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浜田市

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浜田市
特集◎山陰の小さな博物館
歯の歴史資料館
(浜田市)
松下沙央里
降の歯医者さんの
医療器具のほか
に、昔の入れ歯や
お歯黒の道具から
これらの貴重な資
め ら れ て い ま す。
る様々な資料が集
のポスターなどなど。一気に昭
局です)」の看板や「仁丹友の会」
回し式の電話、そして「局藥(薬
風機、壁には八角形の時計と手
畳敷きの待合室には火鉢と扇
当時の雰囲気そのままに再現し
料は、主に、地元
和初期の時代に引き込まれてし
てあります。
の歯科医であった
キまで、歯に関す
故青笹好之さん
まいます。
歯ブラシや歯ミガ
(初代館長)が個
歯 科 診 療 用 セ ッ ト が 展 示 さ れ て い ま す。
初期および中期に使われていた、二組の
せると同時に、今のものにはない暖かみ
は最先端の道具であったことをうかがわ
が整然と配置されています。当時として
壁を隔てた診療室には、昭和
手前の昭和初期のイスは、黒い革張りで
人で収集したもの
歯科診療器具が展示してありますが、資
一階のロビーには、明治・大正時代の
を漂わせています。
ニット」が立っていて、うがい用のコッ
ます。イスの横にはマホガニー調の「ユ
ダルがついていて、足で踏んで上下させ
と、できることはあまり変わらないので
じがします。昭和初期のセットと比べる
色調で統一されていて、より機械的な感
昭和三十年代の診療セットはグレーの
だそうです。
「しまね海洋館アクアス」で有名ですが、
島根県西部の浜田市久代町。この町は
肘掛けはすり減っています。後ろにはペ
昭和初期~中期の歯科医院を再現
プと洗面器、照明、歯を削るドリルなど
キ ロ メ ー ト ル ほ ど 行 っ た と こ ろ に、「 歯
と、 昭 和 初 期 の 町 の 歯 科 医 院 の 様 子 が、
階段を登ってすぐ右手の入口を入る
の歴史資料館」があります。
部会館内に併設されていて、明治時代以
この資料館は、島根県歯科医師会の西
アクアスから国道九号線に沿って西へ一
料の大部分は二階に展示してあります。
くしろ
歯の歴史資料館
■開館時間:午前 10 時~午後 5 時
■開館日:火曜日・木曜日・土曜日
■入館料:無料
※見学を希望される方はあらかじめ
ご連絡ください。
TEL:0855-28-1960
すが、それぞれの機能が進歩しているこ
在ではとても再現不可能だと言われてい
師といった人々が活躍していた日本であ
ます。仏像を作る仏師、能面を彫る能面
これらのセットの周辺には、レントゲ
るからこそ、実用的な総入れ歯が古くか
とがうかがえます。
ンやコンプレッサー、手洗い消毒用の洗
ら作られてきたのです。
義歯に使われている歯の素材にも、い
ろいろな種類があります。象牙、動物の
歯や骨、陶器、蠟石、黒檀や黒柿、そし
た く さ ん の 入 れ 歯 が 並 ん で い ま し た。
ム 床 義 歯 」 な ど と い う ラ ベ ル と と も に、
を の ぞ き 込 む と、「 木 床 義 歯 」 と か「 ゴ
高 さ の 陳 列 ケ ー ス が 並 ん で い ま す。 中
診療室の窓際には、一メートルほどの
ういう経路でこの入れ歯に納まったの
は人間の歯を使っています。この歯がど
明がなされたものがありましたが、これ
として最高級の入れ歯である」という説
館 の 展 示 品 の 中 に、「 天 然 歯 を 用 い 当 時
用には、お歯黒が施されています。資料
て人間の歯などが使われています。女性
「 有 床 義 歯 」 と は 入 れ 歯 の こ と で、「 床 」
か、とても気になりました。
さ て、 木 床 義 歯 の 値 段 は ど れ ほ ど の
もくしょうぎし
きです。
段で入れ歯を作る人がいたんですね。驚
しょうね。それにしても、これだけの値
う で す が、 か な り い い 収 入 源 だ っ た で
として入歯師を兼ねることが多かったそ
戸時代からは、仏師や根付彫刻師が余技
算すると約二十五万円にあたります。江
が三両だったそうです。これは現在に換
良の桜井で開業した時、上下総義歯一組
(一七三五年)、入歯師の芭蕉梅之進が奈
ばしょううめのしん
分のことです。この床が木で作られてい
げ
は「吸着法」と呼ばれ、現在でも用いら
も の だ っ た の で し ょ う か。 享 保 二 十 年
ゆうしょうぎし
とは歯の土台、つまりアゴに相当する部
有床義歯コーナー
べられています。
鉗子や開口器などの細かな治療器具も並
面器(ホーロー製と銅製)などが置かれ、
ていたのだそうです。
れ ば「 木 床 義 歯 」、 ゴ ム で 作 ら れ て い れ
ば「ゴム床義歯」と呼ばれます。
この木床義歯に関して、驚くべきこと
が書かれていました。
「 現 存 す る 世 界 最 古 の 有 床 義 歯 は、
ほとけ
一五三八年(天文七年)に七十四歳で亡
つ
くなった和歌山市の願成寺の草創者、佛
ひめ
姫の黄楊製の上顎総義歯です」
『 入 れ 歯 の 文 化 史 』 に よ る と、 世 界 の
資料館には江戸時代の木床義歯がいく
れているのです。
入れ歯の歴史は約五千年前のエジプトに
入れ歯は咀嚼中に外れてしまうことにな
し か し、 少 し で も 密 着 が 不 完 全 だ と、
ります。木床義歯はツゲやサクラなどの
昭和初期の診療室の隣の部屋は会議
入れ歯は、口蓋の部分にピッタリと合わ
さるように作られています。歯槽粘膜に
堅い木で作られているのですが、このよ
室 な の で す が、 窓 と 壁 に 沿 っ て 大 小 の
つか展示してありますが、とくに上顎の
の入れ歯の主流は現在の「ブリッジ」に
ぴったりと密着させると、入れ歯は自然
うな木で「嚙める総入れ歯」を作るため
ショーケースがズラッと陳列されていま
わえて固定したものでした。以後、世界
あ た る も の で し た が、「 総 入 れ 歯 」 と し
に ア ゴ に 吸 い つ く の だ そ う で す。 そ し
には、高度な職人の技が必要であり、現
遡りますが、これは抜けた歯を針金で結
ては日本のものが最古で、なんと十六世
て、この原理を応用した入れ歯の固定法
お歯黒とお歯黒道具コーナー
紀には「嚙める総入れ歯」が実用化され
のんびり雲|第2号| 2008
21 ■さまざまな木床義歯。
が、お歯黒に関する展示です。女性が使
す。その中でもひときわ充実しているの
という黒色で水に溶けにくい成分が歯に
ねます。そうすると、タンニン酸第二鉄
奬水に混ぜ、房楊枝で歯に何度も塗り重
性たちから庶民にいたるまで広く愛好さ
ある漆黒が美しいとされ、身分の高い女
性の象徴だったのです。漆のように艶の
ように、この時代にはお歯黒は美しい女
ふさようじ
用していたので黒塗りの綺麗な道具が多
付着して、歯が黒く染まるのだそうです。
染 め る 習 慣 の こ と で す。 鉄 奬 水 は、 茶、
