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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
The Mayor of Casterbridge について
Author(s)
宮本, 義久
Citation
長崎大学教養部紀要. 人文科学. 1978, 18, p.21-32
Issue Date
1978
URL
http://hdl.handle.net/10069/9672
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
The Mayor of Casterbridge について
宮本義久
On The Mayor of Casterbridge
YOSHIHISA MIYAMOTO
The Mayor of Casterbridge (1886)は,その正式の題名The Life and Death of
the Mayor of Caslerbridgeの示す如く,一人の男の生と死を扱ったものである.更に焦
点を絞って, `A Story of a Man of Character'という副題が付されており,加えて作者は,
その序文の中で,この物語は`a study of one man's deeds and character'であると述べて
いる.依ってこの作品の主題は明確である.それは一言にして言えば,作者が,作中に引用
している,ノヴァリスの`Character is Fate'①ということである.
この主題に絡んでThe Mayor of Casterbridgeには他に一つの注目すべき点がある.
それはこの物語の背景となって,場の一致を提供するカスタブリッジの町である.即ち,こ
の町の歴史的,社会・経済的状況である.
本小稿は,これら二者の考察を通じて,この作品の解釈を試みるものである.
V
物語の主要部分の背景となる時代は, 1846年の穀物条例撤廃直前の,国内各地の穀物取引
相場が,天候に左右されて,未だ極めて不安定な時代である①.加えて,その背景のカスタブ
リッジは,南ウェセックスの州都ながら,工業都市とは全く異り,周囲の農村経済と直結し
た,旧式な市場町なのである.この町は,まさに,周囲の田園生活の中心点であり,焦点で
あり,神経節であり,従って,町の政治も周辺の州民の観点から行われるのである⑧.市場を
制する者は,町政をも制する.ローマ占領時代の名残りを,今尚多く留めるこの古い町の通り
は,無法と言える程の混雑ぶりである.歩道に突き出た建物の一部や商品,車道を埋める荷
車,所構わずつながれた,売物の馬や豚,それ等は全く境界など無視した有様である.そし
て,町の議員の大部分は,気苦労しないで暮すのが大好きな,頭の古い人々である.
この町の住民は,上中下の三階級に大別され,三つのホテルがそのシンボルとなる.即ち,
町で車高のホテル「キングズ・アームズ」に出入りする町の有力者, 「スリー・マリナーズ
亭」の常連である小売商,職人,穀物商の雇用人等の中流に属する人々,(この階層が最も健全
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な判断を示す) ,そして,スラム地区であるミクスン小路の「ピーク-ズ・フィンガー亭」に
集まる最下層階級の人々である.この下層階級に属する人々は本来,周囲の村々の住民である
が,理由は異なれ,村に住めなくなって,ここに流れ込まざるを得なかった宣しき人々であ
る.当然の事ながら,そこに階級意識や階層間の対立があり,特にミクスン小路の住民の有力
者に対する敵意は,物語の展開に従って主人公の運命にも,多大の影響を及ぼさざるを得ない.
Merryn Williamsは,バーディの念頭にあったのは,彼の出身である中位の階級であり,
ウェセックス小説の主要人物が概ね属しているのは,その階級であると指摘している.そして,
バーディが,小説中に描いて見せる社会は,固定した閉鎖的階級制社会ではなく,発達途上の
資本主義社会である.個人,家族が,結婚,教育,又は活動力に依って,その階級から浮び上
る希望が持てるが,逆に,田園社会の絶えざる変動に依って,総てを失ってしまい,下の階級
に落る恐れもある社会,即ち,階級的流動性のある社会であったことを,内的,外的証拠から
立証している⑥.
TheMayor of Casterbridgeに於いて,主人公へンチャ-ドが,又,そのライヴァル
のファーフリが,無一文に近い状態でありながら,カスタブリッジで大穀物商となり,町長に
出世するのは,斯かる歴史的,及び社会的背景に於いてである.当時の実際の出来事を,作中
に利用しながら,この物語を社会史的展望のもとに進展させようとする作者の意図は,明白に
見てとれるのである.
カスタブリッジ,即ち,実際のド-チェスターは,作者の生家に近く,その少年時代と結び
つきの強い町である.此処に描かれた町の様子,住民達の表情豊かな身振り,話し振り,種々
の習慣は,少年時代の彼の記憶に繋がる点が多いと思われる.それ程にこれ等の描写は具体的
であり,リアルである.頻繁に現われる「当時は」という表現は,後年に付された原注と共
に,少年時代のド-チェスターと,執筆当時,又は,改版当時のこの町との,時の流れによる
変化を指摘するものである.と同時に,其処には,ノスタルジーの影が読み取られる.
