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5月号 - e-dream-s

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5月号 - e-dream-s
e-dream-s
No.77
発行:2007 年 5 月 13 日
通信
特定非営利活動法人
目
イー・ドリームズ
次
1.ニコニコ動画
辻
荘一
p. 2
2.大人の味:最近の読書から
井川好二
p. 4
3.ある年次総会
中川房代
p. 9
4.八十の手習い
山田昌子
p.11
5.筋肉痛と新しい私
塚本美紀
p.13
6.新たな ECAP を目指して
岡田かおる
p.14
7.東京だわ-:情熱と気配りと、時々、セレブ
仙崎裕右
p.16
8.My dream ~バングラデシュでの学校経営にむけて~
玉木由美
p.19
9.ECAP2007募集要項
p.23
10.お知らせ
p.24
モンゴル
ノコンギクとマルハナバチ
1
撮影:井村康雄氏
ニコニコ動画
代表理事
辻荘一
映画になくてテレビにできることは、いろいろ突っ込んだり悪口を言いながら見る事にある。
これこそテレビの真骨頂と行ってもよい。真面目にニュースを読んでいるアナウンサーのネ
クタイの趣味の悪さをあれこれ言われたり、中年期を迎えたアイドルタレントがカツラでは
ないかと詮索されたり、殺人事件の第1発見者が犯人ではないかと疑われたり、などという
ことが毎日各家庭で行われていることは想像に難くない、というかそれ以外のテレビの見方
があるかどうかさえ疑わしい。
さてこのようにそれが望ましいあり方かどうかは別にして、突っ込みを入れながら観るのが
「正しい」テレビの観方であるわけだが、これができるのは誰かと一緒に観ている人だけで
ある。ではひとりで観ている人間はどうすればいいのか。テレビではなくインターネットサ
ービスではあるがそんな人のために「ニコニコ動画 1 」がある。
例によってWikipediaによれば「ニコニコ動画」とは、
動画を直接アップロードするサービスではなく、動画投稿サイトである
SMILEVIDEO、AmebaVision、フォト蔵へアップロードされた動画にリンクして活用
するサービスである。(中略)全ての動画に対して、文字色や文字の大きさ・表示
方法などを数種類から選び、その動画の好きな位置に自由にコメントを行うこと
ができ、投稿されたコメントはリアルタイムで表示される。コメントには投稿者
の名前を付加することもできるが、ペンネームないしハンドルネームを付加する
ユーザーはごくわずかである。(中略)1つの動画につき、再生時間の長さによっ
て250から最大1000のコメントまでが表示されるように構成されており、それを越
えた場合には古いコメントから順に表示されなくなる構造となっているが、コメ
ント自体は実際には全て保持されている。
画面のキャプチャ画像を観ていただければ分かる通り、テレビではなくインターネット上で
声ではなく文字を使うという違いがあるものの、まさに突っ込みを入れながら観るテレビそ
のものである。さらにお茶の間が日本全国に広がったようなものだから、かなりマニアック
な動画や、一部の人間に、しかしディープな人気のあるタレントの動画に同好の士が集まっ
てあれこれ言い合うなどということが、どこにも出かけることなく家にいながらにしてでき
るという、画期的なサイトでもある。
もちろん問題もあって、著作権や、アップされている動画やそれに対するコメントが公序良
俗に反するなどということもある。
1
http://www.nicovideo.jp
2
Nikkei BPNet NET MARKETING掲載のコラムで佐々木俊尚は次のように述べる。
まるで2ちゃんねるのスレッドやはてなブックマークのメブクマコメントモが
どんどん書き込まれている様子をリアルタイムで眺めているようなインター
フェイスを持っており、日本のインターネットユーザーの熱狂的な支持を集め
た。2ちゃんねる管理人のひろゆき(西村博之)氏が監修を務めており、その
2ちゃんねる的なテイストが非常に強烈な印象を生み出している。地味な内容
の動画であっても、加えられるコメントが面白ければ、それだけで爆笑コンテ
ンツに変身してしまう。コンテンツの主体を動画そのものではなく、コミュニ
ケーションのやりとりにシフトさせてしまっているのだ。いわば「2ちゃんコ
ミュニティ」とYouTubeを融合させたような試みであり、ネタ視聴のひとつの
方向性としてきわめて興味深い試みだった。
このテレビを媒介としてコミュ
ニケーションする、あるいは面
白くない番組をコメントするこ
とによって楽しく観るという視
聴作法がユニバーサルなものか
どうかは分からない。アメリカ
にも同様のサイトがあるのか調
べてみたが、どうもないようだ。
これはいったいなぜか。テレビ
の見方が日本とは違うからか、
ちょっと聞いてみたいところで
はある。
ちなみに、「ニコニコ動画」は
コメントは右から左に流れて行く
あまりの人気にアクセス制限
をかけていて、登録しなければ観ることはできない。
3
e-dream-s.come.true
大人の味:最近の読書から
井川
好二
春の終わりは、藤の季節。奈良の春日大社や宇治の平等院の藤も見事だが、南河内の葛井
寺 2 の藤の花も見事。寺名には、「葛(くず)
」の字をあてるが、「ふじいでら」と読む名前
の通りである。ちなみに、町の名前は、藤井寺市である。
満開の桜のような、ほとばしる華麗さはないが、棚にたわわに花をつけた藤には、幻想的
な妖婉さも感じられる。いわば、大人の魅力。あるいは、そういう魅力に気づくことが、
大人と云うことなのかも知れないが・・・
(西国三十三ヶ所五番札所葛井寺の藤
Photo by Koji Igawa)
葛井寺は、実は職場の近く。いつでも行けると思っていても、なかなかその機会に恵まれ
ず、先週ようやく時間を見つけ、藤の花の終わりに間に合った幸せ。見事であった。
葛井寺のご本尊は、千手千眼観世音菩薩坐像。千の手で迷える衆生を救う大慈悲を示して
いると云われる。国宝である。秘仏 3 のため、毎月18日のみに開帳される。是非その開帳
2
葛井寺【ふじいでら】大阪府藤井寺市にある真言宗の寺。百済系渡来氏族葛井氏が 8 世紀
