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78 - 日本森林技術協会デジタル図書館

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78 - 日本森林技術協会デジタル図書館
森林航測
11
JAN。
1970
画
毎−
一一
9
一
一一
ー
轡
本 業技
日本林業技術協会
’
写真説明?晩秋の十和111湖,穀なす錦繍の紅紫も, もう残り少なく,す糸
きった湖の水、すでに冷たい。左に遠く八甲田連峰と,右に遠く三沢平野
と太平洋がかすんで熟える。右手湖畔は手前から和井lノ1,休屋,宇櫛部,
'約】う側に子ノロから流#Lる奥入瀬の渓流が深くえぐれてみえる。
(東北測戯K.K、拠供)
化すればするほど亜要性を期してくるものと考えられる。すなわち社会経涜川
ど幅広い機能を右していあ。そしてそれらの森林のもつ機能は、文明が高度川
るとともに、国民に保健休蕊の場を与え、さらにば野生の鰡獣を保護するなⅢ
森林は、木材を供給するばかりでなく、刷土を保全し、水資源をかん愛すⅢ
調和のある森林施業を
Ⅱ
1
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
心.三一三三二三三三三三三一三三一三三三三三三三三二﹄一三三二三三二﹃三三三二三三三三三三二三三三三三三三一三二一三二三三三三三言ヨーヨ皇三三一三三二一三三雁
Ⅱ
l
l
Ⅲ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
川
Ⅱ
Ⅲ
Ⅲ
Ⅱ
Ⅱ
I
の発達に伴って都市人口が築中化し、産業施設が拡大し、国民の生活水準がⅧ
向上すれば、森林はそのもっている多面的な機能をますます高度に発揮するⅢ
このような森林のもつ各徹の機能は、それぞれの機能が互いに補完しあっⅢ
てばじめて総合的・な森林の機能として股も有効に発揮されるものである。︾﹂側
のためには、まず、森林の実態を的確に把握し、その実態に立脚して、各種刑
機能を十分調和させた適切な森林の施薬を行なっていく必要がある。Ⅲ
幸にわが国の森林は、五年に一回織り返し空中写真を搬影している.空岬
中写真は地表面の忠実な投影図であって、地表耐の実態を正確に客観的にとⅢ
Ⅱ
Ⅱ
山叩
Ⅱ
航跡・.:.
応用写真測量の最近の動向仙
教養編㈹
,:・・正木義治・・皿
・・・↓丸山正:u
44由中中。■
写真で患た日本の森林③..:依田祁夫:幻
森林航測の鵬︵上︶・・::::中山博一・由
森林航測回顧録①
応用編㈲
空中写真入門講座
航空写真による路線選定.:・・・星野大・7
大島太市・・3
森林航測恥沌︵一月号︶目次
へ
質疑畑題..
−2−
航ことを強く要請されることとなろう。州
Ⅱ
川
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅲ
らえているので、森林の現状を分析し将来のあるべき姿を決定すべき優れた
梢報猟であるとしえる。しかし、この悩報源も悩報として活用されてはじめ川
Ⅱ
Ⅱ
てその価倣が発抓されるものである。わたくしたち林梨人は、この優れた悩川
■
、
それらの効用の総和をいかにして股大にもっていくかとLうことが、現在与川
き継いでいきたいものである。燃林のもつ多様な機能をどのように調和し、剛
森林を適正に取り扱って獅林のもつ機能を簸大に引き出し、それを未来へ引川
駆使することにより澗和のとれた合理的な森林計画を樹立し、それに韮づきⅢ
報源を森林施薬の計画、実行の中にシステム的に取り入れ、それを十二分にⅧ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅲえられている社会的要諦にこたえる逆であろうかと考える次第である。︵U︶Ⅲ
l
。
~
q三三一三三三一一三二一三三三三一三三三三三三一三三一三三二三三三三一三三二三三三三三三三三三三三三三三三三三三一三二三三三三三三三三三三一三一三三三三三詞
:
2
23
;
ⅢⅢ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅲ
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Ⅱ吋輌Ⅱ
Ⅲ
皿
川
Ⅲ
Ⅲ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅲ
Ⅱ
Ⅲ
Ⅱ
(1“6)
(1647)
『5『
応用写真測趾は,その名の示すごとく,写真測
篭の技術を使って行なう地形図を作ることをその
般終の目的とするのでなく,その測定が土木,建
1サ
応用写真測量の
築,地理、医学,人類.考古学,気象などの地形
図を作成すること以外の目的に利用される場合は
最近の動向(1)
すべて広い意味で,応用写真測赴と呼ばれている
丸安隆和
が,国際塀典測鯉学会では.その中に七つの研究
大島太市
(東京大学生産技術研究所)
部会が設けられていて,
の部会があり,
1.
一
その一つに応用写真測量
世界各国とも写典測量の応用面の
技術開発の研究に力を注いで、、る。このことは昨
まえがき
写真棚liiといえぼ,飛行機の1二より搬影された
航空写爽を川いて行なう地図作りだけを考える人
が多↓、。即「実航空写rⅧl職は,われわれの仕事の
上に裕接な関係をもっており、写真測最作業量の
99%までが航空写爽測斌と考えてもさしつかえは
な'、程陛である。 しかし写真測量は単に地図を作
年7月に1%Iかれたスイスでの腱I際会議で,過去4
る目的に利II:1されるだけでなく、その地形図や写
真測批の測定結果はその目的に応じ非常に広く各
方面に利用されている。たとえば鉄道や道路の建
設作業のための路線選定計画交通量調査,ダム
応用写真測倣は, したがって,語句の上より解釈
すれば.現在の写典測餓の中で,地理院およびそ
の他の所で地形図を作る目的で行なう写真測量以
外はすべて応ハI写典測鍛に属することになり.非
や港湾の計画宅地造成竹諜計画, さらに都市や
国土計画などに利H1されたり,災害調査や.考古
学調査や.森林や土地利用の調査など,わたくし
どもの社会生活には欠くことのできない貴重な盗
料を提供してL,る。
上述した写〕刺ll戯の利用面は,航空機の上から
カメラを-ド向けて柵影した航空写真を使って行な
常に広範囲なものとなる。したがって4年目ごと
に行なわれる国際写真測温:学会ではそのつど,大
きなおもなる肘職のための魁名を決め,その問題
うのが大部分で. この方法が辱莫測定の主流を占
めて↓‘るが,地上の2カ所から特別の地上測定用
た。
年間のこのiif先部会発表が前回の会議(1964年,
ポルトガル・リスボン市で開催)に比べて非常に
多かったこと.また,活発な討論が行なわれたこと
より考えても.写典測駄の技術を使う利用面はま
すます広まってきたものと考えることができる。
についての研究発表や討職が行なわれている。
日本でlt1964年より1968年までこの国際写其
測蹴学会の応川写典測戯部会の世話を担当し,終
始この写典測仙の面でも活発な活動を続けてき
2.
最近の応用写真測量の傾向
‐
のカメラを使ってメテレオ写真を撮影して精密測
上述した応用写典測戯は,
その扱う測定の対象
定を行なう地上写瓦測駄の技術があるが, これが
は広く、空中.地上写典測量の両方に関連をもつ
非常に広↓,応用範囲をもって↓●て’燈近の測定技
術の話題の一つとなっている。この方法は,カメ
ラを被写体にいくらでも近づけることができるこ
とと. カメラ点を固定できる点で非常な特徴をも
っており,航空写爽ではできないような種冷な測
定をしかも精浩にすることができる.また手を触
れることのできない文化財のようなもので, 複雑
なものであぁとか.短時間で測らなければならな
いもの, また勅いて、、る物体や現象の測定ができ
る点では. 測定技術としてきわめてユニークな方
のであるが簸近は地上写真測撤で取り扱う部面
法であ篇)と↓、うことができる。
が多くなってきているようである。
肢近の応川写興測戯の傾向の概要を知るため
に.過去の鬮際写興測壁学会の応用写真測量部会
でのテーマを紹介して象よう。このテーマを概観
していけぽ. 世界でこの応用写蕊測量の内容の流
れを知ることができる。国際写真測量学会で応用
写真測肚学会を正式に取り上げるようになったの
は1948年のハーグ市(オランダ)での会議からの
ようである。まだ当時は独立した研究部会でな
く,鮒1部会(航法と搬影器材の研究部会)に包
一-一一3−
(1648)
含されてb、た。1952年のワシントンの会議で応川
写真測量部会の設立が認められ、現在のような希
称で呼ばれるようになったのは, 1960年の戸ソド
ン会議の時以来といわれても,る・
そのロンドンの会議以後の応用写真測晶部会の
討議の主テーマを紹介しておこう。
○1960年∼1964年(部会長オーストリー,PrOf,
Hubeny)於リスボン市(ポルトガル)
テーマ(’)電子顕微鏡実体写翼のための鯏化機
(2)アメリカ沿岸測地局の衛星追跡のた
めの方法および器材の検定
(3)ロケット弾道決定のための写真器材
の考察
また測地への応H1、特に人工術星や月にIM1する宇
宙写真測戯は応川写蝿lljd:部会(鮒5部会)から
節3部会(航空三角測1IM>研究部会)にそれぞれ移
されて討識されることになってL、る。したがって
応川写其測壁面での般近の大きな傾向として近接
写冥測撞の器材と測定法に、 各lmとも関心をもっ
ており,また、普通の幾何学的中心投影でな↓、写典
測馳の像解析も、 この応ハI写典測鰍での今後の新
い、測定而の方向となって、、くであろう。助く対
象物の測定は大きな応川写真測蹴のテーマであり
時間軸を入れてデジタルで処理する解析方法が今
後の大きな課凹となって↓、くように思われる。
日本での応朋写真測批の初まりは.大正3年
(4)気泡管室での単体の運動経路の写真
測量による測定
○1964年∼1968年(部会長日本,丸安隆和教授)
於ローザンヌ市(スイス)
テーマ(1)土木工学と産業面への写真測鐘の応
に。
(1914年)に桜島が爆発した際その溶岩流の状
況を調べるのに.地上写其醐l職ハIの経紳儀が使わ
れたのが最初であると、、われて↓、る°しかし本絡
的に応用写真測策が行なわれるようになったのは
第2次大戦後の昭和23年ごろであったと思う。股
初はカメラのキャリプレーシ画ソの爽験より始ま
用
(2)顕微鏡写真測量と近接写真測戯
(3)宇宙と時間写真測量
○1968年∼1972年(部会長フランスカーポネ
り.乾板の解像力テスI、やレンズの性能テストな
どを行ない.その結果よりダム地点の大縮尺1:
500またはl :200の地形図を作り,ダム設計の
ル技師)於オタワ市(カナダ)
テーマ(1)近接写真測量用のカメラとそのため
の図化磯の諸問題,特に極近接用カ
質料として使用した。佐久間ダムや黒部の館4ダ
メラのキャリプレーションの問題
(2)普通の幾何学的中心投影像でない写
真測鎧の応用たとえばホログラフ
ィー.テレピジ霊ン. レーダー赤外
およびX線による像解獅
(3)写真測鎧の応用測定面での解析法の
研究
(4)動く対象物の写真測堂(この問題は
1970年の9月にパリで行なわれる国
際写真測量学会第5部会「応用写真
測量部会」の討議の主題である)
この討議の主題から鐙近の応用写真測量の傾向
の大体を想像することができる。 ローザンヌ市の
会議での主題であった土木工学への写真測量の応
用,特にデジタル・テレン・モデル(数値地形)
の利用についての討調主1972年のオタワの会議
では、第4部会すなわち地形図化の研究部会に,
−−−・
ムを初めとして職後作られたおもなダムの大締尺
の地形図はこの地上写爽測雄の測定によってL、
る。また写其測蹴を使えば近づくことのできない
場合でも測定が可能であるというので.利縦川上
流の須田貝ダム建設のための陳石l」」の岩石掘削戯
を算定し工辨趾をチェックするためにこの地上写
真測戯を使ったり.大井川上流奥泉ダムの述設後
の洪水時のダムのド流地区の岩熟の捌削の経年変
化を調べたり. 火力発電所の露天の貯炭趾の検燕
や.四顧土縦線での国鉄沿線の地すべりの調査に
使ったり,最近では,ダムの集水地域での土砂肌壊
地の調査に使って定備的な観測を行なってL、る。
最近近距離写真測鐘剛のステレオカメラが開発
され. 2台のカメラをシンクロナイズして搬影で
きるようになったので, ある一定時間州隔で搬影
すれば刻を変化する被写体の状態を3次元的に定
戯化することができる。この利点を利"Iして,間
速で走る〃イヤの変形をとらえたり,波の実醗や.
