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市民社会論と近代白菊植民地主義
論 説 市民社会論と近代的植民地主義 一ゼロック史観≦の基本的構成一一 伊 藤 宏 之 足掛け欝年で一旛のくぎりをつけたPック『統治論垂の醸讃作業(柏書罵、 欝97)の中で、見えてきたことを記してみたい. iつは、第i篇、第2篇を通して、ぎ統治譲垂全体が、R.フィルマー幾判 だということである。 2つは、ζ統治論蓋が『人聞徳性論毒を基礎にしているということである。 3つは、植野地講、と吟わけアメ撃力殖民地論がかな参大きな箆重をしめて いるということである。 これら3点は、しかも椿互に縫達していわば罫βック史観まを形成している。 そうであれば、ロックの合著搾の集大成として疹統治譲蚕を位置づけることも できるのではないか、ということである。そして、このような理解にたてば、 i7盤紀(それは近代の患発点に勉ならない〉の実像の総体が見えてくる、とい うことである.すなわち、人権保緯のシステムとしての疑主致治、観察による 事実認識を基礎に勃事を魑理する手続き罵方法論、それに各々の国家縫会・地 域の経済的不均等発展からなる近代の資本主義と櫨費地主義の展離があげられ、 よう。 このあた鯵のことを、以下、素描してみたいと思う. 玉.フィルマ一概轡としての藍統治論選 第i篇は翻題も示すとお穆、フィルマー概覇である。しかし、第2篇は、舞 一6斐一 行政麺会議集 第警巻 第3 4弩 の欠落部分をはさんでいることもあって、第i篇とはやや独立したもの、とい う受けとめ方が大辛であったこと:は周知のとお鯵である。しかし、こ二うした受 けとめ方は、やは雛重しくないと患う. 冒ックは、ぎ統治論磨を新一つの論議」と嚢らf序文」で遠べている。この 発1繋ま軽機されるべきではない.むしろ第・i篇後半の欠落部分(といっても、 璽存部分全体よ鯵 r多いまとロックは述べて》・て、おそらくフィルマーのぎパ ト夢アーカ誰その飽の全面撹判であろうが、この点はすぐ後にもふれたい〉を 埋められないという事椿から、便宜的に置統治二講選という表題を患版時に採 った、ということだと、想われる.第2篇には、ラズレットの註記にあるように、 瞬示的にフィルマ一挺判の鶴翫があるのみならず、第i篇で直接フィルマー窺 舞を遂次配達した謙に毒足らずであった嚢読の全面的展聡という内容潜みられ る.いわば第i篇だけでは、フィルマー幾霧として不充分であって、第2篇を 著すことによって発会なるフィルマ一揖舞瑛できたというの潜ロック真意であ ろう.と患われる。(ラズレットの考証は、第2篇先行執筆議を提示した鱒、 必ずしも支持されていない翼状にある.ラズレットの貢献は、第2篇をもフィ ルマ一概凝として文献学的に明示したことにあると私には患われるが、蔽に、 ラズレットの第2篇先行説を採るとすれば、第2篇で§説を全面的に展臠した ロックぶ一むろん、フィルマ心嚢覇を意纒してである摂一必要量小罎の露 葉でフィルマーの遂語的幾甥をしたのが第三篇ということになろう.ここで必 要最小韻の露葉というのは、第2篇での論証を省いた結論のみということであ る。〉 この点をいくつか鱗示してみよう。 「しかし、もし誰か溺、結縄のところ、神のこの授与によって、アダムは全 地球の独右的領有者になったということしか考えられないというのであれば、 これはアダムの主権にとってどのような関係撚あるのだろうか。そして土地へ の藪有権が一人の大鷺に縫の大鷺の生命に薄する権力を与えると》・うことは、 どのようにして瞬らかになるのだろうか。あるいは、金地琢の漸有漢いかにし 一62一 斎甕歓会論と近代的植疑地主義(撃藤宏之〉 て誰かに縷の人聞の人格への主権的恣意的権威を与えるのであろうか。もっと もらしい言い葦は、全盤:界の領有者である人は、残余のすべての人類に、もし 稜ら越破の主権を認めず彼の意志に縫わないならば、食物を与えず被の意のま まに彼らを餓死させうるだろう、というものである.もしこれ蕃真実ならば、 そのような蓼湧有権遜は存窪しなかったし、神はそのような置独叢的領有権蓮 を与えなかった、ということを証窮するのに都合のよい議論である。ζ増えよ、 満ちよ墨と人類に命じた神が、彼らのために豊かに与えた食勃や鉱勃その憾の 生存のための便宜品や素材を{吏矯する権稀を綾らすべてに与えた・と考える方 が、一人の意のままに破らをすべて絶滅させる権力を持ち・生活の優宜の麩露な 容認によって蓼増えよ、満ちよ垂という神の偉大な意図を推進することなく、 魑の大腿と少しも違わな》・のに父権を継承すると、人々を欠乏、園窮させ、披ら を厳しい苦役にしば参つける一人の人間の意志に披らの生存を依存させるよ蓼 も、合運的だからである。これを疑う人は、この糧暴の絡難君主蟹を調べて、 生落の優宣品や人爵数がどうなっているか見てみるがよい。ま(G{一襲。ぎ… 構は原文鱒イタ夢ック、Gは蓼統治論垂の総記で篇と籔を記す。以下濁じ/ 罫グロティウスは、子供への爾幾の権力がどの範麟まで及ぶのかについては述 べていない。ところ麟我潜著者∈フィルマー〕はこの点では常に葬常にはっき鯵 と、これはぎ至上の権力垂であって、娠隷への縫鰐君主の権力と講じく生死に纏 わる絡薄権力である、と害う.子僕を生むことが子供に蝿する絶薄権力を父幾に 与えるのはどのようにしてか、またいかなる運轟なのかを闘うても.彼はなにも 答えていない。我々は破の饒の書鱗と瞬様、後の霞葉をそのまま受け取る以外に ない。翕然法や統治の基本法が異った駐ヒびたりするのは・ただ破の書葉によら ねばならないというわけである。綾嚇絶繋愚主ならば、こうした語撃方で充分 であるかもし細ない。道選の代わりに意志が、縫講君主の嚢から鐡たならば力 を持つかもしれない。しかし、謹瞬や議論の仕方においては葬常に不適燐であ り・絶餐嚢主致を擁護する議論としてはふさわしいものではない。ロバート郷 は欝疑の権威を弱小にしているので、麗民たる郷がこれを覆うだけでは、縫韓 一63一 行政桂会蒲集 第9巻 第3 4号 嚢主権は確立さ為ないのである。謹聴を儲わない一絞隷の憶見は全人類の露虫 と運命を台無しにする縁どの充分な重みを持つものではない。もしすべての人 聞が、私はそうは思わない藤、生ま為ながらにして平等でないとしても、すべT ての飯隷は平等であるにちぶいない。私は、運霞を伴わず破の憶見に射して一 つの憶見を講堂させ、子鋲は生まれることによって父親の妓隷にな鱗ましない との私の言が全人類を窪霞にするの爺確かなのは、その反鰐の綾の確露ぶ全人 類を妓隷にするのぶ確かなのと講繰である、と確馨してよいであろう。」(Gi −5i) 「人聞を翻った神は、すべて飽の動勃に薄してと瞬様に、人聞にも嚢己保存 の強い欲望を構えつけ、そして、人聞が地上で一定嬬閥住み留まるよう、珍重 すべきすばらしい神の作贔が霞己の怠鰻や必要勃の欠姻こよって数秒の存続の 後に再び潰え失せないように、との披の企騒に役立つ、食勃や鉱勃それに纏の 生活上の必要勃に適したものをこの盤饗に具備した.人間と量弊をこのように 造った神は、大腿に薄して講参、(つま瞬ま、/下等な動勧解かの目的ために神 が備えた感覚と本態によって導か為るように、人聞も感覚と選盤とによって導 かれて、塵己保存のために役立つ.嚢己ぎ保存湛の手段として与えられたものの 聴講潜できるようにしたのである.それゆえ、『麟僅記選第玉章28・29簾でこ うした書葉が(もし、それら麟語られたと文字どう蓼理解されねばならぬとし たら〉書瞬される以麟から、ないしはそのような言葉によるぎ贈与書がなくと も、人間は神の意志と授与によって被造物を麟駕する権利を持っていた、とい うことは疑いないのである。というのは、その欲望、生命と存在を維持すると いう強い欲望は、神によって行為原則として人聞に纏えつけられているので、 『人聞の中の神の声である遜理性は、存在を保持しなければならな》、という豪 然の傾梅を追求するかぎ移入はその造鯵主の意志に従ってお吟、それゆえ、遷 牲または感覚の教えるところによって、有益と鵯擬した被造勃を稀稀する権稀 を持つことを、人聞に教え確欝させるのだからである。