...

世界の経済圏:レーガンの登場(1)

by user

on
Category: Documents
12

views

Report

Comments

Transcript

世界の経済圏:レーガンの登場(1)
第158号
2007年5月16日(水)
世界の経済圏:レーガンの登場(1)
サッチャー女史が、「小さな政府」を目指す新自由主義の考え方で「英国病」
に悩む英国経済の再生を実践し始めた頃、世界最大の経済大国、米国におい
ても同じような考え方をする大統領が誕生したんだよ。
その大統領は、第40代米国大統領、ロナルド・ウィルソン・レーガン
(Ronald Wilson Reagan)という人なんじゃ。知ってるかな?
レーガン大統領は「強いアメリカの復活」を目指した大統領として、第35
代ケネディー大統領と共に有名な大統領だよ。
また、ハリウッドの映画俳優から大統領にまで出世したということで、アメ
リカン・ドリームの代表的存在としても有名な人だよ。
カリフォルニア州知事の後、大統領になった人じゃが、日本で「シュワちゃ
ん」として人気のある映画俳優アーノルド・アロイス・シュワルツェネッ
ガー(Arnold Alois Schwarzenegger)も現在、カリフォルニア州知事だ
ね。彼も大統領候補としてみられているんじゃが、彼はオーストリア生まれ
の米国人だから少し難しいかもしれないね。
もちろん知ってますよ。当時の日本の首相、中曽根康弘(1982年∼87年)さ
んとは、ロン・ヤスと呼び合うほどお互いに信頼を築き上げ、日米関係が非常に
よくなったことでも有名ですよね。
また、「強いアメリカ」政策はカーター政権での経済・外交の失敗が大きいです
米国:歴代大統領
代
氏名
任期
政党
35
ジョン・ケネディ
1961∼63
民主党
36
リンドン・ジョンソン
1963∼69
民主党
37
リチャード・ニクソン
1969∼74
共和党
38
ジェラルド・フォード
1974∼77
共和党
39
ジミー・カーター
1977∼81
民主党
40
ロナルド・レーガン
1981∼89
共和党
41
ジョージ・H・W・ブッシュ
1989∼93
共和党
当時はソ連との冷戦状態にあり、
その中で起こったイラン革命の
下。イラン米国大使館での人質救
出の失敗(1979年11月)は
米国の国際的位置の低下を国内外
に知らしめたんですよね。米国の
国際的権威失墜がレーガン大統領
を誕生させたんですね。
第159号
2007年5月18日(金)
世界の経済圏:レーガンの登場(2)
1977年1月に第39代大統領になったジミー・カーターさんは、197
9年に勃発したイラン革命とその後の第二次石油危機によって世界が大変な
時代に直面した時に、大統領を任されたんですね。
そして、米国も石油価格の急騰で、景気停滞と物価上昇が同時に存在すると
いうスタグフレーションになっていたんですよね。
下のグラフでみても、カーターさんが大統領になった77年から78年にか
けて米国の実質経済成長率は高くなっているけれど、第二次石油危機が起
こった79年からは成長が大幅に鈍化、80年にはマイナス成長になってし
まっているわね。
物価も消費者物価でみて、79年から80年にかけて急上昇し、二桁のイン
フレになってしまったんですね。景気が悪いから当然ですが、低下してきた
失業率も80年から上昇し、失業者も79年の614万人から80年には一
挙に154万人増えて、767万人に達していますね。
スタグフレーションの度合いを示すのに、物価上昇率に失業率を加えた指標
を使うと以前すいきょう先生から習いましたが、民主党のカーターさんが政
権を担当してから経済大国である米国は本格的なスタグフレーションに落ち
込んでいったんですね。大国である米国でも例外ではなかったんですね。
米国:実質GDPと物価(前年比、%)
(%)
