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Title 彙報 Author Publisher 慶應義塾大学藝文学会 Jtitle 藝文研究
Title Author Publisher Jtitle Abstract Genre URL Powered by TCPDF (www.tcpdf.org) 彙報 慶應義塾大学藝文学会 藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.26, (1968. 11) ,p.103- 126 Article http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00260001 -0103 報 正 世紀末に、独特な様式と美学をもつものとして登場した。いわ ゆる世紀末の文学がそれである。 特徴的に世間に印象づけたのである。 彼らにおおむね共通しているのは、 『さか それでは一体、デカダンとはどのような詩人、芸術家を称し たのであろうか? うに、プルジョワの世界に対する嫌悪と絶望であり、ある絶対 美のうちに死すV願望 ルレエヌがのちに語っていたように、A であった。したがって彼らには、 一方ではいい知れぬ生の倦怠 感と空しさが、また他方では快楽に対する鋭敏な感覚と官能へ の晴好が、神秘主義が、働いていたのであり、きわめて繊細な 感覚による生の充足感と無気力が奇妙な形で混在していたので あった。 デカダンの美学は、だから、当然乙うした彼らの気質を反映 かげ A詩 したものであった。ヴェルレエヌが八二年に発表した詩 yzアリテ していうなれば肉感性の美学というべきだろう。そのほかデカ 一八八三年、雑誌「黒猫」に発表されたヴェルレエヌ カダンをカリカチュアした『潮解』が、彼らの存在をきわめて の美学といって差しっかえないものであった。したがって、乙 詩人たち』とユイスマンスの『さかしまに』が、八五年にはデ 類推が尊重され、その点でデカ、ダンの美学は、そのまま象徴派 の詩 A慌伴 V以後のことであり、さらには八四年に『呪われたダンな作品の表現上の特徴としては、徴細さ、幽明さ、暗示、 たのは、 法 Vは、詩句の音楽性と「陰影」を強調した美学であり二言に して己れを自覚し、また世聞からそのように規定されるに至っ より厳密にいえば、 「デカダン」という一派が、デカダンと -103- カダンス」。発表要旨は左記の通り。 畠 フランス文学におけるデカダンスの展望とその美学 高 文学におけるデカダンスは、フランスの場合、とりわけ十九 明 れ、活発な討議が交された。テーマは「文学、芸術におけるデ ゃ、魂の純粋状態や地上楽園への激しい渇きであり、またヴェ 一九番教室において、芸文学会主催のシンポジアムが行なわ O昭和四十三年六月二十九日(土)午後一時より三田西校舎五 しまに』の主人公デ・ゼッサントに典型的にあらわれているよ 葉 l l ルまでさかのぼる乙とができる ルは一八五七年に『ポオに関する新 うした美学の淵源はボオドレ l ト』でデカダンスの文学に言及し、詩集『悪の華』や のであり、事実ボオドレ しいノ 詩論『人工楽園』、また「ワグナ l論』ですでにその先鞭をつ 且タ・ダ lA り、作家の実生活上の問題や生の倫理的姿勢として取りあげる 乙とは、乙の問題にかかわる聖なる美意識を冒潰することにも なるであろう。 けていたのであった。マラルメにしても然りで、六四年の散文 英文学におけるデカダンス 詩『秋の歎き』はまさにデカダンの精神状態を表明したもので あり、マラルメ、ヴェルレエヌが七六年の『第三次現代高踏詩 雄 この問題を狭義に解した場合は、フランスのいわゆる象徴主 達 l ヴ・モロ l まず念頭にうかんで来る。そしてこの派を代表する存在は、評 ・ペイタ!と、その弟子0 ・ワイルドであることはよく知 論「ル、不サンス」や、小説「享楽主義者マリウス」の著者であ るW l (民話152)は「ル、不サンス」(同 ) 匂の結論にお ω られている。 ペイタ いて、ヘラクレイトスの万物流転の説に則って、美もまた瞬時 りも世紀末の特殊な芸術様式や美学の問題なのであって、その あるエピフアニーを、従来の定説や、俗事への配慮にわずらわ いと説いて、当時のヴィクトリァ朝社会の実利主義的な俗物た く、ただいたずらに単なる印象の次元でその言葉をもて遊んだ されるととなく、心を空しくして追求し享受しなければならな 最後に、 「文営企一品術におけるデカダンス」とは、まずなによ に現れ、瞬時に滅びてゆくものだから、人は美の最高の現れで デカダンに通じているのであった。 深め、印象派の画家、音楽家たちはその苦漠たる表現によって やルドンは、その神秘主義や悪魔主義的素材で世紀末的様相を の教祖的存在として歓迎されたし、画家ギュスタ 世紀末の音楽、絵画についても同様で、ワグナ!はデカダン 相を呈していたことを物語っていたといえよう。 た彼らの作品が、当時すでにそれとは異質な世紀末の文学の様 義文学の影響のもとに生れた十九世紀末の、耽美主義の文学が 集』からしめ出されたことは、パルナシアンとしてデビューし 村 ありようや概念を個々の作品の場で明確に把握検討することな -104 ー 上 生き方を説いたのである。 枠内に止まるものと云える。なお、 「表」と「裏」、「人物」と 単純な因果応報のモラルがあって、その意味ではキリスト教の この書の根底には悪業は悪相を結果せずにおかないという、 〈58158 )は、師の説を文学の上で継承したばかりでなく、 「その影」の相即関係から云えば、 「表」であるのはグレイで ちに向って、美への献身という純粋で、ストイックでさえある もって生れた官能的な資質のおもむくままに、実生活の上でも あるが、 「裏」であるのはグレイをそそのかして絵のモデルと 乙の書に感動した弟子ワイルド 美の使徒となって、阿片を吸い、同性愛にふけり、そのために し、その後も絶えずグレイを遠隔操作して破滅への途をたどら せるシニカルな友人へンリーであろう。 