Comments
Description
Transcript
戦没者慰霊法要・平和祈念大会を厳修
学習として、 ﹁東京大空 襲﹂のアニメ上映、墨田 区語り部・玉木第子さん 東京の東郊 外に、国営昭 今 月 宗 行 事 予 定 人にも上ったという▼戦 なんと官民およそ八百万 方の死者、行方不明者は トナム戦争では、南北双 との見解もある。そのベ 的自衛権の行使であった ム戦争もアメリカの集団 議を醸している▼ベトナ あるとの意見を述べ、物 三人の憲法学者が違憲で 衛権の容認議決を巡って を。今、国会で集団的自 て基地に入っていく光景 日 開導聖人大津ご法難記念日 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ 1日 国民安全の日 昭和三十五年五月の閣議で、産業災害・交通事故・ 火災等の災害防止を図る為に制定。この日から一週 間を全国安全週間とする。暑さで気の弛みから事故 が多発する、夏場の一日が選ばれたもの。 1日 海開き・山開き 7日 七夕 旧暦の七月十五日の夜、祖先の霊に着せる衣服を 噂ではベトナムからアメ 棚に置いておく習慣があり、棚に機で織った衣服を 供えることから﹁棚機︵たなばた︶ ﹂という言葉が生 リカ軍の戦死者が運ばれ まれた。その後、 仏教が伝来すると、 七月十五日は﹁盂 基地内で遺体を洗浄する 蘭盆︵お盆︶ ﹂となり、棚機はお盆の準備をする日と アルバイトがあったと聞 いうことで、七月七日に繰り上げられた。 く▼ある日、夢をみた。 これに、中国から伝わった織女・牽牛の伝説が結 び 附 け ら れ、 天 の 川 を 隔 て まっ白いホウタイに包ま た 織 姫︵ 織 女 星、 こ と 座 の れた数百もの遺体が大き ベ ガ ︶ と 彦 星︵ 牽 牛 星、 わ なトレーラーに載せられ し座のアルタイル︶が年に 一度の再会を許される日と された。五節句の一つ。 に米軍の輸送機が飛来し ナム戦争の真只中、頻繁 今から五十年程前、ベト 国営公園になっているが 六七年に返還後、現在の 基地として使用され一九 その公園は戦後、米軍の スポットになっている▼ 不戦の決意を一層強くす 慰霊法要・祈念大会が終 和記念公園が 日 終戦七〇年戦没者慰霊 並 平和祈念法要 るものです﹂との閉会の 了した。 ある。一八○ ∼ 日 第二〇九回臨時宗会 ヘクタールの 日 本山宥清寺開導会 広大な敷地に四季折々の ︵宗門総回向料第一回奉納式︶ 花を咲かせ、人々の人気 去る五月十日、第五支庁では、東京常磐・乗泉寺・東京中央・東京房 一同を代表して、御礼の 事奉修の御礼と共に﹁改 辞が述べられ、全員で宗 ご挨拶をさせていただい めて戦争の悲惨さを感じ、 歌を斉唱して、この日の 総 の 管 内 四 布 教 区 主 催 、 第 五 支 庁 後 援 に よ る ∼ 平 和 の バ ト ン を 次 世 代 た。引き続き第三部・す 戦没者慰霊法要・平和祈念 大 会 ﹂ が 、 本 所 ・ 清 雄 寺 みだ観光協会による平和 へ∼﹁終戦七十年 並びにすみだリバ ーサイドホールを会場に奉修され、管内教講六〇二名 が相集い、世界恒久平和と不戦の誓い、そして佛立開導日扇聖人ご生誕 二百年慶讃・佛立開花運動の推進、ご奉公成就の決意を新たにした。 その後、乗泉寺・富澤 寺本堂にて慰霊法要を厳 の妙法弘通 不軽折伏菩 也﹄ ︵法華題目抄・ 修。奉修導師・御講尊・ 薩行こそ 真実の世界平 昭定四〇二頁︶ 喜一さん、妙蓮寺・三枝 和実現の直道なれ。 