粉」を混ぜた液を歯に塗って、歯を黒く
と見なして、明治政府から皇族・貴族に
一八七〇年、お歯黒を文明度の低い習慣
きにはすでに行われていました。そして
お歯黒は、日本人の歴史が始まったと
るそうです。
事実からも、お歯黒の有効性が証明され
江戸時代には虫歯のない女性が多かった
虫 歯 予 防 の 効 果 が あ っ た の だ そ う で す。
歯黒ですが、意外なことに、お歯黒には
さて、今はまったく廃れてしまったお
なっていたのです。
く、 私 が 見 て い て 一 番 楽 し か っ た 展 示
し
れました。美意識が、今とはまったく異
ふ
資料館の説明書には、こんなおもしろ
コーナーでもありました。
か ね み ず
酒、酢、麴、飴などを混ぜて、焼いた鉄
対 し て 禁 止 令 が 出 さ れ ま し た。 そ れ に
いことが書かれていました。
クズ(古釘や針など)を入れ、暗所で発
伴って民間でもしだいに廃れ、大正時代
こ
「お歯黒」とは、「鉄奬水」に「五倍子
酵させて作ります。五倍子はヌルデとい
し
う木にできる虫こぶのことで、タンニン
にはほぼ消滅したのだそうです。日本人
ふ
が多く含まれています。これを乾燥させ
歯磨き道具コーナー
がお歯黒をつけなくなったのは、最近の
お歯黒コーナーの横には、歯磨き道具
黒も見られました。平
時代までは男性のお歯
が強いのですが、戦国
ば女性というイメージ
て昭和二十六年に発売された熱に強いプ
や、昭和十年代の竹柄の歯ブラシ、そし
シ と い う 商 品 名 を 用 い た「 萬 歳 歯 刷 子 」
ブラシですが、大正三年に初めて歯ブラ
柄の先にブラシがついたお馴染みの歯
仏教の伝来とともに日本に伝えられたの
きを奨励しました。この歯磨きの習慣が、
ための日々の勤めとして弟子たちに歯磨
えられています。釈迦は、心身を清める
ジュの枝で歯を磨いたことが始まりと伝
仏教の開祖である釈迦が、インドボダイ
のコーナーがあります。
家の武将たちや今川義
時代により移り変わってきました。
陳列ケースには、歯ブラシが普及する
浜田市にある歯の歴史資料館は、歯ブ
ラスチック製の歯ブラシと、歯ブラシも
以 前 の 歯 磨 き 道 具 も 展 示 さ れ て い ま す。
ラシやお歯黒、入れ歯という、身近な小
と織田信長、豊臣秀吉、
そして徳川家康までも
それが、お歯黒にも用いる「房楊枝」で
さなモノたちにも壮大な歴史が隠れてい
です。
がお歯黒をつけていた
す。「 楊 」 と は カ ワ ヤ ナ ギ の こ と で、 こ
ふさようじ
という説もあるのだそ
の枝の先をくだいて房のようにしたもの
であるインドの「歯木」も展示されてい
資料館には、さらにこの房楊枝の祖先
(まつした・さおり/文化資源学系二年生)
な不思議な空間でした。
ることを気づかせてくれ、そこから世界
時代になってからのこ
ま す。 こ れ は ニ ー ム( イ ン ド セ ン ダ ン )
が房楊枝です。
とです。多くのお歯黒
の枝が用いられていますが、もともとは
のつながりを垣間見させてくれる、そん
美人が浮世絵に描かれ
しぼく
ていることからわかる
印となったのは、江戸
お歯黒が既婚女性の
うです。
元は有名ですが、なん
また、お歯黒といえ
百年間のことにすぎないのです。
砕いて作った粉が、五倍子粉です。
お歯黒をつけるときは、五倍子粉を鉄
■(上段)昔の歯ブラシ。(下段)昔の歯磨き粉。
■歯木(左)と房楊枝(右)。
22
山陰ご当地
レトルトカレー大試食会
秦 正 恵
六
月中旬、しだいに暑くなり、カレー
の お いし い季 節が や って きた。 最
近、テレビを見ていると、ご当地レトル
トカレーなるものがよく登場する。ラン
キングが放映されたりして、ちょっとし
たブームになっている。そこで、前回の
に引き続き、今回は「山陰ご当地レトル
「世界のインスタントラーメン大試食会」
トカレー大試食会」を企画してみた。六
月十九日に学生十四名、教員四名で和気
あいあいと開催した。
イ ン タ ー ネ ッ ト で「 ご 当 地 レ ト ル ト カ
大試食会を開催するにあたり、まずは
レ ー」 を 調 べ て み る こ と に し た。「 ご 当
地レトルトカレー」をキーワードにYA
HOO!で検索すると、三十万件以上も
ヒットした。ご当地レトルトカレーの通
た感想や情報が掲載されたブログなどで
信販売やこれらを食べたり、聞いたりし
ある。本当にたくさんのご当地レトルト
中 か ら、今 回は 山陰 の 名産 品を 知
多くあるご当地レトルトカレーの
カレーがあり、驚いた。
数
り、新しい魅力を発見しようということ
で、あえて山陰のレトルトカレーに限定
し て 試 食 会 を 行 う こ と に し た。 山 陰 の
レ ト ル ト カ レ ー に 絞 っ た と は い う も の、
ちょっと調べただけでも二十種類近くは
あったため、その中でも地元の食材を取
り入れた特徴のあるものを厳選し、九品
を試食した。
試食会は、温めたルーを何食分かまと
めてラーメン丼に入れてテーブルの上に
のんびり雲|第2号| 2008
23 並べ、各自小さな紙コップにご飯を入れ
ちじくカレー」同様にとても甘いカレー
わからないが、インターネットを通じて
一位を獲得した。そのせいなのかどうか
同様の商品を販
群馬県などでも
のししというの
で、学生には好評だった。しかし、先生
は変わった食材
て、その上にルーを少しずつ取ってかけ
だった。「鬼太郎の好きなビーフカリー」
のように思えた
売していた。い
は肉などの具が大きく、食べごたえのあ
が、意外と多く
購 入 し よ う と し た ら、 ど こ も 売 り 切 れ
減を誤って、少々硬かったものの、美味
る カ レ ー と な っ て い る。 食 べ 盛 り の 若
方には少々甘すぎたようだ。
しいカレーを食べられるという期待か
者 に は ぴ っ た り だ。「 妖 怪 フ ァ ミ リ ー カ
る、というやり方で行った。ご飯は水加
食してくれたみんなの感想を加え
ら、試食会は楽しい雰囲気で始まった。
使われているこ
世 帯当た り 購 入量 で全 国一 位( 総
さ んは、 鳥取 市 がカ レー ルー の 一
とに驚いた。
レー」というのもあったので、ぜひ「鬼
太郎の好きなビーフカリー」と一緒に食
ながらカレーを紹介したいと思
う。 ま ず、 最 初 は「 い ち じ く カ レ ー」。
べてみていただきたい。
試
いちじくで有名な出雲市多伎町の、いち
皆
ルーツカレー」だ。その名のとおり、三
次 は「 三 朝 カ ン ト リ ー 倶 楽 部 名 物 フ
ちじくのぷちぷちとした食感を楽しむこ
広がっていく。また、嚙み始めると、い
うだ。山陰のレトルトカレーを調べてい
レーに一番近いもので食べやすかったよ
ね の 和 牛 カ レ ー」 は 普 段 食 べ て い る カ
の ほ と ん ど は 甘 い と 感 じ て い た。「 し ま
は学生の多くが辛いと感じたが、先生方
ビーフカリー」だ。「しまねの和牛カレー」
