...

まちづくりとメディアイメージ

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

まちづくりとメディアイメージ
Kobe University Repository : Kernel
Title
まちづくりとメディアイメージ(Town Planning and
Town Image)
Author(s)
森, 涼子
Citation
兵庫地理,45:22-38
Issue date
2000-03-31
Resource Type
Journal Article / 学術雑誌論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002426
Create Date: 2017-03-29
まちづくりとメディアイメージ
森涼子
1.はじめに
l
友i
J肝イメージ j がイl
ザC, よ る と さ れ た こ こ
J
)i代を '
1
:
.きる J
た々の J
S
J
I井│には、 '
k
¥二本長々な
'
/
(
JなJ
J
)
j
J好イメージとメディアも合
では、伽│人 I
t
l限メディアがイ{イfするけその多くは 1
9
7
0
{
r
↑
(
.
まれるであろう社会的場1肝イメ』ージとが、 1
代に♂、速に!よがり、中川と深く I
Y
<
Jってきてい
いに影苧Fしあっていることになる{
r
Iメディア
るけ特に、性まれながら多くの↑"
JN
イi
I
l
J
W
:!
l
J
: は
、 ある J
坊!折に I
U
l
f
l
jき
、
吋
f
Iらカか、
(
小
和
1
何
に[JtJまれてきた )'i~・にとってそれはi'1~リ j のも
の行
f
わJ
:
l
為
‘
与
bを寸す→るために抑郁)
r
打
i
I
市i
1
仙
'│
のであり、各人なりの '
1,
'
j
Wメディアとの絞し
とされているとは m民《らないと J旨 J品I~首j した\\{什)ま
)
jを築いていると考えられるハ
た
、
『ぴあ Jなどの情報 i
f
',
Wに代夫される
I
HJ
J
tしたことによって、
「カタログ文化 lカ{
都市に│対する附械を党イ 'I しているメディア
f
;
t米の I
I
?籍、;祈│町、何L
誌
?
皮を
などの紙煤体、テレビ、ラジオなどの ,' U
'
l
fをどのように 選
j
主
羽
択
て
寸
す
一
之
}
カ
か
、
で
[
'
什
'
[
分
なかから、 f
はじめ、以近ではインターネソトのホームペ
札
作
l
例
i
J
市十
,
性
│
の1
ージ、や J1547 屯 , i,~. サービスなどのデジタ J [,,- 'lùNI
J
日J
品│白するカ ヘ
f 、このことは、メディアが行{i.の
も見受けられるけそれらはそのお)
1d
iの j也J
I
!
!
.
I
'
!
'
)
'
I
j,
f
jや思考に深く W
Jっている J
J
Lれといえる
さらに }&ì~î[iJ'/は、 J,g J9
f/J{I
f
'
H"
1i
l
1ヒ
さ u る)
@
f
'
,
:
と
イ正する,
も数多くイf
1\/: 問、気候、 )11ポ~、観光から、|州 IlJj やイベン
ト、
;
t,
Jよされた様々な仙械の
多くの人々に、ド咋に i
k 気ゃうと ;I]} 状況といった JJ~ {
I
:j
並行形のも
メテ、、イアによる│マスアイデンティティ│形
J
た々は
成との I
Y
Jf
系を,i命じているが、その 1
2
1 「F
l
t
j白メ
j械を 1
c
1,
¥'している
のまで、株々な↑1
1
)
よ;
I
Iメディア]とはりIjに、 │丈
h
'
j
:'
f
l
Iメディア j を1
¥
/
:[(',':づ ~t ている i ¥ そ れ
化'
は、送り子が受け Fに必安な '
i
f
i
N
iを子め f
l
(
:
心
これら煤付i を必~:なときに必要なだけ不IJ)11 で
ディア│と
きる環境にあり、多彩な十I
l
j
:
f
i
lをr
i
¥q
i
.に人子す
jで、作
ることが"1'能なのであるしかし働 }
J
j
ーされて
られた怖阪には多椋なイメージが什 I
おり、
して
J
え々の,な 1設に影 7
4
iを/}えるばかりでな
.
m供するものである,
I
'
I
JH
.
jに、'乏け子も
定引てしているため、
送り子を j
ゐ4
れ
I
n
く、場所そのものをも変化させるモーメント
カまあるのではないかと与えられる
1
山
,
i
1
Jj
{
ι
J
t
;
;
白
の川
川
1
i
日
り
l
jにはあ
r
1
日
I
送
j
主
り 千川
印
!
J
側
仰
似
1
官
I
J
川
!
I
の .
)
j
(
的
内
l句
な
角
解
午
相
釈
〈
で
で
、
は
な
く 、ある干れ
l
l
!
坊!折イメージに I
Y
<
Jする f
J
i
f
允は、
メディアと 1
)~支it: 交け子{制仰側!!印川!り川|リl の与.えも)以又心l映映された i仙 版
YIII であるな
1
9
8
0年以降に数多く兄られる, u
;
[川ひとみは、
らl
工、そこで i
i
i
iられる「イメージ│は、;2iり
~性ファッションネff: j,Lが提案する旅行, i~'F を
jのイメージを融合したもので
子と交け子叔 )
愉しむ、いわゆる「アンノン朕 I に?ì~ 1
Iした
i
J
I
:
'
j
'
eからはいえゐ"しかし、
あると、L!先行i
のf
│¥1970年代後、r.に流行したこの現象は、メ
のイメージづくりに I
Y
Jわる主体としては、
J
坊
!
りJ
)
j的なイメージ{、I
与の
ディアから読J;.への .
卜
'
., i~ /ÛJj 行以外に地域1t:人や),I[舗を日'む人々も
JJ~ 実とされたりまた IJ~ I
I
!)
l
f
t文は、
化について論じたけ
J
坊!肝の l
u
;
J
A イ
ド
イ:
1
する(
1
1
坊所イメージ lはある
i
~休がある場 J9r に対して思し\ iNi
そこで、本稿では神戸市 r
l
'心部の I
I
I
J,
l
H
Y
f地
く心的な IJ~J 谷
とトアウ1.ストという Zつの地│ベを対象とし、
のすべてであるが、そこには共通の「社会的
1
正史やまちづくりに対する取りキI
Lみ
、
各地│ベの )
2
2-
およびそれらとメディアイメージとの関連を
商 館 が 建 て ら れ た u その多くは、ガラス窓を
考察することを日的とする口両地区はショッ
用 い た 赤 煉 瓦 や 木 造 洋 風 の 2階建てである。
ピングエリアとして新お-に人気ある地区であ
1
8
9
4 (明治 2
7
) 年日米通商航海条約が締結
り、メディアでも数多く取り上げられており、
され、居留地は 1
8
9
9年 7月 に 日 本 政 府 に 返 還
さらに地域住民や商府主がまちづくりに積極
された り し か し 、 外 国 人 の 居 住 は 引 き 続 き 認
的 に 参 加 し て い る と い う 側 面 を 共 有 し て い る 。 められた り 返 還 後 の 旧 居 留 地 に 進 出 し た 日 本
このため両地以のまちづくりの変遷と雑誌記
企業も多く、交通網や港湾の整備とともに神
事の記述をそれぞれ考察し、そのうえでまち
戸のビジネス中心地としての機能を高めてい
づ く り が メ デ ィ ア イ メ ー ジ に 与 え る 影響 を比
った 。特 に 第 1次 世 界 大 戦 下 で は 造 船 ラ ッ シ
車
交
検;
Hしていきたし L
ュによ って 繁 栄 し 、 さ ら に 関 東 大 震 災によっ
て大打撃を受けた横浜港がかつて取扱ってき
2. 旧 居 留 地 の 歴 史 と 現 在
た 輸 出 入 品 の 搬 入 も あ り 、 神 戸港の需要はま
1)歴史
すます増大した 日
兵庫港は
8くは大輪lHi
E
I、 あ る い は 兵庫 津
この頃までは庄留する外国人も多かったが、
と呼ばれ、人米・日明貿易などを絞て、 国際
昭和に入り日本が国際社会の中で孤立してい
的な貿易港としての地f
¥
i
:を築いてきた 。江戸
く中で彼らの活動は後退を余儀なくされ、第
司街道の宿駅としても機能し、 j
毎
時代には両l
2次│せ界 大戦 勃 発 を 期 に 、 そ の 多 く は 出 国 さ
限 双 方 の 要 衝 と な っていた
せ ら れ た り そして、 1
9
4
5年 の 神 戸 大 空 襲 は 神
H
5
8 (安政 5)年に締結
この兵障の泌が、 l
第 1表
された I米通 f
I
百条約により神奈川(横浜)な
ど と と も に 開 港 さ れ る こ と が 決 定 し た け しか
し、兵庫港は反日の勅 r
'
t
F
が得られず、 1
8
6
8
(J菱謄
4) 年にな って 、 兵 庫 港 東 方 の 神 戸村
に開港地が変更された 仁 、月時砂地と水田が広
I
b
J
/
t
r
}
W
I地 と ト ア ウ エ ス ト の 略 史
出来事
年
1
858
安政 5 日米通商条約締結
1
8
68
慶磨、 4 開港
列1
台3
2 居留地返還 (
7月 1
7A返還式)
1899 l
1
907
1
9
1
4
1
9
23
がる神戸村カ {
j
室ばれた背;去には、外│司人と日
1939
本 人 と の 衝 突 を 避 け る と い う 目 的 が あ ったが、
1
9
4
5
'
IO
1
2 関東大震災
昭和 1
4 第 2次世界大戦勃発
20 神戸大空襲
終戦
これによって大規模な)片沼地を造成すること
この頃、国際地区共助会発足
ができた ん その後の略!とは第 l表に/示した り
I
i
j
l
lをに、!ね;は旧生出川 (
現・フ
開港決定と [
2
0
2
7 アメリカ海軍が居留地に進駐
1
950
25 朝鮮戦争
1
9
7
7
5
2
1
9
8
3
58 「旧居留地連絡協議会」名称変更
1
985
60 景観形成市民団体に認定
I
I筋)、
ラワーロード)、西は鰐リ 1 (現・鯉 J
北は I
何回街道 (
現・大九とミ宮神社の聞の道)
に困まれた海岸沿いの範聞に外国人凶留地の
トアホテノレ開業
大正 3 第 1次世界大戦勃発
N
H
K連続ドラマ小説「風見鶏Jで異人館ブー
ム、レトロブーム
「
神戸市都市景観条例形成地域 J 指定
建設が始まった わ 設計は吋初からイギリス人
1
9
8
6
6
1 シンポジウム「旧居留地の昨日、今日、明日」
]
.
w
.ハートがあたり、 q
l央に幅約 20mの南北
1
987
62 旧居留地 38番館が「リブラブウエスト J と
道(広町筋)、さらに府留地の外周道路と東
1
9
95
してオープン
平成 7 阪神大震災
旧居留地地区「区画整鹿 J決定
阿に 2本、南北に 4本の道路が建設され、全
「
旧居留地/復興計画」発行
体は 2
2街区、 1
2
6区の碁盤日状に分割された 。
1
9
96
8
欧米のストリートと同様、町名は道路に対面
1
9
9
7
9
「旧居留地/都心づくりガイドライン J発行
「トアロードまちづくりコーポレーショ
する以割に与えられハ、現在も使われている 口
続いて外国人建築家の子による近代建築の
「トアロードまちづくり協議会 J発足
ンj 発足
1
999
-2
3-
0
0年 祭
1
1 神 戸 旧居留地返還 1
f
hJ也や j住 i汚に l;k ìl占的な打撃を• '
j
.え
、 I
1
1}
r
'
}
}
I!
rf
キーワ、ードに人々の i
.