に建立した氏寺。8 世紀後半作の千手観音像(国宝)を蔵し,豊臣秀頼建立の四脚門(重文)をも
つ。[岩波日本史辞典]
3
ひ‐ぶつ【秘仏】厨子などに大切に納めて、特別の時にしか一般に公開しない仏像。[明
鏡国語辞典]
4
の折に、再度の訪問をと思う。
広辞苑によれば、「大人」とは、「考え方・態度が老成しているさま。分別のあるさま」を
云うとあるが、なかなか「老成」もしないし、「分別」もつかないのはどうした訳か?まあ、
不徳の致すところと云うことだろうが・・・
大人と云えば、関西人の私にとって、蕎麦は、「大人の味」である。つまり、幼い時にはあ
まり食した記憶がなく、好きだと思ったこともないが、長じて徐々に味が分かるようにな
り、美味いと思えるようになったのは、40代。ようやく、と云う感じである。英語で云
えば、acquired taste 4 . 努力の結果分かるようになった味のことである。
それで、人生修行の足りない私も、歳を重ねて少しは大人の味がわかるようになってきた
のかも知れない。今回はそういう観点から、最近読んだ本で、「大人の味」と思えるものを
紹介する。本人がそう思っているだけで、ちっとも大人の味ではないかもしれないが、そ
の場合は、笑ってご容赦。
(1)須賀敦子(1993).「ヴェネツィアの宿」東京:文藝春秋。
須賀の作品は、前から時々紹介しているが、「ヴェネツィアの宿」では12のエッセイに、
彼女の亡くなった父への慕情が甘く、時には苦く綴られている。本のタイトルにもなって
いる最初の一編「ヴェネツィアの宿」が好きである。彼女が仕事で訪れたヴェネツィアの
ホテルの狭いベッドで、眠れぬ夜を過ごしながら、父親のことを思い出す。
ぜいたくが好きだった父のことを、せまいキャビン・ベッドのなかで思い出して、あ
のひとがヴェネツィアに来たときは、いったいどんな宿に泊まったのだろうと考えた。
おそらくは、どこの街でもそうだったように、グリッティとかバウエル・グリュネワ
ルトといった、とびきり豪華なホテルのひとつだったに違いない。朝、起きてカーテ
ンをあけると、靄のなかをせわしく往来する船が見えるような、夜、盛装して食堂に
降りることが、そのままひとつのかがやかしい演技であるような、そんなホテルだっ
たに違いない。(p. 20)
ヨーロッパの一流ホテルの、夢のような夜が、眼に浮かぶ。この本は以前友人から貰い、
長く本棚で誇りを被っていたのを、最近になって何気なくて手に取って、読み出した本で
ある。必ずしも幸せだったとは云い難い親子関係なのだろうが、父のことを語る娘の少し
誇らしい調子が微笑ましい。
須賀は、関西生まれ。東京の大学へ行き、イタリアとフランスへ留学。語学はかなり堪能
4
acquired taste : 1 a thing that one has come to like only through experience : pumpkin pie is an
acquired taste. 2 a liking of this kind : an acquired taste for tobacco.(OAD)
5
だったと見える。
私が[東京の]女子大の寮にいたころ、父は関西から出てくると、うれしそうに電話
をかけてきて、彼が定宿にしていた帝国ホテルの夕食に呼んでくれた。もちろんまだ
ライト 5 の建築だったころで、天井のひくい、迷路のような廊下を通って彼の部屋を訪
ねていくのが、私にとっても、家にいるときの気むずかしい父とは別人に会いに行く
ようで、愉しかった。ちゃんとした服装で来い、と父は普段着の好きな私にそう言っ
て釘をさした。ノックをして部屋にはいっていくと、なんだ、その靴は、とか、もう
すこしいいハンドバッグはもってないのか、とか、はじめはいつも叱られた。姿勢よ
くしろ、と言われながらの食事だったけれど、最近読んだ本の話や、友人のうわさを
すると、おもしろそうに聞いてくれた。(pp. 20-21)
ともすれば「理不尽」とも思える父を通して、大人の世界を垣間みる少女の視線が、新鮮
である。しかし、この「少女」の方が、実は父よりずっと「大人」だったのかも知れない。
いずれにせよ「大人の味」である。
(2)村瀬千文(2003).「世界のホテルで朝食を」東京:幻冬社。
村瀬の別の本を、以前に紹介したことがあるのだが、この本は、世界の一流ホテルの朝食
を紹介。世界中のリゾートホテルの中心に、特色あるホテルのいろいろな朝ごはんが、写
真入りで載せられているのだが、プーケット 6 のタイ風おかゆだったり、スラバヤ 7 のメロ
ンジュースだったり、ホノルルのカハラ・マンダリンのパパイヤだったり、ウォール街の
パワーブレックファースト 8 だったりする。
もともと朝食が好きである。ホテルに泊まると、朝食を食べ過ぎる傾向にもあるが、旅行
の楽しみの一つである。
村瀬が紹介するホテルには、知っているところもあるが、知らないところも沢山あって、
忙しくてどこにもいけない時などに、この本をパラパラとめくって、次はどこへ行こうか
などと考えるだけで、少しは気がまぎれるのである。
私にとって、この本で紹介されているホテルのハイライトはしかし、マレーシアのフレー
5
ライト【Frank Lloyd Wright】アメリカの近代建築家。有機的建築を提唱した。1916 年(大
正 5)来日、帝国ホテルを設計。(1867~1959)[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
6
プーケット【Phuket】タイ南部、マレー半島の西にある小島。観光開発が急速に進み、海
洋スポーツ基地として発展。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
7
スラバヤ【Surabaya】インドネシア、ジャワ島の北東部、マドゥラ海峡に臨む港湾都市。
ジャワ糖生産の中心地。人口 270 万 1 千(1995)。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
8
power breakfast 朝食会 《朝食を囲んでの各界有力者によるビジネス会議》.[株式会社研
6
ザー・ヒルにあるイー・オールド・スモーク・ハウスである。村瀬が「イギリスのカント