早い死を招くことになるのである。 デカダンスの見地からの彼の代表作「ドリアン・グレイの画 l ン (H∞ω斗15。。)は、 ペイタ!もワイルドもついにキリスト教の枠からふみ出せな かったのに反して、詩人スウィンパ の美に耽溺し、社交界や夜の巷で放蕩の限りを尽し、婚約を として、自分はその女神に帰依して死の眠りを眠りたいと、真 断言し、ギリシャ神話のペルセポネ(種子の比除)を死の女神 -105 ー 像」(居留)には、しかし、フランスのユイスマンの「さかしま」 の影響が顕著である。 「さかしま」の主人公デゼサントになら 方的に破棄して、婚約者を自殺に追いやる。二十才のおりに画 っ向からキリスト教に挑戦している。デカダンスの流派にぜひ って、グレイも書籍、美術、宝石、香水、織物などを蒐集してそ 能的なイメージにあふれる詩の中で、キリストの王国の衰亡を いてもらった彼の肖像画が彼のそういう罪の形跡を一手に引受 加えたい存在である。 官 けて、次第に老いと悪相をつのらせてゆくのに反して、彼自身 喜 は二十才のままの若さ水々しさを保っている。やがて彼はその ドイツ文学の場合 美 ドイツ文学におけるデカダンス文学の呼称は、およそ一八八 田 絵の画家を殺し、さらに絵そのものを引裂こうとするが、ナイ フが引裂いたのは自らの心臓であって、彼はいっ気に老いと悪 相を面に刻んで死に、絵は二十才の青年の美しさをとりもどし て無傷であった。 中 0年代から一九一0年代にわたる、 一言にして反自然主義的な ける美への逃走、ロマン主義的芸術至上主義等々、乙れらはす 義、新ロマン主義などの諸流派を、自然主義に代る世紀転換期 向はすでに自然主義文学の隆盛期においてシュニッツラl、デ あって、それが「現代」という乙となのであった。かような傾 文学潮流のほぼ全体にかかわるものであり、印象主義、象徴主 ベて生の必然的結果としての下降現象ハデカダンス)の症例で の新傾向として一括して眺めんとする際の一つの文学史的概念 フ、そしてゲオルゲら ーメル、ヴェデキント、リカルダ・フ マス・マン、ヘッセ等に継承 l である。デカダンスの語は、同年代のドイツ文学がフランスか 六0年代生まれの作家・詩人らの作品に次第に顕著となり、さ l ら受容したものであるが、ドイツでは作家に結びつく特定の様 フマンスタール、リルケ、ト らに次の七 0年代生まれの作家・詩人たち、すなわち初期のホ l 式や流派の形成とはならず、 むしろそれはヘルマン・パール (「自然主義の克服」一八九一)の方向づけの下にある新しい の場合」一八八八ほか)により、新傾向の重 芸術への批判のキイ・ワードに用 l あると同時に超克すべき課題とされたのである。それが第一次 れたのであった。デカダンスば乙れらの人々にとっての必然で 文学世代によって分有された一つの気分、いいかえれば一つの され、ニイチェの増幅作用を受けつつきわめて意識的に追求さ i 現代意識を表現するものであった。そしてなかんずくニイチェ (「ヴァ l グナ グナ 大戦によってドイツとヨーロッパの精神状況が一変するまでの l 要な基盤であるずァ マであったととを、たとえばト 「いわゆるデカダンスのなかから生まれ、デカダン l との時期を支配した重要なテ il いられを乙とによって、それはさらに特殊な心理学的哲学的な ている ーマス・マン(「非政治的人間の省察」 一九一八)はとう垣間っ (「現代心理学論集」一八八三の )援用のもとに 意味の拡大を蒙った。 ブールジェ が、と同時に乙いっと縁を切って青天白日の身になりたいと願 一イチェが現代芸術の特徴として挙げたものは、神経の病的な スの歩みを見届ける役、正体を見きわめる役を仰せつか勺た 繊細化、刺搬への敏感、無政府主義的な主観性、創造的全体に 代る細部の技巧性、ニュアンスの重視、憂愁への耽溺、俳優的欲 っている!!というか、弱気にいえば、ぐずぐずとながらも手 望、嘘の愛好、酔いの渇仰、飽くない分析欲、絶対的形式にお 切れを望んでおり、そして顔廃だのニヒリズムだのの克服をせ -106 ー ゆ-つにいて、かくいう私も精神的にその仲間の一人である。」 めて心がけるようにはしているという作家たちがヨーロッパじ とも、うなずけようというものである。 に文学の担い手であった。文学が類廃から遠いものであったこ 類廃の現象が皆無であったというのではない。実生活は別の 問題である。文学においても、唐末の詩人の中には、類廃的な そしてこれらの人々が大戦を越えて各自の必然の道を辿って行 くとき、デカダンスの語はこの人々にとってもまた徐々に古び 詩を作った者がある。唐という王朝が没落期に達した時に生ま 咲 のものについての解釈の問題があったとはいえない。デカダン スが思想背景として、このような懐疑に根ざしたものであると するならば、明末清初のある種の小説の中に求めるべきであろ 中国では、すべてが古代に完成してしまった。理想は常に過 ものであった。儒教においては虚構は認められない。文章は尚 小説、ことに白話小説はその存在自体が、不道徳で堕落した ’つみ」田守つ。 去にあり、未来は不確実で、あてにならぬものであった。儒学 馬丁の口にする口語は、文とはいえない。白話小説は二重の意 者は、いかにして孔子の真の姿に迫ろうかと努力した。老荘思 ばれるが、それは高度に洗練された文語体の乙とであり、車夫 想も同様で、真理は孝子や荘子が発見してしまった。過去の理 味で軽蔑さるべきものであった。ましてその内容が色恋であっ たり遊侠であったりするに至っては、許し難い悪徳といわざる とごとくが科挙を目指して努力した。そしてこの知識人が同時 治の理念である。この儒教が科挙の科目であった。知識人はこ 統儒教からいえば異端に属する李卓吾の小説賛揚である。