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アダム ・ フ ァ ーガスンに おけ る道徳哲学と経済学
53 アダム・ファーガスンに おける道徳哲学と経済学 天 羽 康 夫 序 r国富論』の著者アダム・スミスの学聞的出発点が,道徳哲学であったとい うことは,こんにちではひとつの常識となっている。そして,『道徳感情論』 から『法学講義』をへて『国富論』にいたるスミスの学問的成長過程について は,我国では,戦前の大道安次郎,高島善哉,大河内一男らの研究から,戦後 1) の内田義彦をへて,こんにちにいたるまで,ながい研究史がある。r国富論』 2) 200年を契機にした「アダム・スミス,ルネサンス」ともいわれている,近年 のスミス研究の興隆のなかでも,このテーマは内外の関心をひきつけた。この 期の研究を刺激したのは,法学についての新しい講義ノート(Aノート)の公 3) 刊であった。 日付のある詳細なAノートと従来のキャナン版rグラスゴウ大学講義』(B ノート)との比較検討を通して,これまでほぼ定説となっていたスコット説が くつがえされ,1750年代から60年代前半にかけてのスミスの知的成長過程が, 1)大道安次郎『スミス経済学の生成と発展』日本評論社1940年,高島善哉『経済社会 学の根本問題』日本評論社1941年,大河内一男『スミスとリスト』日本評論社1943 年,内田義彦「経済学の生誕』未来社1953年。 2) H. C. Recktenwald, An Adam Smith Renaissance anno !976? Journal of Eco− 7zoMic Literature, vo1.15,1978.『国富論』200年にあたる!976年に出版されたスミ ス研究文献は約350にもなるといわれる。Cf. ibid., p.57. 3) A. Smith, Leetures on Jurisprudence, ed. by R. L. Meek, D. D. Raphael, and P. G. Stein, Oxford, 1978. 54 松尾博教授退官記念論丈集(第234・235号) 4) より厳密に跡づけられるようになった。さらに,スミス自体の研究と並行して, かれの思想史的背景として,フランシス・ハチスン,デヴィッド・ヒューム, P一ド・ケイムズ,アダム・ファーガスン,トマス・リード,ジョン。ミラー 5) といった,いわゆるスコヅトラソド啓蒙思想の研究も進展した。それとともに, ハチスンからスミスにいたる道徳哲学の展開と経済学の生誕といった問題が取 6) り上げられるようになった。さらに,〈18世紀思想とアダム・スミス〉といっ 7) たより広いパースペクティヴのもとでの研究も行われるようになってきた。 こうした研究を通して,スミスの独自性がこれまでにもまして強調されるよ 8) うになった。スミスが「決して忘れることのできないハチスン博士」と呼んだ, そのハチスソからスミスへの展開が,連続面においてではなく,断絶,すなわ 9) ち,後者による前者の批判克服の過程としてとらえられるようになった。ま 10) た,「スコットランド啓蒙における政治経済学の形成」といわれるけれども, 4) Cf・ R・ L. ・Meek and A. S. Skinner, The development of Adam Smith’s ideas on the division of labour, Econornic Journal,83,1973. この論交はのちにつぎの論文1 集に収録された。R。 L. Meek, Smith, Maf’sv, and after, London,1977,時永淑訳 「スミス,マルクスおよび現代』法政大学出版局1980年A.S. Skinner, A system・f soeial science, Oxford, 1979. .5)包括的なものとして内外の文献をそれぞれ2点つつあげておく。R. H. Campbell and A. S. Skinner ed., Tke origins and na.ture of the Scottish enlightenment, Edinburgh, 1982. 1. Hont and M. lgnatieff ed., Wealth and virtsce, Carnbridge, 1983.佐々木武「スコヅトランド学派における:文明社会論の構成」『国家学会雑誌』 85一・6巻,1972一・3年。水田洋「スコットランド研究のための書誌」『調査と資料』 73・4号,1980年。 6)田中正司「アダム・スミス『法学講義』研究序説一ハチスン『道徳哲学』との対 比的考察一」『横浜市立大学紀要』(社会科学編,新シリーズ)第1号,1983年に つづく一連の労作をみよ。 7) 水田洋「18世紀思想とアダム・スミス」大河内一男編『国窟論研究』■,1972年。 8) E. C. Mossner and 1. S. Ross, The eorrespondence of Adam Smith, Oxford, 1977, p. 309. 9) 田中正司,前掲論文をみよ。そこにおいて,『道徳感情論』と『法学講義』はワン セットのハチスン批判と理解される。 10)1.Hont and M, Ignatieff ed.砂p cit.