リーハウスのような避暑地のホテル」と呼ぶこの山の中のホテルに、実は、行ったことが
あるのである。
だいたい英国人はどこかに植民地をつくると、休暇を過ごすための避暑地のリゾート
開発を必ずセットで行っている。
・・・マレーシアのクアラルンプールに近い高原リゾ
ート、フレーザー・ヒルもそんなリゾートのひとつである。
と、村瀬が紹介するホテルに、数年前アクロス合宿下見の際、Y さんと二人、日帰りでク
アラルンプールからタクシーで出かけたのである。「・・・約百キロの道のりだが、簡単に
は行かせてもらえない」と村瀬が書くように、結構大変な強行軍だったが、着いた英国の
カントリーハウスのようなホテルで、クリスマス正餐を取ったのが、大変印象深かった。
こうした追体験ができるのも、優れた旅行記のメリットである。
(3)司馬遼太郎&ドナルド・キーン 9 著(1972/2006)『日本人と日本文化』東京:中公新書
(285)
最後は、やはり司馬遼太郎であるが、この本はアメリカ人で日本研究の碩学ドナルド・キ
ーンとの対談集である。対談集など平素はあまり読まないのだが、店頭でこの本を手に取
り目次を見て、そのカバーするトピックに惹かれて購入した。やはり、食わず嫌いは良く
ない。と気づくのも歳の功。大人の味である。
「日本人の対外意識」と云うトピックで、大阪のことを話している部分を引用すると:
[司馬]
さっき、四天王寺は迎賓館であったとおっしゃいましたね。ほんとうにそ
うで、いままでこそ大阪市はちゃんとした大地の上に乗っかっていますが、その当時
は、いまの大阪市のほとんどは海です。いまの四天王寺や大阪城のある上町台地だけ
が陸地で、あの四天王寺の場所に迎賓館を建てると、それが大阪湾に入ってくる中国
の船が最初に見る建物になるわけなのですね。「なんだ、日本など馬鹿にしていたけれ
ども、案外な国じゃないか」と思われたいわけです。(p. 8)
日本の対外的な自意識過剰は昔からであったか。そして、四天王寺の機能もなるほどと思
わせる。明治期のお雇い外国人の対しても、なかなか独特な見方が披露されていて、次の
キーンの発言には、はっと虚をつかれる。
[キーン]外国人が日本でやったことで有名になるかならないかは、その原因にしろ
究社 リーダーズ+プラスV2]
9
Donald Keene (1922‐ ) 《米国の日本文化・文学研究家; Columbia 大学教授 (1960
‐ )》[株式会社研究社 リーダーズ+プラスV2]
7
理由にしろ、じつに私たちにはわかりにくいものです。場合によっては、長く日本に
いて、日本人のためにいろいろ努力しても、無名のまま消えてしまう。そのかわり、
北海道で、ひじょうに有名になったクラーク 10 のような人がいますね。いまも北海道
大学にクラーク館があるほどです。彼の言ったことばも日本のことわざみたいになっ
て、「少年よ、大志を抱け」(Boys, be ambitious!)とかいって、ひじょうに有名です。彼
ははたしてどのくらい日本にいたか。明治九年に北海道開拓使の招きできてから一年
間にもならなかったと思います。それほどの仕事をしたとも思いませんけれど、彼は
有名になりました。(p. 129)
クラーク博士と云えば、偉人で功績大と疑いもなかったが、こうもあっさり斬られてしま
うと、それはそれですっきりもする。この歳になっても、学ぶことが多く、とても「大人」
と自分で自分に自信を持つこともできないが、足りない自分から始めることを学ぶのが、
「大人」とも云える。
やれやれ、随分、内省的な気分に落ち着く読書録である。来年の藤の季節には、もっと大
人になっていたいもの?(May 13, 2007)
10
クラークWilliam Smith Clark 1826.7.31‐86.3.9 アメリカの教育家・化学者。マサチューセ
ッツ農科大学長時代の 1876 年,1 年間の契約で新設の→#札幌農学校の教頭に就任。キリス
ト教精神に基づく全人教育を施し,同校の校風形成に大きな影響を与えた。帰国後は洋上大
学構想や鉱山事業に挫折,晩年は不遇であった。[岩波日本史辞典]
8
ある年次総会
中
川
房
代
4 月 15 日日曜日の午後、カンボジアで教育支援活動をしている NPO の年次(会員)総会
に出席させてもらう機会に恵まれ、理事の飯田さんと一緒に参加した。
実は(というのもおかしいが)e-dream-s のリーフレットやホームページには、e-dream-s
の事業の紹介の 1 番目に「教育支援事業」があり、以下のように説明されている。
「教育支援事業」
世界(特にアジア地域)の教育機関・教育関係団体と相互扶助的なパートナーシ
ップを結び、人材、モノ、ソフトなどの面において協力し、共同で学校施設や小
中高校生対象の研修プログラムの主催などを行います。
(e-dream-s ホームページ
http://www.e-dream-s.org/
より)
e-dream-s は、3 月で設立 8 年目を迎えた。そろそろ、e-dream-s としての「教育支援事業」
に本格的に取り組むため、その準備に着手する時期が来ているのではないか?と考え、検
討材料となるデータ収集を始めてみようと、2 月頃から個人的に少し動き始めた。
まず、知り合いの紹介で、カンボジアで学校(寺子屋)支援を行っている NPO の会員であ
る I さんに会ってお話を聞いた。I さんは実際に 2 度カンボジア・スタディツアーに参加し、
寺子屋で子ども達に会って来たという人だった。
話を聞く中で、そのスタディツアーや寺子屋を中心になって担っている栗本英世さんのこ
とを知り、彼の著書を読み、海外で教育支援をするとはどういうことかを考える機会を持
つことができた。そして 3 月末、I さんからのメールで、4 月 15 日に NPO の総会があるこ
と、その場にはかつて現地で寺子屋のボランティアをしていた人も来るし、また今年 2 月
にカンボジアを訪問した理事の報告があることを知った。私の参加したいという申し出に
OK をもらった、という訳だ。
カンボジアの学校支援をしている NPO の会員総会ってどんな規模でするんだろう?と思
って参加した。NPO の会員数は 30 名足らず。この日参加した会員は 10 数名、というこじ
んまりとした集会だった。関西在住の人が多かったが、北陸や関東・九州からの参加者も