米国:失業率と失業者(%、万人)
(%)
14
12
(万人)
1200
失業者(右目盛)
12
実質GDP
10
消費者物価
10
8
6
1000
失業率
8
800
6
600
4
400
2
200
4
2
0
0
-2
75
76
77
78
出所: Bureau of Economic Analysis
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
0
75
76
77
78
79
80
出所: US Bureau of LaborStatistics
81
82
83
84
85
86
87
88
89
第160号
2007年5月21日(月)
世界の経済圏:レーガンの登場(3)
スタグフレーションに見舞われた米国経済に対して、カーターさんは深刻な
不況からの脱出と失業者の救済だったんですね。
そこで採用された政策は、大型の財政支出で雇用の創出を行おうとしたんだ
けれど、インフレがさらに一段と高まるなどして有効な政策にはならなかっ
たんですよね。不況とインフレが共存するという経済現象は初めてだったか
ら、それまでの政策では効力が無かったんですね。
そこでベンチャー企業や新規参入者が出やすくするために規制緩和を行ったん
ですよね。
とくに60年代後半から海外旅行が一般的になってきた中で航空運賃の価格競
争が激化し、さらに石油価格の高騰で航空会社の経営体質が悪化していたの
で、1978年にカーター政権は航空自由化政策、別名「ディレギュレーショ
ン(Deregulation)」政策が採られたのよ。
「規制緩和」が叫ばれる時代が今でも続いているけれど、「規制緩和」を推進
したのはカーターさんの次の大統領であるレーガンさんではなく、民主党の
カーター政権が最初ということになりますね。
そういうことになるね。「規制緩和」という言葉は自由競争をさせることで経
済を活性化させる方法であると世界的に信じられているようじゃが、カーター
政権が行った「航空自由化政策」は今でも大きな疑問を投げかけているという
ことも知っておく必要があるね。
「航空自由化政策」によって、米国では航空会社が乱立し、さらに路線や運賃
を自由に決められることから、大混乱となったんじゃ。日本で海外旅行が人気
が出た時、いつかはパン・アメリカン航空に乗って行きたいと皆が思ったぐら
い有名な会社だったんじゃが、競争に負けて消滅してしまったんだよ。
大手の航空会社が潰れて、格安航空会社が乱立してきたことで、米国の象徴的
な産業であった民間航空業が消滅の危機に晒されているということだね。
第161号
2007年5月23日(水)
世界の経済圏:レーガンの登場(4)
カーター政権の経済政策の失敗により、日々高まるインフレ圧力に対して立
ち向かう人が現れたんだよ。その人は、ポール・ボルガーという名前のFRB
(連邦準備制度理事会)議長なんじゃ。FRBとは中央銀行のようなもの
じゃ。その議長は、日本でいえば日本銀行の総裁のような立場の人だね。
それまでの考え方では、失業率を低下させようとしたら、インフレを起こせ
ばよいというもので、「インフレ率と失業率の間には負の関係、すなわち、ト
レード・オフの関係がある」という考え方が金融政策の基本だったんじゃ。
しかし、インフレと高失業率が共存するというスタグフレーションに見舞わ
れた米国経済において、インフレ率と失業率のトレード・オフの関係を重視
する金融政策から、インフレは通貨供給量によって決まるという考え方が主
流になってきたんじゃ。
この考え方は、ミルトン・フリードマンなどマネタリストと呼ばれる学者達
によって提唱されたもので、ボルカーFRB議長はこの考え方から金融政策を
大きく変化させたんだよ。
ということは、金融政策の手段が金利中心から、通貨供給量を調整するというこ
とに変化したんですね。だから米国の金利がボルカーさんがFRB議長になってか
