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第九回 文学史②:「小説」

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第九回 文学史②:「小説」
第九回
文学史②:「小説」
【参考文献】
・ 倉 石 武 四 郎 『 中 国 文 学 史 』 (中 央 公 論 社 、 1956 年 )
・ 倉 石 武 四 郎 『 中 国 文 学 講 話 』 (岩 波 新 書 、 1968 年 )
・ 吉 川 幸 次 郎 、 黒 川 洋 一 『 中 国 文 学 史 』 (岩 波 書 店 、 1974 年 )
・ 興 膳 宏 編 『 中 国 文 学 を 学 ぶ 人 の た め に 』 ( 世 界 思 想 社 、 1991)
・ 志 村 五 郎 『 中 国 説 話 文 学 と そ の 背 景 』 (ち く ま 学 芸 文 庫 、 2006 年 )
・阿英著
飯 塚 朗 他 訳 『 晩 清 小 説 史 』 ( 東 様 文 庫 、 1979 年 )
・ 九 州 大 学 中 国 文 学 科 『 わ か り や す く お も し ろ い 中 国 文 学 講 義 』 ( 中 国 書 店 、 2002 年 )
・長沢規矩也『長沢規矩也著作集
・宇野木洋
第 七 巻 』 ( 汲 古 書 院 、 1987 年 )
松 浦 恒 雄 『 中 国 二 〇 世 紀 文 学 を 学 ぶ 人 の た め に 』 ( 世 界 思 想 社 、 2003 年 )
【序 】
・『 莊 子 』「斉 物 論 篇 」「“ 小 説 ”を 飾 り 立 てて 、県 知 事程 度 の 小 役人 のご機
嫌を 窺 う よ うで は 、 大 きな 到 達 は 望め な い 」
→「 つ ま ら ない 価 値 の 言説 」 → 戦 国時 代 遊 説 者へ の 批 判
・『 漢 書 』 「芸 文 志 」 の「 小 説 家 」
:「 口 頭で 語ら れ た 価 値の 無 い 言 説は 、内 容 の如 何 を 問 わず 、み な“ 小 説”
と称 す 」
(一 ) 、 六 朝志 怪 小 説
しる
・六 朝 「 志 怪」 : 「 様 々な 怪 異 を 志 す」
・魏 の 文 帝 (曹 操 の 長 男 ) の宮 廷 サ ロ ンか ら 発 生
cf.『列 仙伝 』
※当 時 は 歴 史資 料 と 看 做さ れ る → 「事 実 」
そ う じ ん き
こ う き
い え ん
・干 寶 『 捜神 記 』 、陶 潜 (? ) 『捜 神 後記 』 、 劉敬 叔 『 異苑 』 、
さ
い
か
い
き
東陽 無 疑 『 齊諧 記 』、 呉 均 『 続斉 諧 記 』
め ん こ ん し
みょうしょうき
・劉 義 慶 『 宣験 記 』 、 顔之 推 『 寃魂 志 』 、王 琰 『 冥祥 記 』 →仏 教 信 仰
・王 浮 『 神 異記 』 、 王 嘉「 拾 遺 記 」→ 道 教 信 仰
たいへい こ う き
※六 朝 「 志 怪」 の 多 く は滅 ぶ → 北 宋『 太平 広記 』 か ら の復 元
(二 ) 、 唐 代伝 記
こ き ょ う き
・王 度 『 古鏡 記 』 :妖 怪 の 正 体を 暴 く 鏡 につ い て の 話
ほ
こう そうはく えんでん
・作 者 不 明 『 補 江 総白 猿伝 』: 主 人公 の 不 可 思議 な 白 猿 の描 写
ゆう せんくつ
・張 文 成 『 遊 仙窟 』: 六 朝 風 の四 六 文 = 六朝 時 代 の 雰囲 気 を 残 すも の
1 →中 国 で は 早く 滅 ぶ が 、日 本 に 伝 わり 奈 良 時 代か ら 歓 迎
・唐 大 暦 年 間 (766-779) 以降 :
ちんちゅうき
沈既済『 枕中記 』:黄粱の一炊の夢に人生のはかなさを悟る話
陳 玄 祐『 離 婚 記 』:結 婚 を 許 さ れ ぬ 男 女 の 女 の 魂 だ け が 男 の 下 へ 出 か け 、子 供 を 生 み 、
再び家に戻り肉体と一緒になる話。
なんかたいしゅでん
李 公 佐『 南 柯 太 守 伝 』: 主 人 公 が 不 可 思 議 な 国 を 訪 れ 、結 婚 、出 世 し 、や が て 戦 争 に
敗れ妻も死に、もとの国に戻ると、実は一日も過ぎていなかったと
いう話。
りゅうきでん
李朝威『 柳毅伝 』:主人公と龍王の娘との間の波乱万丈の物語。
楊巨源『紅線伝』:当時の節度使の専横と暗殺の流行を踏まえた剣侠小説。
おうおうでん
元稹『 鶯鶯伝 』:良家の子女の恋愛物語。
か く しょうぎょくでん
蒋防『 霍 小 玉 伝 』:妓女との情愛を述べたもの。