川の流れの実験の実測に有効に使うことのできる
‘1----
臼司
(1649)
ことは広く知られている。したがって気球の測定
や海上の船舶の巡動位股の測定に使ったり,ヘリ
コプターの上より地上のある狩定の交錐点の交通
の流れを.普通カメラを使って調べたり. また特
殊な応川として2台の飛行磯を使いリモコンの無
線操縦による自励シャー'一でシンクロナイズし
て海流の巡勅を調べたり, また器風I:IjO般中の河
川流の運動の状態を飛行機で鯛恋して↓、る・また
人工なだれの実験で.なだれの物理測定の方法と
してそのために改造した2台のステレオカメラを
シンクロナイズして使川して、、る°土木雄築での
模型実験で動いている物体の測定などに右効に使
一
うことができる。さらに自励』liの醐突実触の現場
をステレオで撮影し、その簡突時のデーターを実
験の解析データーとして使うことができる。また
風洞内の振動実験の測定にも使うことができる。
大規模な模型実験の例としては. 代々木のオリン
ピックの総合室内体育館のl/3()の棋型のlliり腱
根の各荷亜時のひずぶ測定がある。また昨イドのI 1(I
際会厳に提出したH型鋼の樅型実験のひずみ1111定
も興味ある実験であろう。またI側鉄研究所で実施
したラーメン型の鉄'│11・コンクリートの鉄逆柵のIWj;
角部の変形を洲べたり, 卜1本鋼幡で開発したシー
トパイルの中側に土蝋した勘合の変形を写典測定
の方法で湖くるなど,その例は数え為ことのでき
な↓、くらいである。
複雑な形をしたものの実測は非糊に時IMIがかか
り困難であるが,写真測蹴の方法を使えば,どん
へ
なこ熟入った形でも系統的に追跡すれば比絞的楽
に測定でき,特に姫子計算機との細承合わせによ
りその表而裁や断面職また休職の郷定をすること
ができる。これらのことより仏像の測定や,人柵
の顔,建築物のデテールの測定にも利川された。
写真測逓を使うと現場で行なう作業か比較的伽単
で短時間にできるので,時洲的制約をうける外地
の調査や発掘作業,さらに交通小故現場の見取り
図の作製に使われる。これは交通混雑をさけるだ
使い腎臓内や心職内の血管の測定をしたり,顕微
鏡写真を使い脳細胞の組織を調べたり, W内を調
査するガストロのステレオ写真をとり,現在測定
の方法を開発中である。また眼底の測定.歯科で
抜歯した場合の顔面の形状変化など医学面での写
真測馳の利剛も次第に実施されて、、る。特に顕微
鏡写真の測定への利用面は多くなって、、くばかり
で'数ミクロンと、、う極微の測定も可能になった。
また顔や人体の測定は人類学,人間工学.衣服椛
成学のうえにも役立てることができるようになっ
てきた。
近接の写真測量川カメラと図化機が開発され新
しい測定面が開発されつつある。この近接測定川
カメラは. 日本ではもともと交通事故現場の測定
川として開発されたのであるが,最近は刑事現場
の調査にも使われ出してきている。そのための韮
線の短い40cmのステレオ・カメラも現在日本で
設計され近く市場に出ることになっている。
写典測爺の応用として、土木工学への応用や,
デジタル・テレン.モデル(数値地形図)の利川
の面が考えられるがその埜本的な考え方は,非備
に広も、利川の範囲をもっており、討議の担当が汰
回の国際会議より第4部会(地形図作製のための
部会)に移ったのであるが,土木での路線選定,
土地造成,貯水量の算定.災害の調査に利川され
るばかりでなく,広く今後応用写真測量のオIに,
その目的に応じてますます取り入れられ、利附さ
れてL,くであろう。
デジタルな地形表現は,
、、つでも自動的にアナ
再グの地形図表現に変換させることができるの
退こういう自動地形図の作製も今後行なわれ,
従来の地形図を改良してデジタルなデーターを入
れ,その目的に応じてライソ・プリンターに打ち
出したりして使L,やすくしたデジタル.マップも
使われてL、くであろう。
写爽測遥の応用面は上述した以外に. まだ無数
の利川の可能性をもっており,非常な楽し黙であ
けでなく,事故調査中の警察官の人身小故を未然
るが,写真画像を使うという点で自然とそこに必
に防ぐこともできる。
総的な制約を受けて、、る。しかし問題は. この写
自動車工業のモデルの線図化に写典測賦を応川
し,新車のできるまでの時日の短縮を側ったのも
真測鐙のテクニックがどんな方法で, どんな騎度
で実際面に使われても、るかまたどんな点がその
場合問題となってきて、、るかということである。
最近の利川│附発の一つである。レントケン寧典を
・−−.−.
5−−-一
(1650)
こうした写真画像のもつ限界を十分に券噸して,
、御…′/
それに応じた利用の逆を開拓して、、くことが大切
であろう。また写真画像にかわってX線やホログ
ラフィ,テレビ. レーザー.赤外などの祗磁波を
利用して電気信・号で取り出して測定耐iに利月Iする
分野もすでに行なわれているが,新しい測定分野
OmSO8
OoSO,
r班jりん盤溌&ノ
、/
震
として注目を受けている。したがって.写真測鍬
は今後広い意味で画像工学の中の1分科として.
ますます発展し利用されていくであろう。
3.
b]偶j岻瀞鋼
a) 1Kメ0蝿彰iノ
]BS(g
図−1地上写真測餓の撮影法
撮影の方法と使用器材
応用写真測鼠の場合は,その測定の対象と要求
される糖度によって. 使用器材や方法もいろ、、ろ
である。航空写其測趾の方法はすでによくご存じ
のはずであるので,地上写其測m:やその他の中心
投影像でない場合の測定の方法と使ハI器材につ、、
て簡単に説明して象よう。
3−1地上写真測避の撮影の方法
地上写典測赴の場合も,航空写真測批の勘合と
同じように、 2カ所より縦影した写典が必要であ
り、航空写興の搬影刺lは,拙通下の方向にむけて搬
られるが,地上写爽測瞳は,地上に間定した2カ所
よりのカメラから普通搬影軸を水平にして搬形さ
れる。その場合航空写典の場合と逆ってカメラ位
れん撮影である。
(a)は普通に最も多く使われる方法で,搬影
点0I, 02を結ぶ撮影基線に対して. カメラ軸を
水平かつ直角方向に向けて平行撮影を行なう方法
で.直角撮影と呼ばれ,図化計測の切断面は撮影
雅線と平行な平面で決定される。 (b)は特別な
場合に使われ,撮影蕊線に対して, カメラ軸をあ
る特定角度だけ左右に振って,平行撮影を行なう
もので偏角撮影と呼ばれ, カメラによっては任惣
の角度に振ることができる。その場合のカメラに
はトランシットのような角度を正確によむ装臘が
ついてb,為。 (c)は互いにカメラの光軸を交麓
させて撮影する方法で. このようにすると撮影韮
るトランシッ1、のような方向を定める装1世がつい
線侭が長くなったと同じにな為ので商い緒度が符
られる。その場合の基線に対する光軸方向は正碓
ているので,両方のカメラIMI係位悩も測定できる
に測定しておかなければならない。
ので,あとの図化や測定の処理は普通の航空写典
動かない被写体の撮影に対しては, 柑当時間を
かけて露出することもできるので超微粒子の乾板
を使い,デテールまで再現させることができる。ま
置が固定されており,被写体との関係位│趾を決め
の場合よりも簡単である。カメラは三脚の上に1
個のカメラを固定した単一型と, 2側のカメラを
ある一定距離離して固定したステレオ型とあり.