李卓 明末の小説はしかし特殊な思想的背景に支えられていた。正 中国の正統の学問である儒教は倫理道徳の学であり、国家統 を得ない。 れにくいだろう。 想を追い求めるという、乙の態度からデカダンスの思想は生ま 司t hυ れたデカダンスだが、体制や伝統に対する懐疑や、人間存在そ た歴史的なものになって行くのである。 中国文学におけるデカダンス 松 中国はデカダンス文学の発生しにくい要素を持っていた。 村 い礼 った調子である。 吾は唯心主義の立場から、人の真情を写すものとして小説を 李卓吾は真情の純粋を高く評価したが、曹雪芹はそれを若く 賛した。同様の意味合いから、女性を男性と同等に評価すべき 美しい女性の中に見いだした。耽美主義の文学である。そこで ことを主張した。明末から清初にかけての、李笠翁の小説、あ の結末における出家は、現世の美の追求の結果、虚無に到達し は美は他のすべてに超越した絶対の価値を持つ。主人公頁宝玉 るいは曹雪芹の『紅楼夢』等は、当時知識人の一部に存在した 李卓吾の影響の下に生まれたものと思う。 明末の嫡熟しきった、 一種世紀末的な世相は、すでに『金瓶 たためであると解釈できる。乙乙からはなんの生産的、建設的 梅』を生んでいた。乙の小説の主要人物にとって、道徳はなき なものも生まれて来ない。欧米文学のデカダンスを標準にした に等しい。西門慶はみずからの色欲、物欲のためには、なんで ならば異論も出て来るだろうが、儒教を正統と見るならば『紅 -108 ー 楼夢』は類廃の文学であるというべきである。 という言語の一般意味は、個人にあ 清 もやってのける。 藩金蓮は情欲のほかにはなにも持っていな い。しかし乙の西門慶には、同時に、あとつぎの男の子への愛 bSEE 情、官職を得た喜び等、生活者としての常識的で建設的な感美 情術における類廃 が脈うっている。中国的デカダンの一つの典型と思われる。 類廃すなはちロ 井 下り坂になったこと、連帯的社会における道義がくずれ、すた つては生長の発展が育壮期を過ぎ諸器官に硬化をきたし官能の 李卓吾には正統儒教に対する頑強な反抗があった。しかし、 李笠翁になると、乙れは同じく明末に生まれたディレタンティ ズムと結びついて、 一種知的な遊びとなり、正統思想あるいは 常識的な思考に対する、都捻ないしはひねりになって現われ 渋 文学・美術に現はれた一つのエコルを指す名称でもある。 ところが、デカダンといふのは、ヨーロッパの十九世紀末、 『十二楼』の「合影楼」は「男女授受親しくせず」的な礼 れ、やぶれる、だらしなくなる、乙とである。 は貞節を主題としているとはいえ、乙れはおかまの貞節だ、と 教へのからかいであり、また「無声戯」の「男孟母教合三遷」 る こうした名称が日本の文学・美術にはなかったのは事実であ た文芸は、その制度、意識、生活相、社会全体が類廃文芸を生 八五は、明治十八年に当り日本は維新以来明治二十二年憲法発 ュニケ も分裂以前の形式のものであって、現代のように情報〈コンミ より家族に、社会に、はげしく融着性をもっていて、その文芸 の名にふさはしい文芸が生じたのである。当時の個人は、もと るが、そうしたエコール・流派としての存在はなかったわけで 0 むに適した歴史的存在であったのである。そ乙に秀れた類廃派 キ晶玉、 可寸’’ u ・ι 布直前の多忙な時期なのでデカダンのような文芸思潮が興るわ 人聞が点化され、社会的連帯性が無限に拡がらなかった時代の いま伺っていると、こうした運動がヨーロッパに興った一八 けがない。しいて云へば、成島柳北、三木愛花、服部なにがし こととて、美術も言葉や文字といふメディア〈媒体〉を完全に ション〉の拡大化が科学的発達によってもたらされ、 等漢学漢詩に遊んだ流れの末に、乙れらヨーロッパのデカダン は拒否せず、音楽性をも完全に放棄してはいない。 覚の一途を辿って、文学性から分離しつつある傾向、そのもの 私は、現代の美術が、純粋に、点から線、面、色、光へと視 l 文化に親しく接して来た新帰朝者永井荷風の文学として花咲い た位のものと見るのであるが、私は、乙乙では日本文学の面は 担当でないのでふれないことにする。 の浮世絵板画である。先づ、類廃を、このように解釈していま 本の美術のうちに、類廃派と呼ぷにふさはしいものは江戸時代 が果して美術的額廃であるか、どうかは、次の問題として、日 芝居を愛慕して江戸芸術論をなしたととろより、或は、ヨl す。 新帰朝者荷風が、ふり返って、わが江戸時代の美術浮世絵や ッパのデカダン文芸運動は、その原型ともいふべきものを彼 ロ は、江戸庶民文化の上に見出したのではあるまいか。こうした 見地から浮世絵美術は類廃派の美術と呼ぷ乙とが出来る。否、 その影響の下にヨーロッパの頚廃派文芸術運動は興ったのだと O国文学関係 消息(昭和四十二年十月 t四十三年三月) 第三二六回国文学研究会 さへいえる。 江戸庶民社会二百十年〈一六五七i 一八六八〉のうちに生じ -109- 十二月九日(土曜日)午後一時 替る時、すなわち入相の頃が、実に印象的な時間となってくる 問、生命の時間なのであった。そして、そこから、昼と夜の入 l マとなっているのは、夜と昼とが断絶した こみ、生き続けているのである。 舞台の上の時間設定が昼になっている例は極めて僅かであ り、しかも、昼の場面は決してクライマックスシl ンとはなり ンの設定は、ほぽ 方面からのみ考察することは避けなければならない。つまり単 は、その殆んどが「夜の場面」であるし、浄瑠璃の三、 l 四 神の時間、 死の時間、 であり、 それに対して昼は、人間の時 マである「死」を演出するためには、まず「夜の場 ・は必らず「死のドラマ」である。逆に言えば、歌舞伎、浄瑠璃 l しかし舞台上の夜を考える際に、さらに重要なのは、夜と昼 絶したものという考え方がある。彼等の見方に従えば、夜は、 なのである。 