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ニュース 86号 - ピースリンク広島・呉・岩国

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ニュース 86号 - ピースリンク広島・呉・岩国
12月23日、
「米軍基地いらんちゃフェスタ in 丹後」会場一杯の850人が参加
ピースリンクニュース86号 目次
1 『戦争をする国づくり』の実態を問う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・湯浅一郎=2
2 一大軍事拠点作りが進行するイワクニ基地のいま岩国から・・・・・・・・・・田村順玄=4
3 米軍岩国基地監視のこの一年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・戸村良人=6
4 自衛隊を軍隊にさせないために・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・西岡由紀夫=8
5 変わる呉・海上自衛隊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平賀伸一=10
6 ピースリンク平和船団・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平岡典道=12
7 米具基地いらんちゃフェスタ in 丹後報告・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新田秀樹=13
8「広島から沖縄を考える」ヒロシマ集会報告・・・・・・・・・・・・・・・・・藤井純子=14
9 軍事基地はいらない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新田秀樹=16
10 2014衆院選、今後の展望について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・久野成章=18
11 おおすみ事故について(その2 検送など続報,用語解説)
・・・・・・・・・ ジョージ=20
12 広島生活3年を振り返って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤澤宜史=22
13 活動報告・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・=24
1
『戦争をする国づくり』の実態を問う
―日米軍事一体化と相互運用の拡大に未来はないー
湯浅一郎(ピースデポ)
12 月 14 日、解散・総選挙は、自民党の思惑通りの結果となったかもしれない。安倍政権は、これから4年
間政権を担う権利を確保した。しかし、消費税のアップ等に起因する経済政策の頭打ちが今後継続する見通
しの下、支持率が下がらないうちの早い時期に選挙をという、いわば追い込まれた中で撃ったものである。
とはいえ、15 年後半は安倍政権が目論む戦後の平和レジームの破壊と「戦争する国づくり」関連法案が一斉
に登場する環境が作られたことは確かである。被爆 70 周年、NPT(核不拡散条約)再検討会議を迎える年
に、日本がどこへ向かうのかが問われている。来年へ向けた運動の方向性を吟味する素材になればと、14 年
を振り返り「戦争する国づくり」の実態をフォローする。
1)
し、防衛装備移転三原則を閣議決定した。6 月 19 日、
防衛省は、防衛装備品の調達改革を目的とした「防衛
生産・技術基盤戦略」を策定した。直後の 7 月 17 日の
国家安全保障会議は、迎撃ミサイル「パトリオット」
に搭載する高性能センサーの米国への輸出、戦闘機に
搭載するミサイル「ミーティア」の共同研究を英国と
進める件を承認した。日仏、日豪の協定合意など二国
間の共同開発も始まっている。今後、大・中企業は軍
需産業への展開を必死に模索するであろう。従来、日
本の軍需産業は、自衛隊に年間約 2 兆円の兵器を納入
するだけで、製造業全体の 1%未満であった。10 年、20
年後には、この比率の拡大が懸念される。これは、産
業や経済が戦争を好む体質に変わることを意味する。
防衛装備移転三原則
13 年 12 月 17 日、外交・防衛政策の基本方針「国家
安全保障戦略」が初めて策定された。「国際協調主義
に基づく積極的平和主義」を基本理念とする大幅な軍
拡である。14 年に矢継ぎばやにでてきた動きは、全て
この中に込められていた。
まず 4 月 1 日、政府は、武器輸出禁止三原則を放棄
2)集団的自衛権行使容認
7 月 1 日、自衛隊発足から 60 年の日に集団的自衛権
行使容認を柱とした「閣議決定」が行われた。集団的
自衛権とは、「自国が攻撃を受けてなくても、同盟国
が攻撃された場合に、同盟国に対して援助をし、共同
で防衛する権利」である。『国連憲章第 51 条』に規定
されているとは言え、自国が攻撃されてもいないのに
同盟国への攻撃に対処することは、専守防衛の放棄に
他ならない。
ここで注意すべきは、閣議決定は「国の存立を全う
し、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整
備について」とされ、3つで構成されていることであ
る。1、武力攻撃に至らない侵害への対処、2、国際
社会の平和と安定への一層の貢献(「現に戦闘行為を
行っている現場」
でなければ後方支援活動可能、
及び、
PKO活動における武器使用条件を緩和)、そして第
3が集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更で
ある。3つは、独立しつつも相互に関連し、「切れ目
(2014年4月1日 中国新聞夕刊)
2
とも言うべき悪循環が続いている。その先には、終わ
りのない軍事的対立構造の継続する未来しか見えない。
安倍政権の安保・防衛政策は、北東アジアの安全保
障ジレンマの悪循環を拡大させるだけの愚策である。
いま必要なのは、軍事力による対立ではなく、「安全
保障ジレンマ」の悪循環から抜け出す包括的な方向性
である。その糸口は、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定
に代えること、そして北東アジア非核兵器地帯を柱に
した多国間の対話と協調による包括的な北東アジアの
平和の枠組みづくりである。これは、日本が、憲法9
条を生かした政策を外交に具現化することを意味する。
おのずから安倍政権の安保政策の不当性と滑稽さが浮
き彫りになるはずである。そうした視点を持った地域
での行動が求められている。
のない法制」を構成する。各項目ごとに既存の法律の
改正、及び新法の制定へ向かうことになる。
7 月 1 日の閣議決定に合わせるように米軍再編や米
軍基地の動きが一斉に始まった。沖縄では、普天間基
地移設のための辺野古でのボーリング調査が動き出し、
8 月には空中給油機KC130 の普天間から岩国への移
駐が強行された。さらに 7 月 15 日、オスプレイが厚木
を経てキャンプ富士に飛来した。配備から2年後、は
じめて東日本に姿を見せた。その後も、厚木、横田を
拠点に東北地方における防災訓練を銘打った初の日米
豪合同の防災演習「みちのくALERT」や基地の視
察などを名目に飛来している。
3)ガイドライン見直し中間報告
10 月 8 日、日米両政府は、「日米防衛協力のため
の指針の見直しに関する中間報告」を発表した。同報
告は、「切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日
米共同の対応」、「日米同盟のグローバルな性質」な
どの方針を示し、「切れ目のない」、「グローバル」
との表現が頻出する。今回の中間報告には、現行ガイ
ドライン(97 年改定)の中心概念である「周辺事態」
という言葉は登場しない。また 99 年 4 月 28 日、参議
院本会議において、小渕恵三首相(当時)は、「周辺
事態が生起する地域にはおのずと限界があり、例えば
中東やインド洋で生起することは現実の問題として想
定されない」と述べた。
中間報告は、平時から有事に至るまで、「切れ目の
ない」日米共同軍事行動を行うことを両政府の方針と
して示した。
「グローバル」とされた日米防衛協力が、
実質的にどの地域を対象とするのかも明らかでない。
「集団的自衛権」の文言は中間報告には盛り込まれな
かったが、調整が間に合わなかっただけのことであろ
う。
他にも 12 月 10 日、
特定秘密保護法が施行された
が、同法は市民の知る権利を侵害し、民主主義を破壊
するものである。ここでは、紙幅の関係で省略する。
4)憲法 9 条を外交政策に具体化させよう
北東アジアは、朝鮮半島の分断が60年以上にわた
り継続し、米ソ冷戦終結か ら24年の今も冷戦が続
いている。朝鮮戦争は、停戦協定が結ばれているだけ
で、終わってはいない。この点を日本の何割の市民が
知っているだろうか。南北朝鮮、米朝、日中、米中な
ど複雑な構造を持ったまま、自らの安全保障が他者の
安全を侵害するという軍事力による安全保障ジレンマ
3
戦後70年目を迎え、米軍再編下の岩国からの新施設建設が着々と進行し・・
一大軍事拠点作りが進行するイワクニ基地のいま
田村 順玄 (ピースリンク岩国世話人・リムピース共同代表)
し海兵隊と海上自衛隊の要塞化へと変化している現場
である。それらの施設は大部分が日本側の思いやり予
算で建設され、
たとえば 2014 年度だけで 903 億円とい
う巨額の税金がその現場に投入されている。全てが艦
載機の岩国への移駐期限となる、2017 年完成目指して
大工事ラッシュが続いている。
1、軍事要塞化する新拠点イワクニ
岩国版「安保の丘」から基地を臨めば、空気の澄ん
だ日は呉の海岸線をくっきり見ることが出来る。まさ
にピースリンク広島・呉・岩国の課題が、この一枚の