ら急激に上昇しているんですね。
二桁の金利水準では、さすがに景気が悪化してモノが売れなくなり、結果的に物
価、すなわち、インフレが低下してきますね。
米国:歴代FRB議長
米国:政策金利の推移(%)
(%)
15
氏名
任期
アーサー・F.・バーンズ
70年2月ー78年1月
G・ウイリアム・ミラー
78年3月ー79年8月
14
公定歩合
13
フェデラル・ファンド・レート
12
11
10
ポール・A・ボルカー
79年8月ー87年8月
アラン・グリーンスパン
87年8月ー06年1月
ベン・S・バーナンキ
06年2月ー
9
8
7
6
5
75
76
77
出所: FRB
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
第162号
2007年5月25日(金)
世界の経済圏:レーガンの登場(5)
インフレと戦うボルカーFRB議長さん
の登場で、金利が急上昇した訳ですけ
ど、物価上昇率をみると、80年に前
年比で13.5%まで上昇した消費者物
価はその後着実に低下し、82年には
6.1%とインフレ率は80年の半分以
下にまで低下していますね。
米国:実効ドルと金利
(%)
(1973年=100)
150
16
140
14
130
12
120
10
110
8
100
6
実効ドルレート(1973年=100)
90
しかし、物価が低下する反面、80年
のマイナス成長から回復した米国経済
ですが、83年には再びマイナス成長
に落ち込んでいますね。
インフレを抑えるために、景気を犠牲
にしたということですから、カーター
大統領の人気は悪化するばかりです
ね。この景気悪化による人気低下が共
和党のレーガン大統領の登場を決めた
ようですね。
4
公定歩合(右目盛)
80
2
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
米国:実質GDPと物価(前年比、%)
(%)
14
12
実質GDP
10
消費者物価
8
6
4
2
0
-2
75
76
77
78
79
80
81
82
83
84
出所: Bureau of Economic Analysis
そうじゃね。インフレ・ファイター(インフレに戦う人)と呼ばれたボルカー
FRB議長の金融政策が民主党のカーターさんの再選を阻んだことは確かだね。
ところで、金利の上昇は低迷していた米国ドルの価値も引き上げることに働い
たんじゃよ。米国との貿易で関係の深い国々の通貨に対する米国ドルの価値を
示す実効ドルの動きをみると、80年9月を底に上昇を始め、82年には約3
0%程度強くなっているね。
通貨が強くなると、その国の商品の値段が高くなって輸出が伸びなくなり、景
気にマイナスに働き、逆に輸入品は値段が下がって増加し、これも景気にマイ
ナスとなるんじゃが、安く海外から商品が入るので、物価は低下するよね。
だからドル高は米国の景気悪化の裏でインフレが低下する働きをしたんだよ。
85
86
87
88
89
第163号
2007年5月28日(月)
世界の経済圏:レーガンの登場(6)
景気が良くなれば、モノやサービスに
対する需要が増加するから、モノや
サービスの価格、すなわち、物価が上
昇してくるのが普通だね。
しかし、石油危機後、米国をはじめ各
国で、物価が高騰する一方で景気も停
滞してしまったんじゃね。これまでに
経験したことのない状態が起こったん
じゃったね。だから、この新しい経済
状態をスタグフレーションと名付けた
ということはすでに学んだよね。
米国:失業率と失業者
(%)
(万人)
12
1,200
10
1,000
失業者(右目盛)
失業率
8
800
6
600
4
400
2
200
0
0
60
65
出所: Bureau of Labor Statistics
70
75
80
85
米国:失業率と物価の関係
