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耳 芸 【NPOグランベルテ刊】

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耳 芸 【NPOグランベルテ刊】
耳 芸
【NPOグランベルテ刊】
一一
杖をつく 人に人添い つつじ園
つつじ燃ゆ 老々共に 平和より
つつじ狩り 歩調同じく 人歩む
花疲れ 隠しおおせぬ わが齢
﹁平成二十二年五月二十二日
グランベルテ 小室山つつじ園 於て﹂
︵御守さんを囲んで︶
忘れゆく こと後先の 散るサクラ
赤い羽根一人離れし 少女より
平成二十二年十月一日
冬喬薇 亡き妻の深息 聞こえけり
晩年という淋しさに蔓殊沙華
平成二十四年十月十一日
独り居も 淋しからずよ 欄の酒
平成二十五年十月十t日
2
夕焼けの空になだらかな稜線を描いて、丘陵は黄
昏の色に包まれていく。起伏に富んだ地形に、造型
美を伴って点在する白い建物の窓に一斉に明かり
がともされた。美奈はベランダ越しに外を見た。高
層住宅からの眺望は美しく、遠くに瞬く街の灯が蓋
を開いた宝石箱を思わせた。
茜色に耀く空に彼女は幻を見る。いつの時からか
心に抱き、夕焼けの中に描き続けてきた幻であった。
飛翔する二羽の白鳥は白い翼を夕日に赤く染めな
がら、北の空から飛来すると庇い合うようにゆっ
くりと、やがて南へと消え去っていく。その残影は
今も自分を遠い過去の日に立ち返らせ、幼い心に刻
みつけた記憶を鮮烈に呼び醒ますのであった。長い
歳月を経ても薄れることなく、鮮やかさを増して心
の嚢の奥深くに畳み込まれるもの、それは生きてい
る限り決して消えないだろうと美奈は思う。
美奈が十五歳の秋の或る日、故郷の菩提寺に親族
が集まっていた。町中の商店街から、さほど離れて
いなくとも、奥まった所にある寺はひっそりとし
て、表通りのざわめきまでは伝わってこなかった。
薄暗い本堂に座り僧侶の読経を聴く美奈に母の写
真が優しく微笑みかけていた。それは、やや寂しげ
3
な細面に幽かな笑みを含んで時の流れを凝固させ、
﹁ほんなこと。戦争さえなからにや、清子さんもあ
しこ
れとったとよ。うちにはその時の清子さんの気持ち
﹁清子さんな、わが子ば手にかけた罪の意識に苛ま
たとはね︰︰︰﹂
一歩で日本に着く言うとに海に身ば投げんしやっ
﹁そげんこと。敬雄ちゃんも生きてりやなあ。もう
げな死に方ばせんでも済んだとに﹂
永遠に老いることのない美しい面影であった。
青く澄んだ空に色づいた柿の実が映え、墓石を清
めた水滴が陽の光を受けてキラリと耀いた。
秋月院釈明大姉 俗名 杉坂清子
昭和二十年十一月十日没 享年三十一歳
早世釈敬童子 俗名 杉坂敬雄
昭和二十年十一月十日没 享年一歳
が解るような気がすると﹂
﹁口も利けんかった事もあって余計、生きてはおら
れんかったとよ。ほんに可哀そか⋮⋮﹂
深々と石に刻まれた墓碑銘が立ち上る香煙の中に
けぶっていた。静まり返った境内の空気を突如鋭く
﹁みんな過ぎてしまったことじやけんね﹂
そして激しい動博が彼女を襲った。
それらの話を小耳に挟んだ美奈の顔色は変わった。
引き裂いて、百舌が枝を渡っていく。美奈は、親戚
の者が交わす会話を、聞くともなしに聞いていた。
﹁早かもんね、あれからもう何年たったやろか⋮・
4
− お母さんは船の中で伝染病にかかって、まも
﹁美奈ちゃんな、うすうす感づいとるとよ。もう隠
ニー
﹁そうだね、姉さん⋮・﹂
なく収容された病院で死んだ、と聞かされた。それ
んが手にかけた、とはどう言うこと?
﹁そげんことよ、その方があんたも気が楽になるし、
しとくよりも、はっきり話してやった方がよかじや
次々と浮ぶ疑問が頭の中を黒雲のように覆ってい
少しは救われるとよ。それに、いつ迄も男手一つと
なのに小さな自分と父を残して海に身を投げた?
った。当時まだ幼かった自分に知らされていなかっ
言うわけんにや行かん︰︰︰﹂
なかとね?﹂
た何かがあることを知った美奈は、激しく食い入る
槌りつくような眼で自分を見上げる美奈を引き寄
弟の敏雄も病気で死んだと思っていたのに。お母さ
ような眼差しを父親に向けた。その時、美奈の変化
せると健太郎は一瞬引き締まった顔を振り向けた。
投げて死んだのだよ﹂
母さんは病気で死んだのではない。引揚船から身を
﹁美奈、よくお聞き。さっきお前が聞いた通り、お
美奈は固唾を呑む思いで、父の口許を凝視していた。
にいち早く気付いた伯母が父の袖を引いた。
﹁賢さん、あんた、美奈ちゃんに本当の事ば話して
あると?﹂
小声で囁く伯母の声も、美奈は耳の端に捉えていた。
﹁いや、いつかは話そうと、思っていたけれども︰
﹁嘘よ!︰︰﹂
ら彼女は泣きじゃくった。
﹁いや、本当なんだ、こんなことをお前に知らせる
た。立ち昇る香煙が秋の透明な陽射しの中を薄紫の
て、静まり返った墓地には父と娘が取り残されてい
いつの間にか、親戚のものは一人去り二人去りし
ことは︰︰︰でも隠しておいて済むものでもない。
露となり、何処へともなく消えていく。その幽かな
美奈は叫んだ。信じたくなかった。
真実を打ち明けて戦争のむごたらしさをお前にも
行方を眼で追いながら遥かな少女の日の美奈は、父
憶の断片を繋ぎ合わせ、更に鮮やかに廻らせて、彼
解らせなくては。おかあさんはねえ、自分の命を断
﹁おかあさんが敏雄を死なせたということ? 嘘
女の胸の底深くに畳み込まれていくのであった。父
の話を聞いた。それは幼かった美奈が持つ臆気な記
よ!⋮ そんなことうそよー⋮⋮・敬雄は病気で
と娘は、美しい夕焼けの空を仰いでいた。
つ前に、敏雄の命をその手で断っていたのだ﹂
死んだのよ! おとうさんもおかあさんも、あの時
思いもよらない事実を目の前に突きつけられた美
をつれてね⋮⋮、そう思いたい。お前もそう思っ
なく、白鳥になって日本に帰ってきたのだと、敬雄
﹁なあ美奈、お父さんはねお母さんは死んだのでは
奈は、胸に激しいものが込み上げ、熱い涙が頬を伝
ておあげ﹂
私にそう言った、そんなの嘘にきまってる⊥
わった。そして、涙で霞んだ父の胸を拳でうちなが
の白鳥の姿を見る⋮⋮それは見たと言うよりも感
夕映えの中に白い翼を茜色に染めて羽ばたく二羽
その時の美奈が理解するには余りにも幼なすぎた。
身の上を気遣い、焦燥の日々を送った父の心の裡を、
北朝鮮に残してきた妻と生後間もない嬰児の
﹁おかあさんは? お母さんの所に帰りたい﹂