まねの和牛カレー」と「鬼太郎の好きな
このほかに学生に好評だったのが、「し
通販の様子を調べてみると、どうやらも
だ。試食会後、しばらくしてからネット
で、 八 百 回 記 念 に 限 定 発 売 さ れ た も の
いう番組から生まれたレトルトカレー
陰放送で放送されている「生たまご」と
売 者 は 島 根 県 松 江 市 の 会 社 )。 こ れ は 山
のが「カレーDo Yo 」だ(ただし、販
「 か に 団 子 」 と「 白 ね ぎ 」 が 入 っ て い る
な鳥取県の特産物である紅ズワイガニの
グ)であることをご存知だろうか。そん
務省調べ。都道府県庁所在市別ランキン
ているもの
ると、鳥取和牛や三瓶牛や石見和牛など、
ると口全体にフルーツならではの甘みが
じくを使ったチキンカレーで、一口入れ
を再現した
朝町にあるゴルフ場のレストランが出し
とができる。
レトルトカ
先生方に好評だったのが「いのししカ
大社町の島根ワイナリーで販売されてい
のが「ワインカレー」だ。これは出雲市
課外学習の休憩中に偶然にも発見した
うネットでは販売されていないようだっ
牛肉を使ったものが目立った。
レー」だ。総販売元は島根県飯南町の「グ
「 鬼 太 郎 の 好 き な ビ ー フ カ リ ー」 は、
レーだ。煮
ルーツらし
ランディア赤名峠」。黄・黒・赤(激辛)
た。 島 根 ワ イ ナ リ ー の 赤 ワ イ ン( 甘 口 )
込んで溶け
きものは見
の三種類がある。全体的に辛めで、この
を使用しており、わずかにワインの風味
た。私たちは幸運にも食べることが出来
あたらな
辛さが先生方にはちょうど良かったよう
を感じることができた。ワインを使用し
あるテレビ番組において、四十七都道府
い。しかし、
だ。インドのカレーのようだという感想
消失しているため、子供でもおいしく味
ているものの、製造過程でアルコールは
てしまった
食べてみる
があった。インターネットで「いのしし
たので良かった。
とフルーツ
カレー」を検索すると、岡山県や高知県、
県のご当地レトルトカレーランキングで
の甘みが口
せいか、フ
に残る。「い
おり、唯一
から知って
だ。私が前
え カ レ ー」
が「 さ ざ
しているの
贅沢に使用
のさざえを
隠岐特産
レーだ。
わえるカ
カレー流行の原因ではないだろうか。
文し食べることができる。これがご当地
ら簡単に各地の珍しいご当地カレーを注
ターネットの普及により、遠くにいなが
出すのにこれを使わない手はない。イン
レーは大好きだ。自分たちの地域を売り
レーの大好きな人が多いと思う。私もカ
い。 考 え て み る と、 確 か に 日 本 人 は カ
あ る だ ろ う が、 そ れ だ け だ と は 思 え な
ということだ。テレビの影響ももちろん
ト ル ト カ レ ー が こ こ ま で 人 気 な の か?」
」
が、どのカレーもそれぞれパッケージに
キドキを楽しみながら「レトルトカレー」
となる。少しずつ注文し、届くまでのド
が に「 も う 当 分、 カ レ ー は い ら な い
一度にこれだけたくさん食べるとさす
このカレー
力を入れている。どれも目を引くものば
を楽しんで欲しい。各地のものをいろい
写真からわかっていただけると思う
だった。見
かりだ。パッケージの裏側を見ていてあ
ろ と 食 べ て み る こ と で、「 こ れ だ
のあるのが
食べたこと
た目は深い
ることを発見した。九品中、六品に地図
」と
緑で、さざえの肝が入っていることがわ
!!
いてあったので、隠岐出身の友人に聞い
かる。パッケージに「島じゃ常識」と書
までの交通手段が説明してある。これは
楽部名物フルーツカレー」にはゴルフ場
が 付 い て い る の だ。「 三 朝 カ ン ト リ ー 倶
(はた・まさえ/文化資源学系二年生)
に出会えるかもしれない。
思 え る お 気 に 入 り の「 レ ト ル ト カ レ ー」
別に驚かない。
てみたところ、確かにカレーの中にさざ
えを入れるらしい。
目は、六品中の三品に「ここです!
ルーの中に最初から入っているわけでは
法で島根県をアピールしている様子をよ
全国一位」といわれるほどで、様々な方
県は「どこにあるかわからない都道府県
田市の特産物である干しカレイが丸々一
ない。箱を開けると、ルーとは別に干し
く目にする。「島根の弁護士」や「砂時計」
島 根 」 と 入 っ てい たこ とだ。 島 根
カレイが一匹そのまま入っているのだか
など、テレビや映画などでも島根県をア
注
ら驚きだ。カレイを袋から出すとすぐに
ピ ー ル し て い る が、「 レ ト ル ト カ レ ー」
今回の大試食会で誰もがびっくりした
かれい
魚の美味しそうな匂いがしてきた。その
尾入っているカレーだ。カレイはカレー
カレイをそのままご飯の上に乗せ、さら
というジャンルまでもがその方法のひと
の が「 ど ん ち っ ち 鰈 入 カ レ ー」 だ。 浜
にその上からルーをかける。なんとも面
つとなっていることがわかった。
催 し て 考 え た こ と が あ る。「 ど う し て レ
この「レトルトカレー大試食会」を開
白い光景だった。名前にある「どんちっ
ち」というのは、石見地方の方言で「石
見神楽」のことだそうだ。
のんびり雲|第2号| 2008
25 !!
オーストラリアの味
Aussie tucker
体験レポート
根間南央美
二〇〇七年十二月二十二日。私たち家
族はオーストラリアのゴールドコースト
にある土産物屋にいた。日本人観光客向
けの店だけあって、みんな日本人、みん
な日本語。耳に入るもの、目に入るもの
は全て英語という慣れない地に身を置い
ていた私は、久しぶりに見た日本語に感
動しながら友人たちへのお土産を選んで
いた。
皆さんは、オーストラリアのお土産と
いうと何を思い浮かべるだろう?
カン
ガ ル ー や コ ア ラ の グ ッ ズ、 マ カ ダ ミ ア
ナ ッ ツ や チ ョ コ( テ ィ ム タ ム )、 ――
こ
れらは定番である。しかし、私はかわい
いモノより面白いモノ、定番より変りモ
ノを選ぶ人間である。
あ る 人 へ の お 土 産 に、「 こ れ は ネ タ に
なる!」と買ったものがあった。それは、
この雑誌の創刊準備号で少し紹介されて
いたが、「トラウマになる」味と評され、
オーストラリアに留学経験のある友人も
それでもオーストラリア人にとっては身
「あれは……」と絶句するほどの食べ物。
近 で 自 慢 の 調 味 料。 こ の「 ベ ジ マ イ ト 」
である。
ホテルの朝食のテーブルには、マーガ
リン、ジャムと並んでベジマイトが当た
り前のように並んでいた。ということは、
オーストラリアでは、パンにつけて食べ
るのが普通の食べ方なのだろうか。私は、
前評判を知っていたので、あえて手をつ
けないまま、オーストラリアを後にした。
帰国後、学校へ行き、その人にベジマ
26
イトを渡して、いろいろ説明したところ、
この人は笑顔で言った。
私も食べた。
入れることが大切ではないだろうか。
んなで食べよう!