Ⅲ
The Mayor of Caslerbridgeは, 1886年1月2日に週刊誌への連載が始まった.その日の
日記には,この作品が,意図した程には良くないのではないかと懸念しながらも, 「結局のと
◎
ころ,問題なのは,作中の事件の真実性を欠く点ではなくて,人物の真実性を欠く点だ‥‥」
と記している・この作品では,読者を菩こぼせる為に,ほとんど毎週一つの事件を盛り込んだ.
その為に,少々物語に出来事が起り過ぎたが,性格描写には,真実性があり,自信があるとい
う判断である.
この物語全体のシンメトリカルな構図とそのための布石は,この作者独得の入念な工夫と計
算をしのばせる.しかし,この工夫・計算が,逆に,出来事の不自然さ,真実らしくなさを際
The Mayor of Casterbridgeについて
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立たせる結果を招いている事実は否定出来ない.余りに都合の艮過ぎる偶然,暗合,余りに多
過ぎるアイロニカルな状況の発生等,メロドラマ的であり過ぎ, J. Beachをはじめ,多くの
ゥ
批評家の批判を受ける所以である.
「性格は運命である」という名題は,勿論程度の差はあれ,作中の主要人物のすべてに適合
するものである.しかし,此処では,それが顕著に描かれている,主人公マイケル・へンチャ
ードについて考察してみたい.
物語はまず,主要舞台であるカスタブリッジから遠い,ある村に始まる.この2章からなる
プロログは,残余の物語にとって,極めて重要な意味を持つのである. (これは, --ディ小
説に共通することである. )即ち,主人公の性格は,こゝで明確に示されており,以後の彼の
行動のパタンは,この繰り返しと言っても過言ではない.此処での彼の行為一妻子の売却-は,
言わば,ギリシャ悲劇に於ける「呪い」となって,主人公にとり愚いて離れず,彼を破滅へと
導いて行く.それは,エディプスの父殺しと,母との近親相姦の恐ろしさには及ばずとも,主
人公へンチャードの原罪である.ェディブスのそれが,己れの与り知らぬ宿命であったのに対
し,へンチャードの場合は,彼自身の宿命的性格の故であった.彼はその罪業を償う為に,必
死の努力をし,又,自己の処罰を試みる.しかし,脆けば脆く程,その原罪とその宿命的性格
に災いされて,遂には,カインの如く,人間社会から疎外されざるを得ない破目に陥る.そし
て自らを,原始の荒野エグドン・ヒースの一角に追放し,そこで絶望のうちに死に至る.
妻子売却の行為自体が,現代に於いては考えられない異常なことであるけれども,作者は当
時,時折り起った事であると再三述べている.又, M.Millgateは, -ーディが,その様な珍
らしい出来事の書かれた本を所有しており,又,古いDorset County Chronicle紙から,秦
⑦
売却の記事を少くとも3つ書き留めたと述べている.
まずへンチャードの妻売却は如何に行なわれたか,そして,それに対して彼がどの様な反応
を示したか-これがプロログ部である-を見てみたい.
干し草職人へンチャードは, 21才の若さで,妻子を抱え,仕事を求めて,長旅の末,不況で
うらぶれたウェイドン・プライアズ村にやって来る.折から其所では年に一度の定期市が開か
れている.魔女めいた初老の醜い女が,テントを張っており,其所で-ンチャードは,彼女が
三脚鍋で煮て作る小麦粥をすするうちに,密売酒に手を出してしまう.次第に酔いが回るにつ
れて,自己顕示欲が強く,倣恨な自負を抱くこの男は,己の貧困と野心の挫折に対する,日頃
のやり場のないうっ懐を爆発させる.世界と社会に対する怒りは,しばしばそうである様に,
身内の弱い者一妻子へと向けられるのである.さながら妻子が彼の現在の逆境の原因であるか
の如く・折しも聞える売残りの象馬の東充の声,その声に触発されたかの如く,妻子を東売に
掛け,通りすがりの名も知らぬ水夫に五ギニーで売払う.真偽半ばする衝動的な行為であった
のだが,依台地な性根に酒の酔いが加わって,理非曲直を弁える余裕もなかったのである.