夜と昼とがまったく異質の時であり、昼の世界と夜の世界は 面断 」でなければならぬというのが約束になっているということ 古代の日本人の持っていた、時間に対する観念のひとつに、 の主要テ ある。 しくは夜にしなければならぬ厳然たる理由が存在しているので 例外なく夜なのである。そしてその場で繰り広げられるドラマ に演出効果をあげるという目的以外に、場面設定を、昼に、も 目、すなわち全段中の眼目とも言うべきシ 段 ハリ の観念が、遥か下った江戸時代の歌舞伎の演出の中にまで流れ さて、こうした日本人が持ち伝えて来た、時聞に対する独特 位置にあったからにほかならない。 ら文学の重要なテ のである。タを告げる入相の鐘、暁を告げる鶏の声が、古くか 於南校舎四三二番教室 早川 仲井幸二郎 雄 雅 水 水 舞台に於ける「時」の演出 尾 長 雅 謡曲脚色上の問題点について 民俗生活における民謡の位置 (発表要旨) 早 歌舞伎に於ける、舞台上の時間設定の問題は、単に演出論の えない。我々に馴染み深い、文楽・歌舞伎の主要レパートリー 「舞台に於ける時の演出」 l l asJ ’ . 3 . 2 . 1 であるが、鐘の音は常に悲劇の開始を告げ、鶏明は悲劇の終結 つは入相の鐘で、明六つは鶏鳴で象徴するのが、演出上の約束 時点であって、ともにドラマチックな時間となっている。暮六 に、もっともしばしば出て来るのが、明六つ、暮六つというこ の境である入相の時刻である。たしかに、歌舞伎台本、浄瑠璃 して、重要な意味を持つようになったと考えるべきであろう。 転身を遂げるために、入相の二時点が、転身にふさわしい時と いる身分から本性へ、善から悪へ、生者から死者へ、それぞれ ンは、すべて何らかの意味で「替り目」なのである。ゃっして 暗示しているのではなかろうか。歌舞伎のクライマックスシ 味を持っている事実は、或いは、歌舞伎というドラマの本質を 舞台上に入相の鐘がきこえて来ると、ドラマの進展は「もは 起るためには、鐘の音、鶏鳴を聞かせなければならぬという約 事実、現実の時間の推移とは無関係に、舞台上で、ある何かが l を告げるということになる。 や入相」という、あまりにも耳馴れたセリフと共に、必らず新 l ンの鐘の音は、すべて入相の鐘と考 (もちろん、それは初夜の鐘、後夜の鐘とも考えられるの だが、クライマックスシ る。 ているのに、再び入相の鐘が響いて来るというようなこともあ たな局面を迎える。瞬間、舞台上では、「この世ならぬ者たち」 束が出来あがっており、すでに「夜の場面」として舞台は進行し のための時聞に切替ったからである。 暮れ六つの鐘に誘われるかのように、花道から冥界よりの使 者、死の運搬者といった性格を持つその場面中第一の主要人物 「四谷怪談」髪杭きの場で、お岩が髪を杭きあげて、はじめ が登場して来たり、舞台上にたった一人で残された人物が、か えてよいのではないか) くしていた本心の吐露、心理上の変化、性格の転換、さらに たれる本釣鐘も、実は入相の鐘として聞かなければならないの は死の決心などを独自で披漉したりするというのは、歌舞伎の て観客に、その恐しい変貌の姿を見せるシlンで、コーンと打 演出の一つの大きな典型になっている。もちろん、 鶏鳴と共 だ。 浄瑠璃・歌舞伎の時間の設定が、夜になっている例が圧倒的 に、照明がより明るくなり、悲劇の終りを迎えるのも同様に典 型的演出なのは言うまでもない。 歌舞伎の演出上、暮六つ、明六つの二時点が、特に重要な意 に多いのは、夜がドラマチックな時間であるからではなかっ た。ドラマの永遠のテ l マである死を描き、そしてそのあと、 悲運に抵抗しようとする心理的な契機はみとめられず、唯々と 万物が匙る「朝の復活」を見せるためには、どうしても設定を して運命にしたがいながら嘆くのみである。ここには、他の謡 物が扱われて居り、単一人物に集約された主観的な観点でな 夜にする必要があったのであり、また、歌舞伎のドラマティッ 曲と異って、運命の大きな枠のなかでうごめいている複数の人 クな興味の中心である「替り目」を見せるために、夜の開始時 二皇子が盲目であり狂人であることによって帝は蝉丸を逢坂 近い観点が採られている。 である暮れ六つと、終結時である明六つに、さらには、鐘の音 く複数人物によって、主観的というよりも一歩普遍的な観方に と鶏鳴に大きな意味が与えられているのである。 「時の演出」という面から見た、歌舞伎というドラマの特色 雄 神構造を究めることになる場合がある。私は謡曲のなかから そういう例のひとつとして「蝉丸」をとりあげたい。 とから、乙の謡曲は成り立っている。主役l 群l シテ群には、 つ臼 いう想定がなされ得るとすれば、ワキ群の中心人物は、舞台面 るところの、不可解な心情を持った帝その人でなければならな にあらわれる勅使ではなくて、シテ群の運命を遠くから傍観す い。この帝の意向は謡曲文中に全く語られて居らず、ワキ勅使 も、蝉丸を逢坂山に捨て置くべき勅命について、「帝如何なる 叡慮やらん」と言っているにすぎない。 このように想定されたシテ群の在り方とワキ群の在り方と H を並列的に考察して行くと、別々な経路から 傍観 d という問 群像であり、それが本曲のように貴人の不運である場合、上流 子、逆髪と蝉丸という、悲運にもてあそばれる主役群とワキ役 題に想到する。即ちシテ群は、 一般観客に見られている不幸な 「蝉丸」は、特殊な脚色法を持った謡曲である。 延喜の皇 う意志はないように思われる。即ち、シテ群に対してワキ群と は、暮れ六つを中心にしての死と明け六つを中心にしての復活 山に捨て、逆髪は自ら宮廷を出るのであろうが、帝に彼女を救 を見せるという点にあると言えそうだ。 謡曲脚色上の問題点について 尾 戯曲作品の作劇構造を調査するのが、そのままその作品の精 長 か理 の一の実例となるであろう。 人士の運命をのぞき見るという、王朝物語や絵巻の鑑賞者心 に通ずる興味が聞けて来る。