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モンゴルの伝記文学について

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モンゴルの伝記文学について
日本古代学 第 3 号 65-69 頁、2011 年 3 月
Meiji University Ancient Studies of Japan
Vol. 3, March 2011. pp. 65-69.
【研究ノート】
モンゴルの伝記文学について
叶
尓
达
はじめに
モンゴル古典文学の中、伝記文学は非常に重要な地位を占める。しかし、今までの先行研究
において、主に一つの伝記文学作品について専論したものが多くて、モンゴル伝記文学につい
て総合的に研究したものはほとんどなかった。本稿では、モンゴル伝記文学について総合的に
論述していきたい。
1.モンゴル人が仏教を受け入れた具体的時間についての学者たちの意見
実に、もし仏教の影響がなければモンゴル伝記文学の話も不思議になる。しかし、今のとこ
ろ、モンゴル人がいつの時代から仏教を信仰しはじめたのかについて、学者たちの間では未だ
に同一の認識を持っていない。主な論説は、以下のとおりである。
⑴
匈奴時代説
⑵
ウイグル時代説
⑶
西夏に影響された説
⑷
金朝に影響された説
モンゴル人が仏教を受け入れた時期について、いろいろなやりとりがあるが、それを確認で
きる文献の記載はあまり残ってない状態である。そのため、モンゴル人が仏教を信仰しはじめ
た時代についての研究は、今後かなり時間をかけて行なわれていくと考えられる。
2.モンゴル人とチベット人との最初の交流衽衲本当の意味での仏教の
流行衽衲モンゴル伝記文学の始まり
上述したように、モンゴル人が仏教を受け入れはじめた時代は確認し難い。だが、モンゴル
伝記文学のはじまりは、言うまでもなくチベット仏教の影響を受けてからである。伝記文学は、
古代チベットよりモンゴルに伝来し、モンゴル文学に対して、大きな影響を与えたのである。
そのため、モンゴル伝記文学を研究するとき、必ずモンゴルとチベットとの歴史的変遷につい
て話さなければならない。
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周知のとおり、1206 年にチンギス=ハーン(1162 頃-1227)がモンゴル高原を統一し、その
後、継承者であるオゴタイ=ハーン(1186-1241)が国土を拡大し続けたため、征服戦争が頻繁
に行なわれた。その結果、はるか遠いと思われていたチベットとモンゴル帝国の境がつながっ
た。オゴタイ=ハーンの次子ゴダン(生没年不詳)が、もともとは西夏の国土であった河西回
廊などを領有し、その領地はチベットと最も近かった。
そして、モンゴル帝国はチベットに進出していった。それを実現したのが、即ちゴダンであ
る。1246 年、ゴダンは、チベットで高僧としてサキャ=パンディタが最も影響力があること
を確認した後、彼を招請した。1247 年、チベットの平和を図ってモンゴルに来たサキャ=パ
ンディタは、涼州でゴダンに謁見して会談した。これはモンゴルとチベットの歴史上、画期的
な意義を持つ事件である。
その後、モンゴルとチベットとの交流を進めたのは、元朝の創始者、チンギス=ハーンの孫
フビライ=ハーン(1215-1294)である。フビライは、1260 年にハーンに即位し、1271 年に国
号を大元と呼びはじめ、大都(現在の北京)を首都と決めた。フビライ=ハーンの改革はこれ
だけで止まなかった。さらに、チンギス=ハーン時代すでに国の宗教と定めていたシャーマニ
ズムを変えて、サキャ=パンディタの甥パクパを大都に招請し、仏教を国教にした。仏教はい
つの時代からモンゴルに伝来したのか、これは明らかにし難いが、フビライ=ハーンの時代に
モンゴル人の中に仏教が国教として広がったのは事実である。