以上が,妻子売却の一応の過程である.行為そのもののショックングな性質にも拘らず,そ
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の間の描写には説得力があり,作者の筆の冴えを見せている. -ンチャ-ドは,夫婦,親子の
秤を,名声と地位を求める彼の野心の犠牲にしたのである.
しかし,酔いから醒め,冷静さを取り戻した彼は,妻子を取り戻す決心をする・同時に彼の
21年間の人生を清算して,再出発をする意味で,向う21年間の禁酒の誓いを立てるのである・
家族の梓を切断した事に対する大いなる悔悟の印であり,自制の決意である.しかし,酒が過
ちの元兇であったのだから,禁酒で己への処罰をと位にしか考えていないのである・甘っちょ
ろい責任転嫁である.彼の自尊心は,己の恥ずべき行為を世間に晒す事を許さない.その結果,
必死の探索も甲斐なく終るのである.
へンチャードは,後にこの妻子売却を回顧して,彼の「呪うべき自尊心と,食乏であること
⑧
への屈辱感」故と,述懐している.まさしく,彼を特徴付ける,激しい衝動的行動の核心とな
るものは,アモラルな,尊大な自尊心である.強烈な自我である.思いのまゝに事の運はぬ時
の欄痛癖,己への反対者に対する依古地さ,非難や屈辱に対する敏感な反応,これ等は総て,
彼の自尊心の強さを物語る.そして冷静になった時に,彼の心にモラル意識が生じてくる・悪
い事をしたと思う.償わねばならぬ意識に駆られて,自己処罰を行う.彼は常にこの様な過程
を踏むのである.
自尊心は,名声と地位に貴も強力な満足を見出す.自己満足のみでは充分ではなく,社会的
認知を得られずして,それは完全には満たされない.そして, -ンチャードの置かれた流動的
社会状況下では,財力が社会的地位と名声を得る近道であり,又,そのシンボルであった・こ
れが,この自尊心高き若者の信奉し,希求する価値であったのである.より正しい方向へ導い
てくれる光を持たない彼の,野心に依る妻子売却と,それに伴う自己処罰一禁酒-の中に見ら
れるモラル意識との葛藤の提示,これがプロログである.
斯くて舞台は, 18年後のカスタブリッジに移る.へンチャードは,禁酒の誓いを守り,堅く
自制し,その頑健な体駆の持つ,精力という彼の唯一の武器を駆使し,`his rough and ready
perceptions, his sledge-hammer directness'⑨で物事を処理してゆく・そして'今や彼
は,近辺随一の干し草商,穀物商であり,且つ町長の地位に就いている.身軽になった彼は,
宿願を遂げたのである.しかし,彼は孤独であった.名声と地位を得る為の,妻子売却の行為
に依る,人間的秤の亡霊が,頃合い良しとばかりに呪いとなって購いを求めているのである.
即ち,家族の重荷から開放される為の行為の故に,皮肉にも,彼は「呪い」の重荷を背負い込
むことになるのである.それは,第一に, -ンチャードの中に孤独な心として現われている.
それは,彼の公的生活上の小さな翳りと微妙な関係を持っている.現在彼は,商売上の過ちで
町民の非難を浴びている.彼は,現在の苦境を,スコットランドから来た青年,ファーフリの
新技術に救われる.へンチャードは,彼独特の強引さで,フア-フリを彼の支配人として任用
する.その行為は,彼の過去の呪い,即ち現在の孤独に関係している.学問,数字が不得意で
あるへンチャードが,青年の知識や頭脳を欲した故のみではない.それ以上に,へンチャード
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The Mayor of Casterbridgeについて
揺,亡弟の面影を見出したこの青年に,身内的な親しみと,激しい愛着を感じて,孤独な魂の
癒しを求めたのである.