のサブタイトルa アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 55 スコットランド啓蒙思想の中心は,スミスでも経済学でもないことがあきらか ID になった。スミス『国富論』が特異な存在だったのである。イギリスが経済学 の母国といわれ,「イギリスでは経済的思考が他の社会科学的思考とならびお こりながら,しかもそれら社会諸科学のなかで事実上中枢的地位を占めるにい 12) た」つたといわれる。だが,18世紀末までに限れば,このようにいえるのは, スミスについてだけなのである。 しかし,スコットランド啓蒙思想のすべてが,経済問題に無関心だったとい うことではない。デヴィッド・ヒュームは『政治論集』(1752年)をかき,こ 13) れは,〈経済学の形成時代〉の論争の起点となった。また,当時の道徳哲学は, 狭義の倫理学とはことなり,社会哲学あるいは社会科学概論ともいえるもの で,そのなかに,こんにちでは,法学,政治学,経済学に相当する部分をふくん でいた。この点は,スコットランド道徳哲学の出発点に位置するハチスンにも みられるし,スミスと同年にうまれ,ながくエディンバラ大学道徳哲学教授と して活躍したファー・一ガスン,また,その後任,デュガルド・スチュアートにお いても確認しうる。かれらも経済問題に関心を示し,かれらなりの経済論を展 14) 開していたのである。こうしたなかでのスミスの独自性は,ハチスン的道徳哲 !1) 「スコットランド啓蒙思想の研究の側からみると,その中心はスミスでもなく,経 済学でもないのである。スコットランド啓蒙思想家のなかで,道徳哲学や歴史観はか なり広範にみられるが,経済学はスミスにしかなく,経済学でスミスとならびうるJ. スチュアートは,ふつうはこの思想家集団のなかにいれられていない。」水田洋「ス ミス研究の動向と問題」『科学と思想」1976年10月120ページ(高島・水田旧著『アダ ム・スミスと現代』同文舘1977年,73ページ)。内田義彦の指摘したスミス研究の2 つの潮流(内田義彦,前掲書,8−14ページ)が容易にかみあわず,今日でも,スミ ス研究が小林昇に代表される学史的分析と水田洋に代表される思想史的分析とにわか れている原囚は,方法論のちがいだけではなく,対象自体のなかにもあったといえ る。若干の例外,たとえば,ヒュームをべっとして,思想史的分析の対象となる人物 と学史的分析の対象となる人物とが重なってこないのである。 12)内田義彦『経済学史講義』未来社1961年,92ページ。 13)小林昇『経済学の形成時代』未来社1961年,25−8ページ(『小林昇経済学史著作 集』未来社第1巻,1976年,24−6ペーージ)。 14)ハチスンの道徳哲学における経済論についてはキャナン版『グラスゴウ大学講義』 および『国富論』への編者序論,スコットの・・チスン研究(W.R. Scott, Francis 56 松尾博教授退官記念論文集(第234。235号) 15) 学の枠組を打破し,「厳密な意味での」倫理学(r道徳感情論』),’経済学(r国 富論』),狭義の法学へと進んでいった点にある。スミスにおいて,道徳哲学の 16) 解体と経済学の生誕を確認することができる。 だが,こうしたことは,スミスと同世代のファーガスンにおいても,さらに 一世代あとのドユガルド・スチュアートにおいても,みることはできない。か れらは,最後まで道徳哲学の枠組のなかで経済問題を考え,経済論を道徳哲学 の一構成部分としていたのである。では,こうした枠組のなかで,経済問題は どのようにとらえられていたのか。また,何故,かれらは道徳哲学の枠組を打 破しえなかったのか。その障害となった問題はなにか。こうした点をみること によって経済学生誕の秘密を,その裏面からみてゆくことができないであろう か。 以下においては,このような観点からアダム・ファーガスンにおける道徳哲 学と経済学を検討してみたい。その際,スミスとの対比を念頭におくならば検 の ノ 討の素材となるのは,『道徳哲学綱要』であろう。本書は,講義要綱であるとい う性格に制約されて,十分な展開を欠き,要点を列挙するだけでおわっている。 しかし,体系化されているとはいえ,1792年,すなわち,スミスの死後出版さ Hutcheson, CUP.,1900)以来しばしば言及されている。 D.スチュアート研究はおく れている。しかしかれの『道徳哲学概要」(D.Stewart, Outlines ef moral philosophy, 1793)によれば,かれの講義の最後の部分は政治学であり,そのなかで,アーツ,商 業,人口,国富といったテーマが取り扱われている。そしてかれの経済学講義が死 後,W.ハミルトンによってLectures on political ecQnQmyとしてまとめられ,『D. スチュアート全集』(W.Hamilton, ed. The collected works of Dugald Stewart, 1854−60)の第8・9巻となっている。なお,ファーガスンについては,本as 1以下 をみよ。 15) D.スチュアートによって紹介されている,スミスの道徳哲学講義についてのJ.ミ ラーの回想(D.Stewart, Op cit., voL 10, p.12)。 16) この点については拙稿「アダム・ファーガスンにおける人間と社会」『市民社会の 思想』御茶の水書房,1983年,87−9ページをもみよ。 