こうして、被造勃への 人間の蓼辮有権蓋は、人間の持つ生存に必要で有益なものを秘駕する権利の上 一64一 窮具縫会論と近代的植属地主義(轡藤宏之〉 に、基礎づけられていたのである.ま(G亜一86〉 これらの駆ックの発叢は、フィルマーの父権的穂薄的支醍権算額糞瘻を否定 し、霞らの天醸人権論溺、神の意志に畦うものという主張である渉、未だ、露 らの主張については譲証を経ていないものであ滲、i説得力があるとはいえない。 さて第i篇でのロックのフィルマ一揖警1慧、フィルマー露身の聖書解釈およ びおそらくはヨーロッパ及びイングランド憲政史理解(これが蓼パト夢アーカ露 その飽のフィルマーの著揮から見て、いわゆる欠落部分での幾霧の講象であ ったろう/に内在する矛盾を衝くものである.その嶽1覇の方法は,聖書の読み に麗わ蓼、典擁の示し方を含めて事実と論選との区購というの摂基本におかれ ている。フィルマーが聖書の中に見鐵されるとしたアダムの父権的絶麟的支醍 権謀領有権及びその継承に講ずる事実と論理双方の横挽に照らしての概覇を瞭 ックは行っている.そして、欠落灘分は、おそらくは、議会と看主の主権論争 に集約されるイングランド史についてのフィルマーの解萩(それは、やは瞬縫 鰐王政の遅緩性論である/に薄して、その事実的穣擁及び譲遷的根麗を闘うも のであったろう。(フィルマーは、絡2§年代の議会と書主の主権論争を見て、 絶鰐王政の董統牲を論証すべくζパトリアーカ薄を執筆したのであ蓼、その釜 統性議の源泉をアダムの父権的続薄的支醍権慧領有権に求めている。/ した麟って、いわばrフィルマ一隻観雄に嬉して、rロック史観漣を論謎す る、というのがぎ統治論遷全篇のテーマであって、この点が従来、必ずしも認 められなかったことである。匡統治論垂第i篇・第2篇が全体として、フィノレ マ一概覇の書であるということを内容的に見てみよう. 天鐵君主権に難航して茱賦人権をおくことが鍛ック史観達の基礎椀塵であ る。この視座に基づいて、職然状態講論が出てくるし、霞然状態での「不都 合」を止揚するものとして新市甕社会。墨壷SGc嬢翌濫敏治縫会」講が展露 する。注聾すべきは、天意人権論紅基づく噛然釈態塵論の歴史的貫通性という ことである。これとの繋箆でいえば、フィルマーは、天繊君主権論を基礎視痩 としていて、人聞の「生まれながらの霞割を否定するのであるから、アダム 一65一 行政縫会講集 第9誉 第3 嬢号 の父権的絶難的支醍権m籏有権とその継承のみがその史観の基軸であって、そ の後の憲政史での法律や議会等、君主権以外のすべてはr主権達に§§わらない 鍵属的なものにすぎないという位置づけになる. フィルマーの蓼パトジアー方違の羅衣は次のとおりである。αき 夢語次 第一章:最籾の書主だちは家族の父親であったということ。轡人類の生まれな がらの露出という新しくもっともらしくも竜験な意見。麟ベラルミーノ摂提示 した総題。綾の練達のいくつかの矛盾。131ベラルミーノ§身によって答えられ たベラルミーノの議論。紛洪水養類の家父長の君主的権威。⑤バベル塔麟壊後 の量界中の露寒への分散は完全に諸家族によっていたし、そこでは父霧たち解 書室であった。織そして、父幾たちから、すべての君主越伝わった。紛すべて の君主は國浸の父親であるか、(81又は、父幾の根練者か、父幾の権利の簒奪者 である。⑨王醗の没駿について。麟君主権と父権について。/第二章:人践ぶ 統治者を麟御したり選経するということは不霞然である。緯アジストテレスは 人買の自由について綾討し董当化した.②スワレスはアダムの君主権に反越す る議論を行っている。(3縁族は、アワストテレス、潔一ダンその勉によって種 々に定義されている。織スワレスはベラルミーノに反薄している・(51君主の選 挙について、⑧人民の大部分の手による、鱒委錘状によって、又、暗黙の受け 入れによって。麟人買麟君主を選錘するということは、聖書に倒潜ない。その 点でのフッカー氏の判断.繕神は常に灘主敢によって統治した。ベラルミーノ と麟ア夢ストテレスの程一マの買主政についての鵯薮。縫麺一マ民主政の欠離・ 働鞭一マでは潔並数の下で帝襲ぶ始まり、皇帝の下で完成した。麟危機に蝶し ては、大異は常に書主政に逃げた.麟疑主政は暴露に怒って案鐵されたか、又 はこつそ穆と導入された。麟蔑主政はそ為を容認する歴史家によって講られた。 瞬民主的統治は、奪麟鷺主よ箏も残忍である。麟看主と人民の混合統治につい て.瞬大甕は看主を裁いた静罰した吟できない。麟ノルマンの笹服以鋒、イン グランドには暴書はいない。/第三章1実定法は、君主の自然的かつ父権的な 一6§一 布野縫会論と逓代的糠甕建主義(餌藤宏之〉 権力を侵害しない。(葺嚢主の権威は実定法に鍵属しない。嚢主は法よ参以繭 に存在した。法律に拘束されなかったユダヤやイスラエルの君主と(2痔サムエ ル記蛙第8章でのサムエルの慧謡こついての記遮(3噺約聖書で書主に帰せ られた権力。繊法律は専鰯倉主を擁麟するために考案したかどうか。⑤法律の 利硬性。⑤書室は法律によって拘束されないけれど転法律を維持する護7矯主 の宣誓について。⑧法律を上まわる書主の大権の便益について・麟君主はコモ ンローの覇定者であ警解練者であ蓼改訂者である。麟君主は毎籔前も以後もす べての事件を裁く,瞬蔵主と極密顧鷺宮は星室裁講藪で事件を裁いた。麟議会 について。麟最初に議会に唇集された融民。鱒議会の自由は・本質的なもので はなく、国董の厚意によるものである。鋤君主のみ漢議会で法律をつくり、 鱒再続を霞ら支醒し、購綾の纏密顧問官によって支醒し、鱗被の甥事によって 支愛する。ま さて、韓ックの喰然状態!論は歴史貫通的なものである。それ溺桂会をな しての人聞の物質代謝遍程論を内実とする天賦人権保障として定義づけられて いるからである。ここには「政治的穣人主義茎(タ婆一〉弾みとめられる。傷 「自然状態」での大開は、自然法での下で霞密な存在である。そして家族と いう奮縁姓のもとで生存している、但し、この漁縁姓はフィルマーのように絶 嬉的なものではない.人鷺は薪神の作品まであって、両親といえども子僕に繁 してゼ生まれ,ながらの甕虫」を侵害することは許されないとされているからで ある。(職権まは養育の義務と尊敬を受ける権利である.)その人聞の生存に あた滲、人聞以外の神の被造勅(=下綴被造物〉潜共有勅として罵意されてい て、それへの労働の投下によ吟漸有権淋生じそれを消費する。これが寝ックの 労騰に基づく瞬有権である.ここには大地に蝿する労働投下による耕地の辮有 権もふくまれる。(フィルマーの場合、下級破造麹のみならずアダム及びその 継承者以外の人間はすべて、父権的絶薄的領有権業支醍権の下にあるのだか ら、[共有物達という設定はない。)ロックの労働に基づく漸1有権には自然法 (薫人類の保存という)鰯鰻がある。具捧的には.「腐数麟猿1と軒充分麟銀」 一67一 行政被会論集 第9巻 第3・護暑 である。この2つの麟銀をクジアーしてなおかつ自然法を侵害しないためには どうするか。貨警の導入と植民の奨励がこれ、である.貨幣の導入は、余罵生産 物の安定的交換を湾態にする.これには貨幣や±地の貸借もふくまれるが、こ れによ蓼、地籔紅よっては大地の不足か生じうる。そこで荒蕪地、つま管はア メ夢力への穂疑撚必要となる。(しかしこの場合、先住民の労働に基づく携有権 の侵害は自然法に反するとロックは見ている。この点はのちにのべる.) ところで、貨幣の導入によ滲、金融業者や地主が発生する.ここで馨ックが 自然法規準に懸らして必要なものとするのが、法定利子率による利子(や地代1 の規凝である.これは、講意による自然法規準による法律の鰯定であ吟、F毒 民縫会皿政治歓会」段躇に穫する.そして法難による利子〈そして地代)の焼 麟が自然法媛準によるといえるのは、借手と貸手の双方の縮己保存≦がこれ によって罵能となるとされるからであって、法律(したがって毒浸歓会慧敏給 後会〉は藝然法嵩人類の保存のための手段である、したがって、法律がなくと も相互の彗己保存が実現するという状態であれば、法定利子率は不必要であ蓼、 ギ農然的利子率まに委ねられる、というのぶロックの主張である. 