じた、と言うものであった。団地の窓から幻を見る
今の美奈は、当時の母の年齢を遥かに超えた。そし
美奈は日に幾度となく此の言葉を口にした。口癖の
﹁今にお母さんが敬雄ちゃんをしっかり抱いて、美
て折に触れてはしみじみとあの頃輝を思い起こす
昭和二十年八月十五日正午、美奈は京城︵ソウル︶
奈の所に来る。それ迄おとなしく待っているのだ
ように訊く彼女に大人は言った。
の叔父夫婦の家にいた。七月半ばに出産を控えた母
父は京城放送局長として、本局の職務についており、
﹁平壌へはもういけなくなったのよ﹂
﹁おかあさんが来ないなら、私が行くの﹂
﹂
よ
平壌の家には母と生まれて間もない弟が残されて
﹁どうして行けないの?﹂
の許を離れて、此処にあずけられていたのだった。
いた。此の目を境にして、美奈の家は明と暗に分け
﹁日本が戦争に負けて、平壌はよその国になってし
またのだよ﹂
られた。地図の上に無情に引かれた境界線は、幸せ
な一家を生と死とに引き裂いてしまったのである。
怯えるように美奈は、自分に差し伸べられたその手
た敬雄は抱かれていなかった。異様な母の風体に
美奈は、久しく会わない母を求めていた。そして、
を、無意識のうちに拒むと後ずさりしながら叫んだ。
﹁よその国って?﹂
まだ見たこともない弟、敬雄の顔を見るのを心待ち
﹁おかあさん、汚いから嫌いよ⊥母親の心の内を
れ程待っていた母が、同じ社宅に住んでいた者に送
残暑もようやく薄れかけてきたある日の午後、あ
に近寄ろうともしないわが子に、清子は弱々しく微
すことになったのである。暫く振りに会う母親の傍
後までも美奈の胸の底に癒されない鋭い痛みを残
にしているのだった。
られて姿を現した。あの日のことは美奈は生涯忘れ
笑した。
読みとろうともせずに投げつけた此の三一日は、後の
ない。美しかった母は、僅かな荷物を持ち、見違え
顔にかかるのを気に掛けてか、眼に恥じらいの色を
った。頬の肉はそげ落ちて、そそけた髪が幾重にも
その言葉に漸く母親らしい清子を見出したのか、美
かった?﹂
わ。ずうっといい子にしてた? 病気や怪我はしな
﹁悪かったわね、美奈、おかあさん綺麗にしてくる
浮かべながら、黒く汚れた細い指で撫で付けていた。
奈は母の背に向かって声を掛けた。
るほどに萎れ、汚れきってまさに乞食同然の姿であ
だがどうしたことか、母の両手には皆が待ち焦がれ
﹁おかあさん、敬ちゃんは? 敬ちゃんはどうした
と言うことに過ぎない。
京城の地で、自分を待つ夫と子供の所に辿りつく
までは、と痛々しい程張り詰めてきた清子の心はそ
の
?
﹂
振り向いて首を横に振る清子の顔は、言い知れない
の夜から、そのままどっと床に臥し、幾日もの間深
﹁たかお⋮⋮たかおちやん⊥ ﹁ごめんね⋮たかお
ら時折諺言がもれた。
い霧の中をさまよい、高熱のために白く乾いた唇か
悲しさに溢れて歪んだ。
﹁ごめんね、敬雄は此処に来る途中で病気になって
しまってね⋮⋮﹂ ﹁病気になったって?⋮⋮それで
どうしていないの?︰⋮﹂
その時の美奈に、弟の死に対する実感など湧いて来
会える事を楽しみにしていた弟が⋮︰、しかし幼い
絶えかねて絶句すると、鳴咽した。あれ程までにV
清子の声は、そのまま口の中で言葉ならずに消えた。
避行の最中、警戒中のソ連軍の威嚇射撃に遇い、敵
の繁みに身体を隠しながらの疲労困借の決死の逃
十八度線を目指して、残留民間人の一行が夜間、山
清子を賢太郎の元に送り届けた者の話によると、三
くわ﹂
⋮⋮ゆるして、丘 ﹁おかあさんはきっとむかえにゆ
る筈もない。ましてや美奈にとつての弟は顔を見る
の捜索の目を逃れるために物音を押し殺し忍んで
﹁そのままに駄目に⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂消え入るように
こともなく、自分が描いていた姿に合えなかった、
の口を覆った、暫くして気が付いた時にはすでに死
うと手持ちの包みでしきりに泣き声を上げる敬雄
注がれた。気が動転したのか清子は泣き声を抑えよ
t行の眼は一斉に泣き止まない清子が抱く敬雄に
いたものの、しかし幼児の泣き声は止めようがない、
棚引いている。それらは、ゆっくりとたゆとう白い
出されるオンドルの煙が、薄紫の雲となって辺りに
をぴったりと閉ざし屋根に突き出た煙突から吐き
しりと軒を連ねる萱葺屋根の低い家並みは、窓や扉
ち込める朝霧の底にひっそりと眠って見えた。びっ
から一望の下に見渡す村の景色は、まだ白々と立
被支配者の立場を物語る植民地的な眺めとして、今
墨絵のように瀧気な心象風景。昨日までの支配者、
譲の中に臆て流れていく。その遠い記憶の底に眠る
なせてしまっていた、と言う事であった。
た
を経ていた。朝鮮に愈々寒さも迫る十一月初めの朝
の美奈の心に遣り切れない痛みを伴って、時折建っ
美奈たちが、京城を後にしのは、それから2ケ月
まだき︰⋮・そのときの情景と刺すように鋭く透明
てくるのである。
の小さな手を、母はしっかりと握っていた。心労と
を纏って坂を下りた霜焼けで膨らみはじめた彼女
頬を刺す様な寒気の中を、美奈は真紅のオーバー
な空気とが不思議な感覚を伴って墨絵のように美
奈の心に刻まれた。
石垣を廻らせて堂々とした構えの家が建ち並ぶ
日本人の住宅地は、小高い坂の上にあった。坂の頂
10
っては暫くの問身を休めたその家に別れを告げた
一家にとつては住み慣れた、そして、美奈一家にと
心細さがひとしお身に鯵みる頃となっていた。叔父
く迎えた帰国の日。厳しい朝鮮の冬は間近に迫り、
過労からか、病床にあった清子の回復を待って、漸
の兵士達に引き較べてみすぼらしく哀れに見えた。
て清掃に従事する彼等。堂々とした体格を持つ外国
元日本兵たちの姿が見られた。第と塵取りを手にし
ていた。そこにはアメリカの兵士に使役されている
すりに寄り掛り、みるともなしに桟橋の方を眺め1
美奈は、自分の背後に立つ父と母を見上げた。
ろうね、疲れたろう?﹂父はそう言うと、その大き
のであった。
晩秋の短い一日が、今日も暮れようとしていた。
く温か な掌を美奈の頭に置いて優しい眼差しを
﹁さあ、美奈、日本に帰ろうね。お前も大変だった
風もなく穏やかな海であった。朝鮮の南の門戸と呼
送る。母は憂いを含んだ表情の底に、幽かな笑みを
て久しい。彼女は言語を失った。一切の言葉がその
美奈が、母の唇から漏れる言葉を耳にしなくなっ
あった。
浮かべ無言の倭でいつ迄も美奈の顔を凝視るので
