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「カルマヨーガ -行動の道」

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「カルマヨーガ -行動の道」
「カルマヨーガ -行動の道」
親愛なる主なるバガヴァン シュリ サティヤ サイ ババ様の蓮華の御足に、伏して私の愛を
捧げます。
『バガヴァッド・ギーター』の中で、クリシュナ神はおっしゃっています。
ヨーガスタッ クル カルマーニ サンガム ティヤクトヴァー ダナンジャヤ
スィッディヤスィッディヨーホ サモー ブートヴァー サマットヴァム ヨーガ ウッチャテー
〔第 2 章 48 節〕
これは、
「アルジュナよ、成功と失敗への執着をすべて手放し、平等心によってあなたの義務
を果たしなさい」という意味です。このような平常心はヨーガと呼ばれます。
スワミは、カルマ(行動)に巻き込まれることなくカルマに従事することを学びなさい、と
説いておられます。カルマ(行動)は形式的に強制されて行うのではなく、人の性質の一部と
して行わなければなりません。太陽は水の蒸気を高いところに上昇させて、雲を形作り、雨と
して降り注がせます。誰もこのことをしてくれるよう神に頼んだわけではありません。あなた
がサハジャ・カルマ(自然な行動、自発的な行動)を行うなら、それが重荷(負担)になるこ
とはありません。その正反対の行いをする際は、苦しみを感じます。利益のために行われるカ
ルマは、その行動によって生じた結果を積み上げ、それが人を縛ることになります。それは雪
だるまのように増えていきます。しかし、結果を考えずになされた行動は、
(結果を)減少し
続け、あなたはすべての結果から自由になり、解放されます。カルマ(行動)は、意に反する
確かな兆しが示されていると感じながら、重荷に感じてなされてはなりません。あなたの進歩
の助けになるカルマが、あなたの重荷になることはありません。あなたの最も深い本質、意に
反した行動のみが、あなたの重荷に感じられるのです。手遅れになる前に、あなたの心(マイ
ンド)を神に委ねなさい。神の御心のままにして頂いてください。
霊的成功への最も直接的な方法とは、ニシカーマ・カルマ - 行動の結果生じる果実(報酬)
、
称賛(注目)を得るためではなく、それらの結果に関係なくなされ、義務としてなされた行動、
神への捧げ物、神への礼拝としてなされた行動です。行動と、行動によって生じた結果は、二
つのまったく別のものではなく、行動によってもたらされた果実(結果)そのものが、行動そ
のものになり、行動の最後の段階にあるものなのです。花は果実であり、果実は花です。行動
は結果そのものなのです。人の義務は行動することにあります。よく行動し、愛の中で行動す
れば、その結果は、花が実になるように自然と生じます。信仰心を持って熱心に行動するなら、
成功はあなたのものです。アルジュナはそのように行動していました。行動の果実を求めて、
あなた自身を束縛してはなりません。行動を神の御足に捧げ、神の栄光を称えましょう。あな
たの狭い心から逃れて、あなたをより広大で、壮大なところにいざない、行動の結果生じる果
実を神に捧げる行動に従事してください。あなたの喜び、才能、知識を、同胞と分かち合うた
めに、あなたの時間とエネルギーを捧げましょう。神聖で崇高なチャンネルに、あなたの頭と
心を導く行動に、あなた自身を従事させましょう。カルマ(行動)を通して神の恩寵を勝ち得
ましょう。行動の結果生じる果実を犠牲にしなければなりません。報酬に対する欲望を手放し
て、自由になりましょう。それを受け取り、望むなら、あなたは縛られます。それが、カルマ
ファラ・ティヤーガ(行動の結果生じる果実の放棄)の秘密です。
すべての無私の行動はヨグ(Yog)であり、それはあなたと神を一つにします。それはどのよ
うに行うのでしょうか? 結果を心配しながらなす行動は、静けさの中でなす行動より、はる
