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放送ジャーナリストの惨事ストレスケアに関する心理学的研究
放送文化基金『研究報告』 平成 17 年度助成・援助分(人文社会・文化) 放送ジャーナリストの惨事ストレスケアに関する心理学的研究 代表研究者 共同研究者 〃 〃 〃 〃 松井 安藤 井上 福岡 小城 畑中 豊 清志 果子 欣治 英子 美穂 筑波大学 教授 東洋大学 教授 横浜国立大学 教授 静岡文化芸術大学 准教授 聖心女子大学 講師 立正大学 講師 目 的 ジャーナリストが事故や災害に遭遇したり、報道した際に感じるストレスは、惨事スト レス(Critical Incident Stress)と呼ばれる。本研究プロジェクトは、災害や大事件におけ る報道の質の向上を目指して、日本のジャーナリストが受ける惨事ストレスの実態を把握 し、彼らに対する惨事ストレスのケアのあり方を探索することを目的として、一連の調査 を行ってきた。 本助成に関わる具体的な研究目的は、放送ジャーナリスト(本研究では、放送機関に所 属していて報道に関わっている人々に限定している)に対して大規模な意識調査を行い、 惨事ストレスと職務ストレスの実態を把握し、日本の風土にあった放送ジャーナリストに 対する惨事ストレスケアのあり方を分析することである。 方 法 調査対象:放送機関に勤務し、報道に関わっている非管理職(記者、カメラマン、アナウ ンサーなどを含む)211 名と、自身が報道に関わった経験があり、報道記者を管理する立場 にある管理職 149 名である。各放送機関の職員を通じて、該当者に個別に配布した。 調査時期:2006 年 7 月上旬(10 日∼14 日)に職場機関宛てに質問紙を発送し、8月 28 日 までに返送された票を対象とした。 調査方法:職場での集団配布、個別郵送回収による質問紙調査。 調査内容:質問紙には、社内のストレス対策実施状、利用状況、利用しない理由、惨事ス トレス対策の必要性、必要とされる対策の内容、ジャーナリストの惨事ストレスに対する 意見、心的外傷の知識の有無、フェイス項目、衝撃を受けた取材・報道事案、取材あるい は報道に関わるストレス、外傷後ストレス障害の症状を測定する改訂版出来事インパクト 尺度(IESR;飛鳥井,1999)、精神的健康状態を測定する GHQ-12(Goldberg,1972)などの 質問項目が含まれていた。 結 果 回答者の構成は以下の通りであった。非管理職は、「取材記者」 がもっとも多く(31.3%)、 次いで「映像取材・カメラマン」(24.6%)、「アナウンサー・キャスター」(18.0%)と なっていた。管理職では、「ニュース・デスク」がもっとも多く(38.3%)、「アナウンサ ー・キャスター」、「映像取材・カメラマン」、「ディレクター」が約 1 割であった。 ①9割の放送ジャーナリストが惨事を体験 回答者自身が、取材や報道の過程で衝撃を受けた事案があるかどうかを尋ねたところ、 「衝撃を受けた報道事案はない」は、管理職、非管理職ともに 1 割強にとどまり(管理職 12.1%、非管理職 13.3%)、回答者の 9 割近くが何らかの取材・報道をした際に衝撃を受け ていた。 衝撃を受けた事案としては、「自然災害」が最も多く、「交通事故」「殺人事件・ 心中事件・自殺」などもみられた(Fig. 1)。 1 45.0 1.自然災害 (地震、台風、水害など) 36.5 0.0 0.9 2.火災 15.4 12.8 3.交通事故 (車、鉄道、船、航空機など) 4.原子力災害、ガス爆発などの 大規模事故 2.7 1.9 0.0 5.その他の事故死 (水死・転落死など) 4.3 6.7 5.7 6.戦争・紛争 0.0 1.9 7.毒物・劇物事件 6.7 8.殺人事件・心中事件・自殺 12.3 5.4 4.3 9.テロ 10.政治・経済事件 2.0 0.0 11.性犯罪 0.7 1.9 2.0 3.8 12.その他 13.衝撃を受けた 報道事案はない 12.1 13.3 1.3 0.5 無回答 0 管理職 N=149 非管理職 N=211 χ ²(11)=21.2 1 p < .05 (%) 10 20 30 40 50 Fig. 1 事案の種類(単一回答) 注:取材や報道で衝撃を受けた事案の内容。単一回答。衝撃を受けた事案としては「自然災害」 が最も多く、「衝撃を受けたことはない」と回答した人は1割しかいなかった。 ②惨事へのストレス反応も広くみられた 衝撃を受けた事案に遭った人の中で、取材時・報道時に感じた精神症状をみると、「被 害者や家族に強く同情した」が最も多く、「取材活動中、見た情景が現実のものと思えな かった」という解離反応や「現場から圧倒される感じを受けた」という現場から受ける威 圧感や、「無力感を感じた」人も多くみられた。