ばれる釜山の港に、出航の時を待つ一隻の船があっ
た。“白龍丸″と記された黒い文字が黄昏の中に
浮き上がる白い船体にくっきりと眼に入る。マスト
に顧翻と翻る日の丸が美奈の目に鮮やかに映る。
甲板に鈴なりになった人々に混じって美奈は手
来、周囲の誰とも口を利かなくなった母親に不審を
えて清子の表情に翳りをつくった。病床に臥して以
唇から消え去った。そして瞳の底に悲しみの色を湛
寂しいだろうが、我慢するのだよ﹂
もらえば治るに決まっているさ。それ迄は、美奈も
﹁治るとも、日本に帰ってから、大きな病院で見て
﹁ふーん、それでお母さんは治るの?﹂
の会話を船上で思い返していた。
美奈は、母の柔らかな指を弄びながら、父と自分と
抱いて、美奈は叔父の家で父に尋ねたことがあった。
﹁おかあさんはどうしたの? ちっともお話しし
てくれないの﹂
﹁おかあさんはねえ、心の病気になってしまったの
病気になることがあるのだよ。お母さんにとつては、
余り悲しい事や苦しい事があったりするとね、心が
﹁美奈はまだ小さいから分らないだろうが、人間は、
﹁心の病気ってなあに?﹂
笑顔で船を見送っていた。日に見えない無数の糸が
と日本兵たちの姿が寂しげに眼に映ったが、彼らは
の立ち込める桟橋の上に取り残されて手を振るも
様々な思いを乗せてLLるように桟橋を離れた。夕闇
渡った。碇を揚げ電白龍丸”の白い船体は人々の
紫色の夕暮れに出航を知らせる銅鏡の昔が響き
敏雄の死んだことが、それはそれは悲しい事に違い
飛び交って船の甲板と桟橋とを結んだ。船が遠ざか
だ
よ
﹂
なかったのだろうね﹂
12
るにつれて、こころの糸は次第に繰り延べられてい
板の間、埠頭に於ける税関倉庫の床板⋮⋮⋮。しか
か畳に身を横たえた。貨物列車、引揚者収容所の
てきた食料は既に尽きていた。
しその頃には、秘かながらにそれぞれが大事に持っ
く。甲板から声が掛けられた。
﹁兵隊さーん、早く帰ってきて下〒い、さよう
ならお先に − ﹂船上からの呼び声に応えて、大き
溶け込んでいった。空と海とが一体となった彼方に、
ざかり、姫て幽かな光空となって、夕闇の世界へと
れていく。船上から見る港の灯りは、惨むように遠
に入る物の総てであった。舌の上で大切に転がす小
底に残った僅かな乾パンと、数粒の金平糖とが、口
すと美奈の手にそっと手渡すのであった。その袋の
清子は悲しげな顔をして、荷物の中から袋を取り出
﹁お母さん、お腹が空いた⋮⋮﹂美奈は訴えた
僅かに残照を背にした異国となった半島の山々、そ
さな粒は、美奈の口中にすこしづつ甘さを残して、
く手を振る彼らは、刻々と色濃さを増す夕闇に包ま
れらが黒々としたシルエットを描いていた。
音を響かせて玄界灘の海峡の荒波に乗った。京城の
“白龍丸″は船足を早めると、力強いエンジンの
忍んだ。自分を見守る優しい母の眼差しを、瞼の裏
強烈な船酔いに、ひたすら寝もやらず苦しみに耐え
荒れ狂う波に、船は木の葉のように舞い、美奈は
ゆっくりと溶けていった。
我が家を出て以来の美奈は、幾日振りがで、どうに
13
此の事は臥せて置くつもりだった。特に、“親の気
人のこころ″と言うものを理解できるようになる迄、
は一人で苦しんだのだ。おとうさんはね、“美奈が
それよりも前から決心していたらしい。おかあさん
は覚悟の自殺だった。京城を出るときから、いや、
ュックサックの底からひょこりとね。お母さんの死
に書いて置いたのかね、郷里に帰りついたとき、リ
﹃おかあさんはね、遺書を遺して逝った。いつの間
想う。
とするのである。
た自分の心から、当時の母の悲しみをも汲み取ろう
“粋″は鮮やかに廻る。同時に美奈は、母親となっ
し、その手記を手にする時、親と子を結んでいた
影は日を経るに従って薄れ遠ざかっていった。しか
なったのである。幼かった美奈の脳裡に残る母の面
からずも母と子と佗 よすが″を示す唯一のものと
文字も色槌せた。此の、父に宛てた母の遺書が、は
余年の歳月を経て、当時の粗末なノートは黄ばみ、1
持ち″ と言うものがね﹄、と言いながら、美奈に一
清子の遺書
賢太郎 様
冊のノートを手渡した。その時の父の言葉が今も耳
の底から整ってくるのである。精一杯の愛情を自分
この手記をあなたが手になさる時、清子は既にお
傍を離れてしまっていることでしょう。
に注ぎ、報われることなくその生涯を終えた父を想
いながら、美奈は時折母が残した手記を播く。三十
れることはないのです。幼い敬雄の前にひざまづき
うに私を襲った﹁あの時のこと﹂は決して私から離
ているあなたと美奈に会えるまでは、と思いとどま
でも同行の皆さんに迷惑をかけること、京城で待っ
私はあの時、敏雄の後を追って死のうとしました、
方が救われる。でもお能の﹃隅田川﹄のわが子恋1
ます、神のみ前にひたすら膝まづきます。私にでき
りました。そして今は、もうこの身を整理しなくて
−−−なぜ、僕と美奈を残して、 − と、お思いにな
ることは斯うして許しを乞う他ないのです。
は、と思うようになっているのです。
しの、狂女になる資格も、私には許されないのです。
これからも﹃あなた﹄﹃美奈﹄といつまでも呼びつ
わたしの姿がこの世から消えても、死んだとお思い
るでしょう。お許しください。
づけていたい思いです。お二人に対しますご不幸を
にならないで下さいね。白鳥とでもなって、まもな
自分を自分で罰するほかありません⋮⋮⋮
お詫びいたします。お二人に引き換え、何一つ与え
く凍てつく北朝鮮に敬雄を迎えにいったと想って
今の私にはこうするより他にないのです。悪夢のよ
ることが出来ないまま幼いわが子の命をたってし
今この時になって、ふっと、私の故郷の鳥取の事
いただけたら⋮⋮。
いのです。今までの自分を捨て、狂人になりきって
が思い起こされてきます。三月三日、桟俵に乗せら
まった母親のわたしには、狂人になるか自殺しかな
みようともしました。、狂って狂って狂い死にする
耀いて、雛がのど瀬にたゆたい、早瀬に急ぐのを追
びます。遠くの山脈に消え残った斑雪が、陽の光に
流れに放ったあの頃が昨日のように⋮⋮⋮、思い浮
れた素朴な妹背の雛に、桃の一枝と雛菓子を添えて、
て声をかけます⋮⋮⋮
して歩いていくのです。私はその子をわが子と信じ
ョゴリとチマをまとった一人の婦人が、子供を背に
た。白いススキの穂が夕日に染まって、その中をチ
見渡す限りびようびょうとしたひろい草原でし1
追いすがろうとします、私を振り切るようにして、
その子はわたしの子です。返してください!
