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キャリア教育からみた大学と入試
福井大学アドミッションセンター年報第3号 (2007年9月) [2] 特別寄稿 キャリア教育からみた大学と入試 運営委員 (教育地域科学部附属教育実践総合センター長) 大野木 裕 明 1. 八百比丘尼伝説のこと 福井県小浜市には, こんな話があります (注1)。 むかし若狭の国と呼ばれていた頃ですが, そこに高橋権太夫という人が住んでいました。 た くさんの船を持ち, 大陸との貿易で富を得て, とても勢いがよかったといいます。 ある時, 海 へ出て, 不思議な島にたどり着きました。 そこで接待を受けて, 珍しい魚の切り身 (注2) を みやげに持ち帰りました。 それを家に置いておいたのですが, 十八になる娘がそれを食べてし まいました。 不思議なことですが, その娘は何年たっても歳をとらずに, ずっと若いままでした。 たぶん, それを食べてしまったことと関係があるのでしょう。 結婚もしたのですが, 夫が歳をとったに もかかわらず, 娘はずっと若いままでした。 やがて親が死に, その夫も亡くなります。 けれど も, あいかわらず, 娘は若いままだったそうです。 娘は髪を剃って尼になり, 日本中を旅してまわりました。 あちこちに椿を植えたり, 川に橋 を架けたりしました。 諸国を巡って歩いたのですが, とうとうまた若狭の国に帰ってきました。 娘は歳をとって八百歳になったといいます。 相変わらず, 姿かたちは娘のままなのでした。 こ の娘は, 空印寺 (注3) という寺の横にある洞窟に入り, そこで亡くなったそうです。 これが八百年も生きたという, 若狭の国に伝わる八百比丘尼の伝説です。 八百比丘尼は 「はっ ぴゃくびくに」 と読み, 比丘とはサンスクリット語で 「乞い求める」 という意味で, 出家し具 足戒を受けた20歳以上の男子僧を指します。 比丘尼はその女子, 尼のことです。 若狭湾を臨む八百比丘尼像 ―3― 2. キャリア教育のキャリアの意味 キャリア (career) という言葉は, ラテン語の carra-ria (race course) に由来していると されています。 馬車が通った後の轍 (わだち) でもあります。 今日では, キャリアという語はいろいろな意味に使われています。 国家公務員試験第Ⅰ種合 格者もキャリアと呼ばれます。 あの人にはキャリアがあるといえば, その仕事や職業経験が豊 富というポジティブな意味で使われます。 多義的で, ぴったりした日本語が見つからないので, カタカナ表記でキャリアといっているようです。 わたしも会員として所属している日本キャリア教育学会 (注4) では, 最近はキャリアにつ いて, おおむね次の2つの意味を持たせるようになっています。 1つは 「ジョブ・キャリア (job career)」, もう1つは 「ライフ・キャリア (life career)」 です。 ジョブ・キャリアは職 業経験, 仕事経験です。 ご承知のように職業と仕事とは同じではないのですが, 採用されてあ る会社に勤務することを, どこに配属されても習慣的に就 「職」 といいますので, ここでは立 ち入らないことにします。 とにかく仕事経験や職業経験というのは, 「その人の内部に蓄積さ れていく何か」 であって, それをキャリアと呼んでいるのです。 「キャリアを積む」 「キャリア・ アップ」 などという語は, キャリアとは蓄積される何か, アップする性質を持つ何かだと考え る人たちが大勢いることを示します。 このことは 「積み重ねの基礎の部分」 と, 「それに支え られて臨機応変に展開される応用の部分」 の古典的な二層モデルを連想させます。 それでは基 礎とは何かということですが, 大学では基礎教育と専門教育という二層モデルが連想され, 基 礎教育に着手するには, 入学の条件としての基礎学力あるいは受験条件をどうとらえるのかと いう話になりました。 いま, 大学でのキャリア教育や大学入試と連動して, このモデルの再度 のとらえ直しがあるわけです。 もう1つはライフ・キャリアです。 