)
J
U
!を集めることに J
&t
沼地も約 7
(
)(}{)の住物が倣 j
点された;
1
9/
1
S(
f
l
日
和1
2
:())年の終戦から 1
9
S:2年まで十r
!
l
Lた
Jiに米海兵隊が進駐した)大メL'
!
I
貸出が W
i
:川
されたのである、また ~:)W には十 I!l} ir
1r
打
打;
Ul~(
市[
I
'
Jけの物, r
"
j
' PXになったのをはじ
"[版元 J,
H
矧条例に本づく
め、被災したビルは改造され、多くのビルが
1
'
)なまちなみ形成が│ヌ1t
:
)*
され、魅))(
し
た
;
さ
さ〆
れ
オLた h
¥
¥ し
カ
か
、し
、
佐
徴
史
)
川
│
リj
〉
4
本
三
よ
粁i
凶
庁
はj
川
A
円
斤
川
.
リ
イ
γ
刊
,
↑
十
刊
"
竹
門
1
仇
"
生
L
化し、
h
ここにビジネス f
l
jである I
也にシ
I
I
J片
W
iJ
ョッヒングエリアとしての新たな機能が付加
1j魚
鮮t
ρ
i
段予 σの)~
;
1
打
f~;はUl 形成地域 I
l
d
に指定
11
しかし、 1
9
9
5年 1)jの阪神・淡路大山災は
判
判
り
別
1
1
1川町地内にもピルが i
l
l
l
l
}iリ
十
i全{本に
μ大な彼 ;
i
i
:を及ぼし、 I
I
I
}
r
'日ヴ地
設されていったく 6
0年代の,"
:
J皮粁済成長 W
Jに
i
i
:を'乏けたく そのうち W
内のl()叶京のビルも被 ;
(
!
I
}i
住
人ると、鉄鋼・造船業が担任んになり、十I
はかつての 1
,
i
j汎を l
l
xり民し、出 f
f
f地内に多く
本を余(誌なくされた:2:川、取の1¥'には、 l
f
f
日
ー
に
り
J
~fìl
.伐されていた
の木造住物で '
I'h~(: 飢 (111
1
f
t
の金融会社が進出したけまた、 S7{1:. には JJ~ {
f
:
ノザワ l
!
qの rf(安丈化財)も介まれていた
郎
、 [
J
j
也に 1
1
!
1
}i市役所が移 '
I
i
j
;し
、 }
r
'
;
'白 地 リ;
i
7は政治
これらビルの修復. I
t
H
のj
.tは、十1
1
1
)i
f
也K
I
r
.粁 j
汽のJt'
;
L
、となっていった
j
-I
r
h
jのみならず、 I
,
i
付の法人の集まり
I
I川町Jilil
である川川 w
iJili)主絡協ぷ会(依述)が1¥1心と
司ん\70{1:.1t 後、 r. になると、*;;(村~*ql
の1
t
[
[[
I
I
Jn{~1t くなり、本社機能をや!I} î から点 J~ (
なって行われた
に移す企業が十l
t;
J
(~ ¥
だ
, )
)
1
1えて、オイルショ
のピルが修復を終え、さらに,t'
'dとして
H業ツ出 l
L
1
本の
の機能も拡大して、多くの人がわ:きうとうま九
ック以降の作業 H~j~ の変化が、
Jf( 1
:業
1
(
1
1
)iの J
也杭を似卜させていった"こうして十I
!
I
CBDである I
I
I
}
r
'げi
l地内でもピルに全
きえ(が l
i¥/.つようになり、!?予かなビジネス f
J
j
となった 人々も 1
1
1
}
r
l
;
'W
fJ
也と n
子ぶこともなく、
Jiの
もっぱら[大 lしの ~F~1WJJ とか「オリエンタル
ホテルの辺り j などと呼ばれ
の│対心は滞れていった
~()年代に人ると、
'
1
¥ている 叫に│ジルスイ
ユア←卜 I Iズソカ 1 Iトランスコンチネン
ツ j などの人主 (~'i f
f
r
'が s
m-~ 99{f.に
i
'ブランド J,
として p} び~, íj~( づ~
よ
;
(
j
1
.iにオ¥ープンし、ショソピン夕、..J_リアと
l
r
m
しての 1
[
I
IJ¥こある}ま
也の範jJ
1
1)
1が拡大何[
,
'
けi
1
fJ
';'問地へ
、I
I
I
J,
た、 9()11'~ 代後、1".は )'i
;
[
r
I
Jが 1
f
i
'のブランド['Il'[,t!,'
匂
まり、 │プラダ I I ジノ t ンシ~- J I
ブ J ンデ
ィj などの 1
1
1
j級プランドにも )
'
iJ1'の安が見ら
J
IIIJ 斤
r f可;f日/{υj地也は l以),
こうして JJ~ イ1: でははとんど
i
jとは j
,
主う
人
f
さらに、 「ビショップ J I
ユナイテゾ
1
1
ドアローズ Jといった 1
'
.山 カジュアルスタイ
J
:
i
:
1
在
的
観
}
見
、
l
L
U
h
U
j
れる、
1
J
q
洋
、
下
{
:
(
的
多く残つている近代 i
、
住.ll築物や 阿
珂
可
山(
引f
任
街
}
釘
怯
企
み
、
l
r
内
i
J花
I
が
、
│
山l
それが醸し ハ
l
す
!
恒
恒
史
的
す
劣
メ
│
い
川
)
月
川H
1
1
i
ル
主
勾L 円
昨
与
の Iレト
時
i
ルのセレクトシヨソプの l
i'rJJ~ により、 11 1
J
;
l
;
'
W
f
j 女し、プテイソクや飲食 J[ifが
口ブ一ム」に合 致
J也を rW れる容の fL~1f 歯()イヒが進行しているけ
点','‘
徐々に立地し始めたのであるけ
まず、大興ピル 1I併に 19~6 年そのぞl も「レ
トロ」とし E うレストラン・ノすーが 'rJ3~ する 'j
I
l
l
Jr f
n地でのまちづくり
也は、i
!
.
j
l初から r
!.G.のように、 1
1
IJ日HWJ
l
l
'
l
l
f
l
I的
に建 J
党されたため、 j
i
iびつきが強│人!
i
也l
ベ│付のネl
~)
n
徐々に眠かれるようになっていたレト口とい
う感覚を川川留地で志識1'1
0にアピールした最
初J
の例であろう 1()¥統し 1てマ削 7年には大 l
し
f
;
'
な地域であったれここでは川川 f
Z地述絡協 l議
i
j動から、
会と大九 u
1
i
J
[
i
fという;つの組織の 1
,
.
;
t沼地 3
をサザピーのプロテ、、ユース
がI
H
1,
8番自H
により「リブラプウ工スト Jとしてオープン
させたのいずれもオフィスとして利則されてい
た近代建築物を商業施設に転換し、"レト口"を
r
T
1
1
1}
WJiliにおけるまちづくりを考えてみたいイ)
:
f
a
.
I
U
J
r
l
;
'
W
f地述絡協議会とまちづくり
'
H絡協議会]は、 I
1
I
I
I
J
r 白地 )
R
J
A
f
l
l地内で
事業を?:?む法令人 1
1
0十:
1 (gg1r1
1JJ
J
iイ
I
J の集
2
4-
.
t;
まりで、戦後すぐに結成された。連絡協議会
員として参加した結果、同年 6月に都市景観
会員の自社ピルと事務所所在ピルの分布を示
形成地域の指定を受けるに至った。この運動
した第 l凶から居留地内のほとんどのピルが
を通じて、従来は近隣の親睦程度と考えられ
協議会に加盟している状況が判明する C 戦中
ていたが、利害の調整が必要になってきたた
のピルオーナーによる自衛団組織を組み替え
め会合の機会が増え、協力してまちづくりを
推進する雰囲気が形成された 11)O
た「国際地区共助会 j が母体であり、当初は
0杜程度の親睦団体であった。
福祉目的の会員 3
連絡協議会で実際に協議するのは、ビルオ
活動が福祉中心になったのは、東南部の関電
ーナーのほかに各企業の総務担当者が主であ
ビル周辺にバラック建物が密集して相当数の
るが、銀行や大企業が多い居留地内では転勤
人々が居住していた点に加え、当時の代表幹
により役員が短期間で交代することも多い。
)
。
事が民生委員を兼務していた事情もある 1ど
それでも各企業ではまちづくり運動に従事す
しかし、 80年代初めからのいわゆるレトロ
る役職を設け、代々その気風を受け継ごうと
ブームによって旧居留地に新たな価値が付加
いう姿勢が定着しつつある O ビルオーナーや
され、神戸市都市景観条例に基づく都市景観
中高年の役員も、部下を指導するのではなく、
形成地域指定を推進する動きが始まった O
時代の中心を担う若い年代の意見を聞く方針
で臨んでいるとのことである 1'11 。
8
3年 3月、会の名称を「旧居留地連絡協議
会」と変更し、会員の増強や組織体制の強化
連絡協議会は、 8
5年に景観形成市民団体に
を図るとともに、役員が都市景観審議会に委
6年にはシンポジウム「旧居留
認定され、翌 8
醸 盟 会 員 自 社 ピノ
レ
区麹会員事務所所在ピノレ
?50
q
Om
日
目
田旧
回目
口
C
=
J
判l 日
第 1図
旧居留地連絡協議会会員の分布
-2
5-
地の昨日、今日、明日 Jと写真展を開催、以
まちなみづくりのキーワードと定め、目指す
後、定期的に様々なイベントを実施している。
べき理想のまちなみ像が明確に打ち出されて
また、 89年 に は ま ち づ く り 推 進 委 員 会 を 、
いる。その「景観形成基準 j では 500m以上.
9
4年には地域計画プロジェクト委員会を設立
の建物面積を保ち、歩行スペースを設けるこ
してまちなみのあり方を提案してきた。こう
とや建物の 1階部分に商業施設や文化施設の
してまちづくりへの関心が高まり、地区全体
導入を呼びかけている。さらに、照明や広告
で取り組む体制ができたところで阪神大震災
物にまで細かな基準を設け、統
A
された美し
い景観づくりが提案されている。これらの基
に見舞われたのである O
1
9
9
5年 1月の大地震は連絡協議会の会員に
も深刻な被害を及ぼしたが、 2月には吹き晒
しの大丸カーポートで臨時例会を聞いて復興
の決意を固め、 4月の総会ではその活動方針
が決定された
e
1~,)。その後も会合を重ね、
97 年
準の遵守によりまちなみづくりへの積極的な
参加を居留地内の会員に求めているのである O
b
.大丸神戸応の広舗展開
大丸神戸広が神戸駅、元町商応街を経て現
Y
rで営業を開始したのは昭和初期であ
在の場 1
には「都心づくりガイドライン J作成に至っ
るが、神戸の消費の中心は元町から三宮に徐
た。このガイドラインでは特に景観に対する
々に移行した。大丸神戸応は駅との直接連結
細かな配慮が見られ、旧居留地固有の風土を
がなく、三宮駅周辺が賑わいを見せるのとは
活かし、発展していくための基準が設定され
対照的に、三宮駅と元町駅の中間という位置
ている O にぎわい、伝統、風格、もてなしを
が不利に作用してきた。この地理的不利を何
京町筋
{50OOm
日口口一口
目.