瞬涌可籠な霧金ぷ今麟まとんどすべて資ンドンに講って流れ、比較的にい えばごくわずかの人々に独占されている麗在の潮流のもとでは、経験の浅い人 々や現金に不足している人々がたやすく1高科子の1強要や猛追にさらされる ことがないようにし、また鼓け蓉損なく結託し合って駆る貨幣仲買人たちが欝 手の無知な滲窮達な穆を喰いものにするほど、巨大な無麟蟹の力をもたないよ うにする1ためにも法定利子率解あることは必要である。しかし1貨幣がトレ イドの差し追った必要に簿じて、イングランドの各地方に、またいっそう多数 の人々にもっと平等に醗分されて替れぱ、この点についてはあま参危験はない であろう。/貨幣を土地と疑様iに借噂ることができた陰、穀勅や羊毛のように 持ち主霞身から受け取ることができ、その上それ・に薄して良質なことぶよく知 られるであろう麺保赫与えられている場合には、貨幣1はほ蝶たしかに市場舞子 率(それが真実の利子率である〉で手に入れられるであろうし、その利子率は 一68一 晦昆縫会隷と透代釣纏罠地主義(學藤宏之〉 わが国のトレイドと窟の状態を覇擬する纏常的な檬準となるであろ貌事業と 貨整の流れ撚不紙に変化する場合、法定利子率毒鞠・くらであるべきか決定する ことはむずかしいことではあるが、しかし一種の独占ともいうべきものが〔仲 間の1合意に基づいてこの一般的癒品を少数者の手中に集中する場合には、窺 麟が必要であろう。1ただ1その規鰯は次のような猿舞内であるべきだという ことが、多分妥当な提案として認められるであろう.すなわちそれは、一方で は商人たちや商工業者の利潤§ro餓を完全に喰いつぶした甑籔らの嚢労の 意欲を失わせるようなものであってはならず、縫方では、人々が彼らの貨幣を 飽人の手にゆだねる稔験を饗すのを紡げた鞍、ほんの少しの利得で危険にさら すよりはむしろトレイドの外に置》・ておく方を選ばせるほど懸いものであって はならない。堕(置利子・貨幣論蚕、掲99年、脚.緯3一逢.[…一襲ま原文の意を 汲んで筆者撚挿入.以下講じ〉 喰然状懇」論は桂会的物質代謝遍程譲として、人類の保存の保瞳を歴史貫 通的に見透すものであるが、すでにみたように、貨幣導入の前後でそれ,は大き く2つの靉靆に区分されている。瞬有権譲のレベルでいえば・労騰に基づく湧 有段賠と労働に基づく辮有を法律によって確定する段欝である。い》、かえれば 未舗縫会と文瞬縫会である。むろん、共に人類の保存を保障する歓会システム と見徴されている.ロックは、前者を薄外的防衛のみ必要な段踏、後者をそれ のみならず、繋内的にも湧有権保瞳が必要な段階と規定している。そして、注 射べきは、双方とも購韻の瞬勲で脚立っている、した毒物て敏治 的懸人主義達はひとまず委任されると見ていること、である。そして、絶薄君 主は、駆艮との問でギ戦争斌態謹であ吟、それなら櫨然状態達の方がまさっ ているとβックは説く。 こうしてロックによる瞭然状態三論の構成は、フィルマーの父権的絶麟的支 配権盤領有権誌における人類の保存保瞳の欠如に代わる歴史観の第一贈梯である。 ここで懇起すべきは、人聞の罫生まれながらの自由壌あるいは、嘘然状態論 を想定することがrアナーキーまにおちいる、というフィルマーの主張である。 一69一 行政縫会譲葉 第9巻 第3・4号 フィルマーは「アナーキーまにおちいることのないようにということで、家父 長麟=縫鰐君主政の葺王統健羨を展擁したのである。この壷縁牲皿瞬与穫…を基礎 とする、罫アナーキー」との機織こβックは応えなければならない。ここにロ ック解ζ統治論誰第2篇で聡慧1するものオ糞、いわゆる F政治権力の循環ま論で あり、この第2購梯で醸ック史観まは完成する。 未麗社会段踏には、善意の家父長灘権力の擁環論」とも誓いうるもの漢あ るとロックは説く。 「歴史をさかのぼってゼ国家共講体の起源誰を探っていくと、たいていの国 家業繋鉢麟一人の人の統治と支醍に霰していたこと麟わかるであろう。それは、 私も否定しない。また、霞亡ぶ薄髭な程度の数の大きさの家族がいて、土地が 豊富で人β渉少ないところでよくあることだぶ、飽の家族と混じ参合わずに一 族だけで生活を続けていた場合には、ふつう父親を支醍者として統治撰始まっ た、ということも信じよう。父親は、自然法によって、自然法に鰐する侵害を 自ら適当と思うように魑罰する権舞を、その飽の人々と一緒に持っていたので、 自分の子僕ぶ罪を離したら、成年になって幼年時代を遍ぎてしまった子供たち をも甦罰しえたし、また子僕たちもおそらく父幾の罰に服し、あるいはまた自 分が罰するときには父親と一緒になって猛罪者に紹繁したであろう。こうして、 父親はどんな違法行為に対しても、飛罰を執行する権撮溝与えられ、こうして その家族と一緒にいる人々すべてに薄して、綾は事実上の立法者と統治者とに なっていったのである。綾は鱈頼を受けるのにもつともふさわしい大効であ移、 父幾としての愛情によって、彼らの財産と利益は彼の寵慮のもとに安全に守ら れたし、また、子盤の頃から父幾に服従してきたの嚇習機となって、その飽の 人よ雛も彼に騒熨しやすかったのである。だから、共瞬生活をしている人々の 闘で、統治オ豊ほとんど不可選である銀静.だれか支醍者を選ばねぱならなくな ると、人々の共通の父幾である人ほど、支醍看たるにふさわしい人はいなかっ たであろう。もっとも、怠鰻や残忍さやその飽の心身の欠臨のために不適任と される場合は、脳である。しかし、父親藩死んで後継者嚇未成年であむ、知恵 一7§一 毒異数会論と近代的檀疑鰭主義(静藤宏之) や勇気やその縫の性質に欠陥があって・支麗者にふさわしくなかった甑ある いは、いくつかの家族ぶ集まって、一緒に生活することに講意した参する場合 には、披騨その生熟な腸の離を鞭して、働を支醒するのに謎わ しいと考える人を立てた、ということは疑いえぬことである。これにふさわし い鰯、アメ肋の韻観練る.彼雛(ペル越メキシコと師2大帝 即鰯の簸耀臓の灘ぬとこ硫住んでいたので)・生熟つき囎 索を楽しんでお鯵.ふつうは、『縫の条件ぶ等しい羅瞬ま藩死んだ国王の相続 人を優先したのであ騨、しかし、もしこの相繊舵こ鰯かった吟・ある いは無籠であること麟わかると、彼を見捨てて.もっと強くて勇敢な人を支醗 者としたのである。倭(G騒一節5〉 次いで、文弱桂会段踏では騒人⇒代表⇒多数決⇒実地穣証⇒綴人というサイ クノ曜よ礪有権の保瞳システムがある狸ックは誘いている・このサイクル 卿の、代表移鰍伽ベルでは瞭鰍働⑯「政綱鰍蟻鑓委 鰹紋い騨、実地検証のレベル確然離礁が鰍1機織漸有権 露己保存権を侵害する代表麟多数決かどうか麟覇懸=実地検羅される。侵害す るものとの判鋲潜多数を占めるようになれば、肇抵號権まの行緩歩箆当化され る.しかし、こうした糖、つま糾叉に謙る廷・ック蕨現してセ’る煎 こ癬榊に公職翻を求めると紡ので融くヌ配絶靴で醜く海 難訊類礁存の勧の勧の麟齪の一環維覆する犠難(確率〉 倉.G紬重職鉱犒い識を離して瞬共離購頗の働である・ ロックの嘩命」論は、人権惚蕗有権保瞳に全颪的に背反する罫政治権力 (輪権加麟雛魏醗あるが、そ櫨離鎖者の咬代涼磯含 する。後逮のようにロックは蓋然性論を夢人闘落盤論垂で展聡している薫そ れは認識論上のゼ絶韓確実性cert3量雛鶴の懸念を羨提としている。したぶっ て箪天に訴えるま行動は、神の審糠こおいて誤管であるとされうると言う意蝶 で緊張§§孫をもっている。 「立法部摂国蔑の齎有権を綬害して、儀託に反する行動をした時には、醗疑 一7董一 行政祇委譲集第9巻第3・4畢 は新立法部によって新しくその安全を守る権力を持つというゼこの学説は、反 甜こ蝿する簸も良い紡壁雲であ瞬、それを雛箆するもっとも確率の高い手段だ、 というのが私の答えである.なぜならば.反乱とは人に蝿する敵麟をいうので はなくて、統治の基本法と法にのみ基礎をおいている権威に敵薄するものであ るから、誰であろうと暴力的にこれを侵害し、また暴力的にこの侵害を蓬当化 しようとする者こそ、まさしく疹反畿者遭と呼ぶにふさわしいのである。人々 解離会に撫わ吟、市民統治に参撫することによ箏、暴力を撰し、櫓互の藪有権 と平諏と統一を守るために法を作った後に、再び法に背いて暴力を璽》・る者こ そ、ぎ反乱する都、つま吟再び戦争状態に戻ろうとする者であって、叢さしく 反乱者というべきである.このようなことを最も行いやすいのは(権威をもっ ているふ静をした参、手中にある武力に誘惑されたり、取吟巻き連中のへつら いに乗せられたりする)、権力を持つ者である.