風景からあぶりだされてゆく。
前面に広がる岩国基地、
滑走路移事業で大きく広くなった基地施設は正面に真
新しいKC130 空中給油機の格納庫が見える。
昨年末のある日、その格納庫前の駐機場に数えれ
ばこの日は11 機のKC130 空中給油機を確認すること
ができた。2014 年 8 月、普天間基地の全面返還が一歩
も前進しないまま15 機のKC130 か岩国基地に先行移
駐された。その空中給油機部隊の姿がそこにある。12
機はいつの間にか 15 機に増えて、
岩国基地の他の海兵
隊部隊に多大な貢献を成す今の姿である。
2、「2015 米海兵隊航空計画」
こうした背景の中、岩国基地が大きな関心を持たさ
れる新たな情報が明らかになった。 昨年 11 月上旬、
米軍は「2015 米海兵隊航空計画」を公表した。米海兵
隊航空計画は海兵隊が 2012 年まで毎年、
センセーショ
ナルな内容を公表しこの計画書に沿ってほぼこれを追
認する形で運用してきた。
早くからこの計画書で公表された「オスプレイ」の
配備も、日本政府は一貫してその策略を公言せず、一
方現実には3年前からこの計画書の通り岩国基地を経
由して普天間基地に2年続けてオスプレイは持ち込ま
れた。このたび、こうした実績のある「2015 海兵隊航
空計画」が3年ぶりに公表された事実は重たく、新た
な岩国基地の役割りがまた見えてきた。
岩国版「安保の丘」から見る米軍岩国航空基地
岩国基地では今、
水深 13 メートルの巨大岸壁が併設
され新滑走路が完成、その広大な新基地に新たな施設
建設が大工事ラッシュとなって進行している。その新
たに新滑走路の周辺には、整然と岩国基地の海兵隊部
隊・海上自衛隊の航空機部隊・沖縄/普天間から移転
した空中給油機部隊に加え、
厚木から 2017 年に移転を
予定している原子力空母艦載機部隊用の関連施設が定
められた各エリアで整然と建設を進行している。
各施設はそれぞれの部隊がこれから岩国基地を拠点
に作戦を展開するため、21 世紀の最新鋭の機能を具備
2017 年、岩国基地配備予定のF35Bステルス戦闘機
今回の「2015 海兵隊航空計画」によれば、2012 年の
計画書でも目玉の内容だった
「F35Bステルス戦闘機」
が 2017 年から 16 機を岩国基地に配備するという内容
が明確に書かれていた。「F35Bステルス戦闘機」は
今、岩国基地にいるFA18 ホーネット戦闘攻撃機や垂
4
その上、防衛省の仕組んだ市民への懐柔策はその買
収した用地の一角を日本人へのスポーツ施設建設とい
う新たなアメをばらまき、反対運動を封殺までした。
この愛宕山開発地の米軍住宅化に反対する裁判闘争も
5年目を迎え、広島高等裁判所に控訴理不尽な国や県
や市の愛宕山開発の不当を訴え現在も頑張っている。
その行動の証が「愛宕神社」前の公園で毎月1の付
く①・⑪・21 日の午前中「愛宕山見守りの集い」とい
う座込み行動を継続していることである。既に260
回余り、2015年の元日も意気高く新年の座り初め
を行った。
直離着陸機ハリアーの後継機として、米軍が未だ開発
中の新鋭機である。米軍はこれまで、アメリカ以外で
「F35Bステルス戦闘機」を実践配備しておらず、多
くの不安なリスクを持った航空機である。オスプレイ
と同じく、また岩国でこの飛行機を運用する米軍の思
惑が大変不安である。沖縄で進行している辺野古新基
地建設のヘリコプター用の新滑走路が出来、大岸壁が
運用されば当然強襲揚陸艦も接岸する。そしてハリア
ーと同様にこの「F35Bステルス戦闘機」も併せ新滑
走路を使用し、同機の垂直離着陸機能を使い運用が可
能となる。つまり、岩国基地と沖縄の基地の一体化が
今以上に濃密となる新たな要素の体現化だ。
昨年10月、岩国市議会議員選挙が行われた。筆者
はこの選挙で6回目の当選を勝ち取ったが、まさにこ
れから4年間のその任期中に「艦載機移駐問題」の正
念場となる2017年がやってくる。岩国市民は5年
前から爆音訴訟も開始し、2月5日にはこの裁判も結
審の見通しとなった。夏ごろには全国で勝ち抜いてい
る爆音訴訟を岩国でも始めて、勝利できる展望が見え
てきた。
こうした取り組みの積み重ねで、市民の小さな力で
あってもみんなで地道に頑張っているその成果が、極
東一の岩国基地を骨抜きにするような現実を一日も早
く切り開いていきたいものである。そう、今年は戦後
70年の節目の年、その岩国で70年を生きてきた筆
者の、奮闘する新年の決意だ。
(2014年12月27日記)
加えて、岩国基地を使用したオスプレイの動きも見
逃せない。オスプレイは普天間基地に配備されて以来
も、
全国各地で訓練と称した飛行訓練を続けているが、
その場所への往復では殆ど必ず岩国基地を経由し、岩
国基地の機能を使用した中継基地として使用している。
これからはさらに、普天間基地の返還延期や県民感情
の薄める策として、或いはオスプレイ何機かを恒常的
に岩国基地に配備するという日米政府の思惑が浮上し
てくることも十分予測出来、警戒は緩められない。
もう一つ、岩国基地を巡る大きな動きは「愛宕山の
米軍住宅建設」という課題である。 これも岩国市民
を騙し続けてきた一大ペテン事業であるが、無策に事
業を中止した後に出来た約250億円の借金のツケが
今の愛宕山の姿である。
借金解消を名目に打ち上げた県・市の新たな策略
「愛
宕山開発跡地の米軍住宅施設への転用」が、今着々と
岩国で2ヵ所目の新基地建設へと進化している。
(写真左)今年普天間基地から移駐したKC130 空中行部隊の整備拠点。以降も普天間基地には再三飛来し、訓練
を行っている。
(写真右)毎月 3 回行う「愛宕山開発跡地見守りのつどい」後には米軍住宅建設予定地周辺をデモでアピール
5
米軍岩国基地監視この一年
戸村良人
今年は176回の岩国基地監視となりました。今年の米軍岩国基地監視も一つにまとめています。
2014年の米軍岩国基地監視の記録、176日分をまとめたものは下記に
http://tomura.lolipop.jp/2014iwakunikiti/2014iwakunikiti.html
2014年のオスプレイ離発着の記録は下記を
http://tomura.lolipop.jp/2014osprey.html
岩国基地で見た米軍機、自衛隊機等一覧表は下記をクリックしてください。
http://tomura.lolipop.jp/army/army2.html
「行動の写真集」のトップページは
http://tomura.lolipop.jp/
その中から12月部分のみお知らせします。
156.12 月 1 日、米軍岩国基地監視 50 枚
(写真)米海軍艦載機 EA-18G グラウラー 電子戦
機 (厚木基地)
(写真)米海兵隊 KC-130J 空中給油機 スーパー
ハーキュリーズ (岩国基地)
157.12 月 2 日、米軍岩国基地監視 175 枚
駐機場(格納庫)に向かう米海兵隊 F/A-18D ホーネ
ット 戦闘攻撃機(岩国基地)
米海兵隊 KC-130J 空中給油機 スーパーハーキュ
リーズ (岩国基地)
消防車がサイレンを鳴らしてきました。何があった?
158.12 月 3 日、米軍岩国基地監視 130 枚
米海兵隊 F/A-18A ホーネット 戦闘攻撃機
(岩国基
地)
(写真) 米海軍艦載機 F/A-18F スーパーホーネッ
ト 戦闘攻撃機 (厚木基地)
尾翼をみたらNFという文字と 112 という番号が読め
ました。
161.12 月 6 日、米軍岩国基地監視 80 枚
159.12 月 4 日、米軍岩国基地監視 240 枚
160.12 月 5 日、米軍岩国基地監視
30 枚
6
格納庫前の駐機場の米海兵隊 KC-130 J 空中給油機
スーパーハーキュリーズ (岩国基地)と沖に浮かぶ
バージ・タグ統合船ライトニング/サンダー
米海兵隊 MV-22B オスプレイ(普天間基地)
162.12 月 7 日、米軍岩国基地監視 40 枚
米海兵隊 MV-22B オスプレイ「虎」03 番機離陸
170.12 月 20 日、米軍岩国基地監視 12 枚
163.12 月 8 日、米軍岩国基地監視 110 枚
接岸していた海上自衛隊の護衛艦「いなずま」が動き
出す。毎月横須賀基地に来るタンカー。
171.12 月 22 日、米軍岩国基地監視 131 枚
海兵隊 F/A-18D ホーネット 戦闘攻撃機(岩国基
地)、4機目
164.12 月 9 日、米軍岩国基地監視 170 枚
オスプレイ「竜」06 番機、「虎」07 番機 普天間基地
に向け離陸
172.12 月 23 日、米軍岩国基地監視 220 枚
米海軍艦載機 F/A-18F スーパーホーネット 戦闘
攻撃機 (厚木基地)
164.12 月 9 日、米軍岩国基地監視 10 枚
173.12 月 26 日、周防大島文珠山にて米軍岩国基地監
視 15 枚
海上自衛隊 US-2 救難飛行艇(岩国基地)
この日はこの機と全日空旅客機定期便以外は、雲が低
く立ち込め音はすれど姿は見えず、でした。
174.12 月 27 日、周防大島文珠山にて米軍岩国基地監
視 50 枚
(写真)オスプレイ「竜」06 番機、「虎」07 番機 普
天間基地に向け離陸
164.12 月 9 日、米軍岩国基地監視 10 枚
米海兵隊 F/A-18 ホーネット 戦闘攻撃機(岩国基地)
166.12 月 11 日、米軍岩国基地監視 60 枚
オスプレイ「虎」09 番機 普天間より 着陸
167.12 月 12 日、米軍岩国基地監視 300 枚
廃油焼却の黒煙の下、
F/A-18D ホーネット 戦闘攻撃
機が離陸
(写真)米海軍 P-8A 対潜哨戒機 ポセイドン(嘉
手納基地)
175.12 月 29 日、米軍岩国基地監視 130 枚
UC-12F 輸送機
168.12 月 15 日、米軍岩国基地監視 240 枚
米海軍艦載機 F/A-18F スーパーホーネット 戦闘
攻撃機 (厚木基地)
176.12 月 31 日、米軍岩国基地監視 130 枚 」廃油
焼却の黒煙、「おおみそか」だから今年の廃油まとめ
て焼却?