いながら川べりを走った少女の頃が⋮⋮⋮、どうし
た訳か、そんな情景が胸に浮かびあがってくるので
す 。 ⋮ ⋮
⋮=・私は声を掛けました。擦り寄って着物の枚数を
のか、声を上げて笑い両手を振り振りしていました
緑色の綿入れを着て向こうで誰かがあやしている
つの間にか大きくなって、お座りしていました。薄
可愛い美奈を残してゆくのは、身を切られるように
うのです。
て帰ります。それが私にできる購罪ではないかと思
まよっていると思うのです。私は敏雄を日本に連れ
私にはどうしても、敏雄の魂が、北鮮の野原をさ
二人の姿は白い光の中に消えていきました⋮⋮
かぞえようとすると⋮⋮敏雄の姿は煙のようにい
つらいことです。美奈のことをくれぐれもよろしく
敬雄が毎日のように夢にでて参ります。敬雄がい
なくなるのです⋮⋮又こんな哀しい夢も見ました。
お願いします。これからのあなたに、大変なご苦労
が待っていることとお察しします。本当にごめんな
さい、勝手な私でした。申し訳ありません。不幸な
私をおゆるしください。
夜も更けてまいりました冷たい夜気が足元から忍
び寄ってきます。あなたと美奈のこれからのご無事
をお祈りいたしております。
最後に一つお願いがあります。敬雄の命日を私と
同じ日にして頂けませんか。是非お願いいたします。
これで終わります わたしの愛しいおふたり⋮
⋮⋮ほんとうに ありがとうございました⋮⋮⋮
昭和二十年十月 日
清子
18
歌集︻あざみ咲く︼
志村哲子
あぶら蝉 みんみん蝉とせわしけれ
思いひとつを遂げるこの夏
芦ノ湖の ブラックマスを釣る人の
腰までつかり身じろぎもせず
海賊船 デッキに上がり風受けし
芦ノ湖にはや秋の来ており
過ぎし日に 夫と歩きし道を見つ
ロープウエイは大湧谷に
中国や 韓国の人あまたいて
強羅の駅に日本語聴けぬ
茅葺の 甘酒茶屋の緋毛髭
いこうひととき今も昔も
21
22
炎天下 いとわず眺めし彫刻に
若き日重ねる登山電車よ
石畳 踏みて杉の並木道
あおげばいにしえの人の思わる
われもこう 松虫草にあざみ咲く
猛暑の夏を避けて箱根に
平成二十五年八月十四日 詠
︵湯河原より大観山経由箱根紀行︶
︻短歌 二題︼
過ぎしこと
越野忠治
こだわり思うことなかれ
新しき生命の 顔が微笑みてあり
遠雷の
かすかにひびく山のはわ
やさしく光 梅雨明けるらし
2 0 1 3 8 2 4
自宅を改築するため
柿の木三本を伐る
翌年 母の植えた百勿柿から
華奪な細い枝が飛び出してきた
四,五本の小枝は みるみる
年毎に殖え 太くなっていく
23
ある年 澄み切った秋空に
大きな柿が きらきら
太陽を浴びて 輝いている
その柿は 母の霊魂と
愛の結晶か
わたしは宝石のような柿を
手の平にのせ
頬ずりをする
涙が思わず あふれてきた
24
お母さん 何もしてあげられず
好き勝手なことをしては
坐切の連続だった わたし
お母さん ごめんなさい
お母さん 本当にありがとう
今年も 慈愛の柿が
幾つも実って いますよ
十月七日 記
25
あけぼのの記−少女︵ゆかり︶との対話− ︵一︶
宮坂 直
その日、我が家に中年の女性が、娘が書いたという﹃詩集ゆかり﹄と記した一冊のノートブックを
持参して見えた。その時私は外出中で、妻が応対していた。私に見てもらいたいと言うことであった。
今まで私はその女性にも少女にも会ったことはない。そのノートを、恐縮そうに包みから取りだして
﹁娘に内緒で持ってきました﹂とのこと。見てもらう目的は何なのだろうか。
− その日の夜から、少女の純粋で感受性豊かな声と向き合うことになった −
1 は る ︵ 中 学 二 年 生 ︶
春ぼうずが両手いっぱい春風にぎりしめて
かみをなびかせながら 南の島から飛んできた
﹁春が来るぞ!﹂ って⋮・春うらら 春うらら
27
27
だけどその中の一角で小鳥のさえずりも耳にせず
春のそよ風まったく知らない さびしい五人の家族
2 アルバム ︵中学二年生︶
今日 私のへやのそうじをした
そうしたら一冊のアルバムがおし入れから出てきた
ほこりをはらってアルバムをひらくと
幼稚園の制服の私が出てきた
その子の目はとてもきれいで とてもすんでいた
私は鏡で自分をみるのがこわくなり
︵中学二年生︶
パタンとアルバムをとじて押入れのすみにしまった
3 私とわたし
28
28
あけぼのの記−少女︵ゆかり︶との対話− ︵一︶
宮坂 直
その日、我が家に中年の女性が、娘が書いたという﹃詩集ゆかり﹄と記した一冊のノートブックを
持参して見えた。その時私は外出中で、妻が応対していた。私に見てもらいたいと言うことであった。
今まで私はその女性にも少女にも会ったことはない。そのノートを、恐縮そうに包みから取りだして
﹁娘に内緒で持ってきました﹂とのこと。見てもらう目的は何なのだろうか。
− その日の夜から、少女の純粋で感受性豊かな声と向き合うことになった −
1 は る ︵ 中 学 二 年 生 ︶
春ぼうずが両手いっぱい春風にぎりしめて
かみをなびかせながら 南の島から飛んできた
﹁春が来るぞ!﹂ って⋮・春うらら 春うらら
27
27
だけどその中の一角で小鳥のさえずりも耳にせず
春のそよ風まったく知らない さびしい五人の家族
封 アルバム ︵中学二年生︶
今日 私のへやのそうじをした
そうしたら一冊のアルバムがおし入れから出てきた
ほこりをはらってアルバムをひらくと
幼稚園の制服の私が出てきた
その子の目はとてもきれいで とてもすんでいた
私は鏡で自分をみるのがこわくなり
︵中学二年生︶
パタンとアルバムをとじて押入れのすみにしまった
3 私とわたし
28
28
鏡の私に向かってバーンと
一発指のピストル
くわしたら
さびしがりやの私が
たおれた気がして
せいせいした
4 おまえ
ねえ おまえごめんね
︵中学二年生︶
なんだかよくわからないけど
ごめんね
ねえ そんなひとみを見せないでおくれ
秋空の星のようにすんだ目をうるませて
29
29
私のよごれた心には不つりあいだよ
なみだが出ちまうじゃないか
ごめんね⋮⋮おまえ
−少女のノートに綴られている詩は、自分の心に向けられた、自己告発とも言える精神的早熟な、
︵中学二年生︶
厳しく哀しい響きでわたしに伝わってくるのであった −
引.﹂聞.qq
あっはっはと 涙をこらえて笑うと顔がゆがむ歪む
おかしくもないのにおどける 心がよけいに痛む
そうじゃないんだと言おうとしても 本当なんだからしかたがない
さびし時には笑顔を作り 楽しそうに口笛なんか吹いて
冷たいいすにどかっと座る
30
30
ひとりの方がいいのさという様にすまし顔でそっと周りを覗き込む
でも誰かと目が合うとなぜかいつもの私に戻り
机に頬杖をついて黙って空を見つめている
1それからの私は、胸に響く確かな若い心の声をそのまま胸に収めて置けずに、
︵中学二年︶
ノートに書かれた詩集の順を追って、まだ見ぬ少女と対話することになった −
6 ちょう
羽のないちょうが 道ばたに落ちていた
おまえに羽をつけてやろうか
その時すずめが 飛んできて
パワッと ちょうを 食べちやった
ほらおまえも はねがついただろ
31
31
そしてすずめはどこかへ
飛んでいった
7 虫 ︵ 中 学 二 年 ︶
弟がみなれぬ美しい虫を つかまえてきた
その虫は小さいへやの中で今にも
消えそうな心臓が はち切れんばかりに
パタパタと羽を動かしていた
私がかごの中をのぞくと羽は破れ 足は一本足りなかった
虫よおまえはいつも 人間にさいなまれてきたのだろう
今度はおまえが人間に生まれ変わる番だ
次の日かごをのぞくと
虫はしずかになっていた
32
32
8■■人間
人間って一体なに
︵中学二年︶
世の中には一体、なにがあるというの
ただ食べて、少しだけの娯楽
そして夜に、ねむることだけ
私はもっと他のことがしたい
それは何かしら
﹁小さなもの 弱いもの、傷ついたものに思いやりのあるあなたの声を聞きました。人間の存在、人
間の生きる意味。人間とは?、それは人間にとって生涯、答え探しの疑問符を持ち続けることになる
テーマです。これから人間として成長して行く中で、一回限り与えられたあなたのい.捌現。世界であ
なただけの貴重な人生。後悔を作らないようにいつでも割を大事にして勉強を続け考え続けていくこと
33
33
で
す
﹂
釧 1 割 ︵ 中 学 二 年 ︶
親は自分たちが 神様だと思っている
自分たちはまちがうことが 何一つないと思っている
そして子どもたちはいつもその下で
ふみつぶされている
子ども達は ていこうすることも しゃべることもできない
だから子供たちは 仮面をかぶるのだ
そして仮面の裏では 燃えたぎる
︵中学二年︶
反抗心のかたまりが かくれているのだ
1■引﹂対人
34
34
大人たちは知らない 私たちの本当の姿を
大人たちは忘れた自分たちが子供だった時のことを
大人たちは見ようとしない
自分の顔の上に仮面を重ね合わせていることを
時期に私も
大人というかいぶっになっていくのであろうか⋮︰・
− ここで少女の大人に対する まっすぐな悲鳴を聞いた 痛々しい。支配者と非支配者の関係の
いましたね。本当でしょうか、本
構図である。此処に大人と子共の世界の不幸な悲劇的な釆離が見える −
﹁あなたからみた大人の世界はどの様に見えるのか、
当だとすると大人とは悲しいですね。青虫からさなぎ、そして蝶に、または蛾に変身するように、人
の心も体も成長と共に当然変わっていくのです。成人した人は、世の中で生活していかなければなら
ない。そこには人としての基本的、あるいは普遍的な欄利が、与えられ﹀る。と同時にもう一つ、社会
35
35
人として、人であるならば果たさなければならない習詞周をしっかり頂いて、背中に背負ってい ■36
るのです。それは一生涯、自分勝手に下ろすことができないのです。増刷について言いますと、親は
に、育てなければならないという大きな習葡用です。
子どもを、支配するなどの個別は、何処を探してもないのです。ここにありますのは、もう一つの溺
習園田があるだけです。
それで、なんとか頑張らなければと、一所懸命汗をかいているのです。ですから、大人は大変です。
子どもから見えないところで大変な苦労をしているのです﹂
−−私は思う。ひとりの人間が成長の過程で突き当たる、自硯瑚成初回渕刻のシノニムは、屈揃刻と
︵中学二年︶
いう事ではなかろうかと。これから少女が、美しい蝶に脱皮していくのを、私は期待している −
11 あいつ
あいつの足音が聞こえるときんちょうする
あいつの声が耳に入ると体にふるえが走る
あいつの姿が見えると死にたくなる
36
引 利
雨⋮⋮⋮雨
私は雨になりたい
︵中学二年︶
小さな水てきになってどこか遠くへ飛びちりたい
飛びちって最初からやりなおしたい
今の私
ー 私は少女の苦しい言葉を聞いた。悲しい胸の裡を聞いた −
﹁あなたは何に、おびえている? やり直したいというのは、どう言うこと?