17) A. Ferguson Jnstitutes of moral philosoPhy. For the use of students in the college of Edinburgh. Edinburgh.1769.(以下ではIMP.と略す)。 アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 57 ユきう れたr道徳政治科学的原理』とことなり,1769年,すなわち,スミスのr道徳 感情論』r法学講義』とr国富論』とのほぼ中間に出版されたものである。ま た,本書は,道徳哲学についてのファーガスンの最初のまとまった著作であり 大陸諸国にもほん訳され,エディンバラ大学道徳哲学教授としてのかれの地位 を不動にしたものでもあった。 1 道徳哲学と経済学という観点から『道徳哲学綱要』の目次を一瞥したばあ い,われわれの興味をそそるテーマが,はじめの部分とおわりの部分とにわけ て論じられていることに気がつく。すなわち,まず,第1部「人間の自然史」 第1章「人類の歴史」のなかに,第7節「人口について」第9節「アーツと商 業」第10節「不平等と階級」といった諸節がふくまれ,そして最終第7部「政 治学について」第2章「公共経済について」のなかに,第1節「国民的資源一 般について」第2節「人口について」第3節「富裕および富について」第4節 「収入について」といった諸節がふくまれているのである。これらのうち,第 1部第1章第9節「アーツと商業」(以下ではくアーツと商業〉とよぶ)およ び第7部第2章「公共経済について」 (以下ではく公共経済論〉とよぶ)は, この小論のテーマからみてとくに注目すべきものである。 だが,経済論は,何故,このように冒頭部と最終回に分裂することになった のか。しかも,人口論のばあいには,同一テーマが,初めと終りに分裂してい 18) A. Ferguson, PrinciPles of moral and Political science, Edinburgh, 1792. 19) IMP.以前に, Analorsis of Pneumatics and morαl PhilOSOPhbl. FOr the erse of students in the College of Edinburgh. Edinburgh,1766があるので,厳密な意味で, IMP.を道徳哲学についての最初の著作とはいえない。しかし, Analysisは50ページ あまりの簡単な講義要項であるので,300ページをこすIMRをまとまった最初の著 作といってもよいであろう。1700年代に出版されたほん訳としては,以下のような, 独訳,仏訳,伊訳がある。Adam FergUSOns Grundstitze der MoralPhilosophie, tiber− setzt von C. Garve, Leipzig, 1772; lnstitutions de PhilosoPhie morale, Geneve, 1775; lstituxioni di filosofia morale del Sig. Ferguson, Venezia, 1790. 58 松尾博教授退官記念論文集(第234・。235号).. る。〈公共経済論〉を政策論とみて,そうしたものとしてそれは,『国富論』 においてと同様,最後におかれていた,と考えることもできる。しかし,『国 富論』のばあいには経済の理論,歴史,学説という展開をふまえて,最後に政 策論がおかれていたのである。ここにはまとまったひとつの経済学の体系があ る。『道徳哲学綱要』では事情がことなる。本書はつぎのように構成されてい る。 序論 第1部 人間の自然史 第2部 精神の理論 第3部神の知識について 第4部道徳的法則とその最も一般的な適用について 第5部 法学について 第6部 決疑論について 第7部 政治学について この構成からもわかるように,〈アーツと商業〉をふくむ第1部と〈公共経済 論〉をふくむ第7部とのあいだには,精神論,宗教論,道徳論,あるいは,法 学といった異質なものが介在しているのである。経済論をこのように異質なテ ーマとともに論じること自体は,道徳哲学一般の特色である。しかし,経済論 そのものがこのように最初と最後に分裂しているのは,ファーガスンだけにみ られることのように思われる。そして,ここに,かれ独自の学問論が反映して いたのである。 ファーガスンによれば,科学は,事実,すなわち,実際の状態のみにかかわ るものと,当為,すなわち,あるべき状態のみにかかわるものとにわかれる。 フィジカル これに応じて,法則も,諸事実のなかから導出された自然法則と,当為の世 モラ ル 界を示す道徳的法則とにわけられる。この区分に応じて,『道徳哲学綱要』も, ふたつ.の部分にわけられていた。諸事実の収集,すなわち,ファーガスソのい 20) Cf. IMP., pp. 1−6. アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 59 21) う歴史と,そこから導出された自然法則とからなる部分と,もっぱら当為の世 界にかかわる部分とである。前者に相当するのは,第1部から第3部までであ 22) って,この部分は人間科学といわれ,後者は,第4部から第7部までであって, 23) この部分は道徳哲学といわれる。