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無実の死刑囚・元プロボクサー 袴田巌さんを救おう

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無実の死刑囚・元プロボクサー 袴田巌さんを救おう
無実の死刑囚・元プロボクサー 袴田巌さんを救おう!
第 22 号
2006 年 9 月 30 日
袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会
424-0006 静岡市清水区石川本町 16-18
電話:0543-66-2468
郵便振替口座:番号 00890-7-185276
FAX:0543-66-2475
名称:清水・静岡袴田巌救援会
ホームページアドレス: http://hakamada2.exblog.jp/
ホームページ(ブログ)のアドレスが変わりました。注意して下さい!!
輪島功一さん 袴田さんとの面会叶わず!
9 月 13 日、東日本ボクシング協会会長輪島功一さん(袴田巌再審支援委員会委員長)
をはじめとする再審支援委員会実行委員長の新田渉世さん(新田ジム会長)や支援委
員会の金子健太郎さん(金子ジム会長)は 姉・袴田秀子さんと共に東京拘置所で袴田
巌さんとの面会を試みましたが、
当局による面会人の制限と、本人
の面会拒否によって、袴田さんと
の面会が叶いませんでした。その
後直ちに輪島会長は秀子さんと
共に拘置所事務官と面談し「袴田
さんとの面会が出来るよう、当局
側の努力を!」とお願いしてきま
拘置所を出る新田さん、秀子さん、輪島さん
した。
なお、この日の前日(12 日)には、後楽園ホールで多くのボクシングファンに、最
高裁への要請文の作成をお願いしました。
10 月例会は
清水辻公民館 1F
清水辻公民館
第 1 会議室で
テーマ:
「みそ漬け衣類の再現実験」
を、行います
ぜひ、ご参加下さい!
-1-
JR清水
10 月 7 日(土) 午後 6 時~9 時
11 月 20 日(月)は 最高裁へ!
日 時:11 月 20 日(月) 午前 8 時から
場 所:最高裁判所 西門前集合
地下鉄 永田町駅 【地下鉄半蔵門線・有楽町線・南北線】 南門・西門まで徒歩約5分
(4番出口から青山通りを三宅坂交差点(東)方向へ,2番出口も同程度)
国会議事堂前駅 【地下鉄丸ノ内線・千代田線】
南門・西門まで徒歩約15分
(1番出口から国会裏側の通りを国会図書館(北)方向へ)
行動内容: 通行人・最高裁職員に対するチラシ配付
担当裁判官、調査官に対する要請行動
私たちは、最高裁が一日も早く袴田さんの再審を開始するように、最高裁に対する
要請行動を考えています。その一環として、11 月 20 日(月)に 東京・再審を求める会
と共に最高裁判所に要請書を提出することになりました。
1980 年(昭和 55 年)11 月 19 日、最高裁判所は袴田さんの無実の訴えを無視し上告
を棄却してしまいました。 この上告棄却によって、袴田さんの死刑が確定し、死刑
囚としての袴田巌さんの生活が始まったのです。
最高裁で上告が棄却されて以降、
「確定死刑囚」としての 25 年にわたる拘禁は、袴
田さんの心を徐々に蝕み、1985 年頃より次第に拘禁ノイローゼがひどくなりました。
そして、1990 年頃より次第に面会を拒否するようになりました。 そのころまで姉・
秀子さんへ毎日のように書いていた手紙も徐々に来なくなりました。
姉・秀子さんが最後に面会したのが 2003 年の 3 月 10 日です。 それからすでに 3
年 6 ヶ月が経過しています。 この間東京高裁の即時抗告棄却の決定があってもです。
「房から出れば、死刑が執行されるかも」との思いが、袴田さんにはあるのかもしれ
ません。
袴田さんが安心して面会人と会えるためには、一日も早く再審開始の決定が必要な
のです。 もう一刻の猶予も許されないのです。
そこで、私たち「袴田さんの無実」を信じている一人ひとりの声を「書面」に記し
最高裁に提出したいと思います。
みなさんにお願いがあります。 内容は自由ですが、最高裁に提出する「書面」を、
みなさん一人ひとりに、自筆で書いて頂きたいのです。
書面のタイトルは「上申書」「要請書」「お願い」「訴え」など、自分が言いたいこ
とを書いて下さい。 書いた書面は、当会にお送り下さい。 多くの「書面」をまとめ
-2-
て、最高裁に提出します。
以下、例文を示します。
宛
参考にして下さい。
先
最高裁判所
事件番号
第 2 小法廷 御中
平成 16 年(し)第 258 号
「要請書」「お願い」「訴え」「上申書」など自由に
(案 1.)