米海兵隊 F/A-18D ホーネット戦闘攻撃機(岩国基地)
169.12 月 19 日、米軍岩国基地監視 35 枚
7
「2014年のキャンペーンのことなど~自衛隊を軍隊にはさせないために」
ピースリンク呉世話人 西岡由紀夫
2014 年は、自衛隊が 1954 年に創設されて 60 年、そ
の間、ピースリンクの結成からは 25 年になります。さ
らに遡れば 1914 年に勃発した第一次世界大戦からち
ょうど1世紀・百年にあたります。
わたしたちは、自衛隊基地における平和船団による平
和アピール
(海上デモ)
や呉地方総監部への申し入れ、
呉駅前での街宣、講演会などを開催してきました。
■呉基地・自衛隊増強に反対する主な行動
自衛隊をめぐっては、安倍政権のもとで大きく様変
わりしようとしています。
昨年の 12 月 6 日には特定秘
密保護法の成立(今年 12 月 10 日施行)に続いて、12
月 17 日には国家安全保障戦略・防衛大綱・中期防が閣
議決定されました。そして、今年の 7 月 1 日には「集
団的自衛権の行使容認の閣議決定」
が行なわれました。
その一連の動きは、
「積極的平和主義」の名のもとに、
あえて一言でいえば「軍拡」で「戦争できる国」づく
りが進められています。
〇1 月 23 日(木) 呉駅前街頭宣伝
〇1 月 31 日(土)湯浅一郎さん講演会
「積極的平和主義とは何か」
〇2 月 17 日(月)呉駅前街頭宣伝
〇2 月 23 日(日)
「ヨコスカは今 海上自衛隊と米海軍」
講演:新倉裕史さん(非核市民宣言ヨコスカ)
海上自衛隊呉基地では、この動きに呼応するかのよ
うに、近年、基地機能の増強及び自衛隊艦船の大型化
が急ピッチで進められています。中でも、今年になっ
て自衛隊艦船の係留する F バースの延長工事が進めら
れ、既設の 240mの浮桟橋が撤去されて、新たに 420
mに延長されました。今年度中には完成予定です。ま
た現在呉基地を定係港とする艦船は 42 隻ですが、
艦船
の隻数はあまり変わらないとはいえ、年々その大型化
が進んでいます。現在、呉に係留する最大の艦船は「い
せ」(全長 197m 基準排水量 13,950t)です。さら
に、昨年 8 月 6 日に横浜で進水した「いずも」(全長
248m、基準排水量 19,500t,現在、艤装から公試中
で 2015 年 3 月竣工予定)が、呉に配備されるとの話も
あります。Fバースの延長工事はそれに備えたもので
はないでしょうか。(一方である業界雑誌によれば、
「いずも」は横須賀配備で、その同型2番艦が呉配備
という記事も出ているようですが。)
〇4 月 7 日 呉駅前街頭宣伝
〇4 月 20 日(日)
「『国防軍』と化す自衛隊 その実態は」
講演:半田滋さん(東京新聞)
○4 月 26 日(土)「自衛隊の海外派兵は許さない」
掃海艇派兵23周年 海上デモ、申し入れ
〇6 月 18 日(水) 呉駅前街頭宣伝
〇6 月 29 日(日)
自衛隊の現在(いま)を考える市民のつどい
報告;ヨコスカ(新倉裕史)呉(平賀伸一)
〇7 月 1 日(月)
自衛隊発足60年、集団的自衛家行使容認抗議
海上デモ・抗議行動、申し入れ
〇8 月 21 日(木) 呉駅前街頭宣伝
〇9 月 7 日(日) 湯浅一郎さん講演会
「自衛隊を軍隊にはさせない!」
○10 月 13 日(月)自衛隊発足60年抗議
海上デモ・申し入れ(台風のため中止)
2011 年 3 月呉基地配備の護衛艦「いせ」
8
11 月 16 日に行われた沖縄県知事選挙では、辺野古
新基地建設の建設を容認した仲井眞氏に 10 万票もの
差を付けて、これに反対する翁長雄志氏が新知事とな
りました。このように名護市辺野古に果敢にたたかい
つづける沖縄。それは将に沖縄戦・米軍支配という歴
史に学び「アイデンティ」を訴える姿といえます。
地元の『中国新聞』は、今年6度にわたるシリーズ
で「海自呉地方隊 60 年」の連載記事を掲載しました。
その中で、
ピースリンクを取り上げた 9 月 4 日には
「反
基地闘争ではない」と決めつけるような記述もありま
した。大変残念な記事です。広島の爆心地から直線距
離で 20 ㎞であるところの呉に軍港が、
そして今なお自
衛隊の基地があるからこそ、それへの異議申し立てが
あり、「国際平和都市ヒロシマ」のありようを問うピ
ースリンクという市民運動の意義があります。このこ
とが「反基地運動」として受け止められていないので
しょう。
12 月 14 日の衆議院選挙では自公連立与党で三分の
二に及ぶ衆議院の構成となり、これまでとほとんど変
わりませんでした。これで「国民の審判を、信任を受
けた」のでしょうか。首相自ら「アベノミクス」を争
点とし、秘密保護法や集団的自衛権、原発再稼働など
の重要な問題は多くの国民の目には争点としては隠さ
れていたといえます。
呉の歴史に引き付けて言えば、1945 年の「呉空襲」
は、呉が軍港・海軍工廠という軍事拠点だったことの
結果でした。その歴史に学べば、呉が軍港・海軍工廠・
自衛隊という従来の流れではなく、それとは別の道を
探る必要があります。
新倉さんは 6 月の講演の中で
「横
須賀は基地の街 現在のイメージ 82% 将来のイメ
ージ4%」と<この街の将来を「基地の街」とイメー
ジする市民はわずか4%>と語られています。また湯
浅さんはドイツの地理学者リヒトホーフェンが 1868
年(明治維新!)に「米国から中国への船旅の途中、
瀬戸内海を通り瀬戸内海の風景と人の営みを絶賛し
た。」と紹介され、次への見通しをわたしたちに示唆
されています。呉の歴史における「反基地」とは何か
を模索していきたい。
先に述べた沖縄、米軍基地増強に抗する岩国をはじ
めとする全国の仲間と連帯し、広島・呉・岩国をつな
ぐ市民団体として「自衛隊の海外派兵に反対し自衛隊
を軍隊にはさせない」闘いを今後も粘り強く続けてい
きます。
9 月 4 日 中国新聞都市圏版 海自呉 60 年特集記事
また、10 月 15 日の記事によれば、伊藤俊幸海上自
衛隊呉地方総監は「隊員や艦艇が増えたのなら増強だ
が、そうではない。呉が母港の艦艇は 39 隻で国内 5
基地で最多。沖に係留していた船の居住環境を改善、
任務を迅速にするためだ。」と語ります。また「集団
的自衛権の行使容認の閣議決定」で関連法の整備が進
み、任務はどう変わりますか、との記者の質問に答え
て「憲法解釈が変わったからといって『戦争になる』
という論には賛成できない。自衛隊が他国へ行ってド
ンパチするのは憲法違反。自衛隊は国民と平和を守る
組織だ。日本は原油や輸入品の多くを海運に頼ってい
る。機雷掃海をはじめ、シーレーンの輸送路を円滑に
する任務が考えられる。」と述べています。
ここにあげた戦争中の「機雷掃海」になれば、いず
れか一方に加担することになり、他方からいえば「敵」
であり、それ自体、すでに<他国での戦闘行為>にち
がいありません。まさに「ドンパチ」になります。1991
年に湾岸戦争の“後”に行われた掃海隊派遣とは質的
に全く違うのです。その中で「交戦」に至ることなく、
本当に自衛隊員の命は守れるのでしょうか。
4 月 4 日 中国新聞都市圏版 湯浅さんの記事
9
変わる呉・海上自衛隊
平賀 伸一
はじめに
のっけからタイトルに反するようであるが、ここ最
近、呉の町はほとんど「変わらない」。特に目立った
変化は見られないのであるが、では本当に何も変わっ
ていないのだろうか? 否。大きな変化が起きている
のにそれに気づこうとしない、あるいは日常生活の中
で関心を向けていない、つまり「気にしていない」だ
けだ。「気にしない」ために、無理して努力している
ようにすら感じる。
2014 年 7 月 1 日の臨時閣議で安倍内閣は、従来の憲
法解釈を変更し集団的自衛権の行使容認を決定した。
10 月 1 日、海上自衛隊呉基地では、F バースが長さ 240
メートルから 420 メートルのものに付け替えられ、11
月 15 日から艦艇運用が開始された。呉基地は、近年の
艦の大型化に伴い拡張されたわけである。12 月 10 日
には特定秘密保護法が施行され、12 月 14 日投開票の
第 47 回衆議院選挙では、自・公の与党が 475 議席中
325 議席と3 分の2 以上の議席数を占めた
(投票率52%、
前回から 7 ポイント下がり戦後最低を更新)。そして
12 月 24 日招集された第 188 特別国会において、自民
党総裁・安倍晋三氏が第 97 代内閣総理大臣に指名(2
代連続)され、同日第 3 次安倍内閣が発足した。
こういった、2014 年に生起した一連のことは、歴史
を振り返った時に“あれは歴史の曲がり角だった”と
評される可能性が高い。しかし、呉の町は、2005 年 4
月に呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)が開館
してから顕著になった傾向=旧海軍と海上自衛隊を呉
市の町おこしや観光に利用する路線 が完全に定着し、
年を追うごとにそれが少しずつ強化されているためで
あろうか、「変化が見られない」のである。
2013 年 6 月 15 日日米合同演習に参加する「しもきた」
見に行ってみました
2014 年 6 月 29 日の「自衛隊の現在(いま)を考え
る市民のつどい」で私は「呉市民は、もっと実際に呉
基地を訪ねて知らなければならない」と発言し、その
部分はテレビニュースで字幕化され報道された。実際
のところ私自身、毎日職場と家の往復ばかり、仕事と
家事に忙殺され、“呉市内にくらしていても、忙しく
気ぜわしい日常生活の中で、海自呉基地やその動向を
気にしなくても生きていけている”ことを感じていた
のである。しかし 8 月にフィールドワークで案内して
以来、自分が呉基地に行っておらず、このピースリン
クニュース原稿のこともあって、12 月 25 日(木)、久
しぶりに呉基地周辺に出かけてみた。
呉駅前からバスに乗り約 10 分。「昭和埠頭」で下車
し、目の前の D バースを見る。輸送艦「しもきた」が
係留されているのがまず目に入る。そのまま国道沿い
を道なりに歩く。在日アメリカ陸軍秋月弾薬廠司令部
正門前を通ると、門のところ(南側)の看板は「United
2014 年 12 月 9 日 中国新聞朝刊
10
されていた。そして、IHI ドッグには、護衛艦「いせ」
「さみだれ」、練習艦「かしま」が、修理のためか、
入渠していた。
A バースに 3 隻、S バースなどに潜水艦が 4 隻、F バ