10
9
8
80
失
業 7
率
︵
% 6
︶
米国でも、景気が悪くなって働く場所
が少なくなり、失業者が増加している
ね。当然、失業率も第1次石油危機後
の75年に8.5%、第2次石油危機後
の82年には9.7%に上昇している
ね。
60
5
70
73
4
3
0
2
4
出所: Bureau of Labor Statistics
6
8
消費者物価(%)
景気が良くなれば失業率は下がるという景気と失業率の関係を最初に見つけた
経済学者がいましたね。この法則はその経済学者の名前を付けて「オーカンの
法則」と呼ばれていますよね。「オーカンの法則」に従うならば、横軸に実質
経済成長率、縦軸を失業率として両者の関係を描いたグラフを眺めると、両者
の関係は右下がりの関係になるはずですね。
米国についてみると、60年代後半は横軸に平行、すなわち、実質経済成長率
が変化しても、失業率は大きく変化してませんね。70−71、80−81、
82−83年は景気が良くなっても失業率は上昇、74−75年は成長率が変
化しなくても失業率が上昇した時期ですね。60年代後半には失業率の低下に
限界が見えてますが、組合などが強かったんでしょうね。石油危機後は「オー
カンの法則」が観察されない時期が多くなり、米国も英国と同じように、これ
までの経済政策では対応できない経済体質になっていたんですね。
10
12
14
第164号
2007年5月30日(水)
世界の経済圏:レーガンの登場(7)
スタグフレーションに陥った米国では、景気を良くするためにこれまでのよう
に財政支出を増加させても、物価が上昇するだけで失業率も改善しない状況に
なったことを見てきたね。この時期に登場したのがレーガンだったんじゃ。
レーガンは大統領選挙のキャンペーンで、(1)財政支出の大幅削減、(2)減
税、(3)規制緩和、(4)インフレ抑制、という4つの政策による米国経済の
再建を訴えたんだよ。
米国国民は、レーガンの4つの政策に「強いアメリカ」の再現を期待して、1
981年、第40代米国大統領にレーガンを選んだというわけじゃ。
そして、大統領となったレーガンは1981年2月18日「米国の新しい旅立
ち」(America s New Beginning) と名付けた「経済再建プログラム」(A
Program for Economic Recovery )を発表したんだ。この4つの政策を柱
としたレーガンの経済政策は「レーガノミックス」と呼ばれるものなんだよ。
レーガン大統領の4つの政策
1
財政支出の大幅削減(防衛費を除く)
2
個人・法人税の大幅減税
3
政府規制の緩和
4
マネー・サプライの管理(インフレ抑制)
レーガン大統領は米国経済の再建に関して4つの政策の柱を発表したんですけ
ど、レーガン大統領がその中で重要な政策の柱として考えていたのは、1番目
の財政支出の大幅削減による財政収支の改善、そして個人と法人に対する税率
を大幅に下げて、個人の貯蓄を増やす一方で企業の投資を刺激しようとする第
2番目の政策ですね。
米国は英国と違って国有企業が少ないので、サッチャー英国首相が推し進めた
政府規制の緩和より、個人や企業に対する課税を少なくして、民間部門の活性
化することで米国全体の生産性を向上させようとしたんですね。
第165号
2007年6月1日(金)
世界の経済圏:レーガンの登場(8)
石油危機の発生、中東情勢の悪化、東西関係
の緊張など世界環境が大きく変動する中で、
ひ弱なイメージのカーター大統領に対して、
「強いアメリカ」の再現を期待されたレーガ
ン大統領は、どのようにして米国国民に応え
ようとしたのですか?
米国:防衛費の推移(億ドル)
(億ドル)
(%)
3,500
60
3,000
2,500
40
2,000
30
1,500
「強いアメリカ」というと、軍備というイ
メージがすぐ頭に浮かびますが?