こうして,ファーガスンにおいては,『道徳 哲学綱要』自体が,前半の人間科学と後半の狭義の道徳哲学とにわかれていた 2{) のである。 経済論における分裂は,このような学問論から生じたといえる。第1部の 〈アーツと商業〉を中心とした諸節は,人間科学の一部として経済についての 諸事実を示そうとしたものであり,そうしたものとして,「人間の自然史」の一 部を構成していたのである。そして,後半のく公共経済論〉は狭義の道徳哲学 の一部として,経済についての当為を問題としていたのである。だが,経済に ついての事実と当為が,何故,このように分裂しなければならなかったのか。 経済についてのファーガスンの事実認識を,経済学の形成時代といわれている 18世紀後半の一大争点であった〈アーツと商業〉 (第1部第1章第9節)に焦 点をしぼってみてゆこう。 皿 〈アーツと商業〉はつぎのような文章ではじまる。 「人びとの外的諸活動は,安全の諸手段,便宜あるいは装飾の諸手段の獲得にむかう。 21) 「諸事実の収集が歴史をなす。」(ibid., p.2.) 22)原語はpneumatics。この言葉は,気学とか精神科学と訳されているが,ここでは 人間についての経験的な科学という意味で人間科学とした。 23) 「道徳哲学とはあるべき状態についての知識あるいは自由意志によって行動する 主体の選択を決定すべき諸法則の適用である。」(ibid., p.9) 24) この区別はファーガスンにおいて首尾一貫していた。Analysisはそのタイトルか ら分るように,入間科学と道徳哲学とからなりr道徳政治科学諸原理』はこの区別に 応じて,第1巻と第2巻に分けられていた。以下では,当為の世界にかかわる道徳哲 学を,『道徳哲学綱要』といったタイトルでもちいられたものから区分するために, 狭義の道徳哲学とよぶことにする。 60 松尾博教授退官記念論文集(第234 ・ 235号) かれらは,こうした諸目的のために,様々なアーツや発明をおこない,そして,かれ らがかれらのアーツをふやしたり完成させたりするのに応じて,成功したりしなかった Z5) りするのである。」(26−27) ここで安全の諸手段と考えられているのは,武器とか要塞といった軍事であ る。したがって,〈アーツと商業〉は,安全(=軍事)の問題と,便宜あるい は装飾といった富裕の問題とにわかれることになるQ ファーガスンがはじめに取り上げたのは安全の問題であった。そこにおい て,武器とか要塞についての簡単な歴史が展開される。すなわち,最初の武器 である,こん棒,投石器,弓から,槍や剣をへて,火器にいたる歴史である。 こうした歴史をふまえて,戦争のアーツは,いつの時代においても,使用され 26) ている武器や兵器,あるいは要塞に適合したものでなければならないという。 このように安全の問題は,武器や要塞の発達,すなわち生産力の視点から考え られているのである。 こうした視点は,富裕の問題においてもつらぬかれていた。それは段階論と して展開される。まずファーガスンは,「生存のために人びとがおこなうアー ツは,漁携・狩猟,牧畜,および農業である」 (28)という。ここで述べられ ているかぎりでは,3つの段階しか考えられていないようである。しかし農業 につづけてマニュファクチュアと商業についての叙述が展開されているところ がら,ファーガスンがそれを最も発達した段階とみなしていたと考えることが できる。かれも,スミスと同様に,狩猟,牧畜,農業,商業という4つの段階 を考えていたのである。では,各段階についてどのようにみていたか。 まず,最初の段階についていう。 「生存の諸手段についてほとんどしらない諸国民は,狩猟と漁携にたよったり,ある いは,原野における草本や果実の自生的成長をたよりにしたりする。 こうしたアーツの結果,狩場,湖,河州,入江は,その社会に領有されるかもしれな 25)このように本交中に数字だけで示してある引用は,すべてIMP.からのものであ り,数字はそのページ数を意味する。 26) JMP., pp. 27−8. アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 61 いが,しかし,獲物が個人に領有されることはほとんどない。」(28) つついて牧畜についてつぎのように展開する。 「家畜を飼育する方法と利益をしった諸国民は,牧畜を試みる。 かれらは最初のうちは,通常,かれらの畜群とともに,移動・放浪する。 個人は家畜を直接的財産として獲得するが,土地をそのようにすることはない。」(28 −2{) ここからあきらかなように,ファーガスンは,生活資料獲得様式から所有形 態および居住形態をみているのである。こうした手法は,農業段階にも適用さ れ,そして,農業における土地の共有から私有への発達についてつぎのように いわれる。 「農業は,土地のその時々の産物をその目的とするところでは,移住と両立するが, 土地の改良とたえざる豊穣を目的とするところでは,定住と土地財産を要求する。」(29) この土地財産を契機にしてマニュファクチュアが発生する。すなわち, 「土地財産は,農業における発明を刺激するのと同様に,それは,他の諸アーツにお ける発明をも刺激する。 土地を所有していない人びとは,マニュファクチュアに着手し,そしてそれによって 土地の生産物を購入せざるをえないであろう。」