体罰を容認しており、古くから には、大阪市立桜宮高校の男子生徒が部活動 体罰行使の歴史を有していた国である。 顧問による体罰を苦にして自殺するという事 性悪説の立場から、 「鞭で子どもを叩くこと 件が発生したが、子どもに対する人権意識が は体内から悪魔を追い出すこと」とみなすキ 高まらないままに日本の教員文化が形成され リスト教的な考え方や、教師の「親代わり論 てきた結果、違法である学校体罰が実態とし (In loco parentis)」が背景となり、体罰を教育 て存続しているのである。 的規律訓練の過程ととらえて、人格の完成の 本稿では外国、その中でも特にイギリスと ためには体罰が必要だと考えられてきた。 アメリカを取り上げて学校体罰の歴史や考え イギリスでは、体罰行使を制御することで 方について触れ、比較することで日本的体罰 「穏やかで理性的な体罰」を実現すべく、公 観の特徴を明らかにしたい。また、日本で学 立学校の体罰諸規則を精緻化するよう進行し 校体罰が発生する要因を我が国の教員文化の た。体罰の道具、体罰が許される部位、執行 特徴から描出することを目的とする。 者の範囲、性別、理由、それらを網羅した記 江森(1989)は、日本の江戸時代の寺子屋や 藩校において体罰はそれほど盛んではなく、 むしろ消極的な扱いであったことを指摘して 録簿、などが細かく定められていき、 「儀式化」 された形式で学校体罰が行われていた。 1960 年代以降、次第にその数は減少してい いる。すなわち、体罰に関する問題が発生す き、1986 年の「体罰の廃棄(Abolition of るのは近代学校教育制度が導入された明治時 corporal punishment)」を明記した教育(第二) 代以降のことであり、その後「愛の鞭論」と 法(Education[No.2] Act 1986)、また、1996 呼ばれる考え方が学校体罰禁止規定を無化し 年教育法第 548 条「体罰を行使する権利はな ていくこととなる。 い(No right to give corporal punishment)」でほ 現在の体罰禁止規定が含まれる学校教育法 第 11 条は、1900(明治 33)年の小学校令第 47 ぼ全面化され今日に至っている。 他方、アメリカでは教育は州の専権事項で A-2 あるため、体罰を禁止する州と許容する州が 混在する。現在、50 州中 39 州が学校体罰を 4 日本の教員文化 佐藤(1988)は、日米の中学校教員を対象に 禁止しているが、1867 年にニュージャージー 行った調査をもとに、教員の指導観の日本的 州が最も早く廃止した。次のマサチューセッ な特質として「無限定性」を挙げている。 ツ州が 1971 年に禁止するまでに 100 年以上も 日本の教員は律儀であり、指導の限界を感 の歳月を経ることになるが、その後はチャイ じながらも日々奮闘している。その一方で管 ルド・アビューズ(児童虐待)という観点か 理主義志向が強くなりがちだという。また、 ら、徐々に学校体罰を行使するに当たっては 日本の教員は、指導にあたって相互に指導技 細心の注意を払われるようになり、体罰の安 術を高めあうといった関係にまで、なかなか 易な行使に対して視線が強化された。 立ち入っていかず、 「相互不干渉主義」が強く 現在も体罰を許容している州の多くは南部 働くことを指摘している。 に位置するが、体罰を許容する州にしても、 このことから、日本の学校体罰の要因とし 体罰は合法的な範囲内での、また教育的行為 て以下の点が考えられる。1.子どもが期待 としての懲戒であり、さらに体罰のみが唯一 される行動をとれなかった際、より管理主義 の規律維持手段ではなく、 「他のオルタナティ 的傾向が強まって手を上げやすくなる。2. ブとの併用のなかでの」体罰という位置づけ 部活動において、親は「子どもを傷つけてま である。全州的に見て、学校体罰を禁止する で、競技能力を上げてほしい」と思ってはい にしても許可するにしても、州あるいは学 ないはずだが、 「勝利至上主義」に陥り、体罰 区・学校が施策を明瞭に提示し、行使してい が生まれやすい。3.学校組織内における「同 る点が特徴的である。 調圧力」が存在することで、 「相互不干渉主義」 3 日本の学校体罰 となる。体罰が行われていても、同僚への助 平田・岡田(1998)は、日本で過去に起こっ た学校体罰の事例を研究したが、発生の要因 をおよそ次のように分類している。1.教育 言が遅れて深刻な事件へ発展しやすい。 ※ 本稿は、外国人とも意見交換ができるように英文で執筆したもの を再編集し、日本語でまとめた。 条理上反教育的な体罰を行ってしまう教員自 【主要参考文献】 身の属性に問題があるケース、2. 「その生徒 1) 江森一郎(1989)『体罰の社会史』新曜社 を立ち直らせるにはいた仕方なかった」等の 2) 寺崎弘昭(2001)『イギリス学校体罰史―「イーストボーンの悲 「生徒本意主義」に立って体罰を行うケース、 3.当該教員をとりまく同僚や地域社会、あ るいは教育行政サイドの体罰や生徒指導に対 する意識が体罰行使に影響を及ぼしているケ ース、といった具合である。 体罰事件の多くの場合、体罰を行った教員 の属性とも関連して「体罰を容認する雰囲気」 が作り出されて発生すると指摘しているが、 これが、日本の教員文化の特徴の一つとも言 えるであろう。 劇」とロック的構図』東京大学出版会 3) 片山紀子(2008)『アメリカ合衆国における学校体罰の研究-懲戒 制度と規律に関する歴史的・実証的検証-』風間書房 4) 平田淳・岡田賢宏(1998)『体罰が発生する「構造」とその個別 性―判例研究の方法論に関する一つの新たな試み―』東京大学大 学院教育学研究科教育行政学研究室紀要 17 pp.29-49 5) 佐藤郡衛(1988)『教員文化の社会学的研究』第 2 章、pp.85-144 多賀出版 指導 辻野けんま