.
0
口口
ル・ステイル
第 2図
-2
6-
とか t
f
l
)
日したいと与-えた大 l
しは、サー寸ドビーの
従来を'乏け人れることにした
1
:として使
大九の'Ji務所や介 J1
J
,
l
;
W
f.
t
i
l
i
:
5R喬館(19291
f竣
止では、。i
r
;
主のようにさらにれ:し¥!
H
:代
カf、最 j
それは、呼 II ,~:
mされていた 1
I
1
L、 I
Hナショナルシ
を対象とした I
H
)
hが 1
!立っているリ
3. 卜アウエストの成立
ティーバンク十1
1
1
)IJ
(
)
,If)をサザビーのプロデ
東はトアロード、
j
'
可は鯉川筋、北は小川新
8
>
>
iとして j
引けしたいというもので
ユースで Jrt'f
おはサンセット通りに[JF!まれたブロック
道
、 i
11心で、しかも近代位
ビジネス街の '
が「トアウエスト」と呼ばれるようになった
あった
築を 1
m業施設として不 I
J
)
I
]するという f
試みは l
i
i
j
のは、ノトから約l()イr
l
i
i
jといわれるっそれ以前
例がJ!!r:く、リスクが f
ι
I
Hさu た!li
、
Fばれたり、
はこの地域がーつの地区として H
しかし、
i
:
it
lされることはなく、むしろトアロードと
I
¥
]辺
,
.
f
l
リ支に J
7えられていたけ
その J
(
If
i
i,
I
fにとっては、 i
l
砂攻?欠〈米のストリ一トに 庁
k
7
‘
ち
花
、
i
肱
伝
ぶ
イ
心f名
才
y
I
l
路
f
持
[
出
u
川
I
I
),
I
行
'
i
、
片
I
i
初
は
,
懐
│
快
哀
疑1
(
内句だつた I
U
打
}
,
川
サ
f
;
日
印l
地述
j主
絡
であ つ
Jた
J
│
協
湯
みぷ
l
バ
i
議主会の会只も、 I
I
I
J片山地│付に数多く伐る近
1) トアロードとその周辺の変遷
1って、十1)Iには川町地の I
r
H
!
f
iに勤
開港に{、:
代建築物をアピールすることでまち全体に人
しのぷ [
i
l
Jに針 I
l
i
]した什
を呼ぴ、川そうという大 l
]人やその使用人、あるいは f
I
百業に
務する外[k
1日l
f
J
W地 :)R~~ 飢は「リブラブウ二L
こうして 1
スト│として K
71ド3
:)
Jオープンしたけここで
也i
l
l
l
l
立が
従事する移民が大勢米住したハ川町 j
Tやカブ
は乙()代の)¥:し、 k'l''J:.をターゲソトに雑 i
U
l
fなどにも外国人が!川{七することが t
'
i
r
I
l
fされ
遅れたこともあり、 J}!{E の J ヒ ~!f 、 [11 本述、厄
J
二を民 )
1
日したが、、i
II
L
)
:のレト口ブームも子(ぶ
I
!
}地が設定されたり J
1
f
;
{
W地は安政の条約
て雑 J
って大きな品!起を 1、子び、成功を収めたい次い
締結[
I
q (不;・英・仏・独・│詰j)のい]
1
亡だけに
,,
J
-W 1
1
)
Jにはブロック:Hlをオープンさせた
でI
,
J
'
;
1:
iが l
認められたため、それ以外のい│の人々
1I
;
n
:部分のブランド j
J
iの 1
-部は駐 I
I
.
i
J
;
)
jである
l
白!必と l読み伴え、
交通の不便さを lド社会への j
i
:Iドスペースをビル I
)
'
Jにl
l
Y.科して ;
;
t観を
また W
(
I
Iì~l) 分にはイj偽名ブランド},Ìf
守り、路 j
を人れた
は勺然、 i
f
H
'
;
J
也に 1
tむことになり、特に
!
'
i
r
d
t
.
*
の
人々が集 1
:
iしたのが I
h京街であるけ
また、 l
り
J
d
i
r
l
'悶j以降の貿坊の活発化ととも
に、1iJ
f
;
-と'
j
f
-務所、介 i
}
柱を)ftねていた J
,
'
;
W
f
地
この i
l
l物は、 I
I
I
J
1
'
;
W
{J
也I
)
'
Jのり処刑的なスタイル
1
m館 が F扶になり、
となった
V
I)
J
I
Iした
を建てる外│五│人が J
1
[
1の干に 1
1宅寺山の洋館
これがいわゆる
ゾミ!とうにこれらの他物がlU
J
(わいを見せると、
t
;
-J
也の-つとなっ
北町の児人館街であり、雑 J,
,
'
,
り
か
ら σ)'r'"ι
J1
¥1,;主みカ汁甘え、)~主主任 Ith
ブランド、 J
た(道路としてのトア口一ドの起源は、この
I
1
長会も│お))的になっていった こうして大九
J
d
fl
i
l
iへの j
(
I
I(
1
0J
l
I
fl
i
l
i)
J
tI
H
Jが開始され、 J
J
!
の川,
,
};
!
Jl
d
i[)年に件。j
iされ
北野と川町地の通勤川に I
イt~ ではみうど|ヌl のような羽(i兄にう:っている f
:
級ブランドとレト口な外側に
の
よJ
こ
I
I
:
A
Jj
'
4
-f
J
J'rl
Hし3坂道
た
キI
1:ノ日筋道 j に始まる
道の 1千件が[トアロード j に変わった
この坂
'
F
'
i
N~こ
は多くの Ij~~ があるが、坂を卜.り品めた付近で
,J 1
1
1本初 I
_
I
i
宇のブラシド j などといった
',l,r 業していたトアホテルから J禾ったという Ij5~
1
1
5題性を 1
.
jI
j
aすることによって 1
1fIくて新し
カ王最もイ{))である,
JI
f
命
しづまむづくりがわ:われていったのである
また、この 1
1行くて新しし叶感覚と 1
1
"J
:
級ブ
:
t
-ブランドの、if;_タ
I
jJは
、 I
Wれる存
ランドとれ,
!同の Ip討を J1~' fることにもなった
初は II:}:~HJ
大九 1
l
!
1
Jも
、i
l
を 1Uじし、 lHJ ,if を,JlliJj していた
i け英 I
i
i
iカ寸たじられた i
決
I
I
}
r
j
lは│点 1
I
五道路」と H
ヂばれていた;
;
wJ
也に 1
m館や jH行を u
日いた欧米人は、貿
作
J
l
Hので
易実務などにちJ熟した従業 Hや欧風:fl
I人などを q
l[
k
]から↑、ドっていた L
4Fに
きる利上H
iつのメJ
物(洋裁
-2
7-
mはさみ、料用包 r、散髪
ストゥース j であったハネI
t
l
) iに は 外 I
I
q人が多
1
日はさみ)を干に日本に渡ってきた華僑の人
:t~)J (サンノ fアタオ) Jとn
子ばれ、
々は I:
[
'
1らの腕で午lt}iの華僑社会を形成していった。
ティーを開くため、 J
J
!
{
Eで も 神 戸 は 1
J本 で 故
彼らの多くは欧米人が往復したトアロードに
も 紅 茶 消 費 長 が I吉
jし引j
f
f
fで、あり、洋来日占も
};~を持ち、そのわj 辺に)片位した I
多いど l¥ そ の た め 外 国 風 カ フ ェ は 珍 し い 訳
S)
。戦 1
1
t
r、神
く'
t
j目しており、
f
皮らカ汁 J'
M
"f
I
0にティーパー
戸 に は 華 僑 と そ の 家 族 は 7千人余りを数えた
ではなかったが、
が、うち 4千人弱がトアロードリ市で、'1:.活し
そのままパリの下町にあるようなカブ
ていた 1什)円こうしてトアロード L
可辺には外凶
l
はキ住 h
jH
与のトアウ J仁ストで
;
- ピルカ久点在する、 l
胤の山舗が住ち、i
企ぶようになったのであるけ
神戸大空襲による焼失でトアロードi
uいで
I、同教、子│淀、
残ったのは大丸神戸山、相楽 W
「見るからにおしゃれで、
T
J
三i
'
は異色の建物であり、若~-グループ。が訪れる
きっかけになったといえる。次いでフランス
尾f
?版U訂 内 の レ ス ト ラ ン [ プ ロ ッ コ リ ー j 、
のパ
ト ア ホ テ ル 杭 皮 で あ っ た L (¥)その千九1
シンガポールの屋介街の雰 1
J
t
1
気をアレンジし
ラ ソ ク が 建 ち 花 ぶ 戦 後 の ト ア ロ ー ド に 2階 建
た 「 ニ ュ ー ト ン サ ー カ ス j カfオープンし、I¥r
ての「クロス靴!占]カ{'1
1¥現したのは 1
9
4
6年で、
華r
l
f
.
'
I
U
hが 多 か っ た ト ア ウ :
1
二ストに洋風カフ
ショーウインドーには色とりどりのハイヒー
ェや 1日q
I籍 レ ス ト ラ ン がI円fJ11したけ
ルが、Ìf~ べられたけこの他、中ìl f-専[ II H'I{
シン j 、オートクチュールの ~H} 人JlIihi {
I
マキ
I
サ口
8
;
)イj
=
'になるとインテリアネiI:1
iの 「 シ ュ ピ ド
i
l
Jけ の カ ジ ュ ア ル な 洋 Iえ
ゥピ j 、 大 人 の 男 性 l
ン・デ・モード・中川j などの高級ブティッ
を 扱 う 「 プ レ ジ ャ ー ド ー ム j 、8
7イfにはヨー
クカ苛先々とLl¥}(tfしたけこれらのIri~ カ τ 1\ rJ
L
、とな
ロッパからの輸入 rt石川や女↑~t l
{
j
Jけ オ リ ジ ナ ル
i
没
後
ー
ネI
I
I
)i
の山の千ファッションという
って、 i
在
│j
i
l
l
lを 展 開 す る 「 マ ッ チ マ ソ チ モ ア J、 輸 入
B
寺代を築いたのである"しかし、 1
1
1
j皮 経 済
ステーショナリーを J
波う「ワンウ工イ
J、
成長期jになって m 貸-r;-が安 1
l
1
i
な既製 l
u
l
lを求め、
年Ijlク リ ス マ ス グ ソ ツ の 4
i
i
i
jう[クリスマス・
l
j
!
要が減少するに伴っ
オートクチュールへの ;
オルゴール│、制作にはアメリカのデットス
て
、
トアロードの高級出では常連客以外のよE
トックr!r心 の 雑 貨 J
1
i
{I
モダナーク j なと々が'
11
¥
増加した。震災以降は再建を i
r
帝め閉山する傾
J
占していったけこれら雑貨を中心とした前会i
t
l
は 、 ほ と ん ど が1
0代 か ら 2
0代 前 半 の 行 い k↑
i
f
:
.
