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署名簿の電算処理と請願権
署名簿の電算処理と請願権 市 川 正 人 はじめに このところ、署名簿を提出された相手方による署名簿の処理、個々の署名者への働きかけが、 署名活動に萎縮的効果を与えるなどとして問題とされる事例が散見される。1994年には、原子 力発電所の細管の検査をやり直すこと等を求める約4万人分の署名簿の提出を受けた関西電力 が、一部の署名者の電話番号を調べ署名の趣旨等を問い合わせており、1996年には、保育園の 人員削減計画に反対する約1万2千人分の署名簿を提出された羽曳野市が、市内の全署名世帯 に署名運動を厳しく批判する文書を郵送している。それぞれの事件につき大阪弁護士会に対し 人権救済の申し立てがなされており、私は、一定の要求・抗議等について署名を集め提出する ということは、現代社会における重要な表現手段あるいは政治参加の手段であるとの認識から、 大阪弁護士会人権委員会に意見書を提出した1)。さらに、1996年に、長崎市長に対し原爆中心碑 撤去計画に反対する趣旨の約10万9千人分の署名簿を提出したところ、長崎市が市内在住者の 署名を電算処理すると共に、市長が署名者数人に「なぜ署名をしたのか」と電話をかけている2)。 そして、長崎市民数名が、長崎市長を相手取り、署名簿の電算処理が違憲・違法であるとして3)、 署名簿の電算処理をした市職員に対して支払われた時間外勤務手当約286万円を長崎市に支払う よう求める住民訴訟を提起している(以下、この訴訟を長崎署名訴訟と呼ぶ)。本稿では、この 長崎市の事例を取り上げて、署名簿を提出された地方公共団体による署名簿の内部処理の限界 について検討を加えることにしたい4)。 ところで、この事例では、原告側は、こうした署名の電算処理が署名者のプライバシーの権 利(憲法13条)、思想・良心の自由(憲法19条)、表現の自由(憲法21条1項)を侵害したと主 張しており、被告側もこうした原告側の違憲主張を前提に合憲であると反論している。しかし、 市長等の地方公共団体の機関への署名簿の提出は、「国や地方公共団体の機関に対し、それぞれ の職務にかかわる事項について、苦情や希望を申し立てることのできる権利」5)である請願権 (憲法16条)の行使であり、地方公共団体の機関に提出するための署名簿に署名する行為は、そ うした請願行為への参加を意味する。それゆえ、本件電算処理が、市民が将来、市長宛の署名 簿に署名することを抑止する効果をもつとすれば、それは、本件署名簿に署名した市民の請願 −197− 政策科学7−3,Mar.2000 権の侵害の問題と捉えられる6)。また、地方公共団体の機関へ提出するための署名を集める署名 活動は、表現の自由の保障を受ける表現活動である。そして、表現の自由には、将来の表現活 動を妨げられないという保障が含まれていると解される7)。それゆえ、署名簿を提出された地方 公共団体における署名の電算処理が、当該地方公共団体の住民による将来の署名に萎縮効果を 与えるとすれば、それは、署名活動者(署名を集める署名活動を行う者)の表現の自由を侵害 しているのではないかという問題も生じる。署名活動を行った者は、もともと市との多少のあ つれきを覚悟している以上、市による署名の電算処理によって将来、市長宛の署名簿に署名す ることを躊躇するようにはならないとしても、多くの市民が署名を躊躇するようになるのであ れば、署名活動を行う権利を侵害されているのである。 なお、長崎署名訴訟で、原告側は、本件電算処理が署名者のプライバシーの権利を侵害した と主張している。今日では、情報化社会の進展を背景に、プライバシーの権利を「自己に関す る情報の流れをコントロールする権利」と捉え、そのようなプライバシーの権利が憲法13条に よって保障されているという理解(情報プライバシー権説)が有力である8)。この情報プライバ シー権説によれば、プライバシーの権利は、自己に関する情報を他人が取得・収集、保有、利 用、提供することに対してコントロールを及ぼす権利と捉えられる。そして、個人情報の目的 外利用は原則として禁止される。ところで、署名簿には署名者の氏名・住所が記載されている のであるから、署名簿の提出は署名者の氏名・住所という個人情報を提供するものである。