Comments
Description
Transcript
② チャールズ・ウェスレーの賛美の心(歌詞)
こころに残る賛美歌物語100-17 愛する イエ スよ 奪 菫 縮 ヽ名 の 中 に 出 て くる 嵐 の 思 い 出 は、 あたか も荒 波 を渡 る よ うな人 生 の ″ 17 肇:目 次245 新聖歌 310 ヽ ら 片痛 を 表 して い る。 この 歌 は、 じつ に さ まざまな′ 労 を味 わ う人 生の 試 練 に耐 えて い く人 々 に とって、豊 か な慰 め を与 えて くれ る 歌 で あ る。 愛す るイエ ス よ 哀 れ な 人4iが イエ ス・ キ リス トの 力 と慰 め に よって力強 くな る とい う勇気 を奮 い 起 こす歌 であ り、爆 発 的 な人気 を得 て い る。 彼 あ なたはわた しの 隠 れ場 であ って、 わた しを守 って悩 み を免れ させ 、 は イギ リ ス 国教 会 の 迫 害 を受 け た こ と もあ ったが 、 主 を賛美す る 救 を もってわた しを llllま れ る ,(詩 篇32:7) こ とに よって いつ も力 を 与え られて 使 命 を全 うす る こ とが で きる と歌 っ た 人 で あ り、1788113月 2911に 召 され て い っ た。 [歌 詞 の部 ] チ ャー ル ズ・ ウェス レー (CharlesヽVesley) 彼 は 19人 兄弟 の 18番 目 と して1707年 12月 18日 に イギ リ スに生 ま れ た。 彼 の 信仰 は相 父1寸 か ら受 け継 い だ 信仰 であ り、 )I(時 の 社 会 を政 治 、宗教 の 腐敗 や堕 落か ら救 わ なけれ ば な らな い環境 の も と に育 て られ た=ウ ェ ス レー 兄弟 は 共に オ ックスフ ォー ド大学 を卒 業 して い るぅ 彼 は 自 ら進 んで 国教 会 に 入 り、 生涯 を メソ ジ ス ト教 ヽ の 底か らわ き liが る いの ち の 泉 を詩 の 亡 会 の ため に llllllい たこ 彼 は′ 1に あ らわ して い る。 兄 の ジ ョンは そ の 生 涯 に4万 回 形 式 で この ‖ 以 上 の 人 集 会で 説 教 て い るが 、 彼 もそ れ に劣 らず 働 きなが ら lれ ヽ て い る 「ウェ ス レー 兄弟 全集 Jは 13巻 6,000頁 6,500篇 の iJを 〕 tン に も及 ぶ 人 iI:で あ る この 作品 の 人 14は チ ャー ル ズの もので あ り、 そ の 中 で この 1愛 す る イエ スよJは 多 くの 人 々に 感動 を J73え た歌 で あ る。 この 歌 が 作 静1さ れ た の は、 彼 が 30オ・の 時 で あ った cこ の 歌 は、 人生 の 荒波 を渡 る船 員 を描 い た もの で あ る。 彼 は 一時 ジ ョー ジア 州 の 知事 の 書記 官 に な っ て い たが 、 やが てその 職 を失 い 、 性の 荒 波 を lし て帰港 す る と きの │キ しい経 験 を静Jに 表 したの で あ る.歌 「 (ヽ ‐ 1 ,「 ´_ 35) こころに残る賛美歌物語 1∞ -70 世人よ歌え ハ レルヤ 参 移 台・ち オ ックス フ オー ド大学 を卒 業 して聖職 に任 じられ た 彼 は、 1738 年 5月 21日 に ロ ン ドンの ア ル グ ス ゲ イ トで御霊 の 賜 物 を与 え られ、 聖化 の 経 験 を した こ とはあ ま りに も有名 で あ る。彼 は19人 兄弟 の 聖歌 171 新聖歌 123 19番 目で あ り、兄 弟 の 中 で 9名 は近 代 教 会 史 に残 る偉 大 な 人物 で あ る。 この よ うに 多 くの 兄弟 を偉 大 な しもべ に育 て上 げ たの は母 世人 よ歌 え ハ レル ヤ 地 と、 それに満 ちる もの、世 界 と、その の スザ ンナ に負 う ところが大 きい 。 彼女 は朝起 きる と同時 に主 の なかに住 む者 とは Lの もので あ る。 (i寺 篇24:1) 祈 りを さ さげ、子 ど もが5才 にな る と字 を読 め る よ う に し、必 ず 聖 書 を 読 ませ 、「 人 は パ ンだ け で生 きる もの で は な く、 神 の 日か ら出 る 一 つ 一つ の 言 で生 きる もの で あ る」 とい う信 仰 で、 毎 日厳 [歌 詞の部] チ ヤー ルズ・ ゥェス レー (charles wesley) この賛美歌 は、チ ャールス・ ゥェス レーの 美 しい主の復活 を歌 った賛美歌で ある。 原詞は11節 か らなってぃ るが 、その うちか ら 3節 を抜 き1節 を新 たに加 えて賛美歌 に した もので ある。 この「キ リス トは復活 された」 とぃ ぅ句 は、初 代教会の信徒 た ちが復活祭 に挨拶 と してお 互 い に交わ してぃ た もの を引用 した もので あ る。 これは実に雄大で美 し く、キ リス トが 復活 された歴史 的事実 をみ ご とに描写 した ものであ り、14世 紀 頃か ら ドィッ とチ ェコスロバ キアに伝え られてい た もので、 曲中に くり返 し歌 われ る「 ハ レル ヤ」 は、神に賛美 をささげる喜 びと勝利 を 歌った ものである。 彼 は、1707年 12月 18日 に イギ リスの牧 師 息子 とし て生 まれた。 の 兄 と共にオックス フ ォー ド大学で学 び、 在学 中信仰 を強めるため に、新 しい規則 を作 り生活 した。 この グルー プは「ホー リー ク ラ ブ (H01y Club)」 と呼ばれ、非常 に 厳 しい ク ラブであったために 人 び とは彼 らを「 メソ ジス ト (MethOdists)」 とぁだ 名づ けた。 今 の メソジス ト教会の前身である。 この グルー プは ィギ リス国教 会を改革する運動 に もなったのである。 _ミ ホ 3餞 ィ 、 て夕 格 に育 て た と言 われて い る。 彼 と兄 の ジ ョンは、 イギ リスの宗教 界 に強烈 な影 響 を もた らし、 人 び との心 の 中 に眠 って い た 宗教心 を 目覚 め させ た ので あ る。 彼 らが霊 的経験 を して以 来、 兄 弟 の 活動 は イギ リスにお け る霊 的原 た りの霊 的 な説教 と賛 美 は メ ソジ ス トの 基礎 を築 動 力 とな り、 あ、 い た。 彼 らは イギ リ ス 中 至 る所 で 人 び とに ジ ョンは 語 り、 チ ャー ル ス は信 仰 を歌 った。 彼 らは い か なる と きで も、 い か なる所 で も、 馬 の 背 に またが って い て も歩 い て い て も歌 わ な い で は い られ なか っ た。 彼 は説教 以 上 に多 くの 人 び とに影 響 を与 え、 1788年 3月 29 日に80才 で この世 を去 った。 142) こころに残 る賛美歌物語 1∞ ‐% 主 イエ スのみいつ と 讃美歌62 主イエ スの みいつ と わたしの霊は救主なる神をたたえます。 (ル カ1:47) [歌 詞 の 部 ] チ ャ ー ル ズ 。ウェ ス レー (Charles Wesley) 1739年 5月 21日 に、彼 はモ ラ ビア派の指導者 ピー ター・ ボ ルロ ー (Peter BOhler)と 夕食 を共 に した後話 し合 って いた。その話 の 中 で ピー ターは「兄弟 よ、 もしわた しに一万 の口が あ ったな ら ば、 わた しはその 一 万全部 を使 って神 をたたえます」 と言 った。 そ の話 を聞 いた瞬間、チ ャールス は電気 にで も打 たれたかの よ う に熱 い霊感が浮かび上が るの を感 じた。そ して彼 は、 一気 に この 詞 を書 き上げたので あ った。 ほん とうに人 間 は信仰的 に考 えれば 考 えるほ ど、感謝すべ きことが い っぱいこみ上げて くるのであ っ た。 その後、兄 のジ ョンが1740年 メソジス ト教会 の信徒 のために 賛美歌集 を発行 した際、 この賛美歌 を最初に入れたので、 この賛 美歌 は世界で愛唱 されるようになった。 この 賛美歌 は彼 の 回心 を記念 して1739年 に作 られた もので あ り、礼拝 の 開式 の と きに歌 われる ものであ る。