この幣害を隆正する簸も良い 方法は、最もその誘惑にかか静やすい人々に、それ瀞危験であ吟不正であるこ とを示してやることである。ま(G巖一226〉 こうしたロックの政治権力の徳環論は、たしかにヂアナーキー季に道を縫い ている。しかし、ロックは、絡蝿鷺主とても人聞である、という。人聞の「酵 謬性まを否定しない鷺ックにおいては、したがって、一人の縫薄春からなる祇 会よ瞬も、一人ひとりの人聞の縄籔の類綴牲に基盤をおく歓会の方が、人類の 窪目保存権の保瞳にとって有効だ、とされているのである。 嘗鬱然釈態にお》・てはすぺての大毒濠然法を執行する権力を持つ遜というこの 奇妙な学説{二政治的鰻人主義}に射しては、人蔘き分に麗係のある事件で裁判 官になるのは不当であり、白目愛のために露分や寂分の友人をえこひいきするだ ろうという反撃1輪形確かにあ善うる、また飽方で、人々はその歪んだ本姓や激構 や鞍覆心のために、纏の人を罰するのには行き遜ぎがあるだろうという反蝿論も あ穆うる。したがって、それは混乱と無秩序以外の構ものも生ぜず、つまるとこ ろ、神は入間の蔭己偏愛牲と暴力を揮えるために統治を設けたのではないかとい われうるであろう。私も肺民統治書が轟然状態の不都合さを改めるのに適当な 一72一 事蔑縫会読と遺残的纏疑地主義(轡藤宏之) な方法であることは、容易に認める。翕然状態では、人々が自分のことに関して 裁きをしているのだが、飽の人に飽害を簾えるような不箆な人聞が薮らを蛋しく 責めるということはほとんどないと考えられるから、その不都合は確かに大きい ものであるに違いな諮。しかし、髭のような反薄i論を曝える人々には、多糖蝿君 主垂といえども人聞に鰹ならないのだ、ということを思い起こしてもら》・たい・人 が察分のことについて裁きをするということから必然的に生ずる弊害の薄策とし て統治というものがあ吟、自然状態にはそれ故にとても耐えられ。ないというので あれば、一人の人間が民秦を支翻し、葭分嚢身に関する事偉の裁判官となる趨由 を持ち、魑な静と勝手なことを全糞罠に押しつけておきながら、鞍の勝手な意向 を執行する人々に薄して、異議を馨し立てた撃それを掣肘したりする蠧毒を全く 認めないとか,彼の行うことなら、それ蒼蓬牲によるものであろうと間違いや激 渚によるものであろうとどんなことでも籔従しなければならないというような、そ ういう統治とは一体どんなものなのか、果たしてそれが霞然釈態に比してどれほ どまさっているというのであろうか。それぐらいならば、人々蕃地の人の不歪な 意志に膿熨しなくてもよい欝然状態の方がはるかに窪さっている、そこでは裁き をする人が霞分に関係のあることにせよ、それ以外のことにせよ、誤って裁きを すれば、飽の人々に録してその責任をとらねばならないのである.ま(G嚢一i3〉 ここで、懇起すべきは、澱ックが未聞縫会での家父長支醗を家族講成員の 紅鶴意謹でもってみとめつつ、文瞬鮭会化の遍程の申で、家父長支醍の継承に 代わるものとして、こうした政治権力の籟環譲を展聡していることである。双 方ともに構成費の瞬意雄掛歪統性の糧鑓とされているぷ、文明歓会の政治権 力は、文字通り作為まよるものであるが故に、その循環譲は精緻化されてレ・ る。このいわば「醗疑的致治空聞3の構成においては、とりわけ認識論上の修 業が不薄欠の前提をなす(これが、匡人間落盤護劔のテーマである〉。 父権的絶蝿的支鴎権鴬領有権譲よ鯵なるフィルマー史観を撹利して、こうした 噛然状態論まをベースにr権力慧権威の婚礫論を歴史観として巨ックか提 示したの撰、ゼ統治譲重に纏ならない. 一73一 行政被会論集 第9巻 第3・遵号 註 Ja贈sT療ダ,擁護鋤。継むP磁磁JP繍吻御話磁ε腕co麟酪,Ca曲一 (麟 rl魔ε,王鱒3.これへの論評として機稿魔商主義者としてのジョン・ロック」 (ぎ福島大学教畜学灘譲集(縫会科学藻醗捲第6§暑、讐§萄を参蕪された㌢・。 鱒 ぎパト撃ア一方盤の邦訳として、魏談罫家父長編鍾瞬.k誌、第53・騒・55号、 i鱒3一鯵94〉がある。 2.屠統治論垂と『人聞繕牲論垂 今度のr統治論垂翻訳で改めてその感を深くしたのは次いで、『統治論遷と ゼ入欝欝語性議蓬の驚連が強いということである。 むろん、匡人間溶性論垂の成立過程をみれば、著き鷺ックの医学醗究(それ、 はヂ英覆のヒポクラテス」といわれるトーマス・シデナムとの共購醗究である〉 解その大きな礎であったことはこのところ少しずつ購らかにされているところ であ鯵街、又、ぎ人賜落盤議1圭は(医学醗究でえられた方法を科学的方法とし て一般化し/文字通滲英露経験譲哲学の代表的樫贔であることはいうまでもな い。しかし.二一ル・ウッドの『鷺ック哲学の致治学 蓼人間語饒強電の社 会史的羅究 垂をはじめとして、謬統治譲葦の方法的基礎としても、『人聞嬉 性論遺は佳麗づいているという遷解は、かな吟有力にな瞬つつある鋤、とい ってよ1いであろう.ここでは護点について遠べてみたい, 第iは、経験的事実への観察麟認識の趨発点であることの讐ックの強調につ いてである.フィルマーのf父なる身分涯を根擁とする父権的絶薄書主政の導 繊の仕方について、ロックは、それぶ甕書勅語の懸解であるし、また、実際の ところ、r生む葺ということは父義のみに纏わることではないと概醤する・そ して聖書は父親のみならず母霧を盗めて詑達しているし、又、夢生む雄過程で の母親の役割はむしろ父親よ馨も重いという. ギこの時に、怒為る造琴主から、アダム麟再らかの厚意や特権の授与を期待 一74一 藁疑被会論と遍代的植罷地主義(律藤宏之〉 できるはずがない.我渉著者〔フィルマーユの違べるように、もしこれが畿治 の本質的な授与選であ警,アダムは今や業主になったというのであれば、冒バー ト郷が復を擁にしょうと、神はアダムを、我が著者嚢身でさえとうていそれに大 きな特権は見込めないような、非常に貧しい書生にしたにすぎない.ということ は瞬臼である、神はアダムに嚢らの生存のために饑くように勧め、人を支醒する 玉杖よりむしろ大地を灘拓するために綾の手に鋤を与えたように見える。ぎあな たは顔に済してパンを食べ露と裕ま欝簿で語っている。彼にはまだ整疑がいない し、披のために饑く人を縛っていなかったのであるから・これは不可遷であっ た瀞、しかし、彼は蟹灘年以上生き続けたのだから、後のために働くように命 令することのできる人を充分に持ったのではないか、と言う答え熱あるかもし れない。しかし、否である。しばらくの閥あなたの妻を除いて人の動けはない、 と害うばか静ではなく、あなたが生きる畷警あなたの労働で生きなさいと、神 は議っている.籌策には、『あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。 あなたは土から取られたのだから.あなたはちりだからち瞬にかえる鑑とあ る。この葭葉は、アダムに嬉して綴人的に語ら蕊たのではなく・人類のすべて に養してのものであ警、その代表として彼に語られたのであって、堕罪の故の 人類への競いである、と我ぶ著者を擁護する入溝あるかもしれない。 /神は人聞とは異なる語吟方をすると、私は繕じている。なぜなら神は人聞よ りもよ吟真実によ鯵確かに語るからである.しかし神が人購に語ってくださる 時、人間の問で旋罵されている露語の規則に逆らって、大鷺とは異なった仕方 で語るとは考えら為ない。そういう譜し方では、入閣の縫方の程度に合わせた ことにもならず、せっかく人聞に話かけようとしても・霞葉が還じないために 議しても神の意纒溝無黙になってしまい、語されたことを人翼は瑳解できない・ たとえ義が著者の教説を維持するのに必要な聖書の解釈が更しいものと受けと られねばならないとしても、私たちは神についてやは瞬このように考えなけれ ばならない.というのは、神がここでアダムに蠕して、つま穆単数で藷るもの が、もしすべての人類に話されたと饗解せねばならないとしたら・そして・神 ﹁3 7 蕎政挫会講集 第9巻 第3・壌畢 が勝継記垂第i章26・28節で複数形で誌すことが麹の人聞のすべてを除いて アダムだけについて害われたものと遅解されねばならないとしたら、そして、 『麟鍵記蚕第9章で神がノアとその息子らに合わせて議すこと瀞、ノアだけに 向けられたものとされ,ねばならないならば、露語の通常の媛鐸墨では、神の語る ことを遷解するのは非常にむつかしいであろうからである。」