私は貴最高裁判所に特別抗告を申し立てている、いわゆる「袴田事件」の
犯人とされている、袴田巌さんの無実を信じている者です。
袴田さんは逮捕されてすでに 40 年に及ぼうとしています。 袴田さんの逮捕と、常
識をはるかに超えた長時間の取り調べ。 被害者 4 人に骨まで切断するような傷を負
わせ、死亡させたとするにはあまりにもお粗末な工作用の小刀を凶器とした判決。 そ
して、一審公判途中に出てきた 5 点の衣類の出現など、袴田さんを犯人とするにはあ
まりにも疑問が多いと思います。
ぜひ、一日も早く裁判のやり直しを行い、事件の疑問点を明らかにして頂きたいと
思います。
日
付
(案 2.)
住
所
氏
印
名 ○
私は貴最高裁判所に特別抗告を申し立てている、いわゆる「袴田事件」の
犯人とされている、袴田巌さんの無実を信じている者です。袴田さんを有罪とした根
拠である、ズボンはとても縮んだものではありません。ただ味噌に漬かっただけで袴
田さんの太ももでつかえてはけないなど、到底袴田さんのものとは考えられません。
どう見ても初めからサイズが小さすぎます。 ぜひ、最初から裁判をやり直し、私が
疑問に思っていることを明らかにして下さい。そして、一日も早く袴田さんを自由の
身にして下さい。
日
付
住
所
氏
印
名 ○
11 月 20 日(月)の最高裁要請行動は、早朝からの情宣行動から始め、午
前中に最高裁の担当者との面会を行いたいと思います。
参加できる方はぜひ協力して下さい。
-3-
獄中 40 年
袴田巌さんは無実だ!市民の集い
小澤優一弁護士 講演要旨
私は 1969 年4月に弁護人登録をしました。 この事件の一審静岡地裁での判決が下
されたのが 68 年 9 月です。 その後、控訴審の弁護の依頼が東京合同法律事務所の上
田誠吉先生のところに来て、その事務所に入った福地明人弁護士(袴田事件弁護団)か
ら、一緒にやらないかと誘われ、やらせて貰うことになり今日に至りました。
東京高裁での審理が実質的に争う機会でしたが、残念ながらそこで良い結果を出す
ことが出来ませんでした。現在の弁護団の若い方々から厳しい批判も受けております
が、再審の成功のために昔の経験もお伝えし少しでもプラスになればと思っておりま
す。
私がこの事件に関わった大きな理由の一つは第一審死刑判決に対する違和感です。
判決文を読んでみて「何だ!これは」と思いました。この判決文は少し変わっていて、
初めに自白によらない
いくつかの証拠の評価
があり、45 通の自白調
書のうち、 採用した1
通と大きな矛盾がない
ので有罪であるとの構
造になっています。 と
ころが客観的事実と自
白調書の内容は全く違
うわけです。 例えば自
白調書ではパジャマで
犯行を行ったことにな
講演中の小澤先生
っていますが、事件の1年2ヶ月後に発見された、自白に無い「5点の衣類」を犯行
着衣として認定しているわけです。 しかもパジャマには放火に使った油や血痕の痕
跡があるとの鑑定があるわけです。 自白調書 45 通の内1通だけが証拠能力があるな
んてあり得ないし、犯行着衣など全く合っていないのに合っていると書いてあるので
す。これは絶対おかしい、というのが大きな理由です。
この事件は他にも多くの謎があります。 例えばいまの 5 点の衣類が犯行着衣であ
るとしても、これがなぜ味噌タンクの中にあるのか、真犯人がなぜそんなところに隠
すのか。 出荷の時に必ず発見される場所に証拠を隠すなど考えられません。 海の近
くですから、おもりを付けて海の中に放り込むなど、処分の方法はいくらでもあるわ
けです。 パジャマが犯行着衣でないなら、なぜ血液や混合油が付いたのか。 疑問は
-4-
様々あるのですが、これらを解明せず死刑判決を出してしまったわけです。
それ相当な理由がなければ、死刑判決は出さないにもかかわらず、 この事件では