おり、年齢も 20 代から 60 代くらいまで様々。驚いたのは、総会が、参加者の自己紹介か
ら始まったことだった。参加者は、栗本さんの活動やカンボジアの寺子屋を支援したいと
いう個人の意思で会員になった人たちがほとんどで、お互いを知らないという人もいて、
全員があつまる機会は年に 1 回の総会時だけのようだった。
9
この NPO は、個人が、ミッションを感じ、それぞれ自分の意思で集まり、そこで初めて顔
を合わせて仲間になっていくという形の活動で、市民活動、ボランティアの原点を見た気
がした。論議の中では、参加者一人一人がしっかりと自分の意見を述べていたのが印象的
で、こういう意見交流ができるのはいいなあと思った。論点があちこちに飛んだりしなが
らも、結論がでるまで時間をかけて話し合っていく、その過程を通じて、自分たちが目指
すことは何なのか、何をしていくのかを皆で共有していくのだということが私にも見えて
きた。
論議の詳細はここでは書かないが、出ていたことの 1 つは、一人 NGO・ボランティアとし
て今まで活動してきた個人と、NPO という組織として活動していこうとするときの違い。
日本にいる私たちがやったらいいと考えることとカンボジアの人たちが望むこととのギャ
ップ。私も自分達のことに置き換えて、考えさせられることがあったと思う。
私は NPO の活動に関わるようになって、他の NPO の会員総会や集会に参加する機会が何
度もあったが、こういう内部の論議の場に参加する機会というものはあまりなかったので、
とても興味深く思った。いい機会を与えてもらったなあと感謝。
5 月末には e-dream-s の第 25 回理事会を開催する。現在その準備中であるが、論議の中で
この教育支援の話もしたいと思っている。e-dream-s が進むために、実りのある理事会にし
たいと思う。何よりも強く思うことは、このカンボジア教育支援の NPO の論議のように、
自分の意見を発言し、議論できる理事会にしたいということだ。
理事会は、2 週間後、今年は東京で開催する。
10
八十の手習い
理事
山 田 昌 子
「プリンターで印刷しようと思ってもでけへん。どうなってるんや。
」
ある日の夕食後、父が私に声をかけた。父はあと2か月足らずで80歳になる。最近使い
慣れたワープロが壊れ、やむなくパソコンを使い始めた。それは、「いつまでも時代遅れの
ワープロを使っていないでパソコンに変えたら?」と、6、7年前に私が父のためにその
当時流行していた iMac を購入。が、父は、パソコンは難しそうだと、手も触れず置いたま
まにしていた。ワープロを修理に出しても、どうにもならないと言われ、父は重い腰をあ
げた。
父は、使っていたワープロの習慣から、入力はローマ字入力ではない。キーボード上のか
なを見てタイプする。パソコンの使い方は全く知らない。スイッチの入れ方から、ワープ
ロソフトウエアの起動、ページ設定、ワープロソフトウエアやシステムの終了・・・わか
らないことだらけ。それなのに、今までワープロでやっていた知人への葉書作りをすぐに
したいと言う。毎日毎日、私が仕事に行っている間パソコンの前に座り、ああでもない、
こうでもないとパソコンに触れてみる。が、昔機械に強かった父も、年をとり、マニュア
ルを読んでも見当もつかないことだらけだと言う。加齢のため根気もなくなり、わからな
いとすぐに嫌になる。そうすると「なんでこんなパソコンを使わなあかんねん。年寄りに
は住みにくい世の中になったもんだ。」と愚痴がでる。
「お父さん、私がタイプした印刷の仕方のプリント、ちゃんと読んだ?」
「電源のボタンを押しても、黄色いランプがつかへん。なんでや。」
「え?!・・・」プリンターを見ると、すぐに原因がわかった。
「お父さん、アダプターがコンセントに入っていないやん。そりゃ、つかへん筈やわ。私
がタイプした印刷の仕方のプリント・その1、ちゃんと読んだん?」
「え?!・・・」
子供の頃、どんなことでもてきぱきとやることが出来た父、幼い私にとっては、何をする
のも魔法のように思えた。当時まだ出始めた八ミリフィルムの家庭での映写会は、本物の
映画館に行ったようだった。高校の国語教師の父は、オープンリールテープをつなぎ合わ
せて授業で使う教材をよく作っていた。どんなことを尋ねても、何でも知っていた。そん
な聡明な父をイメージする私には、どうしても、マニュアルを読んでも出来ない父がイメ
ージ出来ない。なんで出来ひんの?とイライラしてしまう。
「年をとると、お前には簡単なことも、とても難しいんや。わかったら簡単なことだって、
わかるまでは、難しくて難しくて嫌になることもあるんや。生徒だって、教師には簡単な
11
ことも、わからなくて嫌な思いをしているかもしれん。画面を見てると目が痛(いとう)
なるし。
」父が思わずぽつりと言った。
そんな父も、8月からサンフランシスコに行く私と連絡をとるために、e-メール送受信を
勉強しようとしている。時差が夏は16時間、冬は17時間、まだアパートが決まらない
ので、電話やファックスでの連絡が簡単に出来るかどうか不明。e-メールが最もコミュニ
ケーションしやすい手段だろう。が、今の父にとって、それをマスターするのは大変敷居
の高いことだ。
「今日、お前のプリントしてくれた e-メールの仕方、見ながらやってみたけど、やっぱり
わからん。また教えてや。」
元気だけが取り柄の私も、40歳後半は無理がきかなくなった。疲れがたまり昨秋以来調
子の悪い胃はまだ絶好調とは言いがたい。パソコンの使い過ぎ(?)で手も痛めてしまっ
た。悲しいけれど、確実に加齢の道を歩んでいると実感する毎日。でも、そんな私にも出
来ることはたくさんある。父以上にある筈だ。自分が出来ることを着実にひとつひとつ積
み上げていこう、それはとっても楽しいことだから。80の手習いの父に、私も負けてい
られないとつくづく思った。
12
筋肉痛と新しい私
塚本
美紀
駅のホームの階段を上手に降りることができなくて、手すりにつかまりながら一段ずつ降
りていく。この春始めた小笠原流礼法のお稽古の帰りである。「礼法」などと優雅な響きと
は裏腹、お稽古はハードで、慣れない動きをびっしり叩き込まれ、毎回筋肉痛に泣かされ
ている。始めたきっかけは、「和」のお稽古に興味があったのもあるし、美しい小倉城庭園
の中でお稽古できるなんて素敵!と思ったのもあるが、何かの訓練をしてみたくなったの