もちろん、根間さん
な、醬油のような、麴のような、 ――
日
本的な匂いである。口に入れてからそん
である。匂いを嗅いでみる。味噌のよう
十 五 日 ) が 来 る の を 静 か に 待 っ て い る。
は今、なぜか我が家で、賞味期限(十月
できてよかったと思う。そのベジマイト
トラリアを思い出した。……とまではい
イルミネーションに彩られた夏のオース
も」
なに時間が経たずに、どこからともなく
黄色いラベルを見ながら、クリスマス
最初は冗談だと思っていたが、だんだ
悲鳴が聞こえた。そして「しょっぱい!」
さながらチョコレートスプレッドのよう
ん企画が具体化し、二〇〇八年六月十九
さて、気を取り直して、この後はカレー
見 た 目 は こ げ 茶 色 で、 パ ン に 塗 る と、
日、ベジマイトを買って半年後についに
と 口 々 に 叫 ん で い た。 さ っ き ま で 笑 顔
の試食会である。きっととってもおいし
「 今 度 の『 の ん び り 雲 』 の 企 画 で、 み
企画が実現してしまったのである。
だったみんなも少々ノックダウン気味に
かなかったけど、現地でし損ねた経験が
現地ではどのように食べているのか見
(ねま・なおみ/文化資源学系二年生)
た。
い は ず …… と 誰 も が 信 じ て 疑 わ な か っ
も嫌いな人は多くいる。後で知ったこと
海外経験豊富なはずの先生方も絶句の
他にも、カレーに入れたり、肉
どに塗られることが多い。また、
とは思わない」
だが、強烈な味を和らげるために多量の
こうじ
ることは出来なかったが、ベジマイトの
なっている。 ――
感想を聞いてみよう。
「 ま ず く は な い。 で も 何 回 も 食 べ た い
に 塗 っ て 食 べ る の が 主 流 の よ う で あ る。
バターやスライスチーズと一緒にパンな
食パンにそのままベジマイトを塗ってみ
代 物。「 食 べ れ ん こ と も な い 」 と 二 切 れ
の下味をつけるのに使われたり
公式サイトなどを見てみると、トースト
が、 ト ー ス ト す る の は 少 々 面 倒 な の で、 「味わう間もなく舌が拒絶した」
んなで食べてみることにした。もちろん、
三切れ食べていたのは
など、意外なところで活躍して
いる。隠し味として使うと、実
鹿野先生だけだった。
味くて当然かもしれな
健康食品なんだから不
富 む 健 康 食 品 で あ る。
おり、ビタミンB群に
イースト酵母が入って
染み深い食べ物だが、海外では
考えてみてほしい。日本では馴
と合わなかった。でも、納豆を
い女の子たちの)口にはちょっ
の味は日本人の(少なくとも若
われているベジマイトだが、そ
オーストラリアの国民食と言
はおいしいのかもしれない。
いが、見た目がチョコ
好き嫌いが分かれそうな食べ物
ベ ジ マ イ ト と は、
レートっぽいことから
である。こんなふうに、世界に
があって、これが不味
は「どうしてこんな味になって
「甘い」という先入観
さに拍車をかけている
しまったの
」という食べ物が
のだろう。
はオーストラリア人で
しかし、ベジマイト
せ ず、「 こ れ も 異 文 化 」 と 受 け
たくさんある。そんな味を拒絶
のんびり雲|第2号| 2008
27 !?
朝市・直売所を
楽しむ
卒業研究◉朝市・直売所研究班
安達由加利・岡田有加・小山智希
濱﨑まどか・三輪沙織
少しばかりの野菜が並べてあって、近所
の 人 が 数 人 買 い に 来 て お ら れ て …… と、
小規模なものでした。しかし、水辺の朝
市は、私たちの想像よりずっと大規模な
朝市でした。
がとめられ、トランクを開けたまま待機
宍道湖側の駐車場一面に列を作って車
しています。近づいてみると、トランク
の前にはたくさんの野菜や魚などの品物
が並べられていました。そして、たくさ
んのお客さんが七時の開店を今か今かと
待っておられました。お客さんの年齢層
は若い方から年配の方までさまざまで
す。水辺の朝市は、近所の方々だけでな
く松江市民全体に開かれた市であること
がわかりました。
七 時 に な り、 水 辺 の 朝 市 の 開 始 で す。
そこからは争奪戦という感じ。売り手の
方もお客さんも朝からみなさんとても威
勢がよく、元気な声と明るい笑顔が飛び
交っていました。そして、あっと言う間
Aの担当の方にお話を聞かせていただき
私たちは朝市が行われている間に、J
す。昭和六十三年は、ちょうど私たちが
売所がオープンしていったということで
四年頃から松江市内各地で朝市や産地直
に終了。
ました。この水辺の朝市を始めるきっか
水辺の朝市
六月一日、朝六時五十分、私たちは眠
生まれた年です。そんな朝市を卒業研究
を次の世代が受け継ぎ、もっと広めなさ
けとなったのは、昭和六十三年、当時の
じような、観光に結びつく朝市が松江市
いということなのかな?──なんだかそ
たい目をこすりながらも松江市役所に到
に 車 が た く さ ん と ま り、 多 く の 人 で 賑
でもできないか」と提案されたことだっ
んな気持ちになりました。第一回目の朝
で調査するようになったのは、この朝市
わっています。思わず目を疑いました。
たそうです。そして、J Aくにびきの呼
市取材で、水辺の朝市を取材できたこと
松 江 市 長 さ ん が、「 高 知 市 の 日 曜 市 と 同
私たちが卒業研究で朝市や産地直売所
びかけで平成元年の夏、始まったそうで
も、とても縁があるように感じました。
着しました。すると……市役所の駐車場
の研究を始めてから、実際に現地に足を
す。
私たちが一番楽しかったのは、市が終
運ぶのは今回が初めてです。私たちが想
像していた朝市は、小さな小屋があって、 水辺の朝市が始まったのを機に、平成
■「水辺の朝市」のロゴ
入りエプロンが印象的。
ということです。
始まりました。地域の会員さんは、この
野菜類はほとんど残っていませんでした
お店に出荷することで少しでも小遣いが
わかりました。水辺の朝市を訪れ、みん
入るし、情報交換の場にもなっています。
良い品やお買い得の品は午前中にたいて
い売り切れてしまうそうです。朝、お店
農業は重労働で大変なイメージが強いけ
( 残 念!)。 店 番 の 長 江 さ ん の お 話 で は、 お店はお年寄りの生きがい対策として
了されました。そして、これから先の卒
に自分の作った農産物などを持ってき
れども、笑って百姓をしようということ
雰囲気の朝市のおもしろさに私たちは魅
業研究が楽しみになるような、そんな感
て、ついでにほかの人が出荷した品物を
で「 百 笑 市 」 と 名 付 け ら れ た そ う で す。
なが笑顔になれるような、そんな暖かい
動を与えてくれました。
買っていく会員さんも多いようです。
本当に笑顔の溢れるお店になっていると
このお店では地元の保育園に給食の食
材の配達もしておられます。保育園から
感じました。
(あだち・ゆかり/文化資源学系二年生)
