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日本の無国籍児と子どもの福祉に関する研究
氏 名(本籍) つき だ 月 田 みづえ(神奈川県) 学 位 の 種 類 博士(社会学) 学 位 記 番 号 甲第80号 学位授与年月日 平成19年3月24日 学位授与の要件 学位規則第4条第1項該当 学位論文題目 日本の無国籍児と子どもの福祉に関する研究 ─国籍取得の基盤としてのインディビジュアル・アイ デンティティの視点から 論文審査委員 主 査 教 授 萩 教 授 岸 教 授 橋 原 清 子 功 本 和 孝 論文内容の要旨 グローバル社会により、国境を越える人々の移動と定住化によって、結婚の国際化が 進み、日本でも夫婦の一方が外国人の総婚姻件数は、5. 8%(2006)を占め、児童相談 所の相談や児童福祉施設のなかに、無国籍児が増加し、解決策が求められている。 世界では、民族紛争や難民問題も後を絶たず、政治、社会、経済的な事情、各国の法 律の相違などによって、生まれてくる子どもに落ち度はないのに、国籍が奪われている。 無国籍児は、生来的に国籍取得の権利を持っているにもかかわらず、人間としての権利 が無視され、侵害されている。このような状況で、国籍法による無国籍児の発生や出生 未登録の問題が国際的に社会問題として認識されてきている。ユニセフの最近の報告で は、世界に無国籍児は、多数存在する。 ところで、国際的には、子どもの国籍への権利の表明は、子どもの権利宣言(1959年) に始まるが、子どもの権利条約(1989年)は、国籍取得の権利と無国籍児の発生防止策 の確保(第7条)と国籍、家族関係などのアイデンティティの保全(第8条)を明言し た。いずれの国籍も得られない場合、生地主義による出生地国の国籍取得原則と国内立 法が担保された意義は大きい。同条約締結により、無国籍問題に関する子どもの福祉の 実現にむけた国際的協力が前進した。条約制定の過程では、子ども観をめぐり、「保護 される客体」から「人権を享有し、行使する主体」であることが議論され、共通認識が 形成されていった。 本論文は、日本における無国籍児の発生と発生防止に至らない要因を探り、インディ ビジュアル・アイデンティティの視点から無国籍を有国籍化することの意義と課題を考 察することを目的としている。すなわち、国家の都合で、国籍を付与したり、剥奪する 考えのもとにある国籍を「与えられる国籍」ととらえ、生来的に持っている国籍を「権 利として取り戻す国籍」となるような筋道をたどり、子どもの福祉を再考した。 従来、児童福祉研究では、狭義の児童福祉に関わる諸法と行政の枠内での実態把握と 解決策の検討が研究テーマとなることが多かった。しかし、無国籍児問題の解明と対応 は、福祉的保護では解決に至らないことは実態が示している。 日本の国籍関連立法は、近代国家が成立する明治に始まる。戸籍法の成立により、戸 主が、家族を統括し、家督を継承維持する仕組みがつくられた。当時の慣習法である親 族法は、父系血統主義をとり、内外人の婚姻は政府の許可を要し、婿養子となるには、 日本人としての適格性が調査された。一方、西欧諸国の一夫一婦制による近代の親子法 を模して、婚姻の有無による子の区別を必要とした。開国以来、増加した外国男子との 混血児の取り扱いでは、厳格な個別調査が出生届の回避を困難にし、私生子として、母 の届出により入籍されていた。その後、庶子及び認知制度の変容と戸籍作成の厳格化に より、父が認知した私生子は、庶子の法的地位を得る父系優先による家督の存続が図ら れた。胎児認知で、出生から父子関係を決定し、家督相続の可能性を広げた。 旧民法は、①両性平等の原則、②母系血統主義に生地主義的要素を加えた無国籍発生 防止、③子の利益保護のため、政府の許可が不要な意思表明による国籍選択制をとり、 伝統的家族制度を排除した。 しかし、教育勅語の公布、明治民法の成立により、家族制度が確立する。そのような 体制下、旧民法は公布されたが、法曹界や国粋主義の激しい抵抗で、施行されなかった。 当時の国籍立法は、①多くの血統主義国同様、父系優先血統主義の採用、②外国人を容 易に受け入れない排外性、③庶子及び認知制度による婚姻の有無と父系優先の序列性の 要素を持っていた。家族制度は、夫婦や親子は対等な関係ではなく、家長の権力に服従 し、子は意思を持たず、庇護された。天皇を頂点とする国家は、家族の集合体であり、 支配関係による集団主義体制であった。 そこで、本論文では戸籍法と国籍法を媒介に、家族制度によって、個人を国家に強固 に繋ぎとめるナショナリズムを家族ナショナリズムという用語で説明した。国籍の取得 は、家族ナショナリズムによる「与えられる国籍」であった。 第2次大戦後、憲法や民法が変わり、家族制度は廃止され、国家の家族集団主義的な 要素は消滅した。しかし、国籍法の父系優先血統主義、戸籍上の婚外子と外国人の除外 という形で影響を残した。 また、憲法25条は、マッカーサー草案の国籍差別禁止と外国人平等条項を削除して、 その対象を「人民」ではなく「日本国民」とした。