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SDJBA ニュースレター7 月号をお届けしま - San Diego Japanese

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SDJBA ニュースレター7 月号をお届けしま - San Diego Japanese
SDJBA 会員の皆様
夏本番、いかがお過ごしでしょうか?
SDJBA ニュースレター7 月号をお届けします。
今月の会員紹介は、SDJBA の設立と発展にご尽力いただいてきた伊藤圭一さんの特集です。
重要なお知らせがございますので、最後までお読みいただきますよう、お願い申し上げます。
★☆★☆ 会員紹介 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
◆◆伊藤圭一さん◆◆
<クラシックギター教授>
私は小学生のころオルガンを少々弾いていましたがある日突然ウイーン少年合唱団を見る機会に恵まれ、自分の体
に衝動的な反応を受けたことが忘れられませんでした。
東京に住んでギターの教師として生活をする傍ら、尚美高等音楽院ギター課で沢山の生徒達を教えていましたが、自
分の勉強する時間がなく悩んでいたところ、何とウイーンから世界的に有名な Luise Walker 教授が日本に演奏旅行でく
ることを聞き、演奏会に行き、私の先生はこの人だと決め、ウイーンで先生と会う約束をしてお別れしました。
早々と自分の身の回りを整理して、ギターと沢山の楽譜だけとゆう身軽さで横浜港からロシアの船で出港したのが19
73年5月ごろでした。
ロシアのナホトカ港をとおりハバロフスクまで汽車で行き、そこからアエロフロートのジャンボに乗り、モスクワに着き一
泊して、次の日ウイーンに到着したときの気分は言葉では表せないほど気持ちが高ぶっていたのを忘れることが出来
ません。
ウイーン国立音楽大学の生活の中で私は良い友達に恵まれ、ドイツ語が速く覚えて通訳のアルバイトで生活が出来幸
運な学生でした。
ドイツ語のクラスで知り合った、後のアメリカ人のワイフに連れてこられたのがそもそも私の人生をを変えることになりま
した。
ウイーンに着いてまもなく、隣に下宿していた心理学生フランツと知り合い、大変良い友達になり、その年のクリスマス
にチェコスロバキアの国境に近い実家に一週間ほど食事、洗濯付きで彼の家族と過ごすことが出来、大変貴重な人生
経験でした。
彼の家に滞在中、国境が近くに見え当時はまだ隣の国チェコスロバキアは共産国で、兵隊が銃を持って立っていまし
た。
隣近所から子供達が来て、東洋人が一人いるとゆう評判になり、窓ガラス越しにジロジロ見られて恥ずかしい思いをし
たことが思い出として残っています。
彼の家族からクリスマスのギフトとして有名なドイツゴの辞書 DUDEN を貰い、ウイーンに戻り毎日ドイツゴの特訓をフラ
ンツにしてもらい、そのおかげで学校の勉強も他の学生から見たら楽で、アルバイトも出来、ワルカー教授との会話も
スムーズで、時々光栄にも自宅まで招待を受け特別に個人レッスンもして頂き、他の生徒には経験出来ないことを指
導してもらい、多分外国人の学生としては一番先生の指導をよく受け吸収したと思っています。
そのおかげで今教えている生徒さんは、全く日本では想像もつかないようなことを取り入れて教えており、皆さんから喜
ばれております。
但しギターの練習は毎日8時間のハードな練習で、腱鞘炎を左手に起こし、ある時期は練習が出来なくなり、今でもそ
の後遺症が出て、左手3本の指が練習をすると痺れます。
しかし、友達交流も多く、特にガールフレンドが多く(笑う)、スエーデン人、イタリア人、ドイツ人、ウイーン人の方々で(又
笑う)、最終的にはアメリカ人のワイフになってしまいましたが、楽しかったウイーン時代でした。
毎年、ニューイヤーズのコンサートでベートーベンの第9シンフォニー、ヨハンシュトラウスのウインナー、ワルツで優雅
に踊る姿、ウイーンに着いたばかりのころウイーンの魂といわれているステファンドームの教会でとてつもない大きなパ
イプオルガンでバッハを聴いてボロボロ涙が出たり、私の生涯にとって忘れることの出来ない思い出です。
4年以上も住み慣れたウイーンを渋々出て、アメリカ人のワイフに連れられて、彼女の実家のハワイに落ちついたのが
1977年でした。
義父の紹介でイミグレーションのトップの方に面接を受け、一週間ぐらいで労働ビザを貰い、2-3週間後にはグリーン
カードとゆうもの(当時私はどんなに大切なものかわかりませんでした)を貰い、仕事探しをしましたが、クラシックギタ
ー等で身を立てるなど無理な話でした。