一枚の布きれが決め手となっています。 5 点の衣類のズボンの共布です。 浜北の袴
田さんの実家に家宅捜索に行って発見された共布はズボンとぴったり合う。 これが
なぜか判らないまま死刑判決が確定してしまったのです。
再審請求審になってから一つのことに気が付きました。 たとえば、共布がズボン
のポケットにビニール袋に入っていて、その後別の動きをした可能性もあるのではな
いかと思ったのです。 そんな観点から記録を読み直すとおかしな点があります。 岩
田さんという刑事の証拠品発見報告書には「ズボンと同一生地、同一色と認められた
ので報告します」との記録があります。しかし、味噌漬けズボンは味噌の成分や水分
が染みこんでおり生地の色も感触も全然違うのです。 その後、鑑定人が 15cm四方
の布をズボンから切り取り、重さを量ったら 14gあった。洗って乾燥したら 6gとな
ったのです。8gの味噌の成分が入っていたことになるわけです。 そんな状態のズボ
ンと汚れのない共布とどうして同じと判ったのか。
また、発見から証拠申請の流れを見ると、検事は初めからズボンと共布が一致する
ことを知っていたと思える流れもあります。 これでは、この共布が決定的証拠とは
言えません。
もう一つ、浜田先生の自白調書の鑑定があります。 袴田さんがこの犯行を知らな
いことの証拠が自白調書の中にあるのです。 自白の中に被害者の奥さんが、お金の
袋を入れた甚吉袋を袴田さんの方に「投げてよこしました」という供述があります。
ところが、実際には甚吉袋は押入の中にあったのが発見されています。 「投げてよ
こした」という供述はウソの供述なのですが、そんなところでウソを言っても意味が
ありません。袴田さんは捜査官から聞いた情報を、頭の中で組み立てて、ストーリー
を作って、何とか厳しい追及から逃れようとした、と浜田先生は分析しています。
共布の説明にたどり着くまで 18 年かかりました。浜田教授の鑑定に出会うまでに
23 年かかっています。 また、取り調べの可視化の問題があります。自白が本人の意
志によるものなのか、取調官の作ったものなのか、これはこの事件だけでなく様々な
ところで問題になります。これらがこのように長期の裁判になった理由なのではない
でしょうか。(了)
質問者:ズボンの装着実験の様子をお聞きしたいのですが?
装着実験は劇的な場面はありませんが、袴田さんは躊躇なく「あれは自分には小さ
すぎると断言して、僕はあれをはいてみたい、はかせるようにしてくれ」と言ったの
で、 私たちが裁判所に申請してやることになりました。 袴田さんの言うとおり、は
けませんでした。控訴審で3回も同じ実験をやっている。 普通は、まず無いことな
ので、それなりに裁判官は関心を持っていたとおもいます。
最高裁では、こちらの上告趣意書に対する検察官の答弁の中で「本件は他の証拠が
-5-
なくても共布だけで有罪は明らかだ」と言ったことを覚えています。
■小澤先生は袴田さんの手紙によると 1969 年 10 月 15 日からになります。 福地先生と共に東京
高裁の控訴審の段階からの弁護人です。 現在の弁護団の中で最も長く関わった方です。
リングサイドで一体となる
事務局 野村 尚宏
私が、袴田巌さん救援会の活動に関わらせて頂いたのはゴミ問題に関するイベント
の反省会で、事務局長の山崎さんの隣に座った事に全てが始まりました。
なんとなく、音としての響きしか知らない『冤罪』という言葉。こんなにも身近な
事が、それまでは全く別の世界の事のように感じていました。 山崎さんから購入し
た袴田事件のブックレット、文庫本を帰ってから、読み始めその後に、体に電気が走
った感じがしました。
『全てが事実なんだ!』
『なぜ?こんな簡単なことが解決しないのだろう?』
その後、集会に参加させて頂き、驚愕!