が一番の理由である。といって、運動が苦手な私にはジムは魅力的ではないし、楽器の練
習はこれまでドラムもギターもピアノも途中で挫折している。というわけで、小笠原礼法
のお稽古を始めてみることにした。
小笠原流礼法とは鎌倉時代から江戸時代にかけて伝えられてきた武家の礼法である、らし
い。心は形に表れ、形は心に影響するので、稽古を積み重ねることによって、日常の行動
の美を獲得し、その行動を心を尽くして行うことによって、自分の人格を尊重すると同時
に相手の人格を尊重することができる、そうだ。まだ始めたばかりでよくわからないこと
だらけだが、「美しい身のこなしのためには、足腰の筋肉を鍛えなければならない」という
ことだけは、身をもって実感している。「どすん、と座ってしまうのは、腿の筋肉が鍛えら
れてないからです。そんな座り方では、お客様がびっくりなさるでしょう。
」「立ち上がる
ときに反動をつけてはいけません。勢いあまって、粗相をしてしまったらどうなさるの。
足腰を鍛えれば、ゆっくり立ち上がることができます。」と、毎回注意を受けている。
印象的なのは、先生の助手を勤める初老の男性である。謙虚な態度で慎ましやかな動きを
なさるのに、どこか威厳があって、ただそこにいるだけで「無視できない人物」というオ
ーラを発している。長年の鍛錬の賜物であり、私には程遠い姿ではあるが、足腰を鍛えれ
ば少しずつ美しい身のこなしが身につくのだと信じて、お稽古を続けている。つらい筋肉
痛も、新たな筋肉の前兆であり、新たな筋肉が少しずつ私を昨日とは違う私にしてくれて
いるのだと思いたい。
「改革には痛みが伴う」とはどこかの国の首相の言葉で、あまり嬉しくない痛みもあるが、
私の筋肉痛は、新しい私へのプロセスだと思うと、なんだかちょっと嬉しい痛みでもある。
これからも慣れないこと、苦手なことにも挑戦して、いろんな「筋肉痛」を経験しながら、
少しずつ新しい私になっていきたいと思う。
13
新たな ECAP を目指して
~
ECAP2007進捗状況報告
~
ECAP 2007 準備委員会
岡田かおる
皆さんもご存じのように、今年の ECAP は東京で行なわれます。辻代表理事の言葉を借り
れば、「今年の ECAP は画期的」なのです。何が画期的かというと、初めて東京で行なう
こと、初めて生徒を招いて行なうこと、そして、ふたつの団体からの助成を受けているこ
とです。
03年に初めて行なったECAPでは日韓の英語教師が文化について討論し、相互理解教
材”A Rainbow Over the Strait”を作成しました。続いての04~06年は英語教育について
討論し、お互いの国の教育事情について情報交換したり、英語の授業について意見交換を
しました。そして今年ECAP2007では、日韓の先生が話し合いをするだけでなく、
意見を出し合いながら実際に日本の中学生を相手に授業を行ないます。協力し合い、アイ
ディアを出し合い、どんな授業が展開されるのか楽しみにしたいと思います。
1月に東京の実行委員会(宮城さん、新谷さん、岡田)が始動し、会場探し、ECAP3日
間のプログラム、生徒を招く「英語による中学生対象日韓文化交流のつどい」の内容を検
討してきました。平行して大阪で会議を持っていただくなか、相次いで日韓文化交流基金、
子どもゆめ基金(独立行政人国立青少年教育振興機構)、のふたつの団体から助成を受ける
ことが決まりました。これは河野先生、稲川先生、仙崎先生等のご尽力によるものです。
そして4月に東京で、辻先生、河野先生、藤澤先生、仙崎先生と東京の実行委員とで会議
を持ち、ECAPのプログラムと「英語による中学生対象日韓文化交流のつどい」の内容
が固まってきました。5月20日に韓国側と東京実行委員がソウルで会合を持つ予定で、
現在は実行委員会の準備もアクセルを踏んで加速しているような状況です。
「英語による中学生対象日韓文化交流のつどい」については現在次のことが計画されてい
ます。
1)ECAPの2日目の午後に行なう。
2)中学生を100名公募する。
3)東京都全公立中学校、千葉県船橋市、市川市、浦安市の中学校、神奈川県横浜市、
川崎市の中学校に行事の案内を送り、参加者を募集する。
4)指導者は韓国人教師、日本人教師、ALT でグループに分かれる。
5)それぞれの教師グループが韓国文化を題材として中学生に英語の授業を行なう。
6)グループ毎に韓国文化のテーマをひとつ選び、それを授業の題材とする。(例えば、
食べ物、学校生活など)
7)授業案の立案は、グループ決定後から ECAP 本番までの間は電子メールでのやり
14
とりなどで、ECAP の中では初日夜、二日目の午前中のグループ毎の討論で行なう。
8)生徒は2グループに分かれ、それぞれの部屋で授業を受ける。
9)休憩時間に Tea Time としてお茶とお菓子を用意する。
10)最後に Fun Time を設け、一部屋に集まり楽しめる活動をする。
充実した内容の ECAP にできるように、本番までしっかりと準備を進めていきたいと思っ
ています。また、「英語による中学生対象日韓文化交流のつどい」では夏休みの半日、来て
よかったと中学生に感じてもらえるような中身の濃い、楽しい内容にしたいと思っていま
す。「つどい」の募集要項は5月下旬に e-dream-s のホームページに載る予定です。東京近
辺の中学校で教えている先生方は、中学生の参加の呼びかけをぜひお願いします。
会員の皆さまにはECAP参加者募集要項をご覧いただき、参加申込みくださるようお願
いします。
15
東京だわー:情熱と気配りと、時々、セレブ
~ECAP2007, 東京準備会議を終えて~
ECAP 2007 準備委員会
仙崎
裕右
4月 21 日の朝、久しぶりに新幹線で東に向かっていた。
私にとって、5年ぶりの東京である。当時、大阪府のほかに、東京都の教員採用試験も
受けていたので、当時は何度も往復したものである。若干の懐かしさをかみしめながら、
品川で降りた。せっかくなんで、午前中に東京入りして、友人に会った後、新木場に向か
う。新宿から乗り換えなしで行くことができるのも便利である。
15 時前に新木場に到着、すでに他の先生方が待っておられた。ECAP2007 の会場の予
定地である、東京スポーツ文化館 11 に向かう。残念ながら館内は撮影禁止であったため、