り わ で ん
白行簡『 李娃伝 』:妓女との情愛を述べたもの。
・執 筆 者 : 科挙 試 験 経 験の 士 人 官 僚層 。 文 体 :素 朴 な 「 古文 」
※韓 愈 の 文 体改 革 以 降 の時 期
(三 ) 、 宋 代の 展 開
・北 宋 の 都 開封:官 僚・商 工 業 者 を主 と す る 市民 階 層 に 実質 上 の 社 会運 営の担
い手 が 移 行 →生 産 力 の 向上 と 商 業 経済 の 飛 躍 的発 展
が
し
・「 瓦子 」: 盛 り場 → 大 衆 演劇 → 「 説 話」
は く わ ぶん
・ 口 語 の 文 字 化 → 「 白話 文 」 の 誕 生 → 「 説 話 」 の 流 行 と の 一 体 化 → 講 談 の 文
わ ほ ん
字化 (印刷 技術 の 進 歩 )⇒「読 む 」た め の「 小説 」の独 立→ 短 編「 話本 」、長
へ い わ
編「 平話 」
せつ さんぷん
※『 説 三分 』 (『 三 国 志 』 の 英 雄 を 語 っ た も の ) → 『 三国 志演 義 』
※『 水 滸 伝 』の 源 流
だ い と う さ ん ぞ う し ゅ きょう
し
わ
・ 南 宋 都 臨 安 、 「 瓦 子 」 の 「 説 話 人 」 → 『 大唐 三 藏 取 経 詩話 』 (『 西 遊 記 』 の
原型)
(四 ) 、 元 代の 小 説
げ ん し ち ほ ん ぜんそう へ い わ ご し ゅ
ぶおうばっちゅう
らく
き
ず
さい
しんへいろく こく
・『 元至 治本 全相 平話 五種 』:『 武王 伐 紂 』、『 楽 毅図 斉 』、『 秦併 六 国
りょこうざん かん しん
』 、 『 呂后 斬 韓 信 』 、『 三 国 志 』
・『 説 三 分 』→ 『 全 相 平話 三 国 志 』→ 明 ・ 羅 貫中 『 三 国 志演 義 』
(五 ) 、 明 〜清 代 の 小 説の 隆 盛
・挿 絵 の 挿 入→ 視 覚 的 要素 の 高 ま り→ 韻 文 的 特徴 の 減 少
2 ・語 り 物 の 演劇 の 題 目 化
『三 国 志 』 『水 滸 伝 』
・明 以 降 、 小説 と 戯 曲 の密 接 な 関 わり 。
『水 滸 伝 』 :元 末 〜 明 初、 施 耐 庵 が作 成 し 、 羅貫 中 が 補 足。
と う さ ん ぞ う せ い て ん し ゅ きょう
『西 遊 記 』:元 の呉 昌 齢『 唐三 藏 西天 取 経 』(演 劇)→ 明・呉承 恩『 西 遊記 』
・明 後 半 〜 清: 一 流 知 識人 の 小 説 創作 。
ふうぼうりゅう
ゆ せ い め い げ ん
け い せ つ う げ ん
せ い せ こ う げ ん
馮夢 龍 「 三 言( 『 喩世 明 言 』『 警世 通 言 』『 醒世 後 言 』 )」
りょうもうしょ
しょこくはくあんきょう
き
にこくはくあんきょう
き
凌濛 初 の 「 二拍 ( 『 初刻 拍 案 警 奇 』、 『 二刻 拍 案 警 奇 』) 」
※ 下 級官 僚 → 思 うに 任 せ な い出 世 の 余 業と し て の 創作
小説 の 社 会 的効 用 を 積 極的 に 認 め 、明 確 な意 識を も っ て も創 作 に 従 事
→文 芸 的 営 為と し て の「小 説」制 作の 再 評 価 →純 粋 な 文 学営 為 として
ほうようろうじん
き ん こ き か ん
の 小 説 制 作 → 抱甕 老 人 『 今古 奇 観 』 、 清 代 に 大 流 行 し 、 ヨ ー ロ ッ パ
に影 響
ごけいしょう
じゅりんがいし
そうせっきん
こ う ろ う む
・ 呉敬 梓 『 儒林 外 史 』 : 封 建社 会 の 堕 落と そ の 腐 敗
・ 曹雪 芹 『 紅楼 夢 』 : 清 末 期 の 一 貴 族 の 日 常 と 、 時 代 の 流 れ に よ る 経 済 的 破
滅と 、 男 女 の人 間 関 係 の軋 轢 、 貴 族階 級 の 没 落を 描 写 。
きんぺいばい
す い こ で ん
・ 『 金瓶 梅 』 : 『 水滸 伝 』 の 中 の 一 部 を 題 材 に 膨 ら ま せ 、 男 女 の 愛 情 ・ 性 愛
を描 写 。
ほしょうれい
りょうさいしい
き
いん
え つ び そうどう ひ っ き
・ 蒲松 齢 『 聊斎 志 異 』 、 紀 昀 『 閲微 草堂 筆記 』
せつ とう
さんきょうご
ぎ
・清 代 『 説 唐 』 、『 三侠 五 義 』
ゆ
えつ
しちきょうご
ぎ
・清 末 の 大 学者 ・ 兪 樾 は 『 三侠 五 義 』 を改 作 し て 『 七侠 五 義 』