そ こで、原告側は、署名簿提出による当該個人情報(氏名・住所)の市長への提供は、「相当数の 者が署名簿の内容に反対していることを示す」という目的による個人情報の提供なのであり、 長崎市による署名者の氏名・住所の電算処理は、個人情報−しかも、政治的・宗教的信条に かかわる個人情報−の目的外利用であって許されないと主張している。ただ、署名簿提出に よる氏名・住所という個人情報の地方公共団体への提供は、地方公共団体の求めに応じての個 人情報の提供ではなく、署名者たちの方から自分たちの意思を伝えるために自主的に(すなわ ち請願行為として)なされたのであるから、通常の個人情報の取得・収集、利用等が問題とな る場合とは異なった状況にある。それゆえ、個人情報を請願のために提供する場合にも自己情 報コントロール権としてのプライバシーの権利が働くと考えることには、異論もあろう。しか し、請願権についての私の後述するような理解からは、署名者は署名簿提出によって氏名・住 所に関してのコントロール権を放棄したとみるべきではない。しかしまた、署名の電算処理が 署名簿に記載されている氏名・住所という個人情報の「目的外利用」にあたるか否かは、署名 簿に記載されている個人情報の「本来の利用」とは何か、すなわち、署名の電算処理が署名者 が当然に意識しておくべき(あるいは、署名者が署名簿提出によって受忍したと解されるべき) 個人情報の利用か否かにかかっている。それゆえ、プライバシーの権利が侵害されているか否 かの問題は、請願権が侵害されているか否かと同じ論点に関わるものである。そこで、長崎署 名訴訟で問題となっている電算処理の合憲性については、さしあたり、それが請願権を侵害す るものであるかという問題として取り扱えば十分であろう。 −198− 署名簿の電算処理と請願権(市川) !.地方公共団体への署名の提出と請願権 請願権について、「請願の自由を妨げられず、これを提出したことを理由に差別待遇を受ける ものではないという意味で、自由権としての性格が強い」9)と理解する自由権説もあったが、従 来の通説は、請願権を、請願の受理という国務を要求しうる権利という国務請求権ないし受益 権であると捉えていた10)。そこでは、請願を受けた機関が請願内容を実現する義務を負わないこ とが強調され、受理義務だけを負うにすぎないとされた。請願法は、官公署が請願を受理し誠 実に処理しなければならないと定めており(5条)、国家機関の側に請願を受理する義務と共に、 請願を誠実に処理する義務を課しているのに、その点は全く位置づけられていなかった(請願 法5条は、政治的義務を課す訓示規定であると解されてきた)。しかし、こうした請願を受理し てもらうだけの権利と捉える請願権理解は、臣民が国王に対して「恐れながら」と請い願い出 る権利として登場した請願権の沿革には適合しているが、国民主権原理に立つ日本国憲法にお ける請願権の理解としてはあまりにも消極的なものである。そこで、当然ながら、請願権をよ り積極的に捉えようとする動きが強まってきている。最近では、請願権を能動的権利あるいは 政治的基本権、政治参加の権利に分類し、参政権に近い位置づけを与える学説がむしろ多数に なってきており11)、一部には、請願権を参政権そのものと捉える見解も有力に提唱されている12)。 このように、最近の学説においては、請願権が、参政権か参政権的権利かはともかく、国民 の政治参加のための重要な権利として位置づけられており、請願を受けた機関は請願を抑圧し ない義務、請願の受理義務を負うだけでなく、誠実処理義務をも負うと構成されている13)。こう した学説動向を踏まえて請願権の権利内容を確認すれば次のようになる。まず第一に、請願権 は、請願をすることを妨げられず、請願をしたことによって処罰されたり不利益を課されたり、 その他差別を受けない権利である(自由権的側面)。第二に、国家機関(地方公共団体の機関を 含む。以下同じ)は請願を受理する義務を負う。さらに、第三に、請願を受理した国家機関は、 請願内容を実現しなければならないわけではないが、請願を誠実に処理する義務を負う。請願 権は単に国家機関に対して、希望の陳述を受理してもらうだけでなく、その誠実処理を求める 権利と解される。請願を受理した機関が請願を誠実に処理するとは、まず、請願の内容を審査 することを意味する(内容審査義務)。当該機関は、必ず請願内容に応じた措置をとらなければ ならないわけではないが、請願を受理すれば、請願内容を誠実に検討しなければならない。