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VOL.X¥1INOλ

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紳奈川鰐・川崎市
帯電無械設曾紅
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電僚 従 業 員 と し て
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電燈 供 給 よ り電燈販商貝へ
牛挺録二電照養誌の 御 勧 誘 に 弊 祉 の 特 別 奉 仕
準一み行く一フヂオ(其七)
米園、テア l ポl ン市の電般五十年祭
山 梨 懸 峡 雨 竜 照 育 研 究 舎 の記
次
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制宋
ヘ昭和五年二月続 J
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第十七巻第二続、
東京電気株式含祉
販買部器具第二課
東電沼津支応
身延出張所
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東京電気株式合社
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:×× 電 燈 株 式 合 枇
東京電気株式合社
副委事
東京市電気局
電燈課長
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東京電気株式合社
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電燈 五 十 年 記 念 電 気 サ イ ン展覧曾・
木水
編輯後記に代へて
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電燈従業
として
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課
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市
燈
、が川之段、九
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援に、吾々の商富良に取って極めて大切なのである 。 東 京 市 が 電 燈
電 燈 事 業 が 商 賓 で あ る と 云 っ て も 普 通 の 商 賓 と は可なり異った貼
二
、 他の商賓と異なった貼
の関心を要するものがある。本稿は電燈従業員 とし て心得ふべき事
がある。それは
(イ)不断の配達を要すること
口叩を商ふ商責であると見ることが最も遁宮であ り 、叉極く大切な
立 場 か ら し て は 、 此 の 事 業 は 電 気 ( 或 る 場 合 に は 光 ) といふ日用
就ては色々の見方があるが、現に此の事業に従事して居る吾々の
電燈事業(山廠密にニ一一口へば電気供給事業 ﹀は如 何 なる事業か。之に
ない。この配達か何 時 も満足で 、而 して何時も遁円高な座力で電
中 止 さ れ る こ と で あ っ て 御 得 意 様 の 迷 惑 仁 な る こ と は申す迄も
な ら な い も の で あ る 。 所 謂 停 電 や 休 電 な る も の は 、 この配達か
を使ふ 時間中は時々刻々絶 え間な く 配 達 を 績 け て 行 か な け れ ば
ならない叉買溜めをすること一か出来ない。其れ故御得意様が夫
電気と云ふ品物は御得意様が使ふ所迄一々之を配達しなければ
ことなのである。斯様に見れば、吾々の事務所は其の底舗であ
金の大部分は之に使はれるのである
o その造り方の良
ド惑いは
・
こ の配達用具一 Lは 英 大 の 費 用 を 要 す る も の で 、 こ の 商 賓 の 資 本
電気の配達には配達用具として所謂電線路なるものを要する。
(ロ)配 蓬 用 具 に 莫 大 な 資 本 金 を 要 す る こ と
である。
気一か出る様になることか電気の品質が良いと云ふ﹃)とになるの
仰得意様 じは親 切可惇
注文に封しては速に捌ぎを附ける
勘定書は正確で且つ遅れない緩に
良い品を安く
他ならぬのである。叉
り、五口々は其の番頭、丁雅等の庖員であり、需要家は御得意様に
一、 電燈事業は電気販一責業である
電燈事業は如何なる事業か
柄を摘記しにものであるが、大方の参考とならば幸甚である。
要者其の他の満足を買ふ様に平素努力を捌ふて来てゐるが 、尚 一段
を受け易いものである。木市の電燈事業も此の例に漏れない。そこ
一般 の 商 責 に 取 っ て 極 め て 大 切 な こ と で あ る と 同
長局
事業を経営する目的もこ ︾に存して居るのである 。
と云ふ﹃)と一いか、
電東
で市電僚課では従業員に仕事の仕振りを商費ら しく して少しでも需
役所で経営する仕事についてはとかく所謂御役所仕事といふ非難
貝
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経情の上に大なる影響を及 一
ほし 、叉其 の取放の良い惑いは直に
の努 力と戒心とに依 って 、少しでも この弊害を少なくする様に
を謂はれるのも一部は此庭に原因して居る。これに 従 事 す る 者
心懸けなけ ればならぬ。
電気の品質に関係するものである。
ハハ)品物の取扱に知識と注一意を要する乙と
この商費ω性質上、自由競宇をしては商賓が成り立たないこと
(へ)濁 占の性質を多分に持って居ること
色の事故が起り易いものである。自らの取扱に誤りない様にす
になる。従って攻府の監督の下に商高貝を濁占するのが例であ
電気はその取扱に相蛍の知識と注意とを要する。之を快けば色
べきは勿論、御得意様にも誤りのない様に常に之を移譲し指導
る。その結果として所謂錨占横暴の弊害が起り易く、商高貝に
従事する者の奮稜心が麻痔し易い。品物を買って貰ふのではな
し涼意せしめることが肝要である。
ケ
一 )配蓬用具は道路に据置にされること
く、責って遣るのだと云ふ気分に、知らムダ識ら?の聞になり易
い。そうなっては宜敷ないこと勿論で、特に十分の戒心を要す
この配達用具は一迎例道路の地上若は地下に据置きにされるので
ある。外に方法かないのでこの様に道路を使はして貰ふのであ
る所 である 。
とを要するものである。此はこの種の商責に附き纏い易い一つ
敬活に仕事を捗どらぜる様にする矯めには、非常な努力と戒心
民若くは御得意様の利便の増進一の方に、之を振向けなければな
ことを以て限度とじて居り、それ以t の徐裕がある揚合には市
って使へなくなっ た時取替へる場合の費用の積立とが、出来る
りは資本金の元利金の漉崩と.配達用具其の他の設備が古くな
ばな らぬ様に考へられて居る。殊に市の経営の場合にはその儲
時に御得意様や世の中の人の利便をも亦相宮に隼重しなけれ
の儲けル暴けることを考へることは差支へないが、其れと同
この商費では、この様な自由は鈴り認められて居ない。相蛍
る様なことをしても、それは自由であると考へられて居るが、
の値段を勝手に上下するとか、叉人に依って商品の値段を愛へ
普通の商賓では、儲けられる時には幾何でも儲けるとか、商品
(ト)公盆事業の性質を多分に持って居ること
る 。 此 が 矯 め に 、 道 路 管 理 者 、 警 察 官 署 等 の 厄介になるばか り
でなく、 一般の交通にも可なりの妨害を典へる機舎が多いもの
である。向又それに依って運搬する電気は其の管理を十分にし
γ
ないと危険を起し易い ものである。此等の事に就 ては更に後 の
掌に於て述へるか五口々は蛍局者に手数を跡けにり一般の通行に
妨害を奥へた りすることか成るべく少くて涜む様に 、而して 事
故や危険の起らぬ様仁常仁十分の位意をしなければならない。
ハ
ホ)
仕事の仕組が大仕掛になること
この商賢は大仕掛にする程商賓が甘く行く傾向を有って居り、
事賞大仕掛で経管される揚合が多い。其の結果仕事の上で敏活
の弊害である。殊に市がこの商費をやる場合には命自社がやる揚
らぬ様に期待されて居るのである。叉我が閣の様に水力を主な
を紋く様なことが起り易い。個人の経営する商責に於ける程に
合に比べて一唐この弊害が起り易い。所謂御役所仕事と悪る口
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する機 能 を同家から 委託され て川 ると云ふ な味ん nもある校に FJ
る電源とする場介には、卒業者はその天然資源の開稜利川に闘
べきものであ って 、諸行は仁ぷ其ω上長に封し て責 任を負ふまで
て直接に責任を伐ふべきものではなく 、其 の責 任は活気品が負ふ
り ﹀ 品化 二
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である。
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へられる のである。
(チ)商 責 上の進歩が著しいこと
規作を厳守 する こと
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弔オ aトト
術 のこ とは勿論、事務 の ことでも常に進歩に遅れない伐に心懸
ハハ)公務と私川と の匝 別 を判 然 つける こと
U 般事業 の性 質と 円己 の峨務の性質とを十分開解 す ること
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ける ことが肝要で ある。 印 ち之に従ギ する者は 、そ の商 資 の道
が 大切 である。 このハイ戸 ロ dに つ いては 別 に 説 明 在 要 す ま い。
屯気利川 の進歩 は可なり著しいも のである。 従 って商由民
上ω技
に何時も 明 くある校に平性勉 叫 するこ と が大切である 。
ハハ)の公私の毘別をつけることは末の末迄考へれば徐程六ツク敷
い場合もあらうが、勉めて之を匹 別 する ことに心懸 けなけ れば な
らぬ。会川のものは大とい紙一枚でも私川に似つてはわんらないも
h と戒心とル要する恥を多
ほ閣の努 刈
以上ω校にこの 事業は北川一辿 の商 賢 に比べて異なつ仁 恥 を多 分に持
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﹀,- - 戸 、 可
る.カ . それは事業料管上
分 に持 って 川ると云 ふに 止まり 、こ の事 業 が 電 気 販 賢 業 で あ わ 客 向
こ の事業に 於ける日々 の業 務は御件な様 の巾 込 に 肱 じ て 遁 常 に 配
三、電燈事業に於ける協力
のである 。 時間其 の他 についても 同様 である。
である 。
達 川且(を整へて 泊以 の配 達をわん し 、遁山川山な締切日毎に賀川町金 巻頂
を握るものあり 、或は飢嚇 を振ふものあわ 、或は配屯盤 を附 む も
放する ことにあ るが 、其 の内容 は めて複 雑したも ので 、色々 の
側
院
任務 を有 する多 数 の人 で執行 せられて 居るのである 。 或はベ ンチ
持活は公人である。 会人 としては諸 刀 は夫 人
バその 地 位 に利治し大
ωあり 、或 はベンを 走 らせるもωあ句 、或は算盤在開くも のあり 、
は屋 内 で働く ものあり 、或は屋外で働くものもある 。 此等多数の
或 は第 一線に立 つものもあり 、或 は 後 方 で 勤 務 す る も の あ り 、成
のは諸 行 在別 にして右花して氏ないのである 。諸 京 か勉強 する こ
の日的 の方に抑向けられて
行 かなければならぬ。来しこの趣行に反する者が有 ったならば如
川村意様其 の他 の尚足 を
山八
Hふと云ふ 同
人々 の努 力 は融合統 -せら れて 、恰も一人 の人 の抗勤 の如く 、御
HM
その
他 に釘してする仕事の 良い恐い は、諸万 が仰れ点リ
山
政 その 他 に釘し
川が放均であると .
一ムふことになるωであ る。諸 対 が仰れな
とは小 U試川か勉 叫す ることであり、諸計 が放 勾 であるこ とは屯気
り 、 M人成るな味に於ては小山気川の 代表者でもある。 U気 川なるも
川州北川や椛飽ゃい川守有 し、泊以川 の片訓 れであり 、其 の延長であ
γ
諸対 か屯戸村山川に於て業務に従トやする 間 は、 そω業務は公務であり
一、公務と公人
電燈 事業に於ける公務と協力
, 事を十分に別解 する ことか大切
この事業に従いやする者は 先 つ ω
七日であると式ふことについては 何等援りはないのである 。
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4
之を検針の掛に報告し、更に調査をやり直して新しい勘定書を作
様を訪問し、先方から剣突を食い、其の事を蹄って来てから逆に
掛 の手 を経て集金者の手に渡され、集金者はそれを持って御得意
るであらうか、誤った報告に基いて作製せられた勘定書は色々の
、 3の字ぞ8の字に見誤ったとしたな百ば、其 の結果は如何な
に
何であるが。例へば一人の検針者が或る御得意慌の検針をする際
ては大槌その御得意様に、どんな検針者が訪問するか、叉権任の
時始めて任務の遂行が完全であると謂ふてよからう。集金者とし
ら、変じ出直す様にして、全部の集金を終つ亡としたならば、其
訂正する手績を漉ましてか
らせることもなく、叉誤った肋定書研一
ば、其の 一
任務の遂行は完全とは謂へないのである。御得意技を怒
にも拘ら宇、強て其の勘定書で集金しゃうとする如きことがあれ
鈴り、御得意様を怒らせたり、或は勘定書に誤りあるを後見せる
字一つの見誤りが斯様に大勢の人々に手数を川町け、御得意様の感
ないと、任務の完全なれ述行は困難になるであらう。この事はどん
出張所の者が何んな仕事の仕振をして居るか位の事を承知
ιて居
成した後でなければ勘定を貰ふことは出来ないのである。向車に数
情を害し、其の上取るべき勘定も取れなくなる様にならぬとも限
な任務を持った者に就ても同様である。此は卸ち協力の要議に副
上述の遁り協力の心を以て各自が他の仕事の携任者と遁世間に連
らない。此の様た検針者であったならば宰ろ仕事をして呉れない
ひ も 、 こ の 様 に 多 数 の 人 に 迷 惑 を 掛 け る の で あ る 。 分科が盛にな
絡を取った上で、自己蛍面の任務を果す様に努力することは是非
はないものである。
ればなる程斯の様なことの結果は大きくなるものであり、従って
必要なことである。
方がよいと云ふことになる。検針者に限ら宇一人の一寸しに間違
協力に封する確同仁る意識を盆々多く要するのである。
ことは勿論であるが、それには同僚若くは他の掛の櫓任者の仕事
等である。自己首而 の任務を責任や以て港行す、べきであると云ふ
(ロ)同僚や他の掛の搭任者と緊密なる連絡を保つ﹃)と
(イ)自己前面の任務は必宇責任研 以て成し港けること
金である。叉他の電僚命日一祉や、瓦斯命日祉や、水道業者や、郵便局や、
意様の立場から自分達の仕事の仕振宇一判断して見ることが極めて有
か否かを顧みることが大切である。それに就ては立揚を替へて御得
置い七が、五口々は日々自分の仕事の仕振が、この趣旨仁叶って居る
御得意様に封して親切可略でなければならぬことは前にも漣へて
御得意援には
の仕振其の他の賦況によく通じて居る様にしなければ、完全なる
電話局などの人々の仕事の仕振と比較して見ることも亦有盆なこと
この事業に於ける協力の根本要義は
仕事の途行は望み難いことである。例へば集金の矯めに御得意様
である。
べき事項を暴ける。
弦に常に御得意様に接鰯して仕事をする諸君の矯めに心得となる
を訪問する者が、自分に渡された勘定書に依って何等の事故も
なく全部の料金を受取ること一か出来たならば、完全に峨務を果
しにと云ふてもよからうが、若し自己蛍商の任務にのみ力を注ぐ
5
報
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マ
(イ)御客様が庖に来た場合には成るべく速に且つ気持よく用が足
ければならぬ 。言 葉
ツの泣 で 、 とんでもない間違ひ令惹起して
気持よく川ル﹂
足せ る採にしなければならぬ 。御客様ル 一
放って置て
御客様が応に来仁時は直ぐ之に感接して町臨 に取扱ひ 、御客様が
屯話で肱針する場合は相手方の初出が分らないから 、特 に州立L て
(ホ)
電話の膝封は特に町嘩に
な い と も 限 ら ぬ も の で あ る か ら 、 十分以意しなければならぬ 。
御客伎の感情巻官官し仁り 、仕 事 の 準 捗 を 妨 け 仁 り す る 様 な こ と が
係の者 が雑 談に 耽け ったり 、叉山 の片隅ω万で誰か ぶ生欠 岬 をし
町時に話 さ な け れ ば な ら ぬ 。 同 じ こ と を 言 ふ に も 下 手 に 巡 る と 御
せる様にすること
たり す九 採なことがあってはならね 。
{各段守怒らせ仁りすることかあるから 、飴程叫いなして話さなけれ
別紙 を渡し て遺ゐばかりでな く 、こちらで夫々の記入をして御容
の懇到の伐めの予紛であるから 、よく 仰谷絞に説明し書式などは
のである。こ れ等 の手約は御(各政の伐 めと云ふより も山中ろこちら
電気ω巾込手献は似墳なもので 、仰容肢から凡れば却々而倒なも
らしのない恰好ル﹂して庇れば 、其 の人か打ら しがない ばかりで な
ならない 。制 服 のある ものは必中之を若川しなければならぬ。に
服公は人の精神の地はれであるから 、何時 もきちんとしなければ
戸へ)服装身の廻りはきちんと
泣をすると ・
併で聴いて居る人にも不快の感を典へるものである。
ばならぬ。 仁とい 半務川で同僚 と討をする揚合でも 、机・雑な言葉
械に捺印.にけ在して貰ふ位にする絞にし仁レ c
く 、結局活気品が.たらしかないこと、なるのであるから誌なしな
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の感じゃ 御客絞に侃︿ へ山様にしなければならぬ。
身の廻りもきちんとし 、髪の刈方 、爪 の捕方に 迄も抗意し、
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Lふばかりで、何日削(其の川件が 叶 へられるかを告けられなか
(
卜)
態度物Cし柔かに
御客抜 から色んの 山文を受け仁揚ムリに 、其 の山s
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J守山車に受附ける
つ に な ら ば 、 仰 客 様 は 頼 り な い 忠 ひ そ し 仁 り 、 或は色々の不都合
時期 金行け る肢 にしなければならぬ。叉其の時別に就て特別の巾
持か十分岐はれる様に 、川 臨 で
γ 肢が低くなければならぬ。
技に接
争感じ仁り すら ことであら 司
フ。刊文の科矧に従ひ成ゐベく大凡 の
山があれ ば 、成 るべく其の 中川に路 、?る伐にしなければならね。
(
チ)
世齢愛矯もよい程に
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七一)言葉遣は明瞭と気持よく
きりしなければならぬ。叉御客紋に不快な感じを侃(えね伐にしな
ω芯忠在表示するもωであるから 、言葉辺は先つはっ
言葉は自己
御得怠様にお べ っ か を 佼 ふ 必 要 は な い け れ 央 、 所 謂 愛 矯 と 一
不ふも
のは多少あつ仁 トペかよ、 。 之は税薪の感じを肌ハへさせるもので 、
商賓の上で御外立校かに切であることは けふ迄もないが、 御れな
一
一
る場合じは 、 この大切な仰作意様に接して居心と-五ふ気
弓
ミ
を告げること
御客様の注文に封しては成るべく其の叶へられる大凡の時期
ハハ)
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電気の申込については御客様に成るべく手数を懸けさせぬこ
ハロ)
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快
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大﹂ と云ふ様に。
ば﹁誠に有り難うご ざ いましに、左様なら ﹂﹁ 左うもお邪魔様でし
用山きが 一悦んで 蹄 る時にも相骨聞の挨拶をしなりればならぬ。例へ
お差支なかっに ら電気の 試験をさせて頂きます ﹄ と云ふ様に、叉
に
﹂。﹁電 気庶です、電股料品ぜ頂裁に上りました ﹄。﹁ 電気昂です、
ればならね 。例 へば﹃電気昂です、メ ー ト ル を 拝 見 に 参 り ま し
御得意様を訪問した時には、第一に用向、ざをはっきりと告けなけ
(ヌ)訪 問 の 際 の 挨 拶
あつに 場合には、他 の川入口から 這入っても差支ない。
は お 勝 手 口 か ら 入 る の に 工 合 の 惑 い 時 、又は先 方 か ら 特 に 中 出 が
手口から御用を聞かねばならぬ。 お勝手口がない様な場合、若く
御客様から見れば米屋も 電気屋 も同じである。 一電気屋の方 でも勝
(リ υ
御用は勝手口から
様にし度い 。其 の,反を遁し ては ならぬこと勿論であ る。
然のものであって作られるものではないが、自然出る様に努める
商高貝には或る程度迄必要なもの である 。此もどちら かと 云ふと白
でもない 様である か、先 方から見 れば誠に献なもの であるから 、
壁に指跡守つけるとか、障子紙を一す破ると云ふ様なことは何ん
めたり汚したりしない様に 十分法意 をしなければならぬ。締麗な
工事若くは作業 を矯 す 場 合 に は 、 先 方 の 雑 作 器 物 や 庭 樹 な ど を 傷
(
ワ )屋内に於ける工事若は作業の際の注 一意
意をしなければならぬ。
り主婦なりが留守で、子供か女中ばかりの様な揚合仁は、特に出
とんでもない嫌疑を受けたりす る ことがあり勝 ちである。主 人な
して貰ふ必要が往々ある。そ、フしないと家人から怒られたり或は
ことか第一の必要であり、叉其 の家の賦態に依 つて は家人に同行
は鈴程制心の注意を要するものである 。 それで家人の承諾研一得る
居をしたりする様な事は往々あるから、従って室内に入る場合に
り、叉 一階と二階とが附帯が逢ったり、お客仁来大者が一寸留守
合が少くないのである 。例へ ば 病 人 が あ っ た り 、・来客 が あ っ 仁
云ふものは 可なり複雑であり、叉他人が室内に這入るのや嫌ふ場
ると思へば立命日って貰ふ様にすることが必要である。 人 の住居と
御得意様 を訪問 し仁 場合には、帽子や外套雨具を脱ぐこと 、簡単
誤って先方の雑作や器物などを破損した様な場合には、先方にお
叉仕事の矯に取飢しに跡は締麗に掃除をして蹄らねばならぬ c 前
そういふ﹃︺とのない様に十分用意もし注意もしなければならぬ。
な用向きの場合には外套は股がなく ともよ ろ しい 。但し其の時に
詑ひすることは勿論、師所した上に上長に報告して、廿井、の指固を
(ル)訪問の際の作法
一寸挨拶しなければな
は ﹁着 た佳 で夫 鵡致しま す﹄ と云ふ様 に
、
ハラ)室内に入る場合の注意
(カ)先方の器物を借りた場合
を鰯れる様なことも禁物である。
受けることが必要である 。 叉必 要もないのに先方の器 物などに手
例へば内線検査など の場合に 、 お得意様を訪問 し 仁者が室 内に入
御得 意様に行って工事又は作業を矯す揚合に 、踏 筆 とか梯子等を
らぬ。
る場 合には、必・一少先方の承諾 を受 ける様に する こと、向必要があ
7
報
新
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、
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マ
分に 一
況明 守して 、 ﹃腕り ましてから 其 の方の係に 巾博へます
川
山
と云ふ胤に、 きぱきや}附けなければならぬ。﹁掛が迷いますから分
は信任者なりに取次がなければならぬ。その川 向 きに依つては十
御件 以川山抜から何か 巾川 があっ仁場合には 、確 貨に之を上長なり或
(ヨ)御得舎⋮
様訪問の際申出ありたるもの L取次方
云ふ校に挨拶すること 。
を緋じた後は 一
冗の如く始友をして ﹃誠に有難・フございました ﹄ と
借りた方が都合がよい場合には 、よく 先万に断 って之を 借受け用
先方で約束以外に屯気を似つ仁疑ある場合には、之を取調へるこ
(
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﹀約 束 外 電 気 使 用 の 疑 あ る 者 を 設 見 し た 場 合 の 態 度
存以て 山
・
米 るだけωことをする校に 心懸けなけ ればならぬ 。 この
して肱念虎置をしなければならぬことに 池過 し仁場合には 、狐断
の任務と任務でないとに 拘 ら中 、 不肢の 川来事 に際して屯気局と
常務とする者は 、技 術 と 事 務 と を 川 は 宇 、叉自分
御得芯校訪問宇一
(
ソ )臨機慮愛の鹿置
を報比 nすることか必要である。
揚合に島置し仁事は委側な 上長に報告すべきである。
めま せん ﹄と云ふ校なことは成るべくない桜にしなければならぬ。
す
態
とはよろしいが 、其 の際警察{日 犯罪嫌疑者ル一
訊 川す るが 如 、
か
.
