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発表内容(PDF:466KB)

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発表内容(PDF:466KB)
平成25年度「食育・教育ファームシンポジウム」
『体験から学ぶ
食べものの大切さ!』
~達人が伝えたいこと~
4
事例発表
( 1)「牧場からの発信」
オオヤブデイリーファーム
大藪 真裕美 氏
私 は「牧場 からの 発信」と いうこ とで、皆 さんに 少しだ け牧場の 体験を通 した話をしたい
と思います 。
ま ず、酪農 をやっ てますオ オヤブ 牧場の概 況です が、熊 本市に隣 接してい て、ベッドタウ
ンとして発 展している所にありますので、小 学校は全校生徒が千名を超えてるような所 です。
住 宅地の 中にあ る牧場で 、乳牛 が100 頭、山羊 が10 頭、あ とロバ、 羊、犬とかふれあ
い 用の 動物 を飼 いな が ら、主 人 と息子 夫婦と
私 、そ れと ベト ナム か らの研 修 生の5 人でや
っ てい ます が、 酪農 の ほかに 、 乳製品 の製造
・販売をし ています。
私 がこ ちら に 嫁いだ の が昭 和5 2年 で、そ
れまで横浜の小学校で教師をしておりまし
た 。「 何 で 先 生 を 辞 め て ま で 酪 農 家 な ん か に
来 た の 。」 と よ く 聞 か れ る ん で す が 、 元 々 、
出 身は 西合 志町 で、 高 校卒業 し て、大 学が東
京で したの でそち らに住ん でいま したが、 そのうち コンク リート ジャング ルの中に住んでい
る私 がすご く寂し くなりま して、 ある時、 ゴールデ ンウィ ークだ ったんで すが、熊本に帰っ
て熊 本空港 の上か ら眺めた 熊本の 風景が鮮 明にきれ いで、 緑のじ ゅうたん の中に住んでると
いう のがす ごく印 象的だっ たんで すね。熊 本ってこ んなに きれい な所だっ たんだと気付いて
帰っ た日に お見合 いが設定 されて いまして 、そのま まお見 合いだ ったんで すが、実はお見合
いの 相手が 全く違 う人だっ たらし くて、教 師をして たので 先生と のお見合 いを設定していた
らし いんで すが、 その先生 が来ら れなくな って、そ こに、 せっか く帰って るんだったらと近
所のおじさ んが連れて来たのが今の主人だったんです。
そ れ を 全 然 知 ら な く て 、 結 婚 し て 1 0 年 ぐ ら い 経 っ て か ら 母 に 言 わ れ ま し た。「 え ー 」 と
思いました が、これも運命かなと。1つ は熊 本の良さに惚れた時、やはり緑 だったんですね。
それ で今の 相手が 酪農家と 聞いた 時、緑の じゅうた んの中 で牛が 飼えて、 北海道みたいに放
牧し ていて 、すご いところ で仕事 ができる んだなと 思った んです が、それ が全く違って、熊
本の 酪農っ て、牛 を牛舎の 中に繋 いであっ て、堆肥 と思っ ていた ものがサ イレージという餌
でし た。そ れさえ も知らず に横浜 に帰った んですが 、トン トンと 話が進ん で気付いたら結婚
式になって いたんです。
酪 農家に初 めて嫁 いで、長 男が生 まれ、3 年後に 長女が 生まれ、 次に次男 が生まれ、とに
-1-
かく めまぐ るしい 生活をし てたん です。小 学校に子 ども達 が上が り、娘が 6年生の時のある
日、 学校の 先生が ふと家庭 訪問に お見えに なって、 何だろ うと思 ってたら 「実は娘さんが学
校 で い じ め に あ っ て る ん で す 。」 と 言 わ れ ま し た 。 酪 農 家 と い う だ け で 、 汚 い と か 臭 い と か
の罵 声をと ばされ てたらし いんで すが、そ んなこと を全く 言わな かったの で全然気付かなか
ったんです 。
け れど、そ んな中 で娘が学 級会で 発した言 葉が、 ハンマ ーで殴ら れるよう なすごい言葉だ