給食の二週間分の献立表をもらい、それ
です。こしひかり祭りは九月の最後の日
す。盆の花市や秋のこしひかり祭りなど
くまの百笑市
るけど、その場合もすべて国産品を選ぶ
地元産で足りないものは市場から仕入れ
に 合 わ せ て 毎 日 配 達 し て い る そ う で す。 くまの百笑市ではお祭りも開催されま
笑市」という、ちょっと変わった名前の
直売所。熊野大社(松江市八雲町)のす
ぐ近くに「ホットランドやくも」という
が あ り、「 く ま の 百 笑 市 」 は そ の 真 向 か
二十五メートルプールを備えた温泉施設
わったあとの団欒です。市に出店された
店舗は小さなプレハブで、入口には木
い に あ り ま す。 田 ん ぼ や 山 に 囲 ま れ た、
私たちがお話をうかがおうと声をかける
彫りの熊のかわいらしいマスコットが置
のんびりした場所です。
と、快く受け入れてくださいました。特
いてあります。営業時間は朝の九時から
方たちは、売れ残った商品を今度は産地
に印象的だったお話は、この朝市の前日
次々と顔なじみのお客さんが入ってきて
夕 方 五 時 ま で で、 水 曜 日 が 定 休 日 で す。
直売所などに持っていかれます。しかし、
は、夜中の十二時まで準備をすることも
は、店番の長江さんに気さくに話しかけ、
ある、というお話です。毎週日曜日、朝
七時からの水辺の朝市を楽しみに待って
買い物を楽しみます。
ほどです。
在、会員(商品を出荷する人)は五十人
十二月で、去年十周年を迎えました。現
この直売所ができたのは平成九年の
いるお客さんのために、心を込めて農作
物を送り出そうとしておられる様子が目
に浮かびました。
「お客さんとの情報交換がたのしいよ」
と言っておられたのを耳にして、朝市は
また生産者とお客さんとのたくさんの出
定休日で、しかも午後にうかがったため、
な商品の値札がありましたが、次の日が
生 産 者 の 顔 が 見 え る 安 心 な 場 で も あ り、 お店には野菜や米、漬物などいろいろ
会いが生まれる交流の場でもあることが
■(上段)くまの百笑市の店舗。熊がお出迎え。(下段)長江さんと記念写真。
六月三日。今日の訪問先は「くまの百
■水辺の朝市にて。「うまいよー。ちょっと食べてみんかねー」
というキノコも登場し、大人気だそうで
が 売 ら れ ま す。 こ の 祭 り で は「 サ マ ツ 」
曜日、朝九時三十分から開催され、新米
(おかだ・ゆか/文化資源学系二年生)
くれたらいいなと思います。
ほのぼのとしたこのお店がずっと続いて
だ な、 と 思 い ま し た。 地 域 に 密 着 し た、
キーもありました。どれも安い!
みな
がずらり、なかには手作りのパンやクッ
のでした。たくさんの野菜や花、苗など
売所の中ではずば抜けて規模の大きいも
さん慣れた手つきで品物を選んで買って
す。サマツの販売のほか、サマツ入りの
炊き込みご飯と豚汁が用意されます。私
いかれます。
J Aグリーンかわつは平成十年に始ま
プがそれぞれ、市場に出せなかったもの
J Aグリーンかわつ
はサマツというものを初めて聞いたので
すが、マツタケによく似たキノコで、マ
六月十七日。J Aグリーンかわつ(松
を小さな小屋(たいていが無人)で売っ
りました。それ以前は各地の農家グルー
江市西川津町)は朝から賑わっていまし
のがJ Aグリーンです。このような直売
ていたそうです。それをまとめてできた
ツタケより質は少々劣るが安くておいし
た。エコロかわつ(J Aの店舗)の隣に
いため、すぐに売り切れてしまうそうで
設置されたこのお店は、今回紹介する直
す。
な っ て い る こ の お 店 は、 ま さ に「 百 笑 」
商品がどれだけ売れたかの情報を携帯電
たり一面田んぼが広がり、ハウスもたく
う す 」。 松 江 市 浜 佐 田 町 に あ り ま す。 あ
七月一日。今日の取材先は「とまとは
とまとはうす
話 で 手 に 入 れ る こ と が で き る と 聞 い て、
中 に 入 る と 店 番 の 方 が「 こ ん に ち は、
さん立ち並んでいます。「とまとはうす」
いらっしゃいませ」と声をかけてくださ
地元で取れた野菜が安く手に入る、こ
の手でおいしそうな野菜を選ぶ楽しさが
いました。店内には野菜や花などが並び、
は 見 つ け る の に ち ょ っ と 苦 労 し ま し た。
あ り ま す。 生 産 者 の 側 に 立 っ て み て も、
外には苗もあります。名前のとおり、も
のようなお店が私の家の近くにもあった
このようなお店があれば、市場に出せな
ちろんトマトもいろいろな種類が揃って
小さな可愛らしい直売所で、しかも看板
かったものを食べてもらえて助かると思
います。
らいいなと思いました。スーパーのよう
います。
がなかったからです。
(こやま・ともき/文化資源学系二年生)
に形や大きさが揃っていなくても、自分
大変驚きました。
ます。会員のみなさんは自分の出荷した
は生産者の名前とバーコードが付いてい
しに会員さんが訪れるそうです。商品に
くらいから始まり、午前中はひっきりな
営業します。商品の持ち込みは朝六時半
開店は八時三十分で、夕方六時頃まで
にあります。
所は川津のほか、津田や古江、玉湯など
新鮮で、安くて、地域の交流の場にも
■JAグリーンかわつ。
■「とまとはうす」の店内。
30
■(左)「とまとはうす」の前で記念写真。(右)「とまとはうす」の段ボール。こりゃ、楽しい。
利 な 宅 配 サ ー ビ ス も あ り ま す。 こ の 段
れた段ボールもあって、これを使った便
似顔絵だそうです。この似顔絵が印刷さ
な似顔絵です。これは会員のみなさんの
額に入れて飾ってある、集合写真のよう
店 内 に 入 っ て す ぐ に 目 に つ い た の が、
した。
さと心遣いをひしひしと感じた一こまで
た。会員のみなさんのネットワークの良
ざわざ自転車でかけつけてくださいまし
話をされ、野津さんはお忙しいなか、わ
しい話を聞けるから」と、野津さんに電
(こやま・ともき)
うお話がとても印象的でした。
お客さんもいて、それがうれしい」とい
今ではおばあちゃんに会いに来てくれる
似 顔 絵 の 真 ん 中 に お ら れ る の が、「 と
もしろいなと思いました。
なサービスには初めて出会ったので、お
津さんのお母さんは八十二歳になられる
ても楽しいとおっしゃっていました。野
や、会員のみなさんと交流することがと
たくさんのお客さんが来てくださること
りの看板が掛けられていて、明るい雰囲
狭かったのですが、鹿の絵が入った手作
な店舗で営業しておられました。店内は
おじゃましました。農道沿いにある小さ
こともあるそうです。しかし野津さんは、 七月三日。今日は秋鹿ふれあい農園に
秋鹿ふれあい農園
まとはうす」の発起人の野津さん夫妻で
気が漂っていました。
大変で、集計が深夜までかかってしまう
す。野津さんが市場に出せなかったトマ