50
防衛費
財政支出に対する構成比(右目盛)
20
1,000
10
500
0
0
60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89
出所: Economic Report of President, 2007
米ソの関係は、1972年に第1次戦略兵器制限交渉(SALT1:Strategic
Arms Limitation Talk)が当時のソビエト指導者ブレジネフ書記長とニクソン
大統領とで調印され、米ソの緊張緩和、いわゆる「デタント」
(Détente:緩和
を意味するフランス語)の時代を迎えたんじゃ。そして、1979年にはブレ
ジネフ書記長とカーター大統領との間でSALT2も調印されたんじゃ。
しかし、その後すぐにソビエトはアフガニスタンに軍事介入をしたことによっ
て東西緊張緩和「デタント」の時代は終わり、米ソ間の緊張が再び高まってし
まったんじゃ。それで、カーター政権は米国の再軍備プログラムを開始し、そ
の後米ソ間での緊張が一段と高まる中でレーガン大統領が登場したというわけ
なんじゃ。
だから、当時のソビエトの軍事力拡大に対抗するため、財政支出削減の下、
レーガン大統領は国防費だけは優遇し、大幅に拡大していったんじゃ。
歴代米国大統領とソビエト指導者
米国歴代大統領
氏名
ジョンソン
レオニード・ブレジネフ
ニクソン
フォード
カーター
地位
任期
党中央委員会第一書 64∼66
党中央委員会書記長 66∼82
レーガン
ユーリー・アンドロポフ
党中央委員会書記長 82∼84
コンスタンチン・チェルネンコ
党中央委員会書記長 84∼85
ミハイル・ゴルバチョフ
ブッシュ
党中央委員会書記長 85∼91
ソビエト連邦大統領 90∼91
第166号
2007年6月4日(月)
世界の経済圏:レーガンの登場(9)
レーガン大統領の経済政策、「レーガノミックス」の重要な柱となっている減税
政策に関して、おもしろい考え方が採用されたんじゃよ。
人間は「死ぬ」ことと「税金を払う」ことは逃れることはできない・・・などと
よく云われるが、あまり税率が高いと働く意欲がなくなってしまったり、高い税
率の国から低い税率の国へ出て行ってしまうというのではないか・・・などと考
えたわけじゃ。
そこで登場したのが、税率と人間の労働意欲満足度合いとの関係を示した曲線、
「ラッファー・カーブ」が減税政策の論理原則的なものとなったんじゃ。
ラッファー・カーブ:税率と税収との関係
︵
RA
︶
税
収
RB
禁止領域
B1
A
(税率)
B2
この曲線の考え方は・・・
例えば、税率がB1の時、税収
がRBですね。税収を増加させ
るために税率を少しづつ上げて
いくと税収も増加していきます
が、ある税率以上になると働い
て所得が増えても、その大半が
税金でとられてしまうので、そ
れ以上頑張って働く意欲がなく
なってしまう。だから、ある税
率(A)の時、税収が(RA)にな
り、それ以上の税収を求めて
税率を上げていった場合、例えば、税率をB2にしたとしても税収はRBとなり、よ
り低い税率B1の時と同じ税収RBにしかならない。あまり高い税率だから、人々は
働く意欲が無くなり、所得も増加せず、結果的に税収も伸びないということです
ね。だから、人間が一番働く意欲が高くなる税率は税率B1からB2の間にあり、こ
の図では税率がAの時、税収は最高のRAとなるということですね。
だから、米国の税率が高くて禁止領域にある場合、税率を下げると勤労意欲が高ま
り、結果的にみて、税収は逆に増加することになるという考え方ですね。
第167号
2007年6月6日(水)
世界の経済圏:レーガンの登場(10)
ラッファー・カーブ
︵
ところで、レーガン大統領の経済政策、
「レーガノミックス」の減税策の基本的な
考え方として「ラッファー・カーブ」が登
場したことはわかったね。
︶
満
足
度
この「ラッファー・カーブ」を使った考え
方はその後いろいろな分野でも活用されて
いるんだよ。
(最適利用)
例えば、経済社会において、自然、資源、福祉、著作権などの最適な満足度を考える場
合などに「ラッファー・カーブ」を使った考え方が用いられることがあるんだよ。
最近、中国などアジア経済の台頭により環境問題が非常に重要な問題になってきていま
す。これを「ラッファー・カーブ」を使った考え方で眺めると、自然を活用し始めると
社会における人間の満足度が増加し始めますが、そうかといって自然を必要以上に使い
出すと、異常気象や資源の枯渇、原材料価格の高騰などが起こり、自然と共に生きてい
く人間の満足度は低下し始めます。だから、自然はタダだからという考え方を止めて、
その使用量を減少させるための技術や再生産に向けた環境整備などを行わなければなら
ないという世界的な合意が必要だという動きが出てくるんじゃね。
また、インターネットの急速な普及やPCの性能向上から、映画や音楽、ゲームな
どのDVD、CDをコピーし、販売するという海賊版が大量に出回ってきています
が、この取締に対して「ラッファー・カーブ」を使った考え方で見解を述べる学者
さんなどが出てきていますね。
映画など著作権の保護が大事ですが、その著作権の保護をあまり問題にしないと海
賊版DVDなどが市場に氾濫して利益が上がらない一方で、その保護のため取り締
まりをより厳しくしようとすると、そのための費用が膨大なものとなってしまい、
利益が減少してしまう・・・という考え方ですね。皆さんも、身の回りのことで、
この「ラッファー・カーブ」を使った考え方ができないか眺めてみませんか?