その際、現行国籍法の無国籍防止の 桎梏である婚外子差別禁止を盛り込んだベアテ・シロタ草案も見送られ、民法に婚外子 の相続差別規定を残した。 やがてすべての子どもが対象の児童福祉法が制定された。同法には、国籍要件がなく、 外国人も含むことが想定されていた。しかし、家族の扶養機能が優先され、子どもへの 国家責任は、不十分であった。 わが国では、沖縄基地周辺の国際結婚(米兵と日本人)による無国籍児が社会問題と なった。戦後の国籍法も父系血統主義を継承し、日本人母が国籍を継承できないことが 主要因であった。無国籍児の多くは、母子家庭であり、地縁共同体や親族集団の偏見・ 差別の対象となり、児童扶養手当の恩恵から排除された。国家の承認である国籍をもた ず、アイデンティティの混乱や喪失は生活上の支障をきたした。沖縄国籍福祉相談所は、 1970年代から無国籍児の法的身分相談が増加したため、国籍法改正の行動を展開した。 この頃、諸外国でも、両性平等の立場から、父系血統主義を両系血統主義に改める国が 増えた。女性差別撤廃条約批准への動きを背景に、日本の国籍法も、1984年に両系血統 主義に改正された。1979年に改正されたデンマークの国籍法は、両系血統主義の採用に あたり、自国民母に国籍継承の権利を与えたのみならず、法律婚でない自国民父と外国 人母の子が自国で出生した場合にもデンマーク国籍を取得することができるようになり、 ほぼ無国籍児の発生防止を達成した。 高度経済成長後の1990年代から、定住化するアジア諸国の女性と日本男性の婚姻によ る無国籍児問題が顕在化する。現行国籍法は、法律婚ではない日本人父と外国人母の子 では、胎児認知のみ認め、生後認知では国籍を与えていない。これは憲法14条に違憲す るという議論がある。同じ両親の兄弟で、日本国籍と無国籍の場合がある。個人の国籍 は、家族扶養で解決されない問題であり、家族の統合、平等への期待も高まっている。 国籍とは、国家が個人に法的地位を与えるものであり、社会契約的要素をもつが、そ れだけではなく、内面の情緒的要素を示すアイデンティティも与えるという2重の要素 をもっている。 前者の面では、地縁・血縁機能の縮小が相互扶助の機能を縮小させており、国家によ る各種の生活上の保障は重みを増している。 そこで、国家による法的地位が与えられない無国籍児の場合、国家の承認が必要なこ とに関する不利益が問題になる。無国籍児は、就学や予防接種の通知もれを始め、パス ポート取得など外交上の保護、社会保障などの生活上の保障が阻害されている。 後者の内面の情緒的要素を示すアイデンティティに関していえば、日本国籍を持つこ とで日本人としてのアイデンティティを得る。前述の沖縄で生まれ育った無国籍児は、 他者と同じように日本人であるアイデンティティを確たるものにするために、帰化で国 籍取得を希求した。 しかし、ナショナル・アイデンティティに強力に縛られ、自分の意思を持つことが抑 制された時代とは異なるアイデンティティの意味を考えることが必要となる。 1980年代の国籍法改正では、両性平等による無国籍防止の動きがあり、無国籍児が国 籍確認訴訟などによって、日本国籍を取得する事例が増えている。国家によって一方的 に「与えられる国籍」から、生来あるべき国籍を「権利として取り戻す」動きがはじまっ た。 つまり、国籍によって、国家に繋ぎとめられる個人は、ナショナル・アイデンティティ の影響を受けつつも、ある場合には、国家の意思と異なる考えを持ち、国家にさまざま な働きかけをしながら自己のアイデンティティを形成していくことが可能である。 このようなナショナル・アイデンティティの強要から解かれた個人の発展を可能とす るアイデンティティを本論文ではインディビジュアル・アイデンティティと表現した。 なぜならば、国籍は、個人にアイデンティティを与えるが、国家のアイデンティティか ら離れた自由なアイデンティティを持つ可能性という側面をアイデンティティ概念に付 加したかったからである。 日本には、子どもの権利条約締約国として、国籍法改正が勧告されているが、より完 全な無国籍防止策は進んでいない。戸籍法や国籍法、司法判断などにおける排外性や正 統な血筋へのこだわりが桎梏といえるからである。 とりわけ、1990年代以降、国籍結婚の増加と外国人の定住化により、複合的アイデン ティティを持つ集団が形成されてきた。多様な価値観や文化が共存する社会への移行を 基盤に、無国籍児との「人間」としての連帯意識が形成されている。無国籍児やその親 を外集団として排斥するのではなく、社会的アイデンティティの拡大によって、集団内 にとどまらず、国家に公的承認を迫り、無国籍を生み出さないよう国籍法改正を求める ソーシャルアクションが展開されている。そこでは、国籍取得の基盤となるインディビ ジュアル・アイデンティティによる連帯意識が形成されつつあることを明らかにした。 さらに、子どもの国籍への権利の保障を具体化するには、子ども観の転換が必要であ る。 