ースに 4 隻、D バース・E バースに
5 隻。IHI ドッグに 3 隻。そして対岸の宝町には第
101 掃海隊の掃海艇 2 隻が停泊していたので、この日
に呉基地で確認できた艦艇は合計 21 隻であった。
呉を
定係港としている艦艇が 42 隻なので、
50%が呉基地に
いたことになる。滞在約 1 時間、以上のような現状が
一応、把握できた。呉港内部ブイに係留されている自
衛艦は、見当たらなかった。
States Army Kure Pier6 Gate1」となっていた。以前
は「在日アメリカ陸軍秋月弾薬廠 第 83 兵器大隊」と
日本語表記もされていたように感じたが・・・北側看
板を確認していないので何とも言えない。ただ、ゲー
トには植え込みのコンクリート製の鉢がいくつか置い
てあり、車両が入れるような感じがしない。「門番」
も不在であった。呉中央桟橋東側への司令部移転がさ
れるらしいが、その準備中なのだろうか。
最南の A バースには、手前に音響測定鑑「ひびき」、
奥に訓練支援艦「くろべ」「てんりゅう」が横並びで
停泊中。S バースには練習潜水艦 2 隻、「しお」クラ
スの葉巻型潜水艦 2 隻。秋月弾薬廠司令部の先に「り
ゅう」クラスの新型潜水艦 1 隻が停泊、エンジンを吹
かせて煙を吐いていた。海添いの公園「アレイからす
こじま」(1985 年度に整備)を南へ歩き「ひびき」に
近づいて海側を見ていると、有限会社バンカーサプラ
イの「艦船めぐり」(30 分コース 大人 1300 円 海
上自衛隊 OB による案内付き)観光船が近づいてきた。
「てんりゅう」や練習潜水艦に接近する。ピースリン
ク平和船団顔負けの接近ぶりである。乗客は数名で、
屋外デッキから自衛艦にカメラを向けていた。乗客は
練習潜水艦乗組員に向かって手を振り、練習潜水艦乗
組員もそれに手を振って応えている。何とも、のどか
な(?)風景だ。
これからのこと
呉市内では「イルミネーションロード・くれ」が今
年も開催され、旧海軍の局地戦闘機「紫電改」(実物
大)と戦艦「大和」・航空母艦「赤城」の模型のイル
ミネーションが、他の展示物と共に堺川沿いの公園の
夜を彩る。「てつのくじら」館では、観光客が現役の
海上自衛隊隊員と共に、自衛隊の制服(一部)を着用
して記念撮影に興じている。呉の「海軍グルメ」は、
「食べなきゃおしい!ご当地グルメ」の「OC―1選手
権」で 1 万 5237 票を獲得し優勝した。そのような旧海
軍・海上自衛隊礼賛の中で、海上自衛隊隊員による小
さな不祥事がこの秋から冬にかけて中国新聞のベタ記
事にしばしば掲載され、『自衛隊 この国営ブラック
企業 ―隊内からの辞めたい死にたいという悲鳴』
(小
西誠著 社会批評社発行 2014 年 10 月 24 日)という
本も出版された。自衛隊の海外派遣恒久法が来年 1 月
末に招集予定の第 189 通常国会に上程されるようであ
る。自衛隊に生じている「無理」と戦争の悲惨さを把
握し、わかりやすい物言いで市民に訴え続けていく覚
悟と決意が必要であると思う。
横断歩道を渡ってセブンイレブン横の道路を東側に
上がり、「工廠神社」の急な階段を上って串山から下
を眺める。420 メートルに付け替えられた F バースに
は、南側に掃海母艦「ぶんご」と護衛艦「せんだい」、
北側に輸送艦「おおすみ」と護衛艦の「きり」クラス
(艦番号が確認できず)1隻。E バース南側に輸送艦
「とわだ」と、護衛艦・輸送艦とは捉えにくい大型艦
(敷設艦「むろと」?潜水艦救難艦「ちはや」?)1
隻、北側には護衛艦 2 隻(艦番号確認できず)が係留
11
呉から岩国基地、伊方原発抗議へと展開するピースリンク平和船団
平和船団長 平岡典道
なくては私たちの子どもや孫の将来に展望はないと思
うからだ。
2014 年 10 月 11 日(土)朝3時におきて呉 YWCA に
向かう。まだ真っ暗の中、Y 氏と2人車で伊方に向け
て出発する。山陽自動車道,島なみの橋をひた走り、
四国に入る頃ようやくあたりが明るくなった。約束の
時間に遅れないよう休まず走り続けどうにか8時半に
原発が見える高台に到着する。台風が近づいており、
ボートが出せるか心配だ。原発が見える高台から海を
眺めると白波があちこちで見え、時折風が音を立てて
吹く。
同じ思いから、2009 年、上関原発反対行動に 10 月
ボートを持って参加する。祝島から原発立地予定地ま
で多くのカヤックと一緒に行動した。中電は、まだ上
関原発を諦めてはいない。瀬戸内海に新しい原発など
絶対 NO だ。祝島の人たちの気の遠くなるような、しぶ
とく、諦めない反対行動を胸に刻んで今後も行動した
いと思う。
私が、伊方でボートを使って海上行動をしたのは、
2010 年 2 月のことだった。このときも海はうねりがあ
り、ボートを出したが原発までたどり着けるか心配に
なるほど海は荒れていた。呉湾での活動が中心だった
私にとって、海の怖さを再確認した行動でもあった。
あれから毎年、伊方の海にボートを持って、地元の活
動に参加してきた。
数えてみると今回で8回目になる。
地元の人にもボートに乗ってもらい原発のすぐそばで
抗議の声を上げられたのは意味のあることだと感じた。
現地の活動に少しでも元気をもたらせたらと行くたび
に思う。
呉基地で行った海上デモ(2010 年 10 月 11 日)
2012 年7 月岩国にオスプレーが配備されることにな
り、地元の人と一緒に反対行動に参加した。私にとっ
て岩国でボートを出すのが初めてだったので、かなり
緊張していた。ボートは米軍基地のすぐ横を流れてい
る川の中腹にある漁港から出した。航路がありそれを
外れると砂に乗り上げ身動きできなくなる。悪戦苦闘
しながら、沖に出て米軍基地を海から見て、広大な基
地を実感する。提供区域の海の広さにも驚かされた。
広島のすぐ近くにこのような基地があることの 問題
を常に問うて行かねばと強く思った。
ボートを車に載せて、上関や岩国や伊方に出かけ地
元の人たちの行動に一緒に参加し、少しでも元気の出
る運動に、
平和船団が寄与できれば、
本当にうれしい。
今年度新しいボートが1隻増えた。いろんな人たちの
支えで来年度からも元気を出して活動したい。
2008 年 9 月 25 日原子力空母横須賀入港反対海上デモ
伊方原発にこだわるのは、東日本大震災で、福島の
原発から、膨大な量の放射能が海や陸地を汚染して3
年半経過した現在でも深刻さはつのる一方である。私
たちが暮らす瀬戸内海では、絶対に福島の二の舞は起
こさせないし、その可能性のある伊方原発は廃炉にし
12
京都に米軍基地!経ケ岬Xバンドレーダ基地稼働反対!
~現地抗議行動、米軍基地いらんちゃフェスタ in 丹後に参加して
12 月 23 日、京都府京丹後市経ケ岬に建設中の米陸
軍Xバンドレーダー基地が運用をはじめようとしてい
る現地で米軍Xバンドレーダー基地反対近畿連絡会が
抗議行動を行った。私たちも大阪駅から近畿連絡会が
チャーターしたバスに便乗させてもらって約 3 時間半、
初めて経ケ岬に行くことが出来た。現地は先日から降
り続いた雪はほとんど消えていたが、冬の山陰らしい
どんよりとした雲が広がり、時々冷たい雨が降る。し
かし、
山陰海岸国定公園に位置し、
景色はすばらしい。
バスを降りてゲート前での抗議行動へと移る。ちょ
うど雨も上がり、
約 30 分ほどの抗議集会を現地で行う。
「穴文殊」とういう自然洞窟がある九品寺というお堂
に隣接して航空自衛隊経ケ岬分駐隊があり、その西側
にフェンスで囲まれた建設現場がある。看板には発注
者:米陸軍工兵隊、施行者:ミライト・テクノロジー
ズ・アクティーJVと聞きなれない言葉が並ぶ。この
基地は日本の防衛省ではなく、米国防総省の予算で米
軍直轄の工事が行われている。それだけ、重要度が高
い基地なのだと想像がつく。
新田秀樹
もの人が集まり、「米軍基地いらんちゃフェスタ in
丹後」が行われた。報告ではすでに米軍人軍属の交通
事故が5件も起こっていると報道されたが、昨日もま
た交通事故が起こっている。中には電柱をへし折るよ
うな重大な事故も起きており、今後が本当に心配だ。
(工事中のゲート前で 150 人が抗議行動)
2013 年 2 月の安倍・オバマ会談で合意し、日本では
青森県の車力に続いて 2 基目のレーダー基地建設とな
る。すぐさま、地元説明会強引に進め、地元住民の不
安や反対の声を押し切り、
府知事、
市長の合意を得て、
建設に至っている。基地交付金を約束し、金のために
住民の声などは全く聴かない国と知事と市長の姿は集
会で特別報告を行った沖縄高江でヘリパッと建設反対
運動を最前線で闘い東村議になった伊佐真次さんが
「高江と同じだ。到底許されない」と語った。
京丹後のXバンドレーダーは合意からわずか 1 年 9
カ月という短い期間で 2014 年末に本格稼働を始めた。
車力のXバンドレーダーとは違い、極めて住宅地域に
近く、近い所で 300 メートルほどしかない。大量の電
力を使い、発電機による騒音は安眠を妨害するほどだ
と言う。さらに、目に見えない電磁波の影響も今後心
配される。アメリカ本土防衛のために設置された基地
で経ケ岬に近い宇川地区などの住民が犠牲にされてい
くことになる。
関西初の米軍基地建設で地元をはじめ、京都市内や
大阪からも反対の運動が盛んになってはいるが、まだ
まだ市民の認知度は低いと思う。沖縄で渦巻く辺野古
新基地建設反対をはじめとする闘いにも連動して、全
国から反基地のたたかいをつなぎながら全国的な闘い
にしなければばらない。
(工事中であることを示す看板はこれだけ)
Xバンドレーダーそのものは 10 月 21 日 4:27 とい
う早朝に現地に搬入され、建物の中に入っており見る
ことは出来ないが、整地のために土砂を削り、大きく
姿を変えたという。すでに 160 人の軍人軍属は現地入
りしており、中からは 4 人の米軍軍属の警備員が警戒
している中、約 150 人がゲート前でアピールやシュプ
レヒコールを繰り返した。近畿連絡会では数回にわた
り現地抗議行動や戸別訪問をして署名活動などを繰り
返し、ねばり強く闘いを進めている。
再びバスに乗り込み京丹後市役所のある峰山地区に
行く。丹後文化会館では地元丹後地域をはじめ 850 人
13
広島から沖縄を考える
米軍普天間基地即時閉鎖!辺野古に新基地はいらない!ヒロシマ集会報告
藤井純子
2014 年 12 月 5 日、沖縄から安次富浩さんを迎え「米
軍普天間基地即時閉鎖!辺野古に新基地はいらない!