(30) そしてこのマニュファクチュアによって,人びとは便宜品と装飾品を供給され るようになるのである。 こうして,丁丁・狩猟から牧畜と農業をへてマニュファクチュアにいたる道 が示された。そのうえで,「富裕はアーツとインダストリーの結果である」(31) とし,さらに,分業の重要性に注目する。 「アーツの実施にさいして,人びとがどれほど器用におこなおうとも,かれらの成功 は,かれらの仕事の適切な配分.および,それらを各々の独立した業務とすること,に 依存することになるであろう。」(31) 62 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) もっとも分業といっても,ここでは,この引用文以上には展開されていない。 スミスにみられるような分業を引きおこす原因についての説明も,また分業に よる生産力上昇についての説明もない。そうした説明をぬきにして,つぎのよ うな一文をはさんで商業論にはいっていく。 「このような(仕事の)配分をするにあたって,当事者たちは,かれらにとって余分 なものを,かれらの欲するものと交換することができるであろうと信じている。 アーツの進i歩は……商業を便宜なもの,あるいは必要なものとすらするのである。」 (32) すなわち,分業から交換,商業へと議論を進めてゆくのである。 商業については,まず,その歴史が貨幣の発生・発達による交換における不 便の克服過程として描かれる。最初の商業である物々交野こおいては,「共通 の評価基準」 (32)も「交換手段」(32)も存在しない。商業の発達とともに 「一般的交換手段」(32)が導入され,それが「評価基準」となるのである。こ の「一般的交換手段」の発達のなかから貨幣がうまれてくる。まず最初に「一 般的交換手段」となるのは,穀物や家畜である。これらは,保存とか分割の点 で,不便であり,この不便をさけるために貴金属が使用されるようになり,こ れがのちに鋳貨となるのである。鋳貨の問題から議論は,貨幣の改鋳の問題 にすすむ。そこにおいて,当時の標準,エドワード6世やエリザベスの時代に おける改鋳について簡単な説明がな:されたのち,改鋳が商業に及ぼす悪影響を 指摘する。それは取引を混乱させ,債権者,債務者の利益をおびやかすのであ るQ こうした議論をふまえてくアーツと商業〉はつぎのような価格論でしめくく られる。 「交易における諸商品の価格は,それらの希少性と需要との結びついたところに従 う。 その生産にあたって,労働,時間,および熟練が要求される物品は,その価格が,そ の労働者が働いている期間中かれを維持し,そして,かれの徒弟期間と他の諸経費をつ アダム・ファーガスソにおける道徳哲学と経済学 63 ぐない,かつ.適切な報酬を堤供するのに十分であるあいだは,ふえつづける。 その価格が,この水準以下におちるならば,そのマニュファクチュアは,その不足が 価格をつりあげるまで,中止される。」(35−36) 以上,〈アーツと商業〉をファーガスンの叙述にそくして整理してきた。こ のような経済論をどのようにみるべきか。まず,分業一交換一士業一貨幣一価 格と進む商業論についていえば,1769年という時点のものとしては十分なもの ではない。すでにジョウゼフ・ハリスr貨幣・鋳貨論』が10年以上も前に出版 されていて,ファーガスン自身,〈アーツと商業〉の冒頭で,それを,参考文 27) 28) 献としてあげている。さらに,ヒューム『政治論集』への言及もあるし,また, 2年前にはJ.スチュアート『経済学原理』が出版されている。それにもかか わらず,貨幣論は,交換における不便の克服という技術的レヴェルの議論にと どまり,当時の争点であった貨幣数量説への言及はないし,また,貨幣経済の 現実的分析もみられない。さらに,改鋳問題についても皮相な現象記述にとど まり,また,それについての歴史的記述も,ハリスを参考にした著者のものと してはきわめて不十分である。では,末尾の価格論はどうか。ここには,需要 供給説と素朴な生産費説とがみられる。しかし使用価値と交換価値のちがいに ついての本質論的議論はみられないし,また,「生産にあたって,労働,時間, および熟練が要求される物品」といった混濁した記述がみられる。このように みれば,2年前,ファーガスンが,『市民社会史論』で自分は経済学には精通 う していないと告白していたのも,もっともだと思われる。 だが,かれの段階論についてはどうか。この点については,パスカル以来, 最近のミークにいたるまで,高い評価がある。かれらは主としてr市民社会史 27) lbid., p. 26. 28) lbid., p 23. 2g) A. Ferguson, An essay on the histery of eivtl society, 1767, ed. by D. Forbes, EUP.,1966,(以下, EJfCS.と略す)pp.144−5. 30) R. Pascal, Property and society 一The scottish historical school of the eigh. teenth century, Modern Quarterly, 1938・; R. Meek, Social scienee and the ignoble savage, CUP., 1976. 