Comments
Description
Transcript
広場 PTAの声[PDFファイル:259KB]
豊かに生きる」という意味を再度問いかけて 綾瀬市立綾西小学校 PTA 会長 私達を取り巻く社会情勢は,随分と難しくなっ て,行先きは真っ暗だというのに,その認識は非 常に甘いのではないのかと感じます。 日本の高度成長期は 1950年代に始まり,目標 に向かってパワフルに走り続け,発展してきたわ 中世 隆 なくなったことは,いちばん大きな問題であると 思います。 やはり,親は子どもたちに「頑張る心」の尊さ を教えてやらないとダメなんだと思います。 多様化した時代に,子どもの幸せを えると, けですが,ここで日本は大きく間違ってしまった 子どもには自立して生きていく力を備えさせるこ と思います。お金があれば成功というか,幸せな と,そうした意識を持たせることが親としての責 生活ができると えて,そのような方向に進んで 任でしょうし, 自立し,自分自身に責任感を持 しまい,みんながモノの豊かさだけを追求して, って生きていくようになれ」と子どもを叱咤激励 精神的な部分は,ずうっと成長せずにきたことが, することが必要だと思います。そういったことを 今日の課題であると思います。つい最近までは, 教えていくには,私たち親にも勇気が必要ですが, 多くの人が,一流大学・一流企業に入りさえすれ お互いに真剣勝負で学んでいくことも重要だと感 ば,終身雇用・年功序列で平和な生活ができると じました。 思っていたはずです。しかし,その図式はこの5 本物の時代!」私たちは経済の発展のみでは, 年ぐらいで変わってしまいました。90年代には 真の豊かさは得られないことを知りました。社会 大銀行・大企業が破綻し,企業がリストラをする における混迷は,新しい価値尺度によってもう一 時代になって,生きていく上で,国家も企業も当 度測り直さなければならないことにも気づきまし てにならなくなってきました。一流大学・一流企 た。現在持ち続けている価値観の多くを捨て去る 業に行かなければどうしようもない時代から,あ 決意を迫られているわけですが,一人ひとりが, らゆる人に可能性のあるおもしろい時代になって 豊かに生きるということをもう一度 えて,豊か きました。 さのあり方を再構築していくことこそが,社会に しかし,言い換えれば,可能性はあるが責任も ついても,企業にとっても家庭そして道徳につい すべて自分自身にあるという,自分の力で生きて てもあてはまるものであり,生き生きと協和する いかなければいけない時代になったのではないで 本物の時代を築くためのキーワードであると思い しょうか。PTA 活動を通して感じたことは,今 ます。 その認識が足りないことです。そこで,重要なテ ーマになるのは,子どもをどう育てるかだと思い ます。 私たちの親や先輩方は,戦争体験を含めて大変 な苦労をしてきたからこそ,自分たちの味わった 苦労を,子どもにさせないように我々を育ててく れました。私たちは甘えることに慣れて,自分の 子どもを,必要以上に過保護に育ててしまってい ます。そして,自分たちの育て方に疑問すら持た 45 築こう!学びの意欲につながる心の耕しを! 元松任市 PTA 連合会長・元松任市立松任中学校 PTA 会長 石川県松任市は,霊峰白山を望む金沢平野の中 高畠 寿子 図書館司書の配置 平成 12年度に,県下で初め 心に位置しています。市の大きさは,東西約 8.5 て市内の全小・中学校に図書館司書が配置されま km,南北約 12km に広がり,面積は約 60km, した。このことは,生徒に驚くほどの効果をもた 人口は約6万7千人です。田んぼや森が多く,の らしました。松任中学校の場合,暗い倉庫のよう どかな田園都市といったところでしょうか。市内 な図書館が,明るくさわやかな空間に生まれ変わ には,小学校9校,中学校4校の計 13校があり り,昼休みともなると,生徒がひっきりなしに押 ますが,すべての小・中学校で近年実施されてき し寄せ,まるで満員電車の状態です。中には,廊 た意欲的な試みを紹介します。 下に座り込んでむさぼるように本を読んでいる生 2学期制」と「少人数教育」の導入 2学期制 徒もいます。図書館司書が配置され,図書館が機 は,平成 15年度より市内の全小・中学校に導入さ 能するというのはこういうことだったのか,生徒 れました。この2学期制は,4月から 10月前半 は本当は本を読みたかったんだと目から鱗が落ち を前期,10月後半から翌年3月までを後期とす る思いでした。現在,1人当たりの貸出冊数は, るものです。2学期制の利点は,夏休みなど長期 以前の3∼4倍になっています。