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ロックの哲学と「子ども」の概念

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ロックの哲学と「子ども」の概念
哲学の探求
第 32号 2005年 5月 (57‐ 74)
ロックの哲学 と「子 ども」の概念
柿沼宏行
0.導 入
『 人間知性論』 と『 統治論』 とい う二つの主著をもつ思想家、 ロックをこの
ように紹介するのはひ とまず妥当といえるだろう。主著 と呼べ る作品を複数残
している哲学者は彼以外にも少なくない し、それが異なる領域 に属 しているこ
とも特に珍 しいことではない。たとえばア リス トテ レスやヘーグルの諸作品を
我々はす ぐに思い浮かべ ることができる。ただ ロックに関 して、そうした他の
歴代の思想家たちと事情が どこか異なつて いるとするな らば、それは他の思想
家の場合 とは違って彼の二 つの主著が ロックとい う思想家の個性によつて包摂
されているとい う印象が薄 いところにある。
『 人間知性論』と『 統治論』を並置
して、あるいは同時に考 えることには「角を有する円を表象する」といった と
きと似た独特の困難 がつきまとう。もちろん、このような感覚を ロックを知る
誰 もが抱 いているとは言わない。だが もしそ うだとするな らば、それは我 々が
彼に対 して伝統的 に行使 されてきた分割を、所与のもの として受け入れている
か らだ とは言えないだろ うか。つま り「 ロックがいて、
『 人間知性論』と『 統治
「
論』がある」のではな く、
『 人間知性論』と『 統治論』があって ロックがいる」
のだとい うように。そ して もし、以上のような陳述に少 しで も正当性があると
すれば、その原因は ロックの著作自体にも求めることができるはずである。
ロックによる二つの主著は、その達成がそれぞれに偉大であ っただけに、結
果 として別 々の文脈 に繰 り入れられることになった。あるいは一歩進んで、そ
れ らは別 々の文脈を生成 させることになったといつて もいい。一方で『 人間知
性論』 は、バー クリ 。ヒュームとい う哲学的後継者を得る ことでイギリス古典
経験論 の 開始点 とな り、他方で名誉 革命 を理論的 に基礎 づ けた と評 され る『 統
治論』 は、 後 のアメ リカ独立革命 とフラ ンス革命 において、思想的 に参照・ 引
用 され る こ とに よって、 まさに世 界史的な書物 とな る こととな った。 こ うして
ほぼ 同時期 に並行 して執筆 され、共に 1690年 に出版 された二つの著作は、後 の
歴史の動 向 の 中で、それぞれ二つの異なる「歴史 」 に帰属す る ことにな ったの
であ る。
「 ロ ックはあ らゆる哲学者 の うちで もっ と も幸運 (forlunate)な 人物である」。
ラ ッセ ル は ロ ックを この よ うに評 している
1。
幸運な思想家。我 々はラッセル と
共 に、 そ して 彼以外 の 多 くの人 々 もそ うして きた よ うに、再度 この よ うな賛辞
を ロ ックに捧 げるべ きなの だろ うか。ラ ッセ ルは この一 文 を合 む『 西洋哲学史』
のなかの「近代哲学史」の巻で ロックにつ いては例 外的 に三つの章 を割 いてお
り
2、
彼 の ロ ックに対す る思 い入れの強 さが伺 われ る。そ して この とき「幸運」
とい う言葉 を選択 したのは、広 く受容 されて きた とい う、 ロ ックをめ ぐる状況
が考慮 されての ことだろ う。 もちろんそれは歴然 と した事実であ り、一般的 に
もロ ックはその よ うな思 想家 として受 け とめ られて きて い る。だがそれが事実
だか らとい って、その よ うな幸運や受容が充全 な理解 に裏打 ち された ものだ っ
た とまで言 つて しま うの な ら、それはい ささか性 急 だ と返 さねばな らないか も
しれない。 仮 にそ うだ とい うな ら、すべ ては理解 され実現済みの こととして、
もはや彼 か ら新たに学ぶ べ き ことはほ とん どない とい うことにな って しま う。
そ うい う意味では、思想家 に とって受 容 とは無 条件 に悦 ば しい出来事 とは言 い
難 いので あ る。 ロック自身はそれを望んでいた に して も、 いや望んでいたか ら
こそ、 こ うした両義性 について再考 してみ る必要 はあ るだろ う。では「 もつと
も幸運 」 と評 される ロ ックは結局の ところ、 い ったい どの よ うな受容 と理解の
錯線 の なか にい るのだろ うか。
我 々 は この疑 間 を、 ロ ックの二つの著書が 享受 した それぞれの幸運は、思想
家 と しての ロ ック個人に とって も充全な幸運 であ りえるのか とい う問 いで 置 き
換 えた い と思 う。先 にみ た ことと関連 づ ければ、 ロ ックの思想家 と しては異例
ともい える幸運 は、それが二つの幸運であ つた ことと大 き く結び ついている。
あの否 みがたい分割 こそが、思 想家 ロ ックの評価 を特 異な仕方で押 し上げてい
るのであ り、奇妙な ことでは あるが彼はその幸運の過剰 さの只 中にお いて、 自
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ロックの哲学と「子ども」の概念
身の評価における一貫性 の放棄とい う法外な代償 を支払っていることになる。
とはいえ、これか ら以下で行お うとしているのは、 このよ うな断絶を何 らかの
恣意的な連続性で埋め立てようとした り、すべ てを ロックとい う思想家の同一
性 の うちに回収 しようと企てた りすることではない。そ うではな く、
『 人間知性
論』 と『 統治論』 とい う両岸をかたち造つたと思われる、共通するひ とつの流
れを探 りたいと思 っているのである。それは単純な方法、両著に共通 して 見出