ヒロシマ集会」を行った。この実行委員会の呼びかけ
人の一人の土井桂子さんが司会、実行委員会事務局を
担うピースリンク広島の世話人の新田秀樹さんが開会
あいさつ。広島集会開催の経過と今後も沖縄と連帯し
ていきたいと力強く語り、80 人の参加を得て熱気のあ
るいいスタートができたのではないか。
道の取り扱いは小さくなかなか知らされない。とにか
く知ってもらいたいと思い、美しい辺野古崎の写真の
入ったチラシを街頭や三線の演奏会の会場前での配布
も 3 度行った。
集会は、最初に呼びかけ人の一人、沢田正さん発案
で先日亡くなった菅原文太さんが11月1日の沖縄県知
事選挙 1 万人うまんちゅ大集会であいさつされた映像
を映し出した。菅原さんは、…政治の役割はふたつあ
ります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な
食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大
事です。
絶対に戦争をしないこと!
子どもたちに、
子どもたちだけじゃない、戦地へ行かせるようなこと
があってはならない。今の政府は、まさに戦争が起き
ること、戦争をすることを前提に、沖縄を考え、沖縄
の人々を裏切り、
辺野古を売り渡した。
沖縄の風土も、
本土の風土も、海も山も、空気も風も、すべて国家の
ものではありません。
そこに住んでいる人たちのもの。
辺野古もしかり!勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ。
しかしアメリカにも、中国にもいる。韓国にも良心あ
る人々はいる。国が違えど、同じ人間だ。みな、手を
結び合おうよ… 参加者の皆さんも感動してくださっ
た。
2 つ目の映像はこの 9 月の埋立のためのボーリング
調査とそれを止めようとする辺野古のたたかい(ニュ
ーズリール NO8 より)。強行な国の態度、海上保安庁、
警察の力に怒りがこみ上げる。
現地で説明する安次富浩さん(2010 年 6 月撮影)
昨夏、政府はオール沖縄で反対する中、辺野古沖埋
め立てのためのボーリング調査を始めた。2004 年には
海での抗議活動で翌年、掘削開始前に中止に追い込ん
だが今回はブイやフロートを設置して海上の立ち入り
禁止区域を勝手に広げ、海保は阻止行動をする船やカ
ヌーは強制的に陸に戻している。これを見て本土の人
間が黙っていてはいけない、広島からも声を挙げよう
とヒロシマ集会の準備を始めた。今回はピースリンク
だけではなく沖縄県人会や沖縄問題、岩国や呉の基地
問題に取り組んでいる人たちに呼びかけ人になって頂
き、実行委員会をスタートさせた。広島と沖縄をむす
ぶつどいの事務所で会議を行い、ピースリンクが事務
局となってチラシやハガキ、インターネットで沖縄を
米軍基地の島にさせてしまっている状況に心を痛めて
いる人たちに呼びかけをした。辺野古の新基地建設は
日本全体の有権者の半数以上が反対しているにもかか
わらず、安倍政権はそれを無視して強引だが本土の報
続いて沖縄のヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さ
んのお話を聞いた。この協議会は、辺野古への基地建
設の是非を問う住民投票で、
基地建設反対派 21 団体で
結成され、安次富浩さんは連日のように、辺野古のテ
ントに通い、
この座り込みはすでに 3850 日を超えてい
るそうだ。
安次富さんは、沖縄の人々は県知事に辺野古に基地
は作らせない!という翁長雄志さんを選んだ。彼は那
覇市長を務めていた保守で始めは辺野古新基地に賛成
の態度を示していたが、沖縄県民のこれ以上の新基地
14
は受け入れられないという強い思いを受け止め、反対
の先頭に立つようになったのだと言う。13 年 1 月、41
沖縄全自治体の新基地を作るなという建白書を無視し
て基地建設進める政府、公約をほごにした仲井真前知
事の態度は彼をより強くしたとも言う。なるほど所信
表明演説でも、埋め立て承認の手続きを検証して政府
に移設計画の見直しを要求する、米軍基地は沖縄経済
発展の最大の阻害要因だとして基地経済からの自立を
目指す考えをしっかりと示したことからも明らかだ。
市民も辺野古で今後の国のボーリング調査阻止のたた
かいに備えてカヌーの練習をし、沖縄を知り尽くした
人々によって抵抗運動が続けられている。
沖縄は、江戸幕府時代より長い間、日本によって
支配され、敗戦後は銃剣とブルドーザーによって米軍
基地とされ、復帰後も米軍と追随する日本政府によっ
て構造は変わらない。それに対し体を張り、差別いう
強い言葉で怒りを表し、辺野古に基地を作らせないと
いう保守の県知事、衆議院選挙では沖縄選挙区全区で
オール沖縄の候補を勝利させ、新たな一歩を踏み出そ
うとしている。安次富浩さんは最後に、沖縄の人々は
一つ一つたたかいとった。広島で頑張っている皆さん
がいることは知っているがもっと大きく広げてほしい
と結ばれた。沖縄の人々の思いに私たちも応えたい。
最後に中村さんの三線で「沖縄を返せ」をうたって思
いを新たにした。
安倍政権のこれまで通りの安保政策、沖縄に基地の
大半を押し込め、米側に差し出しておけば自分に火の
粉は降りかからないということはもう通用しない。沖
縄の人々のたたかいに加え、日米同盟の強化により自
衛隊が米軍と一体化することは日本全土の演習へと広
がっている。そして市民も軍事強化が安心にはつなが
らないことも気づき始めている。この実行委員会は、
今回で終わるのではなく、これをスタートにして続け
ていくことを確認した。次回はこの実行委員会と第九
条の会ヒロシマ、広島県 9 条の会ネットワークとの共
催で映画「標的の村」監督の三上智恵さんをお呼びし
て「憲法を獲得する沖縄のたたかい」というテーマの
講演会を予定している。その後も 4 月 28 日、6 月 23
日と広島から沖縄を考える 8・6 ヒロシマ平和へのつど
いを計画するつもりだ。今回以上の人々が参加してく
ださることを期待している。
2013 年末、県民の声を無視し、仲井間知事によって埋立承認された。
(写真は一坪反戦地主会のチラシ)
15
PL NO,86
2015.1.1
軍事基地はいらない!
―「島嶼防衛」の最前線・自衛隊基地建設の与那国・石垣を歩く―
新田
秀樹
夕方からは東恩納琢磨市議、東京から沖縄に活動拠点
を移したフォトグラファーの山本英夫さん、元沖縄タ
イムス記者でジャーナリストの屋良朝博さんと泡盛も
いただきながら、沖縄の現状を聞きながら交流を重ね
た。とりわけ山本さんは与那国の事情に詳しく、与那
国で講演会をしたばかりだという。
名護を早朝出発していよいよ今回のメインの石垣、
与那国へと向かう。まずは一坪反戦地主会の比嘉宏さ
んと那覇空港で合流して石垣へと向かう。石垣へは日
本トランスオーシャン航空のジェット機で50分ほど
の距離である。石垣市は 4 年前保守派の市長になり、
批判を受ける育鵬社の教科書を採択した八重山地区で、
この地区に属する竹富町はこの教科書を拒否している。
育鵬社の歴史教科書は日本の大陸侵略の歴史を歪曲し、
悲惨な沖縄戦の実態、とりわけ「集団自決」などの真
実を伝えない。
また、基地のないこの石垣島に異変が起きている。
自衛隊艦船が初入港し、琉球新報の記事によると石垣
島に自衛隊基地の候補地が具体的に上がっているとい
う。赤間(あかんま)サッカー場と石垣新港がそれだ。
次いで沖縄タイムスからも牧場があげられ、それぞれ
現地を視察した。赤間サッカー場は市街地から高台に
上がった場所にあり、休日は市民によく利用されてい
る。沖縄県の県の木「でいご」の華やかに咲き乱れて
いるのが印象的だったが、
管理をしている方に聞くと、
かつては J リーグのキャンプも行われたこともあると
いう施設で、昨年は日本代表の本田圭介さんも個人練
習で訪れたという。今年は誰も来ず、市行政のやり方
にため息を漏らす一方で、隣接するフットサル場にな
っている体育館では陸上自衛隊が1週間泊り込んで何
らかの訓練をしていたという。自衛隊については防衛
問題もあるが、何より防災面が心配で東日本大震災の
ようなことが起こるかもしれない。石垣では 1700 年
頃「明和の大津波」があり、
「津波石」が残っている。
政府による「災害キャンペーン」の中、自衛隊基地に
淡い期待を持っているのも事実である。
つづいて、大崎牧場へと行く。
「石垣牛」はブランド
牛で高額で取引される。かなりの規模の牧場だが、新
「憲法改正は私の使命」と豪語する安倍政権の「積
極的平和主義」というまやかしの名のもとに行われる
島嶼防衛。一方で国境紛争を煽りながらこれを口実に
行う軍拡に間違いない。この動きの中で表面化してき
た自衛隊基地建設でゆれる沖縄県の石垣島、与那国島
を 4 月、5 日間の日程で訪れた。また 6 月には宮古島
にも足を運んだ。
福岡空港から那覇空港に着き、
まずは本島を巡った。
2012 年、13 年、計 24 機のオスプイレイが強行配備さ
れた普天間基地、基地が望める嘉数高台から駐機中の
オスプレイが確認できたが、土曜日でもあり動きはな
い。確認できたのは 10 機程度で数も少なく「米韓合
同軍事演習」に参加している可能性が高い。
帰る前の平日にも立ち寄ったが同じだ。宜野湾市基
地対策課で普天間基地問題を取り上げたパンフレット
いただき、基地周辺で 2004 年大型ヘリ CH53 が墜落
事故を起こした沖縄国際大学や滑走路直下の普天間第
一小学校などを巡る。あらためてこの基地の危険性を
実感出来る。
また、本島北部の「やんばる」と言われている地域
には、オスプレイを含めたヘリの離発着の「ヘリパッ
ト」や「ジャングル訓練施設」がある。その中に位置
する東村高江地区は自然豊かで静かな癒しのスポット
でもある。この大自然の中にあるカフェ「山甕(やま
がめ)
」を訪れ、コーヒータイム。この近くには新たに
ヘリパッドが建設されようとしており、地元住民を中
心に体を張って阻止活動をしている。映画「標的の村」
の上映会で先日広島にもお越しいただいた
「住民の会」
の伊佐真次さんから現状を伺う。
(伊佐さんは現在、村
議に当選)昼夜を問わず行われる訓練に住民は不安を
抱いている。
名護市では「普天間基地代替施設建設」が画策され
る辺野古へ。ヘリ基地反対協議会の共同代表の安次富
浩さんに現状を伺う。
昨年末の仲井真知事の埋立承認、
沖縄選出の自民党国会議員が「移設反対」の公約撤回