64 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) 論』における段階論を取り上げてきたが,それは,このようにr道徳哲学綱 31) 要』においても確認しうる。そして,生活資料獲得様式から所有形態,居住形 態を展開するファーガスンのうちに,パスカルがいうように,史的唯物論の先 駆形態をみることもできる。しかしかれのこの立場は十分なものではない。た とえぽ,すでに指摘したように,かれのくアーツと商業〉は安全と富裕にわか れ,前者は,武器の発達→戦争のアーツという形で,生産力への関心を示しつ つも,後者にかんして展開された段階論とは別の次元で論じられていた。この 点,スミスの四段階論が,防衛費とか司法費といった聞題を『国富論』の枠組 のなかで処理するために導入されていたのと対照的である。スミスは,安全の 問題を経済の論理のなかに組み込もうとしているが,ファーガスンにおいて は,並列されているのだ。 さらに,ここでの段階論には,ある段階からつぎの段階への発達についての 十分な説明がない。土地の私的所有を契機として農業からマニュファクチュア ラ が発生してくる事情についての簡単な説明があるだけである。ここには,ヒュ ームやJ.スチュアートにみられるような近代社会成立史論は存在しない。こ の点にかぎっていえば,ファーガスンではな:く,近代社会の成立を,生産力の 発達を基礎とした農工両部門間の社会的分業の展開過程としてとらえるヒュー ムやスチュアートのうちに,史的唯物論の先駆形態をみるべきであろう。かれ らは,経済的基礎過程から社会と歴史を把握しようとしているのである。もっ ともファーガスンもすでに指摘したように生活資料獲得様式から所有形態を把 握していた。しかし,こうした内容をふくむ〈アーツと商業〉の位置づけも問 題だ。それは第1部第1章「人類の歴史」のなかのたんなる一節であって,そ 31)ただしミークは,注で,ZMP.に言及し,上で紹介した部分を4段階論の要約だと いう(R.Meek, op. cit., p 154)。 32) 移行についての十分な説明がないのでファーガスンの理論を厳密な意味で発展段階 論とはいえない。スミスについてもあるていどまで,同様のことがいえる。18世紀の 段階論はこの点であいまいである。小林昇はスミス段階論についてのミークの評価に 疑問をなげかけている。『小林昇経済学史著作集』未来社第2巻,1976年,245−253 ページ。 アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 65 れを規定する重要な部分とは位置づけられていない。経済は,人間社会をとら えるうえで考慮すべき一項目にすぎなかったのである。そして,「人類の歴史」 全体をみれば,むしろ,経済以外の要因におおきなウエイトがおかれていたこ とがあきらかになってくる。 皿 『道徳哲学綱要』第1部第1章「人類の歴史」は,12節からなる。皿で分析 した第9節「アーツと商業」にいたるまでの諸節のテーマは,序論(第1節) 人間の身体的特徴(第2節)地理的分布(第3節)人種(第4節)寿命(第5 節)人間の社会性(第6節)人口(第7節)様々な選択と営み(第8節)であ る。こうしたテーマからも推測されるように,ここでの接近方法は経済学的と いうよりも生物学的あるいは自然的である。 〈アーツと商業〉に関係しそうなテーマである人口についてもそうである。 ここではロバート・ウォーレス『古代と近代との人口』(1753年),ヒューム『政 治論集』のなかの「古代諸国民の人口について」および自著『市民社会史論』 の関連部分が参考文献としてあげられる。そしてファーガスンが人口を規定す るものとみなしたのは,「繁殖の法則」「安全」「生活手段」(23)であった。 すなわち人口については,生物学的要因と社会経済的要因とが併置されるので ある。さらにこうした要因に作用するものとしてかれが考えているのは,風土 う であった。そこで温暖な気候が人口にとって最ものぞましいといわれる。ここ にはくアーツと商業〉のところでみられたような生活資料獲得様式への言及は ない。 人間の社会性について論じた第6節「人間のもつ社会への性向」についても 同様のことがいえる。本節は動物の分類からはじまる。動物が,孤立的なもの と社会的なものに,後者はさらに,仲間や安全だけのために群をなすものと, 共通の目的のために自分たちの労働を結合する「社会的政治的動物」 (21)に 分類される。人間はいうまでもなく「社会的政治的動物」に属する。このよう 33) IMP. p. 25. 66 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) な人間を社会に結合させるものは社会の大きさに応じてことなる。人々は,「あ るていどの人数であれば愛着と好みから」 (21)そして「より人数が多くなる と必要あるいは指導者たちの権威によって」(21)社会をなすのである。大き な国家の形成は「小さな諸社会の偶然的あるいは強制的な連合」 (22)による のである。こうして社会形成については,まず,社会の大小が問題となり,結 合原理としては,愛着とか好みといった個人的感情と,権威とか強制といった 政治的要因が重視されているのである。ここでも経済的要因はほとんどかえり みられていないQ こうした立場は,第9節「アーツと商業」以後の諸節においてもみられる。 