せる「子 ども」とい う言葉に注目することによって行 い、特に本稿では『 人間
知性論』に即 して ロック哲学における「子 ども」の役割 を明 らかにしたい と考
えている。したがって、ここでは『 統治論』を直接検討することはできないが、
それは「子 ども」とい う共通項を通 じてひ とつの前提 として以下の論述を支え
ることになるだろ う。
ところで、哲学 と政治 とい う分割 とはべつ に、
『 人間知性論』自体 が どのよ
うな一貫性を有 しているのかとい う問題がある 『 人間知性論』は 4巻 か らな
る大きな著作だが、中で もその構成に照 らした ときに最 も厄介だと考えられて
3。
きたのが生得原理批判を展開 している第 1巻 であ り、 このテクス トに対 しては
現在に至るまで極端に低い評価 しか与えられてきて いな い。他方で彼はこのテ
クス トによって 17世 紀か ら 18世 紀にかけて行われた生得観念論争に大きな弾
みをつ け、そこではこの同 じテクス トが多大な関心を呼び起 こしてきた4。 だが、
デカル トやライプニ ッツを論争相手とするとされるその議論において も、 ロッ
クは分が悪いとい う見方が一般的であって、いずれにせ よ彼の生得原理批判に
は、評価 の観点か らすれば不可解な印象が残る。そ して この、徹底的であ りな
が ら不明瞭である ロックの生得原理批判のなかにこそ、
「子ども(cmd)」 とぃ ぅ
単語は数多 く見出せるのである。
、「幼児(infant)」 か ら果ては「胎児」に至
『 人間知性論』には「子どもたち」
るまで、驚 くほどさまざまな形で、そ して実にさまざまな箇所で「子 ども」が
登場 させ られているが、その主題が理論的・ 実践的な生得原理の否定に充て ら
れていることを考えれば、なかで も第 1巻 に集中 して「子 ども」が登場 してい
るのは自然な成 り行きとも思われるか もしれない。 しか し生得性を否定するた
めに実際の子どもを持ち出すとい う「子どもじみた」論法のせいか、あるいは
子 どもは子どもに過ぎないとい う割 り切 りのせいか、 これまでこの言葉に対 し
て特に理論的な関心が払われる ことはなかつた。そ こで以下の論述では、いま
まで目を止め られる ことのなかつた この「子ども」 こそが、第 1巻 と第 2巻 の
見えてきたもの )を 架橋 している概念であ つた という見通 しを採る。
そ してこれを明確化 したのち、さらにその概念がよ り大きな意義を合 んでお り、
断絶
(と
これまでは不可解 さにしか見 えなかつたものが、逆 に全体を支える理念を示 し
ていたとい う可能性まで提示 したい。そしてこの我 々の企てが、哲学史 と政治
(学 )史 に向かつて解消 して しまい、長い時間に埋 もれた うえ、いまや識別
し
がた くなって しまつた感のある ロックの思想家 としての個性を発掘す る試みに
もなればと思 つている。
1.「 子 ど も」 と「 白紙 」
まず ロ ックが 「子 ども」を用 い る典型的な仕方 を見てみ たい。彼 は理論的な
生 得原 理 と言 われて い る ものの 範例 として、「お よそ在 る ものは在 る(Wh江 も
,
iS.)」
面 ng
と、「同 じ事物が在 つて在 らぬ ことはで きな い(It
to bc and notto be)」
iS imposttbに
for the same
とい う二 つの論証原 理 を挙 げ、 これ らを支持 す る者 に
5。
対 して次の よ うな批判 を行な う
なぜなら、第一、子どもたちや白痴(ldbt)は 明白にこれ らの原理をいささかも認知 し
ないし、考えない。(中 略)心 に何かを印銘して、しか もこれを知覚 しないというの
は、ほとんど理解できないことのように私には思われる。それゆえ、もし子どもた
ちや自痴に魂(sod)が あ り、心があ り、それら魂・心にそ うした印銘があるなら、子
どもたちや白痴はその印銘をいやが応でも知覚 しなければならず、それらの真理を
必ず知 り、これに同意 しなければならない
6。
ci5)
この よ うに彼 は、生 まれなが らに備 えている とい う意 味 で「生得 (innatC)」 とさ
れ る観念や原 理 を退 けるた め に、実際 の子 どもたちか ら説 き起 こ して反証す る
とい う手法 を とつて いる。つ ま り、実際 の子 どもた ちは こ うした原 理 を知 らな
いのだか ら、子 どもたち が心 に こ うした原理 を刻み付 け られて生 まれて くると
60
ロックの哲学と「子ども」の概念
い うのは誤 りである、 といつた論証を積み重ねて行 くのである。
た しかに「生得」 とい う言葉を正面か ら取るなら、それ に対する批判を、実
際 の子 どもたちの様子か ら説き起 こして行な うのは 自然であるともいえよ う。
しか し、これがどの程度自然であるのかについては、
『 人間知性論』が生得原理
批判 という唐突で単純なテーマか ら開始されている理由 と併せて、慎重な検討
が必要である。 とい うの も先にも述べ た通 り、これまでの生得観念論議にお い
ては、このように実際の「子 ども」か ら始め られるロックの論証の手続きがま
ともに検証されたことはほとんどなか ったか らであ り、 いわば ロックの生得原
理批判は文字通 りには読まれてこなか つたか らである。
だがそれは、哲学史的に整備 されてきた生得論 と経験論 との対立とい う図式
か らみるならば無理 もないことだ。ライプニ ッツの反論以後、能力や傾向性 と
いった要素を交えて極度 に複雑化 。高度化 した生得観念論争 において、実際の
子 どもの様子を実在的な論拠 として持ち出す という論法を真面 目な議論の対 象
とするのは難 しいことだつた。そ してその結果、 ロックを擁護する側 も非難す
る側 も、彼が本当は何 を言お うとしているのかを知るために、実際 には書かれ
てはいないことを求めて、実際に書かれて いることの向こう側を見通そ うとす