とのお祖師さまの御妙判 笑子さんへのインタビュ 小山日誠上人より、 ﹁今 我等が唱え奉る上 仰ぎ願わくは 愈々異 を引かれ﹁戦後、もうダ ー の 後、 立 正 寺・ 須 田 行所伝の南無妙法蓮華経 体同心にして ご弘通の メだと思っていた日本、 淳さんの司会のもと、隅 の功徳力を以て回向供養 大願成就なさしめ給え。 宗門が蘇ったのです。現 田川での船上回向の模様 一天四海皆帰妙法 後五 代の私たちも御経力をい が会場に中継され、参加 百歳中廣宣流布無令断絶﹂ ただいて、佛立開花運動 者全員で黙祷を捧げた。 の 日 佛立開導日扇聖人 御遷化 こよみ 最後に東京常磐布教区 と言上いただき、本堂中 を成就させていただきま 央に荘厳された祭壇にお しょう﹂と激励いただい 長・川手日廣師より、無 第2座 9:00∼10:00 講 尊 小山日誠 上人 9 7月の 月の こよみ 焼香を捧げられた。また、 て第一部法要を終了。 来 る 七 月 十 七 日 は、 佛立開導日扇聖人の御 祥月御命日。本山宥清 寺では十二日、四座に わたって御正当会が奉 修される。開導聖人は、 安政四年に本門佛立講 をご開講せられ、高祖 門祖の御正流を今の私 たちにお伝え下された。 第4座 13:00∼14:00 講 尊 梶本日裔 上人 し弔う処は 第二次世界 大戦 並びに東京大空襲 等における戦没者 一切 の諸精霊 妙法経力追福 作善証大菩提の為。 門 日 海の日 明治二十三年七月十七日、 大阪玉江組の秦新蔵氏の招 き に よ り、 伏 見 か ら、 玉 江 組が新造した屋形船で淀川 を下阪の途中、淀川堤の守口村・森田伊六の茶屋︵現 守口義天寺︶にお上がりになり、暑気を避けるため 奥座敷でご休息されていたが、夕刻、出発のため伺 うとご遷化されていたという。御年七十四歳。 17 願わくは 核兵器及び 戦没者遺族代表として清 この後、一同は﹁すみ 生物化学兵器等廃絶 テ 雄寺・中井德子姉が続い だリバーサイドホール﹂ ロ撲滅 戦争終結 世界 て焼香を捧げた。 に会場を移し、ステージ 一座お看経の後、第五 で放映されるご信者の戦 恒久平和確立なさしめ給 え。感応道交哀愍納受。 支庁長・川手日成師より 争体験映像︵青年会作成︶ 高祖 御妙判に曰く ﹁本日の御講尊ご講演の を見ながらご供養をいた ﹃佛法やうやく顚倒しけ 聴聞と回向供養の功徳、 だいた。そして第二部と れば世間も又濁亂せり。 世界平和の祈りの功徳を して、当日のメインであ 佛法は體のごとし、世間 以て佛立開花運動推進、 る御講尊・小山日誠上人 ︵四 はかげのごとし、體曲れ 各寺院の誓願成就を祈念 のご講演を頂戴した。 申し上げます﹂との挨拶 ∼五面に謹掲しています︶ お互いに、報恩の参詣 をさせていただこう。 寺 内 奉 修 第1座 7:00∼8:00 購 読 冥 加 料 一部 50円 THE BUTSURYU SHIMBUN 橋口清遠 編集人 澤田日松 発行人 12 8 7 され、米軍の慰霊碑にも 花輪を供えられている▼ 集団的自衛権は日本国民 をどう導いていくのだろ う。お祖師さまは﹁人の ことばを用ふべからず。 あふひで金言を守るべき なり﹂と仰せになってお られる。日本国憲法の三 大原則にも﹁基本的人権 の尊重、国民主権、平和 主義﹂とあるのだが⋮。 日 第六世講有日睿上人ご祥月命日 海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願うこと を趣旨として、平成八年から施行された国民の祝日。 日 大津ご法難 寒修行と同様に、夏場の暑い盛りに、自己の信心 前を鍛える期間。この参詣は子どもの夏休みに合わ せて実施されることが多く、全国の寺院では、七月 から八月にかけて営まれます。家族揃って参詣に励 みましょう。 