司書は,月1回 休業を学期の中に入れることによって,学びの連 の連絡会議を通じて緊密に情報交換をしたり,ま 続性と,先生が子どもと向き合うことができるよ た,北陸随一の蔵書数を誇る市立図書館とも連携 うになったことです。そして,1人ひとりに応じ して,生徒の要望に応えようと努力しています。 たきめ細かい指導ができ,基礎学力の確実な定着 子どもの居場所を作ろう この他,各学校で工夫 が図れるようになりました。特に,各学校で盛ん を凝らして「親子で生き方を えよう」という行 に行われている「調べ学習」では,学習効果が上 事に取り組んでいますが,その結果「子どもを見 がっているようです。 る目が変わった」 「お父さんを見直した」という また,平成 14年度から全小学校1年生を対象 嬉しい声が寄せられています。 に,少人数教育が導入されました。松任小学校1 現在,私達は学校教育も含めた日本の教育全体 年 118人の場合,本来ならば 40人,39人,39人 の大きな変化の中を漂っています。子どもを取り の3クラスに分かれるところを,それぞれのクラ 巻く環境もどんどん悪くなっています。このよう スを 30人,30人,29人,29人と少 人 数 に し, な時代であるからこそ,親や保護者の方々は,も 増えたクラスには,市臨時教員が入るというもの っと子どもに目を向けて欲しいし,学校に関心を です。この試みが実施された当初,保護者の方か 持ってもらいたいものです。図書館司書1人を配 ら「少人数クラスより,2人担任制の TT 方式 置することによって,何百人もの生徒の居場所が の方がいいのでは」という不安の声が出ていまし できたのです。学校・家庭がきちんとその機能を た。ところが今では, うちの子,何か落ち着き 果たして,子どもの居場所を作ってほしい,そう が出てきたようで」 「学校が楽しいって喜んでい することが,学習意欲につながる心の土台を築く ますよ」といった声に変わってきました。先生方 ことになると思います。 学校が面白い」「家が楽 も,子ども1人ひとりに目が届くようになり,き しい」と思う子どもが,1人でも多く増えて欲し めの細かい指導ができるようになったと好評です。 いと願うものです。 46 親子で響き合う共通体験を 坂口 一美 大阪府 PTA 協議会副会長・箕面市立萱野小学校 PTA 会長 私達 PTA の一番の願いは「子どもの健やかな 昔は,子は親の背中を見て育ち,親以上に近所 成長」です。いじめや不登校,家庭でのひきこも のおじさんやおばさんに,人生の生き方を教えら りなどが大きな社会問題となり,指摘される子ど れたとよく言われています。時代やかたちは変わ もの課題は枚挙に暇がありません。近年,親と子 っても,子どもと大人の触れ合う時間を共有し, に関わる憂慮すべき事件が相次いで起こり,きわ 共通体験を持つことがとても大事だと思います。 めて深刻な状況です。社会の変化とともに家庭や 2年前に行われた チベットの学校建設を応援 地域社会の教育力の低下も指摘されている今日, しょう という総合学習での取り組みは,地域の 子どもの教育は単に学校だけでなく,学校・家 方をも巻き込み,辛かったけれど感動的なものと 庭・地域社会がそれぞれ適切な役割分担を果たし なりました。昨年は,チベットの子どもを萱野小 つつ,相互に連帯していくことが非常に大切なこ で受け入れ,交流とホームステイの実現へとつな とだと言われています。学校の OB,OG や地域 ぐことができました。一生懸命取り組んだ後の子 の有志等の参加や協力を得ながら,家庭と学校が どもの顔は,晴れ晴れとしていました。また,1 連帯して行う活動,家庭教育に関する学習活動, 年以上の交渉の末,車椅子の木村さんが介助犬シ 地域教育環境の改善の取り組みなどを含めて,そ ンシアを伴って本校で講演されたときは,子ども の活動の充実を図ることが期待される今,学校や は深い感動に包まれていました。 家庭さらには地域社会を結ぶ架け橋として PTA 活動への期待の高さをますます感じます。 本物に触れたときの子どもの表情は,本当にキ ラキラ輝くのです。子どもに対する親の夢や希望 萱野小学校の PTA は, 『(p)パット(T)楽し は子どもが反抗期や思春期を迎えたとき,打ち砕 く(A)集まろう!』のテーマのもとで“参加から かれ,修復できないほど親子の関係が壊れること 参画へ”を目指し,学校・地域と連帯する行事は もあります。しかし,共通体験を持っている親子 もとより,三者が協働で る人権総合学習などへ は,必ず響き合うことができると確信しています。 積極的な参画を行ってきました。活動を通して, 米作りは,土を耕やし(耕起),代かきや除草を 地域の中で一人ひとりの子どもの顔が見えてくる して稲を生育させますが,そうではなく,土を耕 ようになり,親同士も地域の人も学校・子どもを さないでお米を作る不耕起栽培というのがありま 中心にして繫がりが深まってきました。 