るといつた類の「推論」を強 い られることにな つた。つま り、 ロックがこの論
争に火をつけた張本人であるのは確 かであるとしても、その論争の枠組みか ら
彼 の主張を読み込 もうとすると、彼が何を言お うとしているのかが分か らない
とい う不条理な状況が生 じてきたのである。しか し、だか らこそ『 人間知性論』
の第 1巻 を読解するにあた つては、
従来の生得観念論争の枠組みをはず し、ロッ
クの言葉をそのままに受け取ることが必要だろう。彼がなぜ このような素朴な
生得原理批判を行い、またそれが結果 として何を理論的に引き起 こすのかを、
論争の枠組みを離れた うえで見定めてゆかねばならないのである。ただ ここで
は差 し当たり、彼の議論が「子 ども」 とい う言葉において ある際だつた素朴 さ
を湛えてお り、その素朴さがそれ自身の性質によつて見過 ごされてきたとい う
ことだけを確認 しておきたい。
ところでこのような事情を抱えなが らも、 ロックの『 人間知性論』はその内
に「子 ども」に替わ りうる「 白紙(whie papeo」 とい う比喩を有 していたことか
ら、彼の生得性にまつわる問題を別の次元で処理・ 解決することを哲学史に対
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して 許 して きた。 この場合 の 問題 とは、 ロックの用 いている「子 ども」 とい う
言葉 の もつ 実在的な水準 は、生 得 観念 とい う理論的 。抽 象的な水準 に対 して、
何 らか の 共通す る平面で交わ りえて い るのか、 も しそ うであるとすれ ば、 その
交わ りは彼 に よつて どの よ うに確 立 され意識 されて いたのか、 とい うもの であ
る。
生 得観念 論争 は、はつき りとは知 りえない対象 につ いて論 じるとい うその性
質 か らい つて、 ど うして も抽 象化 された議論 にな らぎるをえないのだが、 ロ ッ
クの第 1巻 にお ける諸議論はそ うした抽 象性 の格子 を意識 しているよ うには見
えない、 とい う疑念 を一―少な くとも論争 を成立 させ よ うとする もの には一一
惹起す る。そ して彼が 自己の主 張 を、
「 子 ども」とい う一 語によつて抽 象的水準
においては洗練 しないままで済 ませ たために、それ を再構成する側 は独 自に抽
象化す る作 業 を行わなければな らな くな り、 またその よ うな作業 を施 され るに
したが って ロ ックの「子 ども」 に関す る記述は重み を失 って捨象 されて行 くと
い う動 きが生 じた。そ して こ うした事情 があ ったか らこそ、
「 自紙」とい う比喩
は「子 ども」 に替わ るもの と して注 目され、 さ らにはそち らの方が初 めか ら議
論 の 中心 に位 置 していたかの よ うに機能 したのだ ろ う。 この とき「 自紙 」 の 比
喩は、議論 を抽 象的な次元に移 行 させ る ことによって 実在性 と抽 象性 の 間 に横
たわ る葛藤 を一 気 に消去す る役 目を果 たす。また『 知性 新論』 のライ プニ ッツ
が、 ロ ック 自身は使用 していない「 タプラ・ ラサ」 を ロ ックの主張 に見立 てた
ことがおそ ら くは決定打にな った。
よつて、 も しロックの主張が誤解 に曝 されて きた とす るな ら、その誤解 の核
心 は ここにあ る。なぜな ら『 人間知性 論』 において 「子 ども」 とい う語 は無 数
「 白紙」とい う言葉 は著作全体 を通 じて もた つた二 回 しか
に見出 せ るの に対 し、
「白
使われて い な いか らである。そ して この 文献的事実 を無視するかの よ うに、
紙」 の 比喩 が ロ ックの思想の全体像 を集約す る言 葉 にまでのぼ りつめて い った
ことは、この問題の根深 さを窺 わせ る
7。
ここでは葛藤 の 消去 とロ ックの思 想 の
広範な受容 はおそ らく同時的で あ り、また相補的なのである。そ こで以下 では、
どの よ うに して「 子 ども」が「 自紙 」 とす りかわ るのか を探 る糸 日と して 、 ま
ず 「 白紙 」 の 比喩 に潜んでい る と思 われ る問題点 を明 らかに したい。 二 箇所で
使われて い る「 自紙」であるが、重 要なのは三度 目の使用であ り、 これは ロ ッ
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ロックの哲学と「子ども」の概念
ク哲学全体の評価 に決定的なイ メー ジを提供 して きた重要な箇所 にあ る。引用
しよ う。
そこで、心は、言つてみれば、文字をまつたく欠いた白紙で、どんな観念 も欠いて
いるのだと想定 しよう(Let
us then supposc)。
すると、どのようにして心は観念を備え
るのだろうか。人間の忙 しく果て しない空想がほとんど限 りない多様さでそこに描
いてきた、あの膨大な蓄積を心はどこから得るのだろうか。どこから心は理性 と知
識のあらゆる材料を得るのか。これに対 して私は、一語で、経験から(From
expe●
ence)、
と答える。私たちの知識はすべてそれに基づいてお り、究極的にはそこから自らを
引き出すのである。(1l
i 2)
ここか ら分か るのは、 ロ ックは心 は 自紙である と断言 しているのではな く、心
はいわばその よ うな ものだ と想定 しよ う、 と呼びか けて いるのだ とい うことで
ある。そ して 我 々は ここで「 白紙 」 とい う語以上 に、 この「 想定 」 とい う形式
の方 に注意 を払 つて よい。お そ ら く彼 は この場所で、デ カル トの懐疑 に発す る
「想定」を形式 の上で反 復 してい るのである。だが ロ ックの場合、懐 疑 は深 め
られることな く、想定は一 度行使 され るのみであ り、それ には即座 に「 経験 か
ら」 とい う簡潔 な解答が与 え られ るのみである。では ロ ックが ここでデ カル ト