館内の様子を写真でお伝えすることはできないが、宿泊施設と研修施設とスポーツ施設が
一体化した、なかなかいい会場だ。よく見るとそれなりの経年の跡が見られるけど、全体
的には充分きれいである。
当日、利用を予定をしている研修室が、たまたま空いたので見学させていただいた。借
りている研修室を見ながら、プロジェクタはここに、電源は・・・などと思わず考えてい
た。そうしてるうちに、なんとなくだけど、実感がわいてきた。
新木場に戻る時は徒歩で移動したのだが、歩いて 10 分程度で駅についた。ここでもやは
り、「ECAP当日は暑いだろうけどこれぐらいの所要時間なら大丈夫かな」などとついつ
い考えてみる。その気になっている自分に気づく。
その後、国際展示場駅で折り、東京ビッグサイトに移動する。昨年9月、助成金獲得に
向けて初めて書いた書類で仮の会場として名前を使った会場である。会議室で本格的な打
ち合わせを行った。
11
http://www.ys-tokyobay.co.jp/index.html
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当日行う授業(「日韓文化交流のつどい」での)はどういう形にするのか、何人生徒を募
集するのか、テーマをどう決めるのか、生徒や教員をどう分けるのか。これまでメイルで
主にされていた詳しい話がさらに深められていく。話を聞いていると、岡田先生、新谷先
生の熱意がひしひしと伝わってくる 12 。実に心地よい。つられて、自分もその中で授業を
する姿を思い浮かべてみる。収穫の多い話し合いになった。
その後、歩いてすぐのお店に行き、夕食会になる。
『料理の鉄人』有名になった鉄人、中
村孝明氏の店である。Farewell Partyで使えるかもしれない、ということも考えて手配され
たお店のようで。絶対自分からは来ることのないところである。利き酒も含めて、リッチ
な雰囲気を堪能させていただいた。新木場から国際展示場、そして、夕食という一連の無
駄のない動き、東京の先生方の手配の細かさに感心させられた。昨年、韓国に下見に行っ
たとき 13 に感じた、手際のよさを今年も感じることができた。
遅くなるのでは、と思い、最終の夜行バスを予約していたので、23 時半まで時間をつぶ
さなければならなくなったのだが、時間つぶしに皆さん快くお付き合いくださった。たぶ
ん一人では絶対に行くことのない六本木ミッドタウンを見学した。
夜行バスの乗り場まで快くお送りくださった上に、中級メンバーにお土産を買う、とい
12
宮城先生は学校のお仕事の都合でご欠席でしたが、もちろん、宮城先生の情熱も伝わっ
てきました。
13
『e-dream-s通信』2006 年5月号(http://www.e-dream-s.org/essay0605.html)参照
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ってはいろいろ探していただいた岡田先生、新谷先生、本当にありがとうございました。
あのときの「東京ばな奈」は訓練に持っていく前に賞味期限がきてしまい、柏餅に化けて
しまいましたが、細やかなお心遣いに感謝しております。夜行バスでは(でも?)寝つき
の悪いタチであったが、すぐに心地よい眠りに落ちた。
”I can't wait to … .”
昨年度、ユンビンとメイルする機会が何度かあったが、彼女のメ
イルの末尾によく書かれていた言葉である。今回、下見・打ち合わせをしていく中で、こ
の言葉が何度か頭に浮かんできた。夏に向けて、私も待ち遠しくなってきた。大阪で座っ
て考えているより、現地で実物を見るほうがはるかに実感もわくし、いいアイデアも出て
くる。当たり前のことではあるけれど、そのことを改めて実感してきた1日であった。
助成金に向けて動いていく中、これだけではもったいないな、それなら実行委員をする
のも一緒やな、という気持ちから実行委員の一員に加えていただいた。東京の先生方と直
接やりとりをする場面がまだ少なく、実行委員として何もできていないという焦りを感じ
たときもあった。今回、こういう形で参加することができて、今まで見えていなかった東
京の先生方のご苦労やお骨折りが身にしみて分かったのは大きな収穫であった。いま、ま
さに「I can’t wait to join ECAP 2007!!」の心境である。
話は変わるが、連休を利用して、e-dream-s のHPを更新しました。英語ページ(元あっ
たものが中心ですが)も入り口を分かりやすくして、見やすくしています。徐々にですが、
なんとか広げていきますので、お気づきの点がありましたら遠慮なくお声をかけてくださ
い。
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My
Dream
~バングラデシュでの学校経営にむけて~
玉木
由美
皆さん、お久しぶりです。お元気ですか?元 e-dream-s・ACROSS 東京支部会員の玉木由
美です。
e-dream-s の新たな方向性として、途上国での学校づくりに目を向けていこう、というお
話を聞き、うれしくなってお便りをしてしまいました。この春、10 日間のバングラデシュ
への一人旅をしてきたので、皆さんに少しお話したいと思ったからです。私もちょうど1
年前までは、なんとかディクテイターに合格しようと「Soldiers!」と叫んでいたのが懐か
しいです。あの頃は、これからもつばを飛ばし続けながら、8 月のチェックには絶対に受
かるぞー!と思っていたんです。今思えば、遠い昔のようですね。
この 1 年間、私の人生は激震しました。昨年 6 月、夫が心筋梗塞のため突然に亡くなり
ました。44 歳でした。私たちは学生時代からの親友であり、いつも彼にたより、信頼しな
がら生きてきて、これからも当然のように二人で生きていく。そう信じきって生きてきた
私は、どうしたらよいか、何も考えられませんでした。この私の深い深い思いは、きっと
だれにもわからないだろうと思います。二人の息子たちですら・・・。
わたしはしばらく心の奥をさまよっていました。仕事に復帰することもできず、一人で
心の奥のどこかをさまよっていました。そんなとき、10 年ほど前に、彼からの手紙が偶然
に出てきました。彼は海外医療協力に大変関心があり、それまでにも途上国へ何度も足を