以 上の外に山なすべきことは津 山あるが 、 それ等は各自が常識を 以
反は決して 取 つてはならぬ。
を川 して呉れたりする政なことが 時に依るとあ るかも知 れぬ 。 先
電燈事業と公安
て判 断しなければならぬ。
丸心からそれ等身勧め 、強 て之を同僻すると却て
この商買では 其 の
以h
Hが御得な校の満足を買ふのに 十分 なもので
MW
先方 の気を 忠くさせる校た場合いかないとも限るま、。そういふ時
なければならぬことは既に辿へた湿りであるが 、其 の努力は夏に公
たといお而 の責 任者でなくても、引込線其 の他 の小川気工作物か破
(レ)電気工作物の故障を授見した場合
様にす、べきである。
ばならぬ。叉念に病気になって先方の 厄介に なる技な場介にも同
あることは 、既に油 仁泌 りであゐが 、新 し 民 い 川 城 仁 川 っ て 同
べ
、
時に伴屯が起つ仁とし↑んならば .其 の結 果とし て枇合 の秩 序 維 持
るものであって 、其ω郡山以御ねな校にし人なる迷惑や県へるもので
所謂停泊なるものは-)ω商賢 に 於 け る 商 品 の 配 達 の 中 絡 をな 味 す
停電と公安
ハイ)
を活ベる 。
には其の一昨作山岳受けてもよろしい c然し常識で与へて・反を越し仁
・立を交け仁揚合には蹄所の 上
M
、 必宇上長に報作一けじなけれ
円以し仁 り .或 は他ωものが接鮪したりして 、危 険ω民 あ ら筒所を
の上こし入なる支 障 を来さ 江 、と も限らないのである。官際ス ヰツ
0
接 見 し 仁 棋 な 場 合 に は 、腕 っ て か ら 上 長 な り 或 は 供 任 者 な り に 之
らぬ
交と謂ふ庁而にも十分挑はなければならぬ。今其の貼に就ての要項
とし ては 山単なる
方から物浄﹂
貰ふ﹃)とは伐すべきことではないけれども 、 お符芯絞
御ねぷ伐を訪川しに際に 、或はお茶を 川 して呉れ仁り 、或は氷水
φ
(タ)御得意様から厚憲を受けた場合
8
り、不純なものは仁とい僅かなものでも 、断然俳退しなければな
四
報
新
ダ
ソ
、
マ
新
で、電線路の管理が不十分であると、色々の危険や事故を起して
電線路に依って運搬する電気なる品物は取扱上出意を要するもの
(ハ)電線路の管理
振一巡って見ることが大切である。
道路管理者、警察官署若は一迎行者の立場に立って、自分の仕事を
にしなければならないのである 。其の方面の仕事に従事する者は
は交通の妨害を少くする様に、其の範園も少く時間も短くする様
妨害になら様にしなければなら宇。叉其等のもの、工事に際して
従ってそれ等のものを遁路に 置くにしても 、山内来る丈外のものの
って居るのである。
て許して貰って居るのであり、外に方法いかなく巳むを得すそうな
ふ措置式のものを置くのは、道路木来 の効別巻防けない限度に於
は木来人車馬等の交一迎の矯めに出来て居るものであって、斯う云
で、中迫路の地上叉は地中に据置 にされるのが 常態であるか、遁路
電気と云ふ商品の配達川具であ る電 線 路 は 架 空 式 若 く は 地 中 式
ハロ)遁路の占用
致しながら其 の仕事に努め なければならぬのである。
るにしても、或は﹁スヰツチ﹂ 一つ掃除するに しても、岡山 を是 に
とが出来るであらう。この商賓に従事する者は電線の接績 一っす
主(の結果はどうなるであ らうか と云ふ ことは、説に も想像す るこ
て居る今 の世の 中に於て、 若し 斯様 な事 故かあったとしたならば
い。人の.生活なり、産業な りが 、電 気の 効用に庚く且 つ深く頼つ
暗黒にする絞なことがないとも云へな
チ一つの故障が東京全市を 一
迅濯に質施し得る様に平素から用意することが必要である。
矯に軍部と遁世田に連絡守取って、府火の貼滅、印ち燈火の管制を
い。事賞上燈火の一手販責業者である電燈事業者は、その目的の
の偏 に は 都 市 其 の 他 の 股 火 を 敵 に 見 へ ぬ 様 に し な け れ ば な ら な
様な際には敵に目標を奥へぬ様にする事が栂めて肝要である。其
他重要地匿に夜間襲来することも想像に難くないのである。この
戦宇若くは事援に際し、敵の航空機か爆撃の目的を以て都市其の
(ホ)燈火管制
務時間外でも、山首面の係員に協力する様にして欲しい。
向斯の如き愛災に世間つては、其の附近に居合せた者は、たとい勤
棟の精紳で慮置することが必要である。
定は架宗電線路のみについてであるが、地中電線路についても同
ぬ。この事に就ては電気事業施行規則に規定かある。但 しこ の規
に出動して遁世に送電を遮断して危険のない様にしなければなら
防係員、公衆等に危険 の加は る屈があるから 、其 の揚 合 に は 直 ち
出火、暴風其 の他 の愛 災に際し ては 、 電 紘 路 に 送 電 し て あ る と 消
(ニ)出火暴風等の際の鹿置
慌 の出意を要 するものである。
ば都市の美観や損じ易いものであるから 、其 の見地かちしても柑
しては相ならぬのである。山川街路に於ける 此等 工 作 物 は 動 も す れ
ぬ。其等の電気工作物が危険肱態にある揚合は 、其 の部 分 に 途 竜
を十分にしなければなら
にしても.屋内線にしても、其の管M-
公衆其の他に迷惑を奥へることになる。架空総にしても 、地中総
9
報
ダ
y
、
マ
報
新
ダ
、
y
マ
電燈供給より電燈販責
東京電気株式合同社
副参事
素
夫
1
0
て協同勧誘に従事せられ好成総を奉けられた質例は多いけれども 、
だ少い様である。勿論臨時に増府増焔ω特 別別 問 中 、全枇員を奉け
電気事業に封しては電気事業調奇合も設けられ屯力の統制等 ず調
U的得業は水道の供給等と同様に 、他
需問家側の素人から兄る時は-
の小費営業者に比較し て幾 分受身或 は消極的ω符 業 方 針 の様にも 見
へる。其 の
や川否に針 しでは な凡 もあることと 忠はれるが 、大量販賢
五
へ 尚幾多 の改長必要するもの多
照明界 の
判
明 献は節約ω折柄とは 一
の積律 的 一退出の絵地は光分あることと 川
山
ふ。
x
q産とは売業の標
然して大H
く、剰鈴屯力も只大nU力に求めるよりは 、 手数も掛りゅ市川量も少
O
準化や問単純化のみが貨行 さ れる仁めに、円ハ作るのみか日的ではな
hグTMかれることは 、需 川供
い様に凡へる小口小山力の方而にドネ仕ω
共に大量生産が賞施されるであらフ
く、必守良口 mが取侭にた nMに版資 される、べきであり 、大長以完 の貨
給雨者の共栄となることと川山ふ。特に家庭内に於ける屯力の感用に
く利川させ、而して各製治業者も亦・ノ に参加協同して進んで行っ↑ん
封しては、進歩し仁機械持丸(ふ μ紛 々 奈 川 ぜられて民るから之等も よ
之が普及は又一花ω販売とし て取扱はれれ へきも のと 認 めら れる。
ならば、屯焼事業の進歩住民に多大のよ只'以をなしれると忠ふ。
従業員 が一ク月に似に 五十昨平均 の哨肢が 川来 件 仁 と し 仁 な ら ば 、
今動燃料金が一般七十銭半均 ハ定額 ﹀としても一人の屯僚曾枇の
機械器具の販官業者は勿論でかるか 、製作業芥に於ても円ら版古
釜となる。向非、利毎は翌年以後に引綿くものとして 、千人の人々,か
ぃ
ハ
百
一
一 十五園 の牧入とな るから 、平 均 月 額 百 凶 の 体 給 を 挑 ふ て も 利
一
ク 年にいハ百般の楠加となり 、此れを一般七十銭とすれば累計二千
電府供給業者に於ては今迄の符慣や加山岡域の関係もあるほ州め 、
。
利訴の販賢網身辺じ て一段と 似点に以MNする必裂があ る
と薪接なる聞係あるを円究し て、 かくω如き川に際し ℃は犬れ犬れ
販賢人なる言誌が常に川ひられ其宣明 も机織的に行はれ て日 L。
セ ールス﹂云んなる丈ヤや 、
現に米国等では之等に封じ版古川人は ﹁
供給なる事業は電般を大詰叫ん斥に依勺 て外仁 一花ω山川川と比倣し、
施不可飽のも のに 封してはし人北小売 も亦 MM
ぷ味となる 。 而して屯符
の機械化のみを意味するものでは勿論ないが 、命川枇仁川切等の 併合と
産業振興の一項として産業ω合川化が引へられて日る。とは産業
が講ぜられて居ることと 川
山
ふ
。
査されつつあるが、尚個人法人の業行に於ては夫れ夫れ泊おな針策
の緊張 、消費 の節約 、藤-業 の振興等か明へられて日る。
山営業方面には相慌 の飢餓はある が 、其の人々が常時向ら街頭に立っ
坂
金解禁が断行されて、之から景気が改善されるとも云はれ 、叉不
I
A
.
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て公衆に向ひ 、電府屯力ω販苛に似 hh
バする従な組織を 有 す る 所 は ま
、
景気は更に深刻になるとも云はれるが、経清的の大問題として民心
r
ける全取附燈数 の僅かに一分八厘である。一見それだけ自然増燈を
必要のものであれば矢張本文と同僚の大文字を使用す、べきである。
けるのは大丈字 にて認め'三忠味を全く波却 して居 るものであって、
特に小児用の大文字にて書かれてあ忍ものに、小さな振俄名ぞ附
滅する様にも見へるが、特典提供の勧誘で無いから却て間接に一般
而して救科書等には文字の大さや用紙の制限をも統一制定さるべき
此仕事に従事しにとすれば 一ク年六十高僚となるが、之は現在に於
の増燈促進となり、更にサインや街燈も促唯一され、向各方面の照明
ものと忠ふ。
hか 見 蛍 蓮 の 様 で あ る が 、 視
寸販高見業なるものは我々と購買者との聞の交易を以って完了
へンリ l 。フォード氏は次のやうなことを言って居る。
サI ヴ イ
ともなると考へたからである。
力の保全と云ふ貼から云へば、照度の向上と共に照明の問題の一つ
斯様のことを本誌で遁べるのはいさ
改善も賢行されて家庭内に電力の需用促進ともなるから、電力の消
費も利金も更に向上するものと思はれる。
仕事や工事が増加すれば失業者も無くすることが出来る。而して
製造業者が各自の製品に封し競争的活動に卒先して、此際電股供給
業者が電燈の大量販賓に封し積極的方針を樹立し、電燈の供給より
電燈の販賓への進出に一段の努力を捌はれる様になれば、供給者に
於ては 一一挙手 一投足の煩を増す一憂はあらうが 、其 の枇舎 に及怯す効
果はけ立し僅少ならざるものがあらうと思ふ。
するものではなく 、此 の交易によっ て我々は新 たに購入せら
俄名附のものがまだ相雷にある。特殊の読み方のものや地名人名等
専門の書籍には殆ど無いが一般公衆相手の書籍や新聞には所謂振
に庄意を捌ふと同様に、購入し仁自動車を経一情的に運耐押して
て居る。我々は購買者が我々の生産方法の経済的なるか否か
居るかを注意する義務を、新たに負ふものであると常に信じ
れ 大 自 動 車 が 、 購 買 者 を 満 足 せ し む る 様 に サ lヴ イ ス を し て
には 振俗名無 し では誤誌の恐れあるもあるが、現在は教育程度も 相
居るかどうかに就ての関心を有する
ふ時は振俄名附の女字は却て讃み悪いこととなる。漢字制限も宣行
自動車王へンリ l ・ フ ォ ー ド 氏 に し て 此 の 言 が あ る 。 照 明
とが必要であらう。
電歴は如何、 配 線 は 完 全 で あ る か 等 に 就 て 常 に 注 意 を 挑ふこ
宇、
立
︿ の電球が果 して遁 首の方法 で 貼 け ら れ て 居 る か 、 配 電
業に於て も 電球製造者は軍に電球 販 責 争以 て 能 事 了 れりとせ
OL
蛍に準一歩して 居るから最早其必要は無い様に思へる 。叉 一般的に云
振限名附の文字の廃止
ス
せられてある今日であるから、あて字、あて讃のものは俄名書にす
ればよく、叉必要のものには括弧の下に記入する様にすればよい。
夫れで無くとも小活字が段々用ひられて来る傾向に封し、電車汽車
等の内にての読 書 も増して居るから、照明の立場より云っても叉限
の保護から云つでも振俄名附の文章は底止され度い。
11
報
新
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、
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.