の形式 を繰 り返 してい ることには、 どんな意味があ るの だろ うか。あ るいは、
こ う問 うて もいい。
「 白紙」と「経験 」とい う経験 論の二大標語が揃 って いる と
い う理 由か ら、 ロ ック固有の思想 と して最 も知れ渡 って いる この 箇所 に、 なぜ
デカル トがい るのか。 こ うして、 ロ ックのイメー ジを決定 して きた この 数文 に
は、 ここ以外 には一度 しか使 われて いな い「 白紙」 の 想定、そ してデ カル トの
影 とい う二重 の 霧 がかか ってい る ことになる。 よって この ことについて 考 える
ために も、 ここか らは同時 にデ カル トのテ クス トに も取 り組んで い く。
2.デ カル トの「幼年期 」
周知のように、感覚の懐疑や欺 く神の想定など、
『 省察』の中でデカル トは
数 多 くの懐疑 を繰 り出 している。 そ して「第 1省 察 」 の 冒頭では、なぜ そ うし
た懐疑や想定 を行 うのか とい うこ とも合めた、省察の動機 が次の よ うに述 べ ら
れて いた。
すでに何年も前に、私はこう気付いていた一一まだ年少の頃に私は、どれほど多 く
の偽であるものを、真であるとして受け入れてきたことか、また、その後、私がそ
れらの うえに築きあげてきたものは、どれもみな、なんと疑わしいものであるか、
したがって、もし私が学問においていつか堅固でゆるぎのないものをうちたてよう
と欲するなら、一生に一度は、すべてを根こそぎくつがえし、最初の土台か ら新た
にはじめな くてはならない、と。しか し、これは類のない大仕事であると思われた。
そこで私は、この企てにとりかかるのに、もうこれ以上適 した年齢はやつてこない
と思われるほど、成熟 した年齢になるのを待つことにしたのであった。こういうわ
けで、私は、ずいぶん長い問延ば してきたので、実行のためにこれ以上残っている
時間を、なおも躊躇 して空費するな ら、もはやこれか らは、非難を受けねばならぬ
だろう。(MPI)
また、
『 哲学 の原理』 の第 1部 の 1節 目には次 の よ うにあ る。
われわれは生まれたときは幼児であつたゆえに、そ して、われわれの理性を完全に
使用する以前から、感覚的に判断をくだしてきたゆえに、多くの先入見によつて真
理の認識から遠ざけられている。そこで、そうい う先入見から脱するには、少 しで
も不確実だと思われるすべてのものを、一生に一度は、疑おうと努めるよりほかな
いように思われる。(P■ 11)
す べ て を疑わな けれ ばな らな い理 由 と して、 これ らに共通 しているのは、年少
期や幼 児期 に人の受 け入れて きた多 くの「先入見」が、 真理 に達す るに際 して
大 きな妨 げにな って いる とい うデカ ル トの洞察 で あ る。 この洞察が少 しで も疑
い を差 し挟む ことので きるものは偽 とみなす とい う、彼 の暴力的な までの懐疑
を駆動 しているの だ と、 ここで彼 自身証言 してい る とい って差 し支 えな いだ ろ
う。 つ ま り年少期や幼 児期 とい うの は、やがては除去・ 訂正 されるべ きであ る
64
ロックの哲学と「子ども」の概念
ような不確実な知識が蓄積 してい く過程であると して、彼には不可欠とい うよ
りは不可避な、 しか もいつかは覆 さねばな らな い ような もの として感 じられて
いるのである.
・「成熟」 してからとい う部分については、額面通 りに
しか し「 一生 に一度」
受け取るべ きなのかは分か らない。確かにデカル トが『 省察』を著 したのは彼
が 44歳 の ときのことであったにしても、
彼はそれ以前の著作である
『 方法序説』
において、
「 か くて、われわれの感覚がわれわれをときには欺 くゆえに、私は、
感覚がわれわれの心に描かせるようなものは何 もの も存在 しない、 と想定 しよ
うとした」(DM.IV)と 述 べていることから、すべてを『 省察』執筆の期間 に封
じることは不合理であると思われる。また彼は、
「 当時 23歳 であつた私は、もっ
と成熟 した年齢に至 った上でなければ、そ うい うことの決着をつ けようなどと
企てるべ きではないと考えた」(DM.II)と も言つている。よって生涯に一度の懐
疑とい うよく知 られている彼 の決意には、常に疑 いなが ら、一度はさらに徹底
させるとい う合意があるとみなすべ きだろう。では 23歳 のデカル トが受けたと
い う哲学的啓示は、 どの ような形で実を結んでい くのだろ うか。 さらに彼が幼
児期に関 して述べている箇所を探 してい くと、我 々は『 哲学の原理』の次のよ
うな記述に行き当たる。
そして実際、幼児においては、精神は、身体にすつかり没入していたので、多くの
ものを明晰に知ったにしても、何一つとして判明には知らなかったのである。にも
かかわらず当時から多くのものについて判断してきたので、こうしてわれわれは多
くの先入見を身につけるにいたり、のちになってもたいていの人々がそれら先入見
を捨てきれないでいる。(P,147)
これは、痛みのように認知は明晰(claire)で あ りなが ら判明(disthCte)で はないこ
ともあるのに対 して、あ らゆる判明な認識は明晰であると、明晰判明につい説
明された後に述べ られていることである。つま りここでは、
「明晰判明」とは正
確にい うな らば「明晰にかつ判明に」とい うことであること、そ して幼年期 に
は何かを明晰には認知するに して も、幼児は一一おそ らくは神に与ると彼が考
えている一一認知の判明さか らは締め出されていること、 こ うしたことが言わ
れて い るのである。また 71節「誤謬 の主要 な原 因 は、幼年時代の先入見か ら生
ず る とい うこと」で彼 は次の よ うに強調 してい る。
そ してここに、あらゆる誤謬の第 1の 主要な原因が認められる。すなわち、幼時に
おいてはわれわれの精神は身体にきわめて緊密につながれていたので、もつぱら、