初 めの ものは19節 か らなって い たが、今 日では原作 の7節 か ら12節 までが歌 われて い る。 そ の主 な内容 は、「主 イエ スの恵み を言葉 の 限 りたたえま す」 とい う賛美 で あ る。 ダ ビデ は「心か ら賛美 を ささげ ます」 (詩 篇 108:1)、 「わた しの唇 はあなたをほめたたえる」 (詩 篤63: ミ ン こころに残る賛美歌物語1(Xl― 考 隼雀・老 エスのみいつ と " itイ くしてみ 名 を崇 め ます」 (詩 篇86:12)、 「 わた しの 舌 ― に な ったが 、彼 は終 生 回教 会 に留 ま り、特 に社 会か ら忘 れ られ は ひね もす あなた の 誉れ を語 るJ(詩 篇35:28)等 と語 らてぃ る。 た りは教 会堂 で 説教 す て い る 人 び との ため に熱心 に伝 道 した .方 、 この よ うに力 い っぱ い 11を 賛美 す るの に、 グビデ は 11我 夢 中 で る こ とが 許 され な い場 合 に は野外 で 伝 道 した ,馬 に またが って ,上 13)、 「心 を 'ヽ 贅 美 す る と表現 して い る.だ か ら神 は、 非常 に 彼 を愛 してお られ る。 聖書 には「わ た しは ダ ビデの 倒 れ た 幕卜 を興 こ し、 そ の 破 損 1の を結 い 、そ の くず れ た 所 を興 こ し、 これ を 呂 時 の よ うに建て る」 (ア モ ス9:H)と 記 され て い る. 方まで 行 くこと も珍 しくな く、実 にそ の 行程 は40万 kmに も及 び、 ‐ そ の 伝 道 期 間 も50年 に 及 んで い る .彼 は詩 才 に富 ん で い たの で 、 ヽ ′ に は 泉 の よ うに詞が湧 い てお り、毎 過 数編 の 詞 を 書 き、生涯 を と . 通 じて6.50()以 11の 詞 を残 し、イギ リス賛美歌 の 11と まで言 われた、 また 彼 は メ ソ ジ ス ト運 動 の 代 表 者 と して Ⅲ 々 しい 業 績 を残 し、 ヽ わた したちは徐 々にではあ って も、ll「 に歌 うように′ がけなければ 亡 lfを あげて巧みに琴を ならない,「 剰iし い歌を 11に むかって歌 い、喜びのり か きならせ」 (詩 篇33:3)と ある.「 ガiし い歌1と は、前にlllむ 、llう 上す るを意味 してい る.教 会 計楽史によるならば、 代か ら第 1()│IL紀 位 まで !!「 は ii4旋 律で歌 い、その後2部 以 11に な り、 どんどん ll達 していったようで ある 他 の動物 は T^年 経 って も ll達 しないが、 人 1出 lは T‐ 年 itと 「・年後 とを比 6達 して い る iド 1楽 も今 ││の ようにすば らしい発達 を と 較す る と著 しくζ げた「 'I卜 は 単旋律 の 時代 もあ ったが 、今では美 しい ハ ーモ ニ ー と斗[厳 に 表 jjlす るように もな ったごだか らわた したちは もっともっとすば らしい 賛美 をささげなければならない「 彼 は 、 1707年 に 父 サ ノ、エ ル牧 師 の 18番 目 の 子 供 と して エ プ ヮー ス に生 まれ た。 8才 の と き に ロ ン ド ンの ウ ェ ス ト ミ ン ス ター 校 に 入 学 し、 そ こ か らオ ッ ク ス フ ォー ド大 学 に進 学 し卒 業 した。 そ の 後 兄 の ジ ョンと共 に 伝 道 の た め に ア メ リカ に 渡 っ たが 、 志 に 反 し て 傷 心 しきっ て イギ リ ス に帰 って きた 。 1738年 に 兄 と共 に モ ラ ビ ア 派 の 集 会 に 出 て Fl心 を 経 験 し、 以 来 ふ た りは イギ リ スの 信 仰 復 興 の た め に 各地 で 尽 力 した。 レ この ジ ョンは 国教 会 に い なが ら も メ ソ ジ ス ト派 の イf力 な リー ダ iり 12 1788年 3月 29日 に人 に イ イされた ( 191)