全く何も感じなかった人は1割前後しか おらず、8∼9割の人は衝撃を受けた事案の後で精神症状を示していた(Fig. 2)。 外傷後ストレス障害(PTSD)の症状の度合いを調べる尺度(改訂版出来事インパク ト尺度:IESR)で、PTSDのハイリスク率を計算したところ、管理職は 5.6%、非管 理職は 5.1%となった。この比率は、和歌山カレー事件の被害者(男 31%、女 47%)や地 下鉄サリン事件の被害者(男 25%、女 36%)に比べるとかなり低いが、東京都の消防職員 (4.8%)とほぼ同率であった。ジャーナリストは事件被害者ほどのストレスは受けていな いが、危険な活動をしている災害救援者とほぼ同等のストレスを受けていると推定される。 2 1.自分や同僚の身の危険を感じ 不安になった 29.8 26.2 2.取材活動中、見た情景が 現実のものと思えな かった 38.9 37.7 3.現場でとてもイライラし たり、 ちょっとしたことでも気にさわった 8.4 4.わけもな く怒りがこみあげてきた 10.7 8.7 14.8 37.4 5.現場から圧倒される感じを受け た 42.1 18.3 15.3 6.足がすくむような 感じがした 31.3 7.無力感を感じた * 45.9 8.取材よりも 救助活動に当たるべきではないかと悩んだ 10.7 16.9 9.取材活動中に受け た衝撃が、 数時間して も目の前から消えなかった 11.5 9.8 10.とても混乱した り、興奮して いて 合理的な判断ができな かった 4.6 4.9 11.一時的に時間の感覚が 麻痺(まひ) した 11.5 7.1 12.目の前の問題にしか、 考えを集中することができなかった 11.5 12.6 13 .現場に戻るのが とて も負担に感じた 6.1 * 13.7 48.9 14 .被害者や家族に強く同情した 53.0 15 .惨(むご)い話を聞いて 辛かった 15.3 18.0 11.5 1 6.上記にあてはまる気持ちはない 管理職 N=131 非管理職 N=183 * 4.4 0 (%) 10 20 30 40 50 60 Fig. 2 取材・報道時の精神症状 注:もっとも衝撃を受けた取材・報道事案で、体験した精神症状。複数回答。「被害者や家族に 強く同情した」や「無力感を感じた」が多かった。図中の**マークは、非管理職と管理職との 間で肯定率に統計的に有意な差があったことを示している。 ③惨事ストレス対策は利用していないが、必要と認識 惨事ストレス対策が「実施されている」と認識していたのは管理職4割、非管理職3割 弱であった。実施されている対策は「社内の診療所(産業医・内科医)相談室の設置」が 多くみられた。 惨事ストレス対策を利用したことがある人は、管理職 5.0%、非管理職 6.8%とわずかで あった。 ただし、惨事ストレス対策は、非管理職・管理職共に9割以上の人が「必要であり、個 人的に利用したい」「個人的には必要性を感じないが、組織として必要である(必要とし ている社員もいる)」と捉えており(それぞれ順に非管理職 17.4%;72.5%,管理職 10.4%; 79.2%)、対策に対する必要性の認識は極めて高くなっていた。 実施を求めている対策は、「大変な取材活動の後に、長期休暇がとれるようにする」や 「外部の専門家(精神科医・内科医・カウンセラー)による定期的な診断」であった(Fig. 3 3)。 Fig. 3 実施が望ましい対策 注:実施することが望ましいと考えられるストレス対策。複数回答。「大変な取材活動の後に、 長期休暇がとれるようにする」という休暇付与のほかに、「外部の専門家(精神科医・内科医・ カウンセラー)による定期的な診断」が高く上がっていた。図中の*マークは、非管理職と管理 職との間で肯定率に統計的に有意な差があったことを示している。 参考文献 1)松井豊・板村英典・福岡欣治・安藤清志・井上果子・小城英子・畑中美穂 2006 年 ジ ャーナリストの惨事ストレスに関する探索的検討 東洋大学 21 世紀ヒューマン・インタ ラクション・リサーチ・センター研究年報, 3, 71-76. 2)板村英典・松井豊・安藤清志・井上果子・福岡欣治・小城英子・畑中美穂 2007 年 ジ ャーナリストのストレスをめぐる研究状況−日本におけるマス・メディア論及びジャー ナリスト研究を中心に− 筑波大学心理学研究, 33, 29-41. 3)安藤清志・松井豊・宮田一雄・藤吉洋一郎・田中淳 2007 年 第5回シンポジウム メ ディアと被害者・被災者−よりよい関係を目指して 東洋大学 21 世紀ヒューマン・イ ンタラクション・リサーチ・センター研究年報, 4, 1-33. 