同
封建的と立憲的
牛
湛
m山 や別問在
録
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を 納 れ さ せ 仁 上 でω ことでなければならぬ。
背 け 、利 下 方
に、高川一的に、肌従させることは干し一しく時代釦誤である
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斯ゐ瓜想
M 山。昔は 、とぷ
必ル
枇は九でお役所である。川 U般ω ことル-色 々 と 級 み に 行 く
屯佼命日
一
抑し てゐ亡。 而 もその 供 給 規 粍 た る もωは一
と 印 刷 し た 川 紙 に 刊 ル-
﹃御 枇 供 給 規 程 承 認ω上 巾 込 依 也 ﹄
込守 するωにも
のにおっかなびっくりで行ったもの打。小山 曾枇 か ら の 文 仰 に封し
山
川
ては 、何 らω批 判 も 許 さ れ ぬ 絶 釘 的 なものであった・ 0 小山試佐川 の巾
が
っ て も 私 の 小 市 川 代 民 主ではぐ⋮んも 川 合ωせ い で あ っ 仁 か も 知 れ ぬ
さて 、沿 戸川料全比(他ω供給 規制何につ いて
の れ 胎 は 云 ふ え で も な く 近 世 に 於 け ら ﹁ 我﹂の 什 犯 による c
3
m も非 もなく 、高 川川 市
hしむべし﹂ である。 先 行服 従 させる 前 に刊 山
て依 -
mし
然心に、一近代、立法川代ω折山梨円以即一は﹁川氏は知らしむべし 、f
ことであると六し仁。
ど 。 人 民 か 政 財 の や る こ と を 批 判 す る な ん ぞ は . 全く以て大それ仁
2はない。 仁.亡 、ひとすぢに 、依 ら し め て ゐ 仁 ら しい の
知らせる必-
らしむ‘べから宇﹂ で あ る 。 無 知に し て ぷ 昧 な 人 民 に は
、
封往時代の指導原町を一一一パにして志せば ﹁民 は 依 ら し む べし 知
,
、
か そ れ を 要求 し 仁 一加炉 、嫌 な 顔
度 も 見 仁 ニ と がなかっ仁。 私ω伯 父 -
xx 氾燈株式合枇
中
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が 成 立 す る こ とにな る のに 。 そ れ は
電話交換手の訓練
、
うな ん て 式 ふ 収 牲 は 、会く 時代銑誤的ム仏 封佐川代的広考へである。
着 切 りωや る 様 な 、 相手 の 無 知に つ け こ ん で 暴 利 を食 ら
決し て 、山・
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公 去 す べ き 筋 合 の も の は 明 瞭 に 公 表 す ‘べきで ある。
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m な るは 、・例論ωことであゐ。これは引け問時代 的 な
給 規 程 も 呈 示 せ ? に 戸 俄 令 故 芯 な ら ? と も ) 需 川家にい契約 を結 ば せ
訟の栴 へられ る明 代である。 供
川勢いい鐙叫する。 附 従 契 約 と 云 ふ 一
祝 日刊が保 件と なるのに。 甚 だ 不 安 心 な話ではないか。
刷川 仁 供 給 規 程 は 仲 ん 梓 川家μ くれぬ合枇が多い。
涯 省へ い
あるか 、
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例 へ 要 求 があっても。 而 も 何 か 而倒 なことが 起 ると 結 川 は 、供 給
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川
十なものは
。 付九日業案内と一五ふ極 く伺 山
のが 無いと・去はれ作 る打 ら う か
昔ω、 そして川合の屯僚命日一枇ω ゃ っ 亡 事 で は あ る が
効に 、 そ の 開 不 誌 な 契 約 す
に 鮎 川 は 断 ら れ 仁 こ と か あ ら 。 而 も 法 作 上 は そ の 供 給 規 程 一辿 り 、有
?J 守 食 つ 大 上 で 、而 も 品 切れと の町 由 の下
守 さ れ 、色 ん な お 川 ハ
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さつきから
﹁そ れ は こ れ の 係 り
時 間 位 も 泊 話 を か け て ゐ るωに 、
でない﹂﹁ そ れ は ど こ そ こ の係 り へ か け て く れ﹂ と一じって不親 切 に電
7
か ん か ん に 怒 っ 仁 結 川 家 の屯 話 。
七
報
新
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マ
、J
、
話を切って了う。此方では命日枇へ電話をかけてゐるの花。係りなん
?命日一祉の仕 事の 順序、各課係 の仕事の内容を 数へこ まねばならぬ 。
し悪しは、直ちに曾枇そ のものに封して反映し て来る。 此 の跡、
電話交換手 こそ は命
日
祉 の尖端をなす。これが容に輿 へる感じ の普
係りへ 電話を廻してやつ にらいい ぢ ゃな いか。それをすぐ 切 ってし
憾に、銀行の交換手の訓練はよろしいが、電依命日枇やお役所の訓練
でも のは命日枇内の事ぢゃないか。自 分 の係りでなかったら、矯常の
まうなんて不親 切 も極まるぢゃな ρか。電話 だ って無料でかけるん
は向は不充分な所がある様に岡山はれる。
臨時設電水力調査局
ではな いぞ。 暇 な身 鵠 ぢ ゃないんだぞ。たつ に一つ の電燈の故障 を
直すのに、 二度も三度もかけなほ して、一時間近くも か か る な ん
て
、 何 て こ と 百 !﹂ ん
4 もな憤慨に 、私 は電話 口で 頭 を ペ コ ペ コ 下 け
ことがある。その時の不愉快さは私共自らの経験してゐることf。
いが、 兎も すれば 不親切な利員 の仁めに 中途でぶつ切 られてしま う
っちこっちへ 引き 廻されることがある。それでも 目的 を達すればい
大きな曾祉に電話 をか けると、別件権活 の係りへ着くま で は、あ
け る水 力 密 度 を比較す ると、彼 の二 十馬力に射し我は九十 二馬力と
一一高平方哩、我園は朝鮮牽湾 を除き十四一南七千方哩。 一平方哩仁於
だか ら合 衆 園 の 五 分 の 一 に 過 ぎ ないけれど も、合衆閣 の雨積は 三 百
米 合 衆 図 は 水 力 包 蔵 六千一両馬力と稽 せられ 、我図は一千三百荷馬力
れど も水力包療 の上 に 於 て は 世 界 何 れ の 図 に 封 し で も 誇 り 得 る 。 北
﹁我図は 世 界 有 数 の水力図で ある。図 土狭降、 天然 物資に 乏しいけ
殊に﹁自分の係 り でないから﹂とのぶつきら棒な 言葉の 下に、がち
斯く の如く世 界 に 誇 り得る 水力 を包蔵す る我図が 、之 が 開震に蛍
なり四倍に蛍る ﹂(阿部留大氏 著 ﹁ 電 気 事 業 の 賞際﹂ )
か云ふ様に﹁係﹂ なんで ものは曾枇内 のこ とで、 お客 に封し ては命日
つ仁のはそんなに古い音からではない。否、むしろ驚ろくべき事業
六七六、O 二一、 一
O八
八O 、二四六、O 七四
三三五、七一 O 、七一九
円)
(
祉 そのものが 相手方なのだ。従業員の訓練の惑い舎一吐では そんな 所
同定資本
の準展は最近廿年聞のことに属する。それは弐の表を見れば瞭然と
する。
a
よ
み
末末末末末
曾祉としては、殊にそれが公共事業舎一杜で、兎もすれば大衆から
電気事業の
年年年
年 年
横暴 と非難される傾向のあるも のであ るから 、
品
川
.員全践の電話の 取
放に謝 しては呉々も訓練を 必一安とする。 町時親切柔和と 云 ふ こ と
i口
和 正
、
にもはっきりと 快拡 を暴露 し て来る 。
やりとやられた時は誰れでも憤慨せすにはをられぬ。 前遁 の需用家
て、すっかりあやまった。
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四
卜六
は、夢の聞も忘れてはならぬことだ。
更にそ れよりも 先決問題は電話交換手 の訓練 だ。客 の用件を 聞い
一、六八六、四九 二 、六二四
二、六六七、 三八 七
、 二二一
1
3
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て直 ち に誤 りな く、常該係へ電話を廻 す様な判断力を必要とする。
命自
社が大であれ ばあるにけその 必要がある。そ し てその仁めには必
昭同同大明
報
新
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、
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マ
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、
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マ
明治四十年末には僅かに八千 二十四一角園であっ仁ものか、昭和二
年末には 三 十六億六千七百高闇ーーー印ち四十六倍の増加である。恐
るべきではないか。
だが、斯る進歩 のかけ には矢張 り幾多 の礎石が置かれてある。電
気事業の最初の開登に嘗つては、時の攻府の異常なる努力が排はれ
てある。臨時護電水力調査局の 如 きはその一であらう。
臨時稜電水力調査局は明治四十三年四月に設けられ仁も のであっ
て
、 時 の遁信大臣は後藤新平氏、次官は仲小路厳氏であって、究官
が調査局長官を粂ね亡。
此 の調査局の 目的とする所は﹁明治四十 三 年度以降、五ク年を矧
し 、普く全園の各水系に渉り、河川湖沼 の水力に就いて秩序的の調
査を胸し、適 切有利 なる地貼を選定して.流量の 測定、落 差 、流域
其他地形の測量、水位雨量の観 測等詳宿 な る調査を行ひ、其成績に
基 き て 水 力 牽 帳 及 図 表 等 脅 編 成 し 、 之 を 公 示 し て 水 力事 業 の 企 劃 上
必須遁確な資料を供血︿し、以て起業の 基準仁 ら しめ、電力の統 一的
利用ぞ促がし、図富 の開設を因る ﹄ にあっ仁。その仁 め四十 三 年に
は東京外六ク所に支局を、更に翌年は秩一回外四ク所に白張所を開設
し、各支局出張所毎に 測 量 班研一
配置して、賞地 の作業に従事せし め
仁。然るに踏査の揚所亡る水力地貼は﹁概ね山間僻阪の地に非ざれ
は云ってゐる。
その資例として述、へてゐる所を見ても分る。
念流深淵を前にして僅か数十問を隔つる地熱に一本の杭を打つた
めに 、数皇 の上流叉は下流を迂廻しなければならなか っ仁り、北小海
道オ ク ルシ ベにあ っては人家に出るまで十里を距つる有様な ので写
の中にとぢこめられて 危く餓死しか、 つにり 、上流 からの流木のた
めに 測 量刑の橋梁を流し 、測水則 の舟を覆 して器械 を手にして水の
中に陥つにり、的の大軍に襲はれ仁 り 、想像に鈴るほどな叛難辛苦
をして目 的達成の丈めに勇往巡準し仁のである。
此 の調査事業もその創始の際には種々なる疑惑を招き、やかて民
業を歴迫するも の 百との臆設を生んだが、終にはその真意ーーー図家
の富 源開後に最大緊切なものであることか康く認識せられる様にな
つ仁。そ して民間事業 者も賞地 測量調査 宇一委託 し 得 る の 便 法 を 設
け、之か手績に関して ﹁
畿電水力調査申請規則﹂なるものが制定後
布せ らるる に及んで、企業者は競ふて之が申請をなすの有様となっ
}O
申
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こんな工合にして民間事業者が未だ気が 附 か?に 、或は気 が附い
ても手をつけ?に、つけられすにゐた頃、政府が先に立って水力愛
忍び、宇 ば露管に等しき生活 字営み或は種々なる危険を胃し 、叉 は
仁る数十の賞測班は、何れも錬金の暑熱と闘ひ、或は 一
田町烈の来、
威を
世人 の未古想像し得ざるものあり、七支局五出張所より仮出せられ
講演集﹁護電水力の開裳﹂参照 )
。 (後藤逓信大臣、仲小路次官、訓示及
う せざるを得ない 所であ らう
献を見る時、前特仁時勢の凶変化の甚しぎ仁、我れ人共に長歎之れ久し
定資金ぞ擁し、三十八一角キロ鈴の鈴剰電力をさへ生するに到った現
電の調査に従事して 、指導誘 抜 し仁 ものが 、今や 三 十六億園絵の回
幾多の持苦に耐へ専念斯業の仁めに努力しつつある﹂と仲小路長官
ば、人跡 到らざる深 山幽谷 の間なるが故に、其賞測作業 の困難なる
1
4
電照養護
仕をい丈します。
一、勧誘用ポスター無料贈呈
四六宇議型の三色オフセット刷のポス匁 l で上部に金具が附い
てを ります。ポスタ ー面の文 字 中特典 の各僚項並に命日 一
枇名は貴
ハ但し墨 色一色
。
ハシフレツト責費分配
養一議家 勧誘用として是非必 要なも
一
般
一間 三銭の 割合 で部数に制限 なく 御 頒 ちい仁 します。
に なります。
以上
張所に御申附け下さい。本枇へ直接の御申込みは却って遅れること
前記各種庚告物 の御要求世に講演の御申込みは線て 回収寄の 弊 枇 出
ひます。
ありますから、講演御希望の方々は成る可く早く御申込みを願
但し 是は'既 に各方面 より務 約 があっ て、講演者は極め て多忙で
御援助いたします。
弊壮主事工皐土原田保之助を汲遣いたし、講演世に映書一を円以て
問、講演誌に映書一による御援助
賞費
のであります。
シフレツトでありま す。一
弊壮主事、工島一士原田保之助著一ー電照養輩の手引﹂と題するパ
、
一
其の他を刷込んで御使用下さるや‘フ仁願ひます。
刷込 みはできな いのでありますが 、裏 面 へ貴祉に於て勧誘僚件
二色刷引札 であり ます。自疋は既 に印刷してあります から 文字 の
二、引札の無料贈呈
御使 用前 相時間の徐裕を見て御申越下さる様に願 ひます
。
御申込み から印刷が出来あがるまで約十日聞を 要 しますから.
刷)他ω部分 は銃 に刷込 んでありますから愛夏は 出来 ません。
勧誘に弊祉の特別奉仕
山川ほ養誌川竜球としてはマツタ瓦斯入カナリヤ電球が最も優秀な
別 の奉仕を致しますから 、何 卒御利用 の程を お願ひい仁し ます。
木年度春諸 問別に是が勧誘御・一貫行の方々には 、弊枇は左記 の通り特
法 によって、 柳 か斯 界 の震に微力 を致 してをつに次第で あります。
も昨年春一誌朋より引緩いて賞験を重ねると共に、研究命日其の他の方
祉に上 り、何れも 好成 績を牧められております。 弊枇 に於きまして
而して咋年度に於て、電照養・話勧誘御宣行の電僚曾杜其他は数十
至りにたへない鹿であります。
電照養誌の穎著な効果は一咋 年来各地 に於ける賞験 によって 、
取
回
早確定 的の ものと認められましたこ とは、我図議業界の翁に 慶賀の
の
御
ること は、各地に於ける賞験の結果によって 明 かに設 明されて をり
{
士
ますから 、是 非と も木電球 を御採用御推奨 の程を 願ひま す
。
奉
マツタカナリヤ電球御法丈の各電燈 岡
A 田一祉へ封して、左記の特別奉
リ
方
祉の御希 望通 りの 文字を刷込んで 差 上けます。
1
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進み行くラ
ヂ
オ
(其七)
サ イ モ ト ロ シU Yニ二七について
し
均
三
き
険波真空管 U Y二
一一
七が 市場に提供せら れる様になったので 、交流
ことが出来なかったのであります。然るに咋年の末仁至って、交流
異{全管が市場になかった震に、交流セットは其の全能力を護揮する
但し哲く前 の頃ま では、交流-フヂオセットに使用される検波用の
に置換せらるべきであります。
源を常︺燈紘から取ることによって完全に働く、所謂﹁交流ラヂオ﹂
は従来の様に不経慌で手数のか、る電池類の使用をやめ、総ての電
が使利でなければならないのは決定的の事・質でありまして、それに
つまりラヂ才か家庭の・賞用品である以上は、経費が小で且つ取扱
去はれて居ります。
フヂオセッ トが、 交 流 化 せられる年であると
一九三O年は吾園の -
l
ま
東京電気株式命日祉
販買部器具第二課
今
ト
﹁
47
孝
と申しますと、それは多くの方々の御承知の様に﹁ACハム﹂と云
め、能率の惑いものであります。然らば何故真空管を用ひないのか
磁石は昼(空管に比して感,反か怒く、叉再生法を行ふ事が出来ない矯
これまでの交流受信機は、大概磁石検波器を川ひて居りまし仁。
サ イ モ ト ロ シ U Yニニ七とはどう云ふ真空管でせうか
に閲して少しく誌して見度いと思ひます。
一フヂオ は塗 に完成 の域に導かれたのであります。よって 此 の真空管
1
6
国
第
報
新
ダ
、
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マ
ふ雑一耳目の問題があるから であります。・即ち 普 通 の 型 の 其 宗 管 は 、 其
二
O 秒程お 待ちにならねばなりません。
約一
までには相話の時間を要しますから、電源のスヰツチを入れてから
ぶ特別なソクツ ト在刑ひねばなりません。
された ので 、呉市金管は五本足となりますから﹁ U Yソ ク ツ ト ﹂ と 呼
叉 上 漣 の一迎り此の種の量(空管にはカソ l ド と 云 ふ も の が 新 に 附 加
のフィラメン トを 交 流 で 貼 火 し た 場 合 に は 、 結 封 に 検 波 に は 使 へ な
いのであります。それは交流専用に 出来 た 増 幅 管 の U X二二 六を用
G
ひた揚合でもそ、フであって、増幅の時に﹁ A Cハム﹂がは入らない
J
ー
様に設計されてゐても検波には遁しません
5
共に U Y 二七の規椅を掲けて置きませう。
一
一
用途、検波世に増幅
ゲ
其 の 理 由 は ﹁A Cハム﹂の強さといふものは、プレ ート 電座や ク
ノ
ー
』
リツ ド電歴の値により大いに異るものであって、始以波に庭用しゃう
と す る 真 空 管 の 特 性 の 部 分 が ﹁ A Cハム﹂の方から見ると、残念乍
ら最も雑一昔のひどい筒所に相蛍して居ります。従って検波管として
は特別の考案を要するわけであります。
サイモトロン U Y二 二 七 に 於 て 採 用 さ れ て ゐ る 方 法 は 、 フ イ ラ メ
ントからは直接エレク ト ロンを護射させないで、主(の周閣にカソ l
一一・五ヴ オルト
一・七五アムベア
ム
一一│七 t リアムペア
約九000ォl
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叫
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パ
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ドと呼ばれる筒をかぶせ、 エレクトロンは其のカソ l ド の 表 面 か ら
震射させることとし、フィラメントは只之を熱する役をつとめさせ
拘
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どク'!~'.-i;Q_ Æ' (!ヴオ 11.1~
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ヒこ
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るやうにしてあ り ま す 。 こ う す る と フ ィ ラ メ ン ト に 通 る 電 流 が 、 交
一定の温度を保つことが出来、従って何等愛動のな
流 の 如 く 受 動 す る も の で あ っ て も 、 其 の シ ョ ッ ク は 取 り去 られカソ
ー ドの表面は、
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豆
ア
プ
電
ド
ド
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ヒー ター 電座
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いェ、工ツシヨンをすること-か 出来 る の で あ り ま す 。 之 な ら ば 検 波 の
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同上電流
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ド
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民
主
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化
場合と雌もハムが出ないのであって、全く満足な結果を得る事か出
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品
11
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プレ ー ト電歴ハ検波) 四五 │ 九O ヴオル ト
}
来 ま す 。 そ し て 此 の 異 空 管 に 於 て は フ イ ヨ メ ン 卜 の こ と を ヒ ー ター
卒抗
同上 電流
増同
と呼び、其の特異な働を明かにして居ります。
新の如くU Y二二 七 に於ては︾ソ l ドを間接に熱するやうになっ
て居りまずので、ヒ ー ター に 電 流 が 通 じ て も カ ソ ! ド が 充 分 に 湿 る
1
7
抵
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1
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、
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ヘプレ ート電 肢 に釘す る
/グ リッ ド リl クの 値 ¥
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J
ハ九O グ オルト )
一一ー九メ グハ間五 ヴオル ト
O 、二五│ メ グ
。
向其 の特 性 山 紋は 第
闘 に示 寸 如 きもの で あ りま す
一 一
サ4 モトロシ U Yこ こ 七 使 用 セ ッ ト の 組 立 法 の 一 例
ハリ
再 生 検 波 悶 路ω コイルω捲 き 方
内 側 へ し 在 外側 へLを捲く のであ り ま す 。 捲 き 数 と紘 の 大 さを卑け
は スパイ グl コイ ルで あっ て 、 一つの三 吋 半 の枠の
第 三附 の ん い
T
1
8
初 めのタ li ナルか 闘 の
ω とな り 、捲 き終 つKJρ が川仰とな
リ
一
一 十 六 番 線 を 一一五同 ケ 次糾 )。 紘 の 捲 き
一
一
重綿 捲 銅 紋 R Q
て見 ると次の一辿りで あ ります。
,
.