関係スタッフ皆さんのその活動の年月。 自分の全く知らない世界がそこにありま
した。 それから、少しずつ知識を頂き、勉強をして全貌が見えてきた時、また、新
たに『なぜ?』が頭の中にいっぱいになりました。
私は小学校の頃、掃除の途中で、たまたま私の休憩を見た先生に、怠け者呼ばわり
されて、とても傷ついた記憶があります。 先生が現れた時だけ皆は掃除をして、私
だけが大きくあくびをしていました。そして、げんこつをもらってしまいました。
身近な、家族、母親、父親に対しても、誤解でしかられた記憶が今でも消えません。
やっていない事を、
一方的に、その絶対
的な社会的立場を利
用して押し付けると
いう現象は、日常い
くらでも身近な所で
起きていると感じて
います。
9月12日、私は後楽
-6-
園ホールに行きました。 多くのボクシングファンに、この事件を知ってもらい、一
日も早い再審開始に向けて、出来れば協力して頂きたいからです。チラシを配り、最
高裁への要請文の作成を依頼し、リング上で観衆にアピールする輪島功一さん(東日
本ボクシング協会会長、袴田厳再審支援委員会委員長)に対し、リングサイドで
『輪島さん!いいぞ!いいぞ!』
『袴田さん!私も応援してますよ。がんばって下さいね。』
を大声で叫んでいました。
叫んでいたのは私1人だったかも知れませんが、この次は、この仲間を2人以上に
増やします。
また、袴田秀子さんには、大きな勇気を感じさせて頂きました。
ありがとうございました。
■ 翌、9 月 13 日は東京拘置所に袴田さんとの面会を試みましたが、叶いませんでした。報告は
次号にしたいと思います。
立命館大学 法学部 葛野ゼミ
来静・袴田事件学習会と現地訪問
9 月 17 日(日)立命館大学法学部葛野尋教授(刑事法学)のゼミの3年生18人が
静岡市を訪れ、袴田事件の学習と事件現地訪問を行いました。学習会は呉服町ふしみ
やビル4Fで午前 10 時から午後 2 時ちかくまで
①「救援運動の歴史と今後」担当:楳田でスタート、市民運動の果たす役割やこれま
でのおもだった活動、世論喚起には展望
があるがなかなか決定的証拠が見つか
らない困難さについて話しました。
②「袴田秀子さんへのインタビュー」担
当:山崎では、秀子さんとの対談を通し
て、事件数日後、厳さんが普段と何も変
わらない様子で安心したこと、静岡地裁
で死刑判決が出る頃は獄中で一心に闘
う姿勢を見せていたこと。最高裁の死刑
確定以後心が不安定になり面会が出来
なくなるまでの様子など、山崎事務局長
講演中の黒柳弁護士
の質問に答える形で秀子さんがゆっくり語りました。
-7-
③「裁判の争点」では、弁護団から黒柳安生弁護士が講演され、自白の問題と浜田
鑑定の「秘密の暴露」に対しての「無知の暴露」について、また五点の衣類のねつ造
説主張をめぐる議論、ズボンが縮んだとする澤渡鑑定を覆す鑑定の必要性などについ
て話されました。質問時間では浜田鑑定の評
価をめぐる議論、未開示証拠の開示の必要性、
弁護士と市民の発想や行動の違い、弁護士や
市民の救援に関わることになった信念、裁判
官の判断の誤り、長期化した原因、名張事件
や布川事件との比較、教科書での内容と実際
のギャップなど話題になりました。
学習会の後、貸し切りバスで事件現地に向
かいました。途中、遅い昼食をとりましたが、
その間も学生たちと事件のことについて意見
交換をしました。
横砂現地で土蔵を見る
あいにく現地到着頃に雨が降りだし、短時間
で帰路につきました。土蔵とはなれのみが当時のママであり、工場はすっかり住宅地
の替わってしまったこと。裏木戸の位置。火災の煤で土蔵の壁に柱の跡が残ったこと
を話しました。葛野先生からも、学生からの現地を見たことは大変良かったと感想が
ありました。なお、当会からは数名の会員と、東京からは鈴木さんが参加しました。
=== 新聞報道から ===
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後楽園ホールで配布された東日本ボクシング協会の無料紙
「袴田事件」を知ってますか?が 掲載されている (事務局にあります)
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