〔Henchard〕 was the kind of man to whom some object for pouring out his heat
upon -were it emotive or were it choleric- was almost a necessity. The cravmg of his heart for the re-establishment of this tenderest human tie had been
great….⑳
即ち,へンチャードの,愛情溢れる人間的秤を求める心情の欲求にも拘らず,昔、彼は,彼
自身の挫折感から生じる`choleric'な面だけの`heat'の故に,妻のスーザンの心を耐え難い
までに追いつめ,彼女に売られる事を同意させたのであった.彼は,妻のスーザンが何をされ
ても忍耐してくれると決めてかゝっていたのである.余りにも身勝手な妻に対する甘えであっ
た.と'もあれ,へンチャードは,フア-フリという何事でも打ち明けられる友を得る.又,育
年の近代的商法で,彼の商売は益々繁盛する.しかし,皮肉なことには,此処に彼の没落と孤
立への種子が播かれていたのである.主人公と青年の友情は,青年が誇り高い男の自尊心を傷
つけたある出来事の為に,その基礎は崩される.更に,気さくで教養のある,この町では新し
いタイプの青年へ,町民の人気は集まってゆく.そして,それは相対的に,無学で烈しい,陰
気な性格の主人公の人気を下落させる事になる.へンチャードは,彼に嫉妬し,そして又, 18
年間営々と築いてきた彼の名声と地位が揺がされる脅威を覚える.必然的に,支配人は解雇さ
れる.その後,同業者となったファーフリに,彼は徹底的な戦いを挑んでゆく.そして彼は物
の見事に敗北する.以前のへンチャードの所有物は総てファーフリの物となる. -ンチャード
は,愛人までもファーフリに奪われるのである.やがて青年は,町長に選ばれる.総ては-ン
チャードの性格故の災いであるが,彼の孤独な心が,ファーフリを求めた原点から考察すれば,
人間的な結びつきを破壊した過去の罪の呪いが,煩いを求めて,彼の野心に復讐したと考え得
るであろう.五ギニーの代価は高かったのである.
しかしながら,妻子売却の罪業の呪いは,ファーフリを通じてのみに止まらなかった.フア
-フリと知り合う以前に,へンチャードは他所でルセッタという娘とスキャンダルを起してい
た.それも又,彼の孤独な生活故であった.そして彼は,彼女に償うために婚約していたので
ある.
しかし,その矢先,第二の償いを求めて過去の亡霊が出現する.皮肉なことに妻のスーザン
が,水夫に死別して例の小麦粥売りの女の導きで,娘を連れ彼の元へ帰って来る. (因みにス
㊥
ーザンは,その青白い顔の故に, `The Ghost'と縛名を付けられる. )現在の社会的地位上,
その面目を保つ為に,そして又,娘のェリザベスに軽蔑されない為に,彼は改めてスーザンと
結婚するという細工を弄する.
彼の「結婚」は,全く良心に基く純粋な「償い」であった.しかし又,それには,へンチャー
ドらしい決意も篭められていたのである.それは, `to castigate himself with the thorns
官本義久
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which
these
restitutory
acts
brought
in
their
train;
among
them
the
lowering ̄of
⑳
his dignity in public opinion by marrying so comparatively humble a woman'であ
った.名声を求める己の野心に依って,彼は,優しい人間関係を犠牲にした.名声を得た現
衣,自らそれを落とすことで償いをしようとするのである.己の野心と,又,優しい人間関係
を欲する心と,その両者の調和的均衡を計ろうとする直覚的努力に外ならない.彼としては,
私的な償い,貴大限に良心的な自己処罰であるという認識に立つものである.しかし,これも
へンチャードの独り善がりの,不徹底な償いでしかなかったのである.
へンチャードの性格を知るスーザンには,一つの秘密があった. -ンチャードの娘であるェ
リザベスは既に死亡し,一緒に連れて来たェリザベスは,彼女を買った水夫ニ3.-ソンの子で
あったのである.へンチャードは,ファーフリとは敵対し,スーザンには病死される.今や彼
にとって愛情溢れる人間関係を求める切ない職望を満たしてくれる可能性を持つのは, ・エリザ
ベス唯一人となった.彼は,その切ない願望に駆られて,過去の恥ずべき行為には触れず,彼
がエリザベスの実の父であると告白する.しかし,スーザンを蔑視してきた彼は,妻の遺言書
の指示を無視して,それを読んだが為に真相を知り,手痛い報復を受けるのである.彼は,娘
だと断言した以上,例えそれが間違いであったとしても,前言を訂正する事は屈辱と感じる男
であった.愛への願望が閉されると,彼に残るのは対極に位置する社会的野心しかない.エリ
ザベスの言動の総てが,彼の社会的地位と評判を害するものと考え,彼女に八つ当たりし,彼
女を居たゝまれなくさせる.