向がさらに強まり、その跡地を美谷│淀やカフ
を対象としており、数人のグループがこの地
ェ、雑貨応など、 ii~- をターゲットにした }IÍ{
域に足を運ぶようになったれ下符約 1
00m
が」気に占拠していったり
のブロックは散策に適度な!よさで、任問は
が遠のき、大子資本に取って代わられる山は
[お j
両落な kの 子 た ち の ご
1
9
8
0年 代 以 t
H
Jのトアウエストは、 J
L
J
主のよ
うに、華僑の人が比較的多く
n
慢の散歩-コー
ス J<:1) と し て 静 か な 賑 わ い を 見 せ る よ う に
2) トアウエストの}杉!戊
1
tむ 静 か な 街 で
なっていったり
1
9
9
0年 代 に 入 る と 、 今 ま で の t
iしE女 性 ri
l
Jけ
あったり訪れる人も、なじみの中華料用市に
雑 貨}
l
i
yに加えて、男性向け洋Il
i
l応が多く 1
1
¥}
(
r
{
通う中年男性くらいで、若者の姿はほとんど
する() 93 年には男女の l~- 若を J波う|ランチキ j 、
見られず、他の地域から差異化されることも
9
5年には古希:に加えて新品と雑貨、カブ工バー
なかった。
を展開する[ノックアウト j 、アメリカンプ
8
1年 こ の 地 域 に い ち 早 く 出 市 し た の は 、 任
問はカフェ、伎はフランス j
也}
f料 理 も 食 べ ら
ラ ン ド を 置 く 「 ネ ス ト jが オ ー デ ン し た け ト
アウエストを選んだ用出として、人気の[ラ
れるレストランパー「プラッスリー・トゥー
ンチキ j は 「 通 り す が り の 人 で は な く 、 わ ざ
-2
8-
わざ足を運んでくれるお客さんのためにいい
あったと思われる O 当時の若者の買い物街と
商品を提供したしづと考え、また「ノックア
して賑わっていたのは、三宮から元町、神戸
ウト Jは「あえて服屋街から離れたところで
へと続く JRの高架下であった 。幅約 2m
個性重視の売り方をしたかった j と語ってい
の通路の両脇には小さいながら個性の強い雑
る 2 11 0 こうして「女の子の街 j だったトア
貨・洋服庖が所狭しと軒を連ね、独特の雰囲
ウエストに男性向け庖舗が加わったことによ
気を醸しだしていた O しかし、密集していた
り、若い男性の姿も見られるようになった O
ため、賑わいを見せるほど類似庖舗が増加し
客層が増えても、 三宮、元町からは離れてい
た結果、価格競争が起こった O かつての個性
たため客足は少なく、平日は夕方まで来客が
的な高架下は、時代の流れとともに「東から
全くないことも珍しくなかったという記 51 O
西、西から東へ、流行りのアイテムを l円で
若いオーナーの、小規模ながら個性のある
これらの庖舗が、
トアウエストで徐々に展開
した背景には「脱・高架下 Jという考え方が
も安く買うため歩き回る若いコ達に迎合する
けとなっていっ
没個性ショップの集合体 J~ (
たのである O
メ
鯉川筋
トアロード
齢
一圃剛一
醐圃
第 3図
トアウエス トにお ける庖舗分布
注)各庖舗の位置を示したに過ぎず、その面積の広狭を反映させたものではない 。
-2
9-
少数の JJi 舗経件 ft- がその ~fi~ れに逆らい、よ
改まーし、
トアウ J ストにしては大規十見な l~f~iIH
り 1[~lt'-f: n0 な!占舗粁 It;~~ をするために,'"1)架卜を JM.
を閃 !
J
iさせた
1
¥1,し、新たなよ易)折として j
主んだ-つカ汁、アウ
ーズ J 1
ボーンヘッズ J 1
ラッシュ j などの
二「ストであったりトアウ工ストは 1
1
1
j架卜、あ
,{T~-[íJJ けの山が大阪ミナミから jlli 1¥してきた
ヒに {
¥
I
:í~: しており、
るいは汁;{センター{おより J
J
また、反災以降「オーバード
ミナミでは 116111Il が積、ìf~ びになり、自li 十九競争宇が
I
見
J
!1
1
1
j架卜J
少し坂をく去らなければならない)そのためこ
起きがちである
'
,
I
占するということは「わざわざ足
の地域に U
してきた I
,
I
{!
f
1
1
i
川
線
、 [
'
1分たちのペースで│存j
先
を述んでも米てくれる'存を相
fL1 の I~{ をやっていく j
Fに、
n分の月!
という,む li誌が経什行の
[
1
1
]
に
!
よ
カ Tり、?t'
i
1
(
1f
t
-には「↑也では先っていな
f
HJ11J,をゆっくりと
いこだわりの r
きるお l
,
i
fJを
j
i
l
iぶことがで
I
!'J分の起で開 .
H
iしていく l地
.h~ として ILEIJ哉されるようになっていったけま
た
、
J
U
n
ごr
:
¥日
, i
l
lに比べると地IlU
iが '
i
;
:く
、
,
{
'
,
:V¥
J
ノ彼らもまた
i1)¥
j
fえてやってきたといえよう
9
6
{ドにはうで I
,
qに!r'
t
{
J
I,1iを持つれ:f
t
'ブランド
「ワ←ルドワイドラ 7
"
J がサシセソト j
喧りに
1
Mしたピルのど l
i
t
fにオ」ープンしたけ トアウ J
スト地 l
べには f
Tまれないが、経j
'
ま
1
'
i
1
'
l
!
1
Jは l
ト
アウ仁ストの長の夫│をイメ込ージした J
M
}
y
i
'と
j
fえており; 、S
J
7イ
:
1
,
~ニオ」プンしたアメリ
をしたいと
J
I
人でも I
,
i
{舗を持ちやすかったことも J
l
H
I
I
!の・
カの, I
jl
i
:をJ
投う「ナソツペリーファーーム j も
つである"'
1 粁 J?仔
j;汗:干\~ l
'のこだわ り
t)のあ
1
穴場(jワな場所にあるので、乍探しと [
'
i
Jじ気
分で│米て?欲次しいと, 訂
i
[
行i
る; )
イ
牛
本
}
メL米トア口一
l'
1
ド
や
魚
例
仰
1
中
'
i
ド!川筋の E
路
科地
j也去として{卜杭、
ιJ:
1山
i 円円
i,'町
1 ï:~
1 づ
八~ Tられてい
j
必
'
I
i
訪』れる j
行
消
'
口
i
'
i
1
賀
YJ符
4f. より l ,i{~IH*、れ:?将により強く,ì,2. ,;ilt
つあるが、それでも路地史的感覚を求めてエ
9
5年
イ
i
ド
:
.1)
Jの反災はトアウ 工
J -ストにも/大
iきな
変化をもたらした
ι
ど
!
:
る1
例
│
怖
同
古
司
叶
│
十
,
↑
性
│
されていたようである
交け、
i
;
:を
ぷ災で此大な被 ;
I!}ill を,hll めたピルや r[~j 1
山の跡に、
トア
ウ 1 ストへの↑I\i'!.~ れをよト J ていた析ししリ ι 舗が
参入してきたのである
炭災 l
i
i
jから 1
1
¥
山して
11
リアの 1
1
1
:大カサ色んでいるといえるであろう
1
,え近では刀、 l
i
j
・からの小規牧 1
,
"
f
f
i,
U
が次々と改
f
!
f
i
l.
5
J
1
:保を行っているい
1
',
尖や 1
1
は羽J
たにカブ
J
をはじめ、
[モダナ』ク│
「シュビド ンビ│
f
いた経 '~;\' !J'にとっては「災災の被 1
i
i
:を来り切
はじ文誌を終えた
っている間に街が変わった J"
e
; という夫脱
ベンネ│は州年秋に牧場するや行や、カブ
I
(
分確ではないだろうか
が1
I
9
5
{
ドl
L月にはアジ
ア雑貨の「件氾 I
:Jがオープンしたけ
[大子
i
7
う
¥
I
H1
占していないので、小規校 I
,
舗の W
;
U
ミ
を
{
,
jの 安 さ が I
l
H
l
hの J
1
l
t
l
i
!
子惣できた lことと地 1
,
イタリア干¥
.
J
'
Hの│トユソト
.
f
.
の
{
よJトアウー I ストのうンドマーク (
1
0な
イヂイJ:と
なり、
[シ工ブロンカフ、 r
J は従米の小
規校な 1
1
'
l
i
'
,
i
!l
i
iこ¥
1
昇段して、キi
t
l
rとj
下JJ
l
i
,
がi
l
i
i
jう
「シゴープロンマート│をオープンさせた( 少
1 ~{î: を J及う「ゴス
であった)アウトドア系の 1
数の符を十1
Ir-に小rJ!恨 !
J
Jを粁 '
j
:
?していたトア
ペルブランチ」は、反災 l
i
i
jからあったかのよ
うに定ぷ:している)"
れたことによって、
Hじく被存を叉けた 1
1
1
j架 fの 1
1
'
{舗も、災災
1
'
1身の I
I
'
f
{やエリア全イ本が j
主I
1さ
ウゴーストが、 1
'Ji~ ]
kや I
,
I
f舗 1
Mf
t¥を拡大
L、
'
1身 が j
也j己の大子資本に成長してきたと
彼ら 1
は I Î えないだろうか(第 ~3 1
文i
参J
H
¥)
を!切にトアウ J仁ストに移転したものが多い
インデP イアンウ ~L アを J及う「ウイシグ口ック j
はその l
処刑で、将米1
'
ゾ
:
1
のある場所としてトア
ウ工ストを捉えている
「モダナーク Jと姉
~~I占関{系でもある「ジヤンクショップ j は、
1
1
i災後開ι
)した「クリスマスオルゴール│を
3
:)ま九づくりに対する姿勢
Ijíjli~ で 19BO イ1:,代からのトアウ二L ストの!が史
を見てきたが、年代によって山舗の純矧に変
化があったものの、そのどれもが件 I
,
i
I舗 の 独
-3
0-
¥
'
(1~ た心"よ;で'i'l I, I ,',{ )../、そのがl県
、 I
,
'
{~IH が*仏
したことが分かん
したがって、大子資本が
このように、
トア口一ドはまちづくりに対
U
i(I(J な ~ríî 1
}
i
Jを行っているが、
して柏十'
トアウ
J
J
hi
?
HI
I
I
J:
1が組
ストやトアイーストとはほとんど交流がない
織をれ:ゐことは J
J
Lイ
:
1でも行われていないけた
1
;
たf
Eである, j
J¥
1
.しているというわけではな
"
:代 J
Cもあり、お f(,し、が!'l分たちとは
いが、 1
d
l
'l
[
I(
1
0に1
,
'
;~~j ,¥れ交をわーったり、
だ
、
1
'
1j
j
-たちのスタイルで 1
,
"
{
?
iI
H
*
f什をしてい
くという共通のよ;があり、炊いブ TJ ックで 1
m
7J Ijの地 J!~ と J7 えているように思われる{
じをしている二とから、 )
1
"
;
;
'
;
II
i
I
l
'
d
の
的'
W交J
奥や
'
j
f
i
引I
I
}
:土行オ汁 Lているようである
.h、通りとしての!が史も rl)'く
、 1
1
8
1人 '
I
t
H
)
li;
が多くは九、i
良んでいるトア
1T ,
ードには
I
m
J
1
i
;街
I
:
.