す。田んぼを耕さないでいると年々雑草が減って さらに,本年度は「PTA」の活動を「PCT」 きて,除草剤を使わない無農薬で米を作ることが を柱とした活動へと展開しています。子ども(C) でき,稲は冷害にも強くなるそうです。草や虫を を中心に親(P)と先生(T)が地域(C)と共に子ど 敵とせず,自然のもつ力にまかせることで稲が強 もを育てる環境を ること,時間の軸の長さで子 くなるというこの栽培方法は,手抜きではなく, どもを育んでいくことが「PCT」の活動です。 忍耐とこの農法のよさの確信が根底にあります。 キーワードは「共通体験・共感・感動」 「人との出 子どもの持つ力を信じ,自立や個性の芽を育み, 会い」 「本物に触れる」です。こういった場と機 忍耐強く子どもと向き合い続けること,そして子 会が,子どもの育ちの中でいつか「夢」や「支 どもを変えるには,まず大人が変わることが大切 え」「自己実現」につながると であると感じています。 えます。 47 一連の教育改革の結果,教育は果たしてよくなったのか? 元社団法人日本 PTA 全国協議会会長 岡部 観栄(臼杵市教育委員会教育長) 改革すべきは学校か? 現代の学校は,一見する る。そしてさらに事情を悪化させているのは,状 と,私が小学生であった昭和 30年代に比べ,格 況を反省すべき大人も変化してしまっていること 段の改善がなされているかのように見える。施設 である。ここではテレビやゲームは代表として掲 は立派になり,詰め込み式教育も反省され,教員 げるに過ぎない。しかし,本当に教育を改善しよ 1人当たりの児童生徒数は減少した。教科書は工 うと思うのなら,テレビやゲームを変える意志を 夫され,給食もおいしくなった。教職員組合と行 持たねばならないことも事実である。 子どもは 政当局の政治闘争はほぼ終止符が打たれている。 十分理性的であり,情報を鵜呑みしているわけで その時々の問題に対応し,行政や立法当局が頭を はない」といった言い訳を私は信用しない。テレ 悩まし,改革を続けてきた結果である。 ビが自らを断罪し,大胆な改革に踏み切らないか ところが,学校に対する不満や批判はいっこう ぎり,私はテレビの教育に関する言説を信じない。 に止みそうにない。マスコミや保護者は,児童生 宗教と徳育教育と 最後に,宗教と教育の関係に 徒に絡んだ事件や問題が発生すると,いまだに学 ついても言及しておきたい。宗教も教育もともに 校に批判の目を向ける。その批判が正当な場合も 「教」の字を共通に持つ。ともに人間の獣性を矯 あるだろう。しかしながら,教育改革と称して学 め,よりよい方向に導く機能を持つからである。 校制度をいじくりまわし,果たして問題とされる しかしながら,日本では,宗教が日常の倫理とし ものが改善されるのか。教育荒廃と言われる状況 て機能していない。アメリカの犯罪の恐ろしさは の根本原因は本当に学校にあるのか。 日本の比ではないが,少なくともアメリカにはピ 私は,学校を改革して「事足れり」とする行政 ューリタンの信仰を基盤とした強固なキリスト教 やマスコミの対応に接するたびに,本当の問題を 倫理が根づいている。イスラム教もユダヤ教も人 隠匿する卑怯を感ぜずにいられない。特にマスコ 間に強く倫理を求めることに変わりはない。 ミの姿勢には,言葉はきついかもしれないが,救 翻って日本はどうか。神も仏も信じない無神論 いがたい自己欺瞞を感じている。 のニヒリズムが蔓延するこの国で,倫理の歯止め 本当に改革すべきもの 現代の教育が抱える問題 は利くのだろうか。かつては恥の文化が日本人の の多くは,学校に原因があるのではない。むしろ 倫理を形成したという。しかし,どうやら恥の文 問題は,過剰な刺激で脳を退化させるとしか思え 化は過去のものとなったようである。これから一 ないテレビ番組であり,劣情や暴力を誘発するゲ 体,日本人は何を倫理の拠り所とするのか。 ームであり,そのようなテレビやゲームに釘付け もちろん倫理については,第一に家庭に期待し させている家庭での躾である。子どもは一面では たい。しかし,家庭は,政治や行政で変えること 非常に早熟化している。ところがそれとは裏腹に, はできない。ならば制度として改革可能な学校で 生きる基礎である体力を失い,正常な発育と成長 は,何を行うべきか。もし,このことを真剣に が阻害されている。バーチャルで所属不明な情報 えるのなら,日本における徳育教育は,あらゆる の洪水を毎日何時間も浴びながら,子どもの社会 教科の筆頭に置かれるべきであり,あわせて宗教 認識は大人の想像を易々と超えてしまう。学校が 的情操の涵養をしっかりと行う。これが私の率直 悪くなったのではない。子どもが変化したのであ な意見である。 48