た2カ所で同時露出をすることは必要な↓、ので単
それぞれの目的に応じて使い分けられている。単
一型が主として使われる。しかし地上点で水平撮
一型の場合には,他の三脚上にクーケッ l・ (標識)
影をすると、、うので.撮影範囲に対して地形的な
を置き.それをカメラの上に固定されているI、ラ
ンシツ1,のような視準装世で視準して、両三脚点
制約を受けることがある。また被写体までの距離
が比較的短いので,撮影の際死角部分を生じたり,
を結ぶ撮影韮線に対する搬影方向を定めることが
撮影されても実体視の困難な場合も起こりうる。
できるようになってL,る。ステレオ型は普通一定
したがって計画をたてる場合は.被写体の状態,
長の基線に対して両方のカメラ軸が直角になるよ
うに固定されており,締慌水準催でカメラ軸を水
平にして撮影するか, また一定の角度上下方向に
傾けられるようになったものもある。撮影の方法
は,次の図−1に示すように3通りの場合がある。
すなわち(a)直角撮影(b)佃角搬影(c)収
その要求される精度を考慮して.
それに応ずるカ
メラや搬影方法を決める必要がある。被写体によ
ってはハレーシ言ソを起こし実体視の困難な場合
があるので,撮影方向を考慮したり,場合により適
当に被写体に吹付けをしたり, またあらかじめ別
途に作製したあるパタンを投射する場合もある。
−6−
一
(1651)
。‐00.8100110陣一・DOU1IIIIO 函Iリ11111,,-勺11111BOD・・■己lIIIlGco0Ip白ID。。q・0111戸■0...011111戸一・11ⅡBI1II睦
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『
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路線.琴定
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言旨
=吾
言
、P
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。
〕
L
ー
茸
けである。
(1)視産梛正図作成手順
a焦点距離Fの決定
使川した写真上に映像されてLる数値に引
三
=
星野
n=
大
言
Fと
(前橋樹林局・坂下営林署)弓
己
き伸ばし倍率を采じて熊点距離とした。
巳
二
呂
呂
二
b撮影il.I度Hoを決定
使州した写真上に映像されて、る尚庇は,
飛行場の標高をOmとしての【胃i度なので,表
−1のとおり計算修正した。
!
H・・I■戸¥ロ・・・‘,109F陣,・・・‘IIlII彦一・・D111IU11--0IⅡ11011,-=IIIlII0・・・一口IOO1l,、..。■餌08....,$■ロ‘。..,叩f
1
はじめに
林道の投資は”流域全体の効率を考えながら,
挫用もできるだけ安く仕上げる方法を選定する必
要がある。このコメトを左右するものは、路線の
選定と工法であるが特に路線選定の適否が、、ちば
ん林道の投資効率を左右する重要な要素と考えら
れる。従来この路線選定は踏査によって路線の概
略を決め,実測を行なってL,たが, この作業を空
中写真を利州し,写真上で選定した路線を現地で
確認することによって.
最終的な路線の決定がで
c鎖の縮尺Sの逆数
骨幹鎖をマイヲー1二に組み,三角点によっ
て襟定し鶚-7,i,4という縮尺&W:luし
た。
。主点垂線長b
マイラー上のC84∼C86の主点壁線長を測
定し, 12.5cmの値を符たC
e搬影韮線長B
SxbおよびF×Bの公式により計算して
きることIま.周知のとおりである。
そこで高田営林署予定路線個所のような熊笹の
滞生している流域にこの方法を採川した場合.
どうであるか試象に調査をして砿た。
2. 調査の概要
一
作業手順
引き伸ばし写真を立体視して,机の上で鹸終目
標地点を打ち合わせ検討のうえ”予定路線を写典
上に記入した。次に視盤袖正図を作成してイlli正図
により標高距離を測定予定路線を決定したわ
胃
5
a
ー
』二
3.
(1)場所
新潟県中頚城郡妙高高原町杉之沢八貴山国右
林50林班内
おのおの0.125×7,414=926.75926.75×
0.520=481.91を得たo
f韮準点の薬師岳, IXI根点ゞ赤尾岳, 8a8
c8dは5万分の1地形図と写真を対比し,
明瞭な地点を選定し, hは5万分の1地形図
上より、その地点の標高を読単とった。
g Ho-hは(Ho)-(各地点のh)により算出
(2)林道名
したo
昭和41年度杉野沢林道新設予定線
h PixP-;器を各点ごとに計算し,(P)
(3)廷長900m
は反射鏡式立体鏡を使用して,各地蝿の視差
を視差測定梓により測定した。この作業によ
り計算した結果は,表−2視差補正曲線計算
(4)調査の方法
引き伸ばし写真と5万分の1地形図の組皐合
わせによる方法で行なった。
(5)使川器具ならびに材料
反射鏡式立体鏡視差測定梯,
表のとおりである。
ものさし,
ト
i
視差補正図
テープ、ポール, 〃、ン
マイラーを写真の上にのせて韮準点の位
ドレベル,マイラー,鉛筆,および5万分の
置を交会法で透写し,各基準点の位置に視差
補正1I11線計算表のP-(P)の数値を記入し,
ラソシット,
レベル,
1地形図。
−7−
(1652)
113.
】】3
112
鍵
112.
111
11
=彩哩
逼塞坐!
僖霊霊
、
、
炉〆
王
叙
『一
C8-
e
一
=
’
==旨====
一
−
ゆ=二
−
、60
107
鮎
蔀M#糾憩
’一一
106.00
70
叩5
一
108.00
7一
一一
歪
F舐
雰”
∼
∼
一一
∼
105.5
105.
104.77
視
錐
Ⅲ
正
図
各基準点を直線で結び各韮蝋点間の達を0.1
当す為'蝋であるかどうか,その測定を皮復し
で除し’直線を按分し,各按分点を匝線で結
んで視差補正図ができるわけである。
て’規陛内に咳当するよう修正しながら決定
した。また距離につし、ては,決定した主要地点
をマイラー上で交会法により求め, それを測
り'縮尺を乗じて卯出した。その結果は主婆地
(2)予定路線位隠および測定地点の高さ,距離
の決定
点の表−3梛尚距離測定表のとおりである。
この予定路線個所は上信越国立公圃内で自
然公閲区域雛2樋特別地域の制限があり,逆
路から両{lll1OOmは杵伐できないことになっ
ている。そこで予定路線位慨決定にあたって
は'写真を立体視して立木密度,伐採戯,林逆
4. 現地調査結果との対比
航窺堺爽│:で測定した主要地点の糀唆を検定す
るために,が典上の主要地蝿を測地で確認した。
この確剛の方法は写典を血体祝しながら
iljj味な
なわち立木密度の多い個所を通過した場合は
工叫F費が燗すので,ゆるい中腹を選んだわけ
である。写真上に記入した主要地点の猟臘iは,
点すなわち平而から見た愛化点と.横断面から見
た変化点の交点を選定し,交会法によって, この
地点と主要地点の距離をあらかじめ郷出し,現地
で前記の交点を発見,距離を測定して決定した。
実測はトランシッ,.、 レベル,ハンドレベル,テ
視差柿正図を利用して,林逆規程の勾配に骸
ープ,ポールを使ハ'し,距離は起点をOm,満さ
までの搬出ならびに架橘地点を券えながら,
横断勾配のゆるい中腹を主要地‘1臘とした。す
一--−−.8−
an
(地図
排瞥;聡?柵
主点からA、Bに
垂線を下しその点
から標高の高い点
「鷺 :
Bの
hb-11a=Ah
5.256
7,414
926.75
481.91
縄│躍副P-(P) 術考
0.154m
基準点h(標高)hO-hm
H・皇H冨鯛mn,
1.4610m脚恨点
1,801.7m薬師届(三171点)
0.125
F・B
点点
角定
lUf
ha
ぴDQb
0.520
B(Sxb)
一a毛且
ワ︼グー
高い
P4
x0.039m=
1,950m
距難)高度)
三標
I
!
1
4
FDo︾
■
3匿0
5
1
11
0
5
9■7
◆
点地
までの長さ
低、、 鵡準
Aの 標高
F(無点Ho(撮影
図のA.Bの距離
蟹線長
A.Bの
0.281m
P
b
さ
S
長
〔1653)
表−2視差補正曲線計算表
鋲の縮尺
炎−1雛影商度禅定表
写雍A.Bの
l
主点
I
1
の逆数
●
薬師岳
1,801.7 3,4劃.3139.51
図根点
1,461.0 3,705.0126.99
赤尾届
1,442.03,814.0126.3318.7q107.65三角点
340.7m
ロ
408mm
1:i-0.520n'
ー
G.F+A1'・P2
一一一=一一−一=
撮影高度を
(A韮地面)HA
P
11950×0.52+“0.7×().154−
0.281
3,795.3
■
8
a
8
b
,3.,0h06.3d漂定点
1,240.04,016.9120.00 蒟了03,06.95
8
c
l#260.0 3,996.0120.6013.951106.65
1,220.04,036.0119.40
|″″
焦点距離F
fximifim=209・06x
’
8 d 1 1,300.03,956.0 1218217.051104.771 "
撮影商庇HA+11a-3,795.3+1, 」161.0
、
“
;
再
麺
函
一
‘雨│撒鶚 顎
'3.41'07.741'21=''
3,978.
