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(TB)の歴史

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(TB)の歴史
TB & ME: 結核(TB)の歴史
結核は現代の世界でも最も死亡者の多い病気
結核 ってどんな病気?
結核は英語で“Tuberculosis”(TB)
結核菌によって引き起こされる感染症
結核の典型的な患部は肺(肺結核)
ただし、他の部位に感染することもあり(肺外結核) 肺結核患者が咳やくしゃみをすると結核が空気中に広がる
フメザの場合:
いまのところ、すべて順調で
気持ちをしっかり持ってさえいれば、よさそうです。
いずれ、何もかもが元通りになるという
希望と確信さえ失わなければ。
結核を経験して人生の良さに気づくか
それとも最悪の人生を送るか――
それは、長い治療の日々を
どのように闘いぬいていくかによります。
フメザにメッセージを送ろう
BLOGS.MSF.ORG/TB
年表
古代エジプト初期王朝時代 にも
結核は存在していた
紀元前
3700
年頃
結核は古代の世界でも
よく知られていた
コス島のヒポクラテスが
結核について
優れた臨床記録を残す
紀元前
400
年頃
ルネサンス期のイタリアで
医師ジローラモ・フラカストロが
結核の感染性に気づく
1500
年頃
19世紀は総じて
結核の感染管理が
行われていなかった
1882年
1860
年代
フランスのルイ・パスツール が
ロベルト・コッホが
結核菌分離に成功する
結核が空気感染する可能性を示唆する
ただし、当時は異論も多かった
.
医学界も結核の感染性を認め、
根絶のための統一的な対策が
講じられるようになる
欧米でサナトリウムの設置が盛んになる
1904年
アメリカで
全国結核研究予防協会が設立される
多剤耐性結核
ってなんだろう
欧米の多くのボランティア活動の先駆けとなる
多剤耐性結核は英語で
Multidrug-Resistant TB
(MDR-TB)
標準的な薬が
効かなくなった
結核のこと
1921年
結核ワクチンBCG
(カルメット・ゲラン菌)が実用化される
またたく間に欧州に普及し
現在でも世界中で使用されている
治療が通常よりはるかに困難で
治療期間もはるかに長い
薬剤耐性結核(DR-TB)の圧倒的多数が
治療の中止、医療従事者による誤った治療、
薬の供給の中断、有効期限の過ぎた薬や
粗悪な薬の使用が原因
1930
年代
ハーバード・メディカル・スクールの
ウィリアム・ウェルズ が
結核の空気感染を証明する
1944年 ストレプトマイシンの発見
1944~
1960
年代
セルマン・ワクスマンが発見した抗生物質
しかし、薬剤耐性が問題となる
1952年 イソニアジドの抗結核作用の発見
現在も結核治療の
第1選択薬として使われている
最近のデータでは
多剤耐性結核も
人から人へ感染することが
指摘されている
結核が
人体に
もたらす影響
1960年代
もっとも適切な治療期間が2年で
通院治療でも成果があると結論づけられる
とは
結核は
肺に感染することが多い
1970
年代
活動性結核を治療しなかった場合の
死因の多くは肺結核
活動性結核の典型的な症状は
咳、痰、発熱、体重減少
1970年代
結核治療薬がある限り
薬剤耐性も存在する
死亡リスクは
感染時期、治療開始の時機、免疫力の状態
によって異なる
リファンピシンが直面した問題も
の出現だった
多剤耐性結核(MDR-TB)
アソンの場合:
副作用はたくさんあるのですが すべてを説明することはできません。
よく思い出せないのです。
両手両足がとても熱くなります。
燃えるような感覚です。痛みます。
片足が冷たく、もう片方が熱いということもあります。
燃えるようで、落ち着いて座っていられません。
発熱もしています。
咳をすると、血痰が出てきます。
生きた心地のしないときがあります。
まるで死人になったような気持ちになるのです。
アソンにメッセージを送ろう
BLOGS.MSF.ORG/TB
自分が1日を
どう過ごしているのかわかりません
思い出せないんです
多剤耐性結核にかかると
とても気だるくなります。
朝早く起きることもあれば、寝坊することもあります。
寝たり起きたりを繰り返すことも。熟睡することもできません。
朝食は薬をもらう午前9時です。薬を飲むとまた眠ります。
疲れを感じるとベッドへ行き、少し眠るのです。目が覚めてまた眠ります。
午後3時か4時に、もう1度薬をもらいます。
薬を飲んでじっと座っているだけです。
外出はできません。何もできません。
20世紀:
結核に対する根強い偏見 が、
症例数の正確な把握の妨げとなる
世界保健機関(WHO)が
「結核は国際保健医療の緊急事態」
と宣言
当時の推計で、
年間患者数700万~800万人
死亡者数130万~160万人
1993年
超薬剤耐性結核(XDR-TB)が
初めて公式に報告される
その定義がこちら↓
1次選択薬・2次選択薬であるイソニアジドと
リファンピシンへの耐性
フルオロキノロン類の抗生物質の
少なくとも1つへの耐性
3つの注射2次薬の少なくとも1つへの耐性
2006年
2010年
推計で結核患者数1200万人
(そのうち多剤耐性結核の患者数65万人)
死亡者数150万人
(世界の平均死亡率が史上最悪を記録)
早期治療
WHOが「国際保健医療の緊急事態」を宣言した
1993年の数値よりもはるかに高い
20世紀初頭の結核治療には、
安静、サナトリウムでの療養、新鮮な空気、
日光、心の平穏、そして楽観主義が
構成要素として含まれていた
現代の治療
2010年
結核治療には、
いまなお20世紀後半に開発された薬が用いられている
通常の結核の治療期間は6ヵ月で費用は
患者1人当たり21ドル(約1700円)程度
多剤耐性結核の標準的な治療には、18∼24ヵ月ほどかかる
患者1人当たりの費用は4400∼9000ドル(約36万∼74万円)
21世紀の結核監視:
WHOと国際肺疾患予防連合(UATLD)の
世界プロジェクト
「薬剤耐性結核監視グローバルプロジェクト
2011~
2012
年
現状は……
(the Global Project: the Global Project on
Anti-tuberculosis Drug Resistance Surveillance) 」
の一環として、少なくとも1件の
超薬剤耐性結核を報告した国の数は、
2011年までに69ヵ国に及ぶ
いま必要なものは:
多剤耐性結核の報告例は
増え続けている
WHO基準で診療を受けている
多剤耐性結核患者は全体の10%以下
医療環境が未整備で有病率が高い地域では
さらに数値が下がる
結核の新しい診断法が実用化され始めており、
命を救うための普及が求められる
多剤耐性結核を防ぐにはさらなる治療法の開発が必要
毒性や治療期間の負担が少なく、
子どもにも適用できる治療法が望まれる
新しい診断法
新しい治療法
マリアム・ダブチャン
の場合:
険しい道を希望に向かって歩み始めたのは
そのときです
MSFのスタッフと面談し 治療の進め方や薬の副作用についての心配を伝えました。
1度は治療を断念した理由も話しました。
病気を乗り越えるために支えてほしいとお願いしました。
一方で、2年間も抗結核薬を使った治療を受けると思うと 本当に治療を続けられるのかと自信が揺らぎました。
何もかも最初からやり直さなければいけませんでした。
まずは入院です。怖くて不安でした。
でも、献身的で優秀なお医者さんが支えとなり 完治を目指して入院することに同意しました。
マリアムにメッセージを送ろう
BLOGS.MSF.ORG/TB
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