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まちづくりとメディアイメージ

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まちづくりとメディアイメージ
Kobe University Repository : Kernel
Title
まちづくりとメディアイメージ(Town Planning and
Town Image)
Author(s)
森, 涼子
Citation
兵庫地理,45:22-38
Issue date
2000-03-31
Resource Type
Journal Article / 学術雑誌論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/90002426
Create Date: 2017-03-29
まちづくりとメディアイメージ
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用 い た 赤 煉 瓦 や 木 造 洋 風 の 2階建てである。
ピングエリアとして新お-に人気ある地区であ
1
8
9
4 (明治 2
7
) 年日米通商航海条約が締結
り、メディアでも数多く取り上げられており、
され、居留地は 1
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9
9年 7月 に 日 本 政 府 に 返 還
さらに地域住民や商府主がまちづくりに積極
された り し か し 、 外 国 人 の 居 住 は 引 き 続 き 認
的 に 参 加 し て い る と い う 側 面 を 共 有 し て い る 。 められた り 返 還 後 の 旧 居 留 地 に 進 出 し た 日 本
このため両地以のまちづくりの変遷と雑誌記
企業も多く、交通網や港湾の整備とともに神
事の記述をそれぞれ考察し、そのうえでまち
戸のビジネス中心地としての機能を高めてい
づ く り が メ デ ィ ア イ メ ー ジ に 与 え る 影響 を比
った 。特 に 第 1次 世 界 大 戦 下 で は 造 船 ラ ッ シ
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ュによ って 繁 栄 し 、 さ ら に 関 東 大 震 災によっ
て大打撃を受けた横浜港がかつて取扱ってき
2. 旧 居 留 地 の 歴 史 と 現 在
た 輸 出 入 品 の 搬 入 も あ り 、 神 戸港の需要はま
1)歴史
すます増大した 日
兵庫港は
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この頃までは庄留する外国人も多かったが、
と呼ばれ、人米・日明貿易などを絞て、 国際
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く中で彼らの活動は後退を余儀なくされ、第
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限 双 方 の 要 衝 と な っていた
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I地 と ト ア ウ エ ス ト の 略 史
出来事
年
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安政 5 日米通商条約締結
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8
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慶磨、 4 開港
列1
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2 居留地返還 (
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1
2 関東大震災
昭和 1
4 第 2次世界大戦勃発
20 神戸大空襲
終戦
これによって大規模な)片沼地を造成すること
この頃、国際地区共助会発足
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58 「旧居留地連絡協議会」名称変更
1
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60 景観形成市民団体に認定
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I筋)、
ラワーロード)、西は鰐リ 1 (現・鯉 J
北は I
何回街道 (
現・大九とミ宮神社の聞の道)
に困まれた海岸沿いの範聞に外国人凶留地の
トアホテノレ開業
大正 3 第 1次世界大戦勃発
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K連続ドラマ小説「風見鶏Jで異人館ブー
ム、レトロブーム
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神戸市都市景観条例形成地域 J 指定
建設が始まった わ 設計は吋初からイギリス人
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1 シンポジウム「旧居留地の昨日、今日、明日」
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l央に幅約 20mの南北
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62 旧居留地 38番館が「リブラブウエスト J と
道(広町筋)、さらに府留地の外周道路と東
1
9
95
してオープン
平成 7 阪神大震災
旧居留地地区「区画整鹿 J決定
阿に 2本、南北に 4本の道路が建設され、全
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旧居留地/復興計画」発行
体は 2
2街区、 1
2
6区の碁盤日状に分割された 。
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9
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欧米のストリートと同様、町名は道路に対面
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9
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7
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「旧居留地/都心づくりガイドライン J発行
「トアロードまちづくりコーポレーショ
する以割に与えられハ、現在も使われている 口
続いて外国人建築家の子による近代建築の
「トアロードまちづくり協議会 J発足
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999