(G至一45、総〉 さらに、フィルマーのいうアダムの父権釣書主の菱統なぜ継承者まが確定さ れていないといって、フィルマーの主張に根麺潜ないと馨ックは撹凝している. 匿かくして、破の設立した書主政がどのようなものであったかを、彼と彼の 門弟たちは考察すべきであろう。確かに書主だちは、こうした新しい政治学に 感謝する大きな建曲を持つだろう.その政治学は、すべての瞬に,子供らの父 観たちの数と購じ穫多くの維薄君主を懸位させるのであるから.しかし、この 数をもって著者を責めてはいけない.破の原理によって議論を進めればこうい う結果は不可避なのだから。蓼生む権利選によって『父幾たち薄に『翻権力垂 を与えているのだから、子撰奏ら子洪らを生んで父となったとき、この者に射 してこの権力のどれほど多くを属させるかを、彼は簡単には決定できないので あ滲、その結集、すべての権力をアダムに与えなぶらも、しかも破の子供らに、 綾らが幾となったとき、綾の存命中でも権力の一部を許し,それを撮みえない という、非常に露難なことになったわけである。このことは、我が著者の表現 を非常に紛らわしいものにするし、破が『父たる身分誰と辱ぶこの絶対的な霧 然の権力勝どこに位置するかを非常に不確かなものにする.」(G至一7i) むしろ、聖書勅語や人聡の歴史(猛圭st(減勢が示すものは、人知の及びえな》・ 人聞の身体の撰進の造蓼主なる神の意籔のもと、雨霧の軒種の保存茎本態の産 勃としての子どものヂ誕生壬とダ養育まが郵生めよ、増えよ.地に満ちよ」と いう神の人類へや鏡福の電葉に沿うものである、ということである、とロック はいう. そして、宋灘歓会においては確かにフィルマーの捲摘にあるように、家父長 が家族を外敵から守るために戦時における統治者になることはあむ、又、肇書 一76一 薦疑桂会読と近代的麺疑地主義(葎藤宏之) にもぞうした記遠擦あることをロックも認める。しかし、それは、父権的維婦 君主致ではなく、家族籍成員の嚢己保存のための瞬意まに基づくものであ甑 仮にその家父長が外敵に航しえな》・と番う場合には、必ずしも歪統な夢継承者」 ではない者瀞統治者になるというのが懇書の配達であるし又、史実である のであって、フィルマーの父権的維繋王政論は事実的帳擁を持たない、とロッ クがのべたことは羨にも見たとお鯵である. こうして、律ックは、フィルマー撹甥の方法として、まず、事実的帳鎚の重 要性を聡いている. 「アダムに請して語られたこの授与が、綾と全人類に録してなされたもので あるということは、我潜著者察身溺ゼ詩編雲作者から撰濡して譲謎としている ことからも瞬らかである。『詩纏垂聾者は、『神は大地を人の子らに与えた雲と 達べておむ、匿これは権原が父たる身分から由来することを示す遜、と我が著者 は害う。これは鶴に撰篤した序文におけるワバーート郷の書葉である。罫神は 大地を人の子らに与えた遜、それ故に、『権原は父たる身分から震来する渥と破 が奮うのは奇妙な推譲である。ヘブライ語の娯霧語法が、人類を表愛するのに r人の子ら董の代わ弩に人の父を篤いなかったことが、わが著者にとっては適 憾なことであった。もし夢人の父選であったならば。書葉の表面からは、この 『権原垂がゼ父たる身分毒に嶽来すると害えたであろう。しかし、匿父たる身 分選は大地への権利を持つ、なぜなら神はそれをr人の苧環に与えたのだか ら、と結論するのは、我が著者にのみ特有な議論の仕方である。このようなこ とができるためには、人は言葉の表醸にもまた愚昧にも反して進む健大な精神 を持たねぱならない。しかし、愚昧の上からいくと、我が著者の欝的からさら にかけ離れていくのである.というのは、彼の有文に示されているように、そ れは、アダム摂鴛主であることを誰題することであ弩、綾の推論は、『神は大 地を人の子らに1与えた垂これすなわち、ゼアダムは盤界の書生であった蓋とい うにあるからである。『人の子ら毒が、父を持たない破、すなわちアダムだけ を意1蕨する、ということが示されるまでは、この推論は葬常に明白な不条遷か 一77一 行敢縫会論集 第9巻 第3・雌号 らは遜れえない。これよむももっと愉快な織譲を瞬き轟そうという人はやって みるがよい・しかし我ぶ著者が述べていることが侮であれ、聖書はナンセンス なことを語っては》、ない.ま(G至『綴〉 これは、『人聞落盤論遜での方法論、すなわち観察による事実の鞍集(単純 観念の獲得〉身建義にもとずく複合観念の形成(解衝・カテゴライズ重機念と してつかむ/⇒諸複雑観念の合成による仮説(蓬論〉の形成⇒実地縷証という 一連の認識罵鴛動の方法論の第i段酷である。 第2は、定義の重要盤についてである。ロックは、フィルマーがζ父権まに ついての定義をあいまいにしているといって幾利している。 r我が著者がこの種の譲文を書く手法においてそ為ほど熟達していないとも 思えないし、議論の中心点につ》・ては不注意だとは思えないのだが、鞍霞身が 蓼渡合王政の無政府煙雲239質において、つぎの熱き書葉でハントン氏に異議 を申し立てているのは迂縫であった。匿まず第iに私が著者を翫判ずるのは、 披が一般的に嚢主政についてなんらの定義または記述を与えていないからであ る。というのは、方法の規灘によれば彼は最密に定義を与えるべきであるから垂. これと講じ方法の焼殺彗によれば、ロバート郷は、披のいうゼ父たる身分雲、 蓼父の権威垂とは擁かを、誰々の串にそ為が見鎧されるとかそれについて多く を語る繭に、我々に告げ知らすべきである.しかしおそらくは、ロバート郷は、 綾自身の空窓において掻いたあのように巨大な形態において、この置父の権威選、 すなわち父および君主の権力の全輪郭を与えるならば というのは穣はそれ ら2つを鍛頁で瞬一物にしているからである一それは非常に奇妙で恐ろしい 像になむ、子盤が想像する薩蔑や薩民が想像する客主とは著しく不一致となる 恐れを霞ら知った。それゆえ、患者にいくぶん渋いかまたは『腐食姓の蔽体蓋 を飲ませようとするとき、それを薄めるものを大量にそれに混ぜる購心深い内 科医のように、ロバート郷はこの権力の凝念を分数させて、読者にあま撃強い 麟激を趨こさず受け入れ’られるよう、嫌悪をおこさないように工夫したのであ ろう、茎(G{一7) 一78一 毒疑桂会議と近代的麺艮地主義(撃藤宏之〉 縫方資ックは露らの噛然状態ま、 騒蓄有権涯、 r毒民縫会業政治歓会まなど のキー概念の定義にあた鯵、きわめて精確である. 罫父権達というフィルマーの遅論体系にとっても最重要性を持つ書葉が、定 義上あいまいなままに議論が進んで無・ることへ伽ック論難はまことに轍で ある。むろん嘗ックも騨父権達(内容上歪確には紅綬権まであるが/という書 葉搬胤ている.しかし、それはフィノレマー滋異構・野ク自身鍵義 のもとに縫われているのである。 観察によって得られた単純観念を定義によって区分し(あるいはそれぞ麹に 束ねて〉、観念として掘饗するという方法は、馨ックが医学において会得した ものである.ガレノス学灘スコラ替学統法の無力さ観てとったロック (とシデナム〉は、病気の症献の観察データの取集に取静緩む。ここでは予懸 を噸撫して、ひたすら嘆象記遠薮垂st鰐碁こ努める・又・一人の観察の 範雛の狭さを飽の人の観察データによってカバーしつつ、できるかぎ鯵のデー タを鞍集する.その上で、類似のデータを類幾し・病名をつ謬る・ここでは 事象からの描象が行われている.この捨象髭馨業にあたって、類似性の基準 を設定するのは、作為であり、これが建義に麹ならない。この紬象化鐸業撰果 たして箆矯をえたものであるかどうかは、遷論(作業仮説〉成立後の実地綾誕 を待たねばならない。ともかく.定義にもとづく緩念の形成という紬象化俸業 は、取集されたデータ〈事実〉との鋭い緊張幾係にあること、これが認識論上 のポイントであることを、ロックは充分にふまえている。これがロックの方法 論における第2段踏である。 第3に、環ックは、事実と遅譲との綾幾を強調している. フィルマーが事実をもって麟を濃化しようとしている・とレ’う鋤叢ロッ クの幾判の方法である。