大人と子どもの共益的な相互依存関係を重視することにより、市民役割概念を広げる ことが、国際的な人権意識からも読み取れるようになってきている。 そこで、国籍取得により子どもが1人の市民として、発展できる基盤を出生から保障 すること。そのことを踏まえて、子どもの福祉の制度的枠組みを再構築する必要性を主 張した。 論文審査結果の要旨 本論文は、グローバル社会が進展する中で、日本における無国籍児発生の要因を日本 の国籍法に貫かれている「血統主義」に着目し、日本の血統主義を重んじる家族ナショ ナリズムと無国籍児発生との関係を明らかにした上で、子どもの福祉の視点からイン ディビジュアル・アイデンティティ概念によって国籍法改正への可能性を論じたもので ある。 本来、無国籍児は国籍取得の権利を持っているにもかかわらず、政治、社会、経済事 情、各国の法律の相違などにより、子どもの国籍の決定基準はきわめて複雑になってい る。その結果、国籍が奪われている状態の「無国籍児」が発生する。このような「無国 籍児」問題は、国際法や国籍法といった法律の視点から取り組まれるのが通例だが、本 論文の最大の意義は、子どもは「人権を享有し、行使する主体」であるという国連・子 どもの権利条約による子ども観に立った福祉の視点から、家族ナショナリズムの貫く日 本の国籍法に対峙するインディビジュアル・アイデンティティ概念により無国籍を有国 籍化する途を展望したところにある。 本論文は、8章および序章と結論からなり、研究の目的と視座、論文の構成を示した 序章に続いて、第1章、第2章、第3章で日本の無国籍児問題の実態と無国籍児問題の 歴史的考察を行っている。まず、第1章では、日本における無国籍児発生を「与えられ る国籍」の視点からその思想と具体的仕組みを考察し、つづく第2章では、日本におけ る国籍取得に関する立法の変遷について、明治から第2次世界大戦後に至る国籍取得の 考え方の変遷と無国籍児問題の変化を辿り、第3章では、結婚の国際化の流れとわが国 における「与えられる国籍」との現実的乖離を無国籍児問題の歴史的経緯として論じて いる。以上の日本の実態と歴史的経緯を理論的に解明するために、第4章において、ア イデンティティ概念を媒介に、個人、集団および国家との関係を整理し、権利としての 国籍取得を可能にする子どもの福祉の実現に向けた理論的枠組みを提示している。第4 章で提示した理論的枠組みを日本の実態のなかで検証するために、第5章では、無国籍 を有国籍化する訴訟などの取組みから、「権利として取り戻す国籍」への転換の萌芽を 見出し、検討を加えている。つづく第6章および第7章において、わが国の無国籍児問 題解決への示唆を得るために、諸外国の有国籍化の潮流を分析し、無国籍児発生防止と 子どもの福祉の実現に向けた国際的な到達点を探っている。まず、第6章では、世界で 無国籍児が発生する背景と発生防止に対する国際的な取組みについて考察し、つづく第 7章では、市民としての国籍取得という観点から子どもの権利条約をもとに、子どもの 福祉の国際的な取組みの変容を明らかにしている。そして第8章は、補論として、日本 における無国籍児の発生防止と子どもの福祉の実現を求めて国籍法改正の可能性に向け た実践的課題を提示し、最後に、終章として、結論と今後の課題を述べている。 今日の社会は、経済のグローバル化のみならず国境を越えて人々の移動と定住化によ る結婚の国際化が進む一方で、開発途上国では、いまだ出生登録制度の未整備の国々も 多い。このため、各国の国籍法の違いや出生未登録による無国籍児の問題が国際的にも 社会問題として認識され始めている。このようなグローバル社会において、国籍を持た ない状態で生活を余儀なくされている無国籍児は世界に多数存在するが、わが国におけ る無国籍児問題への対応は、筆者が明らかにしたように、血統主義を重視した家族ナショ ナリズムによる「与えられる国籍」の思想に貫かれている。そこで、筆者は、グローバ ル化時代に無国籍児を発生させないためには、「与えられる国籍」から「権利として取 り戻す国籍」へという方向を展望し、その実現のためには、個人としてのアイデンティ ティを基盤に市民としてのソーシャル・アイデンティティと連帯し、運動を広げながら 国民としてのナショナル・アイデンティティを取得するという筋道を描いて国籍法改正 を迫るという結論に達した。 本論文は、先行研究が少ない無国籍児問題に社会福祉の視点から先鞭をつけた研究と して高く評価できる。今後の課題としては、国籍法という法的視点と子どもの福祉の実 現という福祉学および社会学的視点を実践場面でどのように融合すれば無国籍を有国籍 化できるか。本研究の成果の有効性をあらゆる場面で検証し続けることが課題である。 なお、本論文は400字詰め原稿用紙に換算して、699枚、頁数にして194頁に達する大 作であり、力作であると同時に、文献・資料の厳密な精査に加えて論理展開も堅実であ り、論文全体は極めて独創的である。 よって、本審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに十分値するも のと認める。