人生は 「長く曲がりくねった道」 であり, 「黄色いレン ガ路」 です。 人は人の中で生き, 仕事との関わりで生きていきます。 家族や親戚, 知人や友人, 仕事を通じて多くの関わりの中で生きていきます。 キャリアが蓄積されるとしたら, 過去の自 分と現在の自分にはたぶん意識上のつながりがあって, 将来の自分はそのことと無関係ではあ りえないのでしょう。 このようなキャリアは 「アップする」 性質を持つかどうか疑問の余地が 多いです。 とにかく何か出会いの節目節目があって, 譲れないこだわりが生まれます。 これは 人生という荒海にさまよう船が港に船の碇を降ろすという 「キャリア・アンカー (注5)」 を 発見することにつながります。 キャリア・アンカーとは大げさに言うと, 「生きがい」 や 「死 にがい」 のようなものです。 これはずっと以前からも, 広い意味での教養教育やクラブ・サー クル活動の中で見つける大学生がいました。 専門教育や大学院, あるいは就職後に見つける人 もいますが, 見つからない人もいますし, 見つけようとしない学生もいました。 キャリア・ア ンカーが次々に変わっていく人もいました。 キャリア教育とは, 結局はこの2つのキャリアに関する教育のことですが, 大学を含む学校 教育の中での位置づけは重要ではあるものの, それはその人の営みのごくごく一部です。 意図 的にせよ偶然にせよ, 自分で自分を教育する性質のものでした。 3. 日本キャリア教育学会から見たキャリア教育 ここで少しだけ日本キャリア教育学会のことについて紹介させていただくことにします。 キャ ―4― リア教育は, 職業指導と無関係ではありません。 無関係ではないという意味は, もちろん世の 中の動向の反映ということもあるのですが, 関連学会として数々の提言をするという意味も含 んでいます。 職業指導の語ですが, いまから約100年近く前の1915年 (大正4年) に, 東大の入澤宗寿が著 書の中で vocational guidance を職業指導と訳しました (注6)。 普通教育と職業教育とい う今日でも相変わらず両立しがたい部分を持つ両者の橋渡しの1つとして, 職業指導という語 が生まれました。 1927年 (昭和2年) には文部省が 「児童生徒の個性尊重及職業指導に関する 件」 (訓令20号) を出しましたので, 学校教育における職業指導がこの時に始まったというこ とです。 その後の不幸な時代を経て, 1953年 (昭和28年) に本学会の前身である日本職業指導学会が 誕生します。 1957年 (昭和32年) に中央教育審議会答申 「科学教育の振興方策について」 で職 業指導に変わって進路指導の語が使われるようになります。 職業指導と進路指導は非常に重な る部分が多いのです。 一部には職業指導と進路指導は全く別のことだと誤解される向きもあり ます。 その一因は, 職業安定法や教育職員免許法に, 職業指導の語が残されたので, 進学と就 職は別のコースなのだと思うのかもしれません。 受験指導や就職活動の支援そのものは相手先 が違うので別の取り組みなのですが, 生徒・学生の個人のキャリアにジョブ・キャリアとライ フ・キャリアの2つがあることから見れば, キャリア教育とは支援や相談や指導を含む総合的 な面を強調した教育なのです。 両者には共通部分が多いのです。 学会の方に戻りますと, 1978年 (昭和53年) に日本職業指導学会は日本進路指導学会に発展 しました。 この日本進路指導学会が, 2005年 (平成17年) に名称変更して現在の日本キャリア 教育学会になっています。 キャリア教育の語そのものはアメリカで1970年初頭にあらわれ, 日本にも紹介されたのです が, 今日にいうキャリア教育は1999年 (平成11年) の中央教育審議会答申 「初等中等教育と高 等教育との接続の改善について」 がきっかけです。 学校教育と職業生活との接続を図る施策の 1つとして小学校から高等教育にいたるキャリア教育が提案されたのです。 これは我が国の急 増した高校中退, 大学中退, 会社の新採用退職者への対応策の役割をも担っていました。 