﹃あいつ﹄とはだれ? 何もの? あなたの外にある、或る同風? それとも、あなたの心の中に
芽生えている、蘭㈲困早・−﹂
−−人﹁の私には、分かる筈もない。しかし、消えてしまいたいと思うほど、苦しんでいる、傷つい
37
37
た少女の心の痛みは、原因が何であろうとも、私に少女の苦しみそのものは、無条件に私の胸に痛々
しくくっついて悲鳴を上げた −
﹁生まれて来て、人間として生きるということ。いま、あなたが経験していることです。人間には四
つの苦しみがあると言います。釈迦が説いた四諦という、﹃生﹄・﹃老﹄・﹃病﹄・﹃死﹄。と言う四つの苦
悩です。﹃生﹄つまり生きる、生きて行くということは、人はいつも心の中で、自分のやりたい楽しい
思いや夢を、そして幸福などを心に描いて、その実現を期待して生きられる訳です。つまり、ああし
たい、ああなりたい、こうしたい、こうなりたい、という願望の思いの中に、人は生きるのです。希
望・願望は、また見方を替えれば欲望となります。こうした願望・欲望は、同時に苦しみを生むので
す。その苦悩は、期待や希望と、表裏一体となって存在するのです。この願望の数・量だけ、苦悩の
数量もあるのです。大きな願望ほど、大きな苦悩が伴うということです。
人が夢をもって生きて行くと言うことは、同時に苦しみを以って生きてゆくことに他ならないので
す。生きてゆく、人間相場の世の中は、実に複雑です。人はこの真只中で、願望や欲望を求めて生き
ようとするから、そこに悩みが発生して、生きることが難しく、息苦しくなるのです。﹃生﹄イコール
38
38
﹃苦﹄と言う図式です。
最初にあなたに言いましたね。たしかにあなたは,生まれてきて今を生きている。希望と苦悩の中
に生きている。あの﹃あいつ﹄も生きている。あなたと同じように人として希望と苦悩の中に、間違
いなく生きているのです。あなたと同じように。もしかして﹃あいつ﹄も﹃あなた﹄を恐れているの
かもしれない。あなたが﹃あいつ﹄が怖いと思っているように、﹃あいつ﹄もきっと﹃あなた﹄が恐ろ
しいと。人は相手を嫌ったら、相手から嫌われるのです。相手を恐れたら、相手から恐れられる。必
然的な相関関係です。好ましいと相手を思えば相手から好かれる事になるのです。
それからあなたの心の中に抱えている、ある町哩﹃水てきになって遠くへ飛びちって、最初からや
りなおしたい、今の私﹄これは自己否定の悲劇です。悲しいですね。あなたを苦しめているもの、原
因そのものは何か私に分らないけれども、それによって苦しんでいるもう一人の﹃あなた﹄がいると
言うことです。つまり間違いなくもう一人の飛び散ってしまいたい﹃あなた﹄です。たとえどのよう
な、﹃あなた﹄であろうと、あなた自身なのです。地球上に七十数億人いようと、世界にはただ一人し
かいない﹃あなた﹄です。過去、未来の人類史上を通して、今を生きる﹃あなた﹄しか何処にも居な
39
39
いのです。﹃あなた﹄の存在を肯定することが出来るのはあなたしかいないのです。その傷ついた﹃あ
なた﹄をいたわるのも、支えるのも、かばうのも、勇気づけ励ますのも、そしてこよなく愛するのも、
すべて出来るのは世界であなたひとりだけなのです。現在の﹃あなた﹄を否定してはいけません。あ
なたを駄目にするのも良くすることが出来るのも総てあなた次第です。本当にあなた次第で﹃あなた﹄
はどうにでもなる事を信じてください。過去これからの未来へ続いてゆく人間としての道程は、当然
ーつづく−
色々なことがあります。自分を、つまり﹃あなた﹄をしっかり見詰めて、大事に思いその心を、︻頑張
︵中学二年︶
っているね︼と優しく包み、しっかり抱きしめてやりなさい﹂
第二章
13 愛
愛すること愛されること 愛なんて愛なんて⋮⋮
なくてはいけないものかしら
40
40
随 想
私は戦争の真っ只中に青春時代を過ごしまし
た。昭和14年には配給される米は7分つき米と
言って、玄米に近いものでした。精米すれば目減
りするからでした。白米になれていた私達は、1
升瓶に米を入れ棒で突いて精米した思い出が懐
かしく浮かんでおります。その後、塩・味噌・砂
糖・マッチ・酒等、生活必需品が配給切符制にな
りました。煙草も配給制になり1日5本の割り当
てでしたが、間もなく紙巻煙草に代わってタバコ
の葉を刻んだもの︵煙管用のキザミではありませ
ん︶ が配給されるようになりました。
41
禁止されていました︶戦後、肺結核になり一時中
いて吸うようになったのです。︵英語は敵性語で
給された煙草の葉を不要になった辞書の紙で巻
20歳になった私は大人になったつもりで、配
でした。これは病気の体験からの思いであったの
じたのは、この清精しい空気が別世界に来たよう
ちらに来てかれこれ12年になります。最初に感
の泉の郷に移住することを決意いたしました。こ
もあって、永い東京の生活に終止符を打って現在
人間が生きていく上で最も大切なもののlつ
断しましたが、昭和39年に結核が再発するまで
の入院療養後、職場に復帰することになりました
は清らかな空気です。呼吸が出来なくなれば数分
かも知れません。
が、退院の際、医師から厳しく禁煙についてお話
で死んでしまいます。清らかな空気によって血液
煙草を手放すことはありませんでした。1年余り
を頂きました。爾来今日まで元気に過ごしており
が浄化され、その血液によって60兆もある細胞
を活性化し免疫力を高め健康を維持しているの
ま
す
。
私が七十六歳のときに妻を亡くし、知人の勧め
2
4
って免疫力が上がり健康を維持できるのです。
きれいな空気を吸っていると新陳代謝がよくな
です。ですから清らかな空気は生命の源なのです。
約4倍です。成人の肺活量は男女の差等がありま
20回呼吸しています。ちなみに、脈拍は呼吸の
人間は平均的に生涯約8億回以上、1分間に約
は90日で入れ替わるのです。その代謝がスムー
28日、心臓は22日、筋肉と肝臓は60日、骨
と古いものとが入れ替わりをしています。皮膚は
達の体の60兆のその細胞は絶えず新しいもの
題です。ご家庭や自分の健康を守るためにも自然
の締麗な所なのです。いまや環境問題は世界の課
るのは健康の秘訣です。世界の長寿の地域は空気
から1日3回以上深呼吸をして、肺の大掃除をす
通常500∝しか出し入れをしていません。です
すが、平均的に3500cc∼5000ccですが、
スに行われないと、体の機能が低下し、免疫力が
を大切にし、森や山や川や動物や草花に到るまで、
では新陳代謝とはどんなことでしょう? 私
落ち病気になるのです。
43
愛情を持って育むことこそ人類を守る道と信じ 勿論、受動喫煙によって多くの方々が被害を受
けているのも重大な社会問題です。もし、やめら
よって取り入れる空気が汚染されていたら体に