っ た ん で す 。「 う ち は 確 か に 酪 農 家 だ け ど 、 お 父 さ ん と お 母 さ ん が 一 生 懸 命 夢 を 持 っ て 仕 事
を し て い る 酪 農 と い う 仕 事 を 、 み ん な に 侮 辱 さ れ る よ う な こ と は な い ん だ 。」 と 学 級 会 で 言
ったと、家 庭訪問でお話しされたんですね。
私 はハッと 気付き まして、 酪農家 は牛乳を 出荷し て乳代 をもらう というの が、本当の酪農
の仕事と思 っていたんですが、違ったんですね。今の子ども達 は怖さ知らずで言っているし、
言わ れた者 の心に はグサリ と突き 刺さるも のがあっ たんで しょう けど、そ れを頑としてはね
除け た娘も そこそ こ凄いと 思った んですが 「こんな に知ら ないん だから、 子ども達もいろん
な こ と を 言 う ん だ な 。」 と い う こ と に 気 付 い て 、 そ の 年 、 小 学 校 の 開 校 1 0 周 年 の 文 化 祭 が
あったので 、校長先生に「酪農体験をさせてください。」とお願いに行ったんです。
乳 牛と子牛 を連れ て行って 、乳搾 りやふれ あいや 、全校 生徒の中 に10軒 ほどしかない農
家で とれた 生産物 、白菜や お米や 漬け物な ど、物産 館のミ ニバー ジョンの ようなものを文化
祭で 開かせ ていた だきまし た。そ の時の反 応がもの 凄くて 、これ は続けて いかなければいけ
ないと気付 き、始めたのが「リトルカン トリ ーフェスタインくろいし」とい うことなんです。
な ぜこう命 名した かという と、黒 石という 地区な んです けど、ほ んとに小 さな小さなミニ
ミニ バージ ョンの イベント を開こ うと、小 さな村で いろん な農業 体験がで きるイベントだっ
たらきっと 楽しんでもらえるんじゃないかと始めたのがこ のイベントでした。
平 成6年に 始めて 、1回目 のイベ ントには いろん な所か ら3千名 ぐらいの 方達が来ていた
だき ました 。やる 事といっ たら、 乳を搾っ たり、白 い長靴 の飛ば しっこ競 争だったり、トラ
クタ ーとの 綱引き 、ジャガ イモや 大根掘り などの全 くの農 業イベ ントだけ で、手作りばかり
だっ たので 珍しい こともあ って、 子ども達 には大盛 況で、 お母さ ん達は青 空市場を目当てに
い ら っ し ゃ い ま し た 。 帰 り に 子 ど も 達 が 何 人 も 走 っ て き て 、「 い ろ ん な 所 に 遊 び に 行 っ た け
ど、今日の イベントが一番楽しかったよ。」 と言ってくれて帰っていきました。
や はり農家 という のは、今 まで発 信するこ とを知 らなか ったと思 ったんで す。特に酪農家
は、 牧場に 入って こられる のは嫌 うことだ ったので 、垣根 を作っ てたと思 うんですが、それ
を取 っ払う ことで いろんな 人達に 入ってい ただいて 、農業 や酪農 の良さや 、いろんなことに
気付 いてく れる、 そして体 験して くれる、 そして知 ったこ とを伝 えてくれ るということがで
きるのは、 やはり農業・酪農体験なんだなあと痛感した第 1回目でした。
そ れをどん どんや っている うちに 、熊本に 楽しい ことを やってる 人がいる と聞きつけてい
らっ しゃっ たのが 伍代さん という 方で「全 国でそう いうイ ベント をやって る酪農家を結びつ
けて 教育フ ァーム みたいな 形で起 ち上げた いので、 ネット ワーク を作ろう と思ってるんだけ
ど 協 力 し て も ら え ま せ ん か 。」 と お 見 え に な っ た の で 、 そ れ で 東 京 に 行 っ て 交 流 牧 場 全 国 連
絡会を起ち 上げる運びとなりました。
そ の1回目 は10 0名でし たが、 今は30 0名ほ どに増 えていま す。いろ んなところで、
いろんな地 域の中で農業体験が必要なんだと気付き始めた 時代でした。
-2-
一 人の酪農 家、熊 本の人の 話です が、幼稚 園児が 遊びに 来たとき 、子ウサ ギを抱かせてる