きん よう
りょう ぶ せ い
→ 金 庸 、 梁 武生 の 武 侠小 説
あ え い
・ 阿英 著
飯 塚 朗他 訳 『 晩 清小 説 史 』
九 州 大 学 中国 文 学 科 『わ か り や すく お も し ろい 中 国 文 学講 義 』
3 (一)、六朝「志怪」
『易洞林』
。赤い蛇は「妖」である、殺してはならない。ある時、赤い蛇が銅洞符の石の箱
の上でトグロを播いていた。玄英なる人物がこれを取り殺した。その後、果たして賊であ
る徐馥によって殺されてしまった、と述べている。(『太平御覧』巻 885「怪」)
『異苑』
。謝文靜は後府で客の相手をしていた。劉夫人が、犬が謝の頭を銜えて来るのが目
に入った。暫くして行って見ると、謝はいつもの通り。夫人が細かく謝に説明したが、謝
は別段顔色を変えることもなかった。この月、謝は死んだ、と述べている。(『太平御覧』
巻 885「怪」)
(二)『聊齋志異』
・
「耳中人」
たんしんげん
県の秀才の譚晋元は、導引術の篤い信仰者で、寒い時も暑い時も、止めずにそれを続け
ていた。そして数ヶ月行っているうちに、何だか得た所が有るように思うのだった。
ある日、ちょうど足組みをして座っていると、耳の中で蝿のような細い話し声が聞こえ
た。
「会えるよ」
と言うのである。で、目を開けるともう声が聞こえず、目を閉じて落ち着くと、またもと
の様に聞こえるのだ。これはいよいよ仙丹が成就したに違いないと思って、譚は心密に喜
んだのである。
それからは、何時も座っていると、聞こえるので、また話すのを待って返事をしよう、
そして様子を伺おうと思っていた。
と、ある日、また話すので、小声で、
「会えるよ」
と応えると、俄かに耳の中でざわざわという音がして、何やら出てきた様である。細目で
見ると、それは、丈が三寸ばかりの、夜叉のような形をした恐ろしい顔の小人で、床をく
るくる回っているのだった。
心密に怪しみながら、暫く心沈めて、どんな変化がおこるかと見ているおりから、不意
に、隣の人が物を借りに来て、門を叩いて呼ぶのであった。
小人はそれを聞くと、慌てて、穴を見失った鼠の様に、しきりに部屋を回り始めた。す
ると、譚は心も魂も供になくなる様な気がして、もう小人が何処へ行ったか分からなかっ
た。そして、とうとう狂人になり、叫び続けていたが、半年ほど医者にかかって、やっと
少しずつ治ったのである。
1
(三)『閲微草堂筆記』
ある晩、王仲頴先生が屋敷の裏の空地で酒の肴にしようと大根を抜いていたところ、ぼ
んやりと人影らしいものが見えた。泥棒ではないかと思ったが、ふっと消えてしまったの
で、化物(「鬼魅」)だと悟った。そこで声をはりあげ、幽明は路を異にするものという道
理をさとして化物を叱ったところ、竹薮の中から人の声がした。
「先生は『易経』には精通していらっしゃいますが、陰と陽の交代は自然の道理であり
ます。人間は昼に出るもの、幽霊は夜に出るもの、これが幽明の別であり、人が幽霊のい
ない場所に住み、幽霊が人のいない場所に住む、これがすなわち路を異にすることです。
ですから、天地の間に人の住まない場所はなく、幽霊の住まない場所もありません。ただ
相手を侵犯しなければ、共存してさしつかえがないのです。
もしも、
幽霊が白昼に先生の部屋に入ったら、
先生がお叱りになるのは正しいでしょう。
しかし今はもう深夜、場所は空地です。幽霊が出る時刻に幽霊の住む場所に入り、あかり
もお持ちにならぬ上に声もおたてになりませんから、気をつけるひまもなく、ついにお目
にとまってしまいました。これは先生が幽霊を犯されたので、幽霊が先生を犯したのでは
りません。つつしんで先生の前から避けていれば十分でありましょう。それをお叱りにな
るとは、あまりにひどすぎはしませんか。
」
先生は笑いながら、
「おまえの主張は率直だ。今夜はひとまず、何も言わずにおこう」
と答え、そのまま大根を抜いて帰った。
後日、この話を門人にしたところ、門人が言うには、
「その幽霊はものが言えるのですし、先生もこわがりはなさいませんでした。それなら
幽霊の姓名をたずね、その場だけでもおだやかに話しかけられて、地獄・極楽などという
説がほんとうか嘘か、きいてごらんになればよかったと思いますが。それが事物の道理を
きわめる一法となったかもしれませんよ」
しかし先生は答えた。
「それではまた、人間と幽霊とが親しくなりすぎることになろう。幽明が路を異にする
と言えなくなってしまうではないか」(『姑妄聴之』
「河間王仲頴先生」)
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