フィルマーのこの翼題点は・結局のところさきの定義 のあいまいさに莚霧するものである。(なおロックは、この破綻の擁として、 曝紅まや曝奪麹など険軸に妨ないアダムの君主権の継承者を事 実としてフィルマー瀞容認していることをあげている諺 一7§一 鴛政桂会譲葉 第9巻 第3・4畢 「もしなされたことの饒が、物事の焼範であるというのであれば、歴史は、 我が著者にこの匿絶薄的父権雲をその嵩みと完成の形態で提供するであろうし. 彼はペルーにおいて、子供を太らせて食べるために生んだ人々を我々に提示す ることもできる.この話は葬常に溢舞すべきものであむ、私はそれを、原著者 霞身の書葉で書きとめておきたい。罫ある地方で一と著者はいう一波らは『 灘よ静も人肉が好きだったので、息が饗れるのを待つことさえできず、死につ つある人間の傷から流れる豊を籔つた.破らは、人肉の公営売場を持ち、そこ での綾らの気違い沙漁は、戦争で捕らえた異都人に生ませた嚢分の子をも容赦 しない程であった.というのは、彼らは矯虜を妾とし、破女らに生ませた子を 精選し養畜し・欝茅壊までには屠殺して食べたからである。母幾が子供を生め なくなり、子供の肉をもたらすことができなくなると、母親を屡殺して食べた.雲 (ガルシラッソ・デ・ラ・ベガ『ペルー・インカ族の歴史雲第i巻鴛章.//人 聞を天髄に近づけるものは饗性であるが、これを失えば、こ為程までに勃勃以 下の残雑な行為をさえ人聞は考えだすものである.漢の真砂より蓬かで海洋より 広い考えを持つ人であっても、惟一の案内星であ修羅鎌盤である遜牲が舵をと らなくなってしまい、空慧と激椿にかられて餐気じみた行動をするときには、 これとなんらかわりないのである。こうした状態では、道から外れて遠くに行 く人が適錘の捲導者と考えられ、多くの遮髄者を持つことになるのである。愚 か者や妊謙者が始めたことも、こうした風潮ぶいったん確立しまうと、習嶺が それを神聖にしてしまい、それに反帰した吟、疑周を持つことは生意気とか気 違いとか考えられるようになるだろう。偏見にとらわれずに経鼻の国々を観察 しようとする人ならば、こうして始まって続いている統治や宗教それに習俗を 葬常に多く見鐵すであろうから、人々の闘で無稽され欝頬されている実践に請 しても崇敬をほとんど持てないであろうし、合遜的とは害えず無知であっても 轟然に従うことによって重しさを保っている人蔘住んでいる森の方が、農ら文 瞬的で合饗的だと称しな摂ら先鱗という権威によって遂から外れている人々の 都市や宮殿よりも、我々に焼筆を与えるのに適していると、謹姓をもって考え 一8む一 毒見教会譲と近代的穂疑簸主義(解藤宏之〉 るであろう.もし、先鯛が続範を確立するのに充分であれば、我が著者は、聖 書の中に雨霧によって犠牲にされた子供たちを、しかも神の震麟身の中にこの 先舞を見鐵すこと潜できるのである。ぎ詩編蓋第io6章38籔には、ぎ罪なき壷、 すなわちカナンの纒像に擁げた、その息子、その簸たちの露を流した邊とある。 しかし、神は我が著者の窺籔によってこれを裁くことをせず・神の正しい法に 敵薄するこの実践に権威を与えなかったのであ導、それはさらに次のように続 いている。『こうして蟹は癒で汚された、それゆえ、主の怒蓼渉その疑に麟か って燃え、その綱業を績んだオ.彼らの子僕を殺すことは瀧行となっていたが・ それは置罪なき露里として綾らに罪を負わせたのであ甑偶像に子供らを供え ることは偶像崇拝の罪とされ、神の審肇1では殺人罪とされたのである。ま(G三 一57・58〉 しかし、βックは、事実のもつ重みを軽梶しているわけではない・賞ックが 方法上の要点としているのは、事実と建議との、いいかえれば具象と紬象のそ れぞれのレベルの区懸をした上でのそれら譲互の絶遠なのである。事実に基づ かない遅輪形戚をロックは綾擁する。その典型例はスコラ哲学幾鵯である.縫 方事実をもって建論に代える解ごとき態度も採らない.定義に基づいて事実を 匿分し凝念としてつかみ、それを集成して運論化を醒るという捨象化の婬業は、 まさに約束事艦フィクションのレベルに属するものであって・そこでは・厳密 な論理的摸作が不可欠である.このレベルでの枢要点は、論理的根髄である。 『統治論蓋第2篇での辮有権(罵人権)保瞳のシステムとしての冒ックの致治 遅論体系は、この方法が駆硬されている、といえる.すなわち、労簡に基づく 瞬有権⇒瞬意に基づく法的癬有権麟その保全のための統治行為嫡実地験証とい うのがそれである.(ちなみに、買ック道徳哲学の方法は、縷人にとっての善 (利己心〉の追求⇒利己心の権互保瞳誇そのための蛙会機簿翁実地験証として 構成されている。/ これが方法論土の第3段灘である。 第4は、実地験証の不可欠性についてである。冒ックは「入舞数と生活便宜 一8i一 行政桂会論集 第9巻 第3・4号 品の増大達を政治理論捧系の実地緩証のポイントとしてあげている。 「我が著者は綾のすべての諸考察においてこのi点においては目身として一 貫していて、この量暴に書主漢存在すべきだということに大変な濫意を払って いるのである。しかし、人々淋存在すべきであるということにはきわめてわず かしか漉意を払っていない。そして、実際、綾の統治論はこの盤界の人民を塔 やす道を示すものではない.というのは、絶韓翼主政が全籠の神のこの饒大な 最籾の祝福、すなわちζ生めよ、培えよ、地に満ちよ選一それは、技術や科 学それに生活の便宜の改善を含むものである撚一の罎行に尽くしている動力 がセ・かほどであるかは、広大で豊富な資源を持ちながら『野蛮残忍な誰統治の 下で幸福そうな麗々において、遍去の人βと箆較して3分のi、いやすべてで はないがたいていの麟では鎗分のi、おそらくは臆食分のiは言い遍ぎであろ うが、それくらいの国漢しか現在はいない、ということになっているからであ る.このことは現姦の国民の数と古い時代のそ轟とを銘較すれば誰にでも容 易にわかることである.ま(G董一33〉 このぷイントに照らせばフィルマーの政治学は不灘であ吟、この点で驚とす べくロックは脅らのゼ統治論葦を構想している。 このゼ人員数と生活便宜品の増大塞が神の人類への最擁の祝橿の言葉、F生 めよ、増えよ、地に満ちよ」を承けたものであることはいうまでもないぶ、こ こで特に留意すべきは、理論体系(簿修業仮説〉はあくまで人間の俸為の産物 であ管、その正否は実地に棲証しなければならない、という纂ックの認議論上 の濤覚である。 この認識講上の緊張感は、フィルマ一投料の方法であるのみならず、ロック 嚢身の遅論体系においても方法的に装填されている。それは、倒のF天に訴え る}、すなわち国費的抵航権行整についても耀意されている方法である(G疑 一2葺.又、郵国王大権!の行髄についても講じくいえることである。そして、 より欝欝的に、多数決原理についても罵意された方法である。 この方法を、獄ックは梅よ鯵も緩学蘇究で会得したのであろう。もし作業仮 一82一 薦践縫会論と近代的植費地主義(轡藤宏之〉 議(治療〉蕃実地援護で治癒をもたらさないこと麟わかれば、もう一度第i 段購に震って新たにデータ較集を行うか、第i段踏から第2段踏に移行する 際の概念化の点縷が、あるいは又櫨象化難業での論遅的綴擁の妥当性渉購われ ることになろう。 こ繍坊法識の第鍛階で魏、しかもこの第鍛瀬よ第椴惣こフィ ードバックされるという婚環論になっている。 ロック蓬賄民歓会罵政治歓会蓬における決定(6ec極0狸蹟誌盤露において 多数快の奉迎選牲を説きつつ、その実地験証の不胃欠姓を説いたことは、匿人 購徳性譲婆のr蓋然性」論意匿寛容≦論の娠癒につらなるものである。 注 (繋 難稿ゼジ望ン・ロックの医学達(福島大学経済学会疹藩学論集憲第S8誉第4 号、ig鱒〉. (21翼εal Wo磁,翫ε∫∼露ゴ‘s4Loぬ癒P海霧os妙妙ゴ遵謝謝惚砂登ブ駿㌶醜鰐 C。鰯雁噸翫撒び励磁%伽9欝、・{Ca茎勲漁Pr畿・ig833麟W G鶯t,勲%L・惚奪L醜纏縫,慧.。蓄旛ca響・PressJ§87・など・ 3.アメ縫方植民地論 このところ、ロックのアメ婆力植民地譲が澄資されている。しかも、匿統治 論壽が、弼示的に新大陸アメ夢力に喬及しているものとしてではなく、端的に、 植罠地主義者ロックを表現するものとして読まれ始めている(アルネイユ{iきな ど〉。