11料!";白をはさんで 1
1
1
[
1
J
の1
1
1r
二台、そこから l
I
4
7
Jまでのゆ:↑l[I
J
の部分
1
1
'火 I
(
H)
I
'
I
{
一
向
、 さらに山先日から j削[[IJ の *IIT~ 会
の1
という :つの '
f
HI
'
{
,Uj から成 i) 、 ìì史的、 ììt~ 後に
キ
I
.
I
M
I
!
i
.
が7
t
j主している
!
r
かけてf:1J来された ~!iln かん ilU止になって 'F~~ 業
をI
)
fi
めた )
J
iまで、
いる
+
J々な )
I
'
I
{がキ.
1
{'iに参 }
J
I
Iして
1
二れらは I
I
Jじトア n. ドを共イ jーしては
4
. 両地区の雑誌における記述
1)対象にする'
I
'
,
'
j
:'~Ii メディア
I
I
I
i,
'
;
'
i
:までは各地│ベの成。:と J
J
Lイ:
1に七るまで
l
i~}J につ
の変濯、またそれにほわった人々の i
いて述べて
3た
t
s
:~ニキfLi,主の '1
1
本 下では 1
1
1,
j
地│ベがメディア、
i
でどのように 1"
:
1
.り
卜
,f
fらu、イ
メージ化されてきたかを与.,~~したい
数あゐメディアから雑誌に限定したのは次
f
l
H
1
1
1による
の.
,
U
i
'
]1
t対象である I
,
l
t
j地│ベは、い
ずれもシヨソピンゲエリアとして新たな機能
J}
)
!
Iさu たことにより、 )
'
if
i
'に1
:
i1される
が1
いるが、~ r
I
i動はりIj々に行われてきた,、
しかし、京災後の新 )1ij の二1,1円により、Íl~キ:fë
ようになった地域である仙械のj
去り千と交
あんトアロードの安が二1、
j
主に尖われていくこ
/
1
'
d
に
十
l
I'd
:
jJ
l
j什:があるとするならば、
け千との 1
ι
H
t
!
占を!ぷ仁、凶作 1)Jに│トアロード
とに f
それはブアッションや肱 1I木の ì\:lj 分で、より ~\fl
j
也│ベ主九づくり
I
t
j
J1
式会]が 1
1
2
J
/
ー
さ uた i
i
l
tか
らjI\1)~IYJ に但ぴた約 1. ~km の坂道はそれだけ
でも珍しく、これにゆ J
d
i
l
H
J治以降の!仕史も加
.
f
i
:
に凡i
れると J
5
-えられる 行-r;'
l
i
I
Jけのま九十,
f
'N
i
を
i
"
M,
1
J(しているネff', i
Lは、山 W,
i
L、ファッショ
ン品、旅行 i
l
,
Lなど千(
f
'f
r
iが 1
4
1
;
fであり、それら
;
t仰を全体で保イヂしていくことが│二!的
i
l
i
'
lった W
I
I人!
f
H
)山も多いた
であった 粍?;?慨に l
は I;~~~" に l瓦新されているらまた、見 lH し 1i でま
め、会イ?では;片側保全やトア口ードの!が史、
ノI
'
わった
'
t~ ¥
"の勉リ出会も
さらには粍..
は公社粁 1
L
'が行えないため、何年│トアロー
¥
, ¥う株式
ドま九づくりコ、ホ》レ、ション j と
エリアマソプの作成やイ
:
Jっており、 l
己I
¥
IJだけのまちづくり
ベントを i
会
十
!
:
と
1
'
)1
の1
52ぎに過してし ると忠われる(
E
・
i
"
Jわれている
'
行動は i
,
i
j允化していくが、キ11
.{i'組織で
この l
会社が l
i
2
J
:された
んイメージを ilIj'f:で端 (I~ に衣刻しているため、
Lて令 1
E
Iでも珍しい
9~ イ!~ 7}
Jにはガ
r
トアデコ」を、 99W1
Iトアガ¥ーデン│をオ』プンさ
ど)雑誌 li~ 'Jl~ から Iifじみ 11":1. りうるイメージ
J
I
片山地のイメージ
f
:
1L1
)
({
r1
mにわたる雑 1誌は n
lし
川!日行ifJ也の j
d. 1
I
の-覧は~~ :2夫の通りである
全体を通して
まず I1 に十I くのが、 ill 築物に|泊する,i~ 述の多
さである
「刊 11iでクラシカルな住築 J
r
レ
ラスアートシヨソブ.
トロビル j とよ J
J
Lされる大正、Il{{布!のスケー
J
Jにはカブ
i
l1
1
f
tがあるた
ルの大きい近代住築物は、希少1r
T
1ん統を始めた
せ
、 "
さらに 991
r
には
めに、 1
1
1
),片山地のシンボルとして捉えられて
トア口ードの!が児と J
}
L{
t
:を市立った『卜アロー
いることが分かる
"
J し、全 11
<
:1にアピー
ドスタイルプソク Jを党 1
1てられた背以として、この地域が 1
1外│五│
が5
ルしている
人川町Jiliのあった「ノ¥イカラ J
-3
1-
このシンボル的な住築物
r
エキゾチッ
クJ I
モダン」な場所であったために、
た よ う に II}illに I
Y
Jしてはキ1
1かな 1
1
)
(f
)決 め を 作
│外
l
;
(Î!)~ に
l' 分な配慮を行った結果、
jl}ill さ
11~1 のような夫しい街、ìf~ み J なのであるという
り
、
何史的 l
u
j
主が加えられている
れた i
l
l築 物 の 多 く は 以 l
i
i
jのクラシカルなム、ー
1
1
:界の
さらに、これらのビルには 1
ι
!ヵ人っているため、
ンド
ドを似つものであった
,
~fi~ ブラ
「新しさ j については、そのイ:
1
,代ごとに人
「ファッション j
T
や 「 流 行 j 、 「おしゃれ]といった
気のある)I~舗を人れ J奥えているため、 1? に新
党:が佐
1I
しいイメージを i~HS: できているのであろう
び
、 i
l
l物の'11身 は む し ろ 1
[刊にの先端であるこ
とがぶされているりこの
'
h7
Wオ ー プ ン の 「 ジ 一 二 ア ス ギ ャ ラ リ ー │ は 、
i
i
tれ る レ ト 口
I
T
(:
1
:
.
:
1
¥
ぷ
心のブアッションピルとして、
~'i .p;'ブランド 1
11
な外観と肢先端のブランド i
品h
i
l
l
I
!との:つをキ1
.
1
み介わせることにより、街全体としては
I
r
!
j
11lJ 皮も )I'I~ ~11ìの人れ J奥えを行っている" 'h ()11'~ft
には大 l
しの J
/
dillに*='
11していた路 I
(
I
I
)
I
'
I
[も
、 9
h
'~
くて新ししリと夫現されているのである(
また、これらの表現は l
0
1
1
:
,
I
¥
I
Jに わ た っ て ほ
とんど変化していない
J
9
91'
:
1にかけてよ;
(
I
I
If
)
J
ちに[ジルスチュアート│
I
r
J
jさJの 代 氏 で あ
Iビシヨ、ツソ
など心:て続けにオ』プンしたし、
プ
ブO
Jな
と
ど
ぐ
│
卜
‘:
.
│
A
品
仙
l
h
Vカジ二ユlア
!
Pルス夕イルの七レクト
る 大 "'~・ IIH 干11 の近代 ill 築物は、 9 ;ï 1ドの l以十111 大
J
h
I
1
l
淀災によって比大な被J
l
i
i
:を交け、 I
t
f
i
l
lを 余 儀
人
j
点‘
シヨツブプ も;見』られゐようになつた f
なくされたものもあるいしかし、第之市で見
J品向;首;~した
1;:
第 2表
o
付
~ß
~H
川 fll;'Wf 地 l こ関する祁 , iL ,;~
•
•
•
•
j
T
B(/)Jj~ ノャ卜
(.
J
Tl
I/
1
¥
)坂)
9付
るるぶ十I
I
I
Ji
(J
.
T
l
I1
1
¥
)以)
竹
村
K
a
l
l
s
a
iW
a
l
k
P
I
(
i
f
j川井 I
,
t
,
'
)
Y
Y
Mpptぉ
(
k
l
l
}
j
付I
j
l:
L
!
レγ
ガジン利)
•
••
•
•
.
付
付
山山刈"置
ン、
ぐ
〈
ド
i)
1
'
1
ι
り
'
1
j
カ
が
王
人
主
勾L
を
,誇
i
イ
守
;
る
'
J
i
の
は1
'
1L 1
.
見
~L キゾチッケj:rjl}
i
(/)附!よ~1i:'みつめあt けてきたレ卜
11
レにハイカツj:
l
j
l
}i
(
/
)
!
い
ー
ツ
合J
京
そ
う
レ
卜1
1ビルにああしベ、れた/テ
い
い ム ド
た
〆
んS
'
:旬(/)レス卜ごノンでゆ〆 くりと食・ "
1
企業し行の{)¥
;
、
ぃ
. ;
,
:I~) りとそこに, 11.つだけて\|リ 1 y
f
i・大i1'
.
(
}
l1
1
'
.
(ンが体
る
ぞ
),
S
:
+
/
II
}i
(.
J
Tl
I 1¥
版
)
Y
7
Y
Y
'
lJ
:志
紋
投
ブ
ブ
守
ラ
t
'
!
'
1
1
1
し
,
雑誌名
イ│版十'
j
l
J
寸
&
1
'
r
j
l
Ji
,
1
年代i:"1
必じさ l
tる
f
J
i
き上き n
1
(
:
1ミょ二ティ、ーサ、ービス株 Jに会・ 大1
1
'
.
1
)
、r
)11行和;こ冷川)て ili こられ jこ i 立!ソな建築 U~.ノごノ
シカルム~ -ド、会今 ~dJW! めている
十
1
)
1
シティ」 γ ご 二 斗 γ/和
レj
l
J
'
. ノ
¥
イ
ブjC)'
1
1
1
}i
山 I
}
;
(,
'
:
();~阪1'111~L ノレ子ブf ジンれ)
レ
ト1
1なビル (
/
)
{
i
'fオしに人気(/)ゾツンドが ;
[
1
1
¥し
、今ペ'
r
j
l
}iU)ブアツシ!ン発 f
,
¥
t
也
:
j
,
1
旅1'[
1
.
:
1:
1
1 神}'
いビノレ全日治、したおしペ ,;1しなソァッシ!ンビノレカ、
1
W
.ぶ、外 1
[
、
!
の
た lい桁 1
(
j(
)
川
、
う
沿1
1
1
)
日
:
W
!
r
.
t
l
(
I
I
n文
れ)
<
.
jO
•
Y
f
i
ο
S
A
V
Y
(
k
[
I
&f
i
¥1
こ
Lルマガジン社)
1
シティ..
,
.