身体に刺激を与えるものを感ずるところの思惟のはたらきだけを、受け入れていた
のである。(Pr
1 71)
これ を第 4省 察 の「 私は ここ数 日の間 に、精神 を感覚か ら引き離す ことにだい
ぶなれて きた し…… 」(MM.lV)と い うフ レー ズ と突 き合わせてみれば、そ こに
いかな る結果が生 じるか は明 らかだろ う。デ カ ル トは 「精神 について、で きる
だけ透 明な、物体 のあ らゆる概念 か らまった く区別 された概念 」 (MR要 旨 )
を求めて いたのだ つたが、そ こか ら帰結す る精 神そ の ものの作用 と精神 に包括
され る限 りでの感覚 (私 は熱い と感 じる、 と思 う…… )と の差 異 とい う論理 に
「 精神 」 にその固有の確実性 を差 し押
よって、「感 覚」 は「幼 児期」 とともに、
さえ られて しま うのであ る。 また さらに彼 は、精神の身体 へ の 没入が幼年期 の
先入観 を生んでいる とともに、そ うして 生 じて しまった幼年期の先入見が人 々
を一生 にわ た つて支配 しているとも注意 を促す ……。
この よ うに彼は「幼 年期 」に対す る徹底 した抑圧 を行な っている。だが これ
「幼 年期」が彼の哲学 に とつて一― 否定的な様相 において
は違 う見方 をすれば、
ではあれ―― 欠 くことので きない動因 と して組み込 まれていた とい うことを も
「幼年期 」の不確か さや不 安定 さこそが「明晰判明」や「明証性 」
意味 して い る。
を要請す るのであ り、そ うであれば こそ、 それ は確 かな「子 ども」 と して個体
化 され る ことのない よ うな既 に過 ぎ去 つて しま った一期間、真理 か らも実在か
らも遠 ざけ られ、あ たか も幻影であるか の よ うに揺 らいでいる惨 め さに彩 られ
た記憶 の よ うな ものに過 ぎな い とされ るので あ る。そ こには何の重要性 も認 め
られな いばか りか、明証な現在 に対 して誤謬や偏 見 の要因 を送 り込んで くる源
とみな されて、ほ とん どあ らゆる権利が剥奪 されて しま う。感覚 の懐疑 とい う
もの 自体 が この剥奪の遂行過程なので あ り、 コギ トが彼の哲学の肯定性の極 だ
『方
とすれ ば、幼年期 とはその否定性の極なのであ る。こ うした視点 に立てば、
66
ロ ックの哲学 と「子 ども」の概念
法序説』があのように特異な遍歴体を採用 していた り、
『省察』が過剰なまでの
内在的遂行性で充満 していた りしていたことは、いずれも「幼・ 少年期」や「感
覚」を自身か ら駆 り出すための、戦術的な創造そ して選択であった とも思われ
るのである。
ところで、 この肯定性 と否定性の両極がある一 貫 した論理によつて相互的な
関係を結んで いるとすれば、その理論的な構造 をまた別の角度か ら照射するこ
とによって も、デカル トの「幼年期」を抑圧する意図は補足されるだろう。彼
は『 省察』において「私を生み出 した原因」と、
「私を保存 している原因」につ
いて考えなが ら、両親について次のように書 く。
最後に両親に関していうなら、かつて私が両親について考えたことはすべて真で
あるにしても、しかし明らかに、彼らは私を保存しているのではないし、私が考え
るものであるかぎり、決して私をつくりだしたのでもない。むしろ彼らはただ私、
すなわち精神
(い ま私は精神のみを私として認めているのである)が そのうちに内
在している私の判断するところのあの質量の中に、ある種の資質をおいたにすぎな
いのである。(MP皿 )
「私、すなわち精神」の原因としてはそれが 内在する
『 省察』にお いて両親は、
と考えられる質量 (す なわち身体 )に 「ある種の資質」を与えた とい う以上の
もの としては認め られない。ここでは幼年期のみな らず、両親までが小さくな
い排除を被 つているのである。なぜか ?
コギ トは絶対的に孤独だか ら、とい
うわけではな い。デカル トは「神 が私を創造 した」(ibid.)と 考えているか らであ
る。そ うであればこそ、
「私」の真の原因である神、その神の観念 と、その「似
姿にかたどってつ くられた」(ibid.)「 私」自身 (の 魂 )の 観念は生得的だとされ
るのだ。デカル トにとって観念の生得性は神の絶対性 と密接に結びついている
のである
8。
「裁々 自身の判断にで
そ して『 哲学の原理』第一部の最終節では、
はな く、 もっばら神の権威のみに信頼を寄せるべ きであ る」(PI I.76)と 注意が
与えられた後に、以上で辿ってきたような論理が次のように要約 されている。
しか しながら、神への信仰がわれわれに何 も教えていない事柄においては、真であ
ると見極めたことのないものを真であると見なしたり、大人になってからの理性よ
りも、感覚をすなわち幼時の無思慮な判断を、信頼 したりするのは、哲学者にはふ
さわしからぬことなのである。(bld)
「実際われわれ は、いかな る もの
しか し問題 は哲学者 だけに関わ るのではな い。
について も、それが どの よ うな ものであるか を感覚 だけで知 るわ けには いかな
いのであ つて、大多数 の人 々が全生涯 を通 じて、な に ごとを も不 明瞭 に しか認
識 しない とい うこともそ こに起因す る」ともデカル トは言 うのであ る(PI
I.73)。
そ ろそ ろ整理 しよ う。デ カル トに とつて「幼年期 」 と「感覚」 とは、不確実
さ とい う否定的な価値 においてほぼ同一視 され うる もので あ り、それ らの 克服
は彼の哲学体系構築の動 因で さえあ る。そ して不安定で不確実な 「幼年期 」 と
「 感覚 」に対 して、神 こそが確固 とした揺 るぎな さを確約 してお り、 ゆえに神
へ と向か うことは、 と りわ け「幼年期」 に対す る厳 しい眼差 しと して表 出す る
だ ろ う。結果、神 の 誠実 さが増す につれて、 また コギ トが確 かな もの にな るに
つ れて、