簡単 にいうと, 「会社の途中退職者が多いのは大学等における就職指導が不十分だから」 「大学中退 者が多いのは高等学校における進学指導が不十分だから」 「高等学校における中退者が多いの は中学校における進学指導が不十分だから」 「中学校における進学指導の不十分さは小学校か ら始めないから」 だという言説です。 この暴論の真偽が問題ではなく, そのような空気が生ま れてきたということです。 けれども, 小学校の学習指導要領には, 進路指導の語も, 職業指導 の語も書かれていません。 小学校で進路指導をおこなう根拠・基盤がないのです。 だからキャ リア教育だといえば, とりあえずはわかりやすいでしょう。 これとあわせてですが, 日本進路 指導学会の名称変更を議論した時のことですが, そもそも子どもたちの進路は教員が 「指導」 できるのかどうか疑問視する声も多くありました (注7)。 中学3年生という中学校の出口 (卒 業時) でいきなり教師が指導できるのか, 高等学校3年生という出口 (卒業時) でいきなり教 師が指導できるのか, そのことが問題であって, 高等学校3年間, あるいは中学校3年間の総決 算として無理なく進路がとれる場面を迎えるには教育・指導がどうあるべきかが大切なのだと 考えられました。 出口の指導でなく, 長期的な教育が必要と考えられました。 もちろん一人ひ ―5― とりとの相談, 支援が大切なことはいうまでもありませんが。 4. キャリア教育からみた入り口の問題 アメリカ合衆国のマーランド連邦政府教育局長官がキャリア教育を提唱したのが1971年です が, 我が国でも同年の学校教育法施行規則の一部改正で職業指導主事を進路指導主事に名称変 更しました。 文部省の 中学校・高等学校進路指導の手引き−進路指導主事編− (1977年) では進路指導の流れを表1のようにしています。 表1 進路指導の流れ (文部省, 1977年) ①個人情報に基づいて生徒理解を深める活動と生徒に正しい自己理解を得させる活動 ②進路に関する情報を得させる活動 ③啓発的な経験を得させる活動 ④進路に関する相談の機会を与える活動 ⑤就職や進学に関する指導・援助の活動 ⑥卒業生の追指導に関する活動 教師による生徒理解だけでなく, すでに生徒自身の自己理解を図る活動が最初の段階として ラインナップされていることに留意ください。 ②の進路に関する情報は, 職業世界への知識や 進学先の情報についての積極的な収集活動と関わります。 大学におけるオープンキャンパスや, 高等学校へのようこそ先輩, 出前授業などがそうです。 ③の啓発的な経験はたとえば, 高校生 が 「一日大学生」 としての教室で授業を受けたりクラブ・サークル活動に参加したりすること です。 アメリカでは, 職場学習として, ジョブシャドウ (job shadowing), 模擬企業 (school-sponsored enterprise), インターンシップ (internship), コオペラティブ教育 (cooperative education) なども実践されています。 ④や⑤がいわゆる進路指導, 進路相談とみなさ れがちですが, この段階はさきほどでいう出口指導にあたりそうです。 ①や②を強く意識すれ ば, キャリア教育は高等学校1年生の第一日目から始まっています。 大学ならば大学生の第一 日目からということになるでしょうか。 医学部へ進学する高校生の多くは医者を目指します。 看護師, 理学療法士などもこれと似て います。 彼らの入り口 (入学) から出口 (卒業) への視線, あるいはその接続である仕事世界, 職業世界への視界は, 比較的確保されています。 他方, 法学部, 文学部, 理学部などといった 学部を目指す高校生の視界には, この入り口∼出口へのキャリア・パスはわかりにくくなって います。 仕事世界, 職業世界について実感をもって知ることは困難です。 どちらかというと, 職業選択を先送りしているコースといってよいでしょう。 それでは, 工学部, 教育地域科学部 ではどうでしょうか。 ここに学部とはひと味違う役割が, 受験生からアドミッションセンター に対して期待されているでしょう。 