11
。 紘の陣地 き
一
一
重綿 捲 銅 紘 B S 十六 番 線 を 八O 岡 戸一一次紘 ゾ
ω とな一一り 、捲 き終 つに方が刷 の側と なります。
初 めが 川 の
ク
一
フ │ コイ ルであって 、 同じ くスパ イダ ! の枠に ご重
の方 の
mh
Jお断 し て 置き・反 い一山
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中はUY
イポ ラ イ ト ワニス
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h バイパス コ
次 総 に は 必 宇岡 に 示 す遁 り
。
一マイク ロフ 了 フツド枕 か遁砕別であ りま す
G)。 其 の 容円五は0
ンデン サー を 入れ てい 仁 ごマ反い の です ハ
ひます 。 そ れ から
山
ハは利れ もオ 1 チオ愛 脹 器 で レシオは 一釣 三 伏が よ いと 川
中
川
並に m
れ で川 めに が安全であります。
の様な徐一
刈
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吋低周波桝 一
刊誌
川向路 についての 御 汁
LL Lは々けん捲 ぎ終 めま しに ら 、活 いラ ックかア
? っと少 く し て置か ねば な ら な いと 云ふ﹃)とであります。
けより も
使 ふ場 合 のチ ック一フ l コイルの 捲 数 は 、 二O 一A の揚 ん
七ル-
何れ でも先支ありません。 仁 ギ
7ω結 合
綿捲銅線日日 一卜 希 似 を トぃハ岡持いた ものです。 TMと
ω れい
ハ
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方 は距 附 を 加減 す る や わ 庁 でもよ し 、 ア ン グ ル を 鐙 へ る や り 方 で も
は所謂チッ
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胤で御 明
説
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同
信 問 路 は第 一
一
百U 併俳川川 ハ
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に示 す一
迎 の再
り
・
生 険 法 、低刑 法
山崎山
・し止、サ If 1、J EL
一β
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片山 刊
可制
なも ので すが 、
尚一本 よく且 つ本
m立 てられ
必に m
ま すから 御 家庭
で御下製になる
には ﹁泣手頃で
あ らう かと存じ
ます。 此ω問 路
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中 hド
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ekEHEJF
,
日 I
JC 4
ので あ り ま す
が 、夜 間 点京仁
於 て仙長 、大阪 、 熊 本等 の放迭を 内 山 仁川出取 す ることが 川 来ます。
周 波 の一 段 増 幅 に なさ るとよいと岡山ひます 。
ご 一一
七 の扱 ひー をのみ 込 ま れ てか ム、レ フ レッ ク ス同 路 に 改 めて 高
尚更に遠距 離 を 仰聞 き に な り 皮 い方 は木 悶 路 を御 組 立 になっ てUY
回
^プ<-
い 真 空 管 の フ ィ ラメント 同 路 の 配 線
U Y二二七のプレ ート 電 歴 は 固 の 凡 と 云 ふ 五 高 ォ i ム 位 の 可 凌 抵
! ム位の所ですから 、四一向ォ l ム位の同定抵抗争-刑ひても勿論結構
抗 器 を 入 れ て 落 す の が 便宜でせう。併し賓際に使ふのは三一南五千オ
-O五アムペア、 U Y二二 七のヒ
です。向此 の場合必中ハ切なる 一マイクロのコンデンサ ー を 併 用 ぜ ね
交流異{全管のフィラメントは何れも低電墜高電流であって、
ー タl は 二 ・ 五 ヴ オ ル ト 一 ・ 七 五 ア ム ペ ア と 云 ふ 様 に 随 分 多 い 電 流
ばなりません。
一一二六のそれは一 ・.五ヴオルト
が 流 れ ますの で 、 其 の 配 線 は 極 力 抵 抗 の 少 い こ と が 必 要 で あ り ま
J
使 は ね ば な り ま せ ん 。 之 に は B S十 三 番 位 の 銅 線 に エ ン パ イ ヤ チ ユ
ー プを一迎して使ふのがよいと忠ひます。尚之等の紋には交流が流れ
る 関 係 上 必 十 二 本 撚 り 合 せ る 必 要一
があります。
にら後は 全 然 手 を 鰯 れ る 必 要 は あ り ま せ ん 。
組立後の調整
のよい、しっかりしたものをお使ひ下さい。そうでないとコンタク
川リ接績が終つ仁らチックヨ l コ イ ル を 出 来 る 丈 献 し て 置 い て か ら 電
調整上の気附い仁黙を誌して置きませう。
拡て上記の組立が終つ丈ら愈々聴取試験に移るのでありますが 、
トドロップ の鴻 に パ ル プ に 規 定 の 電 歴 が か 冶 ら な い 結 果 、 働 かない
接 績 が 反 封 で す か ら 、 コイルの取出 口を 取 り 換 へ ま す 。 叉 絵 り ピ l
ハチックラ l コイルの結合を密にすると反って一音の小さくなる昨は
と 云 ふ 愛 座 器 の 二弐 紘 を 反 射 に 接 績 す る と 直 り ま す 。
吋それでも伯 つ
ン l ン﹂と云ふ細い一音が山内てゐましたら 、 弐には む
る方を真空管のグリッドへ績ぎ愛へるのであります。
器 の 二 次 紘 を 反 封 に 接 領 す る と 直 りま す。 郎 ちF と云ふ 71 クの あ
す も の で あ り ま す か ら 、此 の 様 な 揚 合 に は 回 の じ と 云 ふ 低 周 波 愛 歴
こ と が あ り ま す が 、之は低周波愛厭凶
器の接続が遁首でないことを示
燈紘の スヰツチを入れます。立(の場合 ﹁プル / ¥ ﹂ と 高 い 一音か 山
内る
ニバワ l ・ト一フンスホ!?l
は全然調整刑の抵抗器を入れる必要はありません。
と 云 ふ 様 な こ とも起る受かあります。 それからフ ィ ラメン ト悶 路 に
次に異空管のソクツトも前に一述、ベーにのと同様の理由によって接鰯
凡は三十ォ l ム位、九は六ォ l ム位。何れも 一度 中 性 馳 に 調 節 し
へフィラメ ント・ボ一アンシオメ ー ター
U
す 。 従 っ て 接 続 部 分 の 如 き は 一 ん ハ ン ダ 附 守して成る可く太い線を
X
此 の 受 信 機 に 使 ふ パ ワ l ト一フンス'子! ?l は 、 左 の 如 き タ ッ プ の
ω トランスでないといけません。
あるこ二七刑十一
五グオル卜 l 整 流 管 K X 一一一一 A のフイ一フメント用
一・五ヴオル卜 l U X二 二 六 の フ ラ イメ ン卜用
ー ト電堅用
一一・五ヴオルト │ │lUY二二七のヒ ー ター用
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ピ! と 云 ひ す ぎ る 揚 合 に は ムゅの捲き数そ少し つ ﹀減じて下さい。
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向 愛 膝 器ω コ! アは接地の必要があります。
何 U Y二二 七 のプ レー ト 電 座 を 作 る 方 法
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米 国 デ アI ボーン市の電燈五十年祭
円七十九年には彼は国抗の内に働いて居っ
一千 八一
課
丙 肝 一千九 行 二十 九 年 十 月 二十 一日 こそ は 快 界 各
た 。 然 し 彼 が 山 扶⋮の力を紅服して一九十年、針金祭の
て央 れ た フランシス ・ジ ヱ1 ル 氏 注 に 間 続 さ れ 、 世 非
ド氏蛇に 二 十 歳 の 青 年 時 代 か ら 共 に 助 手 と し て 働 い
夜 に は 北 米 合 衆 国 の大 統 領 岨 ﹁ 親 友 へ ン リ ! ・ フォ ー
デア 1.ポ l ン 市 に 集 中 さ れ た の で あ る 。 デ ア 1 ボー
﹂
戸 を 凶 放 し てある 事 の 信 念 を 新 た に し た の で あ る 。
日宴 席 上 に は 大 凶 作 を 越 し て 怠 ら れ た 大 科 串 者 の
初
アルパ l 卜 ・ア イ ンシユ ダイ ン氏 のメツセ 1ヂ が 韻
。
ユlリ 1夫 人 が 川 府 し て 肘 っ た の である
まれた。又彼の有名な女流科事者であるマリ 1 ・ キ
メ ンロ 1 ・パ 1 クはフォ ー ド 氏 に よ っ て 完 全 に 再
築 さ れ た 。 エ ユ 1ヂヤ 1 シー か ら デ ア l ポ 1 ンに 到
1 ボ l ンに 起 った 事 柄 を 附 い 1て川 る次 第 である 。
古いふ uの 汽 車 に 乗 っ て行 ったのである。 大 統 領 は 中
る般道すら背のま
でも立身する機人刊を作る様に、ーけ位干の社命川制ぃ院内川
泊人の附紋から指導者の階級にし北上 っ た 。 そ し て 社
る。﹁ヱヂソン 氏 こ そ は 彼 が 天 オ と 努力 と に よ っ て 北川
照 ら さ れ る ま で所 っ て 、 迩 か に 一 千 八 百 七 十 九 年 の
プの 光 が 岐々 たるんい川燭 力 の近代 的 電 球 に よ っ て 代 り
五はねばならない vc そ して 日 が 暮 れ 始 め て 石 油 ラ ン
一
日 内市 日 は 羽 か ら 大 統 領 が ヱ ヂ ソ ン 氏 の 腕 を と っ て
記念
五った。一- か培 米 側 民 は
米 岡 大 統 領 フ lヴア 1氏は 一
九
け
彼 が 人類に昔、らした 大 な る刷出 (仙のお蔭を支って 肘 る
Kに 破 桁 の 蹴 逝 と
こ ん な こ と は 勿 論 一 市 民 に 封 し て-
、
部 地 方 へ の 放 程 を 中 止し て 此 所 へ来 た のであ るが
Lを 再 説 さ れ た の で あ っ た D
のみならず、 北ハ
山内山に到 し でも 負 ふ所 がある﹂と白 山川
名
そう し て有 史 以 来 何 人 も
フォード氏の判川県に肱じて集った米岡拙に諸升川の
。
けた のであっ た
得 な か った 杭 の 最 大 級 の 感 銘 と 山 口 讃 と を 公 衆 か ら 受
縫切を再山臥したの である。
大 統 領 は フ ォ ー ド 氏 の 杭 宴 席 トJHを強めて・ 4ふ て日
さ れ た 。 さ れ ば 珂 卯 利 加 の 端 に 住 む 一 帯 人 ま で も デア
︿川町は
←
の
へる 老 科 皐 者 を卦令の 光 で川⋮ して 肘 る。
私
ん
介の附々迄報道
ラヂオ放怠によって 間 内 は 勿 論 、 秋 山
研 究 所 には 銀 笈の 析 を 世 い た川初々しく凡
た。 今 や北(
北 所 の研 究 所 は 世 非 に 幾 多 の 驚 川た す べ き 後 切を 苛 し
ンロ 1 ・ パ ー クの 研 究 所 は 躍 注 せしめたのである。
の 粋 で あ る 内 岐 々 た る 艇 や か し い ー な 燈 の 光 の内にメ
のである。石 油 ランプによる黄色い色の内から科皐
からはメンロ l ・ パ ー クの・雌術 川 として 哨 米 さ れ た
ンでは卜 1 マス ・ アルパ ・ ヱヂソン 氏 がへン リ 1 ・
其の 光 の 夜 は ラ ヂ オ に よ っ て 什 知 され 世 界 の叩 聴 は
古r~
国 民 と 共 に 米 間 民 の 記 憶 に永 く 永 く 残 る で あ ら う 。
母
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ヱヂソ ン氏 の腕 を取るフ ー グ・アー大統領
編
名 士 連 の 附 釆 桝 に 、 彼 が最 初 に 成 功 し た 内 州 市 川 球 の
透明の再演の光景
白熱電球5
、
昔 を 這 想 し た の で あ る。 合 衆 も へ ン リ l・ フ ォ ー ド
入っ て行 っ た 。 其 所 は 長 方 形 の 部 屋 で 幾 多 の 棚 が 黄
此大科皐 者 は 其 仕 事 場 で あ っ た 研 究 所 の 二 階 に 這
D
D
薄暗い光が彼の張工取粛な訟を
ヱヂソン 、フ 1 ヴ ア l雨 夫 人 も 側 に 腰 掛 け て居
記 入 さ れ て あ る も ので ある。
沈献の一二分が経った。へンリ l
いて見 へた
9
高 く 澗 立 記 念 塔 の上 か ら は 黄 金 の 光 が
天 空 か ら 下 っ た 首 飾 の様 に 電 球 が 祝 祭 場 を 闇 っ て 輝
鐘 が 闘 塔 の堂 内 で 力 強 い 一 昔 前 を 鳴 ら し て 居 る 様 な 威
投 げ ら れ た 。 塔 は 金 色 に 包 ま れて 電 飾 は 彼 の 自 由 の
力 を 表はして居った。
飛 行 場 か ら は 二つの飛行機が時やって来た口一つは
る部屋へ這入って行った。彼等は其所で白熱電球が
電球で飾られ て
、 鏡と汽笛の鳴って 居るデトロイト
白 色 の光 で 飾 ら れ 培 の 上 を 舞 ひ 、 他 の 一つは赤色 の
場内は一斉に幾千高倒の電球が鈷火され始めて乳色
した時に、ヱ ‘
ヂソン氏は静かに彼の研究所を去り大
仕掛花火 のぼん/¥云ふて居る 祝祭の最高調に達
の 空 を 大 き な 闘 を 描 い て 飛 ん で 居 っ た。
の光が地上を横溢した。員童の様に昭⋮り波った。飛
統領と共に宴命日席場へ と 蹄 っ て 来 た 。 25
年の夢がん貰現したのを見出したのである。すると
行 場 で は高 い 標 識 燈 が 閃 め い た 。 そ し て 遠 く か ら 付
い1
黙火するのを見た。同時に世界はそれを聞いた。永
る。そして一同は静かに階下に下りてダイナモのあ
を試験して、彼の助手に其封じ方を命じたのであ
をら椅子から立上って、ム口の上で硝子球の長空欣態
奏 し始め た 。 生 ? と し た 昔 前 が 止 む と 大 科 皐 者 は や
占い一音楽 隊 が ヱ ヂ ソ ン 氏 の 好 な オ オ ス ザ ン ナ の 曲 を
フォード氏の
其ノ l 卜 こ そ は 彼 等 が 幾 同 も 行 っ た 不 成 功 の 寅 験 が
る c ヂヱ 1 ル氏 は机の 側 に 立 っ て ノ 1 卜を聞けた。
る
大統領も亦机の側に其劇的光景を感激して兄て居
昭⋮し、彼の銀色の頭髪をも微かに昭⋮して居る口
彼 の机 に近 寄 っ た
が今は老の鴬めに柑背中が闘って居る。彼はやがて
れなかったりてある口ヱヂソン氏は丈けが高かった
室 内 は 新 聞 記 者 や 放 設 局 の人 以 外 は 這 入 る 事 を 許 さ
に居る合同
裁にラヂオで何が詩られたであらうか口
った 。 そ れ か ら 何 が 起 っ た で あ ら う か 、 ま た ( 具 合 場
色 の レ ッ テ ル の 粘 つ で あ る 楽 瓶 で ては い に な っ て 居
氏もヱヂソン・パイオエア1(ヱヂソン氏の嘗知に
彼は其夫人
五十年前の汽車にのってデアーボーンへ
よる舎友)もヱヂソン氏の過去の生涯を想起して感
慨無量であった。
メンロ 1 ・
パ 1 クの在百
態は貨によく模したもので、
L
其住居も庖舗も宇
世紀前のそのま
で街路樹は勿論土
塊さへ同一である
。
と云はれて居 る
ヱヂソン氏は其蹴
宴から離れて昔電
球 を 瑳 明 し た営時
G
の貨験を再演し始
めた
蛙フォード氏71
ヴア1大統領夫妻
ヂヱ l ル 氏 を 伴
ひ、石油トランプ 、
に
よってぼんやり照
らされた夜の地へ
下 り立って 赤 煉 瓦
の 研 究 所 へ と 歩 を 運 ん だ の で ある 。 ヱヂソン 氏 が 其
L の記念すべ
背後に大統領を更に又周園の人を従へて前庭に立っ
た時には、貨に五十年前の景色そのま
き夜であった。
エ ヂ ソ ン を 園 む エ ヂ ソ ン パ イ オ ニ ア ーの人 々
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点以氾般身延川源所
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高野 主幹
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戸数白一色尚六円四戸 の 内 、誌 を 飼 育 する戸 数
仲間身延出張所供給応域は峡南武拾八ク村 、
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ども、之とても電照の結果でない事は飼育
ント﹂の内不成績のものもありましにけれ
は非常に良い成績を皐け、残り﹁八パ ーセ
頗ひました統計の結果﹁九拾或パーセント﹂
蛍と岡山ひ、今春来此の昭一度で御勧めじまし
ますから、 此 の港が採算の上からも最も遁
す。﹁ 八畳間に五十燭光三燈剥けますと近
い所一か六吠燭、遠い所が 一、二吠燭となり
す。高岡氏も斯様に 御活、 へになって居りま
ムハ吠燭光を浦一宮と申し上けるのでありま
﹁セリプレン﹂は試験匝の方か春斑五脇、
封し五分五厘多く、晩秋一誌は脅剖四分多く
称して見まし丈が、春誌は総量生繭百匁に
が増牧し、初秋誌は試験匝が管制九分増牧
同様の飼育方法で上繭管制 九分試験匝 の方
電球 の選 び方
が結果は非常に良好でありまし仁。
催青に﹁カナリヤ電球﹂を使用しまし大所
橋爪技手
電照育の効果に驚かされて居ります 。
秋議扮知高く、其の他何れの成績も勝れて
し晩秋一議も二割七分増牧を見、更に之を繰
せられた方々も認めて居ります。街諸試験
電燈 取附方法
照度の測定
高遁無く照度を血︿へるのに無駄の無い笠研一
たか、議育最も良好でありまし仁
の成績表を御一賢願ひますとて
温度の測定
大陽燈試験成績
取附ける様な考案は有りませんか。
﹂
。
成繭成績
牧支計算
東電藤田氏
手塚技手
総統成績
出意事項等に亘って設明を行つ亡。
表は六吠燭より一、二択燭が良いとの事で
が回収も良いと書いてあるが、東京電燈の護
照度に於て高岡氏は十 二 択 燭 か ら 十 七 吠 燭
ますから、笠を用ひ?に光線を八方に照射
であります。此の地方では雨側に棚を掛け
平面の揚合は笠宇一附けて反射の利用も結構
架の 構造に依って、議架が片側 の場合 叉は
議 室 全班を照射する事は 出 来 ま せ ん 。 議
か
い
めて良好でありました。
光線を浴せてやりました所、乾漁の度が極
箱の中に入れて議稜より二尺離して外より
。
位離しました か
箱の中に電球を入れまし仁か、そして何尺
藤田正直氏
。
あるか一般何れが良 しい か
しました。飼育者の内には壁に黄紙を貼り
笠を附ければ反射を利用する事は出来ます
貼択燭とすれば五O燭光議座より二尺の
ザ一
拾
反射や使にし、又は棚を斜にしにのもあり
手塚技手
距離でありますから.三眠以後は最も良い
まして、飼育する方々も此の方面に夫々研
中込教師
光線の入る様にして置きまし仁。
一議種はクシ型に入れて、上からも撲からも
橋爪技手
議種はどう云ふ様に入れましたか。
藤田正直氏
橋爪技手
でありませ、コ。然し私共の経験では三眠前
究して居ります。
東電藤田氏
は五O燭光二尺の距離では近過ぎると思ひ
私は落居村の組合を巡砲しながら電照育を
中込教師
吠燭光で飼育したものも、六択燭光で飼育
研究しましにが、春箆には試験匿と標準匡
ます。戚繭其他の成績より見まして、十二
し仁ものも大した開きが有りませんから、
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、
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浸透酸穫は k祇三日位に帰きえすが 、
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後の
掃きはとみ﹂暗がりに置き﹁.カナリヤ小川球﹂
宇品川しますと夜叉一 岡崎 けます
川
し
漠
1正
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番は川側け相、き立てれば始 ど口 が揃ひます。
後 口 は少々山ぶし て照射を悩く
はみに部揃ひ ます。
手塚技手
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以
上昇
中込先生は非常に御印刷究の慌千であります
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川 むよ け
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九州川聞に五O燭 三 位つ J ると
とい取屯ω後去にあ りま
中込教師
ω後ドド以は私ω巡廻する家の川山はやい米市 Uの
北
原技手が測つ仁もωで、吐パの鐙宅は川樫 、
戸及び防f 、天井は板咲 り 、高3九パ 、問坪
で 、也作八寸長 さで一
日ハの天窓 い
かあ り ま
、
卜分後
一
一
時間後
宅内符間七O皮ω島に
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川
小ノ
一 村山
一.貯貼中
七卜五度七分
て 遣 い ま す が で一
度 以 上 は 必 赤 井 りま
から木決 心μ} 愛 終 怖 に な わ ま
特 に 昇 るので非常に良い肢に忠ひます 。
す。夜分泌夏に及んでU憾 の関係 で淑度か
であ りま
番
。
であ り まし仁。然しながら誌宅ω構造に依
一時半後
1
卜
る一半はい米電の成結去で御分りでありませう
私の飼育の屯照育が牧繭総統共に勝れて居
強 め、組合員と共に屯照育を行つ仁所が果
遣 し、其 の成 績 の結 果を聞き一一居其の立を
。ぜ東電藤田氏等と共に信州地方に見事に汲
戟 を 奥 へ る も の と 忠 ひ 、組 合 の 渡 溢 技 術 員
が 、 一つ 結い た
附
話 nm
に背んで居
い串は年 々白 一
して誌座 の乾燥が
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く 、桑の喰進みが極め
りまして 、本年は屯照古川も持活占
けも上笈迄
て結 果が 良好 で 、森訟を比較研究しましに
U
白 一例誌か見 え宇 札口んで目的りました。総統 の
電照の方が二割一分の増牧を得ました。
庭、
藤田正直氏
私も箱仰の研究者でありますが 、電照育の
あるω に、屯照育 の方には 殆 ど
らぬい争討を 兄 て 驚を喫しました。晩秋獄
場合はい訟は 降千紙を貼ると
屠効呆がある
は何年白一院 誌 が多いが木 年 は比 えぬので 非
抜であり ま
高野主幹
危附山首と持活育との比較飼育の繭があるそ
.
一
00 必宛 東 電 で 総 統
今春比較飼育の刷ル﹂
深津製紙杉山氏
下山地 方も小山間一百の 成紡、 は 般 に良好 であ
一例氏ω屯 間
一
行 でありまして 、
て日りま す。議論ω絵地
に持 って来 まし 仁から 、研究 の矯 こ 或 拾 匁
誌を聞き 、始 めは円分 の主義ω給制は屯公
手塚技 手
比較研究を行った。
-来待者四卜鈴口 の繭ぞ
ル
M ひます。
兆伐し ・
置去 木H持参しましたから 比較研究
私は大正拾 同年来桁飼を主唱し 研究し て府
Um古川の諮
光紘宇一
泌
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斉
﹂ 心から不向と 川
山じましたが 、常
umのト点 か繭屠もりい様に手簡がします。
が 、今一朴点小川藤 川氏 から
一
に桁ω中に削へる も の守川に一 KTM
取 って光
深津副農曾長
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総の照射を輿へ れ正 、 必宇誌児に適度の 刺
加約一 時間に 亘っ て
磯 野組合長
りま せんでしょ 。
フ
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扮四紙同分を繰
杉山 の深川作
フですが 事貨で すか 。
深津 副農曾長
常に育て叩斐がありました
山
市
匹も兄
結 果 、普 通古川 の
一 刻徐はサナギが 白 彊誌で
藤田正直氏
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r水此 の最低等 口mは
わまし仁。 ド山 の製 締H
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二 村川見 Jノ
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に釘し一八刀四厘多かりし由、夫で明年は全
繭を総統の結果中込先生ωものは生繭百必
望月製締の意見に依れば今年の秋議ω電照
ひます。向巡廻して見ますと折角の電照燈
ひます。東 電
ては居りますか、矢つ張り照一川区が如何と岡山
の剖合で知けましたが是も良い成績は奉け
光津も良い様仁岡山はれます 。
肌ハ貼を繰綿試験を依頼されま
春堂小繭四拾ず一
を勝手や座敷や外ないとに用ひて居る方もあ
ω三燈主義が一番良い様に思
し↑んから、電昭一育と普通育とに拘泥しては
A年も夏秋誌の電照のもんりは五十銭位高く
部 電照をして呉れとの依頼であ りまし KO
り、遺憾に存じまし仁から良く説明を加へ
深海製綿杉山氏
と岡山ひ 全部審 琉附として 三人のエ女に三 日
買っ仁と申されまし仁。
間に亘 って総統し別紙 の成績を得まじた。
繭百八拾 必の繰綿時間は 電照育が三 分以上
を観て裁きました。其の結果は平均して生
給桑
宇
一 誤って桑不足を生する恐かあるから
せう。然し夜間照射のにめ喰ひ進む結果、
電照育の効果に就ては異論は無いでありま
ても叉各農舎の指導者も、講演舎でも聞い
が、此の程のものでありませフ。曾祉とし
は不良のものがあったと稜表してあります
ひまし亡。東 電め 成績にも﹁八パーセント﹂
て置きました。特に郡川方面に多い様に思
短縮しまし亡。此の三分は全工場では大受
指導者も命日一壮も此の駄に注意して飼育者に
て徹底に努める事が肝要と岡山ひます。
望月技手
な能率を暴ける誇です。其の他総量は平均
徹底させる事か肝要であらう。
立舎は中込敬師に御願し高野主幹にも賞況
生繭百八拾匁に附五分以上多く﹁セリプレ
誠に御注意有がにう存じます。電燈取附は
東電藤田氏
木年電照育を勧めるに蛍って、木一祉では曾
理想としては誌の殖るに従って増して行く
東電藤田氏
成績でありまして、蛍工場でも勉めて電照
枇総動員で此の駄を飼育者に徹底せしめる
事であって、信州地方では一戸に廿八燈取
ン﹂は平均九馳二分五厘高いと云ふ良好の
育のものを買ふ方針であります。
大めに努力しまし亡。
東京電燈佐野氏
附の家いか有りました。明春は使川方法徹底一
の偏に各村に巡廻講演舎を聞く積りで居り
川住郡農曾技師
私は木年四月に西八代郡農命日より南E摩郡
ます。 イ
本年は不手廻りの矯め遺憾の黙もあ
此の結果か ら見て製紙家も電照育のものは
農命日に轄勤しまして日か浅いので、匡域の
りました是非御後援を願ひます。
五分は高く買って貰える諜ですね c
巡視未了の虞もありますから.全班の批
杉山氏
製締家は線を買ふのでありますから、質さ
評は出来ませんが、東電では八昼間三燈主
としては非常に良いと思ひます。私の管轄
義を執られ、日疋れ以下は謝絶のため電照育
比較的研究的な進歩的な方が用ひたのであ
成績を牧めましたが、思ふに本年使用者は
私の農曾でも相蛍に用ひまして大臆良好の
山本農曾長
へ良ければ高く出せる謹であります。
私の組合では明年の誌研鰍津町の望月製紙
匹以でも或命日枇は八昼間一燈叉は一燈四分
佐野組合長
場に特賢契約を十一月二日に致しましに。
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るか .明 年 は 一般 に 川 ひ る 事 に な り ま す か
北川及に つ れ て何とかレ刀法を緋じ ます。
給 の 関 係 で 思 う に 任 せま せ ん か
、屯間一
育ω
怨像しなけれ
ら 、従 って 失 敗ω多 い こ とル-
成程
此 の 仏 と な る 誇 で あ り ま す。
研究曾出席者一向
深連副農曾長
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望月技手
あ り よ し 七 様 です。
手塚技手
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相き﹁カナリヤ
匁 兆円
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ω事一貫は
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の附ル-山し仁底 、商 談良 好 と 聞 き ま した が
dる村の某毘では共同版賓の見本に屯昭一育
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東電山口技手
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でも充分であると思ひます。
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と聞きまし丈が、曾祉の ﹁カナリヤ 電球
ましに慮、雨方北ハ大時間じ牧繭 量 であっ た
フム プ﹂ の 高 燭 飼 育 を 行ひ
電球﹂及び ﹁C 一
御承知 の通 り電 燈 か ら は 赤外線、可視光
しし て見立 す
。
され る の であり ま す が、生健が之 を受け仁
、 主 外 線 放射しまして、是が物館に蛍っ
線
研
一
た場 合或 は反射され或は吸牧され或 は透 過
宣 停 の 根 擦 を 御 聞 せ 下 さい。
東電原技手
場合は其の内 の或 る 部 分 を 吸 牧 し 、 其 の 吸
し て、有川 の作用 を な すのでありま す。 故
高燭電球に依って飼育す る とき は何れの 電
@﹁カナリヤ電球 ﹂ は誌児の 稜育 が賞に良く
に回
収も多 く吸牧 さ れる放射線 を含 み、其 の
不ルギl に愛化
牧されたも の のみか熱のヱ 、
揃 ひ ま し て 、 従 って繭の粒 も極 め て良 く揃
又は諸問育上に化事抵抗を多大に起さしめる
球も効果は有ります が 比較研究 す ると
ひ 、統 塁、解除﹁セ リプ レ ン﹂共に勝れて
国
一
。
居 りま す
事等の 一無い、有川 の作用をなす 室 外 線 を 合
放射線中生躍の組織細胞を破壊 す るとか、
光電球は結果に於 ても﹁カナリヤ 竜球﹂
⑤書一
で、経法的見地か ら も之 は推奨出来 な いの
の大きいものを使用 せ ね ば な り ま せん の
一の昭一,反を得よ-フとすれば、勢ひワット数
に劣るのみな ら 、 、其のパルプ一、か三 割 程 光
一
少
線を吸牧しま す から﹁カナリヤ電球 ﹂と同
二OOl三四OO オンゲストローム (一オ
ますと 喜一
間の議室に於ける波長は大躍に
。 弐に波長関係か ら申し
れる ので ありま す
して 電 照育に使用 す る電球の種類も決定 さ
と云ふことになるのであります。これから
収も遁蛍なもの
むものが、其の生慌に射し 回
であります。
中込教師
一議憾と光線と の関 係 を 良 く 聞 く 機 舎 を 得 丈
ことを感謝し ます。
よノ。
既 に 四 時 を 過 ぎ ま し た の で閉舎と致しませ
高野主幹
p
一果電藤田氏
議 業 界 の 権 威 者 の 御 集 り に非常
本日は峡南 一
に有盆な御話を承 はり 、 今 後 施 設 上 に 紹 大
なる光明を認め 仁感 か 致 し ま す 。 東 電身延
出張所の供給匿域中養輩家は七千戸、此の
方 々 が 一 年 中 に 最 少 限 度 平 均 五O 貰 宛 牧 繭
するものとすれば三十五高貰となり、貰砕田
り八闘に費れば二百八十一南園であります。
日疋守 電 照 育 と し て 成 繭 一 割 五 分 総 量 五 分 と
して二割増牧とすれば五十六高闘の増牧と
なり 、此 の金が峡南 二十 八 タ 村 に 入 込 む 諜
であります。経情界政審の現在打開の方法
山川来ます 。繰 綜 の 結 果 も 勿 論 劣 っ て 居 りま
光色電球及び三四
、 三 二OOoAの書一
で
田
砂
従って三000oA迄 を 出 す C 電 球 は 不 適
ものが過賞との事であります 。
切望して止みません。これで閉舎といたし
及の偽に列席の諸賢の御指導と御後援とを
としては、是非此の方面に力を注かれるこ
。
す
Aの カ ナ リ ヤ 電 球 が 第 一 等 に な る 誇
OO o
ます。
ンゲ ス トロームは 一粍の干高分の一 )迄の
日疋に就 て は別紙高岡氏の試験護表も先程御
であります。
@ ﹁ C電球﹂は護育均費を倣き繭粒に不同一か
手許に差上けて置きましたので御覧を願ひ
九)
ハ0.
