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向ヶ岡弥生町Vol.3
向ヶ岡弥生町 News Letter VOL.3 2012 年 12 月 1 日発行 立原杏所の描いた「向崗花甸図」と向ヶ岡・不忍池・忍ヶ岡の景観 今年も芸工展 2012 年参加企画「修復のお仕事展Ⅳ ~伝えるものおもい~」 (Produced By あくさ いず)を台東区上野桜木の旧平櫛田中邸で 10 月 7 日から 14 日まで開催しました。展示にはたくさん お客さんに来館していただきました。ありがとうございました。今年の展示は武蔵野文化財修復研究 所の石原道知さんと東大浅野地区 武田先端知ビルの方形周溝墓、1707 年の富士山宝永噴火で加賀藩 邸降灰の宝永火山灰(2002 年薬学部出土)を展示しました。会期中の 10 月 7 日、14 日にワークシ ョップ「水戸藩士 立原杏所が描いた向ヶ岡と忍ヶ岡を巡る」を行い 17 名の参加がありました。 杏所の作品はネット上で「向岡図」と紹介されていました。駒込邸の庭園図と予想したためネット、 図録、美術書等で探していました。しかし、作品名が間違っていたため見つけることはできませんで した。今年の 3 月、水戸藩史料の調査に行っていた茨城県立歴史館閲覧室にあった特別展の図録にこ の作品が掲載されていました。作品名は「向崗花甸図」で 1978 年の特別展示で展示されていた事、 東京文化財研究所発行の『美術研究』に掲載されていることが分かりました。しかし、作品の所在は 分かりませんでした。上記資料からこの作品の分析が出来た事、修復のお仕事展の会場が上野だった ことから、ワークショップは作品に描かれた施設を巡り、不忍池と周辺で行われた公共事業と景観が どのようにつくられてきたか、不忍池が中国の西湖「大西湖」に対して「小西湖」と呼ばれ文人墨客 のあこがれの地だったのを解説する事にしました。修復のお仕事展準備前日の 5 日、毎日新聞の博物 館の展示紹介に「向崗花甸図」が高崎の群馬県立近代美術館で開催中の「江戸の風雅展 旧きを知り 新しきを創った絵師たち」で公開されていることが告知されていました。早速、群馬県立近代美術館 学芸員の野田麻美さんに連絡を取りました。7 日の NHK 新日曜美術館のアートシーンで作品が紹介 されるとのことで、携帯に録画したものをワークショップで参加者に見てもらいました。11 日、野田 さんにお会いして作品についての話をうかがい、作品を模写しました。作品から大 の き、不忍池 の わい、 物の 、 物の描き分け、不忍池で 水 の き どが 取れました。 杏所の は 館 立原 で文化 19(1812)年、 とともに小石 邸に 、 、 、 3 代に仕えました。画はは め水戸藩の絵師 部 に学 、 画 の 文 の に り 山、 山 どと しました。 の は 山に学 、加賀藩 前田 人 前の立原道 記 館 かりの で 人 に仕え画と書を えました。9 月に解 された東大 の立原道 は立原 の出で、水戸藩駒込邸 の 高等学 と する東京大学出 です。先 の杏 所がこの地を画 に作品を 作していたことから、向ヶ岡 は立原 に かりのある であるこ とがあらためて できました。 杏所 の墓は文京区向 の 蔵 にあります。 作品は、駒込邸 の庭園( 在の東大浅野地区)と不忍池、忍ヶ岡の景観を描いた 景図で に「駒 向崗花甸 立原 」とあります。作品に描かれた施設については調査室の小 さんに紹介していただいた「江戸名所図」を して しました。 「向岡記」と 図で、 (3 月)の桜 く向ヶ岡(駒込邸 庭園)と忍ヶ岡、人 で わう不忍池、 水観 忍ヶ岡 の と 文 、東 の が共 して描かれています。 「向岡記」とは作者と画風 が違いますが、 ー が描かれていることが 作品の歴史 景を 解する上で では いか と えています。 「向岡図」との違いは駒込邸庭園の桜等の 木と庭石、 「向岡記」 が描かれてい いとこ で、庭の 、作品の 作年代を する ントに るのでは いでし うか。 