「幼年期 」は「感 覚」 とともにその固有性 と権 限 を霧散 させ、実在性 を
失 つてゆ くことにな る。 つ ま り、デカ ル トは「子 ども」 を認めな い。
3.子 ど もの概 念
デカル トが生得観念を支持 し、 ロックはそれを拒絶 したとするな ら、 この不
合意 には以上のような背景が潜在 していた と考えられる。生得観念論争の裏 に
は、単に認識のシステ ム をどう捉えるか とい うところにとどまらない対立が秘
め られていたと考えられ るのである。そ して後発の ロックは一一 デカル トを偉
大な先行者 として認めつつ も一― これをひ とつの挑戦 として受け入れたのだろ
う。そ こで、以下では再度生得論争に戻 つた うえで、葉人形 に対する力の浪費
とも椰楡されるロックの批判が、 どのように効果的にデカル トに挑みえている
9。
のかをみていきたい
ロックの生得原理批判 が受け入れ られない理 由の一つに、最初にはつきりと
「観念を受け取 る力能oower)」 (I五 1)を 認めておきなが ら、他方で (な ぜか )
68
ロックの哲学と「子ども」の概念
彼 は真理が生得的に印銘 されているとい う可能性については断固 として否認す
ること、 しかもそれを膨大な記述を費や して行つてい くことの不可解さがある
と思われる。最終的に到達する真理が変わ らないのなら、それが もともと心の
中にあってやがて意識化 されるのか、それ とも外界にあるものが理知によつて
発見されるのかとい う区別には、それほどの意味がないと感 じるのはもつとも
だろ うЮ。また、ロックの このような強弁は、2巻 以降で経験 を知識の唯一の源
泉 とするための便宜的措置、つま り第 2巻 以降への依存であ り、 しかも論点先
H。
取ではないかとい うの もしば しばなされる指摘 である
いずれにせよ、懐疑
的・ 消極的内容であ りなが らそれを強引に押 し通そ うとして い る印象を与える
ことが、 このテクス トが問題視される主要な理由ではないか と思われる。だが
既に第 2巻 のは じめに置かれた「白紙」の比喩について考察 した我々は、この
彼――あるいは『 人間知性論』一一に対 して突きつけられた疑念に、もう次の
ように答えることができる。すなわち、
『 人間知性論』の第 1巻 と第 2巻 が緊密
な連繋を結んでいることは確かであるに して も、それは互 いに独立を見せかけ
「 自紙」の
なが ら実は相互に依存 し合 つているとい う在 り方においてではな く、
想定が喚起するだろ う懐疑が、その前に置 かれた第 1巻 で集中的に扱われてい
るとい う仕方 において、そ うなのだとい うことである。 ロックによる懐疑は生
得原理に対する疑義の数 々 として表出 し、疑義の数々は結果 として幾つもの反
証 とい うかたちで実を結んでいる。よって、 なぜそのよ うな想定や懐疑は必要
だつたのかとい うところに問題は移るのだが、 これにも我 々は もう答える こと
ができる。すなわち、デカル トが「考える こと」か ら「幼年期」を排除するの
に対 して、 ロックは幼 い「子 ども」にもそれを認めているとい うのが、その理
「それがいつかを決定できるか どうかは重要でないに しても、子ども
由である。
たちが考え始める時機 とい うものは確かにあって、彼 らの言葉や行動は、子 ど
もたちが考え始めることを確信させる」(1.五 .25)。
デカ ル トは コギ トによる神 との結束か ら幼年期や無思慮な人間を訴追する
のだが、 ロックは弱さや不安を抱えた人間 とい う現状か ら子 どもたちや幼児を
追認する。弱さとは、人 々が子どもの頃に根拠 もな く神によるものとして教 え
られたことに服従 し続けて しまうことであった り、 日々雑務 に追われる中で、
さまざまな判断を特定の他者に全面的に預けて しまうことであった り「
、無知に
よって、怠情 に よって、教育 に よつて、あ るい は軽 率 によつて、命題 をただ信
用 して しま うこと」等 にまで 及ぶ が(1.m24)、
と りわ けこ うした弱 さに基づ く
支配 を被 るの は、「明 白にす べ ての子 どもたち と若者の場合であ る」(I.五 i25)
「生得原 理」を支配 の技法 として も意識 してい
と、彼 は言 う。つ ま リロ ックは、
るので あ り、人間である以上 はその弱 さをはね の け られず、特 に子 どもや若者
はそれか ら甚大な影響 を被 る と一― おそ ら くは彼 の持 つ政治的資質 か らも一―
警告 してい るのである。 こ う した言葉は、あ るい はデカ ル トが 日々 を凌 ぐため
に採用 した「仮 の道徳」 と対応 をな しているの か も しれない。す る と彼 らはそ
こではいわ ば同 じ敵 と向かい合 つていることにな るのだが、 しか し最終的には
両者 は袂 を分か つ ことにな る。なぜな らロ ックは「子 ども」を肯定す ることを
選ぶか らで あ る。彼が「子 ど も」の 素朴な提示 に よつて生得原理 を否定するの
はこの ためで あ り、それ こそがデカル トに対す る極 限的な批判 を行 な う道 とも
なる。デ カ ル トが知性の空 自地帯 として「幼年 期 」 を排除す るな ら、 ロックは
「子 ども」の側 に立つので あ る。彼は周到 に も胎児や新
空 自の知性 を擁護 して、
生児に まで配慮 して、次 の よ うに言 うだろ う。
もし私たちが新生児を注意深 く考察すれば、 この子どもたちが多くの観念を携えて
この世に生まれると考える理由はまずないだろう。なぜなら、母親のお腹で感じた
か もしれない飢渇や暖かさやある痛さといつたかすかな若千の観念を除いては、な
にか決まった観念は子どもたちにいささかも現れず、特に、生得原理 とみなされる
普遍的命題を作 り上げる名辞に相応する観念は現れないか らである。(1市
2)
したが って ロ ックは、 コギ トか ら主権 を「子 ども」 へ と移す ことを要求 してい
ることにな る。だが どの よ うに して ?