よって、健康が守られているのですから、煙草に
蛇足ですが、以上述べたようにきれいな空気に
のです。国家財政のためにも是非禁煙をお勧めし
も医療費の減少の方が多くなるとの試算もある
如何でしょうか。煙草の値上げによる税増収より
愛する家族のためにもこの際、お止めになったら
ております。
良いはずもありません。煙草を吸うと肺ガンにな
ます。
れない方はマナーを守ってください。経済的にも、
る危険性が高まると言われていますが、それだけ
ではありません。血管によって発ガン物質が運ば
れ体中を蝕んでいるのです。免疫力の低下による
病気の危険性が高まることは云うまでもありま
せ
ん
。
44
あなたが役所をお辞めになりNPOを立ち上げ
て頑張っておられるとの話しお聞きし、その見事な
社会奉仕事業参加に感銘を深くしました。
私もあれこれのボランティアにも係わりました。
その中には、町の教会でおこなっている週に一回の
ボランティアに参加という体験もあります。もっぱ
ら相談者の悩みを聞く電話の無料相談の体験です。
民生児童委員には平成九年に町内会からありまし
て、そのままお享けしまして、以来、十年に亘りま
した。思い返せばその間、生の人間関係の難しい
色々な問題に係わり、勉強をさせていただいた訳で
す。比の民生児童委員の退任にあたっては、大臣・
県知事・市長からのお疲れ様との感謝のお言葉をも
らう、いや戴く事になっているのですが、辞退させ
て頂ました。善意はあくまでも善意でなければなり
ませんし、善意が潔癖な善意であるためには、見返
りを求めてはならないという法則です。社会の一般
的な多くの奉仕活動は、暗黙のうちに基本的無報酬
を是とし世の中に容認されているのが現実です。
平成十四年ごろから市の福祉活動の一環としま
して市内の北はずれに位置する、地区三町に小地域
福祉活動のモデルとしての企画が、市から発案され
ました。A市社会福祉協議会が推進窓口になって、
5
4
祉推進会﹂としてスタート、ということになったの
学習をくりかえしました。平成十六年に﹁Ⅰ地区福
沼津市等の先進小地域活動のモデルを幾つか見学、
設計を見出してみたのです。
れからの人生を、他者に添うべくつとめようとの、
祝で終りました。そうした事など経過しまして、こ
行部の結束不良のなかで、決定的な私の指導力不足
こうした組織の構造上まとまりの悪さもあって、執
仕活動をこころがけている訳です。併せて、地域の
関係・福祉関係で、経済的問題のある方を中心に奉
幕を下ろしたのです。今は全く自由な立場で、法務
長年やってきた生活の手段であった仕事に、昨年
が伴い、完全に不満足な形のまま5年余りで、私が
NPOで、私に出来る事を気ままにお手伝いさせて
です。会員は五十名︵各種団体役員などで構成︶。
企画している事が実現できずに終わりました。これ
いただいているところです。
此処で話を変える事をお許しください。.司は山明白
は実に深い悔いが残る残念な出来事でした。出来る
ならもう一度やりなおしたい思いです。
民生委員を退任しましてから、仕事をやりながら
宇宙と一体の、有るか無きかの存在の呵哩果た
を考えて見たいのです。考えさせてください。
度委員会委員︶ ︵A市検定委員︶ 活動などもお受け
してその布召葡蛸u﹂村引潮増u対。了見の狭い■
市役所の委嘱でデモンストレーション的︵市民満足
しましたが、此れも私の至らなさから中途半端な状
6
4
此の地上の烏合の衆。浅はかにも的牛角上、一体
の中で、いつも渇仰してきました。
出会いの優倖を、私はこうして不器用に辿る人生
﹁ガンバツテイルネ⋮⋮﹂。
かよわい者ほど其のいのちはいじらしい。
る生命、同胞を同時に大事にしたい。
ゲン﹂だけのものではない。人間の周囲のあらゆ
さらに加えて言うならば、地球は決して﹁ニン
何新前割引。
カッテニヨ
− ソンナコトハ ツマラナイカラヨセ1
ワタシノダイジナ
ゴスナー
心の耳を澄ますと、宇宙天上の遥かな声が聞こえ
てくるようではありませんか。
て謙虚さと誠実さ、さらに端正さ。そうした人の
にある、優しさ、温かさ、純粋さ、見事さ、そし
の存在の、確かな意味を承認したい。人の心の裡
しかし私は此の宇宙にある ヒトと言う生き物
が咲いていた。夏には山肌一面を釦光量刷が明る
原の中に、春には夢見るような白い仏炎筍の水芭蕉
風に乗ってたおやかな歌声が聞こえてきそうな湿
鳥たち。幾筋もの渓流の軽やかな瀬音。何処からか
を背景に広がる高原。緑の山容を映す湖水を滑る水
初秋の爽やかな陽射しの中、遥かにそびえる稜線
よきもの。よき精神性の存在の確かさを信じたい。
いレモン色で華やかに染めていた。今は、可憐な.
そうした人間、そしてそれが人間です。
こうしたよきもの、よきスピリチユアリティとの
/
t
4
たかも、斯のような幻影の一つ一つの情景と重なる
私が惹かれる、人の心のよきものへの憧れは、あ
の中に灰かな灯を点すように、ひそやかに寄り添う。
なかで、立ち話程度で別れてしまっていた。
日前のこと、街で偶然彼と出逢って互いに急用中の
く付き合っていた彼からぼくの処に舞い込んだ。数
突然こんな封書が暫く途絶していたその昔、親し
あざみの花が、多くの浮島の叢に香り、思い出の心
想いなのです。
し此の人生は、命ある限り、憧れと含羞とを併せ持
人生とは常に人との拘わりの中に在る訳です。然
しばしば会っていた二十数年程前の彼を思い返す。
が実感であった。あの役所時代、彼の仕事の関係で
かしい程息苦しい生き方をしているのか、と云うの
手紙を読んで、相変わらず世間離れをしたばかば
ち続けているようです。しかも、いつまでも粗末な
きる事の誇りと厳しさ、そして哀しさを改めて考え
老境に至ってなお、何を背負うと云うのか、人の生
悉意のままに書き綴ってしまいました、あなたの
てしまう。一頃流行っていたスペイン語に由来する、
恥を掻いています。
これからのご活躍を祈念しまして潤筆します。又い
首且のフレーズがふと浮んできた。
︽なるようになる 先のことなど判らない
ずれお逢いの折に。
平成二十五年九月二十日
8
4
に、時間が来たからと私より先に立ち去っ
したとの事。ちょと話を交わしているうち
心に残る旅路
た。さああ! 大変、私の横に分厚いポシ
ェットがあった。大事な物が入っているら
−はじめにー
磋 澄江
しい。すぐに案内所にもって行き、事情を
告げて本人にアナウンスで伝えて頂いた。
プレスに乗り込んだ。早めに着いたので空
から一人でもと、大船から成田行きエクス
れての、中国の黄山。ツアー参加なら此処
どうしても行ってみたいと心を躍らさ
旅行を済ませた事の喜びを紙面一杯に綴
成田で出合った男性かと気づいた。無事に
の手紙と贈り物が届いた。ああそうか!