夏期参詣 慶応四年︵一八六八︶ 、かねてから開導聖人のご弘 通に脅威を感じていた大津六十四ヵ寺の僧侶は、連 合して京都府に﹁清風といえるもの、キリシタンの 邪法をつかい、諸人を惑わすもの﹂と訴えたため、 聖人は捕縛され、京都六角の西の本牢に投獄された。 御年五十二歳の時。後、冤罪と判り無罪釈放。出家 公許の判決が下される。 29 本門佛立宗宗務本庁 京都市上京区御前通一条上る 東竪町110番地(〒602-8377) 電 話 (075)461-1166(代) 振 込 口 座 京 都 18650 } } 29 20 21 後七十年に当たる今年、 明治七年、明田嘉兵衛の三男として神戸にご誕生。 様々な行事が催され、天 明治十四年、村田日順師のもとで出家得度、僧名を 順学といただく。師匠が第二世日聞上人の弟子とな 皇陛下ご夫妻も激戦地パ り宥清寺に入寺するに従って同じく入寺し、名を現 ラオの﹁玉砕の島﹂ペリ 学と改める。大正十年、第六世講有位を嗣法。昭和 三年、法寿五十五歳でご遷化。 リュー島へ慰霊の訪問を 船上での須田淳さん 玉木第子姉の語り 川手布教区長の挨拶 ば影なゝめなり﹄と。 来る7月12日 題目旗を掲げ船上回向を勤める左から宮崎日良・高野 清純・竹村堅裕各布教区長 このあと御題目を認めた 水塔婆を川に流し東京大空襲犠牲者の冥福を祈った 11:00∼12:30 講 有 山内日開 上人 《宗門式典》 第3座 奉修導師 奉修時間 座 平成 27 年7月 1 日発行 7月号他ページの主な記事 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 本門佛立宗機関紙 当日は午前十時三十分 れによると説かせ給えり。﹃妙とは蘇生の義也。蘇 による﹁戦争の記憶﹂を より第一部として、清雄 されば本門肝心上行所伝 生と申すはよみがへる義 語っていただいた。 終戦70年を迎え 終戦70年を迎え 平和のバトンを次世代へ! 終戦 戦7 7 0 年を を迎え 平 平和のバ 和の 和 のバ バ トン トンを ンを を次 次世 世代 世 代 ! ご講演終了後、当日参 ︵諸経与法華経難易事・ があった。 昭定一七五二頁︶ 引き続き、宗務総長・ 加の各寺院青少年が御講 人心乱れ世に争乱の出 木村日覚師より激励をい 尊の御前に進み出て、立 正寺・熊谷瑠思亜さんが 来せしは 則ち仏法の乱 ただき、 清雄寺本堂前に戦没者法要のお塔婆を建立して法要が勤まる 1・2 支が参詣当番 司会の大戸雄一氏と涌坂和代姉(共に乗泉寺) 御礼・熊谷瑠思亜さん 川手支庁長の挨拶 木村総長より激励 小山御講尊の講演 お焼香される講尊・日誠上人 お焼香される遺族代表・中井德子姉 発 行 所 2面 7支・清護寺 講有巡教、9支・妙現寺 御親教、1支・京都布 てらこや祭を開催 3面 本山初灯明料の奉納を !優秀寺院・信徒に取り組みを伺う 4面 小山御講尊 空襲体験談 5面 「東京大空襲ふり返り世界平和を誓う」 新 佛立入門 6面 「私のお教化体験談」 権大僧正列伝 7面 特集 8面 体験談:5支・乗泉寺 的場紀子さん一家 母娘7代の法灯相続 9面 体験談:11支・本有寺 吉谷眞智子姉 姑から佛立信心を教えられて 10面 佛立この人:本山宥清寺 木村清子姉、訃報 長谷川日沾上人 11面 5支・ハワイ三祖会・ご回向に参詣、日扇聖人全集 宗要篇一発刊 12面 佛立開導日扇聖人物語 第7回、古都フィレンツェに響く御題目の声 平成 27 年7月1日 水曜日 (毎月 1 回 1 日発行) 聞 新 立 佛 (1) 第 6 6 7 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可) 第5支庁4布教区主催による 戦没者慰霊法要・平和祈念大会を厳修