運んでいました。その手紙は、3 度目のバングラデシュへの旅からの帰りの飛行機の中で、
私にあてて書いてくれたものでした。
「この国の人々は、人と人とのつながり、とくに家族との絆をとても大切にする。自分
もいつかこの国に住み、この国の人々と共に働き、貧しい人々のために何かしたい。それ
はいつになるかわからない。でも、一緒に行こう。そのために、二人で準備をして行こう。
」
そんな内容の手紙でした。その瞬間、私の今からの人生は決まりました。でも、昨年中
学 3 年の担任をしていたので、それを途中で投げるわけにはいきません。まずこの子たち
を卒業させよう。そして、バングラデシュに行こう。彼は医療面での協力を考えていたけ
れど、私には、英語教師としてのキャリアがある。教育支援ボランティアとして、バング
ラデシュにすべてをささげよう!その時、初めて光が見えてきたのです。
この 3 月、23 年間やってきた英語教師を退職しました。私は、自分の第 2 の人生の幕開
けとして、まずその舞台を視察しなくては始まらない、とバングラへ一人で乗り込む計画
を立てました。そのとき、バングラにかつて 5 年間一人で住んでいた日本人女性、A さん
に相談しました。その A さんの友人、Dさんご夫妻の家(バングラ人、ダッカ在住)に、
ホームステイをさせていただく約束だけを取り決め、あとは何も計画のないまま、あわた
だしくバングラへと出発したわけです。
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3 月 29 日、成田発。バングラへの直行便はないので、まずクアラルンプールまで 7 時間。
そこから乗り継ぎ、バングラの首都ダッカまで 4 時間。でも、驚いたことに、成田からク
アラルンプールまでは、日本人もいれば欧米人、中国系、いろんな人が混ざって安心だっ
たのが、ダッカへの乗り継ぎのために待合室にいると、そこに集まってくるのは、もう日
本人はもちろん、他の国の人は見ることができず、彫りの深い浅黒い顔立ちの、バングラ
人だけです(しかも男性)。もう心臓がバクバクしてきました。でも、そんなに心臓が高鳴
ったのもその時だけで、帰りの飛行機では、状況は同じなのに、堂々とサロワカミュース
を着て一緒に同席している私がいましたから・・・(笑)。
この旅はDさんご夫妻に、本当にお世話になりました。ご夫妻で私の旅を親身になって
デザインしてくれました。私の人生の激震をすべて話しました。だから私はバングラに住
みたいんだ、バングラを愛していきたいんだ、という心の内をわかってくれました。Dさ
んご夫妻はバングラデシュの NGO の職員です。ご夫妻は、10日間という短時間で、私
の知りたいバングラデシュをすべて見せてくれました。
彼らの企画運営する多くのプロジェ
クトを訪問させていただきました。村の
女性や子どもたちへの地道な栄養指導。
飲み水の危険性を紙芝居を使って指導す
る青空授業。幼稚園では一人ひとりダン
スを踊って歓迎してくれました。村にお
金を貸すいわゆるマイクロクレジットで、
みんなで一台のトラクターを買い、自立
にむけてがんばってるんだ、と頬を紅潮
させながら話してくれる女性たち。小さ
な小学校に入ると、2 年生が英語の授業
を受けていました。思わず英語教師としての血が騒ぎ、「Can I teach them a little ? 」と、授
業までさせてもらいました。(笑)
そして最後に、Dさんは本当にご自分のお忙しい仕事の時間をさいて、ある小さな村に
私を連れていってくれました。本当に、緑が一面の美しい村でした。この国の国旗は日本
とそっくりで、日の丸の白い部分が緑なのですが、「あの国旗の緑は、この美しい風景から
来てるんだ。
」と納得するほど、緑の美しさはバングラの象徴です。
(ちなみに真ん中の赤
色は、パキスタンから独立した際に流れた多くの民の血の色だそうです)
その村の真ん中に、2 階建ての中規模の建物がありました。そこは、今は廃校になってい
る学校でした。
Dさんは私に話してくれました。「ここはぼくのふるさとなんだ。ぼくは、日本人 A さん
と一緒に、5 年間ここで学校を作り、すごくうまくいっていたんだ。でも、A さんが日本
に帰らなくてはいけなくなり、公立の学校ができ、子どもたちはそこに通うようにもなり、
その後 2 回の大洪水にあい、学校は廃校になってしまったんだ。ぼくは、このふるさとに、
もう一度学校を再開させたいんだ。今、スポンサーを探している最中でね。そして、もう
ひとつ必要なのは、学校運営の主体となってくれる人なんだ。YUMI-SAN、一緒にやらな
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いか。」
わたしは驚き、そして喜びに震えました。ここがこれからのわたしの生きていく場所な
んだ。日本にいる A さんも、それをすべてわかってくれて、Dさんの家に私をステイさせ
たんだ・・・・。家に帰ると、奥さんが待っていました。「YUMI-SAN、Dがこんなに仕事
をやりくりして、あなたをあの村にまで連れて行った理由が、これでわかったでしょう。
あなたはここで、自分のアイデア次第でいろんなことができるはず。小学校の英語プログ
ラム、幼稚園の指導。村の女性自立支援。一緒に、やっていきましょう!」
もうひとつ忘れられないことがあります。私の夫が、以前バングラデシュに行ったとき、
にこにことうれしそうに私にいろんな思い出話をしてくれました。その中で、「ぼくが先に
死んだら、ぼくの骨をガンジス川にまいてね。
」といったことがありました。私は笑って、
「そんなこというもんじゃないでしょう」と言い返しました。今回の旅で、もしできたら
それをしてみようかと、こっそりと彼の骨をすこし持っていきました。すると、その村の
すぐ隣に、ガンジス川が流れていました。私は、村からの帰り道、車から降りて、ガンジ
ス川にむけて骨をまきました。Dさんの奥さんにその話をしたら、「これから、あなたはこ
の村で彼といつも一緒にいられるよ。彼はいつまでもここにいるから。」と言ってくれまし
た・・・。
今回のバングラでの女一人旅で、多くの人々に会ったのですが、そのなかでも、特に子
どもたちの笑顔が忘れられません。その笑顔は、私の心の奥で傷ついているやわらかな部
