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カレンダーで伝える上田蚕都物語、矢島好高氏(65期)

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カレンダーで伝える上田蚕都物語、矢島好高氏(65期)
上田ヤジマで「蚕都物語カレンダー展」開催!(4 月 25 日まで)
矢島好髙君(7 組)経営のヤジマ(上田市海野町)で、カレンダーで伝える蚕都物語展
が開催中である。8枚のカレンダーに描かれた水彩画は、全て矢島君の作である。
◆開催日 平成 22 年 3 月 3 日(水)~4 月 25 日(日)
◆会場 ヤジマ 2F ギャラリーUD
入場無料
2 月 26 日付けの信濃毎日新聞でも大きく取り上げられました。
以下、展示会に寄せる矢島君のエッセイです。
【私の蚕都ものがたり】
パドバについて
今年のカレンダーは、ヴェネチアの近くにあるパドバという街で、ここに蚕糸研究所が
あると聞いて、2001 年 2 月訪ねて見ました。研究所の内部は、試験所、標本室、図書館(こ
こには日本の図書や資料も収集されています)
、蚕棚のある部屋、そして裏には広い桑園が
有ります。
私は 30 歳代後半ごろから、上田の産業の歴史である養蚕業にはまってしまいました。
上田の歴史ぐらい知らなければという軽い気持から始まったのですが、調べれば調べるほ
ど興味が湧いてきたのです。
1
ミラノ郊外にて(写真)
一つのきっかけとなったのは、
「ミラノ郊外で撮影・・・」と書かれた一枚の写真でした。
(三吉治敬氏蔵)
この写真は、明治 22 年、政府によりヨーロッパ蚕糸業の視察のため、民間人 4 名と農商
務省の技師計 5 名が派遣され、ミラノの郊外で撮った写真です。写真の左から田中甚平(群
馬県)、大里忠一郎(松代)、高島得三(農商務省技官)、木村九蔵(埼玉県)、そして後に
上田に住む三吉米熊です。視察の目的はパリの万国博覧会に出品される「人造絹糸」の調
査と、イタリア、フランスの養蚕地帯の調査です。
この視察は、約半年間に及び、横浜港を出発し約 1 ヶ月の船旅の後、フランス マルセ
イユに到着、その後、リヨン、パリ、ローマ、フィレンツエ、ヴェネチア、パドバ、ミラ
ノ、コモ、トリノなど養蚕地帯を訪れ、蚕糸研究所、製糸工場、蚕糸に関する組合、農業
団体などを視察しています。
み よ し よねくま
三吉米熊氏は、更に約 2 年間残りリヨンやモンペリエで研究を続け、当時最大の問題で
あった蚕の病気である微粒子病の対策を研究し明治 24 年帰国、翌年開校の小県蚕業学校の
校長となる。この小県蚕業学校は全国から生徒が集まり、日本の蚕糸業を支える人材育成
に貢献したのです。また、上田蚕糸専門学校の創立委員としても尽力しました。
横浜港開港から明治 10 年頃まで、上田地方から大量の「蚕種」がヨーロッパに輸出され
たことをご存知でしょうか。19 世紀に入りイタリア、フランスでは繭の生産が飛躍的に伸
びます。がしかし 1850 年頃、微粒子病が発生して養蚕業は壊滅的な打撃を受けます。そこ
で特にイタリアは国をあげて健康な蚕を探すのですが、当時、最大の供給国で有りました
中国はアヘン戦争の混乱でそれどころでは有りません、そこで日本に健康な蚕を求めてや
ってきたのです。そして、そのほとんどは上田地方の蚕種が輸出され、ヨーロッパの養蚕
業を支えたのであります。
(竹田敏君(10 組)の講演会より)
私はこの視察団が訪れた街を仕事の合間に訪ね歩き、貴重な歴史を知っていただきたい
という一念でこの様なカレンダーを制作してきました。
カレンダーとして描いた街は、2003 年パドバ(伊)、2004 年コモ(伊)
、2005 年リヨン
(仏)、2006 年パリ、2007 年トリノ(伊)
、2008 年リヨン、2009 年ヴェネチア、2010 年パ
ドバです。
2
(巡回路程表 井土誠氏より)
視察の「巡回路程表」
この資料は技師高島得三氏の記録「巡回路程表」です。明治 22 年 3 月 10 日横浜港を出
発し 4 月 18 日にマルセイユに着いている事が分かります。この記録には日程、交通手段(汽
車、馬車、汽船など)距離、交通費、宿泊したホテルなど克明に記録され、8 月上旬まで
書かれています。
行程
マルセイユ→リヨン→パリ→リヨン→ローマ→フィレンツエ→パドバ→ミラノ→コモ
→トリノ→トリノ周辺→リヨン
3
イタリア養蚕の中心地トリノ
この川は「ポー川」です。この近くにアレサンドリアという都市が有ります。そこの公
立の図書館で、明治初期に上田からイタリアに渡った蚕種台紙が発見されたのです。そこ
には 1870-1という年号、上田藩の印、信州小県郡上田紺屋町「蔦屋源六」
、YOKOHA
MA、MILANOなどの印が押されています。この蚕種台紙が保存されていたのは、何
か詐欺事件の証拠品として保存されていたとのことです。この様にこのトリノ地方には大
量の蚕種が輸出されたのでしょう。
また、明治 4 年、原町の田中長右衛門氏はミラノに事務所を開き、蚕種販売をしており、
その新聞広告が見つかっています。
私の興味はこれらの視察がどのような目的で、どこを訪れ、そしてどのような成果をも
たらしたかということですが。さらにこれらの街は現在かつての養蚕業を基にして近代的
な都市に生まれ変わっております。養蚕業は蚕を育てるという生物学、良い織機を作ると
いう機械工学、染色という化学などの総合産業ですから、それらの街にはいろいろなノウ
ハウが蓄積されているとても魅力的な街でもあるのです。今後それらの街と昔の縁でネッ
トワークを広げていく中で、上田再生のヒントが隠されているのではないかと考えます。
知らないこと、間違っていることもたくさんあると思いますので、これを機に何か貴重
な情報がありましたら是非お知らせください。
〔連絡先〕 [email protected]
0268-22-3111
(2010 年 3 月 17 日、矢島好髙記)
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