過ぎた頃、名前も住所も覚えのない人から
必要なものだったらしい。それから十日も
中身はパスポート、旅費諸々の身の回りに
港ターミナルでひと休み。その隣に居合わ
った手紙だった。その時の事は、もし自分
︶
一
︵
せた男性はブラジルに行くツアーに参加
49
があの方の立場だったらどうした事か、旅
の事などは消えてしまうほどの出来事で
し
た
。
感じっつ帰路についた。
外国旅行と言う事では、中国のほか、今
まで私は色々体験していますが、ここでは、
その中で代表的なヨーロッパの自然を思
名詩人書家等数多く訪れているとの事。屯
の場。中国十大風景名勝の地として歴代著
の世界に心奪われた。日の出、日没は最高
頂に泊まり、数々の山並みと眺望の幽玄美
到着。蘇州景徳屯渓とやっと黄山山麓の山
成田を出発してから夕方十七時、上海に
パノラマ、フルカ峠よりローヌ氷河、十日
遠くイタリアからアルプスまで見渡す大
ングフラウ、アイガー・マッターホルン、
特に目を見張るばかりの三四五四米のユ
の姿、胸に刻まれたものが数多くあります。
山の山小屋での生活、野山を駆け回る自然
まず、スイスアルプスはハイジのアルム
い出します。
渓杭州上海と満ち足りた心で、隣国にこん
間の旅行で云い尽くせないこの世の魅力
︶
二
︵
な優美でしかも雄大な所があろうとは、と
50
が一杯でしたっ
︶
四
︵
的な吊橋を恐る恐る渡ったかずら橋っ よく
人の里とか。二〇〇米の断崖祖谷渓の原始
の話によると屋島の戦で敗れた平家の落
谷の秘境ですっ徳島祖谷渓谷美。その山里
いますと、最も好きな場所の一つ、深山幽
国内旅行からは主に印象に残る所とい
北に尾道・小豆島っ何処を訪ねても日本を
に明石海峡、西に萩・津和野、南に桂浜、
川岸の町並みは私の大好きな風景です。東
のばすと倉敷、知る人ぞ知る大原美術館っ
は何ににも誓え様がありません。少し足を
島々、瀬戸大橋、しらなみ海道を見る絶景
に突き出した鷲羽山、その山頂から数多い
瀬戸内から四方に眼をやると瀬戸内海
も渡る事が出来たと今思えば実に楽しい
代表する情景が一杯でした。
︶
三
︵
冒険でしたっ 平家の落人と云えば湯西川、
粗末な萱葺きにふと歴史の悲哀を感じさ
せられたあの頃っ
51
︶
五
︵
九州の、北から南に眼をやると七っ星旅
以上の良さが一杯っ乗車できない事で野暮
な事をと、云われるかもしれませんが、私
にとつては本当のことなのです。
北海道で利尻島・礼文島に足を運んだ時
は北の最果てと言う胸に迫る思いが込み
上げてきましたっ
旅の見聞、憧れの本当の良さを何よりも
一人旅で親しむ私っ
心に残る思い出の旅の一端を、︹はしが
き︺ の内容で書き綴りましたっ
52
︻
小
説
︼
︶
四
︵
総てが現代的に様変わりした旧国道を歩
背の低い木戸の門を入り、広々とした砂
地の庭に立つ。正面にある質素な平屋。そ
れが家族六人の住処となった。白砂青松の
浜辺と青い海原にもほど近い﹃海辺の家﹄。
そこで佐知子一家が刻んだ四年間の歳月と
数々の思い出が六十年余の長い長い歳月を
経た今も尚、鮮やかに彼女の脳裏に建って
りにあった。当時、大阪国家警察無線通信
ぱいに広げたほどの幅狭い路地の突き当た
の木造家屋。それは旧国道から両手をいっ
を経ていても尚、鮮やかに廷る素朴な平屋
思い描きながら歩を進めていた。長い歳月
つなぐ。その脇にある手洗いと浴室をつな
部屋とを
座敷と手すりがついた出窓付きの六畳の角
りの良い縁側が回り廊下となって、八畳の
の部屋。右側には低い垣根があり、日当た
格子戸の玄関を中心に向って左側に六畳
くる。
課の役職で、福岡から任地に赴いた父笹原
ぐ廊下は、昼間でも照明を必要とするはど
き、佐知子は思い出深い昔の ︻我が家︼を
達三に与えられた官舎だった。
53
の暗さながら、廊下を隔てた茶の間とつな
家の屋根が見える。軒先に灰かな明かりが
灯り、闇を照らしていた。夜の井戸端はな
夜ふけて寝床につく。目をとじると枕辺
がっていた。玄関の上がりかまちの上には、
向こうにある﹁ささやかな茶の間﹂。突き当
に届く寄せては返す波の音。ザブーン、ザ
ぜか寂しく怖いようだ。
たりのガラス戸の向こうには廊下を隔てて
ブーン⋮︰・それを子守唄として、いつか深
障子を隔てた縦並びの三畳。その奥の襖の
浴室があり、ガラス越に松の林を眺める。
向こうの闇に目をやる、誰もいないだろう
く。手押しポンプを使いながら低い板塀の
夜は裸電球をともす井戸端に水を汲みに行
は大小二つの竃。勝手口からバケツを提げ、
セメントで出来た ︹流し︺ と、その左側に
程の式台を踏み、土間の台所に降りたつ。
の面影。享年七十七歳で世を去った祖父。
余りを共に過ごした母方の祖父﹁原田覚蔵﹂
は一人の小柄な老人の和服姿。それは二年
繰り寄せる。中でも鮮やかに脳裏に廻るの
去った歳月を遡り、︹その頃︺を佐知子は手
出はなつかしくも叉愛おしい。遥か遠くへ
ば素朴で質素であった日常生活。その思い
い眠りに落ちていった遥かな昔。思い返せ
に⋮・暗い夜空を突くように丈高い松の林
佐知子自身も今は同年齢を過ぎた。時の流
台所側のガラス戸を開けて幅五十センチ
を見上げる。林の向こうの高い塀ごしに人
54
︻
小
説
︼
背の低い木戸の門を入り、広々とした砂
地の庭に立つ。正面にある質素な平屋。そ
れが家族六人の住処となったD白砂青松の
浜辺と青い海原にもほど近い﹃海辺の家﹄。
数々の思い出が六十年余の長い長い歳月を
そこで佐知子一家が刻んだ四年間の歳月と
︶
四
︵
経た今も尚、鮮やかに彼女の脳裏に建って
ぐ廊下は、昼間でも照明を必要とするはど
っなぐ。その脇にある手洗いと浴室をつな
部屋とを
座敷と手すりがついた出窓付きの六畳の角
りの良い縁側が回り廊下となって、八畳の
の部屋。右側には低い垣根があり、日当た
格子戸の玄関を中心に向って左側に六畳
総てが現代的に様変わりした旧国道を歩
き、佐知子は思い出深い昔の︻我が家︼を
思い描きながら歩を進めていた。長い歳月
を経ていても尚、鮮やかに廷る素朴な平屋
の木造家屋。それは旧国道から両手をいっ
ぱいに広げたほどの幅狭い路地の突き当た
りにあった。当時、大阪国家警察無線通信
課の役職で、福岡から任地に赴いた父笹原
達三に与えられた官舎だった。
53
れは速い。ため込んだ記憶もそれなりに遠
ざかっていくのでは⋮⋮。
地を入ってきた。面長で柔和な面差し、特
長のある大きな口元が笑っていた。それは
味の面打ちと謡曲で日々をおくつていた祖
尾道で海が見える所に︽家作︾をもち、趣
広い庭じゃな。畑があるんじゃのう、これ
テッキを突きながら歩を進めて言う。﹁おお、
﹁おお、佐知子か。大きくなったの⊥、ス
何年ぶりの対面だったろうか。
父。永年連れ添った連れ合いに先立たれ、
