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試練乗り越え成長する選手の姿を胸に
No.641 ロンドンパラリンピックで 柔道国際審判員を務めた おおやま しょう ぞ う 大山 昭三 さ ん 試練乗り越え成長する選手の姿を胸に 「技あり!」 「一本!」―。自ら発 する判定の声に満員の会場が何度 も沸いた。9月、日本人唯一のロン ドンパラリンピック柔道国際審判 員として、39 カ国 128 選手の熱戦 を見守った。1日 20 試合以上が3 日間続くハードスケジュールはト イレにも行けないほど。それでも 「勝った選手のガッツポーズを見る と涙が出ます。ハンデを乗り越え るための苦労を思うと…」。選手へ のまなざしは優しく、熱い。 視覚障害者が出場するパラリン ピック柔道は、お互い胴着を軽く 持った状態から始まる。両者が離 れると中断。中央に戻り組み直す。 5分の試合時間が 10 分を超えるこ とも珍しくない。健常者以上のス タミナが求められ、見えない相手の 動きを察知する感覚や集中力も必 要だ。 「組み手から始まるので技を きれいにかけやすい。組み手争い が激しい健常者の柔道とは違った 見応えがありますよ」。 柔道が盛んな九州・宮崎県に生 まれ、小学2年で道場に通い始め た。 「とにかく柔道一筋でした」。名 門の天理大学に進学し、関西学生柔 道大会で優勝するなど活躍。大学 卒業後は指導者としてイタリアへ。 「海外での指導は夢でした」 。障害 者柔道を知ったのもイタリアだっ た。きっかけはハンガリーで障害 者医療を研究していた一人の医師 との出会い。 「どこで私を知ったの か、わざわざ会いに来てくれて」。 後に市内で障害者の自立を支援す る社会福祉法人「わらしべ会」を創 設する村井正直さんだった。柔道 家でもある村井さんは、柔道の受け 身が身体障害者の機能回復に役立 つと熱く語った。 「初対面でしたが 熱意に心打たれました」。25 歳で帰 国。企業の柔道部監督を務めなが ら、わらしべ会で柔道の指導を手 伝った。私財を投じて障害者支援 に尽くす村井さんの姿を目の当た りにし、 「人のために何ができるの か考えるようになりました」。3度 のオリンピックに選手を送り出す など指導者として結果を残し、見え てきたのは障害者柔道競技の普及 だった。 「勝つ喜びに向かって試練 を乗り越え、成長していく選手の姿 を胸に刻みたい」。平成 22 年、日本 人初の国際障害者柔道連盟公認の 審判員となった。 障害者柔道は指導者や審判が少 なく、昇段試合も満足にできないの が現状。 「選手を集めて定期的に合 同練習を開きたい。関西で全国大 会も開ければ」と国内外での大会や 会議のたび選手や指導者に声を掛 け、輪を広げる。 「柔道を通して障 害への理解者を増やしたい」。障害 者柔道の普及へ歩みを進める。 プロフィル/柔道国際大会の日本選手団監督や日本オリンピック委員会強化スタッフを 歴任。コーチとしてシドニー五輪銀メダリストの楢崎教子選手などを育て上げた。日本人 唯一の国際障害者柔道審判員。ダイコロ株式会社柔道部総監督。58歳。長尾台1丁目在住。 広報ひらかた平成24年11月号 46