賑 建 屋根構造 植 父 彰考 総裁 翠軒 齊脩 齊昭 じ 椿椿 渡邊崋 な 交流 体 教 造 家 題 制 確認 翠軒・ 表御殿 現 識 郊 圖 臣 任寫 咲 表御殿 稲荷 門 幟・ 殊楼他 照宮 同じテ マ 考 ろ 変遷 制 立原道造作品が見られる施設 気 動 休む 鳥 動 な 読み 翠軒 川 移住 德川治紀 宮 雲錦 び 南 派 谷 晁 門 入 娘 春沙 渡邊崋 び 主 斉泰夫 溶姫 弥生門 造 念 ゆ 建築家 詩 跡 第一 校 隣接 身 祖 弥生町 家 ゆ 町 ・春沙 丘 曹洞宗海 寺 真 款 松愛子 使用 検討 同じ構 弥生 々 賑 弁天堂・清 音堂・ 森 通 両 的背 理 重要 な 植 碑 な 検討 ヒ な な ょ 立原道造記念展示室(立原道造記念館資料を収蔵 信濃デッサン館内 長野県上田市東前山 300) 立原道造デザイン「ヒシンスハウス」埼玉県さいたま市南区 別所沼公園内 参考文献 景山致恭、戸松昌訓、井山能知編 嘉永 2-文久 2(1849-1862)年『江戸切絵図 本郷湯島絵図』 『江戸切絵図 下谷絵図』尾張屋清七 発行 国会図書館蔵 江戸名所図会 1893『江戸名所図会. 十四』博文館 国会図書館蔵 國華社 1936「立原杏所筆駒郊向崗花甸圖解」『國華 第 553 号』p.363、p.365 森銑三 1939「杏所筆向崗花甸圖 解説」美術研究所『美術研究 第 96 号 1939 年 12 月』PL.5、pp.31-32 小川和佑 1975『立原道造 忘れがたみ』文京書房 茨城県歴史館 1978『水戸の南画 林十江・立原杏所とその周辺』 市古夏生・鈴木健一校訂 2010(1997 第一刷)『新訂 江戸名所図会 5』pp.47-98 茨城県立歴史館 2010『特別展 立原杏所とその師友』 『向陵彌生町舊水戸邸繪圖面』 (文政 9(1826)年墨書 原所蔵) 修復のお仕事展Ⅳ ~伝えるものおもい~ 旧平櫛田中邸アトリエ 解体中の立原道造記念館 2012 年 9 月 16 日 立原家墓所 曹洞宗海蔵寺 2021 年 1 月 16 日 立原杏所「向崗花甸図屏風」(個人蔵) 八曲一隻 衣本着色 忍ヶ岡 東照宮の森 5 6 4 7 3 向ヶ岡 ② × 147.0 436.0cm 桜ヶ岡 2 原模写 神田・深川方面 1 不忍池 ② ③ (水戸藩駒込邸 表御殿庭園) 群馬県立近代美術館ホームページ 美術館ニュース NO.150(PDF 版)に「向崗花甸図屏風」の写真が掲載されています。 ② ③ ① 井戸(台地下)の手前、② 庭の中心部(「向岡記」では碑が描かれる)、③ 鎮守の森 1.弁天島、2.清水観音堂、3.忍ヶ岡稲荷の門と幟、4.忍ヶ岡稲荷、5.文殊楼、6.時の鐘?、7.妙教院? 駒込邸の表御殿・裏御殿と景観 『向陵彌生町舊水戸邸繪圖面』より作成 ① 5 2 3 1 4 1.弁天島、2.清水観音堂、3.花園稲荷・五条天神社(旧忍ヶ岡稲荷)、4.東照宮(修復中)、5.五重塔 現在の不忍池と忍ヶ岡の景観 写真提供 野地耕一郎氏(練馬区立美術館)2012 年 2 月 11 日 立原家墓所 卍曹洞宗海蔵寺 向ヶ岡 ← 忍ヶ岡 → 不忍池 弥生地区 4 3 浅野地区 表御殿・裏御殿跡 2 1 立原道造記念館跡地 ● ●弥生美術館 不忍池 本郷地区 1.「向岡記」碑 現在の位置、2.「向岡記」碑 旧位置 3.「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑、4.「朱舜水先生終焉之地」碑 修復のお仕事展Ⅳ 伝えるものおもい ワークショップ 「向岡記」碑の解説 2012 年 10 月 14 日 【向ヶ岡弥生町の本】 鈴木瑛一著 2006『人物叢書新装版 徳川光圀』 定価 2,100 円+税 『光圀伝』と合わせて読むと光圀についてよくわかります。駒込邸の事が書かれています。 都市出版株式会社 2012『特集 東京地形散歩』東京人⑧August2012 NO.314 定価 900 円 竹内正浩「都内に点在する射的場の痕跡」pp.72-73 向ヶ岡弥生町の射的場について書かれています。 冲方丁著 2012『光圀伝』角川書店 定価 1,900 円+税 駒込邸も舞台になっています。装丁すばらしいです。第 3 回山田風太郎賞。オフィシャルサイトがあります。 三宅乱丈著、冲方丁漫画 2012『光圀伝』角川書店 定価 580 円+税 サムライエースで連載。今後、物語の舞台として登場する駒込邸と景観がどのように描かれるか楽しみです。 向ヶ岡弥生町 VOL.3 発行 連絡先 「弥生式土器発掘ゆかりの地」碑と町会の御輿 2012 年 9 月 15 日 根津神社の祭礼に参加しました。法被の衿名 「弥生二」が「向ヶ岡弥生町」なりました。 印刷 News Letter 2012 12 1 年 月 日発行 原 祐一 〒153-8904 東京都目黒区駒場 4-6-1 東京大学埋蔵文化財調査 携帯 080-5504-9782 メール [email protected] 株式会社 芳文社 〒194-0037 東京都町田市木曽西 2-3-14 電話 042-792-3100