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日米戦争観の相克と望ましい日米外交
日米戦争観の相克と望ましい日米外交 Y.K(韓国) 機械工学科 1.序論 60年という歳月が過ぎても、日米両国間の間では太平洋戦争の記憶に何故これ程の溝があるのだろ うか。米国の首都ワシントンにある国立航空宇宙博物館におけるエノラ・ゲイ号の展示から原爆投下の 原因や被害の展示を削除したことは、今まで原爆被害の悲惨さを訴え続けてきた多くの原爆被害者やそ の遺族に大変大きな失望と怒りの感情を引き起こさせた。 しかし、日本側も他国を非難出来ない立場にある。戦後50周年を記念して日本政府が企画した平和 記念館の計画に於いてアジア各国からの修正提案が出ていたのに拘らず、外国の戦争被害者の展示は除 外され、専ら日本人の原爆被害者とその遺族に関係する内容の展示だけが進行された。このように終戦 から60年もの歳月が過ぎていたにも拘らず、日米両国間に於いて太平洋戦争に関係する認識の共通部 分が増えるよりも、むしろ認識のギャップが拡大してきた印象を我々は受けざるを得ないのである。日 米両国の国民にとって60年という歳月は、戦争の記憶のギャップを埋めるのには短過ぎたのであろう か。該当する全ての人の思いが絡み合うのが戦争であるとしたら、我々は太平洋戦争を巡る日米両国の 国民国家に対する認識まで考えなければならない。 日本の戦争責任を曖昧にする発言は今まで日本の歴代保守政権が数多く繰り返してきた。日本の有力 新聞である「毎日新聞」や「読売新聞」日本の戦争責任を曖昧にする発言を沢山載せている。これは戦 後大部分の時期において日本の政権を掌握してきた自由自民党で代表される保守党が右翼的な政治家 を数多く輩出してきたと考えられる。 一方アメリカの場合においても、人類史上初めて使われた原子爆弾に関する責任意識があまりにもな いのではないかという非難が世界各国から受けている。このように日米両国において太平洋戦争に対す る戦争間のギャップは全く収斂しようとしてない。ここではこのようなギャップが生じた根本的理由や 太平洋戦争が終わってからの日米関係に関して考えていきたい。また、超大国となったアメリカとこれ からの日本外交についても考察していきたい。 2.パールハーバーを巡る日米 1941 年 12 月 8 日、山本五十六将軍率いる日本海軍連合艦隊は宣戦布告もなしにアメリカハワイ島の 米海軍基地を襲撃した。この奇襲攻撃により、米海軍は致命的打撃を受け、当分の間、太平洋戦争の主 導権は日本が握ることになる。宣戦布告が事前に行われなかったことには駐米日本大使館の暗号解析に 間違いがあったなど、日本側の主張にも全面的な否定は出来ないが、宣戦布告なしの奇襲攻撃が行われ たことは事実である。この奇襲攻撃によって、第二次世界大戦への参戦に否定的だったアメリカ世論が 参戦への方向へと一気に高まり、日本との間で太平洋戦争が勃発した。同じ 12 月 8 日、日本と軍事同 盟を結んでいたドイツ軍がモスクワを 30 キロ前にして撤退を開始した。 当時、アメリカは日本の南方進出を英国やフランスの植民地を日本が奪おうとする認識下で日本の南 方進出を強く非難してきた。アメリカの非難を無視した日本にアメリカは日本への石油輸出を全面的に 禁止した。これに日本側は猛反発、パールハーバーへの奇襲攻撃につながるのである。当時の日本は海 外植民地を豊富に持っていたアメリカと英国を「持てる国」として、そして日本を「持たざる国」とし て位置付けていた。しかしながら、この論理は日本が台湾と朝鮮を植民地化していた事実に照らすと矛 盾をきたす。 しかし、宣戦布告なしの奇襲攻撃を受けたアメリカにとって、自分の領土が攻撃されるということは あまりにも衝撃的なことで、戦後以来においてもアメリカ領土内にある基地が攻撃されぬよう莫大な軍 事力を有し続ける。また、日本が原爆を使ったことを強く非難すると‘Remember the Pearl Harbor’ と対抗する。これでは、日米間のギャップは広がる一方であり、今後の両国の外交にも少なからず悪影 響を与えることになるだろう。 3.日本のダブルスタンダード 戦後、日本ではダブルスタンダードを主張する政治家をよく見かける。このような保守的政治家は欧 米戦勝国に対する戦争責任についてはこれを強く否定するものの、他方、太平洋戦争の複合的な性格を 強調いた上で、日本が謝罪すべきはアジア地域の人間であって、かつて植民地主義で我々とアジアで遭 遇した国々であると主張している。 