う ち に 落 っ こ と し て 動 か な く な っ た ウ サ ギ を 持 っ て き て 、 な ん と 言 っ た と 思 い ま す か 。「 電
池 が 切 れ ち ゃ っ た の 。 電 池 を 入 れ 替 え て 。」 と 持 っ て き た ん で す っ て 。 そ の 時 は 鳥 肌 が た っ
たよと言っ てました。そういうのが今の時代なんだな。ゲーム の世界で生きてる子ども達は、
こ れ が 生 き て る も の な ん だ っ て い う 感 覚 が な い ん だ よ と い う 話 で 、「 す ご く こ れ か ら 考 え な
いといけな くなった。」って言ったこと を今で もしっかり覚えています。
また、北海道 の酪農家だったんですが、東京の小学5年生の 男の子が電話をかけてきて「コ
ー ヒ ー 牛 乳 っ て い う の は 、 牛 に コ ー ヒ ー を 飲 ま せ た ら 出 る ん で す か 。」 と ま じ め に 質 問 し て
き た こ と に び っ く り し て 、「 酪 農 家 が 動 き 出 さ な け れ ば 」 と 体 験 を 取 り 入 れ る よ う に な っ た
とい う話を してま した。全 国でい ろんなこ とが起き ていて 、何か を今動き 出さなければいけ
ない時期に きてると思ってやり始めたのが、教育ファーム のはしりだったんですね。
今、我が家で 年間1千5百から2千人くらいの子ども達 が来るんですが、長崎の小学校が、
ここ 8年ぐ らい毎 年来てる んです 。ここの 小学校が なぜ来 るよう になった かというと、覚え
てい るかも しれま せんが、 佐世保 の小学校 で同じク ラスメ イトが 、女の子 をカッターナイフ
で切 りつけ て殺害 するとい う事件 があった んですね 。その 翌年か ら「命の 教育のできる修学
旅 行 に 変 え て ほ し い 。」 と い う 要 望 が 保 護 者 か ら あ っ て 、 ホ ー ム ペ ー ジ で 検 索 し て 、 う ち に
来るように なったんです。
その子達は9月に体験に来て、毎年いろん
なお手紙をいただくんですが「自分が生か
されていることを、体験を通して初めて気
づ い た 。」 と お 手 紙 し て る 子 が い ま し た 。
そこを読ませていただきます。
「酪農体験をさせていただきありがとう
ございました。私は乳搾りをするのが初め
てで、こんなにも温かいものなんだと実感
して思いました。また、牛は10年や20
年は 生きて お乳を 搾ったり するの に使われ たりする のかと 思って いました が、メスは5年、
オスは 1 週 間でランドセルの皮になったり、2、3 年で肉 になることを初めて知り、今まで
私が 、ただ 食べた くないか らと捨 てていた 食べ物や 生き物 たちに 可哀相な ことをしていたん
だな あと思 いまし た。これ からは 、できる 限り苦手 な食べ 物でも しっかり 食べて、命を大切
に し て い き た い と 思 い ま す 。」 と い う 女 の 子 の 手 紙 な ん で す が 、 こ う い う 自 分 の 命 と い う も
のと 食べ物 を結び つけるこ とがで きるとい うのは、 体験を 通さな いとなか なかできないこと
なんじゃな いかなと気付かされる文章がたくさんあります 。
酪 農体験を 通して 今思って いるこ とは、こ れから を生き ていく子 ども達に 、自分の命のこ
と、 周りの 命のこ と、そし て食べ 物のこと が、どう いう形 で自分 のところ に届いているかを
実感しても らうのは、酪農体験なり農業体験じゃないのか なと切に思っております。
体 験の中で 活かさ れたこと が、や がてこの 子達が 大きく なった時 、いずれ は自分の子ども
のた めにと いうこ ともある んです が、私が 一番気付 いてほ しいの は、子ど も達から伝わる、
保 護 者 の 方 達 の 言 葉 な ん で す ね 。 子 ど も か ら 「 今 日 こ う い う こ と や っ て き た ん だ よ 。」 と 聞