だ が、国家機関が請願権の保障をより実効的なものにしようとして請願内容を「誠実に」処理し ようとすることが、結果的に、将来の請願行為をしにくくするとすれば、それは背理である。 国家機関の側の請願の処理は、将来の請願行為を萎縮させるようなものであってはならないは ずである。 ここで、今日における請願行為の現実の姿・機能を理解することが重要である。請願は、請 願者の氏名・住所を記載し、文書で行わねばならないが(請願法二条)、要望内容に賛同した市 民が氏名・住所を記載した署名簿を提出する形でなされることが多い。こうした署名簿提出に よる請願は、国家機関・地方公共団体の機関に対して、これだけ多数の市民が要望していると −199− 政策科学7−3,Mar.2000 いうことを示すことによって、要望内容の実現を迫ろうとするものである。すなわち、ひとり ひとりでは国や地方公共団体との関係で力(あるいは発言力)の弱い市民が集団的に一定の要 求をぶつけていく手段であるところに、今日の集団的な請願行為の意味がある。それだけに、 集団的な請願行為は、請願を受けた国や地方公共団体の機関の行為による萎縮的効果を受けや すい性質を有している。 まず、署名簿に署名した者は、署名簿に書かれている要望に基本的に賛同して、集団的請願 行為に加わるということを明らかにする趣旨で氏名・住所を記載しているにすぎない。それゆ え、署名者は、署名簿を提出された機関からの働きかけは代表者に対してなされるものと想定 しており、後に署名簿を提出された機関から、個別に、署名にどのようなつもりで賛同したの かを尋ねられ、あるいは、署名による要望について反論されることがあるとは意識していない。 にもかかわらず、署名簿を受理した機関による署名者個人への働きかけがなされれば、たいて いの署名者は迷惑に思うであろうし、中には国家機関・地方公共団体の機関の有する権力・権 限を意識して畏怖してしまい、「二度と当該機関への署名簿には署名すまい」と思う署名者もい るであろう14)。また、署名者が個別に働きかけられたという事実が知られると、他の署名者や当 該署名簿に署名をしなかった人々の中からも、以後、署名を求められた時、趣旨に賛同してい ても署名するのに躊躇してしまう人が相当出るであろう。国や地方公共団体の機関と個人で渡 り合う覚悟がなければ請願署名への署名はできないというのであれば、署名簿提出による集団 的請願という請願方法の意義は大きく損なわれることになる。 さらに、署名者は、国や地方公共団体の機関に「われわれは△△を要求している(△△に反 対である)」ということを知ってほしいと願っているにすぎず、必ずしも「○○に住む私−−が △△を要求している(「△△に反対である)」ということを知ってほしいわけではない。それゆ え、国家機関が、「1,000名の市民がこの要望をしている」と署名者を全体として捉えているので はなく、 「誰がこの要望に賛成したのか」を個別的に把握していると人々によって意識されれば、 将来の署名に一定の萎縮効果が生ずることは確かである。多くの人は、署名の結果、個々人で 国や地方公共団体と向き合い責任を追わねばならない事態を危惧して、署名をためらうであろ う。 このように集団的な請願権行使は現代における重要な政治参加の手段であるが、一方で請願 を受けた機関の行為による萎縮的効果を受けやすいという性質を有している。確かに、請願は、 「主体性を有する個人の資格とその考えに基づいて行う政治活動」15)であるが、だからといって、 請願者は、一定の要求を持つ請願者として国家・地方公共団体から個別的に把握されなければ ならないとか、さらには、国家・地方公共団体に対し自己の請願行為に関し個別的に責任を負 わなければならないとするのであれば、それは、現代では請願が集団的行為としてなされると ころにこそ意義がある点(現代の請願行為の集団行為的性格)を無視した観念的な議論である。 かくして、請願署名を提出された国や地方公共団体の機関は−請願権の自由権的側面に対 応して、あるいは、請願の誠実処理義務の一内容として−将来の請願行為に不必要な萎縮効 果を与えない義務を負うと解すべきである。それゆえ、第一に、署名を提出された国・地方公 −200− 署名簿の電算処理と請願権(市川) 共団体は、原則として署名者個々人に対して働きかけをすべきではない16)。