...

地区労連ニュース 第69号

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

地区労連ニュース 第69号
9月9日(日)10時
小倉北区 毎日会館
出席代議員の選出をよろしく。
大会終了後懇親会を行います。
父の日に北九母親大会
九工大に650人参集
戦 後の 日本 3大 大 衆
運動と称される母親大
会。
6月17日父の日に
北九州母親大会が九州
工業大学キャパスで開
かれました。
(親子リズ
ムは近くのあやめが丘
小で)
午前中は原発や消費
税など9分科会が開か
折尾八幡公園出発
黒崎駅前出発
戸畑牧山出発
北九州市役所出発
門司から山口に
17日 14時30分
18日
9時
19日 10時
21日
9時
21日 17時30分
北九州の運動交流で
壇上に上がった仲間
北九州地区労連
第24回定期大会
平和行進
れました。
午後は全体会で「和
太鼓もも」の演奏で始
まり、記念講演では福
岡大学教授・勝山吉章
さんの講演「格差と貧
困の連鎖」がありまし
た。
北九州の運動交流で
は壇上に次々とプラカ
ードなどを掲げ闘いの
訴えがなされました。
最後は駅前まで母親
行進を行い無事終了し
ました。要員の男性も
ご苦労さまでした。
反核・平和マラソン
8月7日 正午近く門司区役所到着~
13時頃北九州市役所前通過。
親子リズムで元気よく
第3回ニコニコペースの平和マラソン
7月22日(日) 9時 門司港駅前集合
八幡東区小伊藤山公園まで 21キロ
参加費 500円
平和の闘い次々! 反核平和マラソンなど
平和大行進17日北九州入り 原水禁大会
昨年の平和行進・門司
8月2日~4日 国際会議
4日~6日 世界大会広島
8月8日~9日 長崎大会
原水禁大会
北九州地区労連
2012年
7月15日発行
第69号
発行:北九州地区労働組合総連合(〒802-0071 北九州市小倉北区黄金町 1-4-9 山本ビル 207 号
TEL 921-0747
ホームページアドレス http://www.geocities.jp/k_roren/ Eメールアドレス [email protected]FAX921-0284
雨上がり
13日迄の大雨で被災さ
れた方々に対しましてお見
舞い申し上げますと共に、
亡くなられた方々へ心より
ご冥福お祈りいたします。
昨年の3月に起こりまし
た東日本大震災以降まだま
だ余震が起こりますし、ま
た 世 界 的 に も 新疆ウイグル
自治区やイタリア・メキシコ等
でも大規模な地震が発生して
おります。
また地球温暖化が原
因かはわかりませんが、
先日発
生した国内最大級の竜巻や大
雨などによるがけ崩れや河
川の氾濫・洪水などが多く
発生しております。
戦国武将である武田信玄
が御勅使川の水害を防ぐた
めに工事を始め約20年の
歳月をかけて釜無 か
( まな
し 川
)・笛吹川に信玄堤を築
きあげました。
福島第一原子力発電所事
故の問題も事故調査委員会
は人災と規定しましたが、
事の起こりは大地震と津波
という自然災害が引き起こ
したものです。
所詮人間の知識では測り
きれない自然の脅威に対し
て如何にして国民の命を守
っていくのかが国の第一の
役割だと思います。
一刻も早く様々な災害で
被災された方々に平安な
日々が訪れる事を祈念致し
ます。(K)
2012年
7月15日発行
第69号
連載企画(3回目)
北九州地区労連(裏面)
西村文男
地区労連幹事 筆
FSGT・ビビチタ参加、交流活動報告
そして、被爆 50 周年の 1995 年に「第五福竜丸」記念館のある東
京『夢の島』から広島・長崎の 1500 キロをつなぎました。
昨年、東日本大震災が起きました。日本国民はアメリカの原子
爆弾によって被爆した時、二度と被曝しないと誓ったにもかかわ
らず、今度は自国の原子力発電で被曝するという無念さを感じて
います。日本政府は原子力の平和利用という理由で、原子力発電
を推進してきました。しかし、人類は原子力を制御出来る技術を
持ち合わせていません。もはや、核兵器や原子力発電と人類は共
存出来ないといえます。
新日本スポーツ連盟は、核兵器廃絶と原発からの撤退を決議し
ました。日本政府は原子力発電の炉心は40度から50度で安定
していると言っていますが、放射能汚染が強すぎて、いまだ炉心
に近づけず制御出来ない状態です。いつ再発するかわからない状
態が続いています。
これからも核兵器廃絶、原子力発電依存からの脱却を目指して、
活動を続けていきます。』
この私の報告について、アランは副市長の発言を求めた。
副市長は「原子力に対する意見はいろいろあるが、私は反対だ。」
と発言した。更にアランは会場からの質問を求めた。
分科会は司会を主催者がして、神田事務局長が発表
し、高山さんの通訳、アランの助言者で進められた。ア