M皿辿
一岬7
13.60107.81121.41
言7”J
11
4J4
j
10113.59107.90,121.:10
は前年度終点の関係から起点を59.77mとして距
×0
×0
:農│鴬│諾:
〆
岬唖岬魂一岬﹃
辮諜裳
25 3,975.q1,281
3,975.
31恨典1,461.0,1
離
120.63
幽幽︾
、
l
距
113.23106.87120.10
幽軸祠
_L
h=
標高
‘蝋…
鴬│雛
5雨│哩型120.76
7
l
~
’−3.
○○○□
ノ
鰕鴻鋤
卿御一P
M1,WIWI
No
スイスウィルド会社RC5a型カメラ
脱行畑腿
主要
地点
凸卯
1舶川1
1冊
針水;純(MIIFI;1l
菱−3主要地点の標高距離測定表
=5,256m
l↑
(標商Om)Ho
離と高さを測定したが,実測の場合,測点間は直
線では測定できず.写翼上の主要地点の間にPを
7点多くもうけて測定した。その結果は表−4測
定価比較表のとおりである。
写真を利凧した場合と写爽を利用しない場合の
経費比較は,地形,熊笹の慌生状態が過去のもの
とほ陳同一なため,過去の実綴の数値との比較で,
正確とは考えていな↓、が, 日安として計上した。
その結果は表−5経饗比較識のとおりである。
5.
考
察
以上述べた作業によって測定した蒲度は,各測
点の平均誤差0.77mという非常に良好な結果を得
た。また路線の地錐平均勾配は,実測値5.19%,
写真による測定値5.23%と大差のない数値で,
その緒庇は3千分の1である。
距離も実測値900m,写真による測定値897mと
大差のない数値で,糖度は3百分の,でああ。これ
-−−−−9−−.−
戸
マ
80.77
84.95
84.77
87.83
87.77
90.63
89.77
97.77
99.99
100.77
104.21
103.77
105.44
105.77
106.48
106.77
900m897m-3m
最大誤差
最小誤差
0.86m
精度
l/3,000
最大誤離
殿小誤差
緋
度
内紫人件鮎il引伸写真
子
測
捌正
張
旅
慨
その他材料
;I.
101,5501
1,550
3.011,5501
,:0「,,{I ‘1,650
8;,9。
3.01
イ'鱸,
645
19,990
地縦が明確におさえられたことと,写真上の起点
ただ写真上で立木密度が多く樹冠におおわれて
いる個所に,橘梁架設などの椛造物を設磁する場
と現地の起点が大差なかった結果と考えられる。
合は,架設地点の地形がはっきりつかめな↓、ため,
は現地の起伏が少なく立木密度も紐で,写典上の
実際写真を利用してみて.わたくしrl身感じた
点について述べると,写真による路線選定は.利
用区域の森林の実態すなわち地形,林相、林木の
生立状態が完全に把握でき. しかも各zIF業との
打ち合わせ検討を立体視しながら行なうことがで
きたので.流域全体の分野から見た路線が得られ
たと考える。写真上で決定された路線の実測を行
なう場合,前もって写真上で選んでおいた地形,
地物を確認し、 そこからの距離測定を行なうこと
で現地での再現は十分可能である。したがって従
来の路線選定のように現地踏査によって林柵地
形,林木の生立状態を把握する必要はなく.写真
をもとにして計上した勾配を利用し,
一
ー
0.06m
視差測定
7
0_77m
mmm
813
ノ
平均誤差
予定路線記入
1.0
J
97.27
視錐補正図
作
製
日数l ilil,ii金額
0
0,0
540
50
5−
り5
︼8
0
80.8‘1
計剛汕附
,
73.77
[ヨ数iit価金額
6
60
J3
,5
,8
j
#1
4
1
1
19
21
駒鋤釦Ⅲ
74.50
作推m11
5459
1
1
62.77
写典によらな↓、
路線選定綴班
区分写真による路線
選定継践
5555訓叫︲lql州ⅥlOI0
59.77
63.10
炎−5級曲比較表
■1
●0
&0●3●
0
3の
1●
り■
︼昼
1
59.77
03
3
7
8
6
6
0
8
4
3
9
3
7
0
1
0
8
5
7
4
3
2
●0
■0
■0
●0
●0
●0
e0
00
Q0
今▲
0
0
一一一一一一十十一十十
る測定値
十0
一8
十6
一6
一6十7一
の峠0080
1一
3
実測値 写真によ 岐差
く倒測l008002644797
離一蕊蝿“6Mm加5廻77653
No.
(m)
1局
値000000000000
地点
標
実
主要
距測6Mm加6皿88664
表−4測定価比較表
0123456789011
1
刃
(1654)
ハンドレペ
ルで.いきなり勾配測最を行なっても.竿真上で
現地で再確認の要があると思う。また写寛を立体
視して,視差測定を行なう場合、温度.湿度の変
化によって測定値が違ってくる心配があるので.
視差測定作業は同一条件です薙やかに完了させる
要がある。写真利用のうちで今同使用した概略縮
尺8千分の1,正確には7千4百十分の1の写真
では横断地形の明確な測定は望めな↓ので,現在
より精陛のよい少なくとも4千分の1の引き伸
ばし写真を備え.横断地形も机の上で測定し,比
較路線の検討,慨算経費の算出ができあようにな
れば.写翼利川による路線選定の効果がL,っそう
向上すると考える。
6おわりに
本調査を実施するにあたって
航空写真測鼠テキスI、
中幣隈武夫薪
森林航測概要
中島
巌薪
航空写真による典巡材作業設計伽
正之薪
を参考文献としたのでお知らせするとともに.
決定された路線から大幅にそれ為ことばな↓、と思
われる。経費においても海田営林将の予定路線個
所のように熊笹の密生している流域では.踏森の
ため見通しをよくするための伐開が必要なく、路
線沿↓、だけの伐開でことたりるので節減できると
今後大、、に写真利用による路線選定をお勧めする
思う。しかも現地での踏街作業が楽である。
次第であぉ。
−10−
‐
(1655)
一一蔀・−一
朝鮮総督府山林部の森林調在、そして木牌御料
太は, まだいずれの領土とも決まらず,わずかの
原住民が漁業を営む寒冷未開の地にすぎなかった
のであるが. 1635年(寛永12年)日本人が初め
てこの肋に上陸し,縦いて1651年(慶安4年)に
蛎崎伝右エ門が探検するにおよび.その後も松前
聯ばしばしばこれを踏森しており,1790年(寛政
2年)にはシラヌシに庁舎を建てて藩士を駐留さ
せ.奥羽地方から出漁する漁民の保護や,原住民
との交易にあたらせて↓、た。
18()5, 6年(文化2, 3年)と露人が渡航し日
本人擬拠地を襲ったことなどにもより,幕府は北
辺防鮒のため,函館奉行に直接支配させ. 1808∼9
年には.間宮林蔵,松田伝十郎を派避してこれを
本緒的に探検させている。
数理,測賦学を伊能忠敬に学んだ間宮林蔵が,
維太は半酷でなく島であることを確認し、 シーポ
ルI、によりIMI宮海峡の増が世界に紹介されたこと
は布絹である。
林の判読調査と. ようやくわが国にも空中写典の
林業への応用実例が身近に現われ,その報告レ
ポートなどは.当時の林業界にかなりの刺激を与
その後, 1854年(安政1年)日露和親条約で日
雛の共同領有が決められたが, 75年(肌治8年)
緋太千崎交換条約により. 朧太全島がロシア領と
えている。
なったのであった。
空中写真入F 弓講座
■巳
且。
教養編(10)
わが国の
森林航測の歩み
丸山
正
(日本.林業技術協会・検在部長)
樺太における撮影と森林調査
(1)その環境
しかし.
これら幾つかの調燕は.本絡的な森林
航測というにはまだほど遠く,それはたまたま所
轄森林の一部が空中写真に恵まれ,それまで文献
などによって知るだけだった,空中写寛による森
林調査の方法を,一部の学究技術者による新しい
=
試象として行なわれたものにすぎなかった。
だがそれは.空からの森林の相貌をいながらに
して見るという,なが、、林誰人の夢がかなえられ
たものとして, なお. これが身近に実駄されたこ
とによって,新し↓森林調識方法の技術l)W拓とし
ても大きな懲義があり‘ 次のこの椰太における叶
画的な撮影に実を結び. さらに満州のあの大規模
な森林航測酬業に花咲く結果ともなって↓、為。
×
×
そのあと日鱒戦争後のポーツマス条約(1905年)
により,北緋50.以南が日本領となり,1945年(昭
和20年)対日宣戦とともにソ連はこれを占領し,
51年(26年)サンフランシスコ条約によってふ
たたび全勝がソ巡領土となったのでああ。
1875∼1945年のロシア領のとき, 再シアはこれ
を強制移民によって開拓しようとしたが,ほとん
ど成果があがらず, 1905年北紳50.以南の南樺太
が日本領土となるや,日本は豊原に樺太庁を置き,
パルプ,製紙,水産,農業の開発とともに,それ
までせっかくの寒淵美林が山火,虫害によあ大被
;』fのほか. IIN猟に鍋を階りた利椛伐採などと,や
や野放図な状態にあり,その林業経営にも本絡的
に災り出して1,る。
×
ここで樺太の搬影と森林洲森の内群に人為前
に,今ではすでにソ連領土(ロシア共和脚サハリ
g/Skhalin)である樺太について少しふれて染た
い。
日本の古い記録に初めて樺太の名前が出てくる
のは1485年(文明17年)である。そのころの神
その後も拓砿優先の政策から,林業経営は一時
縦牲的な血場におかれ,乱伐のli"IIもあったが.