へと大きく動き出した。しかし、名護市長選での稲嶺
市長の再選は地元民意を再確認させ、保守派と言われ
る地元経済界なども
「移設反対」
へと動き始めている。
16
PL NO,86
2015.1.1
要性を説いたのだった。それを後押ししたのが安倍政
権の登場だ。
「この島は戦後2丁のピストル(2名の駐
在)で十分守られた」
「尖閣問題が出るまでなんらトラ
ブルもなかった」と地元は語っている。
基地建設には島の世論が割れた。先の石垣でも出た
同様の意見が語られ、大きな医療施設がないこの島で
は自衛隊による急患輸送の期待も高い。それをてこに
推進派は誘致活動を進めている。2003 年 8 月に行わ
れた町長選では553票獲得した推進派の外間町長に対
して 47 票差まで詰め寄っている。利権や縁故も絡ん
だこの結果に必ずしも与那国町民が自衛隊を望んだと
は言えない。ここに 150 名の陸自部隊と家族が加われ
ば、これから先のこの島の将来が不安になる。
今回、基地建設現地を社長が町会議員にも出ている
崎元酒造の工場長でもある稲川宏二さんに案内してい
ただいた。崎元酒造は島で一番古い花酒(泡盛)
「与那
国」のブランドで出す酒造所だ。一方で「どなん」ブ
ランドの国泉泡盛は誘致を進める側で経済界も二分し
ている様子がうかがえる。
計画が浮上しているレーダー基地は島の集落からも
見える位置にあり、稲川さんが目印に旗を立てた。最
も近い集落から 190m という近距離で学校もある。強
い電磁波を出す基地に対する不安の声も出ている。ま
た、土地の大半は村有地だが一部民有地もあり、その
土地が町会議長の土地ということで誘致派の中でも異
論が出ているという。
定数 6 人の町議会は誘致派 4 人で議長を出し、住民
の意見を無視して誘致を進めてきたが、今年 9 月の町
議選で同数になり、議長を出す誘致派は議会少数派に
なり、町の権限を有する水道や町道の付け替えなどの
議案は否決されている。あくまで住民投票によって決
めるべきだと準備が進んでいるという。
(八重山毎日新
聞より)
何よりこの島は軍隊のいない島としてなんら不安も
なく過ごしてきた。
かえって自衛隊の誘致は緊張高め、
平和な島の生活が脅かされると不安を持っている。軍
隊のない島に私たちは再び訪れたいと思いつつ島を後
にした。
聞記事に出た真意は分からなかったが、後で聞いた話
ではこの土地が市有地なのだという。最後に石垣新港
へと向かう。石垣港の目の前に新しい橋が架けられ、
かなり大規模な埋め立て事業が行われている。開発主
体は沖縄開発庁のようだが、使途は不明だが、候補に
あがるぐらいだから計画はすでに破たんしている可能
性が高い。そういう意味では絶好の場所と言える。
また、この琉球新報のリークした記事に対して、国か
らの圧力も異常である。市長選に対する妨害というの
がその主張だが、右翼的な現職候補に不利になると思
ったのか、計画があるなら市民に全て公開すべきとこ
ろだ。さらに、国は新聞協会にも申し入れを行ってい
る。秘密保護法を先取りした情報統制と言って過言で
はない。
石垣を後にして与那国島へと向かう。新石垣空港か
ら琉球エアーコミューターのプロペラ機に乗り、約 40
分の行程だ。ところで、昨年 3 月に開港した新石垣空
港は紆余曲折を経て作られた。当初白保地区のサンゴ
礁を埋め立てて造る予定だったが、様々な反対から中
止を余儀なくされ現在の場所に変わった。今回も開発
による赤土流失など環境面で根強い反対運動はあった
が押し切った形だ。現在の滑走路は沖縄特有の隆起サ
ンゴ層の上に立ち、大きな空洞があると指摘されてい
る。それよりも、なぜこの離島にこれだけの規模の空
港が必要なのか疑問だ。現在自由化の波を受け、LCC
(格安航空会社)が参入し、4 社が競合して安売り合
戦の中で観光客は増えていると言うが一過的なものの
気がする。まさに、那覇空港で異常低空侵入をしたの
が LCC の一つピーチの石垣からの便だった。
話は与那国に戻します。与那国島で民宿「さきはら
荘」を営みながら基地反対運動を取り組む狩野史江さ
んにお世話していただいた。基地に反対する崎原町議
が議長を務める住民組織
「与那国改革会議」
とは別に、
かつて与那国を守ったという「サンアイイソバ」にち
なんで名づけられたという、女性たちだけで組織する
「イソバの会」のメンバーでもある。この与那国は 10
年ほど前にテレビドラマ「Dr,コトー」で話題になり、
観光客も増えてリゾートホテルもできたが現在は低迷
している。それでも何件かある民宿は一定数のお客さ
んは来ているようだ。
この平和な島に自衛隊基地建設が具体化したのは
2011 年の民主党野田政権が決定した「防衛大綱」だ。
石原元東京知事による尖閣諸島の所有化に端を発し、
野田政権の国有化で国境緊張を煽り「島嶼防衛」の必
17
PL NO,86
2015.1.1
自民党の制度的大勝、共産党の部分的勝利、沖縄の完勝が示す今後の展望について
久野成章
2014 年 12 月 14 日投開票の衆院総選挙の結果、自
民・公明の与党が現有勢力を維持し、
全議席の 3 分の 2 以上に達する 326 議席を確保した。
各党の最終獲得議席は、自民 291(2減)
、公明 35(4
増)
、民主 73(11 増)
、維新 41(1減)
、共産 21(1
3増)
、次世代2(19 減)
、生活2(3減)
、社民2(±
0)
、無所属8(9減)
。全議席数は5減の 475 議席。
30%)という史上最低記録を更新した中で自民党の比
例の絶対得票率をみる。16・985%である。60 年安保
時には 40%の絶対得票率があり、その後の長期低落傾
向は変わらない。最近では、小泉郵政選挙時に一時的
に盛り返したが、麻生政権以降 1600~1800 万票前後
に過ぎない。
この数字は共産党の3倍ほどに過ぎない。
その共産党は、
1970 年代前半の中選挙区制のもとで
550 万 10%、1990 年代後半の社会党崩壊局面で820
万 14・6%(98年参院選)と党勢を伸ばしてきたが、
今回安倍政権批判票の受け皿になり、小選挙区で 704
万 13・3%、比例で 606 万 11・4%と画期的な躍進を
した。前回の得票数からの増減率でいえば、小選挙区
で 49・78%増、比例で 64.35%増であり、一人勝ちで
ある。2013 年 6 月都議選、7月参院選以来の流れを
加速させている。大衆運動での「一点共闘」路線も功
を奏し、無党派層や青年層をも引き付けている。今後
も安倍政権の暴走に立ちはだかる統一戦線の最大の要
となる。
安倍らが7月から練りに練った作戦は、一見成功し
たように見えるが、各方面の詳細な選挙結果分析が示
すことは、相変わらず自民党政権は砂上の楼閣に過ぎ
ないということである。
この結果の原因は、衆院選のたびに指摘しているこ
とであるが、民意を切り捨てる小選挙区制度にある。
295 議席のうち自民が 223 議席を占めた。自民党は全
有権者の 24・5%の得票で、議席占有率 75・6%を獲
得した。自公協力により公明党の票が 700 万票ほど上
乗せられており、野党が一本化できない限り、わずか
な差で大勝する。事実、小選挙区での自公候補の得票
率は 49・55%であり、野党候補の得票率は 47・52%
であり、それに対して議席数 232 対 55(次世代の党
を除き、広島の亀井と沖縄の仲里を加えた)となり、
いわゆる死票は、何と 2541 万票 48%である。民主的
な選挙制度を望むなら小選挙
区制度の廃止を引き続きめざさなければならない。
それでは、党勢を正確にみるために比例の得票率を
みる。自民 33・11、民主 18・33、維新 15・72、公明
13・71、共産 11・37、社民 2・46、生活 1・93。こ
れを仮に完全比例制度475議席に当てはめてみると次
のようになる。自民 157、民主 87、維新 75、公明 65、
共産 54、社民 12、生活 9 その他 36。これがほぼ民
意の正確な議席感覚である。
小選挙区の投票率が 52・66%(有効投票数率 50・
92%)
、比例の投票率が 52・65%(有効投票数率 51・
18
PL NO,86
それをも象徴する出来事が沖縄の闘いである。翁長
雄志新知事を誕生させた「建白書」勢力(オール沖縄)
は、1区赤嶺政賢(共産)
、2区照屋寛徳(社民)
、3
区玉城デニー(生活)
、4区仲里利信(無所属)全員当
選させ自民党候補に完勝した。なお、社民党の沖縄で
の比例得票率は 15%であり共産党よりも強いことが
特徴である。
2015.1.1
被爆・敗戦70年の2015年の課題も山積みだ。
川内原発・高浜原発・伊方原発の再稼働を阻止し、辺
野古新基地建設に反対し、通常国会での集団的自衛権
行使を含む安保法整備の全体に反対し、4月統一地方
選で安倍勢力を削ぎ落とし、あらゆる運動課題でより
多くの人と手を結び、安倍政権を追い落とせる力量を
いたるところでつけてゆこう。前途は暗くない。
(データ)
小選挙区の有権者数
投票者数
棄権者数
投票総数
有効投票数
無効投票数
103,962,784
54,743,087
49,219,697
54,741,352
52,939,790
1,801,562
比例の有権者数
投票者数
棄権者数
投票総数
有効投票数
無効投票数
52.66%
47.34%
52.65%
50.92%
1.73%
小選挙区
自民党
民主党
維新の党
公明党
共産党
今 回 25,461,448
11,916,849
4,319,645
765,390
7,040,169
( 48.10)
( 22.51)
( 8.16)
( 1.45)
( 13.30)
前 回 25,643,309
13,598,773
885,881
4,700,289
( 43.01)
( 22.81)
( 1.49)
( 7.88)
差 引
-181,860
-1,681,924
-120,491
2,339,879
( -0.71)
( -12.37)
( -13.60)
( 49.78)
(注) ( )内は得票率(=有効投票数 52,939,790 に対して)である。
差引欄の( )内は増減率である。
16.985%
自民党
今 回 17,658,916
( 33.11)
前 回 16,624,457
( 27.62)
差 引 1,034,459
( 6.22)
比例
9.40%
民主党
9,775,991
( 18.33)
9,628,653