へンチャードの性格は,自ら求める人間関係に於いて,全く破壊的に働く.その尊大な自尊
心の故に,対等な関係は否定されざるを得ない.その様な人間が,真に情愛の通う人間関係を
結ぶ事は不可能であり,彼の孤独は必然的である.彼の野心と愛を求める心は,彼の性格にと
っては矛盾しているのである.彼が求める愛情溢れる人間関係に生きるには,彼の自尊心を極
度に抑えてゆくしかない.
スーザンの死後,巨額の遺産を相続したルセッタが,この町に居を構え,へンチャードに約
束の履行を求めた時,彼は別に憂うつな償いとは感じなかった.
His bitter disappointment at finding Elizabeth-Jane to be none of his, and himself
a childless man, had left an emotional void in Henchard that he unconsciously craved
㊨
to fill.へンチャードは,その愛着心の行き場を,ルセッタに転じるのである.彼女が大金持
になり,社会的地位が上ったことで,彼にとって彼女のイメージは,魅力を増したのである.
つまり,彼女に対する心には,色と欲の二つが同居していたと言い得る.しかし結局は,彼女
もファーフリに奪われてしまう.彼女がへンチャードの痛痛癖や,妥協を知らぬ性格に恐れを
なした事もその一因であった.彼が以前に,孤独の故に関係をもったことになったファーフリ
とルセッタは,所詮,彼を苦しめるために送られた呪いの手先であったのである.
第三の呪いの亡霊は,過ぎし日のウェイドン・プライアズの,魔女じみた小麦粥売りの姿と
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なって現われ,主人公に社会的購いを求めるのである.治安判事として彼は,一人のスラム街
住いの老婆を裁く席に着くが,それがあの小麦粥売りであった.彼女は, -ンチャードの妻子
売却の過去を暴き,裁判長たる彼に,彼女を裁く資格はないと言い放つ.彼は潔くその事実を
認め,退廷する.この魔女は,粥に混ぜた邪な酒でヘンチャードを酔わせ,彼に罪を犯す手助
けをした,当の本人であった.そして今,彼女は再び彼の前に現われて,彼から町の道徳的指
導者たる資格を剥奪し,社会的生命を絶つ「ネメシス」の役割を果すのである.既に経済的に
破産していた-ンチャードにとって,これは,止めの一撃であった.彼のこれまでの地位と名
声を求める野心は,此処に完全に瓦解する.そして,それは言うまでもなく,彼の宿命的性
格-彼の「呪うべき自尊心と,貧乏である事への屈辱感」 -そのものの為せる業であっ
たのである.
今は,落塊の身の彼は,ファーフリの親切な言葉や,今も彼を実の父と信じているェリザベ
スの優しさに辞されて,進んで,ファーフリの干し草職人となる.社会的逆転である. `...now
㊨
things seemed to wear a new colour in his eyes.'しかし,彼はそれ程簡単に,別人にな
れる男ではなかった.
21年の禁酒の誓いの時が終るのを待って,彼の自棄の時代が新たに始まる.道徳上の変化で
あり,隠れていた陰険で卑劣な性質が変る.ファーフリの町長就任と共に,ルセッタの過去を,
その夫に暴露しようと計ったり,今は彼に残された唯一の能力である腕力で以って,フア-フ
リに決闘を挑み,彼の生命をその掌の中に握りながらも,彼はそれが完遂出来る程の悪人では
なかった.彼の壊後の足掻きに過ぎず,恥ずかしさと自責の念を深めるのみである.自分が,軽
蔑され徹底的に信用されなくなった事を痛感するばかりである.彼には最も耐え難い事であっ
た.その様な状況にありながら,終始一貫,変らぬ愛情ある配慮を示してくれるェリザベスだけ
が,彼にとっては唯一の微かな光である.彼女と,愛情ある人間的梓を結ぶ夢がふくらんでゆく.
しかし,この唯一壊後の願望も,それを果したいがため嘘のせいで,奪い取られることとな
るのである.水死したものと思われていたェリザベスの実の父ニューソンが娘をつれ戻しにや
ってくる.へンチャードほ,エリザベスは死んだと嘘をつき,水夫を追い払うのである.
今や自分の貴後の宝であるェリザベスの心を奪う者が現われる事を極度に恐れ,逆らう事で
彼女の愛情を失わないようにと,懸命に自制し,彼女の心を推し量るのに浮身をやつす.彼の
本性は,一変してしまったのである.そして,彼女の側に身を置けさえすれば,どんな屈辱に
も耐える覚悟をする.