一方、モンゴル人の仏教信仰は、その発祥地インドからではなく、チベットを通して受け入
れたのである。その時代、インドでは仏教はすでに衰退していた。この点において、モンゴル
仏教は古代中国や日本とは違う。
仏教が広がる一つの道は、経典の翻訳である。その数はあまり多くはないが、元朝時代の経
典写本や木版が現在まで残されている。20 世紀初期、中国新疆のトルファンから、ドイツの
学者たちによって数多くの古い文献が発掘された。その中に元朝時代のものになる大事な仏教
文献があった。
また、元朝時代の最も有名なチベット仏教高僧の一人チョジオドセルは、14 世紀の初期、
もしくは 1305-1321 年間において、モンゴル言語学、経典翻訳、文学の分野で活躍していた。
このチョジオドセルの各作品の中、14 世紀の初めごろにチベット語で書いた「釈迦の十二
okiyangγui)は非常に有名である。
「釈迦の十二業績」について、チョジ
業績」(burqan-u qoyar 亜
オドセルと同時代に生きていた高僧シラブ=センゲがモンゴル語に訳したが、現在はその翻訳
の半分しか伝承されていない。この大事な文献は、現在ロシアのサンクトペテルブルグで保存
されている。
「釈迦の十二業績」は、今まで発見された最も古い時代のモンゴル伝記文学作品である。し
かも、元朝時代の唯一のモンゴル伝記文学作品になる。元朝時代のモンゴル伝記文学作品はほ
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かにもあったのかどうかは、今のところでは言いにくい。ただ、元朝時代がモンゴル伝記文学
の始まりになることは確かである。
3.アルタン=ハーンとソナムギャムツォの会見衽衲モンゴル語で著さ
れた最初の伝記文学作品
1368 年、元朝最後のトゴンテムル=ハーン(1320-1370)が大都から明軍に駆逐されて、モ
ンゴル人は北元時代に入った。明朝との戦争、及び西モンゴルと東モンゴル間の戦争によって、
当時のモンゴル社会は非常に不安定だった。16 世紀後半にきて、長期的に継続してきた戦乱
が少し緩めるようになった。その時代の代表的な人物は、アルタン=ハーン(1507-1582)であ
る。
1577 年、アルタン=ハーンがチベット仏教ゲルク派の高僧ソナムギャムツォ(後にダライ=
ラマ三世になる)を招請して、翌年、すなわち 1578 年に二人は青海で会見した。アルタン=ハ
ーンがソナムギャムツォに「ダライ=ラマ(大海のような高僧)」というモンゴル語の称号を授
与した。これが即ちダライ=ラマ称号の由来であり、今日まで使われている。
アルタン=ハーン時代、チベット仏教がモンゴル地域で復興した。ハーンはまた、仏教を発
展させる法律を作成して、フビライ=ハーン後モンゴルに仏教を大いに隆興させた。
1582 年、アルタン=ハーンが亡くなる。モンゴル仏教のために大きな役割を果たした彼の
伝記は、二つ書かれたことがある。その一つは、当時活躍していたアルタン=ハーンの臣下ダ
ユンギャが書いた伝記である。ただ、この伝記は伝承されてこなかった。もう一つは、著者不
明で、成書年代についても諸説がある。しかし、終わり部分の内容が 1607 年の歴史事件に言
及していることから、主に 1607 年あるいは 1607-1611 年に著されたものと判断している学者
i)の内容は、全て詩の形で書かれて、
が多い。この『アルタン=ハーン伝記』(altan qaγan-u tuγu亜
彼の一生の業績を記載しているが、やはり仏教を復興したことを中心として記している。これ
はモンゴル語で著された最初の伝記である。現在中国内モンゴル自治区社会科学院に保管され
ているのは、この伝記の唯一の写本である。
戦乱などの原因で、元朝及び北元時代のモンゴル伝記文学作品があまり残されてこなかった。
4.モンゴル人が清朝に帰順した衽衲モンゴル伝記文学の繁盛期、或は
18-19 世紀
1634 年、北元最後のリンダン=ハーン(1591-1634)が亡くなり、モンゴルが後金(後の清朝)