しかし、イングランド統治論とこのアメ夢力種民地統治論力泌ずしも麗達 づけられず、植民地主義者鞍ック解アメ夢力建国思想史との結びつきという方向 で遥られている。ロック懇懇の伝繕という意殊でこの方癖での発展はなお継続さ れるべきものと思われる解、私は、簿よ穆もゼ統治論誰はアメ婆力植残地統治 論を含むイングランド統治譲として構造的にとらえるべきだと思っている・と 一83一 行致鮭会藁集 第9誉 第3・4暑 いうのも、謬統治論遜はすぐれて、直接的には名誉革命政権の董統姓を譲証す る意纒を持って鍛版さ義たことはr序文」の醗示するとお疹であるし、その 名誉革命致権の五畿経論の中に、しかも不可欠の一環としてアメ夢力植渓地論 がある、と考えられるからである。こうした構造釣堀握を欠いた、ロック懇懇 の部分的継承の跡づけやその翫警1は、全面的にはならず、嘆素遷的搬いにな らざるえない.以下でこのことを遠べることにしたい。 さて、すでにのべたことである鱒、ロックの綜然状態ま論は、歴史貫通的 な琶会的物質代謝遜程を内実とする磨己保存繰瞳論である。この遍程1論は貨幣 導入羨後で大きく籔分され、前者が未麗姓会、後者撰文瞬歓会として播握され ている。 そして、ロック搭瞭然状懇達における公平な鼓舞富の欠麹という不都合を 止揚するものとして講威するのが聴観経会clvll soclety業政治娃会帥lltlc31 soc量ety葺であるが、これを文瞬鮭会dvi至soclety襲踏のみに縷当するもの と腔ック漢考えていたかどうかという論点がある.ところで未醗社会段購で はその内部での争いではなく外敵からの防衛に焦点潜おかれ、戦時での統治者 ぷふつうは家父長に擬せられているぶ、しかし、冒ックはこれを構成員の属 麹に基づく支醗と見ている。この鰹は、アメジカ先建民・インディアン後会 である。これを「毒民縫会罵政治社会」とロックが想定しているかどうか.少 なくとも文瞬桂会でのr常民鮭会罵敢治鮭会」と瞬質とはみていない.異なる ところは、縫会内部の争いを裁くという機能解大きく想定されていないし、さ らに注霞すべきは、統治の領域麟不確定であるということである。 罫父幾がその子僕たちを統治したことから、子供たちは『一人の人の支醐 に興れていた。またこのような支饒が注意深く巧みに、そして支醗されている 人々への愛鋳をもっておこなわれれば、彼らぶ縫会において求めている政治的 な幸橿を充分に保離し守ってくれることがわかった。したがって、披らぷ子供 の時からすべて駿れていて、経験によって苦痛がなく安全だということ麟わか っていた。このような統治形態を選び、唐然にそれに入って行ったのは、全く 一84一 毒見縫会義と近代的櫨費地主義(撰藤宏之/ 当然のことであった。さらにこれに換えて・破らは・統治形態鱒種々あること をまだ経験によって学んではいなかった。また.薦主政搭侮代も続くと起こり がちな、特権の不当な拡大や絡繋権力の弊害に罵心するようには、絶繋的支蔑 の野望や緻慢さの例から学んではいなかった。このような人々にとっては蓼君 主政露は単縫できわめてわか蓉やすく思われたから・駿らが支醗権を与えた人 々の権力濫罵を擁識する方法を考えた吟、統治権の種々の部分をそれぞれ騨の 人の手においてバランスをとる方法を考えた諺するのに苦労しなかったのも、 しごく当然なことである。破らは、專麟的支翫の涯迫を感じたこともなく、ま たその縛代の癒響や鞍らの財産や生活織式からいって(食欲や野心の蝿象とな るようなもの趨まとんどなかったからである善玉)、専舗にたいして心蔑した鰍 あらかじめ備えた参する理由はなかったのである、だから、破らが、すでに違 べたように、もっともわかりやすく鞭でかつ破らの当時の状態や条餡詰つ ともふさわしい統治巖式に入っていったのは、峯然である。その当鋳の状態と いうのは、法律をたくさん作ることよ蓉も、外敵の侵入や危害に備えて鋳衛す る必要の方炉、はるかに大きかったのである。人々はおしなべて質素で貧しい 生活をしていて、その欲望は各人のささやかな勝有の狭い枠内に醸られていた から、争いもほとんどなく、したがって、争いを裁くためにも法律もわずかし か必要でなかった。そして、お互い望んで縫会を作ろうとした人々だったから、 相互に知蔭合っていて友椿を持ち、互いに盤頼し合っていたに違㌢、ないし、お 互いに警戒し合うよ瞬ま、地者からの竣撃を警議せざるをえなかった。してみ れば、綾らがまず第一に心翫し考慮したことは、どのようにして外敵に薄して 身体を保全するか、ということであった、としか考えられない・破らが・その ような欝的に最適な続絵様式を選び、そして載争の時に、綾らを指揮し敵に 籍して先頭に立ってくれるような、主にそのような意味で支醗者になってくれ るような、もっとも賢瞬で勇敢な人を選んだのは、当然のことであったのであ る。ま(G狂一驚7〉 ロックはインディアン社会を狩猟採集経済とみている。定盤農耕以前である。 一85一 行政歓会譲集 第警巻 第3 4慰 したがって新大陸にはζ荒蕪地まぶあり、そこへの文明桂会からの入植が奨励 されるのである. 文瞬縫会では貨瞥導入以後、噛数鱗醸iぷクジアーされ’、又それが耕地の 貸借麗係をも生み、罫充分麟幾をク撃アーするものとして入植撰奨励される のである。した潜って文瞬社会蝿慈の「帯民歓会並政治社会まは、私有地(お よび契約による公有地〉からなる国土=覆土という基盤の上に成蓼立つダコモ ンウエルス薫国家共疑鉢」である。嘗ック解、土地辮有者がその相続者も含 めて、r国家共同飼への瞬意達を表わすものといって、これを強調してい るのは、近代におけるゼ睡境3の厳密化罵確定を示している。 r国家共構体はその領地の一藻摂取滲去られた鯵、その共講体以外の人勝そ れを持つことを許さないので、その子は父幾と講じ条件、つま管その社会の一 員とな参その霞のほかの羅畏と同じようにそこに確立されている統治にただち に臆するという条件を守らなけ為ぱ、ふつう、父幾の財産を櫓続することはで きない。ゼ統治のもとに生ま義る自由残は、ただ瞬意によってのみその一員と なる垂のだ麟、この緯意は各人が成人になったとき瀬々に尉々に与えるもので あって.多数の人が一緒に与えるものではないのである.ところ解人々はこ紛 ことに気づかず、岡童などまったくなされていないと考えるか・あるいは不必 要だと考えてしまって、彼らぶ生まれな越らにして艶民である、と結議するの である。ま(G貰一猛7〉 ロックは文明歓会における壷縁牲の低位や希薄化を捲摘し、また、商贔経済の 国際化の進展をも見据えながらも、そして、生まれながらの脅霞罵準等牲の故の 隔意」に基づく支配=被支翫縫係にも留意しつつも、なお、土地藪有という地 縁性について、交通不可能なものと見做している。このことは、ロックカ弐ほぼ近 代的国家共羅体竺近代的ナショナ穿ズムの総体を掘握していたことを示している。 この近代的国家共鐸体の硫分趨幾をク夢アーする方策解素絹社会への植 民である、その場合、ロックは鉱物資源等略奪をすすめるスペイン等の径撮を 幾鵯し、先住罠インディアンの狩猟採集経済の侵害とならない罎参でのr荒蕪 一総一 議長歓会譲と近代的植野地主義(轡藤宏之) 簸_碇濃耕を謝る.そして、鞭搬縮獣焔雑則ンディア ンの文明化を懸る、『統治論選第2篇第5章いわゆる匿翫有権章謹での叙逮は、 絵鋤質欄羅機構揃後掩う鍛駆分をしつつ・脇擁糊 縫会よ誓文醗社会の生産力の優位を語っている。 「このことを誕窮するのには、豊かな大地を持ちな爺ら、あらゆる生活の 便宜にお雛ては貧しいアメ撃力の諸部族ほど、よい倒はあ叶えないであろう。 後らは、密然からの食勃、衣騒、便宜贔として成警立つものを豊富に生産する のに適した羅沃な大端と豊かな資瀬を、ほかのどこの国難にも負けないぐらい 惜しみなく与えられてお雅な麟ら、しかし・それを労傷によって改良する点に 欠けているので、勧の鵬分の憐どの髄錨持っ難’ない・そしてそこ では大きく豊かな領地の馨王が、イングランドの響雇労鰯者よ瞬糧末なものを 食べ、貧しい家に住み、粗末な騒を着ているのである。墨(G登一4塗) したがって、スペイ壌の翻授」ではなく、あくまで「適職しか碇 住農耕桂会の建設が質ックのアメ夢力種蔑地論の基軸である。