ところが,真相を知ったニューソンが,再び町にやって来る.ェリザベスに,彼が実父であ
ると偽り通した事,ニューソンを隔して追い返した事が分れば,当然,彼女の愛情は実父に移
り,又,彼は,軽蔑と憎悪の対象となるであろう. -ンチャードは,若い頃と同じ干し草職人
の装いに身をかためて,訳が解らず,驚き悲しむエリザベス唯一人に見送られ,町を去って行
く.例え,どの様な事が分っても,心からお前を愛した自分の事を,忘れないと約束してくれ
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28
⑬
と,言い残して‥‥彼は今, `a world that had become a mere painted scene to him'
香,捨てるのである. `If I hadonly got her with me-if I only had/...I-Camgo alone as I deserve-an outcast and a vagabond.
⑳
But my punishment is nプgreater than I can bear/'M.Williamsは,この罰は,へ
⑰
ンチャードには,耐えられないものであると述べているが,厳密には,この段階では,まだ彼
は耐えられるのである.何故ならば,主人公には,追われて去るという意識はなく,又,別れ
際のェリザベスとの約束で,彼は,彼女と精神的に繋がっているという意識がある上, `fetich⑱
istic'なところのある彼は,彼女の古手袋,古靴,毛髪等を隠し持っているからである.未
だ彼には,完全な敗北感はないのである.果たせる哉,彼はェリザベスの婚礼には出席しない
と断言しておきながら,いざその時になると前後の見境もなしに出向いて行く.愛を求める,
彼の生命を賭けた,蕨後の試み,あがきであった.踊る彼女の歓喜に溢れた顔,一際目立つ踊
り振りを見せている,彼に代ったニューソンの幸そうな顔, -ンチャードは,其処に完全な敗
北を見る.加えて,彼は,エリザベス自身の口から,長年彼女を編し続け,父に残酷な嘘を吐
いた彼を,愛せる筈がないと,責めの言葉を聞くのである.へンチャードは,自己弁護をしか
けたが,思い止まる. `Don't ye distress yourself on my account,'he said with proud
superiority.
`‥.I
have
done
wrong
in
coming
to
'ee…
I'll
never
trouble
'ee
again,
⑳
Elizabeth- Jane -no,not to my dying day/ Good-night, Good- bye/'
へンチャードは,エグドンの荒野の一隅の,荒れ果てた小屋に,疲れ果てて辿り着き,遂に
其処で,全く食欲を失い,衰弱死する.彼が,エリザベスの結婚祝いと,彼の悔悟の印として
持参した,寵の中のひわが,庭に放置されて餓死した如く,彼の心も愛に飢えて死んだので
ある.遺書には,彼の死を,エリザベスに知らせぬ事,彼の為に悲しませぬ事,そして,教会
の墓地に葬らぬ事を初め,人間社会の死者に対する礼を,総て拒否し,誰も彼を思い出さぬ
事と,したためられていた.それは,人間としての自己を,痛烈に告発し,否定し,呪うもの
であった.彼の人生の戦いは,一人相撲に外ならなかった.彼が倒そうとした相手は,結局自
分自身だったと言える.
「性格は運命である」との観魚から,主人公へンチャードの人生と死を考察してきた.私
的,公的両生活に於いて,直情径行にして頑迷な主人公は,何と子供っぽいしくじりばかりを
行ったことか.彼は,その余りにも敏感な自尊心の為に,激情に駆られ,客観的判断や思慮分
別を欠き,理不尽で,時には卑劣な行動に走り,公私の両生活で失敗する.地位と名声への野
心が,他ならぬその野心の故に瓦解した後の,孤独を恐れ,エリザベスの愛情を維持する為に
扱々とする彼の姿は,貴早その本領たる自尊心を捨て去っている如くに見える.しかし,実際
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The Mayor of Casterbridgeについて
に彼の意識を占めているのは,エリザベスの愛情に頼ることを前提にしながら,自尊心と屈辱
に繋がることばかりである.
作者が彼について用いる動物イメージは,へンチャードの性格解明に大きい示唆を与える・
㊨
㊨
即ち`leonine'`as wrong-headed as a baだalo'等である.ルセッタへの報復を思い直
㊨
したのは,彼女を・vey small deer to hunt'と判断したからであり,自尊心の貴後の社会的
㊨
誇示として,町を訪問した王侯の行列に聞大した彼の姿は` abull breaking fence'であり,
㊨
ェリザベスの顔色を窺うようになった時の彼は, `denaturalized'であり,その姿は`the
㊨
㊨
netted lion'とされている.即ち,彼の本嶺は獅子の誇りと牡牛の`impulsive brute force'
であると言い得る.