署名者は、請願権保 障の一内容として、原則として、請願を受けた機関から個別的に働きかけを受けないことを期 待できるのである。長崎の事件では、長崎市長が、本件署名簿に署名をした知人数名に対して 「なぜ署名をしたのか」と電話をかけている。そして、原告側の主張によれば、このために、長 崎市民には、長崎市または長崎市長に提出する署名簿について署名を差し控えるという事態が 現実に生じているというが、こうした長崎市長による署名者個人への働きかけは、原則として 憲法上許されないものである17)。第二に、請願を受けた機関は、署名の内部処理においても将来 の請願行為に不必要な萎縮的効果を与えないようにする義務を負うと解される。たとえば、地 方公共団体は、住民の生活に関わる多くの政策・行政を遂行しているので、地方公共団体が署 名した住民のリストを作成すれば、当該地方公共団体が(法令上はそのようなことは許されな くても、実際には)そうした政策遂行、行政にあたって署名を理由に不当な差別をするのでは ないかといった危惧感を住民に与えるであろう。それゆえ、地方公共団体が署名者個々人への 働きかけ(たとえば、一定の政策に反対する署名をした人たちへの説得)などのために、署名 者の個人別あるいは世帯別のリストを作成するようなことは原則として許されないと解される。 さらに、署名した住民についての地区別リストも、どの地区が地方公共団体の政策に反対して いる住民が多いかを示すものであるから、そのようなリストの作成はある地区(の住民)に対 して差別がなされるのではないかという不安感を与えるであろう。それゆえ、そうした署名し た住民についての地区別リストの作成も原則として許されないであろう。 では次に、以上の一般論を下に長崎市の署名簿電算処理の合憲性を検討したい。 @.長崎市による署名簿電算処理の合憲性 一で見たように、憲法16条の請願権の保障は、原爆中心碑撤去計画反対署名を提出された長 崎市長が、以後の請願署名簿への署名に無用な萎縮的効果を与える(自ら萎縮的効果を与える ような行為を行い、あるいは、市職員に行わしめる)ことを控えるよう要求している。ところ で、長崎市の事例では、長崎市は、原爆中心碑撤去計画反対署名につき、長崎市内居住の署名 者のうち重複を控除した正確な署名者総数、及び、長崎市内居住の署名者の総世帯数を把握す るために、署名の電算処理を行った。具体的には、まず手作業で署名簿につき長崎市内、長崎 県内、長崎県外(県別)の仕分けを行った上で、長崎市内居住者の署名が書かれている署名簿 をもとに、長崎市内居住者について住所と氏名を卓上パソコンで入力し、これをフロッピーデ ィスクによって汎用コンピューターに移した上で、総数、重複数、世帯数の集計を行った。長 崎署名訴訟の被告側の主張によれば、長崎市は、世帯ごとの署名者リストを作成しておらず18)、 長崎市民の署名者数を把握するための集計の過程で署名者の住所、氏名をコンピューターに入 力したにとどまる。署名した市民のリストを作成することが市民の将来の請願権行使に萎縮的 効果を与えることは先に述べたが、このような集計の過程での住所・氏名のコンピューター入 力も市民の将来の請願権行使に萎縮的効果を与えるであろうか。 −201− 政策科学7−3,Mar.2000 この点、被告側は、単に集計のために市内居住の署名者の住所・氏名をコンピューターに一 時的に入力したにすぎず、集計後、署名者の住所・氏名のデータはすべて抹消したと主張して いる。まず、長崎市内居住者について住所と氏名を卓上パソコンで入力し、これをフロッピー ディスクに記憶させたが、そのデータは、フロッピーディスクから汎用コンピューターに移し た後、その日のうちにフロッピーディスクの初期化により消去した。また、誤操作による署名 者の氏名・住所データのハードディスクへの記録がなかったか、卓上パソコンのハードディス クも点検した。さらに、汎用コンピューターからも集計終了後直ちに消去したというのである19)。 そして、市内居住の署名者の住所・氏名をコンピューターに入力する作業にあたっては、作業 を行った部屋への入室を制限したり、フロッピーに特定の名称を付さないなどのセキュリティ 対策を講じたという。 ただ、こうした被告側の主張を前提としても、長崎市の事例の署名簿電算処理が市民の将来 の署名行為に萎縮的効果を及ぼしていることは否定できない。