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まりで、戦後すぐに結成された。連絡協議会
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会員の自社ピルと事務所所在ピルの分布を示
形成地域の指定を受けるに至った。この運動
した第 l凶から居留地内のほとんどのピルが
を通じて、従来は近隣の親睦程度と考えられ
協議会に加盟している状況が判明する C 戦中
ていたが、利害の調整が必要になってきたた
のピルオーナーによる自衛団組織を組み替え
め会合の機会が増え、協力してまちづくりを
推進する雰囲気が形成された 11)O
た「国際地区共助会 j が母体であり、当初は
0杜程度の親睦団体であった。
福祉目的の会員 3
連絡協議会で実際に協議するのは、ビルオ
活動が福祉中心になったのは、東南部の関電
ーナーのほかに各企業の総務担当者が主であ
ビル周辺にバラック建物が密集して相当数の
るが、銀行や大企業が多い居留地内では転勤
人々が居住していた点に加え、当時の代表幹
により役員が短期間で交代することも多い。
)
。
事が民生委員を兼務していた事情もある 1ど
それでも各企業ではまちづくり運動に従事す
しかし、 80年代初めからのいわゆるレトロ
る役職を設け、代々その気風を受け継ごうと
ブームによって旧居留地に新たな価値が付加
いう姿勢が定着しつつある O ビルオーナーや
され、神戸市都市景観条例に基づく都市景観
中高年の役員も、部下を指導するのではなく、
形成地域指定を推進する動きが始まった O
時代の中心を担う若い年代の意見を聞く方針
で臨んでいるとのことである 1'11 。
8
3年 3月、会の名称を「旧居留地連絡協議
会」と変更し、会員の増強や組織体制の強化
連絡協議会は、 8
5年に景観形成市民団体に
を図るとともに、役員が都市景観審議会に委
6年にはシンポジウム「旧居留
認定され、翌 8
醸 盟 会 員 自 社 ピノ
レ
区麹会員事務所所在ピノレ
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Om
日
目
田旧
回目
口
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判l 日
第 1図
旧居留地連絡協議会会員の分布
-2
5-
地の昨日、今日、明日 Jと写真展を開催、以
まちなみづくりのキーワードと定め、目指す
後、定期的に様々なイベントを実施している。
べき理想のまちなみ像が明確に打ち出されて
また、 89年 に は ま ち づ く り 推 進 委 員 会 を 、
いる。その「景観形成基準 j では 500m以上.
9
4年には地域計画プロジェクト委員会を設立
の建物面積を保ち、歩行スペースを設けるこ
してまちなみのあり方を提案してきた。こう
とや建物の 1階部分に商業施設や文化施設の
してまちづくりへの関心が高まり、地区全体
導入を呼びかけている。さらに、照明や広告
で取り組む体制ができたところで阪神大震災
物にまで細かな基準を設け、統
A
された美し
い景観づくりが提案されている。これらの基
に見舞われたのである O
1
9
9
5年 1月の大地震は連絡協議会の会員に
も深刻な被害を及ぼしたが、 2月には吹き晒
しの大丸カーポートで臨時例会を聞いて復興
の決意を固め、 4月の総会ではその活動方針
が決定された
e
1~,)。その後も会合を重ね、
97 年
準の遵守によりまちなみづくりへの積極的な
参加を居留地内の会員に求めているのである O
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.大丸神戸応の広舗展開
大丸神戸広が神戸駅、元町商応街を経て現
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rで営業を開始したのは昭和初期であ
在の場 1
には「都心づくりガイドライン J作成に至っ
るが、神戸の消費の中心は元町から三宮に徐
た。このガイドラインでは特に景観に対する
々に移行した。大丸神戸応は駅との直接連結
細かな配慮が見られ、旧居留地固有の風土を
がなく、三宮駅周辺が賑わいを見せるのとは
活かし、発展していくための基準が設定され
対照的に、三宮駅と元町駅の中間という位置
ている O にぎわい、伝統、風格、もてなしを
が不利に作用してきた。この地理的不利を何
京町筋
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-2
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あったと思われる O 当時の若者の買い物街と
商品を提供したしづと考え、また「ノックア
して賑わっていたのは、三宮から元町、神戸
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へと続く JRの高架下であった 。幅約 2m
個性重視の売り方をしたかった j と語ってい
の通路の両脇には小さいながら個性の強い雑
る 2 11 0 こうして「女の子の街 j だったトア
貨・洋服庖が所狭しと軒を連ね、独特の雰囲
ウエストに男性向け庖舗が加わったことによ
気を醸しだしていた O しかし、密集していた
り、若い男性の姿も見られるようになった O
ため、賑わいを見せるほど類似庖舗が増加し
客層が増えても、 三宮、元町からは離れてい
た結果、価格競争が起こった O かつての個性
たため客足は少なく、平日は夕方まで来客が
的な高架下は、時代の流れとともに「東から
全くないことも珍しくなかったという記 51 O
西、西から東へ、流行りのアイテムを l円で
若いオーナーの、小規模ながら個性のある
これらの庖舗が、
トアウエストで徐々に展開
した背景には「脱・高架下 Jという考え方が
も安く買うため歩き回る若いコ達に迎合する
けとなっていっ
没個性ショップの集合体 J~ (
たのである O
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トアロード
齢
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第 3図
トアウエス トにお ける庖舗分布
注)各庖舗の位置を示したに過ぎず、その面積の広狭を反映させたものではない 。
-2
9-
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1
1
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)した「クリスマスオルゴール│を
3
:)ま九づくりに対する姿勢
Ijíjli~ で 19BO イ1:,代からのトアウ二L ストの!が史
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化があったものの、そのどれもが件 I
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したがって、大子資本が
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'
わった
'
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"の勉リ出会も
さらには粍..