かに劣ります。平等心とは、好む好まざる、好き嫌い、に左右されることなく、自由で、心が
落ち着いて、穏やかな状態であり、あなたの人生を歩む上でまさに理想的な態度なのです。
理想的な行動とは、集中して活動的で、同時に私的な動機、個人的な報酬や損失についての思
いがまったくない状態です。欲望を持たずに働くことは不可能に思えるかもしれませんが、そ
のように行動することは、神の御心の代役になることでもあるのです。結果に執着して行動す
るのではなく、あなたの想いを神にしっかりと結びつけて、この世で仕事に従事しましょう。
結果について心配してはなりません。この心の平常心は、神との一体化、つまりヨーガを意味
しています。まさしく、平等心、平常心こそがヨーガなのです! カルマヨーガとは、文字通
り、行動を通して神と一つになること(神との一体化)を意味します。犠牲は、私たちが神へ
の全託を通して、ニシカーマ・カルマへの梯子を一段一段上がるために必要なことです。
スワミは私に、4 年間の婦人部の会長、副会長の仕事に従事することによって、婦人部のセ
ヴァ活動である、カレーやおにぎりの調理セヴァを通じて、多くの奉仕活動に従事する機会を
お与えくださいました。そして、多くの他の活動にも自由に参加することができました。私に
与えて頂いた仕事は、否定的な思いを持つことなく、純粋で肯定的な思いを持って、どんなこ
とでも喜んで、ハートのすべてを込めて行いました。それらの素晴らしい機会は、私に強さを
与えてくれましたし、忍耐力も増し、愛を培うことができました。これが私のサーダナ(霊性
修行)だと感じ、このサーダナを通じて、私は幾分か霊的に進歩してきたのだと感じています。
ですから今、振り返ってみますと、これらの経験と善い思いを培ったからこそ、現在、私は身
体が衰えている義理の母への奉仕と、また孫たちのへの奉仕を行うことができるのです。いく
つかの困難について考えるよりも、私は笑顔と、ハートの内に優しさと慈愛を持って、すべて
ことを行っています。スワミは本当に、すべてにおいて私を助けてくださり、これらのチャン
スを与えてくださっています。このセヴァを行うとき、私はほとんどの時間、スワミの存在を
身近に感じています。スワミの遍在を感じることができ、私の人生の一歩一歩をスワミが導い
てくださり、神の御手の中では、私はただの道具にすぎないと感じています。
同胞の帰依者や友人たちとつながり、相違(対立)を見つけようとしないことは、私の人生
の大きな一歩となりました。神へのバクティ(信愛)を通じて、スワミの御教えを実践し、奉
仕を行い、スワミが「義務は神です。仕事は礼拝です」とおっしゃっているように、私の人生
は祈りであり、礼拝であると強く感じています。自分が肉体ではなくアートマであることを悟
るために、神は私に英知(gyan)を与えてくださいました。行動に執着するのではなく、愛を
持ってただ行うという感情・・・、それが、私のカルマヨーガだと感じています。
今からご紹介するこの祈りは、スワミが学生たちに、毎日唱えるようにと与えられた祈りです。
私もこれらの祈りを唱えています。
朝、目覚めると、
主よ、私は眠りの胎内から生まれました。
私は今日、すべての仕事を、常に私の心の目の前にいてくださるあなたへの捧げ物として、
実行することを決意します。
私の言葉、想い、行動を、神聖に、純粋にしてください。
私が誰にも苦痛を与えることなく、誰も私に苦痛を与えることがないように、
今日一日、私を指導し、お導きください。
夜、床につく前に、
主よ、今朝、あなたに委ねた今日の仕事は終了しました。
私に歩かせ、話させ、考えさせ、そして行動させたのは、主なるあなたです。
それゆえ、私の想い、言葉、行動のすべてを、あなたの御足に委ねます。
私の仕事は成し遂げました。どうかお受け取りください。
私はあなたに還ります。
オーム サイ ラム
Sis.A.G.(神戸センター)
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