(
ニ
ュ
ア
/
レ
1
'
/
1
Ji
(
J
江[
1
&糾1
こ
じ
/
レγ ブ
fジ
ン
1
'
1
)
•
じV
J
J
L
,\ 1 を~!L'MI> 上うなえi カト J' る桁
流ゾティックが J ツチ寸ーあレ卜 1
I々
行
r
-Cショッピ
1
ング今でI.L1
1
、
しl
:
、
/
レ
告
と
改
装
し
、 1
1
1
:界(/) i
f
i
c
/テイツ
1
)遣のムリア
クが人るおしゃれ人!日jご1
部
:
1
'
I
I
I
}i
らしい場所
1
1
1
めカ、しい i
l
i物と流 1
J会先取りしたソ γ ッシ!ンが
出
イiした不思議なム」 ド
,
f
(M感ある n
風建築も魅力!人気の/ケンド会ツイ
ンナーッア
シ:ソピングがて C") に 1Llli\)X 移動、
'!~f~. に[ゆったり|
ω1
'
/1
Ji
出力ソ '1世
し
、
:j:J~ を飲行というしり、写[}tl 礼会''lう止いう '!'i い物 J必
党l
こ
近
し
、
ズッカもっし、に'()<)劫!彼 t,
{
&
I
;
,も
ー:
j
J'
C
lし
、
物
が1
1
,
1
:
.
,
'
,
ない誘惑ゾ ン
I
.
Lリ
ア
- オ与一ゾンラッシ」が続くれ I
- ゾツンド路 r
(
T
I
I,
i
lが悦ぶ I
I
I
I
,
'
;
IW
!J
也シ lツピングゾ』ーン
.
1
いの '
t
l特徴/こ ウインド』シ 1ツ
ピン
だけに、夜が 1
1
ア
刊
グ1i:'交しみながらぶらぶらしたいよLリ
-3
2
L
'
}
J、
,
j
"
,
:
t
'
j
l
l
j
r
tの ブ ラ ン ド や セ レ ク ト シ ヨ ソ プ も I
l
?
いいリJ
'
l
t,;主の 1
¥
]で も 人 気 の エ リ ア JとJ
1
4えら
えてきているのに f
'l'-い、紘一忘へのお故も J
円
}
)
!I れるようになり、
として?i
:
I
I
J
文が I
f
Uま っ て い る こ と が 分 か る
1
t
(
(
jJ
'
J
Jにある
:
j
((二、トアウ工ストの記述に移る
の'
I
u出発イパ拠点 Jと1
¥
'
(l
"
i
:
'
I
づけられるに七った
第乃夫
::,.ピド')ピ J
.
r
9
(
)
{
I
:
.
1
tl
i
i
j、 で は 「 シ
尖j 、
1
モダナーク J 1
ワンウ :
1」
イ
トアウ工ストは、
なとごの~ff: 1引,'If を Jll 心 に 、 新 た に }
L1
1エ リ ア に
J
)
!
Iわ っ た
る
IL
z
'の fの 術 Jと し て 利 介 さ れ て い
が人りくんでいる
ι
トアウエストに関する雑 l
.
J
t
l
l
.
c'
Fの比 I
HL .
覧
雑誌名
和1
1
)i
う丈一卜
Jニム
γル
(.
J
T
BI
I
¥
I¥
I
.
i
)
~n
之)ど)λ~tl/ 1)
,
•
NEW/ノレガイドー/、ソケ
(
'
)
.
ミ
'
!
[
之 1本村)
I, ~II',し
トレンド先取りの 1:'!jJ~~I1t x リγ
-
輸入ステ』ーシ 1
.
)
1
トーやキッチンウ 1γ が 灯 ぎ な 日
-
糾l
し、路地合縦に横 l
こと J
山J
it'、例』ド│ーたっぷりの 1
,
I
があ
i
ちこ t
.
)にある
-
今主で I
t{
rの子グノレ→ゾが 1,'/ったが i
泣i
J
:
i
でI
Jセン
i
l
Jで ι人気 J
1よじリ γ
スのいいリH'tたらの l
(J
.TB 1'
,
)
以
)
Y
I
1
'ij(料 J~U ,\f や, Ij
•
人以ここに決ヒり
トγlトードの
本l
均
一
(
}
)I
'
!
j~じ (J )
.
i
l
.
Uりの、 '
1
.
1
1
1車l
i
i
l
l
/
J'l
)J
}主的i
先
日
(
}
)
!
i
i
]U トアウ
t
スト 2
:
-,
'
1、
イHJ人れ、
<
7
f
t
(
}
)桁に
変化しつ ノある
J
リη
ろぞ)
λ
-
少し IÌÎit で utこだの ~j泊りだったトアウ 1 ス卜界
隈 ノ?で U桝1
)
;~ヶイ ~kJ ろ雑貨シ!ツゾのメソカと々
(.
J
T
B 1'
,
)
以
)
I
った
.
:f',:ぃ(r 't'l: ~I みのブj ソ
L-'¥'ゾチレストごノン '
t
)誕ノ 1
:
.L
て、桁がど、んどん {'':.ì!主 J ぷぐいるい隠れた î: 物~探す令 i、
うに
'
J
ら
1
ノンゲーノル・コウ/'1
1
1
),新!副総合 ,
I
'
¥I
以センタ-)
(
j
:
“"
リ
い
(
)
I
i、t‘
(>'}
jジンハウス)
lリ" )
1イドj:1
1
1
),
(
1
1
(
1y-引)
付7
"1
1
),
ぞ
〕
ぞ
), S~ 1
(.
/
TB 1
:'
,
1
以
)
付7
片
付
.
I
m
i
l
gけよ 1
1
f
t
'
1
(
)
;
(
l
l
r
d
1
1
Lル J ガジン引)
-
•
•
中
│ 刺のシ l ツゾ~のぞいてみたい J
ォ~~定し気分(})トアウ I ストでキソナー L な l床
トγ11- ドを阿に人〆 )
t
.
W
I
終合“卜 γ ウ
I
l
床!
スト" ~II、F
υ
/ー
て
、i
,
、 ふう,tít ふ j主平1I I,'i.,~なんてI,'i.,~じなし、
-
気I!I(つてなし、のに才;しゃオし
パリ山梨 I
J
有りみたいた j
{
J
-
小ざし、:I
J
LJ
.
:'
n
占W
U
I
(
J,
I亡1
,
j
Iぺ'ゲイご二ンゲノ心ーが I
1
M
I
-
{
'
,
:
r
;
イ8
#1発信拠点
ひっグりした巣過りにあぞ)神 Ji
-
1
1
)i
/
) [た九が,',然にtI主主るム、十」が
隠れカ=射さ,/)1'
新鮮な、巧え l
、.
jこ
:l
、っこ ;
t
t
)〆J と'L1
'
1
/1
)i
らしい Lリ
γだ
• w
)iU)iifdJ発 L¥Lリγ にセンス tldげのおi
l,
l
i
i
l
>激
1
(
'
)
-
ll!í~ i
l
'ぞくぞくが.tJ,} !;
f
,
.
.
i
し
ペ
寸 L合
買い物'1:,グルメふ来i
情報を制介
極めるJr古来r
1
¥
<
11
1S<
IiW
け 1
k
川
-
村1
)'U)↑
8#1発 f日ューリア;こセンス抜仰の新 l
l
l
;が 激 W
I
(f
{
J!
1,
1
¥1
,
1
;
)
-
買い物
Lグルメ L新町i
i
l、続々校以 1おしゃれを村j
え
め
情報企制介
る
街
,
)
)
1
!
立$
Ji
円
付
Mドド!日
(
J
;
(
I
I
A
(
j
:
1
1
1Lル
Jブ
jジンれ)
円
付
日.
¥
¥
i
件
付
(
)
;
;
I
¥
l
i1
'
I
/1
:
L
IレJ プ
fジン社)
シティ~ ",
,
/
'
了
二
」 γ/レf
l
l
l
Ji
U
;
(
I
I
)
j村I
:
L
IレJ プjジンれ)
-
徒歩行分の嗣内で、,lR
I
'
:
;
jカ
••
1
J
犬t
,
J
じ:
Jr
Jカソ 1
.
くから残
る
,{
HJ な ど 行 {
i
-に は 紋 の な い i
l
l物 が 1
h
t集 し て
J
付
(
)
トアロードとし、うメインス
Iり、キ111し叫持地
ト リ ー ト に 対 し て の 災 通 り に 、i
引(
)
1
r
1
t11~とになると、徐々に「センスの
第 3表
l
f
千 年 代 に 共 通 し て み ら れ る 夫 現 は 、 「路地
1
1
1
8
1t
t(
1
'
)J、 「おしゃれ j な ど で あ る
にあるように、各I
L
j
W
Jご と に イ メ ー ジ が 変 化
fが 涜 え る
l
íX 災後は「新 J~{ が続々 j オ」プンする 1 )
'
if
i
-
b
. トアウー I ス ト の イ メ ー ジ
していく係
t
'
U
J
I
Jに│対{系なく 1
)
'
J
:t;.の札j
J
トアウ
I
ス卜())スタイリソ、ン...L!仁科t
t
:r凶さん
い/.Jtで ι
'
l
tわらず刺激 (
1
0なよリア
:
j
1
1
1
)i
(})縦のメインストリ』ート、ト γ11、ードと例 )
1
1怖に
問主れた雑貨いっ;r~ 、 &'!I 華料 ßE! , I; 術集ゾ与一ン
-3
3-
J
いる 11 I に、小規校で ri~'líIJtt の !1ij が'/! \~業して
り、さらにアジアやインドを加えて,1!!日正│符な
いることによるR. JJ~ であろうさらにその},i{
雰│川気でいえられていゐ, f訂佐みを;~し
は伽│人山1I11iであることが多く、全体をまとめ
むというよりは、それぞれの山 (
1ト
:
j)の雰│川
1しないため、
る組織もイヂイ:
気を:恥しむといったものである
J
及う i
f
H1
1
1や1
:
?業ス
タイルが }
(
I{それぞれで W
.なっているけこれが
1
W
i
]'
I
t(
1
0Jで「おしゃれ j なトアウ二 ストと
l
いうイメージを作っていると忠われる
よく N~ われる:k JJ~ であるそれは付 1) iが I
H
J
i
J
l
以降の)が史のIj l で Ir~1 ~..に外 Ilq と lïJ り、彼らの文
c
.I
d,
j
J
也
[
;
(
にJ
t.i虚したイメージ
化を l
]
kV
) 人れてきたからであろう
1
,
I
,
j
地│ベに共通した夫羽としては、
I
十
[1
1
)iら
おしゃれ j 1
新人i
{ラソシュ j が挙げ
しい j 1
られる"
1
新,
J
',{ラソシュ│については l
\ ;/j~
たため、
十
「1
1
1
) iらししリというイメージにつ
l
i
Eしたい
いて検 I
│外│五](
1
0
J という夫現は、十 1
1
1
) I1
打全体にも
し
W
iJ
也や県人館、それを黙ぐトア
j
1
5に 1
1
1
),
1
;
-
1
1ード、
I
H5~(
社j は ~.[î ~:であるけしかし、そのタト["-] (
1
0である
というイメぃージは各地 l
べによ, )て保々に角午釈
され、干 I
J
J
I
Jされてし、る '
j
f'J~が分かる
1
1
1
1
1
) Iらし Lリ と い う イ メ
十
「1
1
1
) I二おしべ, i
LJ という }~)J~ も、 l 行くか
Il
(と「おし
ら欧米文化と交流があったかんこそJiJしE られ
ージは、さらに I
タ
ト1
E
](
1
0である
ゃれである I},',(とに分けられている
まず、
](
1
0Jというイメージについて、 l
"
l
j地以
「
外 1k
]
kり卜ーげて
に!心温して多く見られるカブー「を l
与-えてみたい
t
J
j:
1
j
1怖 Y~I:U主 rMeetsj は、 1999 1 f.lO) J~Jム
で I ちょっと、お茶しに Jの仕Jと
)
山 Jと但
して、近年のカブ f ブームを検出:
1している
この特集では[仔J
I
えは、この街に 1
,
(
)
(
)
(
)
軒
の
カ
ブ二「カすあったと Lて
、 r
t
:
)ょっとお茶しに j
r
のチョイスはその人
n身に川われる Jという
たのではないだろうか
つまりそこには│外
I
l
q ておしゃれ j という号え }
fが見え│むれすど}
ように!ぷじられるが、
j
[おしく れ j はまた↑1
J
f
l
l
1
c
1
1j
"
l
tの j己;味も白むとすれば、日本1'10なも
のよりも新鮮と!出じるのは、i
l然であるかもし
れないけ '
j
f
'
夫
、
トア n与一ドには 1
"
モやかなオ』
トクチユ』ル J
(
I{
)ヤ'1"lt}1~: が、ìf;. び、それらが WJI川
のブアツシ;ごヨ-1 ンを lリj 一ドしていた 川
11山Lj午
ω、:~Jイ引Jlリjリ17カう王あ/つJ
た人
j
点
h
るのか、十I
!