分を、癒してくれる力があるのです。
日本の子どもたち、日本全体が忘れかけているものが、本当にそこにはありました。バン
グラでは、病気や下痢、原因不明で、人が死んでいきます。だから、子どもでも「お父さ
んもお母さんも死に、7 人の兄姉もみんな死んで、自分だけが生き残ったんだ。
」という子
もたくさんいます。そんな子どもは、「今、自分が生きていることは奇跡だ」ということを
体験として感じています。だから、生きることに真剣で、自分の命や人の命がいとおしい
んだと思います。
また、バングラでは学校が義務教育とはいうものの、家の事情などで通える子どもは少
なく、行き始めても詰め込み主義の授業についていけず、結局ドロップアウトしてしまう
子も多い現状です。そこでは、学校に行く、勉強をする、字を覚える、それは子どもにと
って貴重なことで、彼らは本当に学校に行きたいのです。彼らを見ていると、日本で学校
に行く気力を失っているような同じ年の子どもたち、学校で悪さばかりしている子どもた
ちを思い出し、たまたま生まれた国が違うだけで、こんなにも生き方が違うんだ、と複雑
な心境になりました。
私は今、大学に通い国際協力を最初から学び始め、ベンガル語を習っています。数年間
準備期間をおき、
バングラデシュへ学校経営をしに行きます。その間にも可能なかぎり現地を行き来してい
こうと考えています。
また、日本の子どもたちにバングラのことを伝え、子どもどうしの平等な関係で、いい交
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流をできればいいな、とも夢を描いています。
最後にもうひとつ、忘れられないエピソードを。ダッカのある小さなアクセサリーショ
ップに入り、その店のボクルという女性と親しくなりました。ボクルは 15 歳のとき結婚し、
すぐに男の子を産みました。その 1 年半後、夫が交通事故で即死し、それ以来 13 年間一人
で男の子を育ててきたそうです。思春期真っ只中のその男の子は、私にはにかみながら微
笑んでくれました。私は、思わずその男の子を抱きしめ、ボクルに頬ずりをしました。夫
を亡くした今の私の気持ちを一番わかってくれる友達になれたからです。するとボクルは、
大きなピンクのネックレスを私の首にかけてくれました。二人で泣きました。ショップに
いた人たちが、みんな拍手をしてくれました。そのネックレスは、今、私のたからもので
す。
途上国。貧困。洪水。暴動。外から見たらマイナスイメージばかりがつきまとうこの国
は、美しい、温かい国でした。私は、この
国の人々と共に生きていきます。
ACROSS・e-dream-s の皆さまには大変お世
話になりました。私のこの原稿や、これか
らの歩みが、日本の英語教師である皆さま
に何かの参考になれば、と思いますし、私
もバングラから、以前とは違った立場で、
これからの日本の教育に何かできることが
あれば、
、と願っています。今後もよろしく
お願いします。
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ECAP 2007(Educators’ Collaboration of Asia-Pacific)
日韓英語教育フォーラム
主催:特定非営利活動法人(NPO) e-dream-s
ACROSS(Association of English Teachers for Cross-Cultural Communication)
助成:子どもゆめ基金(独立行政人国立青少年教育振興機構)助成活動
日韓文化交流基金
日程:2007年8月12日(日)~8月14日(火)
会場:BumB
東京スポーツ文化館
136-0081 東京都江東区夢の島3-2
テーマ:日韓の英語教師が、さまざまな活動を通して英語教育の現状や共通点・問題点を
共有し、東アジアの英語教育について提言しあう。
募集参加者数:韓国人英語教師
参加費:
10名、
ALT
6名、日本人英語教師
20名
25、000円(パーティー参加費は別)
プログラム(予定)
:異文化理解教育についての討論会・講演、
「英語による中学生対象
日韓文化交流のつどい」の実施、フィールドワーク、等
date
Aug. 12th (Sun.)
Aug.13th (Mon.)
Aug.14. (Tue.)
・ 「英語による中学生対象
・反省会
日韓文化交流のつどい」の
・閉会式
ための準備
morning
・ 開会式
afternoon ・ オリエンテーション
・ 講演
・「英語による中学生対
象日韓文化交流のつど
evening
い」のための準備
・歓迎会
room
研修室 B
(9:00-22:00)
・「英語による中学生対象
日韓文化交流のつどい」
・フィールドワーク
・お別れパーティー
・ナイトツアー (班毎 )
(ホームステイ)
研修室 B (9:00-22:00)
マルチホール (9:00-17:30)
研修室 A ( 13:30-17:30 )
研修室 B (9:00-17:30)
申込み:氏名、性別、勤務校、電子メールアドレスを明記の上、
[email protected]
参加費振込先:みずほ銀行
普通預金
にメールでお申し込みください。
(5月末日までにお願いします)
荻窪(オギクボ)支店
2292645
新谷幸子(ニイヤサチコ)
(6月中にお振り込みください)
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☆ ☆☆
お知らせ
☆☆☆
第 25 回 e-dream-s 理事会
日時:2006 年5月 26・27 日(土・日)
場所:東京都・フロラシオン青山、勤労福祉会館、オリンピックセンター>
<議案>
・第 1 号議案:2006 年度 事業報告・総括
・第 2 号議案:2006 年度 収支決算報告
・第 3 号議案:2007 年度 事業方針及び収支予算案
・その他
編集後記: 今回原稿を寄せていただいた玉木さんは e-dream-s 通信を読んで教育支援事業
のことを知り連絡をくださいました。この通信が人と人をつなぎ、e-dream-s の活動を広げて
ゆくきっかけになれば嬉しい限りです。 (岡田)
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