というのも、長崎署名訴訟の原 告側が主張しているように、コンピューターによる集計の際に個人データが流出し、市長宛の 請願署名に署名したという個人情報が世の中に出回る危険を完全には払拭できないというだけ でなく、以下の二点で長崎市による電算処理はかなりの萎縮的効果を与えていると考えられる。 第一に、提出された署名簿を電算処理することについての市の方針(とりわけコンピューター を利用しての署名者リストの作成を行うか否かについての方針)が当時明確ではなかったし、 今も明確ではない。長崎署名訴訟の被告側は、「署名者らは、自らの撤去反対の意思を長崎市又 は長崎市長に知ってもらうことを目的として、その表現者の主体を特定するために『住所・氏 名』を記載したものであり、『署名はしたものの、自分が署名したことは、長崎市にも長崎市長 にも知られたくない。』などという趣旨とは到底考えられ」ないとして、住所・氏名のコンピュ ーター処理が署名者の署名を抑止する効果(萎縮的効果)をもつなどとはいえないと主張して いるが20)、これはコンピューターを利用しての署名者リストの作成も許容されるという立場のご とくである。そうであれば、長崎市民の中には、長崎市は将来、市長等に提出された署名につ きコンピューターを用いて署名者リストを作成するのではないかと危惧し、今回の電算処理は そうした将来の署名者リスト作成の準備段階であると受け取る人々も出てこよう。第二に、本 件の場合、市長が署名者数人に直接働きかけているので(そして、市長が数千枚の署名簿を自 ら点検するなどといったことが想定しにくいだけに)、市民が、市当局は単に集計の過程でコン ピューターに署名者の住所・氏名を入力しただけではなく、実は署名者のリストを作成したの ではないかと疑う可能性が高い。そしてまた、市長が市内居住者の住所・氏名が記載されてい る署名簿を自ら点検したとしたら、そのことは、市民に、署名者の市内、県内、県外の仕分け は市議会に署名者数の内訳を報告するためだけに行われたのではないのではないかという疑念 を抱かせざるをえない。 実際、長崎署名訴訟の原告らによる意見書は、長崎市による電算処理の結果、当該署名から の氏名の削除を求めたり、コンピューター入力を恐れて、市当局に提出する署名簿への署名を 控えたりする動きがいくつかあることを指摘している。前記二点に鑑みれば、こうした市民の −202− 署名簿の電算処理と請願権(市川) 反応は、事態を正確に認識していないがための過剰反応とは言えないであろう。このように、 長崎市による署名簿電算処理によって市民の将来の請願権行使に強い萎縮的効果が生じている ことは確かであろう。 もっとも、長崎市による署名簿電算処理のような市民の将来の請願権行使に強い萎縮的効果 を与える署名簿の処理であっても、非常に重要な目的を実現するのに不可欠である場合には許 容される余地がある。長崎署名訴訟の被告側は、本件電算処理の目的について、市議会に原爆 中心碑撤去計画反対の請願が提出される動きがあったので、市議会から報告を求められるので はないかと考えて、市長に提出された二署名について重複数を調べ、県外、県内、市内居住者 数を調べようとしたというのである。確かに、市長に提出された署名のうちの一つの取り扱い 団体である「長崎『原爆中心碑』問題を考える市民連絡会」が市議会に請願をした場合、市議 会が、同連絡会が取り組んだ市長宛の署名の状況について報告を求めるということは、市議会 に請願がなされるとの情報を得た段階で市当局にとって想定しうることであり、実際、市議会 は市長に報告を求めている。だが、市議会は、請願につき採択・不採択を決定するにあたり、 同趣旨の市長宛の署名の総数だけでなく、重複を除いた正確な総数や署名者中における市内、 県内、県外居住者それぞれの数についてどうしても知る必要があったであろうか。 まず、長崎市議会(さらには市当局)は、請願を誠実処理するために、長崎市民がどれほど署 名しているかを正確に把握する必要があるであろうか。これについて、被告側は、「署名簿を提 出された自治体とすれば、その自治体行政に関する政策について、『どの程度の自治体内居住者 (当該自治体の住民)が、どのような意見をもっているのか。』を、当該自治体外に居住する者 のそれと区別して検討し、政策上の配慮を行なうことは当然のことというべきであり、その意 味において、自治体内居住者とその他の者を区別して検討することもやむを得ない」と主張し ている21)。