ランはフランスで「反核平和マラソン」を実施したいと
考えているので、体育教師に提案したようだ。ところが、
体育教師からは原発から補助金をもらって大会をしてい
るのに「反核平和マラソン」をどうしたらいいのか等、
活発な意見が出た。午後はパリ観光。エッフェル塔・ト
ロカデ・凱旋門・オペラ座等を案内してくれた。
4 月 1 日(日)午前中、ビビチタに参加した。参加者は全
部で 700 人位。最初に、子供たちのレースがあり、300
人位が参加。親の応援がすごく多い。つぎに、ウォーク
がスタートし、200 人位の参加者でトップは競歩選手、
ラストの方はピクニック気分のウォーク。そして、我々
12 キロのロードレースは約 200 人の参加者。ローラース
ケートでの参加者もいた。サン・ウーアンの市街地を 3
周してゴールする周回コース。ゴール近くにはバンド演
奏もあり、司会者がレースの模様を声高に喋っていた。
彼は、私が通過するたびに「広島・長崎平和マラソン」
からの参加者だと応援してくれた。
〈結果〉122 位 神田 孝 1 時間 34 秒
147 位 西村文男 1 時間 3 分
179 位 瀧川 聡 1 時間 8 分 53 秒
内田順三 ウォーク4km の部に出場
午後はルーブル博物館を見学。モナリザ・ミロのビー
ナス・ミケランジェロの作品等を観て感激。
〈ビビチタ会場でアイルランド代表団と〉
Q1 何故、国民の 80%の反対があるのに、原子力発電を進めるの
か?
A1 電力の供給が安定的に出来なくなると切り返しながら、安全
を確保して稼動すると“新たな安全神話”を持ち出している。
Q2 平和マラソンの開始の動機は、核兵器に反対ということから
か。広島・長崎に生れたからか?
A2 両方です。平和の維持は武力や核兵器に頼らず、話し合いで
平和的に解決することが求められなければならない。そして、
広島と長崎の間に生れた我々には、核兵器廃絶を主張する義務
があると思う。
それと、モスクワオリンピックのときソ連がアフガンに侵攻し
て、モスクワオリンピックをアメリカや日本の政府がボイコット
宣言して圧力をかけ、オリンピック候補選手が出場できなくなり
涙を流した。平和の祭典を汚してはならない。スポーツは平和で
なければ出来ない。スポーツマンも平和の主張をしなければ、ス
ポーツも出来なくなるとの思いから始まった。
報告・討論の後、アランの折り紙指導で折鶴作りが始まり、や
がて出来た折鶴を持って参加者全員で会場に大きな輪ができた。
そして、交流集会の後、懇親会になった。その時、私の所に年を
とった参加者が近づいて来て「あなたの発言に感動した。私はノ
ルマンディの戦いで、多くの戦死者が砂浜に横たわっている中を
歩いてきた。戦争は二度としてはならない。」と言って握手を求め
てきた。
結局その交流集会は「広島・長崎反核平和マラソン」の報告のた
めに用意されたものであった。
3 月 31 日(土)午前中に、教員組合(SENP)の体育教師研究集
会が開催されるとのことで、アランに案内された。そこでは「広
島・長崎反核平和マラソン」の分科会が独立して設けられていた。
4 月 2 日(月)午前中にセーヌ・サン・ドニ県議会を訪問
して、議長と面会し懇談した。
議会は円形テーブルで議員全員の顔を見ながら議論が
できるようになっているのに日本との違いを見た。議長
席にも座らしてもらった。懇談の中で、議長が「今の平
和は、何もしなければ維持されない。常に平和への取り
組みをしてこそ平和は維持される。平和の戦いをやめて
はいけない。皆さんの取り組みに敬意を表する。」と言っ
た。
午後はパリ国立自然博物館・植物庭園を観た後、18 時
半からスタン市にある“陸上クラブ”と懇談した。今年
の「広島・長崎反核平和マラソン」への派遣をこのクラブ
に依頼をしているとのことであった。クラブの代表者の
奥さんが会計を担当し、クラブ員の奥さんが副市長を務
めていて、オリンピック選手までいるという超一流のク
ラブであった。
4 月 3 日(火)午前中は買い物。日本と全く同じ感じの大
型店にてショッピングをして、午後から「オリンピック
委員会」で会長と懇談した。
「オリンピック委員会」とは「オリンピック」と全く
関係がなく、国や県から援助を得ているが、行政から全
く独立して、加盟組織の促進や研修、スポーツ施設の調
査提言、スポーツの集会交流、住民の健康、全ての人(身
障者、刑務所入所者等)にスポーツを保障すること等を任
務として活動しているとのこと。
「全ての人のためのスポ
ーツを目指しています。」との会長の言葉が印象的であ
り、我々の言う「スポーツは国民の権利」の実践を見る
思いがした。
夕方6時半から、ビビチタの開催されたウーアンで“陸
上クラブ”の練習会に参加し交流した。
(つづく)
Fly UP