ロックのこうし た植残地論は、しかも神学的弁証でもって仕上げられて駆る。有名な聖書物語 瀕覆れ、入榔葺神の綿賭しての燗鱒意実現の責務として藍靴 さ為ているからである。これは、アメ夢力大陸にとどまらず・地蘇大的規模で の穂残の更当盤論に飽ならない・ した都って地琢上の荒蕪地への大穂を離害するものは∫不当な戦争まを仕 灘た轍に、r礁な戦翁傭象となる退し・そ囎害者鋤鮮繍圭 匙できるのであって、それ以外のもの(子孫を含む)を奴隷にした甑又、そ の鍵を(賠擬卿て〉菊こ墨できな硬熱る(畿治灘第2篇第 蔦章ρ薩醸について輩/. ところでこうした定住農耕を中心とする植民地の地球大的爆模での展麗論は、 ボ。ッ硬魏の.特にその第職謙る聴鰍態論こリン舛る不敵の 環である.こ醜、地獄蝦模でのアダムの父齢絶禰激論妙なる 罫フィノレマ一更鰻重に蝿置されている。ロックの第2篇蟹頭でのフィルマー 一87一 待政経会講集 第9巻 第3・畦弩 (そしてまたグロティウス)に代わる遷論体系の構築宣言は、このようなもの として受け建めることができる。 「地上の支翫看たちは、あらゆる権力の基盤と震われているゼアダムの独右 的領有権と父幾の支醍権蚕からは、なんらの恩恵も受けないし、また権威の片 鱗すら引き鎧すことも不可籠である。そこで、盤界中のあらゆる統治はただ武 力と暴力の産勃に過ぎず、人聞は動物と講じように最強のものが支醒するとい う決まりによらなければ業間生活ができないのだと書って、たえざる無秩序、 滲禰、争い、反蔑、謀反(あの仮議の鱈奉春が大声で反対したのはこういう事態 なのだが/の種をまこうという考えかた潜生じないようにするためには、ロバー ト・フィルマー郷の教示とは磐密こ、統治の発生、致治権力の趨源および政拾権 力をもつ人を定め識磐llする方法を是葬とも冤患さねばならない。窪(G登一i〉 「我々が察然運性にした撰って、人聞はいったん生まれると慮己保存の権利 を持ち、したがって、飲食勃とか露然が生存のために与えてくれたその弛の勃 とかに鰐する権利を持つと考えるにせよ、あるいは啓示にしたがって、神潜ア ダムとノアとその子孫に薄して髭纂の一部を与えたという説瞬を受け入れるに せよ、いずれにしても瞬らかなことは、ぎ詩編露第i蔦篇第i6牽で、ダビデ王が、 神は疹大地を人の子らに与えた藷と語っているように、それを全人類の共有 勃として与えたということである.しかし、このように考えると、どうしてあ る人オ三韓かへの翫有権を持つようになったのか、ということを大変疑問に、馨う 人がいるかも知れない。この疑問に薄して、神がアダムとその子孫に量界を共 有物として与えたという前提に立てば.瞬有権を遷解することは露難だから、 神がアダムとその後継者に、それ以外の子孫はすべて除外して、童舞を与えた と考え、した麟って盤雰中を支醒するただ一人の嚢主以外は誰も駈有権を持 ちえないのだ、との答えでは、私としては満尾できない。私は、共有物として 神が与えたものを、人々がいくぶんかずつ震有権を持つようになったのはどの ようにしてなのか、しかもすべての奨有権者が明密な契約をしないのにそうな ったのか、を瞬らかにしてみたいと思う。」(G霞一25/ 一88一 霧罠歓会論と近代的植民地主義(學藤宏之) では、これは、イングランド統治論といかなる連縫のもとにおかれているか。 イングランドをはじめとする文購縫会は、すでに農工分割を経遍中である・そ の騨総は翼ックの罫奉1子・貨幣講蓮にあるが、『統治i講書謬蓄有櫨…章にも農工の 社会的分業把握の一鶴が瞬馨に示されている。 f我々が食べるパンの中で考慈されなければならないのは、単に雑作農疑の 労働や、鍛滲入れ、続穀の労苦や、パン焼入の汗だけではない。牛を麟らした 人、鉄や石を羅って織工した人、黎や水車場やかまどや、その勉この穀勃か蒔 かれてからパンに作られるまでに濡塾られた膨大な数の道具のための木材を饗 穆擬し組み立てた人、こういう人々の労縁がすべてぎ労働として謙算され垂労 働の成果として受け取られねばならない。轟然と大地とは・それ嚢体としてほ とんど無懸値の原料を供給するだけにすぎない.匿パンの一荒一片壽が我々の 舞に上る前に、ζ繋労が提供し釈絹したもの垂を.もし遮ることができれば、 奇妙な『物品一覧表遜ができるだろう。鉄、薪、皮革、本読、石、燥瓦、滋炭、 着灰.織勃、塗料、鰹青、タール、マスト、P一プ、その飽誰か職人炉なん らかの廷事で稀霧した商品を運ぶ船に使わ託ているすべての材料まで数え上げ るとなると、これ,はほとんど不再籠であり、少なくとも多すぎて数えきれぬほ どになるだろう。達(G登一塁3〉 そのイングランドの縫会的分業の補完をなすものとしてアメ婆力植疑地が麺 置づけられている.その位置づけは、素材連縫のみならす、農工のζ中産的生 産者屡ま(大塚久雄氏/の蓄積基盤の一角をなすのものとしてである。 したがって、畿治論著は櫨浸地統治論を含む名誉革命致権の琵統鑑識とし ての性格を持っている.その意殊でr統治論選の機購譲にお》・て罫連合翻が あげられているのは儀然ではない. rすべての撰家莫罰体には、もう一つのぎ権力垂がある。それは、すべての 人が被会に入る以羨に『生まれながらに垂持っていた権力に鰐応ずるものだか ら、自然権と呼んでもよい.麟家業構体においては、その成曇絃やは管権互に 離々の人格を持ち.そういうものとして縫会の法によって統治されているのだ 一89一一 行政縫余毒象集 第9巻 第3・違選} けれども、しかしそれ以外の人々に僻しては一体とな瞬、以前に各人がそうで あったように、人類の飽の蔀分に凝しては.なお轟然状態におかれているので ある。したがって、縫会の一員と祇会の外の人との問に争いが起これば.それ は、その徒会全体の購題として取攀援われ、歓会の一員に危害溺換えられれば, 縫会全体がその報復にあたることになる・このように考えれば、其織捧は、そ の外の飽のすべての露家および人々に録しては、藝然状態紅おける一つの集懸 となるのである.茎(G醗一越5〉 「そこでこの権力は、覆家業瞬体以外のすべての人々および共瞬体との,戦 争と単軸、講盤と条約、その飽すべての協定の権力を包揺するのであって、し たがって、ζ連合権唾と辱んでもよいであろう。もっとも、内容がわかっても らえれば、私は名辞にはこだわらない。釜(G疑一錘6〉 しかも、イングランド名誉革命政権は、ルイ鍵盤濫フランス絶繋王政のイン グランド従属化政策に呼応するチャールズ2盤コジェイムズ2毯の瞬仏鍵羅 的再版縫蝿主義達(驚驚年罫ドーヴァー密約達は、この具体的典型である〉か らの綾部を纒る(つま滲、独立と国漢的生産力の解散〉という量雰史的課題を 持っていた.そして注意すべきは、フランス絶麟王致とスペイン維贈主致との 結合であ撃、そのスペインの新大陸アメ婆力との覇権争レ・は、新しい名誉革命 政権の軒強震進化戦略にとって重大な意義をもっていた。 r統治論遷での「ロック史観≦は、こうした名誉革命の徴界史的意義を如実 に瞬示するものであったといえる。名誉革爺政権の簸重要の戦賭鍵点である 「通商植筏委員会涯 そのフルタイトルは、‘‘議s醗段les竜y}s Co鍵盤lss沁総rs 蛋orβro搬ot鍛警t}詑丁撒《董e磁出童s K盤9δ{}搬&蟹童∫oギ酸s夢ec旗響出e P璽a凱aも lo盤1ηA盤erlca餓感elsew焼rゼである の委員への轟王ウィ夢アム3繊 捲名による就任(蔦鰯年)は、ロック思想の実践の機会であった。 一欝一 毒浸縫会講と近代的植浸地主義(轡藤宏之〉 註 轡8我rむar寂A搬e銭,/θ厩・惚醗紐鰯離隔β瞬箆‘躍E㎎鰍鋤癬 醜,縦磁,i鰯.灘一偏誑して織縞雁跳蟻者としてのジョ猶覆 ックま(ζ福島大学教畜学鶴譲葉遷(歓会科学鶴野彗鴻第磁号、懲96)を参蕪され たい。 4.小 括 。ック畿漆謝騨フィルマ梗観1獣籾、神の人類へ嚥初の擾擾 の言葉ゼ生めよ、堪えよ、地に満ちよ」、つま駄夢人麟と生活便宜品の塔大墨 に資するための政絵学として講懇されたこと、そしてそのための方法がぎ大鷺 溶性論蚕に基礎づけられていたこと、したがって・植野地統治論を含む名誉車 轍権旺雛謙、随撫を郷ものとして地球大蝦縷で・つ離離 界史的意義をもっていたこと、そしてこのような意練で匿続絵隷雲には継ッ ク史観豊と言いうるものがあるというのが本論の要蟹である。 一9i一