ただし、長崎市は、電算処理により長崎市民である署名者につき世帯数も調査してい るが、被告側はこの世帯数調査の必要性を示せていない。一つの世帯が地方公共団体にかかわ る政策に関して一つの統一した意見を有しているとは限らないのであって、ある世帯の構成員 がそれぞれ当該問題について異なった意見をもっていることも多い。それゆえ、署名者のいる 世帯の数が、地方公共団体の機関が政策判断を行うあたって知っておく必要性の高い情報であ るとは言い難い。署名世帯数を調べるということは、被告側の力説する、署名は個々人の主体 的な判断と責任においてなされるという考え方と鋭く矛盾するのである。この点は措くとして、 一般的に言って、地方公共団体の住民がある政策問題につきどれほど、どのような要求を持っ ているかということは、地方公共団体の機関が政策決定を行っていくにあたっての正当な考慮 要素であろう。 しかし、長崎署名訴訟で原告側が指摘しているように、「本件署名は、原爆中心碑という全国 民的な、さらには全世界的な反核の象徴が撤去されることに反対する意思を長崎市あるいは長 崎市長に示すものであるから、その署名者は長崎市の住民に限定されないことが当然に予定さ れていた」22)のである。この点、被告側は、「本件署名活動の如く、その署名の趣旨・目的から して、当該自治体の住民または団体に限定した署名活動である必要はなく、それ以外の者…… −203− 政策科学7−3,Mar.2000 の署名活動も重要な意義を有する場合がないではない」ことを認めながらも、「仮にそうである にしても、当該自治体に対して行政措置を求める署名活動である以上、署名者が当該自治体の 住民(あるいは団体)か否かの区分は、当該自治体の行政措置に対する当該住民等の政治的意 見の表明として、それ以外の者の署名とは別に、それなりに重要な意義を有することとならざ るを得ない」23)と反論している。だが、原爆中心碑のような、わが国における平和問題のシン ボル的な意義を有する施設を撤去するか否かという問題につき、長崎市議会(や市当局)がど れほどの長崎市民が反対しているかを知ることが、「それなりに重要」にとどまらずどうしても 必要であった、といえるか疑問がある。そしてまた、かりに市議会(や市当局)が、原爆中心 碑撤去問題につき市民における反対者数を知る必要が非常に高いとしても、できる限り将来の 請願行為に萎縮的効果を与えない方法がとられなければならない。多少の署名の重複があると いう点をいとわなければ、署名簿を見て長崎市内の住所が記されている署名者数を数えていく という方法があるのである。そこで次に、重複署名を調査することがどれほど必要かが問題と なる。 では、署名者数の重複を調査することはどれほど必要なのであろうか。この点、被告側は、 「重複署名の割合が多ければ多いほど、政策決定への影響の度合いも異なることとならざるを得 ないのであるから、自治体が重複を排除するための点検を行なうことは何ら問題がない」24)と 主張している。しかし、請願署名には多少の重複があるのが通常であり、そのことは、署名者 数が法的な意味をもつ直接請求の場合とは異なって、特に法的に問題とならない。また、地方 公共団体の機関は、署名者数が多ければ相当多数の人々が要求しているのだと理解し、請願さ れている問題について慎重な判断をするであろうが、署名数に比例して請願者の意向を重視す るといったものではない。地方公共団体の機関は、どの程度の人数による請願であっても誠実 に内容を審査し、最終的にはその独自の判断・責任でもって請願事項についての決定を行うの である。それゆえ、請願を受けた機関が請願者の正確な人数をどうしても知らなければならな いとは言い難い。また、本件の場合、「『長崎の原爆中心碑撤去・人物像建設計画』を白紙に」 と「爆心地慰霊碑撤去反対・福祉切り下げ反対、署名簿」の二種類の署名が市長に提出されて いた。このように要求内容が一部共通している別個の署名が集められている場合、署名の重複 があるのは当然である。そして、いくつかの要求項目がある署名の場合、各要求項目に対する 署名者の要望の強さは様々であるから、二つの署名について重複していない署名数を割り出し ても、それが何を意味するかには微妙なところがあり、市議会にとって署名の総数以上に有意 な情報と言えるか疑問があろう。 