とが肝要と存じます。就ては峡南電照育地日
ます。序に高岡先生め護表の一部分を御話
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研究所新製品
テ レ ッ ク ス ・ グ 一フ
ド米京氾気株式 AW枇
研究所
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も のもあります。 然 ら ば 其 の成 分 から考へて 兄 ゃ う と 物 知 り 顔 し
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果山内来仁高級な硝﹁であります。依ってどれには寸 ・
一プレックス ・グ-フスの 成分 は普 通 のm fよりも年ろ 石川央に近く 、
て、附 子 の
十七成分 は珪酸であ って 、之れに アル カリ其 の他 の縄基.を
る範凶内 には水耐子など と 云ふやはらか、 、水 に も と け る 飴 の 様 な
3ふ
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﹁開 -ゆっ 汁 己 の
川]
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0522Jの鐙 化 によく 耐
従 って濃度(↓22
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合有
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の絶縁憾とし て優秀で 、且 つ時代々な薬品 ハ同
oロ門 )に侵されない 、
と云ふものがありますし 、叉庄 一般を全 然 含 ま な い 棚酸 硝 子 百 と か 、
-
いが硝千 の中には アル カリも際基も含 まない珪 酸 ば か り の石 英 硝 チ
てやと 云 ふ 賀 川 に 釘 し て な
斯く の如 く 考 へて 来 ると 、約 千 と は 何 日
、、、
まじい硝 チを取放 って居る も のは 却 て返答に芹む や コになる 。然 し
燐 酸 硝 千 百 と か云ふものもあ ります。
硝子と云ふ言葉は一牛常利の不思議もなく川の設川も要せ宇に誰れ
其島には怜例な問中将 が尼 を つ か ま へ ら れ な い 様に種々 の方 而 か ら 考
子であります。
.たと一五って 泊 ってM り
もが使ひ、あの白川物はmfMdだ。 此 れは硝f
て居る
ノ
ナ
つ と之れ だけにしまして 、平 常 使 っ て 居 る
さ
の定義は .
へて 、遂 に 硝 子 と は 常 温 で か 仁 よ っ て 居 る 一 種 の 液 健 で あ る と 逃 け
ますが、
あと云って説明が 川来 ない。 透明 えも のと云コと誰も が硝 子 在連 想
om
一度改まって附千とは 何 ぞやと 開 き直 って聞かれると 、5
廿 の日的 には 比傾折れな -祁 の硝
天な硝千であることを標傍して 、
件
、
るものな りと云 ふ人か あ る か も 知れ ま せ ん が 、之 れ は 大 分 近
印 ち づ 同 月 に 煩 いのであります。要するに レックス ハJ,O 円何一尚 一)
プ
, H
・Eo
wroco
R
-q に約 して 丈
はけ]出命日枇でつくられ仁 J,
C532
まれて屑るのであります。
もの 、 も ろ い も の と 一 慨 に 云 ふ こ と も 山来 ません。 柏f と稽し て居
するか 、硝 千 の中 にも半 透 明 のも の も あ れ ば 、全く不 透 明 のも の も
J
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あるので 、透明 と い ふ だ け で は い け な い のであります。 硝 チ は 硬 い
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赤J
RC52J はい米京屯気合此 の 研 究 所
-プレックス ・グラスハ ↓2・
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・巳 2・ちで 、多 年 の 研 究 の 結
寸ap
ス
硝子と云 ふもの が世人 の考へ七 居 る 様 な も の か ど う か 、 硝 子 の 性 質
アル t ニワムに 近 く餓とか銅 と かの二倍位で 、熱 の博導度は勿論金
までありま して、即ち 二 二 四から七、O に 及 ん で 居 り ま す 。 比 熱 は
属よりも温かに 低 い。銅 などは 硝 子 仁 比 較 する と三0 0・悩も大きい
を少しばかり述べて見ませ?。
け円
σωgm忌 ) は 、ど・げんなものであるか と中
gωニ
寸
硝子の抗張 力 (
す。硝子を特 別 な庭
では約四O 、000ポン ドのものを支へることが出来るのでありま
卒は一 、四六 から一 、九六の範閣で、水 よりも少し く大き いものか
も透明 、卸 ち光をよく透すと云ふ 貼 で あ り ませフ 。 硝 子 の 光 の 屈 折
硝子が他の材料と比較して多く利用されて居る貼は、何と云って
のであります。
理をし仁もの古と一
らダ イヤモ ンド よ り も 少 し 小 さ い 範 園 の も の が 出 来 ま す 。 此 の 貼 で
一吋平方に一 O 、000ポン ドで、二吋平方の硝 子の 棒
吋 平方に五O 、。。
は賓石に何等劣って居らないのであり ます 。 光 の分 散 卒 は 二 九 から
しますと、
ドの抗 張力の
~-- "
です。硝子の耐盛力
と錬繊の力と同じ位
川来 ます。 斯う なる
のものを 透 さないもの 、 紫 外 線 だ けを 透 し て 他 のも のを 透 さ な い も
線も透き?に光線古けを透す硝子も出来る。叉熱線だけを透して外
け を通さ な い も の も あ れ ば 、熱線も紫外
ん
のがありますが 、叉 X線 が
七O の間で ダ イヤ モン ドが五六であ ります。
。
硝子は光を透す外に熱線も、光線も、紫外線も、 叉X線 も 透 す も
ある様にすることが
はすばらしいもので
のもあります 。
ても壊れない。大概
五O噸のものを置い
比重郎ち重さから 云 ひ ま す と 硝 子 中 の 最 も 騒 い も の と 申 し て 差 し 支
ますと、丈夫さから云っても硝子中の最も丈夫な硝子の一つであり
ますか、然らばテレックス。グ-フスとはどんな特長があるかと申し
以上 は説日遁硝子と構へられ て居るも のに就て の 一般的 の話であり
の建築に使ふ材料 、
レγクス ・,クラスは 陶 磁 器 よ り も 小 い のであります 。
へがありません。其れから一プレックス ・クラスの特 長 は 膨 脹 卒卸 ち
プ
花岡山石、コ ンクリ l
四五位で
温度の矯めの延び縮みする割合が非常に小さいので、普通の硝子で
ニワムに近いものから錆銭以上に及ぶもの
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あります。比重はアル、
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トなどよ り も?っ と 丈 夫 で 金 属 な ど が 座 力 の 矯 め に へ仁ばる様 な
の
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丈夫なものでは 二吋
0 ポン
種 々 な 形 肢 を し た テ レ ッ ク ス ・グ ラ ス
は温度係数が一 O 位 に と す る と 此 の 硝 子 は 三 位 の もので、銅が一
子
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ときでも 、硝子 は其の形服すら愛へ ない の で あ り ま す 。 ヤ ング卒
の
硝
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七、銭 か一二 、白 金が 九、タ シグス矛ンブ モリプデン、陶磁器等は
震に
、 鋳餓 に近い ので
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、7円ノムよりも高 く
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膨脹奈の 小 さい﹃)とは 熱ω念鐙に 封し て祇一抗 する
hHが大合い﹃)とに
なるので 、 一プレックス ・グ一フスは硝千中で円以も耐 熱 的 の硝千と云ふ
こと になります。
よく 世間 で此ω附千は 何度 の 淑 皮 に 耐 へるか と尋ねる Rノかあり ま
すが 、此の返党け
には 何時 も川らせられます。 叉 雑誌や新聞の成作に
mf は付斤 何十 皮の川皮に 耐 へるとか 、て業試 験 の結 果 に
砂川枇製の
が 、数
ハfや一試験誇 明
よれば例 川何 十皮より念激に 冷 ましても亀 裂 を止し
じないなどと云ふ
掛
川
明
什
一ω
{烏などを仰向 伏 して日るものがありま
川
fが
ωと一去ってよい。m
山
川分ル 設 表して 町 人そ 附行 してはり hvも
(
-
ω水 の中
LL
けて冷 水 なら 何度
λ ・グ ラ ス は 水 や 薬 品 に殆ど 作川 されな
は
番よく淑皮のや一冗に
、と .五ふよい特長
では 到
・
版 川来 な いと ころ に津 山利用し ます。
膨 脹 係数 の小 さ いこと 、水 や梁 口mに封して 丈夫な こと 、もフ一つ
の.
政 いこ と は共通性 でありますが 、特に レックス ・グラ スは
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米たのであります。
刈市 にまで 入り込んで ・
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様な 品質 の も の で あ る か ら 斯燥な 心
は少しも純度らないのであります。
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) の伐 めの-フヂオカ l レン トの弱くな る ことを防
。
叉 はコンバウンド 結縁材料 の数 パー セン トに過 ぎ な い の で あ り ま
ぎ 、川山力以失 (司O
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) は地 H,
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d迦 の給 千 、陶 磁 器 、硬 質ゴ ム製 品
色。。ゴム
(
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一フヂオ 川秘的疎開と して レックス ・ダ-フスはリ l クや 誘 活 損 失
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一
山
路
配 はなく 、 ァl クの 熱 で表 耐 の薄 い硝 千 が とけても 、碍 子 としての
此の
mf裂の 間千 で は心 まで
升は レックス ・ダ-フスの 上 昇 よりも 常 に 数 倍 高 く 、陶 磁 器 製 碍 子
円
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に於 ては紬楽がはけ仁らもう河川f としての 悦 値 はな く なりますが 、
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(]
汁円m
山川H一迎 の陶 陥 器ω 訓 から三 制五分以上
ロロogBω 2
p) は
一
一
も高 いのであります。 日光立 射の 下 に於 ける 陶 磁 得制点碍 子の 淑山氏上
-プレックス ・クラスの誘 屯耐
は破 壊 耐
mF)父 、
以上 の特性が高鹿 気の 絶 縁材料と して も望ま しい性 質で ある
叫
市
以
円
ので 、 一プレックス ・グ一フスは 化事 刑制 千 製 品 から 屯気 絶 縁 川 碍 子の
普通ω硝 チ よりも著しく .破 く 、鋼 よりもま だ.政 いのであります。
硝
30
は f の透明 なこ とが陶 隊 器 の不透 川 なも のに 優 って居る
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大特長
す
。 立(
の 外 に レックス ・,クラスが 陶 磁 器 製 品 に 伝 って 居 る黙は 、
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見 して 使川 に棋 へるかどうかを 判 断 し 件 るこ とで 、此 の動
治った化恩人賞験 川品 は、化事の研究に於ける川町準 品 となって日りま
であるとも云へろ と 川
山ふ
。
製 品を
す。同 時 に工業方何でも 此 の特長を 利川 して 、 金属や 其 の仙 の材料
大特長があるので 化些 則的fとして川想 的 で 、従 っ て 此 の 間f で
-プレックス ・,クラスが 熱 に耐 へ、 水 や薬 品 に浸されない と云ふ二
があります。
テレツク
般 に 金 属 と 異って 水 や薬 品に浸さ れませんが 、特 に此 の
耐へる硝千古と古川できるのであります。
同 じ 大 さ の も の を 同 じ方法で試験した ときは 、
るものと忠ひます。ところで此の-プレックス ・ゲ一フスは 同 じ形態で
に落下させ仁とか 、廿一
(
のト
刀法も詳しく奉けてこそ 初 めて 比 較 が 川・
米
で試験して 、 ー っ湘皮はどう.ぷふ慌に
か 、何が判例ω体以のものとか 、其 の 形 以 寸 法 を は っ き り し 仁 も の
と か に よ っ て 大 波 川進 が あ り ま す 。 大 さ 形 以 の 同 じものを比 較 する
慨に判 ,反の淑度売で電裂を止ぃ
守るかと云ふことは 、大さとか 形 以
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悶更に御期待に添ひますやう
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で﹁グレ l ズ
﹂ でクロ lプの表面に模核を印刷し、之れを燈中で焼
此の製作方法は吾祉の研究所に於 て多 年苦心研究の結果得たもの
ロlプの製作に成坊し、標準製品として新に震責致しました。
究 所 の 硝 子 研 究 室 で 不 断 の 研 究 の 結 果 、 遂 に 今 問 焼附模核入りのク
照明器具の最も重 要な要素である 硝 子 グ ロー プ に就ては、木祉研
れば、気分を新になさることが出来ます。
。 而して金具はパ ソリヤと同一でありますから、現在パヨソリ
す
一
フ
ヤを御使用になって居られる方々は 、ダロ lプ けを御取換へにな
或は洋室用の照明器具として誠に樟裁の良い優雅なものでありま
此のクロ lプは{烏異に示してありますやフに、 一般 の 家 庭 、 商 屈
にフア t リヤ グ ロー ブを新震直貝致しましに。
非常に御好評や博して居ります一か、
一般家庭向のグロ ープとして従 来販賀して居りますパ一フソリヤは
ア
附け たもので 、隠って次 のや うな特徴舎もって居ります。
一、経封に槌色しない。
二、絶封に剥脱し ない。
リャ グロープ
ブ
、 で、
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肩
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、
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問、模様に不同かない。
叉此の種の照明器具に模様
附をし ま す と 光 淳 か 無 く 汚
いものですが、吾祉の製品
れ一ゆい感じのするもの一か多
は模伎にも光浮があり高山川
な感じを呈して居ります。
模様はクロ lプの形跡と
用途に依て自ら園案を愛へ
る必要があります 。 固 に示
したも の は 吾 祉 の 固 案 専
門家の案出し仁もので、
の 方は主として日本室
ハイ)
、 (ロνの方は主として
宮
、
向
洋室向、宮でありますが、然
し何れを何 れに使用 しまし
ても不調和なことはなく、
模様の色彩は空色と槌紅色の二遁りであります。
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三、賠火した際の感じが甚によろしい。
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電燈五十年記念電気サイン展覧奮
東京市氾気株式命同社
販買部民告課
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ったが、 日比 谷 公 闘 に 於 て 開 催 さ れ た ﹃m
u試サイン
燈界の記念事業、記念催物等は枚皐に遣ない程であ
界 的 に 県 行 さ れ た電燈五 十 年 祭 に あ た っ て 、 我 が 氾
が 再 び 催 さ れ た の は 鹿 賀 の 至 り で あ る 。 此 の間他々
から一ヶ年有儀ヶ月を閲して、屯気サインの民自合
意味ぞ﹃第一同電気看板競技民覧-合﹄が開催されて
問、東京市日比谷公闘の山場に於て、御大典来祝の
果は云ふまでもな︿、一般翻
頗る多く、出品看板の肢告効
の菊花大 AWと 相 侠 っ て 抑 衆 は
末 日 ま で 五 十 二日間 で 、 吉 例
矧は十月十日より十一月
AW
鷲歎の他はない。
サインが取入れてあったのは
の川 品 を 除 ︿ 他 、 全 部 ネ オ ン
ちはハ一基エピス屯球株式命日枇
あ っ て は 全 出 品 数 十 五 某 のう
で あ っ た 。 然 る に 今M の催に
に是れに類似して肘ったのみ
大路に取り入れた貼が、僅か
レパム宮町製作所が 水 銀 燃 を
オンサインの肱川されたものは一基もなく、たどエ
就 中 ネオンサイン の持 及 は め ざ ま し く、 一 昨 年 は ネ
凡 ゆ る 駄 に 進 歩 の 跡 が 歴 然 と 見 え る の は 悦 ばしい。
展覧合 ﹄ は、官際的方面より兄てんムく右芯義な催物
日 比 谷 公 閑 入 口 のアーチ
一ヶ年俄りとは云へ、前同と今岡とを比較すれば 、
一昨年七日十五日より八月五 日 ま で の 二 十
堀
の一つで&ったと一石へょう。
昨秋九月から十一月まで三ヶ月間に 一
口一
って、ん k廿
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赤
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衆に針して電気サインに闘する多大な感銘と刺戟と
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出品に拘)せず又は出品の債依なしと認
八、出品物は恨令出品後と雌 も 前項に違背すると
むるもの
本稿は 電 気 サ イ ン 将 来 へ の 参 考 の 一 助 に も 、 又 電
を興へて、盛況裡に舎を閉ぢたのであった
認むる時は印時之れを援更改作又は撤去せし
内に撤去することを要す
代行することある可し此の場合代行に要したる
ニO 、前項期間内に撤去をなさざる時は本命日之を
費用は出口問者の負強とし代行に依る損害は本合同
ざる時は本命日
之を代行することある可し此場合
九、指定期間内に於て出品人前項の義務を履行せ
貼減器電動機の有無、所要電力等の大略を記入
し所定の巾込書誌にサインの意匠仕様配線方法
二一、本命日の出品巾込は昭和四年九月二十日迄と
其 の責 に 任 ぜ ず
代行に要したる費用は出品人の負措とし代行に
一
但し巾込数超過の場合は期間中と雌も締切る
したる固面を本舎に提出し承認を受くべし
事あるべし
以上が電気サイン展賢官の規則であるが、倫ほこ
の他に下記の如き﹃電気サイン民官命日出品規程﹄な
一、サインの大さは正面一一、五メートル一 二、 五
るものがあった。
メートルとし奥行一メートル以内本合所定の取
付枠内に設置するものとす
二、 出 品 物 の 徹 入 搬 出 及 び 陳 列 に 要 す る 経 費 は 線
て出口問者の負携とす、但し取什枠及び引込棋は
下とし鮎減器使用の場合は其の最大電力を以て
三、使用 電 力 は サ イ ン 一 口 に 就 き 三 キ ロ ワ ッ ト 以
本舎の負槍を以て之を設備す
二八、本命日
開 催 中 の 電 気 料金は本命日に於て負捨す
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一日 MU剖 ﹂9
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故に依る物件の致損又は紛失の損害は本合其責
ることを符
を使用する場合は諌め承認を求むることを要ナ
を 原 則 と し ﹁ネオン ﹂ 小 型 蟹 座 器 及 び 小 型 電 球
四、電球は一 O Oヴオルト一 O ワ ッ ト 以 上 の も の
但し審査を行はざるものに就ては別に協定す
一丸、出品物拙に附属工作物は本命日間合後二日以
駿する事を得ず
一八、出品人は開命日中其出品物を無断箆更又は撒
に任ぜず
常 の 注 意 を な す ξ雌 天 災 地 援 火 災 路 難 其 他 の 事
一七、出品物の一守及保護に就ては本舎に於て相
一五、審査の結果は合期中命日
場に於て愛表す
表す
一四、審査員の選任は崎明皐命日
雑誌九月披に愛
ず
一三、出品人は審査に就き異議を申立つる事を得
り審査探鮎す
十五貼﹀照明蛇に 電気 設 備 ( 五 十 貼 ) の 見 地 よ
一二、審査方法は債告効果(二十五貼 ) 意匠(二
劃して賞欣誌に賞品を授興す
一一、本舎はサインを審査し其の優秀なるものに
O、 サ イ ン の 工 事 方 法 は 本 命日の 出 品 規 定 に 依 る
一
依る損害は本合其責に任ぜず
む
気 サ イ ン 張達 史 の 資 料 の 一 端 に も な り 得 る 様 、 車 な
る記録にとピめて無用なる批判的な言葉は努めてさ
けるつもりである。
電気サイン展覧曾規則
今岡の 電 気 サ イ ン 展 覧 舎 は 、 祉 関 法 人 照 明 皐 合 、
東 京 市 電気 局 、 東 京 電 燈 株 式 命 日 祉 の 共 同 主 催 に 懸 る
もので、 電 般 五 十 年 記 念 舎 の 一事 業 に 編 入 さ れ た も
のであ る。 而 し て 皮 質舎 の規則と郁す る も の は 大 睦
一、本舎は 電 気 サ イ ン 進 歩 改 善 故 に 普 及 を 園 る を
次の辺りであった。
以て目的とす
二、 本 舎 は 昭 和 四 年 十 月 十 日 よ り 十 一 月 三 十 日 迄
五十 二日 間 日 比 谷 公 闘 に 於 て 開 催 す
三、出品の純口数を二十日とす
四 、 出 品 数 は 一 人 に 付 二口 以 内 と す
時 に 本 舎 に 納 入 す る も のとす
五、出品料は一口に就き余 査 百 闘 也 と し 申 込 と 同
六、出口聞の取付位置は抽銭に依り決定す
肢告 物 取 締
七、サインの意匠及桃迭は総て警視聴'
法 施 行 制 則 に 適 合 す るを 依 件 と し 左 記 各 項 に 該
常するものは之を禁止す
(イ)風致を害するもの
︿ロ ) 他 に 損 害 を 及 ぼ し 若 く は 危 険 の 恐 れ あ
るもの
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同電照養護研究命日命日員募集
三 月 七 日 及 八 日 の 雨 日 午 前 九 時 よ b午後四時まで
但し八日夜は座談曾を開催す
一名金五回也
マツダ照明皐校
五十名
三月五日山口田技 著
紳 奈川 腕 川 崎 市 東 京 電 気 株 式 曾 枇内マツダ照明同学校宛
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今 同 の 研 究 舎 は 之 等 の 問 題 に 封 し 、徹 底 的 に 研 究 討 論 を つ く す と 共 に 、 今 年 度 の
飼 育 或 は 貫 験 に針し正しき指針を血︿ふることを期すものなり。
特 に 講 師 を 設 け、ず各 研究者の研究設表誌に討論を主とす。右研究設表は各電燈合同
社 、腕話業試 験 場、農地品向
学校等 に依頼ナ 。
想ふに 電 阿⋮養箆 は 目 下 誠 に 興 味 あ る 問 題 に し て 、﹁光線と議の関係 に就いてはす
L
でに 各 地 の 皐 究 者 の 研 究 設 表 あ る も 、光 線 h熱 、換 気
、 空気乾燥等の諸殺川本を旦︿へ
たる一一伺の電球とし て の波 果 は は た し て如 何 。 そ の 殺 果 は 経 済 的 に 採 算 出 来 得 べ き
か否か 。
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1
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呂
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前
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〆~、
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之
.