つまり、戦争中の公式見解であった「欧米からのアジア開放のための聖戦」という復古的な歴史観か ら距離を置き、アジアに対して侵略性をみとめ、欧米に対しては「自衛戦争」であったという形で二元 的戦争認識を示すようになっている。欧米に対する戦争責任を否定するのは、1930 年代の世界が「持 てる国」と「持たざる国」との帝国主義的な抗争の時代であったという歴史認識にいるものだけではな く、「経済大国」化した現在の日本人の一部に欧米への対抗的なナショナリズムが台頭しつつあること への反映ではないだろうか。 しかし、このような主張は、今後日本がアジア太平洋地域でリーダーシップを発揮していくための障害 として戦争責任問題を意識している点で、極めて実利的色彩が濃く、過去の戦争に対してどこまで思想 的反省が深められているのか、また、現在の日本がアジアに対して発揮するリーダーシップのあり方自 体に対する自戒がどこまでなされているのかも疑問である。 4.超大国アメリカ 9.11 テロ以降、アメリカはテロとの戦いを宣言し、そのスローガンの下、アフガニスタン戦争、イラ ク戦争を起こしている。テロは決して許されぬ犯罪であり、我々もテロに決して屈してはならないが、 アメリカが標的としている国々がアメリカが掲げるその大義名分、つまりテロの支援国であるかどうか はより慎重な姿勢が必要であろう。テロであれ、正式軍隊による攻撃であれ、アメリカ領土が攻撃され たのはパールハーバー以来である。 パールハーバー以降莫大な軍事費の元形成された米軍が守る領土がパールハーバーの時と同様奇襲 攻撃されたのである。アメリカ国民のショックはパールハーバーと同じ、いや、それ以上だったであろ う。9.11 テロはアメリカ国民にパールハーバー以上の愛国心を埋めつけ、そのアメリカ人の愛国心を利 用して、ブッシュ政権は今だ大量破壊兵器の見つかってないー今からも見つからないだろうがーイラク 戦争を起こしたのではないだろうか。戦後 60 年が過ぎた今もパールハーバーの記憶はアメリカ国民の どこかに密かに隠しているのである。世界を、アメリカ側と、そうでない側に二分化したテロとの戦い は私に戦前の日本のの状況を思い浮かばせる。 それは、「持てる国」と「持たざる国」に二分化して世界情勢を捉えていた戦前の日本と現在のアメ リカはあまりにも似たようなものだからではないだろうか。 5.今後の日本外交の進むべき道 現在の小泉政権はとアメリカブッシュ政権は、中曽根政権とレーガン政権以上に仲いいとも言われて いる。どの国にとってもアメリカ外交は重要であるが、今の日本はアメリカ外交だけを重視しているの ではないだろうか。世界の日本でもあるが、アジアの中の日本でもある。近年その影響力を増してきた 中国やインド、東南アジアとの外交をあまりにも疎かにしているように見える。無論今の日本の北朝鮮 との関係を見たら、アメリカ外交を重要視することにも理解は出来るが、だからこそアジア外交をより 重点に置くべきではないだろうか。日本も北朝鮮も同じアジアである。また、北朝鮮に一番影響力を持 っている国が中国であることを承知しているのならば現在の最重要国は中国になる。しかし、今の日本 と中国は決してよい関係にあるとはいえない。まずは中国ではないだろうか。 6.あるべき日米関係とは しかし、太平洋戦争を経て日米関係がこれ程改善されたことは評価すべきである。初めて領土内の基 地が攻撃されたアメリカと初めて原爆の被害にあった日本との関係がこれ程よくなるとは戦争を経験 した人々にとっては不思議なのかもしれない。確かに日米関係は戦前に較べたら大変よくなっている が、これでいいだろうか。戦争を経験した人々との間ではまだ、よくなったとは言いがたい。政府の太 平洋戦争に対する戦争観がお互い違うのもここから生じていると思われる。戦後 60 年が経っても日米 両国間にこれ程のギャップがあるのは日本の責任でも、アメリカの責任でもある。お互いより多く語り 合って、意見を交換することでそのギャップは少しずつ埋まれるのではないだろうか。今まで、日本と アメリカにはそういう話し合い場さえなかった。 また、現在も未来にもアメリカにただ追従するたけの日本には世界の多くの国が失望する。‘これは いけません’とはっきりアメリカにいう日本の主体的外交が必要ではないだろうか。 参考論文 油井大三郎 「日米戦争観の相克」 古田元夫、油井大三郎 「世界の歴史 26-第二次世界大戦から米ソ対立へ」