以上見てきたように、長崎の事例の場合、市議会(や市当局)が、署名者の正確な総数、長 崎市内居住の署名者の正確な数を知ることに、高い必要性があるとは認められない。それゆえ、 強い萎縮的効果を及ぼしている本件の署名簿電算処理を正当化するのに十分なほど重要な目的 の存在は論証されていないと言わざるをえない。 −204− 署名簿の電算処理と請願権(市川) おわりに 以上、憲法16条の請願権の保障は、請願署名を提出された国や地方公共団体の機関に対し、 将来の請願行為に不必要な萎縮的効果を与えないことを要求していると解すべきであるという 立場から、本件の署名簿電算処理の合憲性につき検討を加えてきた。そして、本件の電算処理 が強い萎縮的効果を及ぼしていること、しかし、それにもかかわらずそれを正当化するような 非常に重要な目的は見い出せないことを見てきた。それゆえ、長崎市による署名簿電算処理は 憲法16条に違反すると言わなければならない25)。長崎署名訴訟において、裁判所が、現代におけ る重要な政治参加の手段である集団的な請願権行使が、請願を受けた機関の行為による萎縮的 効果を受けやすいという性質を有している、という現実を十分踏まえた憲法判断をすることを 望みたい。 注 1)拙稿「署名活動と表現の自由・プライバシー−署名者個人への働きかけと憲法(一)−」立命館法 学250号1頁(1997年)、同「署名活動と請願権・名誉権−署名者個人への働きかけと憲法(二・ 完)−」立命館法学252号1頁(1997年)参照。 2)毎日新聞1996年12月21日。 3)原告側は、長崎市による署名簿の電算処理が、「実施機関は、個人の思想、信条、宗教、犯罪その他の 市民の基本的人権を侵すおそれのある事項を電子計算組織に記録してはならない」と定める、長崎市電 子計算組織の運営に係る個人情報の保護に関する条例5条2項に違反するという主張もしている。そこ で、集計のために一時的に署名者の氏名・住所をコンピューターに入力したことが同条例5条2項にい う「記録」にあたるかも訴訟の争点となっている。 4)本稿の以下の部分は、長崎地方裁判所に提出した意見書に修正加筆したものである。 5)佐藤幸治『憲法[第三版]』639頁(青林書院、1995年)。 6)本件の長崎市長宛の署名簿には長崎市民だけでなくそれ以外の者も署名している。自己がその住民では ない地方公共団体の機関に対して署名簿を提出することも、憲法16条の保障する請願権の行使である。 しかし、署名簿を提出された地方公共団体が署名を電算処理することの影響は、当該地方公共団体の住 民の場合と住民でない場合とで大きく異なる。また、本件では、電算処理されたのは長崎市民の署名の みである。それゆえ、以下では当該地方公共団体の住民への影響を念頭において論を進める。 7)拙稿「署名活動と表現の自由・プライバシー」前掲注1)4−5頁、8頁参照。 8)樋口陽一ほか『注解法律学全集1 憲法1』281頁以下(青林書院、1994年)(佐藤幸治執筆)、佐藤 『憲法[第三版]』前掲注5)453頁以下等参照。 9)田口精一「請願権」田上穣治編『憲法の論点』94頁(法学書院、1965年)(但し、続けて、「請願権の本 質は、公的機関に対して請願の受理を義務づけるところにある」とも述べている)。 10)法学協会『註解日本国憲法 上巻』375頁以下(有斐閣、1953年)、佐藤功『日本国憲法概説 全訂第四 版』273頁(学陽書房、1991年)、伊藤正己『憲法 第三版』397頁以下(弘文堂、1995年)等参照。 11)樋口ほか『注解法律学全集1 憲法Ⅰ』前掲注8)353−354頁(浦部法穂執筆)、浦部法穂『[新版]憲 法学教室Ⅱ』260頁(日本評論社、1996年)、佐藤『憲法[第三版]』前掲注5)639−640頁、初宿正典 −205− 政策科学7−3,Mar.2000 『憲法2 基本権』505−506頁(成文堂、1996年)等参照。 12)渡辺久丸『現代日本の立法過程』179頁以下(法律文化社、1980年)、同『請願権』114頁以下(新日本 出版社、1995年)、吉田栄司「請願権の現代的意義・再考」関西大学法学論集43巻1・2号302頁以下 (1993年)、長谷部恭男『憲法』291頁(新世社、1996年)参照。 13)以上の請願権をめぐる学説動向について詳しくは、拙稿「署名活動と請願権・名誉権」前掲注1)4頁 以下、吉田栄司「請願権の意義」ジュリスト増刊『憲法の争点[第3版]』150頁(1999年)参照。 