第168号
2007年6月8日(金)
世界の経済圏:レーガンの登場(11)
さてさて、ラッファー・カーブの考え方などに共鳴したレーガン大統領は、個人
や企業にヤル気を起こさせようとして、1981年6月に大型の減税政策を発動し
たんですよね。
個人には、最高税率が70%であった所得税率を50%へ引下げたり、退職年金
の掛け金や共働きに対する控除額を引き上げたりして、働く意欲を生み出そうと
したんですね。頑張って働こうかという気になりそうですね。
企業に対しては、中小企業の法人税を引き下げたり、生産の拡大や効率を上げる
ために企業が行う設備投資に対して、加速償却の制度を導入したりして応援しよ
うと考えたんですね。
しかし、個人に対する減税政策は勤労意欲の向上や貯蓄の増加という点では、残
念ながら目立った効果は出なかったんじゃ。他方、企業に対する設備投資の促進
に関しては効果が表れたんじゃが、しかし、その効果も期待したほどではなかっ
たという結果になってしまった。
その結果、1982∼83年にかけて、財政の収支が大幅な赤字となってしま
い、その後の米国経済の財政赤字体質が続くキッカケとなってしもうたんじゃ。
減税はラッファーが考えたようには人の気持ちを簡単に変えられなかったんだ。
米国:
(億ドル)
連邦政府財政収支(億ドル)
(億ドル)
12000
11000
4000
財政収支(右目盛)
3000
歳入
10000
2000
歳出
9000
1000
8000
0
7000
-1000
6000
-2000
5000
-3000
80
81
82
83
出所: Economic Report of President, 2007
84
85
86
87
88
89
第169号
2007年6月11日(月)
世界の経済圏:レーガンの登場(12)
レーガン大統領の経済政策は期待したほどの効果がでなかったという結果になっ
たんじゃが、ここで少しレーガンさんが期待した結果が出にくかった背景を眺め
てみようね。
レーガンさんが大統領になる前に、インフレファイターとして有名なボルガーさ
んが米国連銀の議長だったことを話したね(第161号)。ボルガー議長は石油危
機で物価が高騰したため、インフレを抑えるために金利を非常に高くしたんだっ
たよね。 これが、レーガンさんの経済政策の効果を弱める働きをしていたんだ
よ。そして、景気が立ち上がると同時に、新しい問題が見えてきたんだよ。
米国:公定歩合と10年物国債利回り
(%)
16
左の図を眺めて、気が付きました!
米国ドルの価値が大きく上昇したこ
とですね。
15
公定歩合
14
10年物国債利回り
13
12
11
10
9
8
7
6
5
80
81
出所: 米国連銀
82
83
84
85
86
87
88
89
米国ドルの実効レートと円ドルレート
(1973年=100)
(円/ドル)
170
280
160
260
米国ドル(実効レート)
150
円の対ドルレート(右目盛)
240
140
220
130
200
120
180
110
160
100
140
90
120
80
100
80
81
出所: 米国連銀
82
83
84
85
86
87
88
米国の政策金利である公定歩合は
レーガンが政策を公表した81年6月
に14%となり10月までその水準
を維持したんですね。その後、金利
を引き下げたため、10年物国債利
回りなど市場で決まる金利も82年
半ばに一旦下がりました。しかし、
景気の回復と共にその後はそれまで
以上に高くなっていますね。
89
金利が高い国へ海外から資金が入っ
てくるので、その国の通貨は高くな
る。すなわち、ドルが強くなって、
輸出が弱くなり、輸入が増える。景
気を強くした効果が弱められるとい
うことですね。変動相場制による新
しい出来事ですね。
Fly UP