第9節以後の諸節は,〈アーツと商業〉の内容をふまえて展開すべきであるが, そのようにはなっていない。たとえば,第11節「政治制度について」は,うえ でみた第6節の社会形成論の延長線上にある。社会形成についての先述の議論 とほぼ対応してつぎのようにいう。 「入びとが愛着と好みから社会をなし,そして私的な利害あるいは別々の利害をほと んど感じないところでは,かれらは,規則とか政治制度なしに生活していたとしられて いる。 かれらが便宜や必要を感じて社会をなしているところにおいても,かれらは,規則な しに,個々の局面が示唆するところにしたがっている。一」(41) 政府はつぎのようなところで成立する。 「偶然的な連合とか力から生じた結合を維持するために,諸社会は,政府をうけいれ かつそれにしたがわざるをえなくなった。 連合が偶然的または強制的であるところでは,諸個人は別々の利害を感じ,そして, かれらの争いを調整するための規則を必要としたのである。」(41−2) ファーガスンがみているのは,まず,愛着,好み,あるいは必要から結びつ おの き,また,そうしたものによって維持される社会,氏族共同体である。その枠 34) ここでファーガスンがスコットランドでもおくれたハイランドの出身であったこと アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 67 35) をこえる社会には,それ自体のなかに社会を維持するものはない。人びとの様 々な利害は,上から,すなわち,政府によって調整されなけれぽならないので ある。スミスがみたような分業と交換を通して生まれてくる社会,それ故, 「相互の愛清と愛着」ではなく,ただ「善行の金銭的な交換」によって維持さ 36) れる社会は登場してこない。したがって〈アーツと商業〉は社会形成にも政治 制度にもかかわってこないのである。 経済的要因は,第10節「不平等と階級」のところで,むしろ否定的要因として 社会とかかわってくる。すなわち,それは,人びとをだらくさせるものとみな されているのである。ファーガスンによれば,階級は諸制度以前から存在する。 「境遇や人間本性の諸資質は,卓越と欠点という賓辞のもとで考察される。ある人間 はより価値があるとみなされ,他の人間は価値が少ないとみなされる。上位,下位とい う考えはひろくゆきわたり,そして,人びとはいかなる実定的制度よりも以前から,異 なった階級におかれていたのである。」(38) では,服従をうみだすものはなにか。3つの事情があげられる。 人間的諸資質,すなわち「不平等な力や能力,不平等な知識,決断力,勇気は,服従 をうみだす。弱者は強者に,無知なものは知識あるものに,臆病者は勇者に従属する。」 (37) 生れ,すなわち「両親に支払われる尊敬は,子供にも継承される。財産や資格は世襲 的になり,生れによる区分を生みだす。」(37) 財産,すなわち「財産が不平等に分配されるようになると,貧者は富者に従属する。」 (37) が想起される。フォーブスは,ハイランドのクラン制がかれの思想に大きな影響を与 えているという(Cf. EHCS., Introduction, xxxviii−xxxix)。 35) 『市民社会史論』では市民社会の存続にとって外敵の存在が必要だとされる。「国 民間の対抗や戦争の遂行がなければ,市民社会そのものは,目的や形式をほとんどみ いだしえなかったであろう。」(EHCS., p.24) 36)A・Smith, The theor:y of moral sentiments, London,1759(以下TMS.と略す), p.189.水田洋訳『道徳感情論』筑摩書房,1973年,134ページ。 68 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) スミスとことなり,ファーガスンは,年齢の優越をあげていない。さらに大 きなちがいは,これら3つの事情の位置づけである。スミスにおいては,「目 37) にみえず,つねに議論の余地がある」人間的諸資質よりも,結局,財産が重視 されるのにたいして,ファーガスンにおいては, 「最:も普遍的に認められ,か つ唯一真の卓越は人間的諸資質である」 (38)といわれる。そしてここでとく に高く評価されているのは,社会を維持し全体の利益を促進する諸資質であ り,それらを徳という。 「……人びとはどこにおいても,えい知,正義,勇気,節制といった,個人をして人 類の利益を促進することができるようにする能力を称賛する。 こうした諸資質は,通常,徳という名のもとで理解されている。」(39) 他方,外観とか装飾,財産とか名声を卓越とみるのは,あやまりであり,だ らくの徴候である。 「人びとは……しばしば,その人間の外観とか装飾を,それとともに,かれらのまわ りで通常切望されているもの,たとえば,富,権力,名声といったものの所有を,卓越 ととりちがえている。 逆に,かれらはそれと反対の境遇を欠点ととりちがえている。……かれらは,徳性よ りも,装備,衣裳,財産,地位,名声のほうを,より一層称賛し,そして,悪徳よりも 貧困と微賎のほうを,より一層おそれるのである。 こうした称賛とおそれは,人間的諸資質が無視され,人びとがだらくしている,ひと つの徴候である。