l
.
西
株
祉
一一一一一
ニ
巳
ク
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号
4
升
分
A
t
、
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レ
、
、
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J
座
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5
J
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荷
負最
大 流
34
y
d
五 、 電 気 方 式 及 び 電 陸 は 皐 相 一 O Oヴ オ ル 卜 二 組
M下 に 各 電 気 サ イ ン の 升 湖 、 知 減 動 作 な ど に 就 て 、
廻精し、赤、青、黄の間接照明によって、三角片は
六個連結の三角片は、各々外側に向ってゆる相、かに
規定の大きさを縦長に置き、縦に三分して
たものである口
外観
0 キロワット時である。
アヅマジ
旦示
ジマン﹄の六字を浮出させ、文字の表面にはネオン
向って、横斜に枠を作り、枠内に右側より﹃アザノマ
管を這はせである。下部には人の顔及び盃の輪廓を
勲 火 獣 態 中 央 部 の 商 品 名 卸 ら ﹃キ ン シ 正 宗 ﹄ の
の切抜文字を下の ﹃ア ヅ マ ジ マ ン ﹄ の 文 字 と ほ ピ 平
詰の固が萱れて居る。枠の上部には斜に﹃高級清洞﹄
ネ オ ン 管 で 作 り 、 右 方 に 包 装 さ れ た ﹃東 自 慢 ﹄ の 瓶
中の番競は抽畿で決定されだ陳列の順序を示すもの
文字は赤色のネオン管で表し、その背後より間接照
D
L岡
山ふ。
此の表に依って各電気サインに劃する一電気
である
関係は、その大鑑が御了併出来ること
35
行させて配し、その背後には左より右へ斜の帯扶の
が、六連一組となって装置されて居る。
雨側部には各方向を援へて取付られた白色の三角片
させ、各文字の表面にはネオン管が附されて居る。
旦泉
外観右側の中央柏上部より左側中央の柑下部に
正宗と同じく陵柴祉である。
株式含世藤西向賠の出品物で、製作工事はキンシ
マシ
此の電気サインの一時間平均消費電力量は、二・三
廻轄に従って色彩を費化させてゆ︿。
ο
由一小
陳列順序に従って極︿大韓のところを記越しよう
正
キンシ正宗東京事務所の出口聞で、・民柴祉が製作し
ン
式とす
六、サインの電気工事は遮信省電気工作物規程電
気供給者(東京市電気筒及び東京電燈株式合祉﹀
の工事規定及び本合川口問規程に適合し且つ電気
供給者の検査を経るを要す
七、サインの建設は昭和四年十月五日より同月九
"
中 央 部 に は ﹃キ ン シ 正 宗 ﹄ の 切 り 抜 き 文 字 を 浮 き 出
夜
τ は 十 二月 一 日 及 び 二日 の 雨 日 間 と
日迄とし撒 肢
旦来
景
主
以上が今回の電気サイン以覧舎に闘する規程の全
部である。
出品電気サ4 シの概要
総出品数は十五基で、この他に東京電燈株式命日枇
及び東京電気株式合祉の共同出品として、電燈界の
三五人、米のエヂソン議、英のスワン卿、我が図の
D
故 藤 岡 博 士 の符 像 を 掲 げ 、 そ の略 廃 を 記 し た 電俊五
十年 祭 を 祝 す サ イ ン が あ っ た
一昨年の民官舎の際は、参考口川等を合せて総出品
物数十一基出品者数は九であったが、とれに比較す
れば今悶の十五基出品者数十五は確かに成功であら
う。殊に審査看板数に於ては、前回の七某に謝し今
今問の電気サインの出品者、工事者、電気設備等
同は十四基であり、正に倍加したかたちである。
さ
干
キ
明を地して白色に照射されて居る口左右両側にある
の一官表を掲﹁れば別表(前頁)の通りである口表
夜
報
新
ダ
ツ
~
D
﹃アグマジマン ﹄の 切 抜 文 中 は 内 色 の間
枠が作られてある
勲山 A獄 態
接 照 明 に よ っ て 浮 附 さ れ て肘 る 。 右 方 の瓶 詰 、人 の
凱 、歪の川・序に鮎 ぜ ら れ 、 人 而 は 赤 、 歪 は 背 の ネ オ
ン作に て鮎火、同時に ﹃アヅ マジマン ﹄は赤色のネオ
ン佐に て表さ れ る c上部及 び下 郊 の昨 欣 の枠は、赤、
JR 背 の 順 序 に 手 制 模 棟 に 三同鮎 滅 す るcこの 周
草
O l f Hソツ卜時である。
製作拙
期 は 約 十 秒 間 である c 此 の サイン の一 時 間 平 均 消 費
泊力批は一二ニ
Lるもので 、
森一水ミルクキャラメル
森永製主株式合一
此 の出 品 に か
D
先 k 部に 刷 を作り その 中 に﹃エンゼル ﹂のAG
に 工 事 は イ サ ミ ヤ 訂 版 応 である
外観
鋭 尚 棋 を 、 右 下部には同批後
一日 のミルクキ ャ ラメル
の包 装 組 を 去 さ 、 上 部 中 央 に ﹃森 永﹄の文字を、右上部
ー
町L
.
.
~
主
イ乙
.
.
よ り 木 下 部 に 向 っ て ミ ル ク キ ャ ラ メ ル ﹄ の 八文字
ι
」
/h
.r.l~
報
新
ダ
ソ
、
マ
づ れ も 立 牒 文 字 で 作 ら れ 、 そ の表 面 に は ネ オ
いV
尚 根 及 び 包 装 結 は い づ れ も 亦 色 ネ オン
り、日ら J一
部 分 に 湖 立 したも のである
D
3
をする。
中 央 は 午 あた り
円
相、に ﹃亡
一
山
口
3
。
よ って辿 航 さ れ て 肘 る
1
チ 製 の鉢 が弘 世 してあ り 、 側一口・と鉢 と は ネ オ ン 作に
右 側 は 上 部 に川 子 製 の肌 Hを 設 け 下 部 に 同 じく 川
ネ オ ン 氾 以 株 式合川枇 ﹄ と 社 名 が 書 い であ る。
ン﹃
菊 模 様 の川 つの 品川に さ瓜京己 芝 浦 三﹄クロ ード ﹃ネオ
円
弓
の文字が升ハーである。その 下 方 に は ﹃クロ ード
にて 升 き 、 川 間 は 硝 模 様 を 同 じ く ネ オン 作 にて配し 、
(
z
xo
oコ﹄ と 下 オ ン 作
に は 文 字 を 柿 の抜 に 作 り 之 を 廻 輔 させて ・民小川の作 川
外 観 ・元方は際 関 の 天 女 を 倒 川 模 様 に 相 卸 帥 さ
せ、 ネオン 作 で そ の輪 出 が附 さ れ て肘 る口その 下 方
従ってた方、
中 央、右方の-ニ つに 分け て記辿し よ う
である。 而 して 此 の氾 以 サ イ ン は 三つの 部 分 よ り な
クロードネオン 株 式 令 一
位 の出 品 で 同 批 内 ら の製 作
クロードネ才・〆
氾 力 公は 二・
O 五 キロワ ット時である。
このサインの 列 矧 は 約 八 秒 で、一 時 間 の 平 均 消 費
。
は背 の間 接 川 山 が施 さ れ る
作 が 消 えた 叫 に か 山 文 字 の下 部 よ り は 赤 、 上 方 より
字は、各 々
ネオン 作 で勲火され、 このネオン
市
一川色 の・
作 で 問 主 れ 貼 滅 する。﹃森永ミ ル ク キ ャ ラ メ ル ﹄ の 文
勲火獄態
菓 株 式 合 祉 ﹄ の 文 字 が 書かれて居る。
ン令 が 配 さ れ て 肘 る 。 而 し て下 部 中 火 に は ﹃森 永 製
iJ~
D
左側、天女の輸出は赤のネオン作で刻
D
向 水 は ポンプ によっ て循 環 し て肘 る ので
は一 ・一
0 キロワッ ト昨であ る c
エレパム N V V
東 京 民 生 工 業 株 式 AW枇 の山口聞にか
Lり 、 東 京 ネ オ
此 の 官 以 サ イ ン に 要す る 一 時 間 の 平 均 消 費 氾 力 誌
ある。
麗である
出 世 さ れ て 肘 るの で、 下 部 は 民亦 に 彩 ら れ て 似 る 美
下方 の鉢 に 入 るが 、 鉢 の前 而 に は 赤 色 のネオン 作 が
この ネオン 作 は 背 色 で あ る た め 、 水 は 背 く 彩 ら れ て
右側、 肌μより ネオン代げを っ た は ら せ て 水 を流す。
。
て肘 る
鮎 火 さ れ る口 下 方 の 祉 名 活 板 は 間 接 照 明 で照 射 さ れ
中 止 八 、 兆 中 は 赤 、 菊 模 様 は 背 及 び 株 の ネ オ ン作が
山刑 さ れ て 姐悼 す る
れ 、 そ の下 方 の 排 欣 成 告 文 字 は 、 裏 耐 よ り 亦 色 に 附 ⋮
勲火扶態
36
而して ﹃エレバム ﹄
ゐ る 。 一 時 間 の 平 均 消 費 電 力 量は 一・七0 キロワッ
にて鮎滅する。下部の世名には間接照明が施されて
オ ン 管 で 固 ま れ て 赤 色 に 貼 ぜ ら れ¥ 山 間 は 卒 、 赤 、
し て 消 え る 。 つ い で ﹃ ネ オ ン は ﹄ の文字が青色のネ
ン 管 を 赤 、 青 、 草 色 の 順 に 三 段 に 放 到 し て 二 同 鮎 滅白
勲 火 獄 態 枠 の外 廓 ネ オ ン ボ ー ダ ー は 青 、 ﹃エレパ
字 が ネ オ ン 管 で 作 られ 、 周 園 は 同 じく ネ オ ン 管 で 間
の 文 字 の 下 、 看 板 の 中 央 柏 々 上 に ﹃ネ オンは ﹄ の 文
てJ
m
T輪 形 に ネ オ ン 管 が 配 さ れ て ゐ る。 ﹃康 告 と 照 明 ﹄
ム
﹄ ﹃N V V﹄ は 赤 のネ オ ン 管 に て 鮎 ぜ ら れ る 。 画 形
'
勲 火 取 態 旭 を 赤 色 ネ オ ン 管 で 鮎 火 し 、 そ の前面
D
んであ る
且尽
は白 色 に 塗 ら れ で あ る
D
その 前 而 右 一屑 よ り 左 下 に 向
枠 は 楕 同 形 に 作 ら れ 、 内 部 を 三 段 に 分 件 て各々表面
外 観 規 定 の 寸 法 は 地 長 に 取 ら れ て 居 る o-而じて
協 向 舎 が 製 作 し た もので ある。
ラ イ オ ン 歯 磨 本 舗 株 式 合同
世 小 林 間 応 の出 品 で 、 三
ライオ・〆歯磨
。
一・八0 キロワッ ト時であ る
此 のサインに要する一時間の平均消費電 力 量 は
さーれてゐる。
青 の 間 接 照 明 が 施 さ れ る 。 下 部 の枇 名 は 後 か ら 照 射
。
ト時であ る
告
﹃・川原告と照 明﹄ の 切 り 抜 き 文 字 を 置
J
東 京 ネ オン株式合祉の出口川で、同祉の製作品であ
。
る
外観上部に
き 、 下 部 に は社 名 を 切 り 抜 い て あ る ロ 看 板 の 全 面 は
万
ミ
を¥旭光が放射して居る様に表は
山 間 よ り 旭 光 が 蹄い
,
、
足
」豆L
され、放射線は四段に分たれて中心より周聞に向 っ
ヨ
支
⋮色に塗り
外 一 割 規 程 寸 法 を 縦 長 に 取 り 、 枠 内 を 町一
D
明
ン含祉の製作になる ものである 口
枠 輪 廓 へ 額 様 式 に ネ オン管 を 配 し 、 中 央 部 を 桁 型 に
切 り 抜 い て 、 そ の中 に 大 な る良空 管 の 形 欣 一 例 を 作
り、その 前而に ﹃HAOO
ロ空間口 ﹄ の 文 字 が ネ オ ン 管 で
。 上部には ﹃
配してあ る
エ レパム ﹄ 下 部 に は ﹃N V
り抜き文字にて置かれて居る
V﹄ 及 び ﹃東京昌一
空工 業 株式命日
祉 ﹄ の文字を各々切
日
召
内 の田県空 管は 間 接 照 明 で 料 削 減 さ れ 下 方 か ら 上 方 へ 次
N V V﹄には夫 々ネオン管が附してある。
﹃
慶
量
主
」三!.
に装置された廻轄躍を廻耐押させ 、 外 側 の各 々 の ネ オ
37'
第に黙ぜられて切るくなる様に仕組まれて居る。置(
zgロ巴間口 ﹄は 赤 色
雫管形の 前方にあるネオン佐官﹃
£
干
報
新
ダ
、
y
マ
ラ イオン 樹 併 ﹄ の 切 抜 文 字 が 泣 か れ 、 そ
って斜に ﹃
ピスランプ ﹄ 下 方 先 寄 り に ﹃ヱ ピ ス 氾 球 株 式 令 枇 ﹄
が切 り 抜 か れ て居る
作 ら れ 、 右 方 に は ﹃常気﹄定方には﹃肢 告 ﹄の 文 字
尚 ほ 最 上 部 に は 一 保 心ネオ ン
な る 祉 名 が 切 り 抜 き で 表 ほ さ れ て ゐ る。 左 右 に は 新
管が杭に配されてゐる。
D
の表面には夫々ネオン作が附けられて居る。そして
茄 子 型 む 球 の形が 、 左 は 上 方 の下 向 に 右 は 下 方 よ り
L
こ の文 午 の側 に は 一 本 のネオン牲が配されて居る。
.
12
万1
上 部 横 の ネ オ ン 佐 及 び ﹃民 栄 祉 ﹄ の 文
夜
勲山 A扶 態
E
U川 ﹄ノ
E
d
i
され てゐる 。
上部には椛嘗
m
n川で、・民栄一枇の製 作になる
高
此 のサ イン の 一 時 間 平 均 市 北
江沢力計は
ロワット時である c
E
野川特油株式令枇の
規定の大きさを縦長にとり、
ものである
九五キ
てゐる。 ﹃小
山
拭 ﹄﹃債 告 ﹄の 切 抜 文 字 は 背 後 よ り 照 射
接 照 明 が 施 し であって、白、官官、哉 の際 を 廻 輔 さ せ
に四鈍化する。 下 部 雨 側 に あ る 六 段 の 同 心 刷 には 、 間
は白色、 ﹃祝﹄ は間 接 照 明 で 照 射 さ れ て 、 赤 、 背 、 白
字ネオン佐は、赤色に貼ぜられ、 ﹃m
u一府五十年記念祭﹄
1111I. _tl'
Z
ヒ
サ 二 万 ンj k H L、二、守目黒バ比 EHLC-J D‘O H L
l﹂μ
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ドトド七 1 4 2 4
?44 プ ノ
'
h
, 寸 ﹃ -
2
4
椅 凶 の巾右側 には ﹃ね る前 の三 分 間 ﹄ 先 側 に は ﹃陶
に MMを 作 り 附 棋 を 表 は し 、 そ の別 問 に は 足 形 片 が 取
上 部 は 右 方 に 、 下 部 は 左 方 に 民 出 に 伸 び て 肘 る。 而
.
.
.
.
司
,
_
,
・
-
E
ャ
百い七r
T
vdA4
を鴎きま せ う ﹄ の ス ロ ーガン が 立 純 文 字 で 坂 り 附 け
赤色のネオン内 Uで ﹃
ラ イ オ ン 前 出﹄ の
り付けられ、 その 升 川 は 同 形 の川仰が作られて、慌 の
38
られ である。
勲火獄態
して忠一形 片 の小 及 び 出 に は 、 電 球 が ぽ り 付 け ら れ で
ある。
上方 の﹃ヱ ピスラン プ ﹄ と 下 方 の社 名
・
・
・
・.