昭和5年(1930年)に至って懸案の地方林政の独
立を象.総いて7年には、林政刷新が断行されて
、,るo
‘ら上うど維太の恋林撮影はこの時期に行なわれ
−11−
(1656)
ている。
30。
っている、
×
×
続いて昭和6年
×
昭和5年3月ごろ,今見掛技師が南洋庁から寒
沖校を主に所沢飛行
い樺太庁に赴任して来た。
簡易施業案完了後の臨時検訂にはその人員,経
費とも少なく,なかなか進捗せず,
(1931年)にば下志
なお林政確立
うけ,
前年度撮影
│X域の南,落合,小
いう状況にあった。
能登呂までと、北に
このとき赴任そうそうの今見技師は、 さきの朝
鮮木曽御料林などの実例にも刺激され,空中写
典を撮影してその土地利用区分の調査と,施業案
の編成調査にこれを利用することに着Iヨしたので
幌内川以西国境叢て
9,220km2を6∼7
18・
−久.尚lql
l
MlIIl
『新制
一
このとき撮影のた
め内地から空輪中の
その当初は予算もなく, もちろん庁内には1人
の経験者もなく(今見技師も)文献をたよりにま
ったく五里霧中の状態であったらしいが, 当時の
県長官の同意を得てその実施に踏象切って、、る。
他の課から予算をかき集め. よけいな仕事をす
飛猯機が,北海道上
あものだとずいぶん恨まれたりもし,飛行隊との
交渉やら,島内に飛行場,不時着場などの建設な
どいつさ↓、自分でこれを担当し, まず初年度の搬
影を終わって、、るが、その結果は意外に好評を博
し、股も恨んだ土木課長すらも大いに感謝したと
大きかったらし↓、。
またこのころの社会惰勢は, 1929年(昭和4)
に始まる世界経済の大恐慌のときでもあり,翌5
(
月中に撮影した。
ああ。
昭和5年(1930年)初年度の搬影費いつさ↓、は
約30万円であったという。
『
4連隊からも応援を
のための本施業案の編成と,その未開妬地と国有
林との土地利ハ1区分の薙礎調査とも急を要すると
いうエピソードが残っている。
尾混トルリI
学校.および飛行第
空におb,て機霧に見
盤にお↓,て淡霧に兇
樺太の略図と各年度別
空中写真の撮影区域
舞われ、墜落の21F故
を起こし、宮崎飛行中尉が死亡している。撮影の
ための辿雌事故の履初のことであり. シ童ツクは
初年度にも島内で1度事故があり. その1機が
破損しているが. このときは率L、人身辨故はなか
ったらしい。
昭和7,8年と休桑, 9年(1934年)には,幌内
川以東の全区域6,500km2を7,8月中に撮影し,
初年度からその撮影総而職群林原野23,280km2
のほか‘鉄道予定線都市計画など670km2の搬
影も完了しても、るがその区域面識経費、所
要時間などの状況も表としてまとめられ,
資料と
年の日本の失業者数は,32万人と公表されている。
蝋酋長の娘蝋6年には蝋酒は涙かため息か側など
して残って↓るので、
いわゆるナツメ戸の歌が大流行した時代でもあっ
日本領樺太総面積の約70%・亜要森林地帯の全
域をこの時期に完了して、、るのである。これは樺
た。
なお,今見技師は,昭和6年に林業課長となり,
12年に退官している。
(2)撮影のこと
太の林政?jF情にもよるが、今見課長の実行力にお
うところも大きい。
また,
こうした状況において昭和5年(1930年)その
第1「可の撮影を実施した。
撮影は下志津陸耶飛行学校がこれにあたり, 飛
行機ば川崎88式偵察機を4機使ってL,る。
その区域は別図のように,知取,伊ⅢLの北,保
呂,恩内を連れる以南6,800km2を7月中に終わ
ここにそのまま掲げて参考
としたい。
当時樺太にはまだ1/50,000の地図がそ
ろわずこのため軍はこの空中写真を利川して,
まず樺太庁のために1/25,000の略測最によあ図
化や、さらに陸地測蹴部は昭和10年ころからI叉1解
射線法による1/50,000の測最を行なっている。
搬影につ、、て軍そのものもかなり積極的であっ
たことがうかがえる。
−12−
−
(1657)
搬影にあたっては‘飛行場,絡納庫および写其
作業場などの準伽もあり、 このため2カ所の飛行
場と, 16カ所の不時府場を設けて↓、る。
また白布による対空槻織を三角点とこの巡絡実
測点に催き,実際の撮影には,まず縦撒の骨幹撮影
を行なってこれを標定し,
これによって表面コー
スのI1慨を決めて飛行するなど、未開発地の初期
写真川崎88式偵察隈
鼻
の搬影にはなかなか苦心が多かったようである。
飛行機は,88式偵察機4機,カメラはプーアチ
この図解射線法による図化については, 当時陸
測におられた武田通治博士がその作業方法につL、
て,いろいろ実験研究され,これが先生の滞灘「図
解射線法の手引」や「図解射線法の実際」となって
戦後の地貌図時代の貴砿な参考牌となって、、る・
×
×
ャイルドK-8, f25cmが使朋され,フィルムは,
イースI・マンの幅24cm,良さ23mと記録され
ている。撮影縮尺は1/15,000であった。
搬影された空中写典の利用と澗査状況につし、て
はまとめて次何にこれをゆずることにしよう。
×
年庇別搬影区域およびIni概
年歴
礎
彫
"
区
昭和5年
倣香部(耶遊以西),元泊那の一部
同6年
同9年
ini
IWHa
686,000
他に鉄遊予定線区域3a1,600Ha撮彫
縛撫珊署蝋IIM撚辮'鋼&栄
”2,000
他に郁市計画のため14,000Ha撮影
倣香郡(幌内川以販),散江郡
650,000
名好那,職域郡の一部
計
2,328,000
昭和5年度
l j
昭和6年度
IVMI9年峻
1
行
1
影
憐
標識設践 標準地調査賛
地形図 化作韮慨
そ
の
仙
72,000円
77,0001Tj
53,()001リ
21,000
11,000
11,000
3,000
6,000
(),00()
9,000
19,000
105,000
113,000
搬
計
70,000
摘掛
年腹別搬影慨その他
賀
へ
鯵
伽
要
幡納M(辿設磯を含む
II"119年庇は未決算にして見込緬を示す
対空標!紬ノI鳴地点数
帯
63
11
6
1
4
一一一一一一一一一
9
点点点
角角角
同
報譲
6
内内内
同
一一
昭和5
度年年年
年
1,440
lj
同
』174
伽
08
0
0
l
9
41
l11
↓馴1I点1側に対するliliW( 113
76
0
9
8
6
昭和5
鵬地点数
胃
凸ざ哩
舎11F1
〆
1〃1
庇
69
fl
ノIモ行I1敗と11t影抵lifII11
飛行「I散
雄Mf
lHI
lll#IIII,'1り搬影Imm
州
考
7
139時間39分
5000
搬影飛行機4台の内1台II1途にて破狽
9
216時111158分
j1600
11
124IIfII1136分
52()0
搬影飛行機4台
111
上
−1;1−
(1658)
2.
撮影実施計画
(1)写典縮尺と撮影錐難而の決定
1列化縮尺と使ハ1すあ図化磯の有効倍率から写真
縮尺を決定しますが,通'淵撮影地域は平坦でなく
空中写真入門胃着座
比i淵錐がありますから.撮影地域内に仮定の平i前
を定め. この面から締尺に応じた飛行高度を鱒出
応用編(5)
します。この仮定の耐を韮準而といい海面力、ら
このin職での商さをAu地面渦といいます。
(2)搬影コースの決定
撮影計、と作業要点
皿術の‘1‘小輪尺の搬影計画間には5万分の1ま
正木義治
(バシフィック舷紫・航勝部畏)
写真を綴るとし、うことは. カメラのレンズを被
写体に向けてブ4ルムに露光させることであり.
航空写真も一般の写真と比べ異質のものではあり
ませんが. その写真の使川目的や撮影条件が多少
異なります。航空写真を大別して,判読を主体と
した偵察用と,測定や調査を目的とした測鰍川に
分けられてL,ますが、一般に測撒の分野でいう航
窄写真は,後者の航空機から搬影した測撒川頭f[
写翼です。それではこの韮直写真を搬影するため
に. どのような記臘と手順で行なわれてl ・るのか
概要を取りあげて黙ましよう。ひと口に倣膨計画
と、、っても非常に多くの要素を決定しなければな
りませんので,
まず計画に入る前に.その写興の
たは2万5千分の1の地形図が使用されますが、
撮影地区がWi状と線状でばコースの選定は墨なり
ます。図1は地域撮影の場合で全体の形に合わせ
て平行にコースをサイドラグプ30%になるよう
計画してあり.卿2は河川.逆路鉄遊のような
線状搬影の計測で主目標に沿って折線状にコース
を選びます。
3.
計画上の注意
(1)対空概織のあぁ場合
あらかじめ標識の配点の形状に沿うようにコー
スを決めることは当然ですが韮準面高より商く
ゴース棚ギリギリに選点することは避けて下さ
L、。槻‘微の作業の完了予定F1はメモして完了の確
I偲を搬彫III1始前にして下さい。
(2)比獅の大き↓、地域の場合
撮影縮尺にもよりますが.通術コース別に適し
媛終目的がなんであるかを十分知らなけれ↓韻なり
た焔雌耐iを決めるか,
ません。すなわちその写真からどのような'h'i報を
はコースの間陥をせばめるよう澗幣します。
または平行コースの場合に
得るのかが股終の目的なのです。 二lミ剛l(jが把握で
(3)水際のコースにつ、・て
きたら次はその目的に到達するための計画とf(II
海雁や河川湖沼に渦ってコースの中心が水の中
戸
術を行ないます。
l
情報の収集
(1)搬影目的地および周辺の気象統制・の11岬f
(2)搬形地域の地形と地方的な緋色
(3)搬影フI噂地の選定
以上の外部的要素は撮影│I#jUIや巡航の維済性に
飛要な関係がああので, でき為だけ詐細にI側在を
1.
