Comments
Description
Transcript
サンプル
日常リビングデッド 奈良橋は死んだまま生きていた。 しはん 比喩でなくそのままの意味で。背中と腹部には数个所の死斑がある。体温は気温と同じだ。医者に診ても らった処、 「ああ死んでますね。瞳孔開きっぱだし。不思議ですね。あなた何で生きているんですか? ははは」 とデス告知されてから二年余りそんな状態だった。 膝の肉をめくると皿の部分にひくひく蛆とミミズの二種類が数匹ずつはいずっていて奈良橋はそれをつま んで食べた。蛆虫は歯で、ぷちゅっと潰すとクリーミーな甘味が広がる。ミミズは塩辛のような味がした。 お腹が空いた時はいつもスナック感覚で食している。 たなこ 今日、何度目かの排尿をトイレでした。水は流さなかった。溜まったコーラみたいな色の水面。泡立って ほのかに薄緑ですらある。芳香がやや甘いので糖尿の恐れがある。 時間帯がまだ早いので流さない。夜になってから流す。下の階に住む、酒井を気遣っての事だ。店子だ。 毎月9万8千円の家賃収入を奈良橋に与えてくれる大事なお客さんだ。 奈良橋は働いていない。三年前に大腸ガンで死んだ父親は一階と二階に別れた一戸建を残してくれた。倹 約すれば家賃収入で何とか生活していける。職を探す気もなかった。世の中をヌラッと観察するつもりだっ た。 完全に自分が滅却するその日まで。 3 母親は彼が十代の頃にやはり大腸ガンでこの世を去った。孤独ではあるが、これ以上親の葬式をあげない で済む気楽さ。 はら それにしてもどうして両親は末期になるまでガンを放置していたのだろう。最近その理由が段々分かって くる様な気がした。でもそれは恐ろしい予兆を孕んだものだった。―― 赤いスカートの女は浴槽に赤い塗料をたぷたぷと入れ、シンナーとミネラルウォーターを入れて混ぜた。 鼻歌を唄いながら足で撹拌して濃さを調節する。うずまく波紋が美しい。それから呪文を唱えると一気に 浴槽に浸かりブツブツ言う。 「赤血球に友達が増えましたでも私はまだまだです世の中は広いものですから赤血球の申し子たるこの私は もっともっと赤い何かを探すこれが私の修業なのです頑張りますのでオーディエンスの方々カタカタカタカ タカタカタカタも応援よろしくお願いしますね」 顔と髪の毛も中で洗う。カラダを小さくして赤い海の中をぐるぐる回転する。四肢をバラバラに動かして たっぷりカラダに染み込ませる。眼球に赤いペンキが入ると刺激して頭にギチギチと響いて気持ちがいい。 肥大してプライドが高く、もっと赤いの探しに行こう。赤い靴下赤い靴。履いて出掛ける深夜のコンビニ。 奈良橋は皮張りのソファにふんぞり返ってテレビを観ている。ペットボトルに入った冷やし出汁スープを ごくごく飲む。豚足をしょう油とかつおぶしで煮こんで裏ごしし、冷凍庫で凍る寸前まで冷やしたものだっ 4 日常リビングデッド た。コラーゲンを凍らせずにキンキンに冷やすのは意外と難しい。丁寧な出汁なので美味い。 むくろ が、これを飲むと無性に煙草が欲しくなる。そしてそれを吸う度に遺伝系質の大腸ガン細胞が日々肥大成 長を遂げるのだが、もう既に死んでいるのだからガンになろうと関係はない。どうせ骸だ。 トイレが近い。近頃、排尿すると膀胱にモソモソと這いずる感覚がある。こそばゆい。貯留した糖分を漁 る為に蟻が内部に潜んでいるのかも知れない。中で卵を産みつけやがったのか。暑い。シャツが肌にひっつ く。煙草に火を点ける。遠くで赤ん坊の泣き声がしたので両手で耳を塞ぐ。 でんぱ テレビの画面ではガール中曽根とかいう大食い女が腹も裂けよとばかりにエサを喰らっている。世界には 餓死者もあるというのに、必要以上に喰らっていやがる。このまま観続けていると、馬鹿が伝播する心持ち がしたのでテレビのスイッチを切った。 死は甘受するが、馬鹿に埋もれるのは嫌だ。食を愛すが、食に溺れるのは嫌だ。 経験則でなく妄執で奈良橋はそう思った。 一階。酒井の居室。 「ねえ上の大家何で物音立てないんだろうね。さっきもあからさまトイレ行ったのに水流さなかったじゃん」 「いつもそうだよ。気を遣ってんじゃん」 「ああ大家大変だ。必死だ」 「それか気ぃ狂ってるかのどっちかかも」 5 「マジで?」 「後者かもね。いや。でも暗いかんな。顔死んでるし、ちょっと軽く死臭がすんだよな。チーズ臭が」 「もう死んでんじゃないの?」 「時々死ぬとか言ってる声聞こえるし」 「死ぬ死ぬ言うんだったらさっさと死ねばいいのにね」 「ははは言い過ぎ。一応、大家さんだからね。てかお前って時々毒吐くよね」 そのまま二人はうだる夏のファックに突入する。 不意を突いて電話が鳴った。 もう動いてない心臓が再び止まりそうになる奈良橋。 「もしもし奈良橋さん?」 「はい」 「セリフ憶えられましたか?」 「はい。行きの電車ん中で憶えます」 「そんなんで大丈夫ですかって言ってんの」 「はいと思います」 「そこら辺のプライドとかちゃんとアレして下さいよねって言ってんの」 6