この観点よりして、ワキがそうし乙の場合天皇は、ある不明の意志として戯曲の背後に君臨し て首 居り、傍観者として最も強力な立場を保ちつつ、何人もこの た物語読み的な観客の代表として舞台に登ったとされる説は 傍観者の視力を逃れることが出来ない。しかも彼は姉弟の運命 肯され得ょう。しかしながら「蝉丸」の場合、ワキは別な契機 を含んで居り、乙れは他の曲目にも援用し得る要素の特殊な に直接手を下す乙ともせずまた庇護も加えず、しかもおそらく 乙の天皇の虚像乙そ、謡曲作者の眼に映った天皇制の姿であ は自ら皇子達の非運を悲しんでいるのである。 形であろうと思われる。即ち先に考察したように本曲のワキ群 の中心人物は帝であり、乙の登場せぬ真のワキの存在を考える り、我々はこ乙に文学上の天皇像の一典型を見るのだが、また に、単に観客の代表者としてのみ傍観するにあらざるワキの在 り方を我々は考慮すべきである。即ち乙乙にはより高次の傍観 一方それは世界文学的にはマルケ王コンプレックスの一類型で 「熊野」のワキの心理にマルケ王コンプレックス的照明を当て i 噌 i 唱 qd あるとも考えられ、三島由紀夫がすでに戯曲「熊野」で、謡 曲 者が想定されているのであり、それは「熊野」などにも見られ る権力者の傍観と呼ばるべき種類の傍観者である。 乙ろである。 幸二郎 乙の第二の傍観者の存在は第一の傍観者のそれよりも重要で ている先例に附して、この角度からの研究も今後に待たれると 「蝉丸」のように舞台背後に あって、他の謡曲作品を検討するに、乙の傍観者は「熊野」の ように舞台にあらわれる場合と 民俗生活における民謡の位置 市’ 井 乙何年か 9 日 本民謡の研究 a をテ l マにとりあげているが、ま 私自身、塾の言語文化研究所と、東京国立文化財研究所でこ , ある場合と、 「郡部」のようにシテ自らが自己の傍観者として の性格を幾分与えられている場合とがあるが、三者のうち、乙 乙で主として問題とした第二の場合は、謡曲ないしは能におけ る劇の理念の問題に最も重要な暗示を与えると同時に、権力者 ことに天皇が、文学・演劇の上にどのように影を落としている aqE ず明治末期以来、刊行された三百冊を越える民謡集の価値の基 ており、時にはレコードによる全国流行以後のものや、新民謡 準について、いわゆる民俗学的な研究の立場から検討を加えて までもが雑多にとり入れられているものも、また多いからであ みた。戦後の民謡研究はさかんで、それも音楽的研究がずいぶ った。とりあえず手もとにあるものとして塾の図書館所蔵の地 た。各地民謡を採集してみると、まず、いかに類型が多いかと ん進んでいる。それは戦後の民謡集に楽譜を主体とするものが 誌類百数十冊から、約一万にわたる民謡歌調l をド カしてみ 多いことからもわかるし、民謡は元来歌われるものである以 上、その必要性は言うまでもないけれども、戦後の民謡研究に いうこと、しかも同じ歌や類歌があるいは祝唄として、あるい が判然とする。なぜに類型が多いか。民謡の流動性、伝播性か テープレコーダーやレコードがもたらした功罪は両面から考え は労作唄として、あらゆる機会に流用されて歌われている乙と ねばならぬ。機械の発達により採集や採譜は驚くほど進んだけ れども、そのために民謡そのものの研究はかえって遅れたので らいって、地名を自由に置きかえながら、どの土地、どの地方 。 にも適合性を見出してゆくということもあるが、しかし類型へ えないで歌ってきているという文句が数多く見られることに注 内容の類型である。との類型についてはすでに土橋寛氏の『古 代歌謡と儀礼の研究』に詳しいが、地誌類から拾いあげただけ 入手しやすくなった民謡集がすでに取捨選択された体裁をと でっ も数十例があげられる。下の句「瓜ゃなすびの花盛り」が圧 そこで、つぎに地誌類から民謡歌詞を拾ってみたのも、近時 ゑ7hv ければならぬ。このことはすでに二、三の機会に述べたことで 部分的に違っていても、いずれも山に上って下を見渡すという 人のそういう心意伝承を明きらめることが民謡研究の目的でな 例えばコ晶い山から谷底見れば」という類型は多い。歌詞は 現象の反映をその中に蔵しているはずである。民謡を通し日本 目すべきである。 たものは、最も平均的な多数の日本人の長い年月にわたる精神 活がはりついている。名もなき日本人がその生活の中に伝承し 歌の一部が自由に置きかえられる一方に、これだけは絶対に変 民謡自体はフォクロリックな存在であり、そこには大衆の生 の執着には何かもっとのつぴきならぬ原因がありそうである。 はないかと思われる面もある。 -114~- だの が、これらの島にも、高い所から田畑の稔りを予祝する民俗 倒的に多いが、ほかに「おまんかわいや布さらす」系統のも 行事がかつてあり、そのなごりを思わせる歌である。〈鳩間節〉 「高い山から谷底見れば稲 ゃ、稲の花盛りを歌うものもある。 津軽ではお山」 「。 瓜ゃなすぴの の見 蒲葵は稲や粟を象徴する植物であったろう は百代の花ざかり」〈青森・盆踊唄〉や「高い山から田の中 花盛り」の花もやはり稲の稔りの予兆としての花が考えられて れば青田田の中また稲も出る 獄では田代山 〈青森・ドダレパチ〉などがそれだ。南島でも、八重山群島い のるに違いない。南の島にも、内地でも、おそらく高い山に登 っ小 て島 その年の田の稔りを予祝する行事が毎年くりかえされ、そ 西表島の周辺にある小浜島、黒島、鳩間島など、いずれも 承されてきたのであろう。 (儀礼としての国見に関してはこ乙 じられていた宗教的な威力が意識の底流にあって、乙の歌が伝 「見れば」ということばに感 だが、その島の、 一ばん高いと思われる山又は聞に登って、稲 の時発唱せられた「高い山から」 や栗の稔りを祝福する歌が歌われている。 