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<「校長室便り」45>
鎖
国
前回の「校長室便り」(44)でも触れたのだが、我が家にあった
古い本等を連休中に整理してみた。中身まで詳しくは読めなかっ た
が、大体わかったところでは最も古いものは正徳2年のものだった。これは西暦にする
正徳2年は1712年なので、今から300年ちょっと前のものと
いうことになる。これは『標柱伝習録』というものだが、元々は王
陽明が書いた『伝習録』に注をつけて中国で出版されたものに更に
日本人が注釈を施して再出版したものだ。
王陽明(1472~1529)は中国明代の人で南宋の朱熹の朱子学を批判的に継承した儒学
者だ。批判的にというのは朱子の学が理に傾きすぎているのに対して、行為・実践を伴
わない学は真の理には達することができないとして知行合一を説 いた。
『伝習録』を読んでもいないのであれこれ言うのは気が引けるが、王陽明の思想は日
本の大塩平八郎や吉田松陰にも大きな影響を与える。そして、その背後にこの種の本の
刊行があったと考えると感慨深いものがあった。
その他、江戸時代のものでは、文化~天保年間(1804~1843)
のものが多かった。約200年前ということになるが、保存状態
もそれほど悪くなく、中には所有者、これは慶応2年(1866 年)
生まれだが、その書き込みもあったりして、歴史が単なる知識で
なく、血の通ったものとして感じられた。
私は元々日本史に興味があったわけではない。むしろ世界史、
というよりヨーロッパに関心があったが、これは無意識裡の西洋
崇拝につながるものであったかもしれない。
日本史はそんなことからあまり興味を惹かれず、特に近世のこと、武将のエピソード
などにも関心なく、また江戸文化に対しても、阿部次郎『徳川時代の芸術と社会』など
読んではいたが、享楽的・軽佻浮薄な面が強いと思い、拒否的な感じを抱いていた。
ところが、江戸時代の版本を調べると同時に、並行して田中優子氏の著書を少しずつ
読んできて考えが変わった。田中氏については前々回の『校長室便り』
(43)でも少しだ
け触れたのだが、その後数冊読んでみてやはり驚かされることが多かった。
今回タイトルとして掲げた「鎖国」について、ある日本史の先生に聞くともう「鎖国 」
という言葉はカッコ付き、あるいは「所謂鎖国」と言うのが一般的な状況だということ
だ。どういうことかと言うと、要するに江戸時代は国を閉ざした状況ではなかった、と
いうより外国と大いに交流があったからだと言う。このことは日本史の専門家の中では
既に常識なのだろうが、私は知らなかった。また知らない人も多いのではないかと思う。
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前々回の『校長室便り』
(43)の中では後期の和冦が「朝鮮人、中国人、マレー人、タ
イ人、ポルトガル人を乗せた国際海賊の大船団」だったことを述べたが、これはアジア
の人間たちが、日本も含めてこのように関係を持っていたのかという驚きであった。ま
た、長崎の出島には唐通事(中国語通訳)が800人、また阿蘭陀通事(オランダ語通
訳)も50人ほどもいたと知ってこれにも驚いてしまった。日本が細々外国とつながっ
ていたなどと言うものではなかったのである。
フェルメール(Johannes Vermeer, 1632~1675)は最近
日本でも評判の画家だが、彼の活躍した17世紀オランダ
のデルフトはヨーロッパの商品市場として最大だったとい
う。そして彼の絵にはそのような品々が多く描かれていて、
その中のあるもの(金唐革)は日本にも多く持ち込まれて
いるのだそうだ。これにも私は驚いた。
逆にジャポニスムはフランスを中心としたヨーロッパ絵
画への浮世絵の影響として広く知られている。ゴッホ、ド
ガ、モネ等々の絵にそれが見られるし、音楽でもドビュッ
シーは北斎の「神奈川沖波裏」(「富嶽三十六景」の一つ)に影響されて「海」を作曲し
たのだと言う。
これらは、ほんの一例に過ぎない。江戸時代日本の海外との交流をヨーロッパの大航
海時代からの歴史の流れで見てみると、またヨーロッパとの関係だけでなく、アジア史
の中で見てみると、江戸時代は「鎖国」状態であったなどとはとても言えなくなる。
そ も そ も 「 鎖 国 」 の 語 も オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 医 師 の ケ ン ペ ル ( Engelbert
Kaempfer,1651~1716)の『日本誌』(原文ドイツ語)の一部を志筑忠夫が 1801 年『鎖
国論』として訳したのが初めだという。
「鎖国」の語の創出によって、そのような認識も
定着してゆく。田中優子氏はこれを承けた和辻哲郎をも厳しく批判し、そこにあるのは
欧米崇拝とアジア無視だと言う。
「鎖国」は一つの例に過ぎない。私たちは個人で見た場合もかなり限定された知識や
感覚の中で、判断し、行動している。また私たちの職業に限って言えば、生徒にも指導
している。これは一つの組織、集団であっても同様で、その最たるものである国家も同
様である。
これらは知識の相対的な貧しさの場合もあり、意図的な知識遮断の場合もあろう。し
かし、私たちの知識が限定的であり、それ故に、それだけが原因ではないが、判断も限
定的であることは免れない。これは、多分、人間として避けられないことではないかと
思う。では、それを前提として、どうしたらいいのか。私自身明確な答えを持っている
わけではない。が、王陽明が言うような知行合一した認識を求めつつ、できるだけ謙虚
に他者の言動に耳と心を傾けることかなと思っている。
(2015.5.21)
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