このことを示すわたしなりの根拠の1つは次のようです。 図1は 「キャリア・コンサルティ ング技法等に関する調査報告書の概要」 に図示されているモデルなのですが, まずキャリア形 ―6― 成を長期的にとらえている部分をご覧下さい (注8)。 横軸は年齢です。 縦軸は, キャリアの 広がりと専門性の深まりを示しています。 50代, 60代になってもキャリアが広がり, 専門性も 深まっています。 ジョブ・キャリアとライフ・キャリアは不可分の部分があります。 進学, 就 職, 結婚, 引っ越し, 個人の体力や気力の変化, 家族や会社の変化などは人生の節目節目, つ まりは転機 (transition トランジション) です。 この図は社会へ出てからの段階をイメージ したものですが, AO入試, 推薦入試をはじめとする多様な入試手段も, 受験生には転機です。 たとえば中学校から高等学校選択というコースが, 高等学校から大学進学というコースで路線 変更できる機会が保証されています。 図をヒントに考えれば, 学生というキャリアが 「アップ する」 というイメージではなく, 大学に入ればスパイラルにキャリアが形成されるというイメー ジがいいのではないでしょうか。 図1 長期的なキャリア形成のスパイラルイメージ ( キャリア・コンサルタント∼その理論と実務 (社)日本産業カウンセラー協会, 121ページより) 5. まとめにかえて 冒頭で八百比丘尼の話を紹介しました。 わたしはキャリア・カウンセリングのことを考えて いるとき, ときどきこの八百比丘尼の伝説を思い出します。 生物学的な身体は時間と共に一定の方向に変化していきます。 その変化は少しずつですが, 間違いなく加齢と共に変化します。 学校生活では, できないことができるようになる面が強調 される傾向がありますが, 社会に出て働くに従い, できることができなくなる面にも気づくよ うになります。 仕事場でも家庭でも, 人が人と共に生きるということは, お互いにそのことを 確認することでもあります。 このようにキャリア・カウンセリングでは考えますし, 生涯発達 心理学の知見でもそうです。 八百比丘尼の夫や両親が加齢するということは外見が老いていくことですし, また夫や両親 の考えや気持ちがそれにともなって変化することを確認することでもあります。 八百比丘尼が 夫や両親と暮らすことの実質的な意味はそこにあります。 もしも, 八百比丘尼だけが外見上何 ―7― 時までも若かったらどうなるでしょうか。 ジョブ・キャリアは豊かになりますが, ライフ・キャ リアは? 各地を転々としたり, 自らが命を絶った理由もおそらくそこにあります。 学生にとって大学というところが高等学校でもなく会社でもないということが実感を持って 確認できること, 大学として大学らしいライフ・キャリアとジョブ・キャリアの視界を学生に 保証する場が提供できること, それがキャリア教育の観点から見たわたしなりの大学像です。 大学入試は少しでもそのためにあってほしいと思っています。 アドミッションセンターは受験 生にそのような入り口をガイダンスできる機能を持っているのではないかと考えています。 (日本キャリア教育学会理事) 注1. 駒敏郎・花岡大学 若狭・越前の伝説 角川書店, 1980年;木村確太郎 若狭小浜の今昔物語 , 1981年(私家本) ほか;比丘尼伝説は全国各地にあるが, 柳田国男によればこの伝説の発生地は若狭小浜であるという。 注2. 一説に人魚といわれる。 注3. 福井県小浜市男山 注4. 大阪府吹田市山手町3-3-35 関西大学社会学部研究棟内 日本キャリア教育学会, http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssce/ 注5. E・H・シャイン(著) 二村敏子・三善勝代(訳) キャリア・ダイナミクス , 白桃社, 1991年[原著1978年] 注6. 入澤宗寿 現今の教育 (弘道館, 1915年) 注7. 「日本進路指導学会名称検討委員会答申」 (2003年5月, 大野木裕明委員長) 注8. 実際には学校教育の段階からキャリア教育とキャリア形成が進んでいる。 ―8―