島・しんだすり節〉 O間に登て見渡せば作る諸作おもしろや さても豊年のしるし さみ〈波照間口説〉 O村ぬ有様見渡しぱ天ぬ四則に象りて今日む豊かぬ民遊ぶ 〈黒島口説〉 O鳩間中岡走り登り蒲葵(くば)の下に走り登り美さ生りた 海老くずや」などになると豊漁予祝の気持をこめて〈船唄〉と して伝承されているが、船唄にも「高い山から」という発想を とっているのも、乙の形の歌の、豊かな稔りを予祝する効果と いうものが意識の底に伝承されていたのだ。 一方「おまんかわいや布さらす」系は『山家鳥虫歌』に採録 されているが、民謡に比較的少ないのは流行唄を経て地方に流 れたもののほか、芸謡として人の口にのぼったという乙とかも マカが布さらし見ものでもの」〈越頂節〉と歌い、 しれぬ。八重山の新城島にも乙の歌はあって「越の頂に登て浜 「みるく世果報」は「みろくの世を迎えたようだ」ほどの意崎 味ゆ見りば る岡の蒲葵高さ茂いたる頂の蒲葵〈鳩間節〉 ではふれないでおく)。「高い山から海の底見れば鯛やたなにUどや O大岳に登て押下し見りば 稲粟の稔りみけく世果報〈小浜 節 O与那聞に登て押下し見りば 稲粟の稔りみるく世果報〈石垣 \ノ 女の名はマカになっているが、伝播の広さをものがたるもの O十月四日 於西校舎会議室 於同所 「古本説話集」研究 O 一月二十六日 於区立三田図書館 「心中天の網島」研究 O十一月七日 だ。それにしても、流行唄となる以前に、乙の歌が育ってくる 「無名抄」研究 民俗生活が背景にあったはずである。お万は鹿児島〈オハラ 節〉の「おまん宿アどこや」や、同じく鹿児島〈ハンヤ節〉の M 「おはんばかりに難儀はさせぬ」に見られる おまはん dM お まえさん dという単なる二人称代名詞が固有名詞化したもの で、民謡が生み出した女のひとりにすぎないが、布さらしの労 塾内において発表された芸文関係論文目次 --海老塚博 040ロ回OP 回mrsnと リンツピヒ ラーほか七名 文学作品聞の類似ーーロESSE -同Mo- o出 21Z59 経済学部日吉論文集第七号(昭和四十二年十月発行) 同 N・F-盟 『福翁自伝』独訳の試みω て lll 「詩と真実」の成立と構造 I||猿田恵 間見回口 EEωZσ ロMRW 3nrgロo-om山n 田rgEωnr25 と同 RFσ色町吋 ω。Z50 につい 口。 Z 〉叶開 FF 英語「動名詞」の起源についてω リンツピヒ 柳原伊織 佐藤林平 経済学部日吉論文集第八号(昭和四十三年三月発行〉 hw P 見芯おむの統語法 -、 ラーほか七名 『福翁自伝』独訳の試み ω -116 ー 働は「多摩川にさらす手づくり」の歌をあげるまでもなく、古 くから女の労働であった。布さらしの労働する女たちが男の発 想の形で歌った労作唄かもしれぬ。乙の労働が布さらしの芸能 さらし dという舞踊の上のテクニツ H を生んで来、その芸能に伴う歌として伝承されたことも考えら れる。布さらしの芸能は クの発生につながるものであろう。水辺での神事の労働として の布さらしが分佑した、印象深い女の労働の姿だったのだろう コロ向い山から」の歌に男女の恋愛感想がはいってくればこ 大学院林鐘会 ならぬ。 の下の句ができてくるというのでは、この歌の発生の説明には カま 出SZBOE aowo 「ロロペO司旬開。∞戸別宮ωO 司 Mh司p 〉Z 開印開ω司開〉同内開ω 〉 ωJ 問 ES 関与。ユ 舟田 何回《忠良》|| lNEFmmo HZF一開kpmZHZOK 冨F 何回同の〉Z 開20 口 ω国間 U--昼 RZd 〈20EDSF 回口回釦N一 a昨 l--問。訟の 国文学関係 利夫 利夫 会員業績(順不同)自昭和四十二年十月!至昭和田十三年三月 研究発表(十月二十二日於富山大学〉 「唐物語と蒙求」全国大学国語国文学会 於台東区全生庵 槽谷 奥野信太郎 奥野信太郎 昭和四十二年 英語・英文学関係 g 藤井昇 )」(N 「HK スペイン語テクスト」) 4 田吉ロ目。内宮司斗 邑(同〉 HOg E 耳目〉 σ5 『 ・デルンバルク『ブルックナーーその生涯と作品』(翻訳) 由良君美 フ・フォックス『ジンギスカン』(翻訳)筑摩書房 l ハンの教訓」(「南雲堂不死鳥通信」 の新著『言語と洗黙』」(「英語文学世界」十月 l 「ω050HB官 g σ〉 5邑( N)口吋宮 明日 g 目。町宮司叶包〈何回 「激石とラファエル前派」(「文学界」十一月号)江頭淳夫 十月号〉由良君美 「マーシャル・マクル 号〉由良君美 「スタイナ ラ l 白水社和田且 E NHK 大学講座「英語」(四十三年三月まで)岩崎春雄 「クレ lタ島の旅」(「政界往来」十月号)岩崎良三 原沢正喜 F020ユゲ旬o no 宮口Emm 。s- ロ」(「英語教育」十月号) 「ωOBOHB胃 ア学会・於島根大学〉石川実 己己吉田口見回日||∞ EE 聞の人間像」(第六回シェイクスピ 十月「ロマンス語学散歩( 十一月 gg 〉弘田件n 。g昨日。 moBBS」の発表(中 世英文学談話会第一回シンポウジアムにて〉池上忠弘 および「 hcc同 叫忌内 czsh ミ句、誌について」の司会 「匂守口hHstabR 開 zg 句。 gno ロ民同居ロ同」(「英語教育」十一月号〉原沢正喜 -117 ー 「唐物語と蒙求」||蒙求和歌との関連に於て|| 鶴見女子大学紀要五合一月) 「二十世紀旗手」と 太 宰 治 ||「新釈諸国噺論」序章ーーー三色旗(十月) 「高の文反古」の成 立 に つ い て 「新釈諸国噺」国文 学 十 一 月 号 田 全国大学国語国文学会研究発表(十月二十二日 於富山大学) 中国語・中国文学関 係 O十一月十八日講演 TV 裕 賢 「唐代小説と仏教 」 NHK ・ O十一月十九日講演於宇都宮自民公館 二十二日 「中国エッセイ文 学 の 系 譜 」 t 「わたくしの唐詩 選 」 O十二月十八日 彦 池 田 田 彦彦 昭昭 昭 池 槍檎 谷谷 藤 十二月 仏と 岩崎良三 岡高 Nなか hBREZ 宮官自」(「英語青年」十一月 ミ句。\ OR 35 ロog 「エズラ・バウンドとカミングス」(「無限」第二十三号) 「FEES 号)岩崎良 三 guhb (ES )」(書評〉(「英語青年」十一月号〉厨川文夫 。