は公社粁 1
L
'が行えないため、何年│トアロー
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, ¥う株式
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Iでも珍しい
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mにわたる雑 1誌は n
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の-覧は~~ :2夫の通りである
全体を通して
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「刊 11iでクラシカルな住築 J
r
レ
ラスアートシヨソブ.
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J
Lされる大正、Il{{布!のスケー
J
Jにはカブ
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l1
1
f
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1ん統を始めた
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、 "
さらに 991
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には
めに、 1
1
1
),片山地のシンボルとして捉えられて
トア口ードの!が児と J
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1外│五│
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1-
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1かな 1
1
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1
1
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さらに、これらのビルには 1
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!ヵ人っているため、
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「新しさ j については、そのイ:
1
,代ごとに人
「ファッション j
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や 「 流 行 j 、 「おしゃれ]といった
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党:が佐
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3-
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り、さらにアジアやインドを加えて,1!!日正│符な
いることによるR. JJ~ であろうさらにその},i{
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1
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1も保持されている"ビジネスの l
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企び、内 !
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さらに、
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,
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-沼地には、
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呼びかけているため、近代建築物以外の他物
J1íf には 20代後、 t~ 以上、打者に人気のブランド
も大規模ピルとなっているい
山では 1
0代後、ドから 2
0代後、!,:のリ5
9:が多いよ
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、大手企業の玄
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もそれに見介う知名)支と A
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jする傾向にある、
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から :
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0代後、r--が主流であるわ洋JlIi
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-の 姿 が ほ と ん ど を 占 め る の に 対 し 、 タ
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ランでは年齢層が
Lがるり
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・比して買し叫勿!i
は、必ず!よし¥;J,:ミ行スペースが l没けられており、
的とは忠われない、倣広している老人や遊ん
平やかな長t!i
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lウ イ ン ド ー が で る 所 で 見 ら れ る
でいる子供の姿はしばしば I
1に す る こ と が で
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m業全!日!としての 1
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人
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のである
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I~' の場でもあると
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1するために!'I¥
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たしいまちなみを保持し、
にも現ゾミ (1<) にも小規枚な )1'lf~llì から IH 党したと
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J的なイドイ:
1に な り 作 て い る と い え
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・えられる
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そのため、雑誌に1
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(り 1
-げ、られ
るような人気シヨソプでさえ、初めて,l}jれる
人には分かり難いようである
このような大規模で,l!企画的な;;津見を形成す
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{
W
ることができたのは、この j
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が│持 J
長するビジネス街であったことに起│大│す
どの小規校な WiJ 人 II'tf~11ìが、
rf t"くからの 11 t
(
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I
I
る
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J
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気を眼し I
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也のように開放することは、
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例えば、ピル敷地内を広行スペースとして公
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lわれる
って不利に,I
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ー見企業側にと
しかし、向さ制限を緩
手1す る こ と に よ っ て 、 減 少 し た ス ペ ー ス を 補
人 が 集 ま る か ら メ デ ィ ア が1
1
.
り 1
-げ る 、 メ デ
うという }j 法で、問題が併~?}とされている。もち
ィアで初介されているから人が集まる、とい
ろん建築物の I
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jさ制限は十1
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J
!象 が 繰 り 返 さ れ る こ と で 名 実 と も に 注 1
1
のであるが、 1
1
1肘問地令休が;主観づくりに取
地I
ベとして定泊していくのであるけここでも
り組むことで Ih に Jf-~I認されやすくなり、実現
I訪れる人の,立 li~X とメディアにおける 1:
i1
1皮に
可能になったらしい川()このように、まち
は付1
t
I
J
!