1(40) スミスによれぽファ・・一ガスソがだらくの徴候とみたものによって富の源泉が ひらかれる。人びとは自然の諸必要をみたすために働くのではない。それはも 38) つともつまらぬ労1動者の賃金によってもみたすことができる。それにもかかわ 37) A. Smith, An inquiry into the nature and caztses of the zvealth of nations, 1776, The Glasgow edition, Oxford,1976, vol. 2, p.711.水田洋訳『国富論』河出書房, 1970年,下巻,166ページ。 38)TMS., p.108.前掲訳書,72ページ。 アダム・ファーガスンにおける道徳哲学と経済学 69 らず,入びとが働くのは,財産が世間に注目され,貧困が見過ごされ否認され るためである。必要からではなく,富裕な人のように注目されたいがために, すなわち,虚栄のために働くのである。そこから「人びとのさまざまな身分の すべてにわたっておこなわれている競争」「われわれが自分たちの状態の改善 39) とよぶ人生の大目的」が生じてくるのである。 スミスもこうした虚栄のむなしさに気づいていた。 「かれらは,小屋のなかよりも宮殿のなかのほうが,自分たちの食欲がすすむとか, 熟睡するとか,想心するのであろうか。その反対であることが,きわめてしばしば観察 されてきたし.しかもそれは,まったく,けっして観察されることがなかったとしても, 40) ひじょうに明白であって,そのために,それを知らない人はいないほどなのである。」 「人間生活の真の幸福をなすものにおいては,かれらはいかなる点でも,かれらより もあのようにずっと上だと思われるであろう入びとに,劣らないのである。肉体の安楽 と精神の平和こおいて,生活上のさまざまな身分は,すべてほぼおなじ水準にあり,そ して,公道の傍でHなたぼっこをしている乞食は,国王たちがそれをえるために戦って 4D いる安全性を,所有しているのである。」 だが,スミスはこうのべつつも,野心と虚栄から生まれてくる生産力の上昇 に注目する。そして自然が人びとをあざむき,かれらに野心をあたえたのはい いことだという。 「自然がこのようにしてわれわれをだますのは,いいことである。人類の勤労をかき たて,継続的に運動させておくのは,この雄心である。最初にかれらを促して土地を耕 作させ,家屋を建築させ,都市と公共社会を建設させ,人間生活を高貴で美しいものと するすべての科学と技術を発明改良させたのはこれなのであって,地球の全表面をまっ たく変化させ,自然のままの荒れた森を快適で肥沃な平原に転化させ,入跡未踏で不毛 の大洋を,生活資料の新しい資源とし,地上のさまざまな国民への交通の大きな公道と したのは,これなのである。人類のこれらの労働によって,土地はその自然の肥沃度を 39)/bid., P.109.同上,73ページ。 40) Ibid., p.109.同上,73ページ。 41)鰯4.,pp.350−1.同上,281ページ。 70 松尾博教授退官記念論文集(第234・235号) 42) 倍加させ,まえよりも多数の住民を維持するように,しいられた。」 こうしてスミスは,『道徳感情論』から経済学へとむかっていく。それにた いしてファーガスンにとっては,上でみたように人間的資質のかわりに財産が 評価される社会はだらくした社会だったのである。したがって経済論は,道徳 哲学から独立して経済学へと発展してゆくことができなくなった。スミスが経 済学へとむかうことになったまさにそのところがら,ファーガスンは,当為の 世界を扱う狭義の道徳哲学へとむかうこととなる。そこでは,経済的世界は道 徳的に中立な単なる量の問題としてではなく,質の問題として検討される。た 43) とえぼ,人口については,人口数ではなく人口の価値が問題となり,また,富 についても,その大小ではなく,「有益で役にたつ人びと」を維持する手段と 44) して検討される。こうした倫理的経済論をふくむファーガスンの狭義の道徳哲 学を,そのく公共経済論〉を中心として検討するのがつぎの課題となる。 (1985年10月10日脱稿) 42)lbid., pp.348−9.同上,280ページ。この観点から,真の幸福という点では乞食も 国王もおなじだという先にみた醒めた意識は,病気や元気のないときの「ゆううつな 哲学」(fbid., p.347.同上,279ページ)といわれる。虚栄のむなしさをしりつつ, そこから生まれてくる富裕をみるスミスの意識は屈折している。この点で「自然が人 間をだましていることをしってしまった賢人アダム・スミスは,おそらく世間的活動 に全力をつくすようなことはしないであろう」という水田の指摘(水田洋「市民社会 の道徳哲学」『季刊社会思想』第3巻1号1973年,155ページ)は示唆1ことむ。また 小林昇のつぎのような発言にも注目すべきだ。「スミスの交換価値分析と資本蓄積の 理論とは,スミス自身の責任はともあれ,虚無的科学と無限の浪費と人閤喪失と地球 の破壊との時代へ扉を開いた。いな正確にいえば,その扉の上にしるされたく汝らこ こを過ぎる者は……〉ということばとなった。」(小林昇「経済学と後進国一サー・ ジェイムズ・スチュアートのばあい一」『経済研究』(大東文化大学),第5集,1983 年,69ページ。 43):IIMP. p. 265. 44) lbid., p. 269.