・「当日 「イギリス中世文学(1)」〈「学鐙」十一月号厨川文夫 ・s 藤井昇 ω)日〉 -〉 σ円。包( H (書評〉(「英 吋bncs 、 芯均 S 。N」 hxb 月「 ωOBOHE匂525ロ阻止宮司叶 Eg --V 〉B邑( A〉 F日開ロ m- 】自仏語25ω の♀-SL」(「英語教育」一月号〉原沢正喜 「古典翻訳のむずかしさ||秘本良三著『英訳日本文学選 「イギリス中世文学(3)」(「学鐙」一月号)厨川文夫 集』」(書評)(「一ニ田評論」一月号)河口真一 oEOB 仏〉官。白色」(「英語教育」二月号)原沢正喜 ・ 白。 「オーストラリア・ニュージーランドの文学」(『現代教養百 教育」三月号〉原沢正喜 吋ORrogg円四 F252 阻止何回mrr 」(「英語 moEODSFO - -V 〉S包(品目〉日ω 「ωOBO同目。話回回目。ロ阻止E 冨 叶 〉ロm- S吋 橋本香代子 古関〉目。丘町田ロ何 m回 rr 」(「経済学部日吉論文集」第八号〉 krmE 身。同 For-og阻止甘匂 808ω 官同rzzF85 由良君美 「ケネス・パ lクの歩み(承前〉」(「英語文学世界」二月号〉 養論叢」第二十一号〉横山潤 「『アレキサンドリア・カルテット』形式に関する試論」(「教 「イギリス中世文学(完)」(「学鐙」二月号〉厨川文夫 目岳民国 「ωoEOHE ロ山 曲。内宮匂叶E40-〉 σ円。包一 5〉 (日何回開・ 官。師団 O 藤井昇 「ロマンス語学散歩ハ6)」(N「 HK スペイン語テクスト」) 二月「激石と英国世紀末芸術」〈「国文学」二月号)江頭淳夫 ・エリオットと日本の文学」(「英語研究」十一月号〉 「カミングスのととなど」(「無限」第二十三号〉上田保 「T 上田保 藤井昇 「ロマンス語学散歩(5)」(N 「HK スペイン語テクスト」〉 gs 』月報講談社〉 「江藤淳君と私」(『江藤淳著作6集 「 内0 宮匂叶 ωogoHEMVBEZ5 原沢正喜 同F ,BoracqzmgaFO ロ色。ロ」(「英語教育」十二月号) 三月「 ogH 「トマス・ モ ア 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後藤昌 同Z , EMog - omqm白色FOKPRESS 。同任。冨開問 OEEEO 英語・英文学専攻 momo 金原正彦 mOBBHKE28LHZ 即日-oEgo -ロωgwg宮司 0.田口 oga - g Aホフマンの「金の査」研究 ・ -匂ωoロ71 O ロ Fod 由。。で SJ ロ吋 3 帆宮崎令書叫町立 内近藤光雄 RU州 Eh - Fes-o -〈 mユ注目 05ZNwggNhq 吋gsgd 〈。 FI --叶ro巧自骨司宙開opus T ・ 「審判」におけるヨ Iゼフ・ K の罪について 独語・独文学専攻 E 尚 孝 洋 月 谷崎潤一郎の女性像 激石と女性 谷崎文学における古 典 趣 味 島崎藤村ーーその家 と 「 家 」 周 辺 | | 11 芥川龍之介の世界ーーその優しさ美しさ 小村秀雄論 小林秀雄 堀辰雄論 室生犀星研究 幸田文のコトパと文章 詩人としての佐藤春夫の憂欝とボI ドレ!ル 小説に対する一考察 武者小路実駕の自己 に つ い て 「金閣寺」について ||紅葉・露伴を 中 心 と し て | | 中井桂子 池田蓉志子 船越忠子 久富早宙 明治二0年代の文学における西鶴 苦悩の浄化としての 童 話 「義経記」の管理者たち 方丈記の整理 お伽草子研究序説 「本地物」の生成とその変節 御伽草子「物くさ太郎」の研究 「砿野」小考 「奥の細道」における芭蕉の宗教性・人間性 其角小考 幸若舞曲の曽我物 「心中天の網島」||曽根崎心中との比較|| 世子申楽談儀 「仇討」・「義理」を中心に見た西鶴の武家物作品 伊曽保物語の研究 「近代艶隠者」の風貌 「世間胸算用」について 「好色一代女」 変通軽井沢 秋成・ロマ、不スク 英宣 和子 清水康代 金谷淑子 金田邦彦 l 紫の上に見る女性の理想像 中里圭子 歌と歌物語 l|伊勢物語考! 上田美枝子 河合雅治 暗蛤日記||道綱母|| 謡曲に於ける源氏物語の世界 「十六夜日記」とその作者阿仏尼について 古本説話集の世界 中野協子 柏木事件を通して ||池田弥三郎教授担当 さナみ 晴宗典康好悦昭純隆智つ オ郁の 障章子子夫子二子男禁き英ミ子り 笠原美保子 柳沢早苗 神谷法代 中世詩・連歌ーーその精神構造をめぐって|| 山口美智子 -122 ー 上斎 沢藤 大池田最金平右玉藤白山本大古関 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遠藤節子 さ 中国文学専攻 李商隠試論 -123- 直良 子三 孝鶴子子子子子子子子錯雄夫子子子子栄 石肥 井塚 城斐田江比田原 大岡西成内森松松小北金葛甲依掘日平藤 村田山瀬藤沢浦原林島 瑠万 当局 E24 〈8 民押切忠昭 OHE 3R な H 〈Z 刷宮町防当 8 民沢本佳子 -項目叶宮 ωg -回。F ロ・国-Ud 『550 saEm 巧 ooES仏国日巧 関旦mzu 〉ロ F 叶宮吋 d丘町 mzohFo V、高宮利行 NX 足。ミ向 bhqH刷 ミ鶴島晴美 ll 「オルレアンの処女」ーーその悲劇理念 北原清志 小宮秀基 ゲ!テの自由概念の成立過程と《ゲッツ》におけるその投影 カロッサの世界小山光枝 新木静子 鈴木大輔 田宮町丹江田円桝谷邦彦 Fgg ロO 康子 米国保 白井和子 ロ S 円二白色骨=における愛と死||愛と死による救済|| ユとキリスト教 「魔の山」におけるト!マス・マンの政治観 =JEE ヘルダ iリンの前期における詩と自然との関連について塚山信男 マルテの手記における詩人像十倉淳子 における文体について鷹尾敏達 クライストヨロ耳目 pazmE ゲ lテ人格思想の研究高橋義人 「断食芸人」論車谷嘉彦 「荒野の狼」における生の肯定村上いずみ 鈴木春恵 渡辺健一 高山文芳 同昌弘2u『.