F
JfJ性が I認められるであろうけ
づくりとそれに伴う問題の解消は、統合-K-の
では、これらはまちづくりとどのように閃
利益追求とそれを実行する資金力の双J
iに哀
るのであろうかい IFI}~HY{地におけるまちづく
付けされたものであるといえるけ
りは地以に人を Hヂぴ、まち全体を活気づ ~T る
J
i、白然、党 F七的 l
こJ
&\!~したトアウエスト
ことを 1
1(I~ に行われているけ地以内のほとん
では景観づくりはもちろん、まちづくり卜l]体
どの企来ーが I白jし】関心を寄せ、組織ぐるみでま
や商 J~{ 街といった組織的な川到j ははられない
ちづくりに取り組んでいるけこの場合、メデ
が、各J
h-}:がトアウ
ィアに大きく i
以り 1
-げ ら れ る こ と は 、 よ り 多
J
スト j
也l
ベ全体に対して
持つ立ぶは、共通しているようである日
くの人々にまちをアピールする絶 ~r の機会と
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{舗で、行ったアンケートでは、最近の
J
I
1
1え ら れ 、 ま ち づ く り に プ ラ ス 効 果 を 与 え る
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iやそれに(、j:う賑わいが、大阪の
相次ぐ新J
ものとなる日すでにガイドラインにおいて
1
「アメリカ村 J化 に 繋 が る の で は な い か と 危
指すまちの理知像とそれを尖羽させる規約を
供する戸が聞かれた υ エリアの拡大や類似山
設けているため、外部からまちづくりの方向
舗の明加、大子資本の参入により、イI
f
i
]人 J
1
i
{が
性が歪められることもないい
n
分のスタイルを保持するのが難しくなるこ
これに対して、
トアウゴーストにおけるまち
とを恐れ、アメリカ付のように繁本街化して
1
I
{舗が例'性的な経'日で
づくりではそれぞれの J
いくことに対する)え抗心や嫌:山岳がうかがえ
)げがし、刺激を
た刊まちづくり組織を lilt け、まちの ir~-'I~'t f
ヒを
るようである υ わざわざ繁有芸術を抜け出して
│司らない理山は、
'
Jえ 介 う こ と が 志 l
χ
│されてい
トアウ工ストが路地裏から
l
P
rJ~f した多くの山舗に、この j也 lベに刈ーする.fllt
メインへ発民することを防ぐといった発惣も
f
l
!像がなかったとは考えにくく、むしろ1'1
分
あるのではないだろうかけ
たちで新しくまちを作っていきたいという立
哉は強いのではないだろうかりしかし、それ
i
l
2) ま ち づ く り と メ デ ィ ア イ メ ー ジ と の 関 係
J
I結 し て
は-致I
a
つの地惣に I
(
l
jか う も の で は
まちづくりに積鰍 n~ に取り組んでいる IflJ計
なく、それぞれの理想を追及した結果がまち
留地と放任主義であるトアウエストを対比し
に現れ、ドi
然に発展していくという緩やかな
ながら検討-してきたが、まちの様
変 化 の 結 果 と 与 えられるけこの場合、メディ
r
を{ぷえる
A
地I
ベともに大
メディアイメージをみると、│山I
ア で の 注 1J
支が向まり、買い物客数や山舗数
t
f
きな間違いと指摘できる点はなかったり新Jt
が 増 加 す る こ と は 、 ま ち を 二I、速に変化させる
や訪れる人々の捕りを通じて、まち全体が変
足えられ、まち .
/
jくりという点ではマ
ものと J
化していく過科もむしろ忠実に表現されてい
イナスに働くこともあり得る υ まちづくり組
るコつまり、まちの本長
織 を も た な い こ と は 、 仙 人 (J
訂)の,立,
r
とメディアイメージ
の聞に、相正作用性が認められているという
ことになる。
さらに、来訪者数とメディアにおける注 t
l
度は、ほぼ比例関係にあるといってよかろう
ιを I
W
r
_
:する千ギ生である J
i、 メ デ ィ ア イ メ ー ジ に
u
-3
6-
6
. おわりに
:
3
)
イi
UJ 佐,l~f
:
i1して、
本杭は、 I
~!Jj地以の|民られた機能に?
メディアイメージとまちづくりについて論じ
てきた
、 l~ 初は「イメージの定持した地 IlJ
と「刻々と変化している地│ベ jの 事 例 と し て
取り 1
-げ た が 、 そ れ は I
I
H
l
l
h
j的 に 作 ら れ た 地
l
ベと [
J然発性的に成。:した地[)(:J、
「強力な
まちづくり組織を持つ地│ベと l
[
d
]人 の 広 志 に 任
さ れ た 地l
ベj と い っ た 保 々 な 相 反 す る 特 質 を
持 っ た 地 以 で あ る こ と が'
I
:
I
J
Iリ
jしたけ
川h
l
}沼 地 は 今 後 も 変 わ ら ず 砧 械 的 に ま ち づ
くりを推進していくと忠われる
η
:
J
現イ は 近 年
のブランドブームが卜火になった後の対策を
検
, H1
¥1で あ る
トアウ工ストは加速化するエ
リアおよ大のなかで「アメ村化」していくのか、
I
I上 す る た め の i
S到Jが 展 開 さ
あ る い は そ れ を ドI
れていくのか、今後の変化に1
:
il~ したい ο
情報の?l!.ì監する !!j[~ に慣れた我々は、数あ
るメディアイメージをかつての「アンノン』矢」
rI情 N
I,
Wに よ る く 都 i
f
i
>ツ去問イメ
ージ」、都市問題研究1(1 -6 、 1992 、 70-~n 1'[
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) 成瀬厚「商品としての街、代官リ 1
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) 神 戸 新 聞 「 ト ア ロ ー ド の 春 1J1
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) 神戸新聞総合出)版センター『ワンダブル・コ
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- 38 -
(もり
りょうこ・神戸大学学生)
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