に併合された。
時代は遠くない、比較的安定していたこの時代において、モンゴル伝記文学が山ほど書かれ
た。
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その中、17 世紀末期に著されたオイラト=モンゴルのホシュート部出身のチベット仏教高
僧ザヤ=パンディタ=ナムハイジャムソ(1599-1662)の伝記『月の光』(saran-u gerel)が最も
古い伝記になる。この伝記は、ザヤ=パンディタの弟子が 1790 年代に著したものである。『月
の光』はモンゴル文字で書かれて、これがモンゴル人がモンゴル語で書いた最初の伝記文学作
品と言われている。
この時代のモンゴル伝記文学作品は、チベット語で書いて、後にモンゴル語に訳すか、或い
は最初からモンゴル語で書いて、さらにチベット語に訳す、このような二つの方式や言語で書
かれていた。
なお、18-19 世紀に入り、モンゴル伝記文学史上最も多く書かれる時代となり、系統的な発
展はできたと評価すべきである。モンゴル伝記文学が、写本以外にまた木版に印刷されて広が
っていたのである。
終わりに
以上の内容をまとめると、以下のとおりである。
⑴
伝記文学はモンゴル文学の中で最も特徴がある一つの文学種類であり、外来文化に影響さ
れたものとして非常に重要な位置を占める。よってモンゴルとチベットの文学交流史におい
て、研究価値が高い問題である。
⑵
モンゴル伝記文学は、チベット仏教の影響を受け始めた元朝時代即ち 14 世紀初期にモン
ゴルに伝来した。当時書かれたのはモンゴル語ではなくチベット語であって、チベット語か
ら訳されたものしか残されてこなかった。元朝時代にモンゴル語で書かれた伝記文学は未だ
に発見されていない。「釈迦の十二業績」はモンゴル伝記文学の最も古い作品であり、しか
も元朝時代に書かれた唯一の伝記作品でもある。元朝時代の伝記文学作品がほかにもあった
のか。そして、モンゴル語で伝記文学が書かれていたのか、今は言い難い。
⑶
北元時代に書かれた『アルタン=ハーン伝記』はモンゴル語で書かれた最も古い伝記作品
であり、北元時代の最も古い文学作品にもなる。さまざまな原因で、この時代の伝記作品は
ほとんど紛失してしまっている。
⑷
清朝時代には『月の光』が書かれた。これは、モンゴル伝記文学の中、モンゴル語で書か
れた最初のチベット仏教高僧の伝記である。モンゴル伝記文学は 18-19 世紀に盛んになり、
主にチベット仏教高僧のことを中心にして書かれたが、そのほかにハーンたちの伝記も少し
含まれている。
⑸
モンゴル伝記文学作品は、モンゴル語以外にチベット語で書かれた。これはチベット語か
らモンゴル語に、或いはモンゴル語からチベット語に訳されてきたためである。モンゴル語
のほか、チベット語やチベット仏教などの知識を理解しないでは、モンゴル伝記文学を深く
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研究することは難しいだろう。
⑹
モンゴル伝記文学は、文学的価値以外に高い歴史的価値を持っている。伝記文学主人公の
多くは、モンゴルの歴史の中で影響力を持っていた人物なので、彼らが生きていた当該時期
の歴史もある程度に理解できる。例として、
『月の光』はザヤ=パンディタ一人の人物の伝
記になるが、その中には他の年代記で記載されていない山ほどの歴史事件が書かれている。
今まで『月の光』のように、17 世紀のオイラト=モンゴル諸部の歴史を詳しく記した史料
は他にはない。さらに、伝記文学の作品は、ほとんど当事者が自分の経験を豊かに記した内
容になるため、ある意味では年代紀よりも信頼できる史料であり、或いは年代紀の重要な補
充になる。伝記文学の内容は、年代紀・当時の档案(中国における公文書)なども参考にして
作成したものなので、この面でも歴史的価値が高いだろう。
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