ヨーロッパに戻るにもお金がなく、本業の音楽から離れることを余儀なくされました。
ホテルや観光業会などで働いているときロスに仕事が見つかり、4年間働いてやれやれと思っていたら、マネージメント
の人たち全員がレイオフ二なり、暫く失業保険を貰って食いつなぎをしている内に、保険会社に入る機会があり、コミッ
ションだけで家庭を支えていかなければならない生活を強いられました。
もともと音楽の世界で生きてきた人間が、このような仕事をすること事態がどんなに苦痛か、人にはとてもいえませんで
した。
一般ビジネス社会にもなじんできてまともな生活が出来るようになってから、興味のあったサンデイゴに移りました。
カールズバドに家ももてるようになり、南カリフォルニア中走り回り生活の方も楽になってきて、フォールブルックにプー
ル、ジャクジ付きの新築の家を買い、二人の子供をそこで育てました。
自分のオフィスをバルボア付近に持ち、対外的にもビジネスマンとして確固たる信頼を築きました。
サンデイゴに住んで30年近くになりますが、その間多くの日系の人たちとビジネス交流活動をしながら、車の販売会社
なども作り、保険業と共に日系社会にサービスを提供してまいりました。
仕事の関係上、沢山の良い人たちにめぐり合い、音楽の世界では学べなかったことを学び、今は本当によかったと思
っています。
5、6年前から子供達も育ったので、元々私の体に流れている本業の音楽の情熱が燃えつずけてきているので、クラシ
ックギターを南カリフォルニアに広げたいと思い、音楽家としてこれ以上望めないとゆうウイーンで勉強したことを教える
為に後進の指導に励んでいます。
現在5才の子供から80才ぐらいまでの生徒達がおり、益々人数が増えるばかりで、毎日充実した日を過ごしていま
す。
以前からの念願でもあった日本人芸術家と音楽家を一緒にして、合同で活動しながら日系社会の為に少しでも役に立
てればと思い、一月に発足して5月に第一回のイベントを盛況に終わり、第二回秋のイベントを黙示して頑張っていま
す。
私は一般ビジネス社会に入り相手の方を先に考え自分のことは後から考えることを学びました。
今後も私はそれを自身の聖書としたいと思っています。
★☆★☆ 会員からのお知らせ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
ありません。
★☆★☆ 事務局からのお知らせ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
◆<訃報>
長年 SDJBA 会員をされ、また昨年は副会長としても当会にご尽力頂いた、高田和夫さんが7月9日に逝去されまし
た。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
お葬式などの詳細は頂いておりませんが、SDJBA として代表がお葬式に参列し、お花をお供えする予定です。
◆<役員一同より>
7月7日に役員会を開き、いろいろな事項が決定しました。詳しくは、議事録をご覧下さい。
http://www.sdjms.com/sdjba/news_events/yakuinkai%2020130707.pdf
そこで、今月 16 日の定例会で以下の事を決議、話し合い、またはご案内したいと思います。
1.会則変更の承認
2.夜の定例会 日程や場所等
3.SD 日系ネットワーク・フォーラム開催のご案内
4.リファーラル 2013 年上半期 発表&表彰
定例会に出席されない方で、1.についてあらかじめ賛成、反対をメールで投票できます。曽我部までご連絡下さい。
また、その他事項でご意見がある方はあらかじめ役員までご連絡下さい。よろしくお願いいたします。
◆<連絡係・コインさんより>
Evite の活用が大分定着してきた事と存じます。
万が一、案内をお受け取りになっていらっしゃらない場合、Spam Box に入ってしまっている可能性もありますので、一
度ご確認願います。
ご不明な点がありましたら、遠慮なくご連絡下さい。
◆<リファーラル係・清泉さんより>
上半期のリファーラル集計とリファーラルチャンピオンは7月の定例会で発表いたします。 どうぞお楽しみに。
下半期も会員の皆様のさらなる活発なリファーラル報告をお待ちします。 メールでご一報くださいますようお願いしま
す。
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発行: San Diego Japan Business Association
発行人: 曽我部彰信
編集 : 織井 弥生
※本ニュースレターの無断転載・転送はご遠慮ください。
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