のに、今でも週末に店番をされているそ
店番の石倉さんにお話をうかがいまし
農業をしながらお店もするのはやはり
トを無人市で売ったのが、このお店のそ
う で す。「 手 伝 っ て も ら っ て い る う ち に
た。ちょうど品物を買われたお客さんに
ボールにお店で買った商品を詰めて送る
も そ も の 始 ま り で し た。 近 所 の 農 家 の
話し相手ができて、生き生きとしてきて、
と、送料が安くなるそうです。このよう
方々に「いっしょに店出さん?」と声を
か け て、 平 成 七 年 に ス タ ー ト し ま し た。
ずっとお店にあるといいね、という思い
お店を出すきっかけとなったトマトが
を こ め て、「 と ま と は う す 」 と 名 付 け た
そうです。営業時間は朝八時から夕方六
時まで、休みは正月だけです。現在の会
員は十一人で、一日五時間ずつ交代で店
番をされています。
会員のみなさんは、売り上げでたまっ
たお金で一年に一度旅行に行かれるそう
です。また、話し合いもかねてお茶を飲
ん だ り す る の が、 み な さ ん の 楽 し み と
なっています。飾られた似顔絵を見ると、
みなさんの楽しさが伝わってくるようで
す。
私たちが訪れたときに店番をされてい
た 高 島 さ ん が、「 野 津 さ ん な ら も っ と 詳
の袋のひとつひとつに会員を示す記号
ありました。そのほかに、会員以外の方
お店には季節の野菜や切り花が売って
ちが想像していたのは、魚がたくさん並
した。港にある朝市ということで、私た
島町恵曇漁港にある朝市におじゃましま
朝から気合が入っていました。今日は鹿
朝 市 調 査 前 半 戦 の 最 終 日 と い う こ と で、
めておよそ二カ月が経ちました。今日は
七月二十六日、私たちが朝市調査を始
えともフレッシュ朝市
(みわ・さおり/日本語文化系二年生)
なかったので少しびっくりしました。
いう風習が、私の出身地の石見地方には
だ、お茶がなくなるとすぐにまた注ぐと
れ も お い し く て お 茶 が 進 み ま し た。 た
そっくりで、味もよく似ていました。ど
は び っ く り。 見 た 目 は ナ ス の 煮 し め に
チャ煮などでした。キュウリの煮しめに
た の は キ ュ ウ リ の 漬 物 や 煮 し め、 カ ボ
お茶といっしょにテーブルに並んでい
りました。
り終わると私たちもお茶をごちそうにな
時間だったようで、インタビューが一通
私たちがうかがったときがちょうどその
が ら、 い ろ い ろ な 話 を さ れ る そ う で す。
漬物などを食べたりお茶を飲んだりしな
客さんたちも加えて、お菓子や自家製の
終わると、会員のみなさんは来られたお
す。休みは盆と正月です。開店の準備が
お店は朝八時から正午まで開いていま
「 は い、 百 万 円!」 と 言 っ て お つ り を 渡
あった)に無人市として店を出しておら
かったり、金庫が二回も盗まれたりした
れました。しかし、お金の計算が合わな
(カナ一文字)が書いてありました。
長江ふれあい市
されるような、おもしろい方でした。そ
のお客さんは車関係の会社を経営されて
いて、自分のお客さんに地元の新鮮なお
い し い 野 菜 を 食 べ て も ら い た い と 思 い、
毎朝のように買いに来られます。その社
長さんは初対面の私たちにバルーンで
作った犬をお土産にくださいました。こ
ういった地元の方との出会いもあり、楽
しい会話ができるのも直売所の魅力だと
思います。
このお店は農協に場所と建物を借り
て、平成四年に始められました。以前は
無人でしたが、今では会員が交代で店番
をしておられます。営業時間は午前七時
三十分から十時三十分までで、定休日は
月曜日。会員は多いときは三十人ぐらい
でしたが、今では十二人です。全員女性
で、若くても七十代前半ぐらいだそうで
す。
商品は百円の野菜が中心で、そのほか
ため、昨年平成十九年に現在の場所にお
さんが数人、お茶を楽しんでおられると
の依頼でお店の一角を使って工芸品や
店を建て、移転されました。
ころでした。ずかずかと入っていった私
ジャムなども売られていました。
を訪れました。お店に入ると会員のみな
られています。冬場は味噌加工場も直売
たちを最初は「……?」といった感じで
品 物 を 出 さ れ る 方 が 会 員 で、 十 二 ~
七月十日、午前九時、長江ふれあい市
所も賑やかだそうで、ぜひその時にまた
見ておられましたが、取材をお願いする
す。味噌は直売所の前にある加工場で作
行ってみたいと思います。
と会長の加藤さんをはじめ、みなさん快
味噌や餅、シジミなども出品されていま
がったところ、いろんな人と話せること
石倉さんに直売所のやりがいをうか
番にされています。会員の方々は午前七
十三人から始まり、現在は十人ほど。全
時半から準備を始めます。多い人は二十
く私たちの質問に答えてくださいまし
長江ふれあい市は平成四年に開店しま
~三十の品物を出されるそうです。品物
と言っておられました。私もこの日初め
した。開店当初は現在の店の場所から少
員女性で、店番は会員の方が二名ずつ順
し 離 れ た 空 き 地( 当 時 は 農 協 の 倉 庫 が
た。
た。
会話がとても楽しく、温かさを感じまし
(はまさき・まどか/英語文化系二年生)
て直売所を訪れましたが、お客さんとの
■長江ふれあい市のみなさんと談笑。料理もいただきました。
32
んだ魚市場のような朝市でした。到着後、
ように、開店時間と同時に一斉に入場す
午前九時、今から始まりますというア
るのです。
ていました。もちろん魚もたくさん並ん
ナウンスとともに、ロープが外され、朝
よくよく見てみると、想像とは少し違っ
でいたのですが、野菜も魚に負けないく
市が始まりました。お目当ての品物を買
い求めようと必死になるお客さんと、威
らいたくさん並んでいました。
し か し、 私 た ち が ビ ッ ク リ し た の は、
うな気持ちになり、とっても楽しくなり
見ていると、なんだかバーゲンに来たよ
おうか迷っていると……何やら入り口付
ま し た。 朝 か ら み な さ ん に 元 気 を も ら
勢のいい声で品物を売る店員さんたちを
近に人だかりができています。そしてみ
い、眠気が一気にどこかへ飛んでいきま
これだけではありません。たくさんの品
な さ ん、 私 た ち の 方 を 不 思 議 そ う に 見
い き、 ほ ん の 七、八 分 ほ ど で、 さ っ き ま
した。みるみるうちに品物はなくなって
物を前にして、写真を撮ったり、何を買
て お ら れ ま す。「 私 た ち 何 か し た の だ ろ
で大勢のお客さんでにぎわっていた市場
うか?」と思ってよく見てみると、入り
口にロープが張られ、お客さんたちがス
この朝市は月に一回、第四土曜日に開
は、一気に静かになりました。
ました。そうです!