いて 、サラ ッと流 すんじゃ なくて 、それを 一歩かみ しめて 考えて いただく ということはとて
-3-
も大 事なこ となん じゃない かな。 それがで きるのは 、我が 子の言 葉だから こそ、保護者とい
うのはそれ に気付いてくれるんじゃないかなという場面が たくさんありました。
一 つ は 、 あ る 時 幼 稚 園 の 子 ど も が 「 こ の 臭 い 匂 い は 命 の 匂 い な ん だ ね 。」 と 言 っ た こ と が
凄 い 驚 き だ っ た ん で す が 、「 臭 い の は 生 き て い る か ら こ そ の 匂 い で 、 死 ん だ ら 匂 い し な い ん
だ よ ね 。」 と ち ょ っ と 話 し た だ け だ っ た ん で す が 、 命 の 匂 い な ん だ と 伝 え て く れ た 幼 稚 園 児
の子 どもと か、も う一つは 小学1 年生の子 だったん ですが 、帰っ てからお 母さんに「今日乳
搾 り を し て 温 か い 牛 乳 が 出 た ん だ よ 。 何 で だ と 思 う 。」 と 聞 い た の で 、 お 母 さ ん が 「 温 か い
と こ ろ か ら 出 て る か ら 温 か い ん で し ょ 。」 と 言 っ た ら 、「 違 う ん だ よ 。 温 か い お 乳 は 命 の 温
か さ な ん だ よ。」 と 言 っ た そ う で す 。 そ れ で お 母 さ ん は 凄 く 感 激 さ れ て 、 お 便 り 帳 に 書 い て
学校 の先生 に届け られたそ うです 。そうい う形でい ろんな 場面で 子ども達 からの気付きが親
御さ ん達に 伝わっ て、親御 さん達 が、それ からなお さら気 づいて くれると いう場面が教育フ
ァー ムって いうの はあるん だなっ て。普通 、お父さ ん、お 母さん から子ど も達に伝えること
が多 いです が、子 ども達か らの発 信が親の 方に伝わ ってい くとい うのは、 やはり農業体験を
した本人で なければわからないことだなあと感じておりま す。
今、 九州 の 酪農 教育 ファ ーム は、 酪農
家 が一 生懸 命 頑張 って いま す。 私た ちの
メ ンバ ーは 消 費拡 大が むし ろ一 番な んで
す 。少 しで も 牛乳 の消 費に 役立 って くれ
た ら一 番い い と思 って いま す。 最初 から
酪農の応援団を育てることが目標なの
で 、子 ども 達 に発 信す るこ とに よっ て、
例 えば 、ス ー パー でい ろん な飲 み物 の中
から牛乳を買い物かごに入れてくれた
り 、酪 農が 大 変な 時に 協力 して くれ るよ
う な、 子ど も 達の 応援 団を 育て るこ とが
私 たち 一番 の 願い です ので 、尾 場瀬 先生
の 「酪 農家 の 応援 団に しか なれ ませ ん」
と いう のは 最 高の 強み で一 番嬉 しい こと
だと思ってます。
こう やっ て 学校 の教 育の 一つ とし て、
酪 農教 育フ ァ ーム を取 り上 げて いた だく
こ とは 、酪 農 家に して みれ ばと って も嬉
しいことです。
つい先日、小学校の体験があったんですけど、先生が帰るよと言っても「 もっとやりたい」
と言 ってブ ラッシ ングのと ころか ら離れな いんです 。その 子はい ろいろ大 変な子だったらし
い ん で す け ど、「 こ れ ほ ど 牛 に 一 生 懸 命 に 接 し て あ げ ら れ る と い う の は 、 学 校 生 活 で は 想 像
できません でした。」とおっしゃってい ました 。
こ の写真に あるよ うな、い ろんな 場面を通 しなが ら、子 ども達と 一緒に酪 農家の未来、そ
れか ら日本 の農業 の未来に 少しで も役立て れるよう な農家 になれ たらいい なと思っていると
ころです。 ご清聴ありがとうございました。
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