他で もな い、デカル トが 「幼 年期」 と
ともに抑圧 した「感覚」を哲学 的 に救済するこ とに よつてである。ロ ックの『 人
間知性 論 』 第 2巻 では、デ カ ル トとは逆 に、 す べ ての精神的作用 が 内的感覚
(htCmal scnsc)で ある内省(rcncction)に 包摂 され、 それが外的感覚 (extemJ Sense)
たる感 覚 (scnsttbn)と 対 をなす ことで、すべ ての事柄 が感覚の相 の 下 に捉 えられ
ることにな るのである。我 々 は これを感覚論的転 回 と呼んで もいいだ ろ う。 こ
の ことを彼 は、や は り「子 どもに観察できる」 とい う表題 の節 (11.i6)で 根拠 づ
70
ロックの哲学と「子ども」の概念
根拠 づ けてい る。
、
哲学史が教 える「感覚」や「知覚」
「外部感覚」や「内部感覚 (反 省 )」 と
いつたロ ック経験論の術語は、我 々に対 して無味乾燥な響きを与えてきたか も
しれない。だが、それ らには ロックの祈 りにも似た強い思いが込め られていた
はずなのである。生得原理批判を行な うときに彼の言葉が帯びる苛烈 さは、お
そらくその思 いの反映である。
しか し「子 ども」が成 し遂げるのは、これだけにとどまらない。 ロックは第
3巻 であ らゆる言語の起源を「感覚」のなかに見ているが(III.i.5)、 まだ言葉を
持たない幼児でも既に観念 を有 しているとい うことが彼にある気付 きを与え(I.
五.15)、 彼 の名高い言語論 と記 号論を結実させた とも考えられるのである。よっ
て「子 ども」は、母胎 となって経験論を生成 させ ると同時に、それ 自身が彫刻
されてい くという意味で、既に ロックにおいてはひ とつの概念 とな っていたと
我 々は考 える。藁人形に対する攻撃 とい う不満、今度は ロックがそれを口にす
る番か もしれない。彼は至るところで「子 ども」について語つていた し、決 し
てそれを隠 した りは していなかったのだか ら。
4.結 び にか えて
「幼年期」とい う、これまでそれ 自体 としてはあま り注目されることのなかっ
たデカル トの観念が、 ロックの「子ども」とい う概念を照 らし出 し明るみに出
す様子を描 いて きた。さらに先へ と進むべ きであろうが紙面は尽きつつあ り、
それは今後の課題としたい と思 う。最初に述べ た『 統治論』について言えば、
フィルマーの『 パ トリアーカ』に向けられた第 一篇は、
『人間知性論』の生得原
理批判 と同様、いまでは見捨て られたテクス トとなってお り、類似の視点か ら
の検討が可能だろうと思われる
(そ
こではアダムか ら受け継がれているはずの
正統な相続権 を見失って しまった「子どもたち」 としての人類の物語が語 られ
ている)。『 人間知性論』における「子ども」が経験論的主体だったとするな ら、
『統治論』 における「子 ども」 とは ロックにとつて政治的主体 となるだろう。
本稿で最初に立てた目標にはまだそれほど近づけていないが、こうしたことも
71
合め今後 も彼の「子 ども」の概念について考 えていきたい。
註
Russell,B(1945‐ 1972)
「第 14章 ロックの政
「第 13章 ロックの認識論」
、
「第 3巻 近代哲学」のなかで、
、「15章 ロックの影響」の 3章 が ロックにあてられている。
治哲学」
Ashcran(1991)は「 ロツクの哲学を、
全体 として見た ときにどのように性格付けるのかは、
「全体 とし
難 しく議論の余地のある問題であることが分かっている」と述べているが、
て見た とき」の難 しさとい う印象は、彼以外の多 くの研究者にも共有されていると思わ
れる。
「17世 紀 と 18世 紀における生得論者 と経験論者の間
この論争について Adams(1975)は 、
の論争は、哲学的な議論の うちで最 も有名な ものの一つであるの と同様に、最 もritれ
合 つて曖昧なものの一つで もあ」 り、「17世 紀 と 18世 紀にかけての関心に関する限 り
は、とりわけデカル トとロックの間にある意見の相違が、この論争の中心的な不一致で
あったように私には思われる」 と前置きしてか ら、両者の精緻な比較を行な っている。
ただ私見では、最終的に この生得観念論争をひ とつの問題 として独立 させることになっ
たのはライプニ ッツの『 知性新論』であ り、そこで初めて論争 としての対称性の条件が
整え られたように思 う。
ただ、ロックが想定する この支持者が具体的にどのような人々を指 しているのかは不分
「ロツクが扱つている生得観念の教説は藁
明である。この点に関 して Grccnに c(1972)は 、
人形のように思われるのに、彼はそれと格闘するのに明 らかに的外れで不必要な労力を
費や している」ことか ら、ロックの論戦の標的が何なのかとい う問題が生 じるとしてい
る。「 しば しば注意されてきたことだが、それ らの主張は説得力がないとい うよりも、
単にデカル トの立場に呼応 していないとい う理由か ら、生得観念の支持者 として有名な
。また ロック自身が真理を
デカル トでさえロックの議論には心を動かされないだろう」
知 るための生得的な能力(capaCity)を 認めていることか ら、「この論争をさらに探求する
に したがつて、何が真の問題なのかを明 らかにするのが次第に難 しくな り、結局、最終
的にはそ こには現実的な問題は何 もなかつたのだとい うことが明 らかになる」とまで彼
は言 う。Greedeeは この問題についてさらに論究を進めているが、その過程で「 (彼 が
考える)論 敵を同定す ることそれ自体は、生得観念を巡 る論争における ロックの本当の
関心 を理解できるようにす るのには不十分だろ う」とい う結論に至 っている。また国内
では 一 ノ瀬(1997)が ロ ック擁護 の立場か らこの 問題についての包括的な検討を行なっ
ているが、氏 もまた「万が一そ うした論敵が実在 しなかつたとして も、本当は全 く差 し
支えないのである(p.25)」 と結論付けている。 この同 じ地点から出発 して、Greedeeは
ロックの生得説批判 に ドグマ的な権威の拒否 と、発見の方法(a methOd Of dヽ covcry)へ の