I
) iにそれらの )
l
i
jがイf
イ!:することは
)武湖のIjl、 「あなたの行きつけのカブ Jーはか
伝統的なものとして抑えられ、:k JJ~ されてい
っこいい、ですか|と IIU し、 fl十 ~t ており、両 j也
るとし、えよう{ノ
lベもそれぞれ llk り|二げられているけ夫にも, i~
したが、 1
1
1,)'
;
1{百地は f
J
J級ブティックをのぞく
l
i
Jじ感覚で「ふわりと」カフェに人って
のと I
しまい、お~を飲むというよりも雰凶勾を楽し
むことが ~~I (10 のようであると解 Ij~~ される j
{
;
)
け
5.まちづくりとメディアイメージ
1) 1
M地 l
ベの比 1校
I
d
l
j地以の)主的 L
}
=
W
Jは株々に解釈されうるが、
ì~ 1]を集め
シヨソピングエリアとして新たに 1
l
0な街、i
伝みのなかに),'
;
1るという!出
{憂雅でタトドJf
l
l
たn
,
)
"
:
J
引
をI
I
j
月!とすると、 I
I
I
U地│ベともに 1
9
S
(
)
1
1
:
.
覚がカフェでお茶を飲む行為によって強めら
代l
j
't
t
iということになる υ これは I
I
I
J,
'
;
I
白地で
れ、 ?1~lÆ!惑が得られるというものであるの
.
)
、
¥
j
人
1
日月であ
は大九のブランド山民間が始まった 1
トアウゴ工町ストも 「犬も止渉ミけばカブ二工
J
仁
I
二
(
1 り
、 トアウ J_ ストにおいては雑貨市が 地し
ι
なせいで|隣境り合つたカブ二ゴr のお|い川
t長司~]が j述主うなん
てこ と も しばし 、
工
ば
l
はj と
│
ド
川
げ
司
J
iじくi
宍
異
で
耳
降
│
い
川
五
司
叶
引
│
卜
け1
情
'│
始めた H、
f
H
J
Jにあたるわ
a
.J
1
l
{舗の純茸i
用日いられている(リ) しカか、し、同じパリや
表現が 1
111 民自地は、 J~ 盤 rl 状に '1支,l\ーされた ~M J1: .
t¥
NYス夕イルでで、あつても、 1
1
1居間地は大通
道路が現イ:
1も保持されている"ビジネスの l
j
l
1合風と区別されてお
り、こちらは路地哀や 0
心として、大千企業のビルが住ち、i
企び、内 !
1
1
;
- 34 -
ビルもよL
られる
J
さらに、
I
1
日)
1
:~、容!叫にアピールする
「まちづくりガイ
1:
J
J
-1
じを f
空えるように
ドライシ j では L地の制1
111 J
,
r
;
-沼地には、
紙々な世代の人々が~J.られるけ ifJj 級ブランド
呼びかけているため、近代建築物以外の他物
J1íf には 20代後、 t~ 以上、打者に人気のブランド
も大規模ピルとなっているい
山では 1
0代後、ドから 2
0代後、!,:のリ5
9:が多いよ
I
I
}I
)
I
t
'f
とジーニアスギャラリーを除い
大九十I
'
i{';-向けの新応 ~In の影響で似年齢
うであるけ {
1
'
f
舗 は 、 こ れ ら ピ ル の l昨yì~:lj))­
たほとんどの 1
1
化 が 進 行 し て い る と は い え 、 1I'}:生以卜-のグ
に人 1
'
l
fしている
銀行や尚子:
t
、大手企業の玄
関1
1を飢jる と い う こ と で 、 人 )
J
iす る ブ ラ ン ド
もそれに見介う知名)支と A
1
1
1十九が
手I
J
t
l気にあうことを第-条fj--に i
たどするとい
その結果、 l
f
:
j級ブランド!山や
うことである
¥
/
J
也することと
~'i 1
;
-の 人 気 ブ ラ ン ド l
I
t
'
f
が多く
な った
こうして J
r
日J
J
iした山の山人り 1l
l
i
i
jに
I
J
組 ) と - 絡 に 米 Iジ
jする傾向にある、
;
Rめ ら れ る こ
大 lしが Ili[~1Iìを選択する!捺も、{むの
とになる
ル ー プ は 見 ら れ ず 、 そ の 世 代 は お ! (特に
I
{
'
i1
'
;
-の ま ち 」 と さ れ る ト ア ウ エ ス ト は 、
0代 11
~J'i
川町地に比べると符!討の幅が狭く、 1
から :
3
0代後、r--が主流であるわ洋JlIi
l
1
1
fや雑貨Irf
i
は{
'
i
t
-の 姿 が ほ と ん ど を 占 め る の に 対 し 、 タ
}
f以降アルコールを1I¥すカブ
ランでは年齢層が
Lがるり
:
rや プ チ レ ス ト
・比して買し叫勿!i
は、必ず!よし¥;J,:ミ行スペースが l没けられており、
的とは忠われない、倣広している老人や遊ん
平やかな長t!i
i
lウ イ ン ド ー が で る 所 で 見 ら れ る
でいる子供の姿はしばしば I
1に す る こ と が で
1
m業全!日!としての 1
1
1川 町 地 に は I
k
j
人
│j
外のイf
?
'
1ブ ラ ン ド I
'
I
[やカブー Iが 、 大 規 校 な
ピルの刊号部分に路 l
(
jl
山として申 F
を述ね、統
きる(】これは、人の H
:ま な い ビ ジ ネ ス 街 で あ
のである
ーされた ;it 削を i~~ っているといえる}
るIl IJI~- 官 j也とは違って、'f. i
I~' の場でもあると
いう地域の性格の現れで、あろう
C
. まちづくりに対ーする姿勢
ノ
ーj、 1
:
iI とや例人 Ilif~11ìが集まるトアウー!ス
トは、:2 ~
、
j
'
で
あ
る
3
:I
(
{
;
yill ての小脱税な ~mJI';- ピルが大
本怖の人々が経件する l
t1
t
(
r
:
キl
J
I
H
I
1
i
[
以外は、乙()代後、j'--から J() 代の比 '1攻的 ~'i し中日三
1;-が?:?むfi?~ f
t
I
I
t
'f
や走行│見、セレクトシヨソプ
である
大
Fでは'た J
}tが雌しい、帝王'F¥'1;-のこ
I
l
l
'
!
'
1するために!'I¥
)
I
'
t
[した )
f
たらは、
だわりを U
1
ì ヶ~I I\J を改尖して),'[舗j にしたり、
i
,
'
;
-
J
1 1\] I1
i
J
>
"
ノ
ト
さ
l
i
j述のように、 1
1I
r
J
,
;
r
W地 に は 1
1I
J
I
'
H
W地 述 絡
協 l議 会 と い う ま ち づ く り 組 織 が 結 成 さ れ て お
り
、
f
N柏t
的な ;
;
t観づくりがわ:われているけそ
m
れはオフィスピルの外観だけに官まらず、 1
業 IhMi の様式や人 J;lî')-j~準にまで及ぶぃさらに、
会t
l
iの 犯 行 や イ ベ ン ト の 開 催 を 通 じ て 、
1
11
}
片
f
fJ
(
也を広くアピールする努力が行われている〕
これらの j
行動により、 I
I
I
J
u
W
{l
l
l
iは 統 ー さ れ た
nしミ物客や観光符
1
1
1だ っ た り と 入 、 イ 11念1
(
り
く日人も人れば約 1
たしいまちなみを保持し、
にも現ゾミ (1<) にも小規枚な )1'lf~llì から IH 党したと
にとって魅)
J的なイドイ:
1に な り 作 て い る と い え
J
5
・えられる
よう
そのため、雑誌に1
f
;
(り 1
-げ、られ
るような人気シヨソプでさえ、初めて,l}jれる
人には分かり難いようである
このような大規模で,l!企画的な;;津見を形成す
也│ベが外[1
q人 J
r
'
;
{
W
ることができたのは、この j
J
トアウ J ストの狭い路地の利Ur';-ビルには~ff:
地として IjlllhÎ(I~ に往設されたことと、大企業
1 't J社、セレクトシヨソプ、カブ工、夫作 I;J~ な
が│持 J
長するビジネス街であったことに起│大│す
どの小規校な WiJ 人 II'tf~11ìが、
rf t"くからの 11 t
(
(I
I
I
る
k
]内イ j名 企 業 が 多 い と い う こ と は 、 ま ち
1
I
'
t
J
'
I
U
1
'
fとともに什業しており、それぞれのfj(IJ'
がぶつかって独特の '~; f
I
l
t
気を眼し I
Hしている
づくりへの資金力があるということに繋がる
と
し Eえよう
j
也のように開放することは、
b
.米
,W
f
J
の
!
付
例えば、ピル敷地内を広行スペースとして公
L
lわれる
って不利に,I
-35
ー見企業側にと
しかし、向さ制限を緩
手1す る こ と に よ っ て 、 減 少 し た ス ペ ー ス を 補
人 が 集 ま る か ら メ デ ィ ア が1
1
.
り 1
-げ る 、 メ デ
うという }j 法で、問題が併~?}とされている。もち
ィアで初介されているから人が集まる、とい
ろん建築物の I
f
J
jさ制限は十1
1
μ 市が決定するも
うJ
J
!象 が 繰 り 返 さ れ る こ と で 名 実 と も に 注 1
1
のであるが、 1
1
1肘問地令休が;主観づくりに取
地I
ベとして定泊していくのであるけここでも
り組むことで Ih に Jf-~I認されやすくなり、実現
I訪れる人の,立 li~X とメディアにおける 1:
i1
1皮に
可能になったらしい川()このように、まち
は付1
t
I
J
!