( 16.00)
147,338
( 1.53)
8.06%
維新の党
8,382,699
( 15.72)
103,962,785
54,735,787
49,226,998
54,732,730
53,334,447
1,398,283
52.65%
47.35%
52.65%
51.30%
1.34%
社会民主党
419,347
( 0.79)
451,762
(0.76)
-32,415
( -7.18)
生活の党
514,575
(0.97)
2,992,365
(5.02)
-2,477,790
(-82.80)
7.03%
5.83%
1.26%
0.99%(絶対得票率)
公明党
共産党
社会民主党
生活の党
7,314,236
6,062,962 1,314,441
1,028,721
( 13.71)
( 11.37)
( 2.46)
( 1.93)
7,116,474
3,689,159 1,420,790
3,423,915
( 11.83)
( 6.13)
( 2.36)
( 5.69)
197,762 2,373,803 -106,349
-2,395,194
( 2.78)
( 64.35)
( -7.49)
( -69.95)
(注) ( )内は得票率(=有効投票数 53,334,447 に対して)である。
差引欄の( )内は増減率である。
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PL NO,86
2015.1.1
おおすみ事故について(その2続編 検送など続報,用語解説)
2014 年 12 月 ジョージ
者 1 名)。なお,記者会見で,第6管区海上保安本部
の近藤次長は,航跡や被疑者らの容疑についての認否
は,「今後の刑事手続きに影響が出るため公表できな
い」と繰り返した。双方の過失認定は妥当と言う専門
家 2 名の見解,また,識者のあたご事故の刑事裁判の
経過の影響で海保は慎重になっているという意見や現
場海域の危険性を指摘し安全対策の徹底を求める意見
も。釣り船側の死亡者の遺族や生存者らの,釣り船側
にも過失があるという認定がされた点についての「納
得できない」という思いや「仕方ない,納得している」
という声も紹介。
【7/8 中国新聞夕刊】
訪米中の小野寺防衛相がアメリカ,サンディエゴの海
軍基地を視察,強襲揚陸艦「マキン・アイランド」を
視察後,こういう艦が欲しい,是非近いうちにと記者
団に語った。
【3/25 中国新聞朝刊】
24 日柳井海上保安署は,昨年 9 月に山口県上関町沖で
起きた掃海母艦「ぶんご」(呉)と漁船との衝突事故
について,双方の見張り不十分として,ぶんご艦長男
性(54)及び見張責任者の敷設長男性(47),漁船船
長男性(38)=愛媛県伊予市を業務上過失往来危険の
疑いで書類送検した。3 人とも容疑を認めている。横
須賀の掃海隊群岡浩司令は,「厳粛に受け止め,運行
安全の徹底を図り,事故防止に努めたい」。
【3/29 中国新聞朝刊】
あたご事故(2008 年)で自衛官 2 人の無罪が確定した
ことを受け,2 人の停職期間短縮など,当時の乗組員
32 人の処分を見直した結果を 28 日防衛相は発表。刑
事裁判は,長岩友久 3 佐(40),後潟桂太郎 3 佐(41)
が業務上過失致死罪等に問われたものの,一,二審と
も無罪判決,確定後に防衛省は見直し作業を進めてい
た。長岩三 3 佐:30 日→5 日,後潟 3 佐:20 日→1 日
など。
【5/23 中国新聞朝刊】
奄美大島付近の無人島で島嶼部防衛を想定した自衛隊
の離島奪還訓練実施中,5/10~27。22 日に報道陣に
公開。陸自西部普通科連隊(長)を中心とする陸自自
衛官約 500 名,海自からは,部隊輸送に輸送艦「しも
きた」(呉),ほかにイージス護衛艦「あしがら」(佐
世保),掃海母艦「ぶんご」(呉),ヘリ護衛艦「く
らま」(佐世保)などが出動し,合計約 830 名参加,
空自からも約 10 名参加,
島へのボートやホバークラフ
ト型上陸艇による上陸演習など。奄美大島地区への自
衛隊基地誘致の動きも紹介される。
【6/5 中国新聞夕刊】
おおすみ事故について,5 日,艦長田中久行(52),
当直士官(33),釣り船船長が業務上過失致死傷罪,
過失往来危険罪で書類送検される。併走していて,双
方見張り不十分の過失ありと。
【6/6 中国新聞朝刊】
おおすみ事故関係者送検続報。
「おおすみ」田中艦長,
西岡秀徳航海長(33)と死亡した釣り船の船長を書類
送検。死亡した船長は不起訴となる見通し。田中艦長
は総責任者,
西岡航海長は当直士官として操艦を指揮。
見張り不十分で衝突事故を起こした(死者 2 名,負傷
【7/27 中国新聞朝刊:広島地方欄】
おおすみ事故で「真相究明を求める会」が発足。26 日
弁護士など約 100 人が集まって集会が催され,真相究
明と被害者支援を目的とした会を発足させることに。
【10/2 中国新聞朝刊:内政・総合欄】
写真入りで呉軍港の新Fバース完成の記事,「浮桟橋
で最長Fバース完成」の見出し,240mから 420mに延
び,艦船の大型化に対応。1 日未明の作業で,200m離
20
PL NO,86
れたJMUのドックから 4 隻の船で曳航し設置を終え
た。旧バースは 7 月に撤去している。これから桟橋と
岸壁をつなぐ渡橋,電気配線などの工事をし,来年 3
付末に完成,艦船の係留は 11 月 10 日から。呉基地を
母港とする艦艇は 39 隻で海自 5 基地で最多。
1 万 3000
トン級の護衛艦「いせ」,おおすみクラスの 8900 トン
の大型輸送艦 3 隻もおり,沖合に係留するケースもあ
る。総事業費は約 45 億円,Fバース付け替えは 1984
年以来。沖合ではなく基地への係留で乗船や物資搬入
といった任務が迅速になる(呉地方総監部)という。
【10/15 中国新聞朝刊:地域欄】
海自呉地方隊60年第6部インタビュー編・呉地方総監
海将伊藤俊幸に呉支社小島正和記者がインタビュー
Fバースの 240mから 420mへの延長は「増強ではな
い」という また,自衛隊が他国へ行って「ドンパチ」
するのは憲法違反だが,機雷掃海をはじめシーレーン
防衛は平和を守る任務だ
(憲法に違反しない?)
とも。
しかし,ジョージとしては,機雷掃海は,紛争が完全
に終結した後,機雷敷設場所及び敷設された機雷の当
事国の要請がある場合は,平和的な戦後復興作業であ
るが,この要件が欠けるときは戦闘行為そのものであ
り,かつ非常に危険な業務であり(朝鮮戦争時に米軍
上陸作戦を支援するための機雷除去を海上保安庁に移
されていた旧日本海軍の掃海部隊が担当し戦死者まで
出しながら米軍の上陸作戦成功に貢献したことは,て
つのくじら館にも誇らしげに展示されている),シー
レーン防衛における機雷除去は,基本的に戦闘行為の
性質を持つ掃海作業であると考えている。
【10/17 中国新聞朝刊:社会面】
ぶんご事故による業務上過失往来危険容疑の艦長,敷
設長,
漁船船長の被疑者 3 名は 16 日広島地検呉支部に
より不起訴処分とされた。双方に過失があり,死傷者
はなく,両船の損傷も比較的軽微であったことなどを
考慮したとする。
【11/16 中国新聞朝刊:地域欄】
新Fバースに初めて輸送艦「くにさき」が係留した。
(つづく、ジョージ)
2015.1.1
<用語解説>
【輸送艦おおすみ】
海自呉基地配属の「輸送艦」。国際的な分類ではL
PD(ドック型輸送揚陸艦)というらしい 基準排水
量 8900t 全長 178m 艦橋を右に寄せて,全通甲板
という甲板が広くて空母に似た外見 しかし,広い甲
板の前方半分以上は航空機離着陸用の飛行甲板ではな
く,車両駐車スペースであり,船体後方ドッグ部分か
ら繰り出すLCAC(大型ホバークラフト)で戦車な
どの大型車両を砂浜から上陸させることができ,車両
運搬が主 なお,LCACは 2 艇搭載され,1 艇あた
り,戦車なら 1 台,大型軍用トラックなら 5,6 台を運
べる 呉配備の同型艦 2 艦(しもきた,くにさき)と
ともに,近く飛行甲板を強化拡充し,甲板と船倉との
間で航空機を移動させるエレベーターを大型化してオ
スプレイを運用できるようにするとともに(もっとも
すでに同型艦にアメリカ海兵隊のオスプレイが着艦し
たことがある),アメリカ海兵隊モデルの水陸両用車
(武装兵員を海から砂浜経由で敵前上陸させる装甲車
両)を運用可能とするドック部分の改修もする 1998
年,呉基地配備の際には,外地に戦車など戦闘部隊と
装備を運ぶ大型艦であって専守防衛の建前を踏みにじ
るものという理解の下,ピースリンク広島・呉・岩国
などが配備反対の継続的キャンペーンを張った。
【海上衝突予防法】
海上における衝突の予防のための国際規則に関する
条約(1972 年)の国際規則に準拠して,昭和 52 年に
全面改正された「海の道路交通法」
基本ルールとしては,・右側通行(9 条,14 条),・
追い越しの場合,追い越し船が相手方船舶の進路妨害
禁止義務を負う(13 条),・行き会い(すれ違い)の
場合,互いに左舷側を通過,衝突するおそれがあると
きは右にかじをとるべし(14 条),・横切り(互いの
進路が交差)の場合,相手方の船を右側に見る船が相
手方の船を避けなければならない(右方優先:陸上の
道路交通法と逆)(15 条)と至ってシンプルだ。
21
PL NO,86
広島生活3年を振り返って・・・
2015.1.1
藤澤宜史
間もなく広島での3年間の生活が終わろうとし
思い起こせば学生時代の1990年ごろ、グル
ている。転居前の慌ただしさと最終日まで広島市
ープで毎年8月6日に広島に来たものだ。原爆資
民でいたいという思いが交錯し、まだ「振り返る」
料館を見学するだけでなく、被爆者の証言を聴い
という気持ちになりきれていない。とはいえ、本
たり、当時は本川小学校横にあった韓国人原爆犠
号を通じてお世話になった「ピースリンク広島・
牲者慰霊碑の前で関係者の話に耳を傾けたり、原
呉・岩国」の皆様にあてて思いつくままに書き綴
爆ドームの前でダイインをしたり、中曽根句碑の
ってみたい。内容的にはメンバーと交流し酒を酌
前での抗議集会に参加したり…。
み交わす中で話題にしたことと重複すると思うが、
それから20余年後、転勤と言う形ではあるも
のの神奈川県藤沢市から転居して「広島に住める
その点はご容赦下さい。
んだ!」という期待感が強まった。
広島に住めるんだ!