14)羽曳野市では、保育園の人員削減計画があるとしてそれに反対する署名が市長宛に提出されたところ、 署名者の全世帯に当該署名活動を厳しく批判する文書が送付された。そこで、この市秘書室長・保健福 祉部長連名の文書を送付された署名者の中からは、「保育所への入所措置がなされないのではいか」と 危惧した人、「恐くなり、これからはこうした署名にかかわりたくない」と思った人が相当数出たと報 告されている。拙稿「署名活動と請願権・名誉権」前掲注(一)18頁参照。 15)長崎署名訴訟被告側準備書面(四)10頁。長崎署名訴訟の被告側は、署名活動が「主体性を有する個人 の資格とその考えに基づいて行う政治活動」である以上、署名簿を提出された相手方が個々の署名者名 を把握することは当然であると主張している。 16)ほぼ同旨の解釈を示すものとして、松井茂記『日本国憲法』421頁(有斐閣、1999年)参照(憲法が請 願を行ったことに対する不利益や報復を禁止していることからみて、「請願を実質的に萎縮させるよう な圧力を加えることも許されないというべきである。それゆえ、請願を受けた政府が、個々の署名者に 本心かどうか確認したり、個々の署名者の理解を求めて個別的に説明・反論を加えようとすることは、 政府側の意図のいかんにかかわらず、個々の署名者に対する圧力となるので憲法上許されない。」)。な お、請願権を参政権と捉える学説は、請願を受けた機関が請願内容を審査した結果を請願者に通知する 義務を有すると主張している。渡辺『現代日本の立法過程』前掲注12)114頁、同『請願権』前掲注12) 15頁、吉田「請願権の現代的意義・再考」前掲注12)319頁参照。確かに、審査結果の通知は請願権保 障を実質化するものといえるが、審査結果の通知は、将来の請願に萎縮的効果を与えないよう、公報・ 広報等によるか、請願の代表者(筆頭署名者や署名取り扱い団体の代表等)に対して行うべきである。 17)もっとも、長崎市長の署名者への働きかけは、当該署名者と市長との関係、市長による働きかけの目的、 市長による働きかけの態様(単に署名理由を問い合わせただけか、強く詰問し批判したか等)によって は、例外的に許容される署名者個人への働きかけにあたる可能性もある。しかし、市長の働きかけの合 憲性・合法性が住民訴訟の直接の争点でもないこともあり、そうした事情は特に明らかになっていな い。 18)被告側の主張によれば、市長は、手作業によって仕分けられた長崎市内居住者の署名が書かれている署 名用紙約2,500枚に目を通し知人を捜し出して電話をかけたという。しかし、公務多忙な長崎市長が 2,500枚もの署名用紙を点検するなどということはにわかには想像しがたいので、実は署名者リストが 作成されていたのではないかという疑いも出てくる。それゆえ、裁判では、本当に署名者リストが作成 されていなかったのかという点に関して証拠調べがなされる必要があるのではないかと思われるが、現 段階では、署名者リストは作成されていなかったという前提で論を進めするほかない。 19)長崎市の事例においてなされた住民監査請求を受けて、長崎市の監査委員は電算処理に違法はないとの 判断を下している。ただ、監査結果は、署名者の住所・氏名の電算処理にあたっては「慎重な取扱いが なされていたと認められる」と結論づけているが、「卓上パソコンにより入力されたフロッピーのデー タ及び汎用コンピューターに移し替えられたデータの消去については、現段階において、これの客観 的・物理的な証明は困難である」と認めている(「『長崎市職員措置請求』に関する監査の結果について (通知)」8頁)。裁判では、こうしたデータの消去が本当に集計直後になされたか否かにつき証拠調べ −206− 署名簿の電算処理と請願権(市川) がなされる必要があろう。 20)長崎署名訴訟被告側準備書面(四)15頁。 21)長崎署名訴訟被告側準備書面(四)12−13頁。 22)長崎署名訴訟原告側準備書面(三)16頁。 23)長崎署名訴訟被告側準備書面(四)9−10頁(傍線は引用者)。 24)同13頁。 25)もっとも、市長の側に故意・過失があったかどうかについては、提出された署名簿の扱いをめぐる判例 や学説の状況、電算処理にあたっての市当局の認識等に関しての立ち入った検討が必要である。 −207−