・・
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・
祖
1
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・.
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・
・
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圃・
圃
幽
掴
-
景
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・
・
・
・
・
・
・
田
空
.
,
.
_
.
文 字 が 鮎 ぜられ 、 側 の也 減は背のネオ ン符 で表 はさ
れる。桁凶内は背紘色に問・桜照明が施され、 中心 よ
勲巾 A獄 態
の文 字 は 白 と背とが交互に貼減し、 ・
冗布の新茄子型
R赤 と 左 右 同 時 に 鮎 滅 する。 中火 の耐 棋
の山山球形は -
は 白 赤 と 貼 減 し、 星 形 片 は 白 よ り 赤 に 鐙 化 し 、 外 周
MAび出 制 は 末 端 よ り 白 に て鮎 火 し初 め て 全 部 新
の
ゐる。
ワット時 である。
時 間 に 要する 平 均 消 費
火 した 時 、 末 端 よ り 次 第 に 消 滅 する 様 に 装 註 さ れ て
0 キロ
・
・
・
・
.
.
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1
・
・・
・
・
・
・
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量
回
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謡
圃
圃
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り外側に向 って三 段 に 貼 滅 する。
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この周期は約一 O 秒 で、 そ の一 時 間 平 均 消 費 氾 力
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註は 一・
ム
ハ0 キロソツ 卜時 である 。
スラシブ
夜
此 の川 期 は 約 一
O 秒で、
よ j'
ば土
寸
ノJIL二
二
円l
規 定 寸 法 が椛 長 に 使 川 されてゐる。
川 品 者 氏 栄 祉 の内 作 になるものである 。
外観
上部 へ桃 井 に 右 よ り ﹃氾 般 五 十 ﹄
﹃年 記 念 祭﹄ の文
字 が 訓 振 られて 、 この 文 字 は 切 り 抜 か れ て ゐる口 そ
d
の中 央 利 下 方 に九蹴﹄の 切 抜 文 字 が 配 され 、 そ の背
、
.
、
.
、
.
、
.
、
.
、
.
部 は う ろ こ ま が い に 切 り 抜 か れ て 川ん で 貯 る
その
下方 に ﹃ 炭 柴 祉 ﹄ の 文 字 が ネ オ ン 脅 で配しである。
下 部 の雨 角 よ り は 、 同 心 同 六 段 を 作 り 次 第 に 奥 深 く
甲
社
ビ
-民 栄一仙の製 作 になり 、 ヱピス 市川球株式合枇 の川口問
S
・
・
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国
自
由
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主
ヱ
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外
観
度
にか
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'
-
外 観 m品 の寸法 を椛長に 取り、上部右寄りに ﹃
ヱ
丸
川
J'C
報
新
ダ
ソ
、
マ
、
に ﹃ キ ッ コ ー マ ン ﹄ と 商 品 名 が 切 抜 文 字 で作られ、
その表面にネオン管が装置されて居る。中央に商標
且 同小
。
ト時であ る
マツ毎ラシブ
帆株 式合祉の 出 品 物 で 、 日 本 電 飾 株 式 舎 祉
東京電信
一
が 製 作 工 事 を 行 ったサイ ンであ る。
横長に規定の大きさをとり、全市をネオン
の周別 は約 二 十 五 秒 で あ っ て 、 一 時 間 の 卒 均 消 費 電
力 主は 一・七冗キロワット時である。
告
ム口名命日祉弘告一枇の出品物で 、同一祉 の製 作 に な る も
のである。
外 観 規 定の大きさを縦長にとり 、 上 部 に ﹃ 毘 司
外観
管で作った花模様で配し、所々小型色電球が附して
祭巴お﹄の切抜文字を置き、その表面には各々ネオ
景
心 として禍巻欣に楠岡形を三段に区劃して 、 そ の 中
文字がネオン管で配されてゐる 。 中央梢々下部を中
そ の 杭 に ﹃ 袖 看 板 ﹄ 電 車 の 鋭 柱 に は ﹃ 錨 柱・断告 ﹄ の
ン管が附 さ れ て 居 る 。 左 側 縦 に 電 車 の 銭 桂を作り、
あ り 、 中 央 部 柑 々 上 方 に ﹃ マ ツ ダ ﹂ の ツ レ 1 ド・マー
ダ ー が配置されて居る。
離に取附けた枠を置き、枠の周閏はネオン管のボー
クを ネ オ ン 管 で 作 り 、 そ の 下 方 に 小 型 色 電 球 を 等 距
は赤色ネオン管で彩られ、 中 央 のツレ 1 ド・ マ1 ク
商 標 を 表 Lた ネ オ ン 管 は 赤 色 、 模 様 の
ネオン管は背及び繰色に鮎 火 し 、 花 模 様 中 に 散 在 す
勲火扶態
色 の 直 接 照 明 で 三 間 知 減 す ,G様に装置されてゐる。
る 小 型 電 球 は 青 及 び 縁 に 鮎 火 す る 口 枠 内 の 小 型 電球
央に ﹃弘 告 枇 ﹄ と 応 名 を 切 抜 文 字 に て 作 り 浮 出 さ せ
此 の 周 期 は約十五秒である。的問 下 部 の 祉 名 目 背 後 に
﹃ネオンサイン ﹄な ど と 交 互 に 貼 火 す る が 、 い づ れ も
は 全 部 オ レ ン ヂ 色 で ﹃ サ イ モ ト ロ ン ﹄﹃ マツダランプ﹄
周期は約十秒である。
社
てある。
間接照明が施され、黄、青と交互に附削減する。此の
紫 、 赤 と 間 接 照 明 方 式 で知 滅 さ れ 、 更 に 枠 内 全 部 白
は 赤 、 青 と 艶 化 し 、 此 の 間 に 六 角 枠 は 中 心 より青、
勤
⋮
山 A扶 態 上 部 の 商 品 名 ﹃ キ ッ コ ー マ ン ﹄ の 文 字
油株式合同社﹄と切抜文字を杭に浮かせである口
この枠は三段に 別た れ て 居 る 。 下 部 に 枇 名 ﹃野 間 醤
を切り抜いて浮かせ、そ の 闇 り は 抱 市 型 の枠を作り、
一
生三塁.
、
ム
日
貼 火 の際は 附 く 次 第 に 明 る ︿ な っ て 消 滅 す る が 、 此
3
9
当主
此の サ イ ン の 一時間 平 均 消 費 電 力 量 は 二 キ ロ ワ ツ
干
支
景
夜
報
新
ダ
ソ
、
ーヲ
勲 火 蹴 態 上 部 の 数 字 の ネ オ ン 管 左 側 の ﹃納 看 板 ﹄
﹃餓柱・厨告﹄のネオン管は 、い づ れ も 赤 色 に 鮎 ぜ ら れ 、
中央 の渦 巻 献 の三段は 、 間接聞⋮・
別によ って 、 中 央 よ
り白、褐、背、黄、赤と川次に駄滅する様に装置さ
れ て 肘 る 。 周 期 は 凡 そ 十 王 秒 で 、 一 時 間 の平均消 費
電 力 量 は 了 間 五 キ ロ ワ ッ ト時 である。
文字は切り抜かれ背面にネオン管が配されてゐる。
拳闘の 入 般 を 赤色 、 制 を青色 のネオン
の文字がネオン管で 作 られてゐる 。
而 し て こ の 枠外 に は 闘 案 を 配 し 下 方 に ﹃口一自己 Oロ
ロ
200
ロ﹄
勲火蹴態
管 で 彩 リ 、 下 部 の 英 字 は 青色 ネ オン 、上 部のマ 1 ク
は 赤 色 ネ オ ン で 、 切 抜 文 字 は 背 而 よ り背 色ネオン で
照 射 されるむ
ス
一時間 の平均 消 費 電 力 量 は0 ・七0 キ ロ ? ツ ト 時
である。
ピ
カルピス製迭株式命日枇の出口川に懸リ、製作並に工
)
!
.
-
信イヤモシドネオン
ダ イ ヤ モ ン ド ネ オ ン 合 枇 東 京 営 業 所 の 出口聞に懸
り、同所の製作になるものである 。
そ の輪廓はネオン管で作られて借る。上部には
外 観 中 央 に 枠 を 作 り 男 子 の拳闘の有様 を 表 は
じ
、
カ
全面 白色 に塗られ 中 央 部 に カ ッ プ 及 び ス ト
事は ・院柴枇である。
外一回
旦示
主
品
D
カップの輸出は 、 背 色 ネ オ ン で 彩 ら
スメララシブ
消費 電 力 量 は 一 工 ニ
0 キロワッ ト時 である
D
て交互 に 貼 滅 す る 。 そ の 周期 は約五 秒 で 、 一 時 間 の
する。 而 し て 上 部 蛇 に 雨 側 の 文 字 は 赤色 に あ ら は れ
杯 に な れ ば ス ト ロー で 飲 み ほ さ れ る 様 に 貼 滅 副 作 を
れ、 カ ッ プ に 液 般 が 徐 々 に つ が れ る 様 に 貼 火 し 、 一
勲火扶悪
表而には赤色硝子をはめ込んで居る
の雨側 誌 に 上 部 に は ﹃ カ ル ピ ス ﹄ の 文 字 を 切 り 抜 き
て 府 る 。 カ ッ プ の輸 出 に は ネ オ ン 管 を 配 L、 カップ
ローを 切 り 抜 き 、 そ の表 面 には曇 硝 子 が は め 込 ま れ
40
大日本常球株式合枇の出口川で弘告祉の製作になる
も のである 。
主 景
事 務 所 の 所 在 地 を 示 し 、 マ ー クを表 は し 、 向 品 名 が
書 か れ て 居 る が 、 マ ー クはネオン何回で作られ、仙の
旦尽
夜
報
新
ダ
ソ
、
マ
外 観 全 面 に 風 景があらはされて居る 。 上 部 に は
白 宝 石 山 岳 ‘ そ の下に 青 山 、 そ の下は市街を配し、
白雪 の山 岳 の前に ﹃スメラ﹄の 切り抜き文字を置き、
文字の表面にネオン管が取付けられて居る。中央下
部 に 茄 子 型 電 球 の 形 を 切 り 抜 き 、 下 部 に ﹃ωEHEE
F E己勺﹄とネオン管 で取 付けられて居る。
勲 火 獄 態 上 部 の﹃スメラ﹄ は 赤 色 ネ オ ン 管 、 下
東京電気株式合枇々長
稲田重義氏
山口喜三郎氏
t同
同
キンシ王宗東京事務所
ム口名舎一枇弘告祉
債柴社
大日本電球株式命日世
ダイヤモンドネオン東京廿営業所
クロ ー ドネオン電気株式命日一位
上記の入賞者には夫々賞朕及び賞牌が、電燈五十
五十鈴日を時命日裡に問合したのであった。
年 記 念 舎 の 名 に 於 て 授 奥 さ れ 、 十 一月 三十日 、 曾 期
。
う ぞ 御 期 待 下 さ る 伊 う お 願 ひ 致 してをきま す
は、絶大な肱迎を受けることと、かたく信じております
D
ど
が て 皆 様 の お 手 元 に と ピ く こ と と 存 じ 玄 す が 、 前府 方 面 に
近々のうちに除去賀される筈ですから、や
カー ド の代用品ともなります。
つ上品で 、 注 意 の 吸 引 力 の 強 い 、 シ ョ ウ
ウ の 中 な ど に お 置 き に な る と 、 頗 る 美 く B・
の中、カウンタ ー の上 、 シ ョウ・ウヰンド
書 き に な っ て 、 シ ョ ウ ・ケ 1 スの上或はそ
字をお
此 のグロ ー ブに 、 適 宜 お 好 み の 文ハ
たに研究試作中であります 。
する角型プロ ーブ が 、 我 が研 究 所 の 手 で 新
にきれいーで、そしてなんとなく柔い感じの
需産に示した諮り員白な、角砂結のやう
に劃して犀︿御蹴を申し上げる。
、 照明皐命日一柳田宗八郎氏の御援助
本稿欄筆に際 し
東京ネオン株式含枇
株式合同一位藤西尚応
同 同 同
東京国民空工業株式合回世
エピ ス電 球 株 式 曾 枇
森永製某株式合祉
角型グロープ
部の英字は背色ネオン管にて貼ぜられ、風景は間接
東京市復興事業局長
三氏
イ材
祉出口川サイン以升の十四基に就て、恭査舎を聞き慌
重 審 議 さ れ た 結 果 、次 の 如 ︿ 審 査 成 総 が 琵 表 さ れ た 。
野田番泊株式合祉
株式 合 批
小林前倍
同
可虫
員
同同
同
-
同
長
""
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t
"
一
芳
、
二
~
ヶ
美しい
照 明 に て 貼 減 し 朝 輩 タ の 気 分 を あ ら は す c 茄子型電
球は背面より照射される。この周期は約十秒、一時
間平均消費電力量は了七五キロワットである。
審査拾に成績設表
出 品 さ れ た サ イ ン は 大 慨 に 前 記 の如 ︿ 椋 数 十 五 基
コ
前 記 の 審 査 員 諸 氏 が、 審 査 僻 退 の東京電気株式合自
氏
で 、 こ れ 等 の サ イ ン 審 査 の 任 に 常 ら れ た 方 々 は 、次
の 六 氏 で あ っ た 。 (イ ロハ附)
東京商科大皐敬授耐皐博士
l
清氏
三氏
東京電燈株式合同社副祉長
下
lI
J
島 田佳央氏
東京市公闘謀長
二
主
東京美術皐校敬授
井石
カル ピ ス 製 造 株式合回
世
41
萱等
同
報
新
ダ
ツ
マ
明皐校
日
召
,
.
、
。高松宮殿下御家臨
高松宮殿下には工場御視察のため、去る一
月 二十二日弊祉に 御来臨避され、新装なれる
硝子工揚、電球工場、研究所、マツダ照明事
校等を山口枇長の御案内にて、親しく御視察
の上十一 時半御蹄 謹選された。
。十二月中の 参観者
一般参観者
42
氏、東京工業大同学教授小津省吾氏他八十六名
楽町学博士近藤良一氏、三井錦山紳岡工業所長瀧川
十二月中琴観者合計五回二
。家庭電気普及舎委員家社
家庭電気普及曾編纂委員束凶聯合打合せ曾
に同席された委員は、蓄え、十一月廿七日本枇
参観のため来枇、マツダ照明事校蛇に研究所
を見皐され仁。家具は研究所前の記念撮影で
同曾委員大阪電球株式命日枇照明課主任今津精
↓郎氏の撮影されにものである。
家庭電気普及合編纂委員
咋年十二月中に於ける照明皐校参観者は線
数五百四十二名の多数で、一昨年十二月中の
二O
O
O
参 観 者 四 百 五 十 二 名 に 比 し て 、九十名 の増加
そ示した 。 A
ーその参観圏鑓名投に主なる芳名
を掲ければ弐の遁りである。
十名以上 の参観 圏 槌
陸軍技術本部吉問中将閣下仙一コ二
高等工塞皐校皐生三一
早大機械工皐科畢生二八
杭漬市小皐校教員理科目学研究員八一
早 大 附 属高 工 電 気 科 皐 生 一 四
第一般隊司令長官山本中将閣下他一
米津高工電気科畢生二八
東京女子専門皐校皐生一一
小計四五三
海軍軍令部井上大佐他海軍大皐敬官蛇畢生
警
明
ヂ
報
旬
新
ダ
、
y
マ
弊祉御前』察の高松宮殿下
マ
ρ
J
東京市政調査舎では同曾館の落成争-期とし
。帝都復興展覧命日
書であらう。
た。因に同書は科墜者の手によわ著述され、
翁より察異世にメツセ lヂ守寄せられて居る
など、我が園に於けるエヂソン俸の標準 的良
惇﹄は、今同文部省より十一月 二十日付身以
て国書認定規定によ り 、 良 書 と し て 推 薦 さ れ
法人工玖舎の出版にか
各地に奉行されに竜僚五十年祭争記念し、
エヂソン翁の博
記
は
色
々
出
版
さ
れ丈一か、祉国
vる ﹁
稜明王エヂソ ン
。設明王エチソシ 惇
由である
を呈し、一般人士に封し電燈に関する智識を
普及して、その科盆する慮は甚古大であっ仁
る講演曾 を開 き 、 各 製 校 生 徒 、 鯨 曾 議 員 、 市
命日議員その他有志を集め、聴衆頗る多く盛況
の電燈五 十年祭にあ丈つては、十月廿八日東
北帝図大事 の波法救授を牌して、電般に関す
盛岡電燈株式命日枇では時々講演舎を開催し
て電気智識の普及に努力されてゐるが、昨秋
。盛岡電燈の 講演曾
報
て、昨年十月十九日より十一月'十日まで、帝
都復興展腕見曾を開き、東京市世に近懸の復興
及後達は賞に目質しいちのであるか、最近北
海道札幌市内の南 叫 に 位 す る住宅地では 、土
地震展の仁めに街路電燈照明命日と揮する圏酬隠
では、国呉空掃除機を以て掃除を行ひ好結果を
得亡。この偽同地に於ては真空掃除機を使用
する商屈や家庭が多くなっ仁との﹃﹂とである
が、写園の屋 内を衛生 的と する上に 、其空 掃
除機は確かに理一想的なものであらう o
に埋れ室は閉切られ、室内掃除等は頗る非衛
生勝となるので、今般北海道旭川市の明治屋
零下何度と云ふ般来、の地にあっては、積雲
。雲固と員室掃除機
物仁、 G Eコンヂツトチユ l グ採用の先鞭を
着け仁ものである。
気商命日に落札し納入を終つ亡。
囚に此の建築は徳島懸地方に於ける大建築
仕様書に 、 クリ ー ンフ ヰル ダク bと指定され
に。これは鯨話局に於いて 、
クリ ー ンフヰルダ
クトの性 能 を認め仁もので 、その 結 果 大 阪 電
工された徳島鯨鷹合、警察署、測候所等を線
合した大建築物は、その電気配線工事の入札
総工費一、一 OO、000国を 以 て新築起
@徳島懸藤舎の電気設備
を建設せんと勢ひ込んで居る。 ハ札幌通信)
鵡の提灯等にも街路電燈照明命日なる文字を記
しなどし t、
時
附 来は夏に立 一以なポ l ル
ヘ ッド
J
大震災死亡者名簿 一斉年保存法仁就ては、
記念塔下に 納める死 亡者名簿の一高年保存法
に関する各部分品を出品して、観衆に驚異の
眼を以て迎へられ仁 。
そ組織し 、弊祉製六O四O番エキス 一
プリヤを
用ひて街路照明を行って居る。
向同舎の力の入れ方は素晴しいもので、祭
さきに永田秀次郎氏よりこの方法の研究方を
智恵の曾に依頒したのであ っ亡が、更に工作
その他に就ては木祉に依煩され、木祉技師八
巻 升 次 氏 苦 心研究 の 結 果 完 成 し た も の で あ
る。これに関しては不日八巻氏が木誌に稜表
されることになってゐる。
。街路電燈照明合国
一昨年の 御 大典 を期 として、街路照明 の普
帝都復興展 の本吐 出品
雑
航態や震災治時や追憶せしめ、多大な人気を
呼ん花 。同 展覧曾に弊枇では、高野 山 の震災
中3
報
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ソ
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Fんそのに
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っきょャみよちゃうだ
シルクハ yt
3主 ん わ に
た つで
はした・
3よ
きょ
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と 3ぢ七:
イのぶから 、ワオタルロ l橋 の附 近 まで 、数限 りない 尚僚が抗 ん で
なんか
ヲでう
だいこ
ぜん-二かいわい
さき抽﹂ヤれ
抵知 ってゐに。お 下髪 の先に赤 い蝶々リ ボンをつけて 、夕暮 の往 来
きり
私は前後﹂ハク年もその界隈に住んでゐ仁.にけに 、町 の川
・
来 いやは大
し
倫款の V停車場附近には劇場や大料川山こそないが 、其他 は一一流
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ゐる。月夜の晩でも 、闇 夜でも 、長 蛇 の や う な そ の 通 り は 明 る く 浮
;れてん相:
ていLやほ
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坊のあがるやうな泌つ仁ピアノのお臥をた
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ども 、絵り 人々 のト
rd??ホかなかった ョ許嬬の
児は時計舎一祉の暇工
じゃうづ
を一右て 、大きな 脂fを冠ってゐた 。 ピア ノが上手で玖も唱 ったけ れ
ネリ l は一行が高く 、血色
ω良 い女で 、 いつも以つゆい地味なもの
約して師、︻ j八年 γ
いなる といふ 。
やく
、Eシン命日祉に勤めてゐるヰリ ! といふ娘は 廿 歳 の 折 に あ る 列 と 婚
Fんじょ
を遊びはねてゐた荒物産の 娘は 、髪をあけて短いスカ ート を穿い て
たてらの℃・,パシクノ・