この朝市では、お
かれています。月に一度ということもあ
タートラインに並んでいることがわかり
客さんたちがみんな平等に品物を買える
に始められたそうで、昔はもっともっと
聞いてみると、この朝市は今から十年前
した。出店されている方に詳しくお話を
会いが出来たことをとても嬉しく思いま
しろい方ばかりで、朝市を通していい出
方々はみなさんとても親切でお話がおも
安 達 さ ん を は じ め と し て、 鹿 島 町 の
ズーズー弁がとっても印象的でした。
面の私たちにも気さくに話しかけ、おも
たくさんのお客さんが来ておられた、と
り、お客さんはきっと毎月この朝市を楽
のことでした。しかし、年々高齢化が進
した。最後に、この朝市で一番の美人さ
ちらまで顔がほほえんでしまうような
み、今ではずいぶんお客さんの数は減っ
んとして有名な貝原さんといっしょに写
しろい話をたくさんしてくださって、こ
たそうです。これを聞いて、ちょうど今
真を撮らせていただきました。若いのに、
しみにしておられて、だからこんなに多
年で二十歳になる私たちでもこれだけ楽
れる姿は、私たちに希望を与えてくれま
みんなといっしょになって頑張っておら
くの方が集まるんだろうなぁ、と思いま
もしろさを多くの人に伝えてほしい、と
した。こんな素敵な出会いのある「えと
しめる朝市なのだから、なんとかこのお
いう思いを強くしました。
てほしいです。
もフレッシュ朝市」にぜひ一度行ってみ
同姓ですが親戚ではありません)に出会
(あだち・ゆかり)
今日の朝市で安達さんという方(私と
いました。J A鹿島支店の方です。初対
■えともフレッシュ朝市。(上段)お客さんが殺到する魚介類
売り場。(下段)漁協・農協の方と記念写真。
■えともフレッシュ朝市。(上段)開始の合図とともに売り場
に急ぐお客さん。(下段)農産物の売り場。
岡本一銭屋
(米子市)
松本そのか
商店
探訪 ③
「おばちゃん、これちょ~だい」
「 は ~ い。 ち ょ う ど 百 円 ね。 上 手 に 計
算できたね」
店の中からは、いつも元気なおばちゃ
んと子どもたちの声が聞こえてくる。
る。米子港にほど近い住宅街を進んでい
店 の 名 は 岡 本 一 銭 屋。 駄 菓 子 屋 で あ
くと、一瞬どきっとするような、大きな、
古くて立派な看板が現れる。店名「岡本
一銭屋」と大きな一銭玉が描かれた看
自転車がこの店の目印である。春夏秋冬、
板、それに店の前に所狭しと並べられた
いつでも近所の子どもたちの憩いの場と
なっている。
面白いものがいっぱい
このお店の一番の名物は、おばちゃん。
でも、ほかにも目を引くものがたくさん
ある。まず、その建物だ。明治時代に建
てられたもので、お店の二階の壁は、こ
のあたりの家ではよく見られる「なまこ
に も 面 白 い も の が た く さ ん あ る。 ま ず、
壁」である。外観だけでなく、お店の中
今ではとても珍しくなった箱段だ。箱段
の箱の中には、ガムテープやはさみ、糊
などの日用品が、おばちゃんの使いやす
いように片付けられている。
その箱段を上ると、二階には小さな部
屋がいくつもある。実は昔、岡本一銭屋
は飴の製造販売を営んでいた。二階は飴
職人の下宿場だったのである。飴屋をし
この人があの一銭屋の看板を考案して掲
ていたのは、おばちゃんのお義父さんで、
34
は真剣だが、その声には優しさがこもっ
わす機会がどれ
か。携帯電話や
げた人だ。二階にはお義父さんが趣味で
駄菓子屋は、子ども相手の商売。絶え
パソコンで、い
だけあるだろう
る。例えば、人魚のうろこのようにキラ
ず、子どもと関わっている。おばちゃん
つでも簡単にや
ている。
キラきらめいているダイヤル式電話。こ
が、子どもたちと関わるなかで最も大切
り取りできる時
集めた珍しい品々が今でもたくさんあ
れが今も線がつながっていて、使われて
にしていること、それは子どもたちと真
りを大切にしな
いるというから驚きである。一銭玉や十
ければならない
人と人との関わ
剣に聞いてあげれば、子どもたちだって
と思う。子ども
代 だ か ら こ そ、
本気で話してくれる。学校のこと、友達
はたくさんの人
剣に向き合い、話すことだ。
の こ と、 家 の こ と だ っ て ……。 だ か ら、
と関わりながら
銭玉などが「岡本」の字の形に並べられ
「これ、そこに自転車止めたらだめよ。
私はいつも子どもたちと真剣に向き合っ
見ていて飽きない。
きちんと一列にお店の前に並べなさい」
ているんだよ」
顔のおばちゃんだが、時々子どもたちを
れた。なるほど。確かにそのようだ。い
おばちゃんは、こんなふうに話してく
甘えるなって言うのは、あんたに期待し
あんたは頑張ってるよ。それでも先生が
くわかりやすい。今度、子どもたちに見
「 先 生、 こ れ 本 当 に う れ し い わ。 す ご
り声が聞こえてくる。いつもは優しい笑
叱ることがある。ルールやマナーをきち
つもお店の中には、おばちゃんと一緒に
ているからだよ。もっと自信持ちなさい」
成長していくも
お店の中からは、時々おばちゃんの叱
た額もある。とにかく、色々な物があり、 「 私 が ど ん な こ と で も 真 剣 に 話 し て 真
のだ。
んと身につけてほしいからだ。叱るとき
畳に座って、目を輝かせな
せてあげるわ」
たり、褒めてくれたり……そして時には
緒に遊んでくれたり、相談に乗ってくれ
り、友達であり、相談相手でもある。一
おばちゃんは、子どもたちの先輩であ
一銭玉を貼り付けたシートもある。この
ためのものだ。岡本一銭屋には、歴代の
ある。見学に来た小学生たちに説明する
で作った「昔一銭で買えたもの」の表で
んびり雲』の編集長がおばちゃんの頼み
おばちゃんが手に持っているのは、『の
「 お ば ち ゃ ん、 私 は 甘 え
叱ってくれる人。今の時代、こんな大人
あいさつは大事!
ているつもりないのに、先
店の看板に描かれている大正九年の一銭
る。これは、足を骨折した
がら話している子どもがい
生に『甘えるな 』って日
が身近にいることのほうが少ないのでは
のラベルは赤い線で囲んである。
陸上部の女子高校生とおば
誌 に 書 か れ ち ゃ っ た ……。
ないだろうか。
ちゃんの会話だ。
一生懸命頑張ってるのに」
るのに走るなんてバカじゃ
「 あ ん た、 足 を 骨 折 し て
に愚痴をこぼす。
を口にしながらおばちゃん
出し、畳に腰掛け、アイス
冷蔵庫からアイスを取り
子どもたちが近所の大人たちと会話を交
人と人とのつながりがある。今の世の中、
買うときとは何かが違う。駄菓子屋には
軽に買える。しかし、やはり駄菓子屋で
品売場でも売られているので、今でも手
菓子コーナーや、近くのスーパーの食料
駄菓子は、ショッピングセンターの駄
よ」とおばちゃんは言う。しかし、なか
さつをしない子はお店の中に入れない
本 一 銭 屋 の ル ー ル で あ る。「 私 は、 あ い
いさつをしてお店の中に入ることは、岡
も元気なあいさつが飛び交っている。あ
こんにちは」──岡本一銭屋では、いつ
「 お は よ う ご ざ い ま す 」「 お ば ち ゃ ん、
のんびり雲|第2号| 2008
35 !!