印 同 ωE 円四日件。 弓内M 可O 『O 〉 ωZ仏旬。同〉E 自maq吉田 gzro円ロ0.回Z040Z 一司手塚直樹 - o で 司・冨・吋- gnwo Eておお民主『色、高柳茂子 〉 EoSEE 。・0280H 同ヨト町、 H。 eqsh 同 hrcr ロ和田薫 FoE 回一司 O Hrc 向。ミ山本和子 円四戸 022 司令ミ 仏語・仏文学専攻 。・05gR3hHVS ロ・国-F2288Hω058 ωEnV 町 F0乱 4回目ミミお号、町立安原和子 i ズの愛と生涯 悦子 佳 A つ副 ランボ!とキリスト教 l シモーヌ・ヴェ 荒木玲子 ||近代の芸術創造に果したキリスト教の逆説的役割||荒井流美子 を通してみたプル 1ストの独自性布施柚紀子 テレ 独語・独文学専攻 青木道子 リルケ「時祷詩集」に つ い て 後藤攻 ボ ロマン・ロラン ベ 1 ルにおける円環の変身蛭川美代子 サンテグジュペリ久原聡子 フロ l 1 ドレ 1 ル林保夫 l 日向信子 太中淑子 ジャン・クリストフの人間性船渡呑枝 - BOB02aFBgg リルケの「世界」につ い て の作品 に お け る 実 存 主 義 的 傾 向 福島明子 oaa α oωg - について =何百omnrロ 新足 井立 カフカの「判決」につ い て F巳問。E52 カフカと罪 レイモン・ラディゲ平賀公子 行 雄 井上昌子 藤 「ヴェニスに死す」 に つ い て ーーーその《孤独》を巡る諸問題|| 「マルテ・ラウリツ ・ プ リ ッ ゲ の 手 記 」 伊 アルチュ ベ l l ル・ランボ ル一色双樹 l l l ル小論亀谷乃里 井上須美子 石井洋子 ルと宗教ーーその作品を中心として|| レイモン・ラディゲ 論 | | モ ラ リ ス ト と し て | | 入 江 純 子 l ロジェ・マルタン・デナガ フロ ロジェ・マルタン・デュ・ガ l 北古賀真理 喜多村恵子 ヌ・ロカンタンとパッション・イニュテ ルに於け る 愛 と 幸 福 に つ い て 木 下 知 子 l エミ!ル・ゾラーー そ の 叙 事 詩 的 描 写 に つ い て | | 川 島 情 子 「枢吐」論||アントワ アポリネ イル木村昭雄 l 口氏住民旨 BO ・グ ラ ン デ 」 に お け る 人 物 の 研 究 モリエ i l 消極的幸福像とその弱さの魅力楢崎健子 ζと大国麗子 ルその苦悶がうみ出す喜劇味荻原順子 ジャン・ジャック・ルソ サドに於ける相対的世界岡崎正隆 ポ l ル・ニザンについて||求めた マルグリツト・デュラスの世界左近祐一 宮 ag 自」必然と自由もしくは全体と個佐藤嘉子 アンドレ・ジイドに於ける宗教と文学佐藤国興 「吋広品8ug フランソワ 1 ズ・サガン斉藤一枝 アヌイーーその黒の世界に生きる女性達斉藤控 l ル・パルムの僧院清野紀子 浬真紀子 ブルーストにおける文体の美学「失なわれた時を索めて」より スタンダ 中世フランスにおける愛の思想史と持情詩島内照子 松本真理 近藤美弥子 小島俊彦 小口一重 ボヴァリ l 1 ジッドその青春時代 アンドレ・マルロ マダム・ボヴァリ 1l l マルセル・ブルースト ロジェ・マルタン・デュ・ガ 古家忍 松島敏子 人間プル l 篠原睦子 薗部泰子 杉江史子 田部敵子 鈴木昭大 高安民恵 高橋礼子 谷光章 家島泰子 露木規子 谷沢紀 夫人 論をめぐって l ストーーその歓喜と苦悩 ll ルの小説技法と意図 われわれとの生きた関係におけるマルグリット・デュラスの小説世界 ドリュ・ラ・ロシェル 水越博 マラルメのワグナ l -125- 知織青年ランボ 〉- Z えの釦 E52 1 「騎士グリュウとマノン・レスコオの物語」||プレヴォの《〉ユ》 「ウ l ジェニ パルザック「人間喜劇」 溝口尚子 ジャン・コクト ||グランデ父娘を考察の対象として|| サン・テグジュペリ 盛谷俊子 メリメの客観性 |芸術家の啓示 アラン・フルニエと 彼 の 苦 悩 那須敏宏 本川隆三 i アンドレ・マルロ アルベ il l FoanmB5 サドはサディストか | | サ ド と そ の 問 題 点 ル・カミユ ネルヴァルに於けるオプセションについて > l 》 ll 司 SEa - Mr の文単 T |危険をひきつけ ルの二重性山本登志子 括 gFESS ボードレ g l ルノワールの生涯 パウル・クレ 菱川師宣 《の る者山崎峰子 俊乗坊重源の研究 CERO 巳 oidgg ヌ・ド・サン・テグジュペリ「星の王子さま」を中心とし ミケランジェロのマドンナ l シャルドンヌの幸福観について柳下香代子 アントワ ラファイエット夫人「クレ lヴの奥方」とその習作吉田素子 レンプラント グィンセント・ヴァン・ゴッホ 広告論 枯山水 エル・グレコ ル 美学・美術史学専攻 荒木弘純 ユトリロ論 フェルヌ 小山宏子 備前焼 l 百恵さ 莞久合秀 信晃淑省富美忠貴武恵蕗謙 早ち教紀 山上谷島藤丹上田 本田本本辺宮田中原上岡田塚 た一考察吉田南美 フランスの近代劇運 動 狩野晃一 前田富士男 児童絵本 l 女方の美学 草薙奈津子 水越治三郎 ピスム論 -126- 能の成立 l 能代玲子 レコードによる音楽コミュニケイションの可能性 ナ 大原泰子 セザンヌ サルパド l ハンス・アルプ 柴崎まさみ ポスター論 画家ウィリアム・タ 都市美論 高柴英博 現代絵画における自己表現 の芸術 論 ベラスケス研究 田口節子 岡倉天心と日本美術院 1 フィードラ 水墨画における雪舟 塚田晴子 キュ ドビュッシーについ て 吉田啓子 ル・ダリ カンティンスキ!の抽象芸術論 津田民代 芸術における悲劇性 織部焼 麻原雄 1 源氏物語絵巻 山口陽造 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