㊨
彼は,しかし, `afangless lion'とまでは落ちぶれなかった.動物園で老醜を晒すより
は,荒野での孤独の死を選んだのである.彼の遺言は,己の人生の敗北の厳しい認識と,己の
人間としての価値の完全で容謝ない否定に加えて,その文面の背後には,絶望の下にあっても
失われることのない自尊心を窺い知ることができる.そして,それが彼に人間としての貴後の
尊厳を賦与し,彼を悲劇的人物にまで高めるのである.
では,へンチャードの性格のみが,彼の運命の唯一の決定要因であったのであろうか.
I.で触れた如く,作者は,この物語の序文及び本文中で,しばしば背景となる場所の社
会・経済史的位置に,読者の注意を喚起しているのである.
農村の変化の波は,この物語の冒頭に既に示されている.ロンドンに近い方角のウェイド
ン・プライアズでは,へンチャードが妻を売った時には,既に,不況で家屋の取り壊しが盛ん
になる気配を示し, 18年後に,ス-ザンがへンチャードの所在の手掛りを求めて其所を訪れた
時,この由緒古い定期市の様相は,近辺の町の変化の煽りを受けて大きく変っていた.
Certain mechanical improvements might have been noticed in the roundabouts and
highfliers, machines for testing rustic strength and weight, and in the erections
devoted to shooting for nuts.But the real business of the fair had considerably dwmdied. The new periodical great markets of neighbouring towns were beginning to
interfere seriously with the trade carried on here for centuries. The pens for sheep,
the tie-ropes for horses, were about half as long as they had been. The stalls
of tailors, hosiers, coopers, linen-drapers, and other such trades had almost
㊨
disappeared, and the vehicles were far less numerous.あの小麦粥売りの女も,商売は
寂れて酷い身なりに変っていた.そして,程なく彼女も定まりのコ-スどうり,カスタブリ
ッジのスラム地区,ミクスン小路に流れ込み,その挙句,町の名士への反感から,主人公の過
去の恥を暴露するのである.
バーデイがこの物語の執筆に着手したのは, 1884年であるが,その一年前の7月に,彼は,
The Dorset Labourerなる一文をLongman's Magazineに載せている.この中で, --デ
官本義久
30
ィは,変化しつつあるドーセット州の当時の農村状況と,今昔を比較しての感慨を述べている
が, The Ma.yor of Casterbridgeには,この文の内容の明確な反映が見られるのである.
このェッセイの中心は,農村人口の移動,特に村で生活出来なくなった人々の,大きな町への
流入であり,それは,第36章のミクスン小路についての説明にそのまま要約されている.若い
日に仕事を求めて流浪した-ンチャードが,カスタブリッジに行く決意を固めたのは,この様
な時代傾向のあらわれであり,彼も小麦粥売りの老婆同様にスラム地区this mildewed
㊨
leaf in the sturdy and flourishing Casterbridge plant-の住人となる可能性は充分に
あったのである.
作者がその歴史的古さ、モダニズムやアーバニズムとは反対の古風さを,執拙なまでに強調
するカスタブリッジに,直接的に外部世界の新しい波を具現して,スコットランド青年ファー
フリが,やってくるのである.
D.Brownは,当時スコットランド人が,南部地方によくやって来て,新しい,経済的で,
㊨
慎重で適切な方法で,農村や共同体を破滅崩壊から救った記録があると述べているが,それは
兎も角,へンチャードは,己れの性格の他に,又,この新しい波に対しても戦わなければなら
なかったのである.
作者は,主人公とファーフリを,全く対照的に描いて二人の相違を際立たせる.即ち,抑制
できぬ激しやすい気性と穏やかな気質,気難かしい頑固さと快活な社交性,高圧的態度と礼儀
正しさ,自己中心性と公平さ,粗野と洗練などである.カスクブリッジで,初めて.姿を見せる
へンチャードは,旧式の夜会服を着けており,ファーフリは,流行のしゃれた花模様のついた
旅行鞄を持っている.両者の外見面での時代感覚の差を示す.しかし,両者の貴も対照的な点
は,無学な主人公の頑健な体躯から発するェネルギ一に対する華著な体のスコットランド青年
の頭脳である.