な い か ね。 で も、 え ら い。
■自転車の止め方を指導するおばちゃん。
んな子には、「おはよう。今日も暑いね」
には恥ずかしがり屋の子どももいる。そ
行事などのある時期が年間で最も
八月にかけての夏祭りや子ども会
な か に は、「 六 十 円 分 の 袋 詰 め
忙しいそうだ。
かける。すると子どもは、はにかみなが
を作ってください。他の店では断
と、おばちゃんの方から大きな声で声を
らあいさつをする。そんなあいさつから
られてしまって」といった注文も
これは、子ども会や保育所、幼稚園など
さ れ た お 菓 子 や お も ち ゃ が 入 っ て い る。
留まる。その中には、たくさんの袋詰め
なダンボール箱が置かれているのが目に
岡本一銭屋に入ると、たくさんの大き
き そ う で あ る。「 他 の 店 が 断 っ た
取った子どもたちの笑顔が見えて
め る 内 容 で あ っ た。 こ れ を 受 け
合わせで子どもたちが十分に楽し
個も入っており、にぎやかな詰め
てもらって驚いた。お菓子が六、七
あ る。 い く ら な ん で も 六 十 円 は
たくさんの会話が生まれる。
……。しかし、実際に現物を見せ
から注文されたものだ。お祭りやお楽し
ことでも、私の店では引き受ける
ルは色々な種類があったほうが子どもた
ちゃんに相談した。おばちゃんは、「ボー
ル を 入 れ る た め の 袋 が 必 要 だ と、 お ば
ルと、すくうための道具と、すくったボー
めの買い出しに来ていた。スーパーボー
が、お金を持ってくるのを忘れてしまい、
は、その子はベーゴマを買いに来たのだ
らくしてもう一度その男の子が来た。実
わずに出て行ってしまった。でも、しば
子がお店にやって来た。しかし、何も買
こんな出来事もあった。小学生の男の
を差し出した。
これ持って帰りなさい」と、一本のヒモ
の子を不憫に思ったのだろうか。「ほら、
きも一度家にお金を取りに帰っているそ
が、お金が足りない。おばちゃんは、さっ
言われて、男の子はヒモを買おうとした
おばちゃんは笑いながら言った。そう
子どもたちのことを一番に考えているの
「ううん。持ってない」
「コマのヒモは持ってるの?」
いっしょの三歳くらいの女の子におば
ども会のお菓子の買い出しに来た母親と
お 母 さ ん の お 手 伝 い し て え ら い ね 」。 子
だ。
■(下段右)硬貨で作った「岡本」の額。(下
段左)店の看板に使われている大正九年の
一銭硬貨と硬貨を数える道具。
六十円の袋詰め
み会で配られる。だから、夏休み前から
ん だ よ。 子 ど も た ち が 喜 ぶ こ と
だったら例え無理してでもね」と
言うおばちゃんの顔には、仕事に
対する誇りのようなものがうかが
えた。
「ヒモがなかったらコマ回らないで
ち が 喜 ぶ よ。 す く う 道 具 は こ れ で い い。
一 度 家 に お 金 を 取 り に 戻 っ て い た の だ。
しょ」
でも袋は、私のお店では高いから他のお
男の子がベーゴマを買うと、おばちゃん
こんなんだから儲からん
店で買ったほうが安上がりだよ」と言う。
は男の子に尋ねた。
こ ん な こ と も あ っ た。「 お 嬢 ち ゃ ん、
おばちゃんは、自分のお店の利益よりも
夏祭りでスーパーボールすくいをするた
こんなこともあった。ある子ども会が、
■店の奥の方にはお菓子の袋詰めの入った段ボールがいっぱい。夏は
子ども会や幼稚園などから注文がどっさり入って忙しい。
ち ゃ ん が 話 し か け る。「 お 嬢 ち ゃ ん は 良
松江市で勤務していたが、結婚して神戸
くじ、水鉄砲、メンコ、紙飛行
と嬉しそうに話してくれた。
機 に ヨ ー ヨ ー、 な め 猫 カ ー ド
十円ガムや飴玉、グミに当て
さなスーパーをやっていた。百坪の広さ
……。とにかくたくさんのお菓
に住んでいたのだが、その間、尼崎で小
喜んだ。しかし、それ以上におばちゃん
のお店をパート五人で切り盛りしていた
子やおもちゃが店内にひしめい
へ引っ越した。それから三十五年間神戸
の 方 が 喜 ん で い る よ う に 見 え た。「 こ ん
そうだ。そして、平成四年に米子市に戻っ
わせると、全部で三百種類以上
ている。お菓子とおもちゃを合
んはお菓子をあげる。女の子は、とても
な ん だ か ら 儲 か ら ん 」 と 言 っ て い た が、
平成五年に岡本一銭屋の仕事を引き継い
てきた。当初はパートをしていたが、翌
い子だからこれあげるよ」と、おばちゃ
その顔は満足げだった。
もあるそうだ。校外学習で岡本
だ。
した歪みが見られる。この歪みは、まだ
一銭屋であるが、何でも置いて
色々な物が置かれている岡本
代とともに菓子・玩具問屋に変わり、今
記憶に新しい、鳥取西部大地震によって
一銭屋に来た小学生が数えてく
この岡本一銭屋の現在の主は、優しい笑
もたらされたものだ。近所の建物と同様
で は 駄 菓 子 屋 を 商 っ て い る 岡 本 一 銭 屋。 岡本一銭屋の建物の所々に、ちょっと
顔 が チ ャ ー ム ポ イ ン ト の 岡 本 芳 子 さ ん。
た。 柱 が 折 れ、 壁 も ボ ロ ボ ロ に な っ た。
に、一階も二階も被害を受けて大変だっ
いものを仕入れているよ。子ど
手の商売だから、できるだけ安
い る わ け で は な い。「 子 ど も 相
れた。
島根県川本町生まれである。学校を出て
棚の上に置いていた置物が落ち、畳に突
も た ち が 楽 し め る よ う に。 で
……」
ないと皿の上に乗らないから
るよ。剣玉は、しっかりしてい
も、剣玉は高いものを売ってい
き刺さったりしたそうだ。
外国からのお客さんも
岡本一銭屋には観光客もたくさん立ち
寄る。米子の街歩きマップにも記載され
ら の お 客 さ ん も い る ら し い。「 町 お こ し
ん、なかには中国やイギリスなど外国か
しめないから、多少高くても品質のよい
段だ。しかし、玉が皿に乗らなければ楽
岡本一銭屋には、少々ふさわしくない値
周りに集まってきてくれるのだろう。お
みんなを大切にするからこそ色々な人が
の関わりが一番のようだ。おばちゃんが、
おばちゃんにとっては、やっぱり人と
売 ら れ て い る 剣 玉 は 六 百 円。
に協力できてうれしいわ」と、おばちゃ
剣玉を選ぶのだ。
ているほどだ。県内・県外からはもちろ
んは言う。
り決死隊の宮迫さんとおばちゃんが一緒
数多く店を訪れている。店には、雨上が
取り上げられている。だから、芸能人も
てくれた子どもが大きくなって立ち寄っ
一番の楽しみ。時々、小さい頃によく来
そんな、たくさんの人と出会えることが
と、色々な人が色々な所から来てくれる。
(まつもと・そのか/英語文化系一年生)
出会ってほしい。
接店へ足を運んで、おばちゃんの人柄に
する厳しさ、そして、懐かしさ。ぜひ直
ことができる。優しさのなかに見え隠れ
ばちゃんと話していると、そう実感する
に 写 っ た 写 真 な ど が 飾 ら れ て い る。「 私
てくれることがあって、そんな時は本当
「 や っ ぱ り 出 会 い か な。 店 を し て い る
は、芸能人のことはよくわからん。でも、
に嬉しいよ」と話すおばちゃん。
のんびり雲|第2号| 2008
37 岡本一銭屋は、テレビや雑誌でもよく
吉本興業は好きだからよく知っている」
■取材中の一場面。おばちゃんの話はどれも面白い。
最初は、飴屋として創業した店が、時
■おばちゃんが子どもたちと語らう部屋は吹き抜け
になっている。箱段にはおもちゃが並べてある。
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