関心 とい う積極的意義 を見出 し、他方で一 ノ瀬氏は、そこに知識への「 同意」とい う行
。
為の重要性を読み込んでいる。だが本稿では、ロックが想定 した論敵の同定 特定 とい
う観点か らは彼 らと同様距離を置きつつ も、この両者の出発点の一歩手前で踏み止まり、
不明瞭で難解な単純 さとで もい うべきロックの生得説批判に耳を傾ける。
ここで「子 ども」と同列 に置かれている「白痴」は、幼児程度の知能 しか有 していない
72
ロックの哲学 と「 子 ども」の概念
者 と解 し、特に「狂人」とは異なることに注意 したい。ロック自身、2巻 H章 13節 で、
「狂人は自
白痴は「知性の諸機能の機敏 さや活動や運動の欠如か ら生ずる」のに対 し、
「なぜな ら狂人はその想像の激 し
痴 とは正反対な欠陥に悩 まされているように見える」、
さのため、空想を実在事 と取 り違えてしま」うか ら、とい うかたちの 区別を行な つてい
る。
'こ の点について大槻氏(1972)は 「 ロックが生得論を退け、心は自紙でタプラ・ ラサであ
ると強調 し、観念が経験 の過程 の 中でまず感覚によつて外的事物か ら得 られると説いた
ことは、タプラ・ ラサが彼の哲学の標語になったこととあいまって、心ない し知性にか
んする彼の理解を歪める不幸を招いたと言える」と認めているが、我 々は ロックが「心
は自紙でタプラ・ ラサであると強調 し」たとい う理解 に関 しては、事実 と異なつている
と考える。
8デ ヵル トは 方法序説』ではいつそ う明快に次の ように述べている。「多 くのひとが、
『
神を認識することも、自分たちの魂が何であるかを認識することにさえも困難があると
思 い込んでいる。それは彼 らが 自分の精神を、感覚的な事物を越えて高めることがけっ
してないか らである。 (中 略 )こ れをはつきり示すのは、哲学者たちで さえ学院におい
て、
「そ もそ も感覚の うちになかったものは、知性の うちにはな い」 とい うことを格率
としていることだ(DM IV)」 。
9 Athc■
on(1998)は 従来の ロックに対する疑念を次の ように整理 している。
「 ロックは結局
と複雑観念についての彼の見解を置
人間知性論』を、
くことか
らは始めてい
単純観念
『
ない。その代わ りに彼は、広範囲にわたる生得観念・原理に対する攻撃によって始めた
のだった。しか し第 1巻 におけるこれらの主張は、たびたびあっさりと片付けられてき
た。ロックは藁人形を攻撃 してお り、どんな関心を引 く型の生得性 を も公正に扱いえて
いない として、 しば しばリト難 される」
。
10ラ
イプニ ッツの『 知性新論』 におけるロック批判は、 この観点 か ら組織 されたもので
ある。
‖Athe■ on(1998)に よれば、
「標準的な見解(me standard宙 cw)は 、 ロツクの生得性の拒絶が
。また、
「 ロッ
彼の経験論の結果であると示唆 しつつ、彼の議論の秩序を不正 とみなす」
クの生得観念 。原理の拒絶 は [2巻 以降における]彼 自身の構築的プ ログラムの成功に
依存 しているが、そのプ ログラム自体は生得性 を拒絶する十分な理由を示 していない、
と生得性の擁護者は主張する」。つまりこれは『 人間知性論』は循環論に陥つているの
ではないか とい う批判であ り、これ もロックについての「標準的な見解」といえるだろ
う。この ような批判は最近では Rosく 2004)が 行 つている。
略号
Locke
E:An Essay concenling human understanding
『 人間知性論』からの引用は、たとえば「第 2巻 、第 1章 、第 2節 」を(II,i2)の ように
略記する。また翻訳は適宜参照 したが、文脈に応 じて訳文を変更 した箇所もある。
Dcscartcs
MP:Meditationes de pHma philosophia
Pr:PHncipia phi10sophiac
DM:Discours de la Mё thode
デ カ ル トの 著 作 の訳 は 、
『 省 察 』 と『 哲 学 の 原 理 』 につ いて は野 田 又夫 (編 )『 世 界 の 名
著
デ カ ル ト』 中央 公論 社 (1978)を 参照 し、
『 方 法 序 説 』 につ いて は谷川 多佳 子 訳 、岩
波 文 庫 (1997)も 併せ て参 照 した。
参 考文献
Ashcran,R(1991),(Cd)カ カ″ιο″′」α
J′
j“ ′
αss‐ s"″ rS,Routicdgc
Adanls,RM(1975),“ Wherc dO ourideas Come from?''In[StiCh,1975]
Athcrton,M(1998),“ Locke and lssue Over innateness'',In V Chappell(ed),■ οCtι ,Oxford:
Oxford Univcrsity Press
Greenlee,D(1972),“ Lockc and The Controvcrsy Ovcr innatc ldcas",力 ″″α′グ ル′川 S″ ッ グ
Zθαs,33
RussdL B(1945二 1972),/施 7げ ″をSた″″物
洋哲学史
1・ 2・ 3』
υ ″ ,Simm and Shuste■ 市井 三郎 訳『 西
みすず書房、1970。
RosL R。 (2004),“ Locke's Essay βοοたノ:The QueStiOn‐ Begging Status of the Anti― Nativist
Argumcnも ",ル あ s″ ″ α″′動
ο″
logicα′R“ rch VoL LXIX No l,Jdy 2004
"ο
“
“
,Berkley:University ofCalifomia Prcss
Stich,S(1975)(ed),ル ″αセ
`ag“
― ノ瀬正樹(1997)『 人格知識論の生成』東京大学出版会。
大槻春彦(1976)(訳 、解説 )ジ ョン・ ロック『 人間知性論』 14巻 、岩波書店。
(か きぬま ひろゆき/上 智大学)
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