ちょうど3年前の12月、東京勤務だった時に、
被爆地ヒロシマなのに
広島への異動内示が出た。勤務地は東広島市西条
広島に来る前の私の関心事は、被爆体験を持つ
だが私は広島市街で賃貸住居を探した。これは被
広島に住む人々は反戦平和意識が他の地域よりも
爆地ヒロシマに自ら身を置くことによって、反戦
強く、平和運動も盛んに行われているのだろうと
平和の思想や現在の諸問題について自分の考えを
思っていた。しかし、実際に住んでみると、私の
深化させてみたかったのだ。
ごく知る限りではあるが、そうでもない感じがし
た。この3年間で、例えば集団的自衛権閣議決定
や、上関原発建設、特定秘密保護法のような市民
社会を脅かす大きな節目の反対デモや集会の参加
人数では、大都市並みにはならないとしても、
「こ
こは被爆地ヒロシマじゃろ。もうちょっと盛り上
がりを見せなければならないのに…」と思うこと
もしばしばであった。今や広島も他の都市と同様
に無関心層が増えてしまったのだろうか。市民運
動でも労働運動でも構わないので、いかに大衆運
写真:秘密法廃止を求める広島市民デモにて
動として面的な広がりを作っていくかを考えない
マイクを持ちシュプレヒコールをする筆者(手前
といけない。若者に対しても同様だ。以前何名か
中央)
の高校生が原爆ドーム前で核兵器廃絶の署名運動
(2014 年 5 月 3 日
中電前付近)
をしていたので、私も進んで署名したことがある。
記入しながら、「原爆はいけんよね。じゃあ原発
は?」と尋ねた私に対し、この高校生は「えっ」
22
PL NO,86
2015.1.1
といった表情で黙ってしまった。ひょっとしたら
各地で反響も出ている作品だが、残念ながらこの
原爆と原発の関係性に思いが至らなかったのかも
映画も被害だけの視点から平和を訴える内容にと
しれない。私は「原子力の平和利用」をキーワー
どまっている。沼田鈴子さんをさらに知ろうと思
ドにしていろいろ調べてみたらいいよ」と言った。
えば、広岩近広氏の2冊の著書『青桐の下で-「ヒ
ロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(明石書
店、1993 年)と『被爆アオギリと生きる-語り部・
加害と被害の両面を
毎週月曜日掲載の中国新聞「平和」欄。被爆者
沼田鈴子の伝言(岩波ジュニア新書、2013 年)を
の証言を中心に、関連の催事案内だけでなく中高
お薦めしたい。
生記者も活躍しており、私はよく読むようにして
いる。ただ全体的に被害者としてのヒロシマを重
命の大切さ、平和の尊さを言うなら
点的に訴えてきて(もちろんそれは語り継いでい
命の大切さ、平和の尊さを訴えるのなら、70 年
くべきだが)、加害の歴史についての記事があま
前の原爆投下の歴史を語り継ぐだけでなく、現在
りないようである。たまに広島とは限らないが、
の諸問題にも取り組まなければならない。平和都
自らの軍隊時代の加害経験を発言する人も出てき
市ヒロシマの周囲を見渡してみれば、米軍岩国基
ている。加害の証言は勇気のいることだと思うが、
地、米軍の飛行訓練空域エリア567、呉市や江
これもまた後世に伝えていかなければならない史
田島市などの自衛隊、東広島市八本松の川上弾薬
実である。中国新聞はこのようなネタも取り上げ
庫、原発だと伊方、島根、上関(計画)がある。
て、加害と被害の両面で平和を訴えてほしい。
私のこの問題意識にピタリと符号し、すでに 1989
年から活動していたのが当「ピースリンク広島・
映画『アオギリにたくして』にエキストラ“出演”
呉・岩国」である。湯浅一郎さんの『“平和都市
故沼田鈴子さんの生涯を通じて平和を訴える劇
ヒロシマ”を問う』(技術と人間、1995 年)は2
映画『アオギリにたくして』が 2013 年に公開され
0年前の本で情勢が変化した部分もあるが、設立
た。今年の夏には 8 月 6 日の週に「八丁座」で上
の趣旨と一致する内容となっている。地域と地域
映されたので、ご覧になった方もおられると思う。
を結び、過去と現在を結ぶ「ピースリンク広島・
私はこの映画に市民エキストラとして関わり、オ
呉・岩国」の活動は、もっと多くの人に知られる
ーディションの結果セリフのない重症患者の役を
べきである。と言うわけで、私は自然と会合や集
与えられた。撮影は 2012 年 9 月上旬。佐伯区湯来
会に出かけるようになった。広島で多くの原爆・
町の湯来保養園の敷地内に被災地と仮設診療所の
平和関連の書籍を読んだが、やはり「ピースリン
セットがしつえられ、エキストラは早朝から現場
ク広島・呉・岩国」を通じて多くの方と知り合い
で待機した。被爆直後に節子(沼田さんのモデル)
になれたことの方が財産である。3年たってこれ
が家族に発見される場面と、父親(風見しんご)
から皆様との交友関係を深めようという矢先だっ
と母親(斉藤とも子)が医者に延命のため節子の
ただけに、正直なところ去り難い思いである。お
左脚を切断するよう頼む重要な場面においてそれ
世辞ではなくまたいつの日か舞い戻って来たい。
ぞれ2秒ほど“出演”した、というより背後に映
このため、「さようなら」と言うよりは「いった
った。
ん広島を離れます」という気持ちが強い。お世話
になり、ありがとうございました。(了)
23
PL NO,86
2015.1.1
【11 月「世界の艦船」12 月号】から、ジョージ記
島嶼防衛の特集の中で,「いずも」とその次の同型ヘリ空母の配置計画の予想を含む論稿が載る 舞鶴の古いヘリ護衛艦
「しらね」が退役することに伴い,来年 3 月に「いずも」が横須賀に配置,横須賀の「ひゅうが」が舞鶴に転籍,そして,佐世保
の古いヘリ護衛艦「くらま」が退役する際,24DDH(「いずも」の同型艦)が呉に配備,呉のいせが佐世保に転籍であろうとい
う。この文書の筆者は元第一輸送艦隊司令というから信憑性がありそう。そして,更に呉には数年のうちにイージス護衛艦
と大型新強襲揚陸艦(2~3 万トンクラス)が追加配備される可能性があると思っている。
活動の報告(2014年)9月~12月
講演:田中利幸、土井桂子
さようなら上関原発!10・25 反原発集会
祝島島民の会など主催(室津)
26日(日) STOP!川内原発再稼働広島集会・デモ
【11月】
2日(日) 憲法改悪全国交流会相談会(名古屋)
3日(月) 憲法のつどい
講演:津久井進
15日(土) 「大久野島で体験したこと」
お話:岡田黎子(呉YWCA主催)
29日(土) AWC岩国集会(30日まで)
第17回被爆・戦争体験を聞く会
証言者:森田節子
【12月】
5日(金) 辺野古新基地建設反対ヒロシマ集会
講演:安次富浩(PL等実行委主催)
6日(土) 秘密法強行採決1周年抗議集会・デモ
(広島弁護士会、
秘密法ネット主催)
7日(日) 湯浅一郎さんを囲む交流会
8日(月) 不戦の誓いヒロシマ集会
講演:湯浅一郎(平和センタ等主催)
18日(木) ピースリンク広島例会
25日(木) ピースリンク呉例会
【9月】
7日(日) ピースリンク呉講演会 湯浅一郎さん
18日(木) ピースリンク例会
21日(日) 教科書採択県民ネット講演会
「民主主義から国家主義へ」 伊賀正浩
27日(土) 再稼働阻止全国ネット相談会
(薩摩川内市)
28日(日) 川内原発再稼働反対ゲート前集会
ストップ!川内原発再稼働全国集会)
【10月】
1日(水) 平和を考える市民の会・三次 講演会
知花昌一
4日(土) 戦争をする国にしてはならない!
ヒロシマ集会(講演:大江健三郎)
5日(日) 呉 9 条の会連絡センター「音楽と講演」
九条の会はつかいち総会記念講演会
11日(土) 伊方行動(平和船団中止)
ゲート前座り込み、申し入れ
13日(休) 平和船団予定(台風のため中止)
17日(金) 愛宕山控訴審第2回審理(広島高裁)
19日(日) 第28回伊方集会
岩国市議会議員選挙告示
20日(月) 島根3号炉差し止め訴訟(松江地裁)
25日(土) 日本軍「慰安婦」ネット講演会
ピースリンクニュース 86 号 2015,1,1
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