`・-In my business, 'tis true that strength and bustle build up a firm. But judgment
and knowledge are what keep it establishd. Unluckily, I am bad at science, Farfrae;
bad
at
figures
-
a
rule
o'thumb
sort
of
man.
You
are
just
the
reverse….'
そしてファーフリが支配人となってからは,へンチャ-ドの商いは末曽有の繁昌を見せるので
ある.
The old crude viv丘voce system of Henchard, in which everything depended upon
his memory, and bargains were made by the tongue alone,was swept away. Letters
and ledgers took the place of `I'll do't', a、nd `you shall hae't'; and, as in all such
cases of advance, the rugged picturesqueness of the old method disappeared with its
㊨
inconveniences.
この人柄,方式の相違から,新しいタイプの男,ファーフリの人気上昇と対照的に,古いタイ
プのへンチャードの人気が,下落するのは無理もないことである.
The Mayor of Casterbridgeについて
31
〔Farfrae〕 was to them like the poet of a new school who takes his contemporaries
by storm; who is not really new, but is the first to articulate what all his listeners
have felt, though but dumbly till then.
二人が商売敵になった後,穀物条例撤廃前の,穀物相場が地域の天候に依って左右される不
安定な状況下にあって,へンチヤードがファーフリに決戦を挑んだ時,彼がその非科学的迷信
深さの故に,天気占い師の予言に頬る愚を犯したのは,決定的であった.
へンチャードほ,公私の生活の総てをファーフリに奪われることになる.社会・経済的観点
に立脚すれば,カスタブリッジという古風な社会に於いて,がむしゃらに精力を唯一の武器と
して,経済的にも政治的にも成功したへンチヤードは,その前近代的商法と気質の故に,フ
ァー7 I)の科学的合理精神に放れたことになる.
以上のことから,この物語は,変動する19健紀中葉の「ウェセックス」の新旧の葛藤交代を
も,一つのテーマとしているとみて間違いない.
作中人物については,頻繁に出来事の観察者としてこの作品の視点の役割をつとめるェリザ
㊨
ベスに一言せねばなるまい.知恵の女神ミネルヴァにも例えられる彼女は,ファーフリが知性
は勝れていても,感情の点では底の浅いのに比べて,感情の抑制,克己という点では,へンチ
ヤードと対照的である.思うことの満たされることの少い人生を,耐えられるものにする為の
彼女の秘訣はthe cunning enlargement, by a species of microscopic treatment, of
those minute forms of satisfaction that offer themselves to everybody not in positive
.㊨
㊨
painということであり,幸福とはbut the occasional episode in ageneraldramaofpain
であると考える彼女のペシミズムが,何が起るか分らぬこの世で,結果的には,彼女をフ
ァーフリとの幸福な結婚へと導いたのである.そしてこのペシミズムが,作者の処世観である
ことは言うまでもないことである.
〔注〕 (テクストはMacmillanのGreenwood版を使用)
① The Mayor of Casterbridge, P. 131 (以下同書はM.C.と省略)
㊤ Ibid., P.211
㊥ Ibid., P.70
④ Merryn Williams: Thのnas Hardy and Rural England, P. 115
CMacmillan, 1972)
㊨ Florence Emily Hardy:The Life of Thomas Hardy, P. 176
CMacmillan, 1965)
㊨ Joseph Warren Beach:The Technique of Thomas Hardy, PP. 140-42
(Russell & Russell, 1962)
ゥMichael Millgate: Thomas Hardy, PP. 241 -42
(The Bodley Head, 1671)
㊨ M.C., P.367
宮本義久
㊨ Ibid., P.229
Ibid., P. 142
⑪
⑳
㊨
㊨
㊨
㊨
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
P.95
P.95
P.169
P.263
P.368
P.361
⑰ Merryn Williams:Thomas Hardy and Rural England, P. 151
⑲ M.C., P.18
㊨ Ibid., P.377
㊨
㊨
㊨
㊨
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
P.101
P.130
P.289
P.311
㊨
㊨
㊨
㊨
㊨
㊨
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
Ibid.,
P.351
P.349
P.238
P.357
P.21
P.294
㊨ Douglous Brown:Thomas Hardy.The Mayor of Casterbridge,
P. 16 (Edward Arnold, 1962)
㊨ M.C., P.55
㊨ Ibid., P.103
㊨ Ibid., P.61
㊨ Ibid., P.149,P.380
㊨ Ibid., P.385
㊨ Ibid‥ p.
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