F
JfJ性が I認められるであろうけ
づくりとそれに伴う問題の解消は、統合-K-の
では、これらはまちづくりとどのように閃
利益追求とそれを実行する資金力の双J
iに哀
るのであろうかい IFI}~HY{地におけるまちづく
付けされたものであるといえるけ
りは地以に人を Hヂぴ、まち全体を活気づ ~T る
J
i、白然、党 F七的 l
こJ
&\!~したトアウエスト
ことを 1
1(I~ に行われているけ地以内のほとん
では景観づくりはもちろん、まちづくり卜l]体
どの企来ーが I白jし】関心を寄せ、組織ぐるみでま
や商 J~{ 街といった組織的な川到j ははられない
ちづくりに取り組んでいるけこの場合、メデ
が、各J
h-}:がトアウ
ィアに大きく i
以り 1
-げ ら れ る こ と は 、 よ り 多
J
スト j
也l
ベ全体に対して
持つ立ぶは、共通しているようである日
くの人々にまちをアピールする絶 ~r の機会と
一部Jt
I
{舗で、行ったアンケートでは、最近の
J
I
1
1え ら れ 、 ま ち づ く り に プ ラ ス 効 果 を 与 え る
F
iやそれに(、j:う賑わいが、大阪の
相次ぐ新J
ものとなる日すでにガイドラインにおいて
1
「アメリカ村 J化 に 繋 が る の で は な い か と 危
指すまちの理知像とそれを尖羽させる規約を
供する戸が聞かれた υ エリアの拡大や類似山
設けているため、外部からまちづくりの方向
舗の明加、大子資本の参入により、イI
f
i
]人 J
1
i
{が
性が歪められることもないい
n
分のスタイルを保持するのが難しくなるこ
これに対して、
トアウゴーストにおけるまち
とを恐れ、アメリカ付のように繁本街化して
1
I
{舗が例'性的な経'日で
づくりではそれぞれの J
いくことに対する)え抗心や嫌:山岳がうかがえ
)げがし、刺激を
た刊まちづくり組織を lilt け、まちの ir~-'I~'t f
ヒを
るようである υ わざわざ繁有芸術を抜け出して
│司らない理山は、
'
Jえ 介 う こ と が 志 l
χ
│されてい
トアウ工ストが路地裏から
l
P
rJ~f した多くの山舗に、この j也 lベに刈ーする.fllt
メインへ発民することを防ぐといった発惣も
f
l
!像がなかったとは考えにくく、むしろ1'1
分
あるのではないだろうかけ
たちで新しくまちを作っていきたいという立
哉は強いのではないだろうかりしかし、それ
i
l
2) ま ち づ く り と メ デ ィ ア イ メ ー ジ と の 関 係
J
I結 し て
は-致I
a
つの地惣に I
(
l
jか う も の で は
まちづくりに積鰍 n~ に取り組んでいる IflJ計
なく、それぞれの理想を追及した結果がまち
留地と放任主義であるトアウエストを対比し
に現れ、ドi
然に発展していくという緩やかな
ながら検討-してきたが、まちの様
変 化 の 結 果 と 与 えられるけこの場合、メディ
r
を{ぷえる
A
地I
ベともに大
メディアイメージをみると、│山I
ア で の 注 1J
支が向まり、買い物客数や山舗数
t
f
きな間違いと指摘できる点はなかったり新Jt
が 増 加 す る こ と は 、 ま ち を 二I、速に変化させる
や訪れる人々の捕りを通じて、まち全体が変
足えられ、まち .
/
jくりという点ではマ
ものと J
化していく過科もむしろ忠実に表現されてい
イナスに働くこともあり得る υ まちづくり組
るコつまり、まちの本長
織 を も た な い こ と は 、 仙 人 (J
訂)の,立,
r
とメディアイメージ
の聞に、相正作用性が認められているという
ことになる。
さらに、来訪者数とメディアにおける注 t
l
度は、ほぼ比例関係にあるといってよかろう
ιを I
W
r
_
:する千ギ生である J
i、 メ デ ィ ア イ メ ー ジ に
u
-3
6-
6
. おわりに
:
3
)
イi
UJ 佐,l~f
:
i1して、
本杭は、 I
~!Jj地以の|民られた機能に?
メディアイメージとまちづくりについて論じ
てきた
、 l~ 初は「イメージの定持した地 IlJ
と「刻々と変化している地│ベ jの 事 例 と し て
取り 1
-げ た が 、 そ れ は I
I
H
l
l
h
j的 に 作 ら れ た 地
l
ベと [
J然発性的に成。:した地[)(:J、
「強力な
まちづくり組織を持つ地│ベと l
[
d
]人 の 広 志 に 任
さ れ た 地l
ベj と い っ た 保 々 な 相 反 す る 特 質 を
持 っ た 地 以 で あ る こ と が'
I
:
I
J
Iリ
jしたけ
川h
l
}沼 地 は 今 後 も 変 わ ら ず 砧 械 的 に ま ち づ
くりを推進していくと忠われる
η
:
J
現イ は 近 年
のブランドブームが卜火になった後の対策を
検
, H1
¥1で あ る
トアウ工ストは加速化するエ
リアおよ大のなかで「アメ村化」していくのか、
I
I上 す る た め の i
S到Jが 展 開 さ
あ る い は そ れ を ドI
れていくのか、今後の変化に1
:
il~ したい ο
情報の?l!.ì監する !!j[~ に慣れた我々は、数あ
るメディアイメージをかつての「アンノン』矢」
rI情 N
I,
Wに よ る く 都 i
f
i
>ツ去問イメ
ージ」、都市問題研究1(1 -6 、 1992 、 70-~n 1'[
4
) 成瀬厚「商品としての街、代官リ 1
J、人文 j也
J
f
l
t
1
5-6、 1
9
9
;
)、 60-75貞
5
)
r
神戸・肘留地返還 1
0
0年祭記念誌 神戸川悦
9
9
9、 2
:
3良
ー
地 J、旧)丙留地連絡協議会、 1
6
) 道 谷 市『新・ t
j1~よ訂正歴史物語』、神戸市J\ l
央l
メ;役所、 1
9
9
6、 1
0
2
1
0
3
!
'
[
7
) r
日
j
掲 5) l
OH
~) r
神戸I
f
l肘沼地/都心づくりガイドライン』、
川!日留地連絡協議会、 1
9
9
7、 1
t
f
l
9
) r
ワンダブル・コウベ 1
J
j
)i流作伯仲iJ、 f
1
t
l
} j新聞総合Il¥版センタ一、 1
9
9
2、 2
9貞
1
0
)I
日
J
掲9
)2
9ー
良
11
) l
i
i
jt
易8
) 5f
[
1
2
)l
i
i
i掲 5
) 2~n­
I:n 前掲~)
5
1
1
1
1
) 川J
u
W
I地 連 絡 I
h
1
n
議会事務 )
n
jの 佐 久 I
H
j奈犬氏に
1
i
った 1
9
9
9年 1
0c
J
Jのインタビューによる。
1
5
) 前掲 1
1
)
r
の よ う に 訂 日 的 に イ '1 じ る こ と は な く な っ た が 、
1
6
) 株 式 会 社 大 丸 神 μ!占販売促進部の柏谷由紀
1
¥
:に行った 1
9
9
9年 1
(
)
}Jの イ ン タ ビ ュ ー に よ る υ
j
旦に{故!長的に批判することもなくなったよう
1
7
) I
前神 )I海 洋 1
4物 館 館 長
に感じられる
そこには、過大な点現がJlJい
られていることを/氏矢"で、しかし全体のイメ
I
l
ji
J
'
i
あ
る
ージとしては'乏け人れるといった↑頃 I
のではないだろうかけ情報の送り子と受け千、
対象となる地域の人々というミ者が、メディ
アの特性をある紅)文 J
I
H解した卜.で、行動し、そ
の結果それぞれに影粋をうえあいながらイメ
ージを作っていると
J
7え る こ と が で き ょ う
υ
IJ
合1
'リ
.
iH
¥
:の レ ボ
ート J (株式会社トアロードまちづくりコー
ポレーション『トアロードスタイルブック』、
) j新 聞 総 合 I
H版センタ一、 1
9
9
9
)
株式会社制 1
1
3宍
1
8
) [
1
[
1林 「 神 戸 の 華 僑 達 一 ト ア ロ ー ド ・ ク ラ ブ
トアートフェア‘ 9
9に よ せ て -J (
rトアロー
9
j トアロード・
ド・クラフトアートフェア, 9
9
9
9、31
'
[
)
クラブトアートフェア実行委員会、 1
1
9
) 神戸新聞[トアロードの存 5
J 1995 年 1 月 ~rl
2
0
) 神 戸 新 聞 「 ト ア ロ ー ド の 春 1J1
9
9
5年 l
月1
U
(
r
神戸と外 [
E
L
文化J、
ょ
;
(
有1
)精華大学人文学部、 1
9
9
8
) 、 93H
21)広田千穂「神戸と紅茶J
付記
{(稿は、神 }
μ
i大?文 f
業論丈を大恥幅{に己改文稿したものである心本稿をまと
めるに際し、十1
)
1Fj 大学文学古1) の長1'~川Jf:dì 教授か
ら指 j阜を受けたことに汁し、深く t
!
芸
品f
j
女しますれ
〉
王
1
)
I
J
;
(Hlひとみ「“アンアン" ‘“‘ノンノ,刊,の旅↑
F
版
r
U 、地 f
瑚
1
型
1
H
2
却9
-1
ロ
2、 l
ω
9
州8
別4
、5
叩
(
り)
-5
幻7[
:
正
白
丘
2
) [付山順丈「地名・場所・場所イメージ」、人
文 i也 f型 ;)9--5 、
19~7 、
1-11([
2
2
)J
T
B出 版 『 る る ぶ 神 戸
,
9
:
3
j
、
1
9
9
3、 ;
)
5
!
'
{
2
:
3
) 神戸新聞総合出)版センター『ワンダブル・コ
ウ ベ 神 )Î ア・ラ・モード』、 199~ 、 19 頁
2
1
)I
I
I
i掲 2
;
)
) 48-49t
{
2
5
) 前掲 2
:
3
)5
2頁
2
6
)l
i
i掲 2
3
)1
8頁
2
7
) 後北出井、前山仁美「トアロードの街並みと
r神 μ と外同文
人 々 ー そ の 過 去 と 現 在 -J (
化 j 、京都精華大'下人文 q
:古
[
)
、 1
9
9
8
) 、2
1
0氏
-3
7-
2
S
1
) l
i
i
j
J
M
2
;
n5
0r
!
3
:
1
) トアロードまちづ、くりコーポレ←ションの q
l
l
珂悠花氏への 1
9
9
9ド
イ1
0月のインタピューによるけ
3
:
0
)前
十
日2
:
)
)5
2r
!
:35)
:
3
1
)
前i
t
)
2
:
n fJ:3(i
:
)
6)
l
i
i
j
J
M3
:3
)S
1
f
J
3
:2
) 株式会社トアロードまちづくりコーポレーシ
ョン『トアロードスタイルブック J、株式会
H版センタ一、 1
9
9
5
1、2
0
5r
(
社神}i新 開 総 介 I
;
3
7
)l
ij
J
M33) 9
1
1
'
{
2~)
前掲 2:n J
f2
f
[
前 J主~;33)
1
7
;
)f
f
n
:)~)前 J品:3:3) J
f2
(
{
3S
1
) 前向 1
1
)
:
3
:
3
) r
M
e
e
t
s
j 、京阪神エルマガジン社、 1
9
9
5
1
f
ドl
O
J
J~J- 、 91 r!
- 38 -
(もり
りょうこ・神戸大学学生)
Fly UP