4)松井豊(研究代表) 2007 年 ジャーナリストの惨事ストレスケアに関する心理学的 研究 報道人ストレス研究会. 5)小城英子・畑中美穂・福岡欣治・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 印刷中 放 送ジャーナリストの惨事ストレス対策に対する意識 横浜国立大学大学院教育学研究科 教育相談・支援総合センター紀要, 7 6)畑中美穂・福岡欣治・小城英子・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 印刷中 放 送ジャーナリストが経験する惨事ストレスの特徴とストレス反応 横浜国立大学大学院 教育学研究科教育相談・支援総合センター紀要, 7 7)福岡欣治・小城英子・畑中美穂・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 印刷中 放 送ジャーナリストにおける日常ストレスとソーシャル・サポート−惨事ストレス対策に 向けた基礎資料として− 横浜国立大学大学院教育学研究科教育相談・支援総合センタ ー紀要, 7 4 8)松井豊・安藤清志・福岡欣治・井上果子・畑中美穂 2006 年 ジャーナリストの惨事ス トレス(1)研究背景と目的 日本トラウマティックストレス学会第5回大会発表論文 集, 76. 9)福岡欣治・松井豊・小城英子・畑中美穂・板村英典・松井豊 2006 年 ジャーナリスト の惨事ストレス(2)新聞記者に対する面接結果から 日本トラウマティックストレス 学会第5回大会発表論文集, 77. 10)畑中美穂・安藤清志・松井豊・井上果子・福岡欣治・小城英子・板村英典 2006 年 ジ ャーナリストの惨事ストレス(3)放送関係者に対する面接調査から 日本心理学会第 70 回大会発表論文集, 161. 11)安藤清志・畑中美穂・松井豊・井上果子・福岡欣治・小城英子・板村英典 2006 年 ジ ャーナリストの惨事ストレス(4)ストレスケアに向けて 日本心理学会第 70 回大会 発表論文集, 162. 12)小城英子・板村英典・福岡欣治・徳山喜雄・飯室勝彦 2006 年 災害・事故・事件報 道に見るジャーナリストの惨事ストレス −ストレスケアシステムの構築を目指して− 日本マス・コミュニケーション学会 2006 年度秋季研究発表会プログラム, 35-37. 13)福岡欣治・井上果子・松井豊・畑中美穂・板村英典 2007 年 ジャーナリストの惨事 ストレス(5)Dart Center 調査からみた海外でのストレス対策の動向 日本トラウマ ティックストレス学会第6回大会発表論文集, 45. 14)小城英子・畑中美穂・福岡欣治・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 2007 年 ジ ャーナリストの惨事ストレス(5)放送ジャーナリストの惨事ストレス対策に対する意識 日本心理学会第 71 回大会発表論文集, 145. 15)畑中美穂・福岡欣治・小城英子・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 2007 年 ジ ャーナリストの惨事ストレス(6)放送ジャーナリストが経験する惨事の特徴とストレス 反応 日本心理学会第 71 回大会発表論文集, 146. 16)福岡欣治・小城英子・畑中美穂・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典 2007 年 ジ ャーナリストの惨事ストレス(7)放送ジャーナリストの日常ストレスとソーシャル・サポ ート 日本社会心理学会第 48 回大会発表論文集, 392-393. 研究発表 本研究の研究成果の一部は、2007 年日本トラウマティックストレス学会第6回大会(参 考文献 13)と 2007 年日本心理学会第 71 回大会(参考文献 14,15)、2007 年日本社会心 理学会第 48 回大会(参考文献 16)においてポスター発表された。 2007 年には東洋大学 21 世紀ヒューマン・インタラクション・リサーチ・センター主催 のシンポジウム「メディアと被害者・被災者−よりよい関係を目指して」の中でシンポジ ストとしての発表が行われた。さらに、日本心理学会第 71 回大会において、ワークショッ プ(ジャーナリストの惨事ストレス)を開催した。 公刊文献としては、横浜国立大学大学院教育学研究科教育相談・支援総合センター紀要 (参考文献5、6、7)に審査を受けて論文を発表している(2007 年 10 月下旬刊行予定)。 また、関連する他の研究成果も加えて、研究報告書(参考文献4)も作成し、関係諸機関 に配布した。 連 絡 先 筑波大学人間総合科学研究科・教授 [email protected] 松井豊(まついゆたか) 5