−
−M−
冬丸=
"n
−
扱影N糊iおよび航法Ⅱj狐
航法!WI・:騨盤2.分lu器
詞ソパス4.定
耐
律一P
一一岬
"蕪↓苧襄二壽三
一
ないよう十分な盤(iliを行なL,ます。
戸
h"
唖L乱
次は使用する機材の選定ですが,機材は雌終成
果の良脊を決定するものであり, 目11<jに適した飛
行機, カメラ,感光材料を選び機上作業に不Mliの
価
函
行なうことが必要です。
‐
規
(1659)
を通り写興の主点が水の中に
入らな↓、よう注意します。
(4)その他特記指示郡猟
撮影にあたり発注機関から
の指示事項は計画図の中にりI
示し.乗満員と事前に打ち合
●■血やn$
も
易エ
q
易リ
負■6■Ⅱ
■■
サp●
わせを行なL、 ,機上作業か111
滑に行なえるよう地上の"MM
は-│・分に行なわなければなり
ません。
4.
撮影作業
(1)搭赦機材の点検
カメラ本体フィルター,
-マガジン, フィルム,工具、
酸素補給器.磯内髄識, 11舟聯,
空缶.スプールおよび時計.
商度計のセッチング、魍圧の
点検など地上において│・分胤
検を行なう。
(2)離陸から搬影地区到肝
まで
出発前の乗務員は多忙であ
りシ各自定められた任務を碓
実に実施しなけれIなりませ
L
曇
24
恥f
ん。
│州1.
jihj或撮影の場合のコース計I師
尾孑E3尺
整備士は機体および発勤機
の飛行前の点検始勤と燃料や
ウェイ1、の確認を行ない操
縦士は飛行計画を企て現地の
気象を調査し、符制燃からの
離陸許可を受けて目的地に飛
行機を発進させます。撮影士
は目的地到着までのililに,搬
影作業前のすべての準備を終
えなければりませんので.下
順をリストによってチェック
します。カメラの作勤テス
ト,高度修正,偏流測定など
の作業を短時間で行な↓、鋪1
コースの進入地点に飛行機を
正確に誘導させなければなり
ません。
(3)撮影作業と航法
撮影は通補天気のよ↓、ロに
限り飛行するので右視界飛行
IM2,
−15−
線状撮影の娚合のゴー久計測
(1660)
測法、無線法天文法があります
夕
が、正確な地図のない未開地の飛
行を行なう場合にはドップラーレ
ーダーによる自主航法装償が開発
されています。
(4)撮影飛行に使用されている
おもな計器類
○高度計(写真5)
気圧高度計と電気式高度計があ
る○普通は大気の圧力を高庇に換
算したのが計器に指示される気圧
高度計を用いている。(絶対圧力)
電気式高度計は飛行機から電磁波
を発射,地面から反射させ発射お
出発前フィルムマガジソを
邪嵐3.
拠影作難中の撮影士
1
0
④5
U
暦'“ ’
3
N
3N
BABQl0nI
"l l
堺真4.磁気コンパ〆
気を利用したものがある。気圧を
利川したもの侭ベルヌーイの定
理に荻づき、静圧と励圧とを一つ
のケースに導き.静圧は測定問庇
の大気圧動圧はピトー椿からの
気圧でその差を計器に表わす。
、
、
、
t
○速度計
これも気圧を利用したものと髄
ゑゑ
グ
よび反射電磁波の干渉を利川して
高度を測定する。
、
黙躍錘
〃グ 4
/
dグa■■■■
U
I閏'歯9
幽口
、
ヂググググワ
、、
守
や
や0
1
0︲
.〃
ヴ
ロ
j
凸fr
j5的的
1
1
一
詞、
搭戦する
漣。
写冥2‘
一
邪寓5.気圧高庇剛
(柵対圧力)魑気式はドップラーレ
ーダーを用い、ある周波数のパル
ス電波または連続電磁波を発受信
し、 ドップラー効果を利用して速
j1
度を測定する。
○磁気コンパス(写真4)
棒磁滴にカード(円型の目盛
1
板)を固定し、ケースの中に制動
液といつし墓に封じ込めたもの。
緯度により伏角が異なるので,一
写真6,
般には65度以上の高隷度では使
剛不能である。誤差には静止中に
生ずる自差,逆動中に生ずる北旋
ジャイロシン・ゴソパスと定針雌
方式が原則です。したがって地図と地形,地物を
差.渦動誤差などがある。なお許
試篭,加速度誤差,渦動誤差などがある。なお許
対照しながら航行する目測法または地文法ともい
われてしる方法によって行なっています。計閲冨’
群誤差は士10度以内と規定されている。
○水平催(G.H)
一ス上を正しく飛行す為ためには.地形例の判統
技術が撮影の法本になります。その他航法には樅
'豚させておけば.機体が傾L、てもこの軸は不変で
フリージャイロを地球中心に軸を一致させて何
−16−
今
(1661)
C
○ジャィ画シソ・ゴンパス
これはジャイ鹿としての基本的な考え方はすべ
て│‘1じであるが.大別して.ジャイロ. アンプリ
ファイアー.
B
プラックスパルプ、
ブラックスバル
ブシンク”からなる。プラックスパルプは地磁気
検出器である。前述のようにD.Gは地球の自転
などによりl棋錐を生じてくるので.磁気コンパス
などにJ:り似潅を生してくるので.磁気コンパス
│剛3
によって修正する。つまり磁気コンパスとD.Gの
長所をとり短所を柿、、
合ったものであり,地
Ij流修正せず一
球の磁気子午線とシン
一
一一「一
クロするものである。
一
一
‐
根本的には磁方位を指
示する定針駿である。
⑤偏流角の測定
一
一
飛行機の向き
ー
(図3)
飛行賎は風力によっ
フ'観丁睡廷必乳ノパニよっ
図4
て針路が偏位される。
L、幸Aの飛行櫟はAB
b、まAの飛行機はAB
Bm
ー
の針路で飛行したとこ
地域似 彫 》例一黄′完斎宝
ろ, Bに到達せずBC
の風力によって針路が
路
ぐ.
0%S
エニノ
十
燗位され│, Cに到達し
たとき,ABとACの
今
交角すなわち風力によ
崖↓
60%
Bnl
図5.搬影飛行の方法,測鼠川の航空壊真の闘影は, |瑚一コーメIノ1において亙いに約60%の煎
なりをもたせ,上下=−ス間の亜なりは約30%を韮準として全地域の搬影を行な↓、龍
‐
寸b一つの搬彬点(シャッターを切った点)から,次の擬影胤までの距離を撫影雅線長
(脳”と、、、、霞すBm=蝿鯵』鍔曇=写真一辺の距離×(!-IM) s=-難剛鰯=
癖一辺の腫離×(1−冊) 巽テレオ“而読=擬彫“腱×"-"IIIIWi"彫地蜘二
必興な塀"M=i騨繍十鯉膨腫よる伽趣致
あるから,水平との傾斜角を指示させうる。すな
って偏位された角《rを
偏流角とb,います。
搬影の開始前に測定
する方法は写真磯に付
属している視準機を使
川し、視準線に地物の
映像をとらえ視準線上
を地物が移動するよう
視地機を旋回させ架台の目盛りを読定します。こ
わち機体の対地盗勢を指示する。
の測定に誤りがあると写真は階段状になって,接
○定針雛(D.G)
ジャイロIJIMKIIIIIを宇宙に対して一定方向におく
縦櫟定がやりにくくなります。
と,機首が別の方向をさせ感ある一定方向と機
首方向とのなす角を指示す為。すなわち機体のヨ
jIIII111cPd'llllO90*111llo''lllllO9'IIII11IO9011111ooqlllⅡ鯉6'1l1ll9・01111」I'6011111'001111111011I1IG'4・1111180'II11」IJoDIOOⅡⅢⅢ1,
−イソグを示すWI.器。地球の自転のた必4分に1
度の測で賦錐が出てくるので15分に1回セッテ
お
詫び
前号22ページの写典の左右の位置が逆になっ
ておりましたことをお詫び申し上げますも
イソグをやりi(Iす必要がある。
−17−
(1“2)
g4Q武八へ沢bP1ロンーハハ4口孟へn画へ。bq凶瞬八八『V毎へnDqQUゾみへ命ハ・ザハヘnjb釦へ、へ4いb
K
》
森林航測回顧録(1)
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》
2
森林航測の曙(上)"--…;
一わが国「森林航測」の先覚者としての鏑木徳二氏一
中
山
博
一
(名古屋大学名誉教授)
係の業務にたずさわった。
まえがき
わが国「森林航測」も,始まって以来やがて、I&
世紀に近くなる。「去為ものは日左にうとし」のた
紋あって同社を退職されたが.永年の希望であっ
たドイツ留学の逆が開かれ、 引き続き林学研讃に
とえ,
勉められるとともに.欧州各地を見学.見聞を広
古いものは.だんだんと忘却のかなたに消
えてゆく。かくて,誤り低えられあものも多くな
められた。
ろう。過去をなつかしむは老人のならいその過
州朝後.新設の宇都宮高等農林学校,(現宇都宮
去も次第にうすれゆく。本I雄に関係を特つノノから
火学)林学科主任教授に任ぜられた。これは大正
のお勧めにより.縦をとってみたが.忠、,出すこ
12年(1923)のことである。これより数年、先生
とは雑然として少しもまとまりがな↓,。淡任料の
方のご希蛾は, 「雌史」と↓、うことにあることはよ
のご噂11I1の造林学を識じ、後進の教育にあたられ
くわかるのであるが.脱化の縦粁にとっては.
そ
のノ]もなければ. また余糀もな↓,。そこで,随仙
的な1'11想, Inl職録というところで. 1I'し,リ<な↓、が
お!許しを願う次鮒である。
なお.