はええ!﹂ 辺りを眺めながらゆっくりと歩
︶
五
︵
止むを得ず家作を他人に譲渡して娘の婚家
﹁そうですよ、おじさん。此処でのんびり
を進める。
佐知子は今、六十年余りの歳月を振り返り、
暮らしてください。尾道よりも遥かに良い
先に共に住むことになったのが ﹁海の家﹂。
過去の人となって久しい父母の面影と共に
ところですよ、ほんとうに⋮⋮﹂付き添っ
てきた、身内の中年の男性が、迎えに出た
祖父覚蔵を思い浮かべる。
ある日のこと、身うちの男性に付き添わ
﹁長旅で大分お疲れのようですから宜しく
母富子に小声で言った。
やかな初秋の頃だった。小柄で細身の身体
お願いします。私はここで失礼します。帰
れた祖父が始めて海辺の家を訪れたのは爽
を薄茶色の背広に包み、ひょこひょこと路
55
で着きますから⋮⋮おじさん、どうかお元
りの汽車の都合もありますので、荷物は後
た向こうに前隣の家の窓が見えた。
た。東は隣家の畑、南は我が家の庭を隔て
屋で夷と南に手すりが付いた出窓があっ 56
﹁良いんですよ、お父さん。遠慮なく使っ
わしが使ってもええのかね?﹂
﹁おお、これはほんに良い部屋じゃのう。
気で長生きをしてくださいよ﹂
﹁もう帰るのかい?ほんに有難うよ、、世話
をかけて済まんかった。道中気をつけて帰
っておくれな﹂
でした。ご心配なく︰⋮・﹂ 男性は母が進め
窓に腰をかけて外を見たさして広くもない
娘の言葉に祖父は安心したように領くと出
てくださいね﹂
たお茶を畷ると、﹁先を急ぎますので﹂と足
官舎ながら、肩を寄せ合っての賑やかな七
﹁はい、私にとっても思いがけない良い旅
早に路地を去っていった。玄関の式台に腰
人家族の日々が始まった。
幼かった頃の佐知子が知る凡帳面な性格
をかけ、﹁ああ、やれやれ﹂と呟きながら靴
を脱ぐ祖父。佐知子の目には、まるで女性
し、何を置くにもまっすぐに置かなければ
の祖父⋮⋮身の回りの物をきちんと整理を
六人家族に一人加わり、一段と賑やかさ
気が済まないようだった。その後、年齢を
が履くような細身で小さな靴に見えた。
を増した家の中。祖父の部屋は東南の角部
重ねたせいか以前のような気難しさは消え、
柔和な面差しの祖父に佐知子は懐かしさを
覚えた。
﹁良かったわ、お父さんに気に入って貰っ
て⋮⋮でも井戸端までがちょいと遠いの
﹂
よ
﹁そんなことは一向に構わんよ、庭を歩け
ばええんじゃ。足の運動にもなるしの﹂
祖父は寝間着の裾をからげ、縁側の敷石の
上に置いた自分の下駄を履く。小さな身体
⋮⋮手押しポンプを使うには呼び水が必要
とする。バケツに入った水を二杓ほどポン
プに入れると冷たい水が勢いよく溢れ出る。
家の者が手伝おうとすると、﹁いやいや自分
のことは自分でするよ、年寄り扱いするな、
出来んようなら頼むから﹂
﹁はい、はい、では転ばないように気をつ
けて下さいな﹂
﹁心配せんでもええや、自分の事はよくわ
かつちょるからの﹂
祖父の朝食は、勤めや学校へ行く家の者が
出掛けた後にゆっくりと食事につく。後は
新聞を読み、何か書き物をしたりしている
ようだった。父が甘藷やジャガイモ、野菜
などを作る畑の手入れも手伝うこまめな祖
父。懐かしいその元気な姿が、長い年月を
経た現在でも折にふれ、判然と心に浮び上
がってもくる⋮⋮
白砂青松の思い出の中。埋め立てられて
57
しまって、今、眼の前に灰色の倉庫の群れ
が立ち並ぶ元のない嘗ての渚であった海
岸に仔み、佐知子は感慨無量の思いで、ま
さに水平線に沈もうとする真っ赤に燃えた
夕日を見詰めていた。
遥かに遠い映像が鮮やかに脳裏に整える。
その祖父も、また両親も既に世を去って久
しい歳月がたった。今は失われてしまった
往時の泉大津市助松の海。此の海辺ですご
した四年間の﹃失われた海への追想﹄が立
ち尽くす彼女の胸のうちに何処までも揺曳
するのであった。
︶
了
︵
原稿募剣刻渕
季刊文芸誌
第四集
随筆 小説 童話 評論
詩 俳句 短歌
町楠締れ切り予定
平成二十六年一月二十九日
発行所NPOグランベル湊
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作詞 立石 吉輝
1 春欄漫の華の舞 常の声こだまする
泉の郷に集い来て 限りある日々楽しまん
グランベルテ旗のもとに
2 活き流れの千歳川 青葉の陰に鮎踊る
泉の郷に集い来て 限りある日々健やかに
グランベルテの旗のもとに
3 錦の山にいだかれて黄金に映ゆる蜜柑山
泉の郷に集い来て限りある日々のびやかに
グランベルテの旗のもとに
4 白き妖精、水仙や 梅の香りにいざなはれ
泉の郷に集い来て限りある日々たくましく
グランベルテの旗のもとに
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設立年月日 平成12年9月7日
設立日的 地域住民参加のもと高齢者が健やかで活力のあ
る生活を住み慣れた地で営むことが出来るよう
環境の形成を促進し整備する。多世代との交流
を図りつつ支援する。
団体タイプ 福祉・教育、環境・景観
団体の構成 50人(男女合計)
事務局連絡先 〒413−0001
住所 熱海市泉234−46
徹し番号 0465−63−8627
具体的活動 ① 65歳以上の方々に対する生涯学習
② 地域活性化のため熱海市泉地区を
自費で農道・山間地に花木を植栽、
泉華街道と命名
③ 緑園地【はるかす】を造成
④農家に対する活性化の為に諸々の協力・他
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≪編集後記≫
公表会員50名、毎週水曜日に企画されたもとに、絵手紙・書
道・ブローチ・巾着,ぬいぐるみ人形等々……、各会員それぞ
れの好みに応じて、皆さん楽しい雰囲気で熱心に取り組んでい
る姿は、活気にあふれた好ましい光景です。手作業で作られた
諸作品は、バザーなどで販売もされるという見事なものです。
その中に新たに割り込んだのがこの《はるかす》と言う、文芸
の創作活動。物作りとは又違って、文章を善くという感性に基
づき頭と心の健康体操にもなりますし、冊子に記録として残さ
れもします。どしどし思いのたけを書いてみてください。編集
者は製本まで孤立無援?で、楽しんでさせて頂いています。
さて肝心の第三集ですが、さまざまな傾向の作品が揃い、量的
にも充分なものになりました。冒頭の終戦時の或る出来事を扱
った作品が、皆さんに関心をもたれるかもしれません。
(直)
平成25年秋号 平成25年11月29日発行
発行所 特定非営利活動法人グランベルテ
熱海市泉234−46 電話0465−63−8627
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