その通りには一一階三階の窓を塗りつぶし仁グヰクトリア女王時 代
気 取 って歩くやうになった。そして 近所 の若 者 と 連 立って停 車場前
てゐ仁 o キイを叩く皮に
ゐ 繁L
t
;
. 茂ゆ
て、ゐる家などかあっ仁。その溢では多く汁 けのま、に瓦斯燈をつ
つ
hvfrつ MZ・ヲしゃ L ん み
の建物が蛇んでゐる o 堤 防 に 近 つくに 従 って 、舷聞は小さく古び
の山氏活 動 {烏旦一などを 観にいっ たり した 。
〉ノ
て玄関の同一れのペ ンキが剥落した家では鳩やオカメ以子などを府っ
うな呉紅い花か咲いてゐる。
・
0 か
ある。様 、七 葉樹などの繁ってゐる庁闘の級淡い花的に目究めるや
はん
三流どころながら 何でもあっ て 日常生活には事を快かさない 。ア ー
44
上 っ て 、 い つ も 山 川 崎 に 手 袋 と ス テッキを 携 へ た 併 挑 ひ 糾 上 の 誉 揚
ゑ
t l、ネ│ピイパ貸席、公設浴場、川沖館、公批なカソリッ ク寺院 、
手
を待 って ゐる。封岸は倉庫や 、工場が多く 、橋の扶に寄つに黒いE
~/~
書
一
廊 、駅かな A B C食堂 、伊 大利人ω終 倍 してゐる一批球一出 、そ れよ
必
ノ
大な森はパタシ l 公凶 である c そこ も私 の散 歩 区 域 であつ 仁。
、
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りもい、一やは停車揚の一塁から テl ムズ川に 山 るまでω腕か な 一割で
工い し や は ふ
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けてゐ仁。
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むくち
位んか
で寡言な、これといって特長のない温順しい男百つ kc
へり
ふじんちうりういじ
家に住んでゐ仁。
や
ゃう
-
L3
'Tっと
夫人はその頃でも中流以上の生活をしてゐ大炉、亡夫の存命中は
う
叫
私と宿の娘のヱペはある晩、会閣の音楽を掠きにいつに蹄途に、
しゃうてん主ちひとご
公園のわきの新月街に邸宅をもって立仮に暮してゐ大といふ﹃)とで
みかとがひ苫
V停車揚わきの、ごみごみし仁商白街を横切っ仁時、人込の中にそ
わにしめいこう乏ん
ある 。
-05う む
や
の二人の姿を見掛けに。エパは尖つ大肘でいきなり私の胸を街いて
かい告のゅうぺふ
すまゐ
きっと示ん/
と.、べつ L に
A Dんあ
L
¥
もの
にれわ
品巳んにいくつ
シ
そふむん
ふう中
宮
夫人はロゼチの詩を変調してゐ仁。 私 に詩は 好 きか ときくから、
しわにし
のよ。でもお二人は異貰仁仲の良い御夫婦でしにわ。﹂といふのであ
ほんと一 3 2
伯母さまは⋮亡くなった伯父様の事をお話しになるのが大好きな
﹁
をしてゐ大ナンシ ーは後で私の耳に口を寄せて、
あと
後 三 十分も主配けに口ずの話をするのであつに。隣室でお茶の仕度
りんしつ
以
しに。一来町内も銃磁も上手でし仁。夫から:::﹂夫人は寸夫から﹂ 、
くなった私の良夫は、それは運動家で、毎朝きっと五哩は散歩しま
ロた し ま い 苧 コ さ ん 円
﹁それはよい事に 、若い人は元気で活穫でなくてはいけない 。亡
くm つほっ
ボート在漕いだとか、長距離の散歩をし亡とかいふと、
3より
ちゃう -
て、今日は仲庇へいったか、何ぞしてきにかと祈くのである o 私
一γ
夫人は私ぞ見ると、退屈から救はれにやうに、讃かけの本小一伏せ
l
私は夫人ともその姪のナンシ!とも、ぢきに心易くなった。公園
あひかいいすち&
あんないロ
﹁ご賢なきい、買物をしてゐるのよ。咋晩も二人は古道具屋の前
へん わ に
t
家応の柵を飛越え
へボ l 卜を昨ダにいつに駅訟などに気軽な心持で 一
7卜
で恥松宮をひやかしてゐ仁わ o吃 度 あ の 人 達 は 近 々 に 結 婚 し て よ o で
て、案内も乞は、一少に芝生へ入っていつにりすると、含まってナンシ
ほ
b
へ
.蓋を買ふのは愛ね。﹂といつに。私達は限を見合せ
も 二人でいって寝
ーが誰よ りも先に見つけて 、笑ひな がら家の 中へ入れてくれ亡 。
わ にL
て、愛な顔をしτ笑 出 し 仁 。 エ パ は 十 九 に な っ て ゐ 仁 。 私 と は 家 族
L土 / ¥
の部よりも親しくしてゐて、 や かましいぽ棋にかくれて一一人は島々
ヰ リ ! と 許 婚 の 男 は そ の 晩 い よ い よ 寝蓋 を買つにかどうか知らぬ
夜遅びをした 。
が、私、かその町を去るまで、ネリ ーは以前と同じ ゃうに救命日の傍に
間借りをしてひとりで自炊してゐた 。
わたし
M-か住んで
その、不リ!の住居の裏通りにドラモンドといふ老未C
bう
ゐ亡。私の宿の主婦とは特別親しい間柄とかで、私はよくその家へ
あそ
遊びにやられ亡。老婦人はリワマチで脚がきかなかつにので、多く
ロに L
の場合、日活りのい、二階の窓際の椅子で讃世一
日や編物をしながら 、
円れ / ¥ 子 一 一 ス
一ほんやり戸外を眺め仁りして日を送ってゐに。
L法 /¥し ろ
ドヨモンド家の近くに五口々の庭球コ l トがあっ仁ので、私はそん
ほ占ふ
じんい
へ
己
わたし
大しに思慮もなく、好き、にと答へ仁のが耐の基で、私はしけしけロ
ふ
シャツのま、一ブクツトで球を打つやうな畳(似をしな一いからその家の前
しん位う
ゼチの配い詩を読んできかされた。私にはよく解らなかったから、
私はいつも夫人の家を齢して石校舎下りると、 ほ っ と し て 大 き な
45
ほんじんしお色しろぜひちゃ主ニ
を遁つに 。 ド-アモンド土へ人は私が自分の友達の家に下宿してゐる町
辛抱して合いてゐるのか可成り苦痛古つ仁 。
ふりんいきちつまれ、
に。 そ れ が 夫 人 に 曾 つ に 経 緯 で あ る 。 夫 人 に は 縞 麗 な 姪 が ゐ て 同 じ
ふ巳ん
本人古と知って、面 白-かつて是非お茶にくるようにといって寄越 し
な お 婆 さ ん が 二 階 か ら 見 て ゐ ょ う と は 識 ら す 、度々白ズボンに 運 動
7
こ
。
つ
報
ザ
、
y
マ
報
新
ダ
ソ
、
マ
きくわいかっすく立
わ
し
息をつくのだつに。詩はつらかったけれども、その震に私には
﹁憎ら
φ
しい可愛い冶しナンシ lに命日ふ機曾 ぞれ世田て砂くし土事はなかった。
へ やぬおき"とく
う -b-
Lん ら の ら う じ ん
私は宿の娘のエパと普通以上の仲であつに。それを知ってゐるの
らうじ
は三階の裏部屋に寝起してゐる描身者のダン老人である。老人は其
告ん比げんにちえう
家の遠蹴になってゐる o 無 駄 ご と を 言 は な い 謹
厳な紳士で、日曜と
n
J亡し
木曜には快さ宇救命日の噸撒にいつ仁 。鐙り 者 と さ れ て ゐ 仁 ダ ン 老 人
ときをぐ口いしつ
も不思議と私にだけは愛想がよ かっ 亡
。
止さやさ
私は時折りエパと喧嘩をすると、ぷいと外出して夜更けまで宿へ
にんざやうに
蹄らない事があった。そんな時、私はわざと優しいナンシ!の矯
ちょ う ぴ ほ ん
rんほう
に、花や人形を買ったりしに 。 さうし仁日曜日の晩、私とナンシ l
が活動家具の騎途に V街 の 裏 遁 り を 歩 い て く る と 、 前 方 か ら ダ ン 老
b
-ヲ じ ん 研 一 ん
人がやってきた 。 じ ま っ た と 駅 っ て 私 は 帽 子 の 慌 を 昨 府 に 引 下 し て
すれ っヂ
擦建った。
そのよくじっ
HV
んくわんき
bu-
や
倍 、 其 翌 日 、 仲 直 り し た エ パ と 私 か 連 立 って 外 出 し よ う と す る
そ L
すれちデ
と、玄関先に山内曾ったダ ン老 人 は 、 い き な り 前 夜-ゃ っ た と 同 じ ゃ う
占
r
に崎子の鍔を眉採に引下して 、素知 ら ぬ 顔 で 擦 違 っ た 。 私 は 其 時 以
らうじんは
来、ダン老人に特別の敬意を排はねばならなかっ亡。
大都合倫敦の他の町には 、ど ん な 事 が 起 っ て 、 ど ん な に な っ 大 か
し苦たいやう
ふんゐき
知らないが、私の住んでゐた V停 車 場 附 近 は 、同じ 太陽も月も照り
'THC
ながら、いつも沈澱んだやうな雰園気の中に位しく穏かな月日が環
ふd
,‘
ヲ
ってゐ大。尤もその問には死んで花輪と共に安一地へ逸られに人も数
じん
らう じ ん を ん な そ ろ
せいU ゃ う は い
人あった 。 愛 す べ き ダ ン 老 人 、 隣 家 の 教 員 、 若 い 女 で は 揃 ひ 衣 服 を
ある
びゃう
着て歩いてゐに尼僧のやうな清砕げ-な顔 ゼ
ι し仁雌民生児、これは肺病で
あ
わた L
て明け暮れた。
わたL
,
ha
てんきざん
あひっ
て、そこに住む事になつに。
LL
L
︿の友達に顔を見せ仁のかきっかけて、叱言をいはれ
Q
かんL
ゐて忽ち私はその監視の下に置かれた 。
へ
jD
をぶるぶると鳴らして 、
﹁飛んでもない 、何
連れていって下さらない?﹂といふの
りやコ
Lつ
、
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すく
rん
い、ものですか、あん
わ たL
r つ亡。私は肩を掠めて、辰口
﹁どんな所でせコ 、吃度い ﹀所に蓬ひな いわ。これからそ の街へ
でゐ仁といふ事に興味をもって、
或時、その娘 さ んは冊かの話の末に私か六ク年も献じ土地に
品ると告
ま
日も穣いてゐる、フちに私は不思議にも善良な気質になって了Lっ
た。
つ立わにしき
も悪事でもしてゐる様に隅の方に小さくなってゐ亡。そんな V
が幾
品︿じ一'&
私の萎酒の量はぐっと減つ亡。時折り友達に誘はれて酒場に入って
ピl ル
だけに税ザ咋日までの取ついた気でゐては昨まないやフに駅つ亡。
M
Uゆ
した c娘 さん は 世 の 中 の 悪 い 事 告 識 ら な い 純 良 な 鹿 女 で あ っ た 。それ
むすめわる
私は夫から間もなく倫敦に留墜してゐにある日本の娘さんと婚約
むすめ
せき
に り 、 大 使 館 へ 連 れ て ゆ か れ た り し に 。 そ こ に は 私 の 母 方 の 親ん戚
が
七いL く わ ん わ た
街へいって、
私の上に一勝期がきに。私は銀行匿域の目の廻るやうな忙しい市
かう ま は
&つ
を山内大。そして遠い郊外のハマ l スt ス町に小さなホテルを見
付け
地四♂かつて、エバの姉達との喧雌?となり 克 に肝心のエパまでも憎んで
わにしも"とす品広
了つ仁。私は未来永却、断じて戻るまいと決心して住馳れにその家
あ私たちつひにく
私は六年自の終りにエパの事から母親と宇論争}し、更に火の手が
こといさかひ
しむべき愛化があったかも知れないが、街はいつも同じ景色をもっ
宇 歳 ば か り の 主 ち 仁 相 次 い で 舞 れ た o 一つ一つの家にはそれぞれ悲
46
y
ものわすきび
。ぷんほ
E
守
宅ひにLん怯う
な物忘れをし大やうな淋しい街によく永い間辛抱してゐ仁ものだ
こに
と、自分ながら呆れてゐる程なのです 。
﹂と答へに。
わたしたちい
きち だ い 伊
そ﹁
ふ
が&
f印
Cん
一
私達は結婚の準備で忙しかった 。 さ う し た 忙 し い 最 中 に 、 誰 か ら
ゐてて
まい に もか は
なか
私の住所を聞出したものか、以前の下宿の娘エパとド一フモ ンド夫人
ド﹃
4
の姪のナンシ ー からホテル宛に手紙がき仁。
て
古か ひ わ か
エパの手紙には、六年間も毎日顔を合せてゐた仲であるのに、 k
い
あ訟に
'P
はし
ところん¥に街燈の恥いてゐる海岸通りを、お清と村上の乗った自動
D
夫 毎 は 忽 ち 組 問 の 限 界 か ら 消 去 っ て 了 っ た 。彼 は 何
草が疾走ってゆく後から、引括った手替のやうに、自持率がピツタリと
寄り添っていった
より先にお荷に裏切られたといふ、堪へ難い怨怒を感じた 。
﹃畜 生 ! 洋 傘 な ん か 買 っ て 貰 や が っ て 口 ﹄と 怯 い た が 、 そ の す ﹁ 後 か
お清がさうした境誌の女に似合はず、案件家庭的で、堅いところがある
ら、お荷はどうして 村 上 を 知 っ て ゐ る の で あ ら う と 疑 念 を 起 し た 。 彼 は
のを知ってゐたので儀計不思議に思った。然し月給を抑って人を一鹿って
つが
s
戸ふりいま
おきながら、これといふ仕事もさせずにおいたり、又何の迎出もなく、
ふ
じんよ引
てう だ ん ち か
-
しん 除 い そ れ じ ぶ ん
め
品 きんひこと
・
か
な妙 い
め
L
えいる一ん
ll松 本 泰 氏 作 ﹃ ゆ び わ ﹄ よ り ││
畠 田 は 又 し で も‘
子供の時の幸ちゃんになった。
事 を 忘 れ て ゐ て 、 悪 か っ た 。 お 請 な ん か 、 ど う で も い 与 の で す よ DIll
注ぐ雨の一五
日 は 勉 田 を 段 々 に 首 肯 れ さ せ た olll母 さ ん 、 母 さ ん 、 貴 女 の
てられたバラック式の校舎が、監⋮ (露 出 し に な っ て ゐ た 。 木 の 葉 に 降 り
H
h
uF
、H
た。品池田は雨を避けて 、 古 箱 の 上 に 腰 を 下 し た 。 丘 の 下 に は 震 災 後 に 建
方へ向いた 。 そこには雨戸のない、見棄てられたやうな物置小屋があっ
、 彼の足は自然と樫の木の繁ってゐる暗い丘の
聴て花伊しきへ着く と
ていった。 下 町 の 灯 火 が 招 ヤ て ゐ る が 、 彼 は そ こ へは行き得なかった。
に、背中まではねをあげながら躍を反して、 山 手 の 花 や し き の 方 へ 歩 い
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暮方の鯨雨が段々太くなってきた。彼は洋傘一本を頼りにするでつ
m はどうする事も出来なかった。
憤 慨 し て 見 て も.怪 し む マ 見 て も 、 頭 脳 の 奥 に 栴 へ て ゐ る 淋 し さ を 勉
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相 手 と し て はl
て、 手 に 入 れ る 程 の 女 で は な い 。1li殊に 村 上 の や う な 堂 々 た る 紳 士 の
ないと、勉回は思った。然しどう晶負目に見てもお清はそんなにまでし
せく儒の手段であったかも知れ
自 分 を 雇 っ た の は 、 お 清 と 自 分 と の 聞 を.
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履 し た り す る 村 上 の行 潟 を 考 へ る と 、 或 は 村 上 が
一 片 の 手 紙 で 突 然 に 俳一
った一日鳥渡し仁 言 葉のゆき蓮ひから争論をした矯に、このま﹀ 別
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れて了ふなんて、そんな不合理な事はない 。今 で は 母 戒も姉達も後
じぷ ん
ぢうしよよろこび
悔してゐるし、自分も惑かつ仁と思ふから、気守直して蹄ってきて
呉れといふのだった 。
み
MY
ナンシ ! の手紙には、最初私の住所を尋ねあ て七 喜 が 記 し て あ
っ亡。ド一フモ ンド夫人は 此頃 目 に 見 え て 弱 っ て き に と い ふ 事 、私が
古び
姿を見せない ので 心配してゐるといふ事、夫から自分には友達かな
ひ
いので淋しい、お目に懸っ て相談したい事があるから、近いうら仁
ぜ
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是非訪ねてきて呉れるようにと 書 いてあつに。
わ 仁L
どちらも最う蓮かつ仁 。 私は日本の娘さんと婚約をし大日から、
ていしやほ
わたL
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' 停 車 場 附 近 に は ぐ る り と 朱 線 を 引 い て 了 っ て どんな事かあって
-く づ か ご
・私は夫等の二っ
もそ の中には入るまいと 心の中に誓つ亡のである 0
て ヂふ
の手紙をくるくると丸めて屑縫に投入れ仁 。
わに し た ち き て う
七じっ
きび 口 仁
7数年になる。
ひ告主は
他 日機命日があって倫敦へゆく事があって
間もなく私達は式を暴けて蹄朝の途についに 。
夫から段
(白河)
も、朱い械を引廻したあの寂れた V停車場附近は、私にとって永遠に
きんだん
禁断の地 と なるであらう。
47
報
新
ー
ダ
下
マ
編輯後記に代ヘて
。
正月々々と正月以分にしたる問もあらばこそ、も
う二月の盤を聞いて仕舞った。肝の上では存が立っ
ても 、 依 然 と し て仰 ほ寒気 は 持 だ し い 。
。
御 技 欧 を ひか へさ せ ら れ て、 工 場 御 利 第 の た め 弊
祉に御来臨遊された高松町殿下の御如儀も、本日川
日芸 出 度 と りお こ な は せ ら れ た こ と は 、 我 等 剛 氏 と
し て 赤 心 よ り お 祝 ひ 巾 し 上 げ 、 主 主 の御 栄 を 存 ぎ 来
る次第である。
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世界の注意を舵き集めて、軍縮人刊誌は去月.一十
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一日 よ り 、 英 問 ロ ン ド ンのk院 ギャラリ ー で 間 人刊は せ
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られた。 此 の間 A
W式 の模抜が 、 手 に以 る様に 孜 が
いに作品を聞け る。 海 と 空 の博 覧 合 、 放 怠 同 対 渦 刊 周
年 記 念 ラヂオ 民見合同がこれである c
,公閑不忍 池 の
山ほと山立 の博 覧 舎 は 、 第 一 合 揚 が kwr
昨 で、 第 二令 揚 が 椛 須 賀 に 設 け ら れ 、 海 軍 方 面 の 力
の入れ方は物市吐いものである。
ラヂオ 肢 はJυAK の主催で、 日 比 谷 の 市 政 令 附
に 附 か れ 、 無 線 科 阜 の知 議 持 及 を 日 的 とし、町内千術参
石は せると 秘 桁 般 に 計 剖 中。
考 umで 抑 米 を ア ツ と 一
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本 年 も紀 元 怖 の住 怖 を 期 し て建 凶 祭 が 上 野 公 同 其
の仙 で行 は れ た 。 寒 成凌烈の折に、 此 の 祝祭の 行は
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れ ること は、人々 の柿 紳 を し き し め る 駄 で 、清 一
郎潔
内 な 桜 花 を 組 ひ 川 さ ず に は川られない
。
の立 示 板 士 出 詑 合 場 の ピ ラ で 版 っ て 肘 る 。 こ
二月.一十 日 の 総 選 準 の た めに、 日 本 全 土 を あげて
。
本 誌 を 到 の 東 京 市 首 気 局 の 小 川 氾 般 課 長 の ﹃ん他府
従 業 員 と し て﹄ な る一 文 は、 屯 時 従 業 員 の 心制作を非
常 に 平 易 に 併 か れ てを る 鮎 は 敬 服 の至りである。
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振 恨 名 附 の文 字 の 段 止 も 同 肢 に 棋 へな
本 社 内 反 刈 参 事 の 小口 市 力 販一日による奉 仕 の 槻 務
も 而 白 く、
いが、 判 的 を 一鐙 せ し め る ことは 可成り凶作肌なこと
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と思 は れ る 。
牛 海 銀 は 昨 年 七 日 放 に掲 叫 し た つピ き で あ っ て、
非常にウイットに日んだ所を御崎誌を乞ふ。
﹁山 製 服岐南氾附⋮育研究 AWの記﹂ も 御 参 考 に な ら う
ン フレッ トな どの 御 利 川 を刷ひます。
し、川仙川護件以の御州一清に本一枇のホスタ 1、 引 札 、 パ
﹃テレックス ・グラス﹂ .一フ ァ ミ リ ヤ グ ロ ー ブ﹄‘﹁川
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