これから紙上に拙げさせて↓,ただくとこ
ろ多分筆者の思い逆↓、、 またその他の娯謬もある
ことと思うが,娃非とも読者のご叱正,ご教示を
得て訂正、,たしたく, ここに前もってお願い申し
たのであったが.後,朝鮮水原にある林業試験場
にI賦任,場畏として活雛された。
終戦後は郷里石川県に帰還,林業ならぬ普通
の高等学校の踵として,ふたたび教育4礫にあた
られた。退職後は.老齢にもかかわらず.終生兼
を離さず.実に死に至るまで1人の林学者とし
ての見識を.柿となる専門雑誌を通して.主張し
続けられた。それは. まことに敬服すべきことで
あった。
かくして,昭和42年4月25日.午前8時46分
上げる次鰯である。
享年84才.天がを全うされて,この世を去られた
1
鏑木博士の略歴
のである。
先生は.明治16年(1883)1月1p、 イゴ川県に
ね新しL、天地を求め,〃笈の志を他L,て金沢市に
2. 「森林航測」先覚者としての鏑木博士
先生の学位が林木の煙害関係であったように,
先生は林木生理を韮礎とする造林学を識じてお
出でた。
られた。
そこにある旧制の鰯四尚等学校に人学,そこを
終えた後上京, 当時駒場にあった東〃〔帝測大学股
学部の林学科に入学されたのであぁ。
明治40年(1907)3月,業を終えた後,現在の
先生の嵩想は,実に鋭く,現在造林上苑大な関
心がよせられている森林肥料についても.すでに
llβ和の初め,だれよりも早くこれに満目,著書まで
出されている。先生の関心は多方面であって、自
日立市にあった,
分の専門の殻に閉じこもられることばなかった。
生まれた。生家は. イい神主として,由猪ある家
柄である。長男であった先生は.家擬を弟にゆだ
日立鉱山K.Kに入社.煙淵則
に。。
−18−
一
(1663)
の砿典な提咄も, 世人の注怠を引くところとなら
なかった。L、まから44年も前のことであり,当時
の航空界. 写真界のことを思えば無理もな、、こと
である。
かくて,「撫林航測」空白の4年をへだてた, IVI
和4年. ‘災にいまから40年前のことであ為が, 1WI
鮮半脇.
1I1│央が腕木博士
‐
先生は諾学.特にドイツ,譜に堪能で.多くの科学
雑誌に目を通され、 いるし、ろのことに最新の知識
をもたれた。これには欧州留学の見'剛があずかっ
て力となって、、たのであろう。
澗在が行なわれたのである。この事項につ、、て
朧,別に剛をあらためて.後に紹介して染たいと
思う。
3.
こういうことで.航空機の利ハlとL、う日進月歩
の邸業にも'ilくも新11され、 その将来に期待をも
たれた。かくて.航空機利川の随要なる事項の一
つ.写爽測雌, さらにそれの林業への応凧「森
林航測」の飛要性を,つとに見抜いておられたの
である。
世界|森林航測」史からみた鏑木博士の
|森林航測」提唱の年代的考察
世界における「“林航測」は.すでに前世紀の
終わりに始まって、、る。無名のあるドイツの森林
官が. 1887年気球から森林写真を撮影したことが
記録に残って↓、為。このように空中写真を林業上
応川しようという考えは.古くからあった。しか
先生が、初めて. │ 森林航測」につ↓、ての考えを
し爽川化は進まず、 ただ,その後の文献として残
公表されたのは,大正14年(1925)のことであっ
って↓・為のは. 1892年オースI、リアのKobsaに
た.これは、先生がドイツ留学より州られて間も
よる「等〕'噂測I1:及び聯林経理家に役立つ特別利
川」, また111"lil側のWangによる「写真測馳の
森林維理に対する応川」,それから9年を経過し
た, 1911年, ドイツのHugerShoffによる「写真
測趾とこれが林業に対する意義」である。この人
については. また後に鶴く機会があると思うか,
林業聯I11Iでなく、土木工学専攻,今は東独に入っ
ないことであり.宇祁宮商等農林学校着任2年目
のことである。しかし‘ これらの蔚想と櫛想は,
もっと早い時"Iであったろうと思われる。
壷
ここは当時日本の植民地となって、’たの
であるが. ここにおいて、初めて,わが国「森林
航測」が、実地に鮒1歩を踏承出したのである。
これは” 当時の'l'リI鮮総偶府の技師掛場直勝氏に
よって拭触的ではあったが航空写真からの撫林
この先生の「森林航測」の記事は, 2綴であっ
て二つの典なった林業雑誌に,同時に発表され
て、、る。
次に.光炎雑総名.年月および題名を示す。
ているが.
「北海逆林業会報」(1925.1):「林業上飛行機
写真の応剛」
「│1.l.1林」(1925. 1) 「フーケルスホーフ式飛行
業大学の教授として,
機螺典測股機」
この二つの荊文は,その内容としてでなく,そ
の'森林航測_│爪典性の測織として,歴史的{IMi
をもつものと思う。よって, これにつL,ては後に
またその内容を崎把して象たいと思う。
世界各国の雌史が示すようにまたこれは単に
森林航測に限ったことではないが.
この鏑木博士
ドレスデンの郊外にあるThamndt林
zlド実上「森林航測」に科学
的韮礎を据えた人である。先生は人も知るごと
く.堺典測戯の世界的椛威者であって.多くの業
縦を残され. 「撫林航測」は,たまたま林業大学に
鱗をおいたことから生じた余技にすぎない。前記
鏑木I"l:の「山林」誌上に発表せられた論文は,
このHugel・shoffの発UjにかかるAutokartograph
の紹介であぁ。この測図機は先生指導のもとに,
ドレスデンにあるHeydeと↓、う会社で製作され,
その1台はすでに1921年に口本に入手されて、、
−19−
(16例)
ルニア州シェラネパダ1l.1脈における樹種識別が,
た。それは今の国土地理院の前身.陸軍参謀本
部内にあった陸地測獄部に設世されてあったので
ある。この機械は発明譜Hugershoffによれば,
I:1由な空中の2点から撤影された2枚の立体写真
から, 121勤的に製図しうあよう世界で初めて工夫
されたものである。この発リlは1918年であって,
これに通れあこと5年1923年別の方法で問題解
決に成功したのがC.Bauersfeldで,この原理に荻
づ、、て、 Cal・lZeiSsMI:で製作したのが知潴の
StereOplanigl・al)hである。以上のことは, 1930年
出版のHugel・shoff :W: !!Photogrammetl・ieund
Luftbildwesen''"5ページの記』ドによる。
ツア
イスの技術荷で、Mじく聯典測職の椛威者0.V.
Gruberについては,
ここでは,ただこのSte-
reoplanigraphのある雑誌への報告者としてだけ
しか触れられて、、ない。
話題が,「森林航測」より少しそれたが.つ↓、で
に苫いた次第である。
「嫌林航測」のもう一つの占い文献としてはⅧ
1913年オートリアのDockによる「写真測量の森
林測鎚への利川の研究」と、、うのがある。
世界的に螺て,肢も古く「森林航測」の実ハi化
林業的な立場から写典上に試ぶられ、 これに成果
をあげてから,以後,徐走に各方面に「森林航測」
が普及するに韮った・
4.
兼老は,大正13年(1924)3月.東京帝国大学
農学部を卒梁,すぐに鏑木先生のおられる宇都宮
尚悌臘林学校の1W師として赴任したのであるが,
まったく知らずして「森林航測」の先覚者のもと
に飛び込んだのであ為。しかし篭者が後来この道
に関係をもつようになったのは,南接には先生と
│典│係はな、、。先生は雅蒋の帆111である森林経理と
航空写爽とのl卿係は十分知っておられたが,筆者
にこの造を進むような指導は1度もなさらな力・っ
た°ただ多分先生を通してのことと思うが,前記
ターラント大学付属ザブクセン林業試験場報告と
して, E. Ziegcrによる「フーケルスホップおよ
びハイデのAutokartograph使用による航空写真
からの林分材枇測定」 (1928年,すなわち昭和3
韮譜は.昭和6年森林経理学研究の目的をもっ
て文部描在海研究貝としてドイツに留学したので
あるが.進んだ学校は前記したターラント林業大
学であった。この大学を進んだのは経理のためで
「森林航測」のためではなかった。行って承て驚い
たのはHugel・shOffがこの大学の正教授と、、うこ
とであった。ここでまた縦者はjUIせずして「森林
航測」の'│』心地に飛び込んでしまった。まったく
偶然の.
しかも二mのできごとである。
(以下次号)
ことになる。これからぷると. 「森林航測」の必要
性を林業人が認識し始めたのは,わが国も米国も,
ミト…ニーーー署="‐. ‐‐"..‐ .‐‐… . …‐…−.... …… ….1ミ
大体においてそう逆L,のない時期であったと思わ
ll
れる。しかし、 このような砿要な提唱があったに
§1場所:十和IⅡ湖
ミ|
,:l
l
Iミ
もかかわららず,林業上利用の進展は同じく米国
においてもぷられず. ただ植物生態学者が植生図
の作製に空中写真の利用を馨るくら、、にとど黄っ
たC
GI・affの細り』以来20",
すなわち1933年に至
って,始めてH.C.Rykerによって、
カリフ剣.
‐
年発行)を人手,興味をもって目を通した。
を図ったのはカナダであって,それは1920年のこ
とであった。 │611ijの広大な森林地滞と林業事情が
それをを必典としたのであぁ。股初の場所は中央
ケベック州で.斜螺典および空中よりの見収図の
作製が主であった。碓刺職捗は1929年からでこの
年ば、ちょうど前記した掛場技師による.わが国
般初の│ 燐林航測」の年に当たる。
アメリカにおいて. ちょうどわが国における鏑
木博士の役を減じたのは. Graff氏であって,そ
の年代は1913年で,鏑木博士より12年前という
鏑木博士と筆者
l
ミI
表紙写真データ
i
発荷峠上空(i儲喚約3,3"m)から八甲田$
述蜂にカメラを向けて
!'撮影:4」1年11月25日11時30分
’.
: カメラ;RC-8
i熊点距離: f l52mm
11飛行磯:エフ,ロコマソダ-680F
i1作業磯関:東北測蹴K.K巡航部
−20−
‘
に詞
(1665)
の人盈は.
「雪女」の伝説を創造した。
さて.写真で象たダケカンバは, ちょうど, fiの
結晶のように美しし。そして彼女らの生涯もま
写真でみた日本の森林
た,雪女のそれに似ているのである。
ニンフ
(3)
若く可憐な.森の沃糀のようなダケカンバは.
写真上では雪の結晶のようには映らない。写典上
依田和夫
に美しい結晶を描き出すダケカンバば,実物を現
地で染れば、
(林野庁・計晒課)
まるで老いて、
ピヤダルのごとくた
くましくなったソ迎女性のようで、
母親のような
女性を好まれるむきにはよいが.大方の男性は失
雪
‐
望するであろう。(やはり野におけ. . , ,ではなく,
やはり写真で象ようダケカソバ, と、、うことにな
女
ハーン(小泉八狸)の佳談「幽女」は,美しい
ろうか)。
W『女が,夫を助け,従順な典になろうと心をくだ
き.
、生懸命に努めるが、 ある時その砿体を知ら
れることとなって、 さ恥しく洲えて行く物硲であ
パイオニア、 つまり開拓渚の典塙をもつ彼女ら
は、火山で荒れた跡地や崩壊地,山火郡で荒廃し
た土地などにまつ先に佐桑つき. その可憐な燐を
るO
競い合ったのである。
L、つ尽きあともなく"1i閥に郷い降りてくるこの
彼女らは.荒れた土地を次鮒に班かにつちかっ
白い美しL,紋概の締IY,. この美しい結品も,ひ
とたび怒るといかなる生命の作在も許さないほど
に荒れ狂う・ ・ ・ ・ ・・このような両面をもつ雪を染
て.半年もの長いilll' f'fにおおわれて生活する雪国
て行った。彼女らが適齢期に逮し,良年月の間に
つちかった土地に生翠落とした子らは. 、、わぱ不
肖の子であり,彼女らの血をひくのではなかった。
北海道ではエゾマツトドマツ.本州では,オ
一
[説WII
山526,“3p商) C31-35, 36 2.5倍伸ばし1968年10月30日林野庁搬影
グケカンバの全盛地域10月下旬
彼女たちIますっかり葉を落とし,白い雪の結IM,
‘'す女に班観する。ダケカソパのないなめらかで灰色の部分は,千妙の密生地僻である。
−21−
1
(1666)
オシラビソ(アオモリトドマツ),シラビソ,
ヒらは.
トウ
このようにして雷女が炎年月の間つちか
った土地に, しかも雪女の大きく、磯かなフトゴ
ロに守られて育って行った。
そして,つ、、には雛女が実の子を育てる機会を
も. さらiこは.彼女らの佐桑家までもとりあげ.
不肖の子の塙のとおり.
白くならずに黒ととした
シャープでクールな姿に成長したのである。
写真に示すように.
しL、雪の結晶.
エゾトド群の中に象える美
いかにプラン},サクセッシロンと
L、う自然の摂理に従ったとは↓、え.
このダケカン
バの姿は.あのハーンの怪談「雪女」を思い起こ
さずには↓、られないのである。
おのが努力しつちかった土地を追いたてられ,
時には蝋を呼んでL,かり狂い不肖の子たちをな
ぎ倒して.ふたたびしばしの安住の地を見つける
力をもつ雪女は.亜高山性の森林地帯のいたると
ころで糸つけることができる。しかし写真の上で
は.彼女らが葉を落とすいわゆる'埼女になる時
剛しか確実に判読するのはむずかしい。
一
脱リI]山526("3日耐)C31-30, 31 2.5倍伸ばし1968年,林野庁撮影
白い鋤の結IIh
ダケカンバの下に侵入したトドマツ,黒灰色の小さ↓、
樹冠の群を帝てる.大分数少なくなった雪女の姿である。
−
説U1]
山526(節3ロ閥;)C31-30, 31
たくましく謝ったトド・マツの群
2.5倍伸ばし1968年,林野庁撮影
育ての親,ダケカンバの姿はほとん
ど.承られない。し力・し,写真II',央部の大きな崩峻地に彼女たちは実の子
を,足の蹄黙柵もな↓ほどに生熟落とした。 (写真右下から左上にカー
ブしたM1眺谷に.雌数の幼椛樹が侵入していぁ。)
−22−
(1667)
丹
服しく保って↓、ないが,
■
質疑160題
この写哀の後から光をあ
て. もとのレンズを通して投影すると,出て来た
光線はヒズミのな、、正し↓、方向に向って1,る。こ
言一
れがポロコッペの服理であって,鯖密な写翼測量
壷
や
龍
九
器械(図化機)の大半はこの原理を利川してL,る。
(尼崎幸雄著写箕測紬)
カメラ1
カメラ2
第97問
ポロコッペ法について簡単に説リjしてドさL,。
レンズ腿旦睦塗逢ユミ“,ンズ
(東京都・学生)
答
空中写真は,水平直線飛行をしている航空機か
光線
光線
ら隣接写真との砿なりを約60%もつように搬影さ
れているので,地災而のすべての地点は,少なく
とも2枚の写真上に挙っている。この搬形された
搬彫の状況
使川する),おのおのの写真が撮影された時とまっ
朧
“
朏
1
て(ネガフィルムでなくポジフィルムを作成して
I巾⑳杉
撫影#こ使ったカメラとまったく同じ物に取り付け
光線鯉
フィルムを現像したうえで1枚1枚に切り離し
投影機1
たく同じ状態(カメラの空間における位世と撮影
ズと同じ
性賀 のレンズ
)レン
方向)におき、適当な方法によって,フィルムの裏
側から照明してカメラのレンズを通してフィルム
上の写真像を空間に投影して染ると、隣接した写
典上に写ってし、る同じ地点から出発した光線は、
当然もとの地点で交差する○すなわ.らこのように
投影された光束の中で,互L、に対応する光線の交
会点の軌跡をたどれば,必ずもとの地形が再現で
きる。
椹応光線の交会像
(図参照)(武田通治著窯中写興測晶の手
りI)このことが.立体写真測量の原理であるとと
もに,ポ唇コッペ法の原理である。
昭和45年1月1日発行(2カ月1回発行)
少しつけ加えて脱肌すると, ’9世紀の終わりご
森林航測第78号
ろ,イタリアのポロとドイツのコッペがそれぞれ
独立にこのポ再コッペの原理と呼ばれてb,る法則
を発見したもので,写真レソズを通ると光線はヒ
ズミを受けて曲がり.写真に写る像はもとの形を
−23−
発行所社団法人日本林業技術協会
東京都千代II1│区六需町7汚地・郵便需号(102)
電話鯛(261)5281(代表)−5振替]Ui(60148
定価
1部60円
測
今云
森林
友
〔アルファベット願〕
アジア航測K.
‘キ,日本航空測最K. K.
K.
名古屋市熱、【謝騨2町3−2−1
名古屋(881)6178
東京都世田谷区弦巻5−2−16(429)2151
中庭測殿K.
第一航業K.
K,
日
】涼都杉並区阿佐谷北3-41-12“の2191
K
1111
lil:
K
蕊X都剛M侭'瀞紫台4-4-12-101号(460)0111
K.
K. K.大阪写真測捌:所.
大阪市天王寺区伶人町65大阪(771)54型
大阪市天王寺区上木町3−3大阪(768)31.11
富士航測コンサルタントK.K.
大阪測鼠K.
大阪市西区江戸堀5−155大阪CMI)4025
八州測没K、
K
パシフィック航業K.K.
東京都日棚I鬼期I』2-13-5 (711)6391
K.
昭和測ht工業KK.
東京都港区白金台2−9-25(J141)3905
束日本航空K
束京都北区上I11M!1−11-6 (910)7111
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大成測趾K.
埼玉県北足立郡新座噸!f│火止22560i84(71)2555
北海航棚K.
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大洋測獄K.
東北測鼓K
K.
K.
K.
協
束典測職設計K. K.
│'1測量社
東京榔目黙区上Ⅲ無.i-17-1 (719)6・191
災野市安茂型671RMf(6)5691
束洋航空事業KK.
K.K.協立コンサルタント
東京都豊胤区叫弛袋1−蕊−1
東京都大田区矢口2−13−6(759)万21
(日本火災海上どル4節(987)1551
北日本測逓K,
K
金沢市浅野本町2−2−5金沢(52)3211
1矧
際航業K
K.
叫琉都千代田区六冊町2(262)6221
K. K.航空写典測量所
4〔京都台東区上野3−1−8(83鋤4251
K.
識市舗li l-2-16青森(4)8331
前橘市表町1-18-2.1前怖(21) 1435
羽
後
測
量
所
欲田市棡山揃中町9−48秋田(33)2160
↓
W務局・絲肌典獅:アジア航測K,K
JI諒都世Ⅲ谷区弦巻5−2-16q29)2151
一般業務: ”ベシブィ
蔦諒都目烈区加l12
ック航莱K.K
13-5(711)6391
︽︾
K.
K.
東京都大11IIXMil 12台4-21-9(7m2511
キIR(6D3225
lit
K.
東京都世剛谷区奥沢町5−2歩9(703)1321
札幌市北4条西釦丁胤<北西ピル内)
脚東測
K.
大阪市生野区猫飼野中l−5大阪(717)2139
誹猿都新宿区柏木1−測(34"3621
平和測品K.
K.
K、K大場土木建築事務所
約i郷世田谷区綴錐5−12−2(42$別8‘1
密士
本航業K.
蝋薦灘'糞筌'′
大和測批設計K、K.
東京都杉並区大宮前3-34-23(331)3311
大同航測K.
K
]1諒都